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暦について (忙中閑話)

最近は太陽暦ばかりですが、私 ( 1949年生まれ ) が子供の頃は一部の行事は旧暦 ( 太陽太陰暦 ) が使われていた記憶があります。旧正月があったのを今でも覚えています。

暦は周期的な自然の変化 ( 天体の動き ) に気づいた昔の人の偉大なる知識の集大成です。が地球を一周するのを基準にした太陰暦、地球が太陽を一周するのを基準にした太陽暦があります。

基本的にはこの2つですが、月の周期は約29.5日のため、太陰暦では1ヶ月を大の月 ( 30日 )、小の月 ( 29日 ) をつくり、1年を354日にしていましたが、実際の1年 ( 太陽暦 ) とはずれ(不足)が生じます。これを調整するために閏月を用いた太陽太陰暦があります。


ところで、太陽暦でもずれが発生します。地球が太陽を一周するのはぴったし365日ではなく、365.2422日です。この端数分は4年で約1日分 ( 0.2422 x 4 = 0.9688 日 ) となります。これを補正するのが4年に一度の閏年です。BC46年にカエサル ( Gaius Julius Caesar, BC100〜BC44 ) がこれを採用しました。2000年も前にこんなことを実施するなど驚きです。これによって1年が365.25日になりました。


しかし、まだ実際の1年とは少しズレ ( 0.0078日 ) があります。これを1582年に調整したのがローマ法王グレゴリウス13世 ( Gregorius XIII, 1502〜1572 ) です。「 400年に3回閏年を入れない 」 という調整を行いなした。これにより1年は365.2425日となり実際の値に非常に近づきます。 この値は次のようにして求めることができます。

4年に一度の閏年では400年間に100回の閏年、400年に3回閏年を入れなければこれが97回になります。従って

( 365日 x 400年 + 97日 ) / 400年 = 365.2425日/年



<-- 以下は間月を2月にもってきた余談です。-->


古代ローマでは紀元前713年に皇帝ヌマ・ボンピリウスが改暦するまでは月名のある月は10ヶ月で約60日は月名がありませんでした。ヌマ・ボンピリウスがこの60日に月名を付け、10番目 ( 年度最後の月 ) 以降に新たに2ヶ月 (Januarius、Februarius) が誕生させ、ほぼ現代と同じようになりました。年初の月、いわゆる1月は従来どおり Martius ( 現在の March ) のままでした。Martius は神の名前で1を意味するものではありません。5〜10番目の月名は数詞が使われています。現在10月の October は Octpus ( 8本足のたこ ) からわかるように8番目の月を意味していました。

この当時は基本的には太陽太陰暦で前述の閏日の調整も行われており、年度の最後の月 ( Februarius )で行われました。当時としては最後の月で調整を行っており、あまり不自然さはありません。

また、8番目の月を意味する October 以降が2ヶ月ずれたのは、この後の改暦( 紀元前153年 ) で年初をJanuarius にしたためです。

紀元前45年にはカエサルが太陽暦への改暦を行い、1年を365日、4年に一度の閏年を設けました。この時、閏日の調整を今まで行っていた月 ( Februarius ) で行いました。これが、現在でも閏月が2月になった理由です。

また、カエサルは5番目の月 ( Quintilis、実際は年初が2ヶ月進んでいるので7月 ) に自分の名前をつけました。Julius → July ( 7月 ) となります。カエサルの後継者アウグストゥスもこれをまねして6番目の月に自分の名前を付けています。Augustus → August ( 8月 ) として現在に伝わっています。

[2006/09/24]

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