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12月27日(月曜日)

<サザンカが満開だった>
みんながあわただしく出勤しているときに部屋の中から眺めるのは気分がよいですね。しかし、僕のほうも少し遅らせてあわただしく出かけた。行った先は京都植物園だ。今日が最後とWebで確認したためだ。本当は火曜日の寒気が収まったときに行こうと計画をしてたのだが。この植物園は大きくて、気をつけてみていると園内にいろんな撮影ポイントがある。その目を持たないと単に通しすぎてしまうでのであるが、なかなか興味深い植物園であります。まずはサザンカを撮影した。今が咲き始めなので、花びらが傷んでないから、全景の写真でも問題ない。水仙も咲いていた。春先の水仙とはまた花の大きさが違う品種だ。少し冷えてきたところで、暖房の効いたガラスハウスに入る。もう蘭が咲いている。本格的な蘭展は1月28日からだそうだが、いくつかは撮影できた。一つの花を6台のカメラで撮影するから時間を要するが、花の表情をつぶさに観察できるメリットもある。よく見ると汚れていたり、虫が付いていたり。花相の良いものばかりを選んで撮影した。今日はベコニアが満開だった。ベコニアの黄色の花はデジカメでは写せないので要注意だ。大概グリーンに振れますね。ベコニアは広島の植物園に見事なものがある。少し太陽が弱くなったので時計を見ると午後2時。冬の撮影時間は限られている。自宅に帰り着いたのが4時。食事を作って出かけたのが5時半。門真のなみはやドームがこの辺りでは唯一オープンしているプールである。ここは水深1.4mで僕としては泳ぎ続けてないとおぼれる深さである。3kmを1時間少々で。ここは競泳用のプールであり、プールの周りの壁が高い、1.7m位ありそう。1.5mの身長の僕としては何度か懸命にジャンプしてやっとプールからはい上がることが出来た。手の力も抜けているのからなおさらだ。熱いシャワーを浴びて、暖まった体と濡れた髪のまま自転車に飛び乗り寒風の中を家に向かって走り抜けるのはいつものパターンだが、今日は頭皮が痛くなるほどの寒さでしたね。いささか厳しいものがありました。
12月26日(日曜日)

<23日に東京に行ったとき、新幹線で見えた富士山>
昨日からの寒気が今日も続く。今日は年賀状の作成だ。毎年何日かを要して年賀状を書いているが、今日は一日で仕上げるつもりで朝から取りかかった。便りの基本となるのは外国を旅したときの写真だ。戸井十月さんの「ユーラシア大陸横断の旅」NHKBshiを見て以来、すっかり地元の人とうち解けることにはまってしまった。もちろん仕事で行くから、同じようなことは出来ない。空港で飛行機を待つ時間とか、食事でレストランに入ったときとか、いろんな機会を見つけて地元の人達に接触してきた。その写真実に15,000枚ほど。その中から引っ張り出して、想い出とメッセージを綴った年賀状に仕上げた。年賀状は15種類作成した。友人、知人達には、この中でもっともふさわしいものを印刷した。
12月25日(土曜日)
ありがたい話である
今日は寒い。窓が露で曇っている。北海道、東北地方は大雪の警戒が出ている。大阪でも初雪が舞った。あまのじゃくの私は、こんな時こそ自転車に乗るべきだと思い、自転車で出かけた。耳だけが寒かった。少し前、角川さんがメールをくれて、一緒に飲もうとお誘いがあったからだ。ついでに用事を済ます、用事というのはキタムラカメラでフォトブックの注文をする事だ。自分の写真が本になるのは結構感動ものだ。そこで、この店の写真に詳しい責任者の方に話を伺った。写真はどうして店によって色が違うの?同じ写真をいろいろなキタムラカメラさんで印刷したが、それぞれ色が違う、と言う質問である。彼曰く、色の違いはあり得る。PCのモニターをスキャンして念入りに調整しても、若干の誤差が出る。それが店に依る色の違いだ。なかなか正直で嬉しい。僕のフォトブックは、「色修正せずに焼いてくれますか?」、「Ok」との事で、フォトブックマシーンにインプットした。普通写真屋さんで印刷をすると、自動的に色や明るさ補正が施される。こちらの意図とは違う写真に仕上がるのだ。そこで、このような注文を出すわけだ。インプットは少々とまどったが30分で2冊分の注文を済ませた。そして難波の高島屋の前で待ち合わせたが、お互いに高島屋の定義が違い、久しぶりに会うのに、合ったその時から文句を付けてしまった。目当ての焼き肉屋は未だオープンしてない。それで、道頓堀まで歩いて入ったのが「餃子の王将」。久しぶりの餃子は旨く、集中的に頂いた。3時間くらいこの店で粘った。酔っぱらいのおじさんが大きな声で叫び合うので、周りの人に迷惑をかけただろうな。仕事を離れても、こうして声がかかるというのはありがたいことだ。酒を飲んで自転車で帰るのは東京時代以来で懐かしかった。1時間ほどで帰り着いた。一時間も寒風にさらされると酔いが抜けてしまいます。
12月24日(金曜日)
クリスマスイブだというのに
僕は明日から休暇を頂く。今年はよく働いた。夏休みも返上して働いた。連休も仕事をした。今年は免許証の書き換えの時だけ半日休んだだけだ。それに、年明けはすぐに出張だ。それで、自分の体のために休暇を取ることにしたのだ。仕事の締めくくりをするために少し遅くまで仕事をした。そして、外に出るとものすごい寒さ。その中を歩いて帰った。スーパーで食材を買い、食事を作って寝た。わびしい生活だが、今週は忙しかったので、こんなわびしさでも嬉しいのである。それにこんな一人生活にも慣れてきた。
12月23日(木曜日)
昨晩は遅くまで飲んでいたが、今日は朝早く起きて出かけなければならないのだ。栃木県に住む昔の仕事仲間が定年を迎え、送別会を開催しないままのお別れとなっていたので、東京で送別会を開催することになったのだ。お互いに長距離を移動しての再会となる。場所は秋葉原の万世橋の袂にある「肉の万世」さん。秋葉原は電気街でもあるが、有名な肉屋さんもあるのだ。1時に待ち合わせて入館した。そして注文の段になると、K氏は肉が食べられないという???。最近の検査で腎臓病に引っかかり療養中と言う。腎臓は自分の母も煩っているので食べ物にいろいろと支障がある事を知っている。申し訳ないことをしたといいながら僕らはビールたらふく飲んだ。しかし、いろいろと話すことができて嬉しかった。一緒に来ていただいたFさんも、意外な面でKとの関係があったという。僕の想い出の写真はiPadで披露した。こういう時に便利ですね。秋葉原の駅で、TV局の取材に当たった。「テレビ局のものですが」、それで「私もテレビのものです」と返した。「どんなテレビでしょうか」と来たので、「薄型テレビのものですが」と返事をすると去っていった。どうやらジョークは通じなかったようだ。TVに登場するようなキャスターはそれなりのトンチに対応できるが、現場の取材をする人達は、別会社の請負業務だから、基本的にはまじめなのだ。もうTV業界も4兆円を切る厳しい状態になっている。それなのにTV局は増えるものだから、ますます実入りが少なくなっている。マイナスに拍車をかけるのはネット。アップルのiTVはすでに100万台の出荷をしたそうな。発売後1ヶ月で100万人がiTunesに接続して、レンタルの映画やTVを見ていることになる。帰りの新幹線でも、iPadに保存した雑誌を読みながら帰った。これはすばらしい。3兆円のアップルは年に60%程度伸びているという。
12月22日(水曜日)
ファジー会
いろんな人間関係があるが、仕事を離れての人間関係は長く続きますね。12月の中旬は出張だったので、いろんなつきあいがこの年末に集中した。そして今日は、「本来の目的は楽しく旅行する」グループだったのに、いつの間にか、お酒を飲む会に変身してしまったファジー会の忘年会なのだ。そこへ僕の田舎の友人であるT氏が東京から、たまたま明石に転勤となり、彼を加えて4人となった。今日はメンバーの一人が、仕事で福井まで出かけるという。そして車を自宅に戻してからの参加と言うことで、彼の家の近くである尼崎に食事の場所を設定した。お寿司屋さんで双葉寿司さんを予約した。後でわかったことだが、この店は尼崎のお寿司屋さんとしては老舗。老舗と言うことは、味は確かと言うこと、そして従業員がおばあさんだと言うことだ。巻きずしを注文したが、なかなか来ない、どうしたの?と聞けば忘れてましたとか。「さつま白波(焼酎のこと)は無いの?」、店の人「ありません」、「じゃ、普通の焼酎を」、店の人「さつま白波が一杯だけ残ってましたので入れてきました」ホントいい加減ですが、そこに味がありますね。夜も更けて今年のファジー会は解散。
12月21日(火曜日)
山下さんを囲む会
昔の職場で一緒に昇格試験を受けたメンバーが集まって飲み会をする。それが、この会だ。今回は僕が幹事。それで、自宅の近くにある「はじかみ」さんを設定した。ここは味が一級だし、気心が知れている。ところが問題が発覚。僕は一日日を間違って予約をしたのだ。それで、確認すると、もう座敷が空いてないという。ありぁ〜。みんなそれ相当の地位についている人なので、カウンターで良いかな?と思いながら招待をした。僕の送った地図が間違っていて、皆さん15分は付近をぶらついたとか。2つの失点を抱えて懇親会は始まったが、おいしい料理とつきない話題ですっかりうち解けてしまい喜んでくださった。ホント良かった。次回もここにするとみんなが言い出した。面目躍如。
12月20日(月曜日)
夜行便の疲れ
先日ベトナムから帰るときは夜行便だった。その疲れが未だ取れない。若い頃は一晩ぐっすり眠れば疲れは取れていたのだが、今では1週間くらい眠らないとモトの状態に戻らない。それで、今日もPCの画面を見ているときにものすごい睡魔に襲われた。仕事は早めに切り上げて退散した。夕食を作る元気もなく、いつもお世話になっている「もとや」食堂で頂いた。430円だった。この食堂はいつも満員で、テーブルは相席だ。店のおばちゃんが案内しなくても、客は空いている席に勝手に座る。今日は僕の前にいかめしい顔つきの40歳前の男性が座った。刺身だけで、瓶ビール1本。大根の漬け物で、更に瓶ビール1本。静かに、じっくり酒を飲む人だった。このような人を旦那さんに持つ奥さんは料理さえ安くしっかりと作りさえすれば、男はお金を持って帰ってくるだろうな。典型的な日本人の家庭を築きそうな人物だった。親しい人から「おまえは変わっている」と言われて、もうかれこれ40年近くになる僕としては、このような男性は理解の範疇を超えている。
12月19日(日曜日)
ipadの設定はなかなか旨くいかず、結局昼過ぎまでかかってしまった。このPCのUSBがどういう訳か途中で切断されるのだ。itunesも更新をしたら、音楽のギャップを認識するとかで2時間以上もHDDがからからと回っていた。保護シートの貼り付けは見事失敗して気泡だらけとなった。文章を読むためにはPDFリーダーが必要で、itunesに残してあった残金1500円を使ってソフトウエアを購入した。PCで読むよりか少し文字が小さいようだ。写真の同期の仕方もネットに掲載されている使い方と少し表示が違いとまどった。最新のitunesソフトウエアは細かく変更をしているのだった。しかし、夕刻前には見事使い方をマスターして終了した。プールは2.5kmを1時間15分。平時の時と比べると、15分程度遅い。
12月18日(土曜日)
飛行機は4席の内、僕の並びは2人しかいなくて、上空に達すると隣の人には悪いが、3席を使って横になった。これは効きますよ。僅か4時間半の飛行とはいえ、深夜の移動は寝るに限ります。朝が楽なのだ。朝飯もキャンセルしてひたすら眠ることにした。関空には午前7時15分に到着した。ベトナム航空はシンガポール航空と違ってスゴイ暖房で、少し汗をかいてしまった。ボーディングブリッジを渡るとき、そうだ、今は冬だったんだと想い出した。夏と冬の繰り返しだった長い出張もこれで終了。ラピートで途中まで仕上げていた報告書を書き上げて区切りをつけた。自宅に帰り着いたのが10時前、熱い風呂に入って再び寝た。2時にしっかりと目が覚めた。体力が戻ってきたぞ。昨日の晩から何も食べてない。無性にお醤油が食べたい。と言うことで、くら寿司へ。腹が減っているはずなのに7皿しか口に出来ない。そうだ、考えると余り動いてないから食事が旨くないわけだ。今日はipadを購入するのだ。それでヨドバシカメラに出かけた。この商品は専門の担当者がいて、いろいろと煩わしい手続きを手際よく説明してくれる。ipadで何をするのかと言えば、3つである。一つは本を読む。一つは、写真を見る。一つは映画を見る。このうち、写真だけが国内にいるときに使う機能で、後の二つは、出張の時に利用するつもりだ。今日は少し歩いただけで凄く疲れた。まだ体力は戻ってないようだ。夜は「ジュリア&ジュリア」を見ながら酒を飲んだ。出張中に持って行った映画は不作ばかりだったが、この映画はメリルストリープがなかなか良い演技をしていていやされる。特に料理のシーンはなかなか良い。
12月17日(金曜日)

<サイゴンのライトアップ>
朝7時半に出発をすると言うから、6時にレストランに降りていった。完璧に睡眠不足の状態だ。ここは前に来て宿泊した事があるホテル、ホーがあることを覚えていたから、すかさずそれを注文した。調理をする人も一緒だった。そして、彼女は言う「ホーと同じだが、少し違うと答えた」。そうだ、想い出したぞ、前回も同じ事をいったようだ。前回はよく聞き取れなかったが今回はわかった。朝飯につゆ系の食べ物を頂くのは誠に食べやすい。パン系の乾きものは噛むのに時間がかかる。今日の仕事は午後4時過ぎに終わる。仲間がシンガポールに帰るためだ。空港に向かう途中で一軒だけ販売店を覗く。大型のモールだ。アジアのモールは総じて暗い。暗いが活気がある。3階にあるスーパーマーケットも覗いた。こちらはインドと同じく、荷物を預けて買い物をする方式だ。ベトナムはものすごいオートバイが路上を行き交うが、空気の悪さに多くの人がマスクをしている。このマスク実用的な働きの他に一種のファッションを兼ねている。それで、これを東京の飲み友達に買って帰ることにした。ピンクのかわいいものだ。一緒の仲間はいつも果物を買って帰る。シンガポールは果物の持ち込みが自由なのだ。彼は両親思いだ。その彼も来年の10月に結婚すると言う。そして、その結婚式に参加して欲しいと言われた。今年3月に知り合ったばかりだが、ずいぶんと信用してくれたものだ。彼女のほうは、3月に一緒に食事をしたので知っている。来年の10月末、どんなことがあっても駆けつけなければならない。中国人の結婚式は果たしてどんなものなのか興味もある。彼の友人の一人も知っている。その後ホテルに送ってもらう。道中タクシーの中で、世話してもらっているセイさんにいろいろとベトナムの生活を聞いた。中でも印象深いのは、オートバイのことだ。この街はオートバイだらけ。セイさんも5人家族なのに、バイクが6台あると言う。そして、先ほど結婚した妻は、バイクを2台持ってきた。家族全員で8台のバイクがあるという。なんともはや。僕は荷物を預けて市内の撮影に出かけた。昨晩、めぼしい撮影どころを見つけたからだ。ホーチミンは1千万人が暮らす街だが、夜は暗い。それで、クリスマスネオンや、建物の照明が非常に映えるのだ。撮影はLX5を使いスローシャッターで収めた。スローシャッターは、沢山の車を光の帯に変えてくれる。自由時間が来たところで、感じの良い店を選んで入る。もう、言葉が通じないと言うことは慣れましたね。何とかなるのだ。ここはメニューがベトナム語で全く不明。若い女性店員にも通じない。適当に注文すると、親父が出てきて、同じものを注文しているのでどちらかを変更しろと言う。分かったのは「チリ」。つまり、両方ともチリ系の料理だったのだ。飯はどうするのか?と聞かれるので、ヌードルと答えた。これが失敗、と言うか、量が多すぎるのだ。生野菜も盛りだくさんだ。えぇ〜い、おなかを壊しても、もう仕事はないから食べてしまえと言うことで、風味豊かなベトナムの野菜を頂きました。この野菜名前は不明だが、自分で蒔く生春巻きとかに提供される。ヌードルはホーのこと。熱いスープの中に自分で適度な量を入れていただく。一寸凝った食べ方。スープは軽いが一寸酸っぱく、ぴりりと刺激的だ。大変いい出汁がでているものでした。この中にも野菜があり、一つは蓮の茎、一つはオクラ。こんな所にオクラを使うのか。このセンスはいい。スープは全部のみ干した。スープの中に入っていた魚は出汁を出し切ったのか、味はなかった。ホテルに帰り、ホテルがシャワーをサービスしてくれると聞いていたので、30分だけの限定であったが利用させてもらい、灼熱のなかを歩いた汗を流した。ホテルの従業員に行く先と、レシートが必要なことを伝えてタクシーを手配してもらった。ベトナム航空なので、ラウンジは使えず、空港のロビーの椅子を4席占拠して横になって少し眠った。眠るのは危ないと言われているが、レストランの側だったのでかまわないだろうと踏んだ。丁度の時間に目が覚めたが、案内は15分程度遅れると言う。守ってもらったお礼にレストランでタイガービール400円を飲み時間を費やした。そういえば、最初の頃の海外出張は、最後の晩に、お疲れの意味を込めて、レストランでビールを飲んでいたことを思いだした。午前0時45分に関空向けて飛び立った。
12月16日(木曜日)
朝4時に起きて、5時のタクシーで空港に向かう。今日はタイからベトナムのハノイに向かう。タイ空港のラウンジで朝食を頂き時間まで過ごす。バンコクからハノイは2時間弱だ。とにかく睡眠不足を補うために飛行機の中はひたすら寝るだけ。ハノイは出迎えもなく、安全なタクシーを捜して、それに乗り込む。行き先はベトナム語で書いた住所を持っている。運転手は気楽に請け負ってくれたが、近づいてくると迷ってしまい、あちこち行ったあげくやっと到着した。僕は前に来たとき付近の風景を撮影していたので、事務所に近づいてくると、現在位置がわかった。タイでも経験したが、アジアには地図を読むことができない人が沢山いる。こんな明確なことはないのに、全く訳が分からないらしい。当然地図を書くことも出来ない。運転手はチップを差し引いて僕に返した。ちゃっかりしている。20,000ドン。100円相当だが。ハノイは寒い。日本と同じくらい。オーバーやダウンをきててもおかしくはない。僕はネパールよりも寒い。寒いネパール→暑いバンコク→寒いハノイと移動している。昼飯は、このビルにテナントで入っている店で頂く。ホーを注文した。量が少ないので、もう一杯注文した。満足したが、これは失敗だった。食事の後、豪華な果物が出てきて、そのあとに、バナナが出てきた。全部は食べきれない。こちらで、夕刻5時まで仕事をして、空港に向かった。こん夕はホーチミンまで行くのだ。空港のロビーで、簡単な焼きめしを食う。ナシゴレンです。悪い油を使っているようだが、胸焼けをしないのは、キュウリも一緒だからだろう。ハノイ〜ホーチミンは1,500km位あるから、北海道と大阪くらいの距離がある。ホーチミンの気温は25度で今度は暑い。ずいぶんと気温の変化を経験した、体の方もどんな対応をしたらよいか迷っただろうな。午後10時ホテル着。睡眠不足でふらふら。晩飯は無し。
12月15日(水曜日)

<矢印がエベレスト、赤丸がベースキャンプ>
朝5時半起床、6時45分出発。あわただしく出かけたのは、今日は飛行機に乗ってヒマラヤ山脈を見に行く計画があるからだ。観光ではありません、山の写真を仕事に使うためであります。それで、こちらの責任者の方も同行された。あいにくと空港は霧が出て出発が大幅に遅れるらしい。待ち時間の間、出発ロビーをうろうろうろしていると、どうやら結婚を控えた家族にあった。花婿が民族衣装を着てたから、多くの人が彼らの写真を撮影していた。僕もあやかると、「貴方は日本人ですか?」と英語で聞かれた。「Yes」。そして「私は日本語が話せます」と今度は綺麗な日本語で言った。「ずいぶんとお上手ですね」と私、「日本には6年も住んでいます」と彼。「どこに住んでいるのですか」「渋谷です」いろんな話しをして、写真も撮影させてもい、彼のお父さんも撮影した。普通父は尊敬の対象なので、彼を含めると彼等は喜ぶのだ。彼らはポプラに向かい結婚式を挙げるという。「Congratulation」と私。ポプラはネパール第二の町で、トレッキングで有名な町でもある。またロビーをうろついていると、今度も「どこから来たのか?」と別の人に聞かれる。「日本だ」。「貴方はどこから来たのか?」と、その人に聞くと「スリランカ」、「Oh、私はスリランカに今年で6回も訪問したぞ」と答えたところで、この人と親しくなった。人間と言うのは基本的におしゃべり。コミュニケーションをとりたがっている。ちょっと油に火を注げば、いろんな人の話が聞けるというのを学びました。やけどする人もいるから注意も必要だが。ネパールの国内航空会社は、おそらく10社を超える数があり、ほとんどが、遊覧飛行である。沢山の空港カウンターがあったからそれが分かった。10時前に無事飛行機は舞い上がった。しばらくすると、右手にヒマラヤ山脈が見えてきた。壮絶な景色。人を寄せ付けない神秘な景色。言葉を尽くしても足りない風景が目の前に広がる。カメラは3台準備したが、望遠機能の付いたTZ10しか用をなさなかった。山が近づいてくると、運転席まで行けとスチワーデスさんが言う。この飛行機は運転席と客席を遮るものがなく、運転席から、いきなり目の前に火とがる山を見ることが出来るのだ。「あの黒いのがエベレストだ」とパイロットが説明をしてくれる。私はパイロットの案内をはじめて聞いたし、運転席も始めて覗いた。そして正面の計器類の上に広がる視界を撮影した。涙のデルほどの感動をした。再び席に戻り、撮影していると、美しいスチワーデスが顔を近づけてきて、TZ10に写る山の一つ一つを説明してくれる。山の名前が頭にインプットされてなかったので、名前を聞いても感動が湧き上がらなかったのは残念。たぶん山岳関係の人にはその山の一つ一つが頭の中にこびりついているだろうな。友と酒を飲みながら、山の性格を語りあるのが想像できる。ここにはロマンがある。友情もありそうだ。東の端に当たるエベレストを過ぎると飛行機は右旋回して、今度は反対側の席から山を眺める。ビデオや、写真などを、おおよそ300カットを撮影した。飛行機のガラスで風景が変色しているのが少し気になる所。ヒマラヤ山脈と言っても、双発のプロペラ機で30分もすれば、行過ぎてしまう。飛行時速が700kmと計算して、30分で350km。おおよそこの範囲に、ヒマラヤ山脈の中枢部が詰まっていることになる。飛行機から降りると、今度は、荷物を取って、インターナショナルのカウンターへ。あまり行列がひどいと、空港関係者にお金をつかませると、先に割り込むことが出来ると教えてもらったが、行列はそんなに長くはなく、普通に通過できた。前回は見つけることが出来なかったタイ航空のラウンジで時間まですごしてタイに向かった。出発にはもう一つに持つ検査があり、検査は後で分かったことだが、男性と女性とに別れてた。女性用の荷物は女性の検査官が入念に調べていた。セキュリティーよりも化粧品に関心があるようだった。僕は行きがかり上、女性用のチェックに並んだからそれが見えたのだ。どこの国でも女性は美しくなりたいのだ。僕の荷物はカメラやIT関係なので、検査官はろくに調べもせずパス印を押してくれた。タイは午後6時半到着だが、市内の混雑があり何と2時間も要してホテルに到着した。このホテルでは前回にお世話になった背の高い若い女性がいろいろと世話をしてくれる。明日の空港へのタクシーの手配とか、インターネット海鮮の申請とかなかなか重宝な存在だ。当面やめずに勤務して欲しいものだ。夕食はホテルの前に展開される屋台。僕は安いので気に入っている。腹も痛くならないし。コンビニの飲料用水も含めて、240円。
12月14日(火曜日)

<ネパールダンス>
今日は仕事。午後6時過ぎまで仕事をこなし、ホテルまで帰ってきた。これから担当の営業マンと食事に出かけるという、それは、ネパールの踊りを楽しみながら、食事をする店で暗い看板しか出てない店に案内された。薄暗い階段を上がるたびに、ナマステの挨拶があるので、娼館とは違うと分かるわけだ。最上階は、靴を脱いで階段を上がると、日本の田舎にあるような囲炉裏があり、その周りに低いテーブルと、座布団がある。だから胡坐を組んで座るのですね。座布団は、赤、白、ミドリでネパールの国旗にちなんだ色だ。ビールは地元銘柄のエベレスト。結構旨いのは、今日は良くしゃべったからだ、そのうちに、踊りが始まった。美人の若い女性が6名登場し、この国の農家の一年を描いた踊りを待ってゆくのだ。次のシーンはこのうちの3名の女性が衣装を変えて登場する。この中の一人がナカナカ麗しいのだ。しかし、非常に暗いのと、踊りが早いので、カメラが着いてゆけず、ボケ写真ばかりとなってしまう。そしてビールがなくなる頃、他の女性3名が、日本のお猪口に良く似た食器に、お酒を注いで回る.このお酒は、焼酎の生の感じで、飲むとぐっと来る、こちらのほうの女性はあまり綺麗でもない。しかし、何とかして写真の腕を上げないと、せっかくのチャンスを逃すということで、こちらのほうも取り続けた、そうしてやっとものにしたノウハウは、追っかけフォーカスを使い、フラッシュを使い、感度を高めること。この3点を適用すれば、何とかモノなる写真が撮影できることが分かった、そして、それは終盤近くなってからだ。踊りの最後は、観客も全員で踊るのだ、その後開花のレストランに下りて、食事をする、ネパール料理。この店の料理は旨かった、大根の葉っぱのようなものををいためたのが良かった、インド食の強い料理だがベジでない。隣のお客さんに少し声をかけて、話題を広げた。子供がかわいかったので、写真を撮影した。そしてクライマックスは、この焼酎のようなお酒に火をともすのだ。そして照明を落とす、なんとも幻想的な雰囲気。時間的には1時間半程度だったが、大変楽しいひと時を過ごしてしまった。
12月13日(月曜日)

<ここはインドだと言っても信じるだろう>
朝早く起きての移動日だ、バンコクからカトマンズに移動する。飛行時間は約4時間。タイから沖縄まで帰ってくるだけの距離を北西に向かって行く。ここを担当している日本人営業マンと一緒だ。タイ空港では十分時間があったので空港で分かれて、出発ゲートで落ち合おうと言われてたのを、ついうっかりして僕は一人で搭乗してしまった。彼は僕が迷子になっているのではないかと心配するかも知れず、このことをステワーデスにどうやって英語で伝えたらよいかちょっと困った。とにかく知っている単語を全部使って伝えると、どうにか理解してくれたようで、彼はすでに登場しているので問題ないと回答を得た。冷たい飛行機の中で汗をかいた。カトマンズは標高1300mの盆地であり、持って行ったカシオの時計にも同じ高度が表示されてあった、気温は18度、夜になると0度近くまで下がるようだ。市内の空気はよどみ、ほこりっぽく、用事のない人が道に出てたむろしている。この風景はインドと同じだ。そして漂ってくる匂いもインドと同じ。車の警笛を激しく鳴らし続けるのもインドと同じ、と言うことで、ここはインドの延長線上にあるのだが。どうやら経済は、隣の中国から安価な生活物資がどんどん入ってきて、中国も無視できない存在である。そして、政権は王家を追放した軍部が握るとか、毛沢東よりの共産主義に被れているとか、不安定なのだ。経済発展の糸口がつかめない。それで、観光収入と、インドへの出稼ぎしか主な産業がなくて、貧困の最中にあるのだ。それでも、世界の平和はこの国にも恩恵をもたらし、きちんと富裕層が出来ているようなのだ。仕事の打ち合わせをした後、我々は、市内のスーパーマーケットに出かけた、こんな国でもスーパーマーケットやモールができ、商売できる経済規模となっているのだ。夕食は、僕がまだまだ仕事をしなければならないため、同行のメンバーも配慮してくれてホテルのレストランで頂くこととなった。担当営業マンのお勧めする料理を注文すると結構旨かった。彼はグルメなのだ。魚のフライは、食堂で食べるアジのてんぷらのようでナカナカいけた。その後部屋に帰りネットをつなぎ、作業をしていると、急激に眠くなった、タイからの時差を考えると、深夜になっているのだ。我慢できず寝てしまった。その代わり朝の5時に目が覚めて続きを行った。
12月12日(日曜日)
U Khanti san

<キャンチさんと>
かくもエキサイティングな経験をした。私はかねてより好奇心が強かったが、今日はそのことがヒットしたことを語ろう。タイの寺院で見てないのはワットアルンだけとなった。ワットアルンは三島由紀夫の小説に登場するお寺である。ホテルで地図をもらい、近くまで電車で行けることを確認した。電車は前回来たときに乗り間違えてきちんと頭に入った。電車の車内放送と地図とを比べながら、終点のワグワンヤイ駅で下車した。そこから、徒歩で1時間程度だろうと予測したが、何と炎天下を1時間半かかってしまった。ホテルの地図は、ずいぶんと略しているので、方向を間違えたのだ。タイ人は英語が分からないので、ジェスチャーで聞くが、ほとんど問題なく回答をもらえるのだ。そうして、やっとワットアルンを訪問できた。入り口にお坊さんが立っていたので写真を撮影させてもらったら、話しかけてきた。もちろん英語である。聞くほうは何とかできるので、応じていると、私がお寺を案内するという。ワットアルンの見所で立ち止まってくれ、僕が写真を撮影するのを待っててくれる。歩きながらビザのこととか、スリランカのこととかを話をした。スリランカには7回ほど行ったことがあるとの事。スリランカも仏教国なので、スリランカ行きの飛行機でお坊さんの姿をよく見かけた事がある。何でタイに2日しかいないのか、なんで日本にはビザが必要なのか?いろいろと聞かれた。ビザは相互国の問題だから、日本人がタイに行くのにビザが必要ないと同じように、タイ人も日本に来るときは必要ないと思うのだが、この難しい問題の解答は僕の英語力では無理だった。一通り見終わった後、「ゴールデンマウンテンを知っているか?」と聞かれた。「知らない」。「一緒に行こう、案内してあげる」と言われた。ありがたいこった。対岸に渡る船に乗るとき、僕は彼の分の料金を払おうとしたら、彼はただだから必要ないという。お坊さんは権威のある人なんだと分かった。船賃は10 ?だったのだが。お坊さんは、三輪車のタクシーと交渉して、料金を50 ?にしてもらい行き先を運転手に告げた。日本人がこれに乗ると100バーツだ。車中、今度は僕の質問の番だ、「何時起きるのか」、「どんなものを食べるのか」。「お祈りどのくらいの長さか?」、夕食は食べない生活のようだ。禁欲度では、やはり日本のお坊さんの修行と同じ感じだ。僕なりの理解なのだが。そして、小高い山になったお寺に連れて行ってもらった。一人ではここに来たのかどうか分からない場所だ。このお寺の存在を知らなかった。その本山で彼は長い時間祈った。僕は後ろに控えて、同じく正座をして待った。深いお祈りだった。その姿は平民ががお祈りするのとは少し違う重厚さがある。その後、「このようなシンボルは右に回るのか、左が正しいのか?」。日本人としての常識も知らない私だから、レベルの低いことを聞いたかも知れない。答えは「右回り」。商業用の店舗設計は、人間は左に回るを前提に考えるのであるが。そんなことで、結構彼と親しくなり、アドレスを交換した。メールではありません。お坊さんはそんなハイテクには興味がないのでした。「タイには私の友達と来るつもりだ」、と伝えたら、「ぜひ電話をしてくれ、その友達は英語を話すのか?」「No」、「彼らは日本語専門だ」。「日本人はもっと英語を勉強したほうが良いのではないか」と諭された。「I think so.」でも、「日本のマーケットサイズは大きいので日本語だけで喰っていける」と答えたが、果たして通じたのかどうか。会社関係ではないタイ人の知人ができてうれしかった。もう少し英語を勉強して、彼の悟りについて今度は聞きたい。彼の名前はキャンチさん。
12月11日(土曜日)

<タイの屋台のラーメン>
朝の5時半に目覚ましをかけて寝たが、4時に目覚めてしまった。体がなんとなく重い。インドネシアは日本との時差は2時間。タイと同じ。体が未だ日本の時間を刻んでいるのです。7時の迎えの車で空港に向かう。ガルーダインドネシア航空のカウンターは長蛇の列で、ずいぶん並んだ後、チケットを発行する段になると、重量がオーバーしているという。言葉が少し分からない顔をしていたら、フリーでパスをしてくれた。その時、一番明るい笑顔で、ありがとうとうと言った。ホテルを出るときは小雨だったが、飛行機に乗る時間になると、台風のような雨と風になり大丈夫かな?と不安になった。ガルーダは良く落ちるらしい。僕が福岡担当のとき、福岡空港に落ちたので、見に行った記憶がある。尾翼にエンジンがあるロッキード社の飛行機だった。今回乗るのは小型のB737だ。やはりガルーダと思わせたのは、離陸後上空に達すると、人の移動が自由だったこと。タイ、シンガポール航空は、気流が悪いと人の移動は禁じられているが、この飛行機はいたって自由で、お年寄りのおばあさんもシートにしがみついてトイレに向かって移動していた。携帯電話も余り注意しない。それでも、無事タイの飛行場に降り立つことが出来た。タイ空港の入国検査はカメラ撮影が導入されていてものすごい混雑だった。20分ほど並び、やっと通り抜けることができた。ホテルの迎えの車を首尾よく見つけ出すことが出来た。車種はベンツ。だが、この車は冷房が効かない。僕は窓を開けて欲しいと伝えた。運転手はこの炎天下だから冷房が効かないと言い訳をしていたが、素直に申し訳ないと言えばかわいいのだが。当然チップは無し。ホテルに到着、ホテルは逆に強烈な冷房だ。夕刻まで資料作成。メールを発信したところで、夕食に出る。夕食はホテルの前の屋台で。18 ?のラーメン。別の店で、豚肉と野菜炒めにライス。こちらも30 ?。セブンイレブンで水とビール2本を買ってホテルに帰り全部で千円弱。今度は別の報告書作成、あらかた完成で今日の作業は終了。風呂の後持ってきたDVDを見た。「トイストーリー3」は感動の物語。「復習するは我にあり」は、冒頭、緒方拳さんが警察に捕まって護送されるシーンから始まる、ずいぶんと腹の据わった犯人像だ。だが、次のシーンでは過去のシーンで、緒方さんが殺人を演じる。だが彼はおどおどして計画性のないようなシロウト的な殺人を行う。このちぐはぐさがいっぺんにこの映画の品位を低下させた。もう見る気持ちが起きない。「処刑人2」と「メインインブラック」は下手なパロディーが含まれていて、これまた見る気を失わせた。今回持ち込んだ映画は不作ばかりだった。それで早々に寝てしまった。
12月10日(金曜日)

<代表的なインドネシア料理>
今日は市内の北のほうにあるマンガドアと言う場所で仕事だ。この街は巨大なITビルが隣接していて、そのビルにある店を集めての説明会だ。ところが、どうも朝食べた食事の中に不穏分子が含まれていて、激しい下痢をいただいてしまった。昼食時にはなんとか治まったので、そのまま、インドネシア料理の強烈な味を食べた。野菜をゆでたものに、ピーナッツのようなドレッシングをかけたなんともいえない料理も食った。もうやけくそで喰ったのだが、急速に調子が盛り返してきて、夕刻までには回復してしまった。夕刻、ITビルを見学。ビルに入ったとたんにアドレナリンが噴出して、今度は別の便意を催してしまった。よく、大きな書店に行くとそんな気配が起きますがあれです。今度は精神的なもの。アドレナリン噴出の原因はコピーのPCソフト。Office2007,Corel video studio, Sony videoコレ全部併せて1,500円。なんともはや。もちろん英語版で、暗号キーが旨くヒットすれば使える。PCソフトは、日本語でも独自の言葉で表現しているので何が何だか分からないから、英語版でも分からないことにかけては同じ。しかしクリックすれば何とかなると言うのもPCソフトのいいところだ。次に向かったのはセナヤンシティー。20km位離れた市の南側なのに道路の混雑が激しく2時間を要した。でも訪問した甲斐があった。ここは一番の中心地。日本の銀座ですね。イスラムの国なのに、大いにクリスマスを祝っているのです。それで、この商業施設は深夜12時まで特別営業をすると言う。商魂は宗教を超えるのかと思いましたね。これが、イスラムと同居するという本当の姿だと思いました。中東はやはり変である。
12月9日(木曜日)

<宿泊したホテルのクリスマスツリー>
昨晩は遅く到着したのに、今朝も早く起き出して、仕事である。今日の仕事は長く、夜の8時まで続く。途中で食事やおやつが何度か出る。今までは、特別扱いでに外にでていたが、今回はみんなと同じものを食った。こうした行動が正しいのかどうか、私は不明。他の日本人は絶対にこういう事はしない。夕食を市内のレストランで頂くにはあまりにも遅く、ホテルのレストランで食事を考えてたら、同行のレーマスさんが、「近くにコンビニがある、そこに簡単なレストランもあるので、そこに行こう」という。「この国のやばさを貴方は知っているのか?」。しかも、「夜も遅い」。ところが、彼は「全く問題ない」という。それは、こういうことだ。ホテルに隣接する高級コンドミニアムの一階がそのコンビニ兼レストランだ。ホテルと、コンドミニアムは仕切られた敷地の中にあり、外部から人は侵入できない仕組み。そこには高額収入のある人たちがゆっくりできるよう広い敷地を高い塀でかこんであるのだ、そこに、僕たちは行った。ここの住人が集まって、酒を飲んでいた。??イスラムは酒を飲まないはずだが。僕はオモレツとフライドポテト、量がすごいといわれたので少なめに注文すると、量が全く少なくがっかり。追加注文はあきらめて寝ることにした。昨晩といい、今晩といい、そして本日の昼食と言い、ほとんどろくなものを喰ってない。
12月8日(水曜日)

<この人達はクリスマスのパフォーマンスをするダンサー>
朝5時に目覚ましをかけた。出発するのはもっと遅いので、ゆっくりでも良いが、これから長い間、運動をしないときが続くので、少しでも運動をしておこうと散歩。7時過ぎ、いつもの時間に地下鉄に乗って関空に向かう。今回は荷物が一つなので少しらくだ。なんば駅は多くの人と出くわす。それはエスカレーターがそれぞれのフロアの右端と左端に設置されているので、大勢の通行人を2回横切らなければならないのだ。まぁ適当に設置したとしか言いようのない駅のレイアウト。誰も何も言わない。関空11時発のシンガポール航空319便に乗る。いつものことだが寒い。空港まで着込んできた服装のまんまでさえ、寒くて毛布を羽織る。この寒さが理解いただけるだろうか。シンガポール空港はクリスマス一色。こんな熱帯でも、クリスマスツリーには雪が被っている。ここでレーマスさんと落ち合い、ラウンジでチキンライスを食べる。チキンライスはシンガポールの名物だと彼に教えてもらった。一緒に飛行機に乗る。ジャカルタまでは2時間弱の飛行時間だ。機内食がでるが、ラウンジで食った飯が腹に残っていたので辞退したが、彼は食ったとのこと。若いヤツは食欲もある。空港には会社の車が出迎えてくれていて、ホテルまで届けてくれた。午後23時だというのに、道は混雑している。この国の活気と言うのべきなのか、交通政策無策と言うべきなのか。この国はここ10年で急激にモータリゼーションを迎えたのだ。それまでは馬車だった。馬車道を舗装して車が走る。ホテルに到着すると急に腹が減ったが、食事をすると寝る時間がなくなる。空腹のまま寝た。
12月7日(火曜日)
出発前であわただしいが、中村さんから休憩の案内メールが入り売店に出かけた。昔の職場の話題は彼がパイプ役で貴重な存在だから。一方、今日はカンボジアに出発するK氏の送別会だが、欠席した。私はK氏に理由を告げた、すると、彼曰く、「来月の12日現地で開催しよう」と。そう、来年早々はカンボジアに向けて出発する予定なのだ。コレで11カ国目だ。「地雷がいっぱい埋まっている国だから危ないぞ」。と言うと、「それは地方の話だ。地方は電気が来てないので、訪問しないから大丈夫だ」と、「街は安全だ」と言う。じゃ「アンコールワットを見ることが出来るのか?」Yes、嬉しい話ではありませんか(後で調べると首都プノンペンからアンコールワットはずいぶんと離れている事が分かりがっかり)。そして、こんなあわただしいときに限って、インドからメールが飛んでくる。その返事を書いていると、準備が進まず。結局夜の8時半までかかってしまって仕事を終えた。スーパーで弁当を買って帰り、弁当食いながら出発の準備をした。今回は少しあわただしかった。約1週間ぐらいしか国内に滞在してないのだ。日本の生活と外国の生活が逆転したぞ。まぁ今、日本は寒い時期なので、このほうがありがたいのだが。
12月6日(月曜日)
久しぶりの休日はあっという間に過ぎてしまった。土曜日が出発の準備に費やされてしまったからだ。いろいろPC関係に面白いソフトが出てきて、使ってみたい気持ちもあるし、買い込んだ本を読みたい気持ちもあるが、とりあえずそんな気持ちを封印し、仕事一本の休日だ。その代わりと言ってはなんだが、ここ数年ずっと月曜日は調子が悪かった、ノリが悪かった、そしてこの月曜日に限って会議とか上司の報告などがあり、これまた旨くいかなかった。しかし、金曜日の高原状態が、少し軽減するだけで月曜日に入っていけたのだ。それでさわやかな月曜日を過ごしている。海外出張の時は、休日がほぼないので、月曜日も全開で走っているが、こちらはずいぶんと疲れる。
12月5日(日曜日)
ぽかぽか陽気
この2週間の出来事をまとめていると、結構時間を食ってしまい、午前中を費やしてしまった。書き上げると少々疲れてしまった。今の時期は太陽が部屋の奥まで差し込むので、太陽を浴びながら横になっていたら、いつの間にか寝てしまっていた。定年になれば毎日こんなんだろうか。このUR住宅は老人が多い、それにずいぶんと空き部屋がある。そんな棟が前後左右にあり、昼間であろうが夜だろうが全く清閑そのもの。静かすぎるほどだ。それでつい気を許してしまうと眠ってしまうのだ。気がつけば午後3時、プールの時間だ。出張中の暴食と、帰ってきてからの歩く歩数不足で、少々体重がオーバーしている。ピッチを上げて3km。800gの低減。一気にこれだけ体重が落ちるだけで、体が軽くなる。昼間、眠った分だけここで体力を使っておかないと、夜眠れなくなる。この年になると、睡眠には十分な配慮が必要になる。だが、外国に出たとき、飛行機で眠ることはできないのに、不思議なほどホテルではよく眠れるのだ。
12月4日(土曜日)
映画の整理

<鶴見緑地公園>
BDレコーダーに撮り貯めた番組があふれている。早速BDやDVDにダビングして整理を始めたが、あまりの多さに、ディスクが足りなくなりヨドバシカメラに出かけることにした。大阪の街は元気がますます元気がなくなり、土曜の午後7時だと言うのに、梅田の交差点も自転車で乗ったまま渡れるし、人は静かだった。政府はTTP問題でつまずき、日本は競争力を失いそうで、企業はそれを見据えて海外投資を増やしている。最近の海外投資は、人材も海外調達をするのだ。それで、日本はますます沈んでいくかもしれない。かつてのイギリスのようになるのが見える。そんな目で梅田の繁華街を見ると、たしかに今が最後の輝きかと見えないこともなかった。ディスクの価格は、BDがマクセル1690円、DVD-DLがビクター1690円。両方とも10枚購入価格は同じなのだ。BDは下がったが、DVDは下げ止まり。夕食は京橋の「もとや」さん。すっかりここのファンになった。客層が貧相なのは気が引けるが、しっかりと安いのは魅力だ。ヒレカツ、とんかつ、エビフライ、卵焼き、スパゲティー、サラダ、じゃこおろし。これで、630円。自転車で運動をしてなきゃ食えないようなボリューム。食いすぎて帰りは歩いて腹ごなしをしたら、疲れてしまい、酒も飲まずに寝てしまった。映画の整理どころではなかった。
12月3日(金曜日)
懇親会

<日本は風情があって良い>
その、インドの店から、朝一番にメールが届いた。全文字が大文字。全く読めない。感じはわかるのだが、本当のところの理解は無理。そこで、女性社員にお願いして翻訳を頼んだ。その女性も、よう分からんところがあると言う。おなじことを書いてあるというのだ。そうなのだ。インド人は同じ事を何度も言う。うちの母はぼけていて同じ事を何度も言うが、同じ言葉なのだ。だがインド人は表現を微妙に変えるから、どっちが本当なのと聞き返したくなる場合が多い。やっと話の筋が見えてきたので、僕にも回答文がイメージできた。これに3時間ほど費やされてしまう。こちらは出発間際で訪問国とやり取りが多いのにかかわらずだ。そんな中に、ハノイからホーチミンに現地の人が移動できないというのだ。なぜなら、午後5時過ぎに飛行機便が終了してしまうと言う。おかしいぞ、僕は午後7時過ぎの便を予約したぞ。ハノイ-ホーチミンは、東京と大阪みたいなものだから便は多いはずなのだが。しばらくすると解決した。問題なのは、帰りのシンガポールから日本への飛行機が満席だという。行きにシンガポール航空を使うと、ホーチミンから一旦シンガポールに行き、一旦シンガポールを経由しなければ日本に帰れないのだ。ベトナムと日本とは4時間強の距離なのに仕方がない。だが、この便が満席で、名古屋を経由する便も、成田を経由する便も満席と言う。他に方法はないのか?と聞くと、直接日本に行く便がありますという。飛行機会社が違うので値段が高くなるという。シンガポール経由の飛行機便が空くまで現地滞在する手もあるが、年末でさらに便はないという。仕方なく、この高価なベトナム航空を予約した。今回はこのような経緯から、ガルーダ インドネシア航空にも乗る。こちらは危ない飛行機会社だ。福岡で墜落したのだ。この問題が解決して懇親会。この懇親会は気が抜けない、しっかりとみんながみんなを見ているぞ。
12月2日(木曜日)
歴史が動いた

<日本は冬に突入>
僕にとってはと言う意味。インド向けにいろんなことが動いている。パナソニックは今インドに向かって投資を行っているのだ。これは新聞なんかで報道されている通り。そして来年からは、僕もその一環としてインドのお手伝いが出来そうなチャンスが回ってきたのだ。この一年はインドの周りばっかり訪問して、肝心のインドはパスをしてた状態だったので、インドの雰囲気を忘れてしまいそうだったのだ。インドの雰囲気とは何か、ムーンとする湿度と温度。きつい何か分からないにおい。耳を劈く警笛の洪水。インドの車で最初に何が壊れるかといえば、「ホーン」だそうだ。それだけ、四六時中鳴らしている。インドから帰ってきて、シンガポールに降り立つと、街の静けさに唖然とするのだ。それほどうるさい。そして、いつでもカレー食。5感の内4つまではインドで毒されるのだ。最後の仕上げは巻き舌を使い、ストレートな表現をしない英語。これで完璧に打ちのめされる。空港に降り立った瞬間にこれだ。それを乗り越えて入っていくとインドの魅力が見えてくる。インドの魅力とは何か、それはずばり「人」。心を無にして接すると、思わぬ魅力が見えてくる。人は玉石混合だけど。インドを訪問しても見るところがないとよく言われますが、それは事実ですが、どこを見るかですね。そのインドへの橋頭堡が見えた。
12月1日(水曜日)
SONY BDP-S370について
先日買ってきたソニーのBDプレーヤーはマルチ電源で、日本のコンセントに差し込むとそのまま使えた。TVはPCモニターにコンポーネントで接続した。HDMIはすでにBDレコーダーで塞がっているためだ。海外モデルはどこの会社も同じだが、USB端子はMKVの動画や、MP3などの音楽に対応している。そこでまずは、MP3を再生してみた。なんと、しっかり低音が出るではないですか。出力はすべてPCMにして、アンプのデジタル回路を使って再生するともっと良い音が出た。光ファイバーよりも、同軸の音が良いとHiVi誌なんかには書かれているが、確かに言えると実感した。BDの音は感動モノです。たった1万5千円でこれだけの幸せが買えるとは思いもしなかった。なんぼでも聞いて居たくなり、あわてって布団にもぐりこんだ。
11月30日(火曜日)
写真を楽しむ方法
まだ今日も疲れが残っている。残っているが、新しい発見をしたのは、パナソニックのカメラに付属しているソフトウエア「PHOTOfun STUDIO」が、写真と音楽を組み合わせてAVCHDで出力できることを知ったのだ。この望みは、現在カノープスのソフトウエア約万円でしか実現できないのに、なんと付属ソフトで可能になっているのだ。よくやったと思う。手元にあるのは英語版のソフトウエアだが、PCはもともとカタカナ英語を使っているので全然問題ない。大体一回の出張で1,000枚近くの写真を撮影してくる。もちろん駄作も多いが、いいのもある。それと、適当に買ってきたCDにもなかなかいいのがある。これらを組み合わせてアルバムを作りたいというのが僕の希望だ。写真には想い出があり、しかも、LUMIXで撮影する写真はライカレンズらしくカッチットしていて、拡大すると綺麗なのだ。今週は時間がないが、年末に挑戦である。
11月29日(月曜日)
TVの買い替えについて

<高度1万メートルからの夜明け>
熱帯の国から冬の日本へ、しかし、シンガポール航空の飛行機は負けないくらい冷房を利かしていたので、気温に変化はない。飛行機の中はそれだけ寒いということです。疲れてはいるが、次の出発までの時間がなく、老体に鞭打って会社に出かけた。リポビタンDの力を借りて、何とか夕刻までしのいだ。街中を歩いていると、「いきものがたりの、ありがとうを伝えたくて」が流れている。ナカナカいい曲だ。TVの購入の最後の商戦が報道されている。だが良く考えるとTVは今、買い時ではないのだ。まず、小型液晶もLED化されるが、いずれはバックライトが部分制御になる。そうすると、PDPに匹敵するような映像が小型の液晶でも得られるのだ。当然消費電力も小さい。東芝なんかは、停電になっても、内臓バッテリーでTVを見られるという液晶TVの構想がある。それだけ省エネにこれからなるのだ。LEDは製造技術が確立してこれからコストダウンが始まるから、値段はさらに安価になるし、しかも、光源の帯域が広がるので、TVの色が綺麗になる。それが、おそらく来年から12年にかけての傾向だ。それに、3D化が迫っている。これも、コストアップなしに実現する。液晶バリアを使えば、解像度は落ちるが、裸眼で3Dが見えるし、切り替えると2Dでは高解像度で見られる。多分両方採用の3Dが主力となる。これも12年ぐらいは価格がこなれるだろう。それに、TVの額縁も小さくなっている。額縁の小さなTVは格好が良い。こんな要素がいっぱいあるので、少し安いということで買うと、やっぱり損をしたということになる。周りの人には教えてあげているけど、TVを知らない人はブームに乗るだろうな。
11月28日(日曜日)

<チャンギ空港で撮影させてもらった>
夜行の飛行機は疲れるが、3シートを使って横になれたので、今回は体への打撃が少ない。ホテルは、こちらの仲間に頼んで予約してもらったIBISと言うホテル。目の前にシンリンと呼ばれる、秋葉原の電気街のような街がある。猫に小判とはこのこと。まずは、寝ることだが、昨日の昼から飯を食ってないので、近くの中華料理の店で、食べ物を買って、これまた、その近くのセブンイレブンでビールを買う。ビールは2本買えば半額になるキャンペーンがあるというので、全部で500ミリリットル3本を買った。部屋に帰り、飯とビールを掻きこみながら映画トイストーリー3を見た。レッツノートのDVDドライブはいつも途中で止まるが、今回も最後まで見ることが出来なかった。丁度酔っ払ってきたのでこれでよかった。レッツノートはきっと基本的な問題があるのだろう。3時間ほど寝た後、シンガポールの仲間から、6時に迎えに行くからチェックアウトするように電話があった。夕飯にヌードルを食ってタクシーで空港に出かけた。ここで、チケットの発券や荷物のチェックインを済まし、MTRと呼ばれる電車に乗って、EXSPO駅で下車した。日本の幕張のような場所。ここで、電子機器の展示会が開催されている。日本やアメリカの展示会と違って、ここは販売店が仕切っている。そして、当然ながら販売を行っている。ヨドバシカメラのタイムバーゲンのように、脚立の上に乗って、台数限定の販売を行っている。アシアナらではの活気がある。僕はこれがたまらなく好きだ、ぞくぞくしてくる。55型のサムスン3Dが59,800円で出てたらしいが、売り切れ。ハービーノーマンの店で、ソニーのBDを見つけた、15,000円、しかもBD3枚セット。これは買いだ。と言うことで、並んで買ってしまった。シンガポールはBDのリージョンコードが1なので問題ないし、DVDはリージョンを外してあるので更に問題はない。疲れ果てて、午後9時に会場を出た。出たところの喫茶店で休憩していると、シンガポールの仲間レーマスさんは、来年の10月の末に結婚をするという。ぜひきてくれと言われた。OK何が合っても行くよ、と日本語で答えた。それから空港に向かい、シンガポール航空のラウンジでチキンライスを食って時間まで過ごした。座席は窓側2席が空いていて、少し眠ることが出来た。
11月27日(土曜日)

<ホテルの部屋から写真を撮影してはいけない>
こちらの社員さんに最新デジタル情報の話をする。午後1時半に終了した。それから、こちらの責任者であるニルマランさんに、昼食をご馳走していただいた。中華料理の店である。僕たちも、ニルマランさんもこの後の予定はないので、ビールを飲んだ。ビールはライオンビール。こちらの給仕の方はこのビールの注ぎ方がナカナカ旨い。どんな方法かといえば、最初はちょろちょろ泡を出さないようにして注ぐ。そして最後にどばっと泡を出して完成。料理は、海鮮ラーメン、焼きそば、鳥と海老の炒め物などだ。相当な量があり、これでもかこれでもかと出してくれた。夕食の分も含めて思い切り食った。ランチとディナーをかねた食事のお礼を言った。彼は結構な冗談好きなので、このような言い方を好むのだ。市内の家電量販店を訪問した後、CDショップに案内いただいた。セリーヌディオンがあれば買いたいと思っていたが、コピーショップなので断念した。夕刻ホテルに帰り、すぐに睡眠。2時間ほど寝て、9時半にチェックアウトした。外は大雨。ホテルのタクシーで空港まで行くのだが、この運転手、妹を途中でピックアップしても良いかと聞く。OKだと言うと、少し回り道をして妹を乗せた。この女、申し訳ないともなんとも言わない、礼儀知らず。その上、シートを思い切り後ろに下げるし、トンデモ女だった。会話を聞いているとどうも妹ではなさそうなので、ガールフレンドかと聞けば、そうだと白状した。まぁインド系の人間はこうしたことをちゃっかりしてしまう人種なので、なかなかマネジメントできないのだろう。その点が中国人と違う。そのタクシーだが、交通停滞につかまる。時間はたっぷりあるので心配はないが、何が原因か最初は分からなかった、のろのろ進むうちに原因が見えてきた。大雨で道路が冠水しているのだ。それで、2車線が1車線になり、ここに、自転車や、三輪車がなだれ込むからにっちもさっちも行かない状態に陥るのだ。前々回も同じような洪水で軍のバスが出動するとかの大騒ぎになったので、今回はそうならない事を祈った。そして、無事空港着。シンガポール航空チケットカウンターの女性がびっくりするほどの美人。ラウンジが使えるのかとか、荷物はシンガポールで取り出したいとか、精一杯の言葉を使って時間を稼いで彼女と話した。始終微笑みを絶やさないところも気に入った。ところがあんまり綺麗なので写真を撮影するのを忘れてしまった。ラウンジでウィスキーをなめながら出張報告書をまとめた。
11月26日(金曜日)

<この奥のすてきなレストランでランチ>
イベント二日目。昼食には、この会社の幹部である、30過ぎの女性に連れて行ってもらった。私たちはイベント会場のファーストフードでも一考に構わないが、どうやら、収入に応じてレストランは選別するのが、こちらの流儀らしい。変なプライドがあるのだ。だが、連れて行ってもらったのは、ちょっと日本人ではデザインが出来ない、シンプルではあるが、深い趣のあるレストランだった。どの角度で撮影しても、絵になるデザインが施されている。窓はない。オープンの建物。だが、雨風は防げる設計が施されている。まあ、こちらでは寒いということがないので、このような作りもありかなと思う。料理はマグロを焼いて、その上にイタリア風のソースをかけたものを注文した。見た目にも美しい、だが、料理はいまいちだった。女の選ぶ店は大概このようなところが多い、日本人も外国人も女の舌は同じだ。昨晩ホテルのフロアをぶらついていると、スリランカの踊りが、この近くの会場で開催されるというポスターが貼ってあった。スタートは5時半からだ。それで、今日の仕事は少し速めに切り上げてもらうようにお願いして、この踊りの撮影に駆けつけたのだ。スリランカの女性は彫が深いインド人系の人間で、しかもイギリスとの混血もあるので、比較的美人が多い。そのダンスだからなかなか写真になる。3Dムービーと、2Dムービーと、写真と大変忙しく撮影した。夕食は、宿泊したホテルで、ナシゴレンをいただいた。こうした焼き飯系は、こちらの米との愛称が合い、結構いける味である。ものすごい量で少し残した。しかしこれは正解で、寝る前には結構な胸焼けを催していた。
11月25日(木曜日)

<上の卵料理がホッパー>
今日は一日中イベントの立会いを行った。一般市民との会話であるので、言葉の通じない人もいるが、通じる人もいる。僕の発音や、文法が十分でないから、理解度は半分以下かも知れない。うれしいのは、今まであまり話すことが出来なかったが、少しくらいは、客に問いかけて、アプローチもすることが出来るようにもなった。そして、自分の担当する市場で、どんな人が暮らし、どんな考え方を持ち、どんなものに興味があるのかを知るのは楽しい。面白い現象は、この国の人も会話に満足したときには、写真の撮影を求めてくる、この文化は何だろう。理解に苦しむ。珍しい人間に逢ったので記念撮影なのか。昼食は、少しはずれの住宅街にある静かなクリケットクラブ。イギリス風の静かな感じのあるレストランだ。チキンのパスタをいただく。だんだんとメニュにも慣れてきたぞ。この店の料理はすべてが日本で言うところの創作料理だった。夕食は、宿泊しているホテルとは違うところでいただく。ここは前に来たことがあるぞ。スタートはハンバーグのようなものから始まった。ビールはライオンビール。コクがあまりない、軽い感じのするビールだ。アサヒスーパードライと比べると深みに違いがあるだろう。ビールの次には、こちらの名産のウィスキー。これは、なかなかの味がする。もし、このウィスキーの販路が世界に広まるとすれば、高いブランドを構築するだろうと思う。次に餃子の皮を揚げたものを、カレー風味のスープにつけていただく。これは、ビールのつまみによく合う。更にホッパーと呼ばれる、卵料理。それから、メインの料理だ。チキンと海老。豪華なディナーだった。
11月24日(水曜日)
移動

<右側がチキンライス>
行きは、まだ体力がある。11時の関空初シンガポール行き。居眠りはするが、道中書類を読んですごした。5時にシンガポール着、ここで5時間あまり待つ。早速ラウンジに駆けつけてチキンライスをいただく。シンガポール名物のチキンライスは、チキンをゆでた汁でご飯をたいてあるのだ。いろんな店で食ったが、大体旨い。ビーフンなんかもある。東南アジアは米の文化なので米を使った料理は多いのだ。しかし、その米だけはあまりうまくはないのだが。この待ち時間で疲れ果てる。最後にマッサージ器のお世話になった。少し元気を取り戻して、コロンボ行きの飛行機に乗る、日本時間では0時なのだ。そして、3時間後にコロンボ着。現地では、0時。日本時間は午前3時半。もうなんだかわかない状態。これから1時間かけて市内のホテルへ。今回はいつものホテルが満員で予約できず、格下のホテルへ。水に近いようなお湯を浴びて布団にもぐりこんだ。日本時間の午前5時頃だった。
11月21日(日曜日)
レナード・バーンスタイン
作曲家であり、ニューヨークフィルの指揮者でもある。NHKでバーンスタインの特集があり、その中で、ウェストサイド物語を見た。若きホセ・カレーラスやキリ・テ・カナワなどが出演している。キリは歌と美貌を持ったオペラ歌手である。そんな彼等はバーンスタインに心酔していて、結構きつい指摘なのに、リハーサルではついて行っている。インタビューでは自分にないものを引き出してくれると言うのだ。彼等は、少しでも自分が上に上がることが出来ればと必死。そのあたりのプロ魂と言うのは半端ではないと見ましたね。このバーンスタインは今では信じられないことだが、ミキシングコンソールの前でタバコをスパスパ吸っている。そして合間に厳しい要求を出していると思いきや、凄くほめる所もある。何が何だか判らないままに、歌手や器楽奏者などが彼に引き込まれている。カリスマというよりかものすごい重力を持った人だと感じる。プールは土日で6.5km。丁度今住んでいる場所から梅田までの距離を泳いだことになる。徒歩だと所要時間1時間17分(グーグルによる)、これを泳ぐと2時間半の時間となる。
11月20日(土曜日)
パピヨン
スティブ・マックィーンとダスティン・ホフマンの映画。森ひとみと言う確か6歳くらい上の大先輩に誘われて、新宿厚生年金だったと思うが試写会を見に行った。当時はまだ東京の生活は目新しくて、街を案内してくれるのと同じ意味での映画鑑賞だったと思う。ところが、この映画の上映は映写技師がミスを犯して、同じシーンが2度出てきた。当時の映画の上映は、二台の映写機が交互にフィルムを再生して、長い巻物の映画を滞りなく見せるのが普通だった。しかも、このパピヨンの映画は、2時間半を超える大作だったので、通常よりはフィルムの巻数が多かったのだろう。2度目の映像を見た後、急にエンディングとなった。爾来30年強経って、NHKで放映されていたパピヨンを再び見た。印象の強い映画だったので、すっかり内容を思いだしたが、途中から見たことがないシーンが登場した。それで、ここの部分が試写会で上映されなかった部分だと記憶がつながったわけだ。以降森さんとは、「燃えよドラゴン」も見に行った。試写会の健を当てるのが旨かった人だ。そして英語の達者な方で、僕が外人の接客に当たると、いつも助けてもらった。しかし、これだけお世話になっておきながら、一緒にメシを食いに行った記憶もない。きっと僕は東京の生活に興奮してそれどころではなかったかも知れない。
11月19日(金曜日)
懐かしの音楽

<突然、高槻方面に虹>
「あなたが聞きたい歌の4時間」、TBSの安住アナの司会で、VTRとライブを織り交ぜて放送してたのを見た。特に今回は1980年前後の歌が多かったようだ。あのころ僕は夜遅くまで酒を大量に飲んで、近所の連中と遊びまくっていた。なんでもっと勉強をしなかったんだろう、なんで仕事をまじめにしなかったんだろう?どうして休日には寝てばかりだったんだろう?いろんな反省がこみ上げてくる歌番組だった。当時、大阪の守口に住んでいて、近くのスナックのママさんをここに来ている客と奪い合いになるほど入れ込んだ事もある。その客は、大橋純子の歌う「シルエットロマンス」がものすごく上手だった。このTV番組で大橋純子がこの歌を歌ったから思いだしたのだ。一度、このママさんと「蒲田行進曲」を見に行った。なぜだか判らないが、この映画ほど僕の心に印象を残したものはない。その後すぐ、岐阜に転勤したが、この映画見たさに、丁度レンタルが始まった頃だったので、早速ビデオを買って見た。何度見ても良かった。もちろんこの頃のレンタルテープはβだった。最近WOWOWでこの映画が放送になりハイビジョンでBDに残した。そして劇場と同じ解像度で見たが、やっぱり感動だった。今思うに、このママさんの面影が松坂慶子と似ていたというのもあったんだろう。音楽はいろんな事を想い出させてくれる。苦いことが多いですが。
11月18日(木曜日)
書籍について

<大阪も紅葉が始まった>
2年の歳月が流れこちらでの生活が安定してきた。今まで年間100冊近くの本を読んでいたのが、大阪でのこの2年間は50冊にも満たなかった。それは、時間の配分が下手だったからだ。だが苦節2年、自分を見つめることをしない馬鹿頭にもやっとパターンを作り上げることができた。その結果、このごろ日経エレクトロニクス(雑誌)を読めるようになった。少し難解な雑誌だが、だいたい2年先のことまで書いてある。いまもっとも集中して記事になっているのは、携帯電話のLTE(Long Term Evolution)である。通信速度が100Mbpsを実現する。これだと、家の中で光ファイバーを使って通信するのと何ら変わらない。この本に付随して、他の本も開くようになりHiViに、カメラマン誌に、特選街誌、木曜日のHerald Tribune新聞、そして小説。と昔に戻りつつある。本を読んでいるとなぜだか心が静まるし、時間を無駄にした気がしない。これから電子本の時代に突入するが、絶対に本は無くならないと言い切る人がいる。それは正しいことだろうが、多くは電子本に移行するのではないかと思う。電子本は文字が大きくなり読みやすいし、紙の本に比べて価格が安いのだ。僕としては簡単に電子本に移行できる。
11月17日(水曜日)
S-LED

<王将でボリューム満点の夕食>
ヨドバシカメラに出かけて、ムービーの編集ソフトSONY Vegas Movie Studio 9について伺うと、AVCHDの編集は出来るが、描き出しはできない。そんな目でビデオ編集ソフトを捜すと、意外と無い。カノープスはOkだが価格が高い。今回も断念。僕の希望は、たくさん撮影した写真に、気に入った音楽を付けて映像にまとめる事をしたいのだ。音楽と写真を結びつけるイメージはあるが、具体化するものがないのだ。できあがった作品は、将来買うであろう120型のプロジェクターで見るのだ。アップルストアで、評判となっているApple-TVも見てきた。判ったのは、アップルストアからの動画レンタルとYou-Tubeへのアクセスが出来る。それだけ他の動画サイトもネットサーフィン出来るかと思いきや、それは不可能だ。PCの域を出るものではなかった。そしてTV売り場へ。整理券は500名に届こうとしている。つまり今日だけでも500台の販売が出来たというわけだ。もう品物はなく、来年のお届けと言う契約だ。それでも、今契約すればエコポイントがもらえる。日立の新TV、S-LEDを見てきた。これは、バックライトにLEDを使うが、LEDの電球3個を1ブロックとして折り曲げて薄型化して使う方法で、このブロックが液晶パネルの後ろに敷き詰めている。ブロック数は公表されてないが縦8×横16=128くらいではないかと言われている。そのデモ映像を見たが、実に綺麗。東芝のZシリーズを超えたと見ました。ただ、価格は42型で278千円で、他の42型の2倍くらいの価格であることから、まだ売れないだろう。ただ、ここにきて、液晶TVの最高画質は、東芝と日立が握る構図となった。垂直統合のシャープとパナソニックは液晶テレビの最高画質には今一である。TVというものは結局日本酒と同じように、年により出来不出来があると言うことでしょうか。
11月16日(火曜日)
労働者のメシ

<超安価な食堂>

<これが430円>
今日も自転車に乗って撮影に出かけた。昼飯はラーメンライスだ。一寸喰いきれない程の量がある。しかし、体が大量の米を求めているから仕方ない。思い切り喰った。体を動かして飯を思い切り食うと言う非常に単純だが、これほど爽快なことはここ最近あまりなかったので嬉しかった。そして、極めつきは晩飯だ。かねてより、自炊より安いメシ屋があると聞いていたので、晩飯はここでいただくことにした。場所は京橋の商店街を抜けた所にある、「おもと」さんと言う店だ。まず、壁一面にメニューがある、どれを選択したらよいのか判らない。身近にあった、マグロの刺身定食Aを注文した。430円と表示がある。そして出てきたのは、刺身の他に、チキンのカツもあった。具のたくさん入ったみそ汁と、大盛りご飯。他の客層を見ていると、労働者の身なりだ。この大量のご飯をスイスイと掻き込んでいる。僕は昼目に続き2度目の大食いなので、これを平らげるにはいささか厳しかった。そしてお勘定。いろんなものが出てきたので、7〜800円は覚悟してたのに、430円だった。メニューの通りである。紹介してくれた人が自炊はあきらめたと言ったが、まさにこの価格では、自炊はかなわない。
11月15日(月曜日)
一段と冷え込んできた
景気も冷え込んできた。それなのに、新聞によると、3大メガバンク(三菱、みずほ、住友)の利益が1兆円を超えた。何にも努力せずにただ低い金利でお金を借り、それに100倍程度の利子を付けて貸し出す暴利で儲けただけだ。そして窓口は相変わらず3時以降は閉まっている、こんなサービス業なんてあり得ないと思うのだが。僕みたいな平民が腹を立てても仕方がないかも知れない。門真に用事があったので、自転車で京橋門真を往復したら、それだけで疲れてしまった。千葉に住んでいた頃は、往復80分の自転車に乗って、1万歩近くを歩いていたのが日常だった。この疲れ方に驚いてしまっている。普段使わない筋肉を使ったからだろうか?それとも老化が忍び寄ってきているのだろうか?そういえば、今週末にKさんの送別会があるので、コメントをよこせとメールが届いたので、写真データーをめくっていると、自分を撮影した2004年の写真がでてきた。あのころは髪の量が多かったのだ。このような自分の変化を目の当たりにすると、いっそう寒くなりますね。
11月14日(日曜日)
昨日行ったハイエンドショー大阪で聞かせてもらったすばらしい音楽を、You-Tubeで検索してダウンロードした。手島葵、ヒラー・ハン、森麻季、NILS、アリス・サラ・オットー、マグダネル・コザナ、アラン・フォールズ・ワーズ、藤田恵美。それを、DVDに焼いて完成。もちろんCDのような音質は得られないが、すばらしい音楽は堪能できる。検索していると1080Pの映像もあるぞ。自宅にいながらにして音楽ライブラリーが完成すると言うのは夢のようだ。これ全て合法ですぞ。
You only have to click You-Tube if there is music that you are interesting.
You-Tube will solve your interest.
プールで3.5km。すがすがしい疲れ。だが風呂の中で不覚にも眠ってしまい、大汗をかいていて目が覚めた。
11月13日(土曜日)
ハイエンドショウ大阪
オーディオが最近妙に気になる。魅力的な商品であふれているのである。今日は心斎橋のハートンホテルで開催されている展示会を聴きに行った。自転車で30分もあれば到着する。

ELAC 330
LPレコード演奏だったが、音に艶があって、嫌な音がしないので気持ちが良くなる。

MONITOR AUDIO PLATINUM PL300
JBLの向こうを張るスピーカーで濃厚な音がする。低音もよく出る。この組み合わせでは、少しアンプが負けていて、低音の制御が難しかったようだ。

LINN KLIMAX D5
今もっとも関心の高いネットワークオーディオのプレーヤーを提供する。デモ音源が24ビット96khzなので、非常に音が良く、スピーカーの能力判定は出来ず。

ORTOFON
なんと、今でも健在だった。カートリッジは40万円もするMCカートリッジを使用していた。有名なカンターテドミノのLPを再生してくれたが、いつものところでひずみ、懐かしかった。SPUのカートリッジもあった。

Sonus Faber CREMONA M
このスピーカーは高いペアで300万円。だが、この会場で一番の音を出していた。プレーヤーはHDDオーディオのOlive。HDDは2TBを搭載する。LPレコードも演奏してたが、どうも音がLPレコードらしくない、その理由はEQにデジタルアンプであったとのこと。いい音だが、好きになれない。美人だが性格が悪い女みたいなもの。
JBL 4365
いつも見かける営業マンがいて安心。もうかれこれ20年近くになる知人だ。アンプはマークレビンソン。濃厚で隙を見せない音。僕の好みは、もっとおおざっぱにならして欲しい。これが現在の最先端だとすると、ついて行けない感じがする。前で説明する人は若手で、ちょっとオーディオ的でない話し方。マッキントッシュで鳴らして欲しかった。

HARBETH super HL5
LUX'SMANの真空管アンプCL38U MQ88Uで演奏してた。音源はLPレコード。これはアナログの音ではない。真空管アンプの音でもない。だが、なかなか気持ちの良い音がしてたのは、おおざっぱな鳴り方がするハーベスのスピーカーに原因があるのではないかと思う。
Victor DLA-X7
黒が沈むプロジェクター、これに倍速駆動が加わり動きがスムーズになった。モンスターズインクと、NHK紅白歌合戦の絢香を上映。これが現在の所、最高のプロジェクター。感動です。

Pioneer SX4
パイオニアの音が一番好きである。僕の耳に合っている。この安価な組み合わせでも十分満足する音がでる。特に少音量でも音がやせない

YAMAHA NPS2000
こちらもネットワークオーディオの新製品。ネットワークオーディオは音源がよいので、音の判別がつかない。アンプには新製品の3067を使っていた。9.1ch構成。DSPが売り物だが、ONとOFFでじっくり聞かなければ評価のしようがない感じだった。その後シアターのデモはアバター。音を評価する前に映像に没入してしまった。
11月12日(金曜日)
キンモクセイ
高知では運動会の前後に稲刈りが行われる。田んぼで稲を刈った後のワラの匂いと、家に近づくとほんのり香るキンモクセイが絶妙で秋の匂いを演出していた。小学生の頃、運動会は一大イベントで、こんな楽しい運動会に、村の人がそしらぬフリをしているのはどうしても信じられなかった。もちろんうちの父も農業に精を出していた。まぁ農家にとっては今が一番の収穫の時で、そのころ我が家ではキュウリを栽培していた。母だけが運動会の応援に来てくれた。その想い出の多いキンモクセイが大阪では今頃咲いている。ジャンパーを羽織って通勤しているときのキンモクセイだ。どうも僕の感覚がついて行けない。G20の会議でも地球環境は課題に挙がらなかったようだが、今の経済が何とか安定を取り戻す2020年頃の地球は、経済などと言っていられない人間を含む動物全体の死活問題が起きているかも知れないと思うのである。中国の胡錦涛氏は、徳川家康のように表では波風を立てないようにして、裏ではとんでも無い戦略を書いている人だと見ている。その交渉術はオバマさんでも歯が立たず、いいようにされている。中国の躍進が地球のほころびに結びついている気がする。テロよりも驚異な存在である。
11月11日(木曜日)
FPD展
幕張で開催。いつもはパシフィコ横浜だが、APECが開催されているので、やや広すぎるが幕張メッセだ。例年と違った点は、今年はしっかりと韓国、台湾人の英語が理解でき、質問もできたことだ。彼等にとって英語は母国語ではないので、英語をしっかりと発音してくれる。それに、専門用語はこちらの頭にも同じ発音が記録されているから、それを参照しながらの会話だから理解ができたのだ。やはり、サムスンはすごいに尽きる。有機ELのパネルサイズはPCの15インチから携帯サイズまでそろっていて、あらゆる要求に応えられる。向うが透けて見える有機ELもある。もちろん曲がるタイプも。シャープは黄色で4色LCDを開発したが、サムスンは白を加えた4色LCDがある。もう一方の雄のLGも31型の3D有機ELは、パネルに偏光版を貼ってあるので、メガネが軽くて明るく非常によい。それに目を見張るように鮮やかで、精細感があった。しかしそれでも縦の解像度は半分だ。実用化は不明だが、有機ELはとうとうここまで来た。更に、今年はAUOに元気がある。こちらも15型サイズのフルHDの有機ELを展開。この会社はPC用のディスプレイにも販路があるから、PC用途で価格を下げて、TVを作るかも知れない。15型のフルHDは小さくても精細感があり、十分見応えがある。15型有機ELの3Dもデモしていた。フルHDだ。ソニーは3年前に11型の有機ELを発売したがこれでも綺麗だった。ソニーは縦横ともハーフHDだった。AUOは鴻海(ホンハイ)の親会社である。鴻海はiPadや任天堂、PSPなどを生産する工場で、もうこことは日本の製造メーカーが価格や品質、スピードでかなわない。金型工場など一カ所に800機もあるそうだ、そして約1週間位で完成をするとのこと(日本は金型を作る工場は1つの工場で1〜2機、製作は2〜3ヶ月位)。そして、素材メーカーや、装置メーカーは、有機ELについての開発を終えたものを提供していた。韓国や台湾からたくさんの引き合いがあると言う。FPD展でみかけた技術は、2年後に市場で一大勢力となっている。麻倉怜士氏が講演していた。かれの記事には、嘘もあるので要注意だが、図らずしも、今日それが発覚した。名古屋大学の学生が一コーナーを設けて、3Dについての研究を披露していた。3DはTVパネルの前後する「位置」に映像が見える、これに対し人間の目の焦点は、テレビのパネル面の「位置」に合うので、人間の目は一つの焦点で、前後の物体を見なければならないので、目がつかれるのだと言う。これは麻倉氏が「輻輳の課題」として言っていた。だが、彼等の研究によると、2Dのパネルでも、3Dの奥行きがある映像には、人間の目はピントを合わせているのだと言うことが判ったと言う。めがねを買うときに、目の検査をしますがあれを応用したもので測定をしたとのこと。学生たちの話はよく理解できた。頭のいいヤツは話も旨い。なかなかエキサイティングな催事であった。麻倉怜士氏の話は疑わしいが、新情報がある。3Dの放送もフルHDの可能性が高いという。BDの3Dは右目用の映像は左目の映像をモトにして作り上げるが、そのデーターは50%増し。つまり2DのBDに対し、3Dは150%の容量で完成すると言うのが当初の規格だったが、今では20%UPの容量で3DのBDができているそうだ。これを煎じ詰めれば、左目用の映像にホンの少しの付加で右目の映像が送信できる。とすれば、フレームシーケンシャルの放送が可能となるかも知れないというのだ。
11月10日(水曜日)
やはり、動機は義憤だった
だれもが、今の政府の対応を見ているとこの気持ちになりますね。自民党がだめだから、民主党を選んだ。民主党にかけたのは消去法だった。だからだれもが実力を知らなかった。蓋を開けると、政治思想も経済感覚もない普通のオジサンたちだった。TTPに参画するとこの国はすっかり変わり果てると言う農相。変わらなければならないのだよ。と言う国民の声は届かない。さて、尖閣列島のビデオ公開のとりあえず実行した人はわかった。そして責任を追及すると言うが、犯行を犯した人は無罪だから、秘密でもなんでもないこととなった情報が、なんで国家機密?それより、中国に対して領土問題はどうするんだろう?なにもしないまま、蓋をするつもり?向うの立場はそうではない、決着をつけたがっている。
11月9日(火曜日)
小さかった頃、母に連れられて高知へ買い物に行った。電車は自転車に毛が生えたような速度で2時間あまりかかった。大丸でざるそばを食べるのが楽しみだった。大橋通りの人ごみの中で食材を買って帰るのが、大体の工程だった。なんで、こんな事思いだしたのかと言えば、今日はスリランカのお客様と食事をするために、電車で難波にむかったのだが、スリランカを担当する女性2名も一緒だったのだ。ご年配のそれも、背が大きい方で、僕は後ろをついて行く形となり、思い出が甦ってきたのだ。つまり、おばさんの後をついて行く行為ですね。食事はしゃぶしゃぶだ。牛肉と豚と蟹がある。全部一緒に入れる。これをしゃぶしゃぶと言うのかどうか。皆さんの会話はなかなか話について行けないが、ぜんぜんわからないわけでもない。話の方向は見えるが、だが数字とかはつかみきれない。それと、冗談。みんなが笑い僕だけ笑顔と言うのも少し寂しい。そんな時は肉方面に関心を移す。しゃぶしゃぶのタレは3種類。うどんのおツユ系、ごま系、ポン酢系。うどんのおツユ系が一番味がソフトで、もっぱらこちら。単身生活では、肉類をできるだけ避けてきたが、どうやら少しは必要らしい。それで、普段の不足分をすべて埋め合わせをするだけの量をいただいた。このように偏るのはよくないだろうな。
11月8日(月曜日)
今日は尼崎のプラズマ工場を見学した。第4工場で、前回見たのは第3工場。今回はスリランカのお客さん同行なので、案内は英語。こういう状況なら話はわかる。最後に152インチの3Dプラズマを見たが、これはでかい。ミニ映画館だ。何とこれが良く売れていると言う。もちろん日本ではないが。このTVの周りに42型のプラズマTVを20台ほど並べてすべてのTVを見る。その中で気に入った番組を152インチで見ると言う。なんともはやである。東芝のTVでは、55型にこれに似た機能がある。もちろん1画面での中だ。帰りは今津徒歩。駅前にある店でラーメンを食べた。あまり旨くないが、突き出しにキムチが出てきて、これが絶品。このキムチをラーメンの中に入れると、丁度の味となった。客層を見ていると、ツウの人も多く、注文がてきぱきと、そして込み入っていた。
11月7日(日曜日)
Save energy
夕刻プール。今日もまたアメリカ人のスイマーと出会った。前回教えてもらったWebサイトの事を聞かれたらこんなに答えようと練習してたので、第一関門は突破だ。今日はたっぷり寝たので、運動量を相当増やさなければ夜眠れないかも知れないと考えて3.5km泳いだ。彼のほうは僕より早く上がり、浅いプールで体を慣らしていた。それから、しばらく話をする。今日の話題は彼が新しいゴーグルを買った話だ。前のタイプは顔にマークが付くと言うが、この新しいタイプもしっかりとマークが付いていたので笑ってしまった。彼は毎日このプールで泳いでいるようだ。今日は僕の手と足の関係を指摘された。あなたは右手と右足が同時に動いている。逆の動きをすればエネルギーが少なくて済むと言う。僕は40年間もこのカタチ(僕はformと言ったがpatternと彼は訂正した)で泳いできたので、修正するのは大変難しいと答えたが、ホンの少しでよいから改善するとSave
energyとなるよとアドバイスをくれた。彼は、No jobと言っていたので失業中かも知れない。会話の中では、正しい単語の使い方を教えてくれるので、ありがたい存在である。だんだんと親しくなってきているので、いつか誘って飲み行ければと思う。僕の友人関係にはこういう機会なら絶対に来ると言うのが二人いる。新しいサークル誕生かも知れない。<今週の傑作写真は、1日の月曜日の夕刻、虹が出たというので撮影した、職場のメンバーも撮影してたが、僕は飛行機が写り込むのを待って撮影した>
11月6日(土曜日)
静かに本を読んで過ごす
何処にも出かけず、新聞と本を読んで過ごした。最近は活字を追いかけると気が休まる。これで雨でも降っていれば最高なんだが。夕刻プールで2.5km。夜は「グリーン・ゾーン」を見た。この映画は、アメリカがイラク戦争に突入して、大量破壊兵器を捜すが見つからない内幕を描いた映画。ポール・グリーングラス監督&マット・デイモンのベストな組み合わせ。彼等の映画は、意味不明なシーンもどんどんと踏み越えてゆくとその先にはストーリの展開が見えてくると言う撮影手法だ。これで、イラク戦争は、「HURT LOCKER」と2つの新作を見たことになる。こちらは、Heart(心の意味)ではなくて、HURT(痛み)としたところに、この映画の意図があるとやっと判ってきた。
11月5日(金曜日)
TTPについて
この貿易協定は、浮沈ぎみな日本を救うのに最高のまたとはないチャンスであるのに、農業がつぶれるとか言い出して、政府はのらりくらりしている。これに参加する国はもう日本に期待をしてないのも事実だが。10月26日に8月の日本の車の生産台数が発表された。この数字を見て驚いたのは、国内では618千台の生産に対し海外生産は1,035千台、何と67%も海外生産が多い。全部輸出しろとは言わないが、それだけ国内の雇用が失われていると言うことだ。我が社も、生産はもとより海外で開発も行うとして、更に高度な地術をもつ人材までも海外で求めようとしている。アジアの人達は日本で働きたがっているが、門戸を閉ざしたまま。日本人の雇用を優先するのだと。だが、日本には日本人が望む仕事がもう残されてないのも事実。日本は早く国を開放して、自由にビジネスをする事が出来るようにしなければ、ますます沈む。そうなると、まず治安が悪化する。商店街を歩くと、商店ではなくマッサージ屋さんとパチンコが多いのに気がつく。暗黒と言う都市があると、その門前町の様相がそこにはありますね。
11月4日(木曜日)
この展開も前から分かっていたこと
尖閣諸島で中国船と衝突した事件のビデオを見るとか見ないとか、管首相は記者に漏らした逸話が掲載されていた。何で真実を知るビデオを見るのが政治判断すべき事柄だろうか。しかし、私はこの事件の後、きっとYouTubeで早晩見られるだろうと思っていたら、案の定、だれかが公開した。▲それは、こんないきさつからだ。あるところに、小さい頃から海の仕事をしたいとあこがれていた少年がいた。父は公務員で、例え貧乏でも正しく生きることを息子に教えた。母は、貧しいが故に人を愛することを教えた。そして少年は成長をして「海猿」の映画に接したとき。自分の生きる道は海上保安庁だと確信をした。そして、希望が叶い、哨戒や救助の仕事に就くことが出来た。そんな折、この事件が発覚した。明らかに避難すべきは中国船なのに、なんだか判らないうちに船長を釈放してしまった。その判断をした人が国の責任者の管首相ではなかったわけだ。各国の首脳陣は拍子抜けしたと報じている。特にアメリカのヒラリーさんはもっとも落胆したそうだ。当事者ならもっと落胆しただろう。この少年は大人になってもまっすぐな心を持ち、このままでは国が危なくなると激情にかられ、ビデオを公開した。▲と、言うストーリではないかと推測するのです。そして、今問題がすり替えられようとしている。誰が犯人なんだ?そしてセキュリティ管理は?問題は中国との関係なのに。どうして易き問題に流されるの?
11月3日(水曜日)
映画ワイルド・スピード
昼過ぎまで朦朧として過ごし、午後は録画した映画を見た。ワイルド・スピードである。これには、「1、X2、Tokyo、Max」と全部で4作あるが、Tokyoだけは不作でパス。物語は、車を使ってトラックの積み荷を盗む窃盗団に、主人公の刑事が潜入するが、この刑事も車マニア。全ての決着が道路のレースでつくと言う単純なストーリー。どのシリーズも同じ物語の展開だ。主人公は刑事役のポール・ウォーローだが、憎めない悪役にヴィン・ディーゼル。この悪役がなかなか物語を引き締めている。今後期待の役者だと思う。

