福岡城
南丸多聞櫓は
重要文化財
福岡城
- 壹 ひとくちメモ
- 貳 写真の間 2011/8/9 撮影
- 參 縄張りとカメラアングル
- 肆 年表
- 伍 ここがチョット面白い
- 陸 重要文化財
- 質 福岡城で出会った案内板
- 捌 登城の道のり
福岡城 ひとくちメモ
| 所在地 | 福岡県 福岡市 | 別名 | 舞鶴城 | 築城者 | 黒田長政 |
| 別名の由来 | 形態から。大空を羽ばたきく舞う鶴の姿のようだから。 |
参考になるサイト
福岡城 写真の間
撮影日:2011年8月9日
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下方の「福岡城跡で出会った案内板」に下之橋御門、(伝)潮見櫓の案内板の解説があります。
下方の「福岡城跡で出会った案内板」に祈念櫓の説明、古写真があります。
下方の「福岡城跡で出会った案内板」に名島門の説明があります。
ここに掲載以外の福岡城の写真やリサイズ前の写真も私の Picasa ウェブ アルバム でご覧いただけます。
福岡城 縄張りとカメラアングル
福岡城 よろず館
福岡城 年表
図解 日本の城 より
福岡城 年表
| 1600年 | 黒田如水・長政親子、筑前52万石を与えられ、名島城に入る。 |
| 1601年 | 福崎の地を福岡と改め、築城開始。 |
| 1607年 | 築城工事完成。 |
| 1871年 | 廃城。 |
| 1957年 | 国史跡指定。 |
| 1987年 | 城跡より鴻臚館の遺構が発見される。 |
| 1872年 | 大手門が不審火で焼ける。 |
福岡城 ここがチョット面白い!
福岡城でよく言われている見所だけではなく、チョッとマニアックな箇所、いっぷう変わったところなども紹介します。
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福岡城に天守があがったのか?はさだかではないようですが、所々の案内板でCGで復元した天守が数パターンありました。私の好きなそのうちの一つを転載します。
福岡城 重要文化財
福岡城で現存する遺構は別名武具櫓とも呼ばれるこの多聞櫓だけです。切妻造の二重二階の隅櫓と長さ三十間におよぶ平櫓から成り、昭和46年に重要文化財の指定を受けています。城跡は国の史跡に指定されています。下記の表は文化庁の「国指定文化財等データベース」を参考に編集・作成しています。
| 名称 | 棟名 | 構造及び形式等 |
|---|---|---|
| 福岡城南丸多聞櫓 | 一重櫓、南端二重二階隅櫓、本瓦葺 |
福岡城跡で出会った案内板
福岡城跡で出会った案内板の良いとこどりです。文章は写真では読みにくいので一部のみ掲載で全文を文字にもおとしました。写真は少し画像処理しています。
下之橋御門
下之橋御門
(県指定文化財 昭和31年4月3日指定)
福岡城は、福岡藩初代藩主黒田長政によって、慶長6年(1601)から7年をかけて築かれました。
場内への門は、堀に架かる3つの橋、上之橋・下之橋・追廻橋にそれぞれあり、このうち下之橋を渡って入る門がここ下之橋御門(下の橋大手門)です。
現在の門は文化2年(1805)に建てられましたが、明治時代に上層部を失い、長く一層のままでした。平成12年(2000)に不審火によって被災したため、復旧に向けた調査研究を行い、二層櫓門として復元しました。
門の上層部は、部材に残る痕跡・発掘調査結果・絵図・文献史料などにより、その規模、北側の下家の様子、柱の立つ位置、外壁の漆喰壁などが明らかになりました。また直接の資料を欠く部分は、上之橋御門(上の橋大手門)の古写真や本丸表御門(現・崇福寺山門)などを参考にしました。
