黙示録講解

(第358回)


説教日:2018年10月28日
聖書箇所:ヨハネの黙示録2章18節ー29節
説教題:テアテラにある教会へのみことば(111)


 黙示録2章27節前半に記されている、イエス・キリストがテアテラにある教会に語られた、

 彼は鉄の杖で彼らを牧する。土の器を砕くように。

という約束のみことばとの関連で、19章15節に記されている、

この方の口からは、諸国の民を打つために鋭い剣が出ていた。鉄の杖で彼らを牧するのは、この方である。また、全能者なる神の激しい憤りのぶどうの踏み場を踏まれるのは、この方である。

という、終わりの日に再臨される栄光のキリストについてのみことばについてお話ししています。
 今日は、お話の経緯については省略して、先主日にお話しした、イスラエルがカナンの地に侵入したことは、「」がアブラハムと結んでくださった契約に約束されていた、アブラハムの子孫たちが受け継ぐべき相続財産として、新しい天と新しい地を受け継ぐことを指し示す「地上的なひな型」としての意味をもっていたということについてのお話を続けます。
 このことを理解する上での鍵となることが記されているヘブル人への手紙11章8節ー10節には、

信仰によって、アブラハムは相続財産として受け取るべき地に出て行くようにと召しを受けたときに、それに従い、どこに行くのかを知らずに出て行きました。信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに受け継ぐイサクやヤコブと天幕生活をしました。堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。その都の設計者、また建設者は神です。

と記されています。
 今日は、先主日に続いて、ここに記されているアブラハムの生涯にかかわる創世記の記事として、14章に記されていることを取り上げてお話しします。
 14章1節ー11節には東の4人の王たちの連合軍が、その1人であるケドルラオメルに背いたカナンの5人の王たちを討伐するためにやって来て、当時「シディムの谷」と呼ばれた死海の谷で、カナンの5人の王と戦って、彼らを打ち破ったことが記されています。
 1節ー4節には、その事情が、

さて、シンアルの王アムラフェル、エラサルの王アルヨク、エラムの王ケドルラオメル、ゴイムの王ティデアルの時代のことである。これらの王たちは、ソドムの王ベラ、ゴモラの王ビルシャ、アデマの王シンアブ、ツェボイムの王シェムエベル、ベラすなわちツォアルの王と戦った。この五人の王たちは、シディムの谷、すなわち塩の海に結集した。彼らは十二年間ケドルラオメルに仕えていたが、十三年目に背いたのである。

と記されています。
 東の王たちの国がどこであるか不明のものもありますが、「シンアル」はバビロンに当たります。「エラム」はバビロンの川向こうの地で、ティグリス川より東の地域です。それで、これらの王たちはメソポタミアの国々の王であったと考えられます。そして、5節で、

 そして十四年目に、ケドルラオメルと彼に味方する王たちがやって来て

と言われているので、東の王たちの連合の中心は、「エラムの王ケドルラオメル」であったと考えられます(17節にも「ケドルラオメルと彼に味方する王たち」が出てきます)。この時代にエラムは強力な国であったことが知られています。
 5節節ー7節には、

そして十四年目に、ケドルラオメルと彼に味方する王たちがやって来て、アシュタロテ・カルナイムでレファイム人を、ハムでズジム人を、シャベ・キルヤタイムでエミム人を、セイルの山地でフリ人を打ち破り、荒野の近くのエル・パランまで進んだ。それから彼らは引き返して、エン・ミシュパテ、すなわちカデシュに至り、アマレク人の全土と、さらにハツェツォン・タマルに住んでいるアモリ人を打ち破った。

と記されています。これは、この東の王たちの連合軍が、カナンまで遠征してくる途中の国々の民をも打ち破ってきたことを記しています。これによって、この東の王たちの連合軍が極めて強力な軍隊であったことをを示しています。
 カナンの王たちは、「シディムの谷」で、東の王たちと戦いますが、破れてしまいます。その時のことは10節ー12節に、

シディムの谷には瀝青の穴が多くあり、ソドムの王とゴモラの王は逃げたとき、その穴に落ちた。そして、残りの王たちは山の方に逃げた。四人の王たちは、ソドムとゴモラのすべての財産とすべての食糧を奪って行った。また彼らは、アブラムの甥のロトとその財産も奪って行った。ロトはソドムに住んでいた。

