模擬天守
伏見城
伏見城のご案内
伏見城 ひとくちメモ
- 所在地
- 京都府 京都市
- 別 名
- 指月城
- 築城者
- 豊臣秀吉
- 別名の由来
- 宇治川に臨む「指月(しげつ)の岡」(現伏見区桃山町泰長老)に造営された。
- 天守概要
- 徳川期 五重の 望楼型 ??。
現天守は1964年に建てられた鉄筋コンクリートの 模擬天守、大天守は五重六階、小天守は三重四階。 - 城郭構造
- 梯郭式 平山城
- 遺 構
- 移築門(御香宮神社 表門)[※]、石垣(桃山東小学校内) など ここが魅所・おすすめ
- 再建造物
- 模擬天守[※] など
- 天守の高さ
- 50m ( 石垣含む )
《遺 構》、《再建造物》 での [ ※ ] は Google フォト でご覧いただけます。クリックで画像を表示。
天守の高さは «地図で歩く 城と城下町100選» に依る。
伏見城 簡易年表
- 1592年
- 指月(しげつ)の岡」に秀吉の別荘を造営。
- 1593年
- 秀吉の隠居城建築が本格的な築城に改められ、天守などの城郭施設が整えられる。
- 1596年
- 閏7月の大地震(慶長の大地震)で倒壊、木幡山に場所が移され,新たに築城されました。
- 1597年
- 天守閣や殿舎が完成,秀吉・秀頼らが入城しました。
- 1598年
- 秀吉はこの城で,その生涯を終えました。
- 1600年
- 関ヶ原合戦の前哨戦によって落城
- 1602年
- 家康によって再建され。
- 1623年
- 徳川家光の将軍宣下が行われたことを最後に,伏見城は廃城になりました。
- 1964年
- 伏見桃山城キャッスルランドが開園し,天守閣が作られました。
- 2003年
- キャッスルランドは閉園しましたが、天守閣は残されました。
都市史20 伏見城 を参考にまとめました
[ 2012/05/13 ]
参考になるサイト:
伏見城 写真の間
撮影日:2014年7月31日(1~4)
撮影日:不明 1976年頃(5~12)
登城・撮影日の留書き
上に掲載以外の伏見城の写真やリサイズ前の写真も私の Google フォト(写真をクリックすると別窓で開きます)でご覧いただけます。
伏見城 よろず館
伏見城 ここが魅所・おすすめ
私の感じた伏見城の魅力、見所、おすすめなどを紹介
- 近鉄桃山御陵前駅の近くにある御香宮は伏見城の大手門、中門が移築されており当時の様子を偲ぶことができます。
-
上記以外にも京都市内には伏見城の遺構で移築されたといわれるもの、全てに確証があるわけではありませんが、豊国神社の唐門、高台寺の表門、西本願寺の唐門 などがあります。
詳しくは 京の門 を参照下さい。
[2012/09/18]
[ 2012/11/19 豊国神社の唐門写真追加]
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少し薄気味悪い遺構が残るのが養源院です。伏見城の戦いで徳川側は鳥居元忠を中心に城を死守していましたが、最後には自刃し廊下の板の間には彼らの血が染み付いてしまいました。この板を天井としたもので今でも生々しく残っています。これを見てきました。
[ 2012/11/19 追記 ]
-
宇治 平等院にも遺構がありました。説明板の内容は以下のとおりですす。
平等院 旧南門
安土桃山時代
伏見桃山城からの移築とされ、江戸時代初期伝来の各種古都と比較しても場所・規模ともに変動がない。
垂木等も江戸時代以前の特徴である先端が細く大胆な反りで、天井板を備えた古式武家門の姿を良く残す。
平成22年夏の古典技法による再塗装工事の際、主要部材の殆どが希少な赤樫(アカガシ)ノ巨木であることが判明。固く火に強いことから戦国期の城門などに使用されたことが記録に残るが、ねじれが起きやすい樫(かし)材による建造物はこれまで日本で確認されたことがなく。城造りの天才として知られた秀吉による城門「薬医門」の現存する最古の建築として注目される。
[ 2018/9/6 追記 ]
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明治天皇の御陵に向かう道にも矢穴や刻印のある石垣の遺構がありました。
[ 2019/2/27 追記 ]
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そのほか、遺構と伝わる以下のようなものもあります。
- 伏見城石垣、桃山東小学校内
- 正伝寺、本堂(方丈)は、寛永年間に伏見城の殿舎が移築されたと伝えられ、重要文化財。広縁の天井は血天井と呼ばれ、伏見城落城の際、鳥居元忠らが自刃した廊下の板を用いたと伝えます。
