今まで「茲」の讀みを全く知らなかつた。茲に見参
とか、茲數日
といふ使はれ方で、だいたいの見當は附くが後學の爲、調べてみる。
- 茲
- ジ(慣)シ(呉、漢)ここ
- これ。この。ここに。⇒もと「滋」に通じ、ふえる、草木がしげる意。
『岩波新漢語辞典』より
雲は足早に過ぎ去り、南洋の蒸し暑い空氣を殘して行く。
勉強になります。
『電脳文化と漢字のゆくえ』(平凡社)讀了。
池田証寿さんの『電脳文化と漢字のゆくえ』拾い読みと併せて讀んだ。
マンハッタンカフェ、8番枠(時事通信)
何やら漢字の試驗をしてゐるみたいな心持ちになる。
半年振りに中山競馬場へ行く。今年は府中が改裝工事中なので、これから暫くずつとこゝの開催が續く。今日のメインは「毎日王冠(G II)」。
ファンファーレが鳴り響くと、あたりから歡聲があがる。みんな秋競馬がはじまるのを待ち望んでゐたのだ。ゲートが開く。人氣のマグナーテンが前に出る。予想外の展開とペースに場内はどよめく。しかしヤネの岡部は冷靜だ。差し馬を決して近附けず、さらに直線突き放しての勝利だ。岡部マジックを目の當たりにした私は、まるで千兩役者を讃へるかのやうな感歎の聲を上げる。
京都のメインは「京都大賞典(G II)」。こゝは、ナリタトップロードが横綱相撲で危な氣なく勝つ。
私は無茶苦茶強い馬はそれなりに好きだが、かういふ第一線で息の長い活躍をする馬が、やつぱり一番好きだ。
滅多にないことだが今朝の通勤時に、本來降りるべき驛のところでうつかり乗り過ごして了つた。
ふと
目を上げると、見慣れた驛のホーム。扉の閉る音。あれよと思ふ間もなく、電車は動き出す。
敗因は、車内が空いてゐたので座席の眞ん中に座り込み、つい讀書に氣をとられてゐたから。不覺也。
歸宅途中、電車の中で盲導犬と乘り合はせた。彼(彼女?)はとても、堂々と落ち着いてゐた。
思へば今まで、電車の中には人間しか存在することが、許されてゐなかつたことに改めて氣附く。
中山競馬場で、東京オータムジャンプ(J・G III) が行はれるのは如何。
東京競馬場で中山金杯(G III)が行はれるが如し。
秋華賞は、ファインモーションの取捨がポイントになる。今囘は、人氣通りにおさまるか。
陽氣が良かつたので、赤塚までサイクリング。こゝは興味深い施設や史跡が集まつてゐるのだ。
赤塚山の乘蓮寺には、東京大佛といふ、奈良や鎌倉と竝ぶ大佛樣が鎭座してゐる。急な階段を登り山門をくゞると、右手に大佛樣が ぬつと 現はれる。ぎよつとする。
流石に大きい。座高が 8 m 、蓮臺が 2 m 程ある。奈良の大佛樣はもつと大きかつたが、それとはまた異なる大きさを感じさせる。屋外で、日頃見なれてゐる大きさの感覺を超えたものを見るのは、矢張り強く違和感を感じさせるものなのだらう。
發願されたのが昭和四十九年。完成したのが五十二年といふから、案外最近のものなのだ。そして寺の隅には、天保大飢饉の死者を祀る供養塔がひつそりとたつてゐた。
草木一つ一つに名札が掲げてあり、自分がいかに名前を知らないかを思ひ知る。
日本庭園を模した一角があり、枯山水や竹林がそれらしく置かれてゐる。突如鳴り響くししおどしの音に虚を突かれる。
秋の暮れ人も驚く添水かな
フト、他の諸國は知らないが、日本のウヱブ上で顏文字が興隆するのもむべなるかな、と思ふ。
また、おもしろ文字を探せ!がとても樂しかつた。路上觀察學會を聯想する。こゝだけでしか見られないなんて勿體ない。
神保町で買ひ物。『詳解漢和大字典』(冨山房)、『想魚記』末広恭雄(ベースボールマガジン社)購入。
九段下まで、足を伸ばし靖國神社に立寄る。中を廻つて歸る心算だつたが、見知らぬ小母さんに聲を掛けられる。遊就館の入場券を餘分に持つてゐたので、宜しかつたらお讓りするとのこと。喜んでいたゞきました。ありがたうございます。
今年の七月に新裝開館した施設だ。とても充實した展示の數々。遲い時間だつたので、ゆつくり見られなかつた。いつか近所の昭和館と併せて心ゆくまで見學したい。
月一恆例のオルトフォン・千代田テクノル共催のチャリティ・ コンサートへ行く。 今日はヴァイオリンの特集。前半は、名手ルッジェロ・リッチのレコオドを中心に、クレモナ地方の名工達が生み出した銘器、アマーティから始まり、ストラディバリ、グァルネリによる演奏の聞きくらべ。
といつても私はクラシックに疎いので、ヴァイオリンとヴィオラの區別が附くかどうかも怪しいものだから、ストラディバリの初期のものと晩年のものがどう違ふのか、さつぱり分かつたものではない。たゞ、素人耳にもストラディバリ、グァルネリが全く異なる個性を持つことだけはよく分かる。
比べてみて成程、ストラディバリは實にナチュラルだが、グァルネリは灰汁が強いといふか。どちらかが優れてゐるといふのではなく、兩方必要なのだ。
個人的にグァルネリの中低音の響きはとても魅力的だ。
