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説教日:2024年6月9日 |
こうして、主は再びイスラエルの民と契約を結んでくださいました。出エジプト記34章28節に、 モーセはそこに四十日四十夜、主とともにいた。彼はパンも食べず、水も飲まなかった。そして、石の板に契約のことば、十のことばを書き記した。 と記されているとおりです。 これに続く29節ー35節には、 それから、モーセはシナイ山から下りて来た。モーセが山を下りて来たとき、その手に二枚のさとしの板を持っていた。モーセは、主と話したために自分の顔の肌が輝きを放っているのを知らなかった。アロンと、イスラエルの子らはみなモーセを見た。なんと、彼の顔の肌は輝きを放っていた。それで彼らは彼に近づくのを恐れた。モーセが彼らを呼び寄せると、アロンと、会衆の上に立つ族長はみな彼のところに戻って来た。モーセは彼らに話しかけた。それから、イスラエルの子らはみな近寄って来た。彼は主がシナイ山で告げられたことを、ことごとく彼らに命じた。モーセは彼らと語り終えると、顔に覆いを掛けた。モーセが主と語るために主の前に行くとき、彼はその覆いを外に出て来るまで外していた。外に出て来ると、命じられたことをイスラエルの子らに告げた。イスラエルの子らがモーセの顔を見ると、モーセの顔の肌は輝きを放っていた。モーセは、主と語るために入って行くまで、自分の顔に再び覆いを掛けるのを常としていた。 と記されています。 ここには、モーセの「顔の肌が輝きを放っていた」ことが記されています。そして、それは、モーセがシナイ山の頂において「主と話した」からであると言われています。 けれども、モーセはこの時に初めて栄光の顕現(セオファニー)によってご臨在される「主と話した」のではありません。モーセはこれ以前に、2回、栄光の顕現によってご臨在される「主と話した」ことが記されています。 一度目は、3章に記されていますが、主が最初にモーセをエジプトに遣わしてくださるために召してくださった時のことです。それも「神の山ホレブ」、すなわちシナイ山において起ったことです。主は燃える柴の形で表されたご自身の栄光の顕現の御許からモーセに語ってくださいました。そして、その語り合いの中で、 わたしは、「わたしはある」という者である。 というご自身の御名を啓示してくださいました。 二度目は、主が最初にイスラエルの民と契約を結んでくださった後のことです。24章15節ー18節には、 モーセが山に登ると、雲が山をおおった。主の栄光はシナイ山の上にとどまり、雲は六日間、山をおおっていた。七日目に主は雲の中からモーセを呼ばれた。主の栄光の現れは、イスラエルの子らの目には、山の頂を焼き尽くす火のようであった。モーセは雲の中に入って行き、山に登った。そして、モーセは四十日四十夜、山にいた。 と記されています。この時、主はイスラエルの民の間にご臨在してくださるために必要な「聖所」に関する戒めを与えてくださり、契約文書として、十戒が記されている2枚の石の板を授けてくださいました。31章18節には、 こうして主は、シナイ山でモーセと語り終えたとき、さとしの板を二枚、すなわち神の指で書き記された石の板をモーセにお授けになった。 と記されています。この時も、主はご自身の栄光の顕現の御許からモーセに語ってくださいました。 けれども、これらの時には「主と話した」モーセの「顔の肌が輝きを放っていた」ことはありませんでした。 また、それは、モーセが「主と話した」時間の長さの違いによってもいません。モーセが最初にシナイ山に登って行って「主と話した」期間は「四十日四十夜」でしたから、二度目にシナイ山に登って行って「主と話した」期間と同じです。 これらのことから、モーセが二度目にシナイ山に登って行って「主と話した」ことによってモーセの「顔のはだが光を放った」のは、その時にシナイ山にご臨在された主の顕現(セオファニー)の栄光の違いによっていると考えられます。 この二度目にシナイ山に登って行った時には、主はその頂において示される主の栄光の顕現としてのご臨在について、33章21節ー23節には、 また主は言われた。「見よ、わたしの傍らに一つの場所がある。あなたは岩の上に立て。わたしの栄光が通り過ぎるときには、わたしはあなたを岩の裂け目に入れる。わたしが通り過ぎるまで、この手であなたをおおっておく。わたしが手をのけると、あなたはわたしのうしろを見るが、わたしの顔は決して見られない。」 