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7月10日(日曜日)
朝7時半すっきりと起床。疲れも幾分和らいだ。毛布を近くの今ロッカーで洗濯。とにかく身の回りのものは全て洗わないと気が済まない潔癖性になりつつある。身の回りの臭いに悩まされているからだ。洗濯の待ち時間に、iPadでミュージカル「シカゴ」を見る。最近はiPadが無ければ生活できないほどにこの恩恵に浴している。帰るとニューヨークタイムズのデビットポーグさんのIT記事の翻訳。皮肉たっぷりのウイットの利いた文章で、日常会話の英語が学べる点もある。しばらくの間これに没頭。iPadでは、音楽を楽しむことのほうが映画よりも幾分楽しいことに気がついた。だが、音楽コンテンツの多くはレコーダーで録画してある。この著作権付のデジタル信号をどうにかしてVIDEO_TSに変換して、iPad信号に変換できないものか?ネットを覗くとずいぶんと難しそうだ。そこで昔購入した映像修正機をつかって、著作権信号を無効化し、HD画質をSD画質に落とす方法である。それを、DVD-Rに焼いて、DVD-VIDEO化する。ここまでくれば、iPad用の信号に変換できるはずである。早速試してみた。最初はアスペクト設定が出来てなくて失敗。2度目にオプションでアスペクト設定した。これで、ジャズからクラシックまで、BSデジタル放送されるものは、すべてiPadに変換できる体制が整った。夕刻プール2.5km。この元気の元は欠かせない。少々疲れたが一応ノルマは果たせた。

7月9日(土曜日)
飛行機の中ではやはり一睡も出来なかった。足の置き場が無いのだ。足を何とかして上げることは出来ないのか?「出来ません」!結局眠いが眠られないまま、朝の9時に関空に降り立った。9時半のJRに乗って天王寺へ、道中「13人の刺客」を見ていった。黒の沈みがものすごく、iPadでは、ほとんど闇のシーンを認識できない。たぶんこの映画はシャープのAQUOSで見るには相当な困難が予測されるだろう。この映画、明石のワンマン殿様の暗殺を描いた物語だが、その殿様役をスマップの稲垣吾郎が演じていた。この殿様だったら殺されても仕方ないと思う非情ぶりを発揮していた。そして家臣たちはこの殿様を守ろうと必死に暗殺団と戦う。そのむなしさも描く。殿様は最後まで突っ張ったまま暗殺される。それもよし。と思える稲垣君の役者ぶりだった。京橋に降り立ち、居酒屋「丸福」さんで一杯。この店は朝から飲み客がいる。一人客は皆本を読んでいる。本を読みながら酒を飲んでいる。それもありかな。僕はiPadを広げて「TRON」を見た。この映画は低音がものすごい。きっとサラウンド効果抜群のソフトだろう。中ジョッキ2杯。きゅうりの酢もみ。ごぼうの煮付け。とこぶし。マグロの刺身。とにかく醤油味に飢えていた。家に帰るとこのマンションはひっそりとしていた。まるで無人の屋敷みたいだった。汚れ物を洗濯機に放り込み、シャワーを浴びて早速眠ることに。何もしなくても良い、何も考えなくても良い、この瞬間がたまらない。目が覚めれば日常の作業が待っているからだ。

7月8日(金曜日)
今日も昨日と同じ倉庫の会議室で会議がある。ホテルには商品担当が迎えに来てくれたが、何と元スチュワーデスの女性。綺麗だが、話す速度が速いのでナカナカ理解できない。やっと共通点が見つかったのは、インドのコルカタの話、バングラ難民が多く貧しい街であることを話してくれた。僕もこの街は少し歩いたので良く知っているから共感を得た。今日の会議は2セッション。昼食はマクドナルドへ。セットが6リンギット(180円)日本ではマックセットは620円程度するので幾分安い。午前中はセールスマンだが、全員が女性なので、昼食はこの人達と一緒なので女性に囲まれての食事だが、彼女らは普段は中国語を話すのでちんぷんかんぷん。中国語は「広東語」と「福建語」とを使い分けているとか。午後は地元のディーラーさんを集めての会議。コチラは相当面白かった。午後5時過ぎに会議は終わり、タクシーを呼んでもらって空港へ。このタクシーは20年ほど前のコルトギャランでもう壊れかけだった。運転手も相当なご年配で、車と同じようだった。出発まではシンガポール航空のラウンジで過ごすため向かった。ところが、僕のスターライアンスメンバーのチケットでは入れない。レーマス君の友達だということで入らしてもらった。8時半の出発は相当遅れて出発したが僕には関係の無いことだ、なぜならシンガポール空港で午前1時20分まで時間を費やさねばならないためだ。飛行機での移動については、ホント、ラウンジは欠かせません。今回は時間があったので、少しラウンジ以外の過ごし方について研究してみた(と言ってもぶらついただけだが)そうすると、いろんな設備があることが分かった、一つはホテルがある。少し仮眠を取ることができるのだ。ジムもあった。ここで少々疲れて、ホテルで休めば、飛行機の移動もそんなにきつくは無いと分かったしだい。次回に備えよう。とりあえず、今回はラウンジで過ごそう。タイガーのビール2杯、ジョニクロのウィスキーに切り替えた。そして眠くなり寝てしまった。目が覚めると、なんと出発時間20分前だった。

7月7日(木曜日)
朝6時過ぎ、ホテルをチェックアウトした。8時半の飛行機でマレーシアに向かうためだ。空港には30分で到着した。いつものようにラウンジで待っているとレーマス君が来た。彼も日本やインドに行き、シンガポール航空のゴールドメンバーになったのだ。彼の顔は幾分青ざめていて、理由を尋ねると、PCのパスワードを忘れてしまい、PCを開くことが出来ないというのだ。頭の良い彼にもウィークポイントはあるのだ。シンガポール〜クアラルンプール間の飛行時間は40分。東京〜大阪と同じような感じ。バスでも6時間程度らしい。これも同じ感じ。マレーシアは近年発達した国だが、シンガポールと比べるといささか汚く、空港も貧弱だ。マレーシアのタクシーは安全だが、それにはルールがある。税関を通り抜けた直後にあるタクシーチケットの販売店でチケットを買うのがポイントだ。それ以外のタクシーチケットではダメなのだ。多くの外国人はこうして、この小さなチケット販売店に並んでチケットを買う。ホテルには1時間程度で到着した。少し待っていると、ダニーさんが迎えに来てくれた。彼とは旧知の仲だ。早速昼飯に連れて行ってくれた。中華料理の店だ。レーマスさんやダニーさんは最初英語で話していたが、いつの間にか中国語になり、僕はちんぷんかんぷん。食事のあと大きな倉庫に向かった。ここはマレーシアの国中に当社の商品を出荷する倉庫なのだ。巨大な倉庫である。この国には更に4つの拠点があるとの事。倉庫を見ると懐かしい橋本さんの顔が浮かんでくる。それはともかく、この倉庫に併設された会議室で僕らは夕刻まで仕事をした。それからホテルまで送ってもらったが、太陽が高いので時間を気にしてなかったが、気がつけば8時過ぎ。急いでレストランで食事。マレーシア料理はあまり旨くない。

7月6日(水曜日)
7時に朝食に出かけた。だがシンガポールは朝が遅い。この頃やっと明るくなるのだ。それでビルの軒下を借りて営業している食堂はまだほとんど営業をしてない。少し歩いていると一軒だけマレーシア料理の店があったが朝からナシゴレン(濃い味つけの焼き飯)はしんどいぞ、と言う事でホテルのレストランへ。こちらは、日本のビジネスホテルの朝食のような感じで、一般的だ。味も格別面白くは無い。市内から少し離れたところにある販売会社が今日の会場だ。ここにジェームス君がいる。32歳のAVお宅だ。もちろん「でぶっちょで気が優しい」。これは世界共通のお宅の姿と性格。彼はAVのことにかけては天才的に頭が良い。こんな人は外国人でも大歓迎だ、僕の仲間だ。昼飯と夕飯は会社の近くにある「AVCマーケット」で頂いた。おそらく100店ほどの飲食店が軒を連ねている食堂街。大体1品が2シンガポールドル程度。夕食時、同じ会社で働く中国人のおばさんたちと一緒だったが、彼女たちは盛んにこのジェームス君の花嫁を探してくれと僕に要求された。僕の友人はもう少し年上であるのが残念だ。夜8時過ぎにホテルに送り届けてもらい、隣のITビル「シンリン」へ。前回は確か半年くらい前だが、様相が一変していた。それは、AVビューワーと呼ばれる3−5インチの液晶ディスプレイの再生装置(大体3万円程度)が一掃されていることだ。僕も食指が動き、いつかは買おうと思っていたが、iPadの出現で頓挫した。多くの人々も僕と同じような考えで、AVビューワーより、タブレット端末に走った。それでこの機器が店頭から一掃されたのだ。DVDプレーヤーの安価なモデルもあったので説明を聞いた。1万円で7時間再生ができるモデルである。これも魅力的だ。このビルにいると時間を忘れてしまうので慌てて帰った。

7月5日(火曜日)
11時関空出発のシンガポール航空で出かけた。シンガポールまでの飛行時間は約6時間。これは堪える。今日のエネルギーのすべてを放出様な感じだ。いつもタイ航空になれていると、シンガポール航空のサービスの良さが分かる。食事も心持旨い。それにワインも少しだけ旨い。その分高いようだが、同じ路線を飛んでないので僕には比較しようが無い。今日は風向きが良かったのか40分ほどは早く到着した。だが、到着口は建物の端で空港内を15分ほど飛行機は移動した。シンガポールチャンギ空港は非常に便利に出来ていて、入国もスムーズだし、荷物が出てくるのも早い。相棒のレーマス君に電話をするとホテルで6時まで待ってくれという。タクシーで移動した。車の外に広がる風景はまるで公園のよう。国全体が公園です。そしてホテルで待つこと1時間半メールが来た。8時過ぎまで待ってくれ。そして、9時にメールが来て、明日会おう。結局この日は近くの食堂でテイクアウトのご飯を買ってきて食べた。210円。シンガポールの屋台のような食堂はそこら辺りに五万とあり、どれが最適なのか僕には見分けがつかない。その多くが中華料理である。映画「バーレスク」は本物の歌手が出演しているミュージカル映画だ。歌と踊りの切れがすばらしく、映画「シカゴ」を思い出させた。この映画を見ながら食事をいただく。今日が59歳の誕生日だった。

7月4日(月曜日)
昨晩は厳しい水泳を行ったのに今朝は意外と元気。よかった。これとは関係のない話だが、新聞によると総務省もまたおかしなことを言い出した。5月に自殺者が増えたのは、ある女優が自殺をして、それをマスコミが報道したからだ。それまで一日82人だったのが、この報道を機に一日123人に増えたと。だから自殺を減らすには、マスコミが有名人の自殺を報道しないことを考える必要があるというのである。私はその原因となるものを取り除く相談所などの質的向上を図ることが急務であると言いたいのだが。彼等にはそんなことさえわからないようだ。そしてもう一つ別の話だが、日本の地方空港のほとんどは韓国の空港と結ばれている。たとえば、熊本の人がアメリカに行きたいときは、韓国のインチョン空港に行き、そこで乗り換えてアメリカに行くのが最も便利だ。荷物は熊本で預けるとアメリカで受け取れる。これが国内になると、一旦羽田まで飛行機で向かい、そこからモノレールで浜松町へ。ここで乗り換えて東京駅へ。更に乗り換えて成田へ。そこでやっと、アメリカ行きの飛行機に乗れる。その間重い荷物を抱えたままだ。これでは韓国を経由したくなるもの無理はない。グローバル時代のビジネスについては相当疎い日本のお役人さんはいつになれば気がつくのだろう。国の発展が無い限り、人々は夢を失い、自殺への道をたどる可能性もある。世界のビジネス界は東北の地震により日本から部品を買うのはリスクが高い、それで購買地の変更をするようになってきている。日本の部品メーカーもこのため、海外に拠点を移すようになってきた。つまり、日本への発注が少なくなるということです。それに、タイでは新政権が誕生しそうだ。タクシン派の政治家は経済を開放の方向シフトするだろう。そうすれば、ますますタイに生産拠点が集まる。ますます日本は復興から遠のく。失われた30年のシナリオが見えるようだ。

7月3日(日曜日)
TOIEC
英語にまつわる利権は日本においては相当根深く、これに携わっている人も結構利権がらみにあると思う。そしてそれをカサにして結構横柄なことがある。今日の試験は会社の施設である枚方で実施されたが、まるで収容所に入れられた捕虜を扱うかのような命令調で指示された。テストはマークシート形式で、これはスキャナーによる自動判読する為だが、マークシートの塗りつぶし方が、10年前に受けたときと全く同じように厳しく指摘してあった。スキャナーの性能向上を考えるとあり得ないことだ。そして解答は3週間後となる。「えっ」せいぜい200名程度のテストなら、1時間で解答できるとおもうのですが。何で3週間なのか不明だが、これが冒頭に書いた利権にまつわることで、何段階もの流通があるからだろう。テストの内容ははっきりとわかる問題もあったし、もう少し時間があれば文章がわかるというものあった。しかし、後一押しはやはり単語の記憶量が少ないので、誤った解答をしているかも知れない。200問の内、半分正解を得るというのははやり相当難しいことだと思った。NHKのラジオ英会話のレベルですね。この試験が終わると急に胸が痛くなってきた。胸の骨を押すと痛むのである。家に帰って少し眠ると和らいだ。昨日は右の肩胛骨が痛かった。それで、早速プールで体をほぐすことにした。1km位泳ぐと胸の痛みも取れ、普段の調子を取り戻した。今度はものすごい疲れが襲ってきた。完璧というのがあり得ない体調である。

7月2日(土曜日)
レベル低下
英字新聞を読んでいる。スパイダーマンの演劇について書かれた記事は、普段エレクトロニクスで使われている単語とは全く違うので、訳すのにものすごい時間がかかった。そして今度はエレクトロニクスの記事も、なんだか時間が余計にかかっている。1週間留守にしてたのだが、これがどうやら問題のようだ。実は明日、TOIECの試験を受けようとしているのでとってつけの勉強をしている。自分のレベルが今どの辺にあるのか気にかかるのだ。東京時代、僕は他人に対しえらそうに最低550点は必要だと強要してきた。が自分は何もしないままだった。そしてやっと行動を起こそうとしている。

7月1日(金曜日)
休暇
とにかく休日には何もしない。疲れだけを取る。そんな目的で休んだが、メールを開くと、いてもたってもいられないし、洗濯物は溜まったままだし、嫌なことに雨が降っている。レンタル屋さんに行って、DVDを5枚ほど借りてもきた。早速DVD形式とiPad形式でダウンロードした。友人達にはタイの体験を写真集にしてメールした。これには結構時間がかかったが、貴重な体験はまとめておくに限るし、後で英文に変換しておくと、別の機会にも使えそうだ。と言うことで、ごぞごぞしてたらたちまち一日が終わってしまった。果たして体安めになったかどうか。結構忙しい一日を過ごしたのでした。

6月30日(木曜日)
地軸の話
CNNによると地球の軸が少しずれていると報道されたと、スリランカ訪問中にロシャンから聞いた。それで、暑い国では今雨が降り冷たい季節であるらしい。一方日本では、早めに梅雨が明け、かんかん照りの天候が続いている。そこでエアコンのお世話になっているのだがパナソニックエアコンCS-V288Aは温度設定を28度にすると、夜中に暑くて見目が冷めると29度にまで上昇していた。それで27度に設定し直すと今度は寒くて目が覚めた。25.9度になっていたのだ。このエアコンはとんでも無い不作なのである。宣伝に乗っかるような機種では評論されるからシビアな部品を使うのだろうが、低価格の量販モデルはこのように粗悪である。それと、この地軸のずれたことにより、世界中のエアコンが影響を受けている。

6月29日(水曜日)
目覚ましが活躍している
体力があるときは、大概5時半頃に目が覚めて6時起床設定のタイマーはほとんど使ったことがない。寝る前に水を飲みすぎると、夜中にトイレに起きるが、それ以降は眠れないので、夜の飲料は出来るだけ控えていた。ところが、今週は、夜中に起きてもすぐに眠れるし、ましてや毎日目覚ましのお世話になっている。夜は午後10時に床についているから8時間も寝ている計算になる。それでも眠い、だるい。夜行便はこれほどまでに体力に影響を及ぼすものなのか。来週の予定が決まり、火曜日からシンガポールだ。シンガポールへ行くのは気が楽だ。日本と同じような感覚で行動できるのだ。それまでに体力を元に戻しておかなければならない。

6月28日(火曜日)
暑い
京橋駅の電光掲示板を見ると34度を指している。今日の通勤は途中で休憩を挟みたくなった。体力が回復してない。そして、疲れの揺り戻しというか、今日が一番しんどい。それなら休暇を取ればよいじゃないか?となるわけだが、今週はスケジュール調整とか報告とか結構立て込んでいるのだ。けりがつきそうなのが金曜日なのでそれまで辛抱だ。パナソニックのアジア向けAV機器はほとんどがDixv再生を装備している。これは圧縮コーディングにMPEG4を使い、コンテナにMKVを使う、PC系の映像では世界で最も普及している映像フォーマットなのだ。再生には4インチ程度のポータブル液晶を使うことも出来る。今日はこれの研究をしてみたが、Dvixのソフトでは、2つも購入しないとDVDからの変換は出来ない。Webの書き込みにもややこしいことが書いてある。ところがDVDfubを使えば、DVDからいきなりDvixの圧縮が得られるのだ。Webではいろんな情報が得られるのだが、時にはこんなに簡単な事が抜けてたりするので、全面信用とは行かないのだ。PC系の事になると、時間も気温も忘れてしまいます。

6月27日(月曜日)
とても疲れている
昨晩バンコクからの乗り継ぎで帰り着いたのが午後9時。明日の食材と今晩のお総菜を近くのライフに買い物に行ったのが10時。それから、ドイツアルプスの旅を見ながら食事を終えたのが午後11時。寝たのが0時。それでも朝は7時に起きて会社に出かけた。前後土日の4日分をまるまる仕事に費やして休み無しの3週目の月曜日である。報告書をいくつか書き終えて門真にカメラの返却に行った。事前にI氏と待ち合わせて会社の食堂で近況を語りながら食事。彼曰く、今度チームリーダーに抜擢されるかも知れないとの朗報である。カリスマ性がある割に根気が続かないのが彼の欠点であるけれども、憎めない性格なので管理者としては向いているかも知れない。俺も海外に出たいと言っていた。みんな海外に出て仕事をしたいのだ。しかし言葉の障壁が立ちふさがる。50歳を超えてからの言語の習得は根気が必要だ。僕はI氏には一寸無理かも知れないと思うと伝えた。それから、しばらくメールを見ない間に進展があったのは、O氏からのメールで定年後の農業の取り組みことだ。塩農業を薦める博士がどうやら近くに存在するらしい。塩は農作物にとっては天敵だが、その天敵性を利用するとおいしい作物が出来るようだ。これは昔TVでおいしいトマトの作り方を見たときに記憶していたことと同じようだ。今の仕事にけりがつく来年の今頃は相当騒がしくなっていると思う。

6月26日(日曜日)
飛行機ベッド
スリランカを午前1時25分に離陸する便は、他の飛行機会社とは別の待合室に連れて行かれる。そこにはただ椅子があるだけでトイレも売店も何にもない。そして時間が来ればバスに乗って空港外れにある飛行機に案内される。スリランカエアラインは国営だが他の航空会社と比べると貧しいので対応も必然的に悪くなる。通常はタイ航空を利用するのだが、これは隔日の便しかないのだ。それで、スリランカから帰るには、この飛行機か、キャセイパシフィックしか便がないのだ。スリランカエアは安いので、会社の旅行会社はこの飛行機を薦める。シート番号は62Aだった。つまり最も後ろの方ですね。ところがですね、後方の席は随分と空きがあり、何と3列を使って横になることが出来たのだ。これを飛行機ベッドという。問題は非常に強い冷房が効き、毛布一枚では効かない程の寒さだった。バンコクには午前6時半到着。コロンボの時間では5時に到着したが、今回は体がずいぶんと軽い。ラウンジでトムヤンクのスープがあったので2杯お代わりして腹を満たした。それから、ベッドの方を見ると一つだけ空きがあったので、そこで1時間半ほど又横になる。それでずいぶんと楽になった。帰り着くまで体力が持ちそうだ。飛行機の中で報告書を書き上げ、iPadに記録した映画「ソーシャル・ネットワーク」を見た。いつもは字幕付きだが、今回は日本語吹き替えにした。吹き替えの方が理解は深いですね。フェイスブックの創設者マーク・ザッカーバーグはずいぶんと悪く演じられている。それでもいろんな声が上がらないのは、たぶんその通りの人格かも知れない。と言うことはフェイスブックは早晩行き詰まることになるだろう。家に帰り着くと室温が34.5度もあった。

6月25日(土曜日)
昨日は、キャンディーから帰ってきていつものホテルのシナモン・グランドホテルに投宿した。都会の空気を吸えてほっとしたという感じだった。それで安心したせいか、今朝は目覚めが良かった。昨晩は何も喰ってないので、旨い具合に腹も減っていて、朝食は結構多く頂いた。今日は市内で一般客に対するイベントを実施する。僕のつたない英語でも一般客とは話さなければならない時もある。でも気後れ感はみじんもない。一段落ついたところで、現地のセールスマンがジュースを飲みに行こうと誘ってくれた。ジュースバーの事ですね。お勧めはスタンドのカウンターに書いてあり、それを頂くことに。なんと酸っぱさと甘みが適度な案分でおいしいこと。その前には炎天下で十分に汗をかいたこともあり格別の味がした。その後イベントに立ち会い、午後2時前に退散して、ケンタッキーで昼食。サブマリンと呼ばれるホットドックをいただく。こちらも量が凄く、夜飯は不要な程だ。午後はセミナーを実施、午後6時に仕事を終えた。急いでホテルに帰り、近くのスーパーに走りビールを買って冷蔵庫で冷やしている間にシャワーを浴びた。午後8時までビールを飲みながら「シュレック・フォーエバー」を見た。それから睡眠。午後10時半起床。再びシャワーを浴びてチェックアウト。タクシーを手配して一路空港へ。一寸あわただしかったが、もう何回かこれを繰り返しているので手際が良くなっている。明日の朝までに書き上げるレポート1本を残してはいるが、帰国への足取りは軽い。

6月24日(金曜日)
昨晩は前回も宿泊したキャンディーのホテルに宿泊した。このホテルは山の中腹にあり景色がよい。夜中に猿が騒がないことを除けば静かだ。静かに過ごすタイプのホテルであるが、僕たちは朝あわただしく出かけた。次の会場に向かうためだ。コロンボから150km離れたキャンディーから更に北西に走ると、最近のもう文明の影響が無くなり、昔懐かしいスリランカが現れてくる。インドの地方と同じ風景で、道は悪く、牛がのんびりと道を横切り、椰子の木が実り、稲作の田園が広がる。店は何でも屋であり、軒先にはカラフルなお菓子が吊してある。4時間走ってマハウェラに到着。ここのディーラーでセミナーだ。終えたのが午後2時。それから、ここの社長に誘われて昼食に。典型的なスリランカ料理の店。ワクワクしますね。当てが外れたのは、ビールが出てきたこと。更に何とヘネシー(コニャック)が出てきたこと。僕はコーラーを所望したが、この社長が立って僕の席に来てヘネシーを注ぐ。この辺りのメンタリティーは日本と同じですね。僕も断り切れずヘネシーをビールコップに頂く。海産物と野菜のフライが前菜としてでてきた。スパイスの本場なので、揚げ物の味が際だっている。次に肉と魚と野菜の炒め物。いやぁ何とも言えません。辛いので酒も進む。当然ながらヘネシーがからになりますね。コーラーを継ぎ足そうとすると、またもや社長がやってきてヘネシーをなみなみと。仕事時間中にビールを飲んだことは過去にありますが、ヘネシーはありませんね。でも旨かった。その後最後の仕上げとしてフライドライス。焼きめしです。これは、さらさらのライスにぴったりの味付け。気をつけて控えめに頂いたがそれでも腹がぱんぱんにふくれてしまった。何とおいしかったこと。この国は肉や魚何でもOkなので、味付けが良いのだ。

6月23日(木曜日)
朝5時半に起床、荷物をまとめてチェックアウト。6時半にはこの街から東に150kmの距離にある第二の街「キャンディー」に向かうのだ。つづりはお菓子のキャンディとは違い、Kから始まる。この街は昨年も訪ねた。スリランカ唯一の山の中腹にあり、エアコンが不要な熱帯の避暑地である。道中の道は都心から離れるに従い振動が激しくなり、一方で風景は田園や椰子畑が広がり豊かになる。9時過ぎにかなり立派なレストランに到着した。ここの女主人を紹介されたので写真を撮影したら、もっと美人の娘が居るので撮影しろといわれた。レジの担当だったが、川を眺めるテラス出てもらい撮影した。スリランカの人は本当に美男美女が多い。そこら辺りに転がっている人でも美人なのだ。たぶんこれは混血の繰り返しが招いたことではないかと推測するのだが。その娘さんは一枚を普通に撮影して、もう一枚はデブ風に撮影した。それを見せると笑っていた。冗談は通じるのだ。それから更に1時間半。大きな峠を越えると、キャンディーだ。ここでセミナー。午後1時終了、今度は販売店に向かう。ここでわが社のカメラのキャンペーンだ。アルバイトの女の子を4人雇っていたが、これもなかなかの美形。一緒に並んで撮影するとき隣の女性の大きな乳に僕の腕が触れたがあまり気にした風は無い。このキャンペーンは大盛況で、店の社長は喜び、僕たちを食事に招待してくれた。だが、僕は先ほどのセミナーの時に饗されたスリランカ風の饅頭で胃がおかしくなっていたのだ。それでスープのみいただくことに。この店は中華料理店です。スリランカ風ですが、見た感じは旨そうだった。食事の後、5時に終了するまで店頭に立って客の対応。結構忙しくて疲れは感じなかった。その後ホテルまで送ってもらった。ホテルは市内を眺める山の中腹にある前回も宿泊したチランカホテル。お湯の出ないホテルです。今回はどうかな?スリッパもシャンプーも無いので、昨日宿泊したホテルからリンスも含めて全部持ってきたので完璧だ。お湯は寒い水のシャワーを10分浴び続けていると出てきた。ホットした。仲間とホテルのレストランのディナーに。レストランの従業員を知っており、向こうもコチラを覚えていてくれた。料理のアドバイスがあった。しばらくすると楽器を持って演奏している人達がいる。最初は僕たちも仕事の話をして無視していたが、それも一段落したので、この人たちを呼んで歌ってもらった。英語の歌はOKか?カーペンターズはOKか?「ジャンバラヤ」をお願いした。歌の後でCDを取り出し買わないか?と聞かれる。「買おう」。1000ルピー(800円くらい)その中から一曲歌うと言う。では最も有名な曲をお願いします。曲名はウエルカムスリランカだった。何の変哲も無い曲だった。後でCDを聞くと、最後の方に民族音楽が記録されていた。このほうは趣が豊かで絶対にこちらが良いと思う。変にアメリカナイズされたスリランカの音楽は魅力に乏しい。

6月22日(水曜日)
午前0時15分。タイ時間では1時45分にコロンボ空港に到着した。飛行機の中で横になって寝たので普段より幾分らくだ。コロンボ空港の到着側ではものすごい店の家電店がある。その全部を撮影していると、店の人が近寄ってきて、ここには36店もの店があると教えてくれた。スリランカ人は、免税の家電品をここで買い、土産にするとの事。冷蔵庫も下げて帰るのか?Yesだ。もちろん我々の取引する店もあるので、少し挨拶をした。無論向こうも僕を知っている。空港で待ってくれているホテルの車を探してホテルに着いたのが現地時刻の1時半。部屋に入って風呂から出たのが2時半。日本時間では午前6時。完全に体の感覚が狂ってしまった。そして睡眠。でも現地時刻の8時半まで寝てしまった。飯を食って10時に集合のロビーへ。ここで日本人担当者と合い、事務所に向かう。マレーシアからも日本人が来てて彼等の事情も伺った。昼飯は潜水艦と呼ばれるホットドッグを。午後は皆さんと別れて現地人スタッフと店周り。先にこの国に来ていた、当社幹部は店の展示がなってないと僕に伝言を残して帰国したので、僕は急遽このチェックだ。現地人スタッフはロシャンと言い旧知のなかで、僕の話す汚い訳のわからん英語を理解する唯一の現地人だ。どうしても私が理解しないときは、彼は字を書く。文字にすれば分かるからだ。市内からずいぶんと離れたところにあるショッピングモールに向かった。このモールは最近出来たばかり。先進国となんら変わりが無い綺麗なビルだ。そして、更にもう一店。こちらはぐちゃぐちゃだ。店長が帰るのを待ってレイアウトを話した。どうも理解したような感じは受けなかった。後はホテルに帰るのみとなった段階で、CDショップに寄るようお願いした。音楽のDVDを買った。ビヨンセとミハエル・ブルーだ。この店の店員のお勧めはいつも良く当たる。僕は堪能して帰ろうとすると、彼は飯を食おうと言う。と言う事でケンタッキーへ。お金は彼が出すという。一人当たり500円程度だが、彼にとってはたぶん2500円程度の負担になるはずだ、でもお金は要らないと言う。申し訳ない。チキンナゲットはものすごくスパイスの効いた味だ。日本とは全く違った味付けだったので驚いた。無論、スパイスは大好きだから食べられなくは無い。ホテルに帰ると、同行の日本人が待っていたが丁寧に食事をお断りした。それから眠くなるまで先ほど訪問した件をまとめロシャンにメールした。熱い風呂に入って寝た。冷房の温度設定は25度。節電中の皆様には申し訳ない設定温度ですね。

6月21日(火曜日)
朝7時半に集合だ。象のすむ森林がテーマ。ここから一時間程度らしい。今回GPSカメラを持ってきたので、後で見るとどこに行ったのかが良く分かる。(ミヤンマー方面だった)象の公園はこの辺りにいくつかあるようだ。その中でも一番規模のでかい公園に行くそうだ。公園はなんだか象の匂いで満ちている。動物園のような醜悪な匂いではありません。まずは最初に整列してそれをみんなで写真に収める。その後水浴びをするというので、隣にある川に向かうと何と茶色の濁流だ。水深もずいぶんとありそうだが、象は人を乗せて難なくその川に入ってゆく。象は気持ちよさそうに水の中でしゃがみ、水を含んでは盛大に吹き上げる。僕は写真よりも主にこのシーンはビデオに納めた。その後は象の曲芸だ。僕らはバナナとサトウキビを30バーツで買って御礼に差し上げるようにしている。象の曲芸のクライマックスは文字を書くのだ。LUMIXと見事書きましたね。僕らはバナナを上げるとそのまま鼻でつまんで口に入れる。しかし、サトウキビは、一旦地面に落として、結んである紐を解いてサトウキビの部分だけを口に入れる非常に器用な食べ方をするのです。こちらのほうにも感心した。その後で、彼等の背中に乗るのですが、乗り場は木造2階建ての2階の部分に階段で上がる。そこから象の背中に乗せた椅子に座るのですが、ずいぶんと高さがある。そして、動き出すと怖いの何の。左右に揺れるのですが、この椅子が何時結んである紐が解けて落下するのか心配で心配で。僕は鞄やカメラや三脚を持っているので、落下するときにはこれらが邪魔をして旨く着地できないだろうなと思うので余計に怖かった。この揺れに身を任すと意外と楽ですよとアドバイスを受けたが、とんでもないことでした。天候は快晴、非常に暑い。傘もスタッフからいただいたが差す余裕は無い。道中には小屋の2階からバナナとサトウキビのセットを販売している。こちらは20バーツで少し安い。サトウキビは象の運転手さんが時々かじっていた???。30分後、恐怖と暑さから開放された。今度は牛車。こちらはタイヤのある荷台に乗り、牛が引っ張る。こちらの牛も不思議と臭くない。日本の牛が臭すぎなのか。カメラの手振れ補正は象の背中では利かなかったが、牛の引く牛車では良く利く。これで、タイでのスケジュールは終わった。午後5時にホテルを出発してチェンマイ空港へ。バンコクまではドイツ人のM氏と一緒だ。この人は門真の会社に勤めていて、日本語が堪能。聞くと奥さんが日本人だとの事。ラウンジに招待していろいろとヨーロッパの話を聞いた。アジアしか外国を知らない人間からすると、ヨーロッパの話は洗練されている。ビールが身近に思えてきたので、バンコクのラウンジでは早速ビールをいただいた。僕は1時間半待ちでスリランカ、M氏は2時間半待ちで日本に帰る。