と記されています。
 そして、続く14節ー16節には、

アブラムは、自分の親類の者が捕虜になったことを聞き、彼の家で生まれて訓練された者三百十八人を引き連れて、ダンまで追跡した。夜、アブラムとそのしもべたちは分かれて彼らを攻め、彼らを打ち破り、ダマスコの北にあるホバまで追跡した。そして、アブラムはすべての財産を取り戻し、親類のロトとその財産、それに女たちやほかの人々も取り戻した。

と記されています。
 24節には、アブラハムがソドムの王に言った、

ただ、若い者たちが食べた物と、私と一緒に行動した人たちの取り分は別だ。アネルとエシュコルとマムレには、彼らの取り分を取らせるように。

ということばが記されていることから、アブラハムと盟約を結んでいた「アネルとエシュコルとマムレ」も、追撃に参加したことが分かります。ただし、その中心であり救出作戦を展開したのは、アブラハムでした。アブラハムが率いたのは「彼の家で生まれて訓練された者三百十八人」であったと言われています。「アネルとエシュコルとマムレ」が率いていたのも、それぞれ、同じような数の人々であったと考えられます。
 ケドルラオメルを中心とする東の王たちの連合軍は、メソポタミアからカナンにまで遠征してきて、その途中の国々を征服した、強力な軍隊でした。アブラハムはこのように強力な連合軍を追撃して、しゃにむに戦ったのではなく、夜襲をかけて彼らを打ち破りました。このことから、アブラハムが軍事的な能力にも長けていたことが分かります。
 もちろん、いくらアブラハムが軍事的な能力に長けていたとしても、また、東の王たちの連合軍に、もはや自分たちに敵対する者たちはいなくなったということからくる油断があったとしても、比べものにならないほどわずかな人数で強力な東の王たちの連合軍を打ち破ることは不可能なことであったはずです。東の王たちの連合軍は、最初のうちは不意打ちにあって混乱があったとしても、すぐに体制を整えて反撃できたはずです。それで、その時には「」がアブラハムとともにいてくださって、アブラハムとともに戦ってくださったと考えるほかはありません。後ほどお話ししますが、アブラハム自身もそのことを認めています。
 これらのことから、アブラハムがその気になれば、「」の御名によって、すなわち、「」がカナンの地を自分と自分の子孫に与えてくださっているとして、カナンの王たちに劣らない王国を建設することができたであろうことが分かります。
 ヘブル人への手紙11章9節には、アブラハムのことが、

信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに受け継ぐイサクやヤコブと天幕生活をしました。

と記されています。アブラハムが「天幕生活」をしたのは、アブラハムに自分の国を建設するだけの能力がなかったからではありません。アブラハムは、明確な理由があって、「天幕生活」をしたのです。9節に記されているみことばは、それは、アブラハムの信仰によることだと説明しています。そして、続く10節には、アブラハムは、

堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。その都の設計者、また建設者は神です。

と記されています。
 この世の尺度から言うと、自分を中心とした国家を建設する力があったアブラハムでした。しかし、そのような血肉の力によって建設できるのは、この世の国家の一つでしかありません。それは、血肉の力で建てられ、血肉の力によって守られ、血肉の力の衰退とともに衰退していってしまう国家です。アブラハムは、そのような国を求めていたのではなく、神さまが「設計者、また建設者」である「堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいた」のです。その信仰に基づく生き方として、自分の意思で、「約束された地に他国人のようにして住み」、「天幕生活」をしたのです。


 ロトの救出のことを記している、創世記14章14節ー15節には、

アブラムは、自分の親類の者が捕虜になったことを聞き、彼の家で生まれて訓練された者三百十八人を引き連れて、ダンまで追跡した。夜、アブラムとそのしもべたちは分かれて彼らを攻め、彼らを打ち破り、ダマスコの北にあるホバまで追跡した。

と記されています。
 「ホバ」がどこに位置していたのかは分かっていませんが、これが「ダマスコの北」と言われていることから、「ダマスコの北にあるホバまで彼らを追跡した。」ということは、カナンの地から東の王の連合軍を追い払ったということを示していると考えられます。
 これは、13章17節に記されている、

 立って、この地を縦と横に歩き回りなさい。わたしがあなたに与えるのだから。

という、契約の神である「」のみことばとかかわっていると考えられます。この、

 立って、この地を縦と横に歩き回りなさい。

ということばは、「」がアブラハムをご自身の契約のしもべとしてくださって、アブラハムとその子孫に与えるとに約束してくださったカナンの地の管理を委ねられたことを意味していると考えられます。
 そして、これを受けて、続く13章18節には、

