天守 懐徳館 黒鉄門など15棟が
重要文化財
高知城
高知城のご案内
- 壹: ひとくちメモ
- 貳: 写真の間 1975年頃撮影
- 參: 縄張りとカメラアングル
- 肆: ここが魅所・おすすめ
- 伍: 国宝・重要文化財
- 睦: 面白文書、拾い上げ
- 質: 登城の道のり
高知城 ひとくちメモ
- 所在地
- 高知県 高知市
- 別 名
- 鷹城、大高坂山城
- 築城者
- 山内 一豊
- 別名の由来
- 鷹城:鷹が翼をひろげた姿に見立てた。大高坂山城:古名
- 天守概要
- 望楼型 四重五階( 外観 ) 三層六階( 内部 )
- 城郭構造
- 連郭・梯郭式 平山城
- 遺 構
- 天守[ ※ ]、 懐徳館(御殿)[ ※ ]、櫓、 追手門[ ※ ]、黒鉄門、 詰門[ ※ ]、 石垣[ ※ ]、堀 など
- 再建造物
- 天守の高さ
- 18.5m( 礎石からの高さ )
《遺 構》、《再建造物》 での [ ※ ] は 私の Google フォトの写真を示し、クリックで画像を表示。
遺構は数多くあります。詳細は 高知城 国宝・重要文化財 を参照ください。
高さは «イラスト図解 城 » に依る。
高知城 簡易年表
- 鎌倉時代
- 付近の地頭、大高坂氏の拠点として築城。
- 1341年
- 南北朝期の戦乱で落城、廃城に。
- 1587年
- 長宗我部元親が築城を開始するも途中で断念、浦戸城を築く。
- 1601年
- 山内一豊、関ヶ原の合戦の功で土佐二四万石を与えられ、浦戸城に入城
- 1611年
- 高知城、完成。
- 1727年
- 火災で、天守ほか主要な建築を焼失。
- 1753年
- 再建完成。
- 1873年
- 廃城となり、現存以外の建築を破却。
図解 日本の城 より
参考になるサイト:
高知城 写真の間
抑えたい処、美しい処
追手門の手前 ⇒ 追手門 ⇒ 杉ノ段 ⇒ 二ノ丸 ⇒ 本丸 ⇒ 矢狭間塀を抜けて の順に。
登城・撮影日の留書き
フィルム写真のネガをスキャンで読み編集したものです。上に掲載以外の高知城の写真やリサイズ前の写真も私の Google フォト(写真をクリックすると別窓で開きます)でご覧いただけます。(19葉)
高知城 よろず間
高知城 縄張りとカメラアングル
※ アングルのマーカー、または数字をクリックすると写真を表示します。
※ 数字は上の写真の番号に対応。
解像度 640px以下では曲輪名・カメラアングルなどは表示されません。
高知城 ここが魅所・おすすめ
私の感じた高知城の魅力、見所、おすすめなどを紹介
- 天守は現存する12の天守のひとつです。現存する天守で廻縁、高欄があるのはこの高知城と犬山城だけです。一般的には、殿様は実際に天守に上ることはなかったようですが、殿様気分で下界を眺めるのも一興です。
- 天守以外にも懐徳館(御殿)や黒鉄門、追手門東北矢狭間塀など15棟が重要文化財に指定されています
-
高知城は本丸の建造物が完在する唯一の城です。2棟の櫓門、本丸御殿、納戸蔵を兼用した多門櫓、土塀、2棟の多門櫓が残っています。ちなみに、御殿が現存する城郭には二条城(京都府)、掛川城(静岡県)、一部が現存する川越城(埼玉県)があります。
ビジュアル日本史1000城 を参考に増補。
-
現存天守で忍び返しが残っているのはこの高知城だけです。再建の城では熊本城や名古屋城、掛川城にもみられます。
[ 2012/09/30、2012/12/22 増補 ]
高知城 ここが興趣深い
高知城のチョッとマニアックな話、いっぷう変わったところ、蘊蓄(うんちく)などを紹介
攻撃を惑わす詰門
- 三の丸、二の丸、本丸天守と向かう道筋に進路を惑わす仕組みがあります。
- 鉄門跡を過ぎ詰門が見えてきます。左側に天守が見え、詰門から直ぐに天守に行けそうですが、行けるのは梅の段、残念!!