6月20日(月曜日)
午前中はカメラの新製品発表会。午後からはそれを使った撮影会。皆さん車に乗ってまずは傘工場へ。日本で言う番傘です。竹を切って削るところから見せてくれる。工芸品の価値は低いと思うが、多くの人たちがここで傘を作っているので絵になるのだ。日本人の精密な番傘と比べると全く話にならない。(もちろん価格も月とすっぽん程の差があると思いますが)工場の真ん中は芝生がありここにデザインした傘を干してある。灼熱の太陽でペイントはすぐに乾く、そんな速乾はあまりよくは無いと思うのだがアジアでは問題の無いことだ。傘工場の芝生を挟んだ反対側の建物でどうやら人が群れている。見ると、自分の好きなものに絵を描いてもらっている。中には携帯電話の背中に書いてもらっている人も。僕は帽子に書いてもらうことに。もちろん絵柄は象だ。ドラゴンを書いてもらう人もいるが、それは中国でしょう。50バーツだ。その後付属した建物でお土産を販売していた。番傘とか売ってましたね。僕はセンスを少し買った。日本のセンスのようではない。畳んでも骨がでこぼこしているのだ。センスがないというか。まぁそれなりの値段ですが。それから、車に揺られて、リバーサイドホテルに向かった。食事は前もってリストを渡されて選択したものが出てくるわけだ。ビール付だったが、僕は遠慮した。焼き飯とトムヤンク風スープ。焼き飯は旨い。日本の米とは違い、インディカ米はとても焼き飯に良く合うのだ。日本でも、冷凍の焼き飯がこれに近い味がする。食事の後は、山の頂上付近にあるお寺を訪れる。標高1100mというから結構高い。約1時間ほどかかるというので、みんなは眠りについた。ここは雨が降った後だった。インドも含めてお寺ははだしで上がらなければならない。それは日本も同じだが、日本は地面と床が分かれているのではだしの意味が理解しやすい。アジアはその区別が無いので、地面の延長で靴を脱ぎはだしになるのだ。もちろん足が汚れる。こんなこともあろうかと、ホテルからタオルを持ってきたのが正解だった。お寺は白亜と黄金に輝く建物で、とてもカメラの撮影には向いているとは言いがたい。私はとりあえずRAWと、露出を少しづつ変えて撮影するオートブラケットで撮影した。PCソフトにHDR機能がありこれを使うと適切な露出の写真が得られるからだ。このあと寺を降りるのだが、階段の途中で小さな子供が民族衣装を着てポーズをとっていた。他のメンバーが撮影すると、すかさずこの小さな子供はチップを要求してきた。なんと悲しい話ではないか。僕は21倍の望遠を使って遠くで無料で撮影させてもらった。なんとずるい話ではないか。ホテルに帰ると、このホテル内での観光が企画されている。このホテルは6万平米の敷地を誇り、敷地内に田んぼも、それを収穫する小屋も、彫り物をする小屋も何でもあるのだ。早速美人の女性がにんじんにカービングを施していることろに案内された。カービングは知人がとても凝っていてチャレンジしている。でもこのシーンはあまりにも似つかわしくないのだ。それは非常に若い娘である、しかも美人である。こんな人が技術を身につけるわけが無い。と思いながらもしばらくの間撮影した。案の定手は動いてなかったのだ。次には田んぼに向かった。稲刈りをしている農夫がいた。その隣では魚とりをしている少年と娘がいた。娘のほうは網を川の中に浸してしばらくすると上げる方法。少年の方は投網だ。ところが、この娘の網に魚が上がってきたのだ。僕も驚いたが、それ以上に娘のほうも驚いていた。その隣では、その魚を焼いて食べさせるところがあった。もちろん同じ魚ではないが。これが意外と旨いのだ。せかされるようにして次のコーナーに進んだ。そこでは少年がタイの昔の遊びをしていた。竹馬は日本にもあるぞ。ヌンチャクのような棒でちゃんばらごっこ。これは知らないな。その隣は、農家の納屋風で、若者が米をついていた。日本と同じ方法だ。しばらくするとこの若者は、服を脱いで、芝生でタイ式キックボクシングを披露した。いわゆるパフォーマンス的ですが、いろんなことをいろんな人が演出するようになっている。まるで吉本みたい。そして部屋に戻り、着替えてディナーだ。入り口にたくさんのタイ美人をはべらせて待ち受けする。我々が入場すると、彼女らは宴会場に向かう。その宴会場で彼女らはタイ式の踊りを披露する。僕たちはバイキング形式の食事を取りながらそれを見る。この食事はいまいちだが、見事なスイカのカービングがあった。踊りは動きが少ない分カメラには有利だがあまりにも暗いのが問題だ。とにかくピントが合えばシャッターを押す。成功は数枚程度。各テーブルは国ごとに分かれているので、あまり近づくのもしんどいし、酒を飲みだらけてきたので、こっそりと退散した。ジャグジーに湯をためて買ってきた「Uボート」を読みながら疲れをほぐした。

6月19日(日曜日)
8時に空港へ向かった。来るとき時は日産のセフィーロで、行くときはトヨタのカムリだ。いずれもアジアでは高級車。ベンツより静かで良い。今度は初めての国内便に乗る。乗り口が分からないが、ロイヤルシルクのカウンターは覚えていた。国内と海外が並びであるためだ。そして、国内便の入り口はそのすぐ近くにあった。そこをくぐると荷物検査。これは日本で飛行機に乗るのと同じやり方なので混乱は無かった。搭乗口近くにラウンジがありここで出発まですごした。飛行機の中でこの国の販売会社の社長と遭遇。これでホテルまでの案内は問題ないと一安心した。空港では今回のツアーを受け持つ旅行会社が待機していて、ホテルまで案内してくれた。相当早い英語で観光案内してくれるが、半分も聞き取れない。そしてホテル。びっくりだ。まるでタイの王様の宮殿のような造りだ。道路からフロントまで車で5分。白亜の宮殿はフロントが窓の無い吹き抜け。そこで受付を済ますと、ホテル従業員の運転する電動カー(ゴルフカートのようなもの)に乗って3分。コンドミニアムに送ってくれる。ドアを開け、90uはあろうかと思われる部屋に案内してくれた。風呂は大人が3人程度は入れるジャグジー付、風呂の中の照明も選択できる。シャワー室は、いつも通っているプールのサウナ室よりも広く、その中には大理石の椅子もある。トイレは2個。ベッドルームは10畳以上ある。窓の外にはプールがあり、水深は1.6mだ。広い。ミニコンポまである。世の中にはいろんなものがあると知らされましたね。昼を少し過ぎていたので食事時だが、このホテルで食っては相当高いぞと警告信号が発生させられて、カメラを持って付近を探索。炎天下で気温は優に40度を超えている。しばらく歩くとトムヤンクの匂いがどこと無く漂ってきて、食事を確信できた。そしてしばらく歩くと、ロードサイドの飯屋さんへ。この形式の店はタイにはものすごく多い。国が違っても人の行動は同じだから、この辺りに店があるなと感じたら必ずあるのだ。日本でも知らない土地に行っても掘り出し物の飲み屋さんを必ず見つける人がいるが、それと同じ感覚だ。料理はたぶん2種。問われるとポークと答えた。まったく問題ない。コーラーを注文して、待っているとおいしそうな豚肉入りのトムヤンクだ。唐辛子を利かせていただく、庶民の味なので強烈な炎が口の中を走る。夕刻6時半に集合がかかる。これから、ナイトマーケットに出かける。車で30分。市の中心部で夜店が開催されている。雰囲気は日本の縁日にある夜店と同じだ。衣類やアクセサリーが多いのが特徴で、友人にお土産をゲット。店員と僕とは片言の英語。でも指差せば分かることが多い。腹が減ったので、屋台でウインナーとシュウマイ。少々の危険はあるだろうが、一応火が通っているということで。午後10時帰宅。ジャグジー風呂でゆっくりくつろいだ。

6月18日(土曜日)
昨晩の酒が残ったまま朝あわただしく出かけた。どうも酒を飲むと良く眠れない。半分頭は寝ている。出発時間の確認もせずいつもの時間だと思っていたがのが失敗で、飛行機の時間は45分も遅くなっていた。空港のカウンターはまだオープンしてなく、空港で当てもなく無駄な時間をすごした。海外出張もだんだんと慣れてくると傲慢になるのが分かる。しかし一番の傲慢は提供される飯がまずいと思うことだ。最初のうち、これは旨いと食っていたのが、不思議なことにこれはまずいに変わった。バンコクの空港ではトラブルもなく迎えのリムジンタクシーを探し当てて、40分でホテル到着。先日PCを入れ替えたが社内イントラネットへの接続ソフトのインストールができてなく、会社へのアクセスは無理と分かった。夕飯にいつものカルフールへ出かけた。カルフールはなくなっていて、「Big One」と呼ぶ店に変わっていたが、中のレイアウトはそのままで、フードコートもそのまま。しかし、前使ったカードは使えなかった。とりあえず100バーツカードにチャージして食事をいただくことにする。もう何回か通ったので、言葉は必要ない。食べ物を指で指し、カードを渡せば料理が出てくる。その後で、2階にある家電品売り場に寄った。サムスンのTVが気にかかるところだが、この店には高級機がなく低価格機のサムスンは格別デザインが優れているとは思えなかった。PDPの映像比較では、サムスン、LGともパナソニックの画質と比べると相当見劣りがする。暗いし、発色がよくない。世界のTVのうち95%がLCDだから、彼等にとってはそれでも問題ないということかも知れない。音楽ソフトの店も物色したが、タイ語なのでちょっと難しい。ソフトは英語表記のスリランカで買うことにしよう。ホテル前のセブンイレブンでヤクルトの大きなサイズを2本買った。ビッグサイズのヤクルトは日本には無い。タイには4000店近くのセブンイレブンがある。扱っている品物は全然違う。店員の教育が良いことだけが似ている点だ。部屋の中でクリスボッティー・ロンドン・ライブを見た。この映像はBD史上に記録を残す出来野よさだ。後ろの女性ドラマーがけなげにたたいているが、後半にはどうもこのドラマーはクリス・ボッティーを支配している雰囲気を抱かせる。気のせいかも知れないが。

6月17日(金曜日)
緊張がほぐれない
1週間だが出張をする。行った先では何らかプラスのパフォーマンスが必要で、こちらでできる限り詰め込んでいく。最近は忘れ物が激しくなっているので、思いついたことはすぐにメモしている。そんなこんなを今週ずっとしていると、ずいぶんと気が張っているなと思う。どこかで気を抜かなければ「糸が切れる」ぞと思うが、どんなことをしても気が緩まないのである。若いときは気持ちの切り替えは割りと自由にできたのだが、今では硬直化してしまっている。それで今夕は外食の予定を変更して、食事を作り酒でも飲みながら撮りためた音楽でも聴き、緊張を和らげようと計画した。毎朝NHK−Bsで朝6時から放送されているクラシック番組。これはマメに録画しています。ほとんどなじみのない音楽ばかりが放送されるのですが、動きが少ないのでHEモードでも十分な画質がある。これを見て機にそぐわないのは消す、いいのは残すとしてます。しかし何ですね、クラシックでも、やっぱり女は美貌が必要ですね。いくら演奏がうまくても見苦しい顔の女の演奏は見たくないというのが本音。そして演奏も上手に聞こえない。黒バックに演奏者の顔がUPで映し出される。画面の美しさと高音質と演奏者にうっとりとするのがいいですね。

6月16日(木曜日)
リュックサック
前の職場にいるときから使い続けてきたリュックサックも、とうとうファスナーが壊れ買い換える羽目になった。それに、臭くもなっていた。いわゆる加齢臭がするんですね。何度か水洗いをしたのですが、どうしても取れないし、底には小さな穴が開いているし、思い切って買い換えることにした。2980円だから、別に思い切る必要もなかったのですが。ユニクロのリュックはいろいろと配慮があって使い勝手が良いのですが、今回のはポケットも少なく、気持ちサイズが小さめで出張には向かないことが分かった。まぁあと一年使えればよいので不満は無いのですが。リュックサックというのは、バックパックとも呼ばれ、どちらかといえば後者のほうが格好が良い。最近は多くのおじさんも(私もおじさんだが)このリュック形式に変わっている。2005年のクールビルズの時からは導入が始まったようだ。僕はずいぶんと昔だが万歩計とリュックを一体で導入した。リュックだと長く歩くことができるからだ。それに自転車通勤にも便利であるからだ。海外に出るとリュックは当たり前の姿となり、何の違和感もないのでこのまま通している。結構重いものが入るので背骨への負担が心配なだけである。

6月15日(水曜日)
塩焼きそば
日経新聞の夕刊に時々料理が掲載される。それを見てピント来たときには作っている。それで今夕は塩焼きそばである。これには、酒盗を使うようだが、あいにくと、ライフ関目店には売ってないので、蜆の佃煮に変更した。キャベッツとにんにくを刻んでフライパンに入れ、なべの蓋でカバーして3分程度蒸すともう野菜類は完全にOKの状態。このフライパンに蓋をするのがコツで短時間に調理ができる。水気が飛ばないのが問題だが、焦げ付かないというメリットもあるので、どっこいどっこいだ。その後、焼きそばを2人分入れてかき混ぜて、鰹節を加えて出来上がり。味は塩分を控えたので相当まずい。醤油の2〜3滴もたらせば味が生き返るのだがと思いながら、ここは我慢。日本食の食べ収めということで、先日回転寿司のくら寿司に行ったが7皿しか食べられなかった。と同じように、焼きそばの二人前が少々僕には重くなった。雨だから万歩計も進んでないのだが。

6月14日(火曜日)
田植え
父に電話をした。日曜日には母に電話をした。母に何かを伝えても、父には全然伝わらないから、今回の出張の事を伝えるために電話をした。もう高知では稲の種まきを終えて、1週間以内に田植えをするとのことだ。田植えと言っても、機械で植えるだけだから、非常に簡単であり、昔のように一家総出で田植えをすることはない。近年水不足で田植えの時期が狂っていたが、今年は鬱陶しい雨で水はふんだんにあるようだ。稲を植えると、後は草取りの薬を一回散布するだけで、水加減で稲が実る。これだけ簡単になった。だから作付面積を減らしても米は余るようになった。うっとうしい梅雨が戻ってきてなんだか昔の四季が今年は感じられるかも知れないと思っている。ついでに、定年後の農業の事についても話をしてみた。道楽でする農業は問題ないが、収入のための農業は難しいぞと言う。僕もそのとおりだと思う。しかし、僕の友人曰く、農業は中間(つまり流通の事)に問題がありここを解決すれば、収入が得られると。僕もそのとおりだと思う。

6月13日(月曜日)
肌着の価格
今週末からの出張のために、キャンドゥで下着を買った。一日210円の予算だ。穿き捨てのつもりだ。着心地は決してよくないが出張から帰ってきて洗濯をする手間がない。これは独り者にとっては結構価値あることだ。しかし、ステテコはここにないので、こればかりは日常のものをもって行き、持ち帰っている。今のアジアは雨季で鬱陶しいから、ステテコも毎日取り替えたい、と言う事で鞄につめると、予備がなくなってしまった。そこで、仕事帰りに京橋ダイエーに立ち寄った。ところが、なんとステテコは一着が1,000円位するではないか。他に探す時間もなく、4枚それぞれ違う銘柄のものを買った。帰ってそれを眺めてみて、少しだけ試着してみてわかったことは、非常に快適であるということだ。まず、肌触りが良い。足は鈍感だから関係ないと思うがそうではないのだ。次に、ゴムが違う。自分で洗濯をしていると、こうした下着のウィークポイントはゴムにあると分かった。ゴムがヘタルのだ。だが、高い下着ほどこのゴムの部分が広く、ゴムの緊張が分散されるようにできている。下着は人に見せるものではなく、その価値がどこにあるのかといえば、快適性と耐久性にあると分かった次第だ。

6月12日(日曜日)
とにかく臭う
加齢臭が始まったのだ。この部屋の何処にいてもこの臭いばかり。困った。それで、とにかく洗うこと。何でも手が触れたものは洗う。昨日は絨毯を近くのコインランドリーで洗った。そして今日は毛布だ。コインランドリーは僕のようなおじさんがやはり、同じような毛布と布団を洗っていた。悩みは同じなのだ。これで畳以外は全て清掃の対象として手を施したのだが、さすがその効果があって臭いが去っていったのだ。また週末になるとこの部屋全体が臭い出すのだろう。他の人達はどんな対策をしているのだ?シャープのプラズマイオンの空気清浄機を使えば脱臭効果があると言われるのだが。

6月11日(土曜日)
いつかはバタフライ
泳ぐこと運動のプログラムに取り入れてもう40年が来る。クロール、平泳ぎ、は最初からマスターした泳ぎ方だった。が、バタフライはどうしても自分のものにすることができなかった。しかし昨年の夏、なみはやドームで少し片鱗を身に付けて、約1年。最近は毎回125m位は挑戦してきたが、やっと本日完全とは言えないが泳法を自分のものに出来た。バタフライは腹筋を使うので腹のたるんだ筋肉を引き締めるのに最適だと思っていたが、これがなかなかどうして長い時間泳げないのだ。20m位で腕の力が抜けて行き自ら頭を引き上げることが出来なくなるのだ。このプールで見ているとほんの数名がバタフライを泳げるのだが、多くの人が25mまでなのだ。だから、私も25m泳いで背泳でターンして、それからバタフライと交互に泳いでいる。500m位泳ぐことが出来れば、体型は変わるはずだ。次第に距離を伸ばすつもりだ。背泳は余興だったが、これによりふくらはぎが攣るような事が止まった。寝てて足が攣ることを一度経験したが、これはつらい。たぶんであるが、歩くときの筋肉とは反対の筋肉をつけることでこれが解消できるとみた。背泳の足の動きは歩行とは逆の動きをする。

6月10日(金曜日)
インド行き
7月のはじめにインドに行かないか?と、お誘いが来た。普段なら、スケジュールが許す限りOKというのだが、今回は少し躊躇している。それは、その前の出張から帰って5日間しか国内で休まる時間がないのだ。つまり体が持つのか?と不安。でも、この出張の後にシンガポールでの仕事があるので、無理をしてでも行く公算が高くなっている。インドは、とても大きな特殊な文化が底流にあり、なかなかこのマグマは動かない。それで、僕たちは世界の常識をすべて捨て去ってこの国でビジネスをすることとなる。それは、日常の隅々まで及んでいるから、なかなかこちらも切り替えができないでいる。人間は条件が揃うとほとんど違わない行動と思考パターンを持っていると私の持論だが、インドだけはなかなかそうは行かないのだ。だから、インドに行くと大きなエネルギーを失うことになる。多くの人がここで病気をもらうが、それは食事の問題もさることながら、いろんな意味で体力が低下し、本来の抵抗力が喪失されているからだと思う。もし定年になって自由な時間ができて、お金もあったとして、外国に旅行に行かないかと誘われても、インドにだけは行きたくはない。私の職場で働く人全員が同じ意見だ。

6月9日(木曜日)
なぜ、iCloudは報道されない
新聞紙上でのことだが、日経も朝日も毎日も報道がない。ネットでも同様だ。アメリカはもちろん、ドイツの新聞、中国の新聞(もちろんネットの上だが)でもきちんと報道されている。何で?こうも内向きなの?このiCloudにより、日本の音楽産業界はさらに再編の嵐に巻き込まれるはずだ。まずは今年の赤字決算に続き、来年度にこの話が聞こえてくるはずだ。それほど、この影響は大きい。通信回線の高速化は、今年の地アナ停波により、見えている。そうすると、モバイル機器に音楽や映像を貯めなきゃならない理由はない。ネットの向うに記憶してもらい、こちらは聞きたいときにアクセスして聞けば良い。そして何とiCloudは、こちらのPCを検索して同じ音楽ならうアップロードさえしなくて良い。アップルが用意した音楽を提供してくれる。グーグルのサービスはこちらがアップロードした音楽のみ聞ける仕組みだ。僕なんか1万曲くらいをファイルしているので、アップロードなんてとんでもないことだ。と言うことでこの強力なサービスは消費者にはメリットだが、音楽産業にとって厳しい状況だ。マスコミとしては新たな仕組みをつくり業界に刺激を与えるのが仕事であるはずだが、その報道さえもしない(一日遅れで報道しましたが、これも誰かに指摘されて掲載したに違いない)。日本は地震によってまた復活のチャンスを得ると言うマスコミの報道ばかりだが、彼等の取材能力は今回のように当てにならない。何を根拠に日本が復活できるというのだろうか、気分で報道しているだけではないかと疑う。むしろ、ますます衰退する。のが、私のシナリオ。政治屋のふがいなさはご存じの通りだが、この姿を見て、多くの人達があんなのでも許されると思いこんでしまったことが、もっと問題。日本の精神の指標レベルが低下したのだ。これは10年後に効く。精神の荒廃はすぐには現れなく長い時間をかけて変化すると思うのだ。

6月8日(水曜日)
死にそうな人
今日は定時退社の日で、6時過ぎに会社を出た。まだ外は明るく、こうした時間に暇ができると、ついいろんなことに思いが行ってしまう。そこで友人のK氏に電話をかけてみたら、死にそうなくらい暇だと言う。そうか、定年になると暇になり、死にそうなくらい時間ができるのか!今のように余裕のない人生ではなく豊かな人生が送れるということか。と思いましたね。それで、この友人は野球が好きで、今日は実業団の応援に行ってきたとのこと。試合は大阪南港であり非常に遠いし交通の便がなく、タクシーで行くそうだ。それでもなんだか嬉しそうに話してた。来週からは一つ仕事が見つかったようなので、まずは面談にゆくとのこと。あまり気を張らず行ってみたら?そのつもりだと!

6月7日(火曜日)
農業で生計を立てること
私の恩師であり友人でもある、O氏からメールが届いた。定年の送別会に参加できない返礼だが、さらに、次のような文面が追加してあった。「農業を真剣に考えませんか」彼は、まじめ一筋の人だから、彼の言う真剣とは、まさに真剣であると言うことだ。僕は今、時間がないので、夏季休暇の取得できる10月に一緒に高知で考えましょうと、返信した。私の田舎には土地や農機具もあり、今すぐにでも農作業が始められるのだ。現場を目の前にすれば彼にも事業計画の素案が浮かんでくるだろう。僕は農業にタイしては課題を持っている。農業で食ってゆくことができないのでは。我が芸西村は施設園芸と言って、ビニールハウスで加温をして、ナスやピーマンを出荷する農業だ。それは、大きな設備投資を伴い、しかも最近は原油の高騰で収支が厳しいし、宮崎との競合で値下げ合戦だ。しかし、農業は大きな設備投資をしないと一家が食って行けないのだ。サラリーマンを辞めていくら真剣になっても、かなりハードルは高いと思うのだ。これにどんな糸口をつけるつもりだろうか。

6月6日(月曜日)
優希について
永遠の仔、天竜荒太を読んでいる。200ページくらい読み進んでやっとこの本は以前に読んだことがあるぞ、と気がついた。最近のボケとしては超大きなもの。しかし、この本は大作であり、濃い内容なので読み直すことにした。川崎の病院に務める優希が中心的な人物。この子は小学生のときに精神を患い愛媛にある病院に入院していた。その頃の知り合いに梁平と笙一郎がいる。この3人はこの病院にいるときに殺人を起こしている。そんな過去を背負ったまま、川崎で3人が再会する。この本の初版は1997年。すでに私には、主人公と同じ名前の娘がいたが、当時は頭の中で結びつかなかった。別物だった。娘は未だ小さく僕の世界に存在しなかったのだろうか。それとも、僕には家族の関心がなかったのだろうか。たぶん後者かなぁ。

6月5日(日曜日)
離せないアイテム
それはiPad。世の中でいろいろ話題を提供するアップルだが、このiPadはとても便利だ。余り便利すぎて怖いくらいだ。まずは、昨日からの東京行き。読みかけの本をPDFにしておいたので、その続きを電車の中で読んでいった。音楽プレヤーを立ち上げてジャズを聴きながらだ。最近のリッピングはアップルロスレス規格を使っているので、なかなか音がよい。そして、その夜の懇親会では、僕の写真をスライドショーで披露した。帰りは、本を読み上げたので、映画を!「人生万歳」ウッディ・アレンの風刺の効いた映画だ。返るとUSTodayのニュースサイトを見る。このサイトは、写真が主なので、英語が分からなくても、ざっと流し読みができるのだ。そして、新聞を読むときには英次郎を開いて熟語の検索をする。このように、切っても切れない存在になってしまったiPodなのだが、ライバル達も黙ってみてない、アンドロイド系が雨後の竹の子のように出てきている。だが、問題は、映像系や文字系は自由に選べば良いのだろうが、音系はiTunesの音楽データーをもう沢山抱えてしまっていることだ。9300曲ほどある。今更他の音規格で貴方は録音しなおしますか?と聞かれると、ちょっと、と言うことになる。アンドロイド系ではFLACなどロスレスには未対応だから、余計に気持ちが動かない。ところで、24ビット96khzの音を扱う音楽プレヤーは何処が一番早く対応するのだろうか?

6月4日(土曜日)
将来設計
妻と子供が学校を卒業するまでの金銭的なことを話し合った。4年間でざっと2千万円必要である。妻は僕が貯金をしてないと言うのをなじる。僕は妻が家計をやりくりして貯金をしてないのを指摘する。いつも堂々巡りの応酬だ。でも結局は妻には収入が無く、僕が働くことでそれを工面することになる。働くことは苦でも何でもなく、新しい世界を開くことが出来るから、むしろ喜びであるのだが、二つだけ問題がある。一つは仕事があるのか。一つは体が健康であるのか?と言うこと。家にはいたたまれなく、早速谷津のバラ園に出かけた。美しい花を撮影するのは楽しいですね。気分が晴れますね。鞄を地面に広げて撮影していると、若いカップルが来て撮影して欲しいと言う。どのようなアングルで?と聞けば、先生におまかせします、と言う。「えぇ、どうして?」とは聞けなかったが、そんな雰囲気を出していたのだろうか?ペットボトル1本分の汗をかいた。ヨドバシカメラでニコンD5100の説明を受ける。説明員は必死だが僕の質問には応えられない。その都度ベテランの人に聞きに行く。ベテランとはニコンのヘルパーさんだ。この新人も結局は価格の事に触れてきた。今だとこのプライスから5,000円引きの特別価格になってます、と。僕のようなおじさんには絶対にクォリティー一本で攻めるべきだ。そして、こんな写真も撮影出来ますとサンプルを見せることだ。新宿店のキヤノンのヘルパーさんはそれが旨い。

6月3日(金曜日)
東京ファジー会
僕の方が勝手に命名したのが、この名前。いつかは高知で大キャンプファイヤーを開催するつもり。そのメンバーと今日は日本橋のとある料理屋さんでお酒を飲んだ。残念ながらS子氏は欠席だ。久しぶりの再会で積もる話が多く、時間が不足した。特別な仲間なので、話題は会社の愚痴や人間関係とはならず、もっと大きなことや、個人的な事情など結構深いのである。問題は、飲む酒がそれぞれ違い、日本酒をたしなむW子はかわいそうに一人手酌で酒を飲んでいた。その後話したりないというので喫茶店に行った。東京の喫茶店は多くが淘汰されて「ルノアール」しかない。ここのコーヒーは高い。そしてここでも閉店まで話し込んだのだが、今は何を話したのか思い出せない。何のための懇親だったのだろう。一つだけ覚えているのは、この会がいつ始まったのか?調べてみると、東京ファジー会の最初の会合は2007年12月21日だった。結構若い。

6月2日(木曜日)
新しい挑戦の課題を得た
それは、ニコンのレンズが曇っている。カビが生えていることから始まる。ニコンはサービスが充実している会社でありレンズもきっと修理してくれるだろうと、ニコンサービスセンターに電話をすれば、僕の持っているレンズは修理が出来ないほど古いと言われた。それにレンズの修理は約2万円ほどだ。結構な値段です。それで、ニコンを卒業した人達が起こした会社に修理の依頼をするサイトを捜した。今では、どんな期限切れの商品でも大概修理してくれる時代だ。でも、ここでも2万円ほどの費用が発生するのだ。そこで更に調べてみると、自分で工具を買ってレンズを分解してレンズを磨く方法があることを発見した。ジャパンホビーツールという会社からカニ目レンチが発売されている。これを使ってレンズを分解することを知った。分解方法はネットに公開されている。ここまで来ると血が騒ぎますね。時間が取れたときの挑戦だ。やみつきになりそうで怖いですが。

6月1日(水曜日)
お誘い
我が職場の上司はとてもお酒が好きだ。そして時々声をかけてくれる。しかし、今回ばかりはお断りをした。それは、今週中に仕上げる仕事を抱えているのと、今週末は早退して東京に向かう予定をしているからだ。思えば、会社生活を始めてずっとお誘いとお誘いされる日々だったなぁと思う。最初は守口工場で設備の仕事をしているときに、下請け業者の大城さんと、上司の青山さんを誘って、守口の眠眠に餃子を食べに行った。ここの餃子はニンニクが強烈でこの世にこんなモノがあるのかと感動をした。最近この料理に近いものをいただいたのはカンボジアの料理店だった。次のお誘いの強い想い出は、名古屋時代に、方尺さんと竹内さんと上司の松本さんによるお誘いだった。この時期は長かった。名古屋の居酒屋とスナックはかなりカバーしましたね。僕でさえ5軒の店にボトルキープがあったのだから。僕はそんなに酒が好きではなく、それに酒に飲まれる方なのだが。これからも、きっと誘い誘われの生き方をしていくだろうなと思う。

5月31日(火曜日)
出汁を取る重要性
今日の昼食は、いつも一緒に海外で仕事をする同世代の女性と一緒だった。そこでは料理の仕方についていろいろと教わった。彼女は主婦でもあり、料理については一家言を持っているのだ。そこで、僕の失敗談、シーフード(イカ、エビ、貝)冷凍パックと野菜と煮たら全くまずかった事を話した。すると、それは出汁を取ることが重要だとアドバイスされた。昆布を水から煮て、沸騰すると鰹節を入れて約3分間。そしてそれらを取りだして、煮物を始めると良い。と言う。それで今日は早速それに挑戦してみた。買い置きのシーフードを使って、にんじん、タマネギ、なすを煮込んだ。味付けには味噌を使った。するとどうだろう!なかなか美味しい味噌仕立ての野菜スープが完成したではないか。こんな単純なことで僕の食生活は非常に充実するとは思いもよらなかった。

5月30日(月曜日)
スマートの意味
自分の作ったホームページの過去分を見ているとずいぶんと起伏に富んだ記事が踊っている。あの頃は日本全国を飛び歩いていたので、変化も多かったのだ。今では、毎日決まった時刻に起きて、決まった時間に会社に向かい、昨日とほぼ同じような仕事をしている。単調な毎日だ。朝には昨日と違う新たな視点で資料の作成をしようと思うが、いつも同じスパイラルの中に閉じこめられてしまい、一日の終わりには昨日と同じような考え方になっている。リン(ヨーロッパのオーディオメーカーでネットワークオーディオの最先端を走るメーカー)は、前に発売したネットワークオーディオプレヤーの基盤の交換を始めると発表した。45万円。これにより、最新の音が聞けると言う。このように、自分の頭も、時々新しい基盤に交換して、時代に合ったすっきりとした能力を持ちたいものだと思う。最近はこのように最先端を走っていることをスマート(smart)と呼ぶ。僕たちはスマートとは細身ですっきりとした体型のことを意味するのだが、英語の意味は賢い。かっこいいスタイルは、英語でスタイリッシュ(stylish)と呼ぶ。

5月29日(日曜日)
エーデルワイス
BDサウンド・オブ・ミュージックを見た。これは名作だが、BDで最新作として生き返った。ジュリー・アンドリュースの歌声がアルプスによくなじむ。この中に「エーデルワイス」が歌われる。実物を見るまでは、相当期待したが、現実は拍子抜けするくらい普通の花。咲くやこの花館に行くと、完全な状態でいつでも拝むことが出来る。この花を探しに斉藤由貴がオーストリアのチロルを訪問した。その映像が2000年NHKBSから放送され、たいそうな評判でリクエストに応え先ほど再放送された。斉藤由貴は大層かわいく番組を引き締めていた。こんな娘となら、山歩きも楽しいだろうな。オーストリアのトレッキングはなんだか優しそうで、ここならもう少し年が行ってからでも挑戦できそうだ。


5月28日(土曜日)
ニコンD5100

<カビの生えたレンズ>

<カビのないレンズ>
せっかくニコンのカメラを借りているわけだし、いろいろと変わった使い方もあるだろう。とりわけ、昔買ったF4のカメラ用に使っている35−70mmF2.8のレンズには興味があった。60mmマクロも、70−300mmも。それで、家のベランダからではあるが、比較写真を撮影してみた。35−70mmレンズは白っぽく全く比較には向かない写真となった。やはり古いレンズはフレアが大きいのかと落胆してたが、70−300mmレンズはそこそこいいではないか。レンズとしての性能は35−70mmが圧倒的に上なのでこれは何が原因なのか?いろいろいじっている間に、このレンズを通じて蛍光灯を覗いてみた。すると、何ともはや、レンズにカビが生えているではないか。一時、交野の家に住んだのだがここの湿度にやられた訳だ。70−300mmのレンズも程度の差はあるが、同様だった。ニコンF4はいいカメラなのに、ここ最近どうしても写真がよくなかった。フィルムカメラの写真はこんなものなのだとあきらめていたのだが、実は焼き付けの際、大幅な修正が入って写真を汚くしていたことが今判明した。

5月27日(金曜日)
人物撮影
カメラ撮影に一番多く登場するのははやり人物。しかし、カメラの試験の為の人の撮影はなかなか機会があるわけでなく、今日は秘書の女性を拝み倒して撮影させてもらった。でも、もう一つ夜の写真も欲しいな、と言うことで、昔の仲間に声をかけると飲みに行くと言う。それに参加させてもらってその後撮影と言うことにしようと、早速仕事をかたづけて京橋の飲み屋に向かった。まぁ呑みたいと言うのも一部であったのですが。とぎれていた国内で働く人達の消息を僕の記憶に付け足して、福島原発の話をして、会社の行方を論じている間に10時半となった。少々酔いすぎたが、しっかりと皆さんの写真を撮影させてもらった。ありがとう。

5月26日(木曜日)
長居公園


ここは久しく訪れてない公園。温室ではなく路地植の植物園なので季節が限られていることもある。週末にやって来る雨の間隙を縫って今日出かけてみた。カメラの撮影にはやっぱり太陽が必要でして、いくら綺麗な花でもあでやかさに不足があり、撮影しても良い結果が得られなかった。プロのカメラマンは、晴れの時ばかりが撮影の好機ではない、曇りにもそれなりの良さはあると言われるのだが、雨の作品の応募で一位を獲得した写真にお目にかかったことはない。長居公園では2時間強頑張ってみたがどうしようもなく退散した。今回は東京のかつての仲間であるM氏に随行してもらい、いろいろと撮影のテクニックも教わりながらの撮影だった。
<おじさんを撮影する構図ではないのですが>

5月25日(水曜日)
台風2号
昨年のオーストラリアの大雨から異常気候が続いていて、そして今年は東南アジアに夏がやってこない。そして、台風2号です。僕はいずれ台風は900ヘクトパスカルを下回ると豪語していたが、今回は920ヘクトパスカルでその実現に一歩近づいたわけ。アメリカでは、巨大竜巻に続き大雨が中央部を襲っている。とりもなおさず、これは化石燃料の大量消費による地球温暖化のためと解っているのに、どの国もこのことを言い出さない。マスコミは氷河が溶け出しているのに、警告さえも発しない。経済が壊れるのが怖いから、この問題を先送りしているわけである。インドネシアのジャカルタとか、バングラディッシュとのダッカか、フィリピンのマニラとかの車から排出される二酸化炭素は尋常ではないことが、そこに立てば誰にもすぐ解る。路上の人は鼻を手ぬぐいとかハンカチで覆っていることからも明確だ。そのもっとも大きなのが中国だと思う。中国では空気が汚れて見通しが利かないとも言われている。これらの国は環境に対しては一切手を打ってないばかりか、まだまだ化石燃料を使い方が少ないと言っている。そこに、もうすぐインドが加わる。先進国が省エネ政策で二酸化炭素の削減に取り組んだとしても、これらの国の使用拡大には追いつかない。そして、この巨大台風の発生だ。津波は世界共通用語だが、台風はハリケーン、ストーム、モンスーンなど国によって表現が異なる。

