『 いろいろ言いたい広場 』

2003/12/10

「人権問題の認識を!世界人権デーを迎えて」
ケイ
 世界人権デーを迎えて日本でも多くの団体や個人がデモなどを通してその実態を明らかにしています。この人権問題は決して遠い国の肌の色の違いといった問題だけではありません。私たちが住んでいるまさしくその場所でも確かに人権侵害が行われています。

 先日都内のろうあ児入所施設での子どもに対する性的虐待行為の記事をみました。この行為自体問題であるのは言うまでもありません。しかしそのことがきっかけで、第三者の目によってチェックがなされ、職員の手話能力の低さ、コミュニケーション不足が指摘されたことはとても重大な意味をもつことだと思います。そして更に、職員に対する手話研修がどの程度実施されているかや法人の理事会議事録、職員の出勤記録のチェックなどが行われたとのこと。

 今回社会福祉法人の施設がこうしたチェックを受けたわけですが、この「職員の手話能力の低さ」や「コミュニケーション不足」は今の聾学校で日常的に親や子どもたちが感じていることです。そして、その改善は数え切れないほど要望し続けてきています。こうした公教育のチェックはいつになったら実施されるのでしょう。手話を使っているといいながら、片言の手話単語をたまに使う程度で子どもと先生のことばのキャッチボールすらできていない実態がありそれにより明らかな人権無視が行われているということに対して、きちっとした調査がなされるべきであるということを認識してもらいたいと思います。

聾学校においても、この福祉法人に近い虐待やコミュニケーション不足による子どもへの人権侵害が日常的に行われているわけですから、こうした実際に起きている一つひとつの事例を明らかにすることにより、客観的な評価がなされるよう求めていく必要があるのではないでしょうか。

 今回の問題は社会福祉法人であるから、客観的な評価がなされたようですが、これが公立学校への調査となると、例え問題が起きているとしても、恐らく実際に侵害を行ってきた教師や専門家たちにより、形だけの調査しかされないことでしょう。今の評議委員会も学校側の息のかかった手話の全くわからない人たちが「問題がない」ということを認識し合っているに過ぎないことからも容易に想像できます。

 国際人権デーを迎えて私たちの身近で起きている「ろう教育を受けているろう児の人権」について今一度考えていただけないでしょうか。そして、親としてできることは、日常的に起きている侵害実態を公にすることだと思います。しっかりとした調査がなされ早急な改善がなされていくことを期待します。

2003/11/27

「日本手話も認知して!」
ろう児を持つ親
「政府、ニュージーランド手話を認知へ」というニュースをみて大変驚きました。
しかも他の多くの国でも既に手話が認められているわけですよね。
日本でも子どもが使っている日本手話が一日も早く認知され、日本手話による教育が保障されることを切に願います。

も ど る

2003/11/26

「特別支援教育とは?」
トトロ
はじめまして、こんにちは。
文部科学省のいう、特別支援教育とは?どんな教育なのでしょう。
また、聾学校は、そのため、統廃合が進むと言われていますが、
統廃合の原因は何だと思いますか?
もし、ご存じの方がいましたら、教えてください。
よろしくおねがいします。

も ど る

2003/11/23

『「見解」で明らかになったこと』
ピーコ
私は今回のろうあ連盟の見解が出て、ある意味良かったと思っています。
このことにより、手話での教育の選択肢を求めるろう児と親に対する迫害が、単に聾教育関係者からだけではなく、音声・聴覚をコミュニケーションの重要な手段としているろう者(難聴者)によってもなされているという事実が公になったからです。
あの見解は手話を母語としているろう児と親に対する「いじめ」以外の何ものでもないでしょう。

私は音声・聴覚を使っているろう者がいてもいいと思います。
しかし、同じように、手話(日本手話)を大切にしているろう児と親がいてもいいのではないでしょうか。
コメント:
投稿ありがとうございました。(掲載が遅くなりまして申し訳ありません。)ちょっと難しいはなしになるかもしれませんが..。
日本手話は長いろう者に対する迫害の歴史の中にあっても守られてきたろう者の言語です。そして日本においては軽視されがちですが、言語を使う権利、すなわち言語権は、その個人や個人が属する集団に保証されるべきものです。(『言語権とは、自己もしくは自己の属する言語集団が、使用したいと望む言語を使用して、社会生活を営むことを、誰からも妨げられない権利』)それは、子どもに日本手話で教育をさせたいと望む子どもと親に対しても当然当てはまるはずです。こうした国際法や条約、宣言などに批准・賛同しながら守られていない部分が日本にはまだまだ存在します。今後も多くの方に理解していただけるよう、あきらめずに働きかけていきたいと考えておりますので、ご支援をよろしくお願い致します。

2003/11/21

「なんで?」
たか
こんばんは。
ろうあ連盟の見解を読んだ方もいると思います。
これを読んで僕は怒りを感じています。
なんで、わかってくれないんだろうか?
ろうあ連盟の理事は難聴者ばかりで聾児を良く見ようとしない。
地元の連盟関係者は日本手話はダメだと言う。
なぜなら日本手話で相談されたら相談内容を書類に書けないから
だと言う。つまり、日本手話が読めないって訳だ。
日本語対応手話でないと困ると言ってた。
なぜなら、地元の連盟関係者は難聴者だからなのだ。

聾教育の問題は理事会で起きているのではない!
現場で問題が起きているのだ!
会議で、あれこれ討論している場合ではない!
もっと現場の声を聞き何を求めているのか現実を見るべきだろう。
全日本ろうあ連盟の難聴理事達の、くだらないプライド・世界に見栄を
はったりするのは時代遅れである
コメント:
投稿をいただいた内容では地域・個人が明らかにされておりましたが、事務局の判断で該当部分を変更させていただきました。(投稿が遅くなりましたことをお詫びいたします。)また、今後ろうあ連盟とも協力して問題を打開していきたいと考えております。その意味でもろう者・ろう児の思いを伝えることは大切です。これからもご支援お願い致します。

2003/11/13

「私も連盟の見解を見ました」
田辺
私も連盟の見解を見ました。
ろうあ連盟は、申立の中身とあまり関係のないことを書いてますね。
申立をした人が、ろうあ連盟に説明をしてあげれば、誤解だとわかると思いますよ。

2003/11/11

「ろうあ連盟の見解に対する意見」ろう成人より
MU@沖縄
こんにちは、私はろう成人ですが、あの見解文には、激怒しております。
私も、ろうあ連盟宛に抗議メールを送信いたしました。少しでも私たちの気持ちや現場の状態を分かれば良いですが・・・。

皆さま、けっしてあきらめないでください。
ろうあ連盟の中でも、「あんな言い方はないだろう。実にあきれた」
「もっと、幼い後輩のことを考えないのか」と考えるメンバーも少なくありません。

今後も、署名運動を続けましょう。
どれくらい、集めてるのか存じ上げませんが、100万単位になれれば、いくらかれらでも無視することはできないでしょう。

2003/11/08

「ろうあ連盟の見解に対する意見」
苦しんでいる親として
 人権を侵害されている、すなわち社会的に弱い立場に追いやられている子どもと保護者がその状態からの救済を求めたのが今回の申立であることは言うまでもありません。それに対する反対の見解を、強い立場にある人たちが出した場合、侵害されている当事者がよりひどい状態に陥ることになるというのは、誰が考えても容易に想像できることです。
当然今回の申立に対する見解を出したろうあ連盟も承知の上で発表したのではないかと思います。やはりろうあ連盟の会員である、「社会に出たろう者」の問題こそが重大な課題で、子どもと保護者がどうなろうと、関係ないということなのでしょう...。
コメント:
 ろうあ連盟は日本におけるろう者の地位向上や手話の普及に尽力してきた歴史ある団体です。ですから、故意にろう学校に通う親子を傷つけようとしたわけではないのかもしれません。もしかするとこれほど大きな問題が現場で起こるとは予想していなかったのかもしれません。
今後できるだけ多くの方にご理解をいただき、ろうあ連盟とも連携をしていきたいと考えています。

