本主日も、黙示録2章28節後半に記されている、
勝利を得る者には、わたしは明けの明星を与える。
という、イエス・キリストの約束のみことばと関連することについてのお話を続けます。
今日も、これまでの経緯を省略して、神である「主」に対する「主」の契約の民の不信仰がもたらした絶望的な状態にあって、なお、「主」の主権的で一方的な恵みが示されたことについてのお話を続けます。
今は、出エジプト記32章ー34章に記されている、イスラエルの民が、「主」がご臨在されるシナイ山の麓において、金の子牛を造ってこれを「主」として礼拝した時のことについてお話ししています。
これまで、このことが起こるまでにイスラエルの民がどのようなことを経験してきたかについてお話ししました。
「主」は、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約に基づいて、モーセを召してくださり、イスラエルの民を奴隷としていた、強大な帝国であるエジプトの王ファラオの許にお遣わしになりました。そして、モーセをとおしてエジプトをおさばきになり、イスラエルの民を奴隷の状態から解放してくださいました。そして、出エジプト記13章21節ー22節に、
主は、昼は、途上の彼らを導くため雲の柱の中に、また夜は、彼らを照らすため火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。彼らが昼も夜も進んで行くためであった。昼はこの雲の柱が、夜はこの火の柱が、民の前から離れることはなかった。
と記されているように、「主」は昼は雲の柱に、夜は火の柱にあってご臨在されてエジプトを出たイスラエルの民の前を進んでくださいました。このことは、この後、イスラエルの民が荒野の旅を続ける全行程において変わることがなかったことです(40章36節ー38節)。
そのように「主」に導いていただいて進んで行ったイスラエルの民は、紅海において自分たちを追撃してきたファラオの軍隊を見て、自分たちをそこまで導いてこられた「主」を信じることなく、14章11節に記されているように、モーセに向かって、
エジプトに墓がないからといって、荒野で死なせるために、あなたはわれわれを連れて来たのか。われわれをエジプトから連れ出したりして、いったい何ということをしてくれたのだ。
と言って、「主」が自分たちをエジプトの奴隷の状態から贖い出してくださったことは「主」の「荒野で死なせるため」という悪意によることだとしました。
しかし、「主」は、なおも、雲の柱にあってご臨在され、「エジプトの陣営」と「イスラエルの陣営」の間に入って、両陣営が近づくことがないようにしてくださるとともに、紅海の水を別けて、イスラエルの民を通らせてくださるとともに、自分たちを追撃してきたファラオの軍隊を滅ぼされました。14章31節には、
イスラエルは、主がエジプトに行われた、この大いなる御力を見た。それで民は主を恐れ、主とそのしもべモーセを信じた。
と記されています。
さらに、15章22節ー26節には、昼は雲の柱に、夜は火の柱にあってご臨在される「主」に導かれているイスラエルの民が、紅海から出立してシュルの荒野に入ったときのことが記されています。そこでは、3日間、水が見つかりませんでした。記されてはいませんが、当然、イスラエルの民も、エジプトから連れ出した家畜たちも渇いてしまいました。そして、ようやくのことでマラで見つけた水は「苦くて」飲めませんでした。それで、イスラエルの民は、モーセに不平を言いました。この時も、紅海において「主」を信じたと言われていたイスラエルの民は、「主」を信じることはありませんでした。それでも「主」は、モーセをとおして、その水を飲むことができるようにしてくださいました。そして、イスラエルの民に、「主」を信頼して、「主」に聞き従うようにと諭してくださいました。
これに続く16章1節ー15節には、イスラエルの民がシンの荒野に入ったときのことが記されています。
16章1節ー3節に記されているように、そこで彼らは、食べる物がないということで、モーセとアロンに、
エジプトの地で、肉鍋のそばに座り、パンを満ち足りるまで食べていたときに、われわれは主の手にかかって死んでいたらよかったのだ。事実、あなたがたは、われわれをこの荒野に導き出し、この集団全体を飢え死にさせようとしている。
と不平を言いました。
ここでは、イスラエルの民の不平はモーセとアロンに向けられています。そのことは、8節に、モーセがイスラエルの民に、
いったい私たちが何だというのか。あなたがたの不平は、この私たちに対してではなく、主に対してなのだ。