と記されています。 復習になりますが、この「うしろを見る」ということは、ある人の後ろ姿を見ることにたとえられるような感じがしますが、そういうことではありません。これは、むしろ、太陽が西に沈んだ後に夕焼けがしているときに、その夕焼けを見ることにたとえられます。また、主が「わたしの顔」と言われるのは、主の栄光のご臨在のことを指しています。 この時、モーセはシナイ山にご臨在された主の栄光の顕現を直接的に見ることはできませんでした。ただ、その主の栄光の顕現が通り過ぎるまで「岩の裂け目に入れ」る形で主の御手に覆っていただいて、主の栄光の顕現が通り過ぎた後の「残光」を見ることができただけでした。 先に、主が燃える柴の中からモーセに語ってくださった時にも、また、最初にシナイ山の頂でモーセに語ってくださった時にも、そこに主の栄光の顕現があったのですが、このような制限はありませんでした。 このことは、主の栄光の顕現において示されている栄光に違いがあったことを意味しています。この時に示された主の栄光は、先の二つの場合に示された栄光に比べて、より豊かな栄光であったので、モーセでさえも、その栄光の顕現によるご臨在を直接的に見ることができなかったのだと考えられます。 その一方で、モーセは主の栄光の顕現が通り過ぎる時に、主がご自身の御名によって宣言された御声を聞くことができました。それが、あの、 ヤハウェ。ヤハウェ。(主。主。)あわれみ深く、情け深い神、怒るのにおそく、恵みとまことに富み、恵みを千代も保ち、咎とそむきと罪を赦す方。しかし、この方はさばかないままにしないで、父の咎は子に、子の子に、三代に、四代に報いる。 という主の御名による宣言でした。それによって、モーセは、そこにご臨在された主の栄光の顕現において示されている栄光がどのようなものであるかの啓示を受け止めることができました。 すでにお話ししてきましたように、この主の御名による宣言は、主、ヤハウェの、 わたしは、「わたしはある」という者である。 という御名のさらなる意味を明らかにしてくださったもの、主、ヤハウェがどのような方であるかをさらにお示しくださったものです。これによって示されていることは、主、ヤハウェは、 わたしは、「わたしはある」という者である。 という御名をもって呼ばれる方、すなわち、「永遠に在る方」、何ものにも依存しないで「独立自存で在る方」、「永遠に変わることなく在る方」として、すなわち、永遠に変わることなく、また、どのような状況にも左右されることなく、 あわれみ深く、情け深い神、怒るのにおそく、恵みとまことに富み、恵みを千代も保ち、咎とそむきと罪を赦す方。しかし、この方はさばかないままにしないで、父の咎は子に、子の子に、三代に、四代に報いる 方として、ご自身の契約の民にご自身を示してくださるということです。また、そのような方としてご自身の契約の民に接してくださるということです。 この時、モーセがシナイ山の頂で接したのは、このような「恵みとまことに」満ちた栄光の主の顕現でした。そのようにしてご自身を表してくださった「主と話したので」モーセの「顔の肌は輝きを放っていた」のであると考えられます。 このことをとおして、主、ヤハウェはご自身の贖いの恵みに関して、一つの大切なことを啓示してくださっています。 それは、主、ヤハウェが、 ヤハウェ。ヤハウェ。(主。主。)あわれみ深く、情け深い神、怒るのにおそく、恵みとまことに富み、恵みを千代も保ち、咎とそむきと罪を赦す方。しかし、この方はさばかないままにしないで、父の咎は子に、子の子に、三代に、四代に報いる。 という御名の宣言とともに示してくださった栄光は、より豊かな栄光であり、「恵みとまことに」満ちた栄光でしたが、その「恵みとまことに」満ちた栄光は、その豊かな栄光の御臨在に接するご自身の民を栄光ある者に造り変えてくださるものであるということです。 主の契約の民は、「恵みとまことに」満ちた栄光の主との交わりにあって、主の語りかけを聞きくことによって、主の「恵みとまことに」満ちた栄光を映し出すような者に造り変えられるのです。 この時モーセは、シナイ山の頂にご臨在された主、ヤハウェの栄光に直接的には触れてはいません。モーセは主の栄光が通り過ぎるまで「岩の裂け目」に覆われていました。そして、主の栄光が通り過ぎた後に、その「残光」として示された栄光に触れただけでした。