11月2日(火曜日)
久しぶりに気分を解放して飲んだこと
40年来の友人であるK氏と、5年来のつきあいのあるN子と3人で飲んだ。K氏とN子は10年以上のつきあいがある。場所は天満の駅前にある鉄板焼きの店。2回にある個室を予約してくれていて、本当に気兼ねなく飲むことが出来た。こんなにリラックスして飲んだのは千葉で飲んだ9月以来である。飲んでいるときはそんなに酔ってないつもりだし、帰るときだってしっかりしていて、その後、近くのレンタル屋でDVDを当日返却の申し込みで借りた。しかし、翌日は昼まで頭が回らず、昨日のことをほとんど覚えてない。脳みそが解けてしまった。
11月1日(月曜日)
こうなるとは、前から判っていたこと
今は景気が上向いているが、これは世界各国が経済対策を打ったためで、それが切れる秋には確実に経済は二番底になっている。その筆頭の理由としてアメリカの住宅債券の赤字は膨大でまだほとんど手がついて無い状態。これは今年の2月に本を読んだりして私が思ったこと。それで、浮ついた新聞記事が掲載されると保存しておいた。その最たるものは日経新聞2月16日に掲載された。モルガンスタンレーの佐藤健祐氏、野村證券の木内登英氏、伊藤忠商事の三輪祐範氏、三菱総合研究所の武田洋子氏、日本総合研究所の松村秀樹氏、BNPパリバ証券の河野龍太郎氏、第一生命研究所の熊野英世氏、バークレイズキャピタルの森田京平氏、三菱UFJの嶋中雄二氏、日本経済センターの竹内淳一朗氏。これら全員が「二番底懸念は薄らぐ」と表明している。おそらく、ここに揚げた人は、それ相当の地位を保ち、高い教育を受けた人であるだろう。それが、僕のように、普通に生活をしていて、新聞や書籍をかじった人のレベルで判ることが判らないとは一体どういう事。一つは、判っているが、それを言わない。一つは、目先の数字でしか判断できない能なし。一つは、部下に書かせてノウチェックで投稿した。一つは他社の出方をうかがってそれに同調した。こんな背景を持ちながらも、これを安易に取材して掲載しようと判断した日本経済新聞社の低い見識。ここに登場する、個々の人はそれなりの人かも知れないが、力のない人ばかりだ。そして「経済予測は絶対に当てにならない」と言うことである。「大事な真実は自分で判断するしかない」と思うのである。それは、情報化社会になったからと言って、昔から全然変わってない。変化の速度が上がっただけであると思うのである。
10月31日(日曜日)
Do you have PC?
いつも通っているプールに大きなアメリカ人のような外人がいる。かれも長い距離を泳ぐスイマーで、泳ぎ終わると少し話をしたのが前回。今日も一緒になり、一緒に泳ぐのか?聞かれたが、私はゆっくり泳ぐので一緒ではないと答えた。隣のレーンで彼の泳ぎを見ながら僕も頑張って3km泳いだ。大体僕が5回ターンする間に彼は6回のターンを行っている。How many long? 彼はカウントしてないと言う。それで僕が計算して割り出すと、3,5km位泳いでいることになる。そんな話をしていると、僕の泳ぎ方は手が良くないと言う。肘で泳げと言う。そこで、Ti swimmingのYou-Tubeを見ろと言われた。ここには上手な泳ぎ方を説明していると言う。だからPCを持っているかと聞かれたのだ。僕だったら、Do you access Internet?だが、常識というのが違うのだろう。早速帰って見ると、たしかに手の使い方が僕とは違うようだ。40年近く泳いできて今更フォームの変更は難しいだろうなと思いながら、気がつけば手で空中を何度かかいていた。午後から冷たい雨が降っている。
10月30日(土曜日)
ユーラシア横断
戸井十月さんがNHKで4週に渡ってユーラシア横断する放映番組。NHKエンタープライズ撮影。このうち、後半の2回だけ見た。戸井さんはホンダのバイクで横断するのだが、どうしても道中で人々とのふれあいがある。その部分をカメラは撮影している。中東と呼ばれる、旧ユーゴや「・・キスタン」名が付く国は、僕たちにとってもよく分からず、興味あふれる番組だった。仕事柄アジアのそんなに綺麗でない風景や生活に触れていると、どうしてもそちら方面に関心が向いてしまう。早見優の南イタリア探訪の旅番組もそれなりに感動はあるが、僕にとっての感動は圧倒的にこちらの汚さにある。更に別の番組、ヒマラヤ山脈の東に位置するヤルツァンポ大峡谷に済むジャラサ村のチベット人が、雪解けとともに生活物資の仕入れのために、4650mの山を越えて、60kmも離れた街に徒歩で向かう。「天空の一本道〜チベット 開山大運搬」も感動ものだ。特に取材の中心となる「シゲ」さん25歳は、家族のために働く寡黙な好男性。自分には何も欲しいものはない、塩とお茶があれば何とかなると言う。ここで生活するための生活物資の運搬には命がけの作業である。これに同行したレポーターは、道中シゲさんにいくつかインタビューする。その答え方が的確なので若いのにずいぶんと人格者だったと感じた。シゲさんの目が涼しげで嫌みが無く映像映えした。しかし生活は不潔で厳しそうだった。
10月29日(金曜日)
歓迎会
フィリピン出向から帰ってきたM氏の歓迎会を行った。フィリピンの今は世界の最貧国に近い国民が暮らしている。バングラかフィリピンかと言われている。しかも治安は非常に悪く、大量殺人も日常茶飯事である。この根本的理由は、財閥が資本を握り、にっちもさっちもならないように社会が閉塞化しているからだ。先に希望が見えない人間は生きる屍だと、昔偉いギリシャの哲学者が言ったかどうか。でも現実である。とは言え、そのフィリピンは9千万人の人口があり、それなりの経済規模がある。そんな国で商売をするには、よほどしっかりとした哲学を持たなきゃやってられない。外国に住んでそこで仕事をするというのは、出張で短時間過ごすのとは訳が違うのを教えてもらったのがM氏だ。一番の想い出は、未だに政府の管理が行き届かない、ミンダオナ島のダバオに行ったときだ。この街はまだ治安がしっかりしているが、もう少し南に下ると、イスラム圏となり、物騒らしい。この街のホテルで夕飯を食って、朝飯も食って、驚きの価格1,800円だったこと。窓のない部屋であるが、エアコンはしっかりと効きすぎているくらい寒い。そしてリモコンは一度設定するとホテルの管理人が持ち帰るので、操作できないのだ。彼等のリモコンはファーレンハイト表示なので、温度設定してもらった時は温度の感覚がわからなかったのだ。シャワーは水しかでない。旅行では厳しいが、仕事ではなかなか興味ある体験となった。
10月28日(木曜日)
DVD of You-Tube
You-Tubeには多くの音楽のコンテンツが投稿されている。いつかは、テーマ毎に見たいものだと思っていた。が、今日そのノウハウをネットで見つけて早速試してみた。You-tubeはReal Playerでダウンロードできる。そして有償のReal player plusをインストールすると、そのダウンロードしたデーターをDVDビデオに焼き上げることが出来る。試しに焼いてみたが、24型のTVで見るにはいささか厳しいが、8インチのポータブルDVDで楽しむには十分な画質がある。松田聖子の「瞳はダイヤモンド」は高画質で、聖子ちゃんの肌も綺麗なのが十分に感じ取られる。あのころは、完全に彼女に虜になっていたな。そのころは名古屋に住んでいて、刈谷市民会館にライブを見に行った。彼女は怪物だったというのがこの映像からも感じられる。「Manhattan Jazz Quintet Live in Pitt In」は、スティーブガットのドラム迫力が楽しめる。ピットインは新宿の地下にあるライブハウスで、20歳の頃、小田急ハルクで仕事をしているときに何度か行ったことがある。天井の低が低く、大変デッドな室内だっと記憶しているが、その様子が十分に感じ取られる演奏だ。音の方もヘッドフォンで聴く限り、そこそこの音質がある。You-Tubeには本格的に取り組む価値がありそうだ。
10月27日(水曜日)
信じる道
どうやら台風が来るらしい。そのための雨が降っている。昨日は急に冷え込んで、シャツ一枚で出勤してたのが、急にジャンパーを着るほどになった。気象庁は現象のみでこの気候を伝えるが、例年と違う気候はどうして発生しているのか説明する責任があるのではないかと思う。それは、間違っているかも知れないが、とにかく情報を公開する責任と言うことだ。この気象の分析には国民には知らされてないが莫大なお金が投下されているはずだ。だが、彼等は不確かな情報をだしてたたかれるよりは、じっとしておこう。本当にやばくなったら、情報を出そう。それが無難な道だと彼等は判断しているだろうね。それがサラリーマンの生きる道だと信じて。本当にやばくなるときは、取り返しのつかないときなのだが。それと、もう一つ気になるのは、TPPの貿易協定だ。社民党の福島党首や国民新党の亀井さんは、この貿易協定に参加すると、日本の中小規模の経営が壊れるとして反対の声明を出した。僕はレレレ化しましたね。この国の閉鎖性が、外国からの投資を呼ばず、競争力の低下につながって、中小規模の経営がどんどん破綻している現状をどう見ているのだろうかと思いましたね。いま、まさに日本は沈もうとしているのですよ。分からないのですか?だが、彼等は政治勢力の駆け引きばかりに目が向いていてちっとも国民の方を見てないのは、政府ばかりでなく、野党も同じだとだ。そしてそれが政治家がもっとも注力すべき道だと信じている。いはやもはや。
10月26日(火曜日)
世界の片隅で
Three cup of tee
アメリカの活動家のグレック・モーテンソンは、ヒマラヤのアタックに失敗して、九死に一生を得てパキスタンの村で命を取り戻した。それ以降、かれはパキスタンの貧しい人達に何か恩返しが出来ないかと悶々としている内に、学校が必要であると情報を得て、アメリカで資金を得て、パキスタンのヒマラヤに近い村で学校を建てる。その評判を聞いて、別の地区からも要請があり、再びアメリカに帰り資金を得て、学校を建てる活動を始めた。そのうちに9.11事件があり、アメリカはアフガニスタンに大規模な空爆を行う。グレック・モーテンソンは、彼等がなぜこのような行動に及んだのか原因を突き止めない限り、第二のオサマ・ラビンは必ず出てくると、アメリカ政府に抗議するが、ペンタゴン始め政府は聞く耳を持たず。と言う話がこの本につづられている。パキスタンやインドに暮らすアーリア人のイメージはこの2年間で十分理解できたので、この本は非常な関心を持って読むことが出来た。この本を読む少し前に「海外ブラックロード スラム街潜入」を読んだ。こちらも、タイ、インド、フィリピンの取材があり情景が目の前に広がった。世の中の価値についていろいろと教えていただいた本だった。今まで、日本しか知らなかった、しかし、今は少し違った目で日本や世界を見ることが出来るようになった。
10月25日(月曜日)
AVCHDについて
遅れた夏期休暇の後、職場に向かう足取りは意外と軽かった。メールもそんなに多くは溜まってなく、スムーズに職場復帰が出来た。今週は来月のスケジュールの調整に費やされる。関係部署にメールを送って返事を待つことに。外の世界に目を向けると、少しの間だけネットにアクセスしなかっただけなのに世の中は大きく変化していることに気がつく。特にAVCHDの編集ソフトがここに来て著しく進歩したことだ。世界中で動画の記録は大変な需要がある。下のクラスは携帯電話の一部の機能をつかったもの。中クラスはデジカメの動画とHDが撮影できるズーム無しのムービー。上級はAVCHD機能を備えたムービーだ。いずれのコーディックにも対応できるソフトが安価に提供されている。取り込んだ映像をタイムラインにドラッグするだけの作業で編集ができあがる。このタイムラインには静止画も挿入できるので何かと便利だ。アドビのプレミアムかMacのファイナルカットプロかと言われた時代はとうに過ぎ去ってしまっていたのだ。ビデオ映像について浦島太郎さんだった。私は、いつかはこれに手を染めなければならなくなる時が来ると思う。
10月24日(日曜日)
And they pledged to "refrain from competitive devaluation of currencies" - an effort to calm anxiety over a wave of protectionism in which countries would weaken their currencies to bolster their own exports.
そして、彼らは、「通貨の平価切下げ競争を控えます」と誓約しました--国がそれら自身の輸出を強めるためにそれらの通貨を弱める保護貿易主義の波の上の心配をなだめるための努力。
これは、ワシントンポストのG20の会議の記事を、翻訳機にかけて訳した文章。
これに関連し、野田佳彦財務相は会議終了後の記者会見で「市場の動向をみながら必要なときには適切な行動を行うという意味だ」と指摘。為替介入に理解を得たとの考えを示唆した
これは、今日の日経新聞に掲載された野田さんのコメント。
この会議で使われた、Refrain(差し控える)の意味を野田さんはどのように解釈したのだろうか?
どうも大きな会議で発言できず、しかし、日本人の記者には横柄な口をきく閣僚のイメージがあったので、調べてみるとこのようなことだった。我々の代表が世界の檜舞台でこのようなことしか出来てないのかと思うと情けない。なんや、そこらあたりのおっさんと同じやんけと思いましたね。夕刻プール3km。所要時間1時間5分。往年の速度が戻ってきました。
10月23日(土曜日)
TVの調査
日本橋に行った。ダイテイさんで、BDのディスク10枚で950円。DVD-DL 9枚で870円。を購入。もうディスクの価格には差が無くなっている。このDVD−DLはヤマダ電機で調べると5枚で1050円だったので、この価格は日本橋の特有のものかも知れない。日本橋の人出は結構多い、そしてコスプレの女性の多いこと、人が多いのは堺筋のメインの商店街ではなく、その裏の通りだ。昔の日本橋のにぎわいが戻ったような感じだ。ただ、家電品はもう主役ではないのが残念であるが。さて、最近のTVはどうなっているのだろうかとヤマダ電機LAVIを訪問した。なんと新聞で騒がれているようにものすごい人がTVを買っている。3つあるレジは椅子が設けられて1時間待ちの様子。全部で50人ほどが並んでいる。特に32型については、特別なレジがあった。これは持ち帰りを前提としたレジのようだ。映像の比較では、まず37型液晶TV。日立L37XP05 105k10% とPana THL37R2 112k10%のサッカーシーンでは、選手が動く時、選手の周りにノイズが発生する(モスキートノイズ)が、これは、日立の方が少ない。そして明るさでも日立が明るい。この展示での比較は日立に軍配が上がる。次に42型の比較。東芝Z1 127k23%と、PanaD2 186k10%。サッカーシーン、ここでもD2には選手の動きに合わせて体の輪郭にノイズが乗る。芝生の濃さはD2がより濃い。精細感はZ1が高い。この比較ではZ1の圧勝だ。46型の比較。ソニー46HX800 184k10% シャープ46LX3 236k20% 東芝46Z1 200k15% 。ゴルフシーン。みどりの濃さはLX3→Z1→HX800、空の青さLX3→Z1→HX800。肌色Z1→HX800→LX3。原色にはクアトロンが強いのを実感したが、中間色は色のノリが悪くなる。50型の比較PanaP50V2 218k21% シャープ52LX1 198k 東芝55Z1 305k20% 。ドラマのシーン。顔色はZ1とV2がいい勝負。明るいシーンのメリハリはZ1。テロップの見やすさV2。PDPはやはり画質が良いのが確認できた。TVはじっくり見れば違いがよく分かる。サイズによって得意なメーカーが変わるというのもある。いつTVは買うべきか?少し待て、実は、アメリカではソニーからOSにアンドロイドを搭載したTVが発売された。CPUはインテルのアトムで、岩が大きな画面のついたPCと言う感じ。ひ弱なアトムでも、GPUの働きを強化すれば、ハイビジョンの表示は十分に可能である。このテレビは、TVでインターネットが楽しめる。リモコンはキーボードがついたゲーム機のようなもの。アメリカの消費者は、3Dを買えばよいの?それともインターネットTVを買えばよいの?と迷っているようだ。それに対し、ソニーの幹部は、インターネットTVで3Dができれば最高だと答えたと新聞にあった。このTVは日本でも発売するらしい。このPC的なTVを見てからでも遅くない。そしてアンドロイドOSは無償公開だから、他の家電メーカーが採用する可能性は大いにあると言う。これらを見てからでも遅くはないのだ。エコポイントは無くなるが、それ以上の価値あるTVが登場するかも知れない。この記事はニューヨークタイムのテクノロジー覧に掲載されている。
10月22日(金曜日)
ユーラシア大陸横断
録画しておいた番組に戸井十月さんのバイクによる「ユーラシア大陸横断」と言うのがあった。民放の海外取材は綺麗なところのみをピックアップするので、どんな国でも同じように見えてしまう。しかし、この番組は地のままを撮影したような感じの番組で興味を持ってみることができた。汚いホテルや、人との出会いや、そこでしか食べられない屋台の食事とか、僕がアジアの行く先で見てきた感じによく似た部分があるので余計に引きつけられたわけだ。それは、あまり他の人が感動することではなさそうだが、その場の空気が少しでもわかる人にとっては、なかなかおもしろい体験ではなかったかと思われる。言葉はそんなに多くなく、これなら、僕もペンと紙をつかって、同じようなことはできそうだと見当を付けた次第。欧米ではこのような体験はもうできない。のこされた秘境の地区はこの番組のように中央アジアや、他には南米、アフリカのような気がする。▲一日部屋の中にいると体力が充満してきて、体はエネルギーの放出を求めている。そこで近くのプールに行くと、閉館前の1時間しか利用できないという。そこで、少し距離はあるが、門真にある「なみはやドーム」を訪問した。ルールに少しとまどったが、水深の深い、少し水温が低いプールがあり、ゆっくり泳ぐことができた。3kmを泳ぐと体力を使い果たしたようで体の方も満足してくれた。家に帰ると猛烈な睡魔が襲ってきた。
10月21日(木曜日)
再び大阪へ
電車で大阪に帰ってきた。電車と言っても3時間半、つまり飛行機と比べても30分程度の時間が余分にかかるだけ。この旅で、田舎の両親は老い、ますます頑固になり、ゴミだらけの家に暮らしている。前には掃除もしたが、今では追いつかない程のゴミがあふれている。捨てるものを整理するのには限界を超した感じなのだ。洗濯したズボンはとうとう最後まで見つからなかったように、なにがなんだか分からなくなっている面もある。しかし、近所の人が訪ねてくると、旨いこと会話をするのが不思議だ。重い気分で大阪の家にたどり着いた。でも、この休暇は収穫もあった。音楽がまた僕に近づいてきたのだ。大阪に赴任してしばらく遠ざかっていた。妙に落ち着きが無く聞く気分になれなかった。しかし、だんだんと今の生活慣れ、実家でいい音を出すことができるようになり、音楽が身近になった。久しぶりに聞いたスメタナのモーツァルトは、僕が20歳の頃、小田急百貨店で購入したLP。デノンのPCM録音第一号のレコードだった。この演奏がなかなかしっとりとしていて、弦の艶が目の前に広がる。しばらく聞き入った。そして、こちらにも同じ音楽がHDDに記録してあるので再生してみると、やはり同じ感動が蘇った。今日から音楽は手放せないぞと思った次第。
10月20日(水曜日)
哲学書
この3日間を使って、アメリカのアマゾンで最も売れたと書かれている、「これからの正義の話をしよう」マイケル・サンデル氏を読んだ。文章が結構重くて、1時間に20ページほどしか進まない。それによると、人間の生き方についてはすでに紀元前300年頃には大体議論され尽くさていたと言う事実にいまさらながら気がついたと言うわけだ。カント曰く、「嘘はいけない、しかし誤解を与える言葉は仕方ない」、小沢幹事長などこの考え方に沿っていますね。「私はどう生きれば良いのか?」この解にこんな考え方を提案する人もいる。「私はどの物語のなかに、自分の役を見つけられるのか」。アラスデア・マッキンさんと言う人の考えだ。本書ではたくさんの考え方を提示しているので書ききれないが、最後に要約として、正義についての考え方は議論をすればするほど掘り下げられて、真実に近づける、と言う。しかしながら、狭い心しか持ってない私は、議論すればするほど、相手への感情的なしこりを残すのと思われる。だが、哲学者はそうは考えないらしい。いわゆる理屈をこねるのが好きなようです。
10月19日(火曜日)
極性を合わせる
田舎の実家には、AVシステムがある。プレーヤーはSL−1100.アームはEPA−100,カートリッジはデノン103、プリアンプはSU−A200,チャンネルディバイダーはSH−D1000、クロスオーバーは400hz。低音アンプはSE−A3、高音アンプはSE−A100.低音スピーカーはEAS−46PL40,中高音スピーカーはSB−M01.CDプレーヤーはソニーのCDP−X7ESD、BDプレーヤーはPS3、TVはTH−42PX10.
古いテスターの修理に半日かけて、これらの電源極性合わせを行った。これは簡単な作業で、本体のシャーシー電位が低くなるように、電源プラグの方向を差し替える。いままで、これをやってなかったのが不思議だ。この極性合わせを行うと、音の定位が良くなり、ボーカルはセンターに、クラシックのバイオリンは右に定位した。そして、LPレコードはしっとりとした音が出るようになった。しかし、CDの音が妙にきつい。まるで妻が私に接するのと同じ感覚だ。それで、割と新しいオーディオテクニカのオーディオケーブル(CDからプリアンプ接続)を、プレーヤーからアンプに接続するときに使っていた古いケーブルに差し替えてみると、途端に音がしっくりとなじんだ。これで、CDもLPもなかなか満足行く音になった。一度LPに針を下ろすと、なかなかその場を離れたくなくなるような魔力に誘われるのだ。そして、極めつけは、SACDをPS3で再生した。サンサーンス交響曲第3番。CDの音と比べるとオーケストラの楽員が10名ばかり増えたように感じる。シマムセンの鈴木さんが言っていたように、SACDは全てのオーディオ機器を蘇らせると言うのが実感できた。
10月18日(月曜日)
映画
「サロゲート」と言うのは、人間の代理ロボットで、人が自宅でマスクをかけて横たわると、その意思を継いだロボットが、外で活動をしてくれる仕組み。ところが、これを販売する会社の会長は人間があまりにもロボットに依存しすぎると言うので、このロボットの全滅をもくろむ。そこに毅然として立ち向かうのが、ロボットの使用権をはく奪されたブルース・ウィリス。「ダイハード」の域を抜け出せてない映画。
次に見たのは、「シャッターアイランド」。最初に@誰も信じてはいけない。A目線、表情を見逃してはいけない。Bあなたの脳を信じてはいけない。と衝撃的な告知がある。期待に胸膨らませてみた。この島は、精神を患った人が収容される。そこに、主人公のレオナルド・ディカプリオが失踪した患者を探しにやってくる。失踪したのは、婦人で鍵のかかる部屋から突然いなくなったという。デカプリオは刑事役だ。犯人探しがこの映画のポイントだと見てたら、デカプリオも実は患者の一人であり、その妄想を映像化したものだのだ。最初の注意書きに推理小説で犯人を捜すような期待させる感じがあったが、筋が変な流れとなり、内容が少しお粗末。スリルが無かった。
「プライベート・ライアン」。ノルマンディ上陸作戦の一番乗りを果たした、トム・ハンクス役の大尉は、大佐から腕を見込まれてある作戦に出かける。それは戦争で4人の息子を送り出し、3人が戦死した情報に接した大佐は、四人目の息子を戦場から救出しろ言う内容だった。9名を選抜したトム・ハンクスは、ドイツ軍が占拠するフランス奥深く侵攻する。そこで4人目の息子、ライアンを見つけるが、これが、戦争から抜け出したくないと言う。(普通はそうは思わないが、映画の為にそう思っていることを理解する)そこで、やがてやってくるドイツ軍戦車部隊と戦いを繰り広げる。これは、すばらしい内容の映画。音響もスゴイ。これだけはBD-DRモードで録画してあるので映像も抜群。
最後に「アイ・カム・ライズ・ザ・レインボー」を見た。アメリカの製薬会社の息子がフィリピンで消息を絶った。息子の名前はタカオ。木村拓也が扮する。これを探して連れ戻してほしいと言う仕事を、探偵が請け負う。ミッション・イン・ポシブル的なシナリオ。探偵はフィリピンで探索をしているうちに、どうやら、香港にいるのではないかと言う情報が届く、そして香港に撮影場所を移すが、そこは、香港に隣接した広大な空き地が舞台という、撮影場所に妙にお金をかけてない疑問がわく、そんな詮索は映画をおもしろく無くさせるのだが妙に気になる。そして、クサイ女優の演技、切れる理由がわからないやくざと言い、C級の映画だった。日本No1のキムタクがなぜ、こんな低級な映画に出演しなければならないのか。といろいろ疑問がある映画だった。これら4本を一気に見た。
10月17日(日曜日)
訪問
しっかりと朝飯を食ったのに、もう空腹感がある。「赤岡の豚太郎」この辺では人気のラーメン店だ。ニンニクラーメン630円を注文した。味は大味で高知の気質を反映したもの。つまり、あまり美味しくはない。大阪や東京と違って高知では、知人の家庭を訪ねることが気楽にできる。今日は友人の川竹さんを訪ねた。後で都築さんも訪ねてきた。川竹さんは先ごろ心臓の病気で退院したばかりだ。それでお見舞いを兼ねて訪問した次第。様子はすっかり元気になり元に戻っていた。少し長い入院生活でポータブルDVDを持ち込んで映画を見たと言う。それは正解だと思う。午後2時過ぎ都築さんは明石に帰るというので、一緒に退散した。のどの渇きを覚えたので、コンビニで缶ビールを買い飲みながら自転車を漕いだ。まだ太陽は強く汗ばむ陽気である。それからオジサンのビニールハウスを訪ねた。父も父の兄も、父の弟にあたるこのオジサンもみんな心臓が悪い。僕の家計では心臓病が一般的なのだ。このビニールハウスの裏側は高規格道路が貫通した。来年の春には通行可能とのこと。つまり我が村に高速道路が貫通すると言うこと。晩飯はおじさん所で頂くことに、料理はカツオの刺し身だ。カツオは千葉で食べていたのが旨いと思う。高知のカツオは脂のノリが少ない。高知で獲れたいい魚は東京に向かうのだろう。しこたまビールを飲んで自転車で帰宅した。暗かったがまだ6時半だった。午後8時前には70kmの自転車を乗ったこともあり就寝。約10時間の睡眠を取る。
10月16日(土曜日)
我が村
犬の散歩に遠く離れたローソンまで新聞を買いがてら行く。片道1km。ついでに、「カッパ市」と呼ばれる市場を覗く。近所の人達が野菜や魚をここに出品して販売している。とにかく安い。鰹一匹が350円。なすやピーマンは、大きな袋で100円。僕は鰹とピーマンとニラを買った。500円でおつりが来る。そこに妻の兄と合った。かれはここで働いている。今日は、和食でお祭りがありそこに出品するのだという。どんなお祭りなのか興味があって後で、寄ってみた。この村にこれほどの子供がいたとはと思わせるようなにぎわいぶりで、道路を閉鎖してバザーが開催されていた。腰の曲がったおばあも、もちろん居た。ここで、佐和ちゃんにあった。彼女も57歳。立派なおばさんだが、穏和なお姫様だったので、決してそんなには見えない。彼女のお母さんは学校の先生で、もちろん僕らは勉強を教わった。今は余り調子が良くないらしい。もう少し話したかったが、この祭りの役を持っているようで、早々に解放してあげた。その夜は、都築さんがゴルフで当てた肉を食べに来ないかとお誘いがあり伺った。立派な但馬牛で霜降りの旨そうな肉だった。これを食べると確実に体のコレステロールが増えると思い、2切れ程頂き後は野菜だけを賞味した。ここのおばさんともしばらく話をしてなかったので、特にインドの汚さについて写真を見せながら紹介した。ビール2本を空けてふらふらになった。
10月15日金曜日
明石と言えばタコ焼き
今日は仕事を早く終えて明石にやってきた。明石でたこ焼きを食べよう。だが、探すとなると意外に見つからないもの。マクドナルドやケンタッキーは目につくのだが。駅前を歩くこと15分、目的とは少し違うがタコ焼きを見つけました。「一龍ラーメン」の店。ラーメンも最近食べたくて渇望してた。それは、寝る前に椎名誠氏の麺の甲子園を読んでいるからだ。これは、全国の麺を食べ比べして一位を選出しようとする企画の書籍だ。例によって相当なバイアスのかかった評価であるが、なかなか癒される。それとタコ焼きが結びついたのがこのラーメン。「石焼きタコラーメン」だ。まず、石でできた器を焼く、そこに麺やら具をのせる。最上に生のタコだ。器が十分焼けた状態で客の前に出してくれる。そこで、秘伝のスープを注ぐ。猛烈な蒸気とともに、スープが沸騰し始める。タコが赤くなったら食べ頃ですと言う。その間に、ニンニクをすりつぶすとか、ニラとトウガラシの和えものをラーメンの中に混ぜるとかの作業を行う。約2分くらいで食べられるようになる。とにかく熱い、辛い。旨いが食べられない。という、大変貴重なラーメンだった。待ち合わせの時間が来て、友達の車で5時半出発。真っ赤に染まった夕焼けを見ながら一路高知に向かった。話題は音楽。彼はヤマハの特約店なので音楽には詳しいのだ。しかし彼の嘆きはこの音楽を語る仲間が最近はいないと言う。今の若者は音楽がなくても生きられる。そして、なんと、彼の話の中で私の情報網にまったくひっかからないアーティストが登場した。しかも有名だと言う。名前はプリトニー・スピアーズと言う。さっそくiPhoneでネットにアクセスして写真を見るとかわいい娘だ。次回出張時にぜひDVDを買おう。話をしている間に高知についた。4時間。途中徳島県の吉野川パーキングでたらいうどん450円を食った。高松のうどんの流れを汲む味だった。実家に帰り着き一段落。庭では秋の虫が鳴いている。落ち着きますね。おもむろにオーディオの電源を入れて、高校生の頃良く聞いた映画音楽のLPを3枚ほど再生したが、あの頃の思い出は甦らなかった。記憶が流出してしまっている。
10月14日(木曜日)
懐かしい人
職場で仕事をしていると、久しぶりやなと僕の方を見る。僕の後ろの人に話しかけているのかと思えばそうではない。近づいてよく見ると、昔大喧嘩をしたK氏だった。2000年の始め僕たちは大勢で新しい職場である東京の事務所に引っ越した。そこでの仕事はミニコンポの企画をすることだった。と言っても、僕が作るわけでなく、設計者の企画したモノを吟味する仕事だった。そこの総責任者がK氏だった。始めての仕事は、来年度のミニコンポのコンセプトを決めることだった。そして提供いただいたデザインをみるとどうも僕の感覚とは違う。これでは、要望の販売金額を満たすことが出来ないので、他社の○○と言うモデルをOEMで購入して欲しい、と僕は言った。烈火の如く起こったK氏と大喧嘩になったのは言うまでもない。その後しばらくして、再び大阪に出てこないかと連絡が来た。そして見せてくれたミニコンポのラフスケッチは僕の気に入るモノだった。やれば出来るじゃないか、とは言えなかったが、凄く満足した。このモデルは前年のモデルの3倍を販売して、お互いに喜んだ。その後彼は別の部門に転勤し、僕も転勤してここで逢ったわけだ。今どんなことをしているのか?と聞くと、僕は何でも出来からと言っておられた。僕もそう思った。私は彼のことを日本のスティーブ・ジョブスだと思っている。
10月13日(水曜日)
晩飯の問題
事務所から徒歩で帰る道すがら、夕食の献立を考える。外食は800円もするのでできるだけ敬遠だ。いきつけのスーパー「ライフ」で物色していると弁当が目に入った。この時間帯の弁当コーナーは相当な人で賑わっている。心境は僕と同じだろう。作るのは面倒、しかも作るメニューに思い当たらない。野菜は、買い置きのタマネギを湯がいた上に、ちりめんじゃこをかけて頂くことにしよう。それに、390円の弁当の組み合わせだ。家に帰って早速調理し、PCの電源を入れて電子配信の日経新聞を見ながら食事を始める。チリでは救出が始まった。日本の宇宙航空師、井川さんの見解。「同じ釜の飯を食った仲間だから、あの狭い空間で生きられたのだろう」と分かったような評論をしていた。僕は外国人に浪花節的な評論は当てはまらないだろうと思う。まず宗教が違う、彼らの宗教は唯一の神だ。日本人の中には神が沢山いる、八百万の神と言われる程存在する。それに、和を持って尊しとは違う生き方だ。何事も交渉と契約だ。それに、南アメリカは、アメリカ的ではなく、欧州的雰囲気が強いと言う。日本から見ると、欧州的な考え方はアメリカ的よりも更に遠いのだ。そんな人たちを、一部の知識が優れているからと言ってインタビューするマスコミの人選もおかしいと思う。まぁ今のマスコミに見識など無いのですが。
10月12日(火曜日)
映画の交換
今日はN氏と手持ちのDVDの交換だ。僕の持っている最新のDVDと彼の最新のDVDを交換する。N氏からは、「パーシージャクソンとオリンパスの神々」。「サロゲート」。「Drパルナサスの鏡」を頂いた。僕は「処刑人U」、「のだめカンタービレ」、「シャッター・アイランド」を提供した。フィリピンで買った英語音声のみの「ハートブレイク」は敬遠された。僕の情報源は近くのツタヤレンタルだが、彼はネットからのダウンロードとのこと。最近のネットはデーターを見破られないようにするため、映画データーの拡張子に「.jpg」などをつかい、この世界の住人でなければアクセスは不可能といわれるほど複雑化しているそうである。今週末から遅めの夏休みを頂く予定。この遅めの夏期休暇はたっぷりと映画三昧ができそう。
10月11日(月曜日)
レポートを昼までかかって作成した。澤野さんのCDを聴きながら作業を進めた。前にも書いたが、澤野工房のjazzは知的な響きがあるので、休日などでレポートをまとめなければならないときなどに非常に向く音楽だ。他にも、バッハのバイオリン無伴奏組曲もレポート作成に向く。音楽のリズムが、考える速度にマッチしているからだろう。その後、録り貯めたBDの整理。東京ジャズ3日間はDRモードで録画。初日のボーカル特集を少し見る。ロバータフラックが登場。Killing me softlyを歌った。この音楽には想い出がある。小田急に勤めていた頃、一緒に働いていた長沢真澄さんと言う相当アンチナ人が推奨する音楽がこれだった。複雑なジャケットで、レコードを取り出すのが一苦労だ。アトランティックのLPでレコード自体が綺麗だった。この危険な香りのする長沢さんとは好奇心半分と警戒感半分でつきあった。一年ほどで会社を辞めてアメリカに行ってしまった。一旦帰国したときに再会したが、一段と綺麗になりびっくりしたが、危険な香りはますます強くなっていた。果たして今生きているだろうか?次にはローリングストーンズ特集。1990年のライブ。実にパワフル。次は、次の世代に残したい昭和の音楽、八代亜紀や加山雄三などが登場。マーラー生誕150周年記念コンサート。今週は充実した音楽放送が多かった。夕刻プール2.5km。息継ぎをせずに35m潜れるのを再確認。
10月10日(日曜日)
昼に帰り洗濯をして、プールに向かった。割と空いていたが、疲れているのか苦しい。そこへ、大柄の男が割り込んできた。この人は僕より少しだけ泳ぐのが早い。一回の泳ぎが500m位だ。だから、追いつかれない程度には泳げる。だが時計を見ると2.5kmを55分程度で泳いでいる。この人にずいぶんと引っ張られたわけだ。プールから上がるときに顔をみたら外人だった。"I am tired" "Very good"別に彼の指導を受けているわけではないのだが、これがアメリカ人か。そしてシャワーの待ち時間でも再び顔を合わせた。何キロ泳ぎましたか?(これは日本語で聞かれた)"2.5km, about one hour"どこに住んでいるのか、いつもどれくらい泳ぐのか、と聞かれたところでシャワーが開いて中断した。また、会う機会があれば話しもしてみよう。難しいはなしでなければ、外国人と向かい合うのは別に苦しいことではなくなった。帰って出張のレポートをまとめながら沢田研二特集をみた。現在はワイルドワンズと行動をともにしているようだ。加瀬邦彦と中がよいとのことを始めて知った。
10月9日(土曜日)
今日はハイエンドショウ。有楽町の交通会館で開催されている。まず腹ごしらえに、蕎麦屋さんを探したが、ない。丸井がオープンして、駅前が綺麗になり、昔の店がすっかり姿を消した。代わりに吉野家の牛丼。店員が中国人だったので少し気分を悪くした。中国人の接客は横柄なのだ。
まずは、音元出版のブース。スピーカーにモニターオーディオPL300。プリにアキュフェイズC3800,パワーアンプに同じくアキュフェイズA65,CDもアキュフェイズP−700。多分600万円超の価格。ここで、林正義さんの司会による、ケーブルや電源ボックスなどのアクセサリーの変化をデモしていた。電源ケーブルだけも12万円くらいはする。その変化は、腰が据わった音。交換すれば分かるが、最初から聞いていると、不満はない。ここのブースの音が最高だった。
次は完実電機主催の小さなメーカーのセミナーだ。私は横浜ベイサイドオーディオのデモを聞いた。ここはPCオーディオに力を入れている。「ブラボー」と呼ばれるUSB信号から、デジタルオーディオを生成する機器の紹介と、PCで再生するプレーヤーのソフト紹介だった。このPCソフトは再生機器に応じて内部処理を24ビット96khzまで自動的に切り替えるという。普通はOSのオーディ回路を通るので、16ビット48khzの出力しかしないという。しかし、デモはスピーカーが貧弱で普通の音だった。
逸品館の清原さんは、いつも知らないデバイスを使ってその効果を教えてくれる。この人はものすごく頭がよく、話も分かりやすく、なかなかたけた人で、この人を超える人材はこの日本にそんなにはいないだろうと思う。だが問題はこの人の音楽に対するセンスが良くない。彼の求める音は、僕には向かないのだ。今回紹介のあったのは。ワードクロックジェネレーターと呼ばれるもの。CDやDSPは水晶発振器の振動を利用して、デジタル信号の処理に必要な標準信号を得ているが、これが、揺らぐのが問題である。それは、CDからアンプにデジタルで接続したときなどで発生する。それで、この電送時のクロックを安定化してあげようというのが、クロックジェネレーター。ところが安定した信号を得るためにはルビジュームを言う材料を使わなければならないとのこと。しかも大変高価だ。しかも使うに従って減るとのこと。そこで注目したのが、GPSから発信される10Mhzの信号を受信して、これをマスタークロックにしたらどうかというのだ。それを使った音を聞いた。スピーカーはタンノイのキングダムロイヤルで550万円もする。アンプはエアボーでこれはプリメインで50万円。CDプレーヤーはエアボーUX1SEで150万円。確かにONとOFFでは腰の据わり方が違う。
次はスペック。こちらは話がアナログ的でいかにもと思わせる引きがある。例えばコンデンサーは50V22000μFを75V12000μFに替えたら、音が途端に良くなった。それは、コンデンサーの中に蒔いてある泊の厚さが違うのです。アンプは音楽と一緒になって振動している。その振動をカエデのベースを使って受け止めたら音が違った。金属のベースで固めるよりも音が柔らかいのだと言う。スピーカーはB&Wの802を使っていた。そのご、ミュージックDDなる奇妙なものをスピーカーに取り付けた時の音を聞いてくれと紹介があった。ONとOFF。ボーカルがまるで違った。スピーカーの間に立って歌っているような臨場感があった。
次に休憩がてら即売会会場へ行った。何とそこには澤野工房の澤野さんその人がいたのだ。澤野ジャズは昔からのファンだった。東京に移り住むことになって苦しかったときにこのジャスに救われた。澤野さんのジャズは知的な響きがするのである。せっかくだから一枚CDを購入。ついでに写真も。何と本拠地は恵美須町と言うではないか。昔ここで商売しているときに、店の前を通った事があるはずである。今度行こう。
更に奥に行くと、マスターから直接CD−Rに焼いたCDがあると言う。オリジナルサウンドと比べると、確かに、どしっと腰が据わる。普通のCDが2500円、このCDは手焼きなので9800円。確かに良さはある。CD−Rは太陽誘電の1倍速ディスクだ。だが、これでディスクの話は終わらない。更に上手がいたのだ。ガラスのCDだ。一枚98000円。何と高いと思った特別焼きのCDの10倍もする。記念に聞いて行けと言うので聞かせてもらった。こちらもぱぁ〜と視界が開けるようだ。寺井尚子さんのバイオリンだった。聞けば、6枚も売れたとのこと。写真を撮影すると、是非プログに載せてくれと言う。
その後、オンキョウ。ここは知り合いの辻さんがデモを行うので聞いた。すでに音楽配信では40000曲の提供があるとのこと。そのうち60%は24ビット96khzのハイビット信号とのことだ。完全にCDの音楽再現領域から超えた世界になっている。
ずいぶんと疲れたが充実した二日間であった。1階に降りると、酒屋さんがあった。好みの酒の味を伝えると、2つばかり飲ませてもらえたが、後のお酒が良かった。あなたの好みは原酒が似合うとアドバイスを受けた。この人はいつもここにいるのか聞くのを忘れたが、東京でお酒を買うときにはここに寄ればおいしいお酒を紹介してくれることを発見した。こちらの仲間にはお酒好きの人がいるので丁度良い。
10月8日(金曜日)
今日までは天候が持つとの天気予報だったので、自転車で幕張まで出かけた。ゆっくり自転車を漕いでも1時間半もあれば到着する。9時前に到着して入場券発行の先頭に並んだ。9時半に受付開始だったが、僕のバーコードは読み取りができなくて、手打ちとなったので、少し時間がかかった。そのため、1号ホールの入り口には到着が遅れ10列目ぐらいとなった。
そして、10時オープンと共に、東芝裸眼3Dコーナーに駆けつけたが、実際見るには1時間も並ぶ羽目になった。裸眼3Dは解像度が良くないとか言われるが、実際の映像は十分綺麗で実用域に達している状態だった。20型は8視差で、4k2kパネルを使う。一つのフレーム解像度は1280×720。8視差分の画素を横に並べるので横画素は10,240画素ある。液晶は微細加工が可能なため、このような解像度を出せるのだ。
次に向かったのがシャープの裸眼3D。ここも1時間半待ち。これは断念。その隣で、3Dデジカメのデモがあった。このカメラは、2つのレンズが3cmしか離れてない。人間の目と同じようにレンズは6.4cm離さなくてはならない事はないわけだ。そして、写した写真はウラの液晶で3D表示されるが、これも相当な解像度があり、小型裸眼3Dは急速に進むことが予想される。任天堂のゲーム機でそれは加速されるというが本当だと実感した。だが、任天堂は3DSの発売を延期した。
次に向かったのが、ガラパゴス。シャープがi−Padに対抗して発売する電子書籍向けの端末だ。ピッチイン、アウトに対応しているし、綺麗で解像度も高い。課題は写真に対応してない。動画は後日対応だ。コンテンツの豊富さからi−Padは超えられないと見た。アドバンテージは、10.8型と大きいこと。SDカード対応であること。i−PadもSDカードが使えないわけではないが、2980円のアダプターが必要だ。シャープは、このガラパゴスと言うマイナスイメージの強い商品ネームをよくぞ選択したものだ。この会社は若い発想がある。AUの携帯で長蛇の列が出ていたのはアンドロイドのOSを採用した電話機だが、これもシャープ製であった。パナソニックは今更であるが、電話機にデジカメ(LUMIX)が付いたと訴求していた。
日立の裸眼3Dはいくつがあるが、その中でも携帯電話に使うサイズで、スクリーンの前に遮蔽物を置く方式で、右目と左目の視差を作り出す方式はもう十分な実用域だ。三菱電機のレーザー3Dは残念ながらサイドバイサイドしか対応がなく、映像が甘い。2Dレーザーテレビが綺麗なだけに残念だ。
ソニーの3Dは21mのパネルを使った3D。偏光方式によるもので、一度に100人程度の人が見ていた。めがねは安いので、管理はしてなかった。
ここで、仙台の仲間である古川さんに会った。彼も僕のHPを見ているという。仙台の出身だが、今は宇都宮に仕事の関係で住居を移して住んでいるという。彼は能力があるので、いずれは天王洲まで行かねばならないだろう。だが、動いても日本だ。命の心配はない。インドなどへの赴任は、飛行機事故や、テロや、風土病や、空気の悪さなど命の心配がある。赴任する人も、訪問する人も、仕方ないかもと心の隅で思っている。
ドコモの携帯電話は、メガネに通信相手を小さく表示させたり、地図を表示したりして、携帯電話の液晶表示がメガネをスクリーンとする表示に代わる提案だ。LTHと呼ばれる高速通信回線の実用化で、動画や情報が瞬時に受信できるようになるので、このような便利さも提案できるわけだ。オリンパスの持っているメガネのプロジェクターが再び花開くというわけだ。家庭では3Dのめがね。外出には、携帯端末の表示のためのめがね。後3年もすれば、異様な生活が実現しそうです。
タイコエレクトロニクスジャパンはコンパニオンが綺麗だ。ここまで足を伸ばす人も少ないので、わりとゆとりを持って撮影することができた。
帰り道、ビールを飲みながら自転車に乗って今日のCEATECを反芻すると、これは日本のローカルイベントだということだった。だから、外国のお客さんもほとんどいない。表示も日本語だけだ。世界に発信するイベントは、ドイツのハノーバーとアメリカのCESだ。
10月7日(木曜日)
幾分肌寒いが、昨晩の洗濯物は朝になるときちんと乾いていた。今日から千葉に帰るので平日だが家事を済ませた。抜けるような青空の下、重い荷物を抱えて1時間の徒歩出勤。毎日2時間の徒歩は、少々の食いすぎを十分内包してくれるような気がする。しかし、今日の夕刻は移動するので徒歩の時間がない、それで昼食の後ビルの周りを散歩しようとビルから出ると、「中村征夫の大阪湾」の写真展が開催されていた。散歩は中止して写真展を見ることにした。中村さんは水中写真家だ。彼の写真や文章が好きになったのは、椎名誠氏の本を読んでいて、椎名さんから盛んに中村征夫は良いヒトだと紹介があった。それで中村さんを知って、彼の本を読むにいたったのだ。中村さんは本当に海の生物が好きで、たまらない人。写真に添える文章にそれがにじみ出ている。文章に華があるのですね。写真に添える文章だから長い文章ではないが、それでも、中村さんが十分味わえるといった文章である。また、そうした文章が確信を持って言えるような写真である。プロとはこのような人の仕事指すのだろうなと思ったのだ。家に帰ると息子はきちんと勉強をしていた。歴史まる暗記をしている。「歴史を覚えるとは、その時代にどうしてそんなことが起きたのかを知るのが重要で、何年に何があるかを一言で言うのはあまり重要でない」と前に話したことがあるが、確かにその通りだと言っていた。そして、我が家には塾に行くお金がないので、受験勉強では負けている。だから、塾に言っても行かなくても差が出ない記憶問題に特化していると言うのだ。「そうか、なかなか頑張るな」。最後に、自分にもし子供ができたら、子供はひとりにして、教育にお金をかけると、彼の人生訓を教えてくれた。
10月6日(水曜日)
昼飯時に小林さんが尋ねてくるという。戸田さんも一緒だ。小林さんは来月定年を迎える。定年の送別会にはいけそうもないので、12月頃に東京で落ち合うことで話し合いができた。小林さんほど明るい人はない。自宅では無口で通しているというが、数年前にご家族の方とお会いしたときも無口ではなかった。小林さんには一度裏切られたことがある。宇都宮の出身の方で、いまでも東京の事務所に新幹線で通勤されている。その宇都宮は餃子が有名だ。そこで、あるきっかけで一緒に餃子を食べに行くこととなった。ところが、その案内されたお店の餃子が旨くなかったのだ。ぷりぷりの具と、中から滴るジューシーな肉汁がこぼれてくるわけでもなく、冷凍餃子となんら変わりなかったのだ。これじゃ、船橋にある、ボーリング場に併設している中華料理の店の餃子がよほど旨いやと思ったしだい。それ以来小林さんの味覚には?をつけて話をしているのだ。一緒の戸田さんは病気から復帰したばかりというが、いきなり一月間連続で出張したとか、結構無茶な仕事をしているようだ。それだけ回復しているということみたいだった。その後夕刻、門真で河口さんに会った。ずっと前に一緒に仕事をしたことのある仲間だ。年に一度だけ忘年会を行っている。今年はどうするのか尋ねると早速手配をしてみると言われる。どうやら、仲間の一人はおめでたの話があるかも知れないと言っていた。
10月5日(火曜日)
門真で勤めている今城さんと昼食をともにした。久しぶりに会う氏は、すごく肥えていて、近況を聞くと好きだった大酒をやめてないとの事。そして血尿が出たと言う。血のしょんべんをするほど頑張っているのかというとソウでもなく、普通の生活をしててこうなったという。検査でも当たる項目がなく不思議がっていた。門真には一眼カメラのレンズを借り行った。今、LUMIXの一眼カメラは一通りのレンズが揃い、面白くなってきたのだ。そこで、これらのレンズでどんな楽しみが広がるのか試したくなり借用と相成ったわけだ。レンズは14−28mmの広角レンズ、16mm魚眼レンズ、90mmマクロレンズ、200−600mm超望遠レンズの4本だ。特に16mm魚眼レンズは、近づいて撮影するとデフォルメ効果が高く面白い写真となる。隣の席に座っている女性を撮影したがなかなかおもしろい写真に仕上がった。14mmの超広角レンズは視野角が広く、通常では写せない風景がこのレンズの中に納まる。日常の風景が違って写る。90mmのマクロは背景のボケ具合が実によろしい。それで、同じ被写体を600mmの望遠レンズを使ってぎりぎりまで近づいて撮影してみた。背景のボケ具合は、マクロレンズが綺麗。しかし、望遠レンズは視野角が狭くなり、違った背景で大きくぼけるので、甲乙付けがたい写真に仕上がるのだ。そしてこの4本を持っても、レンズがコンパクトなのでかさばらない。これはキャノンボディーと70−200mm f2.8レンズ一本を持つだけで肩が凝るのとは対照的だ。このレンズを使って大阪城で撮影していると中国人の母娘がやってきて写真を撮ってくれとカメラを差し出した。尖閣諸島とレアメタルの輸出禁止であたまに来ていたので、すかさずNO。その後に来た韓国人はOK、撮影してあげた。これからも中国とは徹底的に戦っていくぞ。個人的には。
10月4日(月曜日)
ブラジルに赴任した北本さんにこの間の懇親会の報告を送ったら、返事が届いていた。今ブラジルは冬から春に向かっているとのことで、気分的に晴れやかになると書いてあった。ブラジルの生活は欧州的でアメリカ的とは違うという。私はアメリカに近いのでアメリカ的だと思っていたが、どうやら昔の植民地の関係があるようだ。サンジョセの近くの山に登ってきたというので、写真の添付があった。標高2000mとのこと。機会があれば歓迎するとも書いてあったが、36時間も飛行機を乗り継いで行く勇気はないですね。友人に外国で買ってきたお土産を宅急便で送った。お土産代よりも何と宅急便代が高いというなんとも不思議なことになった。日銀はデフレが収まらないとは言うが、まだまだ実際の生活をしていると、日本の物価はインフレだ。まだまだデフレの余地はある。しかし、インフレやデフレと騒ぐ前に、ビスネスの規制を少なくして経済の拡大に舵を取るのが重要だと思う。特に世界経済は自由化の方向に動いている。FTAがどんどんていけつされつつあるのだ。日本は蚊帳の外だ。まず、農業の法人化を認め、若者が農業に就職できる基盤をつくり、農業の安定化の後、FTAに早速乗り出すべきだとおもう。これを、FTAに乗り出す代償として農業にお金をばらまく政策では何も進まないと思うのだ。省庁が連携し日本の戦略を練るべきだと思うのだ。円高で日本の空洞化が始まる以上に、関税障壁で空洞化が加速されることが予想される。
10月3日(日曜日)
EXACT AUDIOのリッピングソフトで、マイケルジャクソン・スリラーをWAVデーターに変換してリッピングした。もう一つ、iチューンズでアップルロスレスを使ってリッピングした。そして、オリジナルCDと音の違いを比べてみた。オーディオ再生装置は、オーディオボードにオンキョウSE−U55GX、SU−V100Dにアナログ接続した。一番音が良いのは、WAVの再生。二番目にアップルロスレスだった。EXACT AUDIOはリッピングの際、CDのデータエラーを訂正してリッピングするので音がよいと言うのだがそれは本当だった。問題は500MB位をデーターで占拠することだ。先週シマの鈴木さんに教えてもらってから、PCオーディオについて俄然興味がわいてきたのだ。飲み友達が奥田民生のファンだという。早速CDを借りて聞いてみたが、どうもけだるい。しゃきっとしない。繰り返し聞くことでこの世界に入っていくことができるのだろうか?と思いながら、次のCDに移った、こちらはビヨンセ、こちらは相性があう。
10月2日(土曜日)
午前中は研修。自宅に帰り早速洗濯。一人住まいを謳歌するにはこのような付帯事項が含まれるのは仕方ない。久しぶりにレンタルを借りる。ところがいつものことだが一枚だけコピーできない、今回はシャッターアイランド、DVDシュリンクでリッピングできない。Fab8をダウンロードし直してリッピング。もう一つのPCにモニターにはbs2で80年代の日本のニューミュージックを映し出した。今まで70年代の番組は大体見たが、80年代は新鮮だった。途中でこちらに関心が移動。中でも稲垣潤一のドラマチックレインは秀逸だ。現在の徳永英明と言ったところか、彼よりも高域ののびはあるかもしれない。南佳孝のモンローウォークもすばらしい。僕はどちらかと言えばさらりとした歌詞を好む。べたべたしたのは嫌いだ。ぼくがべたべたしているからだろう。大黒摩季も久しぶりに聞いた、よく聞いたのは九州を担当していた頃だ。この頃が一番酒を飲んでいた頃だ。酒を飲んでいてもきちんとこの頃の事は記憶している。展示会があれば、この人のMDを持って行ってかけて説明をしていた。合展が終わり土曜日の最終便で大阪に帰るのは疲れたが充実したときだった。ただそれだけで満足して自己成長の研鑽は積んでなかったように思う。あのころ今の半分でも勉強しておれば。と思うのだが。
10月1日(金曜日)
この日を境にいろいろと変わるものがあるが、とりあえず僕の身の回りには関係が無いようだ。抜けるような青空の下、9時から午後7時まで研修だ。この日ばかりは何度時計を見ても止まっているような気がしましたね。昼食は社員食堂で570円。こちらは大阪の職場よりも一段と高価な価格だ。市中の食堂と変わらない価格だ。研修は予定より少し早く終了しこれから懇親会だという。立食パーティー形式で、炭水化物と動物性タンパク質の食べ物。おじさん達に高校生ラグビークラブの選手達が欲しがるような食べ物を用意したというメニュー。これで僕の心は完全にシャットアウト。今日はこの施設で宿泊なので、早々に引き上げました。宿泊施設は東横インの5,000円クラス内容。TVは何とアナログ放送のままだった。冷蔵庫はないがズボンプレッサーがある。熱い風呂に入って汗を流した。実は、このことは予想できていたので、部屋に帰っても楽しめるように、いくつかのDVDとプレーヤと日本酒を持ち込んだ。金曜日の夜はこれがないと終われない儀式である。映画は「容疑者Xの献身」福山雅治が余りにもかっこいいのは置くとして、何で、石神は、二人目の殺人を犯してまで、一番目の殺人事件を隠蔽しようとしたのかの動機が不明。最初の殺人がばれなければ、何も問題はないのだ。そして物語では一番目の殺人は被害者が発見されてない。もう一つのDVDは東京JAZZ2009年。MJQの演奏がすばらしい。原信夫とシャープ&フラットもメンバーのチェンジを経て健在だった。そして、外国人に負けない「楽しい演奏」を披露したのが良かった。
9月30日(木曜日)
今週の仕事は今日までなので、根を詰めて仕上げた。明日は会社の創業者の理念を学ぶ研修会に参加するため、業務が中止となるわけだ。逃れられないので参加するわけである。帰るころには相当疲れた。今日は食べたい料理が妙に浮かんでこない。料理のヒントがないのか妻に電話をすると何もないと言う、息子はお金がないので塾にも行けないとも言う。まぁ何というか意気消沈する話。いつもスーパー、「ライフ」に寄って物色していると冷凍食品に気がついた。そうだ焼きめしだ。冷凍焼きめしは、なかなか旨い。この味を超える焼きめしは余り食べたことがない。それとキャベツの千切り。これで5日間キャベツの千切りを食べるがまだ飽きない。ドレッシングに焼き肉のタレを使うのがポイントだと思っている。
9月29日(水曜日)
中村さんと逢った。明日で定年されるというのだ。エレベーターの中でNY子と合った時、中村さんにはお世話になっているので送別会をしたいのだがと言っていた。僕も同じ感じなので、そのことを話した。すると梅田界隈で落ち着いた頃に開催しようかと言う話になった。今日はカメラの望遠機能の撮影に動物園に出かけた。いろいろ撮影していると、鳥がいい材料になると気がついた、そしてどんどんと撮影していくと、フラミンゴに当たった。フラミンゴはピンクの羽で綺麗でかわいい鳥だが、目を望遠レンズで撮影してよく見ると、怖い目をしていることが分かった。中小企業で気のいい社長と、しっかりとお金を握っている社長のおじさんに当たる経理部長の陰湿な目。これとそっくりな目であった。一方鶴の目は優しいかわいい目をしていた。夕刻はかねてより約束をしていた仕事とは関係の無い人達の集まりで懇親会を開催した。この人間関係を作った人は現在ブラジルに赴任している。その中心人物抜きでの懇親会だ。おじさん2名と、若い女性3名のグループだ。
9月28日(火曜日)
飼い犬に手を噛まれたら、あなたはどうするのか?飼い犬は今のところ組織で実権を握っているとしたら、どうするのか?そんな問題に直面ではないが遭遇することとなった。当事者ではないので僕はどうすることもできない。しかし、僕はまえまえからの感じとして彼はそんな雰囲気を持っていたから危険信号を少し感じていた。人間の直感というのはホント当たるものですね。さて対処の方法だが、これに反発しても仕方がないと思えるのだ。制裁は天が行ってくれることを期待して、じっと我慢するのだ。天罰が下ったときに溜飲を下げればよい。彼は、いずれそのことで失脚するはずだ。世の中のスピードがだんだんと速くなり、経営でもスピード判断をしなくては置いてきぼりを食うようになった。情報が世界を一瞬で駆けめぐるからだ。そして、これと比例するように人情味が失われてゆくようになった。人間の頭脳は、今の時代のように急激に変化することに対応してないのではないか。車の運転でも速度が上がるに従って視野が狭まるように、時代変化が早まると、周りの人の気持ちが見えなくなるのではないかと思えるのである。自分はそうなりたくないと思い続けているのだが。
9月27日(月曜日)
中国の報復が始まった。中国の歴史の歴史をひもとくと誰もが分かるが、この国は始終覇権問題に終始した。毛沢東で疲弊しつくし、誰もが目を向けなくなった40年くらいが、虎が眠っていたときだ。その後、ケ小平が、この国を開放してから、世界の各国が人件費の安さと人口の多さの魅力でこの国に投資をして経済力をつけた。そして、再び虎が目覚めたわけだ。こうなると、かの国が内部分裂するのを待つしかない。尖閣諸島で日本がいくらほざいても、中国との交渉では負けるのは目に見えている。日本は尖閣諸島の石油に目を向けるのではなく、脱石油エネルギーの開発に目を向けることだ。この問題にめどがつけば、アフガンやパキスタンの紛争も収まるのだ。中東の問題は世界が石油にお金を出すからだ。太陽光発電にお金を出すようになれば、お金は中東に向かわず先進国に向かうので、アフガンやパキスタンは紛争をするお金が裏から届かなくなるからだ。エネルギーの問題では中国はいずれ手をこまねくはずだ。その時に、中国をどうするのか日本は優位な立場で判断すればよい。
9月26日(日曜日)
昨日の疲れは完全に今日に持ち越されて、10時間の睡眠では取り戻せなかった。自分の気持ちはまだ30歳ぐらいにあるのに、体は完全におじさんになっているのが悲しいですね。昨日のヘラルドトリビューンを読んでいると、どうやら、中国漁船の無謀な行動の裏には、アメリカCIAが動いているのではないかと思える節がある。日本は民主党政権となり、外交も内政も完全に宙に浮いている。アメリカとも疎遠関係にある。そんな中、中国はアジアの覇権を目指していろんな方面に手出しをしている。アメリカは、ヨーロッパとの関係よりも、日本との関係の方が御しやすいことは確か。しかし、その日本が機能してない。ここは一発日本の目を覚ますカンフル剤が必要だ。そして、アメリカの必要性を日本に認識させる事が必要だ。そこで次のようなシナリオを仕込んだ。中国人の船長にちょと賄賂を使い、あのような行動を取らせた。案の定、日本政府はとんちんかんな対応をして、中国政府の反感を買った。そして、タイミング良くアメリカの登場で、事態が収まりつつある。こんなシナリオはアメリカのお手ものもだと思うのだが。いかがなものか。疲れは、夕刻になってもとれず、今日のプールは休んだ。
9月25日(土曜日)
昨晩は明石でお酒を飲んでものすごく眠くJRで寝ながら帰ってきたら、床につくと目が冴えてしまい、なかなか寝付けなかった。その前の晩は飛行機の移動だったので、ここでもなかなか眠られず、ほぼ徹夜に近かったのにどうも体が旨く働いてくれない。そして今朝も早く目が覚めるのだ。眠いのに眠られない。仕方なく出張で溜まった汚れ物を洗濯した。今回も下着はすべて捨ててきたので洗濯は楽だ。てきぱきとすますとまだ9時前。休みの間にとりためた番組を編集して、BDに焼く下ごしらえを行った。するとやっと睡魔が襲ってきて二度目の睡眠。これで晴れてからだがすっきりした。11時再起床、TVで乗鞍登坂の自転車競技が放映されていた。これは、一度は挑戦しなければならない競技だと思っているので真剣に見た。トップアスリートは55分。一番遅い人は3時間半。自分だと3時間を切る感じかな。それから日本橋に出かけた。目的はないが、何か情報が転がっているのではないかとシマムセンを訪ねた。社長も専務も元気で少し話を伺った。その後、鈴木さんに、ネットワークオーディオの説明を受けた。たぶんPCが解り、オーディオがわかる人と言えばこの街でも彼しかいないのではないかと思う。今オーディオは、HDDに音楽を貯めて、LAN回線で取り込んだ音源を再生する方向にシフトしようとしている。映像の方はDLNAと呼ばれ、やはりLAN回線を通じて好きな場所で映像を見る方向にあるが、オーディオも同じようだ。そこで、取り込んだオーディオ音源(NAS)をどのようにして再生するかがポイントだが、これには2つの方法があるようだ。一つは、取り出しにはPCを使い、そこからUSBでデジタル音源を引き出し、デジタルオーディオに変換して、DAコンバーターでアナログ音源に変換するという方法。こちらは比較的安価な方法。もう一つが、HDDサーバーから、LAN回線でいきなりアナログオーディオに変換する機器を使うモノ。こちらはリンが有名だが、100万円を超える価格のためなかなか手が出せない。しかし、この年末からはヤマハやマランツから安価なモデルが発売されるようだ。CDから音楽を聴くよりも何でHDDに取り込んだ音の方が音がよいの?と言う疑問があるが、どうやら、取り込む際、ソフトウエアで完全なCDリッピングをするとのことだ。CDプレーヤーでの再生にはどうしてもエラー訂正などがあり、完全な音を聞くことはできないが、完全なCDリッピングは、CDの完全な音が聞けるらしい。今日はそのDAコンバーターの違いを聞かしてもらったが、11万円もするLINDEMANはなかなか音がよい。それと音楽再生ソフトはiTuneよりも、メディアモンキーの方が音がしっかりとしている。少しオーディオから遠ざかっていたら、オーディオはきちんと発展しているのがわかってうれしかった。スピーカーコードを12m買った。我が家の配線をバイワイヤリングするため。帰りには定番となった難波王将でおすすめ定食780円。これを食べ切るには相当根性が必要だ。ラーメン一人前と、天津飯一人前と唐揚げがつく。帰ってプール。今日は自転車で日本橋往復したせいなのか、泳ぐのがきつく、1.5kmでダウン。別件で友人の川竹さんが心臓の調子が悪くて入院していたとのこと。いつもの検査入院だと軽く見ていたので連絡はしなかったが、どうやら今回はずいぶんと深刻な状態で入院をしたとのことだった。しかし、電話をすると今日退院して自宅療養をするらしい。とりあえず安心だ。
9月24日(金曜日)
朦朧とした頭で関空に降り立った。税関が今回もインドネシアですか?と聞く。何かインドネシアの印を付けているのだろうか?「いや、今回はスリランカです」。とりあえず家に帰り一眠りして、会社に出勤した。友人のKさんと連絡を取って、明石に出かけた。なぜ明石かと言えば、ここの駅前に、それはそれは、おいしいお寿司屋さんがあるのです。6時半に待ち合わせて、ここで祝杯を挙げた。アジアの食事は嫌ではないが、長いと、お醤油の効いた食べ物が欲しくなる。お寿司にたっぷりとお醤油をかけていただきました。食事の後ジャズクラブに行こうと誘ってくれた。明石のPochiだ。出演は、たなかりかさん。友人はすでにこの街で顔が広く、ここのマスターが挨拶をしにきた。たなかりかさんは、唄は旨いがしゃべりがない。しゃべりがないので、どんな気持ちでこの歌を歌っているのか分からない、その唄の由来も分からない。そんなの自分で遜酌しろというのだろうが、あいにくと彼女については僕はほとんど知らない。若い人ではノラ・ジョーンズくらいしか知らないのだ。地元でリターン客を集めるには、もっとエンターテイメント性をもっても良いと思うのだが。それと、このクラブはものすごいデッドな作りである。マスター曰く、隣の店に音が漏れるので、苦労して今のカタチになったと言う。「そうかも知れませんが、遮音と吸音とは材料が違います。音漏れの遮音には鉛シート、ゴムシート、煉瓦などが有効。吸音にはガラスウール、カーテンが有効。いくら吸音しても遮音にはならないのは材料が違うのですよ」とは言わなかった。旅の想いは、会社のノートパソコンにあり、あいにくと今週はアップできず。ここにスリランカ訪問の写真をリンクしました
9月23日(木曜日)
今日は市場視察。ついでに頼まれたお土産も買うつもりだ。まずはマカティー。ここはマニラの中心地、日本の銀座みたいなもの。ビルが建ち並び、ビルとビルをつなぐ廊下のようなものもあり、案内してもらっただけでは理解できない。次に向かったのが、海沿いにあるパサイという街。ここに大きなショッピングモールがあり、多分ここはアジア一の面積を誇るのではないかと思う。余りにも広い。その一角に何とアイススケート場がありました。アジアでは始めて見る施設です。このモールの海側のイタリアレストランで昼食を頂きました。我々が選んだ店なので、味は今一だった。その後、PCなどを売っている街へ。日本の秋葉原のようなところ。ここでは何時間いても飽きません。ちょっと迷って携帯電話のフロアに出たのですが、2,500uの広さにびっしりと店が並んで商売をしていた。あまりにも広大で、余りにも他機種で、何を見たらよいのか判断がつかなかった。午後3時には空港に向けて出発する時間だ。ハートブレイクとエッジオブドラックネスのDVDを買った。これからの移動の時間が僕の中で一番リラックスするとき。映画でも見て楽しもうと思ったわけ。車に乗った途端にものすごい雨となった。ものすごい雨なのに、少女は花を売っている。その花は雨に打たれてしおれていたが、止まっている車それぞれに声をかけていた。買うにも雨がひどく窓を開けられない。1時間半かけて空港へ。18時50分の飛行機でシンガポールへ。22時前に到着。ここでレーマスさんと別れた。彼とは四六時中顔を合わす中だ。別れても翌日からものすごいメールの応酬となるので、また明日という感じだ。降りたターミナルにあるラウンジで食事。ここのチキンライスは絶品だと思う。これにタイガービール。この組み合わせが一番だ。アサヒビールもあったのでこちらも飲んだら、やっぱりアサヒビールが旨かった。タイガービールは二番だった。1時15分やっと日本に向けて出発した。やれやれだ。
9月22日(水曜日)
今日は大勢集まってもらってのセミナーである。何人かは顔見知りの人もいる。もう3回は逢っているからだ。昼食は社員食堂。前回もここで食べた。飲み物にコーラーがつく。ここのセミナーのバロメーターは、良かった時には最後に記念写真を撮影しようとかれらが駆け寄ってくることだ。これは、男も女も変わりない。どうして男性がこんなおじさんと一緒に写真を撮影しようと言うのか?意味不明。そして今日は何時になく、記念写真の時間が長かった。夕食はこちらの人が誘ってくれて、地元のレストランで鳥料理とスパゲティー。日本で僕がごちそうしたお返しだそうだ。食事の最中に外を見ると、物売りのおじさんが歩いている。アレは何か?すると、一人が早速その売っているものを買いに走った。それをこのレストランで開けたのだ。普通のゆで卵みたいなもの。食べ方は、上か下かを見極め、上のほうの殻をそっとめくる。中には、お醤油のような汁が見える、腐った汁のような感じだ。それを飲む。見るだけでも気持ち悪い。その後、本格的に殻をむく、中にはもうすぐ生まれるひよこが丸まっている。1day。とも呼ぶようだ。生まれて一日しか生きないからだ。それをかじる。もう見るのも嫌だ。だが、これは、膝の悪い人とかによく効くようだ。ビールはサンミゲル。これは妙に旨い。彼らは、車の運転があるのにビールを飲む。OKらしい。今回は主にクリスマス休暇のすごし方について聞いた。お祝いについては、どうやら日本と同じで、お年玉のようなものを子供にあげるようだ。お酒を飲んで英語で話を聞くのは相当な困難が伴うのを知った。
9月21日(火曜日)
7時半にホテルを出発するので、食事は6時半ごろいただくことになる。こちらの食事は豪華で、マンゴーもいただける。トーストに味噌汁、フルーツの組み合わせ。味噌汁は、少々辛いがそれなりの味がある。わかめの代わりに、ノリを1cm四方に切ってあるのが、アジアの味噌汁の特徴である。マニラは世界の中でも貧困層の多い都市で、道中の風景を見ていると、インドと同じように、簡単な屋根の家に住んでいる人たちを見かける。その人たちの家は道路から少し離れているので、うまく撮影できない。今日の昼飯は、近くのSMと呼ばれるスーパーの中にテナントで入っているラーメン店に行った。僕は焼きそばの大盛りを注文した。メンがべちゃべちゃで、これはまずかった。案内してくれた人は、ラーメンをおいしそうに食べていた。午後は大雨が降ったり、太陽が出たり、変な天候であった。7時に会社を退散して、ホテルに送ってもらった。今日はレーマスさんと二人での夕食だ。この街はホテルから出てはいけないと聞かされていたが、道路を挟んだすぐの向かいにある、ウエンズデーなら大丈夫だろうと向かった。ここでダブルバーガーと、コーラーLサイズ、ポテトのセットを注文した。500円、日本の価格と比べると幾分安い。ダブルバーガーの肉があまりにも多いのに閉口。無事ホテルに帰り風呂に入るとものすごく眠い。体をそんなに動かしてないのに疲れている。
9月20日(月曜日)
5時半起床、のろのろと出発の準備。準備ができたところで近くの7イレブンへ。パンを買ってTVを見ながら食事。パンは1.5ドル。2個で2ドルだという。昨日、野菜炒めなど3品をテイクアウトしたが、これが2ドル。いかにシンガポールの中国料理が安いか分かる。それで、パンはあまり売れないだろうから非常に種類が少なく、買ったパンの封を開けると防腐剤が入っている。つまり、日持ちもするようなパンなのだ。コンビニではスナック類は多いが、持ち帰りの食事が少ない理由はこの価格価値にありそうだ。タイのコンビニでも持ち帰りのファーストフードは少なく、コンビニの外食産業は日本と比べると厳しい競争環境にある。逆に日本のコンビニで弁当が売れるのは、店で食べるのより安いからだ。中国人は好きではないが、こうした華僑の優れたCPのある飯屋さんの来日が自由化されれば日本の食事はもっと豊かに、安くなるだろうなと思う。日本の閉塞感から脱出には、規制を取っ払うしかないと思う。ベンツのタクシーで空港へ。シンガポール空港にはターミナル1と2があり、タクシーに乗るときは必ず告げなければならないが、行き先と航空会社を知っていれば、運転手はこのどちらかを知っている場合が多い。空港では庶民のSQラウンジでで過ごす。9時にゲートに着くと、地元のレーマスさんが待っていてくれた。彼と一緒にマニラに向かうのだ。約3時間の飛行時間。今回の座席は真ん中席なので、トイレに行かないように水物を控えた。1時マニラ空港に到着。曇っていてあまり暑そうにない。去年の今頃は、こちらは大洪水に見舞われ、大変な事態に陥ったが、今年はまだ雨季の気配が見えないとのこと。今年はパキスタンにバトンを渡したのだろうか。事務所で明日の準備を終えると午後7時だった。シンガポールとの時差はないので、コンディションの狂いはない。帰りにこちらの日本人の責任者の方と日本食を食べに行った。津村さんだ。こちらは、まだ日本の感覚があり、とんかつや、きのこ炒めをいただく。お好み焼きはちょっとという感じだった。この日は機内食のみの食事みたいなものだったから、ものすごく腹が減っていたので、他の人の分までいただいた。
9月19日(日曜日)
2時間ほどまどろみ、シンガポールのチャンギ空港に到着。この国は、入国審査が非常に厳しくなっている。30分ほどかかり通過。タクシーでibisホテルへ。事前予約では、午前8時からだと2日分の料金が必要だといわれていたが、フロントではいまから部屋に入ってもOKだという。その代わり喫煙室だという。だが、妙に眠くないのが問題だ。朝飯も食ってないので、まずは腹ごしらえ。店はいっぱいあるが、どれもビールが飲めそうにない。コンビニでビールを買った。ビールは350mlが200円と高い、料理店で野菜の炒め物をテイクアウトし、部屋に持ち帰って、映画007を見ながら食事をする。まぁ朝飯を食う感ではないですね。やっと、眠気が訪れて床に付く。午後1時に起床して、ボタニックガーデンに向かう。ここは熱帯の楽園だ。一面に芝生が敷き詰められた広場がある。ここで家族の人は和んでいる。僕はもう少し足を伸ばして、蘭の植物園を目指した。ここは、蘭が咲き乱れている。日本だと、旬を過ぎた蘭も少しの間だけはまだ観賞に耐えるので花弁を残しているが、ここでは容赦なく摘み取るため、どの花も旬のままだ。一眼のGH1で、レンズが一番綺麗な表現をするF5.6で撮影を行った。とても暑い、たぶん40度くらいの気温。望遠が欲しいところは、コンパクトのTZ10で撮影し、クローズアップが欲しいところでは、NEX5を使った。木漏れ日が一輪の蘭に差した所では、フラッシュを使って撮影した。太陽光にフラッシュを重ねると、その花以外の背景が黒く沈む。中国人の人たち何人かに声をかけられたが、全く不明。それにしても、外国でこうした少し自由になる時間、ゆっくりできるのは最高ですね。3時間ほどかかって500枚ほど撮影した。帰りは有名なオーチャードロードを見ながらホテルの少し手前にある地下鉄の駅で降ろしてもらった。少し歩き、付近の地図を頭に入れるためだ。夕食も、別の店で食事のテイクアウト、今度はビーフンを入れてもらったので、3ドル。200円。これに500mlのビール2本。600円。再び007の映画。平日に酒を飲まないのは全く問題ないが、週に一度こうして気分を開放するときは酒が必要ですね。気分良くなり床に就く。
9月18日(土曜日)
4時半に目が覚めた。疲れているはずなのに、こまったものだ。しかし腹が減っているのは昨日と同じだ。どうしたのだろう。これから先、体が持つのか心配だ。今日の仕事は、一般需要家に対するセレモニーだ。ここは英語の国なので、一般人に対しても作事と同じノリでいけるだろうと思っている。スリランカにも富裕層がいて、その人たちが集まる商業施設を借りてのセレモニーだ。ハバロスクから来たロシア人に会った。その中の一人の女性と話した。なぜ、ここまで来たのか?と聞くと、バカンスだという。あなたの国は寒いだろうと聞くと、今は寒くないと言う。オマーンから来た男性とも話した、彼はドバイの価格情報を持っていて、日本製品を買うなら秋葉原だという。いずれも日本語。だんだんとなじんできたぞ、もう、どんな客が来ても怖くない。ニュアンスさえつかめば、こっちのもんだ。PanasonicTVを買ったが色が悪いという客にも説明をした。よく分かったのか、僕の名前を聞き握手をもとめてきた。通りがかりの人がどんどんとこのコーナーに吸い寄せられて、暇なときがない盛況ぶりだ。気が付くとのどが渇き腹も減っている。昼食は、この施設の地下にあるモンゴル料理の店。モンゴル料理と言っても、中国料理となんら変わりない。日本食にキムチの組み合わせも、日本料理として済ますノリだろう。あっという間に夕刻だ。休憩にホテルのコーヒーショップへ行った。この国は紅茶が有名だが、コーヒーもナカナカのものだ。7時には取引先との懇親会があると言う。僕は今晩の出発なので、ホテルでシャワーを浴びるなど準備が必要だ。それで少し先に退散して、そのうちの1時間を使ってジムへ行き4km走って疲れを流した。懇親会は日本料理の店だ。何もここまできて日本料理を食いたくはないなぁ。だがみんなのスケジュールに乗らないわけにはいかない。大きな蟹があった。ここで水揚げされる蟹はシンガポールに輸出され、この国ではめったに食べることができないという蟹だ。たこのから揚げもあった。
マグロの刺身もあった。焼き鳥も、つみれの鍋に、ラーメンもあったが、どれもうまくない。料理人のマスターは、立派な人だが、料理のセンスはいまいちなのか、スリランカ風にデフォルメした為なのか、とにかくまずい。まぁこんなところに来てまでして日本食を食べたいという感覚を疑うのだが。10時過ぎに空港に向けて出発。航空会社のチケットカウンターに届くまでが大変。空港の入り口でたった一人の人がチケットの検問を行っている。しかも男性なので、作業が鈍い。ここで1時間。空港内のラウンジはどんなにしても見つけられず断念。午前1時の飛行機に乗る。
9月17日(金曜日)
現地時間の5時過ぎに目が覚める。疲れているはずなのに、なんで?。それに空腹だ。レストランが開くのを待って朝食をいただく。スリランカは紅茶がおいしいが、コーヒーもナカナカのだ。今日は、両方を注文する。きゅうりのジュースがある。先週基礎英語3で習ったばかりの、cumcubeがきゅうりということを思い出す。今日は良い天気だ、プールサイドに出て写真を撮影していると、ここの管理人のJagathさんに出会う。しばし歓談の後、次回来たときは、私のリゾートに来てくれ、海がある部屋に泊めてあげるという。妻も子供たちも大歓迎だという。そんなに親しいわけではないのに、ずいぶんと好意的過ぎるのが少し怖い。ミーティングのあと、今日の仕事の準備にかかる。このホテルに客を迎えてのセレモニーがある。夕刻4時半まで会場を作り、急いでシャワーを浴び、セレモニーの開始だ。第二部は懇親会的なセレモニーで、多くの人との会話を持った。いくらかは助けてもらったが、いろんな人と話した。10%の理解度で情報交換するから、多少は誤解もあるかも知れないが、専門用語は間違うはずがないので、これは問題ないはずだ。問題は、夜もふけて、残り物で食事をしたらと勧められた時だ、ブッフェ形式なので食べ物を物色していると、早速話しかけられた、この会話は個人的なことが多いので、よく分からない。相手の言う単語を繰り返して話をつないだ。こちらは3%程度の理解だ。この会場は逃げても逃げても、別の人が話しかけてくる。俺の弟は日本語ができるので電話で話してくれと要望を受け、通話もした。どんどん大げさになって、食事どころではなくなった。のどが渇くが水は品切れだ。午前0時にこのセレモニーは解散した、後片付けを少し手伝い、部屋に帰った。今回の出張が何でパワーが沸いてこないのか理由が分かった。全力で当たらないと、コミュニケーションができないからだ。コミュニケーションにユーモアを加えて接しないと、理解してもらえないと、心の中で思い込んでいたので、それを乗り越えるためのパワー不足を心の奥底で心配していたのが原因だったと気が付いた。だから、今日の仕事を終えたときは、すごく興奮していてナカナカ寝付けなかった。
9月16日(木曜日)
朝起きると雨が降っている。いよいよ夏も終わったのかと一息。ごみを捨てるついでに近くのコンビにまで出かけて、ヘラルド新聞を買う。アルバイトの店員はこの新聞の価格を調べようとするが、この新聞が何新聞なのか読めない。仕方なく、僕の差し出した160円を見て、「160円丁度ですといった」結構若いのに見栄を張る人だな。そういう僕もトリビューンとと書いた文字は読めない。ばたばたして出かけると、忘れ物をするから、今朝は割りとゆっくり支度をして出かけた。ゆとりを持っているはずなのに、難波駅で、改札口を通過した後、切符を取り忘れ、駅員に探してもらうが見つからない、仕方なく、駅員随行で、切符なしで乗れる手はずを整えてもらい、ラピート乗り場に向かうと、この改札口に立っている別の駅員が、僕の失った切符を持っていてくれた。別の客が届けてくれたとのことだ。つい直前のことを忘れしまう問題は激しくなっているのかもしれない。この脳は何時まで僕の人生の中で機能してくれるだろう。関空のシンガポール空港カウンターはずいぶんな人が並んでいたが、ゴールド会員は特別のビジネスクラスの乗り場を使えるのですいすいとチェックインができた。ありがたや。今回は両替を思い切ってドルで行った。ドルは88円だった。このドルで、現地通貨に交換するのだ。こちらのほうの条件が良いかもしれないのだ。長旅を終えて、シンガポールのチャンギ空港に到着した。この空港は綺麗で分かりやすい。僕の知っている空港ではここが一番良い。今回はビジネスクラスを使う上司と一緒なので、ラウンジは、庶民のラウンジではなく、エグゼクティブクラスのラウンジを利用する。こちらは広い割りに使う人が少なくゆったりしている。ネットの環境も良い。まずは食べ物をあさりに行くと、食べ物は気持ち、庶民のラウンジのほうが充実度は高いようだ。だが、酒の豊富さは違う、圧倒的にこちらのほうが種類が多い。ここでしばらくメール作業をした後、マッサージに行くことになった。僕の体は柔らかく、凝ったところもなく、マッサージには無縁だが、成り行き上仕方がない。料金は5,500円。そして、このマッサージはおじさんがやるのだが、ものすごく痛い。いわゆる中国式ってやつですね。筋肉を攻めればよいところを、この方法は筋を攻めるから痛いの何の。苦痛の1時間。そしてこれで疲れ果てた。まぁこれからも、機会がなければマッサージとは無縁で居たい。時間とお金の無駄である。それでも、時間は余る。資料の作成やら、ネット検索に費やして、午後10時半。日本時間の11時半にやっと出発する。隣の席は人のよさそうなインド人。自己紹介から始まり、身の回りに話が行くが、この人、大変な肥満体で、僕のほうに大きくせり出してくる。僕はできるだけ冷たい返事で、この人に嫌悪感を持っていることを印象づけた。しばらくするとスチワーデスさんが来て、席を移っても良いという。ほうほうの体で逃げ出した。しばらく寝ていると、起こしてくれる。食事だというのだ。僕の体時計は、午前1時。そんな時間にカレーは食えないぞ。薄目を開けてNo。なぜ寝ている人を起こしてまで食事の案内をするのだろうか?ほっといてくれよ。日本時間の午前3時半に到着。1時間弱でホテルに到着。チェックインの後、明日の打ち合わせ、明日と言っても今日のことだが。更に一時間ほど。寝たのは日本時間の5時。昨日は午前5時半に起きたので、ほぼ一日起きていたことになる。やれやれだ。
9月15日(水曜日)
やっと見えてきた円高の真相。日本の経済基礎は低いのに円高がここのところ続いた。アメリカの経済が2番底を見せ始めた春以降である。アメリカの経済がいずれ停滞することは予測されていたが、ギリシャ問題で早く浮上してきただけだ。しかし、なんで円高なのか納得がいかなかった、誰もこのことについては書かない。今の日本にあるアドバンテージは、1400兆円の個人資産だけだ。一方、お金はあるが使い道が分からない世界の金持ちはどうすれば更にお金がもうけられるのか考え続けている。昨日ここに突如として、日本政府がドル買いを行い、円安誘致を行った。ここで、今までの疑問がやっと解けた。日本政府がどんどんとドルを購入する。つまり円を放出する。120ドル出して1万円を買う。円安になれば、その一万円で、ドルを買う、117ドルはいる。これでは、損をするが、これを繰り返していると、市場に円が出回ってくる。この円を、ごっそり資産家が買うと、たちまち円高だ。その時の円高は、80円ラインをあっさり突破するだろう。価値の高まった円で、どっとドルを買いまくると、資産家は多くのドルを手にすることができる。そして今度はずいぶんな円安となり、日本の価値は地に落ちる。日本には価値のない円しか残らない。部屋の温度は28度と久しぶりに30度を切ってこれで夏も去ったたかと思った。この夏は、あちこちで異変が起き、いよいよ地球環境が大きく変化する最初の年となり、日本が奈落の底に落ち始める最初の年になる大変な夏だった。ような気がする。
9月14日(火曜日)
どうも気力が沸かない。海外出張は高い山を登るぞというような気まがえがあり、出発が近づくに従い気力も充実して、丁度バッテリーに電気がいっぱいたまったときに出発するような感じで、力がみなぎっている。ところが今回は妙に力が沸かないのだ。腰を持ち上げるときに「よっこいしょ」と掛け声をかけないと、腰が上がらないのに、掛け声なしで腰を上げみたいなもんだ。どうしたことだろう、日本にいるときにはできるだけ野菜を食べるようにして、肉を食わないようにしている。それでパワーが沸かないためだろうか。と、昼飯に豚肉を食ってみたが、そんなに変化はない。それに、ここ1週間ばかり、朝の目覚めがタイマーによるものでそれまでぐっすりだ、いままでのようにタイマーのスイッチが入る前に目が覚めているのとは違った状況にある。明らかに僕は体力を失っている。エネルギーを失っているのだ。弱音を吐くようだが、妻にも電話してみたが、私はアジアに興味はないからと、話がつながらない。仲間を誘って酒を飲むのは危ない。というのは、酒を飲んだら、忘れ物が激しくなるのだ。出張に際し、大事なものを持たずに出発することがあっては困るのだ。それに、最近はメモ用紙を首にかけて、思いつくと控えるようにしている。もう記憶するということについては全く自信がなくなったし。酒を飲むと脳が解けるような気がするのだ。とにかく、「脳」の問題を抱えている。
9月13日(月曜日)
きっぱりと晴れ渡った朝。気温はぐいぐい上がり、いつものように大汗をかいて会社に到着した。昨晩は9時過ぎが来ると眠くなり床に就いてしまったので、朝はわりと元気よく起きられた。先々週に撮影した写真をプリントすると、どうも、LUMIXで撮影した写真は顔のピントを外している。調べてもらうと、人物が動いているからだという。三脚を使って撮影したので、カメラブレではない筈だった。シャッター速度が遅いため人物の動きを止められなかったと言う。オートマチックでもこのようなことが起きる。ところが、同じ条件で撮影したソニーのカメラは少し暗いが人の動きは止められている。果たしてこの場合、どちらの写真が良いというべきなのか判断に迷う。一方昼間撮影したLUMIXの写真はしっかりした解像度がありながらやわらかさがを保っている。これぞLeicaレンズの賜物だと思わせる出来上がり。やっぱりカメラは、十分な光を与えて撮影するのが鉄則で、内
9月12日(日曜日)
最近これほど感動したのはなかった。それはベンチャーズの特集番組がBShiで放映され録画しながら見たのだ。欧米はもとより、日本のミュージシャンの多くがベンチャーズの影響を受け、しかも今も尚現役で日本を縦断している。日本での公演は2,400回を超えるというからスゴイ。ベンチャーズの演奏の特徴をギタリストの渡辺香津美がギターを使って解説してたが、特徴モロ出しでわかりやすかった。彼のギターは世界的なレベルにあると思う。ジェフ・ベックやジミー・ペイジなどそうそうたるメンバーが彼等に賞賛を寄せていたのも見物だった。ベンチャーズのコンサートの最後はいつも「キャラバン」で締めくくるそうだが、今回は、故メル・テイラの出演した映像を放映した。彼はドラムスを離れて、何とボブ・ボーグルのベースギターの弦をスティックでたたくのだ。だが、それはきちんとしたベースの弾き語りになっていると言う離れ業を披露したのだ。これに感動しない人は多分居ないだろうな。夕刻プール3km。タイ訪問の写真をここにリンクしました。
