正月は冥土の旅の一里塚 目出度くもあり 目出度くもなし
今年も宜しくお願ひ致します。
今年から見出しにアンカーを入れてみました。 時々端折ることもあります。
田舎から、何故かあんかと豆炭が送られてきた。なんだこれ。
コンテンツをあれこれ作成中。 あと年賀状を書いたりして過ごす。
あんかを蒲團の中に入れておいたら、夕方まで暖かいまゝだつた。湯たんぽ以上の保温力だ。
實は、部屋には暖房がありません。だから送られてきたのか。
風の強い一日。西新井大師へ初詣に行く。流石に日が暮れると、人出もをさまる。
東武伊勢崎線の車窓から富士山を望む。
歸りは電車に乘らず、普段乘ることのない路線バスを乘り繼いで歸つてみた。
でも正月だと云ふことを忘れて、運行數が少ない中を綱渡りのやうに乘り繼ぐ羽目になつたのは内證。
雪が降る。植ゑ込みの山茶花も寒さうだ。
先月眼鏡を購入した折り、病院での檢査を薦められた。お店では檢眼をしてをらず、眼科から出された處方箋で眼鏡のレンズを作るといふ。 何でそんな手間を掛けさせるのか訝しく思つた。 それでも、餘所で作る氣にもなれなかつたので、行かう行かうと日を過ごす内、年が明けて了つた。
近所の大學病院へ朝いちで出向く。 被保險者になつてから、初めて健康保險を行使することになる。 病院はお見舞以外では足を踏み入れたことがないのだ。 眼科の診療室が暗幕を張巡らし、晝なほ暗い處で行はれるのを改めて發見したりする。
檢査は例によつて、視力檢査表とにらめつこをしたり、レンズをとつかへひつかへしたりしながら、叮嚀に目に合ふ度數を探り當ててゆく。 眼底檢査もしてもらつた。さうしてみると、眼鏡屋さんでの檢眼がそつけなく感じられるから勝手なものである。 ちよつと器具の上に顎をのせ、眼を覗き込まれて、直ぐ樣レンズを作つて了ふのは實に亂暴な話だ。
餠は餠屋なのだ。やはり專門職に手間隙かけて診てもらふのは、心強く感じる。 檢査を受けて良かつた。
唯一の難點は、眼底檢査の際に點眼された瞳孔擴散藥の御陰で、歸りに尋常でない光景を味はふことになつたこと。
眞冬なのに、眞夏の海岸竝みの光量が目に突き刺さる。
暗がりから表に出た時のやうな、目のくらむ眩しさが、まつたく輕減することがない。
海と溶け合ふ太陽
とはこのことか。
洒落てゐる場合ではなかつた。
「言葉言葉言葉」の新年會に行きました。 樂しい一時を過ごしました。
仕事初めから連夜の午前樣。
歸りに夜空を觀察すると、先月よりも星の位置が西の方へ移動してゐる。
キャッシュカードを落として了ひました。人間本來無一物。
水仙の花を眺めて居ました。見事な馨り。
またしても連夜の午前樣。しかも休日出勤確定。 先週正月だつたなんて、俄に信じ難い心持ちだ。
韜晦日記經由、「あなたの結婚適齢期を鑑定します!」。 かういふのをやつてみたくなるのは、私がまだ既婚者ではないからかもしれない。
ふなきさんの結婚適齢期は・・・34歳です
恋愛成功率 S 151.7%
恋愛支配率 D 59.9%
恋愛臆病度 C 74.6%
さういへば昔、既婚をガイコンと讀んで了つたことを思ひ出した。 Good Grief !
