本主日も、黙示録2章28節後半に記されている、
勝利を得る者には、わたしは明けの明星を与える。
という、イエス・キリストの約束のみことばについてのお話を続けます。
これまで、このみことばにおいてイエス・キリストが与えてくださると約束してくださっている「明けの明星」は何かということについてお話ししてきました。
この「明けの明星」は、基本的に、黙示録22章16節後半に記されている、
わたしはダビデの根、また子孫、輝く明けの明星である。
というイエス・キリストのみことばとかかわっています。
それで、これまで、22章16節で、イエス・キリストがご自身のことを「輝く明けの明星である」と言われたことに先立って、ご自身のことを「ダビデの根、また子孫」であると証ししておられることに注目して、「ダビデの根、また子孫」についてお話ししました。
イエス・キリストが「ダビデの根」であられることは、イザヤ書11章1節ー10節に記されている預言のことばを受けています。この11章1節ー10節に記されている預言のことば、イザヤが遣わされた南王国ユダの絶望的な状態を指し示しながら、なおも、「主」がご自身の主権的で一方的な恵みによって「エッサイの根株」から生える「新芽」、「若枝」である方のことを約束してくださったものです。そして、「主」が南王国ユダの絶望的な状態にあって、なお、「主」がご自身の主権的で一方的な恵みによって贖い主として来られる方のことを約束してくださっていることは、これが初めてのことではありません。それは、7章14節に記されている、
それゆえ、主は自ら、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。
という、いわゆる「インマヌエル預言」が「主」の主権的で一方的な恵みによって、与えられことから始まっています。
より広く、神である「主」に対する「主」の契約の民の不信仰がもたらした絶望的な状態にあって、なお、主」の主権的で一方的な恵みが示されたことを歴史的にさかのぼっていくと、創世記3章15節に記されている「最初の福音」が与えられたことに行き着きます。それで前回は、「最初の福音」が与えられるようになった経緯についてお話ししました。
今日は、「主」の契約の民の不信仰がもたらした絶望的な状態にあって、なお、「主」の主権的で一方的な恵みが示されたことのもう一つの事例として、すでにいろいろな機会にお話ししました、出エジプト記32章ー34節に記されている、「主」がご臨在されるシナイ山の麓に宿営していたイスラエルの民が、金の子牛を造ってこれを「主」として礼拝した時のことについてお話ししたいと思います。
このことが起ったことの背景を見ておきますと、神さまはエジプトの奴隷となってしまっているイスラエルの民のうめきをお聞きになって、アブラハム、イサク、ヤコブに与えてくださった契約を覚えてくださって(出エジプト記2章23節ー25節、6章5節、8節)、イスラエルの民をエジプトの奴隷の状態から贖い出してくださるために、モーセを召してくださいました(3章)。その際に、神さまは、
わたしは、「わたしはある」という者である。
というご自身の御名を啓示してくださり、その短縮形を3人称化した「主」、ヤハウェがその呼び名であることを示してくださいました。
「主」はモーセをとおして力強いお働きをなさり、エジプトの地と紅海においてエジプトへのさばきを執行されるとともに、イスラエルの民をエジプトの奴隷の身分・状態から贖い出されました。
そして、イスラエルの民を、ご自身がご臨在されるシナイ山の麓まで導いて来られ、そこでご自身との契約を結んでくださいました(24章1節ー11節)。そして、モーセにシナイ山に登るように命じられました。それは、「主」がご自身の契約に基づいて、イスラエルの民の間にご臨在してくださるために必要な聖所を造ることと聖所のある幕屋とそこで仕える祭司たちのことなどに関する戒めを与えてくださるためでした。「主」がご自身の民の間にご臨在してくださることは、「主」の契約の祝福の核心にあることです。
そのようにして、「主」からの戒めを受け取っているモーセの帰りが遅いと感じたイスラエルの民は、「主」の栄光のご臨在のあるシナイ山の麓で金の子牛を造って、これを「主」であるとして礼拝しました。(32章1節ー6節)。
ちなみに、古代オリエントの礼拝において、雄牛の像があったことが指摘されています。それはイスラエルの民が奴隷とされていたエジプトにおいても見られました。エジプトの主神であるアモン・ラーが雄牛の表象で表されていたとする論文もあるようです(John Durham, Exodus, WBC, p.420-421)。
