黙示録講解

(第382回)


説教日:2019年5月26日
聖書箇所:ヨハネの黙示録2章18節ー29節
説教題:ティアティラにある教会へのみことば(135)


 先主日には春の伝道集会を開催したので、黙示録からのお話はお休みしました。今日は、黙示録2章27節前半に記されている、イエス・キリストがティアティラにある教会に語られた、

 彼は鉄の杖で彼らを牧する。土の器を砕くように。

という「勝利を得る者」への約束のみことばとの関連で、19章15節で栄光のキリストのことを、

この方の口からは、諸国の民を打つために鋭い剣が出ていた。鉄の杖で彼らを牧するのは、この方である。また、全能者なる神の激しい憤りのぶどうの踏み場を踏まれるのは、この方である。

と記しているみことばについてのお話に戻ります。
 ここで、

 この方の口からは、諸国の民を打つために鋭い剣が出ていた。

と言われているときの「鋭い剣」の「」ということば(ロムファイア)は、長くて、幅が広い両刃の剣を表しています。この「」は、ローマ帝国において皇帝とその下にある総督たちがもっていた生殺与奪の権を象徴するものでした。このことが背景となって、黙示録では栄光のキリストが、この長い両刃の「」をもっておられる方として示されています。これによって、栄光のキリストこそが、究極的な生殺与奪の権をもっている方であるということが示されています。そして、この剣が栄光のキリストの口から出ていたということは、栄光のキリストのみことばがそのような権威をもっているということを表しています。
 今は、このこととの関連で、ヨハネの福音書5章19節ー29節に記されているイエス・キリストの教えについてお話ししています。
 そして、前回は21節に記されている、

父が死人をよみがえらせ、いのちを与えられるように、子もまた、与えたいと思う者にいのちを与えます。

というイエス・キリストの教えについてのお話を始めました。
 それを振り返っておきますと、ここで、

 父が死人をよみがえらせ、いのちを与えられるように

と言われているときの「」は父なる神さまであり、

 子もまた、与えたいと思う者にいのちを与えます。

と言われているときの「」は御子イエス・キリストです。
 そして、この、

父が死人をよみがえらせ、いのちを与えられるように、子もまた、与えたいと思う者にいのちを与えます。

という教えは、神さまだけが「死人をよみがえらせ、いのちを与えられる」という旧約聖書の教えを踏まえて語られています。
 神さまだけが「死人をよみがえらせ、いのちを与えられる」という旧約聖書の教えは、申命記32章39節、サムエル記第一・2章6節、列王記第二・5章7節などに記されていることが広く認められています。そのほか、前回は触れませんでしたが、イザヤ書38章16節、ホセア書6章2節なども参照してください。
 前回は、これらのみことばのうち、列王記第二・5章7節に記されているみことばを取り上げてお話ししました。今日は、もともとお話ししていることからはそれてしまいますが、前回お話ししたことをもう少し補足するお話をしたいと思います。そのために、まず、列王記第二・5章1節ー19節に記されているみことばをお読みします。そこには、

