本主日も、黙示録2章28節後半に記されている、
勝利を得る者には、わたしは明けの明星を与える。
という、イエス・キリストの約束のみことばと関連することについてのお話を続けます。
今日も、これまでの経緯を省略して、神である「主」に対する「主」の契約の民の不信仰がもたらした絶望的な状態にあって、なお、「主」の主権的で一方的な恵みが示されたことについてのお話を続けます。
今は、出エジプト記32章ー34章に記されている、イスラエルの民が、「主」がご臨在されるシナイ山の麓において、金の子牛を造ってこれを「主」として礼拝した時のことについてお話ししています。これまで2回にわたって引用しましたが、詩篇106篇19節ー23節には、その時に起こったことが、
彼らはホレブで子牛を造り
鋳物の像を拝んだ。
こうして彼らは 自分たちの神の栄光を
草を食らう雄牛の像と取り替えた。
彼らは 自分たちの救い主である神を忘れた。
エジプトで大いなることをなさった方を。
ハムの地で奇しいみわざを
葦の海のほとりで恐るべきみわざを行われた方を。
それで神は
「彼らを根絶やしにする」と言われた。
もし 神に選ばれた人モーセが
滅ぼそうとする激しい憤りを収めていただくために
御前の破れに立たなかったなら
どうなっていたことか。
と記されています。
前回は、この詩篇106篇に記されていることについてお話ししました。今日は、そのことをさらに補足するお話をしたいと思います。
この詩篇の作者は、自分にとって先祖であるイスラエルの民の「主」への不信仰と背きを具体的な事例を挙げて糾弾しています。ただし、それは、6節に、
私たちは 先祖と同じように罪を犯し
不義を行い悪を行ってきました。
と記されているように、「罪を犯し不義を行い悪を行ってき」た自分たちが、不信仰と背きを繰り返した先祖たちと同じであること、それゆえに、自分たちも同じように糾弾されるべき者であることを告白してのことです。
ですから、この詩篇の作者がこれを記しているのは、先祖たちの不信仰と背きを糾弾して、自分たちは先祖たちとは違うと言いたいのではありません。その点で、この詩篇の作者は、マタイの福音書23章29節ー33節において、イエス・キリストが、
わざわいだ、偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは預言者たちの墓を建て、義人たちの記念碑を飾って、こう言う。「もし私たちが先祖の時代に生きていたら、彼らの仲間になって預言者たちの血を流すということはなかっただろう。」こうして、自分たちが預言者を殺した者たちの子らであることを、自らに対して証言している。おまえたちは自分の先祖の罪の升を満たすがよい。蛇よ、まむしの子孫よ。おまえたちは、ゲヘナの刑罰をどうして逃れることができるだろうか。
と糾弾しておられる「律法学者、パリサイ人」たちとは違います。
注意すべきことは、イエス・キリストがこのように「律法学者、パリサイ人」たちを糾弾しておられるからといって、私たちが「律法学者、パリサイ人」たちの義が偽善に満ちたいい加減な義であると言って、糾弾できるわけではありません。というのは、マタイの福音書5章20節には、
わたしはあなたがたに言います。あなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の御国に入れません。
というイエス・キリストの教えが記されているからです。もし「律法学者やパリサイ人の義」が偽善に満ちたいい加減な義であるとしたら、このイエス・キリストの教えは「かなり低い基準」を設けて、それに優っていれば、天の御国に入ることができると教えていることになります。しかし、それは、ここでイエス・キリストが教えていることではありません。ここでイエス・キリストは「律法学者やパリサイ人の義」を人が自分の力で到達できる最も高い義であるとした上で、その義に優っていなければ天の御国に入ることはできないと教えておられます。つまり、イエス・キリストは、たとえ人が自分の力で到達できる最も高い義をもってしても、それで天の御国に入ることは決してできないということです。
このことについては、マタイの福音書19章16節ー26節に記されていることを見てみましょう。そこには、若くしてすでに、真摯に神さまの戒めを守っていて「多くの財産を持っていた」青年――神さまの祝福にあずかっていると考えるほかはない青年が、その財産を捨ててご自分に従ってくるようにとのイエス・キリストの招きを退けて、「悲しみながら」去って行ったことが記されています。このことを受けてイエス・キリストは、
金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうが易しいのです
と言われました。これに対して、弟子たちが「たいへん驚いて」、