この復元は専門家で構成する「福岡城跡建造物等復元整備検討委員会」で検討されたものです。これとは異なった復元案も提案されましたが、現段階でより蓋然性が高いと判断された本案を採用しました。
平成20年11月 福岡市教育委員会
下の二枚の写真も同じ 案内板 にあったものです。
復原修理前の下之橋御門。確かに一層のままです。
明治時代初期頃の上之橋御門。
(伝)潮見櫓
(伝)潮見櫓
(県指定文化財 昭和27年3月29日指定)
福岡城に50近くあった櫓の一つです。対象初期に浜の町の黒田別邸に移築され、昭和31年(1956)に再移築されました。
潮見櫓の本来の位置は、現在の位置ではなく三の丸北西角であり、また、この建物は平成3年の調査の結果、潮見櫓ではなく、城内の別の櫓であると考えられています。
平成20年11月 福岡市教育委員会
祈念櫓
福岡県指定文化財 祈念櫓
福岡城は慶長5年(1600)筑前に入国した黒田長政が翌6年から7年の歳月をかけて築城したものです。城は東西に長い梯郭式の平山城で、本丸・二の丸・三の丸に分かれています。その面積は48万平方メートルにおよび、昭和32年に国史跡に指定されています。
この祈念櫓は本丸の北東隅に鬼門封じのために建立された二層の櫓で、棟札によって現在の建物は、万延元年(1860)年三月に起工し、同年十月に竣工したことが判明しています。
その後、大正七年(1918)には本市内にある黒田家菩提寺の崇福寺が陸軍省から払い下げをうけ、その末寺である北九州市八幡東区の大正寺の境内に観音堂として移築されました。その際の棟札によると大正九年に竣工しています。さらに昭和58年(1983)から翌年にかけて再び福岡城の現在の位置に再建されました。また、その間の昭和32年8月には「旧福岡城祈念櫓」として福岡県の有形文化財(建造物)に指定されています。
大正初期の移築前に撮影されたと推定される古写真と現在の建物を比較すると外観や規模が異なっており、大正寺への移築の際に大幅な改変を受けたものと推測されます。旧状の櫓の壁は白漆喰で、二層目の窓は花頭窓であったことが写真から判明しています
2004年3月
福岡市教育委員会
みんなの文化財を大切に
名島門
福岡市指定文化財(建造物) 名島門 昭和53年3月30日指定
この門は、天正15年(1587)小早川隆景が多々良川口の名島の陵端に築いた名島城の脇門で、慶長年間(1596〜1614)黒田長政が居城を名島城から福岡城に移すときに黒田24騎の一人である林掃部にさげ渡され、邸宅の門として使用されていたもので、「名島ひけ」と呼ばれた名島城の数少ない遺構のひとつです。
明治の中ごろ、長崎に移築されそうになったのを、当時の代議士平岡浩太郎氏によって買い戻され、天神の自宅の門として使用されていましたが、戦後富士ビルの建設に伴い、平岡浩氏(浩太郎氏の孫)によって現在地にうつされたものです。
文化財を大切にしましょう 昭和63年2月 福岡市教育委員会
古図/絵図
案内板なかには古図/絵図も描かれていたので転載します。福岡県立図書館 » デジタルライブラリ » 貴重資料の紹介 » 『福岡県の近世絵図』 にはたくさんの絵図が公開されています。
福岡城下絵図(部分)
御本丸御間内之図
登城の道のり
登城日:平成23年8月9日
博多行きの夜行バスで朝 7:30ごろ天神で下車しました。
地下鉄の天神駅に向い、二駅先の大濠公園へ行きました。
福岡城跡の案内のある出口(5番)を通って地上へ。堀が目に入ってきました。
堀に沿った遊歩道を歩いていくと下之橋御門、(伝)潮見櫓が見えてきました。下之橋を渡っていよいよ入城。
南丸多聞櫓の庭は9:00より開園。少し早かったので内には入れませんでした。
[2011/08/31]
城めぐり地図
登城記録
福岡
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