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説教日:2022年10月9日 |
今日は、ここに出てくる「イスラエルの陣営」に注目して、お話ししたいと思います。 エジプトの奴隷であったイスラエルの民は、反乱を起こすことができないように、常設の軍隊をもつことは許されていなかったと考えられます。 そのことは、カナンに侵入しようとしていたイスラエルの民について、戦いに参加する者たちの資格について記している申命記20章に、民のつかさたちに、特別な事情にある人たちに「家に帰るがよい」と言うように命じられていること、特に、8節に、 恐れて弱気になっている者はいないか。その人は自分の家に帰るがよい。兄弟たちの心がその人の心のように萎えるといけないから。 と言うように命じられていることからも推察することができます。 これに関しては、一つの問題があります。 出エジプト記6章26節には、 このアロンとモーセに主は、「イスラエルの子らを軍団ごとにエジプトの地から導き出せ」と言われたのであった。 と記されていますし、7章4節には「主」が「わたしの軍団、わたしの民イスラエルの子ら」と呼んでおられることが記されています。さらに12章41節では「主の全軍団」と呼ばれています。この時、すでに、イスラエルの民の間に軍隊があったのでしょうか。 しかし、この「軍団」と訳されたことば(ツアーバー、ここでは複数形)は軍隊の「軍団」を意味すると同時に、部族などの「分団」を意味することもあります。新国際訳は「分団」(divisions)と訳しています。これは、この時には、イスラエルには軍隊がなかったことを考えてのことでしょう。 そうではあっても、ここでは「主」がエジプトの奴隷であったイスラエルの民を、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約に基づいて、その奴隷の状態から贖い出して、約束の地であるカナンへと導いてくださるための準備をしておられることが踏まえられて、イスラエルの民のことが「軍団」と呼ばれていると考えられます。 そして、モーセもそのことが何を意味しているかを理解することができたと考えられます。 そのことをお話しするために、モーセがどのようにして育ったかについてお話しします。 モーセは稀に見る賜物・才能をもっていた人でした。そのことが聖書のどこかに記されているわけではありませんが、モーセが成し遂げたことやモーセの人柄などの記録から分かります。そればかりでなく、出エジプト記2章1節ー10節に記されているように、モーセは神である「主」の特別な摂理によってエジプトでファラオの娘の子として育てられました。 使徒の働き7章23節には、 モーセが四十歳になったとき、自分の同胞であるイスラエルの子らを顧みる思いが、その心に起こりました。 と記されています。 これは、出エジプト記2章11節ー12節に、 こうして日がたち、モーセは大人になった。彼は同胞たちのところへ出て行き、その苦役を見た。そして、自分の同胞であるヘブル人の一人を、一人のエジプト人が打っているのを見た。彼はあたりを見回し、だれもいないのを確かめると、そのエジプト人を打ち殺し、砂の中に埋めた。 と記されていることと、15節に記されているように、ファラオがこのことを知って、モーセを殺そうとして探していることを受けて、モーセがミディアンの地に逃れた時のことを指しています。 それで、モーセがエジプトの地を去ってミディアンの地に行ったのは40歳の時でした。 当然、その時――「同胞であるイスラエルの子らを顧みる思いが、その心に起こ」るようになる――までに、モーセは「王女の息子」(2章10節)としての教育、いわゆる「帝王学」と言われているものに相当する教育を受けていたと考えられます。それでモーセは、その当時のエジプトとその周辺の国々のあり方、政治的、軍事的なことに通じていたと考えられます。 年代的には、申命記34節7節には、 モーセが死んだときは百二十歳であったが、彼の目はかすまず、気力も衰えていなかった。 と記されています。そして、エジプトを出たイスラエルの民は、エジプトを出てから40年間、荒野をさまよいました。それで、イスラエルの民がエジプトを出た時、モーセは80歳でした。このことから、モーセがミディアンで過ごしたのは40年間であったことが分かります。 