と言っていることから分かります。ここではイスラエルの民が、「主」はエジプトにおいては、あるいは、エジプトに対してはかかわってくださったが、荒野ではもう「主」ではなく、モーセとアロンの責任であると考えていたという理解(T. D. Alexander)があります。しかし、雲の柱においてご臨在してくださっている「主」に向かって不平を言うことは恐ろしいので、モーセとアロンに不満をぶつけたと理解する可能性もあります。いずれにしても、イスラエルの民の不平は「主」に対する不信の現れであり、出エジプトの贖いの御業が「主」の悪意から出ているとするものであることには変わりありません。
しかし、13節ー15節に記されているように、「主」は、なおも、その日の夕方には「うずらが飛んで来て宿営を」おおうほどにしてくださり、朝になるとマナを降らせてくださっていました。
しかも、35節に、
イスラエルの子らは、人が住んでいる土地に来るまで、四十年の間マナを食べた。彼らはカナンの地の境に来るまでマナを食べた。
と記されているように、「主」は、イスラエルの民が約束の地であるカナンに入って、その地の産物を食べるようになるまで、このマナをもって、彼らを養い続けてくださいました。
「主」がエジプトと紅海においてなさった御業は、その時にだけなされた(一回的な)ことで、イスラエルの民にとっては過去のことになりました。また、シュルの荒野のマラで、飲むことができない水を飲める水に変えてくださったこともそうでした。しかし、この時からは、変わることなく、毎日、一人分のマナとして「一人当たり一オメルずつ」を与えてくださいました。それを次の日の朝まで残しておくと「それに虫がわき、臭くなった」と言われています。しかし、6日目には7日目の安息に備えて2日分のマナ「一人当たり二オメルずつ」を与えてくださいました。それを7日目の分として取っておいたものには、虫もわかず、臭くもなりませんでした。また、7日目にもマナを集めようとして出て行った人々は、何も見つけることができませんでした。「主」は、ご自身のみこころにしたがって、また、イスラエルの民にとっては不思議な形で、イスラエルの民を養い続けてくださいました。
このようにして、「主」は、昼は雲の柱に夜は火の柱にあってご臨在されて、イスラエルの民の前を進んでくださっていることによって、ご自身がイスラエルの民とともにおられることを示してくださっていましたが、マナを与えてくださったことによって、「主」は、さらに、ご自身が絶えずイスラエルの民を顧みてくださっていることを示してくださっていました。イスラエルの民は、「主」から二重の証しを、絶えることなく与えていただいていたのです。しかも、その二重の証しは、エジプトと紅海において、さらに、シュルの荒野において「主」がイスラエルの民のためになしてくださった御業によっても裏付けられています。
これだけ揃えば、さすがに、「主」への不信を示したイスラエルの民にも十分であると思われますが、実際は、そうではありませんでした。イスラエルの民があの金の子牛を造るようになる前に、そのイスラエルの民の不信がさらに深くなった時がありました。
出エジプト記では、「主」がマナを与えてくださったことを記している16章に続いて、17章1節ー7節には、
イスラエルの全会衆は、主の命によりシンの荒野を旅立ち、旅を続けてレフィディムに宿営した。しかし、そこには民の飲み水がなかった。民はモーセと争い、「われわれに飲む水を与えよ」と言った。モーセは彼らに「あなたがたはなぜ私と争うのか。なぜ主を試みるのか」と言った。民はそこで水に渇いた。それで民はモーセに不平を言った。「いったい、なぜ私たちをエジプトから連れ上ったのか。私や子どもたちや家畜を、渇きで死なせるためか。」そこで、モーセは主に叫んで言った。「私はこの民をどうすればよいのでしょう。今にも、彼らは私を石で打ち殺そうとしています。」主はモーセに言われた。「民の前を通り、イスラエルの長老たちを何人か連れて、あなたがナイル川を打ったあの杖を手に取り、そして行け。さあ、わたしはそこ、ホレブの岩の上で、あなたの前に立つ。あなたはその岩を打て。岩から水が出て、民はそれを飲む。」モーセはイスラエルの長老たちの目の前で、そのとおりに行った。それで、彼はその場所をマサ、またメリバと名づけた。それは、イスラエルの子らが争ったからであり、また彼らが「主は私たちの中におられるのか、おられないのか」と言って、主を試みたからである。
と記されています。
1節に、
イスラエルの全会衆は、主の命によりシンの荒野を旅立ち、旅を続けてレフィディムに宿営した。
と記されていることは、昼は雲の柱に夜は火の柱にあってご臨在される「主」がイスラエルの民の先頭に立って導いてくださったことを意味しています。また、その旅路の間も、日々、「主」がマナをもってイスラエルの民を養い続けてくださいました。
