城百科
お城の雑学 書き付け
書き付け 其の壹 ご案内
其の壹 | 其の貳
縄張り
現在では善からぬ人の勢力圏や、動物がマーキングキングしたテリトリーなどに使われていますが、城の縄張りは意味がまったく異なります。城の縄張りはイメージ的には現在の宅地造成のの区割りに近いのかと思います。宅地造成ではほとんど住宅ですが、広場や集会所などを確保します。城の場合は天守、御殿、家臣の住居など
城の場合は天守、御殿、家臣の住居などの配置もありますが、本来は攻防(戦い)の拠点であり、攻められた場合の工夫も行われています。
[ 2009/06/7 ]
曲輪(くるわ)
城はいろいろな区画に切られており、それらの区画を曲輪、または郭(くるわ)と言います。言葉にするとわかりにくいにですが、俯瞰図や航空写真でみるとよくわかります。復元模型で見る日本の城 でも築城当時を模型で再現したいますのでイメージが掴めます。
城の中心となる曲輪を本丸、それに続くのが二の丸、三の丸などとなります。これらの呼び方以外に用途や方向によって呼ばれる曲輪もあります。西の丸などをよく聞きます。
[ 2009/06/7 ]
縄張りと曲輪の配置
縄張りは大きくは下図のように連郭式、輪郭式、梯郭式 に分けられます。描いていませんが各曲輪を堀で囲むことが多々あります。連郭式は本丸をはじめ各曲輪を直線的に並べたもの、輪郭式は本丸を中心に各曲輪を完全に囲みこむように配置したもの、梯郭式は本丸を中心に置かず偏らせ各曲輪をそれに沿って配置したものです。実際の城ではこれほど単純ではなく多数の曲輪で構成されており、これらが複雑に組み合わされた複合式になることが多く、区分は難しいものがあります。
基本的には上記の3点ですが、幕末には五稜郭のような西洋的な稜堡式も造られました。また、島原城のように連郭式の本丸、二の丸を三の丸で囲みこんだ並郭式、数は少ないが輪郭式で曲輪が円形の場合円郭式と分ける人もいます。姫路城は基本的には梯郭式ですが渦を巻いた形に似ているということで渦郭式や螺旋式と細分する人もいます。
[ 2012/2/15 ]
縄張りと曲輪の配置 実例
お城 参考書籍 多くのお城に親しむ本 で見つけたものを適宜選んでいます。著者により微妙に差があります。
実例追加 [ 2012/4/23 ]
山城・平山城・平城
お城は立地の場所により「山城」、「平山城」、「平城」の3通りがありますとよくいわれます。「平城」は平地に天守、堀、石垣、住居などを造った城郭でわかり易いのですが、「山城」、「平山城」の違いが少し解りづらい。
簡単に大雑把にいえば山や丘の高さを基準に区分するのではなく使い方に依ります。山や丘の頂上付近を主に活用したのが「山城」、山や丘に重要部を造り平地部分も取り込んだものが「平山城」となります。
普請と作事
本の目次を見ていて何のことだろう思いました。普請(ふしん)は今でも安普請などで使われることもあり、工事的なこととはわかりますが、作事はまったく想像がつきませんでした。なにか決まり事的なことかと思っていましたが間違っていました。
簡単に言えば普請は土木工事、作事は建築工事です。
[ 2009/06/7 ]
天下普請の城
普請ついでに天下普請について。天下普請とは江戸時代の初期に徳川幕府の威信が確立し、それを背景に幕府関連の城の築城・修築の普請役を各大名に割り振り工事を分担させたことです。費用は各大名の負担で、豊臣恩顧の大名の財力を削ぐ意図があったといわれています。天下普請は字のごとく土木工事をやらされ、作事、つまり建築工事は幕府の直轄で行ったようです。天下普請として、江戸城、名古屋城、大阪城 は有名で、各大名のしるしを記した石垣の刻印石などから、多くの大名が工事に参加したことが実感されます。上記以外の天下普請の城も多数あり、知っておけば10倍楽しめる! 【イラスト図解】お城の見方・歩き方 を参考にまとめました。
実際の天下普請の城
- 城の名