- 右側の石段を登り二の丸へ。二の丸で詰門の上の部分、つまり2階が廊下橋になっていて、ここを通って本丸へ、そしてやっと天守へ。
-
言葉では解りづらいのですがGoogleマップのストリートビューで擬似体験できます。登城の道のりの地図にで印をつけています。ここのストリートビューで少し感じが味わえます。
[ 2012/11/24 ]
高知城 重要文化財
高知城は重要文化財に指定されています
高知城は 旧国宝 の「天守」、「懐徳館」、「黒鉄門」、「廊下門」、「追手門」など15棟が「高知城」として引き続き 重要文化財 に指定されています。また、城跡は国の史跡に指定されています。下記の表は文化庁の「国指定文化財等データベース」や書籍「歴史群像シリーズ特別編集«決定版»図説 国宝の城 現国宝・旧国宝全25城完全収録」を参考に編集・作成しています。
- 名称
-
- 棟名
- 構造及び形式等
- 高知城
-
-
- 天守
- 四重五階天守、本瓦葺
-
- 懐徳館
- 上段の間(床、棚、書院付)、二の間、三の間(茶所附属)、四の間、
納戸、三畳二室、雪隠、入側、板間及び縁側より成る、一重、入母屋造、
本瓦葺、溜の間(十三畳、七畳半、九畳及び四畳)及び玄関附属する
-
- 納戸蔵
- 八畳三室、四畳及び縁側より成る、一重、入母屋造、本瓦葺
-
- 黒鉄門
- 櫓門、入母屋造、本瓦葺
-
- 西多聞
- 一重櫓、本瓦葺
-
- 東多聞
- 一重櫓、本瓦葺
-
- 詰門
- 櫓門、北面入母屋造、南面廊下門に接続、本瓦葺
-
- 廊下門
- 櫓門、入母屋造、本瓦葺
-
- 追手門
- 櫓門、入母屋造、本瓦葺
-
- 天守東南矢狭間塀
- 延長61.2m、銃眼十五所、本瓦葺
-
- 天守西北矢狭間塀
- 延長5.8m、本瓦葺
-
- 黒鉄門西北矢狭間塀
- 延長23.0m、銃眼五所、本瓦葺
-
- 黒鉄門東南矢狭間塀
- 延長14.6m、銃眼三所、本瓦葺
-
- 追手門西南矢狭間塀
- 延長71.2m、銃眼十三所、本瓦葺
-
- 追手門東北矢狭間塀
- 延長27.6m、銃眼五所、本瓦葺
高知城 面白文書、拾い上げ
書籍など、高知城で私の興味深かったこと、おもしろいと思ったところ引用
この天守は、延享四年(1747)に再築されたもので、一豊が創築した天守は享保十二年(1727)に焼失している。江戸中期の天守建築としては珍しく、最上階の望楼は廻縁が擬宝珠高欄を作ってあり、全体のフォルムは下方の二層大入母屋の上に、二階三階がのる形となっている。これは望楼型天守と呼ばれる桃山時代の形式で、再築にあたって一豊の遺徳をしのび、あえて古式に建てられたものである。
[ 2009/5/22 ]
登城の道のり
1975年頃に登城
は下に示すストリートビューの撮影位置を示しています。
ブラウザー、またはヴァージョンによっては地図が表示できないことがあります。【参考】 Google Apps 管理者用 ヘルプス
高知城まで 簡単に説明
- ずいぶん昔に登城。道のりは忘却の彼方。
- 地図でみると高知駅から距離にして約1.5Km程度、歩20~25分程度か??
- 城内の一部はGoogleマップのストリートビューで見ることができます。
- 登城ルートはGoogleMap上で短かそうな道を探したもので実際に歩いたものではありません。
[ 2015/6/8 追記 ]
ストリートビュー:大手門、遠くに天守
(城内も仮想散歩ができます)
上地図で が記された場所のストリートビューです。
ブラウザー、またはヴァージョンによってはストリートビューが表示できないことがあります。【参考】Google Apps 管理者用 ヘルプス