そこで、アブラムは天幕を移して、ヘブロンにあるマムレの樫の木のそばに来て住んだ。そして、そこにのための祭壇を築いた。

と記されています。ヘブロンはエルサレムの南、約30キロメートル余りのところに位置していて、海抜790メートルの高地にあります。そこが、この後のアブラハムの生活の舞台となります。
 そこで、アブラハムが築いたのは「のための祭壇」でした。それは、アブラハムが「」が自分とともにおられることを信じていたことの現われです。アブラハムは契約の「」のしもべとして、「」を礼拝することを中心として、「」とともに歩んだのです。
 それで、アブラハムは甥のロトを救出するときにも、自分とともにいてくださる「」の御名によって、東の王たちの連合軍を追撃したと考えられます。そして、それを打ち破って約束の地であるカナンから追い出したのであると考えられます。
 アブラハムは自分の国を建設して、カナンの地を自分の領土として支配しようとしていたのではありません。それで、自分の権力を支え、拡大するための武装をしていたわけではありません。また、カナンの地に入ってくる者をすべて敵と見なしていたわけでもありません。この時は、甥のロトが捕らえられたから、救出のために出ていったのです。カナンの地を管理するよう委ねられたアブラハムがしたことの中心は、そこに「のための祭壇」を築いて「」を礼拝して、「」とともに歩むことにありました。

 アブラハムが東の王たちの連合軍と戦うために出て行ったのが、「」の御名によってであることは、17節ー24節に記されていることから分かります。そこには、

アブラムが、ケドルラオメルと彼に味方する王たちを打ち破って戻って来たとき、ソドムの王は、シャベの谷すなわち王の谷まで、彼を迎えに出て来た。また、サレムの王メルキゼデクは、パンとぶどう酒を持って来た。彼はいと高き神の祭司であった。彼はアブラムを祝福して言った。
 「アブラムに祝福あれ。
 いと高き神、天と地を造られた方より。
 いと高き神に誉れあれ。
 あなたの敵をあなたの手に渡された方に。」
アブラムはすべての物の十分の一を彼に与えた。
 ソドムの王はアブラムに言った。「人々は私に返し、財産はあなたが取ってください。」アブラムはソドムの王に言った。「私は、いと高き神、天と地を造られた方、に誓う。糸一本、履き物のひも一本さえ、私はあなたの所有物から何一つ取らない。それは、『アブラムを富ませたのは、この私だ』とあなたが言わないようにするためだ。ただ、若い者たちが食べた物と、私と一緒に行動した人たちの取り分は別だ。アネルとエシュコルとマムレには、彼らの取り分を取らせるように。」

と記されています。
 東の王たちの連合軍を打ち破って帰ってきたアブラハムを出迎えた、「サレムの王メルキゼデク」が、

 アブラムに祝福あれ。
 いと高き神、天と地を造られた方より。
 いと高き神に誉れあれ。
 あなたの敵をあなたの手に渡された方に。

と言って、アブラハムを祝福したとき、

 アブラムはすべての物の十分の一を彼に与えた。

と記されています。これは、アブラハムが戦いから帰ってきた時のことですから、この「すべての物」は敵の手から奪い取ったもののことです。これによって、アブラハムは、ロトを救出することができたのが、「」の恵みによることであったことを告白しています。その当時の発想では、戦いにおいて奪い取ったものは、人であれ物であれ、勝利をした者に所有権があることになっていました。それで、これは、他人から奪い取ったものを勝手に別の人に与えたということではありません。
 この「メルキゼデク」という名前は、「マルキー」と「ツェデク」の二つの要素によって構成されています。「マルキー」は「王」を表わす「メレク」の変化した形です。そして、「ツェデク」は「義」を表わします。「マルキー」は二様に取れて、それをどう取るかによって「メルキゼデク」の意味は「私の王は義である」という意味か、「義の王」あるいは「義なる者の王」という意味になります。
 これとともに、「マルキー」と「ツェデク」が、それぞれ別の神の名前である可能性もあります。その場合には、「ミルキ、あるいはミルクは義である。」となるか、「私の王はツェデク、あるいはツァディクである。」となります。
 「サレムの王」の「サレム」は、エルサレムのことであると考えられます。
 メルキゼデクは、「いと高き神の祭司であった。」と言われています。19節に記されているように、メルキゼデクは「いと高き神」(エール・エルヨーン)のことを「天と地を造られた方」であると言っています。また、22節に記されているように、アブラハムは、