9月11日(土曜日)
一生の中でかつてこれほど勉強したことがあったのだろうか?と思うほど、勉強してる。英語の勉強だ。辞書を使ったら英語が読める?これは誰でもできそうで、そうは問屋が卸さないのだ。辞書を使っても英語の文面は読めません。文の構成や単語の使い回しに慣れないと、辞書を使っても英語の文章は読めないのです。HERALD新聞を毎週木曜日の日だけ買っている。その新聞を読んだ。今までは、一つの記事を一日で読み上げることさえできなかったが、今日は2つの記事を読み上げた。少しずつ速度が上がってきているぞ。木曜日というのはDavid
Pogueさんがアメリカのデジタル家電について少々長い記事を掲載する日である。デジタル家電については、記者と同じくらい知識があるから、少々の言い回しなども理解できるのだ。例えば、Dress(ドレス=女性などが着る服のこと)のような単語が出てきても、これは設計とかデザインする意味だと想像できる。まだまだ誤訳が多いと思うが、辞書を引きながらでも、新聞を読むことができる所までたどり着いたのだ。しかし他の分野についても記事が読めるようになるのはまだまだ先のことだ。そして文学作品は更にその先にある。夕刻プール2km。TVはラオスで昆虫写真に挑戦する中山エミリの番組をみた。一眼レフカメラの使い方について初心者向けに非常にわかりやすく実演していた。ラオスは多分来年には訪問できると思う。その時には、この映像が役に立ちそう。<鶴見緑地公園>
9月10日(金曜日)
仕事のめどもつき、大阪城に写真を撮影に出かけた。大阪城はライトアップしているので、結構綺麗である。いくつかの設定で取り終えた後、後片付けをしていると、女性が一人城を撮影しに現れた。手持ち撮影だったので、三脚を貸してあげようか?と聞くと、どう間違って伝わったのか、自分を撮影して欲しいと言う。中国人だった。どうりで。そこで、私は三脚を使って撮影するのだが、携帯電話のカメラで撮影するのは初めてだし、ストロボの設定は分からない、そこであなたの顔が暗くなるので、ストロボを使った方が良いとアドバイスして、撮影した。携帯電話は焦点距離が長いので、城が全部入り切らなく、もう一度撮影した。彼女は埼玉大学の学生さんだった。ついでに僕も一枚撮影させてもらった。すると、その写真をメールで送って欲しいという。メールアドレスを書いてもらい、間違いがないのか読み上げてもらった。それから帰って食事を作り酒を飲むのだが、缶ビール1本で酔ってしまって、眠くなってしまう。眠いながらも、録り貯めた番組の中で「Sri Lankaの鉄道」を見る。この番組はスリランカの風が全く伝わってこない空疎な内容だった。ヨーロッパでもアフリカでも同じ編成だろう。番組の最後に旅行案内をしてたが、これは誤解を生む。もっと、映像の振幅の幅を広めて、その国を紹介して欲しいものだと思った。そのスリランカに来週の木曜日に行く。
9月9日(木曜日)
来週から再び出張だ。そのために仕上げなくてはならない資料があり、今日はそのことに全面的に取り組んだ。遅くなることが分かっていたので、会社のビルの一階にあるコンビニでお弁当を買ってまず腹ごしらえした。焼きそばと焼きめしのセットで450円。これが非常にまずかった。セブンイレブンやローソンの弁当はおいしいのだが、サンクスの弁当は突如としてこのような量は多いが大変まずいのが紛れ込んでいる。味付けのまずいのはまだ我慢ができるが、程度の悪い油を大量に使っているのは一寸閉口である。スポーツ系の学生向けに開発されたのだろう、それをおじさんが食べるというのは選択間違いだった。仕事を終えて帰る頃には、胸焼けがしてきてこのままでは今日は終われないぞと思った。それで疲れてたが、家まで歩いて帰ることにした。1時間も歩くと、この胸焼けは収まって、今度は空腹に変わる。しかし、ここは我慢のしどころ。三ツ矢サイダーを飲んで腹を膨らませて寝た。<台風一過の後晴れ渡った夕刻、遠くに明石海峡が見える>
9月8日(水曜日)
突然ではあるが台風がやってきた。朝、風雨の中をゴム長を履いて出勤した。この時間帯が一番近畿地方に接近したときで、京橋に着く頃には雨も上がり風も幾分収まってきた。台風の到来は小さい頃から期待するものがあり、特に波を見るのは大好きだ。よく、台風の波を見に行ってさらわれた人がいますね、どうして?これは理屈ではなく、血が騒ぐのだからしょうがないと思いますね。次に期待するのは雨。豪雨。今は人の目があるので余りできないが、あの雨の中を駆け抜けるのが大好きである。自転車で出かけたとき、雨粒が顔に当たると痛いような感触がいいですね。だが関西はそんな自然とは、縁遠く機会がない。外国に行ったときにも機会はあるかもしれないが、その地の自然の猛威は手の内を知らないので、部屋のなかで静かにしていることにしよう。そして今日の東京ではものすごい雨だったとのこと、知人はわざわざ雨を見に外に行ったと言う。その気持ちわかるぞ。
9月7日(火曜日)
録画した番組で、アメリカのロボット兵器を特集したのは、非常に興味をそそられて、考えさせられるものだった。興味の方は、アフガンの空爆は、無人飛行機で行っている、もちろん偵察も。飛行機に搭載したカメラでとらえる映像はTVの関係で解像度を落としてあったが、たぶん鮮明に見えるはずだ。飛行機はかなり高速で移動しているのに、映像は固定したままと言うのは、現在販売しているデジカメの技術を応用すれば訳なくできる気がする。さらには、アフガン兵士が仕掛け爆弾を道路に埋め込む作業をしているシーンを撮影してたが、映像はこの兵士の顔を認識して記憶し、別の場所で機会があれば彼のみを殺傷するらしい。映画で使われているようなシーンが現実のものとして次々に紹介されるのだ。これは興奮しますね。そして、こうした戦いがますますエスカレートするにつれて、アフガン兵士はもとより、一般市民もアメリカへの増悪をますます募らせると言う、悪循環に陥っていくようだ。そしてアフガン人は自らを爆弾としてアメリカを攻撃するようになる。これにはさすがのハイテク兵器も見抜くことができない。そして戦いは泥沼になる。新しい兵器の開発にますます拍車がかかる。アメリカは平和よりも、兵器産業の維持のためにも戦いを必要としている。日本の地方で、工事の内容よりも、まずは雇用のために公共事業が必要とされているのと似ている。泥沼からは、はい上がれない。<我が団地>
9月6日(月曜日)
年休を取って家の整理をする。海外出張すると生活パターンが全く崩れて、その取り返しに1週間ほどかかり、やっと自分の生活ペースがつかめる。そうすると、家の中で片付いてないものが見えてくる。月曜日はプールがないので、近くの鶴見緑地公園を散歩した。平日の公園はおじいさん、おばあさんで占められている。相当広い公園なので、一日過ごせる。1周するのに1時間半かかる。この関目の住み処は近くにプールがあり、公園があり、会社に徒歩通勤ができ、静かであり、今までの中で一番住み心地がよい。<写真は鶴見緑地公園>
9月5日(日曜日)
朝、F氏に電話を頂き、大曲の花火大会のドキュメント放映の事を知らせてくれた。息子が変身人間の幼稚な番組を見てたが、切り替えてくれた。普段文句を言う息子も、今回は素直に切り替えてくれた。大学受験を控えているというのに、結構TVを見ている時間が多いのだ。受験生のいる家族はぴりぴりしている。ひっそりと息をしている。とは程追い生活がここにあった。僕には浪人させるほどのお金の余裕が無いのだが。友人から「子供さんも大きくなっただろう」と聞かれる、なかなか明快な返事ができないのは、大きくはなってないのだ。昨日も息子の洋服の全てを来て出かけた。僕にぴったりなのだ。僕は妻の服も着られる(もちろん、ジャンパみたいな共用できるものだが)。つまり家族全員が同じサイズなのだ。年とともに成長はしただろうが、大きくはなってないのだ。そんな子供達は、僕が帰るときにも見送りなんかは当然しない。そして出発。東京駅はしばらく見ない間に大きく様相を変えて、にぎやかだった本屋さんがなくなり、ひっそりとした本屋さんに代わっていた。そこで宮部みゆきの本を2冊買って新幹線に乗る。「阪急電車」の書籍があれば、それも買おうと捜したが、さすが東京では販売してない。大阪ではベストセラーに顔を出しているのだが。車中SDカードの写真の整理をして、少し眠ると名古屋だった。道中本を読もうと思っていたが、今回はぜんぜん果たせなかった。帰りに上新電機蒲生店に寄ってBDレコーダーを引き上げに行った。15分待たされてが無事受け取った。ついでにBDディスクを買おうと思っていたので、お金と商品を渡すと、それは隣のレジに並んでくれと言う。修理の受付ではレジ精算はできないと言うのだ。ヨドバシカメラのように売り場のフロアが違うのでは理解はできるが、この店は、そのレジと1mも離れてないのだ。僕はそのまま、BDディスクをモトの棚に戻してこの店を後にした。店員は正しいことを言った、客も「無言の」正しい判断をしただけのことだ。帰ってBDレコーダーをセットした。古い方は録り貯めた番組があり、これを新しい方に移動させるためだ。i−link端子は初期設定のままだとDV端子になっているので、これを変更しなければダビングができない。ダビングの操作は送り出し側の方を操作する。2時間の番組は2時間のダビング時間が必要だ。DRモードの番組しか移動できないことを始めて知った。夕刻プール2km。
9月4日(土曜日)
ゆっくり起きてご飯を食べたらもう10時だった。近くの水虫屋さんの病院へ行き水虫の薬を処方してもらう。それから、稲毛海岸にある植物園に向かう。妻の自転車を借りて、炎天下の道をひたすら南下する。ノンストップで所要時間1時間45分。距離にして30kmくらい。ペットボトル2本分の汗。この植物園で昨日の続きである撮影を行なう。少々疲れたが、ここでゆっくりすると、夕刻までに帰れなくなってしまう。どんどん撮影を進め、合計で400枚撮影した。午後3時撮影を終えて出発。昼飯を食ってないので、コンビニでから揚げ棒とビールを賞味しながら行くと、道を間違い、京成の大久保駅に出てしまった。本当はもっと千葉よりの実籾駅を通過しなければならないのに。太陽を頼りに北方向進んでいくと、新京成の北習志野駅付近で見慣れた風景に出会い、無事帰宅した。帰りには2時間半を要した。それから、娘のPCのネット接続設定。古いエプソンのプリンタ設定。Windows7のプリンタードライバーはエプソンからの供給が無い。マイクロソフトの、サイトからダウンロードしてくれと書いてある。それで、マイクロソフトのサイトにドライバーはあるかと言うと無い。最新のアップデートをいくつか行なわないとそこにたどり着けないのだ。また、最新のアップデートをいくつか行っていると、この古いエプソンのプリンタドライバーが自動的にダウンロードされる仕組み。少しだけPCを知っている人にとっては便利なようで、不便な方式だ。そして、プリンタ接続は、USBケーブルではならないので、疲れた体に鞭を打って少し遠くのホームセンター「D2」に走る。やっと設定が終わり、娘にアップルのアイチューンのダウンロードする方法を教え、ヤフーメールのアドレスを取得するのを教え、一通り終えたのが午後9時。それから食事、風呂を終えたのが11時。疲れた足を娘にマッサージしてもらった。外でのマッサージはお金がかかるが、娘のはただだし、ああしろ、こうしろと指図できるのがよい。70kmくらい自転車で走ったので脚がパンパンに張っていたので痛かった。
9月3日(金曜日)
今日は仲間と懇親会の日である。今朝、大阪の仲間のKさんからメールが届き、最近ファジー会は旅行にいってないなぁと嘆息が書かれてあった。一方、今日のメンバーは皆でタイに行くぞと言っている。思えば、この二つのグループは、旅行が大好きなことに今朝、気がついた。大阪ファジー会は僕の個人的な友人が加わり、4名となった。東京も4名である。この2つのグループが合同でタイに行けば最高に楽しいものになるのに違いない。というのは、大阪ファジー会のK氏は、訪問してない国が無いといわれるほどの海外旅行の通なのだ。これは、両方の会に議題を持ちかけ決議を図るべきではないかと思った次第。旧職場にいるかつての部下であるM氏を訪ね、カメラを借りた。こういう関係でものを頼むのはあんまり好きではないので、友人のF氏に頼むと、F氏はM氏に頼んだと妙に回りくどい話になってしまった。そのカメラを借りて都内を撮影してみた。酷い暑さの中、増上寺、浜離宮と撮影して回るうちに気分が悪くなったので、途中で切り上げ、秋葉原に向かった。SDカードの購入のためだ、class10タイプが1000円であった。無名ブランドでも、高速タイプなら利用価値が高い。一旦自宅に帰ろうとするが乗った総武線は事故の影響で1時間ほどかかって船橋に到着した。疲れているのに暑い、混雑で大変だった。家に帰りシャワーを浴び、再び船橋に向かう。船橋で懇親会だ。会場は魚屋さんの個室タイプ。ぴったりのお店、楽しくお酒が飲めました。僕は日本酒をたくさん飲んだので、楽しかった内容を覚えてないのが残念である。覚えているのは皆に披露した写真はあまり綺麗でないことが残念だった。市中の写真屋さんで印刷を行なうと、コントラスト自動調整が働き、写真のメリハリがなくなる。しかも、縁なしプリントであるので、肝心な写真の端が欠けるのだ。僕の写真は結構画面の隅まで、被写体を追い込んでいるので、こういう事が起きるのだ。
9月2日(木曜日)
いつの間にか、CEATECの開催が迫っていた。この時期は絶対に出張は外そうと思う。僕のネタの根源である。今度は年休を取得して2日ばかりをかけて見てみよう。ウツクシイお姉さんの撮影も気になるが、エレクトロニクス部品のほうにも、ネタが転がっているかもしれない。明日から土日を含む4日間の休暇をとるので、仕上げる仕事に結末をつけたので、少し帰りが遅くなった。ご飯を作るのが遅くなったので、今日は京橋の有名な立ち食いうどんで「はいから細うどん」320円を食べた。立ち食いといえども、愛想はよいし、味はうまい。おつゆなんか、ちょっとした芸術品並みですね。この価格では申し訳ない味である。少し腹に入れると落ち着く。帰って明日の荷造りでもする気分になれる。荷造りが出来たところで、映画「Discrict9」を見た。ジャカルタで買ったBDである。字幕は韓国語が掲載されているのに日本語は無い、仕方なく英語の字幕。この字幕は、上に書いたり下に書いたりして、目線を頻繁に動かさなければならないので大変。よくわからない上に、何所に書いてあるか探さなければならない、探してもすぐに消える。でもアクション映画は少しの言葉で十分だ。見れば分かるから。これを冷奴とビールを飲みながら見たが、この映画との組み合わせは最悪だった。なぜかは映画を見れば判る。
9月1日(水曜日)
やっと判った圧縮のコンテナとコーディックの関係。AVCHDはMPEG4/AVCを使っている。しかし、デジカメの動画もMPEG4を使っている。この二つには互換性は無い。どうして?理由は、コンテナの違いによるものである。コンテナはそれを収容する箱のようなもの。AVCHDはコンテナです。デジカメのMPEG4はコンテナとしてMOVを使う。コーデックは同じMPEG4/AVC。このように区分けして書けばよくわかる。多分いろいろ書いている人もこの違いについてはよくわからず書いているので、コンテナなのかコーデックなのかごちゃごちゃになって書いているので、読む人もわからなくなるのではないかと思う。BDレコーダーは、仕事の上でどうしても必要だし、来週は確実に使うことが判っている。壊れたBDレコーダーにどう決着をつけるのか迷ったが、新規購入をすることに決めた。長堀橋にある「デンキステーション」が一番安かったのでBW680を57,000円で購入した。持ち帰り、海外で取り貯めたAVCHDをHDDにダビングした。他の人にとってはくだらない映像ですが、僕には想い出深い映像であるので貴重なのだ。とりあえずDVDに保存すれば安心だ。
8月31日(火曜日)
日経新聞はこの円高に対し、政府や日銀の無策ぶりをなじるが、新聞社としての見識をもって、自らが世の中には、こんな視点がありますよとか、こんな仕組みがありますよとか、自らが動くことが重要だと思いますね。海外の記事は、海外の新聞記事の受け売りだし、日本の事は批判ばかりでは、マスコミの一部しか機能して無いと言われても当然ですね。FTAは貿易の障壁を低くする国同士の交渉だが、他の国はどぉ〜んと進み、日本だけが置いてきぼりを食っている。何故日本だけが遅れるのかといえば、農業の開放が出来ないためである。農民は選挙を行うので、政治家も無視はできないと言うわけだ。政府は外国に農産物の解放のために、農家に対して全額補償をするという、これまた脳の無いことをFTAの為に考えているようだ。どこから財源がでるのだろう。ここは、新聞社の幅広い情報収集網を活かし、バイオによる新農業の未来とかを紹介しこの分野の発展を支援するとか、世論をあおりたて農業の法人化の法律を示唆するとか、前向きの報道があるはずだ。そうでないと政府はあてに出来ないと日本の実業家は判断し、海外に出かけてゆく。アジアのFTAを見越してまだ不安なタイに工場を建てているのはそういうことだ。タイを輸出拠点とするとアジアアフリカは押さえられるのだ。雇用は外国で確保する。国内には雇用はない。今度の空洞化は本格的だぞ。外国への投資金額を見ると一目瞭然だ。いつの間にか、本社は日本にあるが、資金管理を海外で行い、生産も人材も、納税も海外になる時代が来ないとも限らない。日本ジリ貧のシナリオですね。
8月30日(月曜日)
朝窓を開けるとくっきりと太陽が輝き、セミが鳴き止み、空気が止まっていた。暑い一日が始まろうとしていた。先月の電気代は3,700円で過去最高だった。10日間も留守していたのに、過去最高という事は大変な暑さと言うことだった。今日からまた、徒歩通勤が始まる。出張期間中はほとんど歩かない日々が続いたので、急速な運動は厳しい。途中コンビニでゼナ510円を買って補強した。帰りも歩いた。空気がよどみ、汗が吹き出た。運動不足なので、汗が噴き出るのだ。晩飯は豚と野菜炒め物、野江のスーパー「ライフ」からの帰りの30分間で肉が痛みはしないかと心配したほどの暑さだ。だが季節は確実に移ろい、草むらではこおろぎが鳴いていた。暑いが秋が来たのだと感じた。
8月29日(日曜日)
目が覚めると10時前だった。頭がぼんやりして、どうも調子が出ない。体もだるい。普段なら冷房も切って本を読むのだが、今日はそんな気分になれない。冷房をかけたまま、ホームページをアップして、また眠ることにした。今度気がつけば、午後2時だった。体は今日が一番辛い。洗濯物にアイロンをかけて旅の締めくくりとした。それからプールに向かった。今日は十分泳げないかも知れないと思っていたが、泳ぎ始めると、そうでもないようだ。出張の傍ら、2回のジムトレーニングが効いているかも知れない。大事を取って2kmで終えた。それから再び上新電機にBDの修理の件で伺うと、今度は別の返事が返ってきた。修理に45,000円もかかるので、修理を止めているとのことだった。単なるトラッキングずれなのに、BDプレーヤーを交換すると言う見積もりだ。エンジンの燃料噴射の調子が悪いとき、エンジンも交換すると言うのと同じ意味です。何処の部門の見積もりなのか不明だが、明らかに客をだますようなあくどい商売をしてますね。これでは客も逃げますね。BDレコーダーは仕事に必要な機材だから、何とかしなければならないのだが。夕食には鰺の干物を焼いて、大根おろしで頂きました。日本に帰れば純日本分の食べ物が良い。気温は高く日差しも強くまだまだ夏ですが、木陰で風に吹かれると、風は気持ちの良い温度。少しずつ秋がやってきている気配があります。
8月28日(土曜日)
またしても飛行機の中では眠れない。スリランカで買った、「タイタンの戦い」を電子辞書片手に見る。この映画のねらいはアクションだから、言葉は不要。動機の説明のために少し複雑な英語があるが、こんなのは分からなくても良いと言うことで、なかなかおもしろい映画だった。シャープはこの映画とタイアップして3Dでデモを行っている。インドと変わらない程、不効率な難波駅で下車して、タクシーで自宅に帰った。エスカレーターを下るとき、重い旅行鞄2個をコントロールする自信が急に無くなったからだ。2週間体を動かしてないので、足が弱っているため。帰り着いて洗濯、今回は下着がないので非常に楽だ。クリーニングにYシャツを出すついでに上新電機を訪問。BDプレーヤーの修理を聞くとまだとのこと。8月8日に修理依頼をして、お盆休みがあったとはいえ約20日を過ぎても故障が直らない。パナソニックの修理も地に落ちたんですね。若松秀夫の鞄は買わない方が良い。こんなに欠点の多い鞄はまず無いでしょうね。まず、ロックが早々に効かなくなる。簡単に口が開く。もちろん鍵をかけたままで。次にカーボンの鞄だから軽くて丈夫だと説明を受けたが、簡単に割れてしまう。今回も破損箇所が追加され、2カ所に割れがある。そこから雨水がしみこんで、中のスーツが濡れてしまった。更に、内部のしきりは、寸法が違い、引っかけができないし、荷物の移動を防ぐ内部のバンドは壊れてしまう。このバンドは一度止めると今度は外すのが大変なバンドだ。5万円もするので、ガムテープで修理をして使うしかないでしょうね。昼飯は藏寿司。ビールの注文が分からないと店員に伝えると、早速持ってきてくれた。マニュアルにはない応対に感動。そして家に帰って寝た。
8月27日(金曜日)
朝5時前に目が覚める。とりあえずPCを立ち上げメールを確認。インドネシアでお世話になったデータさんが退社するメール。彼女は僕にインドネシアの正式な服である、バティックをくれたのでよく覚えている。旅行会社を経営するらしい。プライベートでバリ島訪問のときは彼女にお世話になろう。ホテルの出発は11時。カトマンドゥの空港は小さい国際空港だ。凄い行列も搭乗者が少ないので、かなり早く進む。いろんな手続きが手書きで行なわれる。さすがに搭乗券はインドのように手書きではないのだが。ゴールドカードのお客様用荷物の優先扱いの札があるが、これも、他の空港は荷物のタグにある両面テープにくっつけるが、ここではタグにホッチキス。手荷物はカバンを開けてチェックするが、ペットボトルの水はフリーパス。搭乗の際、いつも閉口するのはインド人の割り込みだ。今回はあんまり頭に来たので「何で割り込むねん」と日本語で言ったら、通じてしまいました。おずおずと、後ろに並びました。怒りはどんな言語でも通じますね。タイに到着したのは午後6時。これから6時間待機です。まずは足のマッサージ。すっかりこれにはまりました。45分1,500円。それから、ラウンジ。ここでメールを開くと、なんとブラジルに赴任した友からメール。メールは一人のブラジル人を挟むため英文。友との語らいが英文になるのは味気ないのですが、日本人の英文は読みやすいので我慢。僕もこの数週間の出来事を英文で書いて送りました。同送になっているブラジル人は日本に来たとき、友の紹介で多分逢う機会があるでしょうね。人の輪が又、広がるぞ。しかし、ブラジルまで行くことはないだろう。
8月26日(木曜日)
今日が最後の仕事、気合を入れていくぞ。と10時から18時15分まで頑張った。途中、ハンバーガーの昼飯を食った。このフードコートからはヒマラヤが見えるといわれたが、残念ながら今日も見えなかった。僕のセミナーを受講する人の内の一人に、エベレストの写真をDVDに焼いて持っていて見せてもらった。感動する風景が42型のディスプレイに広がった。その写真を欲しいと伝えた。夕刻、随分疲れてホテルに帰ってきた。それからネパールの郷土料理の店に向かう。今度は少し郊外にある店。こんなところに、と思わせるところにあり、入ってゆくと、日本の京風のレストランのような風情がある店だった。料理は、マトンのゆでたもの。チキンを湯がいて、唐辛子としょうがとスパイスで味付けをしたもの。これが前菜でまずまずの味。しばし歓談する。ヒマラヤトレッキングの事は詳しく聞いておかないと、今回の目的が果たせない。トレッキングの選択は2つあり、一つはエベレスト登頂の第一ベースキャンプからトレッキングする。ベースキャンプは7つあり最後が登頂用だ。もう一つは、ポカラの街からトレッキングする。後者の方は選択肢が広く、人気があるとのこと。14日くらいかけてエベレストの麓を囲むように巡るそうだ。ポカラまでは、飛行機とバスがあるが、飛行機は40分くらいで快適だそうだ。バスは6時間。飛行機は先日落ちた。現地の新聞を見ると、この飛行機で始めてガイドを務めた20歳の女性が亡くなっていた。彼の友人はこの旅行代理店を行なっているので、信頼の於けるところを紹介してくれると言う。旅行代理店の下見はこれで不要となった。僕のほうも、自分のキャラクターを存分に彼に見せて、信頼を頂いたはずなので、間違いのない計画が組めると思う。ポカラの街は5スタークラスのホテルがあるので問題ないらしい。食事の最後は、ご飯と、ほうれん草のカレールーと、鳥のから揚げと大根のキムチ、野菜の煮付け。ポテトフライ(この料理の名前は全て私の独断)。こちらもあまり美味しくは無い。結局この国の料理はまずいと言うことで結論づけてもよいと思う。店の雰囲気はよいし、店員のスタイルもネパール風で決まっているのだが。ホテルに帰りぬるめの風呂(湯が熱くない)に浸かっていると、睡魔がやってくる。そして停電。PCでパワーポイントの白いページを立ち上げ照明の代わりにする。訪問した国の時差は1〜2時間だが、どんどん移動したので、私の体はどの時計にあわせたらよいのか判らなくなっているようだ。日本の時計を見ると午前2時だった。
8月25日(水曜日)
今日は朝から移動日だ。7時半ホテルを出発してタイ空港へ。この空港は5度目である。今度は別の日本人が同行する、彼は馴れていて、タイ航空の優先搭乗を利用している。僕もその権利があるが、入り口に非常に近い場所にあることを知らなかった。ANAのゴールドカードの優先登場口と同じですね。しばしラウンジで休憩して、タイ航空ネパール行きのTG319に搭乗する。カトマンズまでは、3時間30分の距離。居眠りと、レポートに取りかかるとあっという間に到着。ここは標高1,500mで空気は軽く、風は秋風だ。太陽が照ると灼熱の暑さになり、曇ると途端に北国の気候になる。今はちょうど雨期で、気温も低く快適に過ごせるらしい。ホテルに向かう道中は、ここままだ発展途上だと思わせる風景がある。道はでこぼこで、座っていても座席から飛び上がるほどの振動が突き抜ける。タイのような露店も少なく、店はインドと同じ小間口で奥行がない。雑貨品はみすぼらしく、産地国を確認できないが多分中国製だろう。世界一空気の悪い都市と言われるが、今日はそうでもないようだ。雑多な作りの建物群を抜けると、広々とした敷地に我々の宿泊するYAK-YETIホテルがあった。建物は古いが、きちんと格式の整ったホテルである。ここは欧米人の訪問が多い。山が目的で、ここで休憩して山に向かうのだ。部屋も大きく不満は無い。しばらく休憩して、取引先の責任者とモンキーマウンテンに向かった。この山は市内の高台にありエベレストが見えるというのだ。道中の道は更にひどく、車は時速20km位になった。勾配のキツイ坂を上り下りしてサル山に向かう。(これは決して観光ではありません、ビデオの撮影なのです)ネパールはヒンズー教で、その本山のようなお寺もここにある。雨の降った後で参詣道はぬかるんでいる。靴磨きを持って来てよかった。頂上は首都カトマンドゥを見下ろせる絶景なロケーションであり、しばし気持ちのよい風に吹かれて風景を楽しんだ。お寺はタイのものと比べると大変貧相だが、敬虔な信者が多くのお祈りをささげている。そのお供え物はコメであり、これをサルと犬が奪い合って食べているので、臭くて、汚くて、それに犬は狂犬病のような凶暴な目をしている。とても日本人の女性が出向く場所ではない。天候はあいにくの曇りでヒマラヤ山脈は見えず、カトマンズを囲む山が見えるだけ。日本の高山を訪問すると、直近の山の向こうに、雪を頂いた乗鞍や槍ヶ岳が見えるのと同じ感じだと思う。写真を撮り終えたら、早々に下山する。市内のパナソニックの店で歓談する。ネパール語が標準だと言われるのに店員は英語を話す。僕の英語の30%位は通じた。もちろん絵を描いてですが。スーパーで買い物をしたが、ここでも英語が使われる。どうやら観光立国で食ってゆくネパールは英語が必須だと見た。その後ホテルに帰り、夕食に連れて行ってくれるという。「日本食がよいか?」「Noです」。こんなド田舎に来て何で日本食を食わねばならぬ。「ネパール料理ですよ」と伝える。ホテルから歩くこと10分で、その店に着いた。一階と二階があるが、一階には客がいない。二階に上がるとほぼ満席だった。二階は屋根が無く星が見える。最高の環境で頂いた。ネパールの中流以上の人々がここで食事をするそうだ。牛以外の肉が調理された焼肉だった。それと、生のきゅうり、にんじん。後から、餃子のようなものが出てきた。僕はコーラ。仲間はビール。店の雰囲気は良いがどれも美味しくない。コクが不足しているのだ、だしが出てないというほうが近いかも知れない。インドの文化を濃く受けているネパールだが、インドの出汁を活かさない悪い料理のセンスも影響あると思った。話は、世界経済や地球環境などどんどん大きな話になるが、経済のほうはともかく、最近世界中で起きた事件について日本から来た仲間は知らなかった。僕はもう2週間あまりこちらで英字新聞を読んでいるので、彼と共通する情報を持っていた。日本は規制鎖国を続けているうちに、情報鎖国をしても一向に平気なぬるま湯状態になり、マスコミも安住したのではないかと思う。彼の責任を問えないのは、日本ではそうした報道がないからだ。日本で暮らす限り英語は不要だと言われる。日本の会社で仕事をする限り英語は不要だといわれる。それは今のところ正しい。そして、それが正しい限り、日本は、かつて繁栄したアルゼンチンが低開発国に落ちぶれたように、世界でも屈指の貧しい国になっていくだろうと思える。逆に日本を開放して、日本でも仕事をバリバリとするためにはどうしても英語が必要だとなったとき、日本はシンガポールのように最先端の国になると思う。今回の出張で感じたのは、日本を除く世界は英語で商売していると言うことだった。どの国でも多くの種類の英字新聞が売られている。
8月24日(火曜日)
この国に住むと結婚観が変わるかも知れない。男は収入に応じて好きな女を選ぶようだ。もちろん、女のほうにもそれなりの階級が必要だ。女も男の収入を非常に重要なことと考えるから、お金のある男に選ばれることを好む。そして、男は女を囲う。アラブ〜インド〜バングラまでの、アーリア人、ベンガル人種はこの様な視点を持っているようだ。男女平等なんてありえない意識が定着している、収入の高い男たちが得た、美しい婦人たちを見ていると憧れを感じますね。ホテルから空港までは昨日来たインド人のスレッシュさんによると1時間20分。こちらの住民であるジャジーブさんによると25分。そして、私はホテルから空港行きのリムジンバスに乗ると25分。地元住民は知っている。空港はいたって簡単に通過できた。タイ航空のラウンジ利用券も発券してもらった。通りがかりの美人を見つけて、ラウンジの場所を聞けば、判りやすい案内。ラウンジではワイヤレスLANのアドレスIDを頂き、しばしの間ココで過ごす。長い英語は困難が伴うが、こうした短いのはだんだんとこなせるようになって来た。かつて現役の長島はボールがとまって見えたという。おこがましいが、私もしばし相手の話す英語が、文字に変換されてくっきりと見えるときがある。こういうときは、自然に相槌ができる。インド人はこのとき顔を横に振るのだが、私は首を縦に振る。インドから東南アジアに暮らすとこの様な習慣を覚え、自然にそこに溶け込む事ができるようになると思う。彼らの心の襞に触れると人生はもっと豊かになれると思う。僕の人生においてはそのような時間がもっと欲しかった。今思えば、1990年の大阪を担当している頃、この様なチャンスが欲しかった。そのときは、国内の何所を担当したいのかもっぱらの関心だった。視野が狭かったと反省する。あの頃は交際費で毎晩お酒を飲み、それで満足していた。実に浅い人生を送っていた。無事タイまで帰ってきた。飛行機の中で飲んだワインが未だ残っていて、ぼんやりしている。ホテルに着くとすぐに散歩に出かけた。伊勢丹まで歩くつもりでいたが、だんだんと暗くなり鉄道(BTS)のNANA駅を過ぎた辺りで通路の屋台も無く暗いので、引き返した。スクンビットからNANAまでは、Tシャツから、コピーCD、靴、カバン、ありとあらゆる物を販売している。つい買ってしまいたくなる価格である。食べ物屋でさんもある。急ぎ足で歩いても20分以上かかるので、この屋台は1kmくらいあることになる。インポリアムビルによってお土産を買う。今日が最後のバンコクになるからだ。2時間も散歩をすると喉が渇くし腹も減る。7イレブンの前で店を開いている兄ちゃんの料理の手際がよく、客も多いのでここで夕食。焼そばのようなものを注文した。35バーツ(約100円)水はその後ろにある7イレブンで7バーツ(21円)。ホテルでインターネットを使おうとすれば、パスワードが必要とある、電話で問い合わせると、カードを持ってくるという。そのカードには番号が記載されている。だがその番号は、名前なのか、パスワードなのか不明、どちらも試したが不通。もう一度、たった2つのことを聞くのに時間がかかり、結局わからず、オペレーターは勝手に電話を切った。再び今度は男性からかかってきたがもう時間も遅く頭に来たので、キャンセルだと伝えた、明日清算するときに請求されているのを考えると更に頭にくるのだが。インターネット利用で金を取るのはせこいですね。通常これは使用に関係なく料金は固定なのだが。
8月23日(月曜日)
今日はこの国に来た目的の仕事日、気合を入れていこうと部屋で黙想をしていると、もうそろそろ降りてきてくださいと言う。妙に変だ。食事の時も時間を待ち合わせたのに一緒ではない。そして、セッションは始まった。途中で休憩があり、進行状況の打ち合わせをすると、僕の時計だけが遅れている。今までのいろんな事の誤解が取れた。僕は日本からの誤差を3時間半、つまりインドと同じ設定だったが、この国の誤差は3時間。みんなの行動と30だけずれていたのだ。終わったのは午後4時。部屋に戻りメールをチェックした後、ジムで汗を流す。今日の緊張をほぐすためだ。午後7時過ぎ、取引先の方と、インドから来た明日のセッションをする講師達と一緒に会食をした。彼らは酒を飲まない。スプライトを注文した。僕はコーラー。このインドの人たちは、以前スリランカであった事がある。彼らの上司であるニランジャさんとは親しい間である。彼らは僕をマスターと呼ぶ。他の国ではTeacherですが、インドでは格が上がっているのだ。彼の話によると、カシミールで系列店がオープンした話を聞いた。非常に危ない地区で、鉄砲の弾が飛んでくるらしい。そのときはシャッターを閉めて一時間ほど休憩するそうだ。静かになると、又店を開く。ここではカシミールのウールが非常に安いとの事。行きたいが行けない興味の募る場所だ。アイズワーズの話も聞いた。ここは中国との国境近く。ヘラルドニュースで、一人の妻に複数の夫の記事を読んだ事がある、その場所だ。何と空港があり、山の間を縫って飛行機は飛ぶらしい。会話は僕の思い込みで補完しているので、本当の話とは少し違っているかも知れない。食事はインドレストランだ。前菜のスープは、いきなりカレーのルーを飲んでいるような強烈な味。ジンジャー、ペッパー、チリ、クローブがスパイスとの事。クローブは知らない。その後、会場の準備をして解散したのが9時。仕事と、ジムと、なれない会食とでくたくただった。
8月22日(日曜日)
金曜日が休日の取引先だから、日曜日は営業日。それで7時半の迎えが来るという。今週は休日無しだ。ホテルのレストランは7時半スタートだから、迎えの車が送れることを願って食事を摂った。取引先に向かう車の中で撮影をしていったが、リキシャの多いことに圧倒される。ベトナムではバイクの数にびっくりしたが、ココではリキシャだ。リキシャを漕ぐのは相当なパワーを食うので、ペダルをこぐ人はやせた人が多い。こぐ重さはタイヤの空気圧に比例するので、タイヤに注目すると、人を乗せたままでも、タイヤはへこんでなくパンパンの空気圧だった。彼等も考えているのだ。更に詳細に見ると、前のスプロケットは、結構な厚みがあり、必死で漕ぐ力に負けないような厚みを持っていた。後輪の車軸は3cm以上の直径があり、こちらも人を2人まで乗せられる設計だと見た。案内してくれたのは、取引先の副社長のような位置づけの人。彼は、僕に、このアジアで何所に行ったのか?と聞く。「ブータン、ネパール、モリジブ、パキスタン、チベット」。「全部行ったことがない」と答えた。インドを取り囲む国々だ。こちらはそんな国との交流があるようだ。インド経済圏が出来上がっていると読むべきだろう。市場視察を兼ねて事務所を出たのが11時。スタジアムに行くという。到着してその意味が理解できた。クリケットやサッカーのスタジアムの下の空洞は、小さな電気屋さんがひしめいている。まるで昔の日本橋の電気街の様相である。昔ナゴヤ球場で栄電社が年末にバーゲンセールを行なっていたが、あれと同じような感じ。案内してくれたのは、取引先の男性2名。きっと危険なために2人のガードマンがサポートする意味だと理解した。電気製品のほとんどは中国製で粗悪で、色彩もけばい。店側の通路と反対側は、果物を売っている。ナツメヤシのような干したものを売っていたので、聞くと、「シュリー」だと言う。サウジアラビアからの輸入品だと言う。私はこの国のDVDを買いたいと言うと、連れて行ってくれたところは、コピー専門店。一枚120円程度、一枚のDVDに5つのストーリーが記録されたものもある。映像はずべてインドの映画。全部で4枚購入。お金は取引先の人が払ってくれた。そして、お土産にショールを買いたいというと、今度はもっと危なそうな市場に案内してくれた。こちらはその上に少し暗い。途中で、この案内してくれた人の友人と出会い、その彼に一番の推奨の店を案内してもらった。向こうの指値でそのまま買った。彼らの顔を見て、値段を提示したものを信じる。短時間だったが非常に興味深い時を過ごした。外国人はこれない所だ。困ったのは、暑い外を歩いたが水を飲むことができないこと。彼らはダマランだから、その習慣が無いからだ。事務所に帰ると干からびてましたね。しかし事務所にも水は無く、2時間あまり事務所で打ち合わせ。そして仲間はお金の支払いで銀行へ。この副社長と二人で会話。ほとんど判らないが、わかる単語を並べて理解に努める。僕のほうは詳細を伝えられず、少し誤解を招じたようだ。だが、こんな地の果てまで来て、興味深い仕事が出来ることは、大変自分が頼もしく思えましたね。この地の移動手段を聞くと車は通常時間と、停滞時間を教えてくれる。中には無限大と言う表現をしていたところもあった。新聞を見ると、ダッカの停滞は社会問題化しているようだった。新聞によると政府は道のレーンに番号をつけて、そこを通れる車種をしていたところ、余計停滞がひどくなった記事があった。なんとも大変な国である。夕食はこのホテルで洋食。スープはオニオンスープ、シェフ特性サラダ、ナシゴレン。ところが出てきたのは、ワンタンスープ。このレストランの客は我々二人だったのだが。
8月21日(土曜日)
朦朧とした頭でタイに到着。ラウンジを探して駆け込んだ。ここで3時間の待ち時間を過ごし、バングラディッシュに向かう。今までの出張のレポートの粗書きをする。疲労困憊だが、必要な仕事なのだ。飛行機に乗ってバングラに向かったのは10時40分。レポートの続きと転寝。1時バングラディッシュに到着。思ったより綺麗な街。だが、空港と平行して流れるどぶ川で子供たちが泳いでいたのは、さすがバングラディッシュだと納得した。市内の入り組んだところに宿泊するSARINA HOTELはある。とりあえず今日は休息と言うことで、夕食の時間まで部屋で過ごすことになるが、レポートもあり、しばし続きを書いていると、急激に睡魔が襲ってくる。1時間ほど転寝をして目覚めると、夕食のための空腹感が無い。これはいかんと、ジムに向かう。どの国もこの施設の利用は同じなので、英語が不自由でも何とかなる。How to use.と言えば、機器の使用法は教えてくれる。1時間ほど汗を流した。大量の汗は気持ちがよい。この10日ばかり運動が無いので、時速5.5kmで走るのがやっとだった。普段6km走行は可能なのに。夕食はKFCへ。ところが、ココは満員。ラマダンなので、多くの人がココに来て、時間が来るのを待っているのだ。今日は6時32分にラマダン解禁との事。気の早い人は、もう注文も済まして、目の前に食べ物を置いてある。ここはジャカルタと違って、厳格なのだ。僕達は持ち帰りで対応した。男二人で部屋にこもってフライドチキンを頂いた。その後レポートをしばし。朦朧としてきたところで、就寝。
8月20日(金曜日)
夜中に蚊。何度も何度も蚊。朝起きて殺虫の器具を見ると、自分で電源を入れる仕組みらしい。それでも眠れたのは、昨夜から雨が降り続いていて、雨音を聞きながら眠れたのが良かったからだ。猛烈な空腹で、仲間との待ち合わせを待たずレストランに向かった。昨晩声をかけてくれたウェイターがいて、今日も僕のお世話をしてくれた。「玉子焼きは食ったのか」、「注文したよ」「それなら、後で私が持ってくる」何もチップは上げてないのにお世話をしてくれるのはありがたい反面、心苦しい。しかし、彼の顔つきは非常に知的で誠意がある。こういう人は友人にしても良い。ジャカルタのアグンサンと同じ顔だった。会社の出迎えがあるまでホテルのフロントで過ごした、吹き抜けで、風が気持ちよい。日本で言うところの初夏の風ですね。高地にあり、気温が低くさわやかである。ホテルの窓は開けっ放しにしないこと、鍵をかけることを明記してあった。何で? こんなに気持ちよいのに。理由はサルがいるからである。猿が部屋に入りいたずらをするからである。このフロントの外をぶらつくとサルの群れがいるではないか。器用に木に登り枝から枝へ飛び移っていくのを見ていると心が和む。動物園のサルとは違い、動ける範囲が広い。その後、キャンディーの街の中心にあるショッピングセンターを訪問した。他のアジアの国と同じく、清潔で綺麗で、多くの人がいる。そこを通り抜けて、雑貨店を訪問した。シャンプーあり、運動用の靴あり、そして、カメラとオーディオがある。しばらくことでパフォーマンスを行なった。次に訪問したのは電気店だが、旋盤あり、家具あり、シャンプーあり、冷蔵庫あり、何でも屋。品物が雑然と置かれている。多くの店員さんがいたが、これは商品ごとに担当があるだろうなという事が見て取れる。しかし、同じものが、何箇所かに分かれて置かれているところに、この国の国民性があるようだ。コロンボ市に向かう、途中でコーヒーとハムサンドを食べる。これがなかなかうまい。もう1セッション違う場所で仕事をしていると同行の現地人がもう終われと言う、コロンボに向って帰る準備をしなければ飛行機に乗り遅れるからだ。何と到着したのは午後8時。短時間のホテルを借りてシャワーを浴び、ご飯を食べた。このご飯が又旨いのです。僕は160円の焼き飯を注文した。これに、この地特産のウィスキーをいただく。なんと芳醇なうまみがあるのでしょう。つかの間の幸せを享受した。あわただしくホテルを出発したのが午後10時半。それから、2時間かけて移動を空港のチェックインを済ませた。午前1時40分の飛行に乗ってタイに向かう。眠たいが眠れない。
8月19日(木曜日)
8時半チェックアウト。今日はKandy(キャンディー)と言う別の街に出かけるのだ。前回訪問しようと計画してたのが豪雨で頓挫してしまったので、再度挑戦だ。コロンボから150kmくらい東にある山のふもとに広がる街である。道は曲がり、道路は悪く、前を行くトラックの荷台に乗った女性は、こちらを向いて戻していた。僕も道中PCで資料を作成しようとしたが、酔いそうで止めた。こちらを担当している責任者の運転する車での移動だから、道をよく知っているはずだが揺れる。何か飲み物は要らないか?と聞かれたので、水は先ほど貴方から頂いた。と答えると、他にどうか?と言う。すかさず、ココナッツと答えました。なぜなら、道中ずっとこれを売っている店があったのだ。彼もその答えを待っていたようだ。ココナッツは少し甘く、白く濁っている。これは喉が渇いていると相当甘いはずだ。量は多く350ミリリットル程度か。とにかく飲み応えがある。30円程度だ。11時からこちらでの仕事が始まった。1時間半程度でOKだと言うが、実際は2時間少しかかってしまった。それで終わりかと思えば、昼飯を食ってからもう一度行なうという。昼飯は、この取引先の屋上のテラスでいただく。街が一望できるところにあり、のびのびとした開放感がある。民は貧しいが、こんな絶景で昼飯を食えるなんてなんて優雅な事だと思った。飯はカレー。小さな弁当箱に入っているが、開くとぎっしりと詰まっている。それをお皿に広げていただく。皆は指で食べる。僕はスプーン。海抜600m。気温28度。一年中気温は変化しない。エアコン、夜は不要。僕は英語が話せないので、通訳が居るのに、どんどんと話しかけてくる。しんどいが勉強にはなる。現地の情報も得られる。昼から1時間程度の予定が4時間。結局僕らは立ったまま、6時間程度パフォーマンスを繰り広げたことになる。どうだったと聞かれたので、I am tired.と答えた。もちろん別の答えを期待してたのはわかったが。その後、キャンディーを見下ろす山の中腹にあるHotel Thilankaに案内してもらった。そのホテルがあまりにも素晴らしく感動した。というのは私の部屋用にグリーンの芝生の庭があるのだ。山に建つホテルなので、山の斜面が庭になっている。そしてその向こうに下界が見える絶景でもある。エアコンは無い。スリッパも、シャンプーもない。石鹸も貧弱なのがあるだけ(昨日のホテルから主な装備は持ってきた)、でも、それを補って余りある風景がここにあった。この2日間は、お祭りで、寺院では踊りが見られるという。窓を開けると遠くの寺院からお祈りの説教が聞こえてきた。仏教なのに、お祈りはイスラムと同じようにマイクを使って行なうみたいだ。日本人も海水浴場や観光地で大きな音量で音楽を流す、アジア人はにぎやかなのが好きなようだ。夕食は軽くビールでも飲もうと思っていたがお祭りなので酒の販売は無いという。逆だろう、とは思わないようだ。風を引きそうなほどぬるい風呂に浸かってベッドの上でPCを広げると、途端に睡魔、9時には寝てまった。
8月18日(水曜日)
昨夜といっても今朝だが寝たのは午前2時、起きたのが午前6時。天気が良いので下のプールで撮影しようとカメラを持って降りるが、肝心のカメラを1個部屋に忘れている。疲れているのだ。9時45分、出先の責任者の出迎えで、この傘下にある店の事務所に向かう。ここで、午前中仕事をして、マクドナルドで昼飯。その隣にある、アバンズと言う家電量販店を覗くと、ヘルーパーの人が声をかけてきた、完璧な日本語だ。日本で14年間仕事をしたと言う。東京の板橋と茨城にいたので、方言の違いも分かるらしい。ここでアルバイトをして、次はアメリカに行くらしい。仲間は店の写真を撮影してたが、僕は彼の写真を撮影。話をしなければ相当怖い顔だった。その後、カメラ店に向かいプロモーション。美人の店員が居たので、すかさずモデルさんになってもらった。この辺辺りのテクニックは相当上がってきたぞ。名前も聞き出したぞ、ディオンさん。ココまでが幸運。その後、もう一軒訪問してホテルに帰ると、肝心のカメラがない。多分忘れたのだろうと、先ほどの店にもう一度尋ねていった、が無いという。もう僕はこの店の人全員を疑った。スリランカ人はニコニコしているが、内心では違う心があると。46,000円したカメラも6,000枚程度の撮影でサヨナラか。今買えば25,000円程度だが。個人のカメラなので、このいろんな問題は発生しない。会社のカメラだと大変なことになっていた。夕食は7時。先ほどの責任者の方が迎えに来てくれた。レストランに向かう前に。何と彼曰く、車の中にカメラを落としていたと。僕は一気に天国に上りましたよ。まるで彼が神様に見えた。店のスリランカ人の疑いも晴れた。万事うまくいった。途中で買った、DVD「タイタンの戦い」とBD「カール爺さんの空飛ぶ家」も色あせて思えてたが、これを機会に一気に輝き始めた。連れて行かれたのは、海辺にあるホテル。なんと海岸から海に向かって青い照明が投光されている。随分先まで視界が効く。この海は透き通っているから余計に綺麗だ。その海を背景として、芝を敷いた庭に多くのテーブル席がある。非常に幻想的な雰囲気。食事はブッフェ形式。マトンと烏賊とマグロを焼いてもらった。ビールはこの国のLIONビール。これはあまり旨くない。海があまりにもすばらしいので、もう一度撮影をしていると、現地人のグループが声をかけてきた。スリランカ人は多くの人が少しだけ日本語をしゃべる。少し挨拶をして、私は撮影してもらった。フラッシュを使ったので、潮が飛んでくるのが判る。彼とはその後、お菓子のコーナーでも出会い、冗談を言うと、帰り際、僕達のところに挨拶に来た。律儀な人だった。すばらしい夜になった。
8月17日(火曜日)
今日も昨日と同じスケジュールだ。今日の昼食は、すぐ近くにあるゴルフ場のレストランで焼き飯を食った。目の前にはグリーンの芝生が広々と横たわり、その手前には湖がある。強烈な冷房の効いたレストランで頂く食事は優雅そのもの。しかし、僕には午後1時からのセッションが控えていたので、少し早食いになった。午後3時に仕事を終える計画が、もう1セッションの追加で、何と午前10時から、午後5時半までとなった。後片付けをして急いで空港へ。ココで仲間と合流するのだが、45分も遅れてしまった。タイ国際空港はだんだんと判ってきた。そりゃそうでしょう。何度も訪れて、待ち時間が5〜6時間と相当長く、端から端まで歩いているからだ。端から端までは25分くらいかかる。その間、ずっと店が続いているので、買い物をしなくても気晴らしにはなる。新橋〜東京駅くらいの距離ですね。大阪では天満橋〜南森町程度。仲間と合流の後は、ラウンジで食事をしてメールを見る。時間ぎりぎりまでここにいて、飛行機に乗る。飛行機ではひたすら眠る、努力をする。定刻どおりコロンボ国際空港に到着。午前0時20分だけれど、タイ時間は、午前2時。日本時間だと、午前4時。ここらかタクシーに乗って1時間の距離を移動する。だが、この運転手はものすごいスピードで飛ばし、30分で着いてしまった。問題はおつりをよこさないのだ。200ルピアを返せ、50はチップだと言うと素直に従った。この辺あたりが、インド人と同じで、憎めないところ。ホテルのフロントマンはGood morning。もう朝かよ。そしてウエルカムドリンク。深夜のジュース。
8月16日(月曜日)
今日は仕事なので格別なニュースはない。見慣れた景色の街を抜けて郊外に出るルートをたどり事務所に到着する。事務所の別室に缶詰で僕は話をする、もちろん通訳がいるが。聞く人は午前と午後とは入れ替わる。昼飯はいつものラーメンの店へ。ラーメンといっても、インスタントラーメンに自家製の具を加えて供している。20バーツ、60円相当だ。一日の昼飯代がこれだけだ。天国に来たみたい。夕食は、タイ料理の店に連れて行ってもらった。ここの客は全員が日本人だった。野菜炒め、野菜サラダ、チャーハン、タイソーセージ、ココナッツミルクのスープ。これを二人で分けた。とりわけ、野菜炒めは、肉類を使ってないのに、いい出汁でいためたような味がする。にんにくをふんだんに使った料理だ。もう一つは、ココナッツミルクのスープだ。甘いようなすっぱい味がする。具はなんとも言えないものばかりで占められているが旨い。ソーセージ方面までは手が出なかった。僕は歩いて帰る事を主張したが、車で送ってもらった。距離は徒歩30分くらいのところでした。ビールを飲みたかったが、明日もこの頭をフル回転させねばならず、口をつける程度に抑えた。ホテルに帰り、風呂に浸かると、昨日と同じように睡魔がやってきた。酒を飲まずにこの有様だ。疲れているのだろう。明日は今日と同じぐらいの仕事をして、深夜便でスリランカに入る。昔、九州担当の営業のとき、都城、宮崎、延岡、中津、大分と回り、週末に駐在事務所のある博多に帰る生活をしていた事がある。あれと同じですね。パスポート税関が余分ですが。
8月15日(日曜日)
このホテルは読売新聞が配られる。トップ記事は終戦記念日だ。すっかり忘れていた。昨晩吹き荒れた天気は朝になっても厚い雲に覆われていて、今日のお出かけは無理かな?と思っていた矢先、丁度12時前位から突然空が開け、いざ出陣と相成った。そうだ、NEX5は3D撮影が出来ると聞いているぞ、ファームアップサービスがされているかも知れない、ということでサイトを覗くと、ありました。早速ダウンロードを始めたものの、ココは回線が遅く、ダウンロードに30分も要したのだ。それで、すっかり終戦記念のことを忘れてしまったのだ。とは言うものの、ここは時差2時間なので、本当は10時に気が付かなければならないわけだが。今日の行き先はお寺、名前をワット・プラケオと呼ぶ。市内のホテルからタクシーで500円。本当はもっと安いかも知れないが、この運ちゃんは随分と遠回りした。こちらは地図があるので、何処を走っているのかよくわかった。天候は晴天。やっぱり暑さは強烈。熱帯の太陽は焼けるような痛さがある。とても大きな建物は、NEX5のパノラマ撮影がよい仕事をしてくれる。ただ、ものすごい音がするので、周りの人が驚いていた。普通お寺は、左右対称で、正面からの写真は有無を言わさず安定感があるのだが、タイのお寺は、そうでもないのがあり、構図が難しかった。何人かの人に頼まれて写真を撮影した。日本人は「ありがとう」、外国人は「ありがとう、あなたも撮影しましょうか」、少し反応が違う。外国人のカメラはソニーが多かった。帰りもタクシーを拾った。BTLの駅名を地図で示し伝えたが、違う駅で降ろされた。電車に乗ればよいことだから、ココで下ろされるほうが親切かも知れない。とにかく、タイ人に対しては言葉が通じないので、文句も言えないのだ。駅はスタジアム駅。ここから、スクンビットまで電車がある。ところが、乗った電車は違う方面行きの電車だった。妙な予感がしたので、ずっと風景を見ていると、電車は大きく南方面にカーブして、本線からそれてしまったのだ。大変だ。次の駅で下車して、もと来た道を帰った。途中で乗り換えて、無事スクンビットまで帰ってきた。夕食は、昨日と同じカルフールへ向かう。このレストランの仕組みがわかり、大体の価格体系も頭の中に入ったので、僕のタイでの食堂のようになったのだ。どんなに頑張っても300円は食えないですよ。日本にいるとき夏になると青いリンゴが妙に気になり探したが食べられなかったところ、ここに青いリンゴがあり、ジュースにしてもらった。これは90円。クラッシュした氷入り、大丈夫だろう。ホテルの前のコンビニ(セブンイレブン)で牛乳60円を買って、本日の仕上げとした。昨日は熱い湯に浸かりたかったが、ぬるま湯しかなかった。今日は飛び切り熱い湯が出たので、部屋をギンギンに冷やして、熱い湯に浸かった。この落差は何事にも替えられない。毎晩8時半が来ると眠くなる。日本時間で22時半だ。体はきちんと日本の生活を覚えていてくれている。
8月14日(土曜日)
朝5時半に目覚め、ゆっくりと着替えをして、レストランで食事を取った。まずは、ベトナム風のホーのようなヌードルを注文する。にんにくはどうかと日本語で聞かれたのでOKと言ったが、にんにくではなく、生姜だった。インドネシア人は日本人を見るとやたら日本語を使いたがるが、ちょっと違っていることがある。8時半に出発をした。少し早いと思うが、現地人の言うことを聞くほうがよい、会社の車を回してくれたので、不満はない。旅行と出張の違いは、こういう手配の件にあまり煩わせられない点が良い。空港からのアクセスやホテルは、きちんと安全で確実な手配をしてくれる。自分でこの手配をしようとすると大変だ。空港カウンターでいつものトラブルは、荷物がオーバーする件だ。そこを、スターライアンスのゴールドカードの優先権を使えないか、交渉するのだ。交渉といっても単なる単語を並べただけだが、何とか理解してもらえ、検討してくれる。大概はOKだが、時々だめなときもある。そのときは素直に従って、お金を払いに行く。今回は無事通過した。同時に、ラウンジ使用のカードをくれた。そしていつもタイ航空のラウンジを探すのに迷うのだが、今回はガードマンの人に尋ねると、一発で案内してくれた。このとき、大体聞かれる事は2つ、日本に帰るのか?何日滞在したのか?早口の英語でも、この2点だけは何とか聞き取れるようになった。ラウンジでこの文章を書き込んで時間をつぶす。タイ行きの飛行機はエアバスA330、ボーイング777とほぼ同じ大きさ。今回隣の席にはタイのお坊さんが座っていた。タイ人はこの人に両手を併せてお辞儀をする。タイの人にとってはお坊さんは偉い人なのだ。ところが、日本人の私にとっては「臭い」し、飛行中にも携帯電話の電源を入れる「非常識」だし、手に持つにはいろんな電子機器がいっぱい入っていた「オタクマニア」としか映らない。タイ空港は空いていて、10分くらいで通過できた。飛行機は満席だったのだが。迎えの日本人が来てくれていてすんなりとホテルに到着。W子から依頼されたカービングナイフは何処に売っているのかフロントで聞くと、いつもよく行っているカルフールにあるとの事。なんだ、それなら夕食のついではないか。ということでカルフールに行く。ついでに電気売り場を覗くと、LGがPDPを強力に訴求している。42型のHDで65,000円で売っている。50型は10万円だ。PDPの前面ガラスはPDPの前ガラスと一体に近い構造で、横から見ても映りこみ像が2重に見えない。600Hzのサブフィールドドライブを採用しているが、ほぼ液晶と同じくらいの、動画応答速度。画質は低いと見た。カービングナイフも買って、ついでに運動靴も買った。ホテルのジムを利用するのに、今回は靴を忘れてきたのだ。運動靴は600円だった。夕食はいつものここのフードコートで頂く。前回来た時に、お金をチャージできるカードを取得してたので、これにお金を追加して、定食とヌードルを注文した。言葉は一切通じないが、指差すことと、オプションは要らない表示の首を振ることで全てまかなえる。450円の夕食だった。ホテルの前のコンビニでビールを買った。Singha,chang,tiger。Changビールが旨かった。ビールを飲みながら、Across the universeを見た。全編ビートルズの歌でつづった物語だ。物語のつじつまは少し合わないが、途切れなくビートルズの歌が聴けるので、酔っ払ったら頭には最適の映画だ。
8月13日(金曜日)
特に金曜日はイスラムの人にとっては重要な日で、昼のお祈りは欠かせない。という事で、お祈りのために時間厳守で、説明を終えて欲しいといわれる。了解ですと11時45分に休憩に入った。ところがしばらくすると、会社の門の外から続々と人が入ってくる、どう見ても会社の人ではさそうだ。一緒に行動している通訳のチキータさんに聞くと、インドネシアの習慣として金曜日のお祈りために、どこの会社もモスクは解放するそうだ。イスラムの人は、それで最寄のモスクでお祈りをささげなければならないらしい。ラマダンの今は、昼間のお祈りも丁寧に行なうらしく、僕らが250円の昼食を食べる間お祈りしていたようだ。お祈りは一日に6回も行なう。朝飯は午前4時に食べ、夕食は日没の午後6時以降だ。大変厳しい戒律である。今日の仕事は午後4時終えて、かねて約束していたアグンさんとCDショップに連れて行ってもらった。場所は町の中心街にある、ITビルだった。シンガポール、タイ、フィリピンのITビルと同じように、立派なビルの中に、小さな店舗の店がひしめくように出展している。その中にコピー専用のCDショップがある。CDショップと言っても、メインはDVDのコピーが主である。今回の目的はBDのコピーがあるというので、それが目当てだ。価格は1,500円。「Alice in wander Land」と「District9」を買った。まだ、ポータブルのBDを持ってないがいつか買おうと思っていたら、サムスンから10.1型のLCDを採用した499USドルのBDプレーヤーが発表された。Panasonicは8インチで89,800円だから、相当魅力がある。コピーのBDはリージョンフリーなので、何処の国のプレーヤーを買おうが問題ない。これは、i-Padよりも魅力がある。ついでにMP3の音楽を買った、音楽CDはMP3で、一枚に約10枚程度のアルバムが収録されている。非常にお買い得感のあるディスクだ。同じアーティストのアルバムを収録したものや、ジャンルでくくったものなど、まとめ方は多彩。たとえば、BEATLESは「Abbey Road」や「Yellow Submarine」や「Rubber Soul」や「Please Pleas Please Me」などが一枚のCDに収録されているのだ。一枚2,800円も出してLPを買った時代からすれば、あの価格は何だったんだと思える。CDは全部で7枚買った。一枚200円。アグンサンに、夕食は一緒にどうかと聞くと、OKだと言うので、市で一番のショッピングモールへ行った。ここは銀座の店が一同に入居した感じがするようなブランド店が店を開いている。インドネシアとは決して思えない。そして、このレストラン街を覗くと、まぁ何と言うか、もう既に食事をしているではないか。まだ6時になってないぞ。断食の夕食スタートは午後6時以降となっているのだが。我々は一番流行っている、老舗の店に並んだ、並んでいる間に解禁の6時が過ぎて行った。食事は、かなりスパイシーなランチセットと、スマトラの有名な料理を注文した。スマトラの料理の方はかなり珍しいといわれたが、日本のかまぼこの中に卵の黄身が入っているもので、高知の皿鉢料理には定番のものだ。もしかすれば、戦時中に日本軍が持ち込んだ料理かも知れない。スパイシーな料理の方は火を吹くような、緑の小さな唐辛子を和えたものが添え物として載っている肉料理だった。これは旨かった。私は十分な英語は話せないが、このエキサイティングな料理を前にして、何とか情報更新をしながら楽しいディナータイムを過ごした。二人で1,400円だった。ホテルに送ってもらい風呂に浸かると8時ごろだったが、私の目には、もう夜の帳が訪れていた。
8月12日(木曜日)
昼飯は、通訳のチキータさんと、一緒に会社の向かいにあるレストランに出かけた。この店は、鳥料理を専門とする店で、焼き飯(なしごれん)を注文したが、なかなか美味しかった。250円。仕事を終えたのが午後4時、それからメールチェックをして、日本人だけの食事会を開催するので参加しないかという。喜んで参加したが、本音は仕事の前日には酒を飲みたくない。行った先はMコーナーと言う町で、日本人が好んでゆくところ。もちろん日本食の店。刺身から始まり、日本の居酒屋のメニューが並ぶ。酒は、森伊蔵や、日本酒の立山など、お酒は持ち込んだものを飲んだ。日本人だけが集まって日本の食事を取るというのは、外国の人から見ればこっけいな姿に映ってるのではないかと思うが、僕は旅人なので異を唱えない。そして酒の席では日本では聞けない日本の裏話をココで聞くことになり、これまた、不思議な思惑にとらわれた。世の中は表と裏があって始めて成り立っているということを感じましたね。相当食って、4,500円。日本と同じ料金体系。
8月11日(水曜日)
結局一睡も出来ず、朦朧とした頭でバンコックの空港に降り立った。しかも予定時間を30分上回る早い到着の午前4時。乗り換え便の出発は午前8時。とりあえず乗り換えの場所を探して、搭乗フロアに出ようとうろうろするが、ひとつは閉鎖中だった。そこで、もう一つのトランジットを探す。こちらは、まるっきり空港の反対側。空港内を約1kmも歩いて、乗り換え口を見つけた。疲れが限界になったところで、フットマッサージを見つけた。45分1,500円。前回はあまり気持ちよくなかったが、今回は太目のおばさんで力があり、気持ちが良い。足は体を支えるので頑丈に出来ているから、強く揉まないと効かないということだろう。何度も足を叩きながら"Rakunisite"。タイ語はわからないと思っていたが、これは日本語の「楽にして」、いつの間にか足に力が入っているためだ。終わったあと、ラウンジまでの足取りの何と軽かったことか。ラウンジでサンドイッチとオレンジジュース。出発予定を大幅に遅らせて飛行機は出発した。飛行機に乗るとすぐに寝てしまった、ずいぶんと寝たと思ったが飛行機の飛び立つ音で目が覚めた。ジャカルタへは多くの人が訪れている。この空港の混み方は尋常ではない。1時間をかけて税関を通り抜けた。まずはホテルへ荷物を置いて、事務所に向かった。今日からこの国ではラマダンが始まる。ラマダンの間は太陽のある間、飲み食いできないと言うのがイスラムの掟。だから、今日はあちこちでお祈りの放送が聞こえてくる。そんなことで、今日は多くの勤め人は早く家に帰り儀式を行うようだ。事務所も人が少なく静かだった。ホテルのレストランで食事をした。ブッフェ形式の食事で3,000円。春雨の入ったスープはとても美味しく名前を聞くと、「チキンクリームスープウイズコンデマユ」と言った。鶏ガラスープに春雨、きのこ、パセリを刻んだもの、これに、塩で味付けをしてある。自分で出来なくはないという感じだった。食事をするととても眠く、8時に就寝。
8月10日(火曜日)
今回は荷物も多いし、期間も長い。そこで問題となるのが着替えだ。前回は8日分の下着と5日分のワイシャツ、2日分のズボンとシャツをクリーニングに出したら、1万円近くかかった。それで、今回は100円ショップで下着を買った。上下で一日分210円。あらかじめ洗濯をしたほうが良いだろうと、半分だけ洗濯したら、パンツの黒色の染料が染み出して、白いシャツが黒っぽくなった。と言う事は、洗ってないこのパンツで汗をかくと下半身が黒く染まるということかもしれない。今日は昼飯の時間に、昔の職場で働いている若い社員が進路相談に来た。若い人から見れば、僕なんか非常にとっつきにくい人と思うのだが、違う印象に映っているかも知れない。若い人は分からん。事前に要望があり、今日の昼飯となったのだ。静かな日本食の店で、話を聞いた。海外に飛び出すとすれば、20才代を過ぎては難しいだろうと思う、それに、経済が今から発展する国で、立ち上げからかかわりたいとバイタリティーのある発言をする。僕にもう少し時間があれば、よし、一緒にやろうと言えるのだが、そうも行かない年齢になっているのが悲しい。事情は全て伝えてお帰り頂いた。今日は早めに退社して、冷蔵庫にある残り物で食事を作り、出発の準備を進めた。出発までに少しだけ時間があったので30分だけ横になった。関空の午後10時半はタイ航空の受付カウンターだけが一杯だった。そこで、スターライアンスのゴールド会員が物を言う。こちらは行列なし。いきなり搭乗手続き完了だ。おまけに、ほとんどの売店が閉まっている中、ラウンジ利用カードも発行してくれる。そして、0時30分発の飛行機に乗る。今まで10時半には寝る生活をしていたので、今夜は疲れそう。
8月9日(月曜日)
鎌ヶ谷のインターネット環境の設定につての要である娘とは、連絡が取れない日が続く。彼女は今月末の吹奏楽の発表会を目指して特訓中だと言うのだ。そのため、ほとんど学校に通っているという。練習がない日はアルバイトで23時ごろ帰ってくるというのだ。中学生のとき、ブラスバンドに目覚め、以降今までずっとトロンボーンを吹いている。軸足がぶれないというのは立派なのだが、何を目指しているのだろう。ただ漫然とやっているだけかも知れないが、その奥に何があるのだろうか聞きだしてみる価値はある。聞き出すことで、ひょっとして彼女も自分発見をするかも知れない。妻は何時千葉に来るのか?、インターネットの設定の為である。もう話をするものおっくうで、すばやく電話を切った。もう、そろそろ高知の「よさこい」の時期だ。高知新聞のホームページを開くと、その関連の記事が全くない。不思議だ。高知県といえば、「竜馬」と「よさこい」しかないのだが。それでグーグルと、高知商工会のホームページで紹介があった。高知新聞社と高知商工会の連携が見えない。小さな田舎のこと、ココでいがみ合いをするよりか、世間の人を引っ張りこもうとする、大局に立って考えて欲しいものである。
8月8日(日曜日)
AVの世界で海外と日本で日常接するものに違いがあるとすれば、SDカードとUSBの使用実態だ。日本は多くのデーターをSDカードに保管する。デジカメにも使えて便利だからだら。ところが海外ではSDの代わりにUSBを使う。そして、これに写真や音楽や動画を保存している。動画と言えば日本ではHDだが、海外ではまだSD画質。それで、SDならファイルも小さいので、この動画をUSBに入れて持ち歩いている。と言うことで、海外ではこのDivxが再生できないとAV機器ではない、とまで言われている。そこで、私はこちら方面には弱かったので、少し強化する意味で、この一日を使った。まずは、素材としてDVDをDivx化する。これには、ペガサスのTMPGEnc Plusを使うと変換できるので、早速入手した。一番用途の多そうなDVDのDivx化だ。これにはDVDをdvd shrinkを使ってキャプチャーする、次にTMPGEnc PlusでキャプチャーしたVIDEO_TSファイルを認識させる。dvd shrinkで読み込むと、著作権などの阻害要因が削除で来るので、まずはこの洗礼を受ける必要がある。そして、このソフトは新作紹介など不要な部分を削除できる編集機能があるので、本編の部分のみ切り出して、これをDivxに変換する。そのファイルをUSBメモリーにドラッグする。これが、一つのやり方だ。もう一つは、Divxのサイトから、Dvix Plusのソフトウエアをダウンロードして、ペガサスのTMPGEnc Plusで取り込んだファイルを、DvixHDに変換する。両方とも結構PCパワーを喰うので、映画一本を変換するのは、CPUが4個くらいある、クアッドコアを使わなければ効率が悪いことが分かった。YoutubeのFLVもDivx化できるらしいが、今日はこの辺で切り上げた。今は盆踊り真っ盛りだ。この公団住宅でも中庭で盛大にやっているが、盛大なのは音楽のみで、踊りはえらいおとなしい。というのは踊っているのはおばあさんばかりだ。この住宅が一日中静かなのは、実はロケーションが良いと言うのではなく、住民のほとんどが70歳位のおばあさんばかりで占められている事が原因だったのだ。
8月7日(土曜日)
この英文は絶対に翻訳するぞと思いこんだら、辞書を片手に何とか訳することができるようになった 。今までは、どんなに強い意志を持っていても、どうにもならなかったのだが。英語の岩にドリルで穴を空けることがどうにかこうにかできるようになったのだ。約2年かかった。それで、今日の日中は持ち帰った英文の資料を読んだ。まぁ、自分の中ではこんな事もできるようになったんですねと言ううれしさもある。夕刻プール。2.5km。泳いだ後、プールの窓が開いていて、そこから監視人が花火を見ていたので、僕も一緒にみた。結構近くでやっているようだった。それで、プールから上がると、そちら方面に向かうと、盆踊りが開催されていた。ソニーのNEX5で露店を撮影した。夜間手持ち撮影というモードは、一度シャッターを押すと、6枚の写真を撮影して、ぶれを補正し、明るさを確保すると言う、なかなか優れもののモードがある。これはなかなか結構な味を出す。このカメラはストロボが無いので、夜には厳しいだろうと見ていたが、この連写による画質補正はすぐレモンだと思った。夜に強いのだ。帰宅して、寒い凍えそうなマッキンリー登頂のビデオを見る。暑い夏には最適の番組だった。今回の出張は長いので、本が必要だ。BookOFFで「夜光虫」馳周也、「軽蔑」中上健次を買った、なぜBookoffかと言えば、カッターでこの本を分解して、スキャナーで読み取りPDFにするので、本は捨ててしまうからだ。こうすればかさばらないので、いくつかの本を持ち運ぶことができる。他にも特選街9月、前回読みかけのスタインベックの「怒りもぶどう」もある。
8月6日(金曜日)
大阪の天候は朝は雲一つ無い晴天、10時過ぎると雲がわいてきて、昼過ぎから夕刻まで曇り空となる。そして夕刻晴れとなる。今週は判で押したようにこの天候だ。8月の最初の天気としてはきわめて異常である。そもそも昼間に曇ると言うのがおかしい。今の時期は太平洋高気圧に覆われて、蒸し暑い晴天が続くべきであるのだ。それで結局部屋の温度が35度を超えたのは、7月の後半に2回だけ。今週は根を詰めて仕事をしたので妙に疲れた。7時過ぎには帰宅して、風呂を沸かして、食事を作って、映画を見ながら食事をしたら、眠くて眠くて、11時頃に寝てしまった。お酒も飲まずにだ。それで、冷蔵庫の中でお酒が長い間眠っている。酒を飲むより寝た方が良いと言う変な習慣がついてしまった。
8月5日(水曜日)
パキスタンでは洪水が起き、隣のアフガンにまで大雨の影響は広がっているようだ。近年にない雨が降ったようだ。一方ロシアではあまりにの暑さと干ばつで、穀物の収穫が減り、輸出を禁止する記事が掲載された。もう、そろそろ、各国の識者はこの現象に対して、一体何が起きているのか明らかにするときが来たのではないか。映画「2012年」のように、実は地球を掘り返して経済を成長させるより、来るべき事変に対して、避難する時が来たのではないか。それとも、アメリカはすでにその計画を国家機密で実行しているかも。とにかく異様な天候がここに来て急速に増えている。3億年前に恐竜がなぜ急速に絶滅したのか?原因は定かでないが、余りにも恐竜が増えすぎていた事は確か。そして、地球の規模では全ての恐竜を養えなくなっていた。そして何かが起きたのだ。65億人の人間の活動にそろそろ地球がギブアップする時ではないだろうか。今日は職場の幹部だけの送別会が開催された。僕はこう言うときだけ幹部扱いだ。送別される方は、インドに向かう。インドは新興国としてきわめて有望な市場であるからだ。イギリスはキャメロン首相がインドに出向いて自国を売り込んでいる。イギリスは同じ言葉が通じるので二つの国の間では壁が低いのだ。インドは世界の投資を呼び込んでいる。そして、更に地球をいじめる。インドの次はアフリカだろう。アフリカを開発するときまで果たして地球が持つだろうか?
8月4日(火曜日)
100歳以上の老人の生死が確認できない事件が相次いでいる。日本人の精神の荒廃が進んでここまで来たのか?と寂しくなるが、1990年以降日本の成長は止まり、政治が機能しなくなって久しい。韓国と北朝鮮が火花を散らしているとき、日本の政治家は馬耳東風で政権のことに明け暮れている。自由経済の扉が開かれ、各国は自由化を求めて提携を急いでいる。残り少ない日本の富を狙って国債を外国勢が買いまくっているのに、政府の反応の声は聞こえてこない。日本の保有する5000億ドルもの外貨を無力化すれはアメリカは元気になると言うシナリオも有るようだ。その証拠に円高も相当進んだ。一方日産は主力車の生産をタイに移して、日本脱出を計っている。日本で雇用を守る必然性はないのだ。企業が守りたいのは企業だ、国ではない。その結果ますます経済は疲弊して、その結果、国民の良識までも疲弊してくる。ニューヨークで壁の落書きを洗ってキレイにしたら犯罪
も減ったと言うように、襟は正さなければならない。日本のだれが立ち上がってくれるのだろう。
8月3日(月曜日)
最近は日経新聞をかなりくまなく読むようにしている。電子版となり大きな文字の表示ができるようになり、小さな記事も目に止まるのだ。記事は相変わらず先進国の不振と、新興国の成長に関するものが多い。そこでふと次のようなこと法則がありはしないかと思ったのだ。それは、世界の富は絶対量で決まっていて、それが、先進国に滞在しているときは、先進国が豊かであるが、今は新興国に滞在しているので、こちらが豊か。つまり、全世界が豊かになることはあり得ず、どこかに偏る。同じような見方をすれば、幸せの絶対量も限られていて、どこかが特出すれば、どこかが落ち込む。雨量も一定で、どこかで降れば、どこかが干ばつだ。しかし、これは正しい理屈としても公表するのはは危険だ。人が不幸になればなるほど、自分の幸せが増す考えにつながるおそれがある。
8月1日(日曜日)
昨日はほとんど自分の体を動かしてない、それなのに非常に疲れている。昨日の移動が疲れの原因。前には何とも思わなかったことなのに。朝起きると8時だった。9時間も寝ている。起きると妻から電話があった。昨日息子に、新規プロバイダー接続のことでしなければならないことを口頭で伝え、メモをして渡したが、どうやら全く理解をしてないようだった。電話はその確認だった。昨日、息子と昼飯を食うときに、携帯電話でメールができるか?メールに写真を添付する事ができるか訪ねたが、それはできるという。電話代は月にどれくらい使っているのか聞くと、500円。12月はよく使ったので1,000円と、まぁ今時珍しい話を聞かされたが、どうやら、IT関係は疎いということを通り越して無知のレベルで在ることが分かった。だから、伝言の事が少し心配だったが、やはり理解してなかったのか。私は学生時代アンプやスピーカーなどを自作して音楽を楽しんだが、息子は野球をした。ずいぶんと違っていると思っていたが、だんだんと人格が形成されてきて、やっと彼の人物像が明らかになってきた。そして共通点は、私は変わり者だったが、彼も違った意味で変わり者だったんだ。と言うこと。話は変わるがサンマが安い、88円。我が家のオーブンレンジで魚を焼くと、それは見事に焼ける。ダイヤルを回して21番にセットするだけだ。トウモロコシも安い、86円。こちらはダイヤルの7番で見事に蒸してくれる。今夕はこの2つをオーブンレンジで調理した。プール2.5km。
7月31日(土曜日)
娘と一緒に秋葉原に行こうとおもっていたが、アルバイトのために同行できず、代わりに息子と一緒にPCを買いに行った。娘が使うためのPCだ。どうやら、Windows 7のOSが必要なのだ。狙いは富士通のモデル落ちで、MGG80Bだ、ヤマダ電機を覗くと、94,800円を覚悟してたが、79,800円で販売していた。店頭展示モデルだが問題ないはずだ。もう一軒見てみようと訪問したのがヨドバシカメラ。こちらでは12万円クラスが主で、日本のメーカー品には望みの10万円以下のモデルはなかった。ところが、海外モデルではエイサーとアスース、HPに望みのモデルがあった。が、HPはBDドライブ内蔵だった。この世界に疎い息子でさえ、BD付が良いという。そこで、このHPモデルを購入することに決めた。ノートと言えどもコアi5 2.33Ghz メモリーは4GB HDD500Gもあり、私の使っている据え置きPCよりもずっと性能が良い。それに、HPのパソコンは非常に綺麗なデザインが施されている。ADSL回線を、フレッツ光にして、ヤフーBBに加盟すれば、4万円のキャッシュバックが得られるので、こちらにした。回線を変更するとなれば、ルーターの設定など少し高度な作業が必要となる。本来なら息子がこのことを引き受けるはずなのだが、彼は全くの門外漢。この作業を娘に託した。広いPC売り場で物色したが、売れ筋の機種はほんの3、4機種でここでも厳しい戦いが繰り広げられているのを実感した。それにしても、海外メーカーのPCは安価で、国内品は何て、ごてごてしているのだろう。世界で戦えない日本製品がここにもあった。その後、ヨドバシカメラの8階にある中華レストランでラーメンを食って解散した。久しぶりに息子と一緒の時間を過ごした。彼曰く、PCの店員と専門用語で渡り合うことが出来るお父さんは凄い。今頃わかったの?とは言わなかった。
7月30日(金曜日)
今日中に終えるべき予定の仕事は無事午前中に済ました。やれやれだ。それで、計画通り、千葉に帰ることにした。5時半出発、京阪百貨店の地下でお寿司を買い込んで新幹線の中で頂いた。毎日の食費を500円以内で済ます生活をしていると、1,500円もするお寿司は天国の食べ物のような感じがした。久しぶりにおいしい晩飯を頂いた。自分で作る料理は同じものを食べる傾向があるので、できるだけ調味料を使わない、それは本当にまずい食事である。疲れて腹が減ってなければ食べられないかも知れない。移動中は「インディズジョーンズ・スカルノ・クリスタル」を見ていった。非常に鮮明な映像で、10インチ程度のPCで見るのは申し訳ない感じのクォリティーだ。鎌ヶ谷には午後10時過ぎに着いた。息子は大学の受験を控えて臨戦態勢にあるようだが、ぜんぜんその気配はない。一日に1,600語を記憶できるという英単語カードを見せてもらったが、半分ほどは僕も回答できた。それではということで、僕の英単語カードを見せると、さすが娘のほうはすらすらと読み込んでしまった。息子のほうは、受験から外れた単語はまるっきりだった。持ち帰った映画シャーロックホームズを上映したが、目が話の方に傾いて映画の筋が見えなかった。
7月29日(木曜日)
昨日は、疲れて早く寝たはずなのに、5時半に目が覚める。だがものすごく眠いのに眠られない。朝方家でだらだらし、8時半になると自転車で出かける方法もあるが、これは楽だが気がゆるむ。それで重い体を持ち上げて、食事をして、徒歩で出かけた。今日が一番大事なとき。明日の昼過ぎまでに資料を完成させなければならないので、今日の作業の進み具合によっては、金曜日のスケジュールが狂ってくる。8月になると出張する、8月11日から出かけることになった。まずインドネシアから始まり、タイ、スリランカ、バングラ、ネパールと5カ国を訪問する内容となった。暑い日本の夏に、もっと暑い国で過ごすことになる。今回は前半が緊張するプログラムだ。そのために、自分の頭にもすっきりとなじむ内容が求められるので、資料の進捗が随分と遅くなるのだ。だが、夕刻の7時半ごろ、明日の午前中までに終える目処がつき一安心した。千葉の自宅に帰る計画が立てられる。小雨が降り、徒歩は断念。関目のアプロ(スーパー)で夕食の買い物をしてレジに向かうと、大学生のような不器用な女の子がレジ打ちをしていた。我が娘も今の時間帯、千葉で同じようなことをしている。娘のほうも深夜のレジ打ちだが、駅へのアクセスが良いと言う理由で頑張っているらしい。
7月28日(水曜日)
喉の野調子が良くない。ものが詰まった感じがするのだ。それで、今回は本格的に喉の診療を受けることにした。扇町にある北野逓信病院で。訪ねると普通に考えるとおかしな事が、ここでも起きている。問診表を書けというのだ。会社の産業医から連絡を入れて、医者の紹介状を渡したにもかかわらずにだ。医者から医者への申し渡し以上のものを、素人の筆に任せようとする意図は一体何処にあるのだろう。そして、今度は耳鼻科に行き、受付を行なった。9時に来て欲しいと言う要請を得て訪問したのだが、何の事はない、順番の受付であり、待つこと一時間半。それなら、せめて10時くらいに来て欲しいとか、運営の方法があるはずだ。そして医者との問診。この医者は非常に対応が良い。信頼の置ける話し方をする。検査は鼻からマイクロスコープを挿入して、撮影し検査するもの。少々痛いが、胃の方と比べるとずっと楽。結局、炎症を起こしているようだとの診たてである。とりあえず、大きな病気ではないようなので安心した。この病院も医者は良いがマネジメントがまずい。おそらく推測するに、長老の医者がマネジメントしているのだろう。専門の経営者では無いはずだ。昼飯は友人のK氏と待ち合わせて、OBPの3階にある日本料理の店で食事をとった。近況のことを話し合った。お互いに仕事の行く先は暗いことを確認しあった。午後は、普及クラスのカメラの撮影に「咲くやこの花館」に出かけた。この植物園も久しぶりではあるが、大きく変わり映えしない。だが、撮影ポイントにきちんと花があるのは安心だ。定番の写真を収める。今日の行動は全て自転車。合計2時間ほど自転車に乗ると、随分と腹がへこみますね。ココ一番の夏カレー400g¥780を食ってバランスが取れたような気がする。だが、家に帰り着いた頃から疲れが出てきて、10時を過ぎると目を開けていられなくなくなり、ダウン。昔大阪の営業をしてた頃は、こんな半端な運動量では屁とも思わなかったものが、今は重労働として効いている。
7月27日(火曜日)
娘がパソコンを必要とするようになり、昔渡したWindowsME版を使っていたが、限界があるようだ。そこで、手元にある据え置きパソコンを改造して渡そうと考えた。そして、必要なパーツが千葉の自宅にあるので、その部分を撮影して送ってもらった。だが、記憶にあるパーツは、ここにない事を発見し計画が頓挫したのだ。別の方法を考えねばならない。だが、一つ発見したのは、娘に、このやり取りに英文メールを使って行なったら、きちんと通じたのだ。娘の英語力も少し上達していることが確認できた。向こうは、勉強で生きているし、女はもともと話すのが得意だからだ。それに若い頭がある。いずれかなわなくなる日が来るかもしれないが、負けたくはないですね。
7月26日(月曜日)
おおよそ月曜日は、メールを見て、それに返事を書き午前中が終る。昼からやっと今日のテーマに取りかかるのであるが、今週は少し違う事情がある。それは週末に仕上げなければならない資料の作成を控えているからだ。だが、構成や英語の変換などを含めると、なかなか思う様にはかどら無い。一方で新しい情報の収集に、AV雑誌にも目を通さなければならず、遅遅として筆が進まない。多分今週はこんなイライラを抱えたまま過ごすだろう。週末のストレス解消の飲み会は延期となり、頑張る気合いに欠けている。帰宅して熱い風呂に浸かり、汗を流したあとぎんぎんに冷えた部屋で寛ぐのが、せめてもの解消法か。
7月25日(日曜日)
少々暑いが、部屋の模様替えではなく、オーディオの模様替えを行った。今の構成は、アンプにSU-V100D,スピーカーに、SB-PF810、チューナーはST-G90、BDはBW730、あいにくとCDプレーヤーはない。昔では考えられないオーディオ構成である。しかし、音楽源として約10,000曲録り貯めたi-Tunes Musicがある。今日は極性の統一だ。それぞれの機器のシャーシが床である畳に対して、どれくらい電位を持っているか調べた。そして、接続している電源の極性を変えると、この電位が低くなる方に電源の極性を変えた。たったこれだけだが、ずいぶんと音質が変わった。なぜ、こんな作業を始めたかと言えば、雑誌でLinnがインターネットラジオを始めたと読んだからだ。http://radio.linnrecords.com/ 。このラジオは320kbpsの転送レートで送られてくる、もちろん無料だ。それを半日ほど聞いていると無性にオーディオのグレードを上げたくなったからだ。今やLinnはネットオーディオの大御所になっている。そして音楽の配信も始めたが、この音楽はCDを超える高音質の音源で、ダウンロードしたデーターはリンのプレーヤーや、高価なDACを搭載したアンプで聞くしかないと言う、昔では考えられないビジネスを始めているのだ。
7月24日(土曜日)
クリスボッティーは今をときめくトランペッターである。AVの世界でも、高音質BDが評判で、機器の評価に必ず使われる名盤である。僕は出張の時、DVDを買ったが、十分に堪能できた。そのライブインボストンが今日NHKで放映された。もちろんハイビジョンで。演奏はすばらしく、豪華なゲスト出演者で構成されている。スティングやヨーヨーマなども。映像や音に気を配らない見方でも十分に楽しめる。この番組を見てて思ったのは、現在のエンターテイメントは、容姿も音楽技量も必要だが、更に、自分のことを語る事ができるパフォーマンスも兼ね備えてなければいけないと思った。(Zardは好みの美形だったが、語ることができなかったし、マイルスはスゴイ技量だが語らなかった)。そのクリスボッティの語りの中に、スティングの紹介があった。彼はこう言った、「僕の音楽の成功を支えるものは、練習、練習、練習、そしてスティングだ。」そして、その語りは字幕を見なくてもすっかり理解できた。2つの感動が在りましたね。夕刻プール2.5km。今日は昨日の酒の影響なのか、非常に辛かった。無理して泳いだ。