それでは、だれが救われることができるでしょう。
と問いかけました。イエス・キリストは、
それは人にはできないことですが、神にはどんなことでもできます。
とお答えになりました。まさに、人が天の御国に入ることは「人にはできないこと」です。しかし、神さまにはおできになります。
「律法学者、パリサイ人」たちの義は、ルカの福音書18章9節ー14節に記されているイエス・キリストのたとえに出てくる、取税人と同じ時に、祈るために宮に上って行ったパリサイ人の、11節ー12節に記されている、
神よ。私がほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦淫する者でないこと、あるいは、この取税人のようでないことを感謝します。私は週に二度断食し、自分が得ているすべてのものから、十分の一を献げております。
という祈りに、典型的に示されている義です。
自分は「ほかの人たち」や、その時そこにいた「この取税人」[注]とは違っているという思いに基づいて感じている義、すなわち、人との比較によって生まれてくる相対的な義です。
[注]「この取税人」は、直訳調には「この男、この取税人」で、軽蔑していることを示しています。
みことばは、すべての人が罪の本性をうちに宿して生まれてきて、罪を犯していると教えています。そのような状態にある人はだれも聖なる神さまの御前に義を立てることはできません。ですから、誰かが自分は義であると思っているとしたら、それは人との比較によって生まれてくる相対的な義でしかありません。私は人と比べたことがないと主張する人がいたとしても、その人の考えている義が、自分が生まれて育った社会と文化の中で考えられている義ですので、そのような、より広い意味での相対的な義です。
これに対して、取税人は、13節に記されているように、
遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。「神様、罪人の私をあわれんでください。」
と祈りました。取税人は他人と比較することなく――自分は他の人より罪深いというのではなく、神さまの御前に自分の罪を告白し、赦しを願っています[注]。
[注]ここで「あわれんでください」と訳されたことば(ヒラスコマイ)は、通常の「あわれむ」ことを表すことばではなく、「宥める」ことを表すことばで、新約聖書では、こことヘブル人への手紙2章17節(「民の罪の宥めがなされた」)に出てくるだけです。このことから、この取税人が神さまの御許には罪の宥めのための備えがあることを信じていたと言うのは、言い過ぎでしょうか。
14節に記されているように、イエス・キリストは、
あなたがたに言いますが、義と認められて家に帰ったのは、あのパリサイ人ではなく、この人です。だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるのです。
と教えておられます。[注]
[注]ギリシア語の順序では「この人」(フートス)が先に出てきて、「この人」のことが述べられています。この部分を直訳調に訳すと、新改訳第3版に近くなりますが、
この人が、義と認められて家に帰ったのです。あの人ではありません。
となります。
文法的には、13節に記されているイエス・キリストのお話では、先にパリサイ人のことが語られ、その後に取税人のことが語られています。それで、14節で「この人」と言えば、後から語られた(14節からの視点からはより近い)取税人を指すことになります。単純にそれだけのことかも知れませんが、それ以上のこともあるようにも思われます。イエス・キリストは「取税人であって、パリサイ人ではありません」と明確に言われてもよさそうに思えますが、「この人であって、あの人ではありません」と言っておられます。そして、この「この人」ということば(フートス)は、パリサイ人が取税人のことをさげすんで「この男、この取税人」と言ったときの「この男」です。いずれにしても、パリサイ人がさげすんだ「この人」を神さまは受け入れておられます。
詩篇106篇の作者は、ただ、「罪を犯し不義を行い悪を行ってき」た自分たちが、不信仰と背きを繰り返した先祖たちと同じであること、それゆえに、自分たちも同じように糾弾されるべき者であることを告白しているだけではありません。
前回引用した43節には、先祖たちが、不信仰と背きをこれほどまでにと思われるほど繰り返したことが、
主は幾たびとなく彼らを救い出されたが
彼らは相謀って逆らい
自分たちの不義の中におぼれた。
と言われています。
ここでは、先祖たちは、ただ、「主」への不信仰と背きを繰り返しただけではないことが示されています。ここでは、「幾たびとなく」と言われているように、「主」がことあるごとに、繰り返し「彼らを救い出された」にもかかわらず、彼らはそのことを忘れて、ことあるごとに、
