僕のシネマパラダイス

Take 6,「オードリーにみつめられて。...」

  「大脱走」以外にも、テレビの前に、うちの家族を釘付けにした映画は たくさんある。
 オードリー・ヘップバーン主演の「ローマの休日」もその一つ。
 「大脱走」の様な手に汗握る面白さではなく、ロマンチック・ラブ・コメディという謳い文句
 通りの、笑いと涙のラブストーリー。
 ハッピーエンドじゃないけれど、なにかさわやかな感動を残して終わるこの映画に、家族
 一同大満足。
  当時高校生で映画研究部に所属していた僕は、偶然部室にあった「ローマの休日」の
 ポスターを見つけ、先輩に「これ、もらって帰ってもいいですか?」と聞くと、先輩は「ああ、
 ええよ」と快く許してくれた。しかしその当時、文化住宅の1階に住んでいて、自分の部屋
 が無かった僕は、このポスターを、事もあろうにトイレに貼った。(貼るなよ〜!)
  会社から帰って来た親父がトイレにはいり「お〜い!こんなポスター貼るなよ!
 オードリー・ヘップバーンに見つめられて、小便なんかでけへんわ〜。」と言う。
 僕も「そうやな、トイレなんかに貼ったらヘップバーンが泣きよる。」と反省し、そのポス
 ターは机の中でしばらく眠ることになる。
  その後うちの家族は小さいながらも2階建ての家に引っ越しし、僕は待望の自分専用
 の部屋を与えてもらう。
 「ローマの休日」のポスターもしばらくの間は貼っていたけど、やがて別の物に貼り替え
 られ、再び眠りにつく事になる。
 今でも実家のどこかに眠っていると思うけど、どこにあるのかは解らなくなってしまった。
  映画は白黒だったけど、きれいなカラーのあのポスターに、今度はいつ会えるのか。..

ローマの休日
「ローマの休日」
1953(米) 監督:ウィリアム・ワイラー 出演:オードリー・ヘップバーン.グレゴリー・ペック.エディ・アルバート

 ヨーロッパ各地を親善旅行中の、ある小国の王女アンは、毎日の公式会見に疲れ気味。ある夜、訪問中のイタリアの首都ローマの大使館から、眠れない王女はふと思い立って街へ出てみる。やがて寝る前に飲んだ鎮静剤が効いてきて、道ばたのベンチに体を横たえる。そこへ通りかかった、アメリカの新聞記者ジョー・ブラッドリーは仕方なく彼女を自分の下宿に連れて帰り、明くる朝、彼女が王女であることを知る。ジョーは特ダネを物にするために王女をローマの街へ案内する。自由を楽しむ王女の姿を密かにカメラに納めるジョー。
いつのまにか二人の間に恋が芽生え始めるのだったが、とうてい実を結ぶ恋では無いことをお互いに解っていた。  数日後、王女の記者会見の場でジョーとアンは、無言の別れを告げあった。
 巨匠ウィリアム・ワイラー監督が、アメリカ映画史に残した不朽の名作。この映画で、主演デビューしたオードリー・ヘップバーンは、その年のアカデミー主演女優賞を獲得した。
Take 7,少年忍者映画から学んだこと

  33年ぐらい前「少年忍者ワタリ」という、当時では珍しい実写とアニメを組み合わせた
 子供向け忍者映画が上映された。 時代劇には欠かせない、今は亡き名優「大友柳太郎
 さん」・「牧冬吉さん」らを脇役に回し、「仮面の忍者赤影」の青影役だった「金子吉延さん」
 が主役を演じていた。見ている僕らと同年代の主人公が活躍するこの映画に、胸が躍った
 のを覚えている。
  この映画が封切られる少し前に、上映する近所の劇場で「割引券」なる物が配られた。
 割引券という物を初めて手にした僕らは、150円の入場料が130円になるという事で、
 無性にうれしかった事を覚えている。...映画が封切られて、学校の友達どうし3人で、
 割引券を持ってウキウキしながら見に行った。僕が手にしていたお金は、全財産が150円。
 だけど割引券があるから130円で入れる。残りの20円で、お菓子でも買おうと思っていた。
 しかし映画館の前に来て、友達の一人「K君」が、お金を落として100円しか無いと言うのだ。
 もう一人の「S君」は「150円持ってきた」と言うので、結局僕の150円、S君の150円、K君
 の100円と割引券で、3人分の入場料390円を払い、10円のおつりをもらう。
  僕らはこの10円で、一袋のお菓子を買い、3人で分け合いながらの映画鑑賞。...
 映画も良かったけど、割引券という物のありがたさ、10円の重み、一袋のお菓子を3人で分け
 合って食べた思い出。.. あの頃はそれほど深く考えなかったけど、今から思うと、映画以上
 の感動を経験させてくれた出来事だった。
 
少年忍者ワタリ
「少年忍者ワタリ」
1966(日) 監督:? 出演:金子吉延.大友柳太郎.牧冬吉.内田朝雄.