アラムの王の軍の長ナアマンは、その主君に重んじられ、尊敬されていた。それは、が以前に、彼を通してアラムに勝利を与えられたからであった。この人は勇士であったが、ツァラアトに冒されていた。アラムはかつて略奪に出たとき、イスラエルの地から一人の若い娘を捕らえて来ていた。彼女はナアマンの妻に仕えていた。彼女は女主人に言った。「もし、ご主人様がサマリアにいる預言者のところに行かれたら、きっと、その方がご主人様のツァラアトを治してくださるでしょう。」そこで、ナアマンはその主君のところに行き、イスラエルの地から来た娘がこれこれのことを言いました、と告げた。アラムの王は言った。「行って来なさい。私がイスラエルの王に宛てて手紙を送ろう。」そこで、ナアマンは、銀十タラントと金六千シェケルと晴れ着十着を持って出かけた。彼はイスラエルの王宛ての次のような手紙を持って行った。「この手紙があなたに届きましたら、家臣のナアマンをあなたのところに送りましたので、彼のツァラアトを治してくださいますように。」イスラエルの王はこの手紙を読むと、自分の衣を引き裂いて言った。「私は殺したり、生かしたりすることのできる神であろうか。この人はこの男を送って、ツァラアトを治せと言う。しかし、考えてみよ。彼は私に言いがかりをつけようとしているのだ。」
 神の人エリシャは、イスラエルの王が衣を引き裂いたことを聞くと、王のもとに人を遣わして言った。「あなたはどうして衣を引き裂いたりなさるのですか。その男を私のところによこしてください。そうすれば、彼はイスラエルに預言者がいることを知るでしょう。」こうして、ナアマンは馬と戦車でやって来て、エリシャの家の入り口に立った。エリシャは、彼に使者を遣わして言った。「ヨルダン川へ行って七回あなたの身を洗いなさい。そうすれば、あなたのからだは元どおりになって、きよくなります。」しかしナアマンは激怒して去り、そして言った。「何ということだ。私は、彼がきっと出て来て立ち、彼の神、の名を呼んで、この患部の上で手を動かし、ツァラアトに冒されたこの者を治してくれると思っていた。ダマスコの川、アマナやパルパルは、イスラエルのすべての川にまさっているではないか。これらの川で身を洗って、私がきよくなれないというのか。」こうして、彼は憤って帰途についた。そのとき、彼のしもべたちが近づいて彼に言った。「わが父よ。難しいことを、あの預言者があなたに命じたのでしたら、あなたはきっとそれをなさったのではありませんか。あの人は『身を洗ってきよくなりなさい』と言っただけではありませんか。」そこで、ナアマンは下って行き、神の人が言ったとおりに、ヨルダン川に七回身を浸した。すると彼のからだは元どおりになって、幼子のからだのようになり、きよくなった。
 ナアマンはその一行の者すべてを連れて神の人のところに引き返して来て、彼の前に立って言った。「私は今、イスラエルのほか、全世界のどこにも神はおられないことを知りました。どうか今、あなたのしもべからの贈り物を受け取ってください。」神の人は言った。「私が仕えているは生きておられます。私は決して受け取りません。」ナアマンは、受け取らせようとしてしきりに勧めたが、神の人は断った。そこでナアマンは言った。「それなら、どうか二頭のらばに載せるだけの土をしもべに与えてください。しもべはこれからはもう、以外のほかの神々に全焼のささげ物やいけにえを献げません。どうか、が次のことについてしもべをお赦しくださいますように。私の主君がリンモンの神殿に入って、そこでひれ伏すために私の手を頼みにします。それで私もリンモンの神殿でひれ伏します。私がリンモンの神殿でひれ伏すとき、どうか、がこのことについてしもべをお赦しくださいますように。」エリシャは彼に言った。「安心して行きなさい。」そこでナアマンは彼から離れ、かなりの道のりを進んで行った。

と記されています。
 ここに記されていることは、聖書に記されている出来事でとてもよく知られていることです。私が初めてこの個所についてのお話を聞いたのは今から55年ほど前のことです。その頃は今私たちが使っている新改訳や新共同訳はなく、広く口語訳が用いられていました。その口語訳では1節の「アラム」は「スリヤ」と訳されていました。それで、ここに出てくるナアマンは、よく、「スリヤのナアマン」と呼ばれていました。この「スリヤ」は今で言う「シリア」のことです。これは、この個所に出てくる「アラム」がヘブル語旧約聖書のギリシア語訳である七十人訳で「シリア」と訳されていることによっています。このことは、新約聖書にも反映していて、ルカの福音書4章27節には、

また、預言者エリシャのときには、イスラエルにはツァラアトに冒された人が多くいましたが、その中のだれもきよめられることはなく、シリア人ナアマンだけがきよめられました。

