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説教日:2018年9月30日 |
先ほどお話ししたように、モーセが「ヌンの子ホセアをヨシュアと名づけた」ことは、モーセとヨシュアの間の個人的なことではなく、イスラエルの民全体にとって意味をもっていることでした。この時、イスラエルの民は「代々にわたりアマレクと戦われる」「主」がともにおられることを信じて、「主」を中心として結集して、「主」がアブラハム契約において約束してくださっているカナンの地に入るべきでした。 しかし、そのような肝心な時に、イスラエルの民は「主」に対する不信を募らせてしまいました。 民数記13章27節ー33節には、イスラエルの族長たちがカナンの地の偵察から帰って来た時のことが、 彼らはモーセに語った。「私たちは、あなたがお遣わしになった地に行きました。そこには確かに乳と蜜が流れています。そして、これがそこの果物です。ただ、その地に住む民は力が強く、その町々は城壁があって非常に大きく、そのうえ、そこでアナクの子孫を見ました。アマレク人がネゲブの地方に住んでいて、ヒッタイト人、エブス人、アモリ人が山地に、カナン人が海岸とヨルダンの川岸に住んでいます。」そのとき、カレブがモーセの前で、民を静めて言った。「私たちはぜひとも上って行って、そこを占領しましょう。必ず打ち勝つことができます。」しかし、彼と一緒に上って行った者たちは言った。「あの民のところには攻め上れない。あの民は私たちより強い。」彼らは偵察して来た地について、イスラエルの子らに悪く言いふらして言った。「私たちが行き巡って偵察した地は、そこに住む者を食い尽くす地で、そこで見た民はみな、背の高い者たちだ。私たちは、そこでネフィリムを、ネフィリムの末裔アナク人を見た。私たちの目には自分たちがバッタのように見えたし、彼らの目にもそう見えただろう。」 と記されています。 注目されるのは、彼らが最初に挙げている民が「アマレク人」であったことです(「アナクの子孫」は民族名ではありません)。彼ら族長たちは、この「アマレク人」という名とともに、 主は代々にわたりアマレクと戦われる。 ということを思い起こすことができたはずです。そのアマレクが、エジプトの奴隷であって戦うことさえおぼつかなかった状態にあった自分たちを襲ってきた時、「主」がそのように未熟な自分たちを用いてアマレクを撃退してくださったことを思い起こすことができたはずです。しかし、このことは、ヨシュアとカレブ以外の族長たちの心に思い浮かぶこともなかったようです。 さらに、出エジプト際に、「主」がエジプトの地と、紅海においてイスラエルの民のためになしてくださった大いなる御業のことも、この時には単なる記憶となってしまっていて、「主」がともにいてくださることの現実性(リアリティー)は見失われてしまっていたようです。 しかも、過去に「主」がなしてくださった御業だけではありません。出エジプト記40章38節には、 旅路にある間、イスラエルの全家の前には、昼は主の雲が幕屋の上に、夜は雲の中に火があった。 と記されています。イスラエルの民は自分たちの前には「主」の栄光の御臨在を表す「主の雲」があるのを見ていましたし、夜には、それは火の柱となってイスラエルの民に示されていました。それは、紅海においてファラオの軍隊を滅ぼされた「主」の御臨在の現れでしたし、アマレクを撃退された「主」の御臨在現れでした。 また、このときまで、毎日、「主」が天から降らせてくださるマナを食べていました。それは、「主」が彼らとともにいてくださり、彼らを心に留めていてくださることの現れでした。 これらのことがあっても、ヨシュアとカレブ以外の族長たちは、「主」が彼