5月24日(火曜日)
キヤノンEOS X5
このカメラを今日は使いまくった。カメラ雑誌ではこのカメラのことを余り悪く書いてない。それは彼等の使っているカメラが同じキヤノン製であるからだ。キヤノンのカメラは本当に良いカメラだろうか?と言う疑問が沸々と芽生えてましたので、真剣に使ってみたのです。その結果2つのことが判明しました。一つはライブビューです。現在の一眼カメラは、ファインダーで覗く他に、大きなLCDに撮影画像を表示させて撮影する事が出来ます。こちらの方が、ピントの精度は高く、ファインダーよりも正確に写せる範囲を表示できます。それに、何よりも明るさとか、ホワイトバランスとが撮影する前に確認できるので便利な機能。ところが、このX5は実にライブビューの機能が弱く暗いところではピントを合わすことが出来ないのです。ファインダーに切り替えるとピッピッと素早くピントが合うのですが。もう一つは、ISO感度です。キヤノンのカメラはセンサーを自社生産しているため、暗いところでの撮影にはノイズの処理が旨く、高いISO感度でもノイズが少ない。それに、マイクロフォーサーズと比べるとセンサーサイズが大きいので、ノイズにも有利だ。と雑誌には書かれてます。ヨドバシカメラで聞いてもそう言われます。そこで、ISO感度を100〜順番に6400まで撮り比べをしたところ、ISO3200と6400はX5は一番ノイズの多いカメラであることが判明しました。カメラは長い間ニコンとキャノンに一眼市場を独占されていたため、雑誌やカメラマンなど多くの人々がこれらの会社に餌付けされてて、自ずと評価記事もバイアスがかかったモノにならざるを得ないと言うことが解りましたね。

5月23日(月曜日)
血が騒ぐ
なんと言うことだろう、朝8時15分まで寝てしまった。目覚まし時計に気がつかなかった。原因は昨日の水泳にある。泳ぎ方を変えたので疲れ方に変化があったのだろう。それに気がつかず、昨晩はいつもと同じように10時半に床についた。しかしここは会社までのアクセスが非常に便利である。8時40分に自転車で出発すると、8時55分にはもう席に着いているのだ。でもここまではよくある話。夕刻のことである。外はものすごい雨が降っているではないか。一方でこのOBP界隈は自転車の駐輪禁止区域。幸いに今日は雨で不法駐輪の撤去はなかったが、いつまでも自転車を止めておく事は出来ない。この雨の中を自転車で駆け抜けましたね。小学校時代は雨が降ると、その中へ走り出したくてどうしようもない衝動があった。台風の時なんか特に興奮しましたね。今日は止むに止まれずと理由を付けて走りましたが実に爽快。わだかまりが一気に霧消するようなストレス発散です。

5月22日(日曜日)
今日は失敗の連続
DVDソフトのLinear PCM 音声を取り出す。それをMP3に変換してipadで聞く。今日はこれに挑戦した。まずはDVD Decryperで映像無しの音声信号を取り出す。ここまではスムーズに進行した。このファイルはMOBファイルで、PC上のGOM playerでしか再生出来ない。更にここから、wav やmp3に変化して取り出さなければポータブル機器では再生できない。その変換ソフトをいろいろと試すがどれも旨く働かない。意地になって5時間費やしたが問題は解決しないまま断念。しかし、旨く働かないソフトウエアを何とか働かそうと知恵を絞るのはホントいいストレス解消になりますね。もしこれが旨く働いても、どうって事はないのですが。これでスナック菓子でもかじりながら食事を忘れて取り組めば完全なオタクになりますね。でも、もうそこは理性のあるおじさんだから、夕刻はエクササイズの水泳に向かった。昨日の先生の教え通りの泳法を試みると、1時間で2.5kmを少しオーバーする記録が出た。そして疲れも少なかった。この調子だと来週は4kmに挑戦できるかも知れない。

5月21日(土曜日)
水泳指導
このごろの日課となったニューヨークタイムズのデビット・ボーグさんのIT記事全文を読むと1時だった。だんだんと早くはなっているが、今回は、PCソフトのショートカットキーを説明した文面だったので、僕の持っている予備知識ではなかなか文脈を追えなかった。それに、この人は凄いウィットが効いた表現をするので、直訳では意味が通じないことがしばしばだ。そのあと溜まっていた雑誌を読み終えた。夕刻プール。そこで、件の外人に逢った。久しぶりだ。僕は2.5km泳いだ後、彼が話しかけてきた。そして、僕の泳ぎの指導に話の流れが移っていった。きっかけは泳ぐにはパワーが必要だと言うことに対する彼の反論だ。まずは、手の掻きようの指導だ。英語は分かりにくいが、僕が理解をしない点は、実地があるので、解る。そして、足。僕は4ビート。彼は長距離に2ビートを薦める。膝を曲げるな。足を伸ばせ。次に息継ぎ。僕の頭は上向きだ、横に顔を上げろ。この3点が今日のポイントだが、彼は、プロポーション、タイミング、バランスの3点を上げた。プールから上がって何処の国の出身か聞くとオーストラリアだと言う。道理で解らない訳だ。See youと言って別れた。最期のagainは親しくなると抜くことが多い。彼は60歳。同じ年代だ。

5月20日(金曜日)
京都へ
今日は京都へ撮影に行った。今日も晴天で格好の撮影日和だった。祇園の街並みを撮影しようと立ち寄ると映画のロケに出くわした。名前は知らないが一目でこれは女優だと思える美人が何度も橋の上を走っていた。僅か5秒くらい。日本の映画や音楽はカットが短いので疲れる。もう少し大人になったら?と言いたいのだが。その後、永観堂の紅葉を撮影した。緑が濃い、この緑は東南アジアにはないみどりだが、空の青さを背景としたのでこの美しさは理解されるだろう。昼食に眠眠の餃子をごちそうしたら、余り美味しくなさそうだった。中国人の味覚である餃子はもっと違った味だろうか。その後、京都植物園でバラとボタンを撮影し、京阪電車の森小路駅で京阪電車を撮影して本日のスケジュールを終了した。結構強い日差しと休憩無しの撮影で疲れてしまった。京橋のマクドナルドで反省会と写真データーの共有化を図りさよならをした。次回はタイのチェンマイで会うことになる。
<永観堂>

5月19日(木曜日)
Remusと
シンガポールのレーマスさんは、僕の仕事のパートナーだ。かれが、昨日の会議で日本に来て、そのついでにカメラのテスト用に日本の風景を撮影しようと言う計画を持ってきた。それで、今日と明日の二日間は近隣を撮影しながら訪問するつもりだ。彼は3カ国語を話すので、もっぱら僕は日本語で話すが、彼も難しいことは英語の表現となる。聞き耳を立てて、何度か分からない言葉を反芻しながら理解に努める。僕は言葉を文字に置き換えて理解をしようとするから、どうしても日本語で知っている英語と、違う発音の英語が出てくれば頭がフリーズしてしまうのだ。今日は動物園と神戸のハーバーランドに行った。平日のハーバーランドは殺風景で、にぎやかなアジアの国から来ると寂しく感じたのではないかと思った。夜景を撮影したので、9時までかかってしまった。
<ハーバーランドにて>

5月18日(水曜日)
ニュージランドとオーストラリアにインド
今日はアジアのミーティングが門真で開催された。3年目となればだんだんと顔見知りの人が増えてきた。そして会議で話される英語もだんだんと理解できるようになってきた。大まかのスペックが分かれば理解できる。ホントは言葉で理解しているのか、知識が補っているのかは不明だが、気にせずに通過している。ところが、当然ながら会議だから質疑応答がある。その時のニュージランドとオーストラリアとインドの英語はどうしても聞き取れない。所々の単語しか耳に届かない。自分では少し進んだ英語の理解も、ここではうちひしがれるのだ。
<名前は不明、群れて咲く、昼間しか花は開かない>

5月17日(火曜日)
今が一番良い季節
初夏の新緑が美しい、風がさわやか、空が青い、家の戸口には花が咲き誇っている。こんな季節は今しかない。バラの花はピークを過ぎたが、まだいくつかはこれから咲こうとしている。東京で仕事をしていた頃には、毎日、日比谷公園でバラの花を愛でて出勤した。あの頃にはいろんな事件があったが、この季節の活気に助けられた。5月の連休には仙台から八甲田山まで自転車旅行したが、この気持ちの良さは忘れられない。初日、宮城県本吉郡南三陸町歌津番所 34にある「ニュー泊崎荘」で宿泊した。(8,800円)腹が減っていたのだが、海の幸づくしで食べきれなかった。ここを今グーグルMAPで検索すると、この建物のある場所は残されていたが、50m先の港は壊滅状態だった。ここの人達は、余りにも良い季節に、津波の風景がマッチせず困惑しているだろうなと思う。
<今年始めてのあじさいを見た>

5月16日(月曜日)
臭い
自分が臭い、今日はやけにそれが鼻につく。休日にはこまめに洗濯をして臭いを消しているのだが、それでも一寸した空気の流れにのって自分の嫌な臭いが漂っている。想えば高校生の時も臭かった。特に頭が臭かった、毎日石けんで洗っていた。昔はシャンプーなどはなかったのだ。その臭いはいつの間にか気にならなくなっていたが。今度の臭いは至る所に着いてしまう。まるで動物が自分の縄張りを主張するかのように付着する。今日はバックパック(昔はリュックサックと呼んでいたが)の臭いが気になった。このユニクロの袋は、5年目でいろんなところの国にも行き、都度その床に置いたから、相当汚れている、にもかかわらず、自分の臭いだけが残っているというのはどういう事だ?
<カラーは今が旬、昔は実家にもあったが>

5月15日(日曜日)
ipadで映画を見る
もし貴方はDVDを借りてきて、PCで取り込んで、このデーターをipadで見られるように変換して楽しむとすれば、どんな方法があるのかご存じだろうか?(大体英文はこのような描き方をする)これは海外を旅行すると多くのビジネスマンが空港などで飛行機待ちをしている姿なのです。そして、横目で見ると、この画面は意外と高画質であったのだ。それで今日はこれに挑戦した。これを、実現するには「DVDFub」をネットで入手して、DVDリッピングの際に、ipadに変換を押すだけ。実に簡単なことであります。それで実際にやってみた。最初の失敗は、音声の選択に2chを選んだこと。これだと、台詞が聞こえないのだ。もう一つは字幕があると画面が狭くなること。もう一度やり直しだ。音声は5.1chを選ぶこと。DVDのリッピングは同じDVDに変換する場合だと10分くらいで完了するが、ipad変換は30分位を要する。取り込んだMPEG-4ファイルをituneのファイルにドラッグして認識させれば、後は同期の作業でipadにデーターが移行する。ファイルサイズは1.3GBあるから、見終わった映画は消す必要があるのだが、DVDの画素よりも大きな解像度を持ったipadの画質の良さは驚くべきモノがありました。

5月14日(土曜日)
カメラを変えても同じ画角で撮影できる技
月刊誌カメラマンを毎月読んでいる。この雑誌は曲がりなりにもカメラの専門誌だが、カメラ評価が少々ぶれることもある。その一番の問題点は、カメラで撮影して比較する映像に同じシーンを撮影してないことに関係する。(こんな事を許すカメラマンは大したことがないと思っている)画角が微妙に違えば写真の出来具合は相当違うのだ。これは、雑誌「特選街」でも、同じミスをしてカメラを評価している。それを許しているのは、同じ画角で撮影すると言うことは非常に難しいし手間がかかるのである。しかし、プロの私としてはこれは許されないことだと常々思っていた。それでクイックシューを買ったのだ。これだと、三脚にカメラを固定するのは素早く、しかも三脚にねじ止めする際に三脚が動くこともないので、画角が変化しない。僅か5,000円の出費で4台分のクイックシューとベースが買えるのである。そして今日はそれを使いHG2,G2,LX5,NEX5の4台を持って鶴見緑地のバラ園に撮影に出かけたのだ。当初からイメージしていたようにこれは非常に旨く行く。自分でもよくやったとほめてあげたい程だった。そんな余裕があったのか、小さな女の子が僕の所に来てカメラで写真を撮りたいと盛んに言うのだ。もちろんお母さんも一緒なのだが。それで、LX5を貸してあげて写真を撮らしてあげたら、ものすごく喜んだ。そして別れたのだが、またこの子は舞い戻ってきてもっと撮らせて欲しいと言う。今度は一眼のGH2を貸してあげた。更に喜んだのは言うまでもない。この子はきっと将来カメラマンになるぞと思いましたね。それでその子の写真も一枚撮影させてもらった。

5月13日(金曜日)
懇親会
定年退職をされたK氏と音信不通になっていた。彼は新しい携帯番号も連絡せずに退社したからだ。それで、この週末を使って彼に手紙でも書こうとと思っていた矢先に外線電話に電話がかかってきた。今京橋にいると言うのだ。それで、今日の仕事の予定を切り上げて、居酒屋「丸福」に向かった。だが、ここは満員。この店は皿に盛った料理が見えるので注文しやすいのだが。それでいつもの「鳥せい」さんを訪ねた。この店は日本酒の店で、それはそれは美味しい日本酒が飲めるのであるが、問題は翌日が台無しになると言うことだ。この週末にはいろいろと作業が控えているので、残念だが僕はビールだけにした。それに、今日は健康診断の日でもあり、下剤を飲んでいるので、食べ物が余り美味しくないのだ。話の中心は、現在の我が社の組織的問題点。彼は会社を退職しても我が社の事を考えてくれている。もう一人仲間が居て彼との仕事上の関係があったこともあるだろうが。この話で盛り上がった。これは仕事を離れても仕事の話をすると言う日本人のきまじめさなのかな。しかし、連絡が通じて本当に良かった。これから、今以上に長いつきあいが始まる予感がする。

5月12日(木曜日)
天候異変
台風の関係でものすごく荒れた天気となっている。私が担当しているアジアの国では夏が暑くなくてエアコン商戦が不調との連絡である(アジアの夏は2月から5月)、アメリカのUSA Todayは、ミシシッピ川流域の洪水のニュースが連日掲載されている。明らかに今年は相当異常気象となっているのだ。原因は明確でないが中国の石油消費がもたらした影響が一番強いと思う。誰もがそう思っているが因果関係を明確にして争いたくないから、誰もが口を閉ざしたままだ。そして分別のある人は自分の生きている世代には大丈夫だろうと思っている節もある。かく言う私もそう思う。この先どんなことが起こるか不明だが、農業が見直される可能性が非常に高い。いよいよの時が来たとき高知で生計を立てられる選択肢があるのは心強いのである。

5月11日(水曜日)
三越伊勢丹
梅田にオープンしたことは知っていたがまだ訪れたことはない。そこで今日は定時に会社を終えてこのビルの探検を始めた。まずは、腹ごしらえ。百貨店で食べると大変な出費となるので京橋の立ち食いうどんで腹を満たした。もう今ではこのことをせこいとは思わない神経がある。JR環状線の登りエスカレーターで3階に上がると、百貨店に通じる。構造は京都駅と同じだ。エレベーターで最上階の9階に上がってレストラン街を歩いた。大体5,000円程度の予算ですね。野菜を中心に頂ける農場と名前の付いたレストランもあった。どの店もワインボトルが目についた。ゴージャス=ワインと言うイメージ作りか。美術品売り場では900万円の花瓶や500万円の湯飲みが展示されてあった。ネクタイの相場は9,000円程度。婦人服は結構年齢の高い層にマッチするような色合いだった。従業員もご年配の方を揃えていた。相変わらず背広をピチッと来た支配人のような人と、それにサポートする中堅の社員が書類を持って寄り添い店内を巡回していた。支配人は手を後ろで組んでいた。このスタイルはもう30年前ですね。「支配人さん、見るのは売り場のチェックではなく、客層を見るのですよ」と注意喚起を心の中で行った。大方の予想は混雑しているイメージだが、そんなことはなく従業員の方が多かったようだ。パンフレットでアイテムを数えると、喫茶店も含め101個あった。僕が百貨店と商売をしていた頃、パンフレットは140アイテムが平均だった。ずいぶんと減った。POSも導入されているのかどうか?その後、50万アイテムを取り扱うヨドバシカメラに寄った。こちらは混雑している。もう僕には百貨店では買うものがないが、こちらは大いにある。今日は無線ルーターを買った。雑誌などでもWiFiの文字を見かけるようになり、iPadもあるのに、その環境がないので買うことにしたのだ。ルーターはすでにあるのに、無線ルーターを追加すればルーター同士が喧嘩するのではないかと心配してたが、従業員に聞くと、バッファローのWZR-HP-G302Hは、自動認識でルーターの機能を止めるとのこと。価格の高いルーターは無線の距離が長いとのことで、机の下で使う分には安くても問題ないことも分かった(7,300円)。

5月10日(火曜日)
昨日の続き
それで、今日は新製品の英文原稿A4サイズで20ページに挑戦した。文字を大きくしたプリントだから、実質この70%程度の文書量かもしれないが、これを辞書を片手にだが読み切ることが出来たのだ。以前の訳文にはいささか不安要素もあったが、今回は大丈夫だ。それには、一つ秘密がある。英語には熟語がある、いわゆる慣用句ですね。この熟語が結構文章の流れを左右するのだが、あいにくとシャープの電子辞書PW-AC900(当時36,000円)には日常使われる英語のイディオムがほとんど掲載されてない。この辞書だけでいきなり本場の英語を理解するのは一寸難しい。そこで、Webにある、英次郎の登場である。このWeb辞書は、アメリカで使われるイディオムがほとんど網羅されている。これの助けがあれば、ほぼ英語の文章を訳することが出来るのだ。英語は難しいと感じていたが、それは、辞書を引いても実用的な意味が掲載されてないからだった。英次郎の辞書があれば、もっと早く英語になじむことが出来たのではと今では思っている。

5月9日(月曜日)
連休の体安めが利いたのか、非常にさわやかに会社に向かった。仕事をしてても余裕があって、今までに見えないモノも見えてきたりして急に視野が広がったような感じがした。たぶんもう2〜3日もすれば、現場にどっぷりと浸かって見通しが利かなくなるだろうが。もう一つの出来事は、外国から届いたメールが、辞書を引きながらも読むことが出来るようになっていた。連休中に溜まっていた英字新聞を毎日読んだことが利いているようだ。こんなに連休の効果が目に見えるようになったのは初めてのことだ。ホント嬉しかったですね。5月8日(日曜日)
昨日はプールで2.5km泳いだだけで、ものすごく疲れてしまい、何をするにも気力が衰えてしまった。今年になって2度目の経験。バッテリーの完全放電です。連休中の不摂生が祟ったのか。それで、10時過ぎに床についたのですが、あっという間に朝の6時半を迎えた。元来眠りが浅く、6時間の睡眠でもずいぶんと長く感じているのに、こんなのは久しぶりだ。今日は映画ロビンフッドを見た。ロビンフッドはイギリスの兵隊だが、矢を射る名人でこれがアクション場面の中心となっている。しかし、監督のR・スコットは単なるこれをアクション映画で終わらせるのではなく、ここにイギリス国王ジョージのエゴを絡ませて、地域の領主との対決に持って行ったり、腹心の部下ゴトフリーの裏切りでフランスの侵略を手引きしてみたりして、一寸複雑になりがちなストーリーを旨くまとめている。このBDを買ったのは、映像がキレイと言う評判だったからだ。CP1の黒の階調のチェックとか、CP4の斧のゴツゴツ感(当時の鍛造技術がよく分かる)とか、CP13の逆光での息の白さとか、CP17の動画解像度とか、結構チェックポイントがある。ここでは22インチのPC用モニターしかないので十分なチェックが出来ない点が問題であるのだが。もう一枚サウンド・オブ・ミュージックのBDも見たが、こちらも感動。こちらのチェックポイントは別の機会に。夕刻プール3km。今日は体力も平常に戻ったようだ。

5月6日(金曜日)
在宅にて
前から読みかけの書籍、福井晴敏氏のローズダスト/上巻を読んだ。警察と自衛隊組織のテロに対するいがみ合いを描いていて、これに政府も含めて混乱に拍車をかけている。その当たりのやりとりは現在、福島原発でのトラブルと、うり二つで、この前辞任した小佐古参与の憤慨に通じるモノがある。この本は今から5年前に書かれているが、作者にはすでに政府の荒廃は見えていたと言うことだ。日本には失われた20年と言われて久しいが、このままだと30年にもなりかねない。その後、映画「オーストラリア」を見た。ニコール・キッドマンがなかなか美人度を上げて登場。彼女のファッションを見るだけでもこの映画の価値がある。内容は、1940年にイギリスからオーストラリアに来たラサは、牛を売ってそのお金でイギリスに帰ろうともくろむが、いろんな事件に巻き込まれて、ここに居着く話。1945年には日本軍の進駐もあり、その日本人が悪く描かれている。2時間45分の大作で椅子が良くないと没頭できない。

5月5日(木曜日)
大阪へ
まだ寝ている時に、Kさんがやってきた。まだ6時である。かれは車の中で寝たとのこと。僕は昨晩の酒がたたり頭がぼやっとしている。しかし、そうとばかり言っておられない。今日は8時に出発して大阪に帰るのだ。昼までゆっくりしてから帰ろうと計画してたのだが、渋滞予測はひどくはやめの行動が効率的だとのことで、出発を早めた。大阪のKさんとWさんにはタケノコや蕗やタマネギをお土産にした。昨日のレストランで揃って朝食。昨日の反省会と今後の展望を話し合った。9時に出発した。予想では淡路島が混雑しているとの事だったが、四国の道も淡路島もスイスイと抜けて、阪神高速もほぼ無事通過してしまった。かなり腹をくくっていたのだが気持ちよく尼崎に帰って来れた。しかし、途中のパーキングエリアのレストランを利用するにかなり根性が入りそうだった。夕刻3時半に到着。風呂を沸かして入り、スーパーでそうめんの食材を買って、約束の犬ハチを見た。リチャードギアが忠犬ハチの飼い主で、犬との関係を旨く結んでいた。やっぱりこの人は旨い役者だと思った。
<渋滞にも巻き込まれず。淡路島の表示>

5月4日(水曜日)
室戸岬
朝8時に海岸を望むレストランに向かった。ここでモーニングと本日の打ち合わせ。僕とWさんとSさんは室戸岬、新たに加わったKさんとTさんと大阪からのKさんは黒潮カントリーでゴルフだ。午後3時半をめどに村の浜に集合して、ここでバーベキューをする。こんなことを打ち合わせして別れた。僕らの向かう室戸岬は大きな渋滞に巻き込まれるかも知れないと脅されたていたので、出来るだけ急いだが、何のことはない、駐車場も空いていて、ゆっくりと岬の岩場を散策できた。海水は澄み、海底が透けて見えた。今回は3Dで撮影した。いつかこのメンバーが合流するときがあれば、記念になると思う。それから展望台に上がり、眼下に広がる太平洋を見下ろした。雄大な景色が癒しになった。高知にはそんなに見るべき所はないのだが、この自然の中でゆっくり過ごすことに価値を見いだしてくれるとすれば、ここほど良い場所は無いと思う。帰りは道の駅で物色しながらぶらぶらと。スケジュールの変更が入り、ゴルフ組は遅れるとのこと。我々3人だけでバーベキューを始めることに。場所は我が田舎の芸西村の琴ヶ浜。非常に綺麗な海岸で、砂浜も広い。実は東京からきたSさんは今日の最終便で東京に帰るので途中で宴会の切り上げをしなければならない。3人だけでは盛り上げにかけるかなと思っていたら、中国人の団体がやってきて僕らのパーティーに入った。片言の英語と日本語で情報交換を行った。ハルピンからの留学生とのこと。そうこうしているうちにゴルフ組がやってきて、宴会は大人数となり盛り上がった。僕とWさんはSさんを空港に見送りに行った。そして帰ってきてから、打ち上げられた流木を集めてたき火を始めた。流木は余りにも多くあり、大きな炎となって僕らを楽しませてくれた。火を見ると全員が興奮して楽しさに拍車をかけた。連休の良い想い出となった。
<上の写真は今回のメンバー>



<後ろの山に室戸岬の灯台が見える>
<室戸岬の岬の端で>

<こんな表示はありません>

<大山岬から、この手の先に阪神タイガースのキャンプ場がある>

<安芸市阪神タイガースキャンプ場>

<こちらはゴルフ組>
<バーベキューは中国人の飛び入りがあり盛り上がる>

<なんと宝焼酎をロックで飲んだ留学生>

<流木でたき火を始めた。最初の頃>

<次第にエキサイトしてくる>

<余りにも大きなたき火となり近寄れない、ヘリコプターから監視される>

5月3日(火曜日)
大宴会
東京から一人、大阪から二名のお客さんがやってくる。東京のS子はすでに昨晩到着していて、朝ホテルでピックアップした。大阪からは今朝車で出発したと言うことだが、なんやらものすごい渋滞に巻き込まれて、高知到着は昼食時間を大幅に過ぎる時間になるようだ。そこで、我々はまずは桂浜を見ようと言うことで向かうが、ここも大変な人気で車が駐車できない。そこで、苦肉の策として裏桂浜を見ることに。一般的に知られている桂浜は海に突き出た岩に小さな松が生えているのだが、これが何とも言えない風景になっている。ところが、裏から見るこの風景は海に突き出た岩も、松も見ることができるのだが、残念ながら感動のある風景ではないのだ。ちょっと申し訳ない事をした。ところが、時間つぶしに行った桂浜だったが、この間に大阪組はものすごいスピードで高知に向かい、僕たちと合流する予定の須崎インターに彼等が先に着いてしまったのだ。これから、土佐市の有名な鰹たたきの店に向かう。当初の予定では黒潮本陣と呼ばれるレストランで塩タタキを頂く予定だったが、途中の渋滞で到着が遅くなり、別の店で通常のタタキを頂くこととなってしまった。だが、なかなか景色の良い場所での食事であり、景色の調味料で味付けは良かった。雨も降ってきて肌寒くなり帰ることに。芸西村にはかなり立派なホテルがあり、ここに海洋深層水の風呂を有料で提供している。ここで皆さん旅の垢を流してもらい、Tさん宅で宴会の開始だ。メンバーはTさん、大阪ファジー会のKさん、Wさん、東京ファジー会(今日からそう呼ぶことに)S子さんの5名だ。Tさんの母から天ぷらと、お寿司が提供されて持ち込んだ総菜と合わせて豪華な宴会が始まった。翌日聞くと僕だけがしゃべっていたとのことだった。でも楽しかった。S子さんは僕の家の離れで宿泊してもらう。ここは定年後友人のFさんにも使ってもらい楽しく過ごすための館だ。


<鰹のたたきはわらで焼く>
<焼き上がったたたきは、調理場に運ばれる>

<待つこと1時間でタタキをGetした>

<黒潮工房さんのタタキ定食>



5月2日(月曜日)
天候が戻ってきた

晴れだが曇っている。これは黄砂の影響らしい。中国の開発が進むにつれて、だんだんと土地が砂漠化してきた。そして今の時期になると、風邪で舞い上がった砂が日本海を渡り、中国山地を越え、四国山脈を越えて高知に降り注ぐ。何という自然のパワーだ。他の有害な物質も一緒に運んできているかも知れない。
<黄砂で視界が利かない>

5月1日(日曜日)
再びアマゾン
iPhoneでアマゾンのサイトに入り、注文の確認をしていくと、この中に確認番号の12桁の数字が明記されていた。それを手帳に控えローソンの端末で登録を済ますとやっとのことでBDを手にすることができた。このiPhoneはもう3年目になるが結構いい仕事をしている。これでひとつの問題は解決した。もう一つは、お客様を迎えるために、無人となっている前の家を掃除することだ。両親はもう掃除という言葉を忘れたほど何もしないので、僕がこの家を片付けた。とりあえず不要なものはゴミ袋に入れて捨てる。大事なものはゴミ袋に入れて保管だ。この家は、親類のおばさんに貸してあったが、このおばさんは身の回りのことを整理せずになくなったので、アルバムとか生前に大事にしていたものがそこらあたりに残っているのだ。いずれスキャナーに取り込んでの廃棄をしなければならないと思っているが、今はその時間がない。とりあえず見た目の綺麗さに気をつけた。もっと丁寧な掃除をすればもっときれいになるのだが、本も読みたいし、おじさんの家で酒も飲みたいしと言うことで、今日のところはこれで切り上げておじさん所へ飲みに行った。おじさんは私の父の弟で、父と同じく心臓が悪い、そして今度はひざが痛いという、これも私の父と同じだ。病気まで似ているが、実は顔がよく似ている。私の娘が小さい頃、私の父と間違えて、初めて会うこのおじさんのひざに座ったことがあり大笑いを誘った。同じ病院に通うことから、医者も間違う。実はこの兄弟はそのお母さんとそっくりで、そのお母さんは心臓が悪く、ひざが悪かったと言う昔話を今日聞いた。遺伝子を受け継いでいるのだ。その後家に帰り、買ったBDを見ようとしたら、PS3ではBDは見られません。最新のデータをインストールしていなければBDが再生できない。これはコピーガードのためだが、コピーガードは実質機能してないのに、正しく使おうとする人が迷惑をこうむると言うおかしな現象だ。

4月30日(土曜日)
アマゾン
僕は晴れ男だが、どういう訳か雨が降っている。今回大イベントを開催するが、この中に雨人間がいるかも知れない。アマゾンでBDを注文し、近くのコンビニへの配達を依頼した。注文書控えを持ってローソンの端末をたたくと、12桁の数字の打ち込みを要求されるが、この注文書控えには12桁の数字がない。そこで、注文したのは私だが目の前に品物もある。注文書もあるが商品はもらえないか?と聞けば、ダメだという。12桁の番号がない限り不可能だという。実はアマゾンでは注文すると翌日にしか、その12桁の番号を送ってこない。私は会社のメールで注文したので、会社のメールしかその番号を知る手立てがないのだ。ネット社会で便利なはずだが、翌日しか暗証番号が見えないというのも変だ。こちらが損するわけではないので、とりあえず今日はそのままにして、家に帰り本を読んだ。ナカナカ本を読む時間が取れないので、この休みは積極的に読むのだ。それと、毎週木曜日に発売されるヘラルド新聞のデビットボーグさんの記事。ヘラルドはニューヨークタイムス系の新聞だ。今までたまっていたのを一気に読む。大体ひとつのコラムの約に2時間程度かかりますね。一年ほど前は、一日を要していたから進歩している。
<近所に咲く鉄線>

4月29日(金曜日)
一日快晴
昨晩は午前1時ごろ寝た所為なのか今日は頭がぼやっとしている。T氏から電話があり、お墓参りにいこうと誘われた。T氏の母の姉が3月に亡くなったのだ(96歳)。なんと車で迎えに来た。歩いて10分のところなのに。お墓の場所は、昔、その姉さんが住んでいた近くにある。見晴らしがよく日当たりも良いところにある。裏山を見ると、トトロの漫画に出てくるようなこんもり茂った森があった。こちらは椎の木。トトロではドングリの木だった。こんなすばらしい山を毎日眺めながら少年の頃は過ごしていたのだと感慨を深くした。部屋に戻り、寝たり本を読んですごした。夕刻散歩に出て、晩飯に父と日本酒を飲んだらすっかり出来上がってしまい8時には寝てしまった。午前2時に起きて本を読みかけたが、どうも頭がすっきりせず、また寝てしまった。
<ピークは過ぎたがレンゲの花が可憐>



<カキツバタも今が時期>


<純白が綺麗なおおてまり>

4月28日(木曜日)
いきなり日経新聞のトップにパナソニック従業員解雇のニュース。今日はパナソニックの会社が経営方針を公表するタイミングでもある。こう言うニュースは明確に伝わる。会社を定刻に終えて、明石の駅で友人と待ち合わせて高知に向かった。腹の減り具合が気になったので「くら寿司」で夕食。おすしにはお酒がつきもだが、これからの長丁場、眠いのを我慢できる自信がないので遠慮した。この友人は音楽の友である。普段感じている音楽の話ができる。僕は友人が多いとはいえ、音楽談義が可能な人は、このK氏と、岡崎に住むO氏しかいない。高校生の頃はY氏がいたが亡くなった。K氏の音楽嗜好は日本のポップス系である。楽器の販売をしている関係でさすがに音楽と楽器の関係は造詣が深い。その中で、この前ブラジルのK氏から来たメールにはタンゴの話題が書いてあったので、その楽器について尋ねた。タンゴに使われているバンドネオンは生産中止とあるが、アコーディオンでは代替できないか?これは難しいとのことだった。バンドネオンは両方の腕を使って、切れの良い演奏ができるが、アコーディオンにはこの切れができないらしい。この後沖縄の三線に話が移ってゆく。あっという間の4時間で高知到着。午後10時半だった。

4月27日(水曜日)
定年後
僕ら高齢者のメンバーにとって定年後に仕事にかかわれることは重要なことである。友人のK氏の依頼もあり、知り合いのW社を訪問した。ここは、ほっと一息つける雰囲気のある会社で、人材派遣業でありながら、その人材が定着してしまっていると言う極めて不思議な会社である。社員にとってはいわゆる居心地のよい会社なのである。それで、僕ら外来者にも居心地がいいのではなかろうか。いろいろとお話を伺った。おっと、ここで闖入者登場、K女氏の子供がやってきた。僕の知っているのは赤子だった頃。それ子がもう歩けるようになっている。その娘のかわいいことなんの。自分にも娘があったが、その時は一瞬だったような気がする。仕事の環境はますます厳しくなっている。閉塞感が漂う中でさらにこの震災の影響が重なる。「がんばろう日本」と言っても、政治がこれではどうにもならない。政策遂行能力がないのだ。この震災によって一段と日本の経済や文化は低下すると私は見る。人の心も荒廃が進むであろう。ホントに定年後を考えるのだったら、伸び盛りの海外で仕事をするのが一番なのだが。両親の事もあるし。

4月26日(火曜日)
国内のイベントに参加
昔の職場のメンバーが大阪に来て、大きなイベントを開催している。これは、海外を担当するメンバーも見る価値があるので、職場の皆さんをお連れして繰り出した。内覧会ですね。ところが、会場では内覧をするよりも旧知のメンバーに挨拶するほうが多くなりナカナカ先に進まない状態に陥ってしまった。そして最後には、いろいろと質問をされてその回答にずいぶんと時間を費やしてしまった。あれ?それって僕の仕事ではないだろう?と後で思ったのですが。でも、懐かしい人々にあえてうれしかった。山口のY氏は仲間のM氏も「岡村が生きていた」と伝えると言ってくれた。広島のI氏は名古屋から来てもう5年と言っておられた。一緒にいたS氏はやっと名古屋から九州に帰れたとか。仙台のK氏はご家族にも被害がないと言っておられた。ちょっと聞くのが怖かったのですが。その夕刻、昔の職場の若手と新リーダーと懇親をした。若い人たちとの話は元気をもらえてうれしいですね。出来るだけ説教にならないように、事実のみをお伝えした。彼らはLPレコードを知らないし、カセットもかろうじて記憶の片隅に。生まれたのが1986年。すでにCD全盛期の時代となっていた頃の人である。

