浮世絵の歴史

見返り美人

浮世絵」「歴史」をキーワードにしてこのサイトを訪れる人が多々みうけられ、浮世絵の歴史についてまとめてみました。


浮世絵といえば、一般的には、北斎や写楽、歌麿の多色摺の版画を思い浮かべますが、浮世絵とは今、現在の現実を描き出した絵画というような意味合いで、流行の社会風俗、遊里、歌舞伎などを主題として多く取り扱っています。現在の風俗写真、観光案内、ブロマイド(現在では死語??)などに相当するようなものです。従って、浮世絵は木版画とは限らず、肉筆浮世絵というのもあります。切手にもなった草創期の菱川師宣の「見か返り美人」(右図)等が有名です。

浮世絵の浮世は憂世から浮世へと転じたものと言われています。浮世とは現世とか今流行っているものと言った意味合いで、浮世草子や浮世絵となって現れます。井原西鶴の「好色一代男」は天和2年(1682)に大阪で刊行されています。浮世絵という言葉も延宝9年(1681)刊行の俳諧書「それぞれ草」所載の句に現れるそうです。

浮世絵類考に拠れば岩佐又兵衛が浮世絵のはじめと記されています。菱川師宣浮世絵板下書の始祖と記されています。17世紀後半の出版状況をみると仮名草子には文字ばかりではなく挿絵も含まれています。師宣はこの挿絵を描いています。やがて、この絵の部分が拡大し、文字の部分を凌駕し、文字を必要としない鑑賞絵画の木版画として独立していきます。これには大いに菱川師宣が関わっています。

挿絵からの独立、技術的な未熟さ等もあり、最初は墨一色の摺り、「墨摺絵」でしたが、やがて元禄期後半(1700年後)には墨摺絵に筆による単純な彩色が施されるようになりました。最初は鉱物質の赤色が使われ「丹絵」と呼ばれ、他に緑、黄などで大雑把に彩色されるようになりました。続いて享保期(1716〜36)に入り植物性の赤である「紅」が使われるようになり、他の色も植物性の明るく軽やかなものになり、これは「紅絵」とよばれました。その後、見当が発明され18世紀中ごろには墨摺に紅と緑を重ね摺りする紅摺絵が誕生します。さらにこれが発展し、18世紀後半には鈴木晴信による多色の重ね刷り「錦絵」が登場し、浮世絵版画技法の頂点を迎えることになります。

(2006/3/29)

[ 追記 ]

浮世絵・木版画のアダチ版画研究所に「浮世絵版画の変遷 ―墨摺絵から錦絵まで―」があり、墨摺絵(すみずりえ)、手彩色による浮世絵、紅摺絵(べにずりえ)等がありますので参考にしてください。

(2009/1/19)

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