後半、思ひがけないことに、この間刊行した「第五次小林秀雄全集」の全卷購讀者に進呈される CD 「小林秀雄と音楽を聴く」から、ヴァイオリンに關する談話を拾つたものが使はれる。(それにしても小林さんの口調は、ほんとに志ん生だ。)
また、十九世紀の傳説の名手ヨアヒムのレコオドにも、感銘を受ける。1903年の録音。
菊花賞が天皇賞の前に行はれるのは、いまだ馴染めず。さて、今囘は騎手で買つてみたい。武のノーリーズンを中心に。對手は前殘りを期待してローエングリン。
大丸ミュージアムへ觀に行く。パティ・スミスのレコオドジャケットからその名をきいてゐたが、作品はよく知らなかつた。
改めて作品を觀て廻る。とても不思議な寫眞だ。漆黒の背景に眞つ黒な衣服を身にまとひ、顏だけが浮かび上がる被寫體。黒人やゲイの裸體。筋肉。花や風景ですらメプイルソープの寫眞だつた。
寫眞は、そして目に見える光景とは、光の明暗が織り成すものである。メプイルソープの寫眞には、静物をデッサンするかのやうに、白と黒を用ゐて被寫體のかたちをはつきりと描き出してゐる。他の色が入る餘地がないくらゐに、それは徹底してゐた。
武も馬から落ちる。
家の Mac に、pLaTex2e をインストールする。xdvi が動かなくて一苦勞する。
自宅に ADSL を導入。少し手間取つたが、何とか開通する。
「大和但馬屋」、「韜晦日記」經由 「日刊あなた」 に挑戰。
評論家舩木直人
”一言評論”で人気の舩木直人が、都内の書店でサイン会を行った。
舩木直人は以前、ラスベガスでの世界マジック大会の審査員を勤めた際、「っていうか、こんなの手品じゃん」と言い放った猛者。「自分イズム」、「イズムis自分」などという飲み屋での会話並の論理で特異なキャラクターを確立している。
この日のサイン会で、舩木直人はファンの一人一人にコメントを書き添えるというサービスをした。しかし、その内容は「人生だもの、舩木直人」や、ネコが行方不明という女性に対しての「行方不明だからネコなの。居場所が分かったら犬でしょ」などというものばかり。舩木直人は持参した”ウーロン茶”を飲んでは上機嫌だった。
舩木直人、経済を斬る!!
経済にも精通している舩木直人によると、現在の日本経済はなっていないらしい。舩木直人は、「最近は仕事もしてないので、あまり贅沢は出来ません。自宅で麦茶を作って飲んでいます。ペットボトルに入れているので、出かける時も安心です。」と某大学での公演で自信満々に語ったと言う。学生からは「経済の話というか、自分の生活の話じゃ?」との声もあった。またその公演で舩木直人は、「2000円札って使えないですよね。」とも語り、日本経済を鋭く牽制することも忘れてはいなかった。さらには、「日本人全員1億2千万人に、一人1円づつもらえば、1億2千万円ですよね。」と、誰もが一度は思い浮かべる夢を興奮気味に語り、場内から喝采をあびた。鳴り止む事の無い舩木直人コールに対し、舩木直人は、「やっぱ愛でしょ」とさかんに答えていたという。
舩木直人、熱愛発覚!!
今日、某焼肉店において、舩木直人のアツアツデートっぷりがスクープされた。お對手はフリーターのAさん。2人はお互いにお互いの肉を焼き、焼いては食べ、焼いては食べて、こげてしまった肉は、「これ炭じゃん」などと2人ででひとはしゃぎした後、鉄板の隙間に押し込んでは「証拠隠滅」と言っては、またはしゃいでいたという。乾杯する時も、お互いの腕を交差させ、決まって一気のみだったようだ。また、デートに気付いたファンが、「一緒に写真撮ってくれませんか?」とたずねたところ、即座にドロップキックをお見舞いするなど、愛する人の為にはいつでも戦う姿勢を見せた。それを見たAさんは、涙が止まらなかったという。かねてから恋多き人として有名な舩木直人であるが、ここはひとつゴールインしてもらいたいところだ。ちなみに、今回突撃取材を試みた記者は、現在意識不明である。
……誰?本名でやるもんぢやなかつたよ。
『大阪豆ゴハン』(サラ・イネス著、講談社)文庫本にて復刊。12月 12 日發賣。
あちこちとサイトの手直し。リンクを附け加へたり、まとめてみたり。
床屋へ行く。歸りに本屋に寄つて、また買ひ物。最近新書を購入することが多い。一册自體の頁數は多くないので、ついつい手にとつて了ふのだが、氣が附くと結構な册數が本棚にたまることになる。
日曜日は中山競馬場へ天皇賞を觀戰に行く。相當な人出だつた。私の本命ナリタトップロード號は二着まで。人の頭しか見えなかつたけど樂しかつた。
レース終了後、JOA チャリティオークションを見物する。出展された數々の逸品を巡り、熱いやり取りが繰り廣げられる。見續けてゐたら氣疲れして了つた。ホクトベガが札幌記念に出走した時のゼッケンが五十萬圓ですか…
指先を走る靜電氣に初冬の訪れを知る。
ひとりごちる經由、ライトノベルファン度調査。このあいだの飜譯 SF よりは讀んでゐる本が多い。以下四作品。