7月23日(金曜日)
W 社のW氏から電話を頂いた。突然の電話は大概悪いことが多い中で今回はいい話だったので安心した。今週はずっと資料の読み込みで混乱してたが、6時過ぎにやっと読み終えることができた。英語の文章は辞書を片手に読み進む事ができるようになった。難しいのは、知っている単語を使った短い文章。どうしても訳文がつながらない。よく新聞などで聞くことができれば英語はできますよ。と言うのは嘘。多くの単語の意味を知り、その単語の日常的な使い回しを知らなければ英語は理解できない。その上で聞く耳をもつことだ。例えばreproduce。「再生」すると意味、僕らは日本語的な英語でplaybackと理解している。聞きとることだけでは、とっさの英語は理解できないのだ。英会話を操るには10,000語位の単語の理解が必要だと思う。近道など無いと思うのである。と言うわけで、一段落ついたので、W氏に電話をして、食事でもどうかと聞くとOkとのこと。ビルを出ると、広場でタイの美人が来て踊っていた。長い竹を組み合わせて、その竹を交差する、その間を通り抜ける踊りだ。少し写真を撮影した。そして京橋の商店街にある朝から飲める店で、最近の状況を伺った。業績の方は順調とのことで、嬉しい情報だ。今のこの経済状況で、順調という言葉を発する事ができない事業主がほとんどだ。我が社はたぶん今年一人当たりたったの30万円位の利益が出る程度だ。久しぶりに生酒を飲んだ。やはり日本で飲む酒は冷酒に限る。そして昔からの知人とのつきあいはこうして旨い酒が飲める。酒が旨くても気持ちは冷めている酒ばかり飲んでいたので格別だった。
7月22日(木曜日)
帰宅の途中にある蒲生4丁目を過ぎると、なにやら騒がしい音が聞こえてきた、このリズムは日本人の心を揺さぶる何かがある。音のする方に引かれて歩いていると、山車に出会った。これが結構な山車で、若者40名近くがこれをロープで引いている。今時の催事は男も女も混在で、黄色い声が引き手のなかから聞こえてきた。山車に乗るのは男性で、鉦と太鼓の演奏をしていた。単調なリズムだが、心が躍る周波数が含まれているようだ。お駄賃をあげるお寿司屋の前で山車は一旦停車して、別の演奏法で店を囃し立てていた。最後にお礼。日本の正当な行事を垣間見た感銘を受けましたね。日本がどんどん失われていく中で、若者もその危機をしり、こうした行事に進んで参加するのだろう。今ではすっかり地域での縁談は無くなったが、こうした行事が少し役に立てばよいと思う。若者を引きつける日本の産業の一つに花火を作る職業があるそうだ。こちらは、雑念なしに、ぱっと散るところが魅力だろうと考えていたが、そうではなく、匠の技は世界の頂点に立てるそうだ。象眼とか日本人にしかできない業種がある。話がずれてしまったが日本は大量生産ではなく、こうした、技を必要する方向に生きてゆくべきだと思いましたね。
7月21日(水曜日)
部屋に帰って温度計を見るととうとう35度を超えた。この部屋は7階建ての7階だから、よく冷えるし、よく暖まる。冬は10度を割る日が10日ほど在るが、夏は35度を超える日が何日か在る。今年はそれを測ってみよう。異様な気温の原因は明らかに中国の影響がある。あの広い国で、アメリカよりも多くの車が売れているし、ひどい排気ガスを出している。中国は油田を丸ごと買う程の消費ぶりを見せる。たぶん地球はこの中国人の暴挙に耐えきれないのではないかと思う。この10年以内に破綻が訪れるのでは無いかと心配する。何処の国からも、警告は聞こえてこない。だが近々大きな何かの自然現象が起きるはずだ。人類の生命に関するような何かが。このままで済むわけがない。
7月20日(火曜日)
きっぱりと晴れ渡った。朝からぎらぎらと太陽が照りつける。負けじとクマゼミが鳴く。東京はクマゼミがいなく、アブラゼミで鳴き声も小さい。クマゼミは耳が痛い程の音圧がある。会社までの1時間の徒歩も、今年は太陽光線の強さに堪えるようになった。おじさんだって傘をさしたい誘惑に駆られる。いつもの運動の効果で、流れるような汗はかかないが、それでも、シャツは濡れる。職場のビルは廊下を挟んで北側と南側に事務所があるが、僕たちは北側だ。ビルは南側が当然ながら暑いので、ここに焦点を合わすように空調が働く。それで、北側は少々冷えすぎるのだ。女性はカーデガンを羽織っている。濡れたシャツに、この寒暖の差はおじさんには少々厳しいものがある。それに、昨日のプールの影響が残っていて、今日はつらい一日となった。
7月19日(月曜日)
読み散らかした雑誌や、録画したBDにタイトルを書き込むとか、日頃できない整理をした。少しだけ部屋が片付いた。読みくさしのヘラルド新聞に、インドのヒマラヤ山地で暮らす人達の生活の記事が出ていた。ここは、昔、村人の確保のためで、一妻多夫の習慣が在ったそうだ。一年の内半分が雪に閉ざされるので、こういうしきたりが生まれたそうだ。そこには、昨年かなり近い街まで行ったことがある。依然として部屋は暑く、温度計は33度まで上昇した。しかし、風が抜けるので、午後にはこのままで少し昼寝をした。ここは入居者が少なく、老人が多い公団住宅なので、昼間でも静かだ。こちらは人口減でも何にも思わない人々が住んでいるのだ、都会の中にある静養所のような雰囲気だ。午後4時昼飯と晩飯を併せて食って午後6時プールに出かけて3km泳いだ。夜になると腹が空いたが、そのまま寝た。
7月18日(日曜日)
昼まで昨日の続きをして、映画「ミレニアム ドランゴンタツーの女」を見た。この本は一度開くともう止められないと言う、ものすごいインパクトのある小説だが、映像になるとその切れ味がずいぶんとマイルドになる。そして主人公があまり有名な俳優でなく、競演の女優の美貌は最低で、引きつけるには今ひとつと言う感じなのだ。この小説には申し訳ない不釣り合いな映画だった。スエーデン語なので、言葉も今ひとつ聞き取れなかった。夕刻プール、3km。
7月17日(土曜日)
昨日の天気は、えらいことになっているのが今朝の新聞で判明した。西も東も集中豪雨があり、多くの人が被災したようだ。大阪はいつも温厚な気候なので、気がつかなかった。今日は午後4時半から友人と会う約束なので、それまで、会社の資料に目を通す事にした。今まで資料としての英語の文献は読むことができず、おおよその感覚で理解して、必要な部分のみ英語の翻訳機にかけて理解していた。が、少しずつ英語の理解力も上がってきて、辞書を片手にすれば、読み解くことができるようになってきたのだ。そこで、今回は本格的に結構厚い資料だが、一字一句辞書を開きながら読み進んでいった。後20ページを残すところまで進んで中断。本気を出して読めば理解できるのだと言うのが分かった。知らなくて辞書を引いた単語は約80語だった。エアコン無しで過ごしたので、夕刻のビールのためには丁度のコンディションとなった。待ち合わせ場所はJR大阪駅。大阪駅の変貌は大阪に住んでいるものでさえ困惑する程で、阪急東通り商店街に向かうには往生した。逢った仲間は、昔、珍しいところに旅しようと集まった仲間で、今では時々逢って酒を飲むだけのサークルと成りはてた。しかし、絆は厚く、チャンスが有ればいざ出陣と言う心構えはあるようだ。当面の活動を話合った。懇親会場の店は、液晶パネルをタッチして料理を注文する店で、名前を「えこひいき」と言う。最後の精算のボタンを押すと、一人当たりの料金が示された。
7月16日(金曜日)
妙な天候になった。午後に、京都方面は雷が鳴って僕の住む関目から東は全く視界が効かず真っ黒になっていた、西の神戸方面は日が射している。局地的豪雨と言うのが、ここからよく見えた。そろそろ梅雨明けなのかな?予定していた今晩の飲み会も無くなったので、きりの良いところまで仕事をして帰った。今週は飲む機会も多かったので、週末だが酒なしでそのまま寝てしまった。
7月15日(木曜日)
友達ような仲間を作るのが得意だと気がついたのはずいぶんと遅い年齢になってからだ。そして、自分が仕事をする上でもこの能力は十分に使えると気がついたのは、つい最近だ。この人と仲良くなりたいと思えば、かなり高い確率でそうすることができるのだ。ということで、今日はフィリピン人のL氏を誘って晩飯を食べに行った。彼は明日帰るのに、お土産を買いたいと言うので、100円ショップを案内した。アジアの人々はこの100円ショップが大好きだ。ふりかけを大量に買い込んだので、あなたの国のご飯はぱらぱらだから、ふりかけはおいしくないよ、と忠告したが、問題ないと言う。そして中身に何が入っているのか教えてくれと言う。ノリタマのふりかけだった。成分表を見ると、鰯が使われている。とっさに鰯の単語が思い浮かばないので、乾燥した魚が入っていると答えた。L氏は大きな袋一杯買い物をした。今度は、天満の立ち飲みに向かった。食べ物の豊かさはフィリピンの方が上なのだが、こちらのせこい飲み方も紹介の価値があるだろうと向かった。L氏は少し日本語が分かるので、仕事の会話は何となく通じるものがあるのだが、食べ物の名前になると、国独自の名前が有るので途端に会話が中断する。二人の間に電子辞書を置いて、それぞれ単語を打ち込んで意思疎通した。それでも、なかなか楽しいひとときだった。次回フィリピンの下町で飲むことを約束した。
7月14日(水曜日)
新聞紙上の情報では、イランの核開発問題で、あの辺はキナ臭い雰囲気だと思っていたがが、どうもビジネスは違うようだ。今日はアフリカや中近東の仲間と一緒に会議に参加した。そのキナ臭い中東の国からも多くの参加があった。コートジボアールからも来てた。北海道の春は、桜も梅も水仙も一緒に咲くそうだが、今の世界経済はダメージを受けている先進国は厳しいが、低開発国は一斉に開花しようとしているようだ。そのような会議に出席して感激した。一方で、日本の国の政治家は自分の足元しか見てないので、身内論議をしているが、世界の動きに目を向けると完全に置いてきぼりを食っているのをひしひしと感じる。そして、企業は制約の多い日本から抜け出して現地化を進めている。雇用も現地化している。日本人でなければならない理由はないからだ。そして、この傾向はますます拍車がかかるはずだ。なぜなら、世界のスピードはとても速いからだ。日本からはますます活力が奪われている。この現実は東京にいては分からないが、ここ大阪でも町の活気はどんどん失われていっている。地方都市はもっとひどい状態だろう。未来から見れば、まだ、2010年の夏は良かった方だとなるだろうな。
7月13日(火曜日)
昨日と同じ天候。しかし、今日は京橋の商店街にはいるまで天候が持ち、この商店街を通り抜けている時に大雨となった。なんとまぁ天は僕に味方をしてくれているのがわかる。今日はシンガポールから仲間のR氏が来る。彼等一行を連れて梅田のヨドバシカメラに向かうのだ。待ち合わせ場所は、京阪電車京橋駅。ここは、ネットに写真があるので、この写真の場所で待つように連絡をしたら、旨く再会できた。電車の切符を買うとか、電車に乗るとかは、さすがシンガポール人は慣れていて問題ない。夕食の時間までに少し時間があったのでどうしたいのか聞くと、大丸に行きたいという。大丸にバーバリの「ブルーレーベル」があり、ここで買い物をしたいという。海外のお客様には、日本にしかないこのバーバリが有名だ。彼女らの欲しい鞄は、夏のデザインで、あいにくと今は秋物しかなく、断念した。常夏の国の人には、秋物のデザインはぴんと来なかったようだ。夕食は京橋の「大阪王」を予約した。日本の女性で英語を勉強したいと志しているK子さんを誘い、R氏とK子(こちらはベトナム人)で餃子を食べた。おもしろいのは、R氏はかなりの日本語が話せる。そのR氏に向かって日本人のK子が日本語で話しかけるときに、日本語が変なアクセントになり完全に鈍っていた。その他の会話は、英語教室と化した。大変楽しい時を過ごした。
7月12日(月曜日)
うっとうしい朝を迎えた。昨日の水泳の疲れが今日に持ち越され、ひどい疲れをかかえたまま会社に向かった。先月少し長い出張を終えてから、ラジオ英会話が妙にすんなり耳にはいるようになった。昨年の何度かの出張では、ラジオ基礎英語3が聞き取れるようになった。少しずつ英語がなじんできているのだろうか。それとも、7月号のテキストが少し易しいのかも知れないが。と言うことで、疲れているが、この英語の勉強のために徒歩で会社に向かった。途中で雨が降ってきた。100円ショップの傘しかなく、ずいぶんと濡れた。疲れとうっとうしさと、ほんの少しの希望のミックスだ。
7月11日(日曜日)
Herald Tribune紙の木曜日版は、アメリカのIT事情を詳しくレポートしているので、この日だけは買うことにしている。まだまだ訳するのには時間がかかるが、ホンの少しだけ速度が上がってきている。そして今週の特集はFace bookだ。これは世界中の4億人の人が利用している書き込みサイトだ。私も海外の人から薦められ、この新聞記事からも刺激を受けて、Face bookを開設した。とりあえず開設したが、どう利用すればよいのか不明だ。当面様子見だ。空の様子がおかしいので早めに夕食の食材を会に出かけた、自転車で3分程度のスーパーへ。10分で買い物をして外を見るとバケツをうつしたような豪雨。身動きが取れない。日頃雨に降られたことがないだけに運が遠のき始めたのかな?だが、夕刻プールに行ったとき、泳いでいる間は豪雨で僕が外に出ると上がっていた。まだ天は僕の味方だった。今日のプールは最終1kmは、おじさんがぴったりと僕をマークして付いてきた。最後の500mmは、力一杯漕いだが、それでも付いてきた。時々こういう人がいるんですね。少々だるいが、おかげでいい運動になった。ピッチが上がっていたので、1kgの体重減だった。
7月10日(土曜日)
昨日は酒を飲まなかったので、朝までぐっすり寝た。久しぶりの睡眠の深さだった。起きてから頭が呆然としていた。体が柔らかくなったような気がした。今日は天気も良さそうなので京都に行くぞ。京都の植物園でゆっくりするぞ。京阪特急に乗り込むと途端に睡魔に襲われまたぐっすりと寝てしまった。植物園に着いた11時頃から丁度太陽が顔を出し夏空が広がった。気分爽快。まずは紫色をした桔梗から始めた。最近はどこの家庭もこの桔梗を育てているが、ここのように背景が抜けた場所に無いから、どうしてもバックがうるさい撮影となってしまわざるを得ない。その点、ここは自由に背景を選ぶことができる。写真はいかに背景を取り除くかにかかっているからだ。睡蓮の咲く池の周りでトンボを撮影している人に出会った。蛙がトンボに跳びかかる瞬間を待っているのだと言っていた。高知の牧野植物園には珍しいトンボがいたが、今から2年前に改装してから、このトンボを見かけなくなった。今日はソニーのNEX5を試すために来たが、何と、僕が出会っただけで5人の人がこのカメラを持っていた。そのうちの一人は中国人だった。このカメラは売れていると聞くが本当だ。もう一つは、EOS7Dと100mmマクロレンズ装着のおじさんだ。3人見かけた。太陽が熱帯植物の間から少しだけ射してくる、偶然にもそこに、真っ赤なアンスリウムがあった。ホンの瞬間の出来事。真っ赤な花の他に何も写らない写真ができあがった。動かない植物でもシャッターチャンスと言うのはあるというのを感じたわけ。午後2時退散。帰りの電車でもぐっすりと寝てしまう。帰りついて、畳の上でもぐっすり。やっと目が覚めて、「怪人20面相」を見た。<久しぶりの快ショット>
7月9日(金曜日)
食事の後、喉に引っかかる気がする。相当前からこの症状があり、先週の土曜日も病院を尋ねが気のせいだという。気になるので今日も別の病院を訪ねた。この内科の町医者は、まずは話を聞くという、それから診察するかどうかを判断するという。先生はご年配の方で、穏やかに話を聞いてくれたが、どうもそれは気のせい、ストレスから来ていると言う。この前の病院と同じ判断だ。胃カメラを飲んだ病院をもう一度訪ねなさいとアドバイスをくれた。僕にはストレスを受ける覚えはないのだが、どうもそういうことらしい。そして、その先生は、診察はしてないのだから、お金はいらないと言う。看護婦さんも何人もいる病院だが、今時こんな先生もいるんだ。と言うことで、しばらくは様子を見ると言うことにした。楽しみにしていた金曜日のお酒だが、今週は2日も平日に飲んだから、止めることにした。それに、22時を過ぎるともう目が開かなくなっている。
7月8日(木曜日)
僕をインドに導いてくれたK氏がブラジルに転勤するというのだ。それで、モト居た職場(僕の居る職場ですね)に挨拶に来た。定時になると、男性陣はこぞって帰り支度を始めた、何処に行くの?K氏を見送りに行くという。それではと言うことで僕もその仲間に入った。(海外の仲間はこう言うとき、僕もjoinさせてと言う)2日続けての酒飲みはつらいが、K氏にはお世話になったからだ。酒が入ると、いろんな話題が飛び出したが、その中でとっておきは、昨日僕が誘って飲みに行った女性は、わが男性陣が飲みに誘えない程高貴なお方だとの受け止め方をしているを知るに至った。これは口が裂けても昨日の事は言えないなと思いましたね。K氏はブラジルへ転勤するに当たり、本当の「ブラジル」の意味を教えてあげると言われた。ブラジルの「ブラ」は、ブラジャーの意味だという。リオのカーニバルを見れば分かりますね。ブラジル人にとって、バストは大事だと言うわけである。「ジル」はジルだと言う。その先は語られなかった。が、来ていた男性陣が全員沸いたのは言うまでもない。それで、みんな一気にブラジルが好きになった。それにしても不気味なのは、海外で仕事をする人達というのは酔っても冷静沈着な目で人を見ていると言うことです。日本の職場はこういうのは無かった。(ような気がする)日本の職場からやってきてもうすぐ2年が近づくが、まだまだなじめない部分もある。
7月7日(水曜日)
今日は職場の女性を誘って食事会に行った。本当は天満橋のOMMの屋上にあるビアガーデンを目指したが、天候が優れず、旧松坂屋の上にある、美々卯のうどんにしようと予約を入れたところ、けんもほろろに断られた。その断り方が実に不遜だったのだ。一体この店はいつの間に経営方針が変わったのだろう。何があってももう二度と行かない。美々卯は最低の店になっていたのだ。そこで、iPhonを開いてで調べると、ベルギービールの店があるではないか。電話をすると非常に親切な対応。店に入っても、店長がビールの選び方を教えてくれる。これだ。これが気持ちよく飲める店なのだ。一緒の女性達は一寸聞き慣れないビールを飲んでいたが、僕は定番のビールで通した。いやぁなかなか旨いビールを頂きました。そして夜も更けて解散した。翌日の新聞にはこの夜、淀川にパナソニックから提供の青色のLED電球を川に浮かべる行事があり、多くの人達がここに集まったと言う。美々卯はこの川を眺めることができる店だったのだ。強気の接客が理解できた。だからこそ、この店を二度と選んではいけないと思うのだ。こんな店が繁盛してはいけないのだ。
7月6日(火曜日)
Sony デジカメNEX5には参った。Sonyの商品はデザインがキレイで洗練されているが、故障の問題で長くは使えないと昔から言われている。買って早々に手放すのがSony商品の上手な使い方だ。それは承知しているのに、今回は買って1週間もしない間に故障が起きた。シャッターが押せなくなったのだ。ついさっきまで機嫌良く写真が撮影できていたのに突然動かなくなった。大阪城から眺める夜景は相当キレイなので、重い三脚も下げて出かけていったのだ。その出先での故障だからたまらない。いろいろ試して動かないのであきらめて帰った。電車の中で一つだけ試してないことがあったので試みた。バッテリーを取り出し、再度入れる方法だ。そして、これが功を奏して復活した。つまりバグですね。どうした拍子でこのバグに至ったのか覚えてないが、先を急いで発売した商品にありがちな、ソフトウエアの問題の洗い出しが終わらないまま見切り出荷したと言うことだろう。Sonyは焦っている、この焦りは後でしっぺ返しがやってくるから怖い。<NEX5 大阪城の夜景>
7月5日(月曜日)
家に帰って冷静に考えれば、今日は僕の誕生日だった。これで58歳になる。今日から数えて2年以内に定年となる。早いものだ。まだ体力は35歳くらいのままを保っていると思っている。プールでは3km泳げるし、自転車も100kmは走れる。ついこの間ランニングマシンで1時間に5.7km走った。たぶん、息を止めての潜水は35mが可能なはずだ。この記録は若い頃から余り変わってない。問題はこれが連続してできるかどうかであり、昔は翌日に影響がなかったが今は確実に影響を残すぐらいのものだ。髪が薄く、白くなったことを除けばまだまだ現役でいられる(ような)気がする。だが、いろんなデーターが年を語り始めている。今年から悪玉のコレステロール値が上がり始めた。血圧は106-70を保ってきたが、120-70になった。そして睡眠が浅くなった。<NEX5は少し背景がぼける>
7月4日(日曜日)
昨晩コップ一杯の日本酒を飲んだだけなのに、朝から頭が朦朧としている。酒臭い息でもなく、ただ頭だけがお休みしている。濃いめのコーヒーを飲んでもしゃきっとせず、一日中こんな調子が続いた。本を読もうとすると目を開いたまま夢の世界に入っていくし、どうもおかしい。結局今日は決めていたことを何もできず終わってしまった。僕の中から元気が消えてしまうと、誰も声をかけてくれなくなる。これだけは避けたい。プールで元気を盛り返そうと頑張ったが、700m位の所から急激に息苦しくなり、泳ぐペースを落とさざるを得なかった。土曜日は一日出歩かずじっとしてエネルギーをため込んだはずなのに、今日はものすごく疲れているのを感じる。無理は厳禁だが、夜の安眠のためとにかく3km泳ぎ切った。夕食に鰹のタタキと、キャベツを買って帰る途中、オンキョウに努めるT氏と出会った。近況を話して今度懇親する約束をして別れた。大きな腹をしていたので相当酒は飲むだろうな。彼はオーディオが好きだから、飲むときは映画音響の再生について話を聞きたい。そんなことを考えていたら、何とせっかく買った鰹のたたきを冷蔵庫の中に入れたまま食べるのを忘れてしまった。<背景がぼける写真を撮影できるNEX5>
7月3日(土曜日)
朝から激しい雨が降っている。まずは医者に行って内視鏡の検査結果を聞く。そして、胸のつかえがあるのは何か問題でもあるのではないかと聞く。医者曰く、検査は問題なく、胸のつかえは気のせいだ。ストレスが問題だと言う。おかしいぞ。ストレスなんか無いぞ。ストレスなんか気にしたことがないぞ、胸がつかえるから気になるのだ。そして別の漢方薬が出た。医者を変えるべきだろうな。午後はHDDの入れ替え作業。HDDのパテーションの切り方がわからず時間を要した。そして、一番大きなHDDの整理をして隙間を空けて、そこに、Cドライブのバックアップを取った。今度は新しいHDDに入れ替えて、そのバックアップから復元する。そして、満杯になっているHDDから、新しいHDDにデーターを移行する。何と22時に作業を終えた。データーが大きくなりHDDが大きくなっているので、入れ替え作業は半日を要するようになっている。ついでに、カタログの取り込みも行った。今日はようがんばった。終日雨だったので、家の中の作業がぴったりだった。
7月2日(金曜日)
本格的に仕事を始めるぞと思ったら金曜日だった。今週は疲れることが多かったので、定時に退散した。そして日本橋のPCショップにHDDを買いに行った。壊れかけたPCのHDDはIDEだ。IDEの一番大きなサイズは500Gと聞いて少し残念だった。今は新しいHDDのコネクターに移行している。躊躇しても仕方ないので購入した。5,900円。その足で、LAVIに寄ると、M氏がちょうどいて少し話を聞いた。AQUOSのクアトロンは意外と売れているそうだ性能よりも、AQUOSの最高級品だからという理由らしい。液晶の色再現力は低いので、多色で再現する手法は的を得ていると思う。いずれプリンターのように、5色、6色と増えていくはずだ。その後デジカメコーナーを見て、PCコーナーで娘のPCを物色していると、なんと10万円でBDを内蔵したPCが買えることがわかった。ただ旧製品なので在庫の問題がある。秋まで待てば今の新製品が10万円になるので、この頃に買ってあげればよいかなと思う。難波LAVIのすぐ近くにある王将で夕食を摂った、王将の定食は全部食べきれないのが普通になってきた。
7月1日(木曜日)
運転免許所センターはここから自転車で20分の所にある。開始前に並んだが、ずいぶんと並んだ後、証書を買おうとすると、他府県の人はここでは手続きできないと言う。それなら、早く言ってくれよ。そして案内された別のことで手続きをしようとすると、千葉県の証書があるのか?と聞かれる?「無い」、千葉県の証書がないと更新はできないという。運転免許証は国家資格なのに地方の証書に何で関係があるのか?と言う疑問が浮かび上がったが、天下りの権益確保が絡んでいると思い当たり、逆らっても無駄だと思った。要は、ここに働く人々が食うためには、大阪でお金を落としてくれなくてはいけない。千葉の免許を持つ人は、千葉の人を食わさなければならないと言うわけだ。そこで救済策はないのか?と相談すると、大阪の免許証にすればよいと言う。住所は保健証のウラに大阪の住所を手書きで書き込むとそれでokだという。実にいい加減だ。住民票は不要らしい。写真を撮影して講習だが、講習は30分と言うが、始まるまでに40分くらい会場で待たされたので、1時間10分かかることになる。何のことはない。官の仕組みは、自分たちにいいようにできている。この日は自転車で行動したので、そのまま会社に向かった。夕刻はヨドバシカメラに出かけた。ソニーデジカメ、NEX5を買った。商品券やポイントカード、マイレージを差し引いて、5万5千円の出費だった。この一眼カメラはよく売れているようだ。早速週末試してみよう。
6月30日(水曜日)
やっと頭も鮮明、疲れも取れた。自分の事務を進めることができると思いきや、シンガポールの仲間から頻繁に来る。メールに返事を書き交流を図るが、英語の変換が伴うので時間もかかる。日本人とのメールと比べると3倍の時間を食う。そしてもう一つの問題は免許証の書き換えだ。いつの間にか期限が迫っていて、明日半日休暇を取って更新手続きにゆくことにした。更にもう一つの問題は、PCの調子がどうも良くない。N氏に相談するとHDDの可能性が高いという。そこで、バックアップのソフトを借りて、今のデーターをそっくり別の所に保管して、新しいHDDを入れた所で、そっくりシステムをそこに戻すと言う方法をとることにした。<今年はあじさいの季節を逃してしまった>
6月29日(火曜日)
朝5時過ぎ暑くて目が覚めた、冷房を入れてないので室温は30度を超えている。これじゃ眠れない。夏はいつも冷房の問題で家族ともめたことを思い出した。夏はこの家に近寄れない。朝飯を食っていると、息子が起きてきてくれた。早速成績表を取り出して見せてくれた。僕には彼の成績が良いのかどうかはワカラナイ。しかしよく頑張ったと声をかけた。いろいろ話した中で、「明日は僕の誕生日だ」と言う、「そうか」と私。「子供の誕生日も知らないのか?」。そうだな、「父の関心はもっぱら英語にあるからなぁ、英語の必要さを身に浸みて感じているよ」と伝えた。私が感じている英語の必要さはどう伝えても受け取ってもらえない。周りの環境を考えると仕方ないことだ。息子の見送りで玄関をでた。結局この日も、寝不足で頭がもうろうとして、事務にならないまま定時を迎え、退散した。<クチナシの花もほとんど散ってしまった>
6月28日(月曜日)
今日は東京で仕事がある。先日海外から帰ったばかりの疲れた体で、再び出張は少々きつい。上司からは土日に自宅に帰ったら?と暖かい言葉を頂いたが、土日に原稿作成がありそれもできなかった、帰っても居場所がないのもあるけど。それで、朝の新幹線で東京に向かった。東京の仲間とは今夕の食事はできないので、昼飯を一緒に食べようと言うことで、事務所の近くにあるレストランに案内いただいた。刺身定食1,000円。懐かしい味だ。ここは築地に近いので、結構魚が旨い、そのことを思い出した。この3人の仲間がいると妙に東京を感じる。しばし間歓談して、新宿に向かった。新しくできたヤマダ電機を見るためだ。新宿駅に降りると、いきなり外国人が千駄ヶ谷に行きたいのだが、どう行けばよいのか訪ねてきた。この人の英語はわかったので、一緒に地図を見て教えてあげた。ヤマダ電機の新館は歌舞伎町に渡る手前側にあるでかいビル。ヨドバシカメラの本拠地に乗り込んできた。ヨドバシカメラは僕が新宿いた頃、カメラが安いと評判だったが、小さな店で、はしごのような階段を従業員が上り下りしていたような記憶がある。ヤマダ電機でデジカメを見ていると、女性の従業員が話しかけてきて、説明をしてくれた。ヤマダ電機で従業員が話しかけてくるのは珍しい。その人は日本語が怪しかったの聞くと韓国人だった。キャノンの前の機種と新しい機種の比較の説明をしてくれ、前の機種の方がお買い得感が高いことを盛んにPRした。彼女に何カ国語を話せるのか聞くと4カ国語、ここに努めてまだ一ヶ月だとのこと。ずいぶんしっかりしている。タイの販売会社でも勤めて一ヶ月の女性とカメラのコトについて話し合ったが、こちらもすごい知識の吸収ぶりだった。日本人もこのような、凄腕の外国人と競争しなければならないとすれば、大変厳しいコトになると感じた。僕の今日のテーマは外国で働くことだから、まぁちょうど良い刺激を受けたわけです。ついでにヨドバシカメラに寄って、ソニーのカメラの価格でヤマダ電機の価格を伝えると、在庫がないと言うことで逃げた。ヤマダ電機との価格競合はしないつもりだろう。夕刻講演を終えると、若い仲間が集まってくれて、僕が去ったその後の動きを話してくれた。夕食は職場のボスと新橋の店で懇親。今日の講演はあまり旨く話せなかったので、旨い飯で労ってくれた。問題は、量が多いこと。もっとお酒を飲みたかったが、お酒を飲むと料理が食えなくなるので、酒を控えたと言うわけ。家に帰ると息子は寝ていて会えず、娘はクラブの関係で帰りが遅くなとのこと。風呂に入ってくつろいでいると娘のご帰還。23時。学校の授業で教材をUSBメモリーで渡されるが、ウチのPCはUSBメモリーを認識しないと言う。僕は接続のためのドライバーがCD−ROMの中に無いのか探したが、見あたらなかった。とりあえず、友達からSDカードにダビングしてもらい、それを使うように伝えた。いずれはPCを買わなければならないだろうな。
6月27日(日曜日)
溜まっていたBDレコーダーの番組をディスクにダビングするため、近くのヤマダ電機に出かけると、Panasonicフェアを開催していた。BDを買った後、顔見知りの人に挨拶をすると、記念品のそうめんをくれた。人間関係というのはきわめて重要ですね。雨も上がり、少しうっとうしいが、日本の夏を感じられるようになった。
6月26日(土曜日)
よく寝たが、頭が呆然として、しばらく何もできない状態だった。11時過ぎにやっとレポート作成に入った。どうしても今日中には東京の担当者には送ってしまわないと。夕刻3時間ほど休憩でプールと食事。午前1時、やっと原稿が完成した。
6月25日(金曜日)
機内食はおかゆが出た。なかなかしゃれたメニューだ。だが、家に帰り着くと空腹がおそってきた。シャワーと洗濯をして、会社に出かけた。会社ではサッカーの試合に話題が盛り上がっていた。みんな僕と同じく、夜を寝てないのだ。今回の出張では結局東京行きの原稿は仕上がらず、土曜日に持ち越すこととなった。今回メールで取材頂いた方にお土産を渡して、本日の業務を終了した。そうめんと奴の夕食を頂くことにした。出ているときは、日本食を恋しがらないのだが、ここにいると、純日本的なものが欲しくなる。映画は、マイケルジャクソンのThis is it.タイで買った正式なDVDで、1,000円ほど。
6月24日(木曜日)
今日の午後、一仕事を終えて帰国だ。ずいぶんと力を入れたので疲れてしまった。どこかで休憩のための睡眠を取りたい気持ちだ。ホテルまで送ってもらった。このドライバーさんはおとなしそうだが、車の運転が非常に旨く、しかも相当強引に割り込む。車の先5cm位の空間がまれれば、割り込みをおこなう。それはとても巧みな技。芸術に近い技。僕は、テクニックを披露する度に拍手をした。言葉は通じないので、こうしたパフォーマンスしかないのだ。ホテルは遅くチェックアウトする契約をしてたので、部屋でシャワーを浴びてチェックアウトした。このシャワーを浴びた夜行便と、シャワーを浴びない夜行便では疲れは全く違う。空港ではラウンジに飛び込み封印していた酒を心ゆくまで飲む。酔ってきたところで出発時間となり、日本語のアナウンスのある飛行機に乗り込んだ。<昼飯はゴルフ場のレストランで>
6月23日(水曜日)
今日は午前と午後としっかりと仕事をした。それでしっかりと疲れた。夕飯にはそのエネルギー補完が必要だということで、タイシャブの店に連れて行ってもらった。残念ながら日本人のご案内である。タイシャブは、お湯の中に、魚や、魚のミンチのようなものを入れた後、野菜をいれ煮る鍋料理だ。味付けは、このスープに辛子系の香辛料を入れて頂く。辛子系の香辛料が、ミソや醤油に変わると、日本の鍋になる。非常にうまい、旨いが辛い、辛いが熱い。いやぁすっかり料理を堪能しました。ビールはアサヒビールを飲んだ。なぜかと言えば、この店には、ビールのプロモーションのために、女の子が張り付いている。その中で、アサヒビールの女の子が非常に熱心であったためだ。人の派遣はこんな世界にも及んでいる。帰りも送ってもらったが、見覚えのある風景だった、何とホテルから300mmしか離れていない距離だった。夜は良くわからない。
6月22日(火曜日)
昨晩は突然の腹痛。昼間のコーラと一緒の氷が悪さをしたのだろう。それで、夕食は再び、ホテル前にある、コンビニでパンを牛乳。わびしいが腹のためには仕方が無い。それで、今朝はさわやかに目覚める事が出来た。天候はそうでもなかったが。事務所で、事務処理に少し専念していると、すぐにお昼が来た。今日は別の食堂へ。こちらは昨日より高級で、240円相当の昼飯。申し訳ないほどの低価格でおいしい。7時前に終わり、ホテルまで送ってもらう。今日は調子もよくきちんと食事が出来そう。しかしホテルから出るには暗いし、天候も悪そう。そこでホテルのレストランで頂く。この国は安全なので、誰もホテルで食ってない。僕一人が貸し切り状態だった。僕はPCとアバターのソフトを下げて行き、心置きなく食事をしながら映画を見た。食事は、サラダと、ビザだった。タイ料理でもよかったが、わからないし、ウェイターと言葉が通じるのは、こうした判りやすいメニューしかないのだ。英語もだめだが、タイ語はもっとだめだ。ちなみにタイ語が話せると、ラオス語はOKらしい。カンボジアはだめとの事。タイ語の語源は、インドらしい。タイの話し言葉に、インドの文字を当てたというのがルーツとのこと。文字は似ているが使い方は相当違うらしい。食事を終えると外はバケツを移したような大雨になっていた。ホテルから出ずに正解だった。
6月21日(月曜日)
今日は7時に出社だ。月曜日は何かとあわただしいためだ。昼食は近くにある、ラーメンの店に出かけた。すると、同じ職場だが違うチームのSさんに逢った。彼は商談のためにタイに来ているとの事だ。このラーメンは汁が無い。他の人はこれにからしをかけて食べていたが、僕は辛子無し。これに塩味と胡椒の効いたスープが付く。皆はこれが旨いと絶賛してたが僕にはそう思えなかった。もちろん唐辛子が無いためでもあるが。午後は、市内にある販売店を回った。その後、ITビルに寄った。ここは前回来た時に感動したので、もう一度その感動を呼び戻そうと立ち寄った。DVDとCD他を買って退散した。次の会場は、撮影だ。川岸に寺院があるという。それはとても有名な寺院だと言うので、撮影に出かけた。なるほど、高い塔の寺院と、広い場所のある寺院と、巨大な釈迦が寝ている寺院と3つある。広い面積を誇る寺院は閉館していた。そこで、巨大な釈迦が横たわる寺院「ワットポー」を訪問した。金色に輝く仏像はそれはそれはとても大きく、カメラに収まりきらない。頭のほうに周りやっと全身像を収めた。それでは、つま先からでも可能だろうと、その逆も押さえた。丁度お坊さんが通りかかったので、撮影させていただいた。<余りにもでかいお釈迦様>
6月20日(日曜日)
夜中にひざが痛んだ、昨日がんばりすぎたため。午前中報告書を2枚仕上げ、出かけた。W子の要求であった伊勢丹のお菓子は、伊勢丹が燃えたため、買えず。ホテルの人に話すと、近くに大きな高級モールがあるという。ここではS子の要求である、ピンクのグッズを適当に買った。外は燃えるように暑い。とりあえず荷物をホテルにおいて、今度は肉と魚と野菜の市場に出かけた。前回行ったので覚えている。多少臭いが、この活気の中で時間を過ごすのは気持ちが良い。庶民の人々はどんな食べ物があるのかが良くわかる。竹の子もあった。年中竹の子が取れるのだろう。とりわけ唐辛子の種類の多いのと、ライムのようなかんきつ類の種類の多さに感動した。きっと、品種は同じでもそれぞれに名まえがあるのだろう。のどが渇いたのでコーラを注文する、コーラは何とビニールの袋に入れて、そこにストローを差して飲むのだ。ここに来る途中、おばさんの人が道端に腰掛けて同じものを飲んでいた。この人は、浮浪者だろうか?と思ったが、違った。この国では、瓶入りの飲み物は、ビニールの袋に入れて持ち帰りができるのだ。よく見れば、から揚げも、とうもろこしも何でもビニールの袋だ。それで、この小さなビニールの袋に詰めるためのじょうごのような器具がある。需要があれば工具を作るのが人間だ。午後5時、粗方撮影を終えたので、今度は戻り道にあるカルフールへ向かう、ここのフードコートで夕食だ。ここのフードコートは、一旦チャージ型のプリペイドカードにお金を入金して、これで食事の代金を払うのだ。大きな瓶の中に野菜を入れて、すりこ木でつぶす料理を頂きたかったが、言葉が通じず断念。というのは、蟹の生をその中に入れているのだが、これだけは外して欲しいと言うことを伝えられないのだ。蟹の生で当たると大変なことになるのだ。それで、違う店で、野菜中心の食事を注文した。240円だった。余りにも暑く帰ってから、シャツを搾ると汗が出てきた。風呂に湯を張って本を開くと早速睡魔が襲ってきた。なかなか気持ちの良い疲れだった。<市場では蛙を売っていた>
6月19日(土曜日)
夜中に突然足が攣って目が覚めた。こんな事は初めてだ。しかし、この2週間は歩かない、運動しない日々が続いたのだ。日常の生活から随分と離れているので、体も変調を起こしたのだろう。朝食の後、メールを少し見て、手配のベンツタクシーで空港へ。つつがなく手配が出来て、空港ラウンジでしばらく留守にしていたこの文章をまとめた。ジャカルタからタイまでは4時間もかかる。昼間の移動なので体の疲れは無い。この旅では再びタイだ。荷物を引きとり、ホテルカーとドッキング。無事ホテルに到着した。何はともあれ、まずは運動だ。調べると5階に運動設備がある。早速ここで1時間のランニング、5.7km。腕と胸の筋肉のマシーン15分。トレーナーのおばさんがマッサージをあまりにも薦めるので、シャワーの後1時間2,000円のマッサージを受ける。激しい運動で筋肉はほぐれマッサージは不要の体になっていたが、タイ式マッサージははじめなので受けた。あまり効果ないようだった。夕食は簡素にカップヌードルとパン、ホテル前のセブンイレブンで買った。この国には5,000店のセブンイレブンがある。寝る前に「そして私達は愛に生きる」を見た。ドイツとトルコの合作映画。少し意味深い映画だった。2度見ると感じ方が違うのだろうと思う。<ベンツのタクシー>
6月18日(金曜日)
スラバヤの仕事はつつがなく終わり、これでインドネシアの仕事は全て終わることになる。シンガポールの仲間Rさんとはここで別れて、僕はAgさんと一緒にジャカルタに帰る。インドネシアは決して低開発国ではない、大きな街ではアジアのほかの街と同じような消費があり快適さが得られる。そして、多くの企業がこの国でビジネスを拡大しようと狙っている。とにかく2.2億人と人口が多いから可能性が高いのだ。ジャカルタでは凄い人たちがタクシー待ちをしていた。「シルバーバード」と呼ばれるタクシーは信頼があるので高めだが外国人の人気が高い。車種はベンツだ。これでホテルまで送ってもらった。翌日のホテルから空港までもこのタクシーを使おうとお願いした。荷物が大きいので大きめの車を手配したら、EクラスでOKだと言う。夕食はホテルのブッフェで。久しぶりにビールとワインを頂く。3,000円。時間が遅かったので、あまり飲めなかった。部屋に帰って小沢征爾のベートーベン第五を聞く。NHKシンフォニーを指揮したものだが、抑揚が効いてなかなか良い演奏だった。まとめるレポートはたくさんあるが、もう気力が切れている。<スラバヤのホテル>
6月17日(木曜日)
夜中に突然隣の人が騒ぎ出して、目が覚めた。田舎のホテルなのであまり期待してなかったが、何とか体裁は保っていた。4,600円。この部屋は隣と、ドアでつながっているので、隣の声がまる聞こえなのだ。文句も言えず布団の中でじっとしていたら静かになった。うとうとしていると、今度は大きな拡声器を使った放送が始まった。イスラムのお祈りだ。午前4時。何でお祈りに隣の人を巻き込むのだろう。アラーさんがイスラムを説いたときには、マイクは無かったはずなので、この放送すると言う行為はイスラムには無いはずなのだが。とうとうこれで目が覚めて、しばらくレストランが開くのを待った。だが、田舎の安ホテルにしては、なんとすばらしい食事が準備されていて感激した。昼食は、中華レストランでのブッフェ方式だったが、食事は完璧なインドネシア料理。鶏肉のささみがあったので辛いのかと聞くとNOだと言う。ところが口に入れてびっくり、火を噴きそうだった。午後3時半に仕事を終えて、再び空港へ。今度は、スラバヤに向かう。ハタフライエアー40分くらいだが、ここでも水とパンが出た。スバラヤの街は大きく、ホテルも豪華だった。今晩は初めてインドネシアの人と食事をする。タクシーで近くのモールに出かけた。モールの中のフードコートで、自分の好きな食事を選べる。僕は魚一匹をフライにしたものに、ソースをかけたものを注文した。魚があまりにも大きいので、インドネシアの方(以下Agさん)と分けた。Agさんがまず最初に食べて、僕がまねる方式だ。魚は川魚とのこと。彼は上手に身だけを取って食ったが、僕は骨ごと食べた。フライにしてあるので意外と食えるのだ。川の汚染で骨には何が染み付いているのか不明だが、そこまで心配すると食えなくなるので考えないことにした。食事のあと、このモールを少しぶらついた。広いモールで、とても全てを見尽くす事は出来ない。最後にスーパーマーケットに寄って価格を調べた。コーラ500ml 80円、2?の水28円、卵100g 133円、牛肉100g 89円、牛乳2?150円、食パン 一斤 79円このモールは少しハイクラスだ。ホテルに帰り、久しぶりにメールを開く。メールの内容は、バングラディッシュへとネパールの出張要請だった。行った事の無い国で興味がある。特にネパールは定年後にエベレストのトレッキングをする計画だが、そのための情報を集める意味でも行く価値がある。問題は、8月5日からと言うことで、夏期休暇が頓挫することだ。毎年よさこいを撮影するのを楽しみにしてたがそれが無くなるのだ。<スラバヤのモール>
6月16日(水曜日)
今度はジャカルタの少し郊外にある電気屋さんの集まって街で仕事だ。聞くと、その付近はあまり雰囲気が良くないらしい。大阪の日本橋のようなところです。日本橋から通天閣付近は、昔浮浪者の溜り場所で女性が日本橋で買い物をするのははばかれた時代があったが、あれと同じです、ただし、この電気屋さんの入居しているビルは大きなモールとなっていて、モールの中は一応安心だとの事。危険な場所はその外である。今日の仕事は定刻に終えないと、飛行機に乗り遅れる可能性がある。5時の便で、ジョグジャカルタに向かう計画だ。セミナーを終えて、ブッフェ形式の食事を頂く。まだ腹の調子は本物でなかったが、結構辛いものを食べてしまった。さて、問題は空港についてからだ。5時20分の飛行機は無くなったと言う。それで、違う会社の航空便のキャンセル待ちと、同じ飛行機会社の遅い便を予約した。待ち時間の間に、同行のインドネシアの社員にコピーDVDについて尋ねると、なんと、この国ではコピーBDもあるようだ。?僕は目を丸くした。BDからDVDへのコピーではないのか?違う、BDのコピーだと言う。それは早速買わなければならないのだが、時間が無い。価格は700円〜1,500円ほど。次回来るときに、前もってメールでリストを送るので、買っておいて欲しい、後でお金を払うということでこの話はけりがついた。だんだんと、この国の中に入り込みつつあるぞ。定刻から約3時間遅れて飛行機はジョグジャカルタに向かった。田舎行きの飛行機はプロペラかと思ったが、B737だった。飛行時間は短いが食事が出る。それは、パンと水だ。なんともはや。ジョグジャカルタには10時半に着いた。ディナーは?要りません、もう寝ます。<食べたいが危ない食事>
6月15日(火曜日)
事務所に着くと、結構知った人が多い。人事のかわいい女の子も居て、彼女とは一緒に写真を撮影した。今日は突然私のために、通訳の人を雇っているとの事。ありがたいことだが、私は話す準備をしてない。ぶっつけ本番だ。通訳の人はチキータさんで、バナナの名まえと同じだと言うと、笑っていた。彼らとのセッションは凄く興奮する内容で、楽しかったが、午後8時まで、延々8時間もセミナーを開催したのにはまいった。彼らの気持ちはわかるのだが。会社の人が夕食を誘ってくれたが、僕は断りホテルに送ってもらった。食事は、ホテルのブフェェで頂く。高級ホテルだが、値段を聞くと2,500円だと言う。すき焼きがあったので、それを注文した。それなりの日本の感じがあった。<昼飯は左側のレストランで、ナシゴレンを200円で頂く>
6月14日(月曜日)
今日は出張前にシンガポールで急遽仕事が入り、それを午後2時ごろまでこなした。仕事の評価は今一だったかもしれない。午後2時過ぎに食事。腹の調子が悪いのでおかゆはどうかと提案を受けた。これは凄く良かった。中国料理は多種多彩。やっと一息ついた。疲れ果てていたのでどこかで眠りたかったが、そうも行かず、夕方の飛行までの間、市内の店を巡回することになった。体が持つのかどうか不安だったが何とかなった。今回は頭も体もぎりぎりのところにいるようだ。早めに空港に到着し、ラウンジに駆け込み休憩を取る。ついでにシンガポールの有名な鳥飯を選んで腹こなしをする。午後9時に登場口に向かい、シンガポールの仲間と合流して、インドネシアのジャカルタに向かう。飛行時間は1時間半。こちらに来て乗る飛行機は全て1時間半。人々が自由に行き来できる距離である。東南アジアの国々は自由協定に動いているが、日本は農産物の件で蚊帳の外だ。日本はいつまで鎖国を続けるつもりだろうか。鎖国が経済発展を阻んでいる。借金のばら撒きでは経済は復活しないのだのだが。そうこうしている間に、日本のグローバル企業はこちらに拠点を置き、自由協定の恩恵を受ける。日本外しはすでに始まっているのだ。日本の若者は就職難だが、海外で研究開発、生産し、海外で販売すると、日本の若者を雇用する理由がなくなりつつあるのだ。それを政府は最低賃金で縛ろうとする政策で救おうとする。こんなことでは決して問題は解決しないはずだ。ジャカルタでは迎えの車を無事探し出し、ホテルに到着したが、このホテルがびっくりするほどの高級ホテルだった。疲れ果てた体にはありがたいオアシスだ。<シンガポールのもう一つのカジノ>
6月13日(日曜日)
この日はシンガポールに移動の予定なので、少し落ち着かないが、8時から10時まで散歩に出かけた。今度は旧国会議事堂の見学だ。共産主義は、国の意思で、この様な広い場所を勝手に作れるから、都会の真ん中にぽっかりオアシスが実現することになる。生活の自由がない共産国家は嫌だが、こうした、インフラを国家が強制するというのは、現在では良い事かも知れない。しばらく広大な広場を散策して、もう一度、CDショップに舞い戻った。コピーDVDを探すのは僕とって重要だ。更に5枚ほど買ってホテルに帰り、タクシーを呼んで空港に向かった。ベトナム人はまじめと聞いていたが、こんな事例もある。タクシーは96,000ドンだった。(ベトナムの通貨は、00を2つ取って、半分にすれば良い)それで、100,000ドンを渡して、おつりは要らないが、レシートは欲しいと伝えた。そうすると彼は、レシートに100,000ドンと書き込んだ。少しは要領をかましたらどうかと思うのだが。シンガポール航空でシンガポールに向かう。シンガポール航空は安心だと思った矢先、重量超過で120ドルを請求された。ゴールドカードを出したが優先権はないとの事。それでも空港のラウンジは使う事が出来た。1時間半でシンガポールへ到着。この国は先進国なので、10分程度で荷物を取って外に出られる。タクシーに乗って行く先を告げると、どうやら判らないようだ。道路の名前を告げると一発でわかった。しばらくすると、運転手さんはどこから来たのか、何回目なのか?と定番の質問をする。最初はこの英語も判らなかったが、今ではすっかり判るようになって、日本から来たと答えると、この運転手さんは突然日本語を話し出した。ということで、道中はずっと日本語の会話。彼の日本語は大変上手だったが、時々間違うので、訂正をすると喜んでくれた。ホテルチェックイン後、明日の資料を読み返してたら午後8時になってしまった。この国は、8時ごろまで明るいので、つい油断をしてしまった。あわてて食事に出かけた。近くの屋台で、「骨肉茶」を注文した。これは、スペアリブをある特殊なスープで煮込んだものにレタスが添えてある。あまりおいしくなかった。まだ、腹の調子は悪いままなので、そのためかもしれない。食事の後、少しだけ、付近を散歩して帰った。なかなか快適なホテルであったが、風が吹くたびに窓が揺れ音がするのには閉口した。<戦争の痕跡はこうしたカタチで残る>
6月12日(土曜日)
おなかの調子は依然として悪いが、空腹である。一階のレストランで、パンとフルーツの軽い朝食を食べる。出張のレポートをまとめて、サイゴンの街を探索した。まずは、CDショップを目指した。ホテルの人に聞くとすぐ近くにあるようだ。しかし、途中で、ベトナムの夫婦に声をかけられて、親切かどうか不明だが、ホテルの人が案内してくれたのとは別のCDショップに案内してもらった。その場所は、魚や肉を売っている市場のような場所で、有名な「ビンタン市場」だった。ここはもう一度来て写真を撮ろうと思った。ベトナムでヒットしているCDのコピーを3枚買った。一枚10,000ドンなので買いすぎたのかな?ぼられたのかな?と思ったが、後で計算すると、50円なのだ。もっと気前よく買ったらよかった。どうも、大きな数字だと、僕は気が小さいのでセーブしてしまうのだ。その後、目的のCD&DVDショップに向かった。徒歩で10分くらい。多くの店が軒を並べて商売している。言葉が通じないのかな?と思ったが、意外と英語は大丈夫だった。特筆すべきは、コピー物のDVDはBDからのコピーだ。きっと、DVDのコピーよりも、BDからのコピーの方が画質が良いのだろうと思い、買った。「007/慰めの報酬」や、「アバター」も買った。「アバター」は日本で友人がダビングしてくれたものを持ってきてたので、比較をしてみた。明らかにBDからのダビングの方が画質が良い。しかし、音質は低い。コピー元はどうやら中国からの輸入のようだ。言語の選択が、というのは中国語と英語しかないのだ。この背景は、大きな組織が動いているのを感じる。なぜなら、音楽はCDRだったが、DVDの方は、きちんとプレスしたディスクなのだ。価格はCDと同じ10,000ドン。ジャケットの豪華なほうは、30,000ドン。気にする価格ではないのだが、どうしても大きな金額で買うのをためらうのだ。この様な店は冷房もなく、ジャケットを見ながらディスクを探していると、頭からぽたぽたと汗が滴り落ちる。凄い気温だ。探しつくしたわけではないが、5枚ほど購入して、コーヒーの店に入った。こちらは冷房が効いていて快適だ。周りの人の食べているのを見ると、かわいい、白い容器に入った飲み物が目に付いた。店員に聞くと、ココナッツだと言う。それを注文だ。それと、ガラスケースの中で冷えている生クリームを使ったケーキを。70,000ドン。こちらは、日本の価格の半分くらいだろうか。ココナツ一個を丸ごと冷やしてあるので、旨いのなんの。このあと、「ビンタン市場」の探索だ。洋服の生地、靴、漬物、貴金属、加工食料品、肉、魚、野菜、なんでもある。バチバチと写真を撮影していると、1ドルだと言う人もいる。活気がある。日本の死んだような寂れた商店街とは全く違う。こんな場所が一番好きだ。この様な市場は日本では沖縄しか残されてない。市場の中央にある食べ物屋で、ホーを食べた。40,000ドン。一応街の探索はこれで終了して、ホテルに帰り更にレポートを一本。夕食は急にパンを食べたくなった。ベトナム食には少し飽きた。フロントで聞くとフランスパン屋さんがあるようだ。ベーカリーの発音はまずいのか、なかなかわかってもらえなかった。今回は絵を描かず、ジェスチャーで伝えた。これは通じた。地図を頼りにその店を探した。この店は日本と同じように綺麗な店で、買い方も、トレイにパンを乗せて、レジのところでお金を払う。帰りは、別のルートで大きな公園を抜けた。ベトナムは安全だと聞いていたので、少し暗いが人が多いので決行した。昼間訪問した市場の前の通りは、何と車をシャットアウトして、屋台広場になっていた。なかなか興味のある匂いや魚が並んでたが、今夕はパンを食べるつもりだったので、断念した。もう一度訪問して、ここの珍しい食べ物を食い尽くしたい。ホテルに帰り、映画「G1ジョー」を見た。これは世界制覇を狙う物語だ。007にもこれに似た物語がある。グローバルマーケットの時代となり、世界制覇を夢見てもおかしくない時代になったのだ。このホテルから少し歩けばKFCがあり、これなどまさに現実の世界制覇を成し遂げた姿なのだ。<市場の中>
6月11日(金曜日)
今回は妙に長い出張のような気がする。まだ、4日目なのに、急に日本が恋しくなった。今日の仕事を終えると、移動を伴うが休暇が得られると思うと、少し元気が出てきた。昼食は近くの喫茶店で食べる。昔、九州の販売会社を訪問したとき、昼食は近所の喫茶店で、コーヒー付のランチを食べたことを思い出したが、あれと同じ感じ。40度をこす気温で、水を飲んでいてものどが渇く。日本のお茶に似た、アイスのお茶はありがたかった。昼飯は、鶏肉をフライにしたものとご飯。アジアは鶏肉を使う料理が非常に多い。鳥インフルエンザが流行した数年前は、多くの人が肝を冷やしたはずだ。午後の仕事はもう1セッションの会議だが、このときに、どうやら、昼食の時に飲んだ冷たいお茶の細菌で腹を壊したようだ。始めは軽い腹痛だったが、夕刻になるに従って、ドーンと腹に効いてきた。夕食は、別のベトナム人と、地元料理を楽しむ予定だったが、どうしようもなく、失礼した。食事を控えて、少しだけレポートをまとめて、映画「Race
witch mountain 」を見た。金曜日の夜は酒を飲みながら映画を見るが楽しみだったが、一つ楽しみが減った。<濃いが甘いベトナムコーヒー>
6月10日(木曜日)
朝7時出発、ハノイ空港へ。ここのセキュリティーは不思議だ、荷物の検査が事のほか厳しく、預ける荷物の赤外線検査口まで、連れて行かれて、荷物の説明をした。そしてカメラは、預ける事が出来ず、手持ちとなった。これだけ厳しい荷物検査があるのに、手荷物は、PCの取り出しも不要で非常にラフである。そしてホーチミンへ。飛行時間は1時間50分。東京~沖縄ほど。この中で資料作成を進め、完成に一歩近づいた。ホーチミンは、ハノイと違って大きな街だ。車も激しく往来している。バイクの数はハノイと同じほどの比率。ホテルの手前で大きな公園にぶつかった。とても大きく、日比谷公園の10倍程度。大きな木が生えて、芝生と木陰で非常に気持ちがよさそう。ホテルに荷物を預け、昼食へ。ブロークンライスが有名な店に向かった。ここは外国人も多くいて、相当有名な事がわかる。ブロークンライスとは、そのままの意味で、砕いたコメを炊いたもの。何の事はない。しかし、こちらのコメはまずいので、いろんな形に変えておいしく頂くようにしたのだろう。食前に配られるスープは絶品である。ご飯は言うだけの事はあり、旨い。その後市内の店を巡回することになった。地図を持ってないので、カメラのGPSをセットして、何処に行ったのか、後でわかるようにした。午後6時前に市場調査を終えてホテルに。今日は現地の日本人の方と夕食だ。少し高級なベトナム料理の店だった。ここでも、知らない料理があり、こちらの料理は奥が深いと感じた。まだ、資料の作成を控えていたので、酒は飲まず、料理を楽しんだ。帰ってから資料を仕上げ、一緒に来ているシンガポール人に渡して英文チェックを受けた。<偶然目があった、サイゴンのご婦人>
6月9日(水曜日)
午前7時半出発だから遅れてはいけないので少し早く起きた。しかし、日本との時差を間違えて、更に1時間早く起きた。少々しんどい。向かった先は現地会社の本社。ここで、午後6時まで会議だ。事務所は広く、広々と使っているが、これからの増員を考慮したスペースだ。発展途上にある会社はこの様な設計をするのを久しぶりに思い出した。昼飯は、私の希望通り「ホー」の店に連れて行ってもらった。「ホー」はコメの粉を麺状にしたものを、うどんのような出汁で頂く。これは旨い。香川県のうどんのような存在だ。ベトナムで一番有名な店に連れて行ってもらった(HO24)が、本当は路上のホーも食べて見たい。夕刻、唯一のベトナム人の知り合いの方と一緒に食事に向かった。ここもハノイでは相当に有名な店で、広い店内が満席だった。珍しいので、写真を撮っていると、皆から外れてしまった。従業員がどうしたと聞いてくれるが、ベトナム語なので、こちらも答えようがない。Friendと答えたが通じなかった。うろうろしているとやっと見つけてもらった。それで、もう一度レストラン内を撮影に連れて行ってもらう。今日のベトナム料理は昨日とは違う種類のものばかり。ベトナム料理は、カロリーが少ない。ベトナム人に肥えた人がいないのは、この食事のせいだろう。それと、女性の身長は低い人が多い。僕よりも随分低い。小学生が働いているのか?と思ったが、キチンとした大人だった。まずはベトナム風春巻きだ。これは絶品だ。すずめの丸焼きもあった。こちらは旨くない。そして、別の種類のベトナム風の春巻き。いずれも、ハーブのような野菜を挟むので、この匂いについていけない人はこちらの食事が楽しめない。酒を飲んでいる人は少ない。僕も腹の調子がすぐれないので、酒は遠慮した。最後の仕上げはホーだ。ベトナムの定番料理。いやぁおいしい珍しい食事を頂きました。今回は仕事なのか、グルメなのかどちらでしょう?と思わせる感動があった。
6月8日(火曜日)
夜中に降っていた雨もすっかり上がり、今日はつつがなく関西空港に到着した。タイ航空のラウンジには一番乗りで入室して、早速資料の作成に取り掛かった。11時過ぎ搭乗口で待ってから飛行機に乗る。アジアを旅する時の飛行機はほとんどがボーイング777。シートレイアウトがこなれている為か、非常に狭い。道中はずっと資料の作成をした。タイ空港でも2時間弱の待ち時間をラウンジを使って資料の作成をした。今は、旅行者の少ない時期なのでラウンジも空き空きだ。大阪~ベトナムには、直行便のベトナム航空だと4時間。しかし、今回は仕事の都合であちこちを訪問するので、格安のタイ航空を使う、そうすると、いったんタイに行き、ここで乗り換えてベトナムに行くのだ。結局10時間ほどかかってベトナムはハノイに到着する。迎えが来ているはずなので、目を皿のようにして探すと、僕の名前があった。無事ドッキング。ハノイの夜は暗い。暗い夜道を車は市内に向かって進む。高速道路を通るが、自転車も走っている。無灯火のバイクも多い。アジアに慣れると何でもないことだが。しばらく走ると、やっと街のような所を通過するようになった。信号は少なく、車は停止しないため、写真は難しい。IS03200以上が必要だ。次第にバイクが多くなる。ホテルは、普通のホテル。玄関の警備はない。ベトナムは安全だと聞くが、こんなところにも現れている。部屋で荷物を解こうとすると、電話。Holl,何と現地の社員が下で待っているので降りて来て欲しいと言う。メールで何度かやり取りした人だ。話をすると、今から飯を食いに行くという。午後9時前だ。日本時間の11時だから断ろうと思ったが、何か話しもあるようだし同行した。ところが店がなかなか決まらない。結局1時間ほどうろついて、ベトナム料理の店に到着した。ここから、不思議な体験が始まる。食べるものが始めての物ばかりなのだ。とりわけ、日本で言うところのハーブを使った料理が多く、これを、挟んで食べるものもある。どれもとてもおいしい。おいしいが眠い。11時頃食事を終えて送ってもらった。何とホテルから歩いて10分程度のところだった。<旨い食事、だが眠い>
6月7日(月曜日)
東京での講演の原稿と、シンガポールでのセミナー原稿が全く仕上がってないまま、今回は出かけることとなる。道中の飛行機やホテルの中で、こつこつと一枚一枚原稿を仕上げて期日までに間に合わせる方法を採用するしかない。出来るだけあせらず、一枚一枚が完成品であることを心がけ、後戻りしないようにして進めるしかない。とにかくそれだけを頭において、寸暇を大事にするしかない。と、心に決めたが、今日はメールの確認やらなにやかやで、ほとんど積み上げるような仕事が出来なかった。定刻に退社して、荷物を確認して、熱い風呂に入り汗を流した。いつもの生活のパターンを崩さないようにして今日を終えた。明日からは非日常が始まるのだ。
6月6日(日曜日)
6月3日に放映された、アフリカトラック街道を行くを見た。なんとマサイ族が携帯電話を持ち牛の放牧を行っている。ライオンの襲撃に仲間の助けを呼んだとか。マサイ族と言えば、人を食うどう猛な人種だが、何と変われば変わるものだ。世界の目はインドに向いているが、実際の所アフリカも経済発展がスゴイ事になっているようだ。今回はケニア、ウガンダ、ルワンダの取材だった。ウガンダには、インド人が進出してビジネスを取り仕切っていた。映像は、アジアの新興都市と何ら変わらない風景を写していた。ルワンダは部族の戦いは集結して、年率8%の経済成長が続いているとのことだ。番組はツチ族とフツ族がビジネスで同意してコーヒーの栽培を始める所を取材していた。世界は平和になり、これから予想以上に環境が汚染されると思う。夕刻プールで3km。今日は少し長く感じた。
6月5日(土曜日)
今日は胃カメラを飲んだ。前回の出張から帰ってからずっと胃の調子が悪いためだ。心電図も、エコーも検査したがあまり問題はないようだ。だが、食べた後、胸がつかえる気分は依然と続いている。だが、これから18日間も旅に出るので、一つお墨付きを得られたことはありがたいのだが調子は変わらない。今回の出張は初めてのベトナムだ。北のハノイと南のホーチミンと両方を訪問する。ホーチミンと言うと昔のサイゴンですね。ベトナムと言えば、どうしても、「地獄の黙示録」を想い出します。だが、たぶん、その空気を感じることはできないと思う。土曜日はホーチミンで迎える。この街を少し散策つもりだ。そして、日曜日はシンガポール。シンガポールも市内をぶらぶらできる。前回の訪問で少しシンガポールの街については明るくなった。15日からの週はインドネシア。ここは3つの都市を回る。日本で言えば東京、名古屋、大阪ですね。大阪に相当するのがスラバヤ。ユーミンの歌に出てくる、あのスラバヤです。そこからジャカルタを経て日曜日タイに戻る。戻ると言うのは、ベトナムに向かうとき、一度タイ経由を経由する。これは、航空運賃を安く上げるために旅行会社が少し遠回りの旅程を組むためだ。タイでは24日まで仕事をして25日の朝帰国する長旅です。もし、タイでITビルを訪問できるなら、音楽やPCソフトなどいろんな遊びグッズが購入できそうだ。気を緩める時間もありそうですが、28日に東京でセミナーがあり、昔の仲間の前で話すので、その原稿を旅先で仕上げねばならない宿題を抱えている。
6月4日(金曜日)
久しぶりに息子と娘に電話をした。息子の方は今日で試験が終わったと言う。毎日11時まで勉強して、5時から起きて勉強したと言う。彼はいつもだが、内容よりカタチが優先する。勉強は時間だという。そして勉強方法は丸暗記法。とにかく数時間記憶が残ればよいということだ。理解するとかは眼中にない。それに対しては僕から何も言うことは無い。それが彼の生き方なのだ。小さい頃から関係が親密だったわけではないが、さらに関係が希薄化しようとしている。かれが大人になった頃には、他人の関係だろう。娘の方は、少しお金のありがたみを感じているようだ。アルバイトで稼いだ3万円は、瞬く間に無くなったそうだ。彼女は物欲が無く、何かをねだられたコトがない。それでさえ、お金が飛んでいくように無くなるとこぼしていた。友達関係は大学と高校の友を使い分けているようだ。一度、家の玄関にかわいい女子高校生が立っていて、一瞬家を間違えたかと思ったが、彼女は私の娘が出てくるのを待っていたのだ。ウチの娘は不細工だが、友人は美形が多いらしい。おじさんは、娘を利用して、その美形をカメラの収めたいと思うのだが。寝る前にXメンを見る。おもしろい映画だった。
6月3日(木曜日)
スケジュールの変更があり、シンガポールで一泊できる余裕が生まれた。僕らの職場の本拠地はシンガポールなので、事務所に顔を出す計画に変更した。そうすると、仲間の一人が、せっかくシンガポールに来るなら人を集めるのでセミナーを開催しようとと言うことになり、気を抜く予定が、気を張る予定に変更となった。シンガポールには世界の先端市場があるので、是非彼らに一言をと言うわけだ。僕はそんな準備はしておらず、飛行機の中と、ホテルでそれを仕上げるつもりだと返事したら、それでもokだと言う。と言うことで、海外出張は重いが、さらに荷物を抱え込んだカタチとなった。そんなことで、あれこれ、とまどっているウチに結構遅くなり、スーパー「ライフ」で弁当を買って食べることになった。弁当とキャベツの千切りだと500円で収まるメニューとなる。
6月2日(水曜日)
昼の食事の時間に鳩山さんの退陣ニュースを聞いた。政治と金、普天間問題が国民の信頼を裏切ったと本人の弁だが、僕はそれは本質ではないと思う。自民党体制の疲弊した制度の改革。これが国民が求めていたモノではなかったか。彼は枝葉に終始して枝葉のことで終わった。彼の功績は小沢と一緒に退陣したことだ。小沢さんのことだから、またどこかで院政を敷くだろうが、少しの間は静かだろう。しかし、どの国を見ても政治家は小粒となった。マクロの視点から思うに、はやり、21世紀は平和な時代となった。紛争はあるが、世界の各国が経済に目を向けだした。それで20世紀のように政治の重要さは落ちてきた。そして人材は経済界に向かった。それが、すなわち、政治家の小粒につながっているのではなかろうか。これからは、もっと経済上の競争が激しくなるのではと思う。
6月1日(火曜日)
ものすごいメールの嵐である、といってもたかだか20件程度だが、問題なのは英文メールだから、訳するのに30分くらいはかかる。そして返事を書くのに同じくらい。インドの社員については、僕は英語が不得意だから、できるだけ易しい英語を使って欲しいと書いたのに、私のことを小文字で「i」と書いたりして、とても難解な文章だ。おおよそのことを理解してから、他の仲間に意味を教えてもらった。この職場では私だけが英語を話せないので、肩身の狭い思いをしているのだ。今週は食べたものがのどの奥で詰まるような症状で悩まされている。ヘルペスはどうやら先週の日曜日が峠で、快方に向かっているような気がする。若い時と比べて何が問題かと言えば、記憶力の差もあるが、いつも何か、体に苦痛を抱えていることだ。精神力には差がないと思うが、この苦痛が精神を弱らせる。
5月31日(月曜日)
あまり忙しくなかった私の生活も、ここにきて少しあわただしくなってきた。2週間の国内滞在でまた出張があるので、この間に済ますべき事を整理して終えなくてはならないのだ。健康診断もあった。血液検査は地元の病院ですましたので、そのデーターを持参するが、測定データーの項目が不足しているので、そのデーターがないと、健康診断の法律に触れると指摘するのだ。その項目は何かといえば、メタボデータであるHDLコレストレール値なのだ。全く健康にほど遠いデーターがなのだが、この値が欠如しているために、再度の採血を受けてくれと言う。少しうさんくさい気がしたのだが、今回は指示に従ったのだが、少しおかしいぞ。そんな中、昔の職場の仲間であるKさんから食事にゆこうとお誘いいただいた。Kさんは栃木の人で、性格が田舎の人そのものの純朴さを持っている。今日は新しいAさんを加えての食事会。Aさんは僕を一度見てみたいと感想を述べた。例え男でも若い子から、関心を持ってもらえるのは嬉しいですね。場所は京橋に新しくできた花月というビルの4階にある、沖縄料理の店。あいにくと僕はヘルペスが出ていて、酒は御法度だから、ウーロンだけで話に加わった。昔の職場は人員拡張で19名の所帯になっているそうだ。若い人たちが活躍している話を聞いた。
5月30日(日曜日)
今日も胸がきりきりと痛む。胃潰瘍の薬の副作用かなと思って昨晩から飲むのを止めているが関係ないようだ。午前中ラジオ英会話の本、午後2010年二番底不況がやってくる本を読んだ。読書の速度がずいぶんと遅くなり、量をこなせなくなっている。胸の痛みは午後には収まったので、夕刻プール3km。1kgの減量。夕食はタイのお頭をベースに雑炊したら、鱗を取らなかったので、雑炊の中に鱗が混じり、妙に食べにくい食事となった。昨晩は、レンジで出汁となる、わかめとジャコを乾燥させていたら燃えてしまい、部屋は嫌な臭いに満ちているとか、食事に関する失敗が2日も続いている。器用さを自認していたがどうやらそうでもないことがだんだんと分かってきた。K氏から電話があって明日夕食を一緒に食べようとお誘い。来月東京で講演を頼まれたので、そのネタの評価をして貰おうと思っている。
5月29日(土曜日)
先週の土曜日、そうだ今はバラの季節だったんだと気がつく。それで、今日は京都植物園を訪ねた。撮影にはぴったりの快晴で抜けるような青空を背景に約300カット。圧倒的におじさん、おばさんのカメラマンが多い。キヤノン7DとニコンD300を多く見かけた。僕にはこのカメラが重すぎるようになってしまったが、おじさん、おばさん達は気にしてないようだ。また、写生をしている人達も多かった。絵を見る限りもっとカメラの方が楽しいぞと思えた。花の撮影は、傷んでない花を捜して、角度を決めてと、結構ゆっくりと動く、それが、普通の人にはどうやら暇そうに見えて、シャッターを押してくれと頼まれる要因になるのだ。別に嫌ではないが、綺麗な人がいないのが残念である。バラの全盛は1週間ほど前のようだった。帰って写真の整理をすると失敗作品が多い。一眼カメラは赤いバラの撮影には強いはずなのに、コンパクトデジカメの方が綺麗に写っている。今度の休日はボタン、その次はアヤメと忙しい休日が続くが、出張のためアヤメは難しいかも。
5月28日(金曜日)
妙な天候だ。青空と厚い雲とが乱れている。事務所から外を眺めると大阪の街の一部にスポットライトが当たったような景色が広がる。W子さんから高知のよさこい見学断念の知らせが届いた。高知の酒を一緒に飲める楽しみが減ったのは残念であるが、こんな不順な天候が続くなら、せっかくよさこいにお越し頂いても、申し訳ない可能性だってあるので、良い判断だったかも知れない。よさこいは全国に飛び火してイベントが開催されているが、本場土佐のよさこいは、灼けるような炎天下でこそ意味があるのだ。スリランカの異常モンスーンと言い、今日の寒さと言い、地球温暖化の進行は予測した以上のスピードかも知れない。夕刻i-padが発売されるというので、梅田ヨドバシカメラに向かった。売り場は確かに混雑していたが、混乱しているわけではなかった。現物は3人くらいの順番待ちで操作ができる。かなり大きなスクリーンをタッチして操作するが、パネルが指脂でべとべとで、とてもさわる気持ちにはなれなかった。光沢パネルなので、キレイとともに反射がきつかった。この反射に僕の購買動機はこの寒さのように一気に冷え込んだ。帰り着いて、NHKのbshiで放映された、「青春フォークソング決定版」を見た。この放送は秀逸だ。今回は僕の好きな「赤い鳥」の山本潤子が「翼をください」を熱唱した。この唄は何度聞いても良い。
5月27日(木曜日)
寒い。昨日と同じ気温。掛け布団は冬用を被って寝ている。久しぶりに、Herald Tribune紙を買って読むと、中国のEMSのホンハイでは、ずいぶんと自殺者が出ていると、一面に出ている。明日発売されるMacのi-padなどもここで作られているはずだ。ニンテンドウも、Playstationも同じだ。日本では新興国成長崇拝、企業経営では韓国崇拝と単一論調だ。だが実際に取材するといろんな事が起きているのだ。ネットと記者クラブだけで作る日本のマスコミの記事は危ういものがあると思いましたね。もっとも英字新聞をごんごん読めれば、違う見方になるかも知れないが、見出しと数行しか訳せないので限りがあるのが悔しい。
5月26日(水曜日)
寒い、部屋の温度は23度。暖房を入れたい気分だ。今日は、門真に仕事があるので、自転車で出勤。門真にも約15分で到着する。写真の撮影があったので、帰りに「咲くやこの花館」に立ち寄る。全国の植物園を訪ねてみたが、共通しているのは、館員が素っ気ない対応をすること。なぜだろうと考えてみるに、どうやらモチベーションを高めるような仕組みがないことだ。相手は花で反応が無いし、客は一見客でその場限り。来場が大きく伸びるような華やかさもない。外部からは毎日花が見られて良いね。となるが、それはここに勤めた1週間だけだろう。僕は、「咲くやこの花館」に年間に10回以上は行くが、顔見知りの対応をされることもない。今回の撮影はニコンCoolpix S8000を使った。コンパクトの10倍ズームカメラだ。ニコンは一眼レフカメラの良いイメージがあるが、コンパクトカメラはそれとは全くの別物。自動認識機能は人物のみで、基本的には手動設定のカメラなのだ。
5月25日(火曜日)
普段は歩いて出勤するが、昨夜、夜中に起きたので、ふらふらで今日は自転車通勤。新しいルート開拓で、自宅から職場まで15分あれば到着する。東京では考えられないロケーションにある。そして今日は一日吐き気に襲われた。夕刻かかりつけの病院を訪ねると休み。しかたなく、セガミの薬局でエーザイの「セルベール整腸薬」を。夕食は、用心して刺身用の鰹をベースにおじやにした。調子が悪いとはいえ、これが実に旨かった。食い過ぎないように、途中で泣く泣く箸を置いた。そして、この薬がなかなかいい仕事をしてくれてすっかり良くなった。
5月24日(月曜日)
まだ足が地面に着いてない。宙を踏んでいるような感じ。原因はスリランカから帰る便で、布団で寝る行事を一回抜いたからだ。食事の一回や二回抜くのは訳ないが、睡眠を抜くのは堪えますね。どうやら、胃潰瘍も患っているようで、空腹時には腹に鈍痛が始まる。医者はストレスの無いようにと言うが、今までストレスを感じたことはないので、何がストレスかは分からない。早めに家に帰り、好きなことをして過ごすのが一番良いだろうと、5時半が来ると帰り支度を始めた。今日はビーフンを作って頂いた。ビーフンは水を吸うまで鍋で煮込むと説明書に書いてあるが、これがなかなか時間を食うので、間違ってないか時々鍋の中のビーフンをつまむと堅い。説明書は正しい事がわかった。問題はその夜に起きた。この焼きビーフンを少し固めで炒め、塩分は控えめだが、調味料にたっぷり胡椒を使って調理したのだ。これが、胃潰瘍に反応して、夜中に気持ちが悪くなり、戻してしまった。相当体調は悪いのだと今更ながら知ったのである。
5月23日(日曜日)
雨音に気づいて遅く起きた朝は♪。ユーミンの唄通り、結構な雨脚の天候である。国土交通省のレーダーを見ると、九州に赤マーク、四国に青マークが付いている。今日、明日はしっかりと雨が降るようだ。スリランカでもスゴイ雨に降られたが、この雨の影響は次の干ばつに向かう何かの警告かも知れない。環境問題は実際の所、相当深刻であるかもしれない。未来から見た時、今が折り返しの地点だったと言うことかも知れない。海外でも日経新聞は見ることができたが、再び金融危機が来ていると報道され、危機は去ったと書いた記事のことは忘れているようだ。日本を解放するような記事もあった。それについてはいつも思うのだが、関西空港に降り立った後、入国審査では日本人はスイスイと行くのに、外国人の人達はものすごく長い行列がある。アジアの国しか行ったことがないが、入国審査にこれほど外国人を差別する国は見たことがない。マスコミは何でこんな簡単なことから世論を興すような活動をしないのだろう。日本は余りにも怠惰で死にかけているような気がする。
5月22日(土曜日)
早速医者に行くと、内視鏡の検査を薦められた。何もそこまで、と思うが、昨日の痛みは尋常ではなかったので一応受けることにした。昼から、近くの咲くやこの花館に。ここは500円と高いが、心休まる場所である。カメラを提げた人を見ていると、EOS7Dに100ミリマクロの組み合わせを見つけた。この人達はものすごく多い。次にオリンパスのEP1にミノルタのレンズのセットをして撮影している人を見かけた。これは、マニュアル操作のピントであるが、オリンパスの電子ファインダーは大きく、しかも、手ぶれ補正がレンズ側にあるので非常によい組み合わせなのだ。僕のLUMIXにニコンレンズセットも悪くはないが、手ぶれ補正が効かないウィークポイントがある。夕刻プール。採血した注射の穴があるが、まぁ6時間もすれば閉じただろうと出かけた。2km。出張中ジムで腕のトレーニングをした効果が残っていて、クロールの水かきが幾分軽かった。
5月21日(金曜日)
まだ寝足りないが、今日は会議だ。アジアの国からみんなが来ている会議だ。だんだんと顔見知りの人が増えてくる。Nice meet you. と握手をする。フィリピン、ベトナム、インド。会議の進行は英語。最初の頃と比べると幾分分かるようになってきた。問題は腹が減ってくると腹がものすごく痛むことである。どうやら胃潰瘍のようなものを煩っているようだ。夕食に顔見知りのフィリピン人を連れて繰り出したかったが、体が受け付けなかった。帰って洗濯、荷物の整理、クリーニングをしていると、また痛みがでてきた。今回は土日も仕事をしたので胃も休まるときが無かったのだろう。ユーミンのライブを見ながらお酒を飲むと痛みも薄れていった。
5月20日(木曜日)
朦朧とした頭でタイに降り立つ。午前3時に飛行機に乗り、6時半に空港に着いた。時差があるので、もっと長い時間となっているのだが、体は正直だ。まずは、頼まれた本を買おう。タイの空港は十字路になっている。その十字路で一番長いのがC通路だ。本屋はどうやら、このCにあるようだ。ずいぶんと歩いて尋ねると近いような本があったので買おうとすると、バーツでなければ売ってくれない。今度は換金屋を捜す。眠いし腹が減っているのでその後はラウンジを目指した。元来た道を十字路の中心まで戻って、今度はE通路を進む、タイ航空のラウンジはこの先にある。電源のあるシートを確保して、サンドイッチとジュースとコーラを。まずは一眠りしてレポートを仕上げる。ここは回線が使えるので便利だ。しばらくするとまだ時間の余裕はあるのに、ラウンジの人がものすごく減った。これはやばいと慌てて荷物をまとめ出発カウンターの所に向かう。だが、ここには余り人がいない、一寸早すぎた。いつまで経っても人が増えないが、ここは間違いなく関西行きの乗り場だ、チケットももいである。それでも定刻に案内があった。この飛行機は空いているのだ。タイ航空は一人一人の座席にテレビがない。それで、僕はパソコンを開いて、再びクリス・ボッティーのライブを見た。クリスボッティーがゲストを呼び、一緒に競演するのだ。スティングも2曲ほど歌った。これは気持ちよいソフトだ。そして食事。食事には赤ワインを注文したが、飲み終えた後、もう一杯どうかと来る、断ってもしばらくするとまた来る。なかなかのサービスだが、もう疲れてお酒も受け付けてくれない。約30分早く到着、9時前には帰宅できた。日本食はしばらく食べてないので、近くの居酒屋へ。ここは会社を早期退職した人が店を開いている。純日本食とアサヒビールを。日本に帰ってきた実感が持てましたね。
5月19日(水曜日)
午前3時過ぎ、金を叩く音がする。どうやら、建設中のビルの何かが外れて風にあおられて音を立てているようだ。だが相当大きな音なので耳について眠れない。うとうとしている間に、起床時間6時の目覚ましが鳴った。しばらく朦朧としてから、地下にあるレストランに向かう。おいしいコーヒーとパンとで朝食を済ませる。依然腹の調子は良くないが、こればかりは食欲がわく。予定通りだと、7時に出発するかも知れないのだ。だが、待つこと1時間半、電話のベルが鳴ったのは、今日の行動も中止だとの連絡だ。どうやら、空港へ行くにも水深1mくらいのところを通過しなければ到達できないようだ。仕事よりも帰ることに情報を取得したほうが良いとのこと。ホテルでは空港の近くまで送る事が出来る。そこからはシャトルバスが出ている(はずなので)、それで空港に向かってくれという。かなりデンジャラス。日本の旅行会社にメールで問い合わせると、もし乗れなかった場合は、翌日の14時の飛行機でシンガポールに向かい、その深夜便で日本に帰る便をアドバイスしてくれた。大変なことになったなぁ。11時過ぎ今日の予定は全て中止して別の計画となり、市内の市場調査に向かうと言う連絡が入り、出かけることにした。ルートの都合で、昼食はマクドナルドでビッグマックを頂くことになった。410RP。日本円換算370円。日本では720円のメニュー。今回の出張では、3食マクドのお世話になった。午後5時ホテル帰着。フロントで空港までのアクセスを聞くと、1時40分のフライトであるが、夕刻6時に出発すると良いとのアドバイス。あわただしくシャワーを浴びて出発した。少し暗くなっていたが、GPS付きのカメラで、場所だけでも分かるようにと、一定間隔で撮影した。途中の川は溢れて、川沿いの家の半分を飲み込んでいた。Over flood と運転手に聞くと、3本ある川のうち、2本がそうだと言う。ホテルから50分行ったところで、ホテルカーから降りて、シャトルバスに乗れと言われた。軍が仕切っていて、強制的だが、問題はなさそうだ。こちらのバスは、車高が高く不細工で乗り降りが大変だ。と思っていたが、きちんと理由があったのだ。ここから先の道路は水没しているのだ。半端な水深でない。ここを突っ切るのが、このバスだ。まず、シャーシーがあって、その下にタイヤがあり、シャーシーの上にエンジンや、客室が乗る構造だ。トラックと同じです。この汚いバスは音と道路からの振動が激しい、たくさんのスリランカ人が乗っている。目で挨拶をすると、とにかく好意的だ。僕は大きな荷物なので、"Sorry." "Your welcome"。(スリランカはイギリスの支配下にあったので公用語が英語で比較的通じやすい)とりあえずシートに収まった。僕にとってははじめての冒険でしたね。途中道路の上を川のような水が流れている場所があった。住民と目が合うと、彼は泳ぐまねをした。この水深の中で普通乗用車は調子を崩しているようだった。だがバスは平然と走った。ホテルから1時間50分で空港に到着した。普通だと1時間の距離。そして空港カウンターでのやり取り、ガンバリどころは、ここでタイ空港から日本への飛行機の切符をここで発行してもらわないと、朝タイ空港で搭乗券の発券の為に並ぶのは大変だからだ、だが、ここの兄ちゃんは平然とそれをやってくれた。ありがたい。ANAのゴールドカードを提示すると、スリランカ空港はなんとタイ航空のラウンジの券をくれた。待ち時間が長い海外の空港はラウンジの利用がありがたいですね。豪華な椅子と晩飯があるのだ。地元のビールLionとヘネシーを頂いた。少し酔って午前1時過ぎに搭乗口に向かった。
5月18日(火曜日)
今日はここから116km離れた街である、キャンディーに向かう予定だった。しかし、雨風は止まず、どうやら道が寸断されているらしい。午前10時に、得意先の方が迎えに来てくれたが、話を伺うと、時間が読めないほどの混乱らしい。しかも、帰りが保障できないと言う、3本ある道の内2本は通行不可能だと。僕は明日の深夜帰国の予定なので、それを考えると、この計画は断念したほうが良いと言う。「了解しました」。次回に取っておこう。キャンディーは、コロンボの中央にあり、交通の要所とのこと。観光客はここを拠点にして出発するらしい。高地にあり気温は低く、避暑地としても栄えているとか。少し打ち合わせの後、昼食となった。すぐ近くのショッピングモールの地下にあるレストランで頂く、中国、タイ、日本、スリランカと国別に料理店が並んでいる。今回はマレーシアで「ナシゴレン」を頂く。これはマレーシアに行ったとき、安くてよく食ったメニューだ。ちょっと量が多かったが何とか収まった。それで、ホテルの部屋で各自自分の事務作業を進めた。一本報告書を書き上げた。夕刻昼飯に食べたナシゴレンの油は胃にもたれどっしりと腰を下ろしている、その消化にジムに向かった、1時間15分、自転車とボートとランニング。ジムで励んでいると、例の写真を撮影したジムのマネージャーが出てきて、今度来た時は食事に行こうと誘ってくれた。Well comeだ。夜の8時に日本人の仲間と、今日昼頂いたレストランで、中国風のビーフンとビールを。雨も上がり、明日は行動できそうだと期待をかけた。明日は、ソクールナガラに向かう予定だ。
5月17日(月曜日)
夜中の3時にエアコンが時計のようにチクタクと音がする。それで目覚めてしまい、なかなか寝付けない。朝早くおきてレポートの残りを考えていたが、目覚めは7時半だった。今度は雨と雷の音で目が覚めた。モンスーンも佳境に入ったのか、止む間もない雷と雨である。おなかの調子は全く進展が無いので軽く朝食を取る。隣に座ったベトナム人風の女性は、ポークのウインナー4つとコーヒーだけだった。ちょっと妙な取り合わせなので気がついたわけだ。世の中にはいろんな人がいるもんだ。雨の中、市場調査に出かける。コロンボの市内をぐるぐる回るので、GPSつきのカメラが重宝する。メモも十分に取れないので、ICレコーダーに録音する。時間を合わせているので、写真データーの時間を参照すれば、何処のメモかわかる。途中ものすごい雨になり、車から建物に入るにもずぶぬれになる。道中の道も水面下に沈み交通停滞を巻き起こしている。歩く人は、ひざの下まで水に浸かっている。通常モンスーンの雨は1時間程度らしいが、今日は一日中降る。雷も一緒だ。昼飯はインデアン風かチャイニーズ風か?おなかの調子が悪いが、相手の事をかんがみインディアン風と答えた。そして行った店は、これまた有名な店で、ランチというよりか、ディナーと呼んでも良いほどの内容。まずは、インディンアン風スープ。すっぱい味の中に強烈なスパイスが感じられる。メインディッシュは、野菜のカレー、チリソースのタンドリーチキン、カリフラワーとポテト炒め。これにご飯とナン。あまりにも盛り沢山。少なめに頂くが腹が一杯となる。その後、更に市内を巡回する。政府の建物がある海岸沿いは、兵士で埋まっていた。What happen? 約1,000人ほど、戦車や装甲車など軍事用車両がずらりと並んでいる。20日は戦争終結一周年記念セレモニーがあるようだ。そのため、兵士が練習のために集まっているようだ。国民の休日になるのかと聞くと、そうではないらしい。このシーンの写真ははばかれた。その後、コロンボの繁華街を通った。長さ約500m弱。これと交わる筋道には50mほど店がある。この道は人であふれていた。あまり綺麗でない小さな店が軒を連ねている。だがいずれここはショッピングモールに淘汰されるだろう。多分、今が一番楽しい買い物が出来そうだ。最後に、CDショップに寄ってくれた。クリス・ボッティーのトランペットのDVDと、レディーガガ。レディーガガはちょっと近年にない傑作だ。宇多田ヒカルのファーストアルバム(First Love)と同じ位の良さだ。もう一枚はダイアナ・クラール。最新アルバム。あわせて5,800円。日本のアマゾンより少し安いと思う。夕食は得意先の方と一緒に頂く。今宿泊しているシナモンホテルのレストランの一つである魚料理は、市内でも有数の旨いもの店であるとのこと。写真を撮影するが、どの魚も活きているように新鮮だ。白身はレモンと香草とにんにくで味付け、海老はスパイスで炒める。烏賊も同じくスパイスで味付けをする。酒はオーストラリアの白ワイン。少しポップが効いて旨かった。体の調子がよければ最高なのだが。そういいながらしこたま食った。寝る前にクリス・ボッティーのアルバムを聞く。本当に良いアルバムを買ってよかったとしみじみ思う。