携帶電話の機種變更を行ふ。
『大阪豆ゴハン 2』サラ・イイネス(講談社漫画文庫)發賣中。 表紙の帶と解説はタージン(タージン推進委員会)だつた。 前卷の酒井くにお・とおるといひ、見事といふか、なんと大阪なチョイスといふか。
土日にあちこち歩き廻つたら風邪をひきかける。
藥膳カレーを食べました。
And I have been working like a dog
しばらくずつと午前樣。
working like a dog
を調べてみると一所懸命働くといふ言ひ廻しだつた。
汽車犬を聯想するのは如何に。
It's been a hrad day's night
終電に乘つたら人身事故に卷き込まれて、一時間も電車の中で過ごす羽目に。
鏡を覗いて氣が附くが、私は草臥れると目蓋が二重になる。
I should be sleeping like a dog
毎晩々々遲いので、歸りしな日々滿つる月を眺めたり、星々の觀察をしたりする。レグルスがひときは目立つやうになつた。 でも、後から思ふと實は木星だつたかもしれない。
どのやうな時でも樂しみは見出したい。
星
實をいふと、私は昔天文少年だつたのです。今では面影もない。
さらに種を明かすと、都會では夜中、あちこちに街燈の明かりが煌々とともり、一等星でなければろくすつぽ星が見えない有り樣なのです。
それゆゑ目立つ星はおのづと決まつてくるので、時間帶と方角がある程度分かれば、見當を附けられるといふわけなのです。
東京には空がない
。
星もまた然り。
『人はなぜ「美しい」がわかるのか』(橋本治、ちくま新書)讀了。
嬉しいと眼鏡が落ちるんです
ついに新しい眼鏡が出來上がる。 今まで使用してゐた銀縁フレームから趣向を變へて、黒縁の丸眼鏡にしてみた。 大村崑をきどつて眼鏡をずり下げてみたり。
神保町をぶらついてゐたら、何やら見なれぬお店を見つける。 粥麺専家といふのに強く惹かれた。私はお粥に目がないのだ。 小腹がすいた時、この時期なら肉饅を食することが多いが、お粥が食べられるといふのは實に畫期的だ。 神保町に行く樂しみが増えた。
散髪されてゐる合間、店の主人と陛下の病状についてあれこれ話をした。
一日中本棚の整理をする。
梅の花の蕾みがそろそろ膨らみかける。
私は、Tu-Ka の TK12(kyocera) を使用してをりますが、支障なく閲覽出來ます。携帶の小さな畫面では、普段よりもより讀みでがあるやうに感じます。
携帶で、はてなアンテナが閲覽出來ないさうですが、携帶用のアドレスはお試しになりましたでせうか。
http://a.hatena.ne.jp/funaki_naoto/mobile.cgi
こちらへ接續してみて下さい。
最近「抱き枕」といわれる物が市販されるようになった。 この抱き枕も、胸―腰仙関節の緊張を緩めるのに効果がある。 横向きに寝ると、上になっている側の胸の緊張は緩みやすくなるが、胸に緊張がある場合肩関節も堅くなっているので、上になっている側の腕を抱き枕の上においてある方が肩関節の緊張がさらに緩みやすいのである。 同時に大腿部も抱き枕の上に載せることで股関節周辺の緊張が緩み、骨盤の呼吸運動も楽になる。
片山洋次郎『整体 楽になる技術』(ちくま新書)より
朝方雪が降る。
このところあんかをちよくちよく使用してゐる。 火を起こして豆炭を熱し、あんかに入れてゐるのだが、私のは何故だか炭が途中で立ち消えになつて了ふことが多い。
遯爭記 經由。
餘談ですが、逢著といふ言葉を初めて知りました。フト出くはすといふこと。 調べてみると中唐の文人である張籍の詩に遣はれてゐる。
僧房逢著款冬花 出寺吟行日已斜
僧房に逢着す款冬花 寺を出て吟行すれば日既に斜めなり