イスラエルの民が金の子牛を造ったことの中心にあったのは、なんと、モーセとともにパロの許に遣わされた兄のアロンでした。そして、その時、イスラエルの民は、お互いに、
イスラエルよ、これがあなたをエジプトの地から導き上った、あなたの神々だ。
と言いました。そして、それを見たアロンは「その前に祭壇を築い」て、
明日は主への祭りである。
と呼びかけました。
アロンがイスラエルの民に呼びかけたときの「主」は「ヤハウェ」です。ですから、この時イスラエルの民は偶像の神を造ったのではなく、自分たちの契約の神である「主」、ヤハウェを表す偶像を造ったのです。
それで、イスラエルの民からすれば、自分たちの契約の神である「主」、ヤハウェを礼拝したのであって、ヤハウェ以外の神を礼拝したつもりはありません。イスラエルの民の気持ちの上では、「主」ヤハウェを礼拝しているのです。
そのことは、アロンが、
明日は主への祭りである。
とイスラエルの民に呼びかけたときの「主への祭り」ということば(ハグ・ラヤハウェ[「ラ」は前置詞)が、12章14節では過越の祭りのことを指しており、13章6節では「種なしパン」の祭りのことを指していることに現されています。また、23章14節には、「年に三度、わたしのために祭りを行わなければならない」という「主」のみことばが記されています。ここでは「祭り」を意味する「ハグ」の動詞形(ハーガグ、「祭りを行う」)用いられて、「わたし[主]のために」と言われています。
そして、その祭りの様子が、6節に、
彼らは翌朝早く全焼のささげ物を献げ、交わりのいけにえを供えた。そして民は、座っては食べたり飲んだりし、立っては戯れた。
と記されています。
「立っては戯れた」と言われているときの「戯れた」ということば「ツァハク」には性的な戯れという意味合いもあります(創世記26章8節、36章17節)が、ここ(出エジプト記32章)では、18節ー19節で、シナイ山から降りて来ているモーセが「歌いさわぐ声」を聞き、「子牛と踊り」を見たと言われていることから、「座っては食べたり飲んだりし、立っては戯れた」ということは、金の子牛の前での「乱痴気騒ぎ」を示していると考えられます。
そのような事態になってしまった原因は、何だったのでしょうか。それは、イスラエルの民のうちにあった神概念にあったと考えられます。イスラエルの民は長いことエジプトの地に住まい、奴隷としての生活を続けておりました。そのことをとおして、エジプトの文化の発想の影響を強く受けていました。実際、先ほど触れたように、雄牛はエジプトを含む古代オリエントで礼拝に用いられた神々の一つでした。
古代オリエントの文化の発想では、偶像そのものは神ではなく、「神」の臨在を表示するものでした。イスラエルの民は「主」、ヤハウェのご臨在を表示するものとして金の子牛を造ったわけです。ですから、イスラエルの民は「主」、ヤハウェを礼拝しようとして金の子牛を造ったのです。そのようなことをしてしまったのは、イスラエルの民がエジプトの地で身に着けてしまっていた発想に基づく神の概念をもって、「主」、ヤハウェのことを理解していたからにほかなりません。
具体的なことは後ほどお話ししますが、この時に至るまで、イスラエルの民は「主」、ヤハウェの力強い御業を目の当たりにしてきました。また、シナイ山にご臨在される「主」、ヤハウェの栄光の顕現に触れて震え上がってしまいました(19章16節、20章18節)。そのような経験をしても、彼ら自身のうちにあったエジプト的な神概念は変わることはなかったと考えられます。そして、そのような発想による神概念に合わせて、「主」、ヤハウェのことを考え続けていた考えられます。そのことが、この時、金の子牛を造って、これを「主」、ヤハウェと呼んで礼拝したこととして現れてきたと考えられます。
これは十戒の第二戒に反することです。第二戒は出エジプト記20章4節ー6節に、
あなたは自分のために偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、いかなる形をも造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたみの神。わたしを憎む者には父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。
と記されています。これは第二戒ですが、第一戒においては、
あなたには、わたし以外に、ほかの神があってはならない。