5月16日(日曜日)
おなかの調子は悪いが、昼飯も兼ねた朝食を頂いた。お酒を飲んだ翌日にはココナツジュースが事のほか旨い。日本では出来ない贅沢をしています。そしてパンの味は一級。今日は紅茶の代わりにコーヒーを注文したが、これが別格だった。パンとコーヒーだけでも十分なほど。よく、映画でパンとコーヒーの朝食を食べるシーンがあるが、それはありかなと思いましたね。(同行している日本人は、イギリスのパンとコーヒーは最低だと言っていた、高くて不味いそうだ)それは昨夕にも匹敵する贅沢&優雅なものでした。午前中レポート1本、午後1本。だが、多く取りすぎた朝食が胃にもたれて、消化にジムへ。自転車を50分450kalと2kmのランニング。汗をしこたま流すと、なんとなく体が回復してきた。夕食は午後7時、同泊の日本人と、スリランカの料理を頂く。ホテル内のプールが見える屋外でエキゾチックなムードに包まれながら、世界の行く末を語った。料理は海老の爪に、スリランカ風、コンチネンタル風、インディアン風の味付けをした前菜。メインディッシュは魚料理をバナナの葉で包んでスパイスと一緒に蒸したもの。一緒に焼きそばとご飯が出てきた。酒はビールで、地元のLion銘柄。合計1,800円。もう一本レポートが残されているが、体力がない。
5月15日(土曜日)
睡眠が足りたのか体の疲れは収まったが、おなかの調子は依然として悪い。今日は午後仕事があるので、午前中はその準備に当てた。前回来たとき、プールとジムの管理人を撮影して写真を送ると言ったままほったらかしにしていたJagathさんに、写真を届けた。彼は、僕ら写真が届くのを毎日夢にまで見たと言っていた。大げさだがうれしい。午後、待ち合わせ為にホテルのロビーに下りるとき、乗り合わせた初老のご婦人がミノルタ一眼レフカメラを提げていたので、話を伺った。多分ドイツ人。ミノルタから6×7のフィルムカメラを発売していることを僕は知らなかった。そのことを話すと、先方も乗ってきて、他にもカメラを持っているという。今はデジタルカメラの時代だが、フィルムを手放せないと言っていた。せっかくだから彼女の写真を撮影させてもらった。午後7時まで仕事をして今日も疲れ果てた。普段より消耗が激しいのは食事の量が足りてないからだ。このときはのども渇き、主催したマネージャーがスリランカ料理を食べに連れて行くと言う。僕としてはホテルでカップヌードルでも良かったのだが、ご一緒した。まず、スリランカのビール。おなかの調子が悪いのに、冷えたビールを流し込む。いいのかな?次に出てきたのは、ポテトを一旦蒸して練った後スパイスを加え揚げたもの。そうです、これは日本のコロッケです。これは旨い、ビールのあてに丁度だ。そう答えると、また出てきた。もういらないぞとは言えなかった。次に出てきたのは、小麦粉を餃子の皮のように伸ばしたものをフライにしたもの。これを、強烈なスパイスの効いたスープにつけて食べる。これも旨い、旨いがキツイ。最後にこのスープを飲む。"I like a Sri Lanka food"が効き過ぎた。"a"と言ったはずなのに。次は、マトンとシーフード、カレースープ2種、これに、半熟目玉焼きをミックスしていただく。結構味が濃い。だが旨い。今年のモンスーンのことなどを伺っていると、自然とビールも無くなる。Do you drink whisky? えっ暑い国でウィスキーを飲むの?スリランカのウイスキーは本当に旨いのですよと言う。じゃ頂こう。おなかの調子が悪いのに大丈夫だろうか?ところが、これが、香りやコクといい一級品なのだ。高級バーボンウイスキーを飲む感じです。こちらは、とうもろこしではなく、ココナッツが原料。ついつい2杯も頂く羽目に。なかなかうれしいスリランカの夜でした。
5月14日(金曜日)
7時半のホテルカーで空港まで送ってもらう。運転手の英語は巻き舌で早いが、わかりやすい単語で話してくれる。「チェンナイは昔マドラスと言って、スリランカに近いよ」。「了解です」。ムンバイ発9時の飛行機でチェンナイに向かい、ここで乗り換えてスリランカに向かうのだ。僕の心配は、チェンナイで旨く乗換えが出来るかどうかだ。9時発の飛行機はいつになってもアナウンスがない。いつだと聞くと9:40分だと言う。聞き間違えかも知れない、こんなに遅くなれば、チェンナイでの乗換えができない可能性がある。念のためJet Airlineの社員を捕まえて、何度も確認するが、No problemと言う。要領がわからないので、カウンターの前で待っていると本当に9時40分の出発だった。聞く能力の低い僕の聞き間違えではなかったわけだ。結局飛行機が出発したのは10時を少し回っていた。11時45分チェンナイ到着、コロンボ行きは12時15分発なのだ。普通海外行きは、出発の1時間前到着が原則なのだがどうなるのだろう。搭乗員に乗換えはどうすればよいのかを聞くと、外に出ろと言う。すると、コロンボ行きのバスが用意されていた。この案内アナウンスは機内で聞き取れなかった。このバスに乗った集団について行けば問題はないわけだ。出来るだけ目立つ人をマークした(インド人はみんな一緒に見えるので特徴を探すのが難しい)。一旦空港を出て、出国カウンターに向かう。荷物はもう一度検査をしなければならない。出発ゲートに向かうと、もう締め切った後だ。途方にくれていると、航空会社の社員がやってきて、締まったゲートを開けてくれた。ここでやっとコロンボ行きの飛行に乗り込み一安心した。約1時間半の飛行でコロンボだ。この間に乗務員は食事を配膳し、回収しなければならない。なんと離陸後、まだ飛行機が上昇中に食事の準備が始まった。食事はベジタリアンを頼んだ。調子が悪いので朝を抜いていたが、空腹にいきなりスパイスの効いたカレー食では、おなかもビックリだろう。スリランカ空港の手前で天候が急変し真っ黒になった。飛行機はゆれたが無事到着した。空は真っ黒だ。スリランカ空港は、免税店が到着便の方に多い。それは国内の人のお土産用である。それは家電製品である。約20店の家電店が、免税通路にずらりと並ぶ。出稼ぎの人はここで家電製品を買って出国するのだ。この国は出稼ぎで稼いでいるので、稼いだお金で免税の家電品を買うのだ。(国内で買うと家電品は税金が上乗せされ、価格は2倍となる)今は冷蔵庫が人気らしい。出口に向かう客は大きな冷蔵庫を下げているのだ、不思議な光景である。荷物の到着で待っていると、濡れた荷物が回転テーブルに載って来た。外は大雨になっている。この空港は要領の悪い人が働いているらしく、荷物は30分くらい待たないと出て来ない。飯を食ってないのでものすごく疲れが激しい。ホテルまでの道路には、相変わらず兵士がところどころに立っている。1時間休憩して取引先に向かう。ここで疲れ果ててしまい、もう目を開けているのが出来なくなった。ここが今回の疲れのピークでしたね。夕食も腹の調子がおかしいので断り、ひたすら眠ることにしました。
5月13日(木曜日)
会議の終了後、バイキング方式の食事が提供された。普段ホテルの朝食では見かけない野菜類が並び、興味深く、一つずつ食べていった。インド人に尋ねると、いろいろと食事については語ってくれるので、どんなものを食っているのか、どんなに調理したのか判ったような気がする。このあと、再びムンバイ市内に繰り出し、繁華街をさまよった。昨日より更に中心地であり、ものすごい人々でごった返していた。ここでもカメラを持つと危ないと注意されたが、しばらくすると、再び撮影を始めた。この街は写真の被写体にことかかない。いつか自分の時間でこの街を訪問して見たいと思った。次に巨大モールに向かった。ところが、このモールは荷物を持って入れない。そこで、僕がみんなの荷物の見張りをしている間に彼らがモールを見ることにした。食べたくもないマクドナルドを注文して、彼らを待つ。インド人はベジタリアンと言われるが、どうもそうでもない人も多いみたいだ。それに、サリーを着た女性が非常に少ない。ここは所得水準が高いので、結局民族衣装は廃れていくことになるのかと思った。日本も明治以降急速に女性の服が着物から洋服に変わったのと同じ感覚か。現地の方にホテルまで送ってもらい今日の仕事は終えた、シンガポールから来ている仲間は本日の深夜便で帰国するので、軽い食事をすることにした。ところが、この辺りから、おなかの状況が急変してきた。どうやら、昼食が当たったようだ。ここから苦難の道が始まった。明日からは一人になるのだが。
5月12日(水曜日)
朝早い飛行機便。5時に起床したが、部屋の電気が一瞬点き、すぐに消えた。暗黒だ。PCを開いた明かりで、服を着てフロントに出かけた。サービスマンをよこすという。6時のチェックアウトなので急いでと言うと、No probrem。No probremの多い国ほど問題がある。そして、彼はなかなか来ない。これはインド流なので、こんなことでは腹を立をたててはいけない。歯を磨いていると、ガードマンがやってきたので、もう一度同じことを言う。そうして来たサービスマンは、もう一度工具を取りに戻る。ブレイカーをリセットするがそれでも解決しない。結局別の場所にある親のブレイカーのリセットで解決した。この間30分あまり。5時半。メールのチェックをして、清算すると、使ってない電話や飲んでない、ドリンクなどが平然と請求されている。フロントマンと何度もやり取りして、正しい請求書が出来上がった。これに15分。インドへ行かれる方には、時間を気にしないことをキモに命じていると別のものが見えてくるかもしれない。空港では、預けた荷物に貼るバーコードを印刷する機械が故障して、ここでも20分位待たされる。デリーの空港検査では、SDカードケースがセキュリティーに引っかかった。この問題を探るのに10分。とにかくインドではイロイロとトラブルの多いのだ。飛行機では食事が出た。ベジタリアンの食事を注文する。腹の足しにならない感じだった。ムンバイでは手配した車が来てない。待つこと30分、来た車はエアコンが効かない。灼熱の国インドでエアコンが効かない車ほど困る事は無い。空港から近いホテルに行くまでに、大汗をかいた。ホテルに荷物を預け、車も変更して、ムンバイの中心地に出かける。ムンバイと言えば、テロがあり、日本人が殺害されたタージホテルがある。だがここは最大の観光地。まずはこのホテルをカメラに収める。この建物を左右対称に撮影しようとすれば、街灯が邪魔になる。せっかくの観光地なのに、少し配慮をすればよいのだが。ほんの少し歩くと有名なインド門がある。観光客が多いが、写真を撮影しようとか、地図を買わないかとか、売り子がとにかくうるさい。それに、小便の匂いが凄い。程ほどにして、タージホテルに入って食事をした。私はピザとオニオンスープ、2400円を注文したが、なかなか旨かった。めったにこれない場所なのでこのホテルの食事でも良しとした。次に向かったのは、ボリウッドスタジオ、ここはインド映画のメッカだ。その映画を撮影しているシーンが見えるというので訪問する。廃墟の倉庫のような建物の中で、撮影がされていた。撮影はHDDに録画して、何度が繰り返し撮影して、OKを出してゆく方法だ。僕が見たシーンは、男と女のいさかいのところだが、女の頭を少し入れたカットと、女の声は聞こえるが、女は映らないカットを撮影していた。僕としては、先のカットの方が良いと思われた。そのスタジオを後にして、今度はそのスターの家を訪ねた。僕たち以外の観光客もこの家を見に来ていた。更に、インドの繁華街をほんの少しだが歩いた。カメラは危ないのであまり露出をしないように現地人に注意されたが、どんどんと撮影して行った。ムンバイはインドの商業の中心地、ものすごい熱気を感じる。残念ながらこの活気はもう日本に無い、他のアジアにも失われたもの。前から欲しかったハエたたきを売っていたので、少年から買った。これは、インドに住んだ人から聞いていたので、大変興味があったのだ。700円。これは、高圧をかけたテニスラケットのようなもので、蝿のいる場所で振り回すと、蝿が高圧に触れて焼ける機器だ。危なくて日本では売られないしろもの。ムンバイで一番カメラを売っていると言われる店を訪問した。日本で言うところのドンキホーテですね。ただし、接客が出来る体制だ。こんなにイロイロと訪問できたのでは、社内報の取材者と動向できるタイミングを得たからだ。夕食は、中国料理。同行のメンバーはシンガポール人は華僑の子孫だから、ここのコックの中国人と話が弾み、なんと、最後にスープのサービスがあった。こんなハプニングもあるわけだ。宿泊のホテルはデリート同じ系列のリーラホテル。なかなか良いホテル。
5月11日(火曜日)
このホテルの朝食はメニューが豊富ですばらしいのだが、今回は少し事情が違う。出発に合わせて、早めにレストランに向かったから、料理の量が限られていたのだ。だが、ここで飲むコーヒーのなんと芳醇なこと。コーヒーの好きな友人たちには飲ませてあげたいといつも思う。豆だけの違いではなく、水も違うと思う。仕事で向かった先は、デリーの外れにあるグルガオン。ここに、空港から鉄道が通じるはずだ。秋に開催されるコモンウエルスに向かって突貫工事が行なわれている。新しく経済が立ち上がろうとしている風景はもう日本では見かけなくなっていたので、このような風景を見るとワクワクする。車を降りると、まるで熱風だ。新聞記事を見ると、41度、かつて訪れた事のあるナグプールは、45度と記載していた。まるでサウナに入ったような肌の焼ける感覚がある。私たちの会議用の部屋は、北側であったが、それでもエアコンが効かず少々暑い。そこへ、予定を超える人たちが集まったので、蒸し風呂のような状態で、午後4時まで過ごした。ペットボトル2本が空になった。それからマクドナルドで食事。こちらでは、マクドナルドにケチャップをかけて食べるのが普通。蝿を追い払いながら頂いた。夕食はこちらに出張中の日本人ばかりを集めての会食となった。店名は「小町」日本語が話せる従業員で構成されている。インドの店で「いらっしゃいませ」と聞こえるのは懐かしい感じがする。ビールはキングフィッシャー。これは航空会社の傘下で作っている。日本で言うとANAのビールを飲むみたいなもの。それが、まずまずの味なのだ。メニューはから揚げ、ゴーヤチャンプル、焼そば、おにぎり。メニューは完全に日本食。味も日本流。長い間この国で暮らすとオアシスのように感じると思う。
5月10日(月曜日)
インドに向かって出発する。一人でインドに行くときは、要注意。特にデリーには何があるか判らない恐れがある。それで、少し早めに起きて準備をして出かけた。ところが、地下鉄今里で、難波行きに乗り換えようとした矢先、人身事故の発生で、他の交通手段を余儀なくされた、時間には余裕があるものの、荷物を2つ抱えているので、身動きが取れない、タクシーは後から来た人が信号の少し手前で乗ろうとするので、僕はタクシーが拾えず、呆然とした。仕方なく、鶴橋方面に重い荷物を抱えて移動しているとやっとタクシーが来た。地獄の仏のような感じだった。早くも艱難が待ち構えていたのだ。その後無事、バンコクに降り立ち、2時間待ちでデリー行きの飛行機に乗る。飛行機に乗るためのボーディング・ブリッジに差し掛かった辺りから、もうインドの匂いがしてきてインドを感じましたね。道中はタイ語と英語の案内となり、さっぱりだ。ジュラシックパークを見ながらうとうとして到着。ここで、お金をいろんなところに分散して隠した、もし税関で賄賂を要求されたら、少ない被害で済むようにとの作戦だ。しかしデリー空港では難なく通過した。予約していただいた、ホテルカーも見つけることが出来て、問題は一気に解決した。宿泊のホテルは、以前に2階ほど宿泊したことがある非常に良いホテルだ。風呂のサイズが大きく、私のような小さな人間だと、4人が入れるような容量がある。お湯を張るにも時間がかかり、荷物を解いてもまだ半分といったところだ。時刻は0時で、日本時間では午前3時半に相当する。眠い時間を通り越しているのでなかなか寝付けない。
5月8日(土曜日)
出張前のあわただしい準備も終わり、ゆっくりと過ごす一日だ。憂いの無い状態で出発したいが、一つだけ問題を抱えているのは、妻との電話での諍だ。僕には、虎の尾を踏んだように思えた、とりあえず子供が大学を卒業するまではこの問題は封印だ。それで今日は、冷却用に妻にカーネーションを贈った。その花屋さんについて、気になるので調べてみた。花を買ったので、いやがおうでも、他の花屋さんも気になる、少し覗いてみると、どこも母の日を目当てに商売しています。(今まで気がつかなかった)。バレンタインのチョコレートと同じですね。店頭は大体3000円位を中心価格としている。では花屋さんの商売は儲かるのかと言えば、どうも厳しいようだ。花は普通一本100円から競りに出されるそうだが、この仕入れと、販売のバランスが取れないとたちまち花は腐る。そこで、チラシなり広告と打つと、たちまち経費が発生する。この経費を回収して、売り上げを確保しようとすると、どうしても単価を上げて客を増やさなければならないが、単価UPは難しい。僕の買った店は、チラシは打ってないが、ケースと配送料が無料だった。それはたぶん500円くらい。花の料金が3,000円なので、17%が経費として発生。粗利20%として、4%の儲け。店員が3名いたので、光熱費も含め100万円の粗利は必要だ。そうすると、4,000鉢の母の日セットの販売が必要となる。それは無理というもの。そこで、原価の安い花を使うことになる。カーネーションの他にガーベラなど、他の花を組み合わせてボリュームを出そうと考えているのが理解できた。花屋さんも大変だ。ホームページは一応ここで休憩です。次は、インド〜スリランカを訪問して帰国、24日から開始するつもりです。
5月7日(金曜日)
5月にタイで待っていますと元気に出かけていったM氏が亡くなった。くも膜下出血だそうだ。海外赴任は単身だから、発見が遅れると確実に死につながる。人の命は何とも不安定なものだと思いましたね。妙に重たい一日だった。片や、世界の株価が揺れ動いている。これも重たい。ギリシャの債務に対し、支払いが不安視されているためだ。日経新聞は少し前、もう経済危機は去った、2次不安も限りなくなく少なくなったと報道した後、早くもその矛先を変えて、また危機をあおり立てている。定見のないマスコミと言おうか、識者不在のマスコミと言おうか、全くアテにならないのが日経新聞だと思いましたね。たぶん日本の他の新聞社もTVも同じ程度だと思います。他にも、イギリスの政権は野党の逆転を果たした。人々が自由で選択肢の広い今のシステムでは、もしかしたら定見と言うのが余り役に立たなくなっているのかも知れないのを感じます。だから、マスコミも目先のことを報道するだけで、考え方については明らかにしないのが賢明だと判断したのかも知れません。そして人類にとってもっとも重い課題は、この先、環境問題だろうと思いますが、たぶん自由気ままな各国の方針は統一されず、人類は滅亡への道を歩み続けるのではないかと思います。特に中国やインドは、欧米と比べると定見のなさでは一頭地抜けている。そして欧米はこの国の発展に荷担する。そして、僕も少しだが荷担する。
5月6日(木曜日)
1/3が英語のメールとなった。Web「エキサイト」の翻訳機の活躍だけでは間に合わなくなった。ウイン企画の渡辺社長から借りているシャープの電子辞書をフル活用して訳している。来週月曜日からインドに向かう、インドでの滞在は短く激しく移動するのでそのためのやりとりがあるためだ。連休期間中に少し長い英訳をしたのが少し役に立っている。普段はゆっくりと動く時計の針も今日の回転は速いようだ。充実した一日と、17,000歩の割には腹が空かない。連休中のカロリーが溜まっているのだろうか。うどんと冷や奴の簡単な夕食で済ませる。寒かった初夏もこのところ気温が上がり、部屋の温度は27度になった。やっと平年並みに戻った。そして、来週訪問するインドは灼熱の40度近いはずだ。
5月5日(水曜日)
朝7時半、友人のTさんの車に乗せてもらって、明石に向かう。早く出発したのは昨年交通停滞に捕まり、9時間も要したのだ。この失敗は繰り返したくないとお互いに思い早い出発となった。ところが混雑は何にもなくスイスイと来たのだ。それで、徳島県の上坂で休憩し、持ってきた小夏を食べた。今年の小夏は寒暖の差が激しくなかなか旨い。再び出発して、11時半に明石に到着。ここで、恒例のお寿司屋さんに寄っておいしいのを頂く。とりわけ、穴子とタコは名物だが、鯖や鯛、鰺など、どれもコリコリでおいしく頂けた。ここは、どんなお客さんを紹介しても恥ずかしくない味。田舎のKさんも今度は呼ぼうということになった。それで昼間からビールを2杯も飲んでしまった。帰りの電車で爆睡してしまった。食べ過ぎた分、京橋から徒歩で帰宅した。昨年末書いた文章を持ち帰って、このページの不完全部分を補った。
5月4日(火曜日)
この連休は毎日晴天続きだった。太陽が出てないとカメラ撮影はどうしようもないので、連休の初日と二日目は撮影に出かけたが、何のことはない、毎日が撮影最適日だった。だが、家の中にいてもそよ風とウグイスと新緑の薫りで十分休暇を堪能できる。トワイライト後編を読んだ。この本は吸い込まれるように没入できる。本を読みなが静かに音楽を演奏した。クーベリックのブラームス全集だ。彼のレコードはオルフェオと呼ばれるブランドで、少々高音質の誉れ高いブランドだ。もちろんLPレコードの話。2番以外はなかなか良い演奏が楽しめる。休暇の最後の日になってやっと充実の時間が訪れた。プールで1.6km。妻と健康診断を受けろ、受けないで相当やりあったが、だんだんと生き方が違うのが分かってきた。
5月3日(月曜日)
昨日から続いている訳文は今日の半日をつかってやっと終えた。午後から、読みかけの「トワイライト」ステファニー・メイヤー上を読む。内容は、高校3年生のベラは、ある雪の日にスリップしてつっこんできた車に危うくぶつかりそうになるが、完璧な容姿をもったエドワードに助けられる。その助けられ方が少々異常だったのだ。ベラは車に当てられる寸前に見た、エドワードは確かに5m位先の自分の車の側にいたのだ。ところが、車がベラにあたる寸前には、エドワードによって保護されていたのだ。その不思議を問いつめていくと、エドワードはバンパイヤであることを打ち明ける。そこから禁じられた恋が始まる。文章は、ベラの視点でもって構成されているが、それは、著差のステファニーの視点でもある。だが、僕のようなおじさんでも、不思議にすんなり同化してこの物語に没入できる。夕刻プール、ここはサウナ併設で、まずはサウナで汗を流し、その後、屋外に出て体を冷やす。この屋外はいきなり海を眺めるよいところ。その後で泳ぐことになる。1.6km。夜は、映画「インドシナ」、「カトリーヌドヌーブ」主演。彼女の49歳の頃の映画だ。とにかく、ものすごくキレイで、シーンの度に着ているものが違う。ブルーの洋服をここまで着こなすか!と思えるシーンがあった。ストーリーはそれほどでもないが、彼女の美貌に高得点をあげよう。しかし、この満足は、ハイビジョンでなければ分からないと思う。
5月2日(日曜日)
今日から少し勉強した。3Dに関する英文の資料を持ち帰ったので、英訳をしながら一日を過ごした。英文は些か難しい表現も言い回しもあるようだが、技術的な筋は理解しているので、辞書を引いても、意味を調べると言うよりか、僕の知っている日本語がこの辞書に掲載されているのかどうかの確認的な意味合いが強い調べ方で進めた。それでも約20ページを訳するのに一日を要した。目の前には蒼い太平洋が広がり、ウグイスが聞こえ、風は気持ちよく、申し分のない環境である。在宅勤務が出来るとすれば、このようなシチュエーションが基本だと思いますね。夜、007のオクトバシーを見た。インドのロケだが、インドなまりの英語はなく完璧なアメリカの英語だった。この映画からはインド臭は臭わなかった。
5月1日(土曜日)
友人が愛媛県の大須から帰宅したという。僕は彼の家にあるネット回線を借りてメールの受信をしたかったので、少し前に連絡をもらうように頼んでおいたのだ。伺うと、こちらの回線は電力会社の光回線で、ルーターに直接接続するのでは、どうやら通じないようだ。それで、この回線業者の提供するソフトをインストールして、パスワードとIDを入力してからの通信となった。メールは大した用件もなく、無事休暇を過ごせるようだ。その後、この友人を誘って芸西村まで帰り、この村の一番の名所である琴が浜で酒を飲むことにした。この浜は、国が全国の海岸を塗りつぶしたが、ここだけは免れたと言う希代の海岸線なのだ。太陽がサンサンと照りつけ、そよ風は心持ち冷たく、波は静かだ。酒に合わないはずがない。随分と飲んだつもりだが、500mlを一人二本ぐらい。デザートは小夏。ミカンの甘皮と一緒に頂く食べ方。これは旨い。最近はイタチがこの味を覚えて、多くの小夏が被害に遭っている。我が家の小夏は全てこのイタチに食べられてしまっている。酔っぱらって海岸で眠り気持ちよい目覚めと共に帰ることにした。僕は約30km西方にある彼の家まで自転車の後ろに乗せて送っていく事にした。約2時間を要して到着した。人間2人をこんなに少ないエネルギーで運べる交通機関は自転車の他にない。帰りは身軽となったので、1時間半で到着した。
4月30日(金曜日)
昨晩は8時頃から寝てしまった。朝まで一直線だった。ところが5時前から、窓の外でツバメが鳴く。これがうるさくて目が覚める。窓をたたいて追い払うが、しばらくすると又やってくる。これで2日目だそして、毎朝同じ時刻だ。今日は、高知の五台山にある、牧野植物園。些か昨日の疲れが残っているが、こんな晴天は何時までも続かないと思い、少し向かい風を感じながら向かう。ところが、途中でブレーキのワイヤーがスコーンと抜けてしまった。昨日タイヤを入れ替えたときに、このワイヤーをゆるめたのが今になって効いてきたのだ。ブレーキの利かない乗り物ほど危ないものはない。ダイソーのあるところまで安全運転し、ここで6角レンチを買ってブレーキの復活を果たした。牧野植物園は大きなガラスハウスに立て替えて入場料金が700円になった。700円の入場料金を徴収する公立の植物園を他に知らない。しかも、ガラスハウスの中には、植物が少なくなり、撮影する植物が見あたらない。2年ほど前にこの下方にある池の周りを改修して、珍しいトンボがいなくなり、今又、ガラスハウスを改修して魅力を落とした。名物の鬼蓮も無くなった。料金を上げて魅力を下げたのではリピーターがいなくなるのでは無いかと思うのだ。今日のもう一つのイベントは一緒に大阪で仕事していたが、若い頃、会社を辞めて、浜幸と言う高知の老舗につとめ、今スイーツと言う会社を立ち上げた春田君の工場を訪問したことだ。その工場で作るお菓子の多くは東京に向かい、凄い人気があるそうだ。先日もシュークリームをテレビショッピングして2万個販売したとか。とにかく出てくる話が、千以上の単位である。仕事が多くてお断りをしているとのこと。何時どうなるのか分からないと言うが、大きな謙遜だ。今時忙しくてお断りをするとか、そんな景気の良い話はない。工場はひまわり牛乳の倉庫の中にあり、新鮮な牛乳が手にはいるそうだ。それに、この牛乳の倉庫は相当大きくトラックのプラットホームが広い。小さなお菓子屋さんでこんな大きなプラットホームのあるところはないと言ってたがまさにその通り。それに空港は10分でアクセスできる便利な立地でもある。この会社は伸びる。高知を代表する会社になるかもしれない。
4月29日(木曜日)
快晴。いきなり初日から自転車もないだろうが、こんな天候を見逃すのは罰が当たりそう。と言うことで、ここから35km東にある「モネの里」に向かうことにした。道中の道はよいので、小さめのタイヤに交換して、空気圧を7kgにまで上げて出かけた。自転車は軽く気持ちがよい。途中から自分のペースがつかめて比較的早い巡航速度となった。今日の向かい風は全く気にならなかった。安田の道の駅で休憩。少し早いが昼飯とした。前から気になったいた「ひめいち」のお寿司を食べた。多分10cmに満たない、鯛の一種である赤い体をした魚を開いて、お寿司にしてある。見るからに美味しそう。550円。モネの里にあるレストランで食事をすると2,000円は越えてしまいそうなので、庶民の店で腹を満たすことに。「モネの里」はいつもだと、花で満開となるはずだが、今年は咲いている花が少ない。まだ訪れる季節が早すぎたのだ。今年は寒くて開花が遅れているのだ。それで撮影も少なく早めに終わった。だが、自転車を止めてある場所に戻るとパンクだ。ここから国道まで3km。自転車を押して行きました。そして人に尋ねると、「ここには自転車やさんはないぞね。あそこの消防団の人に聞いたらどうじゃろう?」と言う。そして訪ねる、みんな知らないと言う。そこで団長さんが隣の町にある自転車屋さんに電話をかけて車で、迎えに来るように手配してくれた。ありがたいことだ。待つこと10分。もう80歳を越えた僕の父のようなお爺さんが来てくれた。その店は、木造の自転車屋さんと呼ぶには難しい店。国道から随分と入ったところにあった。その奥さんは腰の曲がったお婆さん。とことが、この人がてきぱきと補助をして、瞬く間にパンクのところを見つけて穴を塞いでしまった。そいて、このおばさんは、こんな歳になっても、色気がある。ご主人のお爺さんは、この人に結構甘えていた。いい感じのご夫婦だった。パンクの原因は、タイヤの横に小さな穴が開いていたが、ここからチューブがはみ出して破れたようだ。少し多めのお金を払って帰り道を聞くと、この道を南下した方がよい。この道は昔の国道だから、西の方で国道と合流すると教えてくれた。ありがとう。話の通り国道に出た。しばらく行くと、鯖の子を干してある店があったので、袋に一杯買った。300円。これと大根下ろしで今晩のご飯は食べられる。
4月28日(水曜日)
友人と明石の駅で午後7時に待ち合わせて高知に帰る。それで、京橋から大阪駅経由でJRに乗るのだが、新快速はホームが違う。知る人ぞ知るホームである。僕は重い荷物を抱えて階段を上り、そこにある表示で、別のホームだと知り、再び重い荷物を抱えて階段を下りた。そして、目当てのホームに立つが、そこには神戸方面行きの電車案内はない。隣に、神戸行きの快速電車が止まっているが、お客があまり乗ってない。そちらも発車時刻の表示はない。とにかく、知る人ぞしる電車であるのだ。JR西日本は脱線事故で随分と痛手を受けたが、それは幹部だけの問題で、根本的な問題、つまり「客のために」は全く手つかずだ。10分遅れで明石駅に到着。遅れた理由は京橋駅の駅員がもたもたしていた為だ。それは僕の前の人に切符を発券するのに20分要したためだ、それで、隣の女性が手伝おうかと言うのを拒否して懸命に発券しようとしていた。その後、時間が来たのか、この女性に代わり、彼女はてきぱきと客をこなした。そしてこの男性駅員は横目で見ていた。その顔を見ると、成る程、この人はのろまであると言うのが分かった。やっぱり顔に出ますね。男の顔は格好良くなくても構わないから、知的であった方がよいと思いましたね。▲明石海峡は綺麗な照明が灯され、走っていても綺麗なのが分かる。本島の対岸にある、淡路島側のレストランでネギラーメンを食べた。淡路島の特産であるタマネギが刻んであった。まずまずの味だ。道中色んな話をしながら行く。友人のTさんは話がうまい。彼の話を聞くと、自分が話が如何につまらないのかよぉ〜く分かった。午後11時、無事安芸郡芸西村に到着。家は近所だから、家の門まで送ってもらう。
4月27日(火曜日)
かねてより約束をしていた女性達との食事だ。日頃聴けない話を聞けるのは面白い。男性メンバーとの食事はこうした情報はない。女性はコミュニケーションの王者だから、いろんな事をしっている。会場となった店は、別の男の友人であるNさんに、京橋界隈の女性の好む店を紹介頂いた。Nさんはこの事に関しては天才肌である。いわゆる鼻が利くというのか、ピッタリの店を紹介してくれた。それで、今日は「創作ごち」と言う名前の店を訪問した。非常に狭い階段を4階まで上がる。火事になったらどうしようと思わせる店。メニュー選びは女性陣の楽しみの一つだから任せた。僕は何一つ、出てくる料理の材料を当てることが出来なかった。今日のメインイベントは若い方の女性に、彼氏を紹介することだ。こういう問題にはご年輩の女性が旨いですね。もう一人の女性に助けられて、やんわりと旨く運んでくださった。次回このメンバーで食事に行くときは、もう一人若い男が加わることになる。
4月26日(月曜日)
月曜日はメールの整理に半日かかる。午後からやっと仕事にありつける。ところが、今日は会社の創業記念式典。どうやらスーツ着用らしい。しかし僕はカジュアルな服装だった。だが今日に限って、体がだるく、午後7時まで寝てしまい、自転車通勤をしたのだ。自転車だと、自宅から約15分の距離。それで、今日の昼休みにひとっ走りして、スーツとネクタイを取りに帰ったのだ。会社の近くに住んでいると、何かと便利です。それで今日の万歩計は殆どカウントがない。だが、帰ると洗濯をして、高知に持ち帰る荷物を準備して何かと忙しい一日を過ごした。▲3Dのテレビが発売されて、その反響のレポートが届いた。多かった質問に裸眼の3Dは何時になるのか?と言うのがあった。これには当分無いとと言うのが、回答だ。それは、視線を変えても3Dに見せるには、それだけの画素が必要である。普通の人が裸眼で満足するためには、最低でも8視差から、16視差位が必要である。横だけの解像度を確保するだけでも、1920画素×8倍の画素を持ったテレビが必要である。NHKが開発しているスーパーハイビジョンでもそこまでの画素はない。これがテレビにまつわる問題だが、撮影するカメラも、同じようにマルチカメラが必要となる。2つのカメラだけでも大変なのに、その8倍となると、ちょっと難しい。これが裸眼の3Dの実体なのだ。ただ携帯電話など、画面が小さくてしかも解像度にうるさくない場合は、実用化されている。と言うことで、3Dはめがね着用が基本となる。多分3Dはこれから普及すると思うが、核家族が世界中で進んでいる中、めがねを着用すると、ますます家族の会話が無くなる。テクノロジーはそのような負の文化に対する哲学を持ち合わせてない。丁度車社会が、便利になった反面、交通事故と言う負の文化になんにも対応がなされなかったように。
4月25日(日曜日)
これだけ旨く事が運ぶとは思わなかった。先日キヤノンのEOSX4を借りて動画を撮影した。このカメラの動画はPPEG4/H.264と言う圧縮方法で、BDレコーダーなどで簡単に動画が取り込める規格とは違う規格なのだ。もう一つ借りたニコンのD5000の動画はモーションJPEGと言う、これまた、BDレコーダーで扱える規格ではない。しかし、TVで見るためには、この2つの規格を、BDレコーダーが扱える規格に変換しなくてはならない。そこでコーレルのビデオスタジオX3のお試し版でまずは挑戦することにした。このソフトはダウンロードする前に、マイクロソフトの「ダイレクトX」、「Windows Media Player」と、「Real Player」が必要だと書いてある。まずはこれのダウンロードから始める。それに1時間半ほどを要した。そして、いよいよビデオソフトをダウンロードした。これでほぼ午前中がつぶれてしまった。しかし、まだ半日あるぞ。まずはキヤノンの編集から。撮影したSDカードから、Movファイルをドラッグして一部をカットすると、「あなたのPCではビデオカードが対応してません」と表示が出た。今のビデオ編集ソフトは、動画の部分は、CPUでなく、GPUに働かせる仕組みなっているからだ。このPCはまだそんな時代がやってくる前の仕様なので、当然ビデオカードは、ディスプレイの表示専用なのだ。しかしフェードとか音声とか凝ったことをしなければ大丈夫だろうと、かまわず先に進んだ。すると、受け入れてくれて、AVCHDへの変換が始まり、DVDに焼く作業に進んだ。ものすごく時間がかかりそうで、その間にシャツのアイロン掛けとかの家事を済ました。1Q84でも主人公の天吾くんは、時間をかけてアイロン掛けをすると書いてあったのを想い出した。アイロンがけは丁寧すればするだけ、シャツがぴりっとする。待つこと1時間5分。キヤノンの一眼レフ動画は無事AVCHDに変換できた。このディスクをDIGAに取り込んでチャプターを打つと完成だ。ニコンのカメラは、1280×720だったが、これもほぼ同じ時間をかけてAVCHDに変換できた。30分位の動画だと10時間くらいの時間が必要になる。これは最新のPCではないので何とも言えないが、フェードアウトとか音声も一緒に扱うようになれば、最新のPCでも相当時間を要するだろうと思う。動画をPCで扱うのは時間がかかると言うことだ。しかし、無事作業が終わって嬉しかった。近頃滅多にないうれしさだった。プール3km。
4月24日(土曜日)
朝早くからドアをたたかれた。この部屋はドアチャイムの音が大きいので、切ったのだ。用のある人はドアをたたく。それは、ドアのペンキ塗り替えのお知らせだった。ドアの表と裏、トイレの中を通るパイプの塗装。これらを各部屋ごと行っている。若い兄ちゃんはまじめに仕事をしていた。時間にして30分。ところが、問題はこの後に起こった。「1時間ほどドアを開けておいてください」と言う。いいですよ。それで玄関のドアと、南側の窓を開けて風を通した。寒い日だったので厚着をして1Q84の続きを読んだ。だが途中で頭が痛くなった。ペンキに使ったシンナーの臭いにやられた。それで、入り口に近い台所の換気扇を回したら、こちらに流れる風を吸い込んでくれるのか、幾分楽になった。塗装工はズボンから服までペンキにまみれている。若い女性から見れば、視野の外に置かれる存在だと思う。今までは彼等の自尊心は毀損されていると思いこんでいた。が、今回の一件で尊敬をした。普通の人ではこの仕事は勤まらないのだ。キレイに塗るテクニックを身につけるほかに、シンナーのダメージを受けない方法を会得しないと勤まらないのだ。彼等は固まって行動しているが案外自尊心の強い人達ではないかと思った。夕刻プール。いつものコースに、高校生くらいの兄ちゃんが泳いでいて、僕よりか少し早い速度で泳いでいた。僕が2.5kmを泳いでもまだ彼は泳いでいた。
4月23日(金曜日)
髪がうるさくなり、京橋にあるカット1,000円店に向かった。ところがいつも通り抜けるJRのガード下がにぎやかだ。やじ馬も多い。近づくと、2.4mの高さ制限のところに、トラックの屋根がひっかって立ち往生している。テレビカメラもたくさん来ていた。JRは止まり夕刻のラッシュに影響が出ている、この運転手は相当高い勉強代を払ったはずだ。さてこの散髪屋さん、なかなか人気があるのは、結構丁寧にカットしてくれるのだ。しかも、客との会話も多い。そこで、今日はこんなことを言われた。整髪料にもいろいろあり、お客さまのような髪がさらさらするのもあるんですよね。僕は、相槌を打ったが、髪がさらさらする男性整髪料はない。この髪のさらさらはツバキ、コンディショナー440ml10%増量、499円で同名のシャンプーの後、髪のマッサージに2分かけたたまものなのだ。おじさんがそんなことをしていると言うのは、恥ずかしいので、とても話せなかったのだ。晩飯は蒲生食堂で大ご飯とおかず2品で451円。今日の昼ご飯も480円。いろんなものが500円以下で収まる。ワンコイン消費の時代となったかもしれない。
4月22日(木曜日)
大きな雨音で目が醒めた。4月だというのに冷たい雨が降っている。シンガポールも天候が優れない言う。シンガポールのJさんは毎日大量のメールを交換している。最近メール文章は変換機を通さず自作だが、とうとうたまりかねて、今日は僕のメール文章のまずさに、彼から添削が来た。例えばwillのあとの動詞は現在形を使うんですよ。とかだ。同じ間違いをしては、彼も教えがいがないだろうから、しっかりと身につけるように、ノートに控えている。だが今週は自宅で英語の勉強が手つかずだ。それは、1Q84の第3巻目を読んでいるからだ。この小説は、今までの村上春樹とは違い、サスペンスなところがあり、ゴルゴ13のような、ハードボイルドタッチの会話もあるなかなか目が離せない内容なのだ。自宅では生活の省ける所は全て省略してこの本に充てている。
4月21日(水曜日)
今日はカメラを借りて撮影を行った。ニコンD5000とキャノンX4だ。ニコンのカメラはわかりにくいと前に書いたことがあるが、今回も連写設定を止めるのがわからなくて往生した。もちろん説明書を見れば良いのだろうが、そんな暇ないし。初心者用の一眼レフなら、何とかなるだろうと思ったが、とんでもないことだった。このエントリークラスの一眼レフはレンズにお金をかけられないため、いろんなところでレンズによる映像の破たんが見えた。動画には天王寺動物園が良いだろうと伺った。地下鉄に動物園前と言う駅があるのにかかわらず、駅からの案内はない。しかもここの運営はまったくエンターテイメントの工夫がない。働いている人も面白くないはずだ。そのうえ、動物が動かないのには参った。まぁ彼等も、本来の生きる場所とは違う広さで生活をしているから、動きたくない気持ちはわかるのだが。一カ所だけ誇れるところは、鳥の楽園だ。大きな網のドームがあり、ここにサギや鶴の仲間が放たれている。広大なだけに、鳥も楽しそうだった。だが、もう二度と行きたくないところだと思った。もちろん、お客さんの入りも悪い。税金で運営されている。次に向かったのが、道頓堀にある水掛不動尊。多くの通行人がお参りをしている。一眼レフとは言え入門機だから、オートモードがある。ところがこのオートモードはずいぶんと使い勝手が悪く、ストロボオフができないのだ。実際に使ってみると、いろんな割り切りがあり、使い勝手が余り良くない。変な細工をするよりは、手動の方が、よほど使いやすいのだと思うのだが。オートモードはコンパクトデジカメが使いやすいと思った。着ぐるみの女性がいたので撮影させてもらった。明るい人だった。
4月20日(火曜日)
かねてより約束していた上司との差しの呑み会。言いにくい話だろうなと思っていたが、単身を続けるのに家庭は問題ないのか?との話だった。夫婦関係はあまり良くないが、まずは問題ないレベルであると答えた。それから呑み始めた。店は「鳥せい」さん。日本酒の店だから、スタートから日本酒だ。生原酒が旨かった。上司もとりあえず問題がないとわかって一段落したことだろうと思う。その後隣の店に来ていた他のメンバーを誘い出し、合流して盛り上がりの呑み会となった。しかし今日の日本酒はあまり酔わなかった。やっぱりお酒を飲むには、美しい女性達と一緒に、自分の知らない世界を話題に飲みたいものです。帰りついて近くのツタヤでレンタルの下見をすると、ずいぶんと最近の映画から遠ざかっているのを感じた。
4月19日(月曜日)
突然ではあるが中村彰夫さんからメールが届いた。彼は7年ほど前、僕たちの職場に応援と言う形で大阪から東京に来てくれた人達の一人だ。毎年年末に呑み会を開催しているがまだ彼とは一緒になったことがない。その彼が、中国語検定に合格したとのメールだった。もちろん英語は十分な方で、海外に出かける仕事をしている。もう、ご定年間近な人だ。僕もそうだが年とっての語学はなかなか頭に残らない。それを克服したのは偉い。返信は日本語の漢字を並べた。貴偉大努力私感心。果たして通じたのかどうか。
4月18日(日曜日)
足が寒くて目が覚めた。それでも午前9時。よく寝ました。昨日は疲れていたのだ。日経新聞を見ながら食事をするともうお昼。1Q84を一時間ほど読んで、洗濯物にアイロン掛けをした。アイロンをかけながら、やしきたかじんの、「そこまで言って委員会」を見た。結構エキサイトする議題を取り上げて、著名人がコメントをしている。その一つに、中国の餃子事件があった。番組によると、何を今更、と言うのではないようだ。犯人のめどはついていたが証拠がないので検挙できなかったらしい。それをいいことに本人は酒を飲んであちこちで言いふらしたらしい。それが結局公安にも届き逮捕となったと言うのが真相だ。共産国家は何でもありだが、対外が絡むと、結構慎重に動くようだ。その後プール。今日は調子が良かったので、3km。1時間15分。体重1kg減。ズボンをはくとウエストがずいぶんと楽なった。夕食は鯛のお頭を使って、味噌と酢で味付けをして野菜を煮込んだ。これはフィリピンで習った料理。いい加減な味付けをしたが、結構行ける。問題は酢を使うので緑の野菜が変色し、見た目を損なうのだ。このため、フィリピンでは、変色しない、にんじんや、タマネギを使っていたのを思いだした。寝る前に、1Q84を読む。今週はこれを読み終えるまでは、落ち着かなさそうだ。
4月17日(土曜日)
朝起きるともう娘はご飯を食べている。朝からご飯を食べないと力が出ないと言う、まるで農家のおじさん。今日も出かけるようだ。そこへ妻が外を見てと言う。窓の外には、何と一面の銀世界が広がる。夜の間に相当降ったようだ。そういえば、夢の中で吹雪いていたのを感じた。みぞれまじりの雨の中早速撮影に出かけた。その後すぐ支度して出発した。新木場にある、夢の島熱帯植物園へ。ここは、ほんとに暑い。隣のごみ焼却が熱源。汗をかきながら巡る。ここの植物園は見るものがほとんどない。だが、ジャングルの中でゆっくりできるのが良い。都会の真ん中にぽっかりと真空地帯がある、それがここだ。最後の仕上げは、併設のレストランでビールを飲む。昨晩もおいしくお酒を飲んだが、またおいしく飲める。いい時間となったので新木場の駅前で千吉カレー専門うどん店で、定番を680円。このうどんの評価は中の下。一緒にご飯が出てくるが、その米も今一。うどんはやはり関西だ。新幹線の中では、1Q84 No.3を読みながら移動した。最初の10ページは前巻の記憶が戻るのに費やした。自慢ではないが、最近はすっかり前の記憶を消し去ることができるのだ。戻すには、ある程度の情報が必要だ。今回は10ページで済んだが、50ページとか、その本のほぼ半分とか必要になっている。本の2度読みができて、経済的になった。帰り着いてプール。今日は移動の疲れもあり2km。食事の後、再び1Q84。
4月16日(金曜日)
私の範疇外であることについて。
フィリピンからのメール。いつもの女性Joiceさんからのメールに、Thank you POとある。今日は妙にPOの意味についてひっかかり、いろいろと尋ねてゆくと、これはタガログ語で、目上の人に対する愛称だと言う。初心者に難しい言葉を使うなよ。今度はベトナムからの話。日本人からのメールだが、ベトナム人と情報共有のため英文で来る。その中にHCMとある。一体なんだ?これも、別の現地に詳しい人に聞くと、ホーチミンだと言う。旧サイゴン。オジサンには普通の英語で送って欲しいな。午後3時、東京に向かって移動する。大阪ではMさんの送別会だが、今回は娘の様子見に重きを置き、帰宅した。今夕は、友人と懇親。一緒に若い人が居た。昔は若い人と話すのはものすごく苦手だったが、最近若い人と話すのは楽しい。若い人からはエネルギーをもらえる。裏返せばこちらが枯渇していることだが。とりわけ、素直な若者は教えられることが多い。だが、おじさんは飲むと結局は説教になる。嫌だ嫌だと思いながらも、こんな会話しかできない。自分の幅の狭さにがっくりだ。友人は包容力があるので、どんなパターンでもいつでも楽しいお酒が飲める。今日の不覚は村上春樹の1984(新刊)を知らなかったこと。道中通過した本屋さんで、僕はなんで旧作を売るのだろうか?といぶかしがった。だが今回は第3巻であるとのこと。帰り際、船橋のいつもの本屋さんへ。この店は本好きな店員がいる。さっそく話題の村上春樹を買った。ほかにトワイライト。これは探してもらうと、一直線で並べてあるところの棚へ。あと、スリー・カップス・オブ・ティ。帰るとみんな起きていた。娘の髪形が変わり一段と女になっていた。女の子がいるだけでこれだけ家が明るくなるのか。一方息子は汚らしい。だが、会話が弾むのは息子の方だ、話を聞かないわけには行かない。早速成績表を持ってきて解説してくれた。エクセルで作成したようで、クラスの成績順位が期間、年間とあるが、期間を単純に平均化したのが年間だった。あまりにも幼稚な計算式。重みづけはないようだ。僕が校長なら先生に加重平均について教育するのだが。風呂に入った後、みんなを集めて、これからのことを話し合った。お父さんの収入の変化についてだ。自分たちの学業に関係するので真剣だった。妻はとにかく退職金を当てにしている。自分の人生は短いと思っているので老後の生活は眼中にない。妻の両親は60歳を少し超えたあたりで亡くなっているからだ。
4月15日(木曜日)
何という寒さだ。京橋の温度計は8度。マレーシアから来客があった。彼等は震えていた。顔見知りの人と握手したら、すごいグリップ。握手のグリップは心得ているつもりだが、この間フィリピンでいつもお世話になっている女性の手を握ったらあまりにも柔らかくて壊れそうだったので、ちょっとためらったのだ。みんなが強く握るのだったが僕はためらわないのだが。週末は留守なので、洗濯や風呂の掃除などやることがいっぱいあって、飯を食ったら10時半を過ぎていた。風呂に入って体を冷やせばもう11時過ぎ。毎日10時半に寝ていた生活からは激変だ。そうすると、眠いのに眠られなくなる。ここ一年は眠りと言うのは非常に微妙なものとなっている。気むずかしい胃腸の弱いやせたノッポの上司のように、取り入るのが難しくなっている。
4月14日(水曜日)
今日はインテックス大阪で開催されている展示会を見に行った。懐かしいメンバーに逢った。日本語が通じるメンバーだ。何といっても言葉が通じることほど嬉しいことはない。話せば長くなるので、短い会話で切り上げて見て回った。その後、梅田ヨドバシカメラに出かけて一眼レフカメラの動画撮影をチェックした。ニコンD5000は、動画スタートボタンがなく30分くらい探したが無いのだ。それで、ボタンを一つずつ全部押していったら、メニュー操作ボタンのOKボタンが録画のスタートボタンだった。ニコンはレンズに定評があり、ボディーのメカは魅力だが、どうしてもキャノンを超えられない壁があるとすれば、やはり、その世界の人しかわからないと言う物づくりからの脱却ができない社風にあると思う。その後PCソフト売り場で、動画編集ソフトを探した。あらかじめめどを付けて、店員に聞く。まずはおためし版をインストールしてから試して、それから商品を買えば良いと言う親切な案内。このような応対はヨドバシカメラならではだ。コーレル、サイバーリンクやカノープスの紹介を受けた。デジカメの録画機能は、AVCHDの規格以外、DVDやBDに保存するのにものすごく高い壁を乗り越えなくてはならないと言うこと。カメラの評論家はPCに弱いので、その辺りのことについてはなかなか書いてくれない。ムービーの評論家は、PCに詳しいので、この両方にまたがる評論家に市場があると思う。ちなみにPCの評論家はゲームには詳しいが、映像には弱い。結局、一眼レフで撮影する動画は、SDカードで保存するのが一番のようだ。4Gが1,000円程度で買えるので、まぁそれでも良いのだが。遅くなったので関目の王将で関目定食を食った。全部食いきれない。体重は落ちないが食が細っている。
4月13日(火曜日)
シンガポールの仲間は、一度逢った途端にメール文章が英語になった。僕も勉強のために英文でやりとりしているが、ものすごく時間がかかる。特に今日はそのやりとりが激しく、気がつけば今日はほとんど事務が進んでないことに気がついた。いつになったら翻訳機の力を借りないで彼等と交流ができるのだろう?まぁ、翻訳だけで食っていける職業があるくらいだから、ハードルは高いのですが。今日は、ほかに上司から呑みに行くお誘いがあった。普段なら他の人を通じてだが、今回はダイレクトだ。すこし言いにくいことの会話かな?と身構えている。ここに来てから、僕はまだ目覚ましい仕事をしてない後ろめたさがあるのだ。自分で人生は切り開けると転職の舵を切ったが、苦難続きでなかなか旨く行かない。会社をリストラされて新しい人生を歩む人の苦労がよく分かる。僕は全く新しいノートとペンをもってここに臨んだが、僕のノートは国内色に染まっていて、僕の書く文字は薄くて、コントラストが弱く読めないようだ。だが、ここで匙を投げると、生活は一気に堕落する恐怖があり、何とか踏みとどまっている。僕にとってろ精神的な支えは、時々読む書籍だ。書籍の前では、僕のような人間でも素直になれるのだ。そして言葉が染みる。
4月12日(月曜日)
どうやら、娘も大学一年生を無事務めているようだが、問題は自分の洋服を決められないらしい。それで、一週間分休みの日に決めて、それを着てゆくと言うずいぶんと女の子らしくない生活を始めたそうだ。この不器用さは僕に似ているようだ。彼女にはずいぶんと包容力のある男が必要そうだ。それで、少し様子を見にこの週末に帰ることにした。毎朝通勤で出会う女学生たちよりも我が娘は先輩の年齢になった。(住んでところは聖心女学院がすぐ隣にあり、毎日の通勤の時に出会う)だが、どう見ても我が娘が幼く見えるのはなぜだろう。女性の微笑みは神秘だが、我が娘の微笑みは純真な笑いから来ている。
4月11日(日曜日)
どんよりとした天気、起き抜けに近くを散歩すると、何と雨が降り出した。今日は何もしないで過ごす日。映画を見たり、新聞を読んだりで一日を過ごした。タイの暴動はとうとう死者が出るまでに発展した。暴動の経済的なダメージは国の経済に計り知れないダメージがあるのだが、当事者はそれが分からない。日本も内向きになって、小さなサークルの中で駆け引きをしている。外から見れば滑稽なくらいだが、当事者は分からない。日本もタイも当面ダメだと思う。日本は教育まで疎かにしたから、内紛よりかダメージが大きいかも知れない。娘と話した。アルバイトを始めるらしい。新しい学業と、新しい仕事を同時にやるらしい。それでは苦痛が大きかろうと心配したが、乗り越えなければならないものは早く取りかかるのに限ると、きっぱりした物言い。たいしたもんだと感心した。夕刻プール。2.5kmを58分位で泳ぐ。今日はいささか息切れしながら泳いだ。だが、その後の体の軽さは何とも言い難いのである。
4月10日(土曜日)
昼から近くの「咲くやこの花館」に出かけた。余りにも天気が良かったので、いい写真が撮影できるのではないかと思ったからだ。今日は団体客が多くてゆっくり撮影できなかったのが残念だ。ここの撮影にも慣れてきたので、撮影ポイントがだんだんと決まってきた。それで余裕ができたのでRAWで撮影して、自分の好きな色に修正している。ところが、作業を重ねるウチに、だんだんと色の修正が濃くなっていくのです。いつの間にかメリハリがはっきりとした絵に好みが変わっていくのが分かります。後の方になってそれがわかり、少し戻したが、知らないうちに自分の目が変わっているのです。それでふと思ったのは、女の化粧の事です。女の化粧はだんだんと濃くなっていくのが特徴です。これは、その人の心のあり方が変わっていくためにそのような変化があるのだと思ってたのですが、実はそんなこととは関係なく、ただ同じ作業をしていると、人間の目は、もう少し目立たせたい欲望に、濃い色を選ぶようだと気がついた。飲み屋の姉さんが、昼間見てられないような化粧をしているのは、自己エスカレートの為なんだと分かった次第。夕刻プール、2.5km。余りにも調子が良かったので血圧を測ると70−104。30歳の頃とおなじ値が出た。ここに写真集を添付
4月9日(金曜日)
今日は、昔の一緒に仕事をして、今では友人となったKさんと食事をした。最近はやりきれないことが多いので、そんな話もした。Kさんは結構外国に旅行をしているので、いろんな事情に明るいのだ。とりわけ日本は本当によい国だと言うこと。だが、今の政治を続けていると外国からそっぽを向かれることを確認し合った。それで、どうと言うことはないのですが。とりあえず酒のアテとしてですが。そしてタイ。タクシンさんが後ろでお金を出す限りは、この暴動も収まらないでしょう。なにせ1,300億円も活動費があるのですから。懇親は楽しいひとときだった。時計を見るとまだ8時半。歩いて帰るつもりだだったが、紀伊国屋に寄って本を買おう。日経新聞で読んだ、山本なにがしさんの本はないですか?実習生のバッチを付けた店員に尋ねた、つまり今年入った社員さんですが、親切に検索してくれて、見事見つかった。山本兼一氏、「命もいらず名もいらず」これは山岡鉄舟の生涯を描いた名作とのこと。一寸した破片の情報でもこのように捜し物が見つかると言う便利な世の中になった。
4月8日(木曜日)
久しぶりにきっぱりとした天候になった。通勤途中で写す花がたくさんあって目移りする。会社に遅れない程度に撮影をしながら向かった。数えてみると4月でこのように晴れたのは3日と8日と二日だけ。これは中国での油の消費が影響していると思う。新聞では中国の油の取引がアメリカを抜いて一番になったとある。中国の油の取引は、その国の油田を買う所までエスカレートしてきている。中国の経済が本格化すると地球が持たなくなる。中国人には節度というものがないので、一気に上り詰めてしまうのだ。これがこの国の問題だけで終わればよいのだが、地球全体に影響を及ぼすので厄介だ。今年は異常天候が続いている。今年の台風は尋常でないものがやってくるかも知れない。経済が落ちて、元気のない日本にいると、環境問題は身に迫るものがないが、海の向こうでは大変なことが起きているのだ。
4月7日(水曜日)
水曜日、会社は定時退社の日と決めていたが、最近は緩くなったようだ。しかし、私はこれを契機に水曜日は定時退社して家電量販店のウィッチングに当てようと決めた。それで、今日はなんばパークスにあるLAVIへ。2階のテレビ売り場の変容ぶりは驚いた。広大なフロアに客がいないのだ。テレビエコポイントの終了とともに、客足が遠のいたのだ。噂には聞いていたがこれほどまでとは知らなかった。実はエコポイントは今年の12月まで継続され、しかもTVの価格は時間が経過すればするだけ低下する傾向にある。なにも3月31日までに買わなくても良かったのだが、群集心理というものは理屈では計り知れないものがある。それを旨く商売に転換する技術が、日本の商売のあり方ではないかと思うのであります。もう一店キタムラカメラを覗いた。中古のレンズは余り安いものはなく残念だった。デジカメのことを店員に聞くと、キヤノンのデジカメは紫が撮影できないと堂々と言う。リコーのGRVが一番だと。値段もこなれてきているので買い時だと。凄くカメラの好きな店員だった。
4月6日(火曜日)
すっかり電子読み物に慣れてきた。まず、朝起きての日経新聞。寝ぼけ眼で近くのコンビニまで買いに行かなくても良くなった。そして、職場で、知識の参考となる書籍の一部斜め読み。これは、あらかじめスキャナーで雑誌丸ごと読み込んで、必要な部分だけを会社のPCで読む。そして、夜寝る前に、少しだけ小説を読む。これもスキャナーで取り込んであるのをPCで読む。なぜ、これほどPCで読むのに傾いたかと言えば、文字が大きく拡大できるからである。大体2倍位の大きさまで拡大している。すると文字を追いかけるのが凄く楽になった。最近は小さな文字を読むのがものすごく苦手となっていただけに、本当に救われた。iPadがもうすでに45万台も売れたそうである。それを買った気持ちはわかるな。アマゾンのキンドルは小さいと思うのだ。その点iPadは文字を読むのに適度な大きさがあると思う。国内販売が待ち遠しい。
4月5日(月曜日)
どうでも良いことだが。合理的だとは思うが、納得できないこともある。その話がこれだ。男子用の水洗トイレでは、便器の上から洗浄水が流れてくる。日本のトイレではおしっこをした後、自動的に洗浄水が流れるが、今日はこの便器の上から流れてくる水で手を洗っている人を見かけた。何とも納得できないことだった。水は飲み水にも転用できる程のものだが。もちろんこれは外国人のようだったが。関係ないが外国に行くとおしなべてトイレが汚い。人々の視点はまだトイレまで及んでないと言うことなのだろう。アジア圏は経済が破竹のように発達している。中国は日本のGNPを抜いたとさえ言われる。しかし、下世話なことだが、こうした下々の世界まで、経済が行き渡るのは、単にGNPだけではないかもしれない。世代が代わり、優先順位が代わり、価値観が変わらないと、物事は変わらないと思った次第である。
4月4日(日曜日)
体がだるい程度で、昨日の自転車行の痛みはない。だが一人住まいは健康第一と考えて今日のプールは中止。布団を干して、インドの列車の旅を一本見た。インドを訪れると五感の中の第一に飛び込んでくるのは匂いだ。そして音の洪水。その匂いだが、最初は慣れるまでにしばらくかかる。でもインドから離れていると懐かしく感じる。このテレビで放映されるインドの旅はまさしく、その匂いまでも送り届けてくれるような錯覚をもって番組を見た。列車の旅には食べ物がつきものだが、その食べ物の匂いも想像できる。こんな国は他にないと思う。アメリカでiPadが発売された。日本も4月の終わりには発売される予定だそうだ。ディスプレイで本を読むのは紙に書かれた活字を追いかけるよりも非常に楽。年を取って目が弱くなってくると、大きな文字が見やすい。今日の午後はスタインベックの「怒りの葡萄」続きを読んだが、紙ではなく、実際の書籍の2.5倍に拡大したディスプレイで読んだ。ページめくりもクリックでできる。最近は指が乾いてきたので、ページが旨くめくれない。iPadは若者にはともかくとして、おじさんにとっては大変すばらしい商品になるのではないかと思う。
4月3日(土曜日)
阪急大山崎が集合場所。自宅からは1時間半の距離だが、余裕をもって出かけた。淀川の堤防沿いは視界が開け非常に気持ちがよい、寒い川風も厚着のため心地よい。ところが、少し走るとバイクの通行止めの柵があり、自転車を降りてこの柵を越えなければならないのだ。うんざりする。バイクが通行してはいけないのであれば、それを取り締まれば良いと思うのだが、役人はそう考えないらしい。昔は多く見られた淀川の自転車乗りも、今日はほとんど見かけなかった。魅力が無くなったのだ。この道は京都まで続く良い自転車道になり、経済の活性化に一役買うはずなのだが。また、その反面、ごく一部だが河川敷の中に自転車専用道を施設している。しかし、ここも堤と同じように柵の為、何度も降りて通らなければならない。何のための自転車道だった?もちろん土建屋さんのためのものだ。寝屋川の河川敷ではチューリップが咲いていた。今年はチュ―リップの撮影はできないと思っていた矢先の花なので、嬉しかった。しばらく撮影したら、挨拶をしてくる人がいる。定年後の暇な人なのかと思っていたら、僕の名前を呼ぶではないか。早速めがねをかけてよく見ると、昔、隣の職場で働いていたNさんだった。早速定年後の事、仕事の見つけ方などを伺うと、いろいろと仕事もあるようだ。年収300万円くらいまでの仕事もあると聞いた。勇気100倍でさよならをした。大山崎で合流後、向かい風の中桂川を上っていった。彼等の自転車はタイヤが小さく、僕の自転車と比べると有利。それのため平均速度が幾分速い。僕は必死に食い下がろうとするがすぐに置いてきぼりを食う。それに僕が一番の年長者で10歳くらい違うから、体力の関係もある。それに、集合地点までにすでに僕は30km走ってきているのだ。足が悲鳴を上げているが、あと少し、あと少しと踏みとどまった。嵐山は凄い人出でごった返していた。その上、奥の方を見上げると雪、こちらはみぞれが降ってきた。汗をかいた体は一気に冷めてしまった。この橋を渡って東側の川沿いを上るとおいしいおでんの店があるという。ここで食べるのは高いので!と思わせないリーズナブルな価格での提供だ。嵐山の穴場だ。ここでおでん定食をいただく。仲間は酒を飲んだが、彼等がこれほど速度を上げるなら、体に良くないと僕は酒を断った。その後、お寺参り。途中、着物を着た若い女性がいて、それを通行人が撮影してるではないか、ぼくも断って撮影させていただいた。ホントに可愛い娘さんだった。京都は着物を着ても違和感のない街だ。市内を横切って、平安神宮。八坂神社に行った。混雑が激しくゆっくり桜を見るような雰囲気ではなかった。一応ここで京都見物は終わり、帰途についた。高槻での反省会にも誘われたが、酒を飲んでの30km帰宅はつらいので断った。国道一号線をひたすら南下したが、途中で目のピントが左と右とが合わなくなり、2重に見えだした。一本道なので看板とかは気にしなくても良いが、気分が悪くなるほど頭が混乱した。近所の食品スーパーに帰り着いて買い物をしている間に、この症状は治まった。約120km程度の走行距離。幾分疲れたここに写真を添付。
4月2日(金曜日)
ビルから桜宮方面がよく見える。この川沿いは有名な桜並木だ。造幣局の桜もここにある。この川沿いの桜がほぼピンクに染まった。今夕は花見の客でごったえすだろう。仕事を終えてから引っ越しを行った。前にも書いたように、僕の前の女性はとにかく五月蠅いのだ。そこで、もっと静かな場所を探してもらってたら、若い美人秘書の隣が空いていると言うではないか。早速そこを申し込んで、引っ越しを行った。来週からは気分新たに仕事ができそう。問題は妬みだけ。今日は早く退散し明日への準備を行った。まず溜まった洗濯。自転車の空気圧の調整。デジカメの充電。明日は自転車で京都に繰り出すのだ。職場には自転車愛好家が2人もいて、彼等と一緒に京都に行くのだ。
4月1日(木曜日)
午後7時、昔の職場のメンバー3人と京橋にある餃子の店に行った。宇都宮の出身者がいたが、味を聞くとまずまずとの答え。大阪王は餃子が旨い店なのだ。今日の懇親はまずおめでたい話。一人が結婚をするのだ。年を聞くともう42歳になるという。僕が結婚したのが37歳だったので、それよりも遅い。まずは早く子供を作らないと、僕のように退職しても子供は学校に行っていると言う憂き目にあうぞとアドバイスした。その彼女の写真を見せてもらったがなかなかキレイ。待っただけのことはあると思いましたね。嬉しいのは、職場を去ってからもこうして一緒に酒を飲もうと誘ってくれることだ。もう一つの話題が、最近亡くなった2歳上の人の話。定年を一月後に控えてのご不幸だ。定年後に住む家も手当をして、いざこれからと言うときのこと。家の方位が悪かったのだろうか。肉だけは減らさなければと思いながら、今日もたんまりと肉を食った。
3月31日(水曜日)
税制が変わる最後の日は一体どんな様相だろうか。テレビのエコポイントが切れる今日、ヨドバシカメラを尋ねてみた。確かに駆け込み需要があり、満員の人だった。在庫が後3台しかないので、と、結構強気でお客さんを煽っていた。価格は軒並み10万円台となり、20万円もあれば、52型から買える。シャープはこの春の新製品のLEDを搭載した機種まで便乗値引きをしていた。BD搭載機種も非搭載機種も価格は変わらず、混乱の価格だった。ソニーは店頭の展示品がなくなっていた。パナソニックはほぼ全品が大量のポイント付加対象品になっていた。シャープの売り子さんが、盛んにパナソニックの液晶テレビは動画対応が良くないと説明していたが、お客様は37型のパナソニックのテレビを買った。余りけなすと、人間の中にある天の邪鬼が目を覚ますのかも知れない。
3月30日(火曜日)
あちらこちらで桜が咲き始めた。寒いのは相変わらずで、桜の花も元気よくとは行かないようだ。先に咲いた花は散り始めていて、一つの木で一度に花が開かないちぐはぐがある。街の温度計は6度を表示していた。今年のこの表示板の最低は2度だったので、冬の暖かい温度と同じだ。奈良から来ている人は、今朝は2度だったとのこと。宝塚から来ている人は、昨日は雪が降り、朝は霜が降りていたと言う。昨日の写真はやはり雪だったのだ。夕刻太陽が35階の廊下の奥まで届き、窓から西を見ると大阪湾が金色に輝いていた。これも冬の夕陽だ。
3月29日(月曜日)
寒い。35階のビルから北の方角を見ると西半分(伊丹方面)は日が射しているが、東半分(高槻から京都方面)は空から地上まで白いベールで覆われている。冬の季節なら雪だと断定するが、今更雪はないだろう。夕刻は冬と同じようにビルの窓が一面曇った。夕食は米が無くなってうどんやラーメンになっている。食生活を改めないと拙いぞと思う。だが、食品売り場を見て、昔のように料理がひらめかなくなったのだ。とにかく腹が減っているので、何でも口に入ればよい状態となっているのもある。今日の万歩計は18,000歩だった。
3月28日(日曜日)
今WOWOWでは007シリーズを放映している。これはハイビジョンなのでBDに残している。昨晩はドクター・ノオを見た。ずいぶんと古い映画なのに楽しく見えるのは脚本がすばらしいからだろう。スクリーンに登場する美女達も世界から選りすぐりで楽しめる。早い話や長い話の理解は難しいが、短いやりとりのシーンでは、ところどころ明確に英語の文字に焼き直せるところが出始めてきた。もちろん字幕の助けがあってのことだが。そこで喜んで、英字新聞を開くと、やっぱり辞書がないとさっぱり進まない現実がある。新聞は一段と高度で、会話は少し簡単なのかも知れない。夕刻プールに出かけるとき、隣の運河でなにやらお祭りが行われていた。運河は城北川と呼ぶが、ここに乗客を乗せた船が往来していた。ネットで調べると、城北川桜フェスティバルと呼ぶお祭りだった。2.5km、僅か1時間の運動なのに今日は相当疲れた。ここまで疲れると何にもしたくなくなる。
3月27日(土曜日)
久しぶりにきっぱりと晴れ渡った。早速鶴見緑地にある、咲くやこの花館に向かった。植物園は憩いの場所だ。今日は一眼レフカメラ2台を使ってRAW撮影して、現像した写真を比べてみようと試みたのだ。植物園の中は熱帯植物が多い繁り、太陽光線があたかもスポットライトのように花に射す瞬間がある。これは何とも言えないヒカリの芸術だ。それを狙って三脚を構え「いざ」と言うときに、スミマセン、私たちが撮影をしてくれますか?と中国人娘3人が声をかけてきた。多少のテニオハの間違いは良しとしよう。撮影するとアリガトウゴザイマス。と去っていった。私は撮影チャンスを逃したのは言うまでもない。RAW現像は、ソフトウエアによって修正の方法が違う。キヤノンはフォトショップで、パナソニックはシルキーピックスで現像したが、甲乙付けがたい仕上がりとなった。夕刻尼崎にあるミドリ電化を覗いた。ここに勤める人がいるからだ。最近のTV事情について聞いた。電気屋さんに行くと、何時間あっても飽きません。結局1時間程度話を聞いて1時間ほど店内をぶらついて退散することになったが、今日のびっくりは、DENONのアンプとCDの組み合わせで1500シリーズ、なかなかいい音をしている。6万円程度のアンプでもここまで音が出るのかと感動した。<何と、もう翡翠カズラが咲いていた>
3月26日(金曜日)
やっと雨が上がった。通勤の道ばたに植えてある草木も新芽が伸びてきている。気温は一段と下がったのだが春が来た。今日はかねてより、僕を最初にインドに連れて行ってくれた方との懇親だ。かれは少し前にこの職場を去り別の所に勤めている。相当厳しい職場のようで、今回は激励するのが目的だ。アメリカを担当している人と、経理の女性を誘って、関目の割烹で一献となった。懇親のお値段は少々高かったが、何とぶりシャブだった。これは旨い。ホントに旨い。刺身でもOKですよと言う天然のぶりを頂いたのだ。今回の話題は、彼がブラジルに転勤することになったと言うことだ。励ますつもりが、元気をもらう話となったのだ。かれがブラジルにいると言うことは、僕らがブラジルに旅行しても、一通りのお世話を頂けると言うことだ。番組ではお目にかかるブラジルだが、庶民の目からみたブラジルが見られる可能性がある。<天然の鰤、シャブシャブで頂く>
3月25日(木曜日)
今日も雨、桜の開花はストップしたままだ。夜、妻に娘の入学お祝いは何がよいのだろう?と相談すると「お金」。娘は自分で着る洋服も選ぶことはできないような音痴だそうである。いろんな事は置いといてクラブ活動である音楽に専念している。そうすると世間のことや身の回りのことが見えなくなる。なんだか僕に似た頭の構造のようだ。そこで娘に電話を替わってもらった。卒業旅行のようなものはしたのか?「Yes」。どこに?「大阪」。何と大阪に来たと言うではないか?お祝いの何か希望は?「お金」。昨晩の気炎が一気にしぼんでしまった。その後、電話は息子に替わった。こちらは成績の話。とうてい僕がなしえなかったような成績を獲得したのを伝えたい事だったらしい。どんな学校かも知らないのでホントは評価のしようがないが、とりあえず「すばらしい」と一言。本人は鳶が鷹を生んだと言う。それって自分の言うことではないのだが。自宅で、日経新聞電子版を開通した。千葉の自宅でも日経新聞を取っているので、大阪と合わせると8000円も日経新聞社にお金を払っていたわけだが、電子版と配達を合わせば、5300円で済むのだ。早速記事を読むが、紙面が小さく、文字を大きくすると、新聞のレイアウトが見えず、記事の見落としが出てきそうだ。また、記事をハイライト表示すると、右上にお助け画面が出てきて更に紙面が小さくなると言う使い勝手の悪さがある。それとTV覧が東京版になることだ。メリットは、記事の切り抜きができること。プリントソフトにJEPG変換ソフトを使うと、プリントをせずに電子でデーターを保存できるのだ。
3月24日(水曜日)
昨晩から降り始めた雨は今日一日降り続いた。それに寒い。1月の気温と同じ室温である。雨の日でも傘を差して徒歩通勤するが、帰りは気が滅入って歩く気になれない。そんな弱気のところに、帰り道一緒になった職場のMさんが一献を提案してきた。ほんとは立ち飲みで安くあげたいところだが、どうもこの寒さではそんな勇気が沸かない。ど言うことで腰を据えて飲むことになったが、これが失敗。じっくりと飲み過ぎたのだ。7時から10時まで3時間も気炎を上げた。海外の仲間は時々シーンに応じた適切な英語の使い方を教えてくれる。これが唯一のプラス。彼には我が家と同じくらいの子供がいる。子供の入学祝いはどうすればよいのかを聞くと、何度でも理由をつけて飯を食いに行ったらよい。とアドバイスをしてくれた。
3月23日(火曜日)
地に足が着いてないような浮遊感がある。きっと疲れが溜まっているのだろう。最近は一晩ぐっすり眠るだけで疲れが取れなくなった。旅の疲れは一週間程度かかるようになった。年齢のなせる技だ。それで夜もぐっすり眠れる。今夜は妙にキャベツが食べたくなって、もやしと一緒に茹でた。一緒に中華ソバも茹でた。これに、出汁ジャコを粉末にしたものと、マヨネーズをかけて、そばつゆで喰ったら案外と口にあった。この料理の決め手は、野菜のゆで加減。しこしこ感が残る間に火を止めること。今までの経験では約3分茹でることだ。我が社の調理器具の開発者に伺うと、料理の基本は火加減だ。火加減が分かると世界の料理を制することができると言われた。まず、その入り口に到達できたわけだ。
100322(月曜日)
昨晩妻に電話をすると、千葉は大きな嵐がやってきて被害が出たという。だが大阪は朝、目覚めると暖かい春の日差しがあった。洗濯と荷物の整理に半日費やした。食料の買い出しに近くのスーパーに出かけると、何と桜の花が咲いているではないか。早速カメラを持って出かけた。青い空にピンクの花びらが風に揺れている。寒い雨の中を出かけていったが、帰ってくるともう桜の季節だ。木蓮はピークを過ぎてしまった。一段落すると、どうも体がだるい、やっぱりつかれているんだろうと言うことで、昼寝をしたら夜まで寝てしまった。慌ててプールに出かけたら、更衣室で水泳パンツが破れているのに気がついた。今日は水泳を断念。体を労れとの信号と理解した。夕刻、NHKの番組で広島県の山奥の高校生達が写真を通じて地元の文化を記録し、ふるさとを思う心を育てて、更に写真のテクニックを習得すると言う番組を放映していた。僕と同じ年齢の教師が生徒に指導して、生徒である彼女たちがそれに応えている番組だ。非常に感動的な番組だった。それで何かに役に立つのかと言えば、そうでもないのだが。<日本では桜が咲いていた>
100321(日曜日)
朝7時出発。タクシーはベンツが来た。サスペンションがしっかりしていて気持ちよい。空港までの高速道路を快適にクルージングした。シンガポール空港は広く、到着するターミナルを間違えると大変だ。タクシーの運転手さんがたまたまマニラ行きのターミナルを知っていたので事なきを得た。スターライアンスのゴールドメンバーは、ラウンジの使用ができる。国内の場合は、休憩だけだが、海外の場合食事と酒の対応があるのでホントにありがたい。空港内のレストランで酒を飲みサンドイッチをつまむだけでも2,000円はかかる。これがただなのだ。それに無線LANによるPC接続もできる。9時40分マニラ行きの飛行機に乗る。13時30分マニラ着。ここで乗り換えだが、空港の職員に聞くと税関を出てからだと言う。それはおかしい。もう少し行って警備員に聞く。すると、トランジットカウンターに案内してくれた。そこで次の飛行機の登場券を発券してもらい、出発ゲートに。再びラウンジへ。今度はDVDプレーヤーの充電の為だ。ここまで、DVDで「奇跡のシンフォニー」を見てきた。これは、母にすれられた主人公「エバン」は音楽を通じて母が自分を見つけ出してくれると信じて、自分の心に届く音楽を楽器で表現し、すっかり有名になり母に再会すると言う、なかなか人間的な物語。マニラから関空行きの飛行機は多くのフィリピン人のおばあさんとその娘(母)とその子供で占められていた。日本人がフィリピン人の妻をもらうと破産すると言われるがまさにその縮図がここにありました。一家総出で日本に移ってきて、旦那さんを除く一家でフィリピンに里帰りをする。これを一年に何度も繰り返すのだろう。旦那さんは飛行機代を払うために働くようなもんだ。フィリピン人の母は子供に日本語を教え、日本人として育てようとしている。フィリピンは政治的な混迷が続いている、彼女たちは憂き目を見るには日本にシフトする賭は正しいと映ったのだろう。アジアの現実が目の前で展開され、欧米のヒューマンタッチが画面の中で展開され、食事の時に飲んだウイスキー(これは旨かった)がこれに拍車をかけて頭が混乱した。しばらくすると関空に着陸した。ここから2時間、夜の10時に無事我が部屋に帰り着いた。久しぶりに日本酒を飲みながら、「コレラ時代の愛」を見た。「ハビエル・バルデム」の演技が最高に良かった。<やっとシンガポールで太陽を見た>
100320(土曜日)
朝から雨が降っている。今日はボタニックガーデンで蘭の撮影をする計画だったが、この雨ではどうにもならず、市内の電気店訪問となった。タイ、フィリピンに続き、こちらでも大きなビルの中に小さなショップ店が無数に店を構える商売形態、ITビル。始めての訪問では、店の特徴が分からず、同じように見えてしまう。昔、日本橋の電気街を訪ねたときも同じ感じだった、数年後この店と商売を始めてから店の性格がわかり、ずいぶんとそれぞれの店が違うし、価格も相当違うことも分かった。だが、一見客には分からない。何処の国でも同じだ。興味を引いたのは、4インチくらいの液晶を持つ、AV機器だ。音はMP3をはじめとする多くの規格が再生できるし、映像はAVCHDまで対応している。電池寿命は6時間。飛行機の移動にはぴったりのおもちゃだ。今はDVDを持って見ているが重いのが問題だ。もう一つの興味はデジカメのバッテリーだ。メーカー品と比べ、3倍の容量をもつものが、正規品よりも安価で販売されている。魅力を感じたが、電圧表示が0.1Vだけ高いのが妙に気になった。このITビルは、Jさんと言うカメラマニアが案内してくれた。Rさんの友人だ。Jさんは生活の全てをこのビルでの買い物に投資をしていて、凄く詳しい。でっぷりと肥えたオタクです。秋葉原でも日本橋でも見かける人種と全く同じです。このメンバーで昼食に向かった。シンガポールはビルの一階がほとんど飲食店で占められていて、どの店もおいしそうだ。その中から、厳選した店で頂くことになる。とにかく旨い。とりわけ鳥料理が旨い。満腹したところでJさんと分かれて、僕たちはマーライオンの撮影に向かう。雨は小降りになってきた。この辺一帯は徒歩で十分動ける距離。距離的には新橋、銀座、日本橋の感覚です。これで、シンガポールにあるマーライオンは全て見た。セントーサにあるマーライオンが一番でかい。その後更に別のITビル、フーナンビルに向かった。ここも先ほどと同じ大きなビルに小さな電気店がひしめいている。朝から夜まで電気店を見た。それも極端に偏った品揃えの店ばかり。これはたぶん僕のような興味を持つ人間でなければ退屈と疲れで嫌になるだろうと思った。夕刻に(夕刻と言っても7時過ぎ、シンガポールは日本に強制的に時間を合わせたので、日没が遅く、7時でも太陽がある)R氏のガールフレンドを紹介してもらい、J氏を含む4人で、ラッフルズホテルに向かった。ヘイ、私は高級な店で飯を食うのは嫌いだ。「心配しないで、私たちはこのホテルを通り抜けるだけ」、と彼女は行ってくれた。連れて行かれた店は、チキンライスの店。鳥と飯? 「Yes」。そのままじゃないか。もう一度質問した、「鳥を茹でた汁でこの米を炊いたのか?」「Yes」
シンガポールで一番有名な料理だそうだ。醤油と生姜とスパイスをミックスしたタレに漬けて食べる。日本で言えば、焼き魚とみそ汁と漬け物の組み合わせだろうか。これは美味。美味だから少しだけ頂いた。全部食べてしまいそうな気がしたからだ。それに、空芯菜の野菜炒め。これも旨い。桜エビとニンニクでこの野菜を炒めてある。これは自分でもできそうだ。スープがあった。スープは少し酸っぱかった。この絶妙な味は、いい出汁がないと作れない。ベースは鶏ガラだろうか?これは聞くのを忘れた。食事の間いろんな話をしたが、彼等に受けた日本の話は、妻は玄関で靴を揃えるか?と言う質問に対し、「1年間はそうだ、2年目からは揃えない」。と言うと、彼等は凄く喜んだ。その動機は不明。シンガポールの若者達と延々10時間街をぶらついた。ずいぶんと元気をもらったし、僕の英語もずいぶんと指導を受けた。彼等は英語の他に中国語も話す。凄く頭の良い人種だ。楽しかった。最後に記念写真を。これは店の従業員に頼んだが、そこで飲んでいる中国人が「私が撮影しよう」と申し出てくれた。最後の最後まで楽しかった。<一番小さなマーライオン、向こうに見えるのはアメリカ資本のカジノ、5月にはオープンとのこと>
100319(金曜日)
シンガポールのホテルの朝食は、やっと文明国の朝食スタイルと言うべきか、野菜が豊富になった。野菜と果物を中心に食事を頂いた。今日はセントーナ島で会議が開催される。タクシーで30分くらいの距離だ。この島は人口の島とのことで、地下は総て駐車場という途方も無い設計が施されている。ユニバーサルスタジオが昨日できたばかり、カジノも最近オープンしたとのことで、ここはシンガポールのメッカとなる場所である。我々は一番乗りという感じ。会議は11時に終えて、部会運営となった。ベトナムの会議を覗くと案内してくれた人が通訳してくれた。凄いねというと、私はベトナム人だと言った。僕は中国人だと思っていた。シンガポールは人種が混在している国だと気がついた。その後ブッフェ形式の昼食。一つのテーブルを多くの人が囲んでいただく。僕の座った席は、日本人が多いが、シンガポール人が2人いたために会話は全部英語。10%理解ですね。午後3時過ぎにフリータイムとなり、近場をぶらついた。あいにくの大雨で、ユニバーサルスタジオへの入場は遠慮した。私の新しい仲間は、日本語、英語、福建語がしゃべれる超エリートの若者で、僕が教訓をたれるのはおこがましIQの持ち主なのだ。だがここで虚勢を張っても無駄だ、出来るだけ羞じもかいて、自分を出そう。ということで英語で話した。僕は英語を学んで、彼は僕からテクニックを勉強する、ノウハウの交換会だ。彼は背が高いので首が疲れる。夜は、別会場にあるオープンカフェでディナー。南国の夜を楽しむには最適の情景があった。英語が通じない人がほとんどなので、一時はどうなるかと思ったが、僕の周りの人はタイ人だが英語ができるし、ジェスチャーで十分通じる。あまりひるむことは無く接すればよいというのは教訓ですね。彼らも英語は十分でないのだ。それに、言葉が通じないのは慣れているみたい。判らないなりに楽しいひと時を過ごすことができた。だが、人の顔は性格を現しているので、言葉が通じなくても、バロメーターはあるのだ。ややこしい人と思われる人には接しないことだ。ここで頂いた白のワインがやたら旨かったのが印象的。料理は、目の前の人に聞きながら選んだが、どうしても辛いのに当たってしまう。辛いのは旨いが、刺激が強すぎる。胃がギブアップするのが判るのだ。帰り道タクシーの運転手さんが話しかけてきたが、どうしてなのか、意味がわかってしまった。お金の支払い時、おつりはいらないと言うと、「ありがとうございます」、と言った。夜も更けて本島にあるホテルに帰りついた。ヤレヤレ。<一番大きなマーライオン、目からレーザー光線が出るらしい>
100318(木曜日)
空腹で寝たのに、朝起きるとそんなに腹が減ってない。今までの食べすぎた分を調整しているのだろうか。しかし今日は移動日で食事は機内食だけになるので、しっかりと食った。報告書をまとめていると、だんだんと翳ってきた。20分くらい泳ごうと考えていたが断念。昨晩妻に電話をした。旅程などは伝えてないので、もう帰ってきたのか?と聞かれる。まだフィリピンだと答えたが、音声が明瞭なので大阪の電話と勘違いしたようだった。いつ帰ってくるとも聞かないので、まだまだ旅は続くと伝えた。午後2時過ぎの便でシンガポールに向かった。シンガポールは安全な町なので、一人で歩ける。フィリピンは危険だと言われホテルから一歩も出歩かなかったが、昨日はいろんなところに行ったがそんなに危険だとは思わなかった。現地人が一人ついているだけでこんなに違うのだろうか?インドからシンガポールへ行ったときはうれしかったが、ここからシンガポールでは、そんなに感激は無い。<シンガポールは至る所で食事ができる>
100317(水曜日)
今日は市場調査に当てた。いつも案内を頂くJ子さんだが、本当の名前は違うようだ。J子さんは愛称だ。この国はアメリカナイズされているので、習慣がアメリカ風なのだ。今日は全編英語で通さなければならないが、J子さんも何度も行動しているし、訪問する相手も顔なじみのヘルパーさんなので、僕のつたない英語を理解しようと努めてくれるのでありがたい。今回はいくつか知りたいことがあったので聞くと応えてくれる。ヘルパーさんとは日本でも長い付き合いがあるので、日本での感じで応対するが、全く違和感は無い。彼らも情報が欲しいし、商品について言いたいことがあるのだ。英語の不足はメモ用紙に絵を描くとほとんど通じる。判らない言葉は、その言葉を繰り返し、What
mean?で、相手は優しい言葉に言い換えてくれる。最初はJ子さんの言葉もわからなかったが、今回は真実をつかめたかどうかは不明だが、なんとなく判る部分も多かった。だが地名や固有名詞は無理だ。フィリピンはメイド王国だ。彼女の雇っているメイドさん(47歳)は住み込みで、子供の送り迎えや、家の掃除や洗濯など総てをやってのけ、一ヶ月27日働いてくれて、料金は7,000円。安い。僕も雇いたいくらいだ。途中でイベントをしている会場を訪問した。ここに、ものすごく美形の青年が働いている。顔がさわやかなのだ。彼とは少し話し込んだ。凄い販売実績を上げるので、情報が多いのだ。何処の国もこんな超スーパーマンがいる。妙に空腹を覚えたら午後1時だった。フィリピン料理の店に連れて行ってもらった。この店も2度目だ。なまずのから揚げを頂いたが、これは今一。今回はスープが旨かった。ミソと酢を混ぜ、だしは魚ベースだ。これはきちんとコックさんに作り方を習って、J子さんに材料をメモしてもらった。帰国すると早速チャレンジだ。食事をしていると、4人の楽団がやってきた(ベース、ギター2本、ボーカル)。100ペソを渡して、カーペンターズのジャンバラヤを頼んだ。食事が弾んだのは言うまでも無い。その後、裕福な人の住む街にあるITビルを訪れた。前回タイで訪問したときと同じような雰囲気の店がたくさん入居している。昔の日本橋のような店が、ビルに一まとめで入っているような感じですね。PCと携帯電話、携帯オーディオ、音楽、映画、PCソフト、デジカメ。つまり僕の興味の大半がここに展開されている。しかもタイと違って英語だから、値段も判る。調査と興味が入り混じってしまった。音楽ソフトに魅力があったので購入。9アルバムが一枚のCDに録音されたPM3ミュージックは100円。3枚買った。音質はそこそこだが、たくさんの音楽が聴ける。日本にいると、どうしても音質を求めるように気持ちが動くが、海外に出ると、音質よりも気に入った音楽を求めるようになる。海外のマーケットはボリュームゾーンと呼ぶ低価格のものが好まれるといわれるが、その品質でよいのだ。モノに魂を入れるわけではない。日本は入魂の世界なのだ。どちらも好きだ。今夜は一人なので、食事はなし。<お世話になったJさんと、撮影は銃を持ったガードマンに頼んだ>
