写楽はやっぱり京伝だ
本の概要
著名 | 写楽はやっぱり京伝だ | |
著者 | 谷 峯蔵 | |
発行 | 1985年10月30日 第1刷 | |
発行所 | 毎日新聞社 |
表紙画像を掲載するのはよくないようなのでAmazonさんへのリンクに変更しました。
残念ながら、画像はないようです。
写楽は誰か?
劇作者 山東京伝
浮世絵類考について
ていねいのいろいろな写本の浮世絵類考を検証しています。同時に、別の古文書(幕府公式能役者名簿「重修猿楽伝記」「猿楽分限帳」)より 斎藤十朗兵衛 の名前をみつけだし、その実存の証明にしています。
わずか10ヶ月の活動期間について
「写楽の線描の異常(起点の力点、またその力点から線に移行するあたりに、不自然に震えたりよどみがある。また、よどみなく流れなくてはならない線に、結滞あるいは結滞した線があること)は第一期作品にはまったく見られず、第二期の一点を最初にして第三期へ移って顕著となり、第四期ではさらに顕著となった。これは版下絵制作過程での病状の進行を物語るもので、過度の喫煙、運動不足、睡眠不足などが重なって、管状動脈障害などの心臓病をを誘発していったと考えられるのである。
心臓疾患の最初は、寛政六年、京伝が写楽に変貌して、短期間に大量の役者絵の版下絵作りに苦心した期間に、軽度ではあるが、いわゆる抹消循環器障害、または、管状動脈障害にかかり、版下絵の線描に異常があらわれ、さらに亢進する病状から、ついに蔦重も京伝も、役者絵、相撲絵の刊行継続を断念したというのが写楽絵終焉の実態だったのではなかろうか。」 としています。
蔦屋重三郎との関係について
山東京伝の場合、もともと、蔦屋とは関係のある人物なので、特別な記述はありません。
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本の内容(目次)
写楽ブームの中で
- 池田満寿夫説はフィクション
- 前期・後期の別人説
- 東洲号は此蔵には使えない
- 間判大首絵は贋作か
- 謎のひそむ十一点
- 用意周到な贋作
- 新たな疑問
- 「写楽がみつかった!!」と「写楽殺人事件」に応える
- 京伝説への動機
- 不用意な梅原氏の批判
- 自己否定で絵を捨てたのか
- 出版時勢の相違
- ブームという中で
写楽はやっぱり京伝だ
- 写楽の病的線描と京伝の心臓疾患
- 結滞する描線
- 過度の喫煙
- 写楽画に専念して冒される
- 「尾上松助の湯浅孫六入道定虎」の衣装の謎
- 「手拭台」と「小紋雅話」
- 京伝の皮肉な洒落
- 馬琴の虚説と寛政六年の京伝の空白
- 誤解される曲筆
- 韜晦の一カ年間
- 写楽の実像を捉えた歌麿
- [文読み]の賛
- 虚実の攻防
- 一九作「初登山手習方帖」の凧絵
- 凧の絵論議さまざま
- 作家への道程
- 写楽画の宣伝
- 三馬作「稗史億説年代記」の中の写楽
- 写楽を知らなかった
- 京伝を無視したかった
- 「増補浮世絵類考」にひそむ謎
- 南畝は何も記していない
- 能役者に化ける
写楽と京伝の絵画上の暗合
- デフォルメとデザイン化のモチーフ
- 写楽の美学の特徴
- デフォルメとデザイン化の融合
- 写楽と京伝のリアリズムの系譜
- 大小絵暦の会
- 蘭学者と交流した京伝
- 両者のモチーフとキャラクターの共通性
- 人間性を描いた役者絵
- 狂歌師たちの社会性を描く
- 両者は共通する
- 「肉筆美人絵」の鑑定論議
- 両者一致の描画上の筆癖
- 女形の口は女の口ではない
- 奇妙な頬桁の平行線
写楽の謎は作られた
- 独占刊行は異例の出版方式
- 三代豊国の役者絵取材
- 写楽画刊行の構図
- なぜ美人画を描かなかったのか
- 同業版元へ皮肉な挑戦
- 蔦重、謎を作る
- 韜晦の絵師誕生
- 秘密の工房
- 写楽の取材方法
- 不評と終焉の論理
- 蔦重の思惑の失敗
- 作られた不評
増補・山東京伝著画作総目録と略年表
参考文献および引用文献
あとがき
その他
とくにありません
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