というイエス・キリストのみことばが記されています。アラム人は全体で一つの国を形成しないで、それぞれの地方の都市を中心として国を形成していました。そして、1節に出てくる「アラム」は12節に出てくる「ダマスコ」を中心とした国で、「ダマスコのアラム」と呼ばれることもありました(サムエル記第二・8章5節ー6節、[並行個所の]歴代誌第一・18章5節ー6節)。「ダマスコ」は、今日のシリアの首都ダマスカスに当たります。
 1節に、

アラムの王の軍の長ナアマンは、その主君に重んじられ、尊敬されていた。それは、が以前に、彼を通してアラムに勝利を与えられたからであった。

と記されているように、ナアマンはアラムの王ベン・ハダドの家臣で、「軍の長」であり、その戦いの成果から、高い評価を得ていました。前回もお話ししましたが、13節に記されているように、ナアマンの家来たちはナアマンのことを「わが父」と呼んでいます。一般的には、このような場合には、「わが主」(アドニー)と呼びます。この「わが父」という呼び方は、ナアマンに対する敬意とともに、ナアマンとのつながりの深さをも示していると考えられるもので、ナアマンの人となりを示唆している可能性があります。ナアマンは周りの人々からも慕われていたと考えられます。それで、新改訳が1節で、ナアマンが「尊敬されていた」と訳していることは、軍事的な能力に優れていたためだけではなく、その人となりがすぐれていたことにもよっていたと考えられます。この「尊敬されていた」と訳されていることばは、文字通りには「顔が上げられている」ということで、「顔を上げる」ということは、表情によって表わされている喜びと愛情を指していると言われています。
 このことは、1節において、

 それは、が以前に、彼を通してアラムに勝利を与えられたからであった。

と言われていることとかかわっています。ナアマンに関する記事の冒頭から、「」ヤハウェがナアマンを顧みてくださり、導いてくださっていたことが示されています。このように「」がナアマンを顧みてくださっているので、軍事的な成果がもたらされ、ナアマンの人となりも磨かれていたということです。
 このことは注目に値します。というのは、「」はエジプトの奴隷の状態にあったイスラエルを、ご自身の民としてくださるために、モーセをとおして、エジプトの奴隷の身分から贖い出してくださった方だからです。そして、この時代においては、すでにイスラエルは北王国イスラエルと南王国ユダに分裂していましたが、両者はともに「」の民でした。そのイスラエルにとって、アラムは脅威となっていたからです(参照・列王記第二・6章8節、24節、8章12節、10章32節)。
 イスラエルにとって、アラムが脅威となっていたことは、2節に、

アラムはかつて略奪に出たとき、イスラエルの地から一人の若い娘を捕らえて来ていた。彼女はナアマンの妻に仕えていた。

と記されていることにも反映しています。ここでは、「ナアマンの妻に仕えていた」「一人の若い娘」(「若い娘」の単数形)のことが記されています。けれども、その時に略奪されたのは一人だけだったということは考えられないことです。また、その略奪にナアマンが「王の軍の長」としてかかわっていた可能性も高いのです。
 このような状況にあって、「」ヤハウェはイスラエルの敵国であるアラムの「王の軍の長」であるナアマンを顧みてくださっていました。このことは何を意味しているのでしょうか。これについては、二つのことが考えられます。
 より一般的なこととしては、このことは、列王記第一においても、列王記第二においても、「」ヤハウェがすべての国々を治めておられる主権者であられることが示されていることの一つの現れです。
 また、より特殊なこととしては、このことは、前回もお話ししましたが、イスラエルの王ヨラムに代表される、イスラエルの民の不信仰とかかわっています。改めてヨラムのことを見てみましょう。7節には、

イスラエルの王はこの手紙を読むと、自分の衣を引き裂いて言った。「私は殺したり、生かしたりすることのできる神であろうか。この人はこの男を送って、ツァラアトを治せと言う。しかし、考えてみよ。彼は私に言いがかりをつけようとしているのだ。」

と記されています。これは、アラムの王ベン・ハダドが、ナアマンのツァラアトを治してくれるようにと書き送った手紙を読んだイスラエルの王ヨラムのことです。イスラエルの王は、