といつても讀んでゐたのは、かなり昔の事。たしか昭和と平成の狹間あたりの頃だつた。平井和正さんは角川文庫で讀んでゐたしなあ。ライトノベルといふ言葉は當時あつたのだらうか。
それから、グイン・サーガのやうなシリーズものは、やはり全部讀み通してゐないとカウントしては駄目なのでせうか。
『文藝春秋 美しい日本語』 讀了。色々な人が色んな風に、日本語のことを書いてゐる。日本語についてあれこれ考へさせられた。時間があればまとめてみたい。
怖ぢる、閉ぢる、恥ぢる等は、文語でそれぞれ「怖づ」「閉づ」 「恥づ」と「だ行」に上二段活用をする動詞です。
默祷。
オフィシャルサイトを覗くと、今囘は文語調(といふか文語風)の文章。何とも板に附いてゐないやうな言葉の遣はれ方をみて、坐りの惡い心持ちになる。正字と畧字の混在や、文末のほとんどが體言止めで、動詞の活用が少ないのが氣になる。やつぱりこれらの表記は、一種の雰圍氣作り、單なる裝飾の類ひなのだらうか。
古典村村議會 經由。
是非行きたいが、師走の眞つ只中。何とか遣り繰り算段を附けられるか。
『司馬遼太郎の「かたち」』(関川夏央、文藝春秋。)讀了。無性に司馬さんを讀みたくなつた。
これは便利。
ゆゑあつてプリンターを購入しようと思つた。ところが、私の Old Macintosh には USB ポートがないので、繋げられない。Rats ! もはや ADB は絶滅して了つたのか。それでまづ USB に對應してゐる OS へバージョンアップすることから始める。
Veronica(Mac OS 8.6)をダウンロードする。ADSL を導入してなかつたら難儀してゐた。
『想魚記』(末広恭雄、ベースボールマガジン社)讀了。魚博士と呼ばれた末広恭雄先生の、隨筆、對談などをまとめたもの。行間から、あふれんばかりの魚への想ひが強く傳はる。かういふ自分の扱つてゐる對象が好きでたまらないといふ、學者の文章は讀んでゐるこちらも氣持ちが良くなる。
そして眞に自然と附合ふことで得ることのできる境地へ到達する。
とにかくこの「自然」はいつも平均を保とうとしている。それを理解できるような感じになれることは大変おもしろいし、自然科学をやった人のそれは恩恵じゃないですかね。
人が一人死んだ。その代わりにオーストラリアの山の上に一本のたんぽぽが咲いたと。それがちゃんと、その間でこっちが減った分、むこうが増えているというようなことが、地球の上では絶えずこうなって動いているのかもしれませんし、これが動物の姿なんだと思います。
「人間よ驕るなかれ―魚も野の花も人間も皆同等」より
あと、「古い書物等に見られる魚名漢字」の一覽は思はぬ掘り出しものだつた。
連日午前樣。
終電に揺られ、夜風に吹かれ隨ら歸る。フト南天を見上げると、見事なオリオン座を目の當たりにする。
幸い連夜の午前樣はきのふで打ち止め。けふは普通に歸宅する。本屋にも立ち寄れる程の餘裕だ。
『ボタニカル・ライフ 植物生活』 (いとうせいこう、紀伊國屋書店)讀了。いとうさんのウヱブサイト「WATCH SEIKO BOTANICAL LIFE」 でも閲覽出來ます。
プリンターを購入する。しかしその前に、まづ USB カードを取り附け、ドライバーを入れて動作を確認し、それから滿を持して接續した。
新しい機器を取り附ける時はいつもヒヤヒヤするが、スヰッチを入れてうまく動作した時の小躍りするやうな喜びには、何ものにもかへ難いものがある。
「なってるハウス」へ友人の演奏を聽きに行く。
大塚の「welcome back !!」へ友人の演奏を聽きに行く。
ファインモーションの走りに、思はずシャッポを脱ぐ。
捕捉していたゞきありがたうございます。
またしてもオリオン座を見上げ隨ら歸る羽目に。
割と暖かな陽氣。
はてなアンテナにまた新機能。編集画面のグループ編集は、すごく使へさうだ。しかし、正字正假名アンテナをどのやうに分類するか考へたら、はたと行き詰まる。
きのふけふ後樂園の側を通りがかつたら、東京ドームの方から、ポール・マッカートニーの歌聲が。そゞろ浮き立つ心地。
二册讀了。期せずして河合隼雄さんが關はつてゐるのを、續けて讀む。すごく勉強になつた。
朝から公園の草むしり。初夏とは違ひ霜枯れ時の雜草は生氣がないやうに見える。しかし、しつかり根は張つてゐた。侮り難し。
友人のライブを觀に六本木へ出向く。お目當ては 70’s のディスコチューンをレパートリーとするバンドだつたが、なかにエルヴィス・プレスリーのそつくりさんが出てゐるバンドがあつた。なかなか感じが出てゐるのでつい見入つて了ふ。まさにエルヴィス・オン・ステージ。歌にアクションに音樂。實に見事なくらゐ模してゐる。もし紙テープを手にしてゐたら、躊躇なく投げ入れ嬌聲を上げてゐたことだらう。スカーフまでは流石に卷く氣にはならないが。
本を處分する。燒け石に水ではあるが。それでも、本棚の前が開けてゐるのは氣分が良い。
ちなみに私の部屋の本棚は五本。
今晩は曇り。月は朧に東山
〜♪