 私は、いと高き神、天と地を造られた方、に誓う。

と言っています。ここでアブラハムは、「いと高き神」が「天と地を造られた方」であるということだけでなく、その方が契約の神である「」であると言っています。これは、アブラハムが、メルキゼデクが祭司として仕えている「いと高き神」は、自分が信じている「」であるということを、意識的に表明したものであると考えられます。アブラハムと同時代に、メルキゼデクはアブラハムと同じ神を信じていました。
 メルキゼデクは、アブラハムを迎えるのに「パンとぶどう酒を持って来た」と言われています。これは、メルキゼデクがアブラハムに対して、深い敬意を示して出迎えたことを意味しています。「パンとぶどう酒」は戦いから帰ってきたアブラハムとともにいた者たちが疲れていることに心を配って、彼らを元気づけるために用意されたものであると考えられます。
 メルキゼデクは、そのような肉体的なことへの配慮ばかりでなく、アブラハムにとって、また、メルキゼデク自身にとって最も大切な方である、「天と地を造られた方、いと高き神」の祝福を求めています。それは「パンとぶどう酒」以上に、アブラハムを喜ばせ元気づけたと考えられます。これを受けて、

 アブラムはすべての物の十分の一を彼に与えた。

と言われているのは、アブラハムがメルキゼデクの祭司としての祝福に応答したものです。このすべてのことにおいて、「天と地を造られた方、いと高き神」があがめられるべきであるということおいて、アブラハムとメルキゼデクは心を一つにしています。

 このようなメルキゼデクの姿と対照的なのが、ソドムの王のアブラハムに対する姿勢です。ソドムの王は、当然、アブラハムと彼の盟約者である「アネルとエシュコルとマムレ」が取り返してきたものは、彼らに所有権があることを知っていたはずです。けれども、ソドムの王は、あたかも自分にすべての権利があるかのように、

 人々は私に返し、財産はあなたが取ってください。

と言いました。これは、ていねいなことばとして訳されていますが、このことばは、ヘブル語では、わずか4文字で表わされている、そっけない命令です。
 しかも、「人々は私に返し」という、自分の関心を先に述べています。ソドムの王は、アブラハムのなしたことと権利を認めてはいませんでした。それどころか、「財産はあなたが取ってください」と言うことによって、アブラハムに恩を売ろうとしています。
 このようなソドムの王に対して、アブラハムは、

私は、いと高き神、天と地を造られた方、に誓う。糸一本、履き物のひも一本さえ、私はあなたの所有物から何一つ取らない。それは、『アブラムを富ませたのは、この私だ』とあなたが言わないようにするためだ。

と答えています。
 「糸一本、履き物のひも一本さえ」ということばは、「何一つ」ということですが、その当時、「ワラ一本でも、木の破片(一つ)でも」というような、それと類似の表現があって、財産の放棄のときに使われていたようです。
 アブラハムが守ったのは、自分のメンツではありません。自分のメンツを守るためであれば、自分に権利があることを主張して、すべてを自分のものとしてしまった方がよかったはずです。そこには、盟約を結んでいた「アネルとエシュコルとマムレ」も、サレムの王であるメルキゼデクも、証人としていましたから、その権利を十分に主張できたはずです。しかし、アブラハムはそうしませんでした。
 また、アブラハムは自分が取り返した物にも執着しませんでした。
 すでにお話ししたように、もし、アブラハムがカナンの地に自分の王国を建設しようとしたら、アブラハムにはそれを実現することができる能力があったと思われます。また、自分が苦労して取り返したものを自分のものとすることは、自分の王国を建設するのにも大いに役立ったことでしょう。しかし、アブラハムはすべてのものをソドムの王に返してしまいました。
 それは、アブラハムがそのようなものはどうでもいいと考えていたからではありません。メルキゼデクの、