彼らは相謀って逆らい
自分たちの不義の中におぼれた
と言われているのです。
それがどういうことかは、その最初の事例から分かります。そして、この詩篇106篇では、その最初の事例が最も詳しく記されています。
その最初の事例は、7節に、
私たちの先祖はエジプトで
あなたの奇しいみわざを悟らず
あなたの豊かな恵みを思い出さず
かえって海のほとり葦の海で逆らいました。
と記されていることから始まります。
イスラエルの民は、「主」がエジプトにおいて、イスラエルの民を奴隷としていたエジプトに対するさばきとして行われた数々の「奇しいみわざ」を目の当たりにしていました。そして、出エジプト記13章21節に、
主は、昼は、途上の彼らを導くため雲の柱の中に、また夜は、彼らを照らすため火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。彼らが昼も夜も進んで行くためであった。
と記されているように、「主」の御臨在を表示する雲の柱に導かれてエジプトの地を出て、「主」がアブラハム、イサク、ヤコブに約束されたカナンの地を目指して歩み始めました。
しかし、前回詳しくお話ししましたので要約をお話ししますが、ファラオの軍隊が「葦の海」すなわち紅海のほとりにいたイスラエルの民を追いかけてきた時に、彼らは、「主」がエジプトにおいてなされた数々の「奇しいみわざ」に示されていた「豊かな恵み」を忘れて、これまでのことは自分たちをを滅ぼそうとする「主」の悪意によることだと言いました。
ところが、詩篇106篇では、先ほどの7節に続く8節に、
しかし主は 御名のゆえに 彼らを救われた。
ご自分の力を知らせるために。
と記されています。そして、その時に「主」がなされたことが、続く9節ー11節に、
主が葦の海を叱ると 海は干上がり
主は彼らに深みの底を歩かせられた。
まるで荒野を行くように。
主は 憎む者の手から彼らを救い
敵の手から彼らを贖われた。
水は彼らの敵を包み
彼らの一人さえも残らなかった。
と記されています。
そして、さらに続く12節には、イスラエルの民のことが、
すると 彼らはみことばを信じ
主への賛美を歌った。
と記されています。
そのことは出エジプト記15章1節ー18節に記されていますが、長いので最初の部分である1節ー6節を引用します。
そこには、
そのとき、モーセとイスラエルの子らは、主に向かってこの歌を歌った。彼らはこう言った。
「主に向かって私は歌おう。
主はご威光を極みまで現され、
馬と乗り手を海の中に投げ込まれた。
主は私の力、また、ほめ歌。
主は私の救いとなられた。
この方こそ、私の神。私はこの方をほめたたえる。
私の父の神。この方を私はあがめる。
主はいくさびと。
その御名は主。
主はファラオの戦車とその軍勢を
海の中に投げ込まれた。
選り抜きの補佐官たちは葦の海に沈んだ。
深淵が彼らをおおい、
彼らは石のように深みに下った。
主よ、あなたの右の手は力に輝き、
主よ、あなたの右の手は敵を打ち砕く。
と記されています。
1節に記されているように、この歌は、モーセだけでなくイスラエルの民も歌いました。
3節に記されている、
主はいくさびと。
その御名は主。
ということと、6節に記されている、
主よ、あなたの右の手は力に輝き、
主よ、あなたの右の手は敵を打ち砕く。
ということは、この時限りのこと――この時にはそうであったということ――ではなく、「主」は、常に、このような方であるという告白です。
この時、イスラエルの民は「主」がどなたであるかを知ったように思われます。まさに、先ほどの詩篇106篇12節に、
すると 彼らはみことばを信じ
主への賛美を歌った。
と記されているとおりではないかと思われます。
しかし、詩篇106篇では、この12節に続く13節に、
しかし 彼らはすぐに みわざを忘れ
主のさとしを待ち望まなかった。
と記されています。
そして、それを受けて続く14節ー42節には、イスラエルの民の不信仰と背きがこれほどまでにと思われるほど繰り返し記されています。
イスラエルの民の不信仰と背きというと、そのために荒野で滅んだ、エジプトを出てきたイスラエルの民の第一世代のことのように聞こえますが、そうではありません。
32節ー33節に、
彼らはメリバの水のほとりで主を怒らせた。
モーセは彼らのゆえに わざわいを被った。
彼らが主の御霊に逆らったとき
彼が軽率なことを口にしたのである。
と記されていることは、民数記20章1節ー13節に記されている、「ツィンの荒野」の「カデシュ」で起こったことです。その1節には、
イスラエルの全会衆は、第一の月にツィンの荒野に入った。民はカデシュにとどまった。