4月25日(月曜日)
週に2冊は読書を
昨年度の反省で今年は出来るだけ本を読もうとしているが、振り返ってみると3月はわずか3冊しか本を読んでない。インドの影響だ。インドへの出張が大きな負担となり、僕のプライベートな時間をすべて食ってしまったのだ。そんなに犠牲を払ってもインド出張は思ったほどの充実感がない。おまけに体力を一気に失う。携帯電話のバッテリーに例えて言えば、夜の間に充電して、朝確認しても、ほとんど充電できてない。こんな感じだ。回復には日本に帰り、においの染み付いた布団で寝て、会社まで1時間かけて歩いて、帰りにも同じく1時間歩き、野菜中心の食事を取って寝る。これを1週間程度繰り返してやっとフル充電になるのだ。と言う事で5月の連休には体力回復と、読書不足を取り返すつもりだ。

4月24日(日曜日)
大掃除
今週の木曜日から帰省する。当分は留守だから、溜まっていた家の垢を落とす大掃除を行った。やっぱり磨いた後は気持ちがよいですね。日本の社会も僕の人生も閉塞感が漂うなかで、何かしらスカッとするするようなことは起きないか?と思うのですが、この大掃除はなかなか気分の良いモノです。同時にHDDに溜まった不要な音楽と写真の整理も行った。今はApple Losslessで録音しているが、昔はMP3で録音していた。WMAの時もあった。WAMはAACに変換されるので、ファイルが倍になってしまうのだ。その後はBDレコーダーのHDDの整理、CMをカットした後、BDとDVDに焼いていった。今は2台のBDレコーダーで録画しているから、見るよりも録る方が多くなっている。こうして整理すると、なんだかすっきりして気持ちが豊かになった。夕刻プール。今日は男子高校生の後に付いていった。彼等は泳ぎの基本が無く力任せに泳いでいるので、ついて行けたのだ。小学1年生でも、リズムを体得した子にはとうていついて行けないのだが。3km。息継ぎ無しでバタ足25mも健在だった。体がやっと元通りに戻った感じ。体もリフレッシュだ。

4月23日(土曜日)
重力ピエロ
重松さんの作品だと思っていたら、伊坂幸太郎氏の原作だった。仙台市が舞台であり、美しい海岸線や松島も登場する。今この作品を見るのは皮肉になるかな。この物語は、父の違う二人の兄弟が励ましあって生きてゆく。なぜ父が違うのかといえば、母が強姦されて生まれてしまったのが弟の春である。この春は心を病んでいて連続放火魔である。だが、これがナカナカのイケ面で岡田将生が演じている。それに弱弱しい父親が絡んで物語を引き締める。この役を小日向文世が演じている。なかなかよい作品だ。このような心温まる作品は日本人特有の変なカメラワークが働かないので映画に没入できる。夕刻のプールは2.5km。1時間10分とタイムは悪いが、疲れはなくもとの状態に戻った。出張が続き体が異変を来たしていたのだろうか。

4月22日(金曜日)
そして
今日は朝から酒臭い。昨日のお酒がまったく抜けてない。しかも体がものすごくだるい。しかし、腹は減っているので、食事をして、時間ぎりぎりまで自宅で過ごし、自転車で出勤した。会社の周りには自転車が置けなくなっているので、仕方なく京橋駅に預けたが、この料金が150円。あまりにも高い。東京の都内でも100円なのに。自転車放置は駅周辺が乱雑になり交通停滞につながる、だから禁止とした。それは判るが、自転車は電車通勤のためであり、自動車通勤よりもずっとエコである。むしろ自転車を奨励するのがお役所の仕事ではないか。むしろ駐輪場を積極的に作って開放するのが仕事ではないか。そして違法駐車を摘発する。なんだかおかしい行政なのだ。ということで、今日はほとんど仕事の意欲がわかず、定刻を待って帰宅した。


4月21日(木曜日)
懇親会

昨年買ったビールがまだ残っている。普段酒をほとんど飲まなくなった。土日でも酒が欲しくなくなっている。ので、お酒に誘われるとホントはあまり嬉しくないのだが、今日は上司からのお誘いで断りきれない。秘書のK女子も来ると言うので。店は日本酒の店。秘書の彼女には申し訳ないのだが、僕とこの上司は日本酒が好きなのでこの店に決めさせてもらった。「鳥せい」さんは京都の中書島に本店のある造り酒屋が経営いる店で、ここに行くと美味しい生酒が飲める。生酒は濃くて、少し甘い。料理を頂くというよりは、酒だけを飲んでいられるような味なのだ。ところが、ここで飲みすぎてしまったのが問題である。わずか5分の乗車時間の電車を乗り過ごしてしまい、京都に行ってしまった。駅からの帰りの徒歩も足がふらつき困った。
<住居の前の花壇、この花の咲く間は暑い日が続く>

4月20日(水曜日)
上新電機大日店
イオン大日は門真駅から徒歩で20分くらい北にある。今日は市場ウォッチングでここに入っている上新電機を訪ねた。Kさんが働いていてちょうど面会することができた。聞くところによれば東芝TVの躍進はすごいとのこと。雑誌でもそれはわかる。新しい高速プロセッサーでいろんな機能を処理しようとしている。とりわけ高速プロセッサーでなければ出来ない超解像度の処理は東芝独自のものである。その割には実際にDVDを見ると綺麗に見える話は聞かないが、この手の技術志向に日本人は弱いのである。上新電機はまぶしい。照明が異常に多くまぶしい。昨今省エネ志向が叫ばれている時代に売らんかな主義の煌々とした照明はいかがなものか。中小企業だからほっといてくれと言いたいのだろうが、そのような考え方の経営は大体において淘汰されてきている。いつまで持つか上新。帰りにイオンの食品売り場を覗いた。野菜類はライフとの価格差はないようだ。だが魚の豊富さは歴然としている。大阪は東京のように魚が一般的ではないが、この店は東京の雰囲気を十分残した豊富さがある。マグロ200g315円を買ってしまった。

4月19日(火曜日)
PCの入れ替え
今使っているPCがくたびれてきて、側面の塗装がはげ、時々ぴりぴりしてくる。それにレジストリもおかしくなっているのか、いろんなソフトウエアの切り替え時にしばらく考えてしまう。もう潮時。このPCは5年間もフル活用したのだ。と、いう事で、余っている他のPCに代えてもらった。というか、自分で決済を書いて交換したのだが。今度のPCはコア2プロセッサーで、ウィルススキャンの時にも速度が落ちないので嬉しい。ただ、日本語変換は付属のIMEそのままで、学習機能が弱く、毎回変換誤差がある。これは何度修正しても直らない。それで、単語登録でしのいでいるが、その単語も1800点を越えてしまった。これもデーターを移行して、変換速度の誤差を軽減している。その点ATOKは優秀ですが英語主体の職場なので要求してない。今回新発見したのは、Microsoft OFICEのアイコンのカスタマイズの移行です。たとえば、パワーポイントなど、必要なアイコンを上のツールバーに出しているが、これは慣れ来るにしたがって場所が決められているから使い勝手が上がってくるのであるが、PCの入れ替えで元の木阿弥になってしまうところを、そっくり移動できる方法が見つかった。これはずいぶんと助かる。<きっぱりと晴れ渡り初夏の花が咲いた>


4月18日(月曜日)
自分はどのように見られている?
そんなこと恐ろしくて聞けない!のですが。別の場所で、女性陣が話をしているシーンに出くわした。そのとき話題に上がっていたのは別の人だったので僕の参加も許されたというか、僕がいたので、僕に近い人の話が出なかったというべきか。その話によると、とんでもない評価がされているようだった。僕はその評価されている人については深くは知らないが、しかし、いい得ているような感じがした。だが、人というのは表面的なことではわからないと思っている。とことん困ったとき、大きな悲しみに遭遇したとき、窮地に追い込まれたとき、大きな責任を持たされたとき、要は個人の力を100%発揮せざるを得なくなったときに初めてその人が現れてくると思っている。そうでない平常時には、うわべの人生を送っていてそれに安住していることもあるのですが。だから、人というのはよく判らないのであります。また、自分もよく判らない。よく、「俺はこうだから」と話す人がいますが、その人は本当に偉い。僕は未だに自分を決め付けできないでいる、どうも自信がないのであります。

4月17日(日曜日)
昨晩久しぶりのプールで1500mを泳ぐと、ひどい疲れがやってきた。ちょっとの間運動を控えるとこのざまである。そして、今日は普段と同じように3kmを泳いだら、昨日よりももっと大きな疲れに襲われた。残念ながら、もう一日では疲れは回復しない体になっているということだ。と気がついた。いう事で、ものすごい脱力感に襲われて食事をすることや、風呂に入るさえ億劫となりそのまま寝てしまったというわけ。なんだか急激に衰えが見えてきて寂しくなってしまった。

4月16日(土曜日)
膝の痛み
膝が痛くて歩くのが心配になることがある。でも歩き始めるとそうでもない。運動のしすぎとも言われたので、出張期間中はほとんど歩かない生活もしてみたが、症状は変わらず。そこで、鴫野にある整形外科を訪ねてみた。ここは1時間に6名ほどの診察で結構時間がかかる。2時間半待って、レントゲンも撮影した結果。まだ軟骨の部分はすり減ってない、十分にありますとお墨付きをもらった。心なし、膝の痛みが消えたような感じがする。自転車のペダルを漕ぐにも力強さが戻った。その足で咲くやこの花館に出かけた。キヤノンのカメラの試写だ。あいにくと曇りで、条件は良くなかったが、面白い写真が撮影できたと思う。帰って映画不夜城の続きを見た。この映画は中国人の新宿マフィアを描いているが、映画化については、間をつなぐ言葉が無く感情の起伏を描くから一寸ついて行けないのと、カメラマンが下手な映像演出をするので、ストーリーが一瞬遊離してしまうのだ。このカメラマンの独走は最近の日本映画に特に多く、今では僕の中で日本映画が嫌いな理由まで昇華した。原作は文学なのに、映画は単なるC級アクションになってしまった。その後プール。インドでもらった風邪は完治してないが決行。1.5kmでくたくたになった。久しぶりに猛烈な空腹と何もしたくなくなる脱力感に襲われた。
<咲くやこの花館ではサボテンフェアを開催>

4月15日(金曜日)
送別会


友人のK氏の定年を迎える送別会だ。送別会を何度開いてもらっているウチに、本人はこの会社を去るのだという実感がわいてくると言っていた。昔のことに花が咲くが、テーマは2つ。一つは自分は何でも分かっている。そして、やり玉に上げられる人は何にも分かってない人達だ。もちろん分かってない人は参加してない。もう一つは、人心が荒廃してきたことだ。部下を育てる上司の仕組みが消え失せた事だ。これは、成果主義と言うアメリカのシステムが日本の企業社会に伝播してきて、人事は人の育成よりも取捨選択に重きを置くようになった。その結果今の若い人達はホントにダメになった。この2つの話は、実は今に始まったことではなく、昔紀元前からあったと塩野七生はローマ人の物語で書いている。しかし、この2つのテーマは、酒を飲む上では実に好都合な話題であり、酒が進のだ。と言うわけで、この日はほとんど酔わなかった。駅の立ち飲みでK氏ともう一度呑んだ。家に帰り着いて更に日本酒を飲んだが、頭は冴えたままだった。それだけ気分が良かったと言うことですね。

4月14日(木曜日)
カメラ教室


天候もよく、職場の女性達のリクエストで花の撮影に出かけた。と言っても昼休みの間に近くの大阪城公園の桃の撮影にだ。コンパクトデジカメを使い、背景をぼかして撮影する手法を伝授した。それと、逆光でのストロボ撮影。抜けるような青空が広がり絶好の撮影日よりだった。どんなに撮影しても手ぶれしないし、青空バックの花は映える。後で見せてもらったが結構旨く撮影していた。僕は彼女から先生と呼ばれている。これは外国に仕事に行っても同じように呼ばれる。カメラはカメラの性能よりも腕の性能が求められるから、テクニックを身につけると綺麗な写真が出来上がり、これは男も女も単純に楽しいのだ。<朝の通勤路>

4月13日(水曜日)
腹痛
又、フィリピンでわずらった腹痛がぶり返してきた。腹痛を抱えて、ビッグサイトでFPDセミナーを受講した。同士通訳だったが、英語の同時通訳はすんなりと耳に入ってきたのに、韓国語の同時通訳は右耳で韓国語、左の耳で日本語では、僕の頭で旨くミックスせず、理解に苦しんだ。隣のおじさんは最初から船を漕いでいた。その気持ちもわかる。話は前後するが、セミナー待ち時間の時、隣の人の地震警報が鳴った。そしてしばらく後に本物の地震がやってきた。その間30秒。結構役に立ちますね。2時半にビッグサイトを出発して3時新橋着。ここで食事。魚河岸さんで、立ち食い寿司。夜は入れないほどの店だが、昼間は空いている。その後、駅ビルにある讃岐うどん。僕の目的はうどんを食べながら寿司を食べたかったのだが、そうは旨くいかないが、食事は旨かった。10分だが新橋のヤマダ電機を覗いた。こちらはTVの電源を落として省エネの対応をしている。煌々とした照明はそのまま。4時の新幹線で大阪へ。疲れ果てて、電車の中で爆睡、静岡で目覚め、秀麗な富士山を見る。今日は膝の調子も悪く、階段を下りるのがやっとだった。だが急いで帰らないと。午後8時までには家に着かなければならない。なぜなら、灘のM氏からクギ煮が届くのだ。毎年送っていただく。自家製なので、店に並んでいるモノと比べると全然比較にならない程、奥が深い味わいがある。これは、冷凍庫に保管して、少しずつ頂き、9月くらいまで持たせている。「金」の食料である。


4月12日(火曜日)
若い人たち
昼前に東京に向かった。明日東京で仕事があるので、いずれにしろ移動が伴う。それなら、今日の休日に移動して、少し東京を見物しよう。とは言っても、行くのはどこの国でもどの街でも同じ所。電気屋さん。シンガポールのシンリン。フィリピンのグリーンフィルズ。タイはパンチッププラザ。ジャカルタはマンガドア。そして東京は秋葉原。まずはSDカードを買おう。2Gは380円で買えた。「あきばおー」のBDは10枚で750円。DVD-DLは10枚で890円。僕のライブラリーの充実には十分な価格を実現してくれる。BDドライブも12980まで価格が落ちてきている。今までムービーの編集をDVDに焼いてきたが、PALとの互換を考えるとBDに落とすほうが得策だ。そろそろ潮時だと思う。液晶ディスプレイはLG製で27型フルHDが31,500円、24型だと17,800円。BDレコーダーとこのモニターの組み合わせの方が安価にTVを楽しめる。2.5インチのHDDは1Tで東芝製が7600円。「秋月電子さん」ではではキットが有名だが、AM/FMラジオが8,400円で販売していた。ちょっと今回は荷物が多くなるので敬遠したが、この店は楽しいものがある。この街を散策すると便意が高くなるのに困る。書店と同じ感覚だ。その後ヨドバシカメラへ。カシオのヘルパーさんは説明が非常にうまい。キャノンは女性だが負けないくらい知識がある。それに比べパナソニックのヘルパーさんだらしない。GPSの事を聞くと、あっさりとカシオを買いなさいという。暗いところに強いのはフジのF550EXRだといい、TZ20で粘る気がない。きっと販売で負けているだろうな。友人のFさんと夕食を共にして再開を楽しんだ。帰ると子供たちが待ち受けていて、いろいろと話を聞かせてくれた。姉の方は考え方がしっかりしてきて、弟のほうは、受験の失敗で少し人間に奥行きが出てきた。今回は人は変わるがモノは変わらない話で盛り上がった。「となりのトトロ」はもう見飽きるほど見た、と子供達が言う、今回受験に失敗した貴方は相当心の変化があったはずだ、だからもう一度「トトロ」と見ると別の見方が出来る。と言う話から始まった。僕のほうは、のどの調子が悪くて余り長く話せなかった。でも若い人と話していると元気をもらえる。それだけこちらが衰えていると言うこと?

4月11日(月曜日)
未だ、腹痛を引っ張っている

夜10時を過ぎると体が綿のように疲れてきて睡魔が襲ってくる。だが、眠りは浅く、朝の5時か近づいてくると目が覚めてしまう。まだまだ眠いのに目が覚めるのです。疲れは溜まったまま会社に向かう。この日は、昨日の報告書とかの仕上げでほとんど前向きな仕事は出来ず終えてしまった。秀さんを誘って晩飯を食べようとしたが、彼は明日出張で忙しいらしく付き合ってくれない。仕方なく、自宅でスパゲティーを作って食べた。自炊の料理が一番旨いと思うのは、野菜がたっぷりあるからだ。レストランの料理で肉たっぷりはあるけれど野菜たっぷりはないのだ。明日は休み。少し夜更かしして馳星也の不夜城を見る。何と主人公役の金城武 は、赤壁の周瑜 役だ。赤壁では少し役が重く、女優の小喬(林志玲)に位負けしていたが、この不夜城ではぴったりだ。馳星也は90年代に一世を風靡した作家。あいにくと、僕はこの時代には彼の本を読んでない。今、中古本でせっせと買い集めて、取り組んでいる。この映画でも、他の作品でも底流を貫いているのは破滅、荒廃、敗退だ。なんだか自分の世界にもそれらが忍び寄っているので共感できるかもしれない。
<今年はいろんなサクラが一緒に咲く>

4月10日(日曜日)
腹痛を抱えて
症状は昨日と変化無し。菌が抜けるまで待たなければならないのか?何もやる気がなくなり、映画ばかり見て過ごす。「フラッシュフォワード」は2分30秒ばかり、世界中の人々が昏睡する。そして未来の夢を見るというストーリー。しかしこの巻だけでは結論が出なかった。「クレイジー・ハート」は飲んだくれのカントリー歌手を描いた。主人公に感情移行できる廃退的な映画。「トプカピ」宝石泥棒の原型。ルパンはここから始まったのではと思わせる。録画した番組で、ヒット歌謡曲の神髄を探る、と言うのがあった。過去のヒット曲は3つのキーワードがあると言うのだ。その一つは歌詞に「ああ〜」を含むこと、その二は、同じフレーズを3回繰り返すこと。その三はドドミソのメロディーを冒頭に持ってくること。なかなか興味深い番組だった。少し気は紛れたが鈍痛は続く。

4月9日(土曜日)

<今が旬のマンゴーはとても美味しいのだが>

昨日、夕刻の休憩で飲んだ氷入りのコーラーがまずかった。夜中にどーんとやってきて、それ以来下痢をし続けている。インドは気をつけていたがここはノーマークだった。海外に出て無傷で帰ってきたことがない。今回の移動は夜行便でもなく体力を温存したままだぞと期待していたが。外を見ると雨。休日の雨は最高に気分が良い。今日は休みだと思えるのだ。フィリピン空港には3時間前に到着した。今までタイ航空の汚いカウンターやロビーしか知らなかったが、フィリピン航空のカウンターや空港ロビーは非常に綺麗。これがフィリピンだったのだ。ラウンジが使えないので、電源の使える一般席で報告書を作成しながら出発を待った。今回の出張で年明けから始まった一連のツアーを終える。しばらくの間次のツアー開始まで充電の時間である。

4月8日(金曜日)
今日は昨日とは違った場所で、販売店に対する説明会。こちらの担当者は僕のブロークン英語になれてきて、きちんと意味を理解してタガログ語に変換して説明しているようだ。こういう点、現地の人材は非常に頭が良いので頼りがいがある。ところがこの彼は、大変な日本のファンだと後で分かった。午後、仕事も一段落して、お茶を飲んでいると、日本の忍者について話を持ちかけてきた。私のつたない英語で伊賀と甲賀についての説明を行った。日本の文化について紹介するのは初めてだ。でもこれは非常に勉強になる。どう表現すれば簡単な英語に変換できるか、そして、直接的な表現になっているからと考えるからである。しかしそれに対する質問となるヒアリングは駄目で、何度も聞き返すことになる。どうしても分からないときは、文字を書いてもらうと分かることもある。こうして、お互いを理解してゆくのだと思った。こちらのプロフェッショナルカメラマンを紹介いただいた。この人も日本人通で、非常に分かりやすい英語で話しかけてくれるので、よく理解できた。釧路のタンチョウ鶴を撮影に行った写真を見せていただいたが、さすがプロの写真だった。夕刻販売店を訪問した、VEVANTブランドLED−TVは42型で106,000円でしかも、コレを買えば、24型のフルHDテレビがおまけでついてくるのだ。画質は詳細に見れば難ありだが、普通に見ている分には全く問題ない。デザインも薄型でなかなか格好が良い。もっかのベンチマークはサムスンだと思っていたが、どうやら、本当の敵はこのような安価なモデルを販売できる中国メーカーなのだと知った。日本にいると分からないが、競争は新しいリングに持ち込まれたような気がする。既にサスムンのイゴンヒ会長はそのことを知って、そこに照準を絞っている点は、さすがだ。夜、ホテルに送り届けてもらった。ここからは日本に帰るまでまた一人の時間となる。まずは、明日の空港までの車の手配をする。その足で、道路の向かいにある吉野家に向かった。ホテルから外に出るのはやばいのだが、まだ宵の口で大勢の人が歩道を歩いているから大丈夫だろ踏んだ。今晩はホテルで何かのパーティーがあるらしく、着飾った若い女性が多く来ていた。その間を吉野家の弁当を持って部屋に向かった。
<とうとう出ました 3Dの扇風機>

4月7日(木曜日)
フィリピンの仲間たち
この国に通い続けていると、仕事で会う人も幾分顔見知りになる。今日はそんな人も含めて100人強の人が集まっている。大勢の人が集まって感じるのは、この国は若いということ。日本が100人程度集まると、高齢者が多いのを感じる。その雰囲気がないので、会場が華やいでいる。今日は10時から17時までみっちり6時間話し込んだ。お互いに疲れた。昼食時間は事務所に併設する工場の社員食堂。余りおいしくない米をいただくが、これは食べ方がまずいことに途中で気が付いた。この国の惣菜もタイ同様に汁気が多い。だから、この汁をご飯にまぶして食べると、無味乾燥の米が生き返るのだ。味付けには、醤油と唐辛子を混ぜたソースを少しだけ振りかけると良い。そうすると工場の食事もナカナカ行けるではないかと思える。夕刻、社長と一緒にフィリピンの鍋料理の店に行く。この国は日本人を見るとシャチョさんだが、一緒に行った人は本モノのシャチョさんだ。フィリピンのなべは、鳥ガラの出汁に、まずしいたけや海老をいれていただく。次に豚肉をしゃぶしゃぶのようにしていただく。更にレタスもこのなべに入れていただく。ソースは、今日の工場で使ったのと同じで、醤油に唐辛子、それに生姜とニンニクを刻んだものをいれて好みの味にする。最後の仕上げは、焼き飯。こちらではフライドライスと呼ぶ。なかなか満腹の食事でした。ここから歩いて5分くらいのところにホテルがあるが、やはり車で送ってもらう。親切ではなく危険なためだ。今日は疲れたのでジムは無し、風呂に入って早々に寝る。
<この写真の真ん中に私がいる>

4月6日(水曜日)
フィリピン
関空発のフィリピン航空はいきなりフィリピン人ばかりで占められた。人相も相当悪い。前にタイ航空でフィリピンに向かったときには感じなかった人種が多い。フィリピン人妻の里帰りは共通だけれども。この日本人妻は大体が同じような顔つき。僕が現地で接するような色白のフィリピン美人とは少し違う人種のようだ。3時間半でマニラに着く。ここに到着していきなり問題発生。迎えのホテルタクシーがいないのだ。空港から出るのは少々危険だが、あちこち歩いてみたが分からない。聞くしかない。出来るだけ信用できそうなガードマンに尋ねた。すると、インフォメーションに行けと言う。そしてインフォメーションで尋ねると、関係の無いホテルマンを紹介してくれた。その関係のないホテルマンが同業者である、僕の宿泊するホテルの従業員を探し出してくれた。なんとも長い話だが、とりあえず問題解決。この国は危ないから、少しでも気を抜くととんでもない事になる。旨くいってよかった。やっと乗ったホテルタクシーに行き先を告げる。分かっていても確認のために言うことが大切だ。英語の仕組みとはこのようにしつこいほど同じことを言うのだ。この運転手さんは好感の持てる人で、混雑の無い道を選んでくれ、30分でホテルに到着してしまった。拾う神もありなのだ。チェックインをするといきなり電話があり、迎えが来ていると言う。急いで支度をして面会。これから店周りをすると言う。と言うことであわただしく出発。この国のわが社は日本人が少ないので、こうした仕事は全て現地人の対応だ。慣れない英語を駆使してコミュニケーション。仕事以外にも積極的に話さないとお互いの理解が進まない。向こうも余り英語を理解しない僕にも積極的に応じてくれる。遠慮をしてはだめだと思う。夕刻8時前に解散それから、夕食。ホテルレストランは高価だが、この国の危険度を考えるとホテルディナーがベター。昔会話が出来なくて、怖かったホテルの食事も今では慣れてしまった。自分の好きなものを好きなように調理してもらっていただくことが出来るようになった。それは良いことだが、別の問題が発生する。今度は食いすぎることだ。そこで、このホテルにあるジムで30分だけ自転車を漕ぐ。軽く汗ばむ程度だが、幾分腹が楽になった。こうして移動日の一日が終わった。
<ホテルの夕食 約3,000円>


4月5日(火曜日)
法律は間違ってないのだが
とうとう核の原液を海に垂れ流しを始めた。大量の水を投入するのだから、当然その水の行く末は気になる所であるが、今までは一切触れず、海洋汚染が見つかってから、水が流れ出しているようだと報道された。なんともお粗末な話。そして、今度は公式に海に水を投棄し始めた。すると、韓国やロシアが由々しき問題だ、何で前もって知らせてくれないのか?と不満をあらわにした。すると、日本政府は「法律に照らし合わせて間違ってない」と答えた。それは無いだろう。彼らは日本の救済のために人も派遣した。募金活動もしている。彼らは法律に照らし合わせて支援したのではないのだ。助けたい気持ちからである。なのに、それを木で鼻をくくったような返事とは、日本の品位をますます低下させる。それならもう支援はしないよ。と言う声が聞こえてきそうである。それにこんなことも日経新聞にあった。アメリカから99億ドルの支援があったが、台湾は経済が小さいのに100億円も支援があったと。金額でランク付けをしようとしている。こんな記事を書くのは日本の品位をそこなう。新聞社は相当優秀な人材を採用しているが、マネジメントがぬるま湯なので、こうした記事を許せる社風ができあがる。そうして、日本はますます悪いほうに傾いてゆくと思う。政府は今こそ、TTPを急ぎ、企業の海外進出を食い止めるべきだが、それも保留すると言う。そうして企業は停電を理由に海外シフトする。素人政府だから何も分からない。なにもできない。こうなると生きてゆく信条は、「誰も信用しない」。「自分は自分で守る」。ですね。そうして更に悪くなるのは見えている。まるで今度行くフィリピンみたいに。

4月4日(月曜日)
落ち着かない日々
先週は浮き足立っている感じだった。風邪薬の服用で頭がぼやっとして、休養の為の休暇も無かった。その上2回も送別会があり遅くまで酒を飲んだ。そして、やっと昨日の休暇で元の調子を取り戻した。とは言え、まもなくフィリピンに行きに向けてのあわただしい準備を終えなければならないのは今日が刻限だ。何度も現地社員と連絡を取り合うが、なかなか結論が見えてこない。どうしてこうも回りくどいやり取りを何度もしなければならないのだろうか?たとえばこんな感じなのだ。今回は2人で訪問する約束をしてたが、一人が行けなくなった。それで、「私だけが行くことになるがスケジュールは変更しないよ」、と。すると、こんな返事が来た。「二人が来られないなら、日程を変更すべきか?」と聞いてくる。先に送った私のメールは何だったのか?もう一度、同じ文面を送る。そうすると、「もう一人はこられないので、貴方だけが来るのか?」と問い合わせが来た。「最初からそう言っているじゃないか」。なんともストレスの溜まる会話だ。文章にしてさえこれだから、会話では一体どうなるだろう?心に波風立たないわけがない。と問題を他責にしていると、何と今日のラジオ英会話「基礎英語3」の文中にこんな会話を掲載している。アルチメットと呼ばれるアメリカのスポーツがあるが、コレを見た日本人は、「フライングディスクを使うんだね」と、会話する。それを受けたアメリカ人。「これはバスケットボールに似たものだが、我々はフライングディスクを使う」。と受けている。???この会話で疑問がわくのは、最初に日本人が指摘したポイントについて、アメリカ人は全く無視している返事ではないか。ふむふむ、コレが英語流と言うことなのか。僕の頭の構造は、会話と言うものは、階段を一歩上がれば、それをベースに次の一歩があるとの考えに立っている。英語は階段を登らずに会話して、やっとこさ次の一段が出てくる。いくら英語を勉強して単語や文法を覚えても、僕はこの考え方の構造を変えることは出来ないのだ。日本語と言う合理的な構造が立ちふさがるからだ。

4月2日(土曜日)
イオンモール


こんなに近くに大きな店があるとは知らなかった。行くと開放感のある吹き抜けの周りに様々な店が並んでいる。昔のアーケードのある商店街を一つの建物に収容したみたいだ。これは快適で買い物が楽しくなる。本格的な本屋とCDショップもあった。ここに来た目的はキタムラでフォトブックを作成するためだ。メールで送ってもらった写真をフォトブックにしてプレゼントすると喜ばれるからだ。今回フィリピンに行くのでお土産だ。
<咲くやこの花館では、「ひすいかずら」が満開を迎えていた>

4月1日(金曜日)


瞬く間の一週間だったが、来週の出張に向けて、この週で何も来週の準備が出来なかった。あと2日しかない。薬の所為なのか、それとも酒の所為なのか、頭がぼんやりとしているので、資料作りも進展がないと言うのもある。この一週間でいつの間にかコブシが咲き散り始めている。

3月31日(木曜日)



来週は又出かけるので忙しい。他の人は決算で忙しい。そんな中、職場の幹部が去るので送別会をすると言うのだ。震災の影響で自粛しろと世間は言う。それよりも何よりもこの一番忙しいときに時間を拘束するというのは。今から20年ほど前まで続いた習慣が脈々と生きていますね。でも、それに従うと言うのも情けない話ですが。
<毎日見事な夕陽が眺められる>

3月30日(水曜日)
寝ても寝ても疲れは取れない。今朝もだるくて、もう一度朝寝をして午後から出勤。風邪の症状は変わらず。病院の薬は効果がない。体の中から菌が抜けるまで待たなければならない。

3月29日(火曜日)
鶴の機織り
自分の身を削って仕事をしているような気がしている。まるで鶴の機織りだ。体にダメージがあることを自覚している。そしていたたまれなくなり今日はダウン。布団の中でどんどん眠れる。眠るとリセットができた若い頃と比べると、疲れはゆっくり熟成して取り除く事しかできない。目覚めると、録画しておいたNHKの名峰を訪ねる番組。いつのまにか山登りのように、ゆっくりゆっくり一歩ずつ、そんな生き方や物語が好きになっている。そしてまた寝る

3月28日(月曜日)
風邪がひどくなる


疲れていたせいか朝8時まで寝てしまった。8時半出発。自転車だと15分で会社に到着するからこの住まいは楽だ。でも頭がぼやっとしている。それでも会社に向かったのは、今日スリランカへ誘ってくれたセールスマンがベトナムに転勤するので、その送別会が開催されるからだ。もうへとへとで参加したくはないが義理は欠かせない。今回の出張は3週間も休み無く仕事をして、しかも過酷なインドの旅をしてきたのだ。体に無理が行かないわけがない。この風邪は当分続くだろう。送別会は10時過ぎに解散。やれやれ。

3月27日(日曜日)
朝5時半寝ているともうすぐ到着のアナウンス。少し眠ることが出来たので体が楽だ。到着後の選択はマッサージかラウンジか。今回は疲れが少ないのでラウンジへ。シュウマイを肴にビールで無事インドからの脱出に祝杯を上げた。あの厭なインドから離れるコトが出来たのだ。ここで、メールやこの文章を書きながら4時間ほど過ごした。新聞によると原発の海洋汚染の記事を見た。ここでも片手落ちの表記。30km離れた海洋では魚に汚染は無いと言う。回遊する魚君達は、原発の近くは汚染しているのでその近辺には近寄らないというのだろうか。私は、汚染している海水の近くを回遊する魚がいたとすれば、その魚は汚染されていると思うのであるが。もう一つ新聞で触れられてないのは、累計の汚染濃度。もう1時間当たりことを書いても仕方ない。核物質を垂れ流しているのだから、その累計濃度が必要だと思うのだ。住民は絶えず移動しているわけではないのだ。アメリカや他の国が採用する80km非難圏と言うのは、そんな意味も含めて非常に説得ある話だが、日本のマスコミはこぞってこの件にも触れないままである。戦時中と同じ情報統制がしかれているのだ。政治家が現地視察しないモノその理由。だれだって放射能にサラされたくはないのだ。11時出発の便で関空に向かう。関空の南海電車のキップ売りの駅員はどえらい横柄。今日は南海電車にのるのは止めてJRで京橋へ。京橋の丸福さんで、キュウリを穴子の酢モミを食べながら一献。やっぱり日本の料理は旨い。ネパールで炭を焼く番組を見ながら酒を飲んだ。ネパールの普通の人は英語を話さないので、意志は通じにくいが、番組は結構感動的な締めくくりをしていた。