けれども、そのミディアンで過ごした40年の間に、モーセがイスラエルの民のことを忘れてしまっていたとか、エジプトとその周辺の国々のことにまったく関心をもっていなかったと考えることはできません。 ヘブル人への手紙11章24節ー25節には、 信仰によって、モーセは成人したときに、ファラオの娘の息子と呼ばれることを拒み、はかない罪の楽しみにふけるよりも、むしろ神の民とともに苦しむことを選び取りました。 と記されています。 このようなモーセが、エジプトを去ってミディアンの地に行ったからといって、さらには、そこで40年もの間、生活をしたからといって、イスラエルの民のことを忘れてしまったと考えることはできません。また、もし、モーセがイスラエルの民のことを忘れてしまっていたとしたら、「主」がアブラハム、イサク、ヤコブとの契約を実行に移されるに当たって、モーセを召してくださることもなかったことでしょう。 ミディアンの地の中心はアラビア半島の北西部にあり、シナイ半島の北部から中央部の一部に及んでいたとされています。ミディアン人の父祖は、アブラハムがサラの死後にめとった妻、ケトラの六人の子の一人です(創世記25章1節ー2節)。それで、ミディアン人はイスラエル人と類似のことばといくつかの類似の慣習をもっていました。 聖書に記されている歴史の中では、ミディアン人とイスラエル人は敵対する関係にあることが多いのですが、みことばの示すところは、モーセの場合には、そうではありませんでした。ミディアンの地はエジプトから離れているといっても、ファラオの帝国であるエジプトの勢力がおよぶ地域でしたから、そのための厳しさを味わってきていたと考えられます。そうであれば、エジプトから逃亡してきた一人のイスラエル人に好意を示すことは考えられることです。 実際、一人でミディアンの地に逃れてきたモーセには、頼るべき人もいない上に、行く宛てもありませんでした。しかし、ミディアンの祭司レウエルの七人の娘たちを助けるようになりました――この「レウエル」は、3章1節、4章18節、18章1節などでは「イテロ」で、この「イテロ」が通常の名前であると考えられています。モーセはレウエルの求めに応じてその家に行き、もてなしにあずかりました。それからレウエルの所に住むようになり、その娘ツィポラを妻とするようになりました(出エジプト記2章16節ー22節)。 このようにして、「自分の同胞であるイスラエルの子らを顧みる思い」をもつようになったモーセが、ミディアンの地に逃れて行ったことは、「主」の摂理の御業によって導かれてのことでした。これによって、モーセはエジプトの地から離れて、それまでの自分の歩みを振り返りつつ、「主」が父祖アブラハム、イサク、ヤコブに与えてくださった契約にかかわることへの思索を深める機会となったと考えられます。 このようなモーセのミディアンにおける40年間は、先ほど引用したヘブル人への手紙11章24節ー25節に、 信仰によって、モーセは成人したときに、ファラオの娘の息子と呼ばれることを拒み、はかない罪の楽しみにふけるよりも、むしろ神の民とともに苦しむことを選び取りました。 と記されていることの延長線上にあったと考えられます。 「主」はこのように導いてこられたモーセを、40年後に、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約に基づいて、エジプトの地、ファラオの許にお遣わしになりました。ヘブル人への手紙11章では、さらに、24節ー25節に続く26節に、 彼は、キリストのゆえに受ける辱めを、エジプトの宝にまさる大きな富と考えました。それは、与えられる報いから目を離さなかったからでした。 と記されています。 エジプトの地、ファラオの許に行ったモーセは、40年ぶりにその栄華に触れますが、もはや、かつてのエジプトの地での豊かな富とそれがもたらす生活を失ったことを悔やむどころか、「キリストのゆえに受ける辱めを、エジプトの宝にまさる大きな富と考え」たのでした。 この「キリストのゆえに受ける辱め」は難解で、これをどのように理解したらいいのかについては見方が別れていますが、ここでは、立ち入らないことにします。 