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国宝

松江城

松本城のご案内

松江城 ひとくちメモ

所在地
島根県 松江市
別 名
千鳥城
築城者
堀尾吉晴
別名の由来
破風が千鳥が舞い飛ぶように見えるから、千鳥破風の美しさから。
天守概要
複合式望楼型  四層五階 地下一階
城郭構造
梯郭式平山城
遺 構
天守[]>、 石垣[]>、 堀[]> など
再建造物
南櫓、中櫓、太鼓櫓、一ノ門[]、北惣門橋 など
高 さ
29.5m( 天守22.4m、石垣7.1m )

《遺 構》、《再建造物》 での [ ※ ] は 私の Google フォトの写真を示し、クリックで画像を表示。

《再建造物》 ので「一ノ門」 違っているかもしれません。

高さは «イラスト図解 城 » に依る。

松江城 簡易年表

1600年
堀尾吉晴、出雲に二四万石を与えられ、月山富田城に入る。
1607年
松江に新規の築城を開始。
1611年
松江城完成。
1634年
京極氏が入封。
1873年
天守以外の建物が破却される。天守も売却される予定だったが有志の奔走で保存される。
2000年
南櫓を再建。
2001年
中櫓・太鼓櫓を再建。

図解 日本の城 より

参考になるサイト:

松江城 写真の間

抑えたい処、美しい処

三の丸 ⇒ 二ノ丸 ⇒ 本丸 ⇒ 二ノ丸 の順に。

松江城:三の丸より二の丸を見る 遠景に天守

(1)
三の丸より二の丸を見る
遠景に天守

松江城:本丸 天主 一の門

(2)
本丸 天主 一の門

松江城:本丸 天主

(3)
本丸 天主

松江城:本丸 天主

(4)
本丸 天主

松江城:本丸 天主

(5)
本丸 天主

松江城:本丸より天主を見上げる

(6)
天主を見上げる

松江城:本丸より松江市街を眺望

(7)
本丸より松江市街を眺望

松江城:本丸 天主

(8)
本丸 天主

松江城:本丸 天主を見上げる

(9)
本丸 天主を見上げる

松江城:本丸 天主

(10)
本丸 天主

松江城:二の丸 垣間見える天守

(11)
二の丸
垣間見える天守

松江城:二の丸 天守 石垣

(12)
二の丸 天守 石垣

登城・撮影日の留書き

フィルム写真のネガをスキャンで読み編集したものです。上に掲載以外の高知城の写真やリサイズ前の写真も私の Google フォト(写真をクリックすると別窓で開きます)でご覧いただけます。(19葉)

松江城:天守

1975年頃 撮影

松江城 よろず間

松江城 縄張りとカメラアングル

※ アングルのマーカー、または数字をクリックすると写真を表示します。

※ 数字は上の写真の番号に対応。

解像度 640px以下では曲輪名・カメラアングルなどは表示されません。

松江城案内地図

本丸

二の丸

二の丸 下の段

北の丸

三の丸

馬溜

馬洗池

内濠

一の門

大手門

天守

太鼓櫓

中櫓

南櫓

方向指示

松江城 ここが魅所・おすすめ

私の感じた松江城の魅力、見所、おすすめなどを紹介

  • 天守は 現存する12天守 の一つで重要文化財。

  • 二の丸上の段の南櫓、中櫓、太鼓櫓は木造の復元です。

    [ 2012/10/12 ]

  • 高石垣、残念ながら手持ち写真がないのでGooglenoストリートビューで。高さはBS朝日 歴史ミステリー 日本の城見聞録SPによる。

    大手木戸門跡 13m

    天守下の石垣 10m

    [ 2015/12/21 追記 ]

松江城 ここが興趣深い

松江城のチョッとマニアックな話、いっぷう変わったところ、蘊蓄(うんちく)などを紹介

  • 人柱伝説。築城が難航すれば本当か嘘が人柱がたつ。踊り好きな若い女の娘。やっと城が完成、しかし若い娘が踊るたびにお城が揺れるので踊りの禁止令が出されたとか。小泉八雲の『神々の国の首都』に書き残されているそうです。
  • 松の柱の外側に板を揃えて寄せ合わせ、これを金輪で締めて太い柱が作る、これを寄木柱と言い、普通の柱より力学的に強くなるそうです。松江城にはこの寄木柱が使われています。

