『日本一わかりやすい!超入門 XML』(大久保博樹著)讀了。
といつても、はじめて讀んだ XML關連の本なので、本當に日本一分かりやすいのかは不明。でも成程たしかに、これ以上ないくらゐ簡明に書かれてゐる。XML がどういふものかが良く分かりました。XML を勉強して、ウヱブサイトに應用してみたい。
數學のできる人は頭がいいか。
これがなかなかむづかしい。ニュートンが、ネコの通る穴の隣に、小さな穴を開けたといふ話がある。何のためだと誰かが尋ねたら、こつちは子ネコが通る穴だと答へた。
養老孟司著『からだの見方』より
「あらゆる點でまちがへようとするには、おそろしく多くのことを知つてゐなければならんのだ。惡魔がさうだらうに。」
「たとへばあんたが、緑色の家で、青いブラインドがあつて、前庭はあるけども裏庭がなく、犬を飼つてゐても猫は飼つてなく、コーヒーは飮むが紅茶は飮まない―そんな家を探してこいといはれたとする。それでさういふ家がどうしても見つからなかつたら、あんたはその家の話が全部でたらめであると言ひはるだらう。」
「だが、わたしだつたらさうは言はない。青色の家で、緑のブラインドがあつて、裏庭はあるが前庭がなく、猫はいつも飼つてゐるが、犬はすぐ射殺されてしまひ、紅茶はいやといふほど飮むが、コーヒーは禁止してゐるやうな家を見つけたとする。さうすれば、あんただつてそれが自分の探してゐた家だといふことに氣がつくだらう。」
G. K. Chesterton(福田恆存、中村保男譯)『ブラウン神父の知惠』より
近所の熊野神社にぶらつと立寄る。境内はとても靜かで、眞夏の日差しが照り附けるなか、しんとした空氣が心地良い。
暑さにやられたのか、歸つたらどつと疲れて了ひ、少し寢込む。
『方法叙説』(岩波文庫)讀了。
この常識の使用法について、デカルトは“Le Discours de la Méthode”といふ非常に明晰で感動的な本を書いた。これは、誰も知つてゐる、あの「我れ思ふ、故に我れ在り」といふ文句が出て來る、大變名高い本で、「方法叙説」といふ名で、早くから紹介されてゐますが、原題は、そのやうな固苦しい名ではなく、「方法の話」と譯して置けばいゝもので、もつと大膽に、「私のやり方」と碎いて譯した方が、もつといゝ、と私は思ふ。
小林秀雄「常識について」より
谷川多佳子さんの譯は、とても讀みやすい。
以下の本を購入。
さういへば、讀まうと思つてまだほつたらかしにしてゐた『騎馬民族は来なかった』(NHK ブックス)を讀み始める。
明日からいよいよ新馬券が始まる。
新馬券の傾向と檢討をかねて澁谷のプラザ・エクウスへ、「ウィークエンドパドックスペシャルinプラザエクウス」と題した公開放送を觀に行く。
大いに參考になる。樂しいトークも聞くことが出來た。これで明日のレースはバッチリか!?