3月26日(土曜日)
今日は仕事。トレーニングの仕上げとしてロールプレイングを行ったのですが、いやぁ、よくしゃべる。彼らの話を聞いていると、インド人とは交渉をしたくないと思いますね。話の結論が見えてこない上に、同じ話を繰り返して確認しあう。たとえば「コレはりんごです」と一方の人が言うと、それを聞いた人は「貴方は、コレをリンゴだと言ったのか」、そして「そうだこれはリンゴだ」ともう一度言う、分かった「それはリンゴだ」と相手方は繰り返す。本当はもっと頻繁にこのようなことが繰り返されているので厭になるのだ。また、回りくどい表現もするようだが、今回はそこまで聞き取れなかった。もう一つは、普段使わないような単語も頻繁に使われるようだ。これも僕では聞き取れないが、みんなの話では多分イギリスの影響だろうという。たとえば日本語で帰る時「失礼します」と言うが、これを「御無礼仕ります」と言うようなものだ。もうインドは厭です、早く逃げ出したい。仕事が終わると早速空港に向かった。ところが、デリー空港は出来たばかりで綺麗な空港になったのに、チェックインカウンターが搭乗3時間前出なければ開かないという。これじゃスリランカとおんなじじゃないか。仕方なく、ロビーの角にあるコーヒーショップで同行のシンガポール人と過ごす。かれはラウンジの利用権利を持ってないので、僕と一緒にチェックインしてラウンジに向かうほうが得策なのだ。約2時間この狭いコーヒーショップでよもや話をした。かれは日本語を話すので全くストレスが無い。しかもシンガポール人にありがちな一方的にガンガンと追求してくる話し方をしないので、友人でいられるのだ。そして中国語、英語が使えるので、そばにいると何かと重宝なのだ。時間が来て、チェックイン。共通ラウンジで時間まで過ごす。簡単な空港の地図がある、何度見てもこの地図は読めない。それは、現在場所の表示がないからだ。これがインド人の仕事である。僕は、ここで荷物を抱えて一眠り。午後1時のバンコク行きの便に向かった。空港係員が僕のチケットを見て搭乗口が変わったと言ってくれた。耳を澄ますと管内放送も盛んにそのことを言っていた。2年前の最初のインド行きでは、行き先の案内はちんぷんかんぷんだったが、今では聞き分けることが出来るようになっている。飛行機は3人がけのシートに僕だけで、横になって寝ることが出来た。これは風邪気味の僕にとっては朗報だ。横になることが出来ればビジネスクラスと同じ位楽なのだ。
<宿泊しているホテルのドアマンと>

3月25日(金曜日)
朝食を取っていると、大勢のビジネスマンと出合った。なぜだか彼らは浮き浮きしているように感じる。そうか、今日は金曜日なのか。僕は今日から仕事が始まるのだ。昨日入って来た仲間とホテルのロビーで落ち会って事務所に向かう。車の中でシンガポールからきた、仲間はインドの税関で賄賂を要求され、大勢の人に取り囲まれ400ドルを払い、更にはジョニ黒二本を買わされたと聞く。インドは本当に最低の国です。この国には何があっても個人的には行きたくないし、そして個人的にはインド人のために何もしたくは無い気持です。事務所はでっかい建物に、それに負けないような大きな看板がかかっている。こういう押し出しはインドの場合は必要なのだ。長いイギリスの統治国だったので、インド人は権威には弱いのだ。仕事をしているとだんだんと寒気がしてきて、のどが痛くなり、完全に風邪の様相を呈してきた。昼飯のたまねぎとソーセージ炒めのカレー風ランチを食べる頃には、もう元気が完全に失せていた。声を出すとのどが痛むのだが、これから話をしなければならない。困った。ほうほうの態で仕事を終えたのが午後8時。それからホテルで仲間と食事をして開放されたのが10時。部屋の中で、放り出しておいた下着、(これは100円ショップで購入して、毎日履き捨てしているのです。それをたまたま3日分貯めておいたのですが)これを、ルームキーパーさんが丁寧にもたたんでくれてました。一つは、人の下着を良く触れるねと言う感想。もう一つはそこまでサービスするのは、マニュアルだろうか?それとも自発なのか?インド人は自発性はほとんど無いと思うのですが。とにかくインドに来ると僕らの常識と違うことをするので、こんがらがるのです。

3月24日(木曜日)
9時半にホテル前で車に拾われ、インド門に向かう。今日は会社の車を運転手つきで半日借用できたのだ。運転手はデーパさん。途中で有名な建物や場所の説明を受ける。中でもナンシー・ガンジーの住居だと説明を受けた1画は車でしばらく走っても敷地の終わりが見えないほどの大きさだった。デリーは汚い街だが、このインド門に通じる一角は都市だとは感じさせない清閑な地区だった。相当広いエリアである。そして、インド門。大きな建造門だ。コレを見ると、インドと言う国がかなり真剣に国づくりをしているというのを感じる。ただの門なので、どうと言うことは無いのですが。それでも、ムンバイのインド門も見たし、これで2つの門を見たことになる。写真を撮影している父子がいたので、撮影してあげると、今度はこの親父はこの娘と一緒に撮影しろと言う。そして娘の肩を抱けというのだ。そして一枚。僕のカメラでも一枚。出来合いのパフォーマンスだが、記念にはなる。帰りには又違うルートをこの運転手さんは通ってくれて、案内を受けた。なぜだか言葉が通じたのだ。言語の理解に日によって山谷があるようだ。帰り道の道中にある、アンビエンスショッピングモールに立ち寄り、DVDを買う。インドの音楽は割と好きだから機会があれば買うようにしている。BDの価格も低下しているので、BDを買おうとしたのだが、店員の勧めでDVDのダンスミュージックを買う。その後ホテルに帰り写真の整理とプリント。冷房をがんがんに効かして作業をしていたら、どうやら風邪を引いてしまったようだ。少し外に出て温まろう、そして食事だ。今回は昨日のマクドのとなりにある、中華レストラン。ここは絶品だ。店員のサービスもよく食事も旨かった。全部は食べ切れなかったが満足。帰り道で昨日の女の子に付きまとわれたが、逃げてホテルに入った。こうした物乞いはホテルの敷地には入れないので逃げるのが一番だ。夕食は昨日と同ように取らず就寝。

3月23日(水曜日)
昨晩は遅かったが、今朝は6時前に起きて出発の準備を行い、7時の空港雪のリムジンバスに乗った。飛行機は9時出発だからぎりぎりの時間だが、この国の出国手続きは割りとスムーズであるとこのことで、この時間に出発してもかまわないようだ。荷物の超過で余計な料金を徴収されたが、これは何度も経験があり、問題なく処理できた。飛行機はインドの飛行機で「ジェットエア」便。出発カウンターに向かうのにいくつもの関所があり、最終はカバンを開けてチェックするという念の入ったもの。ところが僕の荷物はAVC関連機器なので、何のことか良く分からないらしく、簡単にパス。食べ物や、化粧品など分かりやすいものを持っている他の客は念入りにチェックされ、没収もされていた。特に助成の化粧品は興味があるようで、一点一点チェックするは、女の検査官だ。飛行時間は3時間、結構な高度に上がり、そこで食事が出てくる。ベジタリアン食を注文する。これが、見た目にはひどいが割りとおいしいのだ。そして今回のみ窓際の席を予約されていて、外を見ると、昨年近くまで行って見てきたヒマラヤ山脈が常に右手に見えた。それはデリーに向かって高度を下げるまで見えた。昔々、インドが未だ発展してなく、空気が澄んでいた頃は、このあたりでも平地からヒマラヤが見えて事だろう。デリーの空港で荷物検査にひっかかりカバンを開くようにいわれた。荷物を見せていると、きたない汚れたように見える真っ黒い手で衣類を触られるのは非常に気持ちが悪かった。インド人時は黒いから、例え手を洗っていたとしても汚い感じがする。不潔な感じだ。そこは無事に通過したが、今度は出口で、入国審査の半券を受け取るところで、カメラを持っていると罰金が必要だという。おいおいコレは前にも経験したぞ。今回は徹底的に戦おうと思っていたが、古いカメラだと言うと割りと簡単に開放してくれた。インド人は汚い手と、汚い心を持っている人がいるので要注意だ。インドでは一事が万事信用できないのだ。今度は迎えの車、この若者は非常に親切。しかし、先ほどの事があるので、この若者にも腹を立ててしまった。ホテルのチェックインも非常に親切。チェックインの後、少し遠くに見えるマクドナルドまで徒歩で向かった。真夏の太陽がさんさんと照りつける明るさだから問題ないだろうとの判断。スパイシーチキンマックは、日本で言うところの、ビックマックの牛肉がチキンに変わったもの。セットで135ルピー(270円)日本は730円程度だから、物価は1/3程度と見てよいかも知れない。味は看板のごとく結構スパイシーだった。次に向かったのは、スーパーマーケット。晩飯のバナナと牛乳を買うためだ。残念ながら、牛乳は売ってなかった。バナナは8房で50円だった。物乞いの女の子が何人も寄ってきた。顔を見ると本当に貧相な顔つきだ。これでは、写真を撮る気にもなれないので、無視してホテルに戻った。その後、メールやレポートなどで深夜まで費やされる。ホテルは計画停電らしく何度か灯が消える。停電は先週から慣れているので驚くことは無い。

3月22日(火曜日)


この日はイベントが開催される。その準備と、イベント対応だ。他の国の準備と比べて、この国のイベント屋さんが行う仕事は速く、僕達の仕事は比較的楽なものだった。僕は何でも知っていると現地の人に思われているようで、途中で温水シャワーの取り付けの手伝いがやってきた。現地の工事業者と僕との会話は通じなく身振りで行うが、結構通じている。それも無事準備も完了したところで着替えをして、イベントに臨んだ。美人女性スタッフを数十人も雇っていたので、開催直前に一人ずつ写真を撮影した。美人を撮影するのは楽しい。今回はそのうちの一人に簡単な仕事の依頼をした。いつの間にか、十分ではないが話が出来るようになっていた。後1年もすればもう少し長い会話が出来るようになるのではないかなぁ。ディナーは一人5,000ダッカ(日本円で6,000円程度)の内容だ。こちらの庶民の一月の食費代に相当する。それなのに昨晩の中華料理よりも味は落ちる。ディナーの間に民族舞踊があった。スリランカ、カンボジアとこの種の踊りを撮影したが、似たような雰囲気がある。特筆すべきはMCの女性が非常に綺麗だったこと。まるでモデルさんだ。ちょっとそこらあたりには転がってないほどの玉だ。バングラは美人が少ないが、これは格別だった。午後11時まで仕事をして12時就寝。

3月21日(月曜日)
今日は、明日のイベントの打ち合わせ。先方の社長とその父である会長は、ものすごく格好が良い。マランさんと言う。まるで映画ゴットファーザーをみているようだ。そして、マーロン・ブランド同じような貫禄のあるしぐさをする。サインでも貰おうかと思った次第だ。社長のほうも格好が良い、まるでアル・パチィーノだ。彼は航空宇宙学を学んだ博士であり、父の要請でビジネスの世界に移るとすぐさまMBAを取得したという。みるからに頭のよさそうな顔をしている。インド系の人種には、たまにこのような、ずば抜けて優れた人がいる。競争してもかないっこないと初めからあきらめられるようなすごさなのだ。しかし、こちらの営業担当に言わせば、日本人のように余り仕事をしないと言う。僕はそうでは無くて、彼らとは時間の観念が違うのではないか。直接商売をしてないから分からないが。それと、外国はおおむね同じような傾向があるが、自分の仕事の範疇がはっきりしており、その間を取り持つような仕事をする仕組みは国民感情としても無い。それが、ビジネスを展開するに於いて、抜けが生じ(日本人からみたら)思わぬ落とし穴が発生したりするのだ。しかし、他社へ移るには都合が良い。今日は早めに切り上げて、スタジアムの隣にある衣類の店に行き、前回買ったと同じようなショールを買った。とても一人で訪れることの出来ない場所(店)だ。そして、日本人ではタフなネゴもできない。一緒に言ってもらった現地の人に交渉をお願いした。僕はその分写真を撮りまくった。ホテルに帰った。夕食はこちらの人と一緒にいただくというのだ。再び車に乗って30分。多分京橋〜天満くらいの距離なのだが、交通停滞でコレだけ要するのだ。行った店は中華料理の店。きちんとした格式のある店だ。イスラムは酒を飲む習慣が無いので、ビールを注文すると、店員が走って外の店に買いに行くと言うスタイル。ビールはチンタオビール。中国人は嫌いだからビールもまずい感じ。一方料理はすごくおいしかった。食事の合い間に現地人にリキシャについて聞くと一回の乗車は10(12円)ダッカとのこと。しかし、日本人ではきっとぼられると言う。僕は後ろには乗らなくても良いので、前でペダルを漕ぎたいと言った。会社の車が併走するので、チャレンジすればよいとアドバイスされた。いつか実現してやろう。この食事はインド人も一緒だった。インド人が中華料理を食べるのは不思議な感じがした。楽しい夕食は先方側の支払いだったが、約5,000ダッカ。7名の料金だ。日本円に変換すると1000円位。外国のお客様の食事の招待をするのに、餃子の王将へ連れて行ったような料金だった。

3月20日(日曜日)
今日は僕の仕事の目的であるセミナー。会場は別の場所で、車での移動はものすごく時間がかかり会場に着いた頃にはぐったりしていた。そこは、何だが場末のホテルと言う感じで、ロビーは倉庫のような感じだ。5階までのエレベーターは3分くらいかかるようなのろまで、歩いたほうが早いような感じ。そして外を見下ろすとスタジアムが見えた。前回ここに来たことがあるぞ。全く違ったところに来たと思っていたがそうではなかった訳だ。ここで、午後5時まで仕事。今回は日本人による通訳が居るので安心だ。だが、立ちっぱなし話しっぱなしの6時間は結構つらいものがある。途中で飲み水も無くなったが、ここで水を飲めば晩飯のビールが旨くないのでぐっと我慢。帰りの交通はもっとひどくて2時間を要した。極致の疲れとのどの渇き。もう一人の日本人女性とホテルで合流して夕食。この女性とはあちこちのイベントで一緒に仕事をしている。酒も強いし性格も強いご年配の「美人」だ。昨日と同じ、イタリアレストラン。ところが旨いはずのビールだが、余り旨くないのは、のども渇き疲れてもいるが、余り体を動かしてないせいかもしれない。この日はなにもせずに寝てしまった。
<昼飯、1/5くらいを頂いた>

3月19日(土曜日)
東京の仲間からメールが届いていた。3連休何をして過ごそうかな?そうだ、日本は3連休なのだ。当方は結構緊張して過ごしているというのに。言葉が通じない国で過ごすには聞き耳を立てないと英語が聞き取れないからだ。初心者マークをつけるので、僕だけには明瞭な英語をしゃべって欲しいのだが、そうはいかない、早口の英語でまくし立てるのだ。今回はタイ出国税を払う経験をした。ちょっと分かりにくかったが、何とかパス。これで大体空港で発生するトラブルは経験したぞ。出発までいつものようにラウンジで過ごす。TG321便バングラディッシュ行きは1Cゲートから出発する。このゲートをくぐるともうインドの臭いなのだ。世界はインドとアラブは違うと区分けしているが、僕に言わせは、アラブとインド経済圏(インド、バングラ、スリランカ)は同じ区分が似合う。そこから東は中華圏だ。この分類は経済とか人種ではなく、臭いによる分類だ。と言うことで、ものすごい体臭の集団と一緒に飛行機に乗り込む。一緒にいるとにおいも慣れてくるから不思議だ。3時間程度なので、PCを開いて事務を行っていると、疲れた頃に到着した。入国審査のおじさんも結構ソフトで、津波のことを聞かれるなど問題なく通過。通常こうした施設で他の話題が出れば問題なく通過できることとなる。ここから仲間と合流し、不安なくホテルに到着する。午後2時チェックイン。午後7時の夕食の時間まで、更に事務作業を続けた。今回は前にも書いたが、資料が未完成のままなので、道中のちょっとした時間も貴重なのだ。夕食はイタリアレストラン。スープと、パスタと、ピザを3人でシェアした。なかなかおいしくて食べ過ぎた。
<バンクラ 5つ星ホテルでイタリア料理を頂く>

3月18日(金曜日)
家を出てから気が付いた、玄関のドアをきちんと閉めたのだろうか?再びマンションに戻り確認。この頃何かをしている時に上の空みたいなことがある。それでさっきまで使っていたものを探し回るようなことがあるのだ。自分はまだまだ上昇できると本を読んで勉強しようとしている、その傍らで、どんどんと昔取った杵柄がこぼれていく。そして最近はこぼれているのが多くなったような気がする。関空空港はものすごい人でごった返していた。チェックインカウンターの人に聞くと外国人の出国のためだと言う。放射能が400マイクロシーベルも出ているのに、政府もマスコミも平気で安全と言い切る日本の対応に自衛手段をとったようだ。放射能が漏れ始めてもう5日くらい経過している。累計の放射線量は相当な量に達していると思うがそれは報道されない。マスコミは常に一時間あたりの被爆量が、平常と比べてどうかだけでは不十分だと思うのだ。10マイクロシーベル×5日間=1200マイクロシーベルなのだ。その十分の一でも相当な被爆なのだ。おそらく茨城県の一部の人は100シーベルを越した被爆をしているはずだ。今日はバンコクで一泊。今回は空港で自分で予約したタクシーに乗る。僕の重い荷物を運転手は一人で持った。僕が手伝おうとすると必要ない、彼は元キックボクサーだからと、タクシーの手配師が言った。なるほど、やせてはいるが筋肉質だ。その後、高速道を通らないで普通の道を選択した、ちょっと怖かったが、その後、高速道路と併走する道に出て、彼曰く、ショートカット。隣の高速道路はものすごい混雑だった。彼のおかげで30分少々でホテル到着だ。チップを1ドルはずんだ。円高で1ドル82円になっている。ホテルでチェックインをするとき、貴方の家族は安全か?と聞かれた。少し詳細をお伝えしたかったが、そこまでの英語力が未だ無い。運動を兼ねて、少し離れたカルフール(スーパーマーケット)まで行くことにした。ホテルの前の公園では何か祭事をやっていた。覗いてみると、Food Farを行っていた。これは近隣のホテルや、レストランがこちらに屋台のカタチで出展して食べ物を提供していた。値段が高いのが特徴です。外国人が対象のような感じでした。そして、その前の道路では日常から商売している屋台のおっちゃんやおばさんが相も変わらず商売をしている。コレはフードフェアとは関係ない。こちらはタイ人が対象です、が衛生上は少々危ない。そこで、僕としては、安価で衛生上安全なカルフールのフードコートに行くことにしたのだ。徒歩で30分くらいかかるが、いい運動だ。フードコートでは写真を見てある程度の見当をつけて並んで、前の人が買ったのと同じものを注文する。もちろん言葉は無理だが、大体の身振りで分かる。お金は、あらかじめ専用カードにお金を振り込んでおいて、レジでそのカードを渡すと、チャージした金額から引き落としができる。最初はインスタント麺をゆでた焼きそばのようなもの。辛いが少しすっぱい味。次はベトナムのホー風の麺。魚のすり身が浮かんでいる。これには、前のタイ人がやったのと同じように唐辛子をかけたら火を噴くような辛さになった。ペットボトルの水1リットルで内臓を洗浄した。
<これは旨そうタイの屋台>

3月17日(木曜日)
今日も雪が舞っている。高槻から京都方面を見ると、向こうは真っ黒だ。ここは曇っているが視界は良好だ。一方西の明石方面は太陽が出ている。ちょっとおかしい雪の降り方だ。地球温暖化で地球は人類に対して鉄槌を下しているのだろうか。出張の準備に追われてばたばたしているうちに今日も時間が来てしまった。こういう時、昔はとにかく完成を目指したが、今は時間が来れば仕事を終了する。出来ない分は仕方ないとあきらめている。出張するまでにその資料が出来てないと言うのは前代未聞だが。理由はある。新製品が手に入るのと、出張の期間が余りにも短いためだ。出張道中の余った時間を利用して作成を進めるとするか。寒い部屋に帰り、焼き飯を作った。今週初めに買った豚肉が少し残っていたので、それをベースに、高知のねぎとピーマン、それに中国のにんにくを入れて炒めた。少量量が多かったが、これから約2時間、荷造りがあるから腹も減るだろう。午後10時過ぎに完成、風呂に入りながら久しぶりに本を開いた、しかし、文字に集中できない。地震以降どうも精神が不安定期を迎えたようだ。
<OBPで見事な夕陽>

3月16日(水曜日)
新製品のカメラ8台を借りて撮影に出かけた。あいにくと途中で雪が降ってきた。何ということだ。天候も異常である。デジタルカメラは毎年進化するが、その進化の中で僕にとっては好ましくない進化もある。それは自動ISOだ。カメラのデジタル処理技術が上がり、少々暗くとも、綺麗に撮影できるようになってきた。それで失敗写真を防ぐために、設計者はあらゆる機会で、幾分ISOが高めに撮影されるようにしている。これは初心者にとっては失敗の無い写真を撮影できるということで良いことだろう。それに、PCで見るには、余りノイズは関係の無い。夕刻一緒に仕事をしているシンガポール人が尋ねてきた。彼は地震の事に大変興味を持っていたので津波について少し教訓を伝えてあげた。彼からはアジアの人々は原発事故の関係から、本国に一時避難しているそうだ。日本は危険だという指示らしい。もう一つは、静岡の地震のことだ。新たな地震が別の地区に移ってきているのではないかと考えているようだ。日本政府の関心は原発一本槍だが、視野を広げて東海沖地震についても言及して、備えの用心を喚起すればどうかと思う。ウラン棒の冷却に放水車で冷やすとか、ヘリから霧を撒くとか、後手後手に回る対策をしているように見える。政府は先見の明で先手先手に手をうっていかねばならないのだが。それを聞く耳は無いらしい。


3月15日(火曜日)
海外からのお見舞い
僕は営業でないので、海外取引先との結びつきは少ないが、そこは日本で仲間に対する接し方と同じ事をしてたら、結構親しい人も出来てくる。そうして、お見舞いのメールが届くことになる。インドの販売店からのメールは、知人に野村證券の人がいるので調べて欲しいと、お見舞いのメールに追加されたあつかましい依頼。ホントこのインド人には反吐が出そう。今度行くバングラディシュからは、クリケットの試合を見るのに忙しくて、お見舞いのメールを出すのが遅れたが大丈夫か?と。これは素直でよろしい。日本では余り感じないが、南半球の国々ではクリケットとサッカーは一大イベントであります。そしてどのTVでもシーズンになると、どのチャンネルもこの放送一色となるのです。どちらのスポーツもファンが熱狂するという点では同じ。フィリピンからは、花火の写真が添えてあった。僕にとっては意味不明だが、現地人にとっては何か意味があるだろう。インドネシアからは陽気なお見舞いだ。スリランカからは、心から痛みを感じると言う温まるメール。人間関係と言うのはやはり感情が優先するもんだなと思いましたね。被災を受けた人々は大変なご苦労をされていると思うが、避難所で新しく仲間が出来て人生観を変えた人が多くいるはずだ。そして孤立する人や要領よくする人いろんな人がいるだろうな。そんな心の変化を番組は報道して欲しい。災い転じて福となすような。そう言う事例は海外の人にも訴えられる。

3月14日(月曜日)
地震のTVを見続けてすっかり生活が変わってしまった。休日の読書も途絶えたままだし、ラジオ講座「基礎英語3」は徒歩通勤中に一話を(今では)簡単に覚えこむことが出来ていたが、今日は全く無理だった。と言うのも、原子力発電所への対応が余りにも幼稚すぎて、僕ならこうするというアイディアが次々と沸いてくるのだ。一度頭がそちらに向かうと、なかなか元に戻せず、僕にとって記憶する(英語を勉強する)というのは心が空っぽの状態でなければ難しいというのを認識した次第。一方自分でもすごいと思うことが一つ、それは先日ムービーを借りて撮影した。その映像をDVDに焼く作業のことだ。映像規格がPALだから、日本のPCソフトは使えないことが分かった。いくつか試すうちに、付属のソフトで、シンガポール仕様としてインストールすれば、このPAL映像の取り込みと編集が出来ることがわかった。そのトラブル対応の時間はおおよそ30分で解決したのだ。ずいぶんと昔、丸一日かけても出来なかったことを何度も経験した、そのノウハウが今頃になって生きていると思うと、その時間は無駄ではなかったのだ。人生において無駄なことってあるのだろうか?と思ってもみた次第。PCを使ってDVDディスクを作るというのは結構難しいことなんです。


3月13日(日曜日)
その後の顛末
金曜日の夕刻、東京に勤務の友人にメールを送ると、列車が動いてないので会社で泊まると連らくをもらった。そしたら、我が娘も東京にいるのではないか?どうしたんだろう?と言う疑問がわいてきた。自宅への電話は不通だし、娘の携帯電話番号は知らない。とりあえず自宅に帰るしかないな。と言うことで、徒歩で帰った。途中に大きな総合病院があり、ここの公衆電話で自宅に電話をかけると一発でつながった。それによると、娘も大学で一夜を明かすとの妻の話。一安心したので、田舎の父に、孫のことを心配していると行けないので電話を入れると、なんと地震の事を知らなかった。何ともハッピーな話ではないか。インドから時々メールが届く販売店があります。なかなか判読しにくい文章なので困っています。その店から、仕事とは関係のないメールが金曜の夕刻届きました。あなたと家族に被害はないか?と。インド人と仕事をするとムカムカしますが、こんな一面もあり、本当に「ようわからん」のです。インドプーネと呼ばれる片田舎でもこの情報が報じられてるのです。

3月12日(土曜日)
仮説と検証
TVを見る暇もなく急いで支度をして出かけた。岡山の合展の見学だ。インドを担当する若手社員が日本の販促をみたいと言うので案内をしたのだ。この出張にはほんの少しだけ情報を持っていれば鹿児島行き新幹線「さくら」に初乗車できたかも知れないのに残念。その新幹線よりも15分だけ早いのぞみに乗ってしまった。中庄の駅で仲間を待っている間に、駅前にある満開の梅を撮影した。やっと春らしい天気に恵まれ満開となった様子だった。用事を済ませて新大阪まで帰ってきた。昼食はこの駅にあるキリンビールのお店に行った。もちろん生ビールを飲むため。とにかくこの店のビールは旨い。この店はやみつきになりそうです。帰ってTVを点けると原発の問題がクローズアップされていた。13基もある非常用ディーゼルエンジンが全て作動しない。嘘やろうと思いましたがどうやら本当のよう。非常用電源は定期的に運転してシリンダーとピストンとの間の油膜がとぎれないようにしているはず(実際は停電など無いのでチェックしてなかったりして)。それに、非常用電源はエンジンばかりでなく、バッテリーもあるはず。ところが、どうやらこのバッテリーはないようだった。(日本は充電用電池の世界生産一位の国であるのですが)。安全であるはずの原発がなぜこのような事態に陥ったか。これには日本特有の思考回路の欠如が関係しているかも知れない。優秀な日本人がなぜ宇宙ロケットを最近まで打ち上げられなかったかと言う問題と軌を一にしていると思われる。それは仮説と検証と言う思考回路だ。日本人は論理的に積み上げて行くのは得意であるようだ。小説や論文の流れ、話し方、考え方など、起承転結とよく言いますが、このステップアップ型思考だ。一方欧米人は仮説と検証で、いくつものテーマがまとまって一つのテーマを織りなす。小説や論文を読むと、同じ事が何度も語られると錯覚するが、切り口が少し違うのだ。と言うことで元に戻るが、いろんな仮説を立てて安全対策を練る欧米方と、エンジンを作動する仕組みを一つずつつぶしていけば間違いはないだろうと設計する日本型の思考の違いが、このような安全機構に抜ができたのではないかと思うのである。日本語の会話に「もし」は少ないが英語にはifは多いのである。
<鹿児島行き「サクラ」>

3月11日(金曜日)
想定外
めまいがする。最近は膝の痛みや不整脈など調子が良くない。今朝の目覚めは良かったのにと思いながらPCを見つめていると、どうやら隣の女性も目まがいするという、そのうちにビルが揺れ出した。ゆっくりゆっくりと揺れるものだから地震とは気がつかなかった。立ち上がってその景色をビデオで撮影したが、まっすぐ立っていられず画面がぶれてしまった。この地震は大きいぞと思った。ネットで調べると宮城沖だと。あれ、それって先日のニュースだろう。日付をよく見ると本日付けだった。それから、しばらくすると大変なことになっているTV報道があってそれに見入った。まさに津波が街や車を飲み込もうとするシーンで、あれよあれよという間に、流されていった。波の速度はそんなに速いとは思えず、車ではなく走って逃げた方が得策だったかも知れないと見たが、とっさにその判断が出来たかどうか分からないです。帰りTVを点けると「想定外」と言う言葉が何度も使われることに気がついた。阪神大震災も新潟地震も、全て同じ表現だ。日本政府はこの地震研究に相当お金をつぎ込んでいるはず、それなのに想定外で許すのですか。
<近くの小学校は校庭に避難、建物の倒壊や津波など一番危ない事例>

3月10日(木曜日)
目が覚めた
インドの思想家でもあり作家でもあるラビ・バトラ氏の世界大恐慌を読んでいる。この本は経済の本であるにもかかわらず、心理学の本でもあって、人間とはどういう行動をするのかを歴史からひもといている。それによると、政治経済は、「武力」、「知識」、「富」によって左右されるが、この順番に繰り返していると言うのだ。そして、今の時代は「富」の時代と言われる。お金を持った人が政治を操り、経済を牛耳る。これは主にレバレッジによる投機のことを指摘している。しかし、この時代ももうそろそろ終焉が見えてきた。まずアメリカは「富」の時代を終えるようになるだろうと言う。そして、次には「武力」の時代がやってくる。つまり軍人が政治を司る時代がやってくる。じわじわとではなく、何かのきっかけで。そして日本は富の時代の中盤にある、つまり、経済の衰退期にある。まだ20−30年この時代が続き、その後「武力」の時代がやってくると言う。この本を読んでよく分かったのは、90年からずっと続く日本の不況はいつ脱出するのかと言った問題にやっと解がみつかったからだ。どんなに考えてもこの日本の閉塞を脱出する解が見つからないのは、まだまだ時代が変わらなければならないと言うことだったのだ。

3月9日(水曜日)
最期に
この2日間の料理の成功に気をよくして、今日はにんじんベースをベースにした料理に挑戦した。上に載せる具は、カレイとセロリと椎茸。ところがこれも旨くできてしまったのである。要は根菜類の野菜をベースに、少々のタンパク質、調味料はみりん、醤油、油で蒸す調理だ。短時間で出来て成功する確率が非常に高い。どうしてずっと昔に見たTVの料理番組を想い出したのか不明。僕の信用できなくなった脳は突然機能したりしなかったりする。

3月8日(火曜日)
それで、
昨日の料理に気をよくしたので、今度は大根を輪切りして、その上に豚バラを乗せ、少々の調味料を加え、フライパンに蓋をして10分間蒸す。いや、これもたまたま旨くいきました。少し大根が硬いがそんなの無理すれば食べられる。感激しながら食事を頂いた。料理のセンスが良いというか、なかなかのもんだと思いました。

3月7日(月曜日)
新製品
風邪でダウン寸前。それでも食欲あり。それで夕食に新メニューに挑戦した。蕪を輪切りにして、その上にサワラの切り身、蕪の葉っぱの部分を乗せて、少々の調味料を入れて、フライパンに蓋をして8分間蒸す。すると香ばしい匂いがしてきてなかなかの美味。これは、たまたまTVの料理番組で紹介してたのを想い出してトライした。一寸見ただけなのになかなか旨く料理が出来て、もしかしたら僕は料理の天才ではないかと?定年後は仲間を集めて酒を飲みながら料理を振る舞うなんてことを企画したい。

3月6日(日曜日)
今日もダウン
読みたい本はあれど体と頭動かず。最悪の日曜日。

3月5日(土曜日)
完全に風邪を引いてしまった
コーレルビデオスタジオX3は、MPEG4やMOTION JPEGの信号をAVCHDに変換できる。今週撮影してきたムービーの映像をこれを使って変換した。1本の編集に1時間ほど要する。デジカメでは動画の撮影出来るが、AVCHD以外の規格は私のように高性能なPCを使ってAVCHDに変換しないとハイビジョン画質で見ることが出来ないのだが、Canonやニコン、オリンパスのデジカメを買った人はどうされているのだろうか。鼻水がとどめもなく流れ出し午後の時間は寝ることに。夕刻起き出して、NHKのこれから始まる世界の名峰登山の予告編を見た。いつかは行きたいネパールのエベレストベースキャンプ。かつて少しだけ登ったことのあるアメリカのヨセミテの山など、心うきうきする番組だった。3月9日から放映が開始されるようだ。

3月4日(金曜日)
少々風邪気味だが
昨日の無理はきっちりと今日の風邪気味を引き起こした。そして、今日は寒い外での撮影と余りにも暑い植物園での撮影を行ったので拍車をかけたのだ。だがこれでひるむわけには行けない。夕刻は昔僕たちと一緒に仕事をしたメンバーが年一度の懇親会を開催するというのだ。もう利害の無い人ばかりであるが、なぜかこうした集まりは続いている。それには一つの共通したものをたまたま持っていたのだ。ビールが好き。それも異様な量を飲む。どのくらいかと言えば、従業員が一人僕たちの持ち場を離れることが出来ない程、ビールのお代わりが多いと言えば伝わるのだろうか。中ジョッキにすれば一人10杯位。と言うことで今回は新大阪にあるキリンビールのお店を訪問した。メンバーは7名。ところがこの店の料理がスゴイ。味と量は大食漢にもぴったり。ここはいい店だ。年一回だからいろいろと変化もある。中小企業診断士の資格を取得した人も居た。東欧中心にもう何度も訪問している人もいた。僕もネパールの遊覧飛行の話を披露した。

3月3日(木曜日)
春は近いのだが
午前中の時間だけ、ムービーの撮影に出かけた。風が吹き寒いと感じていたが、何とその中に雪が交じっているではないか。寒いわけだ。CMOSのイメージセンサーは、信号を順次取り出しするので、走っている電車を撮影すれば窓が菱形にゆがむ現象が見られる特徴がある。今もそうなのか?その実権をするために京阪電車を撮影したのだ。その結果、やはりゆがむ。基本的は構造が変わらない限りエレクトロニクスは進化するといえども、意外と置き去りにされた部分もあるのだと感じた。夕食はいつもの京橋食堂。食べ過ぎてしまい、寒い中を腹こなしに徒歩で帰った。




3月2日(水曜日)
山商
ずいぶんと昔のことだ。我々の職場は守口市から門真市に移った。営業職とはいえ、事務のために休日出勤も何度かあった。特に期末の決算の時などは、土曜日でも結構遅くまで仕事をしたもんだ。夜飯はともかく昼飯には困った。この辺りは倉庫か工場しかないので食べる事が出来ないのだ。そこで車で来ている人達に便乗してこの近辺でおいしい店に行くことになる。そして、この山商さんを知ったのだ。この店はうどん屋さんだ。うどん屋さんなのに1,000円を大きく上回る価格のうどんで勝負していたのだ。その店が、今日門真の事業場を訪問しての帰りに偶然に見つかり、懐かしさの余り訪ねてみた。店の作りは同じなのに雰囲気が違うのは、周りの道路事情によるもの。昔はこみ入った道を入っていったが、今は大きな道の角にあるからだ。この店はうどんの量を変えても値段は変わらない。それで2玉を注文したが、ぼくの体調が優れないためなのかうどんは美味しくなかった。店の奥さんに聞けば、店のレイアウトも変えてないし、味も昔のままだというのだが。今度はプールの帰りに寄ってみよう。水泳の後では何でも美味しくいただけるからだ。

