小笠原氏城跡の一つ
石垣などが残る
林小城
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林小城のご案内
- 壹: ひとくちメモ
- 貳: 写真の間
- 參: 縄張りとカメラアングル
- 肆: 城内で出会った説明板
- 伍: 登城の道のり
林小城 ひとくちメモ
《遺 構》、《再建造物》 での [ ※ ] は 私の Google フォトの写真を示し、クリックで画像を表示。
参考になるサイト:
林小城 写真の間
抑えたい処、美しい処
西側の登城口⇒東側の登城口
登城・撮影日の留書き
上に掲載以外の林小城の写真やリサイズ前の写真も私の Google フォト(写真をクリックすると別窓で開きます)でご覧いただけます。
林小城 よろず間
林小城 縄張りとカメラアングル
※ 縄張図は登り口に置いてくださっていた「歴史の里」散策マップを編集して使用しています。"
※ アングルのマーカー、または数字をクリックするとそのアングルからの画像を見ることができます。
※ 数字は上の写真の番号に対応。
解像度 640px以下では曲輪名・カメラアングルなどは表示されません。
林小城で出会った説明板
林小城で出会った案内/説明板の良いとこどりです
※ 文章は写真では読みにくいので一部のみ掲載で全文を文字にもおとしました。写真は少し画像処理しています。
小笠原氏城跡
長野県史跡
小笠原氏城跡(林小城跡)
所 在 地 松本市大字里山辺五二五九番地ほか
所 有 者 小岩井宗門ほか
指定年月日 昭和四五年一〇月二二日
指定内容
林小城は、里山辺林集落東側の尾根上に位置し、東側に大嵩崎集落をはさんで、林大城と相対している。北側の山裾を流れる薄川は防備の役目を果たしており、信濃国守護小笠原氏の本城にふさわしい構えである。
林城の築城は「小笠原氏系図」によれば小笠原清宗の時代に築かれ、井川館から移ったものといわれている。林小城は古城ともいわれるので、大城より古いと考えられてきたが、最近の研究では小城の中心部の縄張が複雑であることからも、大城よりも後に築城されたと推測されている。小城の主郭を取り巻く石垣や縄張などは、山家城や桐原城との共通性が高い。天文一九(一五五〇)年七月五日に武田氏の攻撃を受けて大城と共に自落した。
松本の中世における深い歴史を秘めたこれらの遺構は、貴重な文化財として大切にしたい。
平成二〇年三月
松本市教育委員会
地獄の釜 碑文
沼は底なしで「人工的に作られたもの」との説もあるが不明。「馬一頭が引きずり込まれたことがある」という恐ろしい話が伝わる。
林小城の重要な水の手とされる。地元では『かんばさま』と呼んでいるが、意味は不明である。
登城の道のり
登城日:平成27年1月31日
は下に示すストリートビューの撮影位置を示しています。
ブラウザー、またはヴァージョンによっては地図が表示できないことがあります。【参考】 Google Apps 管理者用 ヘルプス
林小城 まで 簡単に説明
- 金華橋から南下、Y字路にぶつかります。。
- 左側へ進むと東側の登城路に行けます。右に進むと西側の登城路に行けます。左側の道は本道から外れる感じで見過ごしそうになるので注意。下にこの箇所のGoogleマップのストリートビューを貼り付けておきます。
- 私は東側の登城路を予定していましたが右へ進み少し迷いました。地元の人に何度か尋ねなんとか西側の登城路にたどり着きました。
- 帰りは東側の登城路へ下城しました。
- 周辺はGoogleマップのストリートビューで見ることができます。
ストリートビュー:林小城 東側からの登り口
上地図で が記された場所のストリートビューです。
ブラウザー、またはヴァージョンによってはストリートビューが表示できないことがあります。【参考】Google Apps 管理者用 ヘルプス