広重「東海道五十三次」の秘密
本の概要
著名 | 広重「東海道五十三次」の秘密 | |
著者 | 對中 如雲 | |
発行 | 平成7年7月10日 第1刷 | |
発行所 | 祥伝社 |
表紙画像を掲載するのはよくないようなのでAmazonさんへのリンクに変更しました。
残念ながら、画像はないようです。
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本の内容(目次)
序章 新発見! もう一つの「東海遣五十三次」
- 広重「五十三次」との奇妙な一致
- 真似たのは、どちらか
- 真実を見きわめる勇気とは
- 新たに浮かび上がる広童の魅力
- 常識ではおさまりきらない江漢の巨大なスケール
- さあ、みなさんも謎解きに参加を
1章 本物かニセ物か ? 沸騰する議論−−贋作説の根拠と、その矛盾を糾す
- いままで、どこに眠っていたのか
- 大きな分岐点、江戸洋画か明治洋画か
- 贋作ならこれほど割の合わない仕事はない
- 意外と低い、江戸時代の広重の評価
- 明治における広重の評価は歌麿の百分の一
- 司馬江漢が便った「荏胡麻」と「桐油」の秘密
- 筆跡鑑定は、どこまで真実に迫れるか
- コンピュータが明らかにした動かぬ証拠
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2章 作品自らが語る真実−−徹底検証、広重は東海道を歩いていない
- (1)さて、オリジナルはどちらか
- 江漢の「日本橋」に、西洋人が描かれている理由
- アメリカ人が指摘していた原画存在の可能性
- 江漢の「五十三次」にこめられた政治的意図とは
- なぜ、江漢は三島大社に宿泊できたのか
- (2)広重は、東海遣を歩いていない
- 「御馬進献の儀」に、広重が同行したという定説のウソ
- 酒屋の主人の話だけから生まれた"定説"
- 朝「日本橋」を出て、「品川」で日の出を見る不思議
- 夏のスケッチから雪景が描けるか?
- 「凧上げ」と「田植え」が同時に描かれた不思議
- アレンジの能力にみる広重の真骨頂
- いまこそ、真実を直視する勇気を
3章 江戸の巨人・司馬江漢の実像−−大名たちが競って接見を求めた事実は、何を示すか?
- 「江漢の七不思議」と、研究のむずかしさ
- 時代の先駆者か、ハックリ屋か
- 江漢と源内は、なぜ秋田に行ったのか?
- 秋田藩主と江漢との一枚の合作
- なぜ、日本初の銅版画制作者となれたのか?
- 間宮林蔵、大黒屋光太夫とも面会
- なぜ、諸大名が競って江漢と会いたがったのか?
- 大胆不敵、松平定信をも公然と批判
- なぜ、江漢にだけお咎めがないのか
- 江漢は身分の高い士分の出身だった
- 「天子国日本司馬江漢」
- 福沢論吉の100年前に、江漢が言ったこと
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4章 驚嘆すべき江漢の絵画技法−−なぜ、江漢は遠近法に習熟でぎたのか
- 絵の魅力では、どちらが上か?
- 江戸のレオナルド・ダ・ヴィンチ、司馬江漠
- ヨーロッバでも高く評価される江漢の絵画的実力
- 遠近法を駆使した司馬江漢
- 平塚/吉原−−最も顕著な作例
- 大磯/土山/沼津−−街道の奥ゆぎ表現
- 日坂/蒲原/庄野−−坂道の自然な勾配
- 江漢真筆説を支えるもう一つの証拠
5章 真に評価すべき広重の魅力−−なぜ、その絵が欧米人を熱狂させたのか?
- 広重は、どこで江漢の「五十三次」を見たのか
- 写楽=司馬江漢説の可能性
- 浮世絵の制作過程と、絵師の立場
- 出版社がイニシアチブを握った浮世絵界
- さらに第三の「五十三次」も存在した
- 「本歌取り」は、広重の得意技
- 馬市を書き加えた広重のサービス
- なぜ、「宮」と「京師」だけは、真似なかったのか?
- 先人を真似るのは日本文化の特質
- 美術界の「ことなかれ主義」が真実を覆い隠す
- 類まれなダラフィック・デザイナーとしての才能
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6章 江漠・広重を生んだ、花の江戸時代−−世界の一流人を驚かせた文化レベルの高さと活力
- 世界に誇りうる文化の花開いた江戸時代
- オランダ商館医・ツュンベリーの驚き
- 日本以外の国で、貸本屋は成り立たない
- 自分の葬式にしかけた、十返舎一九の悪戯
- 江漢、広重の現代日本人への問いかけ
おわりに−−日木美術界への三つの提言
- 地図「東海道五十三次」
- 江漢・広重関連年表
- 読者のみなさんへ
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