-
新・修築と時期
関係大名等
- 江戸城 (東京都)
-
慶長19年(1614) 修築
黒田長政、福島正則、細川忠利、池田忠継、浅野長晟、鍋島勝茂、
田中忠政、加藤嘉明、蜂須賀至鎮 等
- 高田城 (新潟県)
-
慶長19年(1614) 修築
前田利常、伊達政宗、蒲生忠郷、最上家親、上杉景勝、佐竹義宣、
南部利直、真田信之、村上義明 等
- 駿府城 (静岡県)
-
慶長12年(1607) 修築
池田輝政、松平忠吉、毛利秀就、鍋島勝茂、加藤嘉明、有馬豊氏 等
- 名古屋城 (愛知県)
-
慶長15年(1610) 修築
前田利常、黒田長政、加藤清正、池田輝政、福島正則、細川忠興、
浅野幸長、毛利秀就、鍋島勝茂、田中忠政、山内忠義、加藤嘉明 等
- 加納城 (岐阜県)
-
慶長6年(1601) 築城
- 福井城 (福井県)
-
慶長6年(1601) 修築
藤堂高虎 等
- 長浜城 (滋賀県)
-
慶長11年(1606) 修築
- 彦根城 (滋賀県)
-
慶長8年(1603) 修築
結城秀康、松平忠吉、藤堂高虎、筒井定次、本田忠勝、京極高次 等
- 水口城 (滋賀県)
-
寛永10年(1633) 築城
- 膳所城 (滋賀県)
-
慶長6年(1601) 修築
- 亀山城 (京都府)
-
慶長6年(1601) 修築
藤堂高虎、池田長吉 等
- 二条城 (京都府)
-
慶長7年(1602) 築城
- 伏見城 (京都府)
-
慶長6年(1601) 修築
藤堂高虎 等
- 淀城 (京都府)
-
元和9年(1623) 築城
- 大阪城 (大阪府)
-
元和6年(1620) 修築
- 篠山城 (兵庫県)
-
慶長14年(1610) 築城
池田輝政、毛利秀就、藤堂高虎、山内忠義、森忠政、有馬豊氏 等
- 尼崎城 (兵庫県)
-
元和3年(1617) 築城
- 明石城 (兵庫県)
-
元和5年(1619) 築城
- 福山城 (広島県)
-
元和6年(1626) 築城
[ 2012/2/15 ]
破風(はふ)
言葉で説明するのは難しいので写真で示しますが、大雑把に言えば屋根のでっぱりと言えば感じがつかめるのではと思います。形状により入母屋破風、千鳥破風、唐破風(からはふ)、切妻破風に分けられます。入母屋破風が横に二つ並べば比翼入母屋破風、千鳥破風が横に二つ並べば比翼千鳥破風と呼ぶことがあります。唐破風は屋根の軒先を少し持ち上げた軒唐破風、出窓の上や屋根面に据える向唐破風に細分されます。
望楼型天守の場合は基部(土台)が入母屋の家屋のため入母屋破風は必然的にできますが、その他は装飾のために用いられます。はじめは、入母屋破風、千鳥破風の違いがよくわからなかったのですが、屋根の形の名前を知れば簡単に区別できることができるようになりました。
層塔型天守の場合は破風の無い天守、島原城 などがあります。小倉城 も「お城らしくない」ということでもともとは無かった破風を付けて再建したという記述を読んだ記憶があります。
参考:主な屋根の形
![屋根の形 入母屋](pict_ref/tenshu_ref03.gif)
![位置表示](../common/pict/arrow_05.gif)
ここが入母屋破風となる
入母屋
![屋根の形 寄棟](pict_ref/tenshu_ref04.gif)
寄棟
![屋根の形 切妻](pict_ref/tenshu_ref05.gif)
![位置表示](../common/pict/arrow_05.gif)
ここが切妻破風となる
切妻
参考:入母屋破風と千鳥破風
![入母屋破風と千鳥破風](pict_ref/castle_klg02.gif)
入母屋破風
千鳥破風
入母屋建築の端(妻側)の屋根がでてるのが入母屋破風、屋根の上にさらに小さな三角形の屋根をのせたのが千鳥破風です。
破風の実例
ちょっと一言