 私は殺したり、生かしたりすることのできる神であろうか。

と言いました。彼は、神さまだけが「殺したり、生かしたりすること」ができる方であるということを踏まえていて、自分は神ではないので、そのようなことができるわけがないと言っているのです。
 この時、ヨラムは、「」がイスラエルに預言者エリシャを遣わしてくださっていることを思い浮かべることもありませんでした。このことは、ヨラムが「」を信じていなかったことの現れの一つです。ヨラムが「」を信じていなかったことは、彼がイスラエルの民に、北王国イスラエルの初代の王ヤロブアムが作った2頭の金の子牛を礼拝させることに執着していたことによっています(3章3節)。
 イスラエルの民が「」を退けて、偶像を礼拝し、頼みとしていたために、「」は異邦人の間でその恵みをお示しになったということです。それは、敵対するアラムの「王の軍の長」を用いて、アラムを強くし、イスラエルを懲らしめることによって、イスラエルが苦しみの中で自らの罪を悟り、悔い改めて「」に立ち返るように導いてくださるためのことでした。
 先ほど引用しました、ルカの福音書4章27節に、

また、預言者エリシャのときには、イスラエルにはツァラアトに冒された人が多くいましたが、その中のだれもきよめられることはなく、シリア人ナアマンだけがきよめられました。

と記されているイエス・キリストの教えも、これと本質的に同じことを示しています。24節において、イエス・キリストが、

 預言者はだれも、自分の郷里では歓迎されません

と述べておられるように、この場合は、イエス・キリストの出身地であるナザレの人々の不信仰が、かつてのイスラエルの不信仰と本質的に同じであるということを示しておられます。
 そのことは、ナザレの人々だけのことではありませんでした。ヨハネの福音書1章11節に、私たちご自身の民を罪と死の力から贖い出してくださるために人としての性質を取って来てくださった御子イエス・キリストについて、

 この方はご自分のところに来られたのに、ご自分の民はこの方を受け入れなかった。

と記されています。この場合の「ご自分の民」はユダヤ人ですが、ユダヤ人は御子イエス・キリストを偽メシアとして十字架につけてしまいました。
 しかし、御子イエス・キリストは、そのユダヤ人の不信仰をも用いて、十字架におかかりになり、私たちの罪に対する父なる神さまの聖なる御怒りによるさばきを、私たちに代わってすべて受けてくださり、私たちの罪を贖ってくださいました。それは、ユダヤ人と私たち異邦人の区別を超えて、御子イエス・キリストを父なる神さまが遣わしてくださった贖い主として信じる人々を、罪の結果である死と滅びの中から贖い出して、ご自身の民としてくださるためでした。
 そのあたりの事情が、ローマ人への手紙11章11節ー12節に、

それでは尋ねますが、彼ら[イスラエル]がつまずいたのは倒れるためでしょうか。決してそんなことはありません。かえって、彼らの背きによって、救いが異邦人に及び、イスラエルにねたみを起こさせました。彼らの背きが世界の富となり、彼らの失敗が異邦人の富となるのなら、彼らがみな救われることは、どんなにすばらしいものをもたらすことでしょう。

と記されています。
 このように、ナアマンの身に起こったことは、「」ヤハウェの贖いの御業がどのようなものであるかを映し出し、証しする意味をもっていました。


 このこととのかかわりで、もう一つ注意しておきたいことがあります。先ほどお話ししたように、「」は敵対するアラムの「王の軍の長」であるナアマンを用いて、アラムを強くし、イスラエルを懲らしめることによって、イスラエルが苦しみの中で自らの罪を悟り、悔い改めて「」に立ち返るように導いてくださろうとしておられました。そうであれば、ナアマンは「」に用いられた「手段」であったということになるのでしょうか。
 「」は、真の意味で、ご自身がお用いになる人々を単なる道具としてお使いになることはありません。その人自身を恵みをもって導いてくださるのです。そのことは、このナアマンの事例に明確に示されています。このことを念頭に置いて、もう少し見ていきましょう。
 1節の最後には、ナアマンのことが、