と戒められていて、「主」、ヤハウェだけを神とすべきことが示されています。つまり、第一戒において、他の神々は退けられているのです。それで、第二戒においては、他の神々の偶像を造ることではなく、ヤハウェを表す偶像を造って、それらに仕えたり、拝んではならないと戒められていると考えられます。
あなたは、自分のために偶像を造ってはならない。
という戒めに「自分のために」ということばが加えられていることもこのことを支持しています。
このように、エジプトの地と紅海において「主」の力強い御手のお働きに接し、その「主」がご臨在しておられるシナイ山の麓に宿営しているイスラエルの民が、その「主」の御臨在を表示するものとして金の子牛を造って、これを「主」、ヤハウェと呼んで礼拝したのです。
この時には、まだ、イスラエルの民には知らされていませんでしたが、「主」は、すでに、ご自身がご臨在されるシナイ山に登って来るように命じられ、それにしたがってシナイ山に登ったモーセに、ご自身がイスラエルの民の間にご臨在されるために、聖所を造るように命じておられました。25章8節ー9節に、
彼らにわたしのための聖所を造らせよ。そうすれば、わたしは彼らのただ中に住む。幕屋と幕屋のすべての備品は、わたしがあなたに示す型と全く同じように造らなければならない。
と記されているとおりです。そして、22節に、
わたしはそこであなたと会見し、イスラエルの子らに向けてあなたに与える命令を、その「宥めの蓋」の上から、あかしの箱の上の二つのケルビムの間から、ことごとくあなたに語る。
と記されているとおり、「主」はご自身の御臨在を偶像によってではなく、その聖所の上に、より具体的には、「宥めの蓋」の上に、また、その「宥めの蓋」の両端に造られているケルビムの間にとどまっていた、雲の柱によって表示されていました。
実際には、やはり、後ほど具体的なことをお話ししますが、「主」の御臨在を表示する雲の柱は、エジプトを出たイスラエルの民を守りつつ、導いてくださるために、彼らの前を進まれました。13章21節ー22節に、
主は、昼は、途上の彼らを導くため雲の柱の中に、また夜は、彼らを照らすため火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。彼らが昼も夜も進んで行くためであった。昼はこの雲の柱が、夜はこの火の柱が、民の前から離れることはなかった。
と記されているとおりです。
しかし、このような「主」の備えが常にあるにもかかわらず、イスラエルの民は自分たちの発想に従って、「主」の御臨在を表示するとする金の子牛を造って、これに仕え、これを拝んでしまいました。
このイスラエルの民に対して神である「主」の聖なる御怒りが燃え上がりました。「主」は、ここで、この民を絶ち滅ぼして、モーセから新しい民を起こして、それをご自身の契約の民としようと言われました(32章9節ー10節)。このさばきは、「主」がご自身の御名を汚す者をおさばきになるということで、「主」がご自身の御名を聖なるものとされることを意味しています。
これはモーセにとって、自分と自分の子孫が栄えるようになる機会でした。しかも、これは「主」の御名の聖さを守ることでもありました。しかし、モーセはイスラエルの民のためにとりなしをしました。
モーセは大きくわけて二つのことを祈っています。
一つは、32章12節に記されている、
どうしてエジプト人に、「神は、彼らを山地で殺し、地の面から絶ち滅ぼすために、悪意をもって彼らを連れ出したのだ」と言わせてよいでしょうか。
という祈りのことばに表されています。
強大な帝国であったエジプトは、その地域の至る所に情報網を張っていたはずです。当然、エジプトを出たイスラエルの民のことはエジプトの当局者たちの関心の的であったはずです。また、それは、エジプトの動向が自分たちの在り方を左右する周辺の国々の民の関心の的でもあったはずです。事実、この時から40年後にイスラエルの民はモーセの後継者であるヨシュアに率いられてカナンの地に侵入しましたが、それに先だってヨシュアは二人の者を「偵察」、スパイとして遣わしてエリコの町を探らせました(ヨシュア記2章1節)。二人の「偵察」を受け入れたラハブは、「主」が紅海を別けてイスラエルの民を通らせてくださったことを、その地の住人が知っていると言っています(10節)。出エジプトの際に「主」、ヤハウェがなさった御業については、40年後のカナンの地の民の間においても鮮明に記憶されていました。
それで、当然、エジプト人は「主」、ヤハウェがイスラエルの民をエジプトから連れ出されたことを身にしみて知っていました。それで、もしこの時シナイ山の麓でイスラエルの民が絶ち滅ぼされてしまったなら、エジプト人たちは、
