歌川 国貞(三世 豊国)年譜

浮世絵かぶきシリーズ 歌舞伎十八番 中山 幹男[著]より抜粋(2004/10/12)

和暦 西暦 年齢 国貞関連事項
天明 6年 1786 1歳 本所五ツ目に生まれる。俗称は角田庄蔵。
享和 1年 1801 16歳 この頃、初代・歌川豊国に入門。
文化 1年 1804 19歳 この頃、国貞の名をもらう。
4年 1807 22歳 合巻「不老門化粧若水」(曲亭馬琴・作、私家本三巻)の挿し絵に初筆の筆をふるう。
5年 1808 23歳 この頃、「紅毛油画名所尽」「紅毛油画尽」シリーズ出る。
合巻「鏡山誉仇討つ」(山東京山・作)に描いた挿絵が、公刊ものにおける処女作となる。
「大津土産名画助刀 吃又平」(式亭三馬・作)や「敵討乗合噺」(姥尉輔のちの鶴屋南北・作)をはじめとして、国貞が挿絵を描いた合巻が十三作刊行される。ことに吃又平は好評で、出世作となる。
6年 1809 24歳 細版の役者絵「風流見立大津絵」(大短冊判錦絵)が一枚摺りの錦絵の初作となる。
美人画「江戸三木之内」(細刊判錦絵三枚揃)
○「復讐處高砂」(姥尉輔・作)をはじめとする合巻を十作、読本を二作刊行。
7年 1810 25歳 滑稽本「当世七癖上戸」(式亭三馬・作)の絵も手がける。
8年 1811 26歳 ○この頃から天保末年ごろまで「五渡亭」号を用いはじめる。また「一雄斎」「月波楼」の号も用いた。
○「役者はんじもの」(竪大判錦絵揃)。
○滑稽木「客者評判記」(式亭三馬・作)のほか、合巻十作が刊行される。
9年 1812 27歳 ○「菅原伝授手習鑑」(変形四枚続)。
○『椀久松山歳男金豆蒔』(山東京山・作)をはじめとする合巻六作と、滑稽本一作が刊行される。
10年 1813 28歳 ○「三浦あら男之介・市川団十郎」(大錦三枚続)
○「琴雷舎」の号を用いる。
○「戯作者浮世絵師見出番付」で関脇にランクされる。
○「市村座、中村座、森田座楽屋之図」(各・竪大判錦絵三枚続)。
11年 1814 29歳 ○「北国五色墨」。
○読本「近世説美少年録」(曲亭馬琴・作)の絵を描く。
12年 1815 30歳 ○「大当狂言之内」(竪大判錦絵七枚揃)。
○「座付口上 大阪下り澤村田之助」(大綿)。
○「正本製」をはじめとする合巻七作刊行される。
13年 1816 30歳 ○「奉納手拭」(竪大判錦絵揃物)。
文政 2年 1819 34歳 ○「星の霜当世風俗」(竪大判錦絵十枚描)。
4年 1821 36歳 ○「瀬川菊之丞七変化」(大錦七枚組)
5年 1822 37歳 ○この頃「御誂絵馬尽」シリーズ
6年 1823 38歳 ○「今風化粧鍍」(竪大判錦絵描)
8年 1825 40歳 ○「失の根五郎図」(絵馬)成田山に奉納。
○「雪月花」(団扇絵判錦絵三枚揃)。
○この年より、艶本に手をそめはじめる。処女作「百鬼夜行」と他に一種を刊行。隠号は「不器用又平」。
9年 1826 41歳 ○『女扇思臣要』(鶴屋南北・作)をはじめとする合巻十七作刊行される。
10年 182742歳 ○絵本「俳優素顔 夏の富士」(半紙本)。
○『いろは演義』(鶴屋南北・作)をはじめとする合巻十一作と、艶本四種が刊行される。
12年 1829 44歳 ○合巻「偐紫田舎源氏」(柳亭種彦・作)の挿絵を描きはじめる。国貞の出世作となる。
天保 1年 1830 45歳 ○この頃、英一珪に師事し、香蝶楼と号す。英一タイ(当用漢字にない)とも号す。
○「昔同今物語」(鶴屋南北・作)をはじめとする合巻九作と、艶本一種刊行される。
○師・英一珪と「閻魔覗明鏡図」(肉筆)を描く。
2年 1831 46歳 ○「怪談鳴見紋」(鶴屋南北・作)をはじめとする合巻十一作刊行される。
○「七世団十郎の柱巻きの見得」(角判摺物二枚続)。
3年 1832 47歳 ○「七世市川団十郎の管丞相」(大短冊判摺物)。
10年 1839 54歳 ○亀戸天神の開帳にあたり、「田舎源氏」(絵馬)を奉納する。
13年 1842 57歳 ○「偐紫田舎源氏」絶版となる。また、国貞と親交のあった七世団十郎が江戸追放となる。
弘化 1年 1844 59歳 ○正月7日、国貞ば、二代目豊国を襲名する。
○4月7目、襲名を公表する。(実は三代目)
2年 1845 60歳 ○剃髪して俗称の庄蔵を肖造と改める。
嘉永 1年 1848 63歳 ○「嵯峨ノ開帳朝参りの図」(大錦絵三枚続)。
5年 1852 67歳 ○柳島の別邸に移り住む。そこからのながめがよかったので、富眺庵、富望山人などの号を加える。
○「歌舞伎十八番の内」。
○「木曽六十九駅」(竪大判錦絵七十一枚揃)。
安政 4年 1857 72歳 ○「江戸名所百人美女」。
○「端唄の意」(団扇絵綿捕物)。
6年 1859 74歳 「今様三十二相」(竪大判綿絵揃)。
○「豊国漫画図絵」。
万延 1年 1860 75歳 ○「橋本屋抱白糸 坂東しうか」(大綿)。
文久 1年 1861 76歳 ○「名妓三十六佳撰」。
2年 1862 77歳 ○77歳にちなみ「喜翁」の号を用いる。
○「光氏君箱根温泉浴」(大綿三枚続)。
3年 1863 78歳 ○大首役者絵をさかんに描く。
○「古今俳優似顔大全」(大判錦絵百枚揃)。
元治 1年 1864 79歳 ○12月15日没す。79歳。
法名・豊国院貞匠画僊大居士。墓所・亀戸・光明寺(東京)。

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