けれども、このような形であったとしても、主の栄光に触れ、主の語りかけを聞いたモーセの「顔の肌は輝きを」放つようになっていました。 このことは、この時に主の栄光の顕現としてのご臨在をとおしてモーセに示された主、ヤハウェの「恵みとまことに」満ちた栄光が、それに接する者を栄光ある者に造り変える栄光であるということを意味しています。モーセは、そのような意味での「恵みとまことに」満ちた栄光の主のご臨在に接しました。これは、古い契約の下で与えられた契約の神である主、ヤハウェの「恵みとまことに」満ちた栄光の啓示の頂点の一つです。 このことに触れて、コリント人への手紙第二・3章6節ー8節には、 神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格を下さいました。文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者となる資格です。文字は殺し、御霊は生かすからです。石の上に刻まれた文字による、死に仕える務めさえ栄光を帯びたものであり、イスラエルの子らはモーセの顔にあった消え去る栄光のために、モーセの顔を見つめることができないほどでした。そうであれば、御霊に仕える務めは、もっと栄光を帯びたものとならないでしょうか。 と記されており、12節ー13節には、 このような望みを抱いているので、私たちはきわめて大胆にふるまいます。モーセのようなことはしません。彼は、消え去るものの最後をイスラエルの子らに見せないように、自分の顔に覆いを掛けました。 と記されています。 シナイ山の頂において「恵みとまことに」満ちた栄光の主のご臨在に接したモーセは、その栄光にあずかって栄光化されました。しかし、それは「顔の肌は輝きを」放つと言われているもので、あくまでも、外側の見える形での栄光化でした。 それはまた、このコリント人への手紙第二・3章7節では「モーセの顔にあった消え去る栄光」と言われており、13節では、「消え去るもの」と言われています。そのように、その栄光化は一時的なものでした。そのように、この場合にモーセがあずかった栄光化は外面的で一時的なものであったのです。 そして、このすべてが、動物のいけにえの血によって立てられた古い契約の下での「ひな型」としての限界を表しています。 ヘブル人への手紙10章4節には、 雄牛と雄やぎの血は罪を除くことができない と記されています。 動物のいけにえの血は、それがどんなに大量に流されたとしても、神のかたちに造られている人の罪をきよめることはできませんし、その人を内側から新しく造り変えることはできません。それで、「うなじを固くする民」であるイスラエルの民は、その内側からきよめられて、主の栄光の御前に近づくのにふさわしい者に造り変えられることはなかったし、できなかったのです。 これに対して、私たちは、先ほどのコリント人への手紙第二・3章13節で、 モーセのようなことはしません。彼は、消え去るものの最後をイスラエルの子らに見せないように、自分の顔に覆いを掛けました。 と言われています。 ここでは、私たちはそのような「覆い」を掛ける必要はないと言われています。これは、私たちが外側に現れる形での栄光や、一時的で、消え去るべき栄光にあずかっているのではないということを意味しています。 実際、16節ー18節には、 しかし、人が主に立ち返るなら、いつでもその覆いは除かれます。主は御霊です。そして、主の御霊がおられるところには自由があります。私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ[あるいは、「見つつ」]、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。 と記されています。 私たちは「みな」例外なく―― あの時はモーセ一人でした―― 、内側からきよめていただき、主の「恵みとまことに」満ちた栄光を映し出す者に造り変えていただいています。これは、「御霊なる主の働きによる」ことです。 このようなことが私たちの現実となるのは、永遠の神の御子であられるイエス・キリストが十字架の上で流された血が、ご自身の民のすべての罪を完全に贖うことができるからです。 ヘブル人への手紙10章10節に、 このみこころにしたがって、イエス・キリストのからだが、ただ一度だけ献げられたことにより、私たちは聖なるものとされています。 と記されており、14節に、 キリストは聖なるものとされる人々を、一つのささげ物によって永遠に完成された と記されています。 