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 [001] 大きくなったら何になるの?  投稿者:SATTON  投稿日:1999/12/07(Tue)

 よく飲みに行って、店の女の子から「どんなお仕事されてるんですか?」と聞かれ、
「システムエンジニア」と答えると、「えっ、かっこいいですね、よくわからないけど。」といわれる。
そういうときは「システムエンジニアっていうのはね。簡単にいうと、工場によくある機械やロボットに、
命を与えている仕事かな。」てな事をいったりする。
 子供の頃よく大人から「大きくなったら何になるの?」と将来の夢を聞かれ、
「システムエンジニア」と答えた記憶はないし、そういう単語さえ知らなかった。
 よくよく考えると、子供の頃の夢をそのまま実現した人は少ないはずだ。僕の周りにもほとんどいない。
小学生の頃、ある同級生は「大きくなったら、野口英世のような医者になって、
不治の病で苦しんでいる人を助けてあげたい。」などと、クラス中が感動するようなことを
いっておきながら、今はりっぱに家の跡を継いで寺の坊主になり、
不治の病で苦しんで逝った人を葬る仕事をしていたり、
「家の跡を継いで果物屋になる。」と言っていたやつは、水商売の世界に入り、
フルーツカクテルを得意とするバーテンダーになっていた。
 僕自身はといえば、その頃ブームだったアニメ「鉄腕アトム」や「鉄人28号」のような、
ロボットを作る科学者になりたい、と思っていた様に記憶している。
授業中に自分で考えたロボットの設計図なる物を、ノートに書いてみたり、
「アトムが10万馬力だったら、鉄人は何馬力やろ?」
「体の大きさから計算すると・・・」などと、
友達同士で無意味な研究会をしてみたりしていた。
今現在、制御盤の設計図面を書いたり、「このモーターの容量は何馬力必要か?」などと、
少しは子供の頃の夢に近い仕事をしているのかも?。

 [002] みつめられて・・・  投稿者:ひで  投稿日:1999/12/07(Tue)

僕の最寄りの駅近くに、割と有名な英会話スクールがあり、
そこの講師らしき外国人達と、時々電車で一緒になり、
「話しかけられたらどうしよう。」てな不安が襲ってくる。
心なしか周りの他の人たちも、なんか目が合わないようにしているようにも見える。
だけど、冷静に考えれば、日本のスクールに勤めてるのだから、
少しぐらいの日本語はしゃべれるはずだろうけど、...
ところが先日その外人さんと目があってしまった。...
向こうは優しい目でちょっとニヤリ。...
少しうれしかったけど、よくよく見ると僕ではなく、
隣にいた女子高生に微笑んだだけだったようだ。
こういう勘違いって、中学生の頃、授業中に好きな女の子の方を見ると、
向こうもこっちを見ていて、なんかうれしかったりしたら、
向こうはただ窓の外を見ていただけだった・・・なんてな
少しすっぱい思い出と似たような感じがした。 

 [003] 音声認識機能?  投稿者:ひで  投稿日:1999/12/07(Tue)

ますます進化を遂げるコンピュータの世界だけど、最近「音声認識機能」なるものが開発された。
こいつはキーボードをたたかずに、マイクの前でしゃべるだけで、文書を作成してくれるらしい。
だけど会社のみんながこういう機能を使い出すと、うるさくて大変だろうな。
しかも大阪人にとっては、ついつい普段通りのコテコテの大阪弁でしゃべってしまうと、
そのまんまの文書が作られてしまうから、完璧な標準語が話せないと、
ちょっと使いこなすのは無理だな。と思っていたら、
噂では「方言認識機能」てなものまで開発されていて、こいつは日本各地の方言に対して、
自動的に正しい標準語に変換してくれるらしい。
 そのうち最近のコギャル言葉「チョーOK」とか「なんかぁ〜まぁじ、むかつくんだけど...」
なんてな、おじさんたちが理解できないような言葉も、
正しい標準語に変換してくれるような機能も開発してほしいんだけど。..

 [004] やせればいいってもんじゃないよな〜  投稿者:ミキパパ  投稿日:1999/12/07(Tue)

新聞の折り込み広告で、ダイエット食品の通信販売のものが、最近よくはいっている。
「スリム○○○」とか「スーパー○○・・」とか色々。..
みんな宣伝文句は「食前に飲むだけで、たちまち効果があらわれる!」とか、
「これぞ究極のスーパーダイエット食品!」てな具合で、おまけに実際に試した人の
使用前と使用後の写真付きで、「はじめは半信半疑でした、
だけど一ヶ月でみるみるおなかの贅肉がおちていき、今ではマイナス10キロ。
もう感激!」なんてな体験談まで載っている。
以前からこういう広告はけっこうあったんだけど、最近のは写真付きだから楽しい。
だけど、やせてる人よりどちらかというと「ポッチャリ」した人の方を好む僕には、
時々「この人、使用前の方がいいのにな〜。」と思う事がしばしばある。...
やせればいいってもんじゃないよな〜。