突然體調をくづす。何か食べると氣持ちが惡くなつて了ふ。 風邪なのか知らないが、別に咳きや發熱はないので食事以外はさしたる不自由もない。 うどんやお粥をすすつて過ごしてゐる。
豆炭あんかの御話
情報ありがたうございます。あんかをぐるぐる卷きにはしてゐるので、熱し過ぎがよくないのかもしれません。
百色眼鏡
取り敢へず思ひつくまゝに。
本草兎目
より
正字正かなバナーはどなたでもお使い下さい
とのこと。是非使はせていたゞきます。
同じ日記のトピックに「元素占い」といふのが紹介されてゐたので挑戰してみる。
原子番号 41
元素記号 Nb
元素名 ニオブ Niobium
…。石川や浜の眞砂は盡きるとも、世に占ひの種は盡きまじ。
職場にて「フロ釜洗いジャバ(2つ穴用)」をもらつた。
職場にてポンカンを一袋もらつた。 時々不思議な職場だと思つたりする。
1月28日(火)奇妙な現象
キース・ジャレットがこんな話をしてゐたのを思ひ出しました。 以下ご參考までに。
時々、ぼくは同時に3つか4つのラインを彈いてしまつてゐることがあるんだ。
でも次にかういふことが起こる。4つのラインを同時に彈いてゐる。 それらが全部聽こえてくる。ところが、科學が“ノー、それは違ふ” とささやく。科學的には、人間は2つのラインしか同時に彈くことができないということになつてゐる。 ほんたうに集中できるのは2つのラインがせいいつぱいだ。(略)
さつきこの状態をずつと維持できると言つた。 でも僕はピアノの前に座つて、自分の彈いてゐることに耳を傾けてゐるから、いつかは自分で4つのラインを同時に聽いてゐることに氣がつくわけだ。 さうすると、4つのラインが同時に聽こえてゐるから、ここは面白いんだといふことになる。音樂がハプニングしてゐるのは、この4つのラインのせいだつたのかと認識することになる。 これはちよつとないことだぞ。よし、今度はこれらすべてをいつしょに動かしてみようと、意識的にやらうとする。全部聽こえているから大丈夫だらうと。
ところがさういふふうに分析的に考へた瞬間に、もう4つのラインは聽こえなくなつてしまふんだ。 その瞬間に君が聽いているのは“科學”だ。 突然科學の論理が支配する。そんなことは科學的にあり得ない、きみの頭はどうにかなつてしまつたんだよ、と科學が語りかけてくる。
4つのラインを同時に聽いてゐるといふことを意識してはいけなかつた。 4つのラインを聽いてゐることそのものを經驗してゐるべきだつた。 氣がついてはいけない。 自分に4つのラインが聽こえてゐると考へてはいけない。
『キース・ジャレット音楽のすべてを語る』より(原文は略字新假名)
また終電を逃してしまつたので歩いて歸る。この間よりは時間をかけずに到着する。一足先に春の夜空を拜む。
眼鏡店にて、掛け具合がよくなかつた手持ちの眼鏡フレームを微調整してもらつた。
私の黒ぶち眼鏡はドライヤーで熱して直してゐた。セルロイドで出來てゐるから可能な藝當だ。
一昨日引用した書名が間違つてゐました。正しくは「キース・ジャレット音楽のすべてを語る」です。
なほこの本は現在絶版になつてをりますが、『キース・ジャレット インナービューズ その内なる音楽世界を語る』(太田出版)として、同内容のものが新たに出版されてゐます。
梅が咲き出した。陽もだんだんと長くなつてゐるのを感じる。
流石に草臥れる。終電どころかタクシーに乘つて歸ることも。 暫くこんな調子。
アーノネ オッサン ワシャ カーナハンヨ
思はず戰前のギャグが口をついて出る今日この頃。
「Mac等日記 02.02.06」經由。
私はルー・ハリソン氏の音樂を聽いたことはない。 たゞ以下に記す逸話を讀んで興味を抱いたことがあるので、名前を見知つてゐたのだ。
