邪馬台国はなかった
本の概要
著名 | 邪馬台国はなかった | |
著者 | 古田 武彦 | |
発行 | 1971年11月15日 第1刷 | |
発行所 | 朝日新聞社 | |
邪馬台国はなかった (角川文庫 白 252-1) もあります |
表紙画像を掲載するのはよくないようなのでAmazonさんへのリンクに変更しました。
画像はないようです。
コメント
とても印象に残っている本です。随分昔から邪馬台国の本を読んでいました。しかし、結構すきかってに解釈(一例をあげれば「南」を「東」の誤りである等)し、自分の意図した所にもってこよう、「最初に結果ありき!」的なものが多く、少し興味が薄れつつありました。そんな時、この本に出会い強い衝撃を受けたました。
この本は、「自分かってな改定は行わない」を原則に魏史を読み進んでおり、強く興味をそそられました。文庫本も出版されていたのでぜひ一読を! 。
ちなみに、今は引退している上岡竜太郎さんも昔このよく話していました。私もこの本を契機に古田さんの本をかなり読みました
[2004/08/26]
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本の内容(目次)
はじめに
序章 わたしの方法
- 謎の女王国のとりこ 異質の宝 学説と学閥の間 二つのアイデア
第一章 それは「邪馬台国」ではなかった
- 「壹」と「台(旧字のタイ、ないためこれで代用。以下旧字のみ表記)」の探求
- 歴訪 失われた筆跡 きめ手は? 壹と台(旧字)の完全調査 八六の壹と五六の台(旧字)
- 真実はいずこに?
- 中国の大家との対決 『後漢書』の邪馬台国 誠実なる証人 二人の生涯
- 隠滅の背景
- 卑字のなかの”宮殿” 倭国と魏との間 『後漢書』主義の大河 明治の大家たち 空台(旧字)
第二章 いわゆる「共周改定」批判
- 禹の東治
- すべての「共同改定」を疑う 会稽東治 范曄の錯覚 稽王の教化 訓読上の誤解 異の大伯 禹の東巡
- 戦中の使者
- 景初二年 五つの疑いを解く 明帝の急死 太平の史家 景初三年鏡への疑い
- 海彼の国名
- 対海国と一大国 国境の地名考
第三章 身勝手な「各個改定」への反論
- 目的地先行の「各個改定」
- 五つのルール 「南->東」の改定「南=東」か?「陸行一月->一日」の改定 陸行一月の道程 「倭人を侮る」立場
- 榎説への批判
- 五つの要素 誇張説の伝統 『三国志』の「里」をしらべる 「方四千里」は実定値『三国志』をつらぬく短里 反対説の検証 榎説の崩壊
- 粗雑の論埋
- 検証終ってふり返ると 虚数説の空虚
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第四章 邪馬壹国の探求
- 倭人伝の行程と構成
- 新研発の出発 郡より倭に至る 水行十日・陸行一月 里数
- 日数「二通り」の読法 「階段式」読法 なぜ混迷していたのか
- 倭人伝の用語と論埋
- 道行ぎ読法 四至と傍線行程 里程表示法「行」の問題 「至」の全用例 「道行き」読法の先例 最終行程0の論理
- 国間距雛「0」の先例 「島めぐり」読法 実地に即した表記 陳寿の算法 「陳寿の算法」の先例
- 女王国のありか
- 邪馬壹国の所在地 「道しるペ」読法 女王国は福岡市周辺
- 解読された見取図
- 女王の居城は? 瀬戸内海域の記載 地名の遺存性「奴国」をどう読むか
- 卑弥呼の遺跡
- 考古学との関係 卑弥呼の墓 「大いに冢を作る」「径百余歩」について 奴国の墓域
- 新しい到達点から
- 魏使の一日行程 戸数問題
第五章「邪馬壹国」の意味するもの
- 「邪馬壹国」の読み方
- なぜ邪馬壹国と書かれたか 憎悪された「貳」西なる「壹」の王 思想的国名表記の先例
- 邪馬壹国はどう読むか 三つの間題 "前門"の橋本法則 "後門"の中国音韻法則
- 天皇期文献の批判
- 白石と宣長 消された中心国名 類縁地名 天皇朝以前
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第六章 新しい課選
- 四つの新しい考察
- 「卑宇」の新局面 「不耐わい王」の国 「けい賓貧国」スフィンクスの微笑
- 未知の世界へ
- 新しい領域 使大倭とはなにか? 大和朝廷への通路 魏使は見た! 侏儒国 それは四国の西南岸
- アンデスの岸に至る大潮流
- 論理はわたしたちをどこへ導くか 裸国・黒歯国とは・・・・・ それは倭人の認識だった
- 一年に二回歳をとった倭人 知られていたアメリカ大陸
- 結び−−先像の打破
- 日本古代史とどう結びつくか 方法論の原則をつらぬくこと
あとがき
その他
とくにありません
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