神は、彼らを山地で殺し、地の面から絶ち滅ぼすために、悪意をもって彼らを連れ出したのだ
と考えるようになるということが、モーセのとりなしの主旨です。言うまでもなく、そのようなことになれば、モーセをエジプトに遣わされるに当たって、神さまが啓示してくださった「主」という御名が、エジプト人の間で汚されるようになるということです。
もう一つは、13節に、
あなたのしもべアブラハム、イサク、イスラエルを思い起こしてください。あなたはご自分にかけて彼らに誓い、そして彼らに、「わたしはあなたがたの子孫を空の星のように増し加え、わたしが約束したこの地すべてをあなたがたの子孫に与え、彼らは永久にこれをゆずりとして受け継ぐ」と言われました。
と記されているように、「主」がアブラハム、イサク、ヤコブに与えられた契約において、彼らの子孫にカナンの地を与えると約束してくださったことを思い起こしてくださるようにという祈りです。
これは「主」ご自身が、その一方的で主権的な恵みによってアブラハムに与えてくださり、イサクとヤコブに受け継がせてくださった契約の約束でした(創世記15章、17章7節ー8節)。
そして、先ほど触れたように、「主」はこのアブラハム、イサク、ヤコブとの契約に基づいて、出エジプトの贖いの御業を遂行しておられますが、まず、モーセを召してくださり、「主」、ヤハウェというご自身の御名を啓示してくださいました。それは出エジプト記3章16節に記されているように「あなたがたの父祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、主」と言われている御名でした。ですから、「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」であられる「主」が、アブラハム、イサク、ヤコブと結んでくださった契約に基づいて始められた出エジプトの贖いの御業を成し遂げてくださることは、「主」、ヤハウェの御名のためです。
モーセはこのことに基づいて、シナイ山の麓で金の子牛を造り、これを「主」、ヤハウェであるとして礼拝したイスラエルの民のためにとりなしをしています。ですから、このモーセのとりなしは、「主」、ヤハウェの御名のためにイスラエルの民を赦してくださるようにというとりなしです。そして、「主」はこのモーセのとりなしを受け入れてくださいました。
この後のことをお話しする前に、今お話ししていることとのかかわりで心に刻んでおきたいことがあります。それは、この時に至るまでにイスラエルの民が経験してきたことです。
この時、イスラエルの民は、「主」がご臨在しておられるシナイ山の麓に宿営していました。そして、「主」が十戒を与えてくださった時に、直接的に「主」が語られる御声を聞いています。20章22節に記されていますが、「主」がモーセをとおして、
あなたがた自身、わたしが天からあなたがたに語ったのを見た。
と語られたとおりです(申命記4章12節、15節、33節、36節、5章4節、22節、26節)。
さらに、それ以前のことを見てみましょう。
イスラエルの民はエジプトの地において、「主」が、自分たちを奴隷として苦しめていたエジプトに対して十のさばきを下されたこと(7章ー12章)と、その時にも自分たちを顧みてくださり、守ってくださっていたことを経験していました(8章22節、9章4節、6節、26節、10章23節、11章7節、12章1節ー28節)。
また、先ほど引用した13章21節ー22節に記されていたように、「主」は、昼は雲の柱に、夜は火の柱にあってご臨在されてエジプトを出たイスラエルの民の前を進んでくださいました。これは、この後、イスラエルの民が荒野の旅を続ける全行程において変わることがなかったことです。40章36節ー38節に、
イスラエルの子らは、旅路にある間、いつも雲が幕屋から上ったときに旅立った。雲が上らないと、上る日まで旅立たなかった。旅路にある間、イスラエルの全家の前には、昼は主の雲が幕屋の上に、夜は雲の中に火があった。
と記されているとおりです。
その「主」に導いていただいて進んで行った紅海においては、「主」がその水を別けて、自分たちを通らせてくださるとともに、自分たちを追撃してきたパロの軍隊を滅ぼされたことを目の当たりにしていました(14章19節ー31節)。
しかも、それは、イスラエルの民が、雲の柱にあって彼らの間にご臨在され、彼らをそこまで導かれた「主」を信じることなく、その一部の引用ですが、
エジプトに墓がないからといって、荒野で死なせるために、あなたはわれわれを連れて来たのか。われわれをエジプトから連れ出したりして、いったい何ということをしてくれたのだ。