ルー・ハリソンの曲をやつた時の話なんだけど。
カーネギーホールで演奏會をやつた。スタンウェイのピアノを使つたんだ。 でもこの曲には違つたチューニングを使ふから、2臺用意しなければならなかつた。1臺は普通のピアニスト用、1臺はこのルー・ハリソンの曲のために。 スタンウェイの會社ではこのことを知つてゐて、ぼくがピアノを見に行つたら、「惡い批評を書かないでせうか?」といふやうなことを言ふわけ。 ぼくが、「どういふ意味ですか?」と聞くと、「たぶん聽衆は、ピアノの音が惡かつたと言ふでせう。 それにスタンウェイといふことはわかつてしまふでせうし……」 チューニングが違ふからいい音がしないだらうと心配してゐる。
ぼくは、「それはあなたたちの問題ではありませんよ作曲者の…」 と言つたのだけれど、それでも心配してゐる。聽いた人が、チューニングが違ふから、「ああ、あのピアノはよくない」つて言ふと思ふわけ(笑)。 だから何囘も、「大丈夫ですから。心配しないで下さい」つて言つたんだよ(笑)。
『キース・ジャレット音楽のすべてを語る』より (原文は略字新假名)
でも音樂よりも、二言目には音程とピッチのことしか言はない人はよく目にする。
私は『言葉 言葉 言葉』 から多くのことを學ばせて頂きました。 何卒御考慮の程を。
今年に入つてから、折りを見て本を處分してゐる。 圖書館のリサイクルコーナーにまとめて置いておくことを毎週續けてゐる。
最近忙しいといふ所爲もあるが、段々本を讀む時間が取れなくなつてきた。 古典や全集のやうなものは早く讀むことは出來ないし、何度も再讀する必要もある。 そうなると數多ある本の山から、本當に讀みたい本、讀むべき本が、一生のうちに讀めないのではないか、といふおそれが出てきた。 少なくとも二度と手に取ることもないやうな本は、場所もとるし落ち着かないので、惜しげもなく手放すことにした。
そして取り敢へず二百册程處分した。しかし、本棚の嵩がまつたく減つたやうに感じられないのは何故。 無理矢理本棚に押し込んでゐたとはいへ、我ながらあきれる。
またしても徒歩にて歸宅する。今夜は雨だ。 雪でなかつただけまだましか。
何度も續くと段々と慣れて了ふ。 電車で歸るだけで、早く歸れたと思ふやうになるのも困りもの。
人生は短く、本は多い
勿體無く感じます
といふのは良く分かります。
「闇黒日記デー」にて各サイトの方々が、いつから「言葉 言葉 言葉」を知つたのかについてあれこれ書かれてゐる。 私も一つ記してみます。
確か、2001年の 4月頃に福田恆存を檢索して居たら辿り着きました。 正字正假名で書かれた豐富な文章に目をひかれましたが、何よりこゝから一番影響を受けたのは矢張り「PC Tips」でした。
當時私は、ウヱブサイトを立ち上げようとしてゐた†のですが、當然 HTML も W3C のことなども露知らず 、table や font を使いまくつてゐるソースを書いてゐたものでした。
「HTMLで書く」のではなく、「HTMLとなるやう書くべきだ」
といふ言葉にはしびれました。
†實をいふと當初は音樂關連のコンテンツを置く積もりでした。讀んで居なければ本當に別物のウヱブサイトになつてゐたところ。
お世話になってるリソース
『私の國語教室』にうさぎが。
あと「ピンク闇黒」のバナーはかはいくて良かつた。
一日家の中に居た。マシンをいぢつて過ごす。
實は今まで、「骨休み」だと思ひ込んでゐた。
ありがたうございます。
上記のアンテナを徘徊してゐたら下記のコンテンツを發見する。
最近、職場のマシンを起動し、暫く作業をしてゐると、突如ディスプレイが瞬きをするやうになつた。びつくりする。心臟に惡い。
百年前に思ひを馳せてみる。