暑いので、横になるとすぐ寢込んで了ふ。
川越から埼京、りんかい、京葉の各線経由で舞浜までの臨時列車運転をする
といふ話まで出てゐる。往時の赤羽線が走つてゐた頃から隨分時代が流れたものだ。
ちなみに赤羽線を檢索してゐたら、こんな文章があつた。これは知らなかつた。
実はこの赤羽線、路線名称としての役割を終えている。埼京線とは山手線(恵比寿〜池袋)・赤羽線(池袋〜赤羽)・東北本線(赤羽〜武蔵浦和〜大宮)の総称で、正式な路線名ではない。
◆監修・bunkacho/文化庁
コンテンツの文章に正字を用ゐてゐる。しかし假名の表記は現代假名遣ひのまゝ。
コンドルは飛んで行つて了つた。
恆例のオルトフォン・千代田テクノル共催のチャリティ・コンサートへ行く。
今日は「DUG」の中平穂積さんがゲスト。昔のジャズメンの逸話や、自身の面白い昔話を樂しく聞く。「植草甚一の世界」といふレコオドがかゝつて、初めて J.J. 氏のお聲を聞いた。他にも貴重な 8 mm ヴィデオを觀る。
今囘の裝置は、オンゾウ・ラボから持ち込んだ、眞空管アンプ。實にジャズに合つた良い音だつた。ベースの響きはとても最高だ。
さういへば、こゝで話に出たので氣が附いたが、きのふ(十七日)はコルトレーンの命日だつた。沒後三十五年。
逝く者は斯くの如きか。晝夜を舍めず。
「なってるハウス」で友人の演奏を聽く。
スキッ腹なのに、立て續けにビールを飮んで目を廻して了ふ。
會社で宴會。幾ら暑いからつて、ビールを呑み過ぎてふらふらになる。
本當にビールの美味しい季節になつた。
『福沢諭吉家族論集』(岩波文庫)を購入。福澤さんが妙に氣になる。
恰も一身にして二生を經るが如く、一人にして兩身あるが如し。
この間飮み屋で、たまたまそこに居合はせた整體の先生に體をみてもらつた。何と私の體は、七十代の老人竝みとのことだ。My God !!!
勿論私は七十代ではない。
少年老い易く學成り難し。一寸の光陰輕んず可からず。
朱熹
暫く東京を離れるので、更新をお休みします。
歸省先から歸る。
東京以外の土地では、時々思はぬ言葉に出逢ふことがある。向うでよく聞きとれないながらも、字音假名遣ひ風の發音が言葉の端々に殘されてゐるを感じた。それらを聞くのは、とても心地良い。
『學問のすゝめ』讀了。感銘を受ける。まさかこれ程まで、福澤諭吉の名文が私の心を打つとは思ひもしなかつた。豪傑こゝに在り。
紙幣の新しいデザインに、個人的には森鴎外を推してみたかつた。
實に繪になる顏だと思ふが、矢張り軍人は駄目なのだらうな。
板橋の花火大會を見物する。
街には色とりどりの浴衣を着た女性達で溢れてゐる。私も負けじと、年に數度しか袖を通さない浴衣を羽織つて出てゆくが、着こなしが、如何にも病棟から突つ掛けで拔け出てきた病人のやうな風體なのが情けない。
花火大會の感想は、煙もうもう。
アンテナに「雜記:呆状記」を追加しました。
神保町で古本を購入。
矢張り正統表記で讀みたい。
- 8月4日
- ビアホールの日
- ビヤホールチェーンのサッポロライオンが制定。
- 1899(明治32)年、東京・銀座の新橋際に、現存する中では日本で最も古いビヤホール「ヱビスビヤホール」(サッポロライオンの前身)が開店しました。
といふわけで、銀座のライオンでキャンペーンをやつてゐるので、早速飮みに行く。
エーデルピルスは飮みやすく何度もお代りをする。
相變はらず、はてなアンテナが更新を反映して呉れない。
家のパソコンをいぢつてゐる。部屋にある Mac や Windows をネットワークで(しかも NetBSD を介して)連携させてみたいが、前途多難。
立秋を過ぎたので暑中見舞ひをはづす。
今一つ釋然としないが。
たゞいま、夏休み。