- 源光庵、本堂廊下の天井は血天井呼ばれ、伏見城落城の際、鳥居元忠らが自刃した廊下の板を用いたと伝えます。
- 高台寺、表門は観月台とともに伏見城の遺構と伝えられています。また茶室の時雨亭や傘亭も伏見城の遺構と伝えられます。
- 金地院、方丈は、伏見城の旧殿を移築したと伝えられ、重要文化財に指定されています。
- 華光寺、本堂に安置されている毘沙門天像は、伏見城内に秀吉が奉祀していたものといい、鞍馬寺の毘沙門天と同木同作と伝えられています。
- 観音寺、山門は伏見城の牢の門と伝えられています。伏見城の牢の門は、罪人が釈放される際、門前で百回も鞭を打ったことから百叩門とも呼ばれました。観音寺の山門のくぐり戸が雨風で開く時、人の泣き声がするといわれ、出水七不思議のひとつに数えられています。
詳しくは 都市史20 伏見城 を参照下さい。
[ 2012/11/19 追記 ]
伏見城 遺構のある場所
- マークは上(北側)が豊国神社、下(南側)が養源院
- ブラウザー、またはヴァージョンによっては地図が表示できないことがあります。【参考】 Google Apps 管理者用 ヘルプス
- 豊国神社 養源院は京阪七条駅の近く。七条通りを挟んで南北に分かれていますので適当にどちらからでも。
- 豊国神社の近くには京都国立博物館、「国家安康」で有名な方広寺が、養源院の近くには三十三間堂があります。
ここにはご注意を!!
主に、あやしい天守閣 を参考にちょっと気になるハテナ?をまとめました。
それなりに楽しんでいたらければと思います。
- あやしい天守閣 の『あやしい天守閣 十傑』では4位にランクイン。このページを初めて作る時、旧来の城とは関係ないことを知りましたが改めて少し詳しく。
- 伏見城は上の年表にあるように、豊臣による「指月山伏見城」・「木幡山伏見城」、同じ木幡の地の徳川「伏見城」と3回築城されました。伏見桃山城キャッスルランドでの再建は豊臣時代の「天守を想像」したもので史実的根拠はなく、場所も旧伏見城の花畑跡でいわば4回目の築城とのこと。
- 明治以後、伏見城の主要部分は明治天皇陵(伏見桃山陵)が造営され、今では立ち入り禁止。ここが本来の天守のあった本丸とのこと。
- 「東映の撮影にも使われた」とのことでふっと思い出したことがありました。TVのローカルニュース的なものだったと記憶しているのですが、若かりし『真田広之』さんがJACのかけだしのころ天守より飛び降りる撮影をしたというニュースをうっすら覚えています。ネットで調べると「百地三太夫」でそのようなシーンがあるとのことで間違いないと思います。
- 現在、遊園地は閉園となり、天守閣は残されていますが内部に入ることはできなとのこと。今となっては天守閣最上階からの写真は貴重かも。
[ 2012/05/13 ]
発掘調査現地説明会の様子
指月城跡が発掘され2015年6月20日に現地説明会が行われました。その時の様子。
- 豊臣秀吉が伏見に築いた指月城はこれまで所在がつかめず存在が疑われていた「幻の城」でした。マンション建設に伴う発掘調査で石垣や巨大な堀、多数の金箔瓦が出土、その現地説明会が2015年6月20日に行われました。その時の様子。
☒ ここに掲載以外の発掘調査説明会の写真は私の Google フォト でご覧いただけます。
☒ 現地説明会資料は 有限会社京都平安文化財のホームページ よりPDFファイルで入手できます。
[ 20152/06/25 ]
登城の道のり
前回の登城は20~30年前
最新の登城日:平成26年7月31日
- は下に示すストリートビューの撮影位置を示しています。
- マークは伏見城と表門が秀吉時代の伏見城の大手門と伝えられる御香宮神社
- ブラウザー、またはヴァージョンによっては地図が表示できないことがあります。【参考】 Google Apps 管理者用 ヘルプス
伏見城まで 簡単に説明
- 丹波橋駅を出て東へ~と歩けば 登城門 へ到達します。
- 京阪/近鉄 丹波橋駅は通路で繋がっているのでどちらでも。
御香宮の前を歩きました:平成24年9月15日
- JR桃山駅に行くことがあり御香宮の前を歩きました。
- 京阪・伏見桃山駅を出て大手筋通りを西へ。近鉄・桃山御陵前を過ぎるとすぐに表門があります。
- 表門は大手筋通りに面しており、道を歩きながらでも見ることができます。
- この近辺はGoogleマップのストリートビューで見ることができます。
ストリートビュー:伏見城 入城口
- 上地図で が記された場所のストリートビューです。
- ブラウザー、またはヴァージョンによってはストリートビューが表示できないことがあります。【参考】 Google Apps 管理者用 ヘルプス