職場のブロードバンド・ネットワークに、光ファイバーが導入される。まさしく瞬く間と言ふ他ない囘線の早さである。びつくり。
「奇魂掲示板」經由で。私もさゝやかながら音樂を奏する身なので、とても樂しみにしてをります。
久方振りに Another HTML-lint gateway で、文法のチェックをする。結構知らぬ間に、をかしな書き方や間違ひを仕出かすもの。
月一恆例のオルトフォン・千代田テクノル共催のチャリティ・ コンサートへ行く。今日は、飜譯家でオーディオ評論等をしてゐる、 石原 俊氏を迎へて Bach のレコオドを聽く。ブランデブルク協奏曲を聽き較べたり、オルガン曲や、晩年のミサ曲を聽いた。流石に長めの曲は危く舟を漕ぐところだつた。目を閉ぢて、あたかも大聖堂の中に居るかの樣な、そんな想像をしてみるものではない。
年に一度の健康診斷を受ける。胃檢査だけは未だ馴染めず。今年は矢鱈バリウムの量が多くて、飮み干したら目が廻りさうになつた。そして檢査臺の上で、文字通り七轉八倒の憂き目にあふ。
檢査の結果はたいして去年と變はりがないが、視力だけが矢鱈落ちてゐた。場外馬券賣場で、モニターに映る配當金が讀めなかつたり、レース中の馬の勝負服やゼッケンすら判別出來なくなつてゐたので、自覺はしてゐた。今年中に眼鏡を新調するつもり。
尤も、パソコンのモニターと本が讀めれば、たいして痛痒を感じることはないのだが。
捕捉して頂きありがたうございます。
寒い一日。
ジャパンCダート(G1)は、ゴールドアリュールとアドマイヤドンを中心に。
中山競馬場へ行く。年の暮れを思はせるやうな、どんよりとした曇天と寒さ。内馬場に「世界の屋台村」らしきものが出てゐて、今週はアジアの出店が竝んでゐた。暖をとらうと、珍中乃茶(シンガポール)といふものを飮む。
これは、温めたジャスミン茶にコンデスミルクを溶かし、寒天を丸めたかのやうな、トッピングを入れた飮物である。なかなかの妙味。
デットーリはうまいね。
明日のジャパンC(G1)は、ナリタトップロードを本命に。さういへば今年の古馬の G1 は全部ナリタトップロードを買つてゐるやうな。
澁谷の松濤美術館にて「生誕百年記念 小林秀雄 美を求める心」といふ催しが開かれてゐた。期間が今日までといふので、あわてゝ駈け込む。
先づ地下の展示室で、繪畫を見て廻る。印象派の繪もあれば、鐵齋もある。中でもルオーにそゞろ心惹かれるものを感じた。シンとした、敬虔な空氣が繪の中に漂つてゐる。ついつい何度も足を向けて了ふのだつた。
あと地主梯助の繪を初めて見て感心した。
二階の展示室は主に骨董が置かれてゐた。澁い盃やぐい呑みを見ては、あれで酒を呑んだらさぞ美味しからうと思ひ、勾玉を見ては、さぞや良い握り心地だらうと思ひ、落ち着かない。
なまじつか身近に感じる分、あれもこれも欲しくなつて了ふのだ。目の毒なので見過ぎぬよう注意した。
美術館の最寄りである神泉驛のすぐ側に、中國茶の專門店があつた。早速中を物色してゐたら、お茶を出してもらつた。ご馳走さまでした。
黒茶(陳年プーアール)を購入。良い感じのお店だ。
デットーリ恐るべし。お客さんは外國馬ではなく、私達の方だつた。
歸りに、澁谷の場外の裏手にある金王八幡神社に立ち寄る。
どこの馬の骨かは知らないが、馬のどこの骨かは知つてゐる。
(養老孟司)
非常に爲になる話題だつた。有意義な時を過ごす。
拜見しました。
乱は亂の略字ですが、「波乱万丈」 「乱読」などと守備範囲を広げています。乱を上手に成敗しないと旧字で文章を書くことはできません。
『旧字旧かな入門』(p. 58)より
この場合波乱は「波瀾」に、乱読は「濫讀」と記すやうです。
『人間科学』(養老孟司著、筑摩書房)讀了。
神保町の「三鈴堂眼鏡店」で新しい眼鏡を購入する。レンズはまだ入れてゐない。
神保町にゐると、風呂場で服を脱ぐかのやうに、自然に足は本屋へ向ふ。
LECTURE BOOKS が安く賣られてゐたので思はず手が出る。
きのふ調子に乘つて本を買ひ込んだので、また本棚の整理をする。せめて床に本を積まない程度には、藏書を減らしたい。
碧天雑感經由。男脳女脳診断テスト。
あなたのポイントは−25ポイントです。 男脳度数:62.5%/女脳度数:37.5%
中性的男性脳
相變はらずこの種の占ひを行ふと、あてにならない結果ばかり出て來る。それにしてもこの「男脳度数」だの 「中性的男性脳」が、そも何をさしてゐるのか考へると、ある種の可笑しみを感じて了ふ。
『しばわんこの和のこころ』(川浦良枝、白泉社)を讀み、身悶えせんばかりの歡喜に浸つてゐた。こんな經驗はさうさう味はへるものではない。
日本の行事や風習、作法などを易しく平明に教へてくれる。そしてその所作や立ち振舞ひの底に流れてゐる、美しい心ばえを目の當たりにして、柄にもなく昂奮してゐるのだつた。
尤も、私はしばわんこの萬分の一も、和の心を持ち合はせてゐないことに思ひ至り深く恥ぢた。