天守イコール城ではないことは承知していますが、天守の美しさは城の印象を決定づけます。破風はその天守の美しさに多いに影響します。私が訪問したなかで一番美しく感じたのは姫路城です。各階(重)と破風のバランス絶妙で非常に綺麗です。彦根城も破風が多用されていますが、少しごちゃごちゃした感じがします。松本城は層塔型の天守ですが、破風のバランスもなかなかで、余談ですが、辰巳附櫓・堀などトータルとしたは一番のお気に入りです。会津若松城の天守も層塔型で破風は申し訳でちょっとあると言う感じで、随分昔のことですが「えーッ! これが城(天守)」と感じたことを覚えています。
[ 2010/07/01 ]
比翼入母屋破風、比翼千鳥破風、軒唐破風、向唐破風の説明追加 [ 2012/04/06 ]
国宝と重要文化財
昭和25年(1950年)に「文化財保護法」が制定され、旧法制下で指定されていた国宝(通常旧国宝と呼ばれているようです)が戦災で消失されたものを除きそのまま重要文化財に指定されています。このなかでも特に優れたもの、歴史上、学術的にも価値の高い物を国宝に指定しています。
指定は城郭全体ではなく個別の建物を指定しています。例えば姫路城の場合、国宝は大天守、西小天守、乾小天守、東小天守、イ・ロ・ハ・ニの渡櫓でそれぞれ単独の一件として指定しているため五件八棟となります。姫路城にはほかにもたくさん古い建物が残っており、これらはほとんど重要文化財に指定されています。
以下に城郭に関する現在の国宝、旧国宝を一覧表示します。さらに詳しくは 歴史群像シリーズ特別編集 «決定版»図説 国宝の城現国宝・旧国宝全25城完全収録 を参照ください。
現在の国宝
- 城の名
-
指定内容
備考
- 姫路城 (兵庫県)
-
大、西/乾/東小天守、イ、ロ、ハ、ニの渡櫓
重要文化財の指定は多数あり
- 松本城 (長野県)
-
天守、乾小天守、渡櫓、辰巳附櫓、月見櫓
- 彦根城 (滋賀県)
-
天守、附櫓、多聞櫓
- 犬山城 (愛知県)
-
天守
- 松江城 (島根県)
-
天守
- 二条城 (京都府)
-
二の丸御殿、遠侍、車寄、式台、大広間、蘇鉄の間、黒書院、白書院
御殿を「住居」として指定
2017/12/23:松江城を追加
旧国宝(戦前の国宝)
- 城の名
-
指定年:指定内容
備考
- 名古屋城 (愛知県)
-
1930年:大天守、小天守、西南隅櫓、不明門、御殿など24棟
戦災で天守などほとんどを消失
- 仙台城 (宮城県)
-
1931年:大手門、隅櫓
戦災で大手門、隅櫓ともに消失
岡山城 (岡山県)-
1931年:天守
1933年:月見櫓、石山門、西手櫓
戦災で天守、石山門を消失
福山城 (広島県)-
1931年:天守
1933年:伏見三層櫓、御湯殿、筋鉄御門
戦災で天守、御湯殿を消失
- 広島城 (広島県)
-
1931年:天守
原子爆弾で天守は倒壊
- 熊本城 (熊本県)
-
1933年:宇土櫓、源之進櫓、不開門、長塀など13棟
西南戦争時、失火で天守など消失
首里城 (沖縄県)-
1925年:沖縄神社拝殿
1933年:守礼門、歓会門、瑞泉門、白銀門
戦災で消失
- 丸岡城 (福井県)
-
1934年:天守
1948(昭和23)年の福井大震災で倒壊、古材を使用し修理再建
- 宇和島城 (愛媛県)
-
1934年:天守、追手門
現在、天守は重要文化財。追手門は戦災で消失。
- 高知城 (高知県)
-
1934年:天守、懐徳館、黒鉄門、西多聞など15棟
戦災を免れ重要文化財として現存
- 金沢城 (石川県)
-
1935年:石川門など5棟
現在、石川門、三十三間長屋、土蔵が重要文化財
- 和歌山城 (和歌山県)
-
1935年:大天守、小天守、北西隅櫓、楠門、東倉庫など11棟
戦災ですべてを消失
- 松江城 (島根県)
-
1935年:天守
現在、天守は国宝
- 松山城 (愛媛県)
-
1935年:天守、乾櫓等、戸無門等、紫竹門東塀など多数
戦災や放火でかなりを消失。残った天守など21棟が重要文化財