[ 2012/10/12 ]

松江城 国宝

松江城は国宝に指定されています

松江城は 旧国宝 の「天守」が「松江城天守」として引き続き 重要文化財 に指定されていましたが、平成27年に祈祷札の発見で創建時などが明らかになったことなどから国宝に指定されました。城跡は国の史跡に指定されています。下表は文化庁の「国指定文化財等データベース 」や書籍「歴史群像シリーズ特別編集«決定版»図説 国宝の城 現国宝・旧国宝全25城完全収録 」を参考に編集・作成しています。

名称
棟名
構造及び形式等
松江城天守
四重五階天守、地下一階付、本瓦葺 前面附繰櫓 一重、本瓦葺

参考:「国指定文化財等データベース 」の解説文

松江城は,松江市街の中心部,亀田山に築かれた平山城である。慶長5年(1600)に出雲・隠岐の領主となった堀尾氏が,同12年より築城を開始し,同16年にほぼ完成した。現在の天守はこの時につくられたものである。

外観は四重,内部五階,地下一階の形式で,正面の南面には玄関となる附櫓を設け,屋根はすべて本瓦葺である。軸部は長さ二階分の通し柱を多用しており,周囲に包板)を釘や鎹,帯鉄で取り付けた柱も多数見られる。部材の番付は二種類に大別され,二階以下に用いられた分銅紋に「富」の字を刻む部材は,安来市にあった富田城の部材と思われる。

松江城天守は,中国地方に唯一残る荘重雄大な四重五階の天守である。最近になって再発見された二枚の祈祷札から,慶長16年(1611)の完成が明らかとなった。

通し柱による構法などの独自の建築的特徴を有し,近世城郭最盛期を代表する建築として極めて高い価値がある。防御性を重視した中世山城から,高層化して近世都市の基軸へと進展してきた我が国の城郭文化の様態をあらわしており,深い文化史的意義がある。

松江城 面白文書、拾い上げ

書籍などで、松江城で私の興味深かったこと、おもしろいと思ったところ引用

松江城は、姫路城の白鷺城、岡山城の烏城に対し、”千鳥城”という雅称で知られている。千鳥とは、天守三層目平側に出張る小さな入母屋風の千鳥破風に由来する。

この千鳥破風は、二層目妻側の黒い巨大な入母屋に対し、白亜漆喰で破風内が塗り込められ、千鳥破風中央下には上品な華燈窓があしらわれている。無骨な力強さを強調する天守建築の黒い外観に、この千鳥破風が三層の、しかも平側に設けられていることで、華やかさを添えているのである。

天守を妻側から見ると黒くどっしりと不動な姿で統一されている。しかし、平側を視界に入れて天守を見ると、無骨さのなかに優雅さが加わり、いかにも山陰の「侘びの美」の象徴らしい風情となるのだ

[ 2009/9/4 ]

日本の城郭を歩く 古写真が語る名城50 より

登城の道のり

登城日:1975年頃

ストリートビューの撮影ポイント は下に示すストリートビューの撮影位置を示しています。

ブラウザー、またはヴァージョンによっては地図が表示できないことがあります。【参考】 Google Apps 管理者用 ヘルプス

松江城まで 簡単に説明

  • ずいぶん昔に登城。道のりは忘却の彼方。
  • 地図でみると松江駅から距離にして約2.5Km程度、歩30~40分程度か??
  • 周辺、城内はGoogleマップのストリートビューで見ることができます。

ストリートビュー:本丸石垣と天守

(城内も仮想散歩ができます)

上地図でストリートビューの撮影ポイント が記された場所のストリートビューです。

ブラウザー、またはヴァージョンによってはストリートビューが表示できないことがあります。【参考】Google Apps 管理者用 ヘルプス

城めぐり 栞