2003/11/07

「子どもの人権」
人権問題に携わる者として
 ろうあ連盟の見解を見ました。
「子どもの人権」と「大人の人権」のうち、前者は緊急性がなく、後者をまずは優先させるべきという見解に読めます。
 実際現実問題として見解が出されたことによりろう児と親たちに更なるな人権侵害がおきているわけですから、法的な手段による強制執行(傷つけられているろう児と親に対する緊急的保護処置)などを求める必要があるのではないでしょうか。
 これほど重大な問題(子どもと親を傷つけているために使われている見解)を引き起こしてしまっているような場合、通常の企業や団体なら早急に対応(訂正など)をすると思うのですが、申立をした方々はこの見解に対して正式に抗議などされていないのでしょうか??
起きている問題の重大性からみて、早急な対応が必要かと思うのですが。
コメント:
 本親の会として、共に力を合わせていけるよう理解を求めているところです。申立を行ったろう児と親は本親の会メンバー以外の方々が多くおられます。また、実際に被害を受けているのも申立を行った方だけではなく広く手話教育を求める親たちにも及んでいます。そうした親たちは既に働きかけをしていると聞いております。投稿をいただいた「人権問題に携わる者」さんをはじめ多くの方がろう児と親たちの置かれている状況を理解しこうした発信などによりさらに協力してくださればと考えております。

2003/11/06

「ろうあ連盟の見解にショック」
P子
 ろうあ連盟の見解を読んで大変ショックをうけました。ろうあ連盟はろう児と親の味方だと今まで信じてきました。どうして、わざわざあのような書き方をするのか、今でもわかりません。
 また、ろう学校で、先生達がこんな話をします。
「成人ろう者たちが反対してるのに、まだ手話を望んでいるの?いい加減にあきらめなさい。手話の授業なんてできやしないんだから。ほっほっほ」と。
子供たちもまた苦しみます。
手話で話しかけても先生は「何?聞こえないよーー」と今まで以上に無視をします。
申立のおかげで、こんな毎日から抜け出せると思ったのに、また逆戻りです。
いいえ、逆戻りよりもっとひどくなりました。

2003/10/31

「現場の一教員として」
さく(聾学校教員)
 一度は投稿しようと思いながら、今日になってしまいましたが、思いきって最近の気持ちを。長くなるかもしれませんが、投稿させてください。 

 現場の一教員として、できることは何かを考え、実践したいと思っています。学校としての方針や、教員養成の問題は一朝一夕で変わるものではないし、自分の手話の力が急に上がるものでもないけれど、今日にでも実現可能なものから始めなくては前には進みません。

 申し立てに対するろう協の見解を読みました。実際に岡本さんからお話を伺う機会を得ていた私にとっては、スムーズに納得できるものではないけれど、今現場で色々な考えをもつ先生方と平行線をたどりつつ日々葛藤している現実を考えると、あれもひとつの率直な反応なのだろうと思います。

 私は今、幼稚部にいます。学校の方針とは異なるのですが、手話でコミュニケーションを楽しめる仲間がいる私の学年の子供達は、本当に生き生きしています。ほんの3,4歳の子供達が、絵本の読み聞かせをすると、こちらがうなってしまうような表現で絵本を受け止め、楽しんでいます。飼っているざりがにの真似をしながら、笑い会う中で、子供との心のつながりを感じます。
 でも、それだけで良しとできず、日々の生活の中で常に日本語との橋渡しの方法を模索している自分がいます。文字や指文字で目に見える言語力に置き換えて、子供の成長を確認したがっている自分。

 学部の方針として遠足などの行事の前に、保護者の方には絵カード作りを求めます。「一緒に行動しながら丁寧に話しかけてもらうため」と言われ、教材を作るのは教師の仕事のはず。と反論を試みたものの、「大切なのは保護者が自分の子供に合わせて工夫して作ることだから。」「子供もうれしくてよく見るから覚えるんだよね。」ということで、却下。経験の長い先生方の意見にはそれなりの裏付けがあるので、それ以上は言えずじまい。そういうものなのかなぁと思ったりして。

 絵カードはなくても、目の前に実物があり、親子でコミュニケーションする手段を持っていれば自然な話しかけは可能だと思うのです、ホントに。
 でも、聞こえる子が自然に耳に入ってくる言葉を覚えていくように、聞こえない子が自然に言葉が目に入ってくるような現実はなかなかないことを考えると、保護者の方がお子さんとどう関わっているかは大きいと思うんです。3歳児には3歳児なりの自在に使える言葉があってほしいと思うと、母親法と言われようとその子に足りない言葉掛けの方法を口出ししたくなる気持ちも確かにあって、ジレンマです。
 とにもかくにも、現場にはいろいろな問題が山積みになっています。ただ、教育方法として取り入れるかどうかになると議論が進みませんが、教師が子供の表現を読みとれる必要が絶対にあるということと、ろうの保護者の方と意志疎通が図れるような手話力を身につける必要性があるということについて否定する先生はいません。

 ものすごく小さな一歩ですが、保育終了後のひとときを先生方の手話研修を兼ねて、子供の様子を音声なしで話し合う時間としてスタートさせました。ろうの先生がいない現場なので、思うようではないけれど、わたしにとってはうれしい一歩です。この時間が日々の忙しさに負けて消えないように、自分自身の心の火を灯し続けないと、と思います。

 本当に長くなりましたが、目の前の子供達のために、お互いがんばっていきましょう。親の会の方々の活動を陰ながら応援しています。

2003/10/27

「賛同署名」
たか
ちは。
北海道からです。
現在、署名に協力している者です。
がんばって!と応援したい。
現在、1000人以上の署名が集まっています。
最終的には何人になるか不明ですが・・・
もっともっと、がんばりましょうね
コメント:
 賛同署名活動への協力ありがとうございます。現在全国各地で署名活動が活発に進められていることをうれしく思います。集められました署名につきましては「ろう児の人権救済申立を支援する会」事務局に送付くださいますようお願い致します。
 ホームページで署名協力のお願いをはじめてから、全国のろう者たちを中心にすでに約3000名の署名をいただいております。引き続き協力をお願い致します。

2003/10/18

「京都で」
手話サークル員
 この間、手話サークルで、聴覚障害者の先生に教えてもらいました。ろう学校で、手話を勉強していないと言うのには驚きです。こんなに広ま っているのに。早速、署名用紙を友人等にまわしています。
 ところで、 署名用紙が、取れるようにホームページに準備してもらえませんか?よ ろしくお願いします。
コメント:
 大変対応が遅くなりまして申し訳ありませんでした。メールでも回答させていただきましたが、親の会のサイト内にも人権救済申立に対する賛同署名を募るページを作らせていただきました。また、署名活動については「ろう児の人権救済申立を支援する会」が事務局になってくださっていますので、署名用紙の送付などはそちらにお願い致します。
 一人でも多くの方に賛同いただき、ろう教育の改善に力を貸していただければと思います。協力をよろしくお願い致します。

2003/10/11

「福祉職場で」
M
職場で、かっての手話サークルの仲間などに署名を呼びかけています。
昨日署名してくださった方は、「ろう学校で手話が学べないなんて信じられない。NHKでさえあんなに手話に時間を割いているのに。」との事でした。

2003/10/09

「アメリカの聾学校をみました」
新米教員
アメリカの聾学校の様子を見る機会がありました。
とても理にかなった教育でした。
日本は何十年遅れていることでしょうか?
何か言いたそうにその様子を見ているうちの校長が印象的でした。
聴覚口話法と手話による教育とどれほど成果に差が出るのかを
少しは身にしみたのかも知れません。

2003/10/03

「普通教育をうけて・・」
スナフキン
はじめまして。
このサイトは学校でつかう研究資料として
はいらせてもらいました。
私はきこえるひとのかよう学校へ小・中・高と学校へかよいましたが
聾学校の教育がこんなに問題になっているとは
なんとなくしっていたけどくわしくはしりませんでした。
というのもろうの方と触れ合う機会がなかなかなかった、というの
もあるかもしれません。

