先頭

 

城百科

お城の雑学 天守

天守 其の貳 ご案内

其の壹 | 其の貳

天守の役割

天守の分類 詳細 『望楼型と層塔型』 をまとめていた時、

  • 複雑な構造の望楼型から単純な構造の層塔型へ変遷したこと。
  • 織豊時代には天守内の部屋も意味をもっていたが、徳川の時代には物置的に使かわれたり、一度も天守に上がらなかった城主もいた

などから天守の役割は何だろうと少し疑問に思っていました。 戦国の城 に10項目にまとめていたのがありましたので紹介します。

では、戦国の城にはなかった天主・天守が、なぜ近世の城に登場してきたのだろうか。そもそも天主・天守を築くことにいかなる意味があったのだろうか。

この点について、江戸時代の兵学者は「天守十徳」といういい方をして、天守の役目を十に整理している。

  1. 城内をみる
  2. 城外をみる
  3. 遠方をみる
  4. 城内武者配り自由
  5. 城内の気をみる
  6. 守備下知自由
  7. 寄せ手の左右をみる
  8. 飛物掛り自由
  9. 非常時変化
  10. 城の飾り

これでみると、1~3 および 5、7 からは、天守に展望台的な役割をもたせていたことがわかる。戦国の城における井褸(せいろう)櫓などの物見櫓と同じである。4、6からは天守の司令塔的な役割がうかがえる。最後の10を除いて、いずれも戦時を想定した役割ということになるが、周知のように、大坂冬の陣・夏の陣後、いわゆる「元和偃武(げんなえんぶ)」ということで国内の戦はなくなった。そのため、近世の天守の役割は、最期の 10.城の飾り だけになってしまったことになる。(途中略)

この天守に象徴されるように、戦国の城から近世の城への変化は、戦う城から見せる城への変化と対応していたといっても過言ではない。 (下線は管理人による)

戦う城から見せる城への変化大いに納得するのですが、最初の箇条書きした望楼型から層塔型への変化がこれにそぐわないような気がしてなりません。私の感覚からすると、望楼型の方が美しく感じますし、火災で焼失後の高知城天守も望楼型で再建されており、当時の人もやはり望楼型を美しく感じていたのではと思ったりしています。

 望楼型から層塔型への変化は私のちょっとしたこだわりで、石垣の技術的発展が主な原因のようですが、他にも理由があるのでは(知らないだけかも)と、経済的な理由や幕府の政策などが影響しているのではと妄想しています。関連事項に出会い次第追記していきます。

[ 2010/7/7 ]

天守の構成形式

 あまり気にしてなかったのですが、時々『××式の天守』などの言葉に出会うことがあり、天守の構成形式についてまとめました。天守の主な構成形式には「独立式」、「複合式」、「連結式」、「連立式」の4通りがあり、図示すると次のようになります。

独立式

天守の主な構成形式「独立式」

天守

天守が単独に独立

例:宇和島城(愛媛県)

その他の独立式の例

丸岡城 (福井県)

弘前城 (青森県)

高知城 (高知県)

ほかに 岐阜城、岩国城 など

複合式

天守の主な構成形式には「複合式」

天守

附櫓

天守に櫓や小天守が付属

例:犬山城 (愛知県)

その他の複合式の例

小田原城 (神奈川県)

彦根城 (滋賀県)

岡山城 (岡山県)

福山城 (広島県)

松江城 (島根県)

ご注意を!!

一見附櫓風ですが実は・・・・

備中松山城 (岡山県)

もともとは八ノ平櫓とを繋ぐための「接続廊下」

広島城 (広島県)
もともとは渡櫓

連結式

天守の主な構成形式には「連結式」

大天守

渡櫓

小天守

天守と櫓や小天守が
渡櫓で連結

その他の連結式の例

名古屋城 (愛知県)

熊本城 (熊本県)

連立式

天守の主な構成形式には「連立式」

大天守

小天守

小天守

小天守

渡櫓

渡櫓

渡櫓

渡櫓

天守と櫓や小天守を
渡櫓で環状に連立

その他の連立式の例

和歌山城 ( 和歌山県)

伊予松山城 (愛媛県)

[ 2012/2/7 ]

城めぐり 栞