この「レフィディム」で起こったことは、イスラエルの民が、エジプトの奴隷の状態から贖い出されてから、数か月後のことです。このことには、法的な意味合いがあり、「主」の契約の約束に基づく、モーセに対する「告発」としての意味をもっていると考えられます。
もちろん、ここで法廷が開かれて告発がなされているわけではありません。この場合は、3章に記されている「主」がモーセを召してくださった時のことがかかわっていると考えられます。3章13節ー16節には、
モーセは神に言った。「今、私がイスラエルの子らのところに行き、『あなたがたの父祖の神が、あなたがたのもとに私を遣わされた』と言えば、彼らは『その名は何か』と私に聞くでしょう。私は彼らに何と答えればよいのでしょうか。」神はモーセに仰せられた。「わたしは『わたしはある』という者である。」また仰せられた。「あなたはイスラエルの子らに、こう言わなければならない。『わたしはある』という方が私をあなたがたのところに遣わされた、と。」神はさらにモーセに仰せられた。「イスラエルの子らに、こう言え。『あなたがたの父祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、主が、あなたがたのところに私を遣わされた』と。これが永遠にわたしの名である。これが代々にわたり、わたしの呼び名である。行って、イスラエルの長老たちを集めて言え。『あなたがたの父祖の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神、主が私に現れてこう言われた。「わたしは、あなたがたのこと、またエジプトであなたがたに対してなされていることを、必ず顧みる。だからわたしは、あなたがたをエジプトでの苦しみから解放して、カナン人、ヒッタイト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の地へ、乳と蜜の流れる地へ導き上ると言ったのである」と。』」
と記されています。
当然、モーセは、「主」が命じられたことを実行しています。それで、モーセは「イスラエルの子ら」すなわちイスラエルの民と「イスラエルの長老たち」に、「主」ヤハウェが、「アブラハム、イサク、ヤコブの神」としてご自身をモーセに現わしてくださったことと、アブラハム、イサク、ヤコブへの契約に基づいて、イスラエルの民をエジプトの奴隷の状態から贖い出してくださり、約束の地へと導き上ってくださると約束してくださったこと、そして、そのためにモーセを遣わしてくださったことを伝えています。
17章2節に記されている、モーセの、
あなたがたはなぜ私と争うのか。
の「争う」と訳されていることば(リーブ)は、法的な告発をすることを意味するとともに、一般的な非難をすることもありますが、ここでは、このような意味での約束が果たされていないとして告発することを表わしていると考えられます。
あなたがたはなぜ私と争うのか。なぜ主を試みるのか
ということばは、イスラエルの民が契約の神である「主」の真実さを疑い、「主」のしもべとしてイスラエルの民の前に立っているモーセを告発していることを意味していると考えられます。
7節には、
それで、彼はその場所をマサ、またメリバと名づけた。それは、イスラエルの子らが争ったからであり、また彼らが「主は私たちの中におられるのか、おられないのか」と言って、主を試みたからである。
と記されています。「マサ」は、新改訳欄外注釈にありますように「試み」という意味であり、「メリバ」は「争い」という意味です。この「メリバ」(メリーバー)は、先ほどの「争う」と訳されていて、約束が守られていないことへの告発を示していると考えられることば(リーブ)から派生しています。
その告発の内容は、3節に、
いったい、なぜ私たちをエジプトから連れ上ったのか。私や子どもたちや家畜を、渇きで死なせるためか。。
と記されています。そして、4節で、モーセが「主」に、
私はこの民をどうすればよいのでしょう。今にも、彼らは私を石で打ち殺そうとしています。
と訴えているように、その責めをモーセに負わせようとしています。「主」がアブラハム、イサク、ヤコブに約束されたことを実現してくださるためにモーセを遣わしてくださったというのであれば、モーセは自分たちのために十分配慮すべきであるのに、このようなとんでもないところに連れてきて「渇きで死なせ」ようとしているというようなことです。「石打ち」は、共同体による法的な制裁です。この場合は、重大な約束が守られていないことに対する社会的、法的な制裁です。
