写楽失踪事件
本の概要
著名 | 写楽失踪事件 (謎の浮世絵師が十カ月で消えた理由) |
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著者 | 内田 千鶴子 | |
発行 | 1995年1月5日 初版 | |
発行所 | KKベストセラーズ |
表紙画像を掲載するのはよくないようなのでAmazonさんへのリンクに変更しました。
残念ながら、画像はないようです。
写楽は誰か?
阿波の能役者 斎藤十朗兵衛
浮世絵類考について
ていねいのいろいろな写本の浮世絵類考を検証しています。同時に、別の古文書(幕府公式能役者名簿「重修猿楽伝記」「猿楽分限帳」)より 斎藤十朗兵衛 の名前をみつけだし、その実存の証明にしています。
わずか10ヶ月の活動期間について
大正十四年(1925年)刊、池内信嘉氏「能楽盛衰記・上巻江戸の能」を引用し、「江戸時代の能役者は五月から十月まで勤務に就く半年詰番と五月より翌年の四月まで就く一年詰番があり、翌月よりそれぞれ半年間、もしくは丸一年の非番になる」としています。
非番期間を終えた写楽は、十カ月後、能役者に戻らざるを得なくなったことが、浮世絵界から姿を消したと思われる最大の理由である。」としています。
蔦屋重三郎との関係について
「蔦屋は、店に出入りする絵師、劇作者、国学者、狂歌師達との人間関係を次から次へと拡げてゆくことにより、身代を築いてきたから、写楽も蔦屋に出入りする誰かが介在して、浮かび上がって来た人物と予想される」としています。
当時の関連ありそうな人名をあげその介在した人物を推測していますが、根拠が薄い感じがします。
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本の内容(目次)
写楽が十カ月で消えた理由
- いまだ解決されない謎の数々
- 大衆にあきられた写楽
- 能役者の非番が終わった
- 幕府が嫌った西洋画
- あまりに真を描いて役者たちに嫌われる
- 勝川派の敗退と美意識の転換
- 写楽は素性を隠す必要があった
- 女形達に嫌われた写楽大首絵
- 蔦屋重三郎の死
写楽を追いつめる
- 写楽の行方を追いつめる
- 霊巌島のあたりの小料理屋
- 判型を変えて頑張る写楽
- 顔見世興行はじまる
- 絵草子版元和泉屋一兵衛の店
写楽の正体は斎藤十朗兵衛
- 私と写楽の出会い
- なぜ私は、写楽を斎藤十朗兵衛に絞ったのか?
写楽さっそうとデビュー
- 低迷する寛政歌舞伎界
- 豊国登場と蔦屋の事情
- 写楽、黒雲母摺る大首絵ひっさげてデビュー
- ドラマツルギーを描いた写楽大首絵
- 舞台を徹底して写実する勝川派
- 写楽は、なぜクローズアップで役者の顔を描いたか?
- 歌舞伎と能
- 舞台照明と光と影
大首絵誕生の秘密
- 蔦屋刊行物と写楽の関係
- 北尾政美と蘭学者達
- 北山寒巌は、すでに西洋肖像画を描いていた
- フランドル画家、ヴァン・ダイク
写楽失踪のプロローグ
- 版型を細判、揃物にきり換える写楽
- 写楽不在の八月、九月の江戸歌舞伎
- 顔見世興行のハイライトシーンに挑む写楽
- 関西演劇人が江戸歌舞伎に与えた影響
- 江戸粋美をアピールした豊国
- 「五十カ恋緘」の成功と世話狂言の確立
写楽は近代絵画の礎となった
- ヒポクラテス画像をめぐって
- 石川大浪
- 桂川甫賢
- 渡辺華山
- 川上冬崖
- 高橋由一
あとがき
その他
とくにありません
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