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天守は国宝

犬山城

犬山城のご案内

犬山城 ひとくちメモ

所在地
愛知県 犬山市
別 名
白帝城
築城者
織田広近
別名の由来
断崖にあり、李白の漢詩に詠まれた中国の白帝城も同様に長江の丘上にあり荻生徂徠が命名したといわれている。
天守概要
複合式望楼型 三層四階 地下二階
城郭構造
梯郭式平山城
遺 構
天守 []、 付櫓 []、 石垣 []、など
再建造物
鉄門(模擬) []、 小銃櫓跡に建つ永勝庵 [] など
高 さ
約24m( 石垣約5m、天守約19m )

《遺 構》、《再建造物》 での [ ※ ] は 私の Google フォトの写真を示し、クリックで画像を表示。

高さは «イラスト図解 城 » に依る。

犬山城 簡易年表

図解 日本の城 より

1469年
織田広近、木ノ下城を築く。
1537年
織田信康、三光寺城を築く。
1600年頃
石川貞清、現在地に犬山城を築く。
1601年
小笠原吉次が城主となる。
1617年
成瀬正成が尾張藩付家老として犬山城主に。
1891年
濃尾地震で天守の一部が壊れたため、修理を条件に成瀬家の個人所有となる。
2004年
財団法人「犬山城白帝文庫」に移管される。

参考になるサイト:

犬山城 写真の間

抑えたい処、美しい処

☒ 周辺から

☒ 鉄門 ⇒ 本丸 ⇒ 天守 の順に

周辺から

犬山城:木曽川遊歩道より天守を望む

(1)
木曽川遊歩道より天守を望む

犬山城:木曽川遊歩道より天守を望む

(2)
木曽川遊歩道より天守を望む

犬山城:紅葉のなかで天守を観る

(3)
紅葉のなかで天守を望む

鉄門 ⇒ 本丸 ⇒ 天守 の順に

犬山城:鉄門

(4)
鉄門

犬山城:鉄門から天守を覗く

(5)
鉄門から天守を覗く

犬山城:於・本丸 天守

(6)
於・本丸 天守

犬山城:於・本丸 天守

(7)
於・本丸 天守

犬山城:於・本丸 天守

(8)
於・本丸 天守

犬山城:於・本丸 天守

(9)
於・本丸 天守

犬山城:於・本丸 天守

(10)
於・本丸 天守

犬山城:於・本丸 天守を見上げる、右には付櫓

(11)
於・本丸 天守を見上げる
右には付櫓

犬山城:於・本丸 付櫓を見上げる

(12)
於・本丸 付櫓を見上げる
付櫓の説明

犬山城:天守の内部。地下1階

(13)
天守の内部。地下1階

犬山城:天守内部から観る唐破風

(14)
天守内部から観る唐破風
唐破風の間の説明

犬山城:天守最上階、廻縁と高欄、鉄門(本丸門)も

(15)
天守最上階、廻縁と高欄
鉄門(本丸門)も

犬山城:天守より本丸を観る。鉄門(本丸門)に永勝庵

(16)
天守より本丸を観る。
鉄門(本丸門)に永勝庵

登城・撮影日の留書き

上に掲載以外の犬山城の写真やリサイズ前の写真も私の Google フォト(写真をクリックすると別窓で開きます)でご覧いただけます。

犬山城:木曽川遊歩道からの絶景

木曽川遊歩道からの絶景
2011年11月14日 撮影

犬山城 よろず間

犬山城 ここが魅所・おすすめ

私の感じた犬山城の魅力、見所、おすすめなどを紹介

  • 廻縁と高欄

    天守は 現存する12天守 の一つです。現存する天守で廻縁(現在風に言えばベランダ)、高欄(現在風に言えば手摺)があるのがこの犬山城と高知城だけです。一般的には、殿様は実際に天守に上ることはなかったようですが、殿様気分で下界を眺めるのも一興です。犬山城では廻縁をぐるっと一周できます。残念ながら私の登城日は風が強く半周しかできませんでした。