この問題をしって思ったのがろうのひとが口話を学ぶことなら
なぜ、普通教育の場に手話教育がないのか、
なぜ少人数というがけで多いほうにあわせなければならないのか
ということです。

口話はとてもむずかしいけど、
手話は単語だけでもいくつかはおぼえられるようにおもっていまし
た。ろうのひとというだけで話かけにくくなってしまう、
普通教育の現場状況はよくないとおもいます。

でも最近知り合いの小学生と勉強をしていたら
手話や点字の授業がある、
という話をきいてびっくりしました。
おそかれながらそういううごきがでてきたのですね。

私は手話はまだあまり単語もしらないけど
すごくきれいでひかれます。

2003/07/10

「おわび・・」
新米教師
 自分の県の事だけしか考えていませんでした。この前、他県の聾学校教師を見てきましたが、あまりにも次元が違いました。ショックでした。考えてみれば、何十年も聾学校に関わる他県と、数年で普通学校に戻っていくうちの県で、教師の力量が違うのは当然かも知れません。と同時に、私が投稿したレベルと、皆さんの求めているものが食い違うことを実感しました。

そんなうちの県でも大事な子ども達が、毎日生活しています。そして、他の県よりはるかに遅れた学習をしています。高等部を選ぶ際、他の県の聾学校を希望し見学に行ったんだけど、あまりのレベルの違いに、あきらめざるを得なかった生徒もいるんです。

コメントにいただいた
>今回の申立はそういう先生たちのためのものでもあるのです。ろう学校の先生に
>なりたい人のために、養成大学で日本手話やろう者学の講座を作ること、赴任したら、
>ろう学校でも研修が受けられること。それも申立の趣旨に含まれています。
>行政がこのような研修を制度化したら、先生たちにとっても、よりよい教育が
>できるのではないでしょうか?

ということは、絶対に必要です。先日、文科省のものと思われる資料を目にし、いま、水面下では盲・聾・養を一緒にしてしまうという構想が進んでいる事を知りました。盲・ろうでは全く違う専門性が求められます。プリント1枚だけの内容なので詳しくわかりませんが、一緒にしてしまえという発想自体とうてい納得出来ません。少なくとも、現状がある以上、より良くなるとは思えないのです。

まだまだ目先のことばかりしか見えていない私で申し訳ないのですが、何よりも「教育の機会均等」がろう学校においても実現されることを望んでいます。
コメント:
 何十年も聾学校にいて、経験をつんで日本手話を使うことができるようになるのならいいのですが、実際はそうではなく、聾学校生活が長い先生ほど、母親に対する抑圧が強くなるのです。「お母さんが頑張らないからこの子が声を出さないんでしょ」「聴覚を活用できない子なんていないの」「..は通説なの」「今までの経験でわかるの」...。
 親たちは今ある立場でできる限りのことをしています。先生方も隣の芝生を見ているのではなく、限られた時間に何をすべきかを考え最善を尽くしていただけないでしょうか。
 ベテランの先生方に。子どもの失われた日々を返してください。そして、今現在失われている日々を返してください。聴覚口話法の「自称成功者」の陰にどれだけ多くの被害者がいるか。その人たちに目を向けてください。

2003/07/07

「現場の教師を非難しても・・」
新米教員
 新米なりに最近思うのですが、「手話を使う」ということは聾学校において重要と言うより、必要不可欠なことです。しかしそれを現場の教師に求めるのはちょっと酷ではないでしょうか。はっきり言って無理です。時間がありません、間に合いません。こういうのは、手話が使えない教師を当たり前のように赴任させている教育委員会・文部科学省に言うべき事です。
 もし、「手話のできない聾学校教師=無能な教師」なんて言うのが保護者の意識の中に広まって、それが生徒にも意識の中に位置付いてしまったら、何よりも、悪影響を受けるのは生徒以外の誰でもありません。確かに、「手話のできない聾学校教師=無能な教師」は否定できません。だから、そういう人事が行われないように訴えるべきではないでしょうか?だからこそ、このHPに多くの方が期待をよせているんだと思います。
 現場の教師にも確かにひどいのはいます。しかしそれはどこでも同じで、それはそれで問題にしていけばよいのですが、「手話使えない=ダメ教師」なんていう意識を広めてしまうことはやはり間違っていると思います。もし、子供が教師を教師としてみなくなってしまったら、それこそ、ろう学校しか学びの場が無いという地域の子供達は、ますます置いてかれてしまいます。
 ろう教育も含め、私の県における問題点を公にし、広く意見を求めたい事から、微力ながら自分のHPを立ち上げてみました。もし、そこで声を集めることができれば、組織にも対抗できるのではという淡い期待もあるわけです。
 何よりも、子供達のために個人レベルの疑問や不満を集約して、根本的な問題点を解決していけるように、和を広げていきましょう。
コメント:
 現在の日本のろう学校の教員にとって、最も必要とされる専門性は生徒と100%言語で通じ合えるかどうかではないでしょうか?聴者の学校ではあまりにも当たり前のことですが、ろう学校では、まず先生が何を言っているのかわからないというはじめの一歩でつまづきが起こります。それを改善するためにはろう学校教員になる人には、必ず生徒の言語である日本手話の習得が必要です。
 確かに先生方は日々の日常に追われて忙しいでしょう。手話教室に通うといっても日本には日本手話を教えてくれるところは、まだほんの少ししかありません。
 でも、生徒は先生と心から話し合いたい、もっと分かり合いたいと思っているのです。そして世界のいろいろなことを学びたいのです。
 先生が忙しいからといって、生徒にわからない日本語で我慢するようにと思う人はいないでしょう。
 今回の申立はそういう先生たちのためのものでもあるのです。ろう学校の先生になりたい人のために、養成大学で日本手話やろう者学の講座を作ること、赴任したら、ろう学校でも研修が受けられること。それも申立の趣旨に含まれています。行政がこのような研修を制度化したら、先生たちにとっても、よりよい教育ができるのではないでしょうか?
 ぜひ、先生も申立を応援し、先生方の中からもこうした制度を早く現場で実施できるように働きかけてください。
 よろしくお願いします。
コメント:
 子どもは今日もわからない授業を受けています。授業の進度はずっと遅れたままです。先生とまともな会話すらできません。子どもが教育を受ける権利と、先生方の忙しさの緩和とどちらが大切で守られるべき権利なのでしょう。子どもが教師を教師として見るために何が必要なのでしょう?教師としての威厳を保ちつづけることでしょうか?そうではないはずです。なんでも相談できて、なんでも教えてくれる存在こそが教師ではないでしょうか。「お母さんのがんばりが足りないから子どもが声を出さないの。もっとしっかり」と先生に言われつづけている親の身にもなってほしいと感じました。

2003/07/03

「ありがとうございます」
私も新米です
 具体的にいろいろ教えていただきましてありがとうございました。今は学期末でなかなか動けないのですが、夏休みになったら積極的に情報を集めたいと思います。
これからも、いろいろ教えてください。よろしくお願いします。

2003/07/01

「ぶさんへ」
新米教員
 多分、見ている先生は多いのではないでしょうか?でも、うちの県の場合、普通の学校から赴任して、3・4年程度で、また普通の学校に転任するのがごく普通の人事形態なのです。
つまり、手話の必要性はものすごく感じるんだけど、全くゼロの状態で赴任してからではもう遅いのです。だから、多くの先生達はもがきながらも少しでも効果が上がるように片言の手話だけでも覚えて頑張っている状態です。
根本を変えないとどうしようもないのです。はっきり言って、特殊学校に対する県の対応は教育基本法に反しています。今できることで、一番効果が上がると思っているのは、このような問題を表面化させることだと思っています。そんな理由から、自分でもHPを立ち上げて、普通校も含め「子どものための学校」とうたっておきながら、裏事情がどれほど理想からかけ離れているかを訴えているところです。