「主」は昼は雲の柱に夜は火の柱にあってご臨在されてイスラエルの民の先頭に立って導いてくださっています。イスラエルの民はそれを見ていますし、毎日マナによって養われています。そのイスラエルの民は、これまでは、「主」が自分たちの間にご臨在しておられることは信じていたのですが、ことあるごとに、「主」は自分たちを荒野で死なせるために自分たちをエジプトから連れ出したのではないかと疑って、モーセに不平を言っていました。
しかし、ここでは、イスラエルの民は、「主は私たちの中におられるのか、おられないのか」と言って、「主」が自分たちの間にご臨在してくださっておられること自体を疑っています。そして、モーセを「石で打ち殺そうとしています」。
そのイスラエルの民の中にあったのは、もし本当に「主」がともにおられるのなら、こんなことにはならないはずだとか、本当に「主」がともにおられるのなら、こうなるはずだというような思いでしょう。それで、目前に問題が迫ってくると「主」への不信を募らせました。そして、「主」が自分たちのために働いてくださると「主」を信じるということを繰り返してきました。そして、ついには、ついには、再びマラの時と同じような困難な状況に陥った時に、「主」が自分たちの間にご臨在してくださっておられること自体を疑うようになりました。―― あの時、マラにおいて、「主」が不信仰な自分たちのために水を飲めるようにしてくださったのだから、今度は、自分たちが「主」に信頼しようというのではなく、かえってより深い不信に陥ってしまいました。
注目したいのは、イスラエルの民が、エジプトを出てから、この時に至るまで、様々なことを経験したのですが、その中で、自分たちの不信仰を自覚していたとか、自覚するようになったという形跡が見られないということです。
とはいえ、私たちはこのようなイスラエルの姿をさげすんだり、笑ったりするわけにはいきません。このイスラエルの民のうちにあるものが、私たち自身のうちにもあるからです。このことを心に刻んだ上でお話を続けていきます。
このような、イスラエルの民の不信仰に対しては、当然、「主」のさばきが執行されることが予想されます。
5節ー6節には、
主はモーセに言われた。「民の前を通り、イスラエルの長老たちを何人か連れて、あなたがナイル川を打ったあの杖を手に取り、そして行け。さあ、わたしはそこ、ホレブの岩の上で、あなたの前に立つ。あなたはその岩を打て。岩から水が出て、民はそれを飲む。」モーセはイスラエルの長老たちの目の前で、そのとおりに行った。
と記されています。
民の前を通り、イスラエルの長老たちを何人か連れて、あなたがナイル川を打ったあの杖を手に取り、そして行け。
ということは、そこで、正式なさばきが執行されることを示しています。「イスラエルの長老たち」はその証人となっています。
「あなたがナイル川を打ったあの杖」は、モーセが、エジプトの地に対する「主」のさばきを執行するために用いた「杖」です。4章17節には、「主」がモーセに、
あなたはこの杖を手に取り、これでしるしを行わなければならない。
と言われたことが記されおり、20節ではこの「杖」が「神の杖」と呼ばれています。「主」はエジプトに対して10のさばきを執行されましたが、モーセが用いられる場合には、その「杖」が用いられています。その第一のさばきでは、モーセがその「杖」でナイルを打つとエジプト中の水が血に変わって、人々は水が飲めなくなりました。(7章17節ー21節)。
「レフィディム」においては、モーセはそのさばきを執行するときに用いられた「杖」を取るように命じられました。「主」のさばきを執行するために用いられる「杖」によって打たれなければならないのは、不信仰からモーセを告発し、「主」を試みているイスラエルの民です。ところが、「主」は、
さあ、わたしはそこ、ホレブの岩の上で、あなたの前に立つ。あなたはその岩を打て。岩から水が出て、民はそれを飲む。
と言われました。
「ホレブ」は山を表す場合はシナイ山を指しますが、それとともに、シナイ山よりは広い地域を指していて、この「ホレブの岩」の「ホレブ」はより広い地域のことであると考えられます(TWOT, p.319b)。この「ホレブ」ということば(ホーレブ)はもともと「乾く」ということを意味することば(ハーラブ)から派生していて、「ホレブ」と同じことば(名詞)が「乾燥」や「干ばつ」、「荒廃」を表しています。このようなことから、この「ホレブ」は「乾燥」や「干ばつ」によって「荒廃」した地域を示唆しています。当然、そこには水源はなかったと考えられます。
ここでは、「主」ご自身が、「ホレブの岩の上」にお立ちになって、「主」のさばきを執行するモーセの前に立たれるというのです。それは、「主」のご臨在を表示する「雲の柱」が「ホレブの岩の上」に留まられたことによって示されたと考えられます。