はてなダイアリーベータ版に應募してみました。 キーワードの共有といふのがなかなか面白さうに思へたのだ。 しかし何を書くのかまだ決めかねてゐる。
それから、はてなダイアリーのアンテナ捕捉もそろそろ考へよう。
コンテンツを整理した。
取り敢へず始めてみます。たゞ駄洒落をとばしてみたかつただけ、なんてことにはならないやうにしなければ。
山野一郎の「講釋入門試驗」、古川ロッパの 「聲帶模寫オンパレード」に大爆笑する。
桑沢デザイン研究所の卒展を見學に行く。 知人が出展してゐる縁で六本木のラフォーレミュージアムまで足を運んだ。 日頃デザインには注意を拂つてゐないものだから、新鮮に感じた。
そしてファッションショーを生まれて初めて目の當たりにする。 普段着やシックなフォーマルウェアから、民族衣裳をあしらつたもの、ごてごてとオブジェクトを飾り附けたものまで、まさしく百花繚亂。
江古田のパイナップルカウンティーにて、友人のライブを觀る。 良い心持ちになる。
ひつそりと開始。
Mr. ビーンは何度見てもやつぱり面白い。體の動きは云ふまでもなく、豐かな表情(あの縱横無盡に動き廻る眉毛など)を見てるだけでも樂しい。
雨降りなので、早起きをする必要はなかつたが、どこにも出掛けられず。
當面は日常の瑣末事を記すことにする。 また、道中記をこちらに移すことにしました。
それから、まとまつた文章とニュースやトピックなどは、引き續きちやぶ臺に載せようと思ひます。
「はてなダイアリー」の「キーワード」機能など、はつきり言つて機能するとは思へません。 辭書は個人が中心になつて作るものです。大勢が集まつて、最大公約數的な情報の體系を作り上げられるかと言つたら、そんな事は出來ません。情報の選擇と配列に創作性が生ずるのは、集團による協同作業によつてではなく、個人の作業によつてです。 「はてなダイアリー」の「キーワード」も、各ユーザが個人個人で分類や配列を決定し、それを保存出來るやうにでもしない限り、現状では混亂を免れないでせう。
さう考へると、日々私達が「言葉」を共有し、生活してゐるのが奇跡みたいに思へてくる。 これを讀み隨ら荻生徂徠の辨名を思ひ起こした。
生民より以來、物あれば名あり。 名は故より常人の名づくる者あり。 これ物の形なき者に至りては、すなはち常人の睹ること能はざる所の者にして、聖人これを立ててこれに名づく。 然るのち常人といへども見てこれを識るべきなり。これを名教と謂ふ。
荻生徂徠『辨名』の冒頭より
本日曇天ナレド雪フラズ。甚ダ寒キ心地ナリ。
雲の切れ間から月が顏をのぞかす。
牧野富太郎『植物知識』(講談社学術文庫)讀了。 もとは昭和二十四年に發行されたもの。漢字も表記も、當然改められてしまつてゐる。
植物の話はもとより、萬葉集の歌が幾つもひかれてゐたり、實に流麗な文語の調べが隨處に溢れてゐる。また、話のついでとばかり良くと能くの違ひ (Good と can の違ひだといふのはとても分かりやすい)までも、さらりと解説して呉れるあたり、植物學者をはるかに超えたスケールの大きさを感じる。
恆例のオルトフォン・千代田テクノル共催のチャリティ・ コンサートへ行く。 今日のプログラムは、ギタリストの近藤謙太氏を招き、前半はギターのレコオドを中心に觀賞し、後半は生演奏を繰り廣げる。
今囘から、新しいスピーカーが導入された。 故長岡鉄男氏の遺作となつた「D 150 モア」といふのがお目見えした。 でも悲しい哉、オーディオ關係にはまつたくの門外漢ゆゑ、スピーカーの眞價を聞き分けられたとはとても言ひ難い。 たゞ、ギターの再生に關しては恐ろしくリアルな音を出してゐた。