  • 遊歩道沿いの景観

    白帝城の由来の断崖( 山、川 )の風景の見れる木曽川遊歩道沿いの景観はすばらしいものがあります。電車で行かれるなら行き・帰りのどちらかでも犬山遊園で乗降し、木曽川遊歩道を歩くことをお勧めします。

犬山城 ここが際立つ

犬山城のチョッとマニアックな話、いっぷう変わったところ、蘊蓄(うんちく)などを紹介

犬山城は関心の高かった城でやっと登城しました。私の関心をひきつけたのは次のような点です。

  • 天守の形式で望楼型の説明で「古いタイプの天守と言われる«望楼型»は1階、または2階の 入母屋 造りの家屋の上に2~3階の望楼(物見)を載せたもの」と言われるのですが、なかなかイメージがつかめませんでした。犬山城の写真等を見てハッ!と感じがとることができました。
  • 上記に少し関連、わたしには犬山城で「望楼を載せたもの」が感じとれ、古い形式の天守いわれても納得するのですが、昭和36年からの解体修理の際の調査の結果、3・4階の望楼部は成瀬正成の増築で1620年頃とのこと。
  • 1891(明治24)年の濃尾地震で破損し、1895(明治28)年に修復をするということで旧藩主の成瀬家に譲渡されました。以降、国宝に指定されるような城が最近2004(平成16)年まで個人所有でした。その後は財団法人犬山城白帝文庫に移譲されています。
  • 『正事記』などの記録によると「1600年頃の石川貞清の築城は美濃・金山城から天守などを移築した」とありますが上述の昭和36年からの解体修理の際の調査で否定されたようです。
  • 1537(天文6)年の織田信康による築城以来3度の落城にみまわれています。一度目は1564(永禄7)年、信康の子・信清が義兄の信長に攻められて城主の座を失っています。2度目は1584(天正12)年、織田信雄が小牧・長久手の戦いの前哨戦で羽柴方の池田恒興により攻略されています。3度目は1600(慶長5)年、関ヶ原の戦いの前哨戦で東軍の攻撃を受け落城しています。
  • 1617(元和3)年に成瀬正成が犬山城の城主になりますが正成は尾張徳川家の臣下(付家老)で大名ではありません。江戸幕府の幕藩体制の下では犬山城の城主はいましたが犬山藩は在りませんでした。犬山藩は生まれたのは幕府崩壊後の1868(慶応4)年新政府に認められてです。その3年後の廃藩置県で犬山藩は一旦犬山県となりますがすぐに名古屋県に合併されています。、

[2012/05/7 追記]

犬山城で出会った説明板

犬山城で出会った案内/説明板の良いとこどりです

※ 文章は写真では読みにくいので一部のみ掲載で全文を文字にもおとしました。写真は少し画像処理しています。

犬山城の歴史

犬山城の歴史

犬山城の歴史

犬山城は天文六年(1537年)に織田信長の叔父にあたる織田与次郎信康によって造られました。

戦国時代なので、その後何代も城主が代わりましたが、1600年の関ヶ原合戦の頃を中心に、城郭は整備されていきました。

小牧長久手の合戦(1584年)の際には、豊臣秀吉は大阪から12万余の大軍を率いてこの城に入り、小牧山に陣をしいた徳川家康と戦いました。

江戸時代になり、尾張藩の付家老、成瀬隼人正正成が元和4年(1618年)城主となってからは、成瀬家が代々うけついで明治にいたりました。

明治4年(1871年)九代目成瀬正肥のとき廃藩置県で廃城となり、城門など天守閣を除く建物はほとんど取り壊されてしまいました。

明治24年の濃尾震災で天守閣の東南角の付櫓など、ひどく壊れてましたので、それを修理する条件で再び成瀬家所有の城となりました。

その後、伊勢湾台風などでも被害をうけましたが、昭和36年(1961年)から40年まで4年間をかけて解体修理をおこないました。望楼型の独立天守で、高さは24メートルです。