 この人は勇士であったが、ツァラアトに冒されていた。

と記されています。ナアマンはツァラアトに冒されていました。古い契約のもとでは、ツァラアトに冒されている者は汚れたものとされていました。レビ記13章45節ー46節には、

患部があるツァラアトに冒された者は自分の衣服を引き裂き、髪の毛を乱し、口ひげをおおって、『汚れている、汚れている』と叫ぶ。その患部が彼にある間、その人は汚れたままである。彼は汚れているので、ひとりで住む。宿営の外が彼の住まいとなる。

と記されています。これはイスラエルに与えられたモーセ律法の規定ですので、アラム人にそのまま当てはまらなかったでしょうが、列王記第二・5章に記されていることは、ツァラアトに冒されることが、アラム人たちにとっても、深刻な問題であることを示しています。
 2節には、

アラムはかつて略奪に出たとき、イスラエルの地から一人の若い娘を捕らえて来ていた。彼女はナアマンの妻に仕えていた。

と記されています。
 このイスラエル人の「若い娘」はナアマンと対比される立場にあります。彼女はイスラエル人でしたが、ナアマンは敵国アラム人でした。彼女は「若い娘」でしたが、ナアマンは戦いに秀でた「勇士」でした。彼女は略奪隊に捕らえられ奴隷となっていて、いわば、自分の国からは見捨てられた状態にありましたが、ナアマンは「アラムの王の軍の長」として王に重んじられていました。彼女はナアマンの家の使用人でしたが、ナアマンはその家の主人でした。このすべてにおいて、イスラエル人の「若い娘」は、自分からは何もできない、まったく弱い立場にありましたが、ナアマンは王に尊重されて何でもできるとも言える立場にありました。その一方で、ナアマンは「ツァラアトに冒されて」いましたが、イスラエル人の「若い娘」にはそのような問題はありませんでした。このように、外面的な違いにおいては彼女とナアマンは別世界の存在のように見えます。しかし、目に見えないところで二人はつながっていました。それは二人がともに「」の恵みにあずかっていたということです。ただし、ナアマンはそのことを知らず、イスラエル人の「若い娘」も、「」に見捨てられたと感じたとしてもおかしくない状態にありました。
 けれども、イスラエル人の「若い娘」は「」を信じていました。敵国に捕らえられて奴隷とされてしまうという過酷な経験を通ったにもかかわらず、「」を信じていました。具体的には、「」がイスラエルに預言者エリシャを遣わしてくださっていることを信じていました。
 イスラエル人の「若い娘」は、ナアマンの妻に、

もし、ご主人様がサマリアにいる預言者のところに行かれたら、きっと、その方がご主人様のツァラアトを治してくださるでしょう。

と言いました。彼女が伝えた「サマリアにいる預言者」(単数)は預言者エリシャのことです。
 それを聞いたナアマンはアラムの王ベン・ハダドにそのことを伝えました。それで、アラムの王はイスラエルの王ヨラムに、家臣であるナアマンのツァラアトを治してくれるようにという手紙を記し、それをもたせて、ナアマンを送り出しました。
 イスラエルの王ヨラムは、ナアマンが携えてきたアラムの王の手紙を読んで、アラムの王が言いがかりをつけて、自分たちを攻撃する口実を設けようとしていると思いました。先ほどお話ししたように、これはヨラムが「」を信じていなかったことの現れです。イスラエル人の「若い娘」でさえも、預言者エリシャのことを知っていました。王であるヨラムが知らないわけはありません。彼女はただエリシャを知っていただけではなく、「」を信じていました。しかも、イスラエルの敵国であるアラムに捕らえられ奴隷として働かされている状態で、「」に見捨てられたと思っておかしくない状態にあった「若い娘」が「」を信じていたのです。
 この後、ナアマンがどのようにしてツァラアトをきよめられたかは前回お話ししたとおりです。