100316(火曜日)
7時半に迎えの車が来る。市内の混雑を考えると、始業時間に間に合わないためだ。インド、ジャカルタ、バンコック、マニラ、いずれも車の移動は時間が読めない混雑だ。東京と同じだ。アジアは同じだ。日本だけが特別なわけじゃない。交通停滞は経済の大きな痛手でもあるが、地球環境からも最悪のパターンだ。車の中で、外のこの排気ガスを見ているとそう思う。フィリピンでは旱魃で苦しんでいる記事がある。旱魃でキングコブラが民家に出没している記事もある。日本では熊が新聞記事になるがこちらは蛇だ。今日の昼飯はフィリピン料理の店。フィリピン料理のメインは鳥。ボディまるまるのから揚げ、野菜炒め、焼きそば、春巻きみたいなもの、ラーメンみたいなもの。食べきれないほど出てきた。とりわけ内臓を使った野菜炒めと焼きそばは最高だった。昼から仕事があるのに、羽目をはずして食べてしまったのは反省。夕刻4時過ぎに仕事を終えて、事務作業モードに移行したが、ネット環境が悪くて、通信できず。夕食は日本食に連れて行ってもらった。刺身のメニューもあるが、こんなところまで来て刺身は食べたくない。料金は二人で3,800円。日本の感覚では安いのだが、この国では高級な部類になる。サンミゲルビールは旨いと思う。だが、こちらは真夏なので、旨くなる環境が整っているのというのもある。<バイクのタクシー、その向こうには野菜の露天、興味深いが危険度が高いらしい>
100315(月曜日)
何と午前9時まで寝てしまった。疲れがたまっていたのだろう。今日は現地の会社が休みで、ホテルで事務作業をする日だ。報告書の作成や資料の整理をして、昼食は抜き。今回はプリンターを持参したので、必要な書類をプリントアウトする。完全なスモールオフィス体制だ。夕刻ホテルのプールで泳ぐ。水はあまり綺麗でないが体をほぐすにはこれしかない。夜は現地の日本人と食事。Tai-taiで中国風のしゃぶしゃぶを食べる。微妙な味。野菜が多い、腹は膨れる。宿泊しているホテルから車で5分。歩いても5分。だが夜は危険なので、車しか移動手段は無い。歩くことが無いので、部屋の中を行き来して2,000歩を稼いだ。そろそろ日本が恋しくなり始めた。<SMはスーパーマーケットの意味>
100314(日曜日)
がんばって見たものの、飛行機ではなかなか眠れない。朦朧とした頭でタイ空港に到着。3時間の移動だが、時差の関係でもう夜が明けている。ここでも要領の悪いタイ航空のカウンターで40分位行列に並ぶ。今度は、前に並ぶ兄ちゃんが話しかけてきた。この行列はマニラ行きか?yes。私はパキスタンから来た。思わず、タリバンか?と聞きたくなったが、思いとどまった。毎日爆弾が爆発して大変だろう、と言うと、地方なので関係ないと言う。しかし、彼に僕の乗る飛行機を爆破されては困るので心配したが、マニラから先のチケットも持っていたので、きっと爆破するんだったら別の飛行機だろうと安心することにした。更に3時間、やっとマニラに着いたのが午後2時。長い旅だった。マニラは灼熱だった。チェックインの後、持参の映画を見た。サラエボの花、ディアドクター、ウォーロード、3時10分。筋が読めないところは、僕の頭が疲れているためだろう。<相変わらず汚いマニラ、向こうのビル群が中心地、そこで宿泊する>
100313(土曜日)
集合時間は12時、ゆっくり寝たら良いのに、6時半に目がさめる。今日は、夜を徹して移動の予定だから、体へのダメージが心配だ。疲れが出ると、こちらの細菌にやられて熱を出す恐れがあるのだ。泳ぐ時間は十分にあるが自制する。スタートはスーパーマーケットで開催されているイベントを見に行く。と同時にスーパーで売っている値段や品物をチェックする。客は冷凍食品も買っている。魚は少々古い。トイレットペーパーは日本の倍くらいする。コーラーは100円、牛肉1g1円程度。鶏肉は100g50円、ケーキは85円。全般的に高め、収入は日本の1/10位だから、生活は厳しいのではないかと思う。腹の出っ張った人がたくさんいるインドと比べると、そんな人は幾分少ない。午後2時、クリケットクラブカフェーと呼ぶレストランで軽い食事。イギリス風のパブレストランですね。イギリスの植民地時代の雰囲気が若干残る。メニューを提示いただくがほとんど判らない中で、ホットドックが目に付いたのでそれを注文。少ない語彙で世の中を歩くのは難しいですね。仕事は午後7時に終えて、早速ホテルへ。丁度のタイミングで嵐がやってきた。雷や雨は日本のものと比べると半端ではない。建物の中でないと安心できない。ここで、仲間のお土産を買う。今日はホテルを夜まで確保していて、シャワーを浴びてから夜行便に乗るのだ。それからエキゾチックな庭で食事。先ほどの嵐で、外の空気は湿っぽい。レンズがたちまち曇る。午後9時半空港に向けて出発。便はスリランカエアラインだ。カウンターは要領が悪く凄い行列。更にイミグレーションは輪をかけたように要領が悪く1時間並んだ。見ているとてきぱきとしてないのだ。前に並んでいるイギリスの女性は別の行列に並びたいが、もし一杯なら戻って来て良いかと僕に聞く。戻る事をlocalと呼ぶことを始めて知った。僕は何でもyesだ。出発ゲートで更に1時間待つ。午前2時やっとタイに向けて出発だ。隣に大きな体の兄ちゃんが座った。<コロンボ市内のスーパー、米5kg1,500円>
100312(金曜日)
今日が最初の本番。夕刻にセレモニーがある。自分の出番は少しだが、明日の本本番の為に原稿の下読み。その後、昨日行った海岸に散歩に出る。日差しは強く歩くだけで汗が吹き出る。湿気多く、日本で言うところの夏の日の午前中とよく似ている。せみが鳴いていたら日本そっくりだ。人出は少ない、海を眺めているといい波がやってくる。初級者用のサーフィンにぴったりだ。海の底も透けて見える。しばらく、波を眺めた。こんなところで、こんな時期に、心が休まる風景が得られたことに感謝だ。もう少し足を伸ばすと、また、先日と同じようにエレファントセレモニーの勧誘だ。いつの間にか現れて誘おうとする。日本人にはカメラの取り放題だと言う。ここから5分だとも言う。断りきれないような勧誘だから凄い。振り切るのに時間がかかる。別の人に又、勧誘されたらやばいので帰ることにした。そうすると、またもや勧誘。彼らが旨いのは勧誘に貪欲ではない会話だ、それで他の話も出来る。でも目的は勧誘だ。断りきると離れてゆくが、振り向くと、姿が見えない。随分と周到に狙い動くようだ。軍の監視の兄ちゃんに呼び止められて何か聞かれたが、察するにどういう勧誘だった?と言うことだろう。僕はエレファントセレモニーというと、納得顔だった。ホテルで汗を乾かし、別のホテルに向かう。ここが会場だ。準備や着替えやらで、ぎりぎり19時半の開演までに間に合った。このセレモニーの中に、スリランカの踊りが含まれていて、美女の踊りが披露された。踊りはジャワの踊りとよく似ている。長い指先の動きが何かを意味しているだろう。そして、音楽はムンバイの映画音楽に似ていた。真ん中の美女がひときわ綺麗だが、少し年齢を重ねているのか、腹に筋が見えなかった。その隣の少し格下の女は、腹にきちんと筋が見え、贅肉の少ない引き締まった体をしてた。その隔てる年齢は28歳と見た。こちらのおばさんになる頃はでっぷりと太る体質なのだ。踊りは、約3分間続き、最後にお礼をして立ち去るのは仏教徒。その後、懇親会。食事はバイキングで、ここにいるといろんな人から話しかけられるので楽しい。言葉が通じないのは問題ない。日本人だと彼らの好奇心が満たされるからか、いろんなことを聞かれる。断ってゆっくり簡単な言葉で話してくれと頼む。僕も冗談が好きだが、彼らも好きだから、そんな風な会話になる。次に来たときは、ぜひ自分の店に寄っててくれと言う。場所は遠くない、隣の州だ。そんなことで名刺交換が始まる。どんどん来るので、「待って、私は皆さんを覚え切れない、それで貴方の顔と名刺を写真に撮影するがOKか?」。OKの了解をもらって、順番に顔の撮影と名刺の撮影をする。これなら安心だ。ちょっと無礼な行為ですが、こんな関係に僕は強い。それで何と、午前2時まで懇親会だ。疲れました。だが、その晩は興奮して寝られなかった。<余りにもカラフルだったので撮影させてもらった>
100311(木曜日)
事務所で打ち合わせ。その後、ホテルに戻り事務作業となるはずだったが、あまりの天気のよさに誘われて、ついふらふらと、街並みの拝見となった。どんな店が軒を連ねているのか興味があった。歩道を歩いている人も非常に多く、まだまだ明るいので大丈夫だと判断して出かけた。が、車の排気ガスは尋常ではなく、少し歩くだけで気分が悪くなるほどだ。多分、インドから輸出された三輪車のタクシー。この排気ガスが一番の原因である気がする。これでは耐えられない。おいしい空気を吸うために昨日の海岸へ向かった。昨日よりか少し時間が早いので、夕陽をじっくり撮影できる余裕がある。多くの人たちが海岸に下りているのでそこまで行って日没を待った。なにやら看板が掲げてあるので、通りかかった人に意味を聞いてみた。どうやら日没の時間のようだった。しばらくすると、そこにいた軍の人が、海岸に出た人たちを岸の方に戻るように指示を始めた。というので、その看板の意味がやっと判った。6時以降は海岸に出てはいけないという注意書きだったのだ。ホテルの隣にショッピングが出来るモールがある。そこを覗くと、CDショップがあった。眺めていると、DVDが安いのは当然だが、CDも結構安い、前から欲しかった、SHKIRAとSUSAN
BOYLEを買った。2枚で1900円位。マイケルジャクソンのTHIS IS ITは5000円で高い。その日の夕食は今回の訪問した日本人のメンバーで食った。一人2,500円くらいの料金。現地通貨には換金してないので、一人がカード決済し、他の人は日本円で割り勘をした。月収3万円が一般的な所得なので、現地人としては2,500円の食事は割高だが、このレストランは結構現地人で込み合っているのだ。<海岸で出会った陽気なイスラム>
100310(水曜日)
午前10時に集合、頭がぼんやりしている。食事はおいしく、インド風のカレーもスリランカマイズされて、おいしい。こちらは食の文化が高そうだ。飲み物は紅茶。セイロンティ。さすが本場です。お茶がおいしい。京都の宇治でお茶を頂くようなもの。11時半現地代理店のマネージャーさんと合流して挨拶。心なしか、こちらの英語は分かり易い。車で街を抜ける。街の風景は写真に収めたがインドのような猥雑さが無い。しかし、三輪車や、無用の人が街角に立っているとか、屋台のリヤカーが多いなど、インドの文化がそのままここにあるような面もある。インドのタミール語も通用するようだ。(隣のインドはタルミナード州、州都はチェンナイ(昔の名前ではマドラス))途中で僕と女性のH氏は店の調査に出かけた。その後ホテルに送り届けてもらった。ホテルに着く直前に綺麗な海岸に出会った。ここは散策しないと、罰が当たりそうな海岸だった。そこで、チェックインのあと、この海岸に歩いて出かけた。日没直前だが、海に直接沈む夕日を始めて見た。そして撮影もきちんと行なった。暗くならないうちにホテルに戻り、代理店の方と夕食。この国はインドと違い肉でも魚でも何でも食べる仏教国だ。そこで魚の店で夕食となった。目の前に魚が並び、それを指名して料理してもらう方式だ。大きな海老が独特の光を放っていましたね。金目鯛もありました。
100309(火曜日)
冷たい雨が降っている。荷物は極端に重く、しかも2つもある。両手で荷物を引くと、傘がさせない。しかも行き先は南国だ。厚手の洋服は苦手だ。ということで自宅から薄着で、しかもしっかりと雨にぬれながら駅に向かった。ラウンジで雨に濡れた滑走路を見ていると仲間が到着した。これから、16時間半の旅が始まるのだ。11時の便でまずはタイのバンコックに向かった。バンコックは前と様相が変わり、乗り換えの出発ゲートに向かうには、更に検問をくぐらなければならない。タイは前政権の財産没収でおお揉めだ。そのための警戒もあるようだ。これは、お互いの利権が絡み、更に王様がふらふらしているので、収集が着かないようだ。タイは当分の間(10〜20年)もめるだろうと言われている。つまり発展はなく、治安も不安定ということ。ここで7時間の待ち時間。ラウンジでヌードルや、サンドイッチなどを食べて過ごす。機内食は時間的に午前1時過ぎごろになるから食べるわけには行かないのだ。午前0時に飛行機は出発する予定だった。搭乗してからしばらくすると飛行機は滑走路に向かったがそこで一旦停止して、引き返した。この間アナウンスが頻繁にあるが、眠くてうとうとしてたので聞き逃した。うとうとしなくても意味不明だったかも知れないが。みんなと同じように行動すると、隣の飛行機に乗り換えた。飛行機の故障ですね。そのために、出発が遅れてしまい、スリランカのコロンボ国際空港に到着したのは、現地時間午前4時ごろだった。日本時間では7時半。それから、ホテルに向かう。途中何度も検問がある。検問は軍が行なっている。もちろん機関銃を下げている。ホテルは立派なホテルで、二重予約トラブルがあり、僕の部屋だけ、スィートルーム。ものすごい大きな部屋だった。トイレは2つもあった。午前5時、外が明るくなり始めた頃に布団に入る。<写真はタイの空港>
3月7日(日曜日)
今日も雨だ。一体どうなっているのでしょう。出発の準備に半日かけた。まぁ今日は出かける予定もないので問題はないのだが。準備している間に、前に書いたクギ煮が届いた。クギ煮と言うのは春先に明石の近海で上がるイカナゴを甘く煮たものだ。ものすごく時間と手間がかかると聞いている。ありがたく頂戴する。頂いたクギ煮は売っているクギ煮とは全く違う味のグレードだ。どうやら、M氏のクギ煮は隠し味があるみたい。早速ご飯を炊いて、暖かいご飯にまぶしていただくと、それはそれは、ご飯が進君だ。2杯も食べてしまった。13日間も日本を離れると、恋しくなるかも知れないので、カップヌードルや鯖の缶詰などもトランクに入れた。後は、暇つぶしの為にDVDの映画の選択だ。書籍も何冊か持って行こう。書籍はばらしてスキャナーにかけて電子化しておこう。こうすれば、読みたい本をいくつか携行できる。残念ながらクギ煮は持って行けない。<これがクギ煮>
3月6日(土曜日)
朝からしっかりと雨が降っている。今日は撮影日のはずだが。天気予報を見ると、どうやら午後から上がるようだ。まずは近くで野菜を買って、今週分の食生活の乱れを補正。午後咲くやこの花館に出かける。近くにこのような立派な植物園があるのはありがたいことだ。早速キヤノンS90も一緒に比較写真を撮影していく。キヤノンはマニュアル撮影時マクロのスイッチを電源投入の度に設定しなければならないのが煩わしい。ソニーはオートフォーカスに迷いが出てくるし、電源を切ってもすぐにレンズが引っ込まないし、三脚のねじ穴が安いカメラにあるように、端に切ってある。ISO感度が最低125と言うのも気になるところ。反面いい点は、SDカードが使えるようになったこと。手持ちの資産が生かせる。等々いろいろ分かってくる。TZ10は、カメラの電源を入れるといきなり。咲くやこの花館の表示がされる。GPS搭載は、スゴイの一言。ソニーにもこの機能は搭載されているが、PC上でしか見えない。EOS7Dで写真を撮影しているおじさんがいたので、話を聞いてみると、400mmで無ければこのような小さな花が写せない。ここは山に上がっても滅多に見えないエーデルワイスなどがキレイな状態で撮影できるからいいですよと言う。自然では雨風の影響を受けて、この可憐な花は汚い状態らしい。撮影した写真を見せて頂いたが、さすがにEOSはキレイに撮影できている。構図は下手だったが。今回持参したデジカメは、同じような倍率を持ってますとはちょっと言いづらかった。早速帰って画像のチェックをする。ソニーのHX5Vのフルハイビジョンの映像はさすがにキレイ。TZ10の超解像度を活かした映像もそれなりにキレイだが、フルHDにはさすがにかないませんね。写真は、一寸見には甲乙付けがたい。PC上で拡大すると、パナソニック、キヤノン、ソニーの順となる。A4サイズの印刷だと、色の濃さはキヤノン、ソニー、パナソニックの順になる。ところが、大きく差がついたのは夜の撮影だった。手持ちでも三脚でも、パナソニック、ソニー、キヤノンの順だった。そして、この差は圧倒的だった。ソニーは明るいセンサーを使っていて夜に得意なはずだったが、ISOは800に設定されるのだ。それで三脚撮影が全然良くない。また、ノイズの処理が旨いはずのキヤノンはISOが1600で話にならない。雑誌で評価されている、または店頭で言われているのは、どうやら実際に使ったことがない人達が、パンフレットを見て話しているだけだと思った。
3月5日(金曜日)
カメラを買う。どうしても仕事の関係でカメラがいる。そのカメラは今日発売された。発売日に買うのが一番高いのでばからしいが、来週からの出張で使うから仕方がない。それで金策が必要となった。今までは気ままな買い物をしてたが、今はそうはいかなくなった。娘の学費のことが頭をよぎるのだ。ソニーのデジカメT90とWX1の2つをソフマップで売却すると2万円で引き取ってくれた。ありがたい。溜まったマイルをエディーに変換すると2万円あった。いろんな特典を加えて、全部で5万円になった。それを原資にソフマップでソニーのHX5Vのデジカメと、ヨドバシカメラでパナソニックのデジカメTZ10を購入した。二つのカメラは同じコンセプトで同じような価格だ。早速家に帰り蓋を開ける。親切なのはパナソニックだ。バッテリーがフル充電はないことだ。リチュームイオン電池は、フル充電保管ほど電池の寿命を短くするのだ。電池の事が分かってますね。普通の人には分からないかも知れないが。昨今品質保証の問題が世間をにぎわしているが、ここははやり大手の意地でしょうか。ソニーはフル充電だった。それにいろんなものがビニールの袋に入ってない。Samsungのデジカメと同じ。なんだか二流品を買ったようなイメージ。
3月4日(木曜日)
朝起きると首の痛みは幾分引いてやっと峠を越えたような感じだった。だが、問題は、今朝の食べるパンがない。昨日買い忘れたのだ。しかたなく、昨晩は冷凍の焼きめしを買って食べた、その残りが冷凍のままあった。それを頂くということで、今週は忙しさと、首の痛みで食生活が相当荒れている。そんな中、嬉しいメールが飛び込んできた。M氏よりクギ煮ができたと言う頼り。寒い寒いと言っていた冬もこのクギ煮で一段落つきます。作るには、手間もかかり、お金もかかるが、この好意をどうしても断り切れない魅力がこのクギ煮にはある。熱いご飯にこれを載せて頂くと、もう他のものは何にも要らない。心配しなければならないのは、毎日これを食ってしまいがちになることだ。食事はいろんなものをバランス良くが基本。クギ煮は麻薬みたいに引きつける魅力があるのだ。岡山の「ママ借り」よりも、こちらの方が本当のママ借りだ。仕事は佳境に入り更に帰りが遅くなった。近くに住んでいるので、電車で帰れば30分で帰り着くのが魅力だ。
3月3日(水曜日)
今日は始めて、一行だけだが、英文で文章を書いた。(今までは全て翻訳機の力を借りていた)。そして、それを翻訳機にかけると、きちんとした日本が出てきた。これは嬉しかったですね。トンネルの遙か彼方に針の先のような光が見えた、って感じです。英語は文法があって難しい。逆に日本語は文法がないのでもっと難しい。「私が、私は」、二つとも同じ主語なのに、意味が全く違う文章になる。これは、相当頑張って日本語を理解しないと覚えられません。しかし、文法の無い言語で慣れ親しんだ人間は文法を覚えると言うのは不可能に近いのも事実です。と言うことで、昼飯を食うときに、言語の話となった。そして今日の結論は、日本語は短くて意味が通じる。と言うこと。例えば、書籍。同じタイトルの本でも、日本語訳と原文は本の厚さが違う。日本語の本が薄い。外国に言って日本語の本を読んでいると、外国人からよく言われるそうだ。何でおまえはそんなに本を読む速度が速い?日本語が理解できて良かったですね。
3月2日(火曜日)
今日は首の痛さが更にひどくなって頭まで痛くなった。頭が重く、思考が進まない。一方では、来週からの出張を控えて準備することが山積してきた。このアンバランスをどう解消するか。時間をかけるしかない。と言うことで、遅くまで仕事をした。一つだけいいことは、古くなった靴を捨てたこと。この靴は、夏でも静電気が溜まる不思議な靴で、少しあるいて、金属片に触れると「パチ」。非常に不愉快な靴だった。余り減ってはなかったが思い切って捨てて、リーガルの靴に変えたこと。この靴は高く普段履きにはもったいないが、4足もある。一年1足としても、定年までは履きつぶせない。と言うことで歩くことは極めて気持ちがよいのである。帰りの徒歩も楽しみである。<野江の駅前はもう木蓮が咲いていた>
3月1日(月曜日)
今日は朝から首が痛い。尋常ではない痛さだ。ほとんど首が回らない。左の首筋に手を当てると飛び上がるように痛い。先週は風邪で苦しみ、その前の週は背中の筋が痛くて苦しんだ。毎週新たな痛みを持ちながら過ごすようになってきた。週に一度の水泳や、通勤の16,000歩など、いろんなものが頓挫するようになってきた。自分の気持ちはまだ30歳代にあるのだが、体や容姿など確実におじさんの域に達しているが寂しい。今まで持っていたいろんな選択肢がぼろぼろとかけていく。そして、気がつけば指の数を下回るようになっていたと言うのはもっと悲しい。そのためにいろいろと自制してきたのだが、ほとんど関係がなかったのも、悲しさに輪をかける。多くの男がこうして自分を失っていくのだろう。友人達とそれを真剣に話せば暗い話になるが、普通こんな話は酒を飲んだときにしか話さないので、「そんなもんだ、くよくよしたって仕方がない」で終わってしまう。もっと納得のいく話し合いが必要だが、僕の友人は全員酒を飲む。一体外国の人達は、このような心境をどう乗り越えているのだろうか。特にインド人の話が聞いてみたい。
2月28日(日曜日)
今日こそは起きあがるぞと決意したがそれも昼までで、どうしても頭痛が取れず床につく、自分のいびきで何度も目覚めながら午後の時間を寝てしまった。夕刻起きて昨日から読んでいる江戸時代の本の続きを読む、中盤以降やっとこの本の筋が見えてきた。碁の先生である「渋川春海」は、会津の藩主「保科正之」に見込まれ、暦の改変をする話を承る。暦は昔中国から伝わってきた「宣明暦」、を新しい「授時暦」に変えよ、と言う内容だ。これに紆余曲折を経て、難しい計算の結果、こちらが正しいと世に問う内容だ。文章の合間には律儀な会津藩士が何度か登場しこの本の気品を高めている。昔、福島の人達と仕事をしたことがあるが、昔の日本人を感じさせるようなところがあったのを想い出した。また、猪苗代の居酒屋で、隣に座った人とうち解けて、こちらの文化をいろいろと伺った。その中にお酒は甘口が良いと堂々と述べられた。それ以来、僕は甘口の酒が好きになったのだ。もちろん肴があるときは辛口が良いのは言うまでもないが、ただ酒だけを飲む分には甘口が良いのだ。今度仕事でスリランカに行く。それで、田舎に住む友人のお母さんに電話をすると、スリランカから嫁に来ている人が芸西で働きゆう、と言う。同じ話を妻にすると、その人を知っているという。昔、赤野で宝石を売っていたと言う。スリランカの人は職場にも居て、最新事情を聞くと、ずいぶんと都会であるようだ。隣のインドが注目を浴びているので、そこよりも下のレベルかと思っていたが、調べてみると、一人当たりはインドの2倍の所得があるようだ。
2月27日(土曜日)
朝から頭が痛い。風邪の症状だろうか。それでも午前中は起きて新聞を読んだりできたが、午後はもう床についてしまった。頭が痛くて思考能力が無くなるのは久しぶりだ。目覚めても起きあがれず布団の中で読みかけの本を読んだ。大好きな自転車の本で、「ヒルクラーマー」高千穂遙。自転車で山を登る物語。心臓の限界までペダルを回すと頭が真っ白になる、引用などは、僕もかつて自転車で山を登っていただけに共感する部分が多くて、布団の中で熱くなってこの本を読んだ。ほとんどが自転車の話だが、父と娘の不仲を自転車レーサーの主人公の礼二が取り持つなど、結構ロマンスもちりばめている。これだと頭痛がしてもなんとかついていける。夕刻、頭痛は収まる気配がない、しかし腹は減る。頂き物のうどんがあったので、それを茹でて食べる。洗濯したシャツにアイロンもかけた。ここまでが限界でシャワーを浴びて再び布団に潜る。昼間寝たのでなかなか寝付かれない。今度は、江戸時代の囲碁で生計を立てる春海の物語の続きを読む。これには、算数の計算が挟まれるので、そこは飛ばして読み進める。水戸光圀が登場して、春海の人物評価をして、酒井雅楽頭(老中)が会津藩へ出仕を要請すると言う、結構歴史を動かした人達が登場する中に、この主人公が組み込まれているのだ。よくもまぁ、このような隙間を見つけたものだと感心する。
2月26日(金曜日)
雨、室温が19.5度もある。再び徒歩通勤。寝込んではないが病み上がりに1時間の徒歩は厳しかった。今週の新聞に大学生の就職人気投票があった。このベスト10に製造業が入ってない。アメリカはとうの昔に製造業への就職は圏外になっていた。そして、サービス産業へシフトした。その最先端に金融があり、金融工学と呼ばれたりもした。そして、彼等が切り開いたのがこの経済破たん。だが、アメリカは製造業には戻らない。製造業で大きくなったトヨタをたたけば気が済むようだ。そしてやがて、日本の製造業も10年20年先には、かつてアメリカのたどった道を歩むだろうなと予感がする。そして、次には、アジアの諸国が。つまり、仮説だが人間は人種を問わず同じ行動をすると思うのだ。話は変わる、スポーツはめったに見ないが浅田真央は見た。ずいぶんと精神が強い女だと思った。あの気丈さが3回転半を手中におさめて勝負にでたということか。彼女の演技にかける精神には、武士道に通じる「技」の磨き上げが見えますね。日本人の美学が見事に彼女に結実している、それで日本人は勇気づけられる。メダルは大事だが、その精神のあり方もっと価値があったと見た。一方のキムヨナは、マネジメントを感じます。コーチはアメリカ人でしょうね。これがグローバルで勝負をするやり方。サムスンやLGも同じだ。とことん性能を追求しない。そこそこの性能で勝負をかけてくる。人も、企業も良く似ている。生き方の美学は浅田。世渡りの美学はキムでしょうか。こちらは人種の差というよりか、人の個性のような気がする。
2月25日(木曜日)
風邪の症状はだんだんと厳しくなり、とうとう昼ごろには関節が痛くなり、震えが来た。昼飯を食って症状が変わらなければ帰ろうと、ずるずると仕事をしていると、いつの間にか症状も和らぎ、熱も下がったようなので、そのまま仕事を続けた。先生の言ったPLと言う薬には驚きです。効き過ぎて怖いくらい。たった、4袋しか飲んでないのに。普段薬に頼らないので効き目が強いのだろうか。今日は過信をせず、とにかく帰って寝ることにした。
2月24日(水曜日)
その彼から、僕の英文パワーポイント17枚を修正した文章が届いた。僕の文章表現が未熟な指摘が23カ所あった。今まで毎週書いているレポートのでき具合が自分では評価できなかったが、どんなレベルなのかがはっきりした。そんなにひどくはないのだ。Webの翻訳ソフトも結構いい仕事をしていると感心した。やっとこの職場とギヤがかみ合った感触を得た。その半面で、花粉症を患ったことがないのに、鼻水が流れ出る、すする間もなくたれ落ちる。ヤバイぞ。もし花粉症だったらこれから先大変だ。健康管理室に駆け込むと、先生いわくPLを飲んだことがあるか?いろんな技術には首を突っ込んだが薬まではとんと首が回らず、解答は「No」。これはよく効く。と風邪薬を頂いた。それがPL。眠くなるといわれたが、返って目が冴えて寝着かれなかった。<それでも大阪城の梅を撮影した>
2月23日(火曜日)
苦節1年、シンガポールにパートナーが一人出来た。彼と一緒に近隣諸国を攻めるぞ、と言う明確な目標ができて、にわかに忙しくなった。最初は僕も遠慮をして彼には英語で送信していたが、先方からは日本語で送ってくる。日本語でOKだとも書いてある。それで、いつの間にか、僕の方も日本語でメールするようになった。といっても、今日で二日目なんだが。翻訳ソフトでは英文に変換しやすい日本語をつかわないと旨く変換できないが、彼には、その様式に乗っ取ったわかりやすい日本語で送る。だが、先方からは勘違いだとか、結構深い日本語が帰ってくるので驚きだ。早く会ってみたい。来月になると、出張の予定があるので、帰りに足を伸ばしてシンガポールに寄ってみようと思った次第だ。シンガポールは一年久しぶりだ。再び蘭の花にお目にかかれたら最高だが。蘭はシンガポールの国花だ。
2月22日(月曜日)
通勤途上に高校がいくつかある。その中に桜ノ宮高校がある。ここに通う女子高生にかわいい女の子がいた。しかし、彼女は友達と連れ立ったり、一人だったりと、いつも不安定なのだ。この子は早く堕落しやすいタイプだな、と見ていたのが、昨年の夏の頃だった。最近はもっぱら一人で通学しているようだった。それが、今日、たばこをふかしながら歩いてきたのにはびっくりした。まだ、吸い込むこともできず、ふかすだけだったのだが。それにしても少々早すぎる堕落ぶりだ。友人関係よりも、家庭環境に問題がありそうとだと見た。人は生まれた器量に沿った人生を送るものなのか、と思った次第。天候に恵まれたので、昼休みはコンビニでおにぎりを買って食べながら大阪城に向かい、梅林を撮影した。(食べながら道中を往復しなければ時間が足りない)花の撮影は、咲き始めが花に力があっていい写真が撮れる。そして、どちらを向いてもいい被写体になる。花が満開の時は、花の力が落ちていて、花を選ぶのに時間がかかる。この話なんでもたとえられそうな気がする。
2月21日(日曜日)
昨晩は友人宅でごちそうになった上にお土産まで頂いて帰った。お土産は食材や、昨晩の料理だ。それを大事に今朝頂いた。晩飯まで持ちそう。昼間の時間、千葉で買った本を「天地明察」を読む。この本は数学好きの「春海」が、将軍家への碁のお相手よりも、数学にのめり込んでいく話。春の日差しを受けながら静かな時を過ごした。ずいぶんと太陽光線が強くなった。午後2時に切り上げて、井上陽水の特集番組を見ながらシャツにアイロンをかけた。4時間強ある特集番組で、「氷の世界」から、「9.5カラット」に至るまでの音楽の変化をつづっている。大概のフォーク歌手は70年代で没したが、陽水だけが現役でヒットを飛ばしているのは、曲作りに自分の変化を盛り込んでいるからだと言われる。サイモン&ガーフォンクルもコンドル以降、飛ばなくなったのは、変化を見いだせなかったからだと何かで読んだ。この番組はなかなか良い。夕刻プール、2.5km。今日のプールは僕を追いかけてくるメタボの兄ちゃんがいたが1,500mでやっと振り切った。3kmも辞さない覚悟で飛ばしたが、彼は途中で断念したので、僕も2.5kmで切り上げた。1時間1分だった。頑張ったつもりなのに、タイムは落ちている。夕食は昨日教えてもらった、鯛の刺身と塩昆布を試してみた。似たような味がした。
2月20日(土曜日)
休日なのに忙しい。友人宅に呼ばれているのだ。目的は2つ。一つは故障した富士通のノートPCを動くようにすること。一つは、懇親だ。それで、僕もお土産に、近々の海外の写真をビデオ仕立てにしてお見せしようと考えた。ソフトウエアは、フォトショップ・エレメント2、レッツ・エディオス、ユーリード・スタジオ7と3つあるが、どうも、専用ボードを持ったレッツ・エディオスが早いようだ。テーマごとに写真を取り込み、タイムラインに張り付けて、タイトルを入れ、音楽を入れ仕上げていくのだが、途中で、作品を取り出す術がないの気がついた。AVIデーターをMPEG2に変換はできるものの、それをDVDオーサリングするには、TMPGEnkと言うソフトが別途いるようなのだ。困り果てたのち、DVテープに書き出す方法を考えついた。これなら、AVIファイルそのままだから、リアルタイムだ。と、言うことで、厳選した132枚の写真に音楽をいれたヴィデオは午後2時過ぎに完成した。ぶっつけ本番ながら時間内できた。午後4時樟葉。友人に迎えに来てもらいお宅にお邪魔する。奥さんは相当な美人だ。息子さんのあいさつも受けた。昨年も別のご家庭にお邪魔したが息子さんがえらい素直だったのに感心したが、こちらの友人宅も同じだ。僕が少年の頃は、ぶっきらぼうな対応しかできなかったのだが。そして、我が子も同じだろうな。PCの不具合はウインドウズのセーフブートではなく、本ソフトの立ち上げを指示すると、HDDのリストアが始まり回復した。もし壊れていたとしても、データーだけは回復してほしい希望だけは叶えたいと思っていたが旨く行ってよかった。その後おいしい夕食を頂いた。酒飲みのご主人がいる家庭の料理は旨いとの定説通り、非常に美味しかった。とりわけ、タイの刺し身に青葉、塩昆布をまぶしたものはおいしい上に、僕にもできそうだった。醤油なしでも十分な味だった。息子さんは大学、社会人として海外を放浪した経験があり、特に安いホテルに宿泊しての旅は新しい仲間との交流があり楽しいとのこと。まるで深夜特急の世界だ。その話は聞きそびれた。僕はビジネスだから、できないが、時間があれば地元の人間と何かできないかと思う。夕食の一部をタッパにつめてもらったお土産を頂き、再び樟葉駅まで送ってもらい京阪電車で帰った。こんなに寒いのに京阪電車は暖房を切っている。けったいな会社である。できるだけ、この会社関係でお金を使わないようにしようと思ったのは言うまでもない。
2月19日(金曜日)
きょうは、少し前からモデルさんをお願いしていた方の撮影だ。最近のデジカメは進化が激しいのだが、なぜか単純な夜間ストロボの撮影は非常に苦手である。その比較写真を撮影するためにモデルさんをお願いしたと言うわけ。今回はカラーパレットも持っていただいたので、なんだか囚人になったみたいとの感想をもらった。このお嬢さんは、モデルさんとしては素人だがプロ並みの容姿で撮影してる方も撮りがいがある。ついでにEOS・20Dでも撮影。1秒間のスローシャッターでストロボを焚いたが、やはり、これはきちんと写りますね。古いカメラだが腐ってもタイです。その後、いつものように食材の買い物をして、夕食をつくり、風呂に入った。きちんと日常をこなした後、テレビを点けてクリントイーストウッドのツルー・クライムを、清酒大関片手に見る。この映画は、始めゆったり、中、緊迫。後、秒を争うパニック。と言う引き込みの旨さがある。この演出には、囚人の死刑がその日の0時1分に施行される事実が、ことあるごとに顔を出し、視聴者に既成事実を覚えこませてゆく。そして、定期的に時計のショットがある。非常に旨い手法だ。ヒッチコックなどが開発した手法ではないかとおもうだが。
2月18日(木曜日)
久しぶりに晴れた。今日こそは、梅を撮影するぞ、ということで、弁当を買って出かけた。弁当も、社員食堂の料金も同じと言うのが、おかしな話だが、今日のテーマではない。大阪城の梅は、そこらあたりに植わっている梅とは違い、由緒ある梅だ。それで開花は少し遅い。13日〜21日まで中国の正月で、大阪城には中国人が凄く多いが、梅園にも多い。そのなかで、ひときわ際立った女の子がいた。梅を見に行ったが、この美女の方がよっぽどインパクトは強かった。なぜ、中国人はかくもお城がすきなのだろう?
2月17日(水曜日)
今日も炸裂した。前に坐っている年増の女、(仮にA子としておこう)が、大きな声で延々と愚痴をこぼすのだ。内容はもう何年も昔から語りつがれた日本昔話のようなもので、何度も何度も繰り返し蒸し返し語られ、言葉にも手垢がついたようなものなのだ。今日は長編物語45分編があった。嫌な女はいくつか見てきたが、共通事項がある。それは、@相手が悪い。そのうえ、A自分では何も行動しない。B(時間がなくて)やってられない。そんな訳で、こちらも、たまらなくなり、就業後、仲間を誘って飲みに出かけた。有名な京橋の立ち飲み。魚が旨いが、露天なので寒い。久々に足の裏からじんわり冷えてくるのには参った。そのうえ体の中心にギンギンに冷えた液体を流し込むのだから、凍えない訳がない。愚痴もこぼしたかったが、その前に鼻水がこぼれて早々に退散した。寒いのはいかん。<470円の昼食>
2月16日(火曜日)
OBPは2つの38階建てビルだが、その間をつなぐエントランスには、広い空間がある。その場所で、今週は五島の物産展が開催されていた。長崎県五島列島は、うどんで有名だ。椎名誠は書籍の中で何度かこのうどんをほめていた。と、言うことで僕は少々高いが、このうどんを買った。2本で1,000円。1本で、2〜3人前だと言う。飛び魚(あご)の出汁がおまけだ。さっそくその晩、湯がいていただいた。出汁は時間的なこともあり、ライフで買った「ヤマキの鰹めんつゆ濃縮2倍」を使った。2〜3人前あるはずの、1本袋入りは、一人分だった。歯ごたえのある、深みのあるあ味は、稲庭うどんと良く似ていた。稲庭うどんと同じように、曲がったところだけも安価で販売していた。
2月15日(月曜日)
だんだんと、鳩山政権の化けの皮がはがれている。シロウトが政権を握ったもんだから、もうむちゃくちゃだ。そして、影の実力者である、小沢さんは、今回の事件では民主党に迷惑をかけたと陳謝した。???。迷惑をかけたのは国民ではないのかな?てなことで、まったくもって素人集団だ。だれが、政権を取っても大きく変わらないと思っていたが、世界が一つの単位として動き始めた今は、国家の競争力が違ってくるかもしれない。隣の韓国はすっかり回復している。車と家電で日本勢は各地で押されている。日本を代表するトヨタも、対応を小出しにしてひんしゅくを買って、とうとう社長の登板だ。松下の場合社長はマスコミに姿を表さなかったが、明らかに社長の対応が形となって消費者に見えた。消費者も納得した。このスピードが今の政治経済には不可欠だ。のらりくらりではだめである。これは、リーダーシップとは違う。マネジメントの問題だ。駆け引きに時間を費やすのではなく、スキルアップの勉強をすれば。
2月14日(日曜日)
9時まで寝過ごしてしまった。やっぱり、自分のねぐらは安心できるのか。気分が良い。どこにも出かけずずっと本を読んで過ごした。東京の本屋さんは興味のありそうな書籍で溢れているが、どうしたわけか大阪の本屋さんは、そんな本が見つけにくい。本のディスプレイが下手なのと、本屋さん自身が本が好きでないのと、2つあると思う。先日船橋の本屋さんで迷って書評を聞くとその店主は、私は読んでないが、他の人の話では、、。と反応がある。流通が発達した今、店作りはほぼ同じようなものができるが、その中身は、心のこもったものが必要だと言うことだろう。冷蔵庫の中に賞味期限が近づいてきた味噌がある。味噌は使い勝手がよいだろうと使ってはみたが、炒め物や、鍋にどうも合わない。そこで、妻に電話をして聞くと、鍋に、味噌を使うのは、顆粒の出汁の基を使うと良いという。中には牡蠣を入れればよいのではとも言う。そこでプールの帰り道、買い出しをして試してみた。白菜、なめたけ、菜の花、フジッコのとろろ昆布、に牡蠣、味噌を入れて煮込んだ。たぶん、鍋に投入の順番はあるだろうが、私の場合は同時だ。そして、味はまずまずだった。いつも不味いものを喰っているのと比較をすれば上出来だった。とは言うものの、プールで完璧な空腹状態だから、ある程度の味がすれば旨いのだ。例えば、この状態で水を飲んでも甘い味がする。
2月13日(土曜日)
昨晩はプールの疲れもあり、夜9時には床についた。それで朝はすっかり良い気分で目が醒めた。雪が降っていたので、家の周りを撮影に出かけた。雪を撮影するには、ストロボを焚くと雪が写る。カメラの世界にはいろいろとテクニックがあるのだ。今日は10時から始まる世界の蘭展東京賞を見るために、食事の後自宅を出発した。昨晩アバターを見に行って遅く帰った息子とは、もう話をする時間がないかと思ったが、出発間際におきだしてきて、間に合った。メガネの片方を塞いだらどうなる?股の下から反対に見たらどう見える?と質問すると好奇心がないのか、まったくの無関心。ただ、暗いだけだっと。小さいころに科学の目を僕が体験させなかったことが、影響しているのだろうか。東京ドームはおばさん達であふれていた。写真撮影に今まで幾多の失敗を重ねてきたのは、ここは以外と暗いと言うことだ。暗さに目が慣れているので、そうとは感じないが、シャッター速度が5分の一秒にも落ちてしまうところがあるのだ。出品者はどうも、照明に関するノウハウがなく、せっかくの蘭も精彩がない。ここにアイディアを入れると大賞も夢でなくなる。まぁ強い光は花を痛めるので痛し痒しですが。毎年デジカメの性能が上がっているとはいえ、そんな数分の一秒ではとてもきれいな写真は自信がない。それで、今回の対策は「ひじをつく」こととした。展示台や説明パネル等、あらゆるところに腕を固定して臨んだ。それができないところは、広角で撮影した。広角だと、4分の一秒くらいまでは何とかなりそうだった。約6時間、10分間の休憩で撮りまくった。キャノンパワーショットS90はマクロにすると、オートフォーカスが迷い、実用にならなかった。一眼レフであれだけ不動の地位を築いたのだが、コンパクトは力不足。ソニーのWX1のパノラマ撮影が真価を発揮し、大きな展示物は、このカメラが活躍した。撮影は800枚ほど。午後4時、疲れて退出。水道橋駅前の富士そばで、ほうれん草そばを、東京のたち食いそばは旨い。関西のうどんに匹敵です。5時の新幹線で大阪へ。ひんやりする部屋に帰ると寂しい。独身時代は寂しさを感じたことはなかった。しかし、一度家族と住むとだめですね。<ソニーのWX1で縦のパノラマ写真、下の白い胡蝶蘭は模様が印刷され、且つ女性が顔に付ける金粉が塗布されていて、女性客に大変人気があった>
2月12日(金曜日)
今日は年休を取った。小雨のばらつく天候の中、千葉の植物園に向かった。ここは落ち着く。光線は少ないが、三脚を立て、スローシャッターで撮影するとなんとかなる。ここでカメラ教室が開催されていて、定年後のおばさん達で占められていた。何と、多くの人がEOS7Dと、100mmISマクロレンズの組み合わせだった。28万円ほどの価格。普通の一眼カメラなら3台買える価格。やっぱり日本人はお金があると言うことですね。先生の教えの後、おばさん達は別れてバシバシ撮影している。僕としては手ブレないだろうか?とつい心配してしまう。今の明るさは、十分の1秒で手ブレしそうな厳しい条件なのだ。それに、ゆっくり構図でも考えたどうかと思うのですが。だが、EOS7Dなら、ISO感度アップで問題なようだ。我が方は、フォーサーズサイズで、ISO400までが限界なのだが。その後、北習志野にある、船橋総合体育館に向かった。新京成の駅はずいぶんと変貌し、降りる駅を間違えたのかと思った。プールで2.5km。自宅は新京成の初富駅から少し歩くので、今日はずいぶん歩いた。夜、食事の後、娘が取り組んでいる吹奏楽について話を聞いた。トロンボーンを始めてもう8年。トロンボーンは正確に音程を刻む目安がない。この疑問をまずは聞いた。それと、ほとんどのパートが和音の副旋律を演奏するので、たのメロディーラインに引きずられないか?だが、8年の経歴はきちんと楽器演奏の姿勢を確立していて、不安定さがない。リズムは誰から貰うか?これは、多様なところから入手しているようだった。僕の友人のK氏がいれば、もっと深い話が聞き出せたのかもしれない。すべてを聞き終えた後に、私は音感がないので厳しい想いをしている。それで、ただがむしゃらに練習をしていると言うのが、彼女の姿勢だった。少し感動しましたね。<>
2月11日(木曜日)
インターネットでニュースを見ると、世界の蘭展東京賞が、13日から東京ドームで開催されるニュースを見つけた。丁度千葉に帰ろうとしてたので、スケジュールをこれに合わせた。夜の新幹線で帰宅。道中ヘラルド紙の家電コーナーを読んだ。アメリカでも日本のアクトビラと同じようなサービスが始まったと言う記事。だがアメリカはソフトの価格が安く1ドルから入手できると言う。レンタル期間は1カ月。ある程度想像力が働く分野の英文は、何とか訳せるようになったが、他の分野はまだまだ。自宅では、息子の出迎えを受けた。彼の話は脈略がなく思いついたことが言葉になるタイプで話は切れないがどこかに落ち着くわけではない。女の井戸端会議みたいなもの。そして、ただ、話を一方的に聞くだけだ。久しぶりなので、なんとか我慢できる。親に向かって話さない子供もいるから、それは、いいことだろうと思うのだが。
2月10日(水曜日)
この職場から転勤していったK氏から連絡があって、元気が欲しいとのこと。26日の金曜日なら可能だがと返事を送ると、OKだと返事。さっそくこちらでメンバーを募ったところ、送別会をした時のメンバーが集まってくれた。僕は京橋商店街にある、赤ちょうちんを考えていたが、女性メンバーが一人混じるので、少ししゃれたところが良いだろうと、ワインバーに行くことを決めた。そして、今日はその下見。一品1,000円を超えるメニューがあれば敬遠だと考えていたが、500円〜700円程度で何とか合格。試しにウインナーとモルツを注文したところ(1,350円)、味はまずまずだっ
た。でも、京阪京橋駅の名物ウインナー、一本110円との差異が僕には見いだせなかった。味覚音痴であるかもしれない。家に帰って録画したダーテーハリーをみた。クリントイーストウッドの髪の毛が多いのが異様だった。内容は些細なことだが、たとえば、犯人が人を殺す動機が不明とか、犯人の警察へのメッセージが手書きだとか、公衆電話に呼び出しの電話を入れるとか、書き出せば切りがないのに、この映画はヒットした。その要素は?一つは、キャラハン刑事が組織の中で疎んじられていること。もう一つは、犯人の無謀ぶりに警察組織は大きなリアクションで対応するが、何の成果も見いだせないのに、キャラハン刑事だけが成果を挙げることの落差。このストーリーはヒットの黄金手法だ。これに、主人公がストーリーの始めの部分でひどく痛めつけられるのを加えれば、さらに万全となるのだが。日本酒、大関を飲みながら映画を楽しんだ。
2月9日(火曜日)
外国のホテルだが、いつも見慣れているような記憶がある。部屋番号は325号室だが、いくら探しても見当たらない。3階フロアを探しているといつの間にか2階のフロアをさまよっている。そうこうしている間に、日本人の若い社員が来て、案内するからついて来いと言う、1階ロビー横の窓をあけて外に出ると、磯のようなところを海面から出ている岩の上にジャンプしてゆく。ホテルを回りこむように進むと、港に出た。港の海水は澄んでいて、底にジュゴンがいる。それを眺めながら再びホテルに向かう道中で、自転車に乗った父娘がいた。娘が自転車を漕ぎ、後ろで親父はキャノンのカメラを拭いている。面白そうなので、それを撮影すると、その父から、わからない言葉で文句を言われた。そんな非常にはっきりとした夢を見て目が醒めた。新作の映画のようだった。そのためかどうか、この日は、妙に頭の回転が悪かった。
2月8日(月曜日)
一転して温かくなったが、どうも月曜日の出足は気持ちがなえているのか寒さがしみる。普段と同じように厚着をして出かけると京橋の手前で汗が出てきた。気持ちはともかく気温は高いのだ。最近思うのだが、どうも大阪には晴れた日が少ないような気がする。それは、この土地特有のもだろうか、それとも、最近の異変なのかわからない。からっと晴れた日があると、大変うれしいので、そんなことに気がつくようになったのかもしれない。太陽光線が気になりだしたのは、カメラにのめりこんでからだ。仕事柄というのもあるが、カメラを触るのは楽しい。毎日、新製品のラッシュだ。キャノンからもEOS X4が発表された。これは、凄いことになったぞと思わせるスペック。さらに、タッチパネルのコンパクトモデルも。このタッチパネルだが、オジサンにはあまりうれしくない。指が乾燥していて、静電式のタッチパネルは旨く働かないからだ。銀行のキャッシュカードデスペンサーや、プールの自動券売機は操作するのに苦慮している。話がそれてしまったが、太陽の光を旨くとらえた写真は感動的だと思う。この週末は年休を取っているのでカメラを持って出かけたい。晴れてほしいのだが。
2月7日(日曜日)
寒い当てが外れて、ぽかぽか陽気となった。暖房無しでも部屋の温度は19度まで上がった。この団地はホントに静かだ。それで心安らかに一日中部屋の中で過ごした。昼前に少し横になって昼寝をした。太陽が当たりいささか熱い程だ。全く穏やかな一日だった。夕刻のプールでは追いかけてくる人がいたが、体の調子がすこぶる良かったので、少しピッチを上げて振り切ることができた。先週は膝が痛く、スピードが出なかったが今週はうってかわって強気で泳げた。泳いだ後のさわやかな疲れは裏切られたことがない。今週は3日鹿働かないので、少し忙しいだろう。鋭気を養った。
2月6日(土曜日)
昼まで酒が抜けなかった。顔がほてって思考能力はなく、ただ呆然としていた。寒くて朝からエアコンを入れたままだった。外を見ると太陽が雲に覆われ、雪が降っていた。久しぶりに大阪で雪を見た。昼飯にラーメンを食べに出かけた。博多ラーメン。博多の味ではなくなにわの味付けだが、結構旨い。でもラーメンに1,000円は一寸今風ではないな。その点うどんは優しい。ラーメンとうどんと塩分競争をすればうどんが勝つようだ。体にはラーメンが優しいらしい。午後ヨドバシカメラに出かけた。風は強く、関目高殿駅までの15分で冷え切った。新しいプラズマテレビを見るためだ。これはキレイ。色に深みがあるし明るさも十分だ。それで、少し白っぽく見えていたプラズマがしっとりした。映り込みはほとんど感じなくなり、いよいよ本領発揮ということだ。しかし味付けはいささか疑問がある、芝生のみどりはいつも春のみどりだ。枯れた芝生にならない。マニュアルでは調整できるが、このみどりの出し方のセンスはいささか疑いたいものがある。LEDテレビも見たが、バックライトに白色をつかったものは全て、蛍光灯バックライトのTVに比べ色が淡泊だ。理由はわからないでもない。白色を発光するLEDは全て青色の発光ダイオードに黄色のフィルターをかぶせて白を出しているから、赤や緑の波長が少ないのだ。韓国のLEDテレビに対し、日本のLEDテレビが遅れたのはこの再現性に不安をかんじてのことだと私は思う。サムスンのLEDTVは世界中でヒットしているが、決してキレイな訳ではないのだ。その下のクラスの750、650シリーズがよっぽどキレイだ。サムスンのLEDTVがキレイなのは、外観ですね。薄くて、赤の縁取りがおしゃれです。サムスンは80点あれば製品化する。性能はある程度でと言う割り切りがある。だからすることが早い。だが世界のTV市場を鑑みると、日本勢もLEDTVに踏み切らざるを得なかったが、壁は乗り越えられないと言うのが現実だったと見た。次に洗濯機のコーナーに寄った。ここは意外と人出が多い。しかし見ているのは一層式の安価モデルのところ。各社のメイン乾燥洗濯機は見向きもされない。ここにはTVで商品訴求をしている、丹念に見ていくと、いささか現実的ではない部分もある。エコの訴求だが、年間3万円も節約とある。うそやろう。私は一人だが、年間総電気代が3万円だ。この洗濯乾燥機を買うと、エアコンやカーペットや照明やTV、パソコンの電気代が0円になる計算になる。そんなことはないぞ。ヨドバシカメラの入り口では1000円ipodを販売していた。よく聞くと、gモバイルを同時契約しないとそうはならない。売らんかな姿勢はエスカレートの傾向にあるようだ。
2月5日(金曜日)
今日は上司を誘って飲みに行くことに。日本酒の好きな方だから、そのような店を選んだ。JR京橋の向こうに続く商店街の入り口にこの店はある。JR京橋を抜けると、両側に呼び込みの若い女性が両側に整列して声をかけている一角がある。お互いに関係のない人達ばかりだが、整列していると言うところに、日本人を見ることができますね。さてこの店は意外と混んでいて、肴と酒が旨い。ついつい飲み過ぎてしまうのである。問題は、京阪電車の振動がひどくて不快感があることだ。電車はゆっくりと、凹凸のないレールの上を走っているから、振動などないと思っていたが、とんでも無い振動だった。最初は震え上がった。
2月4日(木曜日)
外れのないコンビニがある。京橋商店街はずれにある、サンクスのコンビニだ。ここは立地がよく高校生の通り道だ。それで、朝は学生達でごった返す繁盛店。何が外れないかと言えば、ここで働くアルバイトの女の子だ。頻繁に人が交代するが、どれもなかなかかわいい娘を揃えているのだ。店主の好みだろうが、外れがない人選である。僕も新聞はここで買うことにした。そしてかわいい娘は総じて頭が悪い。日経とヘラルドで320円だが、時々290円と間違うのだ。このこともあり、毎日、2つの理由で新聞を買うのが楽しみである。その新聞であるが、ヘラルドにカメラの特集が掲載された。アメリカ人はコンパクトデジカメをどのように見ているのか、興味があったので、全訳を試みた。まずはスキャナーで文字をテキスト化し、それをWebの翻訳機にかける。それをプリントして、辞書を引きながら、日本語の文章にしてゆく。そうすることで、新聞の記事も、何とか意味を把握することができるようになった。今回は相当量の文章があったので、征服感があった。
2月3日(水曜日)
いつもは外食をしないが、今日は寒く、昨日インストールしたフォトショップをいじるために3,000円も出してHow
to bookを買ったのだ。それで時間短縮のために、蒲生4丁目食堂に寄った。いわゆるメシ屋ですが、これは大阪府下に沢山チェーン店があり、同じ看板を上げている。サラリーマンのような人が利用している。このメシ屋さんは安いようで結構高い。自由におかずを取って、みそ汁にご飯を注文すると1,000円位かかってしまう。そこで今回は一計を案じ、大ご飯に生卵、100円の野菜の煮付け2皿。腹は張り、なんと460円だった。会社の社員食堂よりも安い夕飯となったのだ。自炊よりも安い。<このビルからの夕陽はいつも絶景だ>
2月2日(火曜日)
タイで購入したアドビのフォトショップCS4はインストールの方法が分からず、Nさんに聞くと教えてくれた。フォルダーの中にあるEXEファイルをクリックして、まずはHDDにファイルを解凍するのだ。そこから、インストールをする。IDは、Keygenを参照すると言う結構マニア度の高いインストールだった。しかも、VISTAのサービスパックのバージョンを上げなくてはならず、マイクロソフトのサイトで捜すものの、2つありどちらを使えばよいかの表示がない。とりあえず片方をダウンロードすると、64ビット版なので使えないと表示された。もう少しわかりやすい表示はないものかと思いましたね。結局3時間も要した。大仕事をした感じ、それで興奮してなかなか寝付けなかった。<春がそこまで来ている>
2月1日(月曜日)
久しぶりに自宅に電話をすると、妻は僕を責める。息子が塾に行けないのは、お金がないからだと。昨年の年収ダウンは単身生活も手伝って300万円強。それで給料だけではやっていけず、貯金を下ろした。こちらでは爪に火をともすような生活とまでは言わないまでも、厳しい生活をしている。だが節約の意味を知らない妻としては、そんなの関係ないようだ。塾の費用は年間90万円もするようだ。だから息子としては独学で行けそうな大学しか狙えないと言う。僕の方にもいささか後ろめいたものがあるのは、好き勝手な趣味で生きてきたからだ。だが、今はそれを全部仕事に生かしてきたと理由づけている。でなきゃ、いきなり外国に行って通用するわけがない。電話は来週の週末には帰りたいと言おうとしたのだが、別の方に会話が流れてしまった。これじゃ帰っても仕方ないのかな?と思いながら電話を切った。一段と冷え込んだ一日だった。
1月31日(日曜日)
朝から雨、一日雨。買い物に外に出ると肌寒くすっかり冷える。部屋の中で暖かくしている方が無難だ。この前買い求めてきたアバターを観る。BDレコーダーでは認識できない。ポータブルDVDではOKだが、それでパソコンで観ることに。英語バージョンだから、最初はほとんど意味不明だった。途中から字幕があるのに気がつき、英語だが字幕を出した。これだと、5%程度までに理解が高まる。それでも娯楽アクションだから、映像だけでもおおよその内容は分かる。内容は、映画マトリックスと同じように、科学室でベッドに横たわり架空の世界に入っていく。架空の世界は宮崎駿の「天空の城ラピュタ」と同じで、空に向かって岩が浮かび、大木が聳える。そこに、現実の世界からアメリカ軍が、ここを征服に訪れる。この征服する模様は、「もののけ姫」に流れがそっくりだ。そこで、架空の世界に入り込んだ主人公は、ここに住む人々と一緒になって、アメリカの征服軍と戦う。この映画は3D化されていて大ヒット中である。夕刻プールで2.5km。昨日の疲れも加算され1時間5分。夕飯は暖かく頂こうと、キムチ鍋。買い物に行ったスーパーは白菜がないので三重県産のキャベツで間に合わせたら、このキャベツが甘いのなんので、大正解だった。
1月30日(土曜日)
京都の植物園に癒されに行った。仕事で外国にゆくとストレスがたまる。今回は妙に疲れた。それで、きれいな花を眺めながら写真を撮ると心が安らぐ。あわただしく掃除、洗濯を済ませて出かけたのが10時。11時半、京都東西線の北山に到着。日だまりにクロッカスの花が咲いていた。あの、かおるちゃんの好きなクロッカスの花は紫の可憐な花びらの中に、オレンジの花弁がある。どんなデザイナーよりも配色が巧みだ。今回は温室で蘭展が開催されている。もう蘭の季節だ。来月の月末には東京ドームで蘭展がある。蘭はバラと並ぶ美しさがあるが旨くカメラに収まってくれない難しさがある。物色していると展示室に丁度日が差してきて、花が浮かび上がった。太陽のマジックショーが始まった。このシーンは望遠がなければ、旨く撮影できない。XR1の8倍ズームで撮影、露出を-2/3補正。キャノン20Dは昨晩フル充電したはずなのにもうバッテリーがない。リチュームイオンバッテリーはフル充電で保存するのはタブーだと最近知った。20Dはいつもフル充電で保存していたのでバッテリーがへたってしまったのだ。しばらくすると、これぞ、京都とおぼしきご夫人とその母と目線があってしまった、やっぱり来るものが来たって感じ。撮影の依頼だ。まるで、ジャズ演奏のソロの切り替えタイミングのように、ちょっとした目線でパートが変わるのと同じような、絶妙なタイミングで声が掛かる。注意していたのだが、あまりの気品の良さについ目を奪われてしまったのが失敗だ。出口近く、50Dで蔦の花を撮影しているオジサンに話し掛けられたと言うか、挑発された。「この花には中心にひげがある。それが撮影できているか?」オジサンは自分のモニターを見せながら自慢された。僕は三脚を持っていたので、かなり真剣に撮影したが、50D+100mmマクロIS(新レンズ)の組み合わせにどうしてもかなわなかった。レンズの明るさは変わらないのですが、僕のは古いレンズだ。カメラの画素数も倍ほど違うのだ。少し失望。だが、このカメラはインドを南から北まで旅行し、シンガポールでは数えきれないほどの蘭を撮影した思い出深いカメラなのだ。大事に使おう。3時に植物園を退散。京阪電車の三条から特急に乗ると、88歳のお婆さんが話し掛けてきた、「京都は妙にしんとしてはるでしょ。あんた何処へゆくの?京橋はにぎやかですやろ。鶴橋には用事がおますんやけど。焼き肉は有名な店を知っているが、場所を変えたらしいで」。と、次から次へと話題が移って一方的にしゃべる。四条で降りてくれてほっとした。午後4時半、少し早めの晩飯を、回転寿司「くら」で食べた。相当喰ったな、とお勘定をすると、10皿。えっ、たったこれだけ?日が落ちてからプール。腰痛と膝の痛みがある。無理せず2kmで退散。今日はずいぶんと頑張った一日だった。
1月29日(金曜日)
夕刻かねてより約束していた湯浅港へ行った。ここはなかなか予約ができず、前回西村由紀江コンサートにいった帰り、ここに寄って予約をした。お任せコースをお願いした。おまかせというのは、人数に併せて、魚を仕入れ料理してくれる。刺し身、煮魚、てんぷら、雑炊のコースだ。今日の刺し身はタイだった。これはコリコリ感があり、なかなかの美味。煮魚はぶりの兜煮。甘みをどうやってつけてるか?お酒を使うとのこと。しかし、薄味で基本的には魚の持ち味を活かすとのことだ。みりんや砂糖で味付けしてないわけだ。一緒の主婦経験者に言わせると、みりんを使うなら、宝みりんでないといい味が出ないと言う。ついでにキンカンの煮方を伺うと、ザラメの砂糖を使うのがポイントだそうだ。そうか、僕は普通の砂糖を使ったので甘みが出なかったわけだ。最後の雑炊までおいしく頂いた。その後、夜景を背景にしたカメラの比較写真を撮影して解散。自宅に帰りつきYOUTUBEで、冬富士登山の番組を見た。冬富士でのテントの張り方は、氷のブロックでまず垣根を作り、その中にテントを張るそうだ。レーサーの片山さん一行が遭難したのは、こうした手続きを踏まなかったからだろう。登山のイロハを知らずツアーを組んだ素人だったのだ。
1月28日(木曜日)
腰痛と膝の痛みで調子が良くない。膝は歩く時でなく、座っているときに痛むのだ。腰はかがむと痛む。バンコクからの深夜便で帰国したときに調子を崩してしまい、ずっとその調子が続いている。今朝は雨だし、歩くこともかなわないので8時まで寝て、支度をして出かけた。会社の近くに住むのはこんなメリットがある。今日は歩いてないので昼食を少なめに摂ると、夕刻猛烈に腹が減ってしまい、夜の食事を多めに作った。群馬県の空風に吹かれて栽培したほうれん草が並んでいた。葉っぱが小さいが甘いのでお勧めと表示につい手が出て買ってしまった。ドレッシングで頂くと、告知の通りなかなか旨い。食べ物で体の痛みが回復すれば良いのにと思いながら夕食を食べた。
1月27日(水曜日)
疲れが取れない、それに膝の痛みが激しく、自転車で会社に向かった。所要時間30分。出張の後遺症でしょうか、頭も鈍く、手足が思うように動かない。やっぱり年齢のなせる技でしょうか?前の職場は管理職定年制を敷いたがこれは正しい選択だ。年を取ることで頭はともかく体の自由は効かなくなっている。自民党は70歳定年制だが、これは老害をまき散らしているようなものだ。若い人に期待しようではないか!こんな政策だけでも日本は活性するかも知れない。人口減が成長性を阻害するとよく書かれているが、仕事をしてない若年層が何百万人もいるから、人口減の問題は関係なさそうだし、景気は回復してきていると報じられているのに、雇用は回復してない。これも、人口減が経済の足を引っ張る説と矛盾する。そしてどのマスコミも同じ論調なのだ。おかしいと思わないのかな?体の調子が悪いとつい愚痴が出る。体がつらいので、平日だが酒を飲んで早めに寝た。
1月26日(火曜日)
眠いが眠れない、夢遊病者の状態で関西空港に降り立った。6時52分の南海電車ラピートで難波に向かう。車中「それでも恋するバルセロナ」を観ていく。女優のペネロペ・クルスの大ファンだ。この人はずっと見続けても飽きない。こんな美人が世の中に存在したことに驚く。飛行機の中ではろくに寝ず、酒を飲んでばかりいたので、頭が興奮状態にあるから、朝っぱらから、恋愛映画を観ることができるのだ。8時半に帰り着き、シャワーを浴びてから12時まで睡眠。それから会社に向かう。体と頭が分離している状態だ。これは良くない状態。5時半の終業ベルが鳴ると退散した。予約した歯の治療も延期した。やっぱり、日本の飯がいい。
1月25日(月曜日)
昼飯の話。事務所の近くにおいしいラーメンの屋台があるという。じゃぁそこへ行きましょう。薄暗い会議室にいたので、まぶしい屋外の暑さが気持ちいい。もう完全に熱帯の気温になれて、日本の寒さをわすれてしまった。日本は8度だとメールが来てた。このラーメンは、スープが別で、麺は味噌のようなものとを混ぜていたく。タイの人には評判のラーメン店らしい。会社の人達も来ていた。僕にはまずくはないが、格別旨いと感じなかったが、スープは極上だった。紹介してくれた人には悪いが、僕はこのスープをかけて食べたかった。スープは鶏ガラの出汁に、塩味、それに強烈な胡椒が混じっていた。それにネギが数本浮かんでいる。午後の会議を終えて夕刻ITビルに連れて行ってもらった。カメラを車の中に置いてきたので写真はないが、秋葉原のラジオ会館のようなもの。しかし、ビルの造りは阪神百貨店程度の大きさがある。この中に小さな店が無数に陣取っている。僕にとっては猫に鰹節のようなものだから、帰りの飛行機に遅れる可能性がある。とりあえず食事の時間もこの見学に当てて、ホンのごく一部だけを丹念に探索した。フォトショップのコピーものが600円である。早速購入、焼くので15分後に来て欲しいとその兄ちゃんは言う、チラシの裏に、ボールペンでフォトショップの名前を書いて渡された。これが引換券の代わりだろう。まぁだまされたとしても600円だ。DVDの映画も音楽も格安であるが次回に。先日買ったサムスンのカメラはここでは6,000円も安かった。EOS7Dはさすがに品切れだった。いい三脚が6,000円程度であったが、これも断念。最後にレーザーポインタを買おう。日本では弱い光線のものしか売られて無く、しかも数万円するが、ここではずいぶんと安いと言う。レーザーポインタがなぜ欲しいかと言えば、カラスの目を焼くためだ。時々住んでいる公団の木に止まったカラスが五月蠅いのだ。高知の田舎にもずいぶんとカラスが増えた。このレーザーポインタの強烈なヤツを、カラスの目に当てればきっと、退治できるはずだと踏んでいる。ストロングと言って出してきてくれたものは、豪華なケースに入った単3仕様の明るいレーザーポインタだった。小柄なかわいい女性の店員だった。目がとても生き生きしていている。何となく商売が旨く回っているような感じ。無口な旦那さんがお金の入った鞄を首から下げていた。タイは女性が強く実権を握っているとのこと。そういえば会社の幹部に挨拶したが、窓際の管理職は全部女性だった。男性はその前の平机で働いていた。出発の2時間前に空港到着。ここで現地の仲間と別れて出国の手続きに入った。タイ航空日本、韓国便カウンターは、ものすごい混雑だ。十分な時間があるのになぜ?これは後で分かったことだが、一便キャンセルがでて、一つの飛行機に二便分の客を押し込もうとしている為だった。食事は空港内の随所にあるが、まずはラウンジで食べてからにしよう。ここでビールも飲めるし。ただだし、と言うことで、タイ航空のラウンジを探したが見つからない。ずいぶんと歩いた後、紹介所があり、尋ねると、一つ下のフロアだと言う。タイ国際空港は4階と3階にわかれて店があるのだ。3階は出発の通路でもある。ずいぶんと歩いたので、だんだんとこの空港の構造が分かったぞ。ラウンジでラーメンとサンドイッチとチャーンビールを飲んだ。出発は現地時間午後11時だが、日本時間では午前1時である。眠たさを通り越した感覚になっている。
1月24日(日曜日)
ゆっくり起きて、朝食をとった。外は明るいひさしが降り注ぎ、今日も暑くなりそうだ。写真撮影にはぴったりの天候だ。部屋に一旦戻り、しばらく呆然としていると、急激に暗くなり始めた。ホテルの12階からの眺望も次第に利かなくなり、昨晩食事をした徒歩15分のカルフールも見えなくなり、大雨となった。こちらの雨は強く太く、まるで夜のような暗さとなった。これじゃ、無理して外に出かけることはないな。ということで、夕刻まで部屋にこもっていた。そして、雨も上がり太陽も覗いたので、スクンビットの大通りに出ることにした。タイで興味をそそられるのは屋台だ。いたるところにある。見ていると、いくつかの種類に分類できそうだ、一つはラーメン。もう一つは、野菜を細かく砕いて、その上にピーナツなどを乗せるもの、もう一つは、ピーナツや、とうもろこしなどを湯がいている。更に、果物、焼き魚、豚の焼いたもの。6種類だ。スクンビットの通りを歩きながら帰りに買うべき屋台を物色した。夕刻の市内は混雑して、アジアの混沌さと熱気が南国を醸し出していた。戦禍をくぐり抜けてない街は行き止まりが多く、間違いなく帰るためには、迷うと引き返す。これを繰り返し、土地勘を高めてゆくしかない。街の風景はカメラに収まりやすく、角度を変えて撮影してゆくと、どうしても目が合ってしまう場合もある。しかし、そこは南国のおおらかなところ、ハ〜イと声がかかる。すかさず撮影をする。電車にも乗ってみた。全面広告の車両だが、室内からは外が見える。一区間15バーツ。野菜を細かく砕いて三杯酢で頂くのはソムタムという名前。これを一つ買った。火を使ってないので、全部食べるのは危険だが半分くらいならいいだろう。トウモロコシの蒸したものも買った。これは歩きながら食べた。街の真ん中に大きな公園があった。日比谷公園と同じ感じ。湖の周りは芝生。この上にマットを敷いて寝転がって音楽を聴いている人がいた。その気持ちわかるぞ。家族がお弁当を開いていた、その気持ちもわかるぞ。屋台でDVDを売っていた。アメリカ人が群がっていたので、僕も仲間に入った。「アバター」、「2012」があったので買った。2枚で600円。まだ売ってないはず。NTSC規格だった。アメリカからの流入だ。帰り狙っていた屋台でラーメンを食べようとしたらもう閉まっていた。仕方なく、ホテルの前にあるコンビニでカップヌードルを買った。こちらのカップヌードルは40円位だが旨くなかった。
1月23日(土曜日)
朝6時起床、7時15分、近くのインペリアルホテルに集合。HISの水上マーケットツァーに参加するためだ。日本語をしゃべるタイ人と運転手で運営している。この案内する人はおじさんだがなかなか駄洒落が多くて楽しませてくれる。HISは遠く離れた日本からどうやって彼らのモチベーションを高めているのだろう。非常にしっかりとした対応なのだ。水上マーケットに着く少し手前で、ココナッツの砂糖工場に寄った。欧米の人、アラブの人、韓国、中国人、世界の人がここに来ていた。ココナッツの砂糖を少しだけ頂いた。深みのある甘みがした。さて水上マーケットだが、イメージは、水路を抜けていくと、大きな島があり、ここに市場があるという感じだった。現実はその通り、乗用車のエンジンを後部に載せた幅の狭い船が次々にやってきて客をさばいていく。だが、水路は狭く、前を行く船があるのでゆっくりとしか運行できないが、一箇所だけ少しの間フル運転をしてくれた、時速60km位出ていそう。水面を叩く振動が激しく、乗り心地は良くない。この濁った水で洗濯したり、食器を洗っている人がいたのにはびっくり。そしてイメージ通りのマーケットに着いた、上陸して、小さな船に積んだ売り物を眺めて撮影した。子供から若い娘やおばあさんなど、家族総出で売り込みをするので、写真に専念できないほどの活気。ココナツパンケーキ(40バーツを買った)これは絶品だった。このおばさんの笑顔がなかなか良かった、ドイツ人のカメラマンがいいショットをしていた。僕はそれを眺めた。そして集合時間、トンネルのような狭い通路の両側に売店が連なるところを抜けてゆくと、何と最初の出発点の所に出てしまった。興ざめだ。これではリピーターを呼べない。嫌なものを見せていただいた。帰りには免税店に寄るという、これは計画にない話。まぁここで目くじらは立てない。僕は早速この免税店を抜け出して、外にでて、集合時間までこの付近をぶらついた。タイは屋台が気になりますね。ほんとにおいしいにおいをそのあたりに振りまいているのだ。だが、食事をする時間はないので探索だけに留めた。他の人もなにも買ってないようだった。出発のホテルまで送ってもらって解散。そこから徒歩で、自分の宿泊しているホテルまで、途中でラーメンのおいしそうな店に入った。タイ語での注文を聞かれるが意味不明、人の食べているものを指差し、注文する。言葉が通じなくても問題はない。しかし、今回は指差したものが辛いと忠告をされたので、別の人の食事を指差した。ホテルを探したが、どんなに行ってもホテルがない、そこで、バイクのタクシーに乗った。バイクの後ろに乗せてもらうのだ。車の間をすいすい抜けて軽快に走るが、僕はつかまるものがない。非常に不安定な姿勢で、後ろで固まっていた。でもヘルメットもなく風が爽快だった。一旦ホテルに帰り、荷物を置いて、今度は肉や魚を売っている市場へ、ホテルのボーイにニュアンスを伝えると、了解したようで、タクシーを呼んでくれた。この市場いきなり、入り口に生きた鳥が大きめの犬小屋のような中に囲われている。その小屋の上には、毛をむしられ羽も、首もない料理された鳥が並べられている。その先には魚、50cmくらいのなまずもいる。フナに似た大きな魚もいる、動いている。豚も、牛の肉もある。野菜も豊富、唐辛子の種類の多いことに脱帽。この市場は広く、ずいぶんと歩いたが、それでも1/3位だったと思う。途中で、ウインナー焼を買う。これは、ずいぶんと塩が効いている。別の店でコーラを飲んだ、そのおばさん、瓶を置いておくように!僕は「Here」地面を指さす。そうすると、今度は腰掛を出してくれる。そのおばさん、北国の春を口ずさんでいた。もっと探索したかったが日が傾き、写真に適さなくなったので退散する。一昨日のカルフールに徒歩で向かう。ここのファストフードで、タイ料理をいただく、70バーツ。昨晩の夕食が1,000バーツだから、隔世の感がある。その後、2階にあがり、CDショップでタイの人気アーティストのDVDを買う。900円。2枚のDVDセットの価格だ。このDVDを見ながら、この文章を書いている。PAL規格のディスクはPCで難なく再生可能なのだ。
1月22日(金曜日)
タイの事務所は市内から少し外れたところにある。市内から郊外にでる道路は2車線の片側を市内に向かう車に開放している。自分で運転してないが、結構はらはらモノだ。昼飯は、タイ料理の店に連れて行ってもらった。大きな湖を囲むレストランだ。パパイヤのサラダが前菜で出てきたが、これが辛いの何の。メインディッシュは、海老の団子を揚げたものだが、まだ少し熱いのを頂く、しかし、口が先のサラダでハリハリ状態なので、海老の団子の味まで辛くてどうにもならない。更にでてきた、豚の燻製と、生野菜の取り合わせは、この口のはりはり状態を中和してくれる緩衝材。これらを、回しながら頂いていく。サラダに限らずほとんど料理には、アジア特有の匂いのきつい野菜が使われている。この匂いというか味を克服しないと、アジア一帯の食べ物はおいしくないですね。コメにはほとんど味がない。生暖かい風に吹かれながらの食事は気分爽快だった。社員食堂でむなしい食事を取っている仲間に申し訳ない。夕刻、事務所とは反対方向にある郊外のフューチャーパークと呼ばれるショッピングセンターに出かけた。ここは広い、建物が敷地を取り囲むように出来ているので、直線部分がなく、ショッピングも楽しい。ここで、サムスンの新しいデジカメの出会った。何と、カメラの全面に液晶があるのだ。撮影される人は、どんなに映るのか、この液晶で確認することが出来る。にくい配慮だ。36,000円だが、無理して買った。サムスンのデジカメは、世界で4位の販売に達しているそうだ。説明を聞くと、バッテリーの充電に10時間かかるとか、バッテリーが小さいので、2個付属しているとか、SDカードがマイクロしか使えないとか、3.5型液晶だが、実表示は3型よりも小さいなど、不満はあるが、興味深い。早速明日試して見よう。夕食は、仲間と日本食の店に。外国に来て日本食もないのだが、打ち合わせを兼ねた食事会なので仕方ない。
1月21日(木曜日)
不思議なのは、普段は朝5時ごろに目が覚めて、もう一度眠り、6時のタイマーがなる前に起きるが、ところが、出張の時は6時のタイマーまで直通でぐっすり寝てしまうことだ。寝過ごす事だってありそうな睡眠の深さなのだ。何で?こうなるのだろう。今回はタイ行き。関空から6時間で着く。作成した資料を見直すのに丁度の時間だ。ところが、僕の2つ後ろに座った、30歳前の女性はマスクなしで、ずっと咳のしっぱなしだ、手で覆うこともしない。なんという恥知らず、常識知らず。6時間ずうっと病原菌を撒き散らしているのが気にかかり書類に集中できず困った。学校崩壊の中で育った人たちがこのような行動を生む。いよいよ日本も外国のように、自分たちだけの世界を作るために外界と隔絶した家屋や施設などを作るしかないのかと思う。既に日本のマンションはそうなりかけている。既に未来は起こっているのかもしれない。機内食は、魚か豚肉、タイ人のスチワーデスが片言の日本語で言う。機内食も慣れるに従って、だんだんと不満が出るようになってきた。最初の頃はおいしいと頂いていたのに。空港には日本人が出迎えてくれて、ホテルまで送り届けてもらった。ホテルで荷物の整理をした後、食事に出かけた。しばらく歩くとカルフールがあった、このファストフードでラーメンを。注文してお金を払おうとすると、向こうで食券を買ってくれという。ところがその食券売り場がわからないのだ。すると、キャッシュカードと書いたカウンターで人々が並んでいるのが見えた。その行列を見ていると、食べたい食事代金だけ払い、電子カードに書き込むのだ。そのカードを持って食事を作る店員に渡すと、頼んだ食事をもらえるというシステム。まさにキャッシュカードだ。このラーメン30バーツ。約100円ですね。のどが渇いたので、りんごジュース。これも100円。今度は、道路を挟んだ向こうにテキサコロータス(ホームセンター)がある、ここを探索。横断歩道を渡って行くと、降りた先に屋台でけったいなソーセージを売っている。何ぼ?「10バーツ」。それ頂戴。ビニールの袋にキャベツと生姜の薄切りが一緒だ。そうか、肉だけではバランスが崩れるので、野菜も一緒か。気が利くではないか。しかし、生キャベツはギョウチュウの心配があったのでやめたが生姜は食べた。さてこの奇妙なソーセージは見かけほど旨くなかった。物色しているとツタヤがあったので、アビエータのDVDを買う。79バーツ。240円。日本のつたやのレンタル代金でディスクが買える。タイ人の英語は日常語ではないので、非常にはっきりと言うから、少しは僕にもわかる。太陽はないがずいぶんと歩いたので、汗をかいた。昨日まで凍えていたのに。もちろん部屋は冷房を入れている。
1月20日(水曜日)
明日からタイに出かけるので、帰宅し早速出発の準備をした。旅行のカバンは2つある。一つは106リットルの大型。もう一つはその半分。こんなに極端なのに、準備をすると、どちらのカバンを使うときにもきちんといっぱいになるようなものが詰まる。今回は、休日を挟むので、退屈をしないようにDVDプレーヤー、音楽再生プレーヤー、書籍など、余分なものを持ち込んだが、これが丁度いっぱいになる要素だった。あわただしく支度をして床についたが、妙に目が冴えて寝つきが悪かった。
1月19日(火曜日)
関目駅前には、スーパーのアプロがある。こちらの店は小さいが便利なので、電車で帰るときに買い物をする。今日は、洗濯をしなければらないので、早く帰るため電車で帰宅したのだ。さて、夕食の献立は何にしようかと、思案していると、ナスが安かった。そして、その前にナス炒めの調味料があるではないか。これを一緒に買って炒めることにした。ナスだけでは心もとないので、もやし(58円)を一緒に買った。さて、この味であるが、カレー風味の味付けで、ちょっと。という感じだった。自分の作る料理は、あまり旨くないのは自認している。塩分を控えめにしているためとセンスも悪さもある。そして旨くない食事も、無理して食べている。その舌を持ってしても、これは相当旨くなかったのだ。はやり、味は、塩や、ミソや醤油、砂糖といった基本のものでつけるべきだと思いましたね。あんばいという言葉があるように塩加減で献立は出来るのだ。
1月18日(月曜日)
寒さもすっかり緩み、今までと同じような防寒で出かけたら汗をかいてしまった。今日は先日買ったカブの葉っぱの方が残っていたので、これを刻んで、鰹節出汁でウス揚げとシイタケを少し甘く煮て夕食を作った。〆て260円の夕食となった。自分の食べる量は知っておきながら、どうしても徒歩60分の帰宅は、異様な食欲を催すのだ。それでどうしても材料を多く買ってしまうことを繰り返していた。だが自炊も一年近くが経ち、だんだん自分が見えてきた、料理も出来上がりもイメージできるようになって来た。買った材料をどれだけ使えば、丁度の量になるかが。それと、店頭に並んでいるおいしそうな食材を見て決めていた献立を、一品100円で買えるものに。刺身のような高額商品には手を出さない。500円夕食が時々実現でき始めている。
1月17日(日曜日)
舞台裏はどうなんだか分からないが、小沢おろしがしめやかに進んでいる。福田首相はアメリカのしっぽを踏んだので首相をおりたのだと言われている。民主党はアメリカのオバマさんをコケにした。その仕返しはきっとある(はず)。その原因は小沢にありとアメリカは見た。それで、小沢を政治の世界から降ろす密かな工作が実行された。それが、僅か4億円の出所の問題だ。まぁ田中角栄さんも、3億円程度で首相を降りたから、似たようなものかも知れない。アメリカはそういう情報作戦なんか得意とするところだから、日本の政治家なんかいいように操られるのだろう。とにかくアメリカにとってのたんこぶである小沢は政界を失脚するだろう。特選街と言う雑誌が、キヤノンのデジカメのS90をべた褒めする。それで、このカメラを買ったのだ。それでどれだけ進化したのか、昨年かった930ISと取り比べをしてみた。ところが、どんなに拡大しても、この2つのカメラには画質の違いが見いだせないのだ。この本はBDを評価する松岡氏も、妙な視点で評価を書く。この本は宣伝が少なく、評価がぶれないはずだが、妙に文章がうさんくさいところがあるのだ。そして、実際は使用してないのに使ったような記事を書く。雑誌の場合はこうして真実を暴くことができたが、なかなか真実は見えないものだ。見えたように錯覚させる技術が発達したのかもしれない。
1月16日(土曜日)
西村由紀江を知っているだろうか?クラシック系のピアニストだが、自分でピアノ曲の作曲をして、どちらかと言えば癒し系の音楽を演奏する人だ。友人のT氏からお誘いを頂いて、今日、大阪サンケイホールのコンサートに行ってきた。サンケイホールは新しく建て替えたようで、7階建ての立派なビルになっていた。演奏のリクエストが合ったので、モーツアルトのトルコ行進曲をお願いした。西村さんのピアノは日本人らしく淡泊で深みとかコクはない。ただ、なじみやすいメロディーにカバーされているようだった。最初は少しタルかったが、刺激のなさと、おしゃべりで全く退屈しない演奏だった。ギターとコラボを組んだが、これは合わない。ギターがメインで、ピアノが伴奏だと非常にぴったり来るが、その逆は全く良くない。こんな組み合わせを考えたのは誰だ?と言いたくなる。まぁそれを思ってか、ギターは少し控えめの音量だった。ツアータイトルは、ビタミン。西村さんが移籍したとき、ファンの方から「慌てないで、すてきな曲ができまで待ったら」と言うアドバイスをもらって、ずいぶんと励ましになったようだ。そのお返しに、今度は、ファンの方に元気をあげたいという意味からビタミンと言うタイトル名にしたそうな。そして、今日元気をもらった人は、帰って周りの人に元気をあげて欲しい、とメッセージがあった。このようになかなかしゃれたコンサートだった。友人はヤマハの関係の仕事をしているので、西村さんとつながりがあり、コンサート終了後に一緒に記念撮影をさせてもらった。その後おじさん達は魚を食いに大阪の街に埋没したのだ。
1月15日(金曜日)
今朝の部屋の温度は11.1度、昨日より0.1度低い。金曜日は憂鬱だ。金曜の午後5時半から、歯医者を予約している。レントゲンで観ると歯の中に膿が溜まっているらしく、これがいる爆発して痛くなるかも知れないというので、治療を受けているのだ。ところが、相当深い所に針を通すものだから痛いの何の。それが、この日の一番の重しとして頭の隅にこびりついているのだ。そして、治療。もう体の方が痛くもないのにびくっとする。医者が痛いのかと聞くので、少しと答え、麻酔をすることになった。だが、妙な痛みを感じながら、30分の治療を終えた。口のしびれが取れるまで食事ができないので、9時前まで残業をして徒歩で帰った。気分的に疲れて、もう食事を作る勇気がなく、道中の店「豚吉」でラーメン定食を。夜の9時過ぎだというのに、この店は混雑している。おじさんも、おばさんも、若い女性も、恋人達もこの店で喰っている。夜のメインとしては些か寂しいものがあるのだが。今は不況だからしかたない。
1月14日(木曜日)
今朝の部屋の温度は11.2度。寒い日は鍋に限る。妹尾河童さんと言う劇の背景を作る演出家がいる。「少年H」を言う本を書いた作家でもある。この人のエッセイはなかなかおもしろく、そして旅した先のホテルの部屋の見取り図を全てスケッチしてあるユニークさもある。その本の中で、妹尾家定番の鍋の紹介があり、妻がそれをマスターし、一緒に暮らしているときは、何度か食べたことがあった。そうだ、今日は河童さんの鍋にしよう。と言うことで早速妻に電話をかけて作り方を聞いた。春雨を使うことは知っていたが、他の具と、味付けをどうしたのか聞いた。帰り道「ライフ」へ行き、まずは春雨、骨付きカシワ(これがなかったので、豚バラ)シメジ、白菜、出汁は中華料理の元、そしてニラ。炊きあがったらこれに塩を振りかけて食べるのだ。ところが、できあがった料理に何か欠けているぞ。緑がないぞ。なんてことはない、ニラを忘れているではないか。ライフで春雨が見つからず、ずいぶんと捜すのに気を取られたのだ。それですっかりニラが飛んでしまったのだ。
1月13日(水曜日)
とうとう大阪の街にも雪が舞った。このニュースをタイの人に伝えると、先方では外に出て5分もすれば汗が噴き出すとのこと。とてもこちらではそのイメージが沸かない。経済が悪くなると地震が起きると言う日本にはジンクスがある。だが、海の向こうのハイチでも相当大きな地震が発生したようだ。ヘラルド紙はトップにこのニュースを取り上げる、値上げして160円になった日経新聞はこの記事はない。30万人の死亡があるかも知れないと言う被害は経済にも大きな影響があるはずだが、無関心だ。テレビや新聞を見ていると、日本は世界から関心があるかのような書き方をされているが、ホントはほとんど無視されているようだと言うのを読んだことがある。つい先だってのこと、麻生首相はシンガポールだか、フランスだか忘れたが各国の首脳級の会議に出向いたあと、その後個別の二国間の話し合いが開催されたそうな、その時、どこの国からも声がかからず、ホテルの部屋で時間を過ごしたそうな。日本は外交的には孤立していると言っても過言でないようだ。そして今の政治はほとんど停滞している。
1月12日(火曜日)
冷蔵庫の中で寝てたような感じ。でも、去年の今頃はもっと寒かった。部屋も寒く、エアコンもパワフル運転だった。食事の支度も、食器を洗うにもお湯で洗った。とにかく寒くて、寒くて。だが、今年はそんなに寒く感じない。食事の準備に冷たい水でもOKだ。この差は何なのか、生活に慣れてきたのだろうか?
いや、違います。その理由は肉ですね。昨年は肉を食わなかった。特に昼食に肉系のタンパク質を抜いたのだ。これが堪えたのだ。昨年、一人生活をするについては、どうしてもタンパク質に偏りすぎる可能性があると危惧してたので、徹底的に抜いたのだ。今年は、結構喰っている。それは軟弱になったのではない、医者に相談すると、バランス良い食事が大切で、極端なことは控えた方が良いとアドバイスを受けたのだ。と言うことで、寒さは今のところ、敵ではなくなっているのだ。
1月11日(月曜日)
家から一歩も外に出ずに部屋の中で暮らした。昨日の水泳がずいぶんと効き、眠くてしょうがないのだ、足や手が張っている、筋肉痛です。暖かい日差しが差し込む部屋で本を読んでいると、ついつい寝てしまう。気がつけば午後4時。今日は田舎から持ってきた金柑を煮る。金柑はビタミンが多いので風邪を引きにくいそうだ。生で食べると、少々きつくて、いくらも食べられない。そこで、酒とみりんと、砂糖を加えてしばらく煮た。火を止めて食べてみると、甘さが中まで浸みてない。包丁を少し入れて、味か浸みるようにして、再び煮込むこと10分。それが冷めるまで待って、いただくとなかなかいい味に仕上がっていた。ネットで調べると、酒よりも焼酎の方が良いと書いてあった。この方法で行くと、他の果物も煮ることでおいしく頂くものがあるのかも知れない。来週は別のもので試してみよう。6時からプール。2.5kmを1時間5分。平時よりも5分遅れ。昨日の疲れが溜まっている。