2003/06/30

『「私も新米です」さんへ』
ぶ 
 新しいところで、何かしたいという気持になれるのが新米の特権!
聞こえないということをたくさん知ることから始めてはどうでしょうか?
  1. 聾者と知り合いになる。
    手話サークルに参加するのが一番いいと思います。いろいろな手話サークルに出てみて、聾者がたくさん参加しているサークルを探すのもおもしろいと思います。
  2. 聾協のイベントに参加する。
    それこそたくさんの聾者と出会えます。1と2は社協で聞けば情報を教えてもらえます。(学校に知られないようにするのが大変という声も聞きましたが・・・)
  3. 聾者が書いた本をたくさん読む。
    これはとても勉強になります。聾者が書いた本はたくさんあります。聴者が知りえない聾者の世界をうかがうことができます。聾者が書いた障害者の歴史の本など正直すごいって思えます。東京中野のワールドパイオニア(社長が聾者 03−3229−2282)にたくさんおいてありますが、図書館にもいろいろ置いてあると思います。
  4. 手話ビデオを見る。
    手話の勉強にもなるし、聾者のことを知ることもできます。東京新宿の聴力障害者情報文化センターで貸し出しをしています。料金は返送時の郵送料190円のみです。
    詳しくは03−3356−1609
    FAXは03−3356−2389
 各県・政令指定都市にも聴覚障害者情報提供施設があり、同様のサービスをしています。ここには本もたくさんあるので、お近くなら行ってみるといいと思います(設置していない県も半分くらいありますが・・)。
この世界はおもしろいもので、自分が入り込むと、聾者や情報が向こうからやってくるようになります。
以上思いつくままに書いてみましたが、ご参考になりましたでしょうか?

2003/06/26

「共に頑張りましょう」
ろう児はろう児
 久しぶりにろう学校へ行ってきました。先生は、大きな声でしゃべり、その声に併せ単語レベルの手話で表現している。手話で表現できない言葉は指文字で表し授業を進めている。あれ?ここは、早期から手話を採用している学校のはず。いくら子どもの目が輝いても、その教え方で子どもは理解できてるの?先生大丈夫?そして、子どもが理解できないのはやっぱり親の責任にしてしまうの?手話を早期から導入しているとい看板だけで中味はついて行ってるの?聞こえる先生、何の進歩もないのでは?
 日本手話が理解でき、日本手話で教えることができる先生が増え、そして、学校に対して大きな影響を与え、我が子がろう児として育ち、学んで行ける環境を早く確立させなくてはいけない、「日本語対応手話採用校の親」さんのおっしゃることが痛いほど分かります。共に頑張りましょう。

2003/06/24

「理想と現実」
私も新米です
このページ、読んでいる先生は結構いるのでは?でも、正直言って投稿はしにくいと思います。

だって、これからどうしたらいいのかわからないんですから。「なんと投げやりな!給料もらってるだろ!!」とお怒りになられる方もいらっしゃると思いますが、申し訳ありません。

もし、具体的に私たちにできることがあれば教えていただけないでしょうか。長期目標として教員の日本手話の獲得が挙げられると思います。では、短期目標としてはを設定したらよいのでしょうか。

2003/06/18

「新米教師さんへ」
ぶ  
 このページを見て、素直に心情を語っていただける先生がいることにほっとしますし、お気持ちも理解できるような気がします。ところで、新米さんの同僚・先輩教師はこのページは見ないのでしょうか?

2003/06/15

「ALOHOHさんへ(キュード)」
ぶ  
 「聴者が勝手に変なものを作ってろう児に押し付けている」 これが私の知り合いの聾者の、キュードに対する怒りの言葉です。
(ALOHOHさんの投稿)

2003/06/10

「ぶさんへ」
新米教師
名前を短くしました。
ぶさんへ
何でこうなっているのかうちの県のケースです。うちの県では、聾学校に赴任するのは、小中学校の教師です。もちろん、聾教育とは無縁の人ばかりです。しかも、小中学校というと、大抵3年位で移動になります。

素人が、聾学校に赴任するわけです。しかも、小中学校の経験しかないものが、高等部に行ったり、幼稚部に行ったりするわけです。つまり、何がなんだかさっぱりわからない状態からスタートします。それは即ち、前からいる先生に従うところからはじめるわけです。

もちろん、何が必要か途中で気付くでしょう。しかし、その時点で自分たちに要求されていることがいかに多く、時間のかかるものかを知るわけです。要求を満たしていくためには、自分の時間を限りなく0にしなければなりません。独身者や家庭を顧みない先生ならまだ良いかもしれません。しかし、多くは自分の時間も大事にしたいのです。その際、浮かんでくるのがもう少し我慢して転勤を待つ。という考えでしょう。ぶっちゃけた話、そうやってあとから来る人に先送りされていることが山ほどあります。先生達が、その学校に愛着を持たないってことは、改革も行われません。これは、どの学校でも同じです。

確かに、今の聾学校教師は必要な力を持ちません。でも、その根本である人事制度そのものに言及しなければどうしようもないのです。責められるべき立場の教師として、今子どものために必要な教師は自分ではない。このことは私自身ものすごくわかります。

根本が変わらなければ、生徒と同じように教師も被害者です。ですから、このHPは希望な訳です。

正直なところ、自分の家庭を犠牲にしてまで子どもに尽くす気持ちはありません。これは、他の学校にいても同じです。もしそうしなければならないのであれば、やはり、人事制度を変えるべきです。
長くなってすみません。
コメント:
 教科指導をしたことがないといった素人教員のろう学校赴任は日常茶飯事ですし、問題を起こして飛ばされてろう学校にくる教師もいます。長く勤務している先生とて、ろう児と会話すら十分にできない状況です。こうした状況を見ていると、ろう児を何だと思っているのかと憤りを覚えずにいられません。ろう教育は教師のためのものではなく、ろう児のためのものです。
 「ろう児のためのろう教育」こんなあたりまえのことがなされていない現状。こうした状況を打破するため、それぞれの立場でできることをやっていきましょう!

2003/06/09

「ろう学校教師は本当に無知?」
ぶ  
 ろう学校の教師が、ろう児が抱えているさまざまな問題をなぜ理解できないのか?という論調がよく見られます。文部科学省に対しても同じ疑問が呈されているように思います。ろう学校の教師あるいは文部科学省の関係者は本当に理解できないのでしょうか?彼らが幾多の難関を突破して今の立場にあることを考えると、彼ら全員が理解する能力を持たないとは思えないのですが・・・。
 かって薩摩が武力侵攻した琉球を、日本はそのまま併合しました。そこで行われたことは徹底した琉球語の否定です。学校で琉球語を話すことは厳禁され、話すと首から札を下げて廊下に立たせるということが行われていました。琉球で行われた「日本語の習得と使用の強制」と、今ろう学校で行われている「日本語の習得と使用の強制」とは、同じ根を持っていると思われてなりません。それは「日本人は単一民族であり、全員が日本語を話す単一文化の国でなければならない」とする考え方です。日本人の多くは心の底に日本人均質意識を持っていて、これは過去も現在もあまり変わっていないのではないでしょうか?特に社会的に力を持っている人ほど、その傾向が強いように感じられます。幸い最近は多様であることを積極的に評価する気運が生まれています。
 皆様の運動が成功するためには、この気運をさらに進めることが是非必要だと思います。それには、「知らずにいる人に知ってもらうこと」が重要だと思い、まずは皆様が救済の申し立てを行ったという事実を回りの友人達に話すことから始めています。ちなみに日本文化の強要は、琉球以外のかって日本が武力で併合した、満州・朝鮮・台湾でも行われていましたが、これらの国は戦後日本の支配を離れました。琉球だけがいまだに日本の支配下にあり、米軍基地を一手に背負わされています。
コメント:
 確かにろう者にとって日本手話による教育が必要だと考える教師はいます。しかし、まだまだ少ないのが現状です。また、聴覚口話法では問題があると認識されている先生は確かにある程度いますが、それに対してどうすればいいのかということを理解できている方も少ないのが現状です。ぶさんが言われるようにこうした申立のこと、ろう学校での実態をできるだけ多くの方に知っていただくことが大切だと思います。その際ご協力いただくこともあるかと思いますが、よろしくお願い致します。

