東洲斎写楽

本の概要

著名 東洲斎写楽
著者 渡辺 保
発行 1987年5月20日 第1刷
発行所 講談社

表紙画像を掲載するのはよくないようなのでAmazonさんへのリンクに変更しました。

残念ながら、画像はないようです。

写楽は誰か?

写楽であるべき人間の条件としてその他の項で示すような8点を提示。この条件をみたすのが 狂言作者 篠田 金治

浮世絵類考について

風山本、坂田本にそれぞれ俗名 金次 とあることを検証。記述は以下のとおり

(風山本)
写楽 東洲斎と号す俗名金次
是また・・・・隅田川面岸一覧の作者にてやけん堀不動前通りに住す

(坂田本)
画名何ト云哉
俗名金次 薬研堀不動前通り、隅田川面岸一覧の筆者

わずか10ヶ月の活動期間について

江戸の役着たちの芸風個性を大坂にいる五瓶のもとへ絵にして送らせるのである。

もしそういう目的で写楽の絵が書かれたとすれば、五瓶江戸下りが決定した時点から写楽の絵がはじまり、五瓶が江戸で成功した時点で写楽が消えた埋由は、まことにはっきりする。目的が終ったから写楽は消えただけなのである。金治は、五瓶が江戸へ下って便いそうな役者あるいは将来便うに違いない役者だけを描いた。

蔦屋重三郎との関係について

喜多川歌麿に去られ、競争相手の泉屋からは豊国が「役者舞台之姿絵」を出しはじめたなかでの蔦屋重三郎が、新しい企画、新しい絵師を探していたという状況である。蔦屋は、都座と同じように上方に注目したとしてもおかしくない。都座が金で五瓶を買ったように蔦屋も金で上方からだれかを買おうとしたかも知れない。

金治は、のちに蔦屋から多くの読本、滑稽本、合巻を出した。それは文化年間の話であるが、それ以前から俳諸師、狂歌師の仲間として金治がすでに蔦屋と知り合いだった可能性は充分に考えられる。

本の内容(目次)


その他

二代目 市川門之助の追善絵、および画かれた役者の回数と当時の人気度の分析等により写楽であるべき人間の条件として以下の8点を提示。

  1. 天明二年に没した二代目中島三甫右衛門の舞台を江戸でみていること。
  2. 天明四、五年頃の、死の直前の、初代中村富十郎の舞台を、大坂、京都、伊勢、名古屋のいずれかの土地でみていること。
  3. 寛政六年五月、七月、八月、十一月、閏十一月、翌寛政七年一月の、江戸の各座の芝居をみていること。
  4. 芝居の世界以外の階級の出身者であるらしいこと。
  5. 戯曲の内容に文学的な興味をもっていた人間らしいこと。たとえば文人、芝居好ぎ、あるいは狂言作者である可能性が非常につよい。
  6. 上方系の役者に親近感をもって、江戸根生いの役者ことに市川家一門に冷淡であったところから、上方系の人物であったらしいこと。
  7. なかでも沢村宗十郎の紀伊国屋一門に近いこと。
  8. 二代目瀬川富三郎となんらかの関わりをもっていたこと。

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