このように、永遠の神の御子であられるイエス・キリストが十字架の上で血を流して死んでくださり、栄光を受けて死者の中からよみがえってくださったことによって、主の民のための贖いの御業は成し遂げられました。それで、その贖いに基づいてお働きになる御霊が、イエス・キリストを約束のメシア、父なる神が備えてくださった贖い主として信じて受け入れている私たちに、イエス・キリストが成し遂げてくださった贖いを当てはめてくださいます。 この御霊は、イエス・キリストが十字架の上で流された血によって、私たちの罪をまったく贖ってくださり、私たちを罪からきよめてくださいます。そして、イエス・キリストの復活のいのちによって私たちを新しく生かしてくださいます。これは、古い契約の下にあって、やがて来るべきものの「ひな型」に仕えていたモーセの「顔の肌は輝きを放っていた」ことが指し示していたことが、私たちの間で実現しているということを意味しています。 今日では、一時的で外面的であっても、誰かの「顔の肌は輝きを放っていた」というようなことがあれば、人々は驚嘆し、大評判になることでしょう。しかし、御霊が御子イエス・キリストの十字架の死と死者の中からのよみがえりに基づいて私たちの内になしてくださっていることは、それをはるかに越えて驚くべきことです。 それは、父なる神の永遠からのみこころによることでした。ローマ人への手紙8章29節には、 神は、あらかじめ知っている人たちを、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたのです。 と記されています。 また、それは、終わりの日に栄光の主であるイエス・キリストが再臨される時に、完全な形で実現します。ヨハネの手紙第一・3章2節には、 愛する者たち、私たちは今すでに神の子どもです。やがてどのようになるのか、まだ明らかにされていません。しかし、私たちは、キリストが現れたときに、キリストに似た者になることは知っています。キリストをありのままに見るからです。 と記されています。 あの時、モーセは「恵みとまことに」満ちた栄光の主のご臨在を直接的に見ることはできませんでした。けれども、私たちは、 鏡のように主の栄光を映しつつ[あるいは「見つつ」]、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。 と言われています。 私たちは「恵みとまことに」満ちた栄光の主であられるイエス・キリストの御名によって主のご臨在の御前に近づき、恐れなく主の御顔を仰ぎ見て、主を礼拝することができるのです。 ヘブル人への手紙10章19節ー22節には、 こういうわけで、兄弟たち。私たちはイエスの血によって大胆に聖所に入ることができます。イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのために、この新しい生ける道を開いてくださいました。また私たちには、神の家を治める、この偉大な祭司がおられるのですから、心に血が振りかけられて、邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われ、全き信仰をもって真心から神に近づこうではありませんか。 と記されています。 言うまでもなく、ここで言われている「聖所」とは「地上的なひな型」で、人の手によって造られた「聖所」ではなく、9章23節に記されている「天上にある本体」、すなわち、天にある「聖所」のことです。それは24節では「天そのもの」とも言われています。そこには、父なる神と御子イエス・キリストの豊かで「恵みとまことに」栄光に満ちたご臨在があります。 このように、主、ヤハウェがご自身の御名によって宣言してくださったことに示されている「恵みとまことに」満ちた栄光のご臨在は、御子イエス・キリストの、御霊による、ご臨在として、常に私たちとともにあります。 そして、今、私たちがこの主の「恵みとまことに」満ちた栄光にあずかり、「主と同じかたちに姿を変えられて」いくことをとおして、また、御子イエス・キリストの御名によって、恐れることなく父なる神の御許に近づいて、礼拝をささげることをとおして、あの、主の御名による宣言の確かさが示され、あかしされ、父なる神が讃えられるようになります。 |
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