1月10日(日曜日)
千葉の家で朝飯をこれ以上は食えないと言うまで食って出発した。9時の新幹線で大阪に向かう。富士山が見事な雄姿を誇っていた。しばし睡眠して気がつけば京都。なんだか腹が減ってきたが、今朝の食事の量を思うと我慢するしかない。自宅のある関目駅で下車すると、華やかな東京の風景から余りにも一転するので気が滅入った。帰ると洗濯と、ワイシャツのアイロン掛け。こちらへの転勤の時に、妻が荷造りをしてくれたが、その中に靴下が見事に並んでいた。これは、どうしても同じようにできない。いろいろと観察の結果、靴下にアイロンをかけると、キレイに並べることができることが分かった。以来、ワイシャツと靴下にアイロンをかけてきちんとしている。シャワーを浴びて掃除をして、やっと落ち着いた。しばらくしてプール。久しぶりの水泳で腕の力が不足している。僅か2週間泳がないだけで、腕の筋肉ががっくり落ちたのには残念よりも驚いてしまった。ホント今日は水が重たかった。夕食に友人のT氏から教えてもらったキムチ鍋を実行した。まず「キムチ鍋のモト」を鍋に入れる。そこにチンゲンサイ、カボチャ、にんじん、油揚げ、鰹節を入れて、しばらくしてから、本物のキムチを入れる。カボチャは他の野菜との煮えるバランスを考えて、少し薄めにカットすることがポイントだった。まずまずの味でした。
1月9日(土曜日)
5時に目が覚めた。出発は7時だがこれ以上眠れるわけもなく、起き出して出発の準備をする。電車の中で英字新聞の記事を読む。「車の中の電子化」だ。こうしたビジネストレンド記事は、日本の新聞にはなかなか掲載されないので、辞書を片手に読んだ。東京でFさんと待ち合わせ、東京のスポットを巡るツアーをするのだ。まずは最初に稲見海岸。陽光まぶしい東京湾に出る。風が冷たく、海は汚い。だが視界は広く心は晴れる。ずいぶんと冷えた後、花の博物館に併設してある、レストランでお昼の食事。ワインをオーダーする。白を注文したら、少し余分に入れてくれた。彼女はいい仕事をしている。イタリア風のレストランで、結構リッチな至福の時間を過ごさせていただいた。友と語らうには、最高のシチュエーションだった。その後、花の写真を撮影して午後3時過ぎにここを出発した。次は上野動物園だ。上野は何度が来たことがあるが、動物園は一度しかない、それで入り口を間違えるアクシゼントがあり、一寸時間をロスした。動物園は5時が閉園で、動物は4時半にはいなくなってしまうと言うか、宿舎に入ってしまう。ここでは十分に楽しめなかった。次に向かったが永代橋。ここは夜景撮影のスポットだ。橋の向こうに、高層マンションが建ち並び、ニューヨークかと間違う見事な風景が目の前に広がる。特に夜が良い。十分東京を満喫して、自宅に帰り着いたのが午後7時過ぎ。相変わらずぶっきらぼうな姉と、勉強をしない弟と、ほとんど会話のない妻がいた。めちゃイケのつまらない番組を観て楽しんでいた。食事の後、姉にパワーポイント使い方を教えてあげて、他にすることがなく床についた。横になって本を読んでいたらものすごい睡魔がやってきた。
1月8日(金曜日)
会社で通信回線を使った会議があった。当社自慢の会議システムで、なんと映像が16:9のハイビジョン映像で送られてくる。非常に鮮明だ。ここまで来ると、もう話をするために出かける必要はなくなる。しかも、この電話システムは、今年中にテレビに搭載されることも決まった。しかも、通話が無料である。なんと言うことだ。世の中の常識が変わるかも知れない。しかし、そんなことを言っても、やっぱり逢って話すことも必要だ、と言うことで明日千葉に帰ることにした。出発の準備の合間に、洗濯や掃除の家事を済ませた。仕上げは、冷や奴で酒盛りをしながら、映画「パッセンジャー」を観た。主役は美人カウンセラー「アン・ハサウェイ」。確かに美人を大写しにして眺めるのは不愉快ではないが、四六時中彼女のシーンなのだ。話の筋が見えない、それでなんだか映画が薄ペラくなり、途中で止めてしまった。今年になって何本かの映画を観ているが、どうも最後まで見終えることができない駄作ばかりに当たっている。アメリカは経済がダウンして苦しんでいるが、同時に映画ビジネスもネタ不足で苦しんでいる。○○Uといったシリーズものでお茶を濁すようになっている。先ほどの家庭用のTVシステムに戻るが、これが全世界にネットされるようになると、綺麗な風景と一緒に外国の人と話ができるようになるかも知れない。そうなると、映画よりももっと楽しい世界が広がるかも知れない。それまでに何とか英語の話ができるようになろうと思うのである。
1月7日(木曜日)
Webの翻訳ソフトはホント、役立っているが、なかなか思うようなイメージに翻訳をしてくれない場合も多い。最近はどんな感じの英文にして欲しいか何となく分かるようになってきた。それで、そのイメージに合うように日本語の文章を工夫するわけだ。何回か繰り返していると近いのができあがってくる。その文章を今度は日本語に変換するわけだ。旨くいかないときは、この英文を少し変えて、出力される日本語が、イメージ通りなのかチェックするのだ。翻訳ソフトは古い英語辞書を使っているのだろうか、少し回りくどい表現が多いので、少し手を入れるというわけだ。できあがった英文は本当のところどんな完成度か不明だ。だが、とりあえず発信している。昨年よりも、少しだけ修正ができるようになったのが進歩かも知れない。しかし、you のことをuとして書いてくるメールにはまだ対応できない部分が多い。
1月6日(水曜日)
日本橋に出かけた。丁度昼時だったので、難波の「たよし」で昼飯を食った。定食600円だ。食事が運ばれてくるまでの間メニューを眺めていると牡蠣フライ定食が680円だった。昨日会社の食堂で同じものを喰ったが650円だった。小鉢2つと同じようなセットだ。会社は光熱費や場所代が不要で、しかも、確実に客数が予測できる。にもかかわらず、市中の食堂と僅か30円しか差がない。しかも、向こうはみそ汁付きだ。この差はいったい何なの?結局努力ですね。切磋琢磨ですね。確かに会社の食堂が暴利をむさぼっているわけではないだろう。材料費に人件費を足した計算をしているはずだ。だが、どこかと競争しているわけではないから、工夫がない。何年もの間硬直した運営の結果、こうした高い食事しか提供できなくなったという次第だろう。こうして人の批判はできるが、自分もまた、硬直した人生を歩み始めているかも知れない。幸い今は時間が豊富にあるので自分を見つめることができる。
1月5日(火曜日)
久しぶりの大阪、いつも見慣れた風景なれど、大阪の街には活気がない。まるでゴーストタウンにいるようだ。1990年から停滞した経済は、とうとうここまで日本を疲弊させたのかという感じがする。政府は何をやっているんだ!と不満の声が高まらないのも不思議。マスコミも政治家の金権のような些細なことには敏感に反応するが、FTAなど、外国との取引に関する日本の閉鎖性については、非常に無頓着だ。隣の韓国はEUと条約を結び、ますます離される状態にあるにもかかわらずだ。大きな借金を背負うばらまきで政策ではなく、障壁を低くして、国を開放すれば一気に経済は活性化するのだが。人口の僅か4%しか従事してない農民の声がまだ怖いのだろうか?みんなぬるま湯に浸かっていて、いつの間にか風邪を引いていたと言うことにならないようにして欲しいものだ。政治家は国民よりも小沢さんの方を向いているし、その小沢さんは国民よりも、自民党の方を向いている。これでは何かが良くなる可能性は皆無だ。今の政権はアメリカに冷たくしているので、アメリカが少し裏で動いて、キーマンを失脚さることに期待するしかない。これはあり得ない話ではない。沖縄の基地問題で赤恥をかかされたアメリカは何かする可能性は高いのである。
1月4日(月曜日)
あっと言う間の休暇だった。でも今年は空き時間を全部読書に充てたから、まずまずの満足感があった。午前10時にT氏が車で明石に帰るので、これに便乗させてもらった。一気に明石まで行き、明石海峡が眺められる「蔵寿司」で食事。頑張って食べては見たものの、お互い8皿づつ。食えんなったなぁ、と感慨深く確認しあった。その後に、大蔵海岸に連れていってもらった。目の前に明石大橋が掛かり、手前には人工の砂浜が広がる。綺麗な海岸だ。でもここは砂の陥没事故があり、さらには翌年の花火大会では、歩道橋で混雑事故があり2年続けての惨事があった場所。とりあえず綺麗な風景だけ収めて帰宅の途に着いた。変な時間に飯を食ったので、夕食の献立が難しい。この休暇は毎日米ばかり喰ったので、少し軽いパンが欲しくなり近くのスーパーに行くと、なんと食パンが売り切れ、その他のパンも少ない。あっ!みんな腹の調子が同じなんだと独り合点した次第。高知の想い出はMacで書いて、FDに収めて持ち帰ったが、なんと、こちらのWindows XPではそのデーターを読み込むことができずどうしようもない。今度帰省したときに、改めて取り出し掲載するつもりだ。
1月3日(日曜日)
いよいよ、今日で休暇も終わりだ。布団の中で「わけいってもわけいってもインド」蔵前仁一氏を読んだ。丁度昨年の今頃インドに始めて足を踏み入れた。南部にある都市チェンナイは、なま暖かい風と、車の喧噪と圧倒的な出迎えの人に度肝を抜かれた。あのインドの香りを思い出しながら、この本を読んだ。この本のテーマは、インド北部、西部地方にある、壁画だ。この壁画はヒンズー教以前(1700年より昔)から受け継がれている文化らしい。インドは何でもそれなりに受容はするが、いつの間にかインド色に埋まってしまう。この伝統ある文化も、いつの間にかインド色に染まって今に至ったのだろう。それがこの国のおもしろさであるが、ビジネスはおもしろさに通じない面が多い。むしろ苛立ちを助長する方向に進むが、そんなことはこの本では触れてない。いい面だけがピックアップされている。片やこうした面白い本を読みながら、オバマさんの就任演説を訳してみた。CDまで発売になっているそうだが、僕はネットで探した原文と訳文を机の前に広げ挑戦した。ところが訳の日本語に普段使わないような語彙があり、何が何だか分からない。
1月2日(土曜日)
お正月の行事も無事終えたので、再び読書。昨日買った新聞を読む。お正月の新聞はどこも90ページ近くの紙面があるので読むのに時間がかかる。とりあえず朝日と日経だけを終えた。経済欄では津村政務官だけが後半から回復に向かうと言っている。おかしいなぁ。多くの経営者が二番底を心配していて、更には、堺屋太一氏は「凄い時代」、高橋乗宣の「二番底不況」など、書籍は全て11年〜12年の2番底について危機感を募らせているが、この政府高官だけが、楽観している。先のことは分からないが、色んな数値が楽観を許さない傾向にあるのに、彼は何を根拠に発言しているのだろう。無責任な発言でも許されると思っているのだろうか?この記事は切り抜いて、今年の年末にもう一度彼の記事を読み返してみよう。日本政府の見通しが正しいのかどうかを。
1月1日(金曜日)
朝4時前に起きるためには、前の晩に少々多くの水分を取っておくこと。そうすれば、否が応でも目が覚める。と言うことで、見事4時前に起床して、月食を撮影した。450mmの望遠レンズでISO800撮影した。その次は6時。近所の新聞集配所に朝日新聞を頼んでいる。近くのコンビニでは朝日新聞だけが販売してないのだ。この新聞屋はこの時間しか居ないと言うのだ。4時から6時までの間、布団の中で「柳公司のダブルジョーカー」を読んだ。1940年代のスパイ小説だ。短編集で内容が軽いためスラスラ読める。問題は寒さだ。体は布団の中で暖かいが、手だけは外に出る。すると手だけが寒くて凍える。30分に一度は手を暖めないとどうしようもなくなる。次のポイントは7時15分だ。元旦の日の出を撮影する
のだ。海岸までは自転車で5分。コンビニで日経、読売、毎日と日本酒のパック酒を買って、砂浜へ。三脚を立て日の出を狙う。冷たい。日本酒が守ってくれる。お酒でほかほかしてきた頃、太陽が昇ってきた。海に太陽光線が走る瞬間を3台のカメラで撮影した。その後自宅でお正月。ほろ酔い気分になった頃で、犬の散歩。さすがにお正月から犬の散歩をしている人はいない。気分良く散歩をしていると、近所の若奥さんが後ろから追いかけてきた。先方も犬の散歩だ。同じ柴犬の雌。我が家の犬はかわいいと思っていたが、こちらの犬は年が1歳なのでもっとかわいい。近所の人とは余り話すことがないので良い機会だった。その後、友人のT氏宅に寄ってお正月。更に酔って自宅に帰り着く。友人のK氏に電話をすると自宅に居ると言う。それなら、少し休憩してから訪問するわと電話を切った。約1時間熟睡して、自転車で出かける。風は冷たいが、10kmくらい走ると、汗をかいてしまった。シャツとトレーナーだけで良さそうだ。ダウンを脱ぐと最初トレーナーが濡れていたので寒かったが、更に10km位行くと汗も乾き丁度の加減となった。K氏宅は、自宅から西に30km位離れたところにある。約1時間半の行程だ。K氏は年末に高血圧で救急病院に駆け込んだらしい。一緒にビールにつき合ってくれたが、少し心配だった。4時前に退散。日没までに帰り着くために、逆算すると4時がぎりぎりの時間だった。自転車で運動するのは気持ちがよいが、どうしても欲しくなるモノがある。それは米だ。これがないと体が言うことを聞いてくれなくなる。と言うことで途中の吉野屋で米を補給。やっと落ち着いた。
12月31日(木曜日)
朝から本を読んでいる。犬の散歩以外は出歩かず、本に没入だ。今年は雑誌が37冊。書籍が35冊。例年に比べて非常に少ないのは、家事と英語の勉強に費やした時間が多い為だ。土日出かけることを控えだした後半から書籍の料が増えだした。仕事が変わったり、自炊をしたりして、なかなか自分の生活が安定しなかったが、10月の一年目を迎えた辺りから何とか形が出来上がって来た。それで本が読めだしたと言うわけ。それに、一日の終わりに読み終えた本があれば非常に気持ちが落ち着いている。それ以外のことではこんな満足感がやって来ることはない。
12月30日(水曜日)
午前中は英語の勉強をして、午後から本を読む。昨日も書いたが、アメリカのトレンド41編を掲載した書籍「マイクロトレンド」マークJペン氏の書いた本。その中で、片づけの事について触れている。アメリカ人は片づけが下手になったと言う。彼のトレンド分析の基本は全て数値化して、分析がその方向を示していることを証明している。片づけられない人の男女比では53:47%で男性が特出しているわけではないようだ。また、年収が1,000万円を超えている人は、片づけられる人の2倍も人数が多いとある。そしてその原因を探ると、モノがあふれている。これが部屋がいっぱいになる理由だとのこと。そう言えば、娘の裕希の部屋は手が着けられない様相を呈している。それは捨てられないモノが多いからだ。母の性格をそっくり引き継いだようだ。そのほかにも左利きが増えている。その原因は?とか、いろいろ興味深いテーマを取り上げているが、それが全てマーケティングはどうするのか?と言う締めで終わり、色々と考えさせられるのである。夜は、「先祖様」と言う行事が我が家で開催された。この部落に住む岡村性で同じ先祖から発祥した5軒の家族が集い、酒を飲み交わすのだ。年に一回持ち回りで開催され、今年は我が家が当番である。顔も生い立ちも知っている人が3人、後一人は女性で、少し遠くに住んでいる。といっても歩いて帰れる距離だが。高知のこともあって、全員が酒豪だ。3人がビール。2人が日本酒だが。500ミリリットルのビール缶が17本空いた。一人5本以上は飲む。僕も仲間に入って飲んだが、ビールが冷たく、返杯を急いだ為冷たいビールが喉に刺さるようだった。ビールは暖かいのも駄目だが、冷たいのはもっと駄目ですね。後で熱燗にしたが、腹の中がおかしくなった。
12月29日(火曜日)
昨晩は寒かった。体の方は布団にくるまっているので暖かいが、顔が寒い。顔が寒くて何度も目が覚めた。この家は倉庫の2階だから室内は外気と殆ど同じ気温になるから寒いのだ。今日は家の掃除だ。千葉でも妻が全く掃除も片づけもしないので、家の中がゴミ捨て場のような惨状だ。何度言っても片づけない。まぁそんな生活からやっとぬけだしたのだが、ここ高知も老いた母がぼけて、家事を全くしなくなり、家の掃除を始めたら、色んなモノを部屋の角に突っ込んであるわ、埃だらけであるわ、掃除機はフィルターなしで使っているわ、もうめちゃくちゃ。部屋をいっぱいにするのは誰でも傾向が似てますね。アメリカのトレンド書籍を読んでいると、アメリカでもこの部屋をいっぱいにする傾向にあるらしい。半日かけて整理と掃除をしたが、ほんの少しだけ片づいた感じ。とうてい整然とはいかない。僕は、家の中が片づいて、雑巾掛けができてないとどうしても落ち着かない。地に足がついてないようなのだ。この休暇は本を読むために、できるだけ時間をあけようと思っていたのに、その時間がなかなかとれない。そして今日の午後やっとその時間がやってきた。真保裕一「デパートへ行こう」。たった一晩の出来事を一冊の本に仕立て上げている。内容は、デパートを経営する社長に捨てられた愛人が、仕返しの為、デパートから宝石を盗もうとして、閉店間際のデパートに入り、ひたすら閉店を待つ。ところが、違う目的で進入した人が、何と3組も居たのだ。それが、それぞれの事情が明らかになるにつれ、みんなが関連のある人達によって構成されているという、結構楽しめるエンターテイメントだった。夕食の後、もう一冊にとりかかる。
12月28日(月曜日)
さすが南国高知、穏やかな太陽を浴びて、往復2kmの距離にあるローソンまでの犬の散歩をすると、少し汗ばむ。犬も口で息をする。犬も暑いのです。その後、佐川に母を連れてお参りに。高速道路が完成し、30分ばかりの時間が短縮できるのではないかと思う。帰りに、通称「めぐ」さんの居る老人ホームへ寄る。このおばさんもぼけが進んでいて、同じ事を何度も言う、私の母もぼけていて同じ事を何度も言う。二人の話はいつまで経っても平行線のままだ。途中で話を切り上げないとエンドレスだ。家に帰り着いてからカメラの支度をして、近くの灯台に出かけた。この付近の景色は最高で、ここに別荘を建てたら良いなと思っていた土地には既に誰かが家を建て始めていた。とにかく左右に海を眺めることが出来るし、当然ながら朝日も夕日も海に沈むのが拝める絶好のロケーションなのだ。ここで夕日を撮影した。夕刻から冷たい風が吹き出して、凍えながら撮影した。日没後のグラデーションは15分くらい待たなければいいのが撮影できないが、あまりの寒さに退散した。帰り、おじさんところで夕食。と言うか酒盛り。天然の鯛を焼いたのがあった。これは旨かった。近所の人も来てて、生花の話。 聞くと何と、一日の売り上げが70万円ほどもあるようだ。すごいとしか言いようがない。しばし歓談の後退散。自転車なので突然に酔いが醒めた。寝る前にティルソン・トーマス指揮マーラーの5番を見た。TVはPX10と言う昔のPDPだが、PS3のBDハイビジョン映像は、照明を落として、彩度を少し上げる画質調整をすると、ものすごい映像が浮かび上がってくる。この音楽は冒頭トランペットのソロが厳かに、しかし、響きわたるようにして始まる。ところがこの映像を見て驚いたのは、吹いているのが女性だったのだ。申し訳ないが、女性でもこういう崇高な演奏が出来るのに驚いた。そう言えば、ジェフベックのDVDでもベーシストは彼の娘ほどの若い女性だったのを思い出した。
12月27日(日曜日)
洗濯やアイロンがけを全部終えて、帰省の途についた。今回はPS3とカメラ4台、雑誌2冊、書籍5冊と結構大がかりな荷物を持っての移動だ。それで、キャリーに鞄2個とリュックを乗せたが、結構重く、非常に不安定でもあった。それで、新大阪のホームのエレベーターでは最後に降りることにしたが、何と先に降りた女性が、「開く」ボタンを押して待ってくれていた。更に、新幹線への乗り換え口では、この荷物が倒れそうになり、体制を立て直そうとしてたら、今度は二人連れの女性に手助けをしてもらった。自分一人で大丈夫なのに、何で助けてくれるのだろうか?と考えていたら、僕への助けは、おじさんではなく、お爺さんへの助けだと後で分かった。白髪で小さい人が難儀していると彼女らには思えたのだろう。そして岡山までの新幹線。隣に幼児二人を連れたお母さんが座った。僕はとにかく荷物を棚に上げるのだが、ここでも援助の手がある。残念ながらそんな年齢に達したと言うことである。岡山からは、「悪魔と天使」を見る。約4時間で田舎の芸西村に着いた。飛行機と比べて約1時間程遅い。その代わり料金は6,000円も安い。
犬に目線をもらうのは難しい
12月26日(土曜日)
BDの整理や、新聞の整理とかしてたら、一日が終わってしまう。太陽のあるウチに、花の写真を。と言うことでいつもの、咲くやこの花館に出かけた。入場料が500円と他の植物園に比べると高価である。だが冬の間は、暖かい熱帯の温室で過ごせるからなかなか快適であるのだ。写生に来ている人も居た。今年はシンガポールで熱帯の植物園を始めて訪問したが、当たり前のことだが温室は無かったですね。いきなり胡蝶蘭が咲き乱れていたのには驚いた。それと「極楽鳥」と呼ばれる蘭の一種。これは日本でも結構栽培している人が多い。この花はブルーと、黄色の取り合わせが微妙で、神の創造物なのか?と思わせる絢爛さがある。それが、道の両側に咲き乱れているのもオドロキでした。世界のスーパーモデルがコンビニでアルバイトをしているみたいなものだ。今日はCCDの違いによる写真のボケをテーマに撮影した。今日は冬休みに入ったのか、三脚を構えたおじさんが多かった。太陽光線が旨く差し込むので、皆逆光を利用して撮影していた。そして一眼レフのファインダーを覗き込むのに窮屈な姿勢をして撮影していた、腰が痛いだろうなぁ。
12月25日(金曜日)
京橋のJRガード下を抜けて、キャバレーやサロンのある一角に、1,000円の散髪屋さんがある。この店は髪を切るのが若い女性で、大変な人気のある店でもある。ところが、客層を見ると僕のようなおじさんも結構多いのだ。女の子を目指して入ってみたら割ときちんとした散髪屋さんだったと言うのが、みんなの印象だろう。僕は、今まで散髪屋さんは同じ店に2度行ったことはないなど、ふらふらしてたが、この店は行きつけとなりそうである。それは、ずばり、カットが上手である。と言うことだ。いろんな散髪屋さんに行ったが、この店だけが、カッとした後も普通の髪型をキープしているのだ。他の全ての散髪屋さんは、カッとした後、耳の上の髪が立って、どの散髪屋さんもドヤイヤーでなでつけていたのだ。この店はそんな丁寧さはない分、そのままで髪型が決まっているのだ。なぜ、この店は旨い?「それは客が多いから自然と腕も磨かれた」と言うことだろう。どんなに旨い人でも、一日に5〜6人では腕は上がらないだろう。デパートなんかで、包丁の実演販売をしている人が旨いのと同じです。何回も練習すれば上手になるということ。
12月24日(木曜日)
クリスマスイブなのに妙に世の中に活気がない。昔は頑張れば収入が増える夢があったが、今は頑張る場所もない人達もいる。なんの悪いことをしてないのに収入は減る一方。厭世気分が常識となってきた。1990年から、19年も経済が低迷しているとやはり人間の気分は落ち込んでくる。日本は経済の自由化が遅れたため孤立してしまったのだ。農作物の問題で外国との交渉ができないのだ。そして、日本の資本は外国に投資され、その国は活況を呈している。その国は力をつけてきて、外国から外国へも輸出も始めた。本来なら、日本のあった仕事が外国に奪われている。この金額を政府やマスコミは調べてみると良い、どんなに外国に流出しているのかを。びっくりすると思うよ。
12月23日(水曜日)
読みかけの本を読み終えた。年末を迎え、中断した本が4冊もあったのだ。冷凍庫の中にも余った食事がいくつか転がっている。これも年内の整理と言うことで解凍して食べた。こうして、夕刻まで一歩も出歩かずに部屋の中にいた。今まで寸刻を争うような慌ただしさの中にいて、余り自分のことを考える暇がなかったが、この一年は割とゆったりとした生活になり、しかも一人でいることが多くなり、身の回りの整理から始めると、自分の事も考えるようになった。自分一人だと結構自制がきき、厳しく生きることができるのも知った。普通の人は逆ですけど。夕刻久しぶりのプール。2.5kmを強く泳いだ。泳ぐのはまだ年齢を感じないと思っていたが、最後の200mを思い切り泳ぐと、プールから上がるのがものすごくつらい。そのうえ、上がったあとはしばらく座り込んでしまう。その後ジャグジーで体を温めてやっと普通に動けるようになる。それが当たり前となっている。2年前の千葉では、その後50分自転車に乗って習志野のプールから帰ってきていたのだから、えらい衰退と言うことになる。
12月22日(火曜日)
寒気は去った
先週の冷たさに比べると今週は穏やかな日が続く。ユニクロのヒートテックをズボン下と2重で防寒すると、事務所では少々暑い。マフラーや手袋も要らなくなった。朝起きてエアコンを入れると、すぐに暖気が吹き出す。明日は休日だから、暖かくもあり気がゆるんだところで、帰りに一杯飲んで帰る事にした。1時間の徒歩通勤だから、いろんな所に行ける。今日は蒲生4丁目交差点を東に向かうと、割と混み合っている立ち飲み屋さんがある。一杯390円のビールが魅力だ。立ち飲みは一人でも気楽だから、少し場所を譲ってもらって一人の酒盛りを始めた。マグロが有名だが、それも390円。この価格は最近居酒屋チェーンでも採用するお得感のあるベストプライスなのだ。問題は、僕の体調だ。ビール一杯と刺身5切れで、十分に満腹感が出てしまうことだ。どうしたことだろう。普段は食事の量を減らさないと。と思えるくらい食欲があるのに。こうしたムラが年齢を重ねると言うことなのだろうか。
12月21日(月曜日)
うるさいったらありゃしない
僕の前に座る女性は40は十分に越した独身女性だ。その正面に40歳に満たないかなり男前の社員が越してきた。その男はすでに結婚しているが、人当たりも見かけもなかなか良いのだ。これに、オールドミス(古い言い方だが)がのぼせてしまったのは凄く当然のこと。親切に仕事の仕組みを教えるフリをして、猫なで声で甘えかかる。他の人に話す声音と全く違う声を使うのだ。それも四六時中。五月蠅い。だが、そんなことを言うと、どんな反撃があるのか分からないから、僕も含めてだれも声をかけない。安上がりのTVドラマに似た展開が毎日目の前で繰り返される。時間のねじを早送りして、この結末がどうなるのか早く知りたい気にもなる。今まで仕事をしてきた部署はビジネスの前線で、ドラマのような現実が無かっただけに、凄く興味のわく事でもあるのだが。
12月20日(日曜日)
とても贅沢な昼寝をした。この公団住宅は7階建てである。この辺一帯の建物が7階建てである。それには理由がある。真冬のこの時期、太陽が一番傾いている時、一階の部屋まで太陽が差し込むように設計をすれば、7階が限界となるのだと言うことを今日知った。と言うことで、この住宅は、どの部屋でも、部屋のかなり奥まで太陽の光が差し込むのだ。特に太陽が燦々と降り注ぐ今日は部屋の温度は19℃まで上昇し、太陽を全身に浴びて畳の上でごろ寝をする気持ちの良さは何とも贅沢なひとときだった。夕刻近くの鶴見緑地で登山を!なんと標高50mの鶴見新山があるのだ。散歩がてら多くの人達がこの付近を行き来している。松林もある、松の間を抜ける風の音を聞くと、小さいとき、長谷寄の松林で従兄弟と遊んだことを思いだした。一寸散歩と言うのに丁度の公園があるのはなかなか良いことだ。ここはなかなか恵まれた環境にあるようだ。<鶴見緑地公園の夕日>
12月19日(土曜日)
プールの運動は歯を抜いた後では炎症が怖く敬遠。そこで、今日は、淀川に出て京都方面にサイクリングすることにした。淀川は利根川と違い全くサイクリングに適さない堤である。自転車が通れないようにした関所がたくさんあるからだ。淀川の河川敷は自転車専用道路まで造ったのに、関所があって楽しく走れないのだ。それなら何で自転車専用道路まで造るんだろう?公共事業なんです。便利だとか、社会のインフラとかではなく、土木従事者の生活のための道路なんです。もう一つ、関目の街は住宅地の道が左右に蛇行して、植樹され、きれいな街であるのだが、その道路は、でこぼこのとても醜い舗装となっている。それは、道路を掘り返して水道とガスと、下水とを別々に工事をするからだ。歩道には水を吸う煉瓦を施設したが、これも掘り返しによって、一部を残してアスファルトで埋めてある。淀川で気持ちの良い風を吸ったのに、行政ではすっかり心が淀んでしまった。<冬バラがとてもキレイに咲いていた>
12月18日(金曜日)
12月は結構自分の体にとっては厄介な事をしてきた。04年まず背中に貯まった脂肪を取る手術をした。翌年は、上の歯にできた細菌性の瘤を取る手術をした。しばらく忘れていたと思ったら、今年は親知らずが虫歯でどうしようもない状態となっているとのこと、これは抜くしかない。と言う医者の薦めで、今日奥歯を抜いたのだ。結構構えていたが、歯というのは簡単に取れるもですね。抜いた歯は1/3程が真っ黒になっていた。毎食後歯を磨いているのに、この結果だ。抜いた歯の後を保護するスポンジがあるようだが、食事の時すでに飲み込んでしまったようだ。親知らずは不要な歯と言っても、舌でさわった感じでは結構大きな存在で、大切なものを失ったような気がする。
12月16日(水曜日)
朝一番の新幹線で大阪へ。疲れているのだろうか、京都までぐっすりだった。大阪も冷蔵庫の中に入ったような気温。早々に退散した。部屋の温度は11.6℃だった。久しぶりの低温。住人の居ない部屋は冷え切っていた。風呂のお湯を少々多めに設定して汗が出るまで本を読んだ。旅の疲れが取れたようだった。千葉の自宅は、親類のおばさん所に泊まりに行ったような感じで、どうも体がこわばったままだった。自分の居場所は、どうやらここに定着したようだ。
12月15日(火曜日)
昨日は、久しぶりに家族団らんだ。昔、高校3年生の女の子はとても神秘的だったが、自分の娘を見ていると全くそんなオーラがない。ただの子供だ。だが、現実には女としての問題はある。アルバイトについてである。とりわけ、何処でアルバイトをするかが問題だ。都内でするのか、船橋まで帰ってきてからするのか?鎌ヶ谷は安全な街だとは言われるが、もう何処も信用できなくなっている。でも結論は出ず。今日は会議。途中、秋葉原見学があった。この時間は、2人のお客さんをご案内した。日本ならではの商売のポイントを紹介したが、深い言葉は当然ながら使えず、何処まで通じたのか不明。休憩にコーヒーを飲みながら、個人的なことも話した。こみ入った話はいつものことで筆談となった。でも、僕には全然抵抗はないし、彼等も抵抗はない。お互いに知りたい要求はあるのだと思った。でもやっぱり疲れることは確か。だが、今日は疲れても、それを吹き飛ばす強い味方がいるのだ。東京登山隊だ。男一人、女二人のメンバーだ。彼等との共通言語はお酒。みんなお酒に強い。お酒を通じた関係だと、何だが気心の知れたような錯覚がある。誤解でも長く続けばそれでいいのだ。今日の懇親場所は新橋、お寿司屋さん。とても量が多く食べきれなかった。大阪の飲食店は量が少ないが、こちらは多いのを思いだした。
12月14日(月曜日)
厳しい冬が訪れた。この冬ほど厳しさが身にしみることはない。仕事も厳しいが、家計も厳しい。多くの世間の人もそんな気持ちを抱いてこの冬の寒さにじっと耐えているのでは無かろうか。富の奪い合いが世界中で起こっている。昔は武器を持った戦争だったが今は商売の戦争だ。ものすごい競争状態に突入しているのをひしひしと感じる。11時の新幹線で東京に向かう。東京では元の職場に顔を出し、交友を深め、池袋に向かった。ここで外国から来ているお客さんと待ち合わせをして、街をご案内するのだ。彼等は、この後銀座に向かいたいと言う。久しぶりに丸ノ内線に乗った。路線は変わってないはずだがすっかりと昔の感覚を忘れている。銀座4丁目で記念撮影。その後バーバリーの店に向かった。何でバーバリ?バーバリには日本でしか販売してないブルーレーベルがある。これが、アジアから来たお客さんには手ごろな価格でのお土産となるようだ。新橋に近い8丁目にその店はあった。フロアに行くと、僕たち以外にもアジアからのお客さんが居た。有名なのだ。知らなかったぞ。その後、「天国」で食事。イスラムの方がいたので、材料の心配をしたが問題なし。「天国」の天ぷらは野菜が少ない。
12月13日(日曜日)
朝起きると7時過ぎだった。今の時間だと、近くの椿にヒヨが来て、蜜をついばんでいる。これをカメラに収めようと出かけた。ここのヒヨは、ホバリングしながら蜜を吸うのだ。だが今日はそのシーンを収めることができなかった。その代わり、その近くのマンションの人達が餅つきをしてたので写真を撮らせてもらった。もう、お正月が近い。昨日と今日の多くの時間を割いて、今週購入したヘラルド・トリビュー紙の記事の中で、これはと言う抜粋記事を、全ての単語の意味を調べながら読んでいる。今週は、ギターリストがiPhoneを使って楽器の練習をしている話と、バーンズ&ノーブルの電子書籍の話の2巻だ。アマゾンのキンドルよりいかにすばらしいかを書いた記事だった。新聞の3割くらいの紙面しかないが、これに約2時間程かかってしまう。しかし、英語が分かるようになるにはなじむしかないと思うので、少し回り道かも知れないがこうした方法をとっている。電子辞書が新しくなったので、難しいスペルも読み上げてくれるので、割とスムーズに入っていくことができる。お金を出して英語教室へ行くのは早道かも知れないが、そのお金がないのだ。午後2時に切り上げて、ワイシャツとズボンのアイロン掛け、その後プール。2.5km。食事はほうれん草のおひたしと、なすを油で炒めたモノ。
12月12日(土曜日)
近くの自転車屋さんにブレーキの交換を頼んでいたら部品が入荷したとの連絡があり、交換に出かけた。ここの兄ちゃんは人当たりは悪いが、自転車が好きで好きでたまらない人。ブレーキのパットの交換の仕方や、ブレーキシューの取り付ける方向など細かい事まで説明しながら作業を行う。彼には空気圧についても教えてもらった。ロード用の自転車なら6kg〜7kgでOK。たまに8kgを入れる人もいるとのこと。足をロックするペダルについても教えてもらった。確かに坂を上るときには早いかも知れないが、時速20km位なら交換しなくても十分だ。それにすぐにはずれる練習をしておかないと危ないよ、と言う。ふむふむ。午後汚れていた自転車のワックス掛けをした。ぽかぽか陽気なのでずいぶんと汗をかいた。あんまりキレイにすると盗まれるよとおばさんからアドバイスを頂いた。すっかり見違えるようにキレイになったので、年末はこの自転車で高知に帰ろうと思っている。二日間350kmの旅程だ。天候は僕の作業の終わりを待ってたかのように、すぐに雨となった。夜、映画を見た。白人社会の時代、南アフリカで黒人に暴行を働いた警官を裁判にかける話だ。この警官は洗いざらい話すことで罪を逃れられると言うことで、当時の模様を語っていく話。真実が出てくるに従って周りの人達が少しずつ傷ついていくヒューマンタッチの映画だ。題名はレッドダスト。WOWOWのパンフレットに紹介された作品。
12月11日(金曜日)
朝から冷たい雨が降っている。普段の服にカッパを着て出かけたら、暑くなり汗をかいてしまった。まだそんなに寒くはなかったのだ。夕刻に歯医者を予約した。この前、左下の銀の詰めモノが取れて、交換した際、親知らずが虫歯になっていますと言う。その治療だ。相当緊張して疲れたが、治療は痛くなかった。そして上の親知らずは、もっと虫歯がひどく、いつ痛くなってもおかしくはない。治療も難しく抜くしかないと言われた。お正月に痛み出すのもなんだから、この際抜くことにした。来週金曜日だ。その後、かつてより約束をしていたファジー会のメンバーの忘年会に出かけた。場所は明石だ。なんでここなのかと言えば、前回ここでお寿司を食べたときに、余りにも旨くて、こんな魚は滅多に食えないと言うことで、ここまで足を伸ばしたわけだ。大阪から新快速で40分。東京から千葉の感じですが、電車が遅いのでそう遠くもないかも知れない。明石のタコは立って歩くと言われるほど腰のある身。大きな吸盤を喰ったがうまいのなんの。お酒を飲むのも忘れて喰った。食い過ぎて気分が悪くなる手前まで行った。久しぶりに羽目を外した食事をした。大阪から京橋への環状線は満員で、何で?と思ったが、大阪は午後11時頃がそろそろ終電に近くなりみんな帰るのだ。東京の24時と似ている。それから更に京阪電車の満員に乗るかと思えば嫌になり自宅まで歩くことにした。お寿司の食い過ぎもあるから、丁度の腹こなしとなった。<立って歩くタコの刺身>
12月10日(木曜日)
京橋の駅前にある売店で毎朝日経と日経MJと時々ヘラルド紙を買う。前にはここに綺麗なお姉さんがいたのだが、今はおばさんに変わっている。このおばさんとすっかり親しくなったのは、新聞の値段を間違えて僕が多く払った、その間違いに気がつき翌朝間違いの料金10円を返してくれてから話をするようになった。この日、僕が会社を帰る午後8時頃、まだ店に立っていた。えらい長いこと働きますねと声をかけると「大変なんですよう」と帰ってきた。そして、一時中断していた日経MJも「明日から入るようになりました」と言う。そうか、この仕事も交代制などで楽々おつとめではないのだと言うことに気がついた。先日知り合いのW企画と言う人材派遣業の会社におじゃましたら、12月の商戦時期のアルバイトが、今年は一回の広告で埋まってしまったと言う。そして、学生のアルバイトを対象にしたのに、今回は40歳代の人の募集が多かったという。世間の風は非常に冷たくなっていることに今更ながら気がついた次第である。寒さと言えば、私は大の寒がりで、先週から靴下2枚、ばっち、マフラー、手袋、電気毛布が欠かせない生活に突入している。冷たいのは好きでない。<今年は寒くなく、今でも朝顔>
12月9日(水曜日)
昨日は心臓が痛くて朝4時頃に目が覚めた。それで会社の医者に紹介状を書いてもらい今日、循環器系の医者を訪ねた。心電図には発作の形跡が見られないと言う。かくなる上は、薬で病気を引き起こして、心臓を検査する方法があるのだがどうする?と聞かれた。先生の話を聞いていると、どうやらそこまでしなくても良いようだ的な話しぶりだったので、今回は様子を見ることで終わりとした。12年くらい前もこのようなことがあり、この病院を訪ねた。その時も結局は様子を見ることにした。2回の症状に共通点があるのはリポビタンdを頻繁に飲んだことだ。前の時は水泳の記録を出す(1時間で3kmに挑戦していた時だ)ためだ。今回は、朝疲れが貯まっているときに飲んだ。いずれも僕にはよく効いた。しかし、僅かこんなモノで効く訳がない。例えば、1時間くらいの昼寝などを取るとかしないと回復するわけがないのだ。それが効くというのは体に負担がかかっていたと言うことだろう。はっきりとした根拠はないのだが。<大阪の元気スーパー>
12月8日(火曜日)
日本はデフレのさなかにあると政府が発表して、新聞も、評論家もそのことについて多くの書評がある。今日も何とか研究所からのデフレ分析についての文章を読んだ。凄く難しい事を書き、どんな対策があるのかと言えばお茶を濁す常套手段が多い。しかし、シロウトの目から見てもはっきりしていることは、外国に比べて日本の物価が高い。その高いモノを買う経済力が落ちたのだから、安い物を買うしかない。だから安いモノが売れる。だから安いモノを供給する。これが実態だろう。そして対策は、経済を活発化することだ。それは公共投資でもなく、ばらまきでもなく、経済の自由化をもっと進めることで、お金の問題ではないと思うのだ。例えば農産物の自由化だけでも、多くの国と仲良くなれるし、工業製品だって販売できるかもしれない。空港や港の自由化はもっと大きなメリットが得られる。外国人労働者の解放は人口の減少化にも対応できる。政府はこのことによって生じる治安や、国家の安全についてのみ規制や制度を作り上げる方向に動けばよいと思う。こうした普通の見方がなぜできないのか不思議である。
12月7日(月曜日)
昼間Aさんに逢った。彼はビールの飲み過ぎで一時体調を崩していたことがあった。その時一緒に仕事をしたことがある。誠に配慮の長けた方で、海外ではお目にかかれない生粋の日本人だ。立ち話であったが元気に仕事をされ、成績も好調のようであった。政府の実施したエコポイントが功を奏しているとのこと。エコポイントの背後にある地デジ推進。電波の有効利用の観点からも2011年にはデジタル方法に切り替わるのが望ましい。電波の利用が広がると経済効果もでてくるから、予定通り7月24日は実施してもらいたいモノだ。Aさんからは、彼の所属する人達の消息を聞き、わかれた。先週から始めた事に、風呂の中で、社内のニュースを読むのがある。これは、半分英語で、半分日本語の編集となっていて、英語の勉強にはもってこいだ。風呂の中は声が響くから、自分の下手な英語も少し上達したように聞こえる。しかし、なかなか発音できないお目にかかったことが無いような奇特な単語に出会う。まだまだ英語の山は高くようやく、麓に達したと言うところだ。
12月6日(日曜日)
いつまでも英字新聞の写真の下にある解説だけ読むようなことをしてては、新聞ももったいないだろうと言うことで、今日は、大きく扱ったボーズの新ヘッドホンの評価記事が掲載されていたので、これに取り組んでみた。約2時間、辞書で調べた単語80文字。だが、いままで新聞記事は途中から闇の中に入り込んでしまっていたのに、今日は最後まで訳し終えることができた。この記事は、記者がキャンセリングはすばらしいが、飛行機に乗ると、耳が詰まったようになる。キャンセリングを切るとこのようなことは起きない。この問題について、ボーズの見解を聞くという内容だった。それは、非常にノイズが低いので、鼓膜が減圧を感じるのと、キャンセリング機能がノイズを消してしまうのとを、どうやら人間の耳が錯覚を起こすとのこと、もちろん人によって差があるとのこと。文章の襞まではとうてい理解できないと思っていたが、自分の知識が及ぶ範囲では何とか文章を訳する事ができたのは嬉しい限りだった。それと、この新しい電子辞書は難しい英語は読み上げてくれるので良い味方となる。夕刻プール2.5km。<キヤノン50mmf1.8>
12月5日(土曜日)
この前、高知に帰ったとき、キヤノンのレンズを持ち帰った。入社したときに買ったFtbと言う一眼レフのレンズだ。50mmF1.8と135mmF2.5。135mmの方は結構高価なレンズだった。これにフォーサーズマウントアダプターを取り付ければ、LUMIX-GH1で撮影できる。18年くらい前に買ったニコンの70−300mmもフォーサーズマウントアダプターを持っているので、LUMIX14−140mmのレンズと併せて、3つのレンズがどんなに写るのか近くの植物園に出かけた。やはり、古いレンズはフレアがあるのか、白っぽく写る。しかし、キヤノンのF2.5のボケ具合は格別だ。また、ニコンのレンズは安価だったので、輪郭に色収差がでるが、倍率が600mm(17倍)にもなるので、別の楽しみかたができる。そして、LUMIX標準のレンズは発色といい解像度と言い別格の存在を示した。こうした遊びができるのが、フォーサーズのカメラの魅力。午後、難波のヤマダ電機に出かけた。ボーナス商戦だがどんな具合なのか?ついでに、英語が見えてきたので貯まったポイントを使って電子辞書を買うことにした。シャープのPW−AC900だ。やっぱりカラーでないと。2機種あり、聞くと高い方は学生用の辞書が入っていて、社会人にはこちらの安価な方がよいですよ、とのこと。ホントは赤色がキレイだったので欲しかったが、おじさんが少女趣味だと言われてもなんだかおかしいのでブルーにした。夜は酒を飲んで映画を見るぞと勢い込んでいたのに、風呂から出ると眠くて眠くて、9時にはダウンしてしまった。久しぶりに自転車で出かけたのが効いたのだろうか。<キヤノン135mmレンズ>
12月4日(金曜日)
今夕はHo氏と食事する約束だったが、午後になって残業時間が相当ながびくと電話があり、懇親会は中止となった。空いた時間で前から気になっていた淀屋橋界隈のライトアップ。ここを撮影しないと、大阪のカメラマンの名が廃る。と言うことで出かけました。中之島を淀屋橋から北浜方向に上るといろんな建物がライトアップされている。しかし、メインは公会堂で、大正時代の建物がリメイクされ夜空に映えていた。三脚は持ってなかったが、最新の手ぶれに強いデジカメを持っていたので撮影した。さあ、今夜は一人で酒でも飲もう。と酒屋さんに寄って菊正宗を買う。今年のボジョレーが大変人気だと言うが本当か?と聞くと、毎年旨いと言う。しかし、今年は売り切れた。と言う。そんなに旨いのか?その酒屋さん、たぶん仕入れの量が少なかったからだろうと、結構醒めた分析をしていた。なるほど。酒を飲みながらサザンのコンサート(録画)を見た。コンサートが即興で演奏されている。それもありか。
12月3日(木曜日)
久しぶりに千葉の家に電話をすると娘が出た。母は風呂に入っているという。そこで、娘の近況をきくことにしたら、何と目指す学校の試験にパスしたと言うではないか。そうか、それはおめでとう。それでゆっくりしているのか?と聞けば、明日から試験だから大変なんよと言う。気が抜けて勉強に身が入らないらしい。その気持ちわかるぞ。そして試験が終われば来年3月24日の演奏会に向けてクラブの練習が始まるという。冬休みも返上してクラブ活動らしい。高校3年生は全くもって忙しいのだと言う。田舎に帰ることも難しいという。彼女は、自分でどんどん先に進んでいく。いつの間にか僕の手元から居なくなるだろうな。一方息子の方は、漢字検定の試験に「また落ちた」と言っていた。彼はものすごくムラがあり、テストの点は、まるでジェットコースターのようだ。この一年が正念場のようだった。一夜漬けの勉強をしているようで電話には出てもらえなかった。しかし、妻はこんな嬉しいこと、なぜ電話で知らせてくれないのだろう。
12月2日(水曜日)
一つのステップを超えたような気がする。毎日英文を書く仕事をしているが、当然のことながら僕は文章など作れるわけがない。そこでWebの翻訳を利用する訳だが、日本語を打ち込んでも正しい英語が出てくるわけが無く、この利用も限界があると思っていた。しかし、機械は使いようで、訳しやすい日本語を打ち込むと正しいような英語がアウトプットされるのだ。それで、日本語の工夫をしてこの機械をつかっていたのだが、先日仲間に見てもらうと、どうもでたらめ部分があるという指摘だった。これには慌てましたね。今まで信じていた機械が旨く働いてないと言う。そこで今日やっと到達した事は、日本語→英語→日本語と、同じ意味を循環させる方法だ。これが元に戻れば、かなり英語の信頼性は高いだろうということで、英訳された文章を僕の乏しい知識で、少し修正するのだ。何度もこれを繰り返すと、英語からすっかり同じ意味となった日本がWebの翻訳機から出てくる。僕は心の中で万歳を叫びましたね。今まで作成した文章を最初からやり直す勇気が沸いてきた。
12月1日(火曜日)
食堂で、昔見たが名前を忘れてしまった美人から声をかけられた。僕はこれから食事、彼女は追えたばかり。早く食べたい気持ちと、どうしてここにいるのか知りたい気持ちとが混じって、中途半端な会話になったが、それでも話を聞くことができた。彼女は昔、中国の仕事をしていて、僕たちの東京の職場に来たのだ。そして、何のつてかは不明だが、マレーシアの仕事を引き受けて、彼等を連れて僕の所に依頼に来たのだ。僕は当時国内しか関心がなく、余計な事は引き受けたくない気持ちがあったが、どうも強引に日程を決められて、マレーシアの人達に会うことになったのだ。会話は全て彼女が通訳して意思疎通が図れた。外国人とビジネスに英語を使いすらすらと話せるのは実にかっこいいとあこがれましたね。その後彼女とは余り話す暇もなく、子供ができるとかで休暇に入ってしまった。僕は、このあこがれを実現すべく仕事を代わり、この中旬にマレーシアの人達と東京で会議をすることになっている。そのタイミングで彼女と再会したのだ。何と、僕と同じビルに勤めているとのこと。また機会があれば、海外のノウハウについて聞きたいモノだ。
11月30日(月曜日)
メールの発信を終えてPCを閉じたのが午後7時。これから徒歩で帰宅。昨日は高知からニンニクの葉を持ち帰ったから、大根とジャコを買って、三杯酢でこれらを一緒に漬ける。この料理は高知で母が作っていて割とおいしく、そして簡単そうだから自分も挑戦するのだ。と言うことで、野江にあるライフで買い物かごを下げてぶらぶらしていていると、辻さんが居たのだ。彼は、僕が高松のショウルームにいた頃、高松高校3年生で、毎日このショウルームに通ってくれたお客さんだった。僕も高校生の頃、高知の英弘と言う電気店に毎日通った経験があるので彼の気持ちはよく分かるのだ。自宅も、僕の住んでいた寮と近くで、ずいぶんと話をした。彼の家にも行ったし、僕の寮にも案内した。そんな彼は、大学を卒業して、オンキョウに入社したのだ。元々音が好きだったんですね。僕は同じ気持ちを持ってテクニクスを目指して進み、彼は会社が違うが同じ道を進んだ。そして今、彼は全国のイベントや販売店のセミナーを行う仕事をしている。彼のセミナーはこの秋有楽町の交通会館で聞いたが、僕とそんなに違わない視点で話しているのを見て嬉しかった。彼はオンキョウの幹部になっていた。その辻君も腹が出て、髪が白くなり、買い物かごを下げて食料品の買い出しをしていたのだ。これまた、僕と同じですね。そして、この近くに住んでいると言うから、これまた同じ。いつか一緒に酒を飲むことになるだろうと思いますね。
11月29日(日曜日)
よく寝られるわ
昨日も9時半には寝たのに起きたのは7時半。昨日は昼寝までしたのに疲れているのかな。起きてからさっそく犬の散歩。犬との会話はできないが、何となく意思が通じ合う。外国の人と接しても、よく理解できないなりにこんな関係で仕事を進めている。それでたぶんそれで悪感情を持つことは無いだろうと思っている。その後、読みかけのアサヒカメラを読み終える。今回は特出した記事なし。それからプール。友人が12頃出発すると言うので、泳ぐのは2kmで切り上げた。体や頭がまだ濡れていたが、これは自転車で風に吹かれて乾かすことにした。とにかく急いだ。そして、時間が来たので電話をかけると出発は1時半だと言う。あれぇ!。帰り道も空いていた。順調に進んだが、疲れもあるだろうし、途中で休憩をとった。休憩場所は今から30年前のドライブインって感じ。明石に着いたのが5時半。そこで晩飯を食おうと言うことで入ったのが、お寿司屋さん。なんと、ここの刺し身の旨いこと、ネタの新鮮なこと。これは、上のレベルだ。東京で食うと1万円コースだ。Kaさんとの忘年会はここで開催したらどうかと思う。大阪からは40分かかるが、それだけの価値はあると思う。アルバイトの女の子にパンフレットを持たせて写真を。
11月28日(土曜日)
円高について、昨日の日経は1面。毎日は3面、朝日は11面、ヘラルドは16面。何で円高?日経はアメリカと日本の金利は日本が高いので、利ざやを狙った。毎日は、アメリカの金融危機に投資家のドル離れ。何と朝日に至っては、理由を書いてない。経済に弱い朝日と言うのは本当だった。だが、これらの理由は今に始まったことではない。なぜ今なのかについてはなにも書かれてなかったのだ。そして本日、読売、日経、毎日とも、やっと真相をつかんだ。ドバイのリゾートで大量のお金をつぎ込んだが、買い手がなく、つぎ込んだお金の回収ができなくなり、国として債務の延長を決断したことによる金融不安だ。ドルやユーローは相当焦げつくから、安全な円を買ったとある。よし、それは分かった。では、なぜ、安全な日本のお金は買うことができるのに、株は買わないの?いや、円高だから??。矛盾がありますね。結局、どの新聞も、なぜ円高で株安なのか、きちんとわかる説明を書いてない。相当頭の良い人ばかり集まっているはずなのに。実際本当のところは分かっているのでは?でも真実を書くと、世の中がおかしくなるので書かない。そんな所ではないか。この2日間テーマを持って新聞を読んだら、以外と肝心なことは書かないのだと言うことを学んだ。記者魂は何処へ行ったのか?
11月27日(金曜日)
年休を取得して友達と田舎の高知に帰った。友人は、町田から4年前に明石に越してきて、時々田舎に帰っている。今回も打診があり乗せてもらうことにした。友人はもう一人の友人とカシオクラシックを見るために帰るのだ。僕はゴルフに関心がないのでパスだ。このゴルフは毎年我が芸西村の黒潮カントリーで開催されている。明石からは、車で4時間だ。明石海峡を通り、淡路島を約1時間で抜けて、吉野川沿いに西に進むと、四国を縦断する道に当たる、ここを、南下すれば高知県南国市に出るのだ。道中の話題、彼は楽器店に務めているので必然的に音楽の話題が多くなる。そこで、時代とビートについての話となり、我々の世代は8ビート。それよりも古い世代は4ビートだった。今の若い子は16ビートだと言う。何となくわからんでもない。そこでドラマーのビートを刻む話に展開していったが、カシオペアのドラマーがずいぶんと活躍していることに共感したが、はて名前は何だった?痩せて、目がぎょろっとして。それそれ、だが名前は思い出せなかった。自宅に帰り、犬の散歩のときやっと名前が出てきた。神保彰。やれやれだ。友と語るときだんだんと深い話ができなくなってきている。夕刻父と魚を買いに行った。いい鯖と鰺があったので刺身に。極上だ。手前が鯖。
11月26日(木曜日)
昨晩は娘がまだちいさい頃の夢を見た。あまり子供と接することはなかったが、時折膝に乗ってくるとき、干した藁のような頭の匂いを感じたことがあった。夢の中ではその匂いとともに蘇り非常に現実感のある夢だった。ただ顔は微妙に違い、現実の娘はほとんど要求はなかったが、夢の中の娘は何かおねだりをしていた。唇が赤く官能的だったのも違和感があった。今週は、妙に自分ではないような頭を持っているようだった。
11月25日(水曜日)
インドで大変お世話になったK氏が転勤をすると言う。それで、急きょ連絡があり、親しい仲間が集まった。北米担当のKa氏、経理担当のS子の4人。レストランはインドに関係が深いネパール料理の店だ。本場インドのカレーはなじみのない味だが、日本で食べるカレーはどれもコクがあり旨い。皆さんがおいしいと言いながら、海外の珍事ご披露となった。ヒンズーの偉いお坊さんが徒歩で2000kmの旅にでていて、その方と出合い握手をすると、心が洗われたような気分になった。虫も殺さぬ宗教なので、マスクのようなものを顔の前につけているとか、歩くときは虫を殺してはいけないので、お弟子さんが道の前を帚で掃くとかするそうだ。もちろん肉は食べない。地面の下の植物も食べないそうだ。地中の虫を殺す恐れがあるとのこと。アメリカでは電気自動車のプロトタイプがものすごく出てきて、約5秒で時速100kmに達するのもあるらしい、その車に乗ったとか。普段聞けないような話が盛り沢山であっと言う間に時間が過ぎ去った。この店の会計は、飲み放題と食べ放題だった。3,500円。食べ放題というのは珍しいですね。
11月24日(火曜日)
こんなに鮮明に祖母の夢を見たのは久しぶりだ。場所は高知県安芸市の少し西にある穴内、少しだけ海に突き出た所にある小屋の中のこと、学校から帰った僕は昼ご飯を食べている。祖母が給仕をしている。そこへ海の波が次第に大きくなり、防波堤を超え始める。そして、また一つ大きなのがやってきた、これは小屋の屋根にかかった。その小屋は水族館のように、屋根がガラスでできているので、波が小屋に覆い被さるのが見えるのだ。小屋は大きく揺れる。が、手で支えることができる。そして、また、大きな波が来た。そこで目が醒めた。大きな波が来る夢はもう何千回も見てきたが、波が覆い被さるのは初めてだ。新作だ。このごろ、寝始めは理解できない英語で呼び掛けられ、さっぱり返答ができない夢を見ることが多い。今まで使っていた頭の領域とは違う場所を使っているので、夢も新作に変わったのだろうか?。新しい領域の話では、インドは、古い街の隣に、新しく区画整理した新しい街を作っている。オールドタウン、とニュータウンがある。土地が広いのでこのような思い切った政策が取れる。オールドタウンは貧民もいるが、昔懐かしい風景が温存されている。市場の活気もある。ニュータウンはビルばかりで面白味にかけている。
11月23日(月曜日)
昨日プールで自己採点の体力測定を行った。クロールでフルスピード200mは可能か?平泳ぎで37m潜水できるか?いずれもOKでまだ瞬発力は残っていそうだった。それで今日は気をよくしてもう一度プールに出向いたが、あいにくと平日は子供のスイミングスクールの時間帯で、自由に泳ぐことができなかった。だらだらと3km強を泳いで上がった。体重を量ると950g減っている。海外出張は余り動かないので、よけいな肉が付いたのだろう。二日間で6.5km強泳いだ。少しからだが軽くなったような気がする。プールから帰ると全身をけだるい疲れが襲ってくる。他のスポーツは局所に疲れがあるが、水泳だけは全身に疲れがある。この気分の良さは、本当に何物にも代え難いほどの快楽感がある。突然泳ぎ始めた人には、長時間の水泳で旨く疲れるのは難しいだろうが、30年以上泳いでいると、僕の中になじんでしまったような気がする。今回フィリピンのホテルでもきちんとしたプールがあり管理人もいたが、インフルエンザのこともあるので泳げなかった。友人のT氏がこの週末田舎に帰る予定なので、一緒させてもらうメールをやりとりした。と言うことで明日からは少しピッチを上げて仕事をしないと、休暇が取れない。
11月22日(日曜日)
昨晩は"ノーカントリー"を見た。お酒を飲みながらだったのでストーリーの把握が十分でなかったも知れないが、妙にわかりにくい映画だった。内容は、麻薬の取引でもめたあげく銃撃戦となり、双方が死んでしまった。そこに主人公が鹿狩りの帰りに出会う。麻薬も残されていたが、現金も残されていた。彼は現金を持って逃げる。一方この現金を追ってギャングは追いかけるが、追いかける根拠は現金の中に仕組まれていた発信機。エレクトロニクスをかじった人はすぐにわかるが、ちゃちな発信機と、簡単な受信機で居場所を突き止めている。それはないぜ。これが最初のつまずき。次にこの追いかけるギャングが持ている武器が何かわからないまま物語が進む。それに、次々と人を殺してゆくこのギャングの動機が不明。恐怖を煽ろうとする意図はわかるが、根拠に乏しいのだ。そして、何の脈略もなく映画は終わる。と言う、中途半端な映画を見た。それで疲れたのか、今朝は9時ごろ目覚めた。今週分のHPを書き上げてほぼ昼間の時間がすぎてしまった。夕刻プール。冷たい雨が降っていたからプールは空いていた。3km弱泳いだ。なんと体重が1kg落ちる。出張中運動はほとんどなかったので贅肉がついたのかもしれない。夜、Mrインクレディブルを見る。HD映像は誠にきれい。いつか100インチサイズのスクリーンで見たいものだ。PIXERは良い仕事をする。<フィリピンの写真はここをクリック>
11月21日(土曜日)
ゆっくり寝たかったが、6時には目が醒める。食堂がオープンするまで、昨日買ったサンタナのDVDを見る。代表曲black
magic woman。聞くと新たな発見があった。この曲はだるいようなオルガン(キーボードのオルガン音)で始まるが、途中でこのオルガンのメロディーと、サンタナのメロディーが違うラインを進み始める、しばらくするとまた合流すると言う非常にユニークな音楽構成をしているのだ。日本で最初にギターが鳴くと言う表現をされたのが彼の演奏曲Europa。これも名曲。朝から充実だ。レストランは、まずウェイトレスのチェックを受ける。部屋番号を伝え、席に案内してくれる。そこで飲み物を注文する。それから、自分の好きな食べ物を選んでお皿に盛って、自分の席に着く。今日は卵焼きを頼んだので、席に戻るには少し時間がかかった。ところが、僕の席に別の人が坐っているではないか??。My
reservation seat other parson sit.なんだかわからんような英語で、美人のおねえさんに言うと、別の席を案内してくれた。不思議なことに彼女は僕の飲み物の注文を覚えていたのだ。この矛盾は何だ。12時に会社の運転手さんマイケルさんが迎えに来てくれて空港へ。空港の検査員は日本人を見ると、コンニチハ、ススンデクダサイ、シャチョウサン サヨウナラ。と言う。この国へ来るとだれでもシャチョウサンになれる。一瞬の昇格だ。タイ航空のサロンはものすごい混雑。サロンとは名ばかりの待合室だった。飛行機は空いていて、3席を使って食事とか眠ったりした。PCでDVD映画を見ようとしたが、再生できず。パナソニックレッツノートは前からDVDの再生が弱いようだが改善されてない。市販のDVDはOKだが、自分で焼いたのはほとんどが再生不良を起こす。帰りは4時間弱で到着。当初の到着予定時間にはもう南海電車に乗っていた。今回はしんどかったが、あっけなく終わった感じがした。<タイ航空の機内食 豚ソティー>
11月20日(金曜日)
朝食の後、一人歩きは危険だと言われていたが、ホテルの周りを少し散歩した。すぐ近くにバスターミナルと鉄道ターミナルがあり、結構たくさんの人が行きかっているので、日本人を見つけにくいだろうと勝手に判断した。だが、彼等は目が良いのだ。タクシーの運転手さんに"社長、女でっか"と呼び止められた。 Noと答えたが、"どこに行くの?"としつこい。"Take
a photos"と言うとたちまち、ポーズ。陽気な人なのだ。でも、危ないのでホテルに帰ることにした。ホテル前の交差点で車を眺めていると、また別の運転手が、今度は車を降りて交渉に来た。"女を待っているのか?"なんだか、日本人=女、として彼等の目に焼きついているようだ。"No"。この運転手はその後、"Sorry"と言って去った。紳士だか、成り下がりだかわからん人物だった。しばらくするとベンツのマークを付けたジプニーがやってきた。もちろんベンツがジプニーを作るわけがない。Aさんによると、ジプニーのエンジンは日本製(多分三菱ではないか)ボディーはフィリピン製らしい。今日は市内にある量販店を訪問の予定だが、紹介された書籍も買う予定だ。マカティーと呼ばれるマニラ一のショッピングセンターを歩く。今日こそはと、果物もカメラに収めた。これほどカラフルで絵になるオブジェクトはない。あまり熱心に撮影したのでガードマンに注意された。Sorry。次ぎに向かったのがレストラン。日本食か?ローカルか?当然ローカルでしょう。ブッフェ方式で食べ物を伺いながら選択した。巻貝に似た貝が大変おいしいと言うのだが、どうも僕の見立てではタニシ貝に似ている。どこに住んでいるのか聞くと"rice"だと言う。やっぱりタニシだ。次にアメリカ人の夫人がコックに注文していたデザートがおいしそうだ、彼女に尋ねると、スィートだと言う。私も1個だけと頼んだ。その後この女性がトッピングの紹介や、食べ方を教えてくれた。黒くて、ナマコみたいだった。席に戻って仲間に示すといろいろ言われ理解できなかったが、食べると意味がわかった。もち米だったのだ。もち米は日本の米なのだ。どうも英語は長くていけない。CDショップでDVDも買った、外国のDVDは安価。走査がPAL方式だが、PCでの再生は可能だ。次に向かったのは少し離れた街にある量販店。少しくたびれたビルだった。お客さんが少ないのと、客層が低そうだった。この国は年収に見合った店を選ぶのだろうか。だが、どこの店もエアコンがしっかりと効き寒い。北海道は暖房が効きすぎ暑いのと同じである。帰り道案内してくれたMs.Jさんが自宅の冠水写真を見せてくれた。車が屋根まで浸かっている。2階に避難したそうだ。車や家電品など大きな出費となったそうだ。この雨はその後1週間も続いた後上がったそうだ。ホテルでしばらく待ち、現地出向者と合流。新車のカムリだった。鍋を囲む店で懇親。最後にマンゴーで仕上げ。<CDショップでカラオケを歌っている客、カメラを向けると笑顔で応えてくれた>
11月19日(木曜日)
今日は海の見えるレストランでセミナーだ。僕の出番はないはずなのに急きょかつぎだされ、昨日のミニ版を3時間。その後食事、これも、フィリピン食。ディーラーの方と一緒だったのでいろいろ質問したら教えてくれる。一度ではわからないので、何度か聞き返す。雑談だからいやな顔はしない。やっぱり人間はしゃべりたいのだ。興味のあるカメラの雑誌名も教えてくれた。ここまでがハッピータイムだった。メンバーが食事代の清算をしている間レストランの外に出てブラブラしてると、目の前に少女が二人転がっていた。裸足、服は着てはいるが下着は無し。コンクリートの上で寝ている。いくら常夏の国とはいえ、地面は冷たくその上固い。人間の尊厳が壊れている風景を目にして、ずいぶんとショックを受けた。かといって、何の手助けもできない。午後には、まだ一仕事あったが言葉が乱れてしまい、なかなか通じなかった。精神力の弱さを感じましたね。夕刻ビジネスも終えて、ホテルに向かう途中で夕食となった。現金なものでショックは回復した。今回は、ちがったフィリピン郷土料理。一緒に行動しているAさんはなかなかのグルメだったことに今気がついた。この店は、ミンダオナやダバオを中心とした地区で有名な鳥料理の店。今日の前菜はラーメン。麺は少なめで、主にスープを飲む。主食は鳥のモモ焼き。これに醤油にトウガラシを混ぜたソースをかけいただく。鳥の香ばしい匂いが昔食べた鴨に似てたので、聞くと普通の鳥だと言う。次に出てきたのが、野菜炒め、ゴーヤ、ナス、オクラなどがあった。これに、熟してないマンゴーとタマネギ、トマトを刻んだもの、さらに小魚の佃煮のトッピングを混ぜていただくと、今までに食したことがない微妙な味で旨かった。フィリピン料理のとりこになったのはいうまでもない。フィリピンの特産は食事のほかにメイドさんがある。Aさんは、月8.000円でメイドを雇っているそうだ。食事、洗濯、掃除を毎日。現地人の給料は決して高くないはずだが。だが、彼曰く、非常に重宝しているとのこと。つまり質が高いそうだ。そう言えば思い出した。フィリピンのメイドさんは質が高いと。こうした人たちが日本で仕事をしてくれるなら、日本人は5倍の価格でも安いと思うはずだ。政府はやれ漢字が書けないといけないとか、いろいろと難癖をつけて、規制をするが、規制は安全性にだけ効力を発揮させれば良い。閉ざされた日本は人気がないのはひしひしと感じる。政権が変わったタイミングでぜひ日本を解放してほしい。そうすれば、やがて、アジアの仲間入りを果たせるだろうと思う。食事の後の光景が強かっただに、施しではない共存の道がないかと思うのである。ホテルに帰り風呂に入るとどっと疲れが出てきて床についた。<ぶらぶらしている人が多いように見える>
11月18日(水曜日)
今日がメインエベントだ。約5時間英語を使ってプレゼンテーションするのだ。できるだけ、彼等の話を聞いてあげよう。と言う姿勢で臨んだ。そうすれば、こちらの負担は半分となる。この作戦は以外と力を発揮した。最後に記念撮影。なぜだかわからないが、こちらの若者がすり寄ってきて一緒に写真を撮ろうと言う。それが何人も。相手が女性なら気分が良いのだが、男なのだ。それも、体の大きな。僕が小さいので、日本人を見下した気分になるのだろうか?不思議な現象。なぜだか、インドでも同じだった。大変疲れました。大いに疲れました。ホテルに帰ると9時。目がショボショボ状態。なにもかもうっちゃって床についた。<靴を履いてない少女>
11月17日(火曜日)
朝起きると妙に暗いのは、雨が降っているせいだった。今朝は体が冷えきって目が冷めた。もう、布団一枚では眠れない寒さに突入したのだ。部屋の温度計を見ると19.4度であった。だが、これから冷房が必要な国に行くのだ。昨晩買ったパンを食べ、リンゴをかじって6時12分の地下鉄に乗った。この時間一番早い関空行きは、地下鉄を3本乗り換えて天下茶屋で南海電車に乗る方法だ。エレベーターのない駅もあり往生した。盲人用の黄色のパネルはキャリーのあるカバンを引きにくい程、敷き詰めているが、足の不自由な人のための施設は以外と放置されている。もしくは、わかりにくいかだ。行く先はフィリピン。今回はタイ航空。タイ航空の飛行機はシート幅が広いので楽だ。約4時間でベニグ・アキノ・マニラ国際空港という長い名前の空港に到着。空港に人の名前を冠するのは、高知龍馬空港と同じですね。空港ではホテルカーに迎えに来てもらっているはず。だが、ホテル名がドジットホテルなのに、通じない。何度もやりとりをしていると、"ダジタニ"がこちらでの聞こえ方だっだ。最初からつまずいてホテルにチェックイン、会社の迎えの車を待つ。Hさん、Aさんが来てくれた。近くのSM(スーパーマーケットと言う名前の店、ひねりのない名前、だがこれが国内最大の流通で87店舗ある、日本のイオンに相当する)で飲み物を買うためつれていってもらった。外国の生鮮食糧品は非常に興味がありますね。この国は肉類はなんでもOKだから、豊富な量に圧倒される。半面野菜類は少ない。それは、道路サイド(道端です)で売っている量があまりにも多く新鮮なためだ。事務所で仕事を終えると一緒に食事にゆくと言う。どこが良いか?あなたに任せると言って連れて行って貰ったのがこの店。純フィリピン料理。メニューは魚と野菜のスープ。これは、日本風の味付けと同じだが、酢がずいぶんと使われて酸味。イカの照り焼きは日本と同じ味、同じ匂い。野菜炒めは、日本名でセリのようなものをベースとしたもの。ローカル食だがと卑下した言い方だったが、僕はこちらが好きだ。こちらの日本人と一緒だと、日本食の店にゆくので面白くない。味もまずい。それに何よりも高い。Aさんにそのことを話すと賛同してくれた。<フィリピンと言えばジプニー>
11月15日(日曜日)
ドル亡き後の世界副島隆彦
この本は衝撃的だ。アメリカは来年の暮れに暴落するというのだ。一つは国債。もう誰も買わなくなるかも知れない。もう一つは、不良債権。第一陣は住宅ローンのパッケージ化による債券化。これはもう現実化しているが、下がりようがまだ少ない、まだまだ下がると言う。もう一つは商業施設。これも細かく分断して債券化しているそうだ。これは、住宅不良債権の3倍位の規模がある。だましだまし、引っ張っても来年の暮れぐらいまでにははじけるだろうと言う。それで、アメリカが中国に気を遣うのは、ドルの国債を買い続けて欲しいと言うお願いがあるからだ。日本にはそういうお願いは不要だそうだ。なぜなら、自民党政権が決してドルは売りませんと確約しているらしい。だがしたたかな中国はドルの高いウチにエネルギーや資源をごっそり買っておこうと言う作戦に出ている。来年の暮れにはドルは60円位まで下落するようだ。一方オバマはこれを狙っていて、60ドルまで下落すればアメリカだって輸出が出来ると言う。アメリカ破綻も計画的なようだ。そういう複雑に動いている世界の中で、日本はまだグローバル経済の渦中の経営に気が付いてないようだと指摘している。
11月14日(土曜日)
咲くやこの花館
朝のウチ雨が降っていたので、植物園は空いているだろうと思いきや、本日は無料の日であって、多くの来園者でにぎわっていた。ここは何度も訪れ勝手知った場所なので、スィートスポットで撮影ができる。だが、ここは大阪、うるさい。館内放送がうるさく、従業員が絶えず回ってきて声をかける。アレをしてはいけない、これをしてはいけないと。帰ってきて、昨日借りたDVDレンタルの焼き込み。新作を全部借りてディスク化した。BDレコーダーでも今週の録画5枚ほど焼いた。今週はディスクだけでも10枚程度焼いた。問題はいつ見るのか。
11月13日(金曜日)
洗濯機のタイマー
洗濯機に9時間後に働くタイマーがあることに気がついた。深夜の洗濯は近所迷惑だから平日帰宅してからでは洗濯出来ないのだった。しかし、このタイマーを利用すると、夜帰り着いた頃に洗い上がっているのだ、微妙な9時間を設定した人は偉い。と言うことで今日は帰宅するなり洗濯物を干して風呂に入ったりしていると、睡魔が襲ってきて、何と酒も飲まずに寝てしまったのだ。今週は、写真の撮影もあったりして、90,000歩だった。少々膝が痛むがこれだけ歩くと、確実にベルトの穴が一段締まりますね。最近思うことは、エネルギーの蓄積がだんだんと出来にくくなっていて、単一電池から、単二に落ちたような気分だ。まだ電圧はおなじでパワーはでるが、夜になると完全放電に近い状態で、睡魔におそわれにようになった、その割に眠りは浅く充電が十分でないのだ。なんだか話が家電ぽいですが。
11月12日(木曜日)
動物園に出かけた。
やっと太陽が拝めたので、動物園に写真を撮りに出かけた。久しぶりに降りた天王寺は大きな開発が始まっていて、この不況の中よくやるよ。と思えるような大きなビルが建つ予定だ(何と後から調べると、横浜のラウンドマークを抜くビルが建つそうだ。そして近鉄百貨店は123,000uの巨大百貨店に生まれ変わるそうだ)。そんなのを見ながら、動物園に向かった。ここは創立が早かったんだろう、70年代のシステムがそのまま残っている。食堂とか、記念撮影場所とか。建物は老朽化して、手が加えられてないことが一目瞭然。民営化すれば、一躍エンターテイメントの場所となるのだが、、、。そんな中以外だったのが、動物がキレイにされていること。僕はもっと糞などで汚れていると思っていたが、ペットのような毛並みで、ここには動物が好きな人が働いているんだなと思った。400mmの望遠で虎が起きあがるのを狙っていたおじいさんがいたので話を聞いてみると、来年の年賀状用とのこと。フラミンゴは柵の向こうにいるので、マニュアルでピントを合わせた。そうすると、おばあさんが、この柵を写さない方法を教えてくれと、ミノルタの一眼レフカメラを取り出した。一眼のターゲットはずばり老人であるという感じを受けましたね。帰りに恵美須町から電気街を通り抜けて日本橋駅に歩いた。BD−Rが何と1,590円(10枚)で販売していたので買った。一枚159円。DVDの2層式よりも安い。
11月11日(水曜日)
ヘラルドトリビュー紙を時々買って写真の解説部分だけでも訳して読もうとしている。ところが、こんな短い英文でさえ、訳しきれない事が時々あったが、最近はそういうことがずいぶんと減った。かといって理解が進んだわけではない、一語一語辞書で訳して、日本の文章に組み立てるだけである。ただ、関係代名詞のような文章を接続するthatのようなものが多発されると、なんだか分からなかったのが、区切りの目端が利くようになっただけのこと。今年中には、写真だけでなく、大きなフォントで書かれた見出しも読めるようになりたいものだ。
11月10日(火曜日)
今度のフィリピン行きは不安。
来週からフィリピンに行く。あいにくと現地日本人は全員会議で日本にいて、一人で乗り込んでいくのだ。それで、いろんな用事をメモにして、整理をしている。だがこれも発言用であり、ヒアリングについては無防備のままである。ラジオで聞く英会話は綺麗なアメリカの英語だから、分からない中にでも、聞き取れる単語はある。だがアジアの英語は余りにも崩れていて何一つ単語を理解できない時もある。英語の基本が分かっていれば、聞き取りにくい英語でも、どんな意味の単語を話しているのか推測ができるが、こちらは基本文型を知らないので、言葉の並べようがないのだ。日本語で書かれた英語の本を読むと、英単語は5,000語くらいはまずは必要だとのこと。そして、会話には30,000語。一日10語覚えたとして8年ほどかかるようだ。先が見えない。
11月9日(月曜日)
インド人の富裕層
頼まれて、インドの富裕層の家庭をビデオ撮影したものを編集している。日本から見るとインドはまだ低開発国のイメージが強い。全体としてはそうだが、一部の人達はもうすでに西欧諸国と比べても遜色のない生活をしている。それは台所を見ればよく分かる。ぴかぴかに磨き上げられていて、レンジの周りに油が散ったような痕跡が無いのだ。食事は野菜のカレーだらから、フライものが少ないのも理由の一つだ。ウチの妻に見せてあげたい。次に寝室、インド人は寝室にTVを置くようだ。寝ながら見るのですね。日本でも居間で寝転がってTVをみるのと同じ感覚なのかも知れない。そして、どの部屋にも天井扇がある。この天井扇、ホテルにもあるので使ってみたが、起きているときはなかなか快適だが、寝るときは結構な風量があるからちょっと使えないですね、それと音がうるさい。冷蔵庫は、余り物は入ってないないですね。余り物は捨てるし、野菜は家の前に売りに来ているし、肉類は食べないからだ。その売りに来ている野菜を見たが、新鮮だ。関西スーパー逆立ちしても揃えられないような新鮮な野菜がリヤカーに並んでいた。窓が小さく暗いのは、仕方ないこと。これは、暑さと関係ある。北の国も窓が小さく、世界の中で窓が大きいのは温帯地方だけだ。
11月8日(日曜日)
昨晩遅くなったが、ベルウォルフを見た。これは西暦507年の話。王様は魔女と契り、その子を宿す。その怪物のような子は、王様の臣下を時々訪れては殺戮する。そこへ現れたのが、ベルウォルフ。彼は、見事この怪物を退治する。すると、魔女が現れて、子供が欲しいとせがむ、その代わりに王様にしてあげると言う。そして、その子が時々現れては、新しい王様の臣下を殺戮する。前の王もそうして王様になったのだった。歴史は繰り返されるのだ。なんで、この魔女と契るのかと言えば、絶世の美女であるからだ。男の弱さにつけ込んだ魔女の生きる術なのだ。音も迫力があり、映像もキレイで視聴用として最適。しかも、見終わった後、何かしら監督が伝えたかったことがあるような気がする映画であった。日曜日は読書に当てるつもりだったが、カタログの整理を始めたら半日が終わってしまってた。プールで3km、婦人に追い上げられて、真剣に泳いだので少々疲れ気味。
11月7日(土曜日)
長堀で開催中ハイエンドショーを見に行った。まずは、ビクターのプロジェクター「950HD」。黒のしまりは雑誌での評価が過言でないことがよく分かった。映画はバットマン「ダークナイト」、ジョーカーの運転するトラックをバットマンが追いつめて、ワイヤーでひっくり返すシーンで、このワイヤーが非常にはっきりと見えた。次に向かったのがパイオニア。小さな音でしか演奏してなかったが、DX−Z10のアンプと、S−4EXのスピーカーの組み合わせは非常に良い音がしていた。しばらく聞き込んでしまった。この会場で僕の好みの音を出していたのはここだけ。フォステックのGシリーズは雑誌での評判が非常に高いので興味を持って聞いたが、確かに密度のある音はしている物の、うるささと紙一重の所にあり気持ちは動かなかった。アンプにアキュフェイズを使い、周りの環境は良いのだが。クリプトンのKX1000Pも雑誌の評価が高い、アンプは知らないPSオーディオ。この為なのか不明だが、新鮮さに欠ける音で、その上、繊細さもなかった。富士通のエクリプスは砲弾型のスピーカー(TD712)で一度は体験をしないと、と、思っていたが何と5.1chのシアター体験ができた。音は総じてやせていておもしろみが無い。刺身に醤油がないのと同じ味だった。マッキントッシュはC1000、MC2102があった。いずれも真空管アンプ。アバンギャルドのスピーカーと組み合わせをしていた。ジャズはいいが、クラシックはちょっとと言う感じ。それに、相当広い部屋が必要な感じだった。ラックスはL509とヨーロッパ系のスピーカーを鳴らしていた。がちがちに固めた音だが、何となく気品を感じた。スタックスのヘッドフォンも普段聴けないので、聞き込んだ。10万円と13万円、3万円の価格差をなかなか聞き取れなかった。30分くらいしてやっと耳がなじんできて理解できた。他に19万円のもあったが、こちらは少し音がやせているようだった。アンプに真空管を使ったからかも知れない。もう5時。ヤマダ電機でシャープのLEDテレビも見なければならないので、泣く泣く、もう一つの会場を断念した。シャープのLEDTV(LX1)は40型で214K、比較の同じサイズのDS6は188kの23%ポイント。本体で26kの差ポイントで23kの差。46型は308kと同サイズのDS6は258k。本体で5万円の差。ポイントで19kの差。発売直後としてはまずまずの価格だと思う。しかしNHK土曜ドラマ「さよなら先生」でマラソンのシーンがあったが、いずれも倍速にもかかわらず、ランナーが走るとき顔が上下するが、その際、頬の残像がひどくてちょいと難しいなとおもった。同じシーンをソニーのF5の4倍速で見ると、頬はきっちりと顔に張り付いていた。液晶TVは4倍まで速度を上げないと残像が厳しいと言うことなのかと思いましたね。実に楽しいひとときだった。<難波パークスは、もうクリスマス>
11月6日(金曜日)
昔、一緒に仕事をしたメンバーが集まって懇親会を開催した。先月の末にもこのような会があり、今月末にも別の会がある。こんなにまでして酒を飲みたいのかしら?いやいや、たまたまのそれぞれの成り行きでこうなった次第、ですが火のないところには煙は立ちません。今回は、仕事で外国に出かけている人が多かったのでそちらの話題となりいろいろと参考になった。中でも旨く話せるのにやっぱり勉強しているKo氏など天晴だ。彼によると良い参考書があると言う、フォーレスト誌(これは後で買ったが目から鱗の書籍)。ブタペストに行ったSa氏からは、ブタとペストを分断するドナウ川の写真を見せてもらった。旧ユーゴやルーマニア、ハンガリーでも共有語は英語でいけるらしい。Na氏は最近スペイン語に着手したそうだ、もうすぐ定年なのに。このメンバーは飲む量が半端でなく、一人大ジョッキ7〜8杯位を飲む。僕も一緒に中で4杯飲んだ。サッポロビールの「ライオン」と言う店で、すべて違う種類のビールを飲んでも8杯飲める。酒飲みのメンバーが選ぶとこう言うこととなる。メンバーのうち、独身者が3人、単身の僕を入れて4人が自炊をしており、当然料理の話にも話題が及んだ。昨日の1,000円うどんの話をしたら、冷凍のうどんを買うのがコツだとのこと。
11月5日(木曜日)
夕食にむしょうにうどんが食いたくなり、スーパー、「ライフ」で、うどん玉1個、だし2個、かまぼこ、ネギ、生姜、いもとかぼちゃのてんぷら、味付けのアゲ2人分を買うと約1,000円の出費となった。京橋の都うどんは230円で、旨いきざみうどんが食えるから、うどんの自炊は割にあわないことが判明した。
11月4日(火曜日)
昨晩のことである。録画した映画「ワールド、オブ、ライス」の触りだけでも見て床に就こうとしたが、あまりの面白さにとうとう最後まで見てしまった。内容はイラン、ヨルダン、シリア、アフガニスタンにまたがるテロ組織にCIAが立ち向かう話。主人公はテロの可能性がある男を追って狂犬病の犬に噛まれ病院で手当を受ける。その手当をする看護婦がイランの美人女優で、ゴルシフテ・ファラハニ。これがめちゃキレイ。主人公はブラッド・ピッドで、これを電話で指示をする上司がラッセル・クロウ。映画の存在は余り知らなかったが結構な役者を揃えての映画だった。中東の人達の仕草や、風景はインドと良く似通っているので結構リアルに見ることが出来た。<大阪にも秋が来た>
11月3日(火曜日)
少し寒く、風がある。日曜日の晩に干したジャンパーが今朝見ると消えている。まさかおじさんの洋服を盗む人もいないだろう。一階を捜すとハンガーと一緒に通路に落ちていた。昨日から強くなった北風が犯人だった。一日中、本と映画。「ウォーリー」(まぬけ)の映画を見る。苦労してDVDのリッピングをしたが、今月WOWOWでHV放送がある。ウォーリーは画質が飛び抜けて良いCGの代表作品だから、これを録画しない手はない。録画が活発で、毎週土日にはBDかDVDに小マメにダビングして落としておかないと、HDDがすぐに一杯になってしまう。今の定番は、毎週のモントルージャズフェスティバル、インドなどアジアを旅するフィクション物や、NHKのクラシック番組、WOWOWの推薦映画、など、週にDVD2本。BD5本くらいが録画されている。いつ見るのだろう。
11月2日(月曜日)
月曜日はいつもの事ながらしんどい。それに今日はおなかの調子が悪い。その上、昼から急激に冷え込んできた。簡単なジャンパーで来てたので帰りは寒くて震えた。寒いのでどこかで一杯やろうとしたが、休みの前で何処も一杯で断念。近くのスーパーで買い物をして晩飯の支度をする。どうしても緑の濃い野菜に目がいってしまい、ニラやネギやピーマンなどの偏りがちだ。今日はそんな好みを振り切るようにブロッコリーを選んだ。これにたっぷりとマヨネーズをかける。魚は冷凍ししゃも。「グランド・トリノ」を食べながら頂く。クリントイーストウッド以外有名俳優は出演してないが、なかなか味のある映画だ。グランド・トリノとはアメリカの車の名前。アメリカの車産業が壊滅的な打撃を受けて縮小せざるを得なくなっている背景に、クリントイーストウッドはなにか思い至ったんだろう。役の上で、息子がトヨタの代理店に勤めるのを猛烈に怒っている。もう一つは、アジア人の移民達のいざこざ。この2つの要素を混ぜて一つの結論に落とし込んだのがこの映画だと思う。クリントイーストウッドは前に「ピンク・キャデラック」と言う映画に出演していて、こちらはコメディータッチだったが、少しだけひねくれた所もあったようだ。そういえば夕陽のガンマンでも少しひねっていたな。
11月1日(日曜日)
充電を終えて大阪へ
あっという間の2日間だったが新しい情報の入手と精神的な充電ができた。新幹線に乗って、今週一週間の出来事をポケットモバイルで書いているとあっという間に名古屋だ。パソコンの雑誌を東京駅で買ったので読み進んでいくと、私の最新パソコン、インテル2コアのE6600のCPUは最新のセレロンに劣るようだ。セレロンは庶民のCPUで、2コアはブルジョワ階級のCPUつもりだったのだが。技術の流れは非常だ。帰りついて、写真をHDDに取り込むともう午後2時。ワイシャツやハンカチのアイロンがけを行ってプールへ。体重を計ると57kgを超している。妻の料理は食べ盛りの子供用なので、羽目を外して食べるとたちまち肥える結果となった。2.5km泳いで600g減らし、食事はほうれん草とシメジ炒め。豆腐半丁。レモン一個にご飯。これで明日18,000歩を歩くと元に戻るはずだ。
10月31日(土曜日)
息子のジーパンと靴とを履いて妻の自転車で幕張に向かった。悲しいことに、ズボンのウエストはあうのに裾が長く折り返さなければならない。靴はひもを縛って足が遊ぶのを止めなければならない。昨晩は娘の漢字検定の単語帳をめくってみたが、2つしか当てられなかった。彼等はいつの間にか、僕を超えているぞ。早く英語を身に付けて縮まった彼等との距離を元に戻さなければと思いますね。幕張ではモーターショーが開催されている。関心の一つはエコカーがどこまで進んだのか。もう一つは女性の撮影テクニックを磨く。ここは美人をただで撮影できるのだ。1時間半で到着。3つの館を使って展示。それぞれ、ホンダ、トヨタ、日産が入る。エコについては3つの取り組みがある。ハイブリット、電池、低燃費エンジン。一番目はもうすでに実用化されており述べる必要はないだろ。ポイントは電池である。これは、まだ発売されてないこともあるが非常に進化していて日常については、明日から使えるかもしれない段階だ。バイクにも搭載しヤマハとホンダがそれぞれ出品。低燃費はマツダとダイハツが取り組み、リッター30kmの性能を出している。ガソリンエンジンは製造時のエネルギー消費が非常に少ないのも特徴で流れはどうなるのか不明。その先にある水素燃料については、見えてきたがまだ道のりは遠い。それに、トラックのような商用車がターゲットのようだった。ショーの演出は圧倒的にホンダ。「ないものをつくれ」、と言うテーマの元、わかりやすい訴求していた。ビジュアルとリアルの混在で面白く驚きがあり楽しめた。2つめのテーマであるモデルさんは、誰かが先に撮影しているシーンを探し、その人たちが終えると断ってお願いをする、絶対に最初に声をかけないのが安全。それに、カメラマンが群がっているモデルさんは圧倒的に綺麗だ。そういう点男の好みは共通しますね。6時間ノンストップの会場探索、3時半過ぎに終えた。家に帰ると5時だった。風呂に入りさっそく食事。足が棒のようになったので、娘にマッサージを頼む。こう言うところが家族の良さですね。夜8時息子がシンガポールから帰ってくる。彼曰く、向うでは日本人のアテンドがあり過保護の旅行だったから外国を感じなかった。だが、マレーシアのジョホウールで現地の高校生と交流があり、3カ国語を話せるのに感銘を受けたとのこと。食事はまずく、風呂はトイレも一体で狭く、貧乏旅行だったようだ。僕らのビジネスマンが宿泊するホテルとは格が違ったようだった。<イタリアの車がキレイ>