といつても何かをする爲の休みではなく、何もしない爲の休みの心算。部屋の片附けをしたり、本の整理をするくらゐ。
所用で板橋區役所へ行つたら、「〜板橋の学童疎開〜古家ホテル記念帳展」といふ催しが開かれてゐた。
疎開兒童達が、疎開先である水上の古家ホテルの關係者に、感謝の意を表して殘した記念帳が公開されてゐた。葉書大の紙に、繪(漫畫)やお禮の文章が綴られてゐる。「水上だより」といふ日々の生活記録も併せて竝べられてゐた。
つらつらと眺めながら、昭和二十年に自分が小學生だつたら、どのやうな體驗をしてゐただらうかと思ひを馳せた。
惡い癖でついつい、書かれてゐる假名遣ひや漢字をチェックして了ふ。當時の子供達がどんな表記を用ゐてゐたのか興味があるのだ。當然歴史的假名遣ひが遣はれてゐて、嬉しくなつて了ふ。
なんとこの記念帳が、本になつてまとめられてゐたので購入。區役所と郷土資料館にしか置いてゐないものだ。さういへば、去年の夏も山中和子さんが書いた『昭和二十一年八月の絵日記』(トランスビュー)を讀んで感銘を受けてゐたな。
8月18 日 0 時 30 分現在「正字正假名遣ひの爲のアンテナ」の登録 URI が、全て消失してをります。
復舊の目處がつくまで、
「正字正假名遣ひの爲のリンク集」
に各アンテナの URI をひとまづまとめてみました。
全集に收められてゐない對談も多く收録。
正統表記のものに買ひ直す。
イエスズ會の宣教師ロドリゲスが、1620年に日本語を學ぶ歐羅巴人の初學者の爲に書き上げた本である。
……。
青い空。乾いた風。秋の氣配を感じた。
近所のレストランが夏期限定のサマーバイキングを催してゐたので、お晝に其處へ食べに行く。
ロボット拒否ページについて2 - 更新内容の非表示設定について
はてなアンテナでは、アンテナに登録されたページが更新された場合に、詳細モードなどでそのページの更新内容を表示しますが、ホームページ開設者がこれを表示しないように設定することができます。
更新内容を表示しないようにするには
<meta name="HATENA" content="NODIFF">
というタグをHTML内に設置してください。
歸りに秋葉原へ寄つたら、遠くから太鼓の音が聽こえてきた。誘はれるやうに足を向けたら、芳林公園でお祭りが催されてゐた。
狹いながらも矢倉が組まれ、上で太鼓が鳴り響く中、浴衣を纏つたをばあさん達が踊つてゐる。見ると浴衣の人は結構多い。それもよく花火大會で目にするやうな、けばけばしい極彩色の模樣は少なく、實に澁い柄の浴衣を着こなしてゐるので好感を持つた。
タコ燒きを頬張り隨らオバQ音頭などを眺めてゐた。その内こちらも堪らなくなつて、音頭の輪に加はる。東京音頭と大東京音頭を踊つた。
なにせ盆踊りなんて小學生の時分以來だから、勝手が分からないことおびたゞしい。踊りと言ふよりは、夢遊病者の徘徊である。狐狸に化かされた空けである。足下が覺束無く手首から先が全く動かせない。前の人の動きを必死に目で追ひ隨ら矢倉の周りを踊る。流石に何周か廻ることで少し樂しめるやうになつた。
それにしても、見事な踊りを目の當たりにすると惚れ惚れする。實に滑らかな體の動きなのだ。
新潟へ行く。所用の合間に、万代橋から信濃川を眺めたり、海岸に出て日本海(東海ニ非ズ)を望む。
旅先で『方丈記』(岩波文庫)讀了。
片假名の文章は讀み慣れてゐないので大變だつた。
少なくとも閲覽者が重なる心配はないので、混亂することは少ないと思はれます。ちなみこちらのリンク先のサイト名も「一日一膳」(BM、BlueMarlin 作成)といふ。イラストとテキストなどが中心。
こちらの「一日一膳」は、檢索するとよく眞つ先に出てくることが多い。
職場のマシンに、Macintosh OS X (ver. 10.2) を導入。專門店へソフトを買ひに行つたら、店中に豹柄の模樣がをどつてゐた。