いずれにしましても、この時、モーセがイスラエルの民と一つとなって、受けたさまざまな辱め――それには同胞であるイスラエルの民からの非難や不満、さらには、殺害の危機にさらされること(出エジプト記17章4節)も含まれています――は、イエス・キリストが私たちご自身の民と一つとなってくださったがためにお受けになった辱め――それはご自身の民であるユダヤ人の指導者たちに偽メシアであると非難され、ついには、十字架につけられて神にのろわれたものとして殺されるという辱めの極み――において、頂点に達しています。 ヘブル人への手紙12章2節には、 信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。この方は、ご自分の前に置かれた喜びのために、辱めをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されたのです。 と記されており、13章12節ー16節には、 それでイエスも、ご自分の血によって民を聖なるものとするために、門の外で苦しみを受けられました。ですから私たちは、イエスの辱めを身に負い、宿営の外に出て、みもとに行こうではありませんか。私たちは、いつまでも続く都をこの地上に持っているのではなく、むしろ来たるべき都を求めているのです。それなら、私たちはイエスを通して、賛美のいけにえ、御名をたたえる唇の果実を、絶えず神にささげようではありませんか。善を行うことと、分かち合うことを忘れてはいけません。そのようないけにえを、神は喜ばれるのです。 と記されています。 このようなモーセの生涯のことを踏まえて、話を「イスラエルの陣営」のことに戻しますと、モーセは「神の民とともに苦しむことを選び取りました」。それで、出エジプト記3章12節に、 神は仰せられた。「わたしが、あなたとともにいる。これが、あなたのためのしるしである。このわたしがあなたを遣わすのだ。あなたがこの民をエジプトから導き出すとき、あなたがたは、この山で神に仕えなければならない。」 と記されているように、ともにいてくださると約束してくださって、自分を遣わしてくださった神である「主」を信じて、イスラエルの民のために、強大な帝国であるエジプトの地に行きファラオの前に立ちました。 それは、エジプトの地で奴隷として苦役に服していたイスラエルの民をエジプトから贖い出して、「主」がアブラハム、イサク、ヤコブに与えてくださった契約に約束されている約束の地、カナンに導き入れるためのことです。 エジプトの宮廷で「王女の息子」としての教育を受けていたモーセには、奴隷の民であり軍隊もなく、軍事的な訓練を受けていない民がエジプトを出て、カナンの地へと旅を続けることがどれほど危険なことか十分、分かっていたはずです。 そのモーセにとって、「主」がイスラエルの民のことを「わたしの軍団」と呼んでくださっていることはこの上なく大きな意味をもっていることでした。 そして、先ほど触れましたように、紅海のほとりにおいて、ファラオの軍隊が追撃してくるのを見たイスラエルの民は、エジプトにおいてさばきを執行し、自分たちをエジプトの奴隷の状態から解放してくださった「主」を信じないで、恐怖のあまり「主」に向かって叫び、モーセに不満をぶつけて、モーセの働きを非難しました。 しかし、その時「主」は、モーセをとおして、 今日あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。・・・主があなたがたのために戦われるのだ。あなたがたは、ただ黙っていなさい。 と言われました。そして、「主」がその中にあってイスラエルの民とともにいてくださることを表示する雲の柱が「エジプトの陣営」と「イスラエルの陣営」の間に入って、両陣営が近づくことがないようにしてくださいました。 この時、「エジプトの陣営」はファラオの軍隊によって形成されていました。しかし、「イスラエルの陣営」には、まだ軍隊はありませんでした。このことと、「主」がモーセをとおして、 主があなたがたのために戦われるのだ。 と言われたことを考え合わせますと、この「イスラエルの陣営」は、まさに雲の柱においてそこにご臨在しておられる「主」の陣営と言うべきものでした。そして、この意味において、主」が「わたしの民イスラエルの子ら」、すなわち、イスラエルの民のことを「わたしの軍団」と呼んでおられることを理解することができます。 そして、実際に、「主」は紅海の水を別けて、イスラエルの民を通らせてくださるとともに、ファラオの軍隊を滅ぼされました。まさに、「主」がモーセをとおして、 今日あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。