 当時少年マガジンに連載中の「白土三平」原作の人気コミックを、東映が実写映画化。
大がかりな特撮や、実写とアニメを合成させた画期的な映像で、全国の少年少女ファンを魅了した。
東映はこの映画を足がかりに、テレビ用子供向け時代劇「仮面の忍者赤影」を放送し、これも大人気を得た。

Take 8,「お前ら、エマニエル見たか?」

  高校時代、「エマニエル夫人」が上映された。『文芸ポルノ』という、変な単語まで生み出し
 たこの映画は、日頃ポルノとは縁のない女性達の間でも大評判だった。
 「すごくきれいで、いやらしさを感じさせない。」というのが女性達のもっぱらの感想だった。
 好奇心の強い僕も、もちろん見に行ったけど、「な〜んや、普通のポルノと変わらんやん!」
 と思ってしまった。
  学校で授業中、教科担当のE先生が「ところでお前ら、エマニエル見たか?。見た者は手を
 あげて。」..もちろん誰も手をあげない。「おっ、誰もいてへんのか?。..わしは昨日、見に
 行ったけど、もう始めから終わりまでアレばっかしやった。文芸ポルノとか、きどった事ゆうて
 るけど、しょせんポルノはポルノや。..」すると生徒の一人が「先生、僕らまだ18才未満やで、
 見に行けるわけないやん!」と言うと、「なにをゆうとんねん!お前らの誰かが○○劇場(学校
 の近くにあった、成人向映画専門館)に出入りしてるのは知ってるんやで〜。まあ、わしもちょく
 ちょく行ってるけどな。..おっと、しょうもない事ゆうてんと授業、授業!。」...
  金八先生のような熱血漢もいいけど、E先生のように、時には教育者らしからぬ言動で、
 生徒をひきつける先生も必要じゃないかなと、今ふと思う。
 E先生は当時40歳ぐらいだったから、もう定年退職されたと思うけど、こんな先生、
 今でもいるのかな?

エマニエル夫人
「エマニエル夫人」
1974(仏) 監督:ジュスト・ジェーキン 出演:シルビア・クリステル.アラン・キュニー.マリカ・グリーン

 外交官の夫を持つ若妻「エマニエル」は、セクシーな肢体と魅惑的な微笑、少女のように純粋な心をもっていた。そんな彼女が、さまざまな男性、女性と性体験を重ねていき、はかり知れない性の世界へ入っていく、それは貞淑な人妻から奔放な女への変身だったが同時に自由な女への飛翔でもあった。
 デビット・ハミルトンふうのソフト・フォーカスの優美な画面。 主演のモデル出身シルビア・クリステルは当時22才。監督のジュスト・ジェーキンは34才、モード・カメラマン出身。若いスタッフによるパリのエッセンスを詰めこんだファッショナブルな映画。

Take 9,映画オタクだった部長

   僕が勤める会社は、ある大手FA機器メーカーの、外注工場で、今から18年ぐらい前、
 メーカーの方から出向で、Tさんという人が技術部長として迎えられた。
 T部長はたたき上げの技術者で、まだ若造だった僕にはとても大きな存在だった。
  ある日僕は、京都府舞鶴市にある、お客さんの会社へ出張していて、後から来たT部長と
 いっしょに帰る事になった。...大阪行きの帰りの電車は、最終の普通電車しかなく、僕は
 それまであまりT部長とは話した事がなかったので、電車の中でT部長の技術論をたっぷり
 聞かされるのかな?と思っていたら、「S君(僕の事)の趣味は?」と聞かれ「そうですね〜。
 映画鑑賞とか。...」と答えると、「そうか〜、僕も子供の頃から映画が大好きでね〜。家に
 は映画のパンフレットが山ほどあるよ。」とおっしゃる。..T部長は僕以上の映画オタクで、
 それから大阪までの2時間半もの間、我々二人の映画放談は、えんえんと続いた。
  T部長は「今までの僕のベスト1は”第三の男”。見てなかったら絶対おすすめ!もう何度見
 ても面白い!」と、まるで子供のような顔で、僕に自分のベスト1である「第三の男」について
 語り始める。
 それまでは古典的な名作をあまり見ていなかった僕は、T部長の強いすすめもあって、この
 映画が無性に見たくなった。そしてある日、大阪梅田の「ニューOS劇場」でリバイバル上映
 された。当然見に行った僕は、その日の最終の上映を見て、T部長の言う通りこの映画に魅
 せられ、明くる日もまた見に行くのである。
  T部長はうちの会社に5年ほどいて、その後また別の会社へ出向されてしまい、もう10年
 以上お会いしていない。T部長のベスト1だった「第三の男」は、僕もすっかり気に入って、
 テレビで放映された物を録画して、今でも大事にしている。
  この映画を見る度に、T部長と電車の中で語り合った映画放談と、子供のように楽しそうに
 映画の事を語るT部長の顔を思い出す。

