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史跡

会津若松城

会津若松城のご案内

会津若松城 ひとくちメモ

所在地
福島県 会津若松市
別 名
鶴ヶ城、小高木城、黒川城
築城者
芦名直盛、蒲生氏郷
別名の由来
鶴ヶ城:蒲生氏郷が自らの幼名にちなみ「鶴ヶ城」としたため。あるいは、翼を広げたような天守の形からとも。
天守概要
層塔型 五重五階 地下二階 (1611年改築時)、現天守は昭和40(1965)年に鉄筋コンクリートで外観復元。
城郭構造
梯郭式平山城
遺 構
石垣[]、土塁、 堀[] など
再建造物
復元天守 [] 茶室 麟閣、干飯櫓、南走長屋 など
天守の高さ
25.15m ( 建物 )、11m ( 石垣 )

《遺 構》、《再建造物》 での [ ※ ] は 私の Google フォトの写真を示し、クリックで画像を表示。

天守の高さは «地図で歩く 城と城下町100選» に依る。

会津若松城 年表

1384年
葦名直盛、黒川城を築く。
1589年
伊達政宗、葦名氏を駆逐して入城。
1592年
蒲生氏の改修により、大天守完成。
1598年
上杉景勝、越後より120万石で入城。
1639年
加藤氏による大改修完成。
1643年
保科正之、20万石で入城。
1868年
戊辰戦争で落城。
1965年
大天守再建。
2001年
干飯櫓、南走櫓再建。

図解 日本の城 より

参考になるサイト:

会津若松城 写真の間

抑えたい処、美しい処

会津若松城:西出丸 石垣

(1)
西出丸 石垣

会津若松城:西出丸 石垣 背景に天守

(2)
西出丸 石垣 背景に天守

会津若松城:知期理坂

(3)
知期理坂

会津若松城:本丸 天主東面

(4)
本丸 天守

会津若松城:本丸 天主東面

(5)
本丸 天守

会津若松城:本丸 天主東面

(6)
本丸 天守

会津若松城:御薬園

(7)
御薬園

登城・撮影日の留書き

上に掲載以外の会津若松城の写真やリサイズ前の写真も私の Google フォト(写真をクリックすると別窓で開きます)でご覧いただけます。

会津若松城:御薬園

フィルム撮影の御薬園
1973年頃 撮影

会津若松城 よろず間

会津若松城 ここが魅所・おすすめ

私の感じた会津若松城の魅力、見所、おすすめなどを紹介

  • 現天守は昭和40(1965)年に鉄筋コンクリートで外観復元されたものです。私の写真では屋根は黒ですが、現在は古の赤瓦葺に葺き替えるられ復元されています。
  • 平成13(2001)年には本丸内の食料庫として使われた干飯櫓(ほしいやぐら)、武具庫として使われた南走長屋が江戸時代の工法で復元されています。
  • 御薬園

    不勉強で知らなかったのですが会津若松城にも庭園が付随していました。御薬園 (おやくえん) と言います。そもそもの始まりは永享4(1432)年に蘆名盛久が別荘を建てたのが始まりと言われています。現在の庭園は会津三代目藩主・松平正容が元禄9(1696)年に大改造したものとのことです。

[ 2012/09/23 ]

会津若松城 ここが際立つ

会津若松城のチョッとマニアックな話、いっぷう変わったところ、蘊蓄(うんちく)などを紹介

  • 会津若松城の赤瓦も寒冷対策

    • 蒲生氏郷※1が文禄2(1593)年に上げた天守は関西から発展した燻し瓦を持ち込んだものと思われ、冬季の気温が低く積雪の多い会津では瓦にしみ込んだ水分で凍結しひび割れが多発しました。
    • 寛永20(1643)年に入封した保科正之※2は瓦の改良を進め、鉄分を多く含む釉薬を施した瓦を用いてひび割れを防ぐことができるようになりました。
    • 釉薬により赤茶色に焼きあがったので 赤瓦 と呼ばれます。

    歴史読本 2011年 05月号 を参考にしました。

    ※1 蒲生氏郷は織田信長、豊臣秀吉の家臣で松阪城を築城しています。

    ※2 保科正之は徳川家光の異母弟、幕政にも参画、藩政にも力を注ぎ産業の育成と振興を進めた。

  • >ちなみに、寒冷対策としては異論があるものもありますが 弘前城 の銅瓦、金沢城 の鉛瓦、丸岡城 の石瓦などがあります。金沢城新発田城 の海鼠(なまこ)壁も寒冷対策のひとつです。

[ 2012/10/13 ]

会津若松城 面白文書、拾い上げ

書籍など、会津若松城で私の興味深かったこと、おもしろいと思ったところ引用

会津若松城は天下無比の”堅城”であった。それは築城後280年後に証明された。戊辰戦争で城は落城しなかったのである。会津松平家の家中が盾籠った城は、攻撃包囲する明治政府軍に”開城”したのであって、城としては無傷であった。あの有名な白虎隊の詩吟」には

南鶴ヶ城望めば砲煙あがる・・・・・・・・・・

とあって、煙を見た白虎隊士たちが全員割腹して果てるのである。白虎隊が目にしていたのは新政府軍が城をめがけて射る砲火と煙であって、城は炎上していない。

日本の城郭を歩く 古写真が語る名城50 より

登城の道のり

登城日:1973年頃

ストリートビューの撮影ポイント は下に示すストリートビューの撮影位置を示しています。

ブラウザー、またはヴァージョンによっては地図が表示できないことがあります。【参考】 Google Apps 管理者用 ヘルプス

会津若松城まで 簡単に説明

  • ずいぶん昔に登城。道のりは忘却の彼方。
  • 地図でみると西若松駅から距離にして約2Km程度、歩30~40分程度か??
  • 周辺、城内の一部はGoogleマップのストリートビューで見ることができます。

ストリートビュー:本丸 天守

(城内も仮想散歩ができます)

上地図でストリートビューの撮影ポイント が記された場所のストリートビューです。

ブラウザー、またはヴァージョンによってはストリートビューが表示できないことがあります。【参考】Google Apps 管理者用 ヘルプス

城めぐり 栞