と言って、その不信の思いをモーセにぶつけ、「主」が自分たちをエジプトの奴隷の状態から贖い出してくださったことをあからさまに否定したにもかかわらず、「主」が彼らのためになしてくださったことでした。
その時には、その雲の柱が「エジプトの陣営」と「イスラエルの陣営」(といっても、血肉の武器は何もありませんでしたし、奴隷の民であったために戦いの仕方も分かりませんでした)の間に入って、両陣営が近づくことがないようにしてくださってのことでした(19節ー20節)。
さらに、イスラエルの民は――これからは明記されてはいませんが、当然、雲の柱に導かれて――紅海から出立して、シュルの荒野に入り、水が見つからなくて(自分たちも、エジプトから連れ出した家畜たちも)渇いた時に、マラで見つけた水が「苦くて飲めなかった」のでモーセに不平を言いました。ここでも、彼らは雲の柱にあってご臨在されて、自分たちを導いてくださっている「主」を信じることはありませんでした。それでも「主」は、モーセに指示して、その水を飲むことができるようにしてくださいました。そのことを受けて、「主」はイスラエルの民に、「主」を信頼して、「主」に聞き従うようにと諭してくださいました。
次に、イスラエルの民は、シンの荒野に入りました。そこで彼らは、食べる物がないということで、モーセとアロンに「あなたがたは、われわれをこの荒野に導き出し、この集団全体を飢え死にさせようとしている」と不平を言いました。おまけに、こんなことなら「エジプトの地で、肉鍋のそばに座り、パンを満ち足りるまで食べていたときに、われわれは主の手にかかって死んでいたらよかったのだ」と言って、「主」が彼らをエジプトの奴隷の状態から贖い出してくださったことを否定するようなことまで言っています(16章1節ー3節)。
しかし、「主」は、なおも、その日の夕方には「うずらが飛んで来て宿営を」おおうほどにしてくださり、朝になるとマナを降らせてくださっていました(13節ー15節)。
しかも、「主」は、イスラエルの民が約束の地であるカナンに入って、その地の産物を食べるようになるまで、このマナをもって、彼らを養い続けてくださいました。ヨシュア記5章12節に、
マナは、彼らがその地の産物を食べた翌日からやみ、イスラエルの子らがマナを得ることはもうなかった。
と記されているとおりです。そして、それは、
人はパンだけで生きるのではなく、人は主の御口から出るすべてのことばで生きるということを、
分からせてくださるためでした(申命記8章3節)。
これらのことを見ると、イスラエルの民の愚かさばかりが目につくようになります。
エジプトの地で、また、紅海において、あれほどの経験をしたイスラエルの民が、しかも、それらをとおしてご自身を現してくださった「主」が、その後も、父祖アブラハム、イサク、ヤコブに与えてくださった契約に基づいて、常に、変わることなく、彼らの間にご臨在してくださり、彼らとともに歩んでくださることを示し続けてくださっているのに、困難な状況になるたびに、「主」が自分たちをエジプトの奴隷の状態から贖い出してくださったことを否定し、非難し続けています。これらすべてのことに、私たちはあきれてしまうかも知れません。
しかし、「主」は、これらすべてのことにおいて、それこそ「あきれてしまうほどに」、忍耐深くあられ、イスラエルの民にご自身が彼らの間にご臨在しておられことを現実の経験をとおしてお示し続けてくださり、どのような時にも、「主」に信頼して、「主」(のお導き)に従うべきことを悟らせてくださろうとしておられます。
ひるがえって考えてみますと、このあきれてしまうほどのイスラエルの民の愚かさは、私たちの現実を映し出しているように思われます。
私自身を含めてのことですが、そのような現実に傷んでおられる方がおられましたら、是非、これらすべてのことにおいて、それこそ「あきれてしまうほどに」忍耐深くあられ、ご自身に信頼するようにと導いてくださっておられる「主」がご臨在してくださって、ともに歩んでくださっていることを心に刻んでいただきたいと思います。
これまで取り上げたことでもう十分であるように思われるイスラエルの民の不信は、これで終わることなくさらに続きます。
これも、いろいろな機会にお話ししてきたことですが、イスラエルの民があの金の子牛を造るようになる前に、そのイスラエルの民の不信がさらに深くなったと思われる時があります。それは、イスラエルの民の不信仰の現れとして後々までも覚えられてきたことですが、その時にも、「主」の一方的な恵みが、さらに豊かに示されることになりました。
それについては、改めてお話しします。
|