2003/06/06

「反応はありません」
ろう学校新米教員
 邯鄲の歩さんに答える形となりますが、うちの学校では何の反応もありません。っていうよりも、反応したくても精神的に余裕がないのかもしれません。
今日も、「何でこんなに忙しいんだろう」とぼやく先生がいました。聾学校は、普通校ならやらないはずのことが山ほどあります。具体的には、資料作りやら、何でもかんでもみんなで考えようとか、根本は、手話というコミュニケーション手段を持たない事から来る不安にあるのかもしれません。日本手話とまでは行かなくとも、対応手話でもいいから、そういうものを身につけた教師が9割はいるようにしてもらいたい。その一つとして、聾学校に赴任が決まった教師は必ず2年程度は、学校に勤務せず、手話を学べる体制を作るべきだと思います。「子どもと接しながら覚えていけばいい」という、教育委員会(人事側)の無責任きわまりない考え方には、心底頭に来ます。(そもそも、盲・ろう・養をひとくくりで考えていること自体が、間違っている。専門性が全く異なっています!)今いる子ども達のためにも、この会が大きな力となっていくことを願っています。
コメント:
 是非日本手話をろう者から学んでください。「手話単語を使った授業」を行っても子どもの理解は進まないままです。ろう児が100%理解できるのは日本手話しかありません。
 また、対応手話の勉強をいくら進めても日本手話ができるようにはなりません。文法が違うのと、単語の意味そのものが異なる場合が多々ある上、口形も日本語とは全く異なるからです。
 手話が必要であることを認識してこられたのに他の教員から責められえてきた現場の先生方、親たちはそのような先生を心から応援いたします。是非日本手話を学んでください。

2003/06/05

「手話採用校の実績」
日本語対応手話採用校の親
 今までにいくつか手話を採用したというろう学校が日本にはあります。しかしそのすべてが、大した成果もない、学力の遅れが改善したという報告もないのではないでしょうか。私の子供の通う聾学校がまさしくその学校に当てはまりますが、日本語をしゃべりながら手が動いている程度でとても日本手話ができているとも、ろう者と会話が成り立っているとも思えない先生ばかりがしゃかりきになって教えています。

 このHPで言われているように、やっぱり日本語対応手話ではだめです。難聴児には理解不可能です。単語だけ並べたって言語としてはまったく意味がわからないものですもの。
 うちの学校は悪い実績をつくっているだけだと思います。日本手話が理解できる教員が絶対必要です。日本手話ができる先生が増えることを切に願います。
コメント:
 おっしゃる通りです。日本語対応手話採用校での実績がどんなにひどいものか、このHPにもよく親たちの意見がきます。要するに聴覚口話法でやっている教育を対応手話に変えただけなのです。日本手話が使えないので、子どもたちは授業を理解できない上、ろう者のとしての生き方などを教えることができないのです。ぜひこれからもそちらのろう学校の様子など投稿ください。

2003/06/05

「ろうあ協会、同窓会との連携」
さすらい人
 「都道府県ろうあ協会、聾学校同窓会、親の会の3団体全部とうまく連携して聾学校&都道府県教育委員会を少しずつ変えている」とということを実際に実践しているような実例はありますか?
 3団体の「名も無き多数の聾者の声、多数の親の声、組織力」を生かして聾学校に辛抱強く働きかけている実例があれば、具体的な実例を教えて頂ければ、と思っています。
 例えば、遠足行事にろうあ協会会員も参加するとか。
コメント:
みなさんの地域はいかがでしょう?

2003/06/04

「はだしの1500マイル」

 少し前に「はだしの1500マイル」という映画が公開されました。オーストラリアでの白人支配が進むころ、白人(の男)とアボリジニ(の女)との間に生まれた混血児を強制隔離して、キリスト教、英語、白人文化を教育する収容所がありました。物語はそこから逃げ出した女の子がオーストラリアの砂漠を歩いて母親のもとにたどり着くという話です。本人が存命であることから、テレビでも紹介されて話題になりました。私がこの映画を見てすぐに感じたことは、「この映画は昔のオーストラリアの話だけれど、これと同じ事が今の日本のろう学校ではまだ行われている」ということです。多数者による少数者への迫害をよしとする教育関係者はいないでしょう。であるならば、自分達の行為が少数者を否定して多数者の文化を押し付けていることだということに、早く気づいてほしいと思います。
コメント:
 ぶさんのおっしゃるように、学校生活すべてで多数者の行動規範を押し付ける授業が行われています。呼ぶ声に反応して立たせたり、笛の音を聞いて立たせたり、「きこえないよ〜」というはりさけんばかりの声が一日中発せられます。子どもたちこそ「きこえないよ〜」と言って叫びたいはずです。そうした思いをもった子どもたちは席を立ったり、逃げたり、親にしがみついたりといった行動によってSOSを発しています。しかし教師にはそれが見えず、そうした子どもだけご褒美を与えないという「しつけ」をします。いつしか、わからなくても返事をするようになり、言われた言葉をそのまま返す(実際には全くわからない声)ようになり、どんなに不満があってもただ、席に座っているようになります。これが「教育」のあるべき姿ではないことは誰でも理解できるのではないでしょうか。教えているのは多数者である聴者が行なっている(できる)「聞くこと」を押し付けているだけにすぎません。聞こえない子どもをありのままで受け入れている母親が授業に出たあと涙を流して帰ってくることがあります。その母親と子どもの悔しさは映画に出てくる、強制隔離されて全く別の行動規範を押し付けられたアボリジニの女の子の思いと同じなのではないでしょうか。

2003/05/31

「 無 知 」
邯鄲の歩
 今回の申立てで、ろう学校はどのような反応をしているだろうか?いくつかのろう学校では、「うちは手話を使っている。」と言ったそうだ。新聞記事では、きちんと「独自の文法をもつ、ろう者の言語である日本手話」と書いている。しかし、この部分を読んでいないのか、読んでも違いがわからないのか、ろう学校は「手話を使っている」と言う。

 確信犯なのか、それとも無知なのか?手話とは何か?どのような言語なのかを知ろうともしないで、またろう者やろう児とその親の意見にも耳を貸さないで、旧態依然の、もう世界のどこもが失敗だと結論を出した聴覚口話法やトータル・コミュニケーションを未だに支持していることが信じられない。

 ろう学校教員こそ、「日本手話」の知識がなく、日本手話で授業が行えないことは、ろう児の教育ができないことだと知り、この申立てに賛同し、文部科学省や学校に、ちゃんとした研修制度を作るように訴えるべきではないだろうか?
コメント:
 「ろう学校では手話を使っている」と言っているろう学校があることにあきれています。これが何を意味するかというと、「手話は言語ではない」と言っているに等しいのではないでしょうか。言語学的に日本手話が「言語」であることは立証されています。そして日本に住むほとんどのろう者がろう者同士の共通語として日本手話を使っています。その日本手話を使って欲しいという申立に対して、日本手話を学んだこともない教師が「いや、使っている」というのは、ろう者の言語である手話をあまりに見下げた発言ではないでしょうか。「部分的に手話の単語をつけている」というのは決して「手話を使っている」ことにはならないのは当然です。日本の聴者の学校でこんな授業をしている学校が「英語で授業をしている」と言うことができるでしょうか。

「Today は mathematics を study するから some な group に separate してください」

しかもこれと区別することすらできません。

「Today も mathematics を study したくないから some な group に separate しよう」

さらにこの「単語のみ」知っている教師が学校に2、3人いることが、どうして「手話を使っている」ことになるのでしょうか...。


2003/05/30

「これが当たり前?」
ALOHOH
 うちの子供が通っている聾学校は、幼稚部はキュードサインと補助に手話(単語レベル)で、小学部はほぼキュードスピーチ(指文字クラスあり)で、中学部からは指文字・対応手話を使っているそうです。