- 大垣城 (岐阜県)
-
1936年:天守、艮櫓
戦災で消失
- 弘前城 (青森県)
-
1937年:天守、辰巳櫓等、追手門等など8棟
現存建物はすべて重要文化財
- 備中松山城 (岡山県)
-
1941年:天守、二重櫓、三ノ平櫓東土塀
すべて重要文化財
- 松前城 (北海道)
-
1941年:天守、本丸御門、本丸御門東塀
飛び火で天守、本丸御門東塀消失
- 丸亀城 (香川県)
-
1943年:天守
現在、重要文化財
- 高松城 (香川県)
-
1947年:月見櫓、水手御門、渡櫓、艮櫓
国宝の指定は戦後の昭和22年。戦災で三の丸桜門を消失
[ 2011/08/05 ]
参考:国宝および重要文化財の棟数
現存12天守閣 にお城に関する国宝と重要文化財の棟数のリストが掲載されていました。城郭関連の国宝・重要文化財が一望できるので使わせてもらいます(備考は管理人の追加)。国宝や重要文化財を持つ城はそれぞれのページでも触れています。また、文化庁の「国指定文化財等データベース」でも調べたることができます。
ちなみに、リストに二条城 がありますが二条城の国宝は二の丸御殿関連のもので [ 城郭 ] ではなく [ 近世以前/住宅 ] での指定です。
旧国宝(戦前の国宝)
- 城の名
-
- 国宝
- 重要文化財
備考
- 姫路城 (兵庫県)
-
- 8
- 74
国宝は天守群(大天守、小天守、渡櫓) の8棟
- 二条城 (京都府)
-
- 6
- 22
御殿周り6棟が [ 近世以前/住宅 ] での国宝指定です。
- 松山城 (愛媛県)
-
- -
- 21
天守、三ノ門南櫓など6棟、紫竹門など7棟、紫竹門東塀など7棟
- 高知城 (高知県)
-
- -
- 15
天守、懐徳館、納戸蔵、黒鉄門など4棟、西多聞など2棟、塀6棟
- 大坂城 (大阪府)
-
- -
- 13
焔硝蔵、金蔵、金明水井戸屋形、大手門など2棟、櫓5棟、塀3棟
- 熊本城 (熊本県)
-
- -
- 13
宇土櫓、源之進櫓など11棟、不開門、長塀棟
- 金沢城 (石川県)
-
- -
- 10
石川門(表門、櫓門など8棟)、三十間長屋、土蔵(鶴丸倉庫)
- 弘前城 (青森県)
-
- -
- 9
天守、辰巳櫓など3棟、三の丸追手門など5棟
- 彦根城 (滋賀県)
-
- 2
- 5
天守、附櫓及び多聞櫓2棟が国宝、櫓4棟、馬屋1棟
- 江戸城 (東京都)
-
- -
- 6
外桜田門2棟、清水門2棟、田安門2棟
- 名古屋城 (愛知県)
-
- -
- 6
西南隅櫓など3棟、表二の門など3棟
- 松本城 (長野県)
-
- 5
- -
天守、乾小天守、渡櫓、辰巳附櫓、月見櫓 6棟が国宝
- 高松城 (香川県)
-
- -
- 4
月見櫓、水手御門、渡櫓、艮櫓 4棟
- 大洲城 (愛媛県)
-
- -
- 4
台所櫓、高欄櫓、苧綿櫓 三の丸南隅櫓 4棟
- 丸亀城 (香川県)
-
- -
- 3
天守、大手一の門、大手二の門 3棟
- 備中松山城(岡山県)
-
- -
- 3
天守、二重櫓、三の平櫓東土塀 3棟
- 新発田城 (新潟県)
-
- -
- 2
表門、旧二の丸隅櫓 2棟
- 小諸城 (長野県)
-
- -
- 2
大手門、三之門 2棟
- 明石城 (兵庫県)
-
- -
- 2
巽櫓、坤櫓 2棟
- 岡山城 (岡山県)
-
- -
- 2
月見櫓、西丸西手櫓 2棟
- 福山城 (広島県)
-
- -
- 2
伏見櫓、筋鉄御門 2棟
- 犬山城 (愛知県)
-
- 1
- -
天守が国宝
- 丸岡城 (福井県)
-
- -
- 1
天守
- 松江城 (島根県)
-
- 1
- -
天守が国宝
- 宇和島城 (愛媛県)
-
- -
- 1
天守
- 松前城 (北海道)
-
- -
- 1
本丸御門
- 掛川城 (静岡県)
-
- -
- 1
二の丸御殿が [ 近世以前/住宅 ] での重要文化財指定です。
- 和歌山城 (和歌山県)