默祷。私は、ミンガス・バンドの頃や、ドルフィーのライブ盤(FIVE・SPOT)の演奏をよく聽いてゐた。
お晝にきりたんぽを食する。鍋に野菜や鷄肉を入れて一緒に煮込む。他にも、秋田の小餠を入れたり、用意したおむすびを合間に頬張る。
まるで、ゆうきまさみのマンガに出てくる主人公みたいだ。
「雜記:呆状記」經由。日本 歴史占い - 歴史が教えるあなたの未来 -。
あなたは…
赤穂浪士四十七士の討ち入りを成功に導いた指導者
大石内蔵助
何ともはや。
暖かな陽氣。
『剣の思想』(甲野善紀、前田秀樹共著、青土社)讀了。
終電逃して歩いて歸る。
音樂を聽きに金町へ行つた。歸りに驛前の古本屋で、『中国古典名言事典』 (諸橋轍次、講談社)を購入する。
最後に読者の方々に心から希望したいことは、古聖賢の名言に対する態度である。古典は決して読んで楽しむというだけのものではない。博文記誦を旨とするものでもない。これを学びこれを誦して修身に益し、済世に資すべきものである。
いわば古典は、自己の姿を、もしくは世情の実相をこの古典の鏡に映し出し、因って以て反省の資と為すべきものと思う。古人の古典に対する態度はすべてこのようなものであった。
『中国古典名言事典』序より
りんかい線直通の埼京線に初めて乘る。新木場まで乘り換へなしで行けるとは驚きである。新宿驛のホオムでは、カメラを手にした少年を見かけた。何やらホオムも矢鱈に長くなつてゐたし、大崎驛も八番線まで出來てゐて樣變はりしてゐた。
隔世の感がある。
朝方降り積もつた雪は、歸る頃には、跡形もなく消え去つてゐた。所詮は都會の雪。
結果は、周辺地域4番「せゝらぎ」でした。
明るさが取り柄のあなたはその人柄から多くの人望を集めるでしょう。
髪を切ったりするのは良いですが「前の方が良かった」と言われる事があって深く傷つくタイプ。
私は、占ひをせずにはいられないのか。
高坂さん、ありがたうございます。
『大阪豆ゴハン』サラ・イイネス、講談社。
月一恆例のオルトフォン・千代田テクノル共催のチャリティ・ コンサートへ行く。今日は広沢園子マリンバ・カルテットを迎へて、生演奏が繰り廣げられる。會場に所狹しと四臺のマリンバが置かれてゐた。これはなかなか聽くことの出來るものではない。たゞマリンバとはいへ、同じ樂器が四つも竝んでゐては、單調になつて了ふのでは、と勘ぐつたが、あにはからずんや、實にマリンバは奧の深い樂器だつた。
マレットによつて、斯くも自在に音色が變る。主旋律は、固めの良く通る音で打ち鳴らされ、伴奏は柔らかい包むやうな音。そしてトレモロの狹間から、オルガンのやうな通奏低音が鳴り響く樣を目の當たりにして大層驚いた。打樂器が持續音を出せるものなのかと。ベースのマリンバは、叩き方如何で低音がすごく伸びてゐるのだ。
マリンバの演奏で面白かつたのは、やつぱり奏者の體の動きである。これほど、旋律と動作が如實に結び附いてゐるものはなかなかない。日頃目立たず見失ひがちなラインが、奏者の手許を見るだけで手に取るやうに分かる。これなら決して聽き逃すこともない。御蔭で、奏者の姿を見てゐるだけで、いつになく、澤山の音を聽き取ることが苦もなく出來た。
「美輪明宏氏に學ぶ」經由。「楽器占い」。
サックスさんでしたか。うーむ。
書いてはないけれど、あちこちの占ひも一通り試してゐる。
「せんせいのおしごと日記12月。」經由。
きょうの にっきは よみにくくて ごめんなさい。ひらがなで かいてみたく なったのです。よみにくいでしょう。これとおなじく きゅうぶんごたいで かかれているさいとも よみにくいことこのうえなし。
思はず、一緒にしないで呉れ、と小さな呟きが口から洩れる。
いつも思ふが、讀みにくいだの、讀みづらいなどと、輕々しく口にする人は數多見かけるが、そも何が讀みづらくて、どのやうに讀みにくいか、と言ふことを述べてゐる人は、滅多にゐない。
そして話は終る。
福田恆存記念會を觀に、千石の三百人劇場へ出向く (でも座席は二百五十弱しかない)。
その時の模樣をまとめられゝば後日書いてみたい(でも豫定は未定)。けふは餘談を幾つか。
シンポジウムの時、壇上の先生方が矢鱈コーゾンコーゾンと、競ふやうに口にしてゐた。はじめ何を言つてゐるのやらとんと分からなかつたが、フクダコーゾンと聞いてやつと氣附く。恆存を音讀みしてゐるのだ。文壇の隱語なのか、ジャーゴンなのかは知らないが、名前くらゐちやんとよんでほしい。2ちゃんねるではあるまいし。
歸りロビーをぶらついてゐたら、中野 翠さんの姿をお見掛けした。一愛讀者である私は、當人を前にしたら可笑しいくらゐ浮き足立つて了つた。言ひたいことや傳へたいことは山ほどあつたが、ろくすつぽ聲もかけられない始末。
今年は討ち入りから三百年目だといふので、高輪の泉岳寺へ行く。この間、五代目一龍斎貞丈の講談「南部坂 雪の別れ」をラジオで聽いて、そゞろ參詣に行く氣になつたのだから單純なものである。