アンドレス・セゴビアからパコ・デ・ルシアまで聽いた。 やつぱりセゴビアはとても私好みのギタリストだ。 ギターが深く息づいてゐるのを感じる。
そして後半は近藤さんのソロリサイタル。 最小限のマイクと音響だけでも、ギターは鳴り響く。 タレガやロドリーゴといつた、まつたく知らない作曲家の曲を演奏する。 たいていかういふ時は、どうしても途中でだれて了ふものなのだが、間近で觀てゐるおかげでノリがつかみやすい。 リズムに合はせてゐるうち、知らず知らず演奏に引き込まれていつた。
案の定といふか、お約束といつた鹽梅で、Romanze Castellana(通稱、禁じられた遊び)をリクエストされて、演奏を聽くことができました。 けつこう早いテンポで彈いてゐたことに氣附く。
美しい。二十日まで見られる。
押し賣りと押し問答を繰り廣げる。
豆炭を温めてゐる。大部火加減がつかめてきた。たゞ覚えた頃にはもう春になつてゐる。
はてなダイアリーのカテゴリー機能は興味深い。 これがうまく活用できれば、このちやぶ臺を移すことも考へてみたい。
取り敢へず勉強を兼ねて、暫くはてなの茶碗にて日録を更新してゆきます。ログはきのふのちやぶ臺の方にも殘す積もり。
少し箇條書きを手直しする。心持ちすつきりした。
今年初めての競馬観戦。気がついたらもうこんな時期。フェブラリーSはゴールドアリュール号の勝利。私の本命イーグルカフェ号は3着まで。
そして河内騎手の最後の騎乗を見届ける。
中山競馬場は物凄く寒かつた。容赦なく冷たい風が吹き付ける。何の因果かこんな時に、とぼやき隨らヲケラ街道を歩く。
携帶電話にて更新をするとき氣が附いたが、キーの文字割り當てには“ゐ”も“ゑ”もない。變換辭書には正字もない。いきほひShift JISを直接入力しなければならない羽目になる。無論空で16進コードが打てる筈もないので、上記の日記に略字が使はれてゐるのはそのせい(あへて直さないことにします)。
尤も携帶から早急に更新しなくてはならないやうなことは滅多にないのだけど。
寒い一日。晝には雪が降る。
「活字中毒度ちぇっく ver.4」を行ふ。
あなたは普通レベルの活字中毒です。上を目指すもあなた次第。このままいきたければそれも良し。
數年前だつたらもつと違ふ結果になつてゐた。現在の本の讀み方が變はつて了つたせい。 あと氣になつた點が一つ。 質問のなかに藏書に關するものが幾つかあつたけど、活字中毒と同じやうに扱つてよいものなのか。 本を讀めばたしかに藏書は嫌になる位増えてゆく。しかし藏書家が必ずしも讀書家であるかどうかはよく知らない。
樂器の練習を始める。
最近、使用してゐる icab の調子がをかしく、すぐタイプ2エラーを起こして落ちて了ふ。Macintosh に於いては、すこぶる使ひでの良いブラウザなので困つてゐたら、いつの間にやら新しいバージョンが公表されてゐた。 これは幸ひと、早速使用してゐる。心なし擧動が以前よりも輕やかに感じられる。
大野晋、上野健爾著『学力が危ない』讀了。色々なことを思ひ巡らす。 第一章「教育の原点をもとめて」での、上野先生とバイオリストの東海千波さんとの對話はすこぶる興味深く讀んだ。 音樂を學ぶ上でとても重要な示唆を受ける。
案の定自分が住んでゐる所や、行き着けの場所を覗いてみる。
出先にてはてなダイアリーの日録を訂正した。 初めてこのコンテンツの機能の有り難さを思ひ知らされた。
プリンタの紙詰まりと挌鬪した一日。
コピー機の紙詰まりと(以下略)。
はてなダイアリーで使はれてゐる、親キーワード・子キーワードのヘルプを讀む。
BはAである
やAでないものはBではない
などといつた、お馴染みのフレーズが出てくると、改めて論理學の勉強をしてみたくなつた。
大昔に讀んだ『詭弁論理学』はとても良かつた。