インディペンダント・アンダーグラウンド・ミュージック・フェス見聞記

はじめに

なってるハウスのイベント、インディペンダント・アンダーグラウンド・ミュージック・フェスと云ふ催しを觀にゆく。私が觀たのは、三日目から五日目のライブである。實に堪能した。以下にそれぞれの感想を記す。

感想

2002/12/22:三日目

Intifada

過剩な大音量と音數。得難い經驗をした。幸い高周波はさほどきつくなかつたので助かつた。

石川 高

初めて笙の演奏を目の當たりにして、いたく感銘を受けた。まるで天上から音が降り注ぐ樣だ。そして、メロディともコードとも言へぬやうな、たゞ響きと形容すべき音樂。

COSMOS

サンプラーとヴォイスのデュオ。「音とは何ぞや」と謎を掛けられてゐるかのやうな、禪問答の如き音樂。

2002/12/23:四日目

今囘は音樂と云ふより、音響と呼びたくなるやうな演奏がつゞく。

進揚一郎

ドラムと金属楽器をコンピューターで変調、再構築するとのこと。机の上の Power Book を睨み隨ら(何が映し出されてゐたのやら)、思ひ出したやうに時折ドラムを叩く。私達が見知つてゐる演奏行爲とは、また別の何かが、そこでは行はれてゐた。

Guitar Quartet

今まで經驗したことのない、新しいギターサウンドだつた。これはハーモロディックなのか?そんな聯想がしきりに頭をよぎる。四人が車座になつて向き合ひ、それぞれギターやエフェクトを驅使して、樣々な音響が鳴り響く。

Quartet

亂暴な言ひ方をすれば、エレクトロノイズなのだらうか。機械のノイズには際限がない。リゾネイター・ギターから繰り出される、怪鳥の雄叫びか、はたまた斷末魔を思はせるやうな高周波は結構堪えた。アナログ・シンセサイザーからは、無氣味な低周波が絶え間なく流される。

そして OPTRON!これは蛍光灯の発光に共なう放電をアンプリファイアする自作音具とのこと。世の中にはすごい事を思ひ附く人がゐる。

眞つ暗な小屋の中で、尋常でない音が鳴らされると同時に螢光燈が點滅する。暴力的な音響が充滿してゐる中での閃光。これはだ。視覺と聽覺が相俟つて攪亂される。


そんな演奏が何十分も休みなしに續く。私は始終喜悦の笑みを浮かべてゐた。

2002/12/24:最終日

西 陽子

十七絃箏による即興演奏。恰も、異星の知的生命體が初めて箏を手にしたかのやうな、箏を箏として彈くのではなく、未知の音具として扱ふやうに感じた。壇上に置かれた樣々な日用品。ビニール袋、ボール紙、半紙、お鍋の蓋、等々。それらが文字通り箏と遭遇し、未知の樂音が飛び出す。プリペイドされた絃を叩いたり、またヴァイオリンの弓で絃を彈くことで、セロかと見紛ふやうな音が鳴る。合間に鳴り響く金屬音は、鐘の音か。

即興つていふのは搜すつていふ感じ、そんな言葉を思ひ出した。

Installing

始め演奏に這入り込むことが出來なかつた。それは私がこの種の音響に全く不案内だからでもある。

ベースが持續音を出し、途切れ途切れにヴァイオリンがクレッシェンド氣味に彈かれる。管樂器はそれこそ、メロディなどおくびにも出さずに呟いてゐる。リズムはあつてないが如き。そもそも私は何を聽いていいのか、何が行はれてゐるのかすら分からなかつた。

ところが聽き進む内、何かに勘附いた。これはアンビエントなんだ!今までレコオドを聽く限り、どのやうにアンビエントが作製されてゐるものなのか、寡聞にも知る由もなかつた。これらは人力でアンビエントを演奏してゐることに、遲蒔きながら氣が附いた。さうしたら今まで否定的に思へた要素が、總て魅力的なものに聽こえ始めた。響きが見渡せるやうになつたのだ。これは面白い。

飛頭

飄々としたジャズ・コンボ、と云ふ印象を受ける。飄々と云ふのは偏に、ミドリさんのサックスの音にそれを感じたからだ。リズム隊だけだとこうはいかないのでは。

オーソドックスでもあり、フリーフォームなスタイルも織りまぜ、またメロウな一面もある。そしてハプニング。

やつてくれたよ、菊地さん!


世の中には本當に色々な音を出す人達が居る。