案の定、かなりの人出。人込みをぬつて境内でお詣りする。義士の墓所は行列が出來るほどの混み樣だつた。寒い中一時間も竝ぶ氣にはなれなかつたので、出店でたこ燒きを頬張つたり、討ち入りそばなるものを食する。お祭り氣分は充分滿喫したので歸ることにした。
「ほんとなんせんす」の Akimbo さんからメイルをいたゞきました。十四日のちやぶ臺に就いてのご指摘です。以下、引用します(許可濟)。
また高島俊男さんのうけうりですが…。
2002年12月14日(土)の「けふのちやぶ臺」で、福田恆存さんを「コーゾン†」と呼ぶ方がいるのに憤っていらっしゃいましたが、開高健を「カイコーケン」、徳川慶喜を「トクガワケイキ」等と呼ぶのは、尊敬の表現のようです。
わたしの乱雑な部屋から該当する「お言葉ですが」 を探すのは至難の業なので、おぼえている限り、以下にしるします。したがって、いろいろなところから流入したわたしの意見もまざっています。
言霊的な考え方なのでしょうが、より実名に近い和語の名前は、家族やごく親しい人によってのみ用いられるべきもので、他人が「ツネアリ」と呼ぶのは逆に失礼となる。
通常、日本人の名前は漢字ルビなしで表現されます。このため、過去の人名等はどう読まれていたか分からない場合が多々あります。このため、「正確な人名をはっきり調査しないと名前を呼べない」 というふうには考えられていないようです。
また、徹(とおる)君が友人や家族から「テツ」と呼ばれていても不思 議ではないように、戸籍に記された名前で呼ばなければ失礼にあたる、ということでもないようです。
適当な例が思いつかないのですが、たとえば開高健を「カイコーケン」と呼ぶのは、親愛の情を示すものだそうです。高島俊男さんの「お言葉ですが」の中に、日野麗(ひのれい)という学友の田舎に合宿でおとづれたときの話が出てきます。日野麗さんのおとうさんは日野吉夫(ひのよしお)という社会党の議員だったそうですが、村の人たちは、「ヒノキップのお嬢さん」と、下にも置かぬもてなしようで、痩せてガリガリの日野麗さんがいきなり大富豪の令嬢になったようで不思議な感じだった、と書いています。この「ヒノキップ」は、明らかに敬意をこめた愛称と考えられます。
福田恆存さんを「コーゾン†」と呼んでいたのは、どのような方々だったでしょうか。親しい友人だった人であれば、親愛の表現、弟子筋や、私淑していた方ならば、敬意の表現ということになろうかと思います。
†先生方は「フクダコーゾン」と呼んでゐました。
恥づかしながら、直實名忌避のことは全く思ひ至りませんでした。ましてや、名前を敬意をもって音読みする場合もある
といふことも。
勉強させていたゞきました。ありがたうございます。
講談「南部坂 雪の別れ」から、枕を一つ。
昔牛込に(吉良の墓が)ありました當時、我々講談師の先輩が相談を致しまして、
「まあ四十七人も長い間儲けさせてくれたありがたい恩人だい。まあ考へやうによつては吉良上野介といふおぢいさんも偉い恩人だ。あのぢいさま一人居なかつた日には義士の話しが一つも出來上がらない。つまりまあ拵へてくれた製造元締會社の、親玉があの吉良さんだ。こりやあまあ義理にも一度ぐらゐはお詣りにいくべきだ」
と、いふんでまあ、仲間が全員この、お詣りに參ります。
まあその時にこの、住職が喜んで先に立つて案内をしてくれます。えーまあ墓石は申し上げたとほり、たいへんこの缺けてをります。誰かが坊さんに向つて
「隨分吉良さんのお墓にしちやあ、ひどい、もんですな」
尋ねましたら、
「いやあもう惡い名をおとりになつた方はほんたうにお氣の毒です。參詣にお見えなさる方でこのステッキなんぞをお突きのお方は、間違ひなくこのお墓を一度お叩きになる。
『見給へこれがあの意地惡の吉良上野介の墓だ。』カンカンカン
なんてたんびに周りがボロボロボロボロ缺けてまゐります。これぢやあんまり見窄らしいからもう少し立派な墓石に、建て直してあげようぢやないか。えーまあ我々坊主共の相談のまとまりました晩に、吉良さんが愚僧の枕元に朦朧と現はれた。
『坊さんお前方の親切は誠にありがたいけど、どうか墓石はあのまんまに、して、おいてくれろ』
とかう仰られます。あれぢやあ吉良さんあんまりお粗末ですからなもう少し、大きな石で建て直しませうと、申し上げたら、吉良さんあわてゝ手をふられました、
『あー坊さんとんでもないこつた、俺はもう大石には懲り懲りした』
と仰られた。」
ひどい坊さんがゐるもんです。
お後が宜しい樣で。
いつの間にやら。日頃の御愛顧、誠に感謝致します。
たしか私の記憶では、坪内氏が在學中の頃、自身は正假名を使用してゐたのだが、周りにゐた歴史的かなづかいをつかって自分を一段上に見せかけようとする
輩が目に附き、それに反發して正假名の使用を止めた、といふ話しの流れでした。
同じく、福田逸氏の講演でも、ちやんと何故に著書を讀まなかつたか、またその要がなかつたかを、きちんと話しの前後で述べてゐました。