          *
 最後にお話ししたいのは、前回お話しした結末のことと、そこから学びたいことです。
 前回お話ししたように、ツァラアトをきよめられたナアマンがアラムに帰って、イスラエル人の「若い娘」に、自分に注がれた「」の恵みを証ししたこと、そして、「」にあって、深く豊かな交わりをもつようになったであろうことは、ナアマンが真に「」を信じたことから、当然のことであったと考えられます。それで、先ほど挙げた、ナアマンとイスラエル人の「若い娘」の間にあったいくつもの大きな違い「」にあって乗り越えられて、二人は「」にある信仰の家族になったと考えられます。。
 そればかりではなかったでしょう。
 みことばに記されているわけではありませんが、イスラエル人の「若い娘」から預言者のことを聞いてナアマンに告げたナアマンの妻も、夫ナアマンに起こったことをとおして「」の御業に触れることになりました。彼女が夫ナアマンとともに「」を信じるようになったことも想像に難くありません。それはまた、預言者エリシャを伝えてくれたイスラエル人の「若い娘」と、「」にあって、新たな歩みを共にすることへとつながっていったことでしょう。
 さらに、ナアマンのことを思いやり、預言者エリシャのことばに従うようにと進言した「しもべたち」は、ヨルダン川で「」の御業を目の当たりにすることになりました。しかも、その「」の御業は、彼らがなじんでおり、また、それゆえに、当初ナアマンが期待していた、仰々しいおまじないや儀式などはいっさいなく、ただ、「」の預言者が告げた「」のみことばのとおりにツァラアトが完全にきよめられるというものだったのです。彼らすべてがとまでは言えないかも知れませんが、彼らもナアマンとともに「」を信じた可能性は高いのです。
 すべては、イスラエル人の若い娘が「」の預言者エリシャのことを伝えたことから始まっています。彼女は異邦の敵国アラムに捕らえられ、奴隷の身となって、ナアマンの妻に仕えていましたが、「」を信じていました。そして、この時には、「」が自分をとおしてナアマンに恵みを施してくださったことを知るようになりました。「」は、彼女の身に起こった大きな不幸を用いて、ご自身の栄光を現してくださったのです。
 また同じことはナアマンにも見られます。ツァラアトという忌まわしい病に冒されたナアマンは、当然、アラムの地にある高名な呪術師たちに頼ったはずです。11節に記されている、

何ということだ。私は、彼がきっと出て来て立ち、彼の神、の名を呼んで、この患部の上で手を動かし、ツァラアトに冒されたこの者を治してくれると思っていた。

というナアマンの憤りのことばは、そのことを暗示しています。その効果がまったくなかった時、ナアマンの絶望は深くなったことでしょう。しかし、ナアマンは、そのツァラアトに冒されることがなかったら、「」の御業に触れることもなかったのです。とはいえ、ナアマンがツァラアトに冒されたから「」の御業に触れたわけではありません。「」がその一方的な恵みによってナアマンのツァラアトを用いてナアマンを導いてくださったのです。先ほど引用した、ルカの福音書4章27節に記されている、

また、預言者エリシャのときには、イスラエルにはツァラアトに冒された人が多くいましたが、その中のだれもきよめられることはなく、シリア人ナアマンだけがきよめられました。

というイエス・キリストのみことばも、ナアマンへの「」の主権的で一方的な恵みを示唆しています。
 同じように、「」は、その一方的な恵みによって、私たちが経験する、さまざまな試練や苦しみや悩みをとおして、私たちにご自身を示してくださることがあります。それは「」が、私たちがさまざまな試練に悩み、苦しむ時にこそ、たとえ、その試練が私たちの罪のためにもたらされたものであったとしても、私たちと一つとなって、その痛みや苦しみをつぶさに知ってくださる方であるからです。ヘブル人への手紙4章15節には、「」ヤハウェであられる御子イエス・キリストのことが、

私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯しませんでしたが、すべての点において、私たちと同じように試みにあわれたのです。

と記されています。


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