国宝に指定されている犬山城、松本城、彦根城、姫路城の四城のなかでの最も古い城であります。

平成16年4月、財団法人、犬山城白帝文庫が設立され、城の所有は個人から財団法人になりました。

天守閣構造の大要

天守閣構造の大要

天守閣構造の大要

坪数約二百坪
外観三重(内部四階、石垣の中二階付)
内部 
一階納戸の間 百五十畳
中央部四室に区画した所があり、西南部に床が七寸髙く、所謂、上段の間が南面して設けられ、天井 床の間 床脇等の痕跡もあり特別室になっている。創建当時の城主の居間でその北が武者隠の八畳で、万一を警護する武士の詰所である。東二間は共に納戸で六畳と十畳とあり、以上四室を取巻く二間巾の板の間は武者走りと言います。
二階武具の間、百四十四畳 中央部が武具の間で西北東に武具棚があります
三階唐破風の間、二十八畳 小間合わせて四十一畳 外観二重の屋根裏に当る
四階物見の段、二十八畳 四方に約半間の廻縁及勾欄あり展望がよろしい
天守の石垣低いのは室町時代特徴であります

唐破風の間

唐破風の間

唐破風の間

《内部から観る唐破風》

ここは南北に唐破風の間を配置し東西を千鳥破風となっている。当初天守築城当時はなく元和4年(1618年)から貞享2年(1687年)にかけて、70余年の間に成瀬城主が装飾として増築したものと伝えられております。

広さ 81.936平方メートル

:管理人のコメント:。

「東西を千鳥破風」とありますが、入母屋の屋根が直接見える入母屋破風と思います。

「千鳥破風」と「入母屋破風」と違いは 破風(はふ) を参照ください。

付櫓

付櫓

付櫓

《内部から観る唐破風》

この位置は東南のすみの突出部にあたり、攻撃、守備用として造られたといいます。

突出部は下段に三ヶ所の連子窓がありそれぞれ遠くまで見渡すことができます。

広さ 15.22平方メートル(8畳余)

犬山城 天守など諸々

天守雛型

2つの天守雛型が展示されていましたので紹介します。

古図/絵図 その他

天守に「明治維新前の犬山城」として縄張りの絵図、及び「国宝指定書」が展示されていましたので紹介します。

明治維新前の犬山城

国宝指定書

犬山城 国宝

犬山城は国宝に指定されています

犬山城は 旧国宝 「犬山城天守」が引き続き「犬山城天守」として 国宝 に指定されています。下記の表は文化庁の「国指定文化財等データベース」 や書籍「歴史群像シリーズ特別編集«決定版»図説 国宝の城 現国宝・旧国宝全25城完全収録」 を参考に編集・作成しています。

名称
棟名
構造及び形式等
犬山城天守
三重四階、地下二階付、本瓦葺、南面及び西面附櫓、各一重、本瓦葺
 
 

登城の道のり

登城日:平成23年11月14日

ストリートビューの撮影ポイント は下に示すストリートビューの撮影位置を示しています。

ブラウザー、またはヴァージョンによっては地図が表示できないことがあります。【参考】 Google Apps 管理者用 ヘルプス

犬山城まで 簡単に説明

  • 高速バスで名鉄バスセンターに昼少し前に到着。
  • 名鉄名古屋駅から新鵜沼行きに乗車。
  • 犬山、犬山遊園どちらからでもいけるが、木曽川沿い犬山城を撮りたくて犬山遊園で下車。乗車時間は約30分。
  • 駅を出ると北の方向に鉄橋・川(木曽川)が見えるのでそちらに向かう。
  • 川(木曽川)に着くと西に天守が見えるので写真を写しながら向かう。いい景色です。
  • ゆっくり写真を撮りながら30分ほどで三光稲荷神社に。普通に歩けば15分程度のようです。いよいよ登城。
  • 下城は城下町を堪能すべくぼちぼちと南の方へ歩きながら犬山駅に向かいました。
  • 周辺、城内の一部はGoogleマップのストリートビューで見ることができます。

ストリートビュー:天守と付櫓

(城内も仮想散歩ができます)

上地図でストリートビューの撮影ポイント が記された場所のストリートビューです。

ブラウザー、またはヴァージョンによってはストリートビューが表示できないことがあります。【参考】Google Apps 管理者用 ヘルプス

城めぐり 栞