第3の男
「第三の男」
1949(英) 監督:キャロル・リード 出演:オーソン・ウェルズ.ジョセフ・コットン.アリダ・ヴァリ. 第三回カンヌ映画祭グランプリ

 大衆作家のホリー・マーチンスは、旧友のハリー・ライムの招きでオーストリアのウィーンを訪れる。だがマーチンスを待っていたのは、自動車事故で死亡したハリーの葬式であった。マーチンスはその帰り道、国際警察のキャロウェイ少佐から、ハリーが悪質なヤミ屋だったと聞かされ呆然とする。だがマーチンスは翌日、ハリーの友人と名乗る男やハリーの恋人で、舞台女優のアンナたちから、事故の様子を聞かされ、ハリーの死に不信感を感じ始める。「ハリーの事故現場にいたのは彼の知人ばかりではないか?」ハリーの死体を運んだのは二人の知人だと聞かされていたマーチンスは、事故を偶然目撃したと言うアパートの門番から、ハリーの死体を運んだのは二人ではなく、もう一人「第三の男」がいたという事を聞かされる。その男はいったい誰なのか?・・・
 ハリー・ライムを演じる名優オーソン・ウェルズの印象的な登場シーン。全編に流れるアントン・カラスのツィターの音色。地下水道での追跡シーンなど・・・みどころをあげればきりがない。キャロル・リード監督の最高傑作である。

Take 10,進路を決めさせた「サウンドオブミュージック」

  高校3年の頃、卒業してすぐ就職するか、それとも進学するか、おおいに悩んだ。
 中学の頃は、「どうせ大学に行っても勉強なんかせ〜へんから、工業高校で専門知識を
 勉強して、卒業したらすぐ就職や!」と意気込んで工業高校に進学したはずなのに、ここ
 に来て、「やっぱり大学に行こうかな〜」と思い始めた。親は「好きなようにしたらエエ。」と
 言う。...なんとなく受験勉強を始め、O社の模擬テストなんかも受けていた。
  やがて夏休みが終わり、就職希望者はどんどん就職試験を受けに行く。再び「やっぱり
 初志を貫いて、就職すべきかな。」と、また迷い始める。...ある日、自分自身に問いかけ
 てみる、「どうして大学に行きたくなったのか?勉強したいからか?いやいやそんなはずは
 ない。ただ単に、高校を卒業してすぐに社会に出るのが、怖いだけなんだろう。」と、優柔不断
 な自分がいやになる。...
  気分転換に見に行った映画が、リバイバル上映の「サウンドオブミュージック」主人公の
 修道女マリアが、7人の子供がいるトラップ家の家庭教師に行く事をシスターから命じられる。
 自信のないマリア。...それでも彼女は行く。...自分を奮い立たせるように歌う「自信を
 持って」という歌。...なんか僕に歌ってくれてる様な気がした。
  それから僕は受験勉強をやめて、就職試験を受けようと担当の先生の所へ行く。...
 もうすでに10月半ばも過ぎ、ほとんどの就職希望者は就職先が決まり、求人簿にわずかに
 残された企業の中から、僕は今のエンジニアリング会社に就職し、今でもその会社で頑張って
 いる。仕事も自分にあっている様だから、これで良かったのかもしれない。
  僕の進路を決定づけた映画「サウンドオブミュージック」と、マリア役のジュリーアンドリュース
 が歌う「自信を持って」。..また何かに悩んだ時は、この映画を見ようと、家にはビデオがある。

サウンドオブミュージック


「サウンドオブミュージック」
1965(米) 監督:ロバート・ワイズ 出演:ジュリーアンドリュース.クリストファー・プラマー.エリノア・パーカー

修道女マリアは、明るくて歌が大好き。暇さえあれば修道院を抜け出して好きな歌と野山をかけまわる事ばかり。...そんな彼女に
シスターは、妻に先立たれ、7人の子供がいるトラップ大佐一家への家庭教師を進める。古風で厳格なトラップ大佐の教育方針に反発を覚えたマリアは、大佐がウィーンへ旅たった後、子供達に音楽を教え、野山を駆け回る楽しさや、木登り、ボート遊びなどを経験させる。...やがてフィアンセを連れてウィーンから戻った大佐は、マリアのやり方を厳しく責め立てた。だが、自分たちを迎えるために子供達が歌うコーラスの美しいハーモニーに耳を疑い、自分の教育方法の間違いを恥じ、マリアに心から感謝するのだった。
 この映画から世界中で大ヒットした「ドレミの歌」の他、「私のお気に入り」・「エーデルワイス」など名曲がいっぱいで、単なるミュージカル映画ではなく、家族愛と反戦をベースにした娯楽大作である。


Take,1〜 5 

Take,11〜15

番外編 

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