 アブラムに祝福あれ。
 いと高き神、天と地を造られた方より。
 いと高き神に誉れあれ。
 あなたの敵をあなたの手に渡された方に。

という祝福に応えて、

 アブラムはすべての物の十分の一を彼に与えた。

と言われています。これは、二つのことを意味しています。
 一つは、アブラハムが、その当時の理解にしたがって、取り返した「すべての物」は自分たちのものとなっていると考えていたことを意味しています。そうでなければ、アブラハムは、他人のものを自分のささげものとしてささげてしまったことになります。
 もう一つは、アブラハムが、自分の取り返した「すべての物」は、「」によって自分に渡されたものであると認めていたことを意味しています。
 これら二つの意味において、アブラハムが取り返した「すべての物」は、アブラハムのものとなっていました。それでも、アブラハムは、ソドムの王に向かって、

私は、いと高き神、天と地を造られた方、に誓う。糸一本、履き物のひも一本さえ、私はあなたの所有物から何一つ取らない。それは、『アブラムを富ませたのは、この私だ』とあなたが言わないようにするためだ。。

と言いました。
 それは、このすべてのことにおいて、アブラハムが「」を信じていて、「」だけを頼みとしていたからに他なりません。そして、「」の御名があがめられることを目的としていたからに他なりません。その「」の御名が辱められることがないようにと、戦いにおいていのちの危険を冒して勝ち取って、自分に所有権がある、かなりの財産を、惜しむことなく放棄したのです。
 このことは、アブラハムの信仰がどのようなものであったかを、物語っています。
 その当時、戦いに出て行く王たちは、みな、自分たちの神々に「戦勝祈願」をして、出かけていきました。それで、その戦いの勝利は、自分たちの神々の勝利でもありました。また、そのために、征服者は、征服した国の神殿を徹底的に破壊してしまいます。そのようなことからすると、ケドルラオメルとその連合軍たちも、カナンの5人の王たちも、自分たちの神々に戦勝を祈願してから、戦いに出かけたはずです。
 その意味では、アブラハムが、このことにおいて、自分が「」を信じていて、「」だけを頼みとしていたということは、いわば当たり前のことであったということになりかねません。しかし、アブラハムの場合はそれとは根本的に違っています。
 どういうことかと言うと、その当時の発想からすれば、王たちは、自分たちの神々の助けによって敵を打ち破り、戦いに勝利したということになります。その結果、敵の財産と優れた能力を持つ人材を自分のものとすることができるようになります。敵の財産を略奪するだけではなく、その後も、重い税をかけて搾取します。それによって、自分の国が栄えるようになります。そのようなことが、王たちの求めているところです。
 しかし、アブラハムは、このような意味での繁栄を求めてはいませんでした。アブラハムは、自分を繁栄させようとして東の王たちの連合軍と戦ったのではありません。彼は甥のロトを取り返すことが自分のなすべき分であることを自覚したので、「」を信頼して出陣したのです。その際にも、「」のしもべとしての自覚を持って、ことに当たったと考えられます。
 アブラハムは、首尾よくロトを取り返すことができました。そのすべてのことにおいて、アブラハムは、自分とともにいてくださる「」に信頼していました。だからといって、アブラハムに何の工夫もないということではありません。アブラハムは、東の王たちの連合軍を「夜襲」によって打ち破っています。その作戦を立てるときに導いてくださったのも、それを有効なものにしてくださったのも、アブラハムとともにいてくださった「」でした。それで、アブラハムは、戦いから帰ってきたときに、メルキゼデクと心を合わせて、「いと高き神」である「」を賛美しました。
 その際に、ソドムの王によって「」の御名が傷つけられる可能性があることが分かると、自分の権利である財産をすべて放棄したのです。これによって、アブラハムが目指していたものが、物質的な繁栄ではなく、「」に栄光を帰することにあったことが示されました。
 このようにして、アブラハムは自分の国を建設することができるだけの能力と条件を備えていましたが、カナンの地に自分の国を建設しませんでした。このようなアブラハムの姿勢を受けて、ヘブル人への手紙の著者は、

信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに受け継ぐイサクやヤコブと天幕生活をしました。堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。その都の設計者、また建設者は神です。

と証ししています。
 そして、今お話ししていることにとって大切なことですが、このようなアブラハムの姿勢はアブラハムだけのものではなく、「同じ約束をともに受け継ぐイサクやヤコブ」、すなわち、アブラハム契約に基づくアブラハムの子孫の姿勢でもあるとも証ししているのです。その意味で、このことは、ヨシュアの時代にイスラエルがカナンの地に侵入したことが「地上的なひな型」としての意味をもっていたことを理解する上での重要な鍵となっています。それはまた、今日のイスラエルにかかわるパレスチナ問題を、聖書とかかわらせて考える上でも大切な意味をもっています。


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