10月30日(金曜日)
横浜から池袋
横浜で展示会が開催されている。ここには韓国や台湾メーカーが出展し、いわば世界の液晶メーカーが一同に揃う祭典である。5時半過ぎに自宅を出て新幹線に乗った。今日は富士山が良く見えた。幸先良いぞ、なんの幸先わからないがわくわくした。横浜も久しぶりで少し戸惑ったが無事桜木町へたどり着いた。今年は景気が悪く、ディスプレイのイノベーションがあるにもかかわらず出展が地味だ。この展示会は次第にCEATECに収斂されてゆくかも知れない。今回目立ったのは太陽電池。北欧から多くの参加があるしアメリカのベンチャーもJETOROが支援して参加している。太陽パネルは、液晶のようにアジアの独壇場ではないのだ。もう一つ、LED照明。TVのバックライトに使われる訴求もあるが、照明にもずいぶんと積極的だった。その照明だが、消エネを活かして、水耕野菜を育てていた。これだと工場生産できるので、害虫や病原菌の心配がないので安全な野菜が生産できる。今後LEDで農業が変わるかも知れない。大きく違ったのはむしろ僕の方で、外国の出展が多いこのフェアを見て、毎年劣等感をいだいていた、だが今回は、物怖じせず彼等と話ができたことだ。午後3時半までフェアを見たのち食事をして池袋に向う。ここにヤマダ電機が世界で一番大きな家電店を今日開いた。旧三越の後で、百貨ではなく150万点もの品数を扱う。三越の経営では年商300億円で不振だったが、ヤマダになると600億円になるようだ。もう百貨店の業態は終わったのかもしれない。その、池袋。37年前、新宿にいたときに結構通ったので土地感がある。そしてこの街は変わらないので昔の記憶がそのまま通じる。店はものすごい人でいっぱい。果たして経済不況なんだろうか。レジ待ちの客は50mほどあり、このぶんだと1時間は待たされるだろう。価格はポイントを活かしたものと、ずばり表示と使い分けてあった。どのフロアも満員で、店員は近隣から応援に来ていてずいぶんと洗練されていた。活気のある企業には良い人材が集まりやすいのだろう。夜家に帰る、風呂を浴びてすぐにご飯が食べられるのは当たり前のようでホントありがたい。ビールを飲みながら娘の面接の練習をした。彼女はけなげにも一生懸命にメモをとっていたが肝心なことは控えてないと言う何という間抜けだ。<数少ないコンパニオンさんを撮影>
10月29日(木曜日)
仕事で遅くなり、食事をつくるのもおっこう。外食するのは出費がかさむ。こんなとき、今まで食べ残した冷凍の食事を温めてたべるのも一手ですね。一年余り自炊をしてきて、そこそこの味が出せるようになり、傑作集は冷凍して保存していたのだ。冷蔵庫は一人用としては十分な460リットル。冷蔵庫はサイズが違っても電気代が変わらない法則があるので、でかい方がお得なのだ。こうして、だんだんと一人暮らしのコツが出来上がってゆくのである。
10月28日(水曜日)
水曜日の家事
水曜日は早く家にたどり着いて、洗濯や掃除をした。週末に千葉に行くためだ。日曜日の午後、家に帰りついて大量の洗濯をするのは気が重いので、必須の家事だ。ところが、おとなりも同じような単身者で、僕が洗濯を干すころ同じようなことをしている。かれは、干すときに洗濯物を振って皺を伸ばしているので、良くわかるのだ。その後、風呂から出た後風呂を洗って、結構忙しく過ごすのだ。
10月27日(火曜日)
背伸びについて
自分の歩幅以上の階段は上がれない。そんなことは長い人生の間で十分分かっていたのに、どうも僕はそれをやってしまったらしいことに最近やっと気がついた。人の批判は出来ても、なかなか自分のことには気がつかないものだ。1年を経過して妙に息苦しいと思ったのはそこに原因があったのだ。これは無謀とも呼べるかも知れない。そして、今自分は困っている。が後には引けないし、本当に頼れるのは自分しかないのも知っている。だが、どんなにあがいても光明は見えてこない。そして、こんなこと確か前にもあった。その時どうやって窮地を脱した?思い起こせば、世の中が良く見えるようにメガネを変えた。そうだ、今のメガネは酔っぱらって自転車で標識にぶつかり傷が入ったままだ。それに新聞も読めなくなっている。今こそ眼鏡を変えるべきだと決意した所、旨いタイミングに会社にメガネ屋さんが来てた、19,800円だと言うので、飛びついたが、測定で乱視がずいぶんと進んでいて、35,000円もの出費となった。
問題解決の手法が違っているかも知れないが、きっかけって大事ですから。
10月26日(月曜日)
久しくパソコンの本を読んでない間にOSがウインドウズ7に変わった。VISTAを十分使いきらない間に変わってしまった。何という時間の早さだろう。世の中についていこうとすれば、もっと予算があって、もっと時間がなければと思う。しかしそのウインドウズ7もそんなに大きなブームになってない。ほかの人も僕と同じように関心の選択肢が広がり、こればかりにかかわっていられなくなっているのだろう。それにアイポッドの影響もある。アイポッドのためにMacを買う人は増えていて、パソコンコーナーはMacコーナーが例年になくにぎやかになっているのだ。世の中のデジタルはパソコンを先兵として動いているので、こちら方面の関心をなくするわけには行かないのであるのだが。
10月25日(日曜日)
シンガポール
今度の週末は千葉の家に帰るのだがと妻に伝えると、息子はいないと言う。何処だ?シンガポールだと言う。行く前にシンガポールについては少し話をしたかったのだが、あいにくと寝ていると言う。娘は成人式に着物を買おうか、レンタルしようかと言う。車の免許証も取得したいし。僕の生活費は枯渇して、貯金を取り崩したばかりだというのに、我が家の家計は大変な事になっているのだ。修学旅行にシンガポールを選ぶのは正しいと思う。例えば九州なんかに行って、冷えた料理の飯を食うよりか、シンガポールで異国の料理を食うのがよっぽど刺激になって良い。それに、東京よりは洗練されている計画都市をみるのもいいだろう。何よりも日本が全てではないと言う刺激は重要だ。僕はそのことを56歳になって知った。
10月24日(土曜日)
修理代
富士通のスキャナーが壊れたので修理に出すと3万円もかかるという。新品は29800で販売されているのだ。そこで、修理は中止をしてそのスキャナーを回収するためヨドバシカメラに訪問した。相変わらずの混雑で30分ほど待たされて受け取った。デジタルは年々性能が上がり価格が安くなるので、こうしたことが当然ながら起きてしまう。僕だけはなく、世の中に一杯このような現象が起きているはずだ。それがまた需要を喚起するのだが。少し釈然としない所もある。帰り着いて、マドンナのアルゼンチンでのライブを見た。この映像は感動です。ユーミンのコンサートの仕掛けもスゴイですが、マドンナのはコンサートて言うかショーですね。音楽は見るのと聞くのと両方が必要だと言うことに改めて気がつきましたね。思い起こせばこの方式は小林幸子と美川憲一が先鞭を付けたとも言える。これがエスカレートして世界にひろがったのではないだろうか。そのマドンナもうすぐ50歳だそうだけど、舞台の上ではスゴイパフォーマンス。カメラは旨くとらえてました。一方安室奈美恵の台湾ライブはカメラマンが彼女の動きを旨く追えず、結構ピンぼけの映像が多い。カメラマンの差でしょうか、それとも企画者の構想力の差でしょうか。
10月23日(金曜日)
年に一度昔の職場のメンバーが集まる会がある。この時同時にその時定年で卒業された方のお祝いもある。今回初めて、女性とそのお子さん達も参加して結構盛大なパーティーだった。皆さん昔営業をされた方ばかりなので酒を飲むのは相当に強い。食べるものが少ない中で結構酒を飲んだ。現役組と卒業組になるが、卒業組の方が圧倒的に元気なのはたぶん何処のパーティーでも同じことだろう。お土産は、そのころ扱っていた商品の年表が渡された。金の宝にも匹敵する価値ある資料だ。最後に我々の部長が挨拶。部長はいつまで経っても部長のままだ。彼曰く、会社では出世とか地位とか収入が大事だとずっと思ってきた。が、卒業してそれは間違いだと知った。もっと大事なことは友情なんだ。と締めくくった。そんなことなら、なぜもっと早く気がついてくれなかったんだ。私たちはあなたのためにどれほど気を使ったことか。今なら直接言えるのだが。。。
10月22日(木曜日)
実にさわやかな店員
金曜日の晩はレンタル屋さんが混雑するので、一足早く借りに出かけた。いくつかはすぐに見つかったが、「ウォーリー」と「ママの残したラブソング」が見つからなかったので、店員に尋ねた。この店員さんが実にてきぱきと捜してくれた。その店員さん右手の手指がほとんど無い。それにもかかわらず、POSレジでキーを打つ速度は普通の人の数倍早い。実に笑顔のすてきな店員さんで、この両親はきっと大事に育てられたんだなと思う、しかし、今は就職難で、アルバイトしか職がないというところか。これまでが良い話、これからが大変な話。「ウォーリー」のバックアップが取れないのだ。DVD43と言うソフトをインストールすれば可能だと書き込みがあるが、どうも旨くいかない。巡回冗長検査エラーが表示されストップするのだ。ずいぶんと時間を食ったが、DVD fab Decrypterと言うリッピングソフトが旨くいくようだとの声が多いので、今度はこれをインストールし何とかモノにすることができた。あきらめずにネットで探すことだ。ネットで探すには、やっぱり英語が少し理解できると、視野が広がりますね。「ハイスクールミュージカル」もあきらめていたが、再挑戦だ。
10月21日(水曜日)
IOS7D
いよいよキヤノンの一眼レフカメラIOS7Dが発売になった。このカメラは一秒間に8枚もの写真が撮影できる。コンパクトデジカメは10枚が当たり前だが、画素が小さい。IOSは18Mの画素のまま連写が可能なのだ、それを早速試してみたら実に小気味の良いシャッター音でパチパチと撮ってくれる。特に人の表情は多彩なので、連続撮影の中で一つだけ選ぶような撮影方法に重宝する。それともう一つ、ファインダーが大きくなった。これなら、両目を空けて撮影できそうだ。本体価格が18万円もするので何ともならないが興奮するカメラであることは間違いない。ついでに同時に発売になったニコンのD300sも触ってみた。こちらはカメラのできが良い。持ったとき手に吸い付くような感触がある。重いカメラなのに重いと感じさせないフィーリングの良さである。シャッターを押した感触はキヤノンを超える。両方欲しくなる魅力がある。一眼レフカメラ市場はこの年末は再燃するだろうと思われる活気がある。
10月20日(火曜日)
10,000時間
普通の人でも10,000時間程度時間をかければまずまず技能を取得することが出来ると言われる。一日8時間として、3年間程度あればモノにできる訳だ。10万時間をかければプロになれるとも言われる。今日久しぶりにヘラルドトリビュー紙を買ったが、少し読めるようになっていた。辞書を使えば何とか理解できる程度までに仕上がっていた。毎日2時間一年続けて、約600時間程度をかけた。その成果がこのレベルである。このまま行けばあと16年かけないとモノにならない事になる。それじゃ、定年を迎えてしまうがな。休日にもう少し時間をかけて、年間千時間程度確保することがポイントだろう。時に、日本語では数値の区切りを4桁で区切った方が読みやすい、1,0000とか10,0000とか。コンマで桁が上がるから一目瞭然だ。英語では3桁で区切った方が読みやすい。10,000。英語には千以上の数字がないので、この場合10千(10thousand)と読むためだ。
10月19日(月曜日)
経済成長が怖い!
アメリカのSF未来映画では建物の中でしか人間が生きられないようなシーンが多く登場する。外の空気はもう人間が吸うには耐えられないからだ。だが、これはもしかしたら現実に起きるかも知れないと思うのだ。リーマンショックで先進国は成長を失った。そして矛先を新興国に切り替えた。新興国は今まで争いばかりしていたが、争いよりもビジネスが旨いと気づいたようだ。そこに先進国の富が流れ込んできて経済成長が始まる。今までの学問ではその戦略は正しかった。しかし、今となっては少々この成長は人類にとって危ないかも知れないときが付くべき時にあるかも知れない。なぜなら、新興国が経済成長に目覚め化石燃料を消費し始めると、人口の母数が大きいので地球の資源を食いつぶしてしまうのかも知れない危険性を秘めているのだ。そんなことが分かっていながら、今を楽しむために人類はせっせと地球を壊し始めている。いつまでこの地球が持ちこたえるのだろうか?3億年前には恐竜が滅んだ。その原因は明確でないが、人類が滅びるシナリオが見えてきたような気がするのだ。
10月18日(日曜日)
父が運転免許証の書き換えの試験を受けたそうだ。審査は結構難しく、車庫入れの実地試験や認知の試験などあったそうだ。もう免許証を手放そうかと思っていたが、何とか受かったので、あと3年は乗ることが出来ると言っていた。いつまでも元気だと思っていた父も老いてきた。自分の元気も何処まで続くか分からないが、とにかく何も変わらないで、このまま時が経てばと思っている。一日本を読んで過ごした。近頃この本の中でもAV誌を読むのが非常に苦痛となっている。この雑誌を読む読者の平均年齢は高いはずだが、これほど文字のポイントが小さい雑誌は知らない。その点、小説はまだまだ楽だ。小説と言えば、最近の小説は上下巻が多くなった。何か原因があるのだろうか。昔LPレコードの登場で、それまで、SPレコードの長さに合わせてjazzの演奏がなされていたが、長くなった。現在はBDの登場で、映画が2時間10分の制約を遙かに超えて2時間半くらいになっている。これと相関関係があるかも知れない。
10月17日(土曜日)
朝起きたときから体が重いのは昨晩TVを見ながらお酒を飲んだためだ。昨夕はファジー会と言う友人仲間とビールを飲んだ。家に帰るとまだ酔いが深かったので近くのレンタル屋に様子を見に行った。見てない新作が並んでいる。これに興奮してしまいすっかり酔いが冷めた。それで、帰ってからTVを見ながら、また、お酒を飲んだと言う次第。普段9時までに終える家事も、11時までかかって仕上げた。柳広司のジョーカーゲームを読んでいると眠くなり昼寝。すっかり気の抜けた休日であります。これではダメだと難波へと向かう。ヤマダ電機では少し見ない間に新製品が続々並び、顔を見るだけでは品番が出てこない。AQUOSは日本を代表するTVだが、品番からはどれが高級なのか不明となった。一方サムスンは世界でシャープに負けないくらい商品展開をしているが、品番からグレードが一目瞭然だ。はやりグローバルと言うのはこういうわかりやすい品番体系からして違いますね。LAVIは書籍も販売している。丁度この日発売されるHIVI誌は店頭に並んでいるだろうか?捜すと、きちんとありました。ここで書籍を買うと3%のポイントが付いてくるメリットがある。だがここの売り場は閑古鳥が鳴いている。品揃えがあるのに殺風景。目当ての本が探しにくい。こんなところが問題だろうか。
10月16日(金曜日)
少し長いメール文章が転送で届いていた。インドの販売店が書いた文章だった。インドは今、年間最大の商戦期。気になるので少し丁寧に読もうと、辞書を片手に読むと1時間半くらいかかったが、現地の様子を細かく伝えてあって参考になった。最近は英語の文章も、さぁ〜っと眺めるコース。翻訳機にかけて、大筋をつかむコース。それと、真剣に辞書を引きながら読むコース。と3つコースを使い分けられるようになった。英語は必須だが、がむしゃらに勉強して身につけることはできない。頭がついて行かないし、ほとんど成果がない。それにもし嫌気がさしてしまったら困るのだ。毎日少しずつでよいからコツコツが僕のスタイル。長続きできる。マスターするには、まだまだ先は長いが、この速度だと続けられる自信はある。やっとここまで来たと言う感じ。夕刻ファジー会。友人たちとお酒を飲んだ。大阪第一ビル地下、湯浅港を目指したが、あいにくと満杯。別の店で腰を下した。久しぶりの飲み会は話題があちこち飛んで、年末にゴルフを土佐カンでやることで落ち着いた。
10月15日(木曜日)
歩いていると前を横切った女の人がものすごく良い匂いを発散していた。ところがしばらく歩いても匂いが切れない。そうだ、キンモクセイの季節になったんだ。この公団住宅から運河を通る道筋はキンモクセイ街道だったのだ。しばらくはこのルートを選ぼう。キンモクセイの匂いには思い出がある。それは入社したての頃、20歳の会があって、その会が一泊で合宿をすると言う。集団行動は得意でなかったが、まだその頃は断る術を知らず、参加することになった。行く先は奈良県の山奥にあるキャンプ場。近鉄電車を降りて、ずいぶんと歩いた。家並みが切れて、田んぼがでてきて、農家の家が点在し、庭には柿ノ木があり、身が熟れていた。そのときである、秋ののどかな日差しの中に、キンモクセイが漂ってきたのは。それ以降キンモクセイ=奈良=田舎と結びつく構図が僕の脳裏に出来上がった。まだ、この頃は高知の田舎に帰りたい気持ちが強かったので田舎の風景が印象に残ったのだろう。
10月14日(水曜日)
定時の日。この日は会社が強制的に全員を18時までに退社させる日。ぼくも、このころに、会社をでてとぼとぼと歩いていると、Na氏が声をかけてきた。軽くイコカ。普段はまっすぐ家に帰って勉強するのだが、このころ、少し指標を無くして、ふらふらしているので、気分晴らしに誘いに乗った。もっぱらの話題は地デジの著作権外しの手法で、これをクリアーするといろんなメディアへの変換がしやすい、と言うことで、i-Podに録画した落語を見せていただいた。なるほど。それから、DVDや音楽のライブラリーの話になり、僕の持っているDVDをお貸しする代わりに、Jazzの音楽をDVDに焼いて下さいという交換話となった。録画はどんどんとしているが、見る時間がないのが僕のライブラリーである。お貸しするのは何ら問題ない。一方音楽はながらができるので価値がある。
10月13日(火曜日)
毎朝JR京橋の売店で新聞を買っている。ここに元気の良いてきぱきとした女の子が居るからだ。何処で買っても良さそうな、たかが新聞だが、やっぱり感じの良い店で買いたい。いつも2紙買うので、店によっては間違ったり時間がかかったりするが、それもこの子はない。今日の話は売店の事ではなく、新聞の事だ。日刊の新聞は全部休みなので久しぶりにヘラルド紙を買った。一面の写真はパキスタンの爆弾騒ぎだ。パキスタンは最近ずっと自爆テロで荒れている。一方、世界はNEXT11とか、VISTAとか、先進国が不況で混迷のさなかにあるが、新興国はこの経済不況の影響を受けてない。その上政情が安定してきたので、人口が多いだけに成長の方向にあるようだ。その違いは、イスラムにあるようだ。イスラムの国は何処も安定してない。だがインドネシアは世界最多のイスラムの国であるのだが、政情は安定している、理由はここのイスラムは戒律が弱く、女性も頭だけは隠しているが顔はむき出しだ。昔は仏教でその後イスラムに転化した歴史もあるかもしれない。それに、南国の関係かも知れないが、非常に陽気だ。パキスタンの不安定さは隣のアフガンの関係があるかも知れないが、内陸の厳しい自然がそうさせているかも知れない。英字新聞を見るのは写真だけだが。
10月12日(月曜日)
朝の散歩に鶴見緑地に出かけた。太陽がずいぶんと傾いていて、光が横から差してくる。逆光だと普段目にするモノも結構キレイに映る。そんな目でカメラを構えて撮影すると、近所でも結構撮影ポイントはあるではないかと気がついた。2時間ほど散歩して、自宅で映画「ウォンテッド」を見た。これは以前見たような気がしたが、全くの新だった。ハイビジョンの録画モノだから映像は精細で非常に迫力がある。主人公は、自分をコントロールすることで動くモノが止まって見えるほど目の解像度を高めることが出来る特殊な能力を持つ青年。これを暗殺団が見方に引き入れて、宿敵の組織を裏切った仲間を殺すように仕立て上げる。そして見事殺したが、なんと殺した男は父だった。そこから話が混迷してくる。スピード感あり音の迫力ありで、申し分ない映画。日本のウェットな映画よりも、こうしたど〜んと豪快なアクションがはやり映画としては楽しめますね。今日3km、昨日2.5km泳ぐ。
10月11日(日曜日)
新興企業。NTTのプロバイダーOCNに電話をして、サービスの契約を止めようとしたら、電話番号が必要だという。今かけている電話番号がそうだと言うと、口で言えと言う。分からないので、もう一度かけ直すと言うことで電話を切った。番号を調べてもう一度かけて、先ほどの担当者(木下さん)をお願いしようとすると、電話番号を言えと言う、調べたばかりだからその番号を伝えると、私からかかった電話の形跡がないと言う。今かけている番号がそちらで見えるだろう、その番号を言っているのだと伝えると、僕の口頭で伝える番号は、先方に表示されている番号と違うと言う。そんなはずはないのだが、違うと言うのならそうかも知れない。もう一度電話を切って番号を確認すると、やはり間違いがない。二回目にかけた電話の主は、なんだか横柄な態度だったが、その上偽ったことを言った。どうやら一番最初の担当者につなぐことを阻止しようとする魂胆だったのだ。そしてその人は名前を言わなかった。三度目に電話をして、先ほどの担当者を指名せず、解約の話をすると、今度はとんとん拍子に話が進んだ。しかし解約のためには向こうからもう一度電話をかけるので、その時にして欲しいと。何度やりとりをすればよいのだろう。不満を漏らすと、こういう仕組みですから。こちらの全ての不満は向こうのマニュアルに押し通された感じだった。この担当者は山崎さん。慇懃にお詫びばかりをしているが、空疎なお詫びだった。いつもと事ですからと言う感じ。いろんな人がいろんな事を言うので先方側もマニュアルで固めたいのだろうが、前回のソネットといい、今回のOCNといい、この業界は非常に不親切なというよりか横柄な態度のマニュアルが内部に存在しているようだ。つまり若い会社なので、人格も備わってない知識だけの経営陣がマネジメントを采配しているのだろうと想像できる。ま、こんな会社はたぶん人材が定着しないだろし、長くは持たないだろうなと想像しますね。やっぱり品格というものは必要だと言うことを感じましたね。次回の引っ越しには慎重にプロバイダーを選ぼう。
10月10日(土曜日)
娘の腹が膨らんでいる。「子供ができたんか?」「女子高校生に向かってそれはないんじゃない?」「でも、下腹が出ているぞ」。どうやら肥満のよう。クラブ活動辞め受験勉強に取り組んだ成果なんだろうか。姉らしくどうも落ち着きがでてきて、僕の鋭い言葉にはめげなくなっている。男なんてシャボン玉のように思える年齢に達したのだろうか。それで写真の撮影にも快く応じてくれた。その後、稲見の花の美術館に向かった。こちらはすっかりご無沙汰で一年ぶりだ。天候は曇っていたが、途中で雨になった。菊とコスモスで埋め尽くされていた。当初2時間はかかるだろうと踏んでいた撮影が1時間で終わり、新幹線の予約にはずいぶんと間がある。EX予約なのでPCでしか変更できない不便さがある。携帯でもOKだが、IPHONだけがダメだそうだ。そこで自宅にいる娘にPC操作を頼んで時間変更をしてもらった。映画のシーンのように、簡単にアクセスしてパスワードを伝えるとあっさりと変更してくれた。やっと我が家に僕の分身が出来たようで嬉しかった。息子君はこのようなことがからっきしだめ。帰り着いて、映画「フィクサー」を見た。見ていてこれは前に見たことがあるぞ。前に見た映画も半分くらい見ないと見たかどうか分からない程記憶が薄れている。
10月9日(金曜日)
6時半の新幹線で東京に向かう。CEATECが開催されている。昨年は転勤のタイミングで見学を逃した。今年のテーマは3Dだった。テレビは平面だが、メガネをかけることで立体的にみえる。それが間もなく解禁と言う感じを受けた。5時に閉館、次の会場有楽町に向かう。ここで、ハイエンドショーが開催されている。いくつかチェックポイントがあったが、モニターオーディオPL300を聞けたことは感激だ。ペア250万円のスピーカーで低音を旨くまとめてあった。いわゆる鳴りすぎない低音ですね。繊細さはあまりなく図太く鳴っていた。パイオニアのTAD600Mはずいぶん団子状態の音でペア600万円の感動はない。評論家先生はこれがいかにすばらしいか話しているが、僕には空疎だった。KT88を使った真空管アンプでJBL4343を鳴らしていたブースもあった。真空管アンプは超低域が弱い、かといって中高域がみずみずしさを保っているわけでもなく、変わり果てたJBL4343に出会ってしまったと言う感じ。これは、CDプレーヤーとスピーカースタンドの選択ミスような気がした。今評判のフォステックスGX100は、コンパクトなのに意外とレンジが広いと感じた。午後8時でここも閉館。自宅には9時ごろ帰った。昨日放映された「家電芸人の番組」。息子曰く「どうしてそんなに家電のことに詳しいの?」「チチは仕事をせずにこんな事に関心を寄せて遊んでいるからだ」「それでよく給料がもらえるね」。息子は、僕のいない間に家電について雑多な知識をため込んでいて、結構この話で盛り上がったのだ。その夜は彼の心地よい低反発布団を譲ってくれた。
10月8日(木曜日)
鉄筋の家はいいなぁ。昨夜吹き荒れた台風は知覚せず朝起きると小雨がふり、時折風が舞う状態だった。さっそくTVを点ける。豊橋に上陸と報道。豊橋にはOo氏がいるではないか。蒲郡にもOkaさんがいるぞ。安城にもHa氏がいるぞ。でも被害はなさそうな報道だ。その後、上陸は知多半島に変更となった。中部国際空港からの実況もあったが、一言ここは知多半島で上陸地点の近くですと言えば良いのに。アナウンサーはこの空港が知多半島にあると、日本の国民全員が認知していると信じているようだ。外は平常に戻ったが、とにかく警報が解除されるまでは外出を控えておこう。NHKのデーター放送では3分に一度データーが更新されるから、ニュースを見ながらチェックできる。8時20分解除。それから出勤した。職場は半分が年休をとり静かだった。夜、台風のニュースも見尽きたので、ビリー・ジョエル・ライブを見た。62歳。シルベスタースターローンの映画ロッキーと同じころデビューしたので、僕の中では顔がダブって記憶されている。今回改めて顔をインプット。強烈なピアノマンからスタートした。昨今の音楽業界は新譜ではなく、昔にヒットした音楽が人気。アメリカも日本も音楽は団塊の層が市場をリードしているためらしい。今日は20,000歩をカウント。
10月7日(水曜日)
台風はいよいよ関西に向かっているようだ。会社からは警報の場合年休取得とする通達がでた。だが、大騒ぎする割に関西は静かだ。シトシト雨が降っているだけ。高知の実家に電話してもやはり状況は同じようだ。早々に自宅に帰りニュースを点ける。それとは関係ないが数日前から感じていた部屋の臭い。布団は毎週干して、シーツも枕カバーも洗っているのに。臭いが消えない。これが加齢臭というのだろうかとあきらめていたが。待てよ、この冬に来ていたジャンパーやセーターはそのままハンガーにつるしてあるぞ。もしかしたら。それらを全部まとめてごみ袋に入れると臭いは収まった。やれやれ。
10月6日(火曜日)
どうやら台風が日本にむかっているようだ。それも、私の出張スケジュールに併せているような気がする(週末に東京にゆくのだ)。今度の台風は強烈で相当な風が吹くとのこと。温暖化が引き起こした災禍だ。鳩山首相はこの阻止を表明したのは偉い。中国の事情はわからないが、今雨が降ると確実に朝顔の花びらに雨粒の後が残るのは、中国の石炭燃焼の影響らしい。インドの化石燃料消費の現実は目にすると恐ろしい。その上緑が少ない。どこもかしこも人で埋め尽くされているからだ。おかしくならない訳がない。台風は年々大きくなるだろうと誰もが予測できる。800ヘクトパスカルクラスの台風は時間の問題だと思う。さらに地震だ。アジアの南で活発化している。地球がこれ以上環境を壊すなと言っているかもしれない。インフルエンザの異常な流行もその一端かも知れない。
10月5日(月曜日)
元居た職場のメンバーの一人であるKoさんが訪ねてきてくれた。元気に仕事をされていて声に張りがある。病気で休まれているToさんの消息も聞けてヒト安心だ。氏はサプリメント薬を常用していて割と元気だった。僕は先祖が口にしてない食べ物には無理があるのではないかと常々思っていたが、最近薬品業界ではこの常用が話題になっているらしい。かといって弊害が報告されているわけではないらしいが。Ta氏も皆さんを叱咤激励されているとのこと。と言うことは、通勤の帰宅列車では、サントリーの水割りと良いコンビを保っていると言うわけだ。同じ世代の人たちが元気にされているのを聞くとうれしい。
10月4日(日曜日)
静かな朝だ、9時、太陽が結構部屋の中まで差し込むようになった、少し暖かいなぁと思って目覚めた。都心にありながら、この公団の静かさは特筆モノだ。窓を開けたまま寝ても、9時まで目が覚めるような物音がしないのです。昨日買ったパンをかじりながら、早速読みかけのテンペスト下巻に取りかかる。明治維新が起きて琉球王朝は崩壊する。その舵取りに彼女は出る幕はなかったが、側室として授かった王の子供を育てる日々がある。ここでも、宿敵の魔女との戦いがあり、結構はらはらさせられる。でも、終わりは初恋の薩摩藩士と結ばれるハッピーエンドだった。連休から2週間を経て900ページの上下段による壮大な小説を読み終えた。もう一度読んでも良いかなと思う小説だった。一日誰とも話さないでいると人恋しくなって子供に電話した。子供は受験のことで頭がいっぱいのようだった。だが、成績の事は結構僕に自慢をしている、彼等にとっては満足の行く成績だったらしい。言葉に力があった。チチは少し元気を落としているのだよと伝えたら、それは大変だと口だけは気遣ってくれた。娘はこんにちはと、まるで初めての人に接する挨拶から会話が始まった。この辺り、妻にそっくりだ。
10月3日(土曜日)
20年前のニコンのレンズが何処まで現在の写真レベルに耐えれるか興味があったので、早速咲くやこの花館に出かけて花の撮影を行った。このレンズは70―300mmの望遠レンズで、ニコンF4を買ったときに一緒に買い求めたレンズだ。F4で撮影したときはほとんどいい色が出なかった。このレンズを、レンズアダプターを使って、LUMIX−HG1に装着し撮影するのだ。比較用にLUMIX FZ50を持って行った。赤い睡蓮を撮影したときは、遜色ない写真となったが、緑色の食虫植物を撮影したときには、緑の精細感が欠け、現行ばりばりに使うわけにはいかないなと思った。だが、HG1に装着すると600mmの超望遠になるので、離せない。咲くやこの花館の最後の大フロアに、今丁度運び込まれたサボテンがあった。大輪の花を咲かせたサボテンだ。聞くとドラゴンという。どうも何か引っかかる。そのサボテンたちを見ていると、花が終わった後、拳大の赤い果実となったモノがぶら下がっているではないか。もしかしてこれが「ドラゴンフルーツ?」と係の人に尋ねるとそうだと言う。フィリピンやマレーシア、インドでこれを食ったのだ。見かけの割に旨い果物だ。ここでこんなカタチで出逢うとは。出会いと言えば、その夜、今週、毎晩放映された東京JAZZの録画。この番組の中で、神保彰さんとリーリ・トナーの競演は感動モノだったし、更にジョン・スコフィールドバンドのギターの鳴き。こんなスゴイ出逢いは久しぶりだったので、焼酎を飲みながらずいぶんと夜更かしをした。
10月2日(金曜日)
妻から電話で長く失業していた兄の仕事が見つかったとのこと。仕事は村営の市場「かっぱいちば」の配達とのこと。村には村民が余暇で作った農作物を売る市場がある。ここは格安で、ずいぶんとお客さんも多い。むかし、僕と妻はここで買い物をして、来場者10万人目に寄寓して、高知新聞に掲載されたことがある。この市場で食材を配達する仕事を役場は創設した。その仕事に付くことが決まったというのだ。これは、買い物に行けない老人達への介護サービスのようなモノ。実はこの企画は僕の老後の仕事として温めてあったのだ。訪問する課程で老人達と仲良しになり、彼等の歩んできた人生を文章に起こし、小説化を考えていたのだ。そうすれば、少々高くても話を聞いてくれる僕から買ってあげようと固定客化するのだ。この秘策は今度田舎に帰ったときに彼に授けてあげよう。
10月1日(木曜日)
久しぶりに雨。雨の日には妙に時間のすすみが遅いような感覚があり、気分が落ち着く。またもや地震の話。今度はインドネシアだ。インドネシアはジャカルタのある本島がメインで、他の島の人口密度は低い。地震が起きたのはボルネオ島でマレーシアと向かい合っている島だ。マレーシアに挟まれた海峡がマラッカ海峡で海賊が多発しているところ。海賊は主にボルネオ島の住民だ。インドネシアはほとんどイスラムだから、海賊も捨て身でたちが悪いが、ここ数年の経済発展で、海賊よりも割の良い仕事があるらしく、海賊行為は収束したようだ。地震はこちらと反対側で起きているので、津波の心配もない。今夜も読書のための時間を作るために冷凍食品の焼きめしだ。これも味が強く、余り健康食ではないだろうなぁ。しかし時間の余裕が出来る。
9月30日(水曜日)
今度は地震と津波。アジアは何が起きてもおかしくない波乱に富んだ地区であるが、今度は地震である。今週は「テンペスト」を読むために自炊が疎かになっている。今日は帰り道にあるいつも行列が出来るラーメン屋でキムチ焼きめしとラーメンを食べた。味はこってりで、塩分が強く一口で旨く、二口で強烈で、三口目に飽きてくる。ラーメンとライスだけの組み合わせの方がまだあっさりとして行けそうだ。自炊すれば二晩分のお金に相当する890円を払った。この「テンペスト」は沖縄の王宮の物語で、ここに女であることを隠して宦官として勤めた高級官僚の話である。この頃の沖縄は、清王朝と薩摩間のバランスを取って舵を切る微妙な外交を展開していた。そんな中、アメリカからペリーが来航し開国を求めるのだ。彼女はまさにその先頭に立って交渉をするのだが、一方女としての彼女は真鶴と呼ばれ、王様の側室でもある。一人の女が男となって政治を行い、女となって王様の側室を務めると言う結構面白い物語である。尊敬する北山次郎(本の雑誌の編集著)の太鼓判が帯にあった。北山次郎の推薦書は絶対に外れはない。
9月29日(火曜日)
日本のテレビでフィリピンのニュースはやってないだろうか?とTVを点けると、どこもそれどころじゃない、新政権の予算編成のことで一杯と言う感じだ。何か新しいことをしてくれるのではないかと民衆の期待が高いのが今の状態。だが、冷静になると、借金が多く財源が限られていて打つ手に限界がある、そんなに変わったことが起きるはずがないのに気がつくのは時間の問題だ。そして、支持率の低下だ。次の参議院選は逆ざやとなるだろう。グローバル化がここまで来たのだから、もっと開放政策をとって、外国からも投資ができる程度の変化を来さなきゃならないときなのに、こういう視点はないから、目が届くだけの世界で政策が進む。例えば沖縄なんか、港の解放をすれば、シンガポールまでとは言わずとも、韓国以上の活況を呈することができるのに、変な制度で港は閉ざされたままだ。既得権益が全ての行動を縛っているようにおもえてならない。成長性が無いというのは少子高齢化や人口減が問題でなく、閉塞感が成長を阻害している。
9月28日(月曜日)
会社では朝からフィリピンの洪水のニュースで持ちきりだ。昨日降った雨でフィリピンが水没したとのこと、夕刻になって現地から写真が送られてきたが、ネットなんかで見る写真よりも鮮明でスゴイ被害が出ていることが一目瞭然だ。フィリピンは来月になると訪問する予定だったので、その計画は頓挫した。ニュースの内容を読むと400ミリの降雨だ。日本では普通これほどの雨で洪水は起きないはずだがが、そこはインフラの整ってない国のこと。街の拡張は計画的でなくその場しのぎだし、拡大と貧困が同居している都市では、インフラの充実も部分的にならざるを得ない。しかし雨は広域に降るから脆弱なところからあふれ出る。浸かった後病気がはやらなければよいのだが。昨日おもしろさを発見した書籍「テンペスト」下巻を読み始める。夜の過ごし方はこの本一本だ。秋の夜長の読書である。
9月27日(日曜日)
昨日夜のこと、立ち飲みでお酒でも飲もうかと、知っている店の前を通ると休みだった。気が抜けるともう他の店を探す気にもなれない。TVでも観ながら、自分で作って飲んだいいや、と、言うことで、少し前に録画したアジア横断の旅のDVDを見てたら、ずいぶんと僕の感じているアジアと同じ視点でこのTV番組が作られているのに気がつきついつい見入ってしまい、ついでに深酒をしてしまったのだ。朝起きると頭が凄く重い。それで、今日もやる気を失い、何処へも行かず、読みかけの池上永一の「テンペスト」を読んだ。この本は厚くしかも2段書きで読むのに暇がかかる、話が長いので途中何度も居眠りもする。内容は1860年頃の琉球王朝の話だが、この王朝の舵取りをどうするのか?と言う論議は、まさに混迷期にある日本の選択と同じような見方が出来て小説とは言え大変面白く、だんだんと引き込まれてゆく。やっと上巻を読み終える頃これはスゴイ本だと気がついた。
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9月26日(土曜日)
なんだか原因不明ですが気が萎えて、何にもしたくなくなり、日中本を読んで過ごした。夕刻やっと元気がでてきて、昨日の続きで夜に強いカメラなら、大阪城もきれに撮影できるだろうと、手持ちのカメラを全部さげて比較撮影に出かけた。大阪城は広く撮影ポイントが定まらない。結局お城の中まで踏み込んで撮影した。こんな所まで中国人が来ているのには驚いた。撮影は人物を明るく、背景のお城もそれなりに、と言う結構難しい要求を自動で何処までこなしてくれるかというものだ。それが、この比較だ。(左からZX1,TZ7,GH1,Ca_920IS,So_T90)
9月25日(金曜日)
定時に仕事を終えて日本橋へ。夜に強いと言われるカメラZX1を買ったのでそのテストだ。法善寺横町の水掛不動尊の撮影だ。今までのコンパクトデジカメでは、この暗さだと撮影出来なかった。暗くなっていたので撮影。1/5秒のシャッター速度なのに手ぶれもせず安心して撮影できるのには驚いた。その後、ビックカメラを散策すると、オーディオコーナーの充実に感心した。オンキョーの607のアンプでシアターを組んであったが、これがなかなかいい音。音楽も観る時代になったんだと思いましたね。帰り着いて、モントルージャズフェスティバルの録画BDを観てたら、デープパープルが搭乗していた。ジャズの催事なのに、ヘビメタのハイウェイスターを堂々とやってましたね。イアン・ギランのボーカルが昔のままで聞けたのが驚き。それに、イアン・ペイスのドラマーが実にパワフルなこと。僕より4歳も年上なのにギンギンのノリを見せつけられました。久しぶりに感動しました。
9月24日(木曜日)
食事を作って食べている時に、ふと指について思いを巡らした。普段指のもっとも重要な役割は、仕事で文字を書く、文字を打つとか、もっぱら仕事向きの事に使われるときだ。なんせ、飯の種だもんねと思いこんでいた。しかし、まてよ、食事を作るにもずいぶんと指は重要な仕事をするな。旨い食事にはこの指が欠かせないぞ。この一年、この指にはずいぶんとお世話になったと指を見つめた。
9月23日(水曜日)
連休中に、これこれはしようと決めたことは大体終えた。夕刻プールで2.5km。3日間で7.5km泳いだ。だんだん体がなれてくると思いきや、今日が一番きつかった。1.5kmでもう止めようと思ったが、意地で何とか泳ぎ切った。プールから上がるともう動けない程の疲れで、ジャグジーで休むことにした。ここに、プールで先に道を譲ってくれたおばさんがいて、少し話した。今日はそのおばさんの話。あと10年は何とか動きたいので、足を鍛えているのだと言う。現在70歳で、膝が痛くてどうしようもないと言う。うちの父と同じ病気だ。いろんなモノを試したが、結局何にも効かなかった。僕の知っている薬の名前も幾種類か話題に上った。しかし、筋肉を鍛えて何とかしなければならないと言う。僕は歩くときに後ろ向きに歩いてはどうかと提案した、画家は後ろ向きに歩くので長生きをしているから、と、余り根拠のない事例を出したが、素直に聞かれていた。よほど痛いのだろう。寝てても痛いのですかと聞くと、時々痛むと言う。それは大変だ。だから来年は手術をしようと思っている。手術はどうかな、みんなが成功しているわけでもないし。と僕。私らの10人の仲間の内、腰が痛いのと、膝が痛いのと合わせると8人も痛みを抱えていると言う。ジャグジーでのぼせてきたので、これで失礼したが、老後の痛みにどう対処するか。食べ物で改善できることはないのが厄介だ。新たな課題がのしかかっている。から突ですが、ここに、インドの写真貼り付けます
9月22日(火曜日)
1日さぼると自分で分かる、2日さぼると師匠にわかる。3日さぼると客に分かる。とは、落語の稽古の話。英語の勉強を3日さぼって今日から頑張ったが、なかなか英語のフレーズを覚えきれない。散歩をしながら2時間もかけて覚えた。だが、この散歩が格別に良かったので、今日はこの散歩の話を。近くには鶴見緑地公園がある。徒歩で、5分くらいで到着するほどの近所だ。この公園を歩きながら英語のフレーズを覚えるのだ。ところが今日はどう間違ったのか、立派な門のある入り口にさしかかった、この門を多くの人がお弁当を下げてくぐっているではないか。僕もその後に続いた。そしてその理由がすぐに分かった。ここは花博があった場所で、特にできの良かった建物はそのまま残して開放したのだ。各国のオブジェが次々と展開される、昔、奥さんと、そのお母さんを連れてここに来た事を想い出した。そのお母さんはもう他界した。公園は管理が十分でなく結構荒れている。なんだかわびしくなる風景でもあるが、敷地が広大で、しかも上り下りがあり、結構な運動になる。それに、ほんの少しだが生き残った花が咲いている。まぁ無料だからこれも良しとしようか。おそらく、みなさん、かつての栄華に対して何かを思う気持ちは捨てて近所の公園として落ち着きどころを見いだしたような気がした。ぼくも、気持ちを入れ替えて都心に広がる森の中でいい空気を吸うことにした。
9月21日(月曜日)
昨日見た「カリートの道」は破局に向かう映画でどうも落ち着かなかった。内容はこうだ。刑務所から出てきたやくざのカリートは足を洗おうとするが昔の仲間に引きずられて悪の道に足を染める。そして最後の最後に、チンピラに撃たれて死ぬ。場面はカリートが望んだ南国での暮らしを想像させて終わる。そして見終わった後、疑問がわいてくる映画だ、例えば、どうして、タイミング良く逃避行をする直前、つまりゲイル(恋人)と列車に乗り合わせる直前に、昔、からかったチンピラに撃たれなければならないのだろう、このチンピラは直前に決めたカリートの行動をいつ知ったのだろう、少なくともこの旅行を決めてから5時間しか時間的な余裕がないとカリートは映画で言っていたのに。今日は朝から、AV雑誌と池上永一の「テンペスト/上」を読み始める。夕刻プール。プールは3kmを目指そうと頑張ったが2.5kmで息切れだ。プールの帰りにヤマダ電機にプリンターのインクを買いに行く。ついでにテレビコーナーを覗くと、パナソニックのPOPが通路に倒れていた、こっそりと直した。どうしてヤマダ電機の売り場は新規開店以降だんだんと売り場が荒れくるのだろう。そして売り上げが落ちると新装開店だ。閉店セールに大幅値引きセールが行われる。閉店セールの値引きは原価を割って商売しても公取からおとがめが来ないから堂々とやれる。原資があればの話ですが、ヤマダ電機にはこれがあるようだ。夕食には「カンフーパンダ」を見た。スターウォーズを彷彿とさせる「悟りの世界」が描かれていて、大人にもそれなりの見せ場がある。だがデブのパンダがカンフーを悟るには、老師は食べ物で釣ると言う指導法を採用するなど、少しユーモアも滲ませている。休日のプログラムを計画の通りこなしている。
9月20日(日曜日)
今日は昨日買ったカメラの試験だ。それで、曼珠沙華とコスモスの撮影に京都府立植物園に出かけた。少し風があり、コスモスの撮影には風を待たなければならなかった。こういうのどかさがいいですね。ニコンF4には60mmレンズ、LUMIXGH1にニコンの35−70mmのレンズを付けて、同じシーンを撮影した。画角は60mmと70mmとなるので、若干の違いが出るが、まぁ同じシーンを撮影できた。LUMIXはマニュアルフォーカスなので三脚は必須だが、ピント合わせに10倍の拡大表示があるし、絞り込んだままの映像もLCDモニターでは全く問題なく視認できる。(普通マニュアルフォーカスをするには絞りを絞ったまま行うので、ファインダーでは暗くて見えにくく、ピント合わせは難しい場合が多い)。それと両方のカメラとも視野率100%なので、構図はかなり追い込むことができた。こういう事をしながらシャッターを切るのは快感ですね。それに、ニコンF4のシャッターは、ライフルを撃ったような「ドキューン」と言う音がしてとても気持ちが良いのです。植物園に撮影に来る人に、おばあさんが結構多い。一眼レフカメラでいいレンズを使っているが、なぜかフィルムカメラなのだ。理由は大体推測できますが聞かなかった。マクロレンズで花を切り取っていた。もう一つの目的の曼珠沙華は木漏れ日を受けて咲いていた。この花は逆光で撮影して、赤と背景とのコントラストを出すのが順当な撮影であるが、見ていると順光の撮影者が多い。アドバイスをするのも面倒だからただ見ていた。帰り際京都の街を少し歩いた。大勢の人でにぎわっていた。四条通は交通が停滞しているのに、客待ちのタクシーが片側車線つぶしたままなのはどうかと思う。まぁ彼等のモラルは日本人の最低の所にあるので、誰かの発案で改善というのは望めない。関目でニコンのF4のフィルムをプリントした。待っている間、隣の居酒屋でビールを飲みながら、店のおばさん達に写真を披露した、彼女たちは液晶の発色の良いソニーのデジカメを支持していた。1時間後できあがった写真を見ると、フィルムのプリントはゴールドマリーの赤が血色で嫌な発色でした。デジカメのすっきりくっきりの絵柄を見慣れていると、フィルのまったりな絵は少し物足りなかった。ニコンのレンズを使って本体のLUMIXで撮影した映像は、解像感しっかりで少し明るめに撮影できた、そしてレンズが古いこともあり、結構フレアが出ています。
9月19日(土曜日)
朝早く起きて掃除洗濯食事を済ませた。今日はNTTから、ネットの接続に来るからだ。ネットを切られて1ヶ月半。出張があったとはいえネットは必要だ。工事の人は9時過ぎに来て10時前には帰った。髪を伸ばし、ひげも伸ばしたむさ苦しい若者だった。彼の歩いた後をもう一度掃除した。そのあと、宅急便。インドから持ち帰った大きなトランクは千葉に起きっぱなしだった。これが届いたのだ。白いケースなのに真っ黒だった。底は割れていた。46千円もしたスーツケースなのに、蓋は閉まらない、強度はない、汚れやすいと来た。ワカマツと言う鞄会社だ。ここの鞄はいい加減だから注意しよう。今日は、かねてから計画していた、ニコンのレンズをLUMIX GH1に装着して写真を撮影してみようと言うこと。それでヨドバシカメラに行ってGH1のマウントアダプターを買った。オールアルミのマウントが17,000円、ニコン側がアルミでLUMIX側がプラスチックは15,000円。後者を買った。店の人に聞くと、ニコンとライカのマウントがよく出るとのこと、つまり、レンズについてはニコンとライカが評価されていると言うこと。もう一つは、気になるストロボ比較だ。夜マンションの前で向かいの廊下の明かりが入るように自分をモデルに手持ちのカメラ全部でストロボを点灯して自分を撮影してみた。最悪がIXY。これは背景が真っ黒だ。次にソニーT90。これはシャッター速度が2秒と遅く、背景はキレイに映るが顔がぶれて判別できない。それで一番良かったのがLUMIX FZ5。ずいぶんと昔のカメラ名なのにキレイに映るのだ。
9月18日(金曜日)
今日は友人であるUさんが尋ねてきてくれた。夕飯に行こうと言う。もちろん異論はない。食事をしながら話を聞くと、彼の一番上の息子が司法書士に合格したというのだ。親としてももう安心だろう。スゴイ息子だ。身の回りにこのような息子を持った親は居ない。Uさんも僕たち4人の友人仲間では一番頭がよい。あんまり頭がよいので口がついて行かないので話が聞き取りにくい程だ。だが彼は不遇な人生を歩んいる。最愛の奥さんを病気でなくしているのだ。両親も他界している。それでも彼は明るい。明るく酒を飲むのがUさんだ。周りのみんながそんな彼の人格を認めている。今日は京橋の「ぼてじゅう」で食事をしたが、その間お客様が来ない。金曜の夜というのに客が来ない。新聞では地価の下落と、一等地へのカジュアル衣料の躍進が報じられている。かつて繁栄したアメリカは、たぶんもうないだろう。世界はグローバル化して平準化に向かう。衣料を初めとして全てのモノがカジュアル化するのではないか、そうしたときに生き残れるのは、価格と価値にとことんこだわったモノやサービスではないだろうか。「ぼてじゅう」は、お好み焼き屋としては高級店である。
9月17日(木曜日)
昨晩うどんだけで寝てしまったら、今朝は元気がない。旅の疲れは昨日でやっと取れたのだが、今日は再び疲れています。今日は珍しい先輩のN氏が尋ねてきてくれた。彼はこの9月で定年だが、すごくパワフルな人で、まだまだ現役で仕事が出来そうな雰囲気だ。N氏にはいろいろ仕事のアドバイスを頂き本当にお世話になった。10月23日に送別会が計画されているので是非出席をしたいと思っている。今回の出張でずいぶんと英語を使う機会が多かったせいだろうか、ラジオ英会話と、基礎英語3の一日分のテキストが、「何と」徒歩通勤の片道で記憶できるようになったのだ。これを快挙と言わずに何という。だから、どうって事はないが当面の目標が達成されたのだ。まぁ今日はたまたま文章が短く難しい単語もない日に当たっていたと言うこともあるのだが。一人だけの記念日である。キヤノンのEOS7Dが発表された。このカメラは特に気になる存在だ。キヤノンの渾身の力がみなぎっているのだ。スペックを読む限り興奮させられる。ニコンはD300をマイナーチェンジでお茶を濁したが、キヤノンはフルモデルチェンジを行った。それで、帰りにこれが掲載された雑誌を買ったらたちまち深入りしてしまい、寝る時間がずいぶんとオーバーすることになってしまった。朝30分遅らせた理由がたちまち失せた。
9月16日(水曜日)
定時に退社して梅田に出かけた。ヨドバシカメラを物色するためだ。その前にEdyを充填。その前に腹ごしらえを。と言うことで梅田第1ビル地下2階にあるうどん屋さんでハイカラうどんを頂く。そしてampmでWdyを充填し、ヨドバシカメラへ向かう、途中西梅田から阪神百貨店に続く地下の外壁を歩く。この外壁には全国のお土産さんが商売をしていたが、NET時代を迎えてだんだんと姿を消して、今はただ香川県だけが残っている。この人はえらいと思う。そうこうしているうちに梅田。ところが財布を忘れてきているではないか。財布がないと心細いぞ。絶対にやばいぞと言うことで、いそいそと退散した。有り金で晩飯の材料購入に、家の近くの食品スーパーに寄ると、なんと、そこのおっさん、僕にアサヒの新製品「麦絞り」の紹介をしてくれた、今年一番の話題のビールで、今日が発売日。たぶん売れると思う、と話し始めたのだ。普通ディスカウントの店は接客をしないのが基本だが、さすが大阪は違いますね。お節介文化が商売にも及んでいると言うスゴイ所を発見しました。
9月15日(火曜日)
まだ疲れは抜けない。それで、今日から起床時間を30分遅らし、6時起床とした。その分朝のラジオ英会話の時間が少なくなるので、前の晩に30分ぶんだけ進めることにした。起床時間を遅らせるのは、ずいぶんと効き、すっきりした目覚めがやってきた。7時間半の睡眠時間は少々多めだと思うが、このすっきり感を得るためには重要な時間配分だ。職場には、50過ぎの独身女性と、もうすぐ50に手が届く独身女性が居る。目の前に座っている。その彼女たちの無駄話が当然ながら聞こえてくる。今日のテーマはやっぱり独身が良いという話だ。なぜいいのかと言えば、人に気を使わなくて済むと言うこと。その話の発端は、彼女たちと同じグループに新婚ほやほやの男性が赴任したのだ。かれはガンバリ屋さんで、年休の時なども、家から結構まめにメールをしているようだ。そうすると、新婚の奥さんは旦那さんを見てどう思うだろうか?と言うことから話が展開し、家でメールしても、気を使わないで済む、独身がいいわねとなったのだ。話は変わり、今日は、サンマが安いと聞いたので、帰り際、スーパーのライフを歩いていると、ひじきやカボチャなど、野菜20種が1パックとなったお総菜が390円で売っているではないか。タンパク質は、ハマチの刺身が190円で売っているではないか。おおぉ、今日はこれで決まりだ。ハマチは結構量が多目で、半分だけ刺身で食べて、半分は焼いて冷凍した。秋になるとおいしいモノが出回り始めるのだろうが、どうも先に目に映ったモノに飛びついてしまう傾向がある。
9月14日(月曜日)
インド出張疲れは簡単には抜けない。朝のリポビタンDだけでは元気が出ない。結局これが年齢の影響でしょうか。一日中体がだるくて眠いのだ。だが出張のレポートとか忙しく書き上げなくてはならない。集中力の限界が来て、午後7時に退社。出張中の万歩計はほぼ5〜7千歩。だがそのおかげで左膝の痛みが取れた。それで今日からいきなり18千歩。膝の方も驚いているでしょうね。無事歩き通せた。今日のテーマは不思議発見だ。家の前の「業務スーパー」(これが店の名前、ずばりのネーミング)は比較的安価な食品店だが、ムキタマネギが5個で100円、一方普通のタマネギが4個で135円。これはどういうからくりでこんな価格が提供できるのでしょうね。ムキタマネギは真空パックで販売されている。こちらの方が長持ちすると言うことでしょうか。興味がわくので早速買ってきた。ムキタマネギは、適当に切って、油と酢と胡椒と鰹節で強火で炒めると、熱いうちに食べればなかなかの味。塩を使わないで食べられるので健康にも良いのだ。
9月13日(日曜日)
まだ疲れは貯まっている。抜けるにはまだ当分かかるだろう。今日は日記と写真の整理。道中感じた事はずいぶんとあるのに書き始めると何もかにも忘れていることが多いのに唖然とする。途中もっとメモを取るべきだったと反省。今日はきっぱりとした秋晴れ、まだ夏が残っている大阪を出かけていったのに、帰ってくるといきなり秋だ。これと同じ気候を感じたのはハイデラバードだった。気温は同じでもこちらは静かさがある。わびさびが感じられる趣があるのだ。あのインドでは喧噪と混乱と疑惑と独特の臭さの中では、写経とかお茶とかヨガとか、何か静かなモノに没頭する事が必要だと感じましたね。そうでもしないと、自分の立ち位置を失ってしまいそうな感じがするのです。そんなインドは嫌いか?きっぱりNoですね。買ってきたDVDでインドの踊りや音楽などを見ていると、またそこに戻りたい気になるのです。これを、インドにハマルというのでしょうかね。
9月12日(土曜日)
10時まで寝てしまった。いやがる子供達を連れ出し写真撮影。田舎に住む両親に送るためだ。朝飯を食って、水虫の薬をもらいに病院へ。この病院の薬は凄く良く効き、水虫はすっかり直ったが、また出たときのための予防に薬をもらう。帰りにマクドでコーヒーを、要領が悪く、15分待たされる。駅前を通って帰ろうとすると何やら交通規制。よさこい祭りだという。高知のよさこいは全国に飛び火してここでも毎年にぎやかに開催されているのだ。今日がその日。本場と違うのは、前口上があること、おばさんの参加が多く若い美人が少ないこと、気候が秋で踊りは熱気があっても周りが燃えるようでないことなどだ。同じ事は、前に向いて進む、音楽は自由なこと。小雨降る天候であったが、早速カメラと三脚を持って撮影に駆けつけた。1時間ほど撮影して終了。荷物を整理して、新幹線を予約して家を出た。秋葉原で1時間15分過ごし、4時の新幹線で大阪に帰った。新幹線は窓側で、トイレに立つとき通路側の人にソーリーと言ってしまった。日本人だったのに。しかし彼はどう間違ったのか、僕がどちらに行こうか迷っている間に、トイレはこちらと教えてくれ妙な親切を感じてしまった。京橋午後7時。松井の立ち飲みで、おでんと湯豆腐。隣におばさん3人組。何と姉妹。中が一番うるさい。漫才のかしまし娘と同じ感じ。よう飲みよう喰っていた。雨が降っているので京阪電車は敬遠、地下鉄で帰ることにしたのが失敗。京橋の地下鉄はずいぶんと遠く、しかも乗り換えの蒲生4丁目もずいぶんと歩かされる。結局京阪関目駅から自宅まで歩くのと同じ距離を地下鉄構内で歩いたことになる。<私より大きくなった子供>
9月11日(金曜日)
午前0時半に移動開始、シンガポールまで5時間程度、だが、シートの椅子が高く、ふくらはぎが痛くて眠れない、じっと我慢で過ごす。現地時間の8時過ぎに、シンガポールに到着。ボーディングブリッジをくぐると、都会のにおいがした。文明社会に帰ってきたのだ。出発ターミナルも同じT3なので、搭乗までには30分くらいはある。ラウンジでヌードルとパイナップルジュースの朝飯。トイレで歯を磨き、いよいよ成田行きB3ゲートに向かう。ここからは日本語の案内がある。もう日本にいるのと同じ感覚だ。インドにしばらくいて、腹を壊さないかと逢う日本人には全員に聞かれるが、なんともないのだ。インドがあっているんですねと言われる。多分それはないだろうと思う。僕の腹は敏感なのだ。でも、そうならないのは、2つ理由があると思う。一つはインド食を食べる。毎日毎日。インド人と同じものを食うので腹を壊さないのだ。インドで食べるインド食以外の食事は、きっとインド食ほど新鮮さや安全度が高くないのだろうと思う、それに強烈なスパイスのカレー。このスパイスの中に毒消しが含まれているのではないだろうか。出先で食べ物を頂く時には結構汚い手で食べているのに腹はこわさないのだ。もう一つは、一日一回は腹の中を空腹にすること。食べ過ぎて胃がもたれている状態で次の食事をしないので、胃に余力があるのではないかと、勝手な想像である。インド食を食べていると日本食が恋しくなるだろう。NOですね。全くそんなことはありません。食べ続けられますよ。ただし、恋しくなるものが一つだけある。牛肉だ。インドから帰ると焼肉を腹いっぱい食べたい気持ちになる。少し前に、ゴールドメンバーになったので、チェックインも横から早く入れる、これはありがたい。僕のように背の低い人間は、棚がいっぱいだと、他の人の荷物を整理して、自分の荷物をもぐりこませるようなことが出来ないからだ。だから、最初に乗り込まなければならないのだ。何度か眠り、スタインベックの本を読み、写真の整理をしてやっと成田に到着。この旅は長かった。関税を抜けると6時前。京成特急で船橋に向かう。室内が静か。日本は静かな国ですね。待ち合わせよりはずいぶん早い時間に到着。いつもの本屋へ。小さな本屋だが、ご主人が掘り出し物を積んでおく。ここから選ぶ本は当たる。そして、仲間と合流。自分の思っていることを伝えられる人がいるというのは本当に幸せなこと。いろいろ「味噌の部分」を語りたかったのに、出逢ったうれしさで、話が表面的なことに流れてしまったことは残念だった。それに予約した店は、魚の生が氷の上に並べてあり、こちらにも興奮してしまいもう頭は混乱のさなかにあった。その上、世界で一番おいしいと言われるサントリープレミアムモルツがあった。久しぶりに見る日本人の美女二人にも感激。僕はずいぶんと遠くに行ってしまって心のよりどころが見あたらなくなってしまったのに、こうして元の場所にいる人達がいるというのは、昔を忍べるようで嬉しいですね。勝手な言い分ですが仲間には余り変わって欲しくない部分がありますね。あっという間に2時間が過ぎてしまい、お別れ。さよならの時に握手をするのが普通となったが、果たして日本に住み続けているとそんなコトしたのだろうか?ふと迷ってしまった。東武野田線、相変わらずの混雑。息子に電話をして荷物の加勢を頼んだら駅で待っててくれた。久しぶりに見る息子は、ずいぶんと大きく僕を凌駕した。と言っても世間ではチビなんですが。勉強中の息子は、部屋を変わり、玄関横の元の部屋に戻っていた。机と本棚しかないシンプルな部屋になっていて、受験を迎える意気込みが感じられた。こうした見かけのうまさは、昔からとても上手な人なのだ。だから今回は冷房の効く娘の部屋で寝る。娘は妻と似て片付けが下手で一杯の状態。目覚まし時計がいくつもあり、時を刻む音がうるさくて寝れやしない、彼等は僕のことを神経質だという。おおらかな人達なのか鈍感な人達なのか不明。神経質ではなく繊細なのだと言いたかったが、どうでも良くなり寝てしまった。<やっぱり日本の美人の方が良い>
9月10日(木曜日)
朝飯を食ってあわただしく出発の準備をしていると、電話がなる。目覚まし電話だ。僕のフライトを見て気を効かせたフロントの配慮。ホテルの名前はフォーチューンと言うすごい名前だった。清算を済まし、車の手配をお願いしたが、お金が残り少ない。両替を頼むとできないと言う。さて、困った。料金を聞くと、ホテルサービスだと言う。ありがとう。無事車に乗ったのは良いが、今度は、エア便はどこの航空会社だと聞かれる。予約番号しかもらってないので、わからないと答えると、空港は広くそれでは困難だと言う。運転手は気を効かせてフライト番号は?それはE6 NHM213便だと答えると、それはインディコ航空だ。「あなたの頭はコンピューターか?」と彼をたたえた。チップに20ルピー弾んだのは言うまでもない。ここでも超過料金を支払った。昨日と同じ荷物なのに、超過料金は250ルピー安い。これがインド、交渉すればもっと安くなるはずだが、そこまでは無理。ムンバイ行きの飛行機は満員で、新しい機体だがものすごく臭う。ムンバイに到着する前からムンバイは始まっていた。空港周辺の民家密集地帯は、スレート屋根の灰色と、補修用のブルーシートがほぼ半々の感じで、家と家の間を結ぶ通路が見えないほど、屋根に覆いつくされている。グーグルで上空から見た写真とおんなじなので驚いた。地上に降りると、目線が下がり近代的な建物しか見えない都会に変心した。迎えの車はないだろうと見越してたが案の定ない。が、だが我が社の会議用のお客様を迎えるプラカードを下げている人は見える。まずはここと交渉だ。しばらく待つとリストを持って現れた支配人風の人が僕の名前をチェックするが見当たらない。だが、ノープログレムと言う。そしてしばし待つ、そうすると屈強な人が現れホテルまで案内するという。なんだか怪しいタイミングのよさ。彼はフレンドリーでいろいろ聞いてくる。僕も「何故ムンバイはこれほど静かなのだ。チェンナイは警笛の嵐だが」。「ムンバイは規制が厳しいからだ」と言う。むやみに「ホーンを鳴らすと5ルピー」だそうだ。インド人のフレンドリーは裏に何かあるかもしれないと警戒してたが、彼は何もなかった。背後にホテルの名前があるからだろう。こちらの会議は、TV宣伝をするランデー・カプールが登場するというので、マスコミはじめ大勢の人でにぎわった。彼はボリウッド・スターでとてもこの国では有名な人だ。マスコミの主に女性のアナウンサーが興奮状態でインタビューしてた。夜、仲間はこのホテルで宿泊するので、彼の部屋でシャワーを使わしてもらい、帰省用の服に着替え、タクシーを手配してもらった。流しのタクシーなのでホテルマンがきちんと行く先を告げて、お金の交渉もしてくれた。200ルピー。無事到着。インド人でありながら、シンガポール航空の職員は親切で、入国の案内など指図してくれる。出発ゲートをくぐり、ラウンジを探す。なかなか見つからない。別の航空会社のラウンジで聞くと教えてくれるが、見つからない。もう一度別の航空会社のラウンジで聞く。6番ゲートビハインド、先ほどは7番ゲートの近く。そ辺りを5回俳諧しましたね。そうすると、売店の奥にラウンジが見えてきた。ここでやっとメールの開設。留守の間の出来事を出発時間までチェックする。<ムンバイの飛行場近くの建物、今にも崩れそうな>
9月9日(水曜日)
昨晩は雨と風が吹き荒れた。子供のころ秋になると毎年決まったように台風が来て、普段家にいない家族が家の中にる安心と、外の暴風雨との差は、ずいぶんと僕の癒しとして記憶され、今でも嵐は最高に癒しになってよく眠れたのだ。外の音が室内に結構大きく飛び込んできたのは、別室の浴室の上方にある換気用の窓が開いていたからだ。台風のことをこちらではモンスーンと呼ぶ。昨晩あれだけ食ったが、今朝は空腹で、飯を食った。昨日と同じ場所のテラス。スノコが窓の代わりで、モンスーンの雨風が吹き抜けてゆくワイルドな朝食だった。デリーへの飛行機はエアインディア。エアインディアはよく事故を起こす。先週もムンバイで着陸時、エンジンが火を吹いた。悪天候の中事故がないと言いのだがと祈った。スチに1人おばあさんがいたし、チケットは手書きで、席は自由席。ものすごくいい加減。それでもデリーに無事着いた、やれやれ。デリー空港は広く着陸してから20分間地上をノロノロと走り、その間冷房を切っている、機内はまるで蒸しぶろ。これがインドなのだ。インド航空なのだ。一旦荷物を引き取りにホテルに帰り再び空港へ。この間大変な問題が。同行の通訳を勤めてくれる日本人が会議で動けなくなったと言うのだ。困りましたね。飛行機はインドの国内便を乗りつくしたと思っていたが、インディコと言う会社が一つだけ残っていた、初めて一人だけで初めての航空便に乗る。今まで請求されなかった超過料金も請求され、別のカウンターで支払うなど、予測を超えた行動を余儀なくされる。これから向かうのはアメダバード。インディコ航空も美人のスチがいる。積極的に話しかけることが話す能力向上だと無理に言い聞かせて。「この飛行機はどこから来たの」。「ジャイプールからアメダバード、ムンバイ、チェンナイに向って、更にムンバイに帰る」と言う。「大変だね」。飛行機は巡回バスのように利用されているようだ。こちらで現地の人が待ち構えていると言うのを頼りに空港を出ると旨く遭うことができてほっとした。これから2時間半、一人で仕事をしなければならない。初日のように、みんなに僕の英語のまずさを断わって、絵も書くので、理解をしてほしいと言うと、みんな、ノープロブレムと頭を横に降った。このしぐさがおかしいが、理解してくれたと安心。大汗を描きながら無事仕事を終えた。その後、手配した車でホテルに帰るが、そこで車代を払ってほしいと言う、そのチェックに、これから家に帰る店員を同乗させるからと言う。なんと彼は、列車で3時間かけてバローダに帰ると言う、遠くからありがとう。お金の支払いをチェックしてもらい無事分かれた。ホテルは高級ホテルのようだが、窓の外がうるさいし、隣では部屋の改装工事を行っているような音がする。インターネットは1時間250ルピーもするし、アクセスはするが一向に先のページが開かない。非常に遅い回線で実用にならなかった。風呂はバスタブがあるものの、ぬるいシャワーしか出ず。インドを満喫しましたね。明日の予定はムンバイ。しかし、会議の開催されているホテルはハイアットらしいことしか聞いてない。それでもなんとかなるだろう程度に慣れてきた。<デリーホテルのマネージャー、生はもっと美人だが写真になると少しふやけて見える>
9月8日(火曜日)
朝6時から移動開始。デリー空港からインドア経由ボパールへ向かう。地図で言えば北から南に向かう。デリーの国内線ロビーは近代化が進み他の国との違いは見いだせない。このグローバル化と言うか世界の均一化は何をもたらすのだろうか、一つは我々ビジネスマンが直面している競争の激化だ。競争の舞台に登場する役者が極端に増えたことである。もう一つは共有語が英語化することだ。我々の共有会議は英語が標準だ。現地採用の社員は英語を必須材料として採用する。欧米からインドに来易いのは、言葉の障壁がないからだ。他にもいろいろあるだろうが、僕が直面しているのはこの2つ。飛行は順調に進みインドアに到着、ここで降りる人は明確だが、最終目的地に向かう人はどうするのか不明、とりあえず降りる支度をすると、隣の人がボパールまでゆくのかと聞いたので、そうだと答えると、そのまま坐っておれば良いと言う。それからが、インド人の本質を見ましたね。残っている人と、荷物のチェックをスチが何度も繰り返すのだ。座席シート表を用意して、一度のチェックで済ますような工夫を彼等はしない。何度も指を折って数えるだけだ。結局チェックと、ここからの搭乗客を迎え1時間後に飛び立った。定刻だが。ボパールでは現地セールスマンが迎えてくれた。彼の握手のグリップは強く、ビジネスマンを感じた。とりあえずホテルに向かい朝食。と言うよりか昼食。なんとこのホテル、インド人タイムで働いていて、注文してから料理が出るまでに50分。その後、料理は次々に出てきたが最初に出た料理は冷めていた。なんともはや。しかし。味はよかったね。怒りの収めどころがないままに料理を飲み下した。昼から仕事、大きな花籠の歓迎を受けた。日本では5,000円くらいはするだろう。インドの農業はヨーロッパに花の出荷をする最大国であるから、花は安いのだ。そんなことを言えば元も子もないのだが。女性は髪に花を巻き毎日変える習慣がある。その花は匂いがよく自然のコロンだ。仕事はものすごいエキサイティングな時間を過ごした。午後5時前に終了。これから、世界遺産の寺院を撮影に向かう。ところが、なんと、帰りのジェットエアウェイ便がストのため欠航すると言うではないか。いろいろとすったもんだのあげく、こちらで宿泊となった。ところが、こちらのホテルは、団子虫が出ると言う前来た出張者の話を聞いていたので、できれば宿泊をしたくないのが本音。列車の便も当たってもらったが、翌日の飛行機便と到着時刻は同じと言う。仕方なく宿泊の決定。仲間がずっと電話で手配しながら移動。1時間ほどで世界遺産に到着。外国人は250RP。インド人は50RP。芝生で埋め尽くされた丘陵にそれはあった。日本に伝わる仏教の原型がここにある。当時をしのぶ大きな敷地は床と柱のくずがあった。この建物はイスラム人によって破壊されたとのこと。現在のイスラムは凶暴そのものだが、昔にもその片鱗はあったようだ。イスラムの原型は包容、寛大であるはずだが。雨が、ポツリと来た後、2分後には豪雨となり、濡れてしまった。濡れたままの服で団子虫の出ると言うホテルに向かう。ところが、どうやら、それは杞憂でホテルが違っていた。市内から少し離れるが、門から、玄関まで車で1分間ほど走ると言う広大な敷地に立つホテルだったのだ。この地の藩主さんの息子に代変わりした段階でホテルに改装したという。部屋はスイートで快適で、風呂も広い。そして、食事の場所が最高。窓のない解放感のあるテラス、目の前にはグリーンの芝生、噴水。道路から距離があるので、外からの車の喧騒はない。焼き鳥が得意なようなレストラン。この地は、高原で涼しく、冷房がいらないのだ。ナンをベースにしたおつまみ、先ほどの焼き鳥、ゆで卵をハンバーグ風のマトンで包んだカレールー。マトンの焼き肉。キングフィッシャービールで乾杯。全部で一人600RP.なんと贅沢で幸せなひとときだったのだろう。ジェットエアウェイズのストへの怒りは収まった。部屋にはスリッパがないなど不満はあるが、2ルームのスイートで、乾いた広いベッドと静かな部屋で帳消しだ。<ボパールでは、街をぶらつくと、俺を撮影しろと言われる>
9月7日(火曜日)
今日がヤマ場だ。毎日の早朝移動を断ち切ったので今朝はゆっくりできる。デリーからすると郊外の街に当たるグルガオンのリーラホテルの朝食は抜群だ。まず、コーヒーが旨い。そしてコーヒーの注ぐアクションが良い。それを、すかさずハイビジョンでゲット。昨日午後4時位から何も食ってないので腹は空腹の極限だ。インドは野菜食人(ベジタリアン)が多いので、レストランもベジのメニューが多い。ベジは食べすぎないと健康に良い。珍しい食べ物はできるだけ聞くが覚えられない。日本で言うパブリカを尋ねたのだが、現地語がどうしても思い出せない。朝遅く、仕事先のデリーに向かう。この街の混雑や空気汚染は一言では言い表せないほどの複雑さがある。これを見て多くの人はきっと格言を述べるだろう。もし地球環境が一変し人類が用意に生きられなくなっても、インド人は生き残っているだろう。そう思わせる状態がここにある。仕事は午後5時まで終わり、再びグルガオンにもどり、大きなモールの調査だ。始めて、現地人の横槍が入らないインドを見たが、インドの特殊性を聞いてきた後で、この商業施設を見ると何らアジアの他国と違わない消費行動が見える。ファーストフードはインド風に変更されているが、みな同じように食器やお盆を持って席につき子供たちと一緒の親や、友人同士で語っている。ファッションも家電売り場もみな同じ。つまり、ある程度のゆとりができれば人間は同じ行動をとるのではないかと思った。昨日と同じホテルで宿泊、ここはゆっくりできる。腹加減は、晩飯を取るには重く、無いと寂しい状態。今夜は日本から持参したカップヌードルで。<デリーではこのような仕事が無い、家がない人が多い>
9月6日(日曜日)
6時半出発、8時の飛行機でハイデラバードからバンガロールに向かう。インド人の一部はベンガロールと呼ぶ、空港の待合室でこの飛行機はバンガロール行きかと聞かれ、バンガロールの語彙が僕のヒアリングではついて行けないので、察して搭乗券を見せると、彼は頭を横に振った。理解したという意味だ。ここでは、お茶のお土産がいいと言われるから、とりあえず頑丈そうなケースものを購入した。飛行機はプロペラ機で1時間半。地図上では隣街だが、インドは大きいのだ。ここは言わずとしれたITの街。IT従事者にはカースト性に縛られない出世のチャンスがあるし、女性も活かされるらしいと、「インドの歩き方」には書いてある。この本はインド旅行のバイブルだ。インドの常識がちりばめられている。そんな目で、この街の人々を見るとサリー姿の女性は圧倒的に少ない。アメリカ系の人も多い。未来のインドを見たような感じ。今日は、午後3時過ぎに仕事を終えた。昨晩から何も食ってないので、空腹だ。仲間が知っているブリンガードロードから少し入ったところにある中国風のレストランへ。東京で言う銀座8丁目の通りに相当するところですね。熊本市で言うところの、「下通り」。こういうところは普通の旅行者では入り込めないところです。少しすっぱいスープと焼きそば。絶妙な味。おいしくいただきました。すこし、付近をブラつき、真っ黒な空に驚き空港へ向かう。出発までに時間があったが、仕方ない。待ち時間2時間。本日のまとめと空港内のブラつきで時間を費やした。空港の売店でBDディスクが999ルピーで販売されている。安価。21時、キングフィッシャーA321型機でデリーに向かう。機内食はカレー、ベジタリアン食だ。23時15分デリー着。もうくたくた。ホテル着が0時。ホテルはデリーの定番宿、リーラホテル。静かできれい。風呂が400リットルもあり、疲れを癒してくれる。<写真はバンガロールのメイン道路から一歩入った路地、この向かいで飯を食った>
9月5日(土曜日)
夜中に火災報知器がなり目が覚める。火災報知器は初日もなったがこのときは短時間だった。このホテルで4泊するが、3泊熟睡中にベルがなった。何て事だ。チェンナイ空港から9時の飛行機でハイデラバードへ。スパイジェット航空会社。これで、インド国内を就航している飛行機には全部乗った。B737型機だった。道中の天候は曇り。仲間が外の景色を撮影したらと窓側の席を譲ってくれたが、好意が無駄になった。ハイデラバードはインド大陸の中央部のデカン高原にある。気温は肌寒い。僕は緯度が上ると秋に近づくと思ったが、これは間違いで標高が高いため気温が低い。この街は海抜525mもある。街は大きくインド特有の乱雑のなかにある。これだけ広く言語も違うので地域性もあるだろうが、貧民の姿は同じ格好。全国統一。宿泊のホテルは一級のタージホテル。過激な移動と休みのない仕事では、せめて夜だけはゆっくりしたいと言うので予約したのがこのホテル。夜になって雨が降り出し、街の散策は中止してホテルで食事となった。仲間との待ち合わせの間、ロビーで演奏していたピアニストと会話。好きな曲はないのか?と聞かれたので、まさかラフマニノフやバッハなんかを言うわけにもいかず、ビートルズナンバーだと応えた。それではイエスタデーを行きましょうか?と言う感じで、イマジンも弾いてくれた。スキヤキも特別メニュウーだと言って弾いてくれた。僕も特別に日本のオリジナルタイトル名を教えてあげた。ひとときの間だが、心が洗われたと伝えて、50ルピーと一緒に握手した。彼の手はガザガサだった。ピアニストの手は湿ってなければならないのだ、というのが僕の持論。どうりで、少し間違いがあったわけだ。夕食はあまりほしくはないが仲間がグルメなので付き合う。インドで中国料理を食べるのだ。前菜のつまみに、キムチが出てきた。ここまで来ると韓国も中国も同じ理解だ。ところがこの食事は、きちんとした格式高い食事。シュウマイに、カニが入ったスープ。チキンのフライドライス。インディカ米もこうして調理すればなかなかいける。インド産のビールを2本。今回の出張では酒は飲まないつもりだったが仲間がいるとそうはいくまい。ほろ酔い程度に頂いた。タージホテルは聞きに勝る一流ですごく気持ちのよさそうな風呂だったので、酔いをさまして入った。入浴剤も一流だ。<写真はハイデラバードの街>
9月4日(金曜日)
熟睡してたら電話。時刻は5時半、日本時間は9時だから、相手はもう良い時刻だろうと思ってかけてきたのだろう。だが、僕の方は昨晩、飛行機に2本も乗り、深夜までメールをして寝たところだった。だが一旦目が醒めると疲れているのに眠れない。教訓、明日からは電話を切って寝よう。電話は気になるのでメールを開くと用件は大したことがなかったので安心。昨日のハイデラバードの事件は、ことのほか大きく、予定していた訪問は中止となるらしい。そして、日程を変えて訪問するらしく、以降のスケジュールがすべて白紙となったとのこと。とりあえず、チェンナイで今日の仕事をすすめる。今日は当初から予定していた日本人の通訳もいるので僕も盛り上がった。その途中、誰かの発声で食事にしたらどうか?と。私はすっかり興奮して、腹が減ったのに気がつかなかった。時計を見ると午後3時前だった。食事は徒歩で近所のホテルへ。道中犬に出会いちょっと怖かった。インドでは犬に噛まれて年間3万人が亡くなっているそうだ。仕事を終えて、ホテルに帰りついたのが午後9時。明日は予定復活でハイデラバードにゆくらしい。<あいにくとこの写真の原本は消してしまったが、インドにはこのような野良犬が多い>
9月3日(木曜日)
インドの国内便に一人で乗るのは初めてだ。チェンナイ空港からの出発。空港は平屋。そして飛行機に乗るにはバスを利用する。そのバスが同じゲートからいくつもの行く先に分かれて出てゆくから厄介だ。しかも案内の英語は丸まった、タルミナード語風の英語。前回は間違ったバスに乗った。バスの先頭やサイドには当然ながら行き先表示は無い。飛行機はジェットエアウェイ。評判の通り美人のスチがいる。ここの経営は赤字で、機内食は有料で販売している。だれも買わないのは当然。1時間半のフライトでマルダイ。ハムの街ではありません。午前8時半。現地セールスマンの出迎え。しかしあまりにも早い。そこで、めった
に訪れることがないだろう寺院を紹介してくれ訪問した。ホントは市内にもっと有名な寺院があるが、あいにくとそこは9時半にしか開かないと言う。寺院の入り口で下車。カメラを取り出して行こうとすると、セールスマン曰く、車の中で靴を脱げ。見るとみんな裸足で寺院に入っている。ここはヒンズーの神様が祭られている。道中いろんな仕掛けがあり、最初はバターを神様に向かって投げ、バターをくっつけると言う大胆なお参り。次に小麦粉を少し頂いて、灯明に手をかざし、お祈りするのやら、いろいろ。僕は手を出して小麦粉を受け取ろうとしたが、お坊さんが額に小麦粉を付けてくれた。額に何かを塗ると言うのはインドではとても神聖なことなのだ。そのあと、お坊さんの学校を覗いた。男女上半身裸で何やら作成していた。もっと奥には荘厳なお祈りの場があったので撮影しようとしたらえらい剣幕で係員が怒ってきた。イレースと言う。目の前で消した。その後、ずいぶんとおしかりを受けた。その場をソリーでくぐりぬけたが、また、別の係員に注意された。ここもソリーで逃げる。インド人は怒っても目線を合わせないので、声が大きいことを飲み込めば、なんとかなるのではないかと思った。違うかもしれないが。外に出て寺院全体をカメラに収めようとすると、今度は観光客の男性が来て、写真を取れと言う。撮影してLCDで見せると喜んでいた。あこがれの聖地を訪問して一つの目標を達成したような晴れ晴れとした男性たちだった。その場から離れようとすると、道路の真ん中で車2台が斜めに止まっていて、何やら交通事故らしい。が、あまり騒いでない。横を通り過ぎようとするとドエライ美人が退屈そうにしていた。事故なのに大変だな。と思った。しばらくしてから、セールスマン氏曰く、今のは映画の撮影だったよ。美人はヒロインだ。そんな大事なことなら早く言えよ。それから、仕事。当初の打ち合わせと違い、スタートは今すぐ始めると言う。私の通訳をする日本人は午後2時ごろ到着予定だ。仕方なく、自己紹介を自分で行う。言葉の障壁は持参した大きめの画用紙に書くので、ご容赦を。すると、顔見知りの店員が、私の壊れた英語を彼等に通訳する。これは、やはり現地語が一番理解しやすいのだ。しかし、この彼氏、凄い頭の持ち主ですね。僕の言うことを察するのだから。すべてのスケジュールを終えて、夕刻CDショップを紹介していただいた。インド音楽を買うためだ。インドの踊りの混じった音楽は、以外と音楽のつぼを押さえていて、メロディーラインがはっきりしているのでなじみやすい。リズム感は同じ傾向がありますが。市内にある店で音楽の希望を伝え、店員にディスクを出してもらう。迷っていると、再生すると言う。封を切り再生をしてくれた。え!封を切るのかよ。希望通りの音楽だ。OKのサインを出す。2枚で250ルピー。500円だ。500円で幸せが買える。一旦先ほどの店に帰ると別の店員が、あなたはハイデラバードにゆくだろう。あそこは・・。その単語がわからず、意味を尋ねるがどうしても理解できない。それで、話は終わったが、ホテルに帰りついてTVを見ると、その街の知事さんがヘリコプターの事故で亡くなった。学校も商店もすべて閉鎖。テロかも知れず、一部では暴動まで起きていると言う。そんなことを知らずに僕たちはマルダイで、飛行機の出発にはまだしばらく時間があるので、市内のホテルのレストランに入り晩飯を食った。クラブサンドでなかなかうまい。1時間半の飛行時間でチェンナイの宿に帰ってきた。こちらは大雨。メールのチェックなどをして寝たのが0時。やれやれ。距離的には東京〜福岡の日帰り出張みたいなものですね。
<写真は訪問した何とか言う有名なヒンズーの寺院><子供は何処の国へ行っても元気だ>
9月2日(水曜日)
インド出張の常で、朝食は夕食までの分まで頑張って食べる。昼飯の時間が午後2時というのがこの国常識で、それもあったり、なかったりだ。新聞HINDI紙を広げて主に写真とグラフだけを追う。まぁ既知の情報ばかりで安心。隠れたネタもあるかも知れないが解読できず。朝食でいつも思うのは、インドのコーヒーは、なぜこんなにもうまいのだろう。隣のアメリカ人は2杯目のお代わりをしていた。食事の後ホテルの周りを散策する。プールがある。外国のプールは深いので、面積が狭くともそれなりに楽しめる。子供が落ちたら大変とか言う心配はしないので、思い切り楽しいのが作れる。今回はインフルエンザの事もあり泳がない。ビジネスは市内の事務所で打ち合わせ。午後3時ごろ、現地人のラミッシュさんが食事に誘ってくれた。完全なローカルの食事。食べ方を聞きながら頂く。3種のカレーと、ヨーグルト、スープ。2種のジャガイモ料理。大量のインディカ米。ベジタリアンの食事だが、ボリュームはある。夕食が不要くらい食った。旨くはないのだが。おごってもらった手前全部食べきる。インド人には腹の出た人が多い。肉類を食べないのになぜここまで腹が出るのかといえば、大量のコメと濃い油を使ったカレーのせいだ。夕刻販売店に出かけた。この店のオーナーは旧知だ。向うも覚えている。前回Hな話で盛り上がった懇親会で覚えてくれたのだろう。今回も、いろいろとビジネス話で盛り上がり、帰るころには午後8時を回っていた。通じない英語でもなんとかコミュニケーションは図れるものだと思った。インドは雨季であるが、僕らは雨の合間を縫って移動している。ラッキーだ。店でもいろんな食べるものや、甘いコーヒーやチャイがでる、今夜の夕食は、なしとする。明日の出発は、午前5時20分、を打ち合わせて部屋に引き上げる。早く眠らないと、すぐに朝が来る、焦ると目が冴える。<写真は宿泊のトライデントホテル>.
9月1日(火曜日)
いつも海外への移動の時間をどう使うか、いろいろと試みている。一つはDVDで映画を見る。これにはバッテリーの問題があり2万5千円の投資が必要でもっかのところ思案中。一つは普段読めなかったAV誌を読む。これは、ナカナカ身入りがある。それに、読み終えた不要な部分は破って捨てるので、帰りは身軽になるという副産物もある。しかし、あまりにも日常の延長的すぎる。なにか、こだわりが必要な気がする。そこで、有名な古典文学を読むという方法を思いついた。これは、まだ試みてないが、何かを達成し終えたような気がするかもしれない。それで、今回はスタインベック「怒りのブドウ」だ。BOOK−OFFで105円。世界文学全集は安価。これも、読んだ分だけ破って捨てればそれだけ軽くなる。内容は、アメリカがまだ自立するには幾多の問題を抱えていた1936年の話。この時代まだ人心の荒廃が進んでないないアメリカがあった。日本からインド(チェンナイ)にゆくには、一旦シンガポールに出て、乗り換える。この乗り換えに3時間半程度の時間があるので、結局全部の移動時間は12時間程度かかる。気が張っていれば相当、本は読めるだろうが、シンガポールでの乗り換え時、ご飯を食べますね、これで一気に気が抜けて、シンガポール、インド間はただただ寝るのみとなりますね。日本時間の午後9時半以降の事ですから仕方ないといえばその通りですが。本書を読み上げるのは相当な時間がかかるかもしれない。チェンナイ行きの飛行機はもうすべてがインド一色に染まっていて、なにやら臭いも違う。たまたまインド人の夫人の後にトイレに入ったがなんと流してない。行列では平然と割り込みをするわ、インド人は大変な国民。また、今回も出口で荷物検査にひっかかった。前回と同じ羽目になるかと心配したが、チェックする人はノーチェックでOKだと言う。そして、出口の係員に検査員はOKだったと伝えたが、荷物検査が必要だと同じ事繰り返す。そして、もう一度行けと指をさす、再び同じところへ。ところが、彼らはもう来るなと手のひらを振る。You
told her。やっとこの2者間の意思が通じた。いつでも、どこでもハプニングが待ち構えている大変な国だ。ホテルはトライデントホテル。ベッドが湿っぽい以外は良いホテルだ。
8月31日(月曜日)
今日は、出発の準備をほぼ終えて、少しの調整をしているところだ。不安定な天候は台風のせいらしいと東京の仲間が知らせてきた。彼は、インドから帰り東京で仕事をしている。インドモードからまだ抜け出せてないようで苦労している模様が、天候と一緒に書かれていた。僕はすっかりインド行きモードだったのでついうっかりしてたが、昨日は選挙があったのだ。民主党の圧勝は予測してたがほぼその通りとなった。毎日新聞を買って読むと、日経も含めて小泉政権が、ワーキングプアの格差時代を引き起こし、失業者も増大させたと書いてある。これは、まったくもって誤報だと思う。外国に仕事で行ってみるとだれでも解ることだが、世界はベルリンの壁崩壊以降、グローバルの競争時代に突入したのだ。その競争の余波が日本にも波及し、脆弱な部分が外国に持っていかれ賃金の切り下げが始まったのだ。それがたまたま小泉政権時代と重なっただけのこと。小泉は競争を奨励したが、ホントはもっと推し進めるべきだっただけだ。それを、避難するのはマスコミも見識がないし、民主党もちょっと目線が低いよ。それよりも、問題は、だれが政権を運営しても日本は世界から置いてきぼりを食うだけ。世の中がこんなに変わったのに改革が出来ないから、このままぬるま湯につかっているだろうと思いますね。まるで1980年までのイギリスのように。