冬らしからぬ陽氣。生暖かい南風が吹き拔ける。
私が學生の頃、ラテン・アメリカの文學が續々と紹介されてゐるなか、何故か、氏の譯されたカルペンティエール『失われた足跡』、オテロ=シルバ『自由の王 ローペ・デ・アギーレ』等を讀んでゐました。とても不可思議な、日本ではお目にかゝれない描寫や世界に惹かれたものでした。
あれから讀まうと思つてゐたボルヘスやフェンテスを、いまだ繙くこともなく、徒に日は流れていつた。
先の五日に開かれた「生誕九十年福田恆存記念會」 シンポジウムにおける坪内祐三の「問題」發言は、私の理解では下記の通り。
福田の書(『私の國語教室』)は重要だ。むかし大學の修士論文は「正かな」で書いたが、いまは「新かな」に戻した。當時、福田さんは傳統に基づいてゐたが、眞似をしただけの人が周圍に何人もゐた。「正字正かな」を使ふから自分は優れてゐるといふ人に反撥した。あの本はすばらしい、福田さんは文脈のなかで使つたが、單に形だけで使ふといふ若い人は一種の「コスプレ」で、自分を高めるための衣裳にすぎない。福田さんを好きなだけに言ふ。いづれ批判の文を書きたい。
「奇魂掲示板」[2997] 坪内祐三
或る人が 「後世の才子いかに古を學ぶとも、姿詞はよし古に髣髴たりとも、心の古ならざる事明かなり、今世にも日本紀萬葉風などとてよみだす人の歌を見れば、詞は古なれども、心は俗に近く、全くの似せ物多き也、誰かこれを辨ざぜらん」
と言つたに對し、宣長は答へてゐる。
「此再評又妄ナリ、姿ハ似セガタク、意ハ似セ易シ、然レバ、姿詞ノ髣髴タルマデ似センハ、モトヨリ意ヲ似セン事ハ何ゾカタカラン、コレラノ難易ヲモワキマヘヌ人ノ、イカデカ似ルト似ヌトヲワキマヘン、試ニ予ガヨメル萬葉風ノ歌ヲ、萬葉歌ノ中ヘ、ヒソカニマジヘテ見センニ、此再評者決シテ辨ズル事アタハジ、是ヲ名ヲ顯ハシテ、コレハ予ガ歌コレハ萬葉ノ歌ナリト云ヒテ見セタラバ、必予ガ歌似セ物ナリト云フベシ」(國歌八論斥非再評の評)
小林秀雄『本居宣長―「物のあはれ」の説について』
かういふ書き方をしてゐると、ユーザーのアクセシビリティを考えていない
などと言はれるのだらうな。
新EQテストを行ふ。
- 新EQテスト結果
あなたの精神年齢です
生活年齢(実際の年齢) xx歳
精神年齢 35歳
知能年齢 27歳
変化対応年齢 35歳
コミュニケーション年齢 19歳
自我年齢 59歳
元気・やる気年齢 50歳
…19歳と59歳の差は何。
「けふの名言」 と云ふコンテンツを作る。單に、ちやぶ臺に載せたものを拾つただけのもの。
『おさかな談義』(三浦定之助、博品社)讀了。著者は潛水技師。魚にまつはるあれこれの話を愉しく讀む。奧附に 95年の發行とあつたので、最近の本かと思ひきや、讀み進む内、何やらをかしな氣分になる。長さや重さの表記が尺貫法だつたり、妙に時代がかつた言ひ廻しが隨處に見られる。例へば、これは鮎について書かれたもの。
秋逝く魚(あきゆく)、あゆよ、汝は皆一年仔だ。古人はなかなかうがつた名をつけてくれたものだ。年魚とも言ふ。またよき名である。年魚とは漁師がつけたのだが、また巧い名ではないか。(略)
わが鮎たちは清流で半年の生活を終はると、晩秋にはことごとく逝つてしまふのだ。こんな散り際のよい魚は、またとあらうか。散り際!櫻花!大和武士!なんと美しい聯想ではないか。若鮎も年増の鮎もゐない。全部去年の秋に生まれたのだ。親達は全部去年の秋に老病で死んでしまつたのだ。これでは、さすがの近松門左衞門でも困つてしまふだらう。
よくよく讀むと、もとは昭和十六年と十八年に出された單行本を、一册に編纂したものと知つて合點する。
何を好き好んでか、大雨のさなか、參詣に行く。子供の時分に行つたきりなので、結構何があるのか忘れてゐた。孔子の像を拜む。大佛程でないにしろ流石に大きい。1975年に中華民国台北ライオンズクラブから贈られたもの
だと云ふのは知らなかつた。大成殿(孔子廟)の中を覗いてみたりする。
中山競馬場へ行つた。降りしきる雨の中、人も馬も吐く息は白い。表で觀戰してゐると本當に凍える。騎手も競走馬も大變だなあ。
本馬場入場の際、BGM がいつものマーチではなく、勇ましいシンセサイザーの音が鳴り響く。これは、ヴァン・ヘイレンの「JAMP」か! しかも次のクリスマス・ステークスの本馬場入場時は、ジョン・レノンの「Happy Christmas」ときた。何とベタな。
中山大障害は、ザッツザプレンティの勝利。ロケット騎手が、女性として初めてのJRA重賞制覇だつたのは後で知る。
「インディペンダント・アンダーグラウンド・ミュージック・フェス見聞記」へ
見出しが振るつてゐる。闘う大根
とか、猫又アタック
とか。かういふのは好きだ。
勝つたシンボリクリスエスよりも、やつぱりタップダンスシチーの一世一代の逃げが印象に殘る。
「インディペンダント・アンダーグラウンド・ミュージック・フェス見聞記」へ