と記されています。ここでは、この「第一の月」が何年のことか記されていません。その時に起こったこと含めて、民数記20章と続く21章は、荒野を旅していたイスラエルの民が、いよいよ約束の地であるカナンに入るために、荒野での最後の旅として、ツィンの荒野からモアブの平原まで旅をした、その途上において起こったことを記しています。――そのモアブの平原において、申命記に記されていることが起こっています。
その途上で起こったことの一つとして、20章22節ー29節にはアロンの死のことが記されています。そして、33章38節には、アロンが死んだのは「イスラエルの子らがエジプトの地を出てから四十年目の第五の月の一日であった」と記されています。それで、この「カデシュ」での出来事は、「イスラエルの子らがエジプトの地を出てから四十年目」の「第一の月」のことであると考えられます。またそれで、この時すでに、荒野のイスラエルの民の第一世代は荒野で滅んでしまっており、第二世代の時代になっていたと考えられます。
また、詩篇106篇では、続く34節ー35節に、
彼らは主が命じられたのに
諸国の民を滅ぼさず
かえって 異邦の民と交わり
その習わしに倣い
その偶像に仕えた。
それが彼らにとって罠となった。
と記されていることは、イスラエルの民がカナンの地に侵入した後のことです。
さらに、それに続く37節ー39節に、
彼らは自分たちの息子と娘を
悪霊へのいけにえとして献げ
咎なき者の血を流した。
彼らの息子や娘たちの血
それをカナンの偶像のいけにえとした。
こうしてその国土は血で汚された。
このように彼らは その行いによって自分を汚し
そのわざによって姦淫を犯した。
と記されていることは、王国時代のことです。
ですから、イスラエルの民の「主」への不信仰と背きの歴史は、出エジプトの時代からカナン侵入の時代、さらに王国の時代を通して連綿と続いていました。そして、続く40節ー42節に、
それで 主の怒りは御民に向かって燃え上がり
主はご自分のゆずりの民を忌み嫌われた。
主は彼らを国々の手に渡されたので
彼らを憎む者たちが彼らを支配した。
敵どもが彼らを虐げたので
彼らは征服され敵の手に下った。
と記されている、「主」の聖なる御怒りによるさばきとしての捕囚に至ったのです。それは、出エジプトの時代からカナンの地への侵入後の時代、さらに王国の時代を通して連綿と続いてきた、イスラエルの民が「主」への不信仰と背きを繰り返した歴史が至ったことでした。
そのイスラエルの民が「主」への不信仰と背きを繰り返した歴史が、先ほど引用しましたが、続く43節にまとめられて、
主は幾たびとなく彼らを救い出されたが
彼らは相謀って逆らい
自分たちの不義の中におぼれた。
と記されています。
いろいろな見方がありますが、これまでお話ししてきたことから、この詩篇の作者は、「主」の聖なる御怒りによるさばきとしての捕囚の中にあって、この詩篇を記している可能性が高いと考えられます。
先ほどお話ししたように、この詩篇の作者は出エジプトの時代からカナンの地への侵入後の時代、さらに王国の時代を通して、「主」への不信仰と背きを繰り返した自分たちの先祖を糾弾して、自分たちは先祖とは違うと言っているのではありません。先祖たちが「主」への不信仰と背きを繰り返したために、自分たちが捕囚の憂き目に遭っていると嘆いているのでもありません。むしろ、自分たちも「罪を犯し、不義を行い悪を行って」きた者で、先祖たちと同じであると告白しています。
もはや自分たちには望みがないと言う他はない状態になってしまっていました。
しかし、続く44節ー45節には、
それでも 彼らの叫びを聞いたとき
主は彼らの苦しみに目を留められた。
主は彼らのためにご自分の契約を思い起こし
豊かな恵みにしたがって 彼らをあわれまれた。
と記されています。43節から続けますと、
主は幾たびとなく彼らを救い出されたが
彼らは相謀って逆らい
自分たちの不義の中におぼれた。
それでも 彼らの叫びを聞いたとき
主は彼らの苦しみに目を留められた。
主は彼らのためにご自分の契約を思い起こし
豊かな恵みにしたがって 彼らをあわれまれた。
ということです。
これが、この詩篇の作者がイスラエルの民の不信仰と背きをこれほどまでにと思われるほど繰り返し記していることの目的です。
この詩篇の作者がひたすら目を注いでいるのは、「主」ご自身です。「主は幾たびとなく彼らを救い出されたが」、それにもかかわらず、自分たちの先祖たちは、これほどまでにと思われるほど「相謀って逆らい、自分たちの不義の中におぼれた」。それなのに、なお、「主」は
それでも 彼らの叫びを聞いたとき
主は彼らの苦しみに目を留められた。
主は彼らのためにご自分の契約を思い起こし
豊かな恵みにしたがって 彼らをあわれまれた。
方であると告白しているのです。