・・・主があなたがたのために戦われるのだ。あなたがたは、ただ黙っていなさい。 と言われたとおりです。 「主」がイスラエルの民のためにすべてのことを成し遂げてくださり、イスラエルの民はそれにあずかっているだけです。これが出エジプトの贖いの御業の真相です。 とはいえ、この出エジプトの贖いの御業は、古い契約の下での「地上的なひな型」であり、それとしての限界があります。この贖いの御業は動物である過越の子羊の血によっていましたので、これにあずかったイスラエルの民の罪は真の意味では贖われていませんでした。そのため、イスラエルの民は、なおも罪の力に縛られ、ことあるごとに「主」への不信を募らせ続けました。 これに対して私たち「主」の民は、「主」がしもべモーセによって遂行された出エジプトの贖いの御業が「地上的なひな型」として指し示していたことの「本体」である、父なる神さまが御子イエス・キリストによって遂行された贖いの御業にあずかっています。すべては、御子イエス・キリストが成し遂げてくださって、私たちは信仰によってそれにあずかっているだけです。 出エジプトの贖いの御業は動物である過越の子羊の血によっていましたので、これにあずかったイスラエルの民の罪は真の意味では贖われていませんでした。しかし、私たちがあずかっている贖いの御業は、コリント人への手紙第一・5章7節において、 私たちの過越の子羊キリストは、すでに屠られたのです。 と証しされている、御子イエス・キリストが十字架の上で流された血によっていますので、私たちの罪を完全に贖ってくださり、私たちを新しく生まれた者としてくださっています。ヘブル人への手紙10章10節には、 このみこころにしたがって、イエス・キリストのからだが、ただ一度だけ献げられたことにより、私たちは聖なるものとされています。 と記されています。 このことを、「主」がモーセをとおして、 今日あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。・・・主があなたがたのために戦われるのだ。あなたがたは、ただ黙っていなさい。 と言われたことに当てはめるとどうなるでしょうか。 ここで、 主があなたがたのために戦われるのだ。 と言われていることは、霊的な戦いのことです。その霊的な戦いにおける勝利は、御子イエス・キリストの十字架の死において現実になっています。 地上の帝国であるエジプトが「地上的なひな型」として指し示していたサタンをかしらとする暗闇の主権は、御子イエス・キリストの十字架の死によって打ち砕かれました。コロサイ人への手紙1章13節ー14節に、 御父は、私たちを暗闇の力から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。この御子にあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです。 と記されています。 さらに、ヘブル人への手紙2章14節ー15節には、 そういうわけで、子たちがみな血と肉を持っているので、イエスもまた同じように、それらのものをお持ちになりました。それは、死の力を持つ者、すなわち、悪魔をご自分の死によって滅ぼし、死の恐怖によって一生涯奴隷としてつながれていた人々を解放するためでした。 と記されています。 このことはイエス・キリストの十字架の死と死者の中からのよみがえりによって、すでに、原理的・実質的に、私たちの間で実現しています。1節後の17節に、 したがって、神に関わる事柄について、あわれみ深い、忠実な大祭司となるために、イエスはすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それで民の罪の宥めがなされたのです。 と記されているとおりです。 そればかりではありません。さらに、続く18節には、 イエスは、自ら試みを受けて苦しまれたからこそ、試みられている者たちを助けることができるのです。 と記されています。御子イエス・キリストは、今も、霊的な戦いの状況の中でさまざまな試みに会い、苦しみと悲しみを味わっている私たちご自身の民のために「あわれみ深い、忠実な大祭司」としてのお働きをしてくださっているのです。 |
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