『文藝春秋 美しい日本語』 購入。
福田 逸氏の、ほんの見開き二頁の文章を讀む爲だけに買つたやうなもの。氏の文章に接するのは、實はこれが初めてである。
「言葉 言葉 言葉 オフ會」に出席します。
「言葉 言葉 言葉 オフ會」に出席しました。とても樂しい一時を過ごしました。
九月はコンテンツ強化月間にしたい(でも豫定は未定)。しばらくけふのちやぶ臺は不定期更新にします。
窓の外は雨〜 雨が降つてゐる♪。昔そんな歌があつた。
<meta http-equiv="Last-modified"
content="2002-09-06T00:00:05">
NHK 教育の「未來への教室」に、ガイア理論の提唱者ジェームズ・ラブロック氏が出演してゐた。現在八十三歳なのだがとても元氣さうである。吹き替への青野武氏の聲は結構はまつてゐた。
江古田で古本屋巡り。また本を買ひ込む。本屋の中で矢鱈蚊に刺されて難儀する。
まだ蒸し暑い陽氣。さういへば、秋祭りの季節である。
『妄想ニッポン紀行』、『(続)妄想ニッポン紀行』(講談社文庫)讀了。
久し振りに小松左京を讀んだ。結構、ルポや、ノンフィクションのものは讀んでゐないものが多い。
恆例、オルトフォン・千代田テクノル共催のチャリティ・ コンサートへ行く。けふのゲストは、ドラマーの猪俣 猛氏。なんと會場にはドラムがでんと鎭座してゐる。レコオドをかけて聽くだけでなく、實際にドラムを叩いて解説をするといふのだ。これほど間近でドラムが叩かれるのを(しかも世界的に著名な奏者の演奏を)見る事が出來るなんて。目を皿にして、耳をダンボのやうにして、一擧一動も見逃すまいと息を詰めた。
驚異的なドラミング。じつに勉強になりました。
橋本治さんは昔から結構愛讀してゐたので嬉しい。まう一方の斎藤美奈子さんの著書は、まだ一册も讀んだことがないので、少し調べてみた。
アマゾン・コムを見てゐたら、氣になる記述を見つけた。兵庫県川西市の恵介さんはかう仰る。
言いたいことはわかる。しかし、本書がなにか新しい視座を提示するものかとおもっていたら、さにあらず。ただ「話すように書くことは文の平板化を意味しない」というありきたりなこと(八十年代以降、これが一般化したことは論を俟たない)だけを言いたいがために書かれた本。(略)
しかも、国語国字改革論争や国語教育にまで手を拡げたことで、「誤読」をまぬかれていない部分も少なからずある。とくに、正かな論者の主張は、「二次文献」のみで処理しているので誤解してしまっている。あれだけの資料を駆使したのなら、ポーズとしての文章読本、パフォーマンスとしての文章読本の姿を描くこともできたはずである。
なにやら不穩な氣配。やはり自分で讀んで判斷するか。
近頃「氣志團」といふグループが巷で人氣らしい。
わざわざバンド名に正字を使つてゐるので氣に掛かつたが、をりからの日本語ブームのあほりあふりを受けたものか。それは扨措き、正統表記云々とは、やはり關はりないみたい。
密かにこの正字の使用は、“夜露死苦!”の類ひではないかと推察する。新字で讀んでもよく分からないけど。じつは日本語に一家言を持つ人達だつたら面白い。
ちなみに演奏はまだ聽いたことがない。
御指摘ありがたうございます。これは『私の日本語教室』の中でも、印象的な Episode で語られてゐたのに、すつかり失念してゐました。
私が先に指摘したものが使はれてゐた。しかし斯く言ふ私もお粗末な間違ひは多いです。まづは己が目より梁木を取り除け
。
それからメイルでお知らせしたものは、ごく簡潔な記述にとゞめてゐた爲、今讀み直すと誤解を招くおそれがありました。こゝで改めて補足致します。
「假名」には「遣ひ」をあてる事の方が多い。