-
- -
- 1
岡口門
- 福岡城 (福岡県)
-
- -
- 1
南丸多聞櫓
- 佐賀城 (佐賀県)
-
- -
- 1
鯱の門及び続櫓
[ 2012/09/22 追記 ]
参考:国宝・重文の五重塔
国宝の五重塔は11基(うち2基は小塔)[下記リスト]、重要文化財は14基(うち1基は小塔)あります。
- 寺の名
-
建立年代と高さ(m)
- 教王護国寺 (京都府)
「東寺」とも呼ばれています -
- 寛永21(1644)年
- 56.6
- 興福寺 (奈良県)
-
- 応永33(1426)年
- 52.9
- 醍醐寺 (京都府)
-
- 天暦5(951)年
- 39.9
- 法隆寺 (奈良県)
-
- 7世紀末~8世紀初
- 36.6
- 瑠璃光寺 (山口県)
-
- 嘉吉2(1442)年
- 31.6
- 羽黒山 (山形県)
-
- 永和3(1377)年
- 30.9
- 明王院 (広島県)
-
- 貞和4(1348)年
- 29.5
- 海住山寺 (京都府)
-
- 建保2(1214)年
- 18.5
- 室生寺 (奈良県)
-
- 8世紀末~9世紀初
- 17.1
- 元興寺 (奈良県)
-
- 8世紀後半
- 5.9
- 海龍王寺 (奈良県)
-
- 8世紀半ば
- 4.7
建立年代、高さ(m)は 五重塔入門 に拠る。
[ 2012/08/17 追記 ]
空襲で焼失・倒壊した城
名古屋城、和歌山城、岡山城、広島城、福山城は戦前( 戦前と言ってもわからないかな?) には天守が残っていましたが、昭和20年(1945年)の空襲により焼失・倒壊しました。その他の城においても江戸時代の遺構がたくさん焼失・倒壊しました。主なものを知っておけば10倍楽しめる! 【イラスト図解】お城の見方・歩き方 を参考にまとめました。
- 城の名
-
被災日
焼失物
- 名古屋城 (愛知県)
-
5月14日
大天守、小天守、本丸御殿、本丸東北隅櫓、本丸表一之門、本丸表二之門、不明門、正門
- 江戸城 (東京都)
-
5月25日?
大手門、西の丸明治宮殿、西の丸太鼓櫓
- 首里城 (沖縄県)
-
5月27日?
守礼門、歓会門、久慶門、正殿
- 岡山城 (岡山県)
-
6月29日
天守、塩櫓、石山門
- 姫路城 (兵庫県)
-
7月3日
天守に命中した焼夷弾が発火せずに焼失を免れる
- 高松城 (香川県)
-
7月4日
三の丸桜門
- 徳島城 (徳島県)
-
7月4日
鷲ノ門
- 和歌山城 (和歌山県)
-
7月9日
大天守、小天守、天守曲輪隅櫓、多聞櫓、楠門
- 仙台城 (宮城県)
-
7月10日
大手門、巽門、二の丸大手隅櫓(脇櫓)
- 宇和島城 (愛媛県)
-
7月12日
追手門
- 府内城 (大分県)
-
7月16日
大手門、扇櫓、着到櫓、菱櫓、西の丸隅櫓
- 松山城 (愛媛県)
-
7月26日
太鼓櫓、太鼓門、巽櫓、乾門、天神櫓、馬具櫓
- 大垣城 (岐阜県)
-
7月29日
天守、多聞櫓、艮櫓
- 水戸城 (茨城県)
-
8月2日
御三階櫓、三の丸弘道館孔子廟
- 広島城 (広島県)
-
8月6日
天守、二の丸橋御門、二の丸太鼓櫓、本丸中御門、多聞櫓
- 福山城 (広島県)
-
8月8日
天守、御湯殿
- 大坂城 (大阪府)
-
8月14日
京橋門、玉造門、二番櫓、三番櫓、伏見櫓、坪櫓
[ 2012/2/15 ]
[ 2017/6/21:日付順に並び替え、姫路城追加 ]
移築
わざわざ取り上げるほどの言葉ではないのですが私の勘違いが少しあり取り上げました。移築では天守や櫓がいろいろな城から移築されたといわれる 彦根城 や天守、櫓、門などが各地に移築されていったといわれる 伏見城 がよく知られています。
移築というのは必ずしも建物をそっくりそのまま移すのではなく、材木や瓦などを解体し再利用・リサイクルするもので形状等が再現されるものではありません。
[ 2012/11/23 ]