なぜ学部によってごろごろかわるのか、生徒はたまったものじゃないじゃないですか。と質問したら、キュードは声のためで、中学部になったら社会に合わせて手話・指文字を取り入れていくということだそうです。

変な事が聾学校では、まかり通っているんですよ。更につっこみをいれて、キュードで発声が可能だと思っていますか?という質問には、「少しでも通じれば良いと思います。」だって。まったく困ったもんだ。こういう的外れのことを正しいと勘違いしているんですよ。

幼稚部の帰りの会での様子です。ある生徒が「今日、○さんと食事に行くの。」名前だけキュードで他は手話。
先生は一瞬わからなかったみたいで、しばらく考えて、そして行く手話だけわかったみたいで、
「ママが待っているから大丈夫」ママのところはキュードで他は手話。 
生徒はへっみたいにキョトンとしていたのけど、すぐ何事もなかったかの様に、していた。

私はおいおい、食事に行くって言っているだよ。嬉しくてお話したい気持ちが出ているんだよと思ったんだけど。

玄関で、その生徒に又同じ事を言われて、「本当!一緒に食事するの。楽しそうね。」といったら、その生徒は喜んで「うん」と大きくうなずいたのです。

手話を使っていますと言っても、これじゃあね。

聾学校の先生のここが変ですよ。

コメント:
 なぜ学部によって教育手段がころころかわるか?それは先生の都合ではないでしょうか。要するにキュードが出来る先生が小学部にいてしかも日本手話ができないから。中学部の先生は手話単語を勉強しはじめたばかりだから対応手話。いったい誰のための教育かわかりません。一貫して同じ日本手話という言語で教育するのが一番良いに決まっています。
 日本手話は生徒同士も先生と生徒も100%分かり合える言語ですし、日本全国どこに行ってもろう者同士は100%分かり合えます。
 キュードで教える教育現場の大罪は、授業がわからないというだけでなく、その子が他のどのろう学校でも使っていない手段を使わされているということです。しかもキュードを使い出した子どもはものすごいスピードで表現するようになっていき、教えた先生ですら何度も問い直さないと読み取れなくなってしまうのです。卒業して誰とも語り合えない手段(言語ではない)を教え込まされた子どもが受けた被害はどれほどのものか、誰でも理解できるのではないでしょうか。


2003/05/29

「ろう学校で受けた教育は全くプラスになっていない!」
北のイルカ
 ろう児の人権救済申し立ての情報が南の友人からメールで連絡があった時、早速友人や関係者に情報を流しました。私が受けたろう教育と娘の受けたろう教育で変わらないことは「聴覚口話法教育」の一貫性でした。大人になっていく過程の中で、ろう学校で受けた教育は全くプラスになっていません。卒業後に先輩や手話を通して得る情報の方が新鮮でした。こんな気持ちは、ろう学校で学んだ当事者にしかわらない本音だと思う。聞える人たちに合わせて生きるのでなく人間として対等に生きる事を教えるのがろう学校。聞えない子供たちに合わせた教育を望みたいものです。いまのろう学校は、卒業後は全く卒業した子供たちの心のケアまで役割を果たしていないのが現状でしょうね。特に聞える親たち(すべての親でなく)の問題意識が薄いのが残念です。

 北海道には高等聾学校がひとつで、義務校が札幌、旭川、釧路、帯広、室蘭、函館、小樽にあります。地域によって指導法は違いますが何処も同じなのは「聴覚口話法教育」をメインにしている事です。義務校を卒業して高等聾学校に入学してくる子供たちに地域差がはっきりと見えてきます。高等聾学校の役割はなんだろうと日々疑問に感じています。義務校の果たすべき役割、高等聾学校の果たす役割を明確にしなければならないこともろう教育のあり方の一つではないでしょうか?文部科学省が掲げた「特殊教育支援制度」は聞えない子供たちの人権を守りきれるでしょうか。

 今回の申し立ては、大人の都合で教育を振り回す教育界に一石を投じた事になると思っています。私たち親は、聞えない子供たちに夢を与える事が出来るように社会を変える原動力となろうではありませんか!!

2003/05/21

本当にこれでいいの?
まあ  
 今の「ろう教育」のあり方に、疑問と怒りを覚える者として投稿させて頂きます。

 娘は他の子供より、周りの環境に左右されやすいところがあります。例えば、たくさんの人が見ている学校公開時など、緊張のあまり椅子に座れなくなる、匂いの強い動物がいる公園には入れない、などです。でも、ろう学校では、「なれるため」といって、本人がどういう理由で嫌がるのかを理解しようとせずに、「今は座る時間」と座ることだけを強制しています。又、その場にいるだけでも苦しくてしょうがない場所に、「慣れる為」だからといって、無理やりみんなと同じ行動をとらせる。これは、子供の気持ちをまるで無視した大人の勝手な行動としか思えません。

娘は現在、頭の中で自分がしなければいけない行動は理解していても、何らかのきっかけ(大人や他の子供では大したことがない理由でも、娘にとっては大きな問題)でそれができない状況に自分があるとわかると、泣きます。「先生に怒られる!」と言うかのごとく、先生の写真カードを親である私に見せ、泣きます。

日常会話は全然問題なく、母語である手話と日本語との結びつきもとてもスムーズにできるのですが、心に残った傷はとても深く、大きいようです。「あなたがそれを苦手だと思う理由、私はわかるよ。こういう風にすれば、わかるんだね」とやり方をちょっと工夫するだけで娘は笑顔を取り戻し、冷静になれます。又、自分がこなすべき課題もきちんとこなせます。娘は言います。「私は、(はじめに)流れを説明してもらいたいの。そうすればわかるんだ!」と。もちろん、手話で。

手話で流れを説明してもらえば、どうして今日はいつもと違うのかをきちんと説明してもらえれば、娘は他の子供と同じように課題に乗れます。でも、聴覚口話法や日本語対応手話では、何を言っているのかわかりません。理由もわからないのに、課題なんかこなせるわけがない!

ろうは「目」で情報を得ます。手話ももちろんですが、視覚教材の工夫も大事です。目でわかる情報をきちんと与えることで、「あれ、今何をやるんだっけ?」となったときに確認出来る物もあれば、安心できます。だからと言って教材作りを一生懸命しても、手話でそれが説明できていなければ、せっかくの教材もただの飾りになってしまいます。

こどもに一番必要なのは、自信を持つことだと思います。自信を持つためには「わかる」ことが何よりも大切だと思います。「あの子はできる」「私はできない」を、こどもは大人以上に感じています。できる子だけがどんどん伸び、できない子はほっておく、強制させる。そんなろう教育で、こどもは本当に「成長」できるのでしょうか?聴こえないこどもがわかるためには、絶対、日本手話が必要です。

私事が多い文章で申し訳ありません。でも、娘の涙を見て、他に苦しい思いをしている子供の姿を感じてしまいました。

コメント:
 たとえば肢体不自由の児童が通う学校で、歩ける子を「良く歩けたね」「すごいね」と言って、歩けない子に対して「もっとしっかり歩いて」という先生がいたとしたら、重大な差別発言として社会的な問題になるのでは
ないでしょうか。しかし、ろう学校ではそれが日常茶飯事のこととして行われています。

「ちゃんと聞いて!」
「よく聞こえましたね」
「おはようは?、お・は・よ・う・は? 聞こえないよ、もっとちゃんと声だして、もう一回」
「補聴器ちゃんとスイッチ入ってるの?」
「○○ちゃんはちゃんとしゃべれたね。××くんは聞こえないよー」

こんなことが毎日毎日毎日毎日続けられているのです。こんなことで子どもが自分に自信をもつことができるのでしょうか?まあさんが言われているように、こんな授業のままで健全な心の成長が期待できるはずありません。