「出合つて」には「會ふ」か「逢ふ」を用ゐた方が通りが良い
要町の「熊谷守一美術館」へ行く。住宅街の中にあるのだが、これといつた案内板も見當たらないので、たどり着くのに矢鱈手間取つて了つた。
「夕暮れ」(1970年作)といふ繪を觀てびつくりして了つた。黒地の背景に同心圓を二つ重ねただけの、たゞそれだけの繪。それなのに、繪の前から動くことが出來なかつた。これは夕暮れの繪と言ひ表はせるものではない。あたかも額のなかに夕暮れが收まつてゐるのだ。
赤瀬川さんの言葉を借れば、生々しい、とでもいふ他ない。
私の大好きな「白猫」の繪もあるが、これも繪があるといふよりは、猫としか呼びやうがない猫が目の前にある。
美術館には、次女の熊谷榧さんの作品も展示されてゐる。入口の側の小さな庭に、二體の彫刻(横たはる裸婦と膝を抱えてる人)が置かれてゐるが、これも實に生々しい。遠目からみたら、本當に人が横たはつてゐたり、三角座りをしてゐたのかと錯覺した。
小さな美術館だから落ち着いてじつくり觀るのには、すこぶる具合が良いのも氣に入る。また觀に行かう。
CSS を變更
金木犀が咲き出した。心成しか、あたり一帶がいつも香りに包まれてゐるみたいだ。
翻訳SFファン度調査
私は所謂 S.F. をまつたく讀まない(おそらく日本 S.F. ファン度の調査だとしても芳しい結果は出せないでせう)。たゞ、世の中にはまだまだ知らない本が澤山ある、と感心した。
リストの中に、一册だけ讀んだことのある本を見つけた。トマス・ピンチョンの『重力の虹』(93)だ。今思ふと、何でピンチョンを讀んでゐたのか不思議。
DAC 日記がなくなつてゐる。
DAC’sCollectionOfTextsTexts(2002/09)で新たに仕切り直しの模樣。
新井素子著『今はもういないあたしへ…』(大陸書房)讀了。
久方振りに SF を讀む。素晴しいストーリーと語り口。讀後の餘韻に浸りつゝも、フト表題から「粗忽長屋」を聯想して了つた自分は、救ひ樣のない(以下略)。最近新刊が發賣されてゐたのは知らなかつた。
明治神宮へ行つた。時折小雨まじりのなか、境内へと向かふ。鬱蒼とした木々に圍まれた人氣のない參道は、邊りに靄が立ち籠り別世界の趣き。こゝは廿一世紀の東京なのだらうか。
參拜の際、私の前にゐた人の二拜二拍手一拜が、實に堂に入つてゐた。思はず見とれる。高らかな柏手が、拜殿に鳴り響く。
歸りに近所の東郷神社へ立寄る。境内の側に、小さな池があり水面を覗き込むと鯉がわらわらと寄つてくる。こちらが二三歩動くと、それにあはせて鯉もついてくる。面白い。
「美輪明宏氏に學ぶ」經由。
あなたの誕生日の月齢は、27 です。
あなたの性格
まだ夜が明けきらない東の空で、きらりと輝きを放つ月齢27の月。この月齢生まれには、直感力の優れた天才型の人がたくさんいます。成功が大きいだけに失敗もダイナミック、浮沈の多い人生ですが、持って生まれたバイタリティで乗り切ってしまうのです。また、大雑把に見えるものの、細やかな気配りも出来る人なので、困ったときに手をさしのべてくれる友人も多いことでしょう。傍目には難しいことをヒョイとクリアしてしまうような印象を与えますが、実は人一倍の努力家で、集中力もあります。もっとも、いくら素質があっても、それを維持し向上させる努力がなくては宝の持ち腐れ。月齢27生まれのあなたにとって恐いのは、やれば出来るからと安心してしまうことかもしれません。
…多分違ふ。ちなみに美輪明宏氏との相性を調べてみた。
二人の相性度は、80% です。
お互いに心を許せる、かなり相性のいい組み合わせです。遠慮のない言葉を投げつけあって、傍目には喧嘩をしているように見えても、本人同士は楽しんでいる。そんな、理想的な関係が築けそうです。
と言はれても。