3月1日(火曜日)
イーグルス
友人からメールがあり、コンサートに行こうと。月末と月初めは出張がないので一緒に行こうと返した。Eaglesは凄く想い出のあるアーティストだ。1976年全日本オーディオフェアが東京晴海会場で開催された。僕はその時試聴室で120万円のスピーカーと、260万円のアンプと、50万円のレコードプレーヤーと、6万円のピックアップで音楽を演奏する役目を仰せつかっていたのだ。この頃のオーディオの試聴と言えばJAZZかクラシックだった。客層を見ているとこの音楽に興味を持っている人は少なそうなので、翌日銀座の山野楽器へポップスを買いに行った。そこで目についたのがこのイーグルスのホテルカリフォルニアだ。この年以降オーディオフェアで各社がJAZZやクラシック一辺倒でなくなったのは僕の選曲した音楽の影響もあったかも知れない。この日のコンサートは京セラドームで開催された。ほぼ満員の状態で、チケットの価格から推測するのに彼等の取り分は2億円程度。3塁側の中間席で彼等は米粒のようにしか見えない。ギターの音でチューニングしたせいか、ボーカルの柔らかさは皆無で、綺麗なハーモニーは霧消してしまっていた。Hotel Californiaは3曲目にかかった。友人に言わせると未だ指が十分に動いてない時にこの演奏をするなんてもったいない。だが、僕はドンヘンリーの歌よりも、歌の間にあるギタープレイにすっかり酔ってしまった。レコードそっくりなのだ。途中15分の休憩を挟んで、延々3時間のボリュームたっぷりの演奏会だった。最期はTake it easy。これはほぼ予測がつきましたね。心斎橋の地下で今日の反省会を終電ぎりぎりまで開き解散した。

2月28日(月曜日)
タイ
東京で仕事をしているU氏と大阪で定年後の余生を送っているT氏から、タイへ行くぞとのメールが届いた。6月の予定。僕はどうしたものかと悩んでいる。と言うのは、溜まったマイレージを使って一人でニューヨークに行ってみたいからだ。ニューヨークに行って毎晩、ビレッジバンガードやブルーノート、バードランドなどのジャズクラブを練り歩きたいからだ。そして英語の実力も試したいからだ。ホテルや空港や飲食店の大体のやりとりはつかめてきたこともある。一方タイの方は、市内での訪問先はずいぶんとフォローしたのだが、郊外は未知である。地元の人の支援がある今回の旅行も魅力があるのだ。そしてとびっきりの美味しい食事が期待できる。


2月27日(日曜日)
息子が大学試験に落ちたという電話。1時間ほど話を聞いた。初志貫徹で再チャレンジだと言う。人生で挫折を経験するのは大事なことだからいい経験になると思う。しかし、問題は僕が支えきれるかどうかだ。定年後2年は何としてでもと考えていたが、更に1年延長となると、貯金が底をつくのだ。膝が痛くて昨日は病院に行った。ここ一ヶ月くらいは不整脈が出て妙に調子が悪い。上昇志向で頑張ってきたが、妙に頭の冴えがなくなりつつあり、もう上昇は無理ではないかと思える現象にいくつもぶつかる。と言うことで、僕自身が意欲と体のバランスが崩れ始めている時期にさしかかっているのだ。さぁ困ったことになった。自分の中で考えても堂々巡りに陥る。こんな時は映画を見るに限る。「アデル」を見た。内容は、インディーズ・ジョーンズの女性版て所。古代エジプトから死者を蘇らせる能力を持ったすでにミイラとなった医者を連れ帰る。一方ではエスペランジュー教授は、1億5000年前の恐竜の卵から「プテロダクティルス」という名前の恐竜を蘇らせる。この2つの組み合わせで、植物人間と化したアデルの妹を元の元気な姿にしようと言うのがアデルの考えで映画のストーリーである。とろこが主演のルイーズ・ブルゴワンの美形を見ていると、ストーリーの展開とは関係なく癒しになりますね。娯楽というのはこうでなくては。

2月26日(土曜日)
8時までぐっすりと眠ると昨日の疲れは取れたようだ。溜まった洗濯をして、録画した番組の編集をしていると、NHKの番組で文明が何故起こったのか、何故そこがメソポタミアなのかを特集した番組があった。それは、人類が生きることが出来る麦が存在したからと言う。そして人類が飼育できる家畜が居たという。人類が飼いならすことの出来る家畜は全世界で14種類。そのうちの13種類がヨーロッパに居たという。家畜と麦この2つの要素に車輪の発明が人類を繁栄させた。しかし、ローマの衰退や、マヤ文明の衰退、など、人類の衰退もあった。なぜ、人類や都市が死んだのか?と言う問題にも明確に答えていた。木の伐採で土地が荒れ食料が生産出来なくなったからだ。と言う。人類の繁栄も衰退もすべては植物の衰退にかかっていると言う。そして、今の環境破壊を見ると、おおよそ30年くらいの内に人類の衰退が見えてくるという。しかし温暖化の問題は、後進国と先進国の生活レベルが均一化するまで解決しないだろう。中国やインド、アフリカの人々が私たち欧米諸国と同じ生活レベルを望んでいるのだ。問題はそれまで地球が耐えられないことだ。僕はこの番組を見て、地球温暖化とかエコとか言うが、おおよそ50年くらいで人類は滅亡の危機に接し、ごく一部の人類だけが生き延びられるのか、もしくは滅亡するのかどちらかだろうと思った。僕は滅亡派だ。情報網が発達した未来では、唯一生き延びられる楽園があるとすれば、そこに人々は殺到するからだ。子供の時代まではまだ可能性があるが、孫の時代は内かも知れない。

2月25日(金曜日)
眠れない深夜便だと覚悟していたが、今回はぐっすりでは無いものの、コロンボ空港を飛び立ってからバンコクまでずっと寝てしまった。朝7時に到着して、すぐにタイ航空のEのコーナーにあるラウンジに向かった。ここは横になれるベッドがあるのだ。約3時間待ちの時間には、本場タイ式マッサージの選択もあるが、今回は寝ることに専念。午後9時まで横になった。少し眠れた。ラウンジで少しだけ食事を取って11時発の飛行機に乗った。機内で日本語のアナウンスが聞こえてくるとああ、日本に帰ってきたんだと思う。この飛行機の中でもずいぶん寝てしまった。すべては昨日のジムや水泳が効いているのだろう。約22時間の移動で帰ってきたが、今回その割には元気を維持している。やっと旅行慣れしてきたということだろうか。明日高知に帰らないかと友人からのお誘いがあったが、疲れているだろうからお断りしたが、今の元気度だったら、高知に帰れたかも知れない。関空には午後7時到着、プーんと海の匂いがしておだやかな寒さを感じた。今年の冬は2回の出張に助けられてあまり寒い経験をせずに終えそうだ。夕食は回転寿司のくら寿司。一人で食うわびしい食事を獲っている30代の男性2人に囲まれて。ビールを注文したがまずい味。体力は戻ったが未だ疲れは残っているようだ。

2月24日(木曜日)
今日は一般客へのイベント公開日である。その中でのトピックスは高校生の集団が僕達のブースにやってきた。そして彼らに取り囲まれてしまった。事の始めは彼らの写真を撮影しても良いか?と聞いたのだ。そして僕が彼らの写真を撮影した。すると、その中の一人の女の子がデジカメを持っていて、私を撮影して良いかと聞いた。もちろんYes。だが、たちまち男子生徒に囲まれてしまった。その写真を見ると、大男のなかにぽつんと小さな私が写っている。高校生と言っても彼らは180cm位ある大男なのだ。私はその写真を示して余りにも小さすぎる、と伝えると、今度はその中で一番小さな男を彼らは突き出して、彼と写真を撮影しろ、という。彼らは15人ぐらいのグループで、めいめいが勝手なことを大きな声で僕に伝えようとするが、ナカナカ聞き取りにくい。そうして次第に分かってきたのは、この中にはカップルがいるらしい。それで、僕は照れる二人を並ばせて写真を撮影させてもらった。なかなか楽しい。僕は彼らに日本語を教えて、大きな声で合唱させた。それをビデオに録画した。最後にFacebookはあるかと聞かれたので、僕のアドレスを教えてあげた。分かれるときにSee youと言ったので、僕も同じように言った。いつか会えるのだろうか。午後はホテルに帰り帰国の準備。同行の女性が肩こりが激しいというので、1時間ほどジムをご案内した。その後僕だけ30分ほど泳ぎ体をほぐした。夕食は午後8時、日本人だけが集まってホテルのレストランで。これは旨かった。旨かったが高かった。午後11時、空港に向けて出発。飛行機は2時20分の出発だ。
<仲良しの高校生カップル>

2月23日(水曜日)
朝5時に起きて、準備を整え、再び会場に向かう。ここでやっと僕らの作業が可能になる。徹夜組のメンバーと交代する。10時頃完成した。そしてホテルに帰り3時まで仮眠となる。だが、体はすぐに眠りにつくことができない。そんなに器用ではないのだ。うつらうつらの内に時間が来てしまい疲れは残ったままだ。午後3時半から、展示会のオープニングセレモニーが開催されるという。政府の要人も来るとの事で警備が厳しくなった。僕らの出品側としてVIP席が準備されていた。この会議の冒頭で副大統領が誰かの作成した原稿を読み上げたが、さすが政治家。非常にはっきりとした物言いで、分かりやすかった。そして次々登場する人たちは格が下がるにしたがってわかりにくい発声となっていった。会議の最後にはスリランカ独自の踊りが披露された。スリランカに昨年来て以来何度かイベントに参加して、その都度郷土の踊りを見て、都度録画をし、この国の伝統文化をあらかたビデオに一応納めた。今回登場した人たちは前回見たことのあるメンバーだった。この会議が終えると、立食パーティーのようなものが用意されていた。サンドイッチとサモサ(インドの揚げパン)春巻きのフライのようなもの。どれもあまりおいしくない。少しだけいただいた。再度会場に向かい、これらの来賓者が来るのに控えた。午後8時過ぎにこの会場を後にして、ホテルに帰った。夕食はホテルに隣接するショッピングモールの地下にあるフードコートでモンゴル風のフライドライスとチキン、オレンジジュースを500ルピーでいただく(前回は1ルピー1円の換算だったが、円高の影響か1ルピーは0.85円の価値となっている)。オレンジジュースは水道の水で薄め、水道の氷を使っているようだったが、なんとも無かった。
<スリランカの伝統的な踊り>

2月22日(火曜日)
今日の出発は9時45分。ずいぶんとゆっくり出来るのだが、実は徹夜覚悟のため、この出発だ。今回こちらに来た目的である展示会の出展応援を行うためだ。103型のテレビ設置、このメンバーは今まで誰も組み立てたことが無い。総重量400kgもあり、専門の業者も参加してのことだ。同行の日本人の女性(私と同じくらいの年齢)に手伝ってもらって組み立てた。4時間はかかりますね。途中詰まったところで、食事のお誘い。何が良いのか?聞かれるので、「ホットドック」と答えたら。彼らは「サブマリン」へ行こうと言う。ホットドックが潜水艦の形をしているのでそう呼ぶらしい。望みぴったりのお店につれて来てもらった。熱帯の国の食べ物は塩辛い、そのことを除けば、僕の注文したツナのホットドッグは実に旨かった、しかも量も多く満腹だ。展示会の支援で一番のネックは、背後に使われるパネルの造作物の完成だ。これはどこの国でも同様だ。僕らの作業がいくら早くても、パネルが完成しなければ、作業は進まない。夕刻8時ごろ、こちらのCEOから食事に招待された、今日はペットボトル3本を空けるほど汗をかいているが、そのままの服装で、タージホテルの中華レストランに入っていった。インドでホテル展開するタージホテルはインド一番の高級ホテルで、ムンバイのホテルは08年にイスラムゲリラによって爆破もされた。インドでは何度か宿泊したことがある。欧米のホテルと遜色の無いサービスと気品がある。ここで、フカひれスープから始まる食事はなんともいえない深い味わいがあった。食事のあと会場に戻り、一向に進まないパネル作成作業を見てため息。0時まで待つがめどがつかない。会場は30度を越す猛暑で、そこにいるだけで汗がにじみ出る。日本人の責任者の判断で一旦ホテルに帰り少し寝て、朝6時に再び戻ることにした。この作業の進展を見ていると、沢山の人が一つのコトに集中するので、その一つに問題が発生すると全員の作業が止まるのだ。だから作業の進展が遅くなる。では他の事を進めようとする日本人の要領の良さは期待できないのである。睡眠不足はこの年になると寿命を削られるような厳しさがありますね。
<なかなか旨かった、ツナの入ったホットドッグ>

2月21日(月曜日)
今日は仕事だ。まず取引先の事務所で午後3時まで打ち合わせ。冷房がきつくて寒いの何の。熱帯の国ではしばしこういうことが起きる。そしてトイレ休憩の時に温まる。まるで爬虫類だ。こちらのトイレはインド同様に鍵がついている。鍵を借りなければ使用できない。トイレに鍵をかける意味は「賊が潜む」と言う物騒な話だ。しかし、ここは賊が入ってこれない守られた事務所。ここでの鍵の意味は、一般社員が使えないと言う意味。遅い昼飯には、中華料理の店に案内してくれた。中国から随分と離れているが悪くない味だ。看板も何も無い建物なので、一般の人向きではないだろう。その後、ゴルフ場に向かった。ここにTVを納入するから下見を兼ねての訪問だ。なんとこのゴルフ場は老舗で、1880年から会員の登録がある。さすがイギリス連邦国。平地のゆったりとしたゴルフ場だ。芝生は当然ながら青い。再び事務所に戻り打ち合わせだが、今度は冷房が切れて暑いの何の。持参したペットボトルは飲み干してしまった。午後8時に仕事を終えてホテルへ送り届けてもらうのだが、少し前から雷が鳴っていたのが、すごい嵐になっていた。所々道は冠水している。地球温暖化がもたらす異常気象だ。同行の日本人はビールを飲みに出かけるというが、僕は断り食品スーパーに向かい、バナナと牛乳とコーラー、クッキーを買う。バナナは馬鹿に出来ない。皮が薄く少しすっぱいが実に重厚な味わいがあるのだ。全部で300円程度だ。それからジムで45分トレーニング。先日の筋トレで少し痛みが残っているが、無理して負荷を加えると気持ちが良い。今までの出張ではみんなと一緒に酒を飲んだりして少し堕落した生活を送っていたので、帰っての生活がきつかった。今回は、日頃の生活と同じような水準にもどした。入浴時の読書用に内田康夫の「津和野殺人事件」文庫本を読む。これがなかなか面白くて思わぬ時間延長で汗を流しながら読む、実に気持ちが良い。
<スリランカの街並みは基本的にインドと同じだが、少し気品がある>

2月20日(日曜日)
食事の後、「ミレニアム3」を見る。最後の最後までどんでん返しがある。せっかくの晴天だからプールに向かう。そこで、旧知の管理人さんに出会い、彼の案内で、一番よい席に椅子を確保。上から見る水は綺麗だが、もぐった水の透明度は結構低い。飲むと大変だろうな。しかし気持ちが良い。太陽の日差しが気持ちよい。隣のビキニの美人に写真を取ってもらった。写真が下手なので、何度も撮影方法を指導して撮影してもらう。昨日の仕事の一部みたいだ。それから部屋に帰り、「バイオハザード_アフターライフ」を見る。主人公アンナの拳銃の撃ち方がなってないのはご愛嬌。水泳の得意なクレアは、水没した通路の向こうにある弾薬庫への案内をかってでるが、向こうに無事ついた途端ゾンビに食われた。しかしゾンビを突破するシーンではクレアはいつの間にか復活しているというストーリー上の突っ込みもあるが、激しいアクションで楽しませてくれる。その次に「ユニバーサルソルジャー」人間を改造した戦争マシンでスピードや力は人間の数倍と言う割りに、無防備な動きをするとか、この驚異的なパワーを持つロボットとの銃撃戦に人間の戦士は棒立ちで反撃するとか、無数の突っ込みにこの映画の程度が知れる。次に「特攻野郎Aチーム」行動の動機にすこし疑問があるが、激しい銃撃戦を評価しよう。久しぶりに、休暇らしき休暇を過ごしたのである。

2月19日(土曜日)
今日は午後の移動だけだから、ゆっくりしたらよいのに4時過ぎに目が覚めてしまった。何ということだ。それでいきなり出張報告書モードとなり、8時過ぎまでかかって仕上げた。そんなに頑張ることないのに。それからシャワーを浴びて食事に出かけた。行儀が悪いが食事をしながら新聞を読んだ。今日は格別なニュースは無い。昨日はスティブ・ジョブスの余命が6週間と報道された。あわてて日経新聞を開くが掲載はない。この会社に食われた日経企業のために記事を書く気持ちは無いのだろうか。このごろ、日本は偏狭であり、世界が標準だと思うようになってきた。2009年まではこの逆の考え方だった。日本の復活をまだマスコミは信じているが、この偏狭が抜けない限り無理なような気がする。昔の国際環境とは違っていと思うのだ。ムンバイの国際空港は初めてだが、意外と暗くて汚く、昔のインドがあった。それに臭いもインドが漂っている。今でこそこの臭いは殺虫剤の臭いだと分かっているが、一番最初にインドのチェンナイに来て、かなり高級な「トライデントホテル」に宿泊したとき、この臭いがあって、僕はこれをインドの臭いと強烈に記憶に刷り込んだのだ。ムンバイからスリランカへはスリランカエアだ。前回は国内便のジェットエアでチェンナイ乗り継ぎだった。今回は一発でコロンボだ。3時間少々。出発ゲートも端にあり、肩身の狭い思いをする。ところがである、スリランカ航空のステワーデスは美人ぞろいなのだ。インドの航空便ジェットエアでも粒はそろっていると言われるが、ここはそんなものじゃない。格が違う、「アリタリアエア以外は下がりなさい!」(アリタリアエアぽっちゃり型で綺麗)全員がグラビア誌から出てきたような一級の美人なのだ。それも5名の乗務員全員が。僕は感動のあまり、そのうちの一人に声をかけた。「写真を撮影させてくれ」快く引き受けてくれた。プライドがあるのか写真を見せてくれと言われた。しっかり美人に撮影できた。Beautiful!この事件は最近の中では一番大きい。その代わりに食事は良くない。午後6時コロンボ国際空港に到着。関税を抜けて荷物を探していると、アメリカ人がLastと声をかけてくれた。一番テーブルのことをこのような表現をするのですね。わからんでもない。ホテルタクシーも旨く見つけることができて、1時間でホテルへ。この老人の運転手さんはいらいらしているのか、インドのように始終警笛を鳴らし、ウインカーを四六時中点滅させている。念のためにシートベルトをしました。午後7時着。チェックインを済ましてジムに行った。ここは何度も来たので要領が分かっているから安心だ。今週は何と万歩計は34,000歩。まるで少なすぎる。そういえば、バンガロールの空港の身体検査で万歩計が引っかかった。検査員に説明をするが分かってもらえないので、僕は検査台の上でランニングをして、数値の進み具合を見てもらった。そしたら、この検査員はもっとやれと催促する、やれやれだ。8時過ぎまでウォーキングと腕の筋トレ。やっぱり体を動かすと気持ちが良い。機内食の油に極悪品を使っているのか胸焼けがしていたが、いつの間にか収まった。まぁ安全をみて夕食は抜くことに。ここから本格的な休日が始まる。と言うことで、持参した映画「ミレニアム2」を見る。原作を読んだが息をつかせないと言う表現が間違いではないほど面白い。この本のために、休日の予定を変更したほどだ。

2月18日(金曜日)
ヒルトンホテルに宿泊した。前回はこの前にあるハイアットホテル。どちらもホテルの前は土ぼこりが激しいが、一歩ホテルに入ると別世界が広がる。コレがインドだ。以前TV放送でインフォシスを尋ねた番組があって、その番組でも同じ事をレポーターが話していた。今日の会議はこのすぐ近くのホテル。インド人もあまりきつい冷房は不得意なのか、寒すぎる冷房に文句を言っていた。だが、冷房を切るのかONするのか二者択一なので、暑いのか寒いかの繰り返しだった。昼飯は、立食のブッフェ方式だが、最初にスープから始まった。それが何と極上の味。お醤油を数滴たらせば、金にばけるという感じだった。後は、いつものインド流。おいしくは無いが、肉や魚偏重になりがちな出張時の食事が野菜中心としたもので構成されるのはありがたい。夕刻5時半終了、タクシーを呼んで6時出発。昨日訪問できなかったカメラ店を現地の人の案内でもう一度訪問する。タクシーは駐車禁止のところで止まったため、警官に捕まった。すかさず、同行のインド人は100ルピー(200円)運転手に渡した。交渉でこの難局を切り抜けるだろうと思った。日も暮れ暗がりの街だが、一応安全だとの事なので、撮影しながら訪問した。言葉の障壁はあるが英語なので、少しは分かる。これがタイやベトナムとは違うところ。日がどっぷりと暮れたとはいえ、気温はあり水気成分が不足する。ここで水を買っても良いが、目の前にココナッツを売っているではないか。僕は飲みたい意向を示すが、同行の日本人はご法度だと。僕はしぶしぶあきらめた。そして、最後に当社の得意先の事務所へ訪問して話を伺うと、そこの社長さんは、ココナッツを買って来いと部下に命じ、僕は念願のものをいただいた。体に染みとおるような味だった。敬遠した同行の日本人もしぶしぶ飲んでいた。この飲み物は空腹とのどの渇きを満たす不思議なパワーがある。その帰り、車からではあるが、ムンバイの駅を見た。この駅の豪勢さには圧倒される、世界遺産にも登録されている。東京駅も復刻が進むようだが、こののは格調が違うほどの気品がある、ホント。ホテルに帰り着いたのが10時、日本に帰る仲間と一緒に夕食。今回の旅で初めてビールを飲む。キングフィッシャーだ。インドのキングフィッシャーといえば航空会社であるが、ビールもあるという会社のビールだ。このレストランはビールを持ってくる人と注ぐ人は別だ。一本の小ビンビールをビールグラスになみなみとこぼれないように手際よく注ぐ。これには拍手した。11時部屋に到着。一応今回のインドでの仕事はコレで終了した。DVDプレーヤーを出してイーグルを聴きながらくつろいだ。
<ムンバイにあるパナソニックの店、非常にキレイに展示されていた>

2月17日(木曜日)
このホテルで久しぶりに、インド食ではない欧米の朝食をいただいた。最初の日程から毎日インド食だったので少々食傷気味だった。バンガロールは交通停滞が激しいので早めの行動が重要というということで、朝11時半出発のフライトなのに、8時半に出発。昨日の空港〜ホテルまでのルートとは違う道を走った。昨日の運転手は道を知らなかったので時間を要したということが良く分かった。昨日は3台の車に乗って、2台の運転手が道を間違えた。コレがインドのいい加減さで知らないとは言わない、間違っても誤らない。とにかくYes serなのである。今度は予定通り到着してバンガロールの空港のロビーで1時間待ち。他の国のようにラウンジは無い。バンガロールからムンバイ行きの飛行機はB737。この国の飛行機に大型機は無い。ムンバイに到着する直前に大きなスラム街が見えるはずなので期待したが、今回は着陸ルートが違い見えなかった。あの映画「スラムドックミレニア」に出てくるスラムシーンだ。青いテントの下でどんな生活をしてるのか非常に興味がある。ものすごい臭いと、ぬかるんだ小道、土が床の家。はだしで元気に走り回る子供たちが想像できる。空港では迷うことなくピックアップの車を探せた。運転手が車を回してくるまでの間に、かわいい少年が本を売りに来た。その本は、下敷きのようなスリットのあるプラスティックの板を動かすと、下にある絵が動く単純な遊びの本だ。それを広げて一生懸命に説明する。全ページを見せてくれるのだ。値段を聞くと160ルピー、ディスカウントと言うと、150ルピーにしてくれた。そしてそれを一枚買った。少年もあっさりと売れたので多分うれしかったはずだ。ホントに未だあどけない顔をした少年まで働かないと食えない人たちもいる。だが彼の下にはまだまだ下があるのだろうと推測する。ホテルに到着してチェックインの手続きをすると3時過ぎになった。夕食はホテルで食べようとしているので今日は昼飯が抜きだ。こちらに来て何度食事を抜いたことか。それから、ムンバイの半島の先にあるカメラ街を訪ねる。ところが、何度探してもそのカメラ街は見つからない。沢山の人に聞いた。リュックをしょっているお宅系を中心に聞いてもみたが反応ゼロ。結局今回はそのまま次の会場であるショッピングモールに向かうことにする。インドでは他のアジアの国と同じように大きな建物に小売店が入居するショッピングモールがどんどんと出来ている。その一つを覗いたが、こちらは観光鳥が鳴くほどの不況ぶりで、日本の商店街のようにシャッター下ろした店もいくつかある。まだまだこの国にはこのようなモールは生活に溶け込んでないと言うことかも知れない。ものすごい停滞を抜けてホテル到着し食事にありついたのが午後10時。朝飯を食ってから14時間後と言うことになる。食えるときに食えがインド流なのかもしれない。<ムンバイは昔の東インド会社があった場所、イギリス風の建物がいろんな所に残っている>


2月16日(水曜日)
朝5時起床。朝の便でバンガロールに向かう。インドの航空会社は1時間前にチェックインしないと登場できない。その割には簡単に遅れるのである、とにかく早めに行動しなければならない。ホテルを6時に出発したが、今回はあまりにも早く到着してしまった。今度は、待つための設備の無い空港でしばらく待つこと40分。そしてチェックイン。空港でサンドイッチを食べて、搭乗した。登場口は2年前と同じで、国内空港の出発ゲートは徒歩でバスに向かい搭乗する。バスを間違えば、別の飛行機に乗ることとなるのは同じだ。50分くらいでバンガロール空港に到着。仕事は午後からなのでまずはホテルへ。ところが道中の混雑が半端ではなく、何と2時間も要してしまった。こちらのホテルも、同行の日本人が手配しなおしてくれた。バンガロールは、アメリカがソフトウエアの開発拠点に選んだ街で、別名ITcityと呼ばれている。インドは英語が通じるし、アメリカとは丁度反対の時間帯なので24時間対応できるというのがミソらしい。僕達のホテルはエレクトロCITYと呼ばれる、アメリカ系企業の中心地に確保したので、このホテルはアメリカ並みで非常に快適だ。部屋の設備もきちんとしている。今晩は快適に過ごせるぞ。まずは、ここでサンドイッチを。部屋に運んでもらう方法だ。始めての経験。しかし、自分の部屋で一人で食うのは味気ない。味は抜群だったが。で出発。次に向かったのはホントの会場。繁華街の中にある。ここは場末のホテルだ、これは覚悟が要るぞと思ったが、間違っていた。この街にはPaiホテル(目指すホテル名)が何軒もあり、我々は間違ったホテルに案内されたのだ。そして、混雑した市内を一周して、目的のホテルへ。しかし、このホテルもそんなに格上ではない。のどが渇いたので、水を貰いに行った。外の温度は何度あるの?「32度」。バンガロールはデカン高原と呼ばれる高台にあるとはいえ、灼熱の太陽は暑い。水を待っている間、ソファーに座って雑踏とした外の景色を眺めながら思いましたね。「僕の人生において、こんな地球の果てまで来るとは予想だにしなかった」と。こちらで仕事を終えたのが、午後7時。タクシーの手配をすると何と1時間半待たされた。そこから我々の宿泊するホテルへ、これも1時間半。30分は運転手が道を間違えたため。結局夜の10時にホテルに到着した。とにかく食事。レストランはいくつかあったが、イタリアンに。昨日と同じく、ピザとスープ。インド人は基本がカレーなので、基本的に塩辛い味付けだ。それで、このトマトベースの野菜スープも、ピザもすごく塩辛い。今回の出張では酒を飲まないと決めていたので、食べながらすごくのどが渇いた。飯を食って部屋に帰ったのが0時。なかなか良いバスタブだが、なかなかお湯がたまらない。その上熱いお湯が出ない。30分位の入浴中にお湯の溜まった量は1/3だ。寒い寒い。いいホテルでくつろげるはずだったが。
<ITの街バンガロール、だが何処に行ってもインドの風景は均一化している>

2月15日(火曜日)
道路の音が筒抜けのホテルで一夜を過ごした。やぁ全く深く眠れませんでしたね。5時過ぎに目が覚めて、机でPCの操作をしてたら、いきなりTVの大音量が聞こえてきた。隣の音も筒抜け状態なのだ。おまけに、隣の人が机で何か操作をているらしく、こちらの机も同じように揺れる。おお何たることか。救いは、昨晩一緒に行動を共にしている日本人が明日の晩は別の高級なホテルを予約してくれたので、そちらにかけようと希望があるだけ。朝食はまたもやカレー。インドのカレーほどまずいものは無い。しかし、腹が減ったままなのでこんなものでも食べることができるのだ。それに、こちらでは果物や生野菜や危ないため野菜が不足しがちだが、ベジの食事なら野菜も摂取できる。こちらの食あたりはきついのでおのずと限定された中での更に限定食となるのだ。会議は10時から始ったが、途中にインドに行ったときから僕たちと一緒に仕事をして、時々メールもあるニチンさんが逢いに来てくれた。会話が不自由なので、親しい会話は出来ないが、まぁ顔を出すということだけでも律儀ではないか。このようにインド人の行動はほぼ日本人と同じメンタリティーをもっている。侮蔑の対象としてのインド人と、愛すべきインド人がこの国には同居しているので、僕のインド感が混乱するのだ。いつものごとく昼飯は午後2時過ぎ。またしても内容は同じだ。カレーカレー、加齢臭も手伝って体はカレー臭さで一杯である。5時半には仕事を終えたので、旧知の店、ナハールさんの店を訪ねた。ナハールさんは、日本で言うところのナショナルの店を運営している社長だ。気のいい人で、僕らメーカーの人にはいつも明るく接してくれるし、商売の情報もあるので重宝する人だ。少し問題を抱えているらしいが、それが、日本の店で聞く悩みと同じことだったのが不思議だった。その後ホテルに帰り久しぶりの夕食を頂く。ピザとスープだ。3,000円。今日もあまり動いてないのに疲れてしまった。
<写真はチェンナイのごく一般的な食べ物屋さん、僕自身は食べても良いのだが、同行者が皆嫌がるので、未だかつて食べたことはない>

2月14日(月曜日)
昨日と同じベジのカレー食。空腹だから食うことができる。相変わらず料理は冷たいまま。紅茶を頼む、返事はイエッサーといいが、何の行動もない。結局ポットを持った別の人が来て何にするか?と聞く。調子の良い返事をした男性は、結局忘れてしまっていた。インド人は日本人の老人のように簡単に直前の事を忘れてしまう。もういちいち腹を立てても仕方ないのだが。どうしてこんな不愉快な思いをインド人はさせるのだろうか。チェックアウトでも簡単に割り込んでくる、そして、相手もその言い分を聞くのも不愉快だ。今日は別の郊外のリゾートに向かう。昨日は幹部だったからいいホテル、今日はエリアマネージャークラスだから、普通のホテル。普通のホテルの昼食は要注意。特に野菜系。と言うことで、今日も午後2時から昼食には、今朝食ったものと同じようなメニューをいただく。おいしそうなサラダもあるが、今回はやはり火の通ったものに限定。ほうれん草とチーズのカレーなど、野菜系でまとめた。アイスクリームも。こちらのアイスクリームは辛いカレーにつりあうように出来ているからすごく甘い。インド食はカロリーの塊を食っているようなものだから、おのずと腹が出てくる。腹の出方は異様なのだが、野菜食なので何とか健康が維持されているのだろう。仕事を終えて飛行場に向かう。今日は移動日なのだ。車が混雑する交差点で物乞いが。だが、この物乞いは少女なのに、ものすごい美人だ。少女にはかわいいという言葉をつかうのが常識だが、この娘は小さい頃から美人なのだ。だが、多分彼女は大きくなっても、物乞いの生活からは抜け出せないかも知れない。それは、この社会が下の人が這い上がるのを拒むからだ。それに教育も受けてないから這い上がるきっかけも無い。僕ならつれて帰って幼女にしたいくらいだ。再びデリーの空港。国際空港も国内空港も同じビルで、向かって左側が国内、右側が国際となっている。以前は航空会社によって、空港ビルが違っていたから、ごちゃごちゃで何がなにやら分からなかった。ジェットエアーのカウンターでは、これまた美人のお姉さんがチケットの発行をしてくれる。ほんと、インド人には美人が多い。色は黒いのですが。今度の移動はジアさんと言う名前のインド人が同行するので、行列の割り込みを彼が代行で行ってくれるから、我々は後ろについていれば良い。インド人の行列割り込み方はインド人で無ければできない傲岸さがある。変更可能かどうか不明のチケットだが、簡単に早い便に切り替えることが出来て午後7時出発。インドは交渉によってなんでもありなのだ。午後10時前にはチェンナイに到着することが出来た。そして、本日も夕食なしで眠ることに。
<これがインド料理、見るからにまずそう>

2月13日(日曜日)
7時から朝食だ。昨晩はタイの空港で軽く食事をしただけだったので、結構空腹だ。そしてこのホテルにはインド食しかない。つまりカレーですね。インドでは昼食が午後3時ごろになることが多いので、実際のところ朝からカレーでも食っておかないと体が持たない。ベジはどれかと聞くと、この辺り全部がベジだと。火の通っているものを選んだが、口にすると冷たかった。大丈夫かな?3時間後に結果が出る。8時前にホテルを出て、郊外にあるリゾートホテルに向かう。車で1時間ほど走ると、郊外の農村景色に変わる。今は菜の花が満開で春が来たようだ。聞くと2週間くらい前まではやはりデリーでもコートが必要だったという。しかし、もう20度くらいに気温が上がるので、今が一番すごしやすい季節だという。3月からは40度になるとの事。郊外のホテルには沢山のお客さんがいたが、我々のような研修を目的とする人たちもいたようだ。社内レクレーションだろうか、輪になってダンスをしている人たちも居て、昭和の日本の公園を思い出した。ここでは4時まで仕事をして、ホテルに帰ることになった。5時半に到着。それから一緒のメンバーは市場調査に向かったが、僕は疲れが激しく寝ることに。6時ドアベル、チョコレートの配達(意味不明)それならはじめらか部屋においてけよ。6時半に明日何時出発するのか電話。それは昨日伝えたのに、伝わってない。おまけに、今日の出発の時間の時間をわが社の事務所から伝言があったはずなのに、彼らは僕に告げてくれなかった。もうインド人は仕事が出来るのか出来ないのか不明、頭にくる。午後7時半に電話、今度は日本人の仲間が食事をしないかと。結局この間寝ることが出来なく疲れはますますひどくなった。それで、その食事も断った。一緒に食事をすると10時前になるだろうから。食事が無くても寝るほうがましだ。結局昨晩も今晩も夕食は無いままに寝ることに。
<写真はデリー郊外の農村地帯、菜の花が満開>