 こういった話をすると、初めて聞く人は

「そんなのうそだろ?」
「そんな学校、今の時代にあるの?」「それって教育っていうの?」
「そんなの差別というよりいじめじゃないの」
という反応をされます。
親である私たちははっきりいえます。
これはまぎれもなく、今現在、日本のほとんどすべてのろう学校で行われている授業です。
それに対して意見することすらほとんど許されないのです。
ちょっと発言をしただけで特に母親の場合、烈火のごとく怒られます。

「そんなこと考えているから子どもがのびないんでしょ!」..。
「母親が頑張らなきゃ勉強なんてできるようになるわけないでしょ!」

母親の手を借りなければ、しかも家だけでなく、学校に付き添ってまで協力しなければ成果を出せない、いえ、そこまでしても成果の上がらない教育を何十年も続けていることに対して責任を感じていただきたいです。
成果がないというだけでなく、「先生に怒られる!」と思って恐ろしくて涙を流さなければならないほど心が傷つけられている子どもたちがいるということを真摯に受けてめて、改善していっていただきたいと思います。
聴力に関係なくすべてのろう児に通じる言語は日本手話しかありません。日本手話を使う子どもをしゃべらないと言って叱って泣かせるのではなく、使えない側をいかに改善するかを考えていただきたいと思います。


2003/05/06

情けない!
ろう学校新米教員
 皆さん始めまして。私のような者がここに書き込むのは問題かもしれません。ですが、どうしても話しを聞いて欲しいのです。 私は、今年度から、ろう学校に勤務しています。今までは、小学校に10年間勤務しました。今回の人事異動では、養護学校という希望を出しましたが、ろう学校 ということでした。

 面接の際、校長に手話も出来ない自分の今の状態で勤務する事への不安を伝えた所、ここに赴任する教師のほとんどが何も知らずに赴任する事と基本的に聴覚口話法だから、あまり手話を意識しなくても良いとの話でした。

 赴任してすぐにその校長の言葉に対しての疑問を感じはじめました。なぜなら、生徒同士は手話的なコミュニケーションを行っているのです。また、入学式では、手話ボランティアとスクリーンへの言葉の映し出しの二つの方法で通訳を行っていました。聴覚口話法なら何故こんな事をするのか? そして、2週間が過ぎ、この学校そのものへというより、県の教育委員会そのものに対していくつか大きな疑問を感じるようになりました。

 先ず何よりも、ろう学校に専門知識を持たない教師が派遣されていること。(聾教育の資格があって赴任したのは1%ほどだと思います)手話は一つの言語だと思います。しかもろう学校では最も共有できるものであるはず。教師も生徒も手話を使いこなす事で、コミュニケーシ ョンでき、授業においても、1時間で学べる内容に大きく差が出るのは当然だからです。何よりも、自分の意思が思うように伝わらないというはがゆさは、大変なものであるはずです。

 それが何よりですが、次に、私の担当が高等部と言う点です。私は高校の免許はありますが、小学校の経験しかありません。しかも、私の県では、高校と小中学校では教員の採用枠が違うため、ほかの高校へ 赴任する事は出来ないのです。何故、ろう学校だとそれが出来るのか。おまけに、高校にもかかわらず、専門教科以外も担当させられています。私の専門の担当時間は週3時間、それ以外が週に十数時間も あります。高校生って各教科の専門知識を持つ教師に教わるのが普通のはず。何でここではこんなにいいかげんなのか?

 この事実は、10年間ほかで教員をしてきましたが、全く知りませんでした(恥ずかしながら)。知り合いに相談した所、そいつも「なんだそれ?絶対おかしい!」と驚いていました。こんないいかげんな事が今まで続いていることこそ、上に対する絶対的な不信感となりました。教師の損得だけ考えれば、手話を学べて、専門外の勉強も出来て、経験がつめてといいことばかりですが、生徒はいったいどうなるのでし ょうか?

 新聞社、テレビなどの報道機関に訴えたりしましたが相手にされません。国立教育研究所の中島先生が唯一共感してくれました。ほかにも同じように考える人たちはいないだろうかと、ネット上でずっと捜し ていました。今日始めてここを見つけ、ここならと思い、長々とかいています。ちなみに、この県では、小中教員は3〜4年もすれば転勤です。専門性も高まる前に・・・・。一教員として、本当に恥ずかしいのですが、こんなバカな人事をしている県なのです。

 私が高等部になった理由はただ一つ、ろうの体育連盟の委員にしたかっだけのようです。こんなバカな内部事情です。ただ手話の勉強中。しばらく休んでいるので、本で勉強しています。 いい勉強法などあったら教えて下さい。

ろう学校では手話が必要です。
コメント:
普通の感覚をもった人が見れば、今のろう児に対する環境はおかしいとわかるはずです。ただ、社会に対して閉鎖的である上、親たちに対する情報操作が行われているため、親がインターネットやろう者との接点がない場合、「お母さんが頑張らなくてどうするの!」という教師からのプレッシャーを受けながら必死で「言葉かけ」をする生活になってしまうのです。手話を支持する団体や個人に対する間接・直接的な攻撃もあるようです....。
 どうしてろう学校だけが何の経験もない人が簡単に教師になれるか、何の専門性もいらないのか、子どもとコミュニケーションがとれなくてもいいのか、聾教員免許をとったとしても、そのなかに手話の項目がないのか、ろう児だというだけで、どうして学年に対応した学力がつかない授業が許されているのか....。
 北欧や北米を中心とする多くの国でろう者の手話(アメリカの場合ASL、日本の場合日本手話)で教育をしていますが、当然のことながら聴児と同じ学力が身に付くカリキュラムになっています。
 日本の場合聴覚口話による教育を行っているため、教師自身によって「9歳の壁」(「検証 ろう教育専門用語」)という言葉をつくり、ろう児は9歳の学力レベルで先に進めない大きな壁があると言っています。これはろう児の能力がそうしているのではなく、聴覚口話法というろう児に聞くことを強要し、しゃべるようにさせる方法がそうさせているのです。

 こうした被害を受けているろう児や親は全国にたくさんいます。しかし、さまざまな圧力があって、改善するために声を上げるといったことができない場合がほとんどなのです。
今回投稿をくださった先生のような普通の感覚をもった方がもっと増えていってほしいです。
これからもぜひ投稿をお願いいたします。

2003/05/02

「程度が低い!」
被害者
 先日小学部から幼稚部にきたばかりの先生と色々話をしました。その先生は割に聾唖者に理解があると聞いていたので手話についても話しました。
そして、「学芸会や運動会の練習は猿に芸を教えているみたいでかわいそう!子ども達のためになってるとは思えない!子ども達は楽しく練習していないし、一番大切な達成感が得られていない!」と言いました。するとその先生は、「お父さんそんなことはありません!自分達は猿に教えてるつもりはありません!」と言っていましたが、少なくても自分にはそのように見えるのです。

聞こえない子ども達がこんなことができるようになった!それをまわりに発表して自分達教師が満足しているだけではないでしょうか?

誰のための発表会なんでしょう?

話しには続きがあります!

この教師と会話してから幼稚部の教師、担任も含めて自分に対する態度があからさまに変わったのです。担任は「授業を見に来てるんですから、昼休みは先生と話をしないで子ども達と遊んでください!」と言われました。自分は父です平日休みの時は必ず聾学校に行っています。

手話の重要性を理解しており自分のよき理解者である先生と昼休みに話し込んでいたのが気に入らなかったのでしょう!その先生も手話に対して理解があるために学校では不当に扱われているような気がします。程度が低くてあきれました。子どもと遊ぶのは見学に来ている父親の仕事なんでしょうか?教師の仕事ではないんでしょうか?

また、ある若い女性教師は今まで愛想がよかったのに最近自分を見ても挨拶もしなくなりました。目が合っても顔をそむけます。

どうしようもない学校です。

学校の教師は親の意見が自分に対して気に入らなかったり、不利益になる場合は無視するんですね!真摯に受け止めて改善しようとはしないんですね!