 [005] 通信販売の変な物  投稿者:SATTON  投稿日:1999/12/07(Tue)

うちの女房は「S会」とか「Nセン」という通信販売の大手に入会していて、
毎年季節ごとに、分厚いカタログが送られてくる。
今まで買ったのは、子供用の「洋服かけ」・「ハンガーセット」・「小物収納BOX」等といった、
別に通販で買わなくても、大手スーパーにでも行けば、似たようなやつはいくらでも売ってるぞ!
といったたぐいの物ばかり。...
だけどこのカタログというやつが、見ていてけっこう楽しい物で、ついつい見入ってしまう。
特に健康器具のページが傑作で、以前「つぼ押しマット」という物があった。
これは人間の全身をかたどった、カーペットの様な物に、つぼのポイントが記されていて、
そこに丸い積み木のようなブロックを置いて、そのカーペットの上に寝転がるという物。
使わないときは、玄関マットにでもするのだろうか?
人の家におじゃまして、いきなり玄関の上がり口に、人体をかたどったカーペットがあるなんて、
とてもおしゃれとはいえない。まるで交通事故の後、亡くなった人の死体があった場所を、
路上にチョークで記してある様なイメージである。おもわず合掌してしまう事だろう。

 変な物と言えば、下着のページに載ってあった「防寒用ボディスーツ」というやつも結構怪しい物だった。
これはベージュ色の薄手の生地で、顔・手首・足首以外の全身を包み込む物なんだけど、
男用と女用があって、男女の外人モデルがこれを着て、ポーズをとってる宣伝写真が、
なんか妙にエッチっぽい。...それにどうやって着るのだろうか?
多分背中にチャックがあるんだろうけど、おそらくひとりで着れるとは思えない。..
これを着ていって、たまたま健康診断なんかがあったらどうするのだろうか?
女ならともかく、大の男が同僚に「ねえ、悪いけどチャック降ろしてくれる。」なんて言うのは、
ちょっとアブノーマルな雰囲気が漂ってくる。...
一番変なのは、血液型によって分類された「コンドーム」。..
なんか意味があるの?..
血液型によって大きさや形が違うなんてな話は聞いた事がない。
まったくもって意味不明。..
だけどカタログを見ながら、こんなアホな事を考えて、
笑ったり考え込んだりしている僕の方がチョット変??

 [006] コレクションは「ベルマーク」  投稿者:ミキパパ  投稿日:1999/12/07(Tue)

コレクションというか、人はなにか一つの物にこだわって、それを集める習性があるようで、
テレビ東京の「なんでも鑑定団」を見ていると、「そんな物集めてどうすんの?」
と思ってしまう物を集める人もいる。
僕も昔は「切手」「映画のチラシ、パンフレット」等、わりと一般的な物を集めていた。
しかし先日、娘の小学校から「ベルマーク」を集めているので協力して下さい。
月に一回袋に入れて学校に持ってくるように、との事。
 そういえば僕も小学生の頃は、同級生と競い合うように集めた記憶がある。
母親に頼んで食品や日用品は、全てベルマークが付いているメーカーの物を買うようにし、
公園のごみ箱や道ばたに落ちている、ベルマーク商品の包み紙まで拾い集め、
母親に「そこまでせんでもええやないの!」と怒られても、懲りずにせっせと集めていた。
 そうやって必死に集めたベルマークを学校に持っていき、職員室で得意満面に、
担当の先生に「先生!ベルマーク持ってきました!」と、ベルマークがぎっしり詰まった箱を差し出すのだが、
先生は「ああ、そこの箱にいれといて〜。」と、無表情で段ボール箱を指さした。...
「シラ〜。・・・」ああ、..そうだった、こんなにがんばっても、
別にごほうびをもらえるわけではないんだ。...
その時僕はなんともいえないむなしさを感じてしまった。
それ以来僕は特に執着して集めることもなく、母親からもらった物だけを持っていくようになった。
 あのベルマークはどのように使われたかは知らない。
しかし学校側が持ってきた生徒に対して、「ようがんばったな〜。ご苦労さん。
ありがとう、これで跳び箱が買えるよ。」くらいのほめ言葉を言ってあげないと、
集まらないだろうな。...

 [007] 古きよき時代のアイドルたち  投稿者:ひで  投稿日:1999/12/07(Tue)

先日たまたまテレビを見ていたら、「歌の大辞テン!」とかいう歌番組で、
昭和49年夏のベスト10、とかいうのをやっていた。
ついつい見ていると、デビュー当時の14歳の浅野ゆう子や、
17歳の郷ひろみ達のVTRを放送していて、非常に懐かしかった。
特に浅野ゆう子は、その当時別に何とも思わなかったのに、今見るとすごく可愛い。
なんであの時好きになれなかったのか?などと無意味な後悔をしてしまう。...
こういう懐かしのVTR(特に歌番組)を見せられると、「ああ、そういえばあの頃俺は、・・・」
などと、その当時の思い出が、歌とともに頭によみがえってきて、
うれしくなったり、せつなくなったりして、つかの間のタイムスリップを楽しむことができるのだ。...
あ〜あ、昔は良かった。...