2月12日(土曜日)
又寒気がやってきていると聞くが、昨日の雪も溶け晴天が戻ってきたので何とか薄着で出かけることが出来る。熱帯の国では日本の厚い防寒具が邪魔になるのだ。それに、帰ってくる2週間後には日本もだいぶんと暖かくなっていることだろう。タイのプアナプル空港に無事到着するが体調は最悪の状態になっていた。首や肩がパンパンに張って、自分でつまんでもものすごく痛い。そうだこの国はマッサージのメッカだと言うのを思い出した。ここで約7時間も過ごすのだからマッサージを受けよう。と言うことで1時間23ドルを払い、かわいいお姉ちゃんに揉んでもらう。だが力があり、ものすごく効く(痛い)そして、1時間後、打って変わったような体の軽さを覚えた。よほど調子が良くなかったのだろう。コレなら、後3時間半我慢して日本時間の午前5時半デリーに到着するまで体がもちそうだ確信した。インド人には公衆マナーが通用しないので腹が立つことが多い。カウンターで並んでも横から入ってくる。これには日本語で文句を言うと引き下がったが、機内のトイレ待ちの行列に割り込んで先に行った40歳ぐらいの男性は、完全に注意を無視した。割り込みは悪いということを知っているが無視をするのだ。インドに着く前からこれだからやり切れません。午前0時過ぎ、日本時間の午前3時半に無事デリーの国際空港に到着した。デリー空港は見違えるほどの変貌を遂げていた。綺麗で清潔だ。入国もスムーズ。荷物台もすぐに回り始めた、(あいにくと僕達の荷物は遅かったが)この速度は、シンガポール空港と遜色の無い早さだ。そしてホテルピックアップの車も無事見けることが出来た。道中にはビルが沢山建ち、デリーの空港とグルガオンの街は、このビル群でつながったようだ。この経済発展はみんなの気持ちを明るくしていることだと推測する。普通のホテルだったが、部屋のベッドは良かったし、バスタブは無いが、ちゃんとお湯が出た。
<写真は近代化されたデリー空港>

2月11日(金曜日)
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今週は大きな勘違いで過ごした。まずは、月曜日のこと。出張は連休中の間の日だから、一日は自宅でゆっくりできるぞ。と思って手製のカレンダーをめくると、12日は何と土曜日ではないか。疲れをいやすまもなく出張か。やれやれだ。しかもインドだ。これは大変だと、残業を極力回避して自分の時間を作ったのが昨日までの動きだった。さて、今朝のこと、天気予報の通り雪が降っている。僕はゴム長を履いて出勤しましたね。ところが今日は余り人を見かけないのだ。なるほど、大阪の人はさむがりだから、雪の時はみんな家で丸くなっているためだろう。と思いましたね。通勤はいつも徒歩だからなるべく車の少ない路地を選んで歩いている。しかしどうも今日は学生もすくないな。どうしたんだろう?京橋について原因がやっと分かりました。今日は祝日だったんだ。勘違はこの3連休が土日月と思いこんでいた点だった。しかし、仕事の段取りは今日も会社で仕事をする計画だったから、今更引き返すわけにも行かずそのまま会社に向かい出来るだけ短時間にまとめて会社から帰った。

2月10日(木曜日)
やっと晴れ間が覗いた。カメラの比較写真を撮影したかったのだが、今までずっと曇天では撮影するきにもなれずこの日を待っていた。近くの大阪城に出かけて大阪の街をパノラマ撮影した。パノラマ撮影はソニーのデジカメが有名だが、これは絵を切り刻んでくっつける方法だ。画質が良くないと言われていたので本当かどうか?LUMIXのパノラマアシストと比較してみた。結果、確かにソニーのスイングパノラマは画質が良くない。それは、一枚のコマの中に、広い範囲を写し込む為である。いわば風景の縮小だ。一方LUMIXのほうは、撮影した写真をPCでくっつける方法だから画素が最低でも2倍以上となる。こちらは風景の追加だ。全く違う二つのパノラマ写真を見て、世間でいいと言われることも実際自分で体験してみないと分からんもんだとひしひしと思いましたね

2月9日(水曜日)


3月のインド行きのスケジュールはどうやら他の国に訪問するスケジュールと重なりそうで中止となりそうな情報が届いた。最初の頃、インド行きは興奮状態だったが、次第に劣悪な環境と、現地人の計画する過酷なスケジュールとまずい食事ですっかり気力減退していた。それで、この報に接して少し喜んでいる。今日は職場の女性達がカメラの撮影方法を教えてと言うので、昼休みの時間におにぎりを買って近くの大阪城に出かけた。途中堀を越える当たりで、僕はパンを空中に投げてカモメを呼んだ。ここのカモメは空中キャッチすることを前から知っていたのだ。まずはそれを撮影してもらった。空に向かって撮影するのでフラッシュの強制発光をセットした。次に梅林。先週よりも開花してきている。今回は花に近づいて撮影するのではなく、少し離れてテレマクロで撮影する方法に挑戦してもらった。コンパクトカメラの背景は鮮明に写るので、少し背景をぼかす設定が必要であるのだ。これ以降彼女たちは僕の事を先生と呼んでいる。インドではマスターと呼ばれた。

2月8日(火曜日)
待望の雨。
雨が降ってない、12月以降降ってない。この異常気象は何かが起こる前触れのような気がする。全く予想外の霧島火山の噴火とも関係があるようだ。日本だけはなく世界の各地で異変が起きている。だからと言うわけではないが、今日は夕食を作る気力がわかず、関目食堂に寄った。ここでご飯中盛りと、焼きサンマと野菜の炊き合わせを注文すれば、何と価格が860円。これじゃやっぱり自炊の方が安上がりか。しかし、毎日食事を作って日経新聞の夕刊電子版を見ながら食事をして、風呂に入りながら雑誌を読んでと言う日課には少し飽きが来ていたのもあった。だが出費の事を考えるとやっぱり自粛だと戒めましたね。この先何が起きるか分からないから。

2月7日(月曜日)
月曜日はいつもの事ながら調子が良くない。こんな繰り返しで体力を落としてゆくのだろうか。同じ年頃のウイン企画の正木さんは高熱で倒れたと報告があるし。先のことを思うと不安です。今日は週末に出張なので、その準備。いつものように下着を100円ショップで14日分2,800円分購入。行く先で下着を捨ててくるこの方法は帰ってきてからが楽です。ひげそりのシェービングクリームとか、体を洗うナイロンのタオルとか、悪条件下でも快適に過ごせるグッズがだんだんと分かってきた。そして読む本。これは、気分によって読みたい本が変わる可能性があるので10冊程度は必要。その本を切り刻んでスキャナーでPDF化した。これだと全然かさばらない。まだ映画はDVDで持って行く。DVDビデオをiPadに入れる方法を未だ見いだしてないのだ。

2月6日(日曜日)
朝起きると部屋の温度が14.6°もあった。もう春ですね。メールを開くと、田舎で恵みおばさんの訃報。おばさんは友人の母の姉である。いつも朗らかな人で、こんな人なら長生きをするだろうと思っていた。たぶん95歳くらいではなかっただろうか。もっと長生きするような気がしてたのだが。このおばさんは詩人でもあり、高知市の主催する同人誌の編集を手がけていた。友人は多かっただろうが、これくらい年齢が高くなると友人の方が先に逝ってしまうので見送る人も少ないはずだ。合掌。もう一つのメールはフィリピンの会社の人からのフェイスブックからの通知。彼女の勧めがあり僕もフェイスブックに登録したのであるが、どう使って良いのか分からなかった。昨年の12月末に少し始めて、今回が二回目の友人の登録だ。フェイスブックは実名で登録するので、検索が簡単だと言うメリットがある。こちらは英文でのやりとりなので、作成に時間がかかる。フェイスブックはフィリピン方面から輪が広がってゆきそうです。映画「ベスト・キッド」この映画は良い。ジャッキーチェンがいい味を出している。主人公のジェイデン・スミスがかわいい。それになかなかいい演技もする。これは必見の価値有りだ。

2月5日(土曜日)
ツタヤ関目店
映画ソフトをリストアップしてツタヤに行った。最新作はすぐに見つかるが、他は店員に相談するしかない。前回は手の不自由な人がレジの機械を使って検索で対応してくれ、手際の良い対応にさすがと感心した。今回はおじさんの店員だ。この人は、リストを余り見ずに直接陳列棚に僕を案内して、タイトルは何ですか?と聞く。それを告げると、一発でハイこれです。と差し出す。その時間数秒。コンピュータ検索より早い人間の記憶力に驚きました。と言うことでこの店はただ者ではない人がわんさかいるのではと感じた。今回はDVDシュリンクで全てリッピングしたため、画質が悪い。それに日本語も入れたので余計画質が落ちる。それには理由がある。最近評論家は字幕だけではなく、日本語でも映画を鑑賞するようだ。それは字幕を見ることで画面の隅々まで目が届かなくなるためだとか。そういえば、私もアバターを昨年の1月にタイで購入したとき、字幕が英語しかなく、辞書を片手に見たのですが、場面の下の方しか目が届かなかったことを想い出した。DVDのリッピングはDVDFubが良い。これは以前買ったつもりだったが、リッピングソフトではなくDVDコピーのソフトだったのだ。これは、お客様相談センターにワカラナイながらも英文で現象を伝えて、先方からの問い合わせに更に英文で送り、判明したことだ。アメリカのソフトはやっぱり扱いにくいですね。ちなみに、BDで日本のアニメを購入するにはアメリカのアマゾンが安い。BDはアメリカとリージョンが共通なので問題ないし、音声は日本語だから問題ないし。しかしレンタルも今の内ですね。音楽はもう配信に移ったし、配信の方が音がよい。捜すのも早い。映像はもう少し時間がかかりそうですが、携帯電話が100Mbpsに達する2013年頃には、その影響が出てくるでしょうね。このベテランの人達はどうするのだろう。

2月4日(金曜日)
ヨドバシカメラで
久しぶりに梅田にでる。今度ムービーカメラのザクティを扱うことになり、勉強のために売り場でカメラをいじくるコトした。僅か2万円そこそこでフルハイビジョンが撮影出来ると言うカメラで、しかも静止画の画素も高いのが特徴だ。メニュー画面をいじってみると、わかりやすいレイアウトがされている。このカメラは階層が余り深くないのだ。ソニーはわかりやすさを標榜しているのに階層が深いというのは敬遠ですね。この記録方式はH.264であり、保存は難しい。コーレルのVideoムービーX3でAVCHDに変換すると一晩かかるのだ。高性能PCを駆使するので電気代も馬鹿にならない。話題のニコン一眼レフカメラD7000も操作してみた。シャッター感覚がなかなか軽快だ。このカメラは現在一番の注目株だ。ついでにDx3Sも。こちらは別格。シャッターは俊敏。頂点はこれかと思わせる説得があります。一眼レフカメラはもうキヤノンにかなわないと言うのが実情だが、一眼レフカメラは性能が高いので、その差も僅差だと考えるなら、カメラのフィーリングの良いニコンがお勧めです。写真を撮る楽しさみたいなものはニコンのカメラに多いからです。キヤノンの一眼レフカメラは味気ない。さて客足の途絶えたTV売り場。シャープの60LV3。シャープはこの大画面を海外展開する意欲が高いが、動画ぶれは相変わらずで、派手な原色の映像ですね。若い娘は化粧しなくてもキレイなのに、どぎつい化粧で自分を隠す。丁度そんな感じの厳しい色遣い。これを評論家がいいというのだから、彼等の目は一体何処にあるのだろうか?と思いますが、目の付け所は謝礼なので納得ですね。パナソニックはLEDTVの新製品C3を展示してあった。パナソニックのLEDTVは総じて暗い。液晶TVよりも暗い。エコの特典を稼ぐためかと思われるが、説明員は旨く説明していた。蛍光灯は直視できてもLEDは直視できない。さすが旨いことを言う。大阪の商売人だと関心しましたね。此処にいると時間を忘れてしまう楽しさがある。

2月3日(木曜日)
何かを演じているかも
映画を何本も見ていると、映画の一コマ一コマが忘れっぽい自分の頭でも脳裏に焼き付いていることもある。そして、日常の仕事や生活の場面で、これと同じようなシーンは見たことがあるぞ。あの俳優はこんな風に振る舞っていたな、と想い出す。そして自分も同じようなことが出来ないか試してみる。ちょっと表現が幼稚っぽいのですが、こんな事ってないだろうか。私はずいぶんとありますね。なにもかっこいい振る舞いをしたいのではなくて、そんな風に演じている自分を、少し離れてみることができるからであります。なんでこんな事思い出したのかと言えば、今回の出張は長くハードであり、途中の休日は一寸楽しまなければ持たないぞと。しかし、自由にうろつくわけにはいかない。と言うことで、レンタルDVDをリッピングして持ち出す事にしたのです。AV雑誌での推奨ディスクをピックアップしてある。ミレニアム2,3。バイオハザード、アフターライフ。ユニバーサルソルジャー。クレイジーハート。ザ・ウォーカー。ギャングオブニューヨーク。ずいぶんとあるではないか。これらを見て、また一コマを脳裏に焼き付けよう。

2月2日(水曜日)
銀行の利益
新聞によるとメガバンク3社は1兆5千億円の利益を上げたと言う。日本経済がこれだけへたっていて、しかも、世界経済もアジアはともかく、先進国では生息吐息の状態。そして、日本の経済界にはさして大きな動きはないのにも関わらずにだ。利益の根源は、金利だ。政府のゼロ金利に、高い金利を付けて貸し出すから、利益が出て当然だ。ここで他人の利益をとやかく言うのではない。問題は日本の銀行はますます疲弊すると言うことだ。銀行が危ないと言うこと。利益が出ているのに疲弊するとはどういう事だ。理由はこうだ。過去日本の銀行は政府の護送船団に守られて順風満帆でやってきた。しかし、バブル経済で地に落ちた。いよいよこれで目が覚めると思いきや、今度はゼロ金利で復活。結局自助努力の要素がないままに今日に至った。世界はもはやグローバル以外では稼げない状態に突入しているのに、此処だけがドメスティックでやっている。お金を使ってお金で利益を生むには投資の選択眼が必要になるが、これは非常に難しい。それを彼等は怠っているのだからしょうがない。

2月1日(火曜日)
嬉しい便り
かつて僕と一緒に働いていた新人が、僕もあなた(私のことです)と同じように海外でばりばり仕事をしたい(決して私はばりばりと仕事をしているわけではありませんが)と希望をして、昨年には相談にもきた事がある彼は、念願かなって私と同じビルで、中近東の担当者として赴任した。私は35階にいるが、彼は34階に越してきたと言うのだ。すぐにでも会いに行きたいのではあるが、あいにくと仕事も山場を迎えていて身動きが取れないのだ。翻って自分の若い頃はこんなに真剣に人生を考えていたのだろうか、時間があれば勉強をして自分を高めていたのだろうか?と思い起こせば、酒を飲んでタバコを吸って商売女にお金を使った、ばかげた人生だったなぁと思う。そして何にも考えてなかった。いま思えばもったいない時間を過ごしたと反省すること大である。大の友人であるO氏から電話をもらった。これまた大の友人であるK氏が4月に定年だから懇親会をしようと。そうか、もうそんな時期か。こちらも、少し都合がつかず、先に延ばしてもらった。二月は逃げると言うが本当だ。

1月31日(月曜日)
今年は思ったほど寒くはない
暑いのは得意だが寒いのはちょいとしんどい、と言うのが体質だ。しかし今年は昨年ほど寒くは感じない。昨年はなかなか思うように仕事も出来ず、精神的にしんどかったのもあるだろう。そして毎日太陽の日差しが強くなるのを楽しみにしてた。だが、今年は血圧が高くなった所為もあるだろうか、妙に寒くないのだ。例えば、野菜を洗ったりするとき、昨年はお湯を使わないと我慢が出来なかったが今年は水のまんま野菜を洗っている。靴下も昨年は2重だったが今年は一枚。ヒートテックも二枚から一枚の着用、全てに変化がある。体調の異変だと思うが、何処がどう変化したのかは不明。今月の出張は期間が長くなり2週間となる。今度帰ってきたときはもう春だろう。今年は冬の寒さをきにしなくても良かったのは嬉しいことだ。

1月30日(日曜日)
夕食
昨晩野江にあるスーパーライフで買った大根は、それはそれは甘い味がした。大根は頭に近いほど旨いと農業経験の長い父は私に言う。しかし、この大根は頭からしっぽまで甘かった。大根おろしにしてこの2日間で食べてしまった。それに満願寺と言う名前のピーマン。夏に見つけてこの野菜のファンになった。普通のピーマンと比べても非常に緑が濃いのに誘われる。ところが冬になっても店頭に並んでいるから、今日は早速買った。タッパーに入れて、オーブンレンジのゆで野菜メニューNo6を選択するとしばらく待つ間にすっかりゆであがる。水を使わない分ビタミンが飛ばなくて良い。これに、フジッコの塩昆布を振りかけて混ぜるとなかなかうまみのある野菜料理ができあがる。失敗はサーモンの刺身。TVでアラスカの鮭を見た関係でサーモンの刺身が食べたくなり買ったのだ。ところが我が家には醤油がないのだ。刺身を醤油無しで頂くのは味気ないですね。休日は2食しか食べないので、夕食時は水泳の後でもあり空腹の絶頂にある、大概のものは旨く頂けるのであるが、刺身だけはどうしようもなかったのである。外は寒く、醤油を買いに走る勇気はもう無かった。

1月29日(土曜日)
終日自宅。昨年の反省を活かして自宅で読書とBD、DVDの整理。ウイン企画の社長は老後のために映画をDVDに焼いている。その数1500本。全て標準画質のDVD。彼はTVでこの映画を見るためのようだ。僕は、1200枚。半分がハイビジョン。僕は120インチのスクリーンと、5.1CHサラウンドで見るために録画している。映画よりも音楽の方が多い。老後の目的が少し違う。夕刻プール2.5km。

1月28日(金曜日)
エコポイント後の家電店
今日は、出かける用事があり、ウイン企画にも寄った。此処とは長年来のつきあいがあり気心も知れているのでどんな様子なのか近況を聞きに訪問した。この会社は人材派遣業なので、景気よりも法律に左右される影響が多いらしい。日本の小売業は本当にその場限りの法律で翻弄され店舗面積がころころ変わる歴史を見てきた。そして今またいろんな横やりを政府は差そうとしているようだ。政府はTTPのような大きな改革はそちらに置いておいて、声の小さな業界に指図しようとしている。一方、家電品は輸出より輸入が多くなっているし、車は日本の生産よりも遙か多くを海外で生産している。それだけ日本人の雇用が犯されている。働く人が少なくなると言うのに、働きたい人の職場がない。雇用対策という前に、もっと根本的な問題、つまり国を開放して自由な経済を目指さなければならないのに。と言うことで人材派遣業も大変な過渡期にあるという。その後、難波のヤマダ電機を覗いた。従業員以外は人気が無く、照明と暖房費が無駄に使われている感じだった。今年は家電も一段と冷え込むのだが。

<写真は難波の回転寿司385円高いが旨い>

1月27日(木曜日)
いい言葉
電車の広告にこんなのがあった。記者「エジソンさん、あなたは電球を発明するのに1万回も失敗しましたね」。エジソン「いいえ、私は電球を発明するのに1万回を失敗しなければならないと言うことを発見しました」。なんて前向きな、勇気を頂ける話でしょう。もちろんコピーライターが考えに考え抜いた凝縮された言葉だろうが、これほど胸を打つ言葉に最近接したことがない。軽はずみは言葉で構成されている僕の言葉はこれを見て大変恥ずかしいと思った次第。全く関係ない話で、職場の女性達にカメラの撮影を教える機会を設けていただいた。撮影対象は大阪城の梅の撮影だ。そこでいつが見頃なのか今日は下見に行ったら、寒いのなんの。そしてwebでは咲いている情報があったのに実際咲いているのはホンの数株。これでは開催時期はもう少し先のことだろう。私はカメラ教室で軽はずみな言葉を吐かない方が良いのだが余り自信はない。

<梅の花はなかなか匂いがよい>


1月26日(水曜日)
空気の臭い
空気には臭いがあるのか?これはYesだろうと先日、京橋のコンコースを歩きながら思った。ここには日本人しか居ないので、通勤途上の集団の中でも特に臭いについては感じないかも知れない。しかし、日本には日本独自の臭いがあるのです。僕らは慣れてしまってそれがわからないだけだと思う。何で臭いについて思い出したのかと言えば、来月インドに行くからだ。インドは全土に渡ってインドの臭いがしている。それは悪い臭いではないが、インドへ行くというのは大変な事なのだ。まずは遠いので飛行機でくたくたになること。そしてわからない言語。人を見下す態度。集団の中でのルールが無いこと。結局この国では自分の横柄にならないと息が詰まってしまうこと。こんな事が臭いとともにやってくるのだ。臭いとか味とか言うのは僕の中では結構強い記憶として残り、インドの記憶はこの臭いとともにセットされているのだ。インドに行くと言うことは結構気合いを入れてゆかなければ挫折してしまうのだ。今日は自宅謹慎。会社ではEワークと言う制度がある。これは自宅にいてメールを開き、自宅で仕事をするのだ。管理職は一度経験をしなければならないと達しが出て、今日を設定したわけ。従って9時から17時30分までは自宅にいても自由な動きが取れないのだ。来月はインドに行く予定でこの先3月末までは結構忙しいだろうな、そうすると今しかないと言うことで、初めてのEワークを行った。

1月25日(火曜日)
動物が鳴く国
ネズミが鳴く。土佐の高知に行けばあちこちでネズミが鳴きいう。「なになにしちゅうきに」(なになにをしている)土佐弁は「ちゅう」という言葉をよく会話の間に挟むのだ。それでネズミが鳴くといわれる。それに対抗するのは名古屋弁。こちらは天敵の猫がいる。「おみゃぁさん」(あなた)、尾張弁は「にゃぁ」系が多い。こちらは猫が多いといわれる。これは国内に限ったことではない。タイではカラスが多い。代表的なものは「コップンカー」(こんにちは)という。Yesの時も「カー」という。電車の中で聴いているとホントにカラスがいるみたいだ。タイに滞在する時間が多くなってきたので少しずつではあるがわかってきたこともあるのだ。

1月24日(月曜日)
努力について
この前の出張ではずいぶんと疲れたし、酒を飲む機会も多かった。そして帰ってきてからが大変だった。いろんな事をずいぶんと忘れているのだ。しばらく会ってない人でなく、いつも顔を合わす人なのに名前が思い出せない困った現象に直面した。それで、一大決心をしてしばらくは酒を断とうとした訳。そうすると少しずつではあるが、頭が前の状態に回復しつつあるのだ。これほどまでの頭の混乱は初めてのことで、これでは日常生活はおろか会社生活にも支障を来すだろうとビビってしまった。体力や健康や好奇心などまだまだ昔のままだと自覚してたのに、やっぱり落とし穴はあったわけだ。そして左膝の痛み。歩くときはもちろん座っているときでも、時々痛む。やはり来るべきものは来ると思いましたね。受けざるを得ないものは心して受けよう。しかし、少しでも先に延ばせるのならその努力はしようではないかと言う気持ちである。



1月23日(日曜日)
映画「アンナと王様」を見た。タイ国の物語。その昔タイは隣のビルマと絶えず紛争があった。王様は国を守るため皇太子の教育係に英国の女性を採用した。これがジョディー・フォスター扮するアンナである。彼女が一番美しく撮影された映画として歴史に残るのだろうと思う。舞台はタイだから少し見たような風景も登場する。アジアではタイだけが独立を保っている。日本も含めて全部の国は一時外国の占領下にある歴史を持っている。タイを正しく導いたと言う理由で、タイに行くと至る所に王様の写真が掲載されてあり、健康を願う文章がかかっている。王様は火曜日の生まれだから、火曜日は黄色。それで、火曜日には黄色の洋服やネクタイをする習わしがあるほどタイ国民は王様にぞっこんだ。タイの歴史を知ると王様の偉大さがわかると言うわけだ。左の写真は、伊勢丹の前にある道路をまたぐ横断歩道。ここに、王様の写真が掲載され、ブルーのイルミネーションで装飾されている。この反対側にも同じものがある。色の取り合わせとしてはセンスが良くないのだが、王様を敬うタイ市民の気持ちがこのようなカタチになっている。アンナと王様の映画もタイ国民の気持ちを十分に汲んだ内容になっている。

1月22日(土曜日)
今回の出張でも沢山のディスクを購入してきた。ディスクはPAL仕様だが、シンガポールで買ったSONYのBDがPAL仕様なので全く問題なく楽しめる。Beyonce Live, Mariya Carey/The emancipation of mini, Katr Perry, Andrea Bocelli, Britne Spears/Live from LAS VEGAS, METALLICA , Sting live in BERLIN, U2/360°,Jennifer Lopez,ざっと見たところ全てGOOD。一本2時間余りあるので見切れない。まずはBeyonceから。実にパワフル、女性の観客が多いのは、バンドに女性陣を布陣しているからだと見た。歌とダンスと見応えあるショウ、楽器のパフォーマンス。だれかとこのコンサートを共有して語りたい気がする。だが、僕の周りにはそんな人は居ない。それがフェイスブックと言うサイトを利用すると言うことでしょうか。新聞ではフェイスブックの利用がグーグルを抜いた記事が掲載されていた。グーグルは株価も2%落ちた。

1月21日(金曜日)
カメラを借りているので、この間に性能を試すため、早速近くの咲くやこの花館に行った。G2、GH1、GH2、LX5。まずはISOの比較。フォーザーズのセンサーと1/1.68インチのセンサーの違いも気になっていた。こちらの比較は16MセンサーのGH2が圧倒した。LX5はセンサーが小さいので苦戦。健闘したのはGH1。同じセンサーのG2と比べても互角である。液晶の見やすさはGH1→G2→LX5→GH2。GH2はガイドラインをソニーと同じく黒色にして見にくくなった。今回同じレンズが使えるので画角の問題は起きなかった。画角の問題が起きないと言うことは、同じような写真となる。雑誌でカメラの比較を行っているが、彼等プロ達はこの問題をどうとらえているのだろうか?画角の違う写真を撮影して平気で色乗りがわるいだの、フレアが出ているとか勝手なことを言っているのだ。僕がカメラ雑誌のカメラ評価を信用しないのは、同じカメラで撮影すると掲載記事と違う結果が出る場合が多いのだ。それは主にこの画角に依ることが多い。彼等は評論記事でお金を稼ぐのだから、お金の多い方に転ぶプロでもあるのだ。と言うことで、僕の休養はこのカメラ比較の写真を撮影することに費やされた。実はこれがしっかりと休養になっていると言う仕事なのか趣味なのか渾然一体なのだ。

1月20日(木曜日)
東京の仲間に、疲労困憊のメールを送ったら、「寝るのが一番」との返事だった。それで昨晩はよく寝たので今日は元気溌剌だ。当初の予定では1週間後バングラディシュ行きだったが、先方の都合で延期になった。本音は元気が回復してきているとはいえもう少し休養したかったので良かった。そして、中旬からはインド行きだからその準備もある。今度のインドは主要都市を回る計画だからはやり厳しいはずだ。だから余計にエネルギーの充電が必要である。と言うことで、明日は休暇を取ることにした。管理職は休日出勤をしても代休はない、代休を取得すると年休扱い。今回の出張も休日によく働いた。一日に20時間も働いた。滅多に休暇を取らないが体が壊れないように防御だ。とは言え、休むために仕上げなければならないものもあり、帰るのが遅くなった。夕飯は会社の仲間と一緒に京橋の「もとや食堂」さんに行った。ここは何度も書くがとにかく安くて量が多い。今日も530円で動けなくなった。ここから徒歩で40分。丁度の腹ごなしだ。またもや疲れることをしている。


1月19日(水曜日)
ほとんど眠れぬまま関西空港利降り立った。予定より10分程度早く到着したものの、関空内の航空機の移動が30分程度あり結局は元の木阿弥。何で飛行場の中を飛行機でゆっくりと移動しなければならないのか不明。今まで行った他の空港もこんな事はない。あのインドでさえそんな場合はタラップで客を降ろしてバスで移動だ。私が思うに、この飛行場は飛行機が走る速度が他の空港に比べて極端に遅いのではないかと思う。いわゆる変な規制があるのです。そして機体は止まったが、ドアが開くのにこれまた時間がかかる。シンガポール空港はあっという間に客が降車できる。関空の赤字対策に伊丹を閉めてここに集中させる安易な解決策しか見いだしてないようだが、まずは足元を固める必要がありそうだ。関空のTOPも経営が下手だと言うことの証明がここにある。自宅に帰り2時間の仮眠。昼飯にチャーハンとラーメンを「豚吉」さんで食べた。一寸量が多かったが、昨晩の8時ごろから喰ってないので十分腹に収まった。それでも会社には自転車で15分で到着するから午後一番の時間帯には出社できた。今日はつらい。それにもかかわらず会社が終わると仲間と飲みに出かけた。2,000円の割引券があるというので。卑しいですね。京橋の商店街を抜けたところにある、「鳥ひめ」さんに行った。ここは2階がメインフロアで、外の風が吹き込まないのがよい。二人でビール5杯とつまみだけなのに7,000円もかかった。割引を入れて5,000円。結局普通の店と値段が変わらない。今「GREE・クリスアンダーソン」という本を読んでいる。何でもただのビジネスモデルを扱った本だ。ただにはからくりがある、当然収支があうようにできている。なるほど今晩の経験で納得した。

1月18日(火曜日)
今日は事務所の隣にある食堂の隣の会議室で終日会議。昼飯は、社員食堂でいただく。これがなかなかしっかりしてて旨い。トムヤンクも舌がしびれるような強烈な味があり、ナカナカ旨い。会議にはいつもの顔ぶれの人がいた。他の国のように、言葉が通じないので打ち解けることができないのが残念だ。オカマさんも居た。時々熱い目線を送ってくる。オカマになるには相当勇気が必要なので、仕事の方もしっかりしているのではないかと推測する。通訳が居れば次回は話しても良いかも知れない。オカマと言えば、小田急のショールーム勤めている頃、毎日オカマさんのお客様が僕を指名してきて、接客をした。彼はカナダのヘレンレディーに入れ込んでいて、時々レコードを聞かせてもらったがナカナカ良かった。その旨彼に伝えると、そのレコードをプレゼントしてくれた。お正月には杉並にあった松の木寮に押しかけてくるというので、断るのに四苦八苦した。当然ながら、ショウールームの先輩女性たちは一切の支援がなかった。と言うことで、昔から僕はオカマさんには縁があるのである。仕事を終えて事務所からタクシーでそのまま空港に向かった。乗る前にレシートはあるか?Okだと言うが、降りるとき無いと言う。おまけに123バーツに140バーツ(100バーツと20バーツ紙幣2枚)を渡したが、彼は120バーツしか受け取ってないと言う。おつりは要らないからチップだと言うが、彼は3バーツ不足していると言う。ぼけとるとんちゃうか?結局3バーツはいらないと言うことになった。時刻は6時、まだ出発までに6時間もある。Eコーナーのタイ航空のラウンジにベッドがあったことを思いだして、ここで8時前まで横になった。睡眠に落ちる前に隣のPCコーナーで電話をするヤツがいる、この繰り返し。しかし体が動かなく腹も立たなかった。夕飯はここのラウンジで頂き、ビールやヘネシーを頂く。どういう訳か疲れていると酒も効かないですね、飲むほどに頭が冴えてしまった。午後11時半やっと飛行機は日本に向けて飛び立った。1時間ほど過ぎてみんなが寝静まった頃、機長は飛行ルートや現地の天候などを細かく話し始める。タイ語に続き英語で、そして日本人のステワーデスが日本語で。おまえら時と場合を考えろよ。そして静かになったらしばらくして今度は免税品の販売は到着45分前に締め切ると言う。そんなの今言うこと無いだろう。そして、午前4時半朝食。僕は無視。5時半外国人に対する日本の入国のことについてビデオを流す。それも日本語で?。タイ人の考えることはこの程度なんだ。いやタイ人とは限らなくおおむね外国人はサービスという概念がないのである。

1月17日(月曜日)
今日はタイの事務所。少し事務が出来るかなと思ったが、打ち合わせとかで、結局手付かず。午後の4時に作業を終えてホテルに帰った。これから、市場調査に向かうのだ。昨日下調べをしてあるので、R氏への案内は比較的スムーズである。まずはセントラルワールドにある、パワーバイと呼ばれる販売店。ヨドバシカメラと遜色の無い綺麗な展示がある。それから、ITビルへ。途中、昨日に無かった屋台がでている。昨年I氏に案内してもらったとき、ここで食ってはいけないと注意された。しかし、塩にまぶした焼き魚はとても気になる存在だ。今回はITビルでカメラを中心に見て回る。ここはマニアの集まる店なので、カメラはキャノン、ニコンが中心だ。だが日本のようにプロ用機器はない。レンズも比較的暗いレンズが多い。歩き回っていると瞬く間に時間が過ぎる。R氏も私もこのビルに来ると時間を忘れてしまう。繁華街とはいえあまり遅くなるとやばいので8時には切り上げた。そして、夕食をこの屋台でいただくことに。焼き魚であるが、これは冷たいのが出てきた。まぁそれでも焼けていたので食べることにした。タレは、醤油に唐辛子である。唐辛子は青色タイプだから強烈な味。だがこの魚の身は締まっていて、淡白でとてもおいしい。ビールを注文すれば良かったのだが、相棒のシンガポール人は飲まないので、僕も飲まない。焼き飯は、一人前の注文でおおよそ二人分ある。野菜炒めも同じ。料金は〆て200バーツ、600円。このような大きな魚を東京で食ったら5,000円仕事ですね。駅に向かう途中に象の帽子があったので、値切って150 ?で買った。タイは面白い。BTSに乗って再びホテルに帰った。9時半だった。