税金泥棒です!自分が教師をやりたいくらいです!最近学校に行くのが嫌になってきてます。

教師は先生と呼ばれる資格があるのでしょうか?人間性を疑います。そして、こんな馬鹿な人たちに子どもを預けていいんでしょうか?

なんだか愚痴になってしまいましたがこれが子どもの通う聾学校の実体です。
コメント:
 大人気ないというか本当に程度が低いと言わざるをえません。親と学校の意見が異なるのなら、無視するとか、相手にしないとかではなく、真剣に話し合うのが当然のことです。やはり社会に対して閉鎖的な体質が長くつづくとこうした部落意識や村八分のようなことが行われても何も感じなくなってしまうのかもしれません...。
 地域によっては学校の方針に反する発言を公の場でした父兄が校長に呼ばれてかなり厳しい注意を受けるという事例もあるようです。また、幼稚部で辛い思いをされている方は全国にもたくさんいます。それらの様子を聞くと、これが教育???と思うようなことが平気で行われているようです。
 聞こえて返事ができたらご褒美がもらえ、聞こえて立つことができたらほめられる。だれもわからない奇声でも返事をすれば頭をなでられる...。子どもが手で何を表現しても耳に手をあてて「聞こえないよー!」「もっと声を出して!」「わからない。もっとはっきり!」という始末。
 こういう行為は「教育」や「しつけ」と言うのではなく「調教」というのではないでしょうか。丸一日かけて、そして、毎日毎日こうした餌付けのような行為が続けられて、果たして子どもの心は豊かな成長をしていくことができるのでしょうか。
 子どもはありのままで受け入れられ、子どもから発するすべてのものを親や教師は受け取ってあげなければいけないのではないでしょうか。

 こうした屈辱を受けておられるろう児とその親たちの声なき声をしっかりと伝えていかなければいけないと思っています。

2003/04/26

「どうしようもない!」
聾児の父
 あきれてしまいます。先日と同じ新聞にまた某聾学校の記事が出ていましたが、内容は相変わらずでした。聾学校に入って見てみると手話を使っている子どもはおらず体育館では声を出しながらバスケットをしていたり、きゃーきゃー言いながら幼稚部の子ども達は遊んでいた・・・教頭は「なぜ手話を使わないんだ!」と言う厳しい指摘も受けますが。我が校では子どもの伝えたいという気持ちを大切にしています。と書かれていました。

その教頭は聾唖者との話し合いでは「手話を禁止はしていない」と寛大なことを言っていたらしいですが新聞記者に対してはこんな回答しかしていないのです。

おまけにこの地方では知らない人はいないだろうと思われる難聴の某元スポーツ選手を引っ張り出し「学校の発音訓練は厳しかったけど。こうして話せるようになったのは先生のおかげ。感謝しています。」とのインタビューまで載せていました。

この元スポーツ選手はテレビのドキュメント番組にも取り上げられて番組の中で「手話は絶対使わない」と紹介されていましたが、彼の高等聾学校の同級生の話では、それは嘘だということがわかりました!同級生達は彼に「なんであんなこと言ったんだと!」せめたそうです。そして彼は同級生に謝ったそうです。今回も有名人の彼が表立って学校批判などできるわけもなく、仕方なく優等生的発言をしたとしか思えません。

この聾学校は腐りきってます!情けなくて子どもを預けるのが嫌になります。

また。この新聞社にも前回の記事に対して抗議のメールを出しましたが返事など当然なく、いきなり昨日の新聞記事です。

あきれてしまいました。

手話に理解のある新聞社などないんでしょうか?この新聞社には何を言ってもダメみたいです。

コメント:
 このHP内でも紹介しているように、最近はかなりの新聞社やマスコミが日本手話によるバイリンガル教育について載せるようになってきています。これらは、世界的にそうした動きが既に進んで立証されていることであり、さらに今までの日本のろう教育で被害を受けたろう者やろう児を育てた親たちがはっきりと声を出すようになった結果です。今回投稿のあった地域はそうしたろう者や親たちの声に耳を傾けない場所なのでしょうか。
あるいは、海外の聾教育について全く知らないのでしょうか...。どちらにしてもあきらめずに声を出しつづけていきましょう。各地でそのような運動がはじまっているように、きっとそこでも必ず道が開けるのではないかと思います。

2003/04/19

「えほんでもすでに」
まあ
 新聞で聴覚口話法をすすめる記事が掲載されていたとの事。山形ろう学校校長が、すでにまったく同じコメントをしている絵本があります。聴こえない子ども達だけで買い物に行き、声でいろいろ聞くのですが、誰も助けてくれない、という話です。でも、締めくくりはその問題とはまったく関係ない内容で終わっているのです。実話を元に描いているそうです。かわいい絵なのですが、内容に大いに疑問をもっています。PHP研究所 14の心をきいて つちだよしはる

コメント:
 某新聞記事の問題(「ばかばかしい」)に加えて、絵本についても投稿をいただきました。子どもの心を育てる上でとても大切な役割を果たす絵本のなかで、「耳で聞き」、「口でしゃべる」ことがすすめられているのでしょうか??
聞こえない子どもの通うろう学校で「聞こえた子ども」と「しゃべれた子ども」が誉められる授業をすることがどんなに大きな問題を引き起こしているかわかっていないのでしょうか..。
誉められた方も虐げられた方も重大な問題があとあとまで残ることを、この差別的な授業を経験した親たちは知っています。

2003/04/10

「ばかばかしい!」
聾児の父
 先週の日曜日の某新聞に聴覚口話法をどんどん勧めるみたいな記事が出ていました。言葉の発声につながる絵カードの紹介記事だったのですが、学校側のコメントは「聾学校といえば手話を想像される方が多いと思いますが我が校では聴覚口話法でやっています。」と自慢げにコメントしていました。自分は「なんだこれは?」と首をかしげてしまいまいた。新聞社に抗議したほうがいんでしょうか?どうしていいかわかりません。

コメント:
 あきれてしまいますね。地域によってはとんでもなく遅れているところがあるようです..。
聴覚口話法で実際に被害を受けてきたろう者やそれを実感しているろう児をもつ親たちがしっかりと声を上げていく必要があるのではないでしょうか。権力のある人たちの意見を鵜呑みにして出来た記事などにより実際に被害を受けるのは他でもないろう児たちです。昭和初期に始まった口話法で、ろう者教員の排除と手話の禁止がろう者たちにもたらした影をいつになったら拭い去ることができるのでしょうか。



       

2003/03/10

「バイ・バイろう教育研究会 第一回大会に参加して」
ヤイヅ
 先日、慶応大学で行われた、バイリンガル・バイカルチュラルろう教育研究大会に参加してまいりました。初日の、ガリモア博士、シャリ氏の記念講演でバイリンガル教育の可能性を理解できました。2日目の午前中は、木村晴美氏市田泰弘氏の「子供の手話の分析」によって、子供に与える手話の有効性がよくわかりました。そして極めつけは、龍の子学園の発表で、初日、2日目の午前の講演の内容を、まさに「一目瞭然」にして見せてくれました。バイリンガル教育の有効性だけでなく、すでに実用性まで証明されていました。客席には、全国のろう学校の教師も来ていてため息をついていました。
 よく、ろう学校でキュードから指文字に変えたときなど新入生からの導入でそれまでの学年はそのまま古いプログラムで卒業まで行うような話を聞き、このバイリンガル教育でも新生児からでないと無理なのかと心配していましたが、この龍の子学園では、中学部でインテ経験が大半の集団に対し、きちんとバイリンガル教育を授けることのできるプログラムを持っていることに驚きました。代表の竹内さんはまだまだ検証が必要だとの謙虚な発言をされていましたが、私はこの研究大会を見て、今度の4月からでもろう学校の教育の運営に充分対応できる実力を感じました。



も ど る

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