出エジプトの時代からカナンの地に侵入した時代、さらに王国の時代を通して連綿と続いてきたイスラエルの民の歴史は、「主」への不信仰と背きを繰り返した歴史でした。その歴史は、イスラエルの民が「主」の聖なる御怒りによるさばきとしての捕囚に遭って終わったわけではありません。
その主」への不信仰と背きを繰り返した歴史は、イエス・キリストの時代にまで連綿と続いてきただけでなく、その時代に頂点に達しています。
その歴史がイエス・キリストの時代にまで連綿と続いてきたことは、先ほど引用したマタイの福音書23章29節ー33節に記されている、
わざわいだ、偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは預言者たちの墓を建て、義人たちの記念碑を飾って、こう言う。「もし私たちが先祖の時代に生きていたら、彼らの仲間になって預言者たちの血を流すということはなかっただろう。」こうして、自分たちが預言者を殺した者たちの子らであることを、自らに対して証言している。おまえたちは自分の先祖の罪の升を満たすがよい。蛇よ、まむしの子孫よ。おまえたちは、ゲヘナの刑罰をどうして逃れることができるだろうか。
という、「偽善の律法学者、パリサイ人」へのイエス・キリストの糾弾のことばから汲み取ることができます。
さらに、それがイエス・キリストの時代に頂点に達したことは、続く34節ー36節に記されている、
だから、見よ、わたしは預言者、知者、律法学者を遣わすが、おまえたちはそのうちのある者を殺し、十字架につけ、またある者を会堂でむち打ち、町から町へと迫害して回る。れは、義人アベルの血から、神殿と祭壇の間でおまえたちが殺した、バラキヤの子ザカリヤの血まで、地上で流される正しい人の血が、すべておまえたちに降りかかるようになるためだ。まことに、おまえたちに言う。これらの報いはすべて、この時代の上に降りかかる。
というイエス・キリストのことばに示されています。
しかし、そればかりではありません、詩篇106篇の作者が、
それでも 彼らの叫びを聞いたとき
主は彼らの苦しみに目を留められた。
主は彼らのためにご自分の契約を思い起こし
豊かな恵みにしたがって 彼らをあわれまれた。
と告白していることも、イエス・キリストの時代において、というより、イエス・キリストご自身において頂点に達しています。
ローマ人への手紙5章6節ー11節に、
実にキリストは、私たちがまだ弱かったころ、定められた時に、不敬虔な者たちのために死んでくださいました。正しい人のためであっても、死ぬ人はほとんどいません。善良な人のためなら、進んで死ぬ人がいるかもしれません。しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。ですから、今、キリストの血によって義と認められた私たちが、この方によって神の怒りから救われるのは、なおいっそう確かなことです。敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させていただいたのなら、和解させていただいた私たちが、御子のいのちによって救われるのは、なおいっそう確かなことです。それだけではなく、私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神を喜んでいます。キリストによって、今や、私たちは和解させていただいたのです。
と記されているとおりです。
詩篇106篇の作者は、出エジプトの時代からカナンの地に侵入した時代、さらに王国の時代を通して連綿と続いてきたイスラエルの民の歴史は、「主」への不信仰と背きを繰り返した歴史であったことを見抜いていました。そして、自分たちもそれと同じ歴史を歩んでいることを告白していました。同時に、彼は、そのイスラエルの民の「主」への不信仰と背きの歴史は、「主」がご自身の契約に基づいて「豊かな恵みにしたがって 彼らをあわれまれた」歴史でもあったことを証ししています。
それは、ローマ人への手紙5章20節後半で、
罪の増し加わるところに、恵みも満ちあふれました。
と言われている歴史であり、続く21節に、
それは、罪が死によって支配したように、恵みもまた義によって支配して、私たちの主イエス・キリストにより永遠のいのちに導くためなのです。
と記されているように、イエス・キリストにおいて頂点に達していて、私たちの現実になっています。
私たちも自らの罪の現実から目をそらさずそれを告白するとともに、それを越えて、御子イエス・キリストにおいて私たちに示されている父なる神さまの愛と「豊かな恵み」に目を向けてたいと思います。そして、その父なる神さまの愛と「豊かな恵み」をしっかりと受け止めて、心に刻みたいと思います。
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