モーセが「主」のさばきを執行するための「杖」で「ホレブの岩」を打ったとき、打たれたのは、その「岩」の上に立っておられた「主」ご自身でした。「主」が、本来は、イスラエルの民が受けなければならないさばきを、ご自身の身に負ってくださったのです。それによって、その「岩」から水が出て、イスラエルの民はそれを飲みました。
このことは、「主」の贖いの御業に関する啓示の全体の流れから見ますと、やがて、御子イエス・キリストにおいて成就する贖いを指し示すものでした。イエス・キリストは、私たちの罪に対するさばきをご自身の身に負ってくださって、十字架にかかってくださいました。これによって、私たちの罪を贖ってくださり、私たちを罪の結果である死と滅びの中から救い出してくださいました。
コリント人への手紙第一・10章では、出エジプトの時代に「主」がなされたこの御業に触れている4節には、「私たちの先祖」たちのことが、
みな、同じ霊的な飲み物を飲みました。彼らについて来た霊的な岩から飲んだのです。その岩とはキリストです。
と記されています。
私たちは、荒野のイスラエルよりはるかに優る救いにあずかっています。出エジプトの贖いの御業さえもその影でしかない、イエス・キリストの十字架の死による罪の贖いは、私たちにとっては確かな歴史の事実です。みことばによって、私たちの目で見るよりも確かにイエス・キリストの十字架を示されています。しかも、その死によって、罪を赦されているばかりでなく、私たちの間に、また私たち一人一人のうちに御臨在してくださっている、「主」の御霊が与えられています。
そのような私たちが、目の前に問題が迫って来ますと、不安に駆られることはいくらでもあります。ときには、イスラエルの民のように「主は私たちの中におられるのか、おられないのか」と疑いたくなることもあるでしょう。そのようなときにこそ、イスラエルの民の不信仰が極まった時に、「主」ご自身が、彼らに代わって、そのことへのさばきを受けてくださったことに示されている「主」の一方的な愛と恵みを思い起こしたいと思います。ヨハネの手紙第一・4章10節に、
私たちが神を愛したのではなく、
神が私たちを愛し、
私たちの罪のために、
宥めのささげ物としての御子を遣わされました。
ここに愛があるのです。
と記されており、ローマ人への手紙5章8節に、
しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。
と記されているとおりです。
そればかりではありません。マタイの福音書7章22節には、終わりの日に、イエス・キリストに向かって、
主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言し、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの奇跡を行ったではありませんか。
と訴える人々のことが記されています。
しかし、私たちは自分の不真実を告白するほかはない者であって、何らかの業績を「主」の御前に示して訴えることができない者です。しかし、そのように「主」の御前に弱く貧しい私たちのために、御霊が私たちのうちにあって、今も、また終わりの日まで、とりなしてくださっています。ローマ人への手紙8章26節には、
同じように御霊も、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、何をどう祈ったらよいか分からないのですが、御霊ご自身が、ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださるのです
と記されています。
また、父なる神さまの右の座においては、私たちのあわれみ深い大祭司が、今も、また終わりの日まで、とりなしてくださっています。ローマ人への手紙8章34節には、
だれが、私たちを罪ありとするのですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、しかも私たちのために、とりなしていてくださるのです。
と記されています。
御霊のとりなしも、御子イエス・キリストのとりなしも、御子イエス・キリストがその十字架の死と死者の中からのよみがえりによって成し遂げてくださった贖いの御業に、また、その贖いの御業だけに基づいています。決して、私たちの「良さ」や「業績」に基づいてはいません。
私たちは、心配や不安があるなら、なおのこと、「主」の御霊に導いていただいて、このような「主」の愛と恵みを信じて、その心配や不安を、ともにいてくださる「主」にお委ねして歩みたいと思います。
ペテロの手紙第一・5章7節には、
あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。
と記されています。
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