 [008] ヤクルトレディーはかっこいい  投稿者:SATTON  投稿日:1999/12/07(Tue) 23:17:36

女房子供が留守の間、誰かが家のインターホンを押した。

またなんかの訪問販売かなと思って、いやいやインターホンに出てみると
ヤクルトの販売員(ヤクルトレディーというらしい)らしい。
そういえば毎週買っていたのを思い出し、
インターホン越しに「いつも何を
もらっているんでしょうか?」と訪ねたところ、
「ジョア」の5本入りだというので、
それをもらうことにした。
 家のドアをあけたら、販売員の女性は年齢20代後半から30代前半といった ところの、
なかなか美人で、感じのいい主婦(らしい)だった。

「いくらですか?」
「はい!570円です。」
「じゃ、600円から。」・・

ほんの二言三言の会話に、ここちよい緊張感を感じてしまった。
お金を渡すと「いつもありがとうございます!」と、ちょっと素敵な笑顔で、
おつりをくれるときに、両手わたし(左手で僕の手を握って、右手で
お金を手のひらにおく)してくれた。...
なんか一瞬、体の中に、さわ
やかな空気が流れ込んだ。
 彼女は、柑橘系の淡いコロンの香りを残しながら、風のように去っていった。
帰ってきた女房に「ヤクルトの人が来たから買っといたで〜」と言うと、
「あっ、そう。あの人、美人やろ?」
「そっ・・そうかな〜」

「うれしかったんとちがうの?」
今度は気まずい緊張感を感じてしまった。

本当は「来週もまた会いたいな。」と思っていた。...
これってちょっと浮気かな?

 [009] 国境徒歩横断の話  投稿者:SATTON  投稿日:1999/12/07(Tue) 23:27:30

海外での面白い体験の一つに、マレーシアに出張中、マレーシアとシンガポールの国境を、
徒歩で横断した事があります。

マレーシアとシンガポールをつなぐ約1.5Kmぐらいの陸橋(コーズウェイと云う)があって、
国境はその橋のほぼ中央にある。
 普通の観光客は、電車やバスで横断するんだけど、欧米のバックパッカー達や、
地元のマレーシア人達は、徒歩で横断する人がけっこういる。
僕もそんな人達に混じって、徒歩で横断した。
まずマレーシア側のイミグレーションでパスポートを見せ、
出国の印を押してもらい、橋を歩き始める。
けっこう長くて、おまけに気候は日本の真夏と同じだから、汗がダラダラ出てくる。
 橋のほぼ中央まで来ると、道路の舗装状態が変わる。
シンガポール側の方が少しきれいなので、その切れ目が国境だという訳。
国境を自分の足で踏みしめて、シンガポールのイミグレーションをめざして、残りの半分を歩く。
 すれ違う人々は、ほとんどが、マレーシア人(マレー系、インド系、中国系)で、
たまにリュックを背負った欧米人。さすがに日本人らしき人はいなかった。
 シンガポールのイミグレーションに到着し、今度は入国手続きをして、シンガポール入国。
シンガポール市内を地下鉄でブラブラし、ちょっと買い物をして、また徒歩でマレーシアへ戻る。
 タクシーでマレーシアに入国するときは、入国検査で日本人だとわかると、
税関でスーツケースを開けさせられて、入念なチェックをされるんだけど、
徒歩の場合は入国検査のあと、車とは別の税関をくぐるせいか全然甘い。
僕はリュックの中に、女房へのおみやげのブランド物のバッグを入れており、
見つかれば10%の税金を支払わなければならないのに、ノーチェックで全然何も言われない。
それどころかお互いに、スマイルを返すだけ。
きっと中国系の地元民だと思っているのだろう。
 国から国を徒歩で移動するという経験も面白かったが、
国境の境界線が、はっきりと目に見えた事にも笑ってしまった。

 [010] 自動車教習所の鬼教官たち  投稿者:ひで  投稿日:1999/12/07(Tue) 23:39:17

車といえば、ドライバーの誰もが通る、試練の道「自動車教習所」。
今は車も良くて教習所の教官も、やさしい人が多くなったみたいだけど、
僕が入所したのは今から22年前。
その頃の教官達ってメチャメチャ厳しかったよね。
怒鳴られたり、頭をこずかれたり。...
教習車だってポンコツで、クラッチのタイミングが、
乗る車によって毎回違うから随分苦労した。
 仮免検定・路上教習。そしていよいよ卒業検定。...
卒業検定にめでたく合格し、卒業証明書をもらい
「もうこんなとこ、二度とくるか〜!」と、
ツバでも吐いて帰ろうかと思っていたら、
さんざん怒鳴られて、一番憎らしかった教官がやってきて
「おめでとう!安全運転してや。」と言って、笑顔で握手してくれた。...
なんだか目がウルウルしてしまったのを覚えている。
厳しかったけど、人間くさい人が多かった。..おかげでいまだに無事故でいる。


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