「インディペンダント・アンダーグラウンド・ミュージック・フェス見聞記」へ
職場でケーキを食べました。
職場でカレーを食べました。
夜の街に拍子木の音がこだまする。
風邪の豫防に、うがひと手洗ひは必須です。
正字も正假名遣ひも日本語だ。
スタイルを少々修正。
仕事は一應一區切り。その後、忘年會へと雪崩込み、終電を逃してまた歩いて歸る。横たはる二十三夜月を眺めつつ歩く。足下の水たまりは凍つてゐた。
カタカナ語や外來語の話題を讀みながら、飜譯家の青山 南さんが書いた話を思ひ出した。日本語に直しづらい外來語を飜譯する際の話である。
ジョン・レノンの『ビートルズ革命』 の翻訳をはじめて読んだ一九七〇年代の半ば頃、びっくり仰天した。というか、もっとはっきり言っちゃうと、「きったねえ!」と思った。ぼくはまだ翻訳の真似事を始めたばかりの頃で、どんな英語もぜんぶ訳しにくかったのではあるが、ぼくにとって訳しにくい言葉リストのなかにあった「パフォーム」が、『ビートルズ革命』ではいとも軽々と処理されていたのである。
「私は自分がアーティストであることに憤慨していますし、そういうような意味では、何も知らない馬鹿な人たちのためにパフォームすることに憤りを覚えます。」
(略)「パフォーム」をどう訳すべきか、いろいろ考えたりもしてるというのに、この本は、その言葉をそのままカタカナで書いていたのだ。(略)それは軽業だった。念のために言っとくと『ビートルズ革命』 の翻訳の初版は一九七二年の春である。
(略)驚異の軽業は「パフォーム」だけじゃなくて他にもあり、なんと「イヴェント」が見つかった。
私たちがイヴェントをやりはじめたのは、そのときからです。私はヨーコから、イヴェントを教わりました。たしかに、私たちはイヴェントをおこないましたね―それ以来、私たちは、何でもイヴェントにしてしまい、それでかたづけてきました。(中略)つまり私たちがイヴェントをやっていたころには、いつも、人々が私たちのイヴェントを、いまかいまかと待機しているようなところがあったのです。
「イヴェント」なる言葉がそこいらじゅうに月水金の生ゴミみたいに氾濫しだしたのもここ数年、せいぜい一九八〇年代に入ってからのことで、それ以前は「擬似イヴェント」といった社会学用語としてわずかに普及してただけである。だから、イヴェント満載の『ぴあ』 なんかが創刊されるよりもずっとずっと昔の一九七二年に「イヴェント」 が翻訳書のなかでこんなにもしつこく連呼されていたという事実は、よおく考えると、凄い、というか、恐しい。
『ビートルズ革命』の翻訳者は、片岡義男である。驚くのは、いまパラパラめくっても、カタカナががぜん新鮮に見えることだ。ファッション業界のカタカナ怪文書の寿命の短さなど比較にならない。どういう配慮でこれらこういうカタカナが訳語(!)として選ばれたのか、おおいに興味をそそる。
「カタカナの魔術師」より
今年最後の古本屋巡りをしてゐたら、風邪をひいて了つた。
韜晦日記經由、「 知照雑記」
しかしながら正字正かな論を主張する人びとの中で、一部に問題がある主張をする人がいる。それは書体についてである。はたしてどの書体を用いるか。正字正仮名を主張するサイトをまわってもこの問題への言及は著しく少ない。しかし、その少ない中に、康煕字典体を金科玉条とするようなものがある。
これでは単なる規範論である。たとえば、康煕字典体に盲従するあまり、新旧漢字対照表で「玄」の旧字に、最後の一画を書いたものを掲げているサイトがあった。
こゝの對照表のことでせうか。
今年もおしまひ。
韜晦日記經由、「精神年齢鑑定ver.3.0」 の結果。
- 鑑定結果
- あなたの精神年齢は53歳です
- あなたの精神年齢は完全に『中年』です。それどころか『初老』の兆しが見え始めています。人生経験が豊富なあなたは頼りになる存在です。しかし、精神年齢はもう少し若い方が人生は楽しいと思いますよ。
- 実際の年齢との差xx歳
- あなたは実際の年齢よりかなり大人です。周りの人からもよいお父(母)さん役として親しまれていることでしょう。ただ、同年代の人とはしばしば話があわなくなったりしてしまうでしょう。
- 幼稚度28%
- あなたは中学生並みの幼稚さを持っています。時々親の手助けが必要になったりします。
- 大人度68%
- あなたはなかなかたいした大人です。精神もかなり発達しています。
- ご老人度83%
- あなたは90歳のご老人なみにおじいちゃん(おばあちゃん)っぽさがあります。あと少しの人生頑張って下さい。
- あなたとお友達になれそうな人
- 金八先生 水戸黄門
言葉も出ない。夏の出來事と云ひ、私は、老人なのかもしれない。
ちなみにいにちひびきどせき?
を解讀した人がゐるみたい。
チコタン
私もチコタン歌ひました。小學生の頃、たしか四番を擔當してゐました。今思ふと事なきを得たことになるのか。五番だつたら人生觀が變はつてゐたことだらうなあ。