1月16日(日曜日)
6時に起床。昨晩寝たのが1時だったので5時間ほどしか寝てない。今回の出張は寝る時間が少ないので疲れる。しかし、その割りに体の調子が良いのは、食事は野菜とフルーツに限定していることと、夜の食事が旨く取れなかったことがある。と言うわけで、割と元気にタイに戻れるのである。7時15分、チェックアウトするにはぎりぎりの時間にメールを開くと岐阜の大沢さんから昨年末のヨーロッパ旅行の吹雪の情報が届いていた。少し返事を書きかけたのだが、時間切れで途中でやめた。7時半チェックアウト、昨晩、冷蔵庫のビールを飲んだが、これが350ml2本で12ドルととても高いのに気が付いた。8時空港着、滞りなく出国審査をパスして、荷物検査に向かったところで青くなった。なぜなら、かばんの中にあるはずのPCが無いのだ。大変なことになったぞ。とりあえずホテルに電話を入れてチェックしてもらうと20分後に電話しろという。それまでここで待つのか?居ても立ってもいられない。いやいや、ぎりぎりだが、一度ホテルに引き返したほうがよい、と心の声が聞こえてきて、イミグレの係員に相談すると、パスポートをあずかるから急いで行って来いと言う。あわててタクシーを捜し飛び乗った。旨く間に合うと、20ドル出す。運転手もまじめなのか急いでくれた。20分でホテルに到着、ドアマンに相談すると、一緒に部屋に駆け込んでくれた。丁度ルームキーパーさんが居て、PCは下の預かり室に保管していると言う。「ありがとう」と1ドル渡した。今度は従業員用のエレベーターで地下室へ。やっと、私のPCに再会できた。今度は急いで出口に走り、待たしておいたタクシーに飛び乗った。そんなことで、空港とホテルの往復を45分で仕上げてもらい、無事バンコク行きの飛行に間に合ったというわけだ。いつも部屋を見渡して忘れ物のチェックをするのに、今回はそれさえも忘れていた。昨晩寝る前にビールを2本飲んだのがどうやら効いているらしい。12時過ぎにタイのホテルにチェックイン。フロントの係員に、CDショップはどこにあるのか聞けば、セントラルワールドにあるという。BTSと呼ばれる地下鉄に乗り、チクロンで降りればそのビルがある(セントラルワールドは燃えて工事中でその隣のビル)、BTSの乗車時間は7分くらい。昨年4月の暴動の時は、このあたりが中心となりビルが燃えた。そこに向かうのだ。ホテルから最寄のBTS(プロンプロン)の駅へ徒歩。ホテルから10分強歩く。途中に屋台を大きくしたようなラーメン屋がある。丁度良い時間なので入った。ものすごい人で混雑している。メニューは読めないので、隣に座っているご婦人と同じものを注文した。この婦人には手を合わせてお礼をすると、親切に僕の飲み物のアドバイスをしてくれた。食べている途中に先ほどの注文を聞いた人が来て何かを言う。僕はお勘定だと思い、財布を取り出そうとすると、NONOと言って去ってしまった。この人は一体何を言ったのだろう?他の客とのやり取りを見ていると、「もう一杯、いかが」みたいなことを言っているのだ。食べ終えると、その隣にも同じように繁盛している店があった。帰りはここでもう一杯食べよう。ビルの案内嬢に聞くとBS2と看板の上がっているCDショップがあるという。店員を捕まえて目当てのCDを探してもらうが、どうやら在庫が無い。DVDもない。この店は大きい、しかも日曜日の午後なのに余り人が入ってない。やはりここはコピー天国なのかな?それでここから15分ほど離れたところにある、Pantip Plazaに足を伸ばした。この店は、いわゆるITビルで、ビル全体に電気屋さんが密集している。CDやDVDのコピー屋さんは2階にある。ソフトはヒット曲ばかりものすごいストックだ。先ほどの正規店とは比べ物にならない。対応してくれたのはおかまさん。綺麗な肌と目をしているが、声が完全に男なのだ。だが、見くびってはいけない。僕が欲しいアーティストを話すと、それから類推して、これはどうか、あれはどうか?と推薦してくれる。結局6枚も買ってしまった。この兄ちゃんはしっかりとソフトの勉強をしている。オカマなのに好感が持てる。昨晩はカンボジアでプロのオカマのダンスショーを見たが、こちらも見事なものだった。やっぱり仕事に徹するという意味では、この人たちの姿勢は只者ではないのを感じた。今回購入したディスクをチェックしてよければ、次回も彼から買う事にしよう。今日は悪いことが午前中に一つ、良いことが午後に一つ。プラスマイナス0だ。帰りに、先ほどのラーメン屋さんに寄って、やはり、となりの人が食べていたのと同じもを、と言う注文でラーメンを食べた。途中でやはり同じように尋ねてきたが、今回は意味を理解して、注文を断った。次回のためにこの料理の注文方法を聞くと、料理の名前は、Bamee nuem(バーミナーン)と言う。忘れないように紙に書いてもらった。隣の店と味比べはどうかと聞かれると、よく似ているとしか答えられない。今日は暑かったのでビールでも飲もう、コンビニへ行くと、何とビールは午後5時まで販売できないと言う。???。

1月15日(土曜日)
睡眠不足は続く
朝6時半起床朝食、7時半から会場で再び昨日の続き。10時にやっと完成した。これからお客さんを向かえセレモニー。ランチはお客様と同じテーブルでいただく中華料理のコース。ふかひれとか、あわびとか(とろけるように柔らかい)、一応高級食材を使ったメニュー。給仕もしてくれる。僕らはただ食べるだけでよい。その後休憩の後、別の会議が始まる。こちらはプレゼンテーションが派手で、カンボジアの民族舞踊や、ファッションショー、歌謡ショーがある。それぞれをカメラに収めた。どこの国でも美人は居て、美人はやっぱり綺麗である(当たり前か)そして、美人は万人が認める。このセレモニーも午後9時半には終了した。そしてこれから僕達の出番。会場の片づけを行うのだ。これがやはり3時間程度かかり、終了は午前0時。二日も続けてだ。その一日前は徹夜をしている。だが、頭はさえて眠れない。一人でのみに行くわけにも行かず、部屋の冷蔵庫にあるビール2本を飲む。飲まずには居られなかった。飲んで区切りをつけたかった。そして不思議なことにこれがものすごく旨かったのだ。


1月14日(金曜日)
まだ睡眠不足だが
今日は明日の開所式の準備。アジアの業者は動きが鈍い。朝から待っているがなかなかめどが立たない。昼飯を食べてからにしようと区切りを決めた。昼飯は、今度は別の取引先の方が連れて行ってくれた。超本格的な現地流中華料理の店だ。Hennessyと言う名前。名前のごとく店にはブランデーの在庫(展示)が多い。醤油の中に、大量のにんにくと唐辛子を入れて料理が運ばれてくるのを待つ。これが現地流。野菜炒め、鳥を蒸したもの、牛の尻尾を煮込んだもの。豚のスペアリブ、これは、にんにくの中に一晩浸しておいたような強烈なにおい(香り)がある。どれも強烈な味だ。しかもこれに、先ほどの香辛料をつけていただくから、口は半端な状態ではない。腹いっぱいいただきましたね。胃の方がびっくりして、食べた量を測れなくなっているのでどんどん入る。この店に案内くださった方は、車を趣味としていて、3ヶ月に一度車を買い替えているとのこと。今回の車はレクサス460だ。もちろん後ろのシートに座るので、居心地の良いことはこの上ない。カンボジアの悪い道でも、ほとんど振動を拾わない。以前シンガポールでTopのLS400に乗ったがこちらは、結構振動を拾った。ホテルの会場に帰る。だが、準備の進行はめどが立たない状態。今度は8時をめどにしようと、夕食に出かけた。昨日僕が行った店にみんなを案内した。昨日と同じものをみんなでいただいた。食事から帰ってくると、僕たちが作業できる状態になっていた。これから商品を開墾して展示して、調整して、結局午前0時に作業を終えた。寝たのは午前1時だった。

1月13日(木曜日)
睡眠不足
スリランカ時間午前5時過ぎ無事タイの空港に到着した。例によって夜中は全く眠れなかった。ふらふらで空港に降り立ち、カンボジア行きの飛行機を探す。タイ航空のラウンジの隣に出発カウンターはありしばしここで休憩。カンボジア到着。飛行時間は40分。東京大阪みたいなもの。カンボジアでは、もし税関で問題が起きてはいけないと私のために、現地の顔効きの社長を呼んでくれていた。彼は、入国審査前(?)まで来ていて、パスポートは、この人に預けるだけで、入国審査は通過するだけ。審査官は笑ってGoGoと言った。VIP待遇です。僕は荷物の受け取りターンテーブルで待っていると、印を押したパスポートが届けられた。こんな経験ははじめです。ナカナカ気分の良いものです。たぶんいくらかお金は動くだろうが、これは現地人の社長が払っていると思われる。飛行機の到着からホテルリムジンカーに乗るまでに15分。ホテルから現地駐在のK氏に電話をすると1時間後に迎えに来るという。僕は睡眠不足なので、そんなにあわてなくても良いと思うのだが、早く仕事をして欲しいのだ。シャワーを浴び火照りを取っていると迎えの電話が来た。事務所は街のど真ん中にある。事務所開設に際し雇用した従業員とも挨拶をした。僕の英語力は未熟であることを頭の良い彼らは察知した。これは良いことだ。手加減した英語を話してくれるからだ。昼飯は所長(所長といっても、大阪にいたころは、お前が俺がと言ってた仲間だ)に日本食の店に連れて行ってもらった。鳥のから揚げ定食(7ドル)を注文した。例によって高くておいしくない。何で、日本人は外国に着てまで日本食を好むのだろうか?カンボジア料理はおいしくないとみんなが言うのだが。明日の準備を済ますと午後5時を過ぎていた。夕刻6時からは僕を迎えてくれた人と、みんなでディナーに行くと言う。コレでは体が持たない、理由を言って僕だけホテルに帰った。夕食のホテルビュフェは26ドルだった。少し散策してなければホテルで食べよう。ところが、ホテルのすぐ隣に、タイ料理の店がある。外から覗くと、家族連れもいる。ここに決定だ。ラーメンと、野菜の炒め物を注文した。なかなかの味だ。野菜のほうは大量のにんにくを使った料理だった。全部で7ドル。午後8時過ぎには寝てしまった。

1月12日(水曜日)
コロンボにて
Topを囲んでの朝食会は午前8時半に開催された。僕は、この時間まで朝食は我慢できず、先に済ます。新しい職場での僕の立場は低位だから上層部の情報が入ってこないが、今日はその情報の一部をご紹介頂き、少し視野が開けた。他社情報で新鮮だったのはLGは「例え一台の注文でもおろそかにしない」社是があるという。非常に分かりやすく、末端の社員でも理解できる。経営理念と言うのはこのような理解しやすいものがいいですね。10時に販売店視察に出かけた。Singerさんだ。ご存知のミシンのシンガーだ。いまやこのブランドは廃れたかと思いきや、しっかりとスリランカで息づいている。中国のOEM会社にSingerブランドでオーダーして、この店には、TVから炊飯器までSingeブランドの商品がそろっている。丁度客が入ってきたので、どんな接客をするのか興味があり聞く。会話はシンハリ語なので十分な意味を理解できているわけではないが、ここの従業員は結構普通の客に専門用語を使って混乱させる接客が得意なようだ。買う気になっている客に余計なことは言わないほうが良いのだが。その後宝石店を視察。この店はコロンボ一番の店で、入り口に鉄格子があり、それをくぐっての店訪問となる。日本の百貨店とは違う宝石店独自の重厚感がある。店員も自信にあふれている。僕らを鴨だと思ったのか、スプライトが提供された。全員が何らかの宝石を買った。僕だけ買わない。昼前にホテルに帰り、日本食の店で昼食。しょうが焼き定食(850 yen)。当然ながら日本食はおいしくない。日本のTVが放映されていて相撲を中継していた。もう初場所の時期なのか?と熱帯の国で日本に思いをはせた。日本はまだまだ先にある。僕の要望でCDショップを訪問することとなった。現地のロシャンが付き合ってくれた。私はコピーを買いたくないといったのに、連れて行かれたのはコピーショップのみ。それで僕が知っている唯一のオリジナルCDショップに連れて行ってもらった。ここで買いたかったのはBritney Spearsだったが、この人の名前を思い出せない。それで、「U2」と「Jennifer Lopes」を買った。ホテルに帰って早速友人のT氏にメールを送り、彼女の名前(Britney)を確認した。ロシャンとはここで別れて、私は出発の準備をする。午後6時半。こちらに来ている日本人全員と現地幹部招待による夕食会。市内から1時間くらい南下したところにあるリゾートホテル。砂浜が広がり、目の前にはインド洋が波打つ。少し雨がぱらついたが、屋外のテーブルで食事を始める。風が気持ちよい。日本は凍えているだろうな、スマヌスマヌ。まずはワイン。選択してくれたのはドイツのワインだが甘いようで、きりりと締まったものすごい味。庶民の飲むようなワインではないと思いましたね。さもしい私はこのときとばかり飲みました。多分「ハンドレッドダラーオーバー(8,300 yen以上)」でしょうね。夜も更けて私たちは空港へと向かった。午前1時35分に出発する飛行機に乗るためだ。ラウンジでTopからスリランカにお住まいのリッチマンを紹介いただいた。そのリッチマンはたまたま席が隣だっただけだが社交家のTopは誰とでも気軽に話すので知り得たというわけ。「家の庭でクリケットが出来るのか?」と聞くと「ゴルフができる」と回答された。いはやもはや。

1月11日(火曜日)
4時間の睡眠だが、やっと平常の体力を取り戻した。デモ写真用の写真を撮影するために現地の人と昼から出発。この人の名前はロシャンと言って、なかなか頭が良い。僕との会話が通じるように彼は配慮のある話し方をしてくれる。だから、コミュニケーションには全く問題がない。まずは食事をしようと言うことでマクドナルドに向かったが、ルートの関係から別の店に行くことになった。彼らは日本人に対し、どんな食べ物が良いかと必ず聞く。僕の回答はいつも「Everything Ok」と伝えるので、大体が彼らの好きなところにつれてゆく。どこの国もこのパターン。そして実にこれがいいのです。絶対に旨いのだ。入った店はやはりハンバーグ屋さんだが、ここはマクドナルドとは違うナカナカ深い味で、感動した。その味が地元の人に魅力なのか結構店は込み合っていた。高校生も沢山いる。ハンバーグは一個380円。この国の経済力を思うと、380円は高価だと思うだが、彼らがどんな家庭の子女なのかは不明。その後、美術館前にある大きな公園に出かけた。小さな街だが立派な公園がありすばらしい。写真の撮影はOKだが、ムービーはだめだと入り口の係員が言う。許可を取るのにずいぶんと時間がかかり公園に入る。中は木や緑の芝生の他には何もない。何もないので、非常に気持ちが良い。BGMのたぐいもない。イギリスが宗主国だったので、この国は発展途上国だが、文化は大人の国だ。ホテルに帰ると、今日のイベントための準備。開催直前に完成して、あわてて着替えをしてイベントに望む。私の担当は商品デモ要員なので、いろんな人から質問を受ける。顔見知りのキャンディー市(ここから車で5時間=110km)から来た少年にも会った。少年と言っても僕よりもはるかに大きな子供であるが。後で父が来て、久しぶりの挨拶をする。この父子はいかにも人の良さそうな田舎の人って感じ。実に好感が持てる人物だ。今回はいろんな人の質問が驚くように理解できた。地元言語にはシンハラ語も存在するが、ほぼ英語圏。前回のイベントでも見たダンスショーがあった。今回は大胆にダンサーを捕まえて撮影する。人物写真は至近距離撮影がベスト。これは、カメラマンの常識だが、一般の人の常識ではない。前回は僕もおそるおそる遠くで撮影したので余り良い写真にはならなかった。彼女はプロだから、その辺の事情は知っている。僕は食事の時間がほとんどないまま、ダンスイベントへとなだれ込んだ。これは、バンドをバックに踊るのだが、別に女がいるわけではない。とにかく男だけでもダンスをして楽しむ。この時間が来れば、もう帰ってよいことになる。時計を見ると11時前だった。

1月10日(月曜日)
すっきりと目が覚めたが、寝た時間は4時間程度。だが、昨日のタイ空港で降り立ったときの疲れはなんとか取れていた。まずは朝食。5つ星ホテルなのに、レストランのメニューは少ない。野菜の煮たものさえない。それで、かわりにインドの豆カレーを選択して、これにフルーツと紅茶。紅茶はセイロンティー。マイルドでほのかな香りが立ち、かすかなコクが感じられるという絶妙な味。フルーツの中にりんごのようなものがあったので聞いてみた。「グァバ」と言う。グァバジュースはおいしいが、生のはあんまりおいしくない。紅茶の後にコーヒーも注文した。この国はコーヒーも旨い。うんと濃いが、苦いと言うのではないコクがある。すっぱくもない。日本で飲むコーヒーはすっぱいのが多い。すっぱいのは日本人好みだろうか?僕はこちらの苦いが方が何倍か旨いと思うのだが味覚がおかしいのかも知れない。新聞にはキャノンが低価格の新製品を発売する記事が掲載されていた。不思議なことにこの記事は全文理解できた。オドロキはそれだけではないぞ、明日の行事の打ち合わせを行うミーティングに同席したが、話していることがなんとなく理解できるではないか?今年の3月に来たときはほとんど分からなかったが。午後6時に本日のすべての行事を終えてホテルに送り届けてもらった。まだ少し明るかったので、好奇心の塊の僕は、カメラを持って海岸へ散歩に出かけた。もちろん三脚持参だ。三脚は危なくなったときは武器にもなるし、夜景を撮影するのに必要だ。ホテルの近くにある1kmほどの海岸は多くの人たちが散歩をしているので危なくないと判断した。暗がりでは若い二人が抱き合っている、家族は海に向かって涼んでいる。戦争が終わって1年と少し。元の活気を取り戻したようだ。ここはスリランカ人達の憩いの場所だ。海岸には夜店が結構多く明るさもある。夕食はこのホテルのシーフードレストランでいただく。あまり腹が減ってなかったが、魚たちを見ると食欲がわいてきていろいろと注文しすぎてしまった。一人3200円。ブッフェスタイルなので、いろんなコーナーに食べ物つくりのパフォーマンスがある。その中でおばあさんの人が揚げ物をしている。その揚げ物が出来上がるのを待っているスリランカ人の奥様に聞くと、スリランカのお正月料理だと言う。僕達の隣では、欧米人のご年配のグループがいて、その中の一人が撮影をしている。僕には「良い三脚を持っていますね」、と声をかけてきた。そのおじさん、僕たちが帰る頃、又声をかけてきて、「貴方のカメラは新製品か?」と聞いた。彼はLUMIXのGF1を持っていたので興味が高かったのだろう。「そうだ、昨年末の新製品だ」。と答えて液晶の写真を見せた。きっと彼はこのLCDを見てこのカメラが欲しくなるだろうなと思った。フランス人のような気がしたが、みんなインドなまりの英語を話していた。

1月9日(日曜日)
今朝もまた目覚まし時計がならない。出張となるといつもこれだ。少し寒いが薄着だ。熱帯では日本の冬服は邪魔になる。タイまでの6時間はきつかった。ぐったりしてタイ空港に到着した。多くの日本人はこの連休を楽しんでいるのだが。あまりのつらさに、ラウンジの狭い椅子に体を丸めて眠る。2時間ほど寝ただろうか?やっと次の移動に耐えられる体力が回復してきた。日本時間の午前0時定刻にスリランカに向けて飛行機は飛び立った。今日は機内食をいただくぞと決めていたので、しばらくは起きていた。この便の食事は割りによいというのが分かった。カレーが混じるので塩気のある食事だからだ。空港到着は午前3時半。それから市内のホテルまで1時間。今回は行事の関係からヒルトンホテル。今まで宿泊していたシナモンホテルよりか設備は下で値段は上。とにかく寝ることだ。シャワーを浴びて寝たのが、午前6時。やれやれだ。
<写真はコロンボ国際空港免税店>



1月8日(土曜日)
土佐文旦
田舎から土佐文旦を持ち帰ってきた。このみかんは、皮が厚いが実が淡白でなかなかおいしい。ハンドボールぐらいの大きさがある。食べ方は、上と下を包丁でカットして、縦方向に、同じく包丁で切り目を、5〜6ヶ所入れる。そして切れ目に沿って皮をむいて、みかんの袋状態にする。その袋を一房ごときり離して、更に袋から実を取り出す。昔は、これに砂糖をまぶさないと食べられなかったが、いまではそのままでOKだ。そのむいた皮は風呂に入れると、柚子と同じように温まるし香りが良いと友人のT氏は言った。ぼくも早速試してみた。なるほど、風呂のふたを開けるとほんのりみかんがにおう。それで、浸かった。しばらくすると、あちこちを刺すような痛みが走る。みかんが少しキツイのかな?と思いながらもそのまま温まっていたら、我慢出来ないような刺激となってきた。風呂の湯面は腰までなので、下半身が全体やけどしたような痛みに被われたのだ。これはいかんと、飛び出てシャワーをあびるものの、全く効き目がなく、ひりひり状態だ。石鹸で洗えばよいかなと、洗うと更に痛みが激しくなった。風呂から出て下半身に全体にやけどに効くといわれるオロナイン軟膏を塗りたくった。慣れない事はするものではない。


1月8日(土曜日)
CES
昨年のCESは音元出版のサイドである「ファイルウエブ」から情報を取った。今年も同じように情報を入手した。違うのは、「ニューヨークタイムズ」や、「ロサンジェルスタイムズ」からも、情報を得たことだ。写真が添付さているサイトでは、少し辞書の助けを借りれば読むことが出来るようになっていたのだ。これらのサイトの報道は日本のファイルウエブとは違う。例えば、フライパンやコンロに無線で調理の為の火加減を送るとか、モトクロスのヘルメットにフルHDカメラを装着したこととか、ちょっとおもしろそうな事に紙面を費やしている。読んでいて楽しい記事が多いのだ。夕刻プール。昼間のエネルギー消費を鑑み、クロール2.5km。明日からスリランカに向かうので当面の間休止。今回は11日間の予定で前述のカンボジア、その後タイ。今回はタイでも仕事がある。仕事を終えてから、深夜便で帰国する。深夜便はつらい上に、自宅に荷物を置いてから、出社しなければならないことだ。移動中も仕事と考えれば、30時間くらいぶっ通しで仕事をすることになりますね。

1月7日(金曜日)
NMB48
会社の食堂に七草がゆのコーナーがあった。早速これを注文していただいたのだが、午後の2時過ぎには腹が減って仕方なくなった。それで、丁度日本橋に出かけていたこともあり、うどんを食った。やっと落ち着いたところで、帰ろうとするとたいそうな行列が出来ているではないか。彼等の話を漏れ聞くと朝の9時から並んでいると言う。最後尾の高校生に聞いてみた、「何で並んでいるの?」「NNB48だよ、一緒にどうか」と言われた。僕は何かのイベントだろうと思い、遠慮すると答えた。早速ネットで調べてみると、正式にはNMB48が正しく、AKB48の向こうを張るアイドル達と言うことがわかった。両方とも電気街の名前であるが、しかし今、電気街は寂れてしまい、メイドカフェがのさばっていて、リュックを背負ったオタクが集う街になっていると言う共通点がある。もしも僕が女性であってPCに興味があったとしても、ここに集うオタク系の男性とは親しくなりたくないですね。彼等はジャンクフードの食べ過ぎで肥満体であるし、偏狭な性格で、それに第一お金を持ってない。そんな人達が担ぎ上げたのが、このアイドルだ。NMB48はつぶさに見ると全然かわいくない。女なら誰でも良いと言うのが、オタク系の特徴でもある。

1月6日(木曜日)
カンボジア
始めてカンボジアに行く。そのため、我が事務所でもこのことでてんやわんやの様相を呈している。まだ経済が十分に発達してないので、電源の口(コンセントのこと)がどうやらいく種類もあるようだ。僕らは電気をつなぐことが出来なければどうしようもない。その元が揺れている。非常にエキサイティングな国だ。しかし、この事務所には、このような国に強く、経験の長い女性がいる。その方と今回はご一緒だから安心だ。危機に強いと言う人物が存在するのは、映画なんかを見てても安心がありますね。カンボジアはベトナムとタイとの間にあり、サイゴンとバンコックを結ぶ回廊(国道と言わない)が街の中心を貫いている。それと、あこがれのトンレサップ川とメコン川を見ることも出来るようだ。アジアの文化はメコン川なしに語れないし、カンボジアはトンレサップ湖と川を抜きにしてはあり得ないのだ。カンボジアに興味が高い理由にずっと昔に見た映画「キリング・フィールド」がある。この映画の衝撃は凄かった。それが今でもまぶたに焼き付いている。変な好奇心が沸いてこないことを祈っている。

1月5日(水曜日)
一段UP
今日は階段を一つ登った。長年の課題であった水泳のバタフライが何とかものになったのだ。50mを泳ぐことが出来た。バタフライは腹筋と腰の運動に最適だとあこがれていたが、手の動きと足との関係がどうもしっくり来なくて、いつもまずいプールの水を飲んでばかりいたのだ。だが、昨年末門真にあるなみはやドームのプールで、ココロの中に「お告げ」があり、試してみると旨く行きそうだと感触を得た。正月休暇はそのイメージトレーニングを行って、今日実際に試してみると旨くいくではないか。苦節40年。やっとバタフライをものに出来た。この年になっても、スポーツで階段を登ることができると言う嬉しいニュースである。それと、音信不通になっていた、プールで出会った外人と久しぶりに会うことができて、新年の挨拶をした。新年早々縁起が良いぞ。夜は疲れてしまい、9時前に寝ることになった。


1月4日(火曜日)
母は今日透析に向かうので朝が早い、僕は今日大阪に帰る予定、それなのに声もかけず出かけようとする。今までの母にはあり得ないことだが、もう昔の母でないとすれば仕方ないことだ。お雑煮を作って、家の掃除をして、母の屎尿を捨ててやっと帰れる体制が整った。お正月休暇と言っても、生活の場所が大阪から高知に変わっただけだった。祖父達が眠る墓にお参りに行くと、隣に植えた土佐分担がたわわに実っているではないか。早速友人のT氏を呼び、一緒に収穫した。土佐分担はソフトボールよりも一回り大きく、ハンドボールより少し小さい、淡泊な味のするミカンである。12時過ぎに高知を出発した。四国山脈を抜けると、道路の端には雪が積もり、元旦の雪の凄さを残していた(元旦は積雪のため通行止め)。道中とりとめのない話だったが、うどんのあるパーキングエリアを見逃してしまい、代わりに王将で飯を食うことにした。僕は餃子とビール、友人はノンアルコールビール。明石大橋を渡った所のバス停で下ろしてもらった。橋脚の横にエレベーターがあり、降りるとJR舞子駅である。便利だが違反です。京橋からは久しぶりに歩いて帰った。大量のミカンを背負ったので肩が痛かったが、食べ過ぎた餃子が旨くこなれた。風呂にゆっくりと浸かり旅の疲れを落としたら、腹の調子がよろしくない。しばらくすると猛烈な痛みがやってきた。徳島の王将で喰った、餃子なのか、チャンポンなのか、牡蠣フライのどれかに食中毒を起こすものがあった。やれやれだ。

1月3日(月曜日)
おじさん宅(父の弟)を訪問、こちらは至って元気。晩飯の飲み会のお誘いをうけただ、母の調子が悪いのでお断りをした。母はこの日調子が悪いと言うことで、一日寝たままだった。朝飯は父が食事の世話をして、昼は僕が世話をした。家の中は汚れ、ゴミが散乱している。以前は片付けていたが、僕がいなくなるとたちまち元の黙阿弥に戻るので、もうそのままにした。父も、この現状にはどうやら達観したような話しぶりをする。そして、僕も老いると、几帳面さよりも、怠惰の方に転げ落ちるのかと思うと、腹も立たなくなった。そして両親達の生き方は年相応だと思うようにもなった。夕刻に夕陽を見に行こうとT氏に誘われた。場所は矢流(やながれ)。ここは、芸西村の海岸を東から西に向かって一望することが出来る。芸西村の海岸は湾曲して、広い砂浜と松林と区分けが明確でコントラストがスゴイ。そして砂浜は広くてキレイだし、松林も50m程の幅があり層が厚い。グーグルでも沢山ヒットする。お正月はこの浜で日の出を撮影した。そんな浜を背景に夕陽を撮影するのだ。待っていると人が集まってきた。日没には雲がたなびき、丁度飛行機が通りかかったので最高の演出となった。さすがに日本人のおじさん、おばさんばかりなので拍手はなかったけど。

1月2日(日曜日)
高知市に住む友人のKさんが尋ねてくるから、一寸部屋も片付けて、頑張って読書も勧めておこうと根を詰めていたら、いっこうに音沙汰が聞こえてこない。これは夏に煩った、心臓の病気の影響があるのではないかと、独り合点して、今日は読書に当てようと、これまた、一人で決めた。ipadで読む書籍でわかったことは、読む速度が非常に遅くなることだ。通常HiVi誌(AV雑誌)は6時間半ほどで読んでしまうのに、ipadで読むと10時間ほどを要するのだ。読書スピードが遅くなる理由は、マーカーを引くのに2アクションが必要なことと、拡大して読んでいるので、行を探し当てるのに、少し指の作業が必要であることの2点が時間を消費する。その代わり、マーカーには見出しが付けられるので、後で読み返すときに一発でそのページを探し当てることが出来るメリットがある。小説のような文字ばかりの場合は電子書籍も、ペーパーも読む速度に差がないと思うが、雑誌のような段組構成のある書籍は余分な時間がかかると言うことを経験した。

1月1日(土曜日)
父は車で母の透析の為、病院の送迎バスの停車場まで送らなければならない。そのため、お正月のセレモニーは9時頃となる。ちょいと小腹が空きすぎる程度になるのだが仕方ない。友人のT氏とその母をお招きして9時過ぎに飲み始めた。高知は寒いとはいえ、太陽が部屋の中まで足を伸ばすと、そこは南国、ぽかぽかと暖かい。12時過ぎまで飲んでから、友人と2人で裏の山に犬を連れて登った。小学生の頃は、この山に走り上がっていたのだが、今はお酒を飲んでいることもあり、ぜぇぜぇと息を吐きながら登る。中腹の四国電力の鉄塔がある見晴台までくると、村内が一望できる。寒いが気持ちよい風が抜けてゆく。一通り想い出の場所を語ってから下り、同級生の眠る墓にお参りをした。碑を読むと彼は40歳で無くなっていた余りにも早い死だった。その後、その親父さんは自宅でひなたぼっこをしてたので一声かけて帰り着いた。そして、金柑を肴にしてまたもやビールを飲みながら、映画を見た。「パイレーツオブカビリアン・デッドマンチェスター」。僕は見ながらいつの間にか眠っていた。眠いのは、昨晩はマッド・ディモンの出演する「グッド・シェパード」を見て、よくわからないストーリーに頭を悩ましてたので、睡眠時間が少なくなったからだ。

12月31日(金曜日)
寒い、寝てても顔が寒い。寒いから何も出来ない、いろんないいわけを自分の中にこしらえながら今年は過ごしたようだ。本年の読書量は69冊だった。更に、一昨年は新職場でとまどいもありながら73冊だった。明らかに今年はいろんな自分へのいいわけを作って、気の抜けた年としてしまった。一つだけいいわけがあるとすれば、今年は海外に88日間出かけていた。この出張期間中はレポートの作成や疲れのための睡眠や、写真撮影などでほとんど読書が出来ず、それが少なさにつながったともいえるのだが、余り強い根拠ではない。映画は47本。英語の映画は、明らかにこの部分はもう一度私は英語で繰り返すことが出来るぞと言う部分が少しだけだができてきた。少し進化かしたかな。この47本の中には英語の字幕だけで見終えた海外で買った映画も5本ほど含まれる。アクションものだから、何となくわかるような気がした。こちらの方は、英語の理解と言うよりは、シーンに対する感を磨くようなものですね。

12月30日(木曜日)
朝6時起床。パンと牛乳とオレンジをかじって朝食を済まし、7時には家を出た。今日は友人のTさんに乗せてもらって田舎に帰るのだ。Tさんは明石に住んでいるから、ここで待ち合わせをする。間違いがあってはいけないと少し早めに出かけた。新快速は乗車口近くの補助席に座ったが、ここは隙間風が入って寒いの何の。今日から本格的な寒さに突入するというので、夕刻の出発を朝に早めたのだ。大陸の大型寒気団が南下してきていて、四国地方も曇りから雪に変わる予報が出されていた。徳島に入ると、西のほうは空が真っ黒で、コレは雪だなと感じさせた。途中から雨が降り出し、11時半、吉野川パーキングエリアで釜揚げうどんを頂きに停車した頃は、スゴイ寒さになっていた。僕はおいしいうどんとビールを飲んだ。Tさんには、ノンアルコールビールをおごってあげた。運転手は飲めないのでかわいそうだ。しばらくの休憩のあと、吉野川を更にさかのぼった。その頃から雪になった。路肩にはうっすらと雪が積もり、天気予報は嘘をつかないと確認した。だが、少し速度を落としただけで通過できた。トンネルを一つ越えると、天候が一変するので、その変化は結構楽しかった。高知方面に下る頃になると、何と太陽が出てきて、気温がぐんぐん上がり、車の暖房は止め、窓を少し開けないと、暑くなった。寒くて暖房をもっと強めてと言ってから、30分くらいで、この変化。北風が吹き寒いとは言えど、車内にいると高知の日中は暖かい。父は餅つきに忙しく、風呂は望めそうにないためシャワーで済ました。寝る前に映画。

12月29日(水曜日)
まだ大阪の自宅にいる。今日は田舎に持ち帰るDVDやBDのディスクの整理を行った。録画して、メモ程度の付箋を貼ってあるディスクに、きちんとラベルを印刷するのだ。そうすることで、一冊160枚ファイルできるCDバックに収納しても、問題なく取り出しが可能になるからである。これに時間を費やした後、今度は雑誌のスキャナー取り込みだ。カメラ雑誌やAV雑誌など、休みの間に読むための本をPDF化した。そしてiPadに転送する。そうすれば、重い本を田舎に持って帰ることはなく、しかも沢山持ち帰りが可能と言うわけだ。これにも相当時間を費やして、今日を終えた。寝る前に、「馬鹿な犬が教えてくれたこと」と言うつまらない映画を見た。若い夫婦が、一匹のゴールデンリトリバーを飼う(名前をマリー)。この犬をめぐってこの二人の生活が築かれてゆくという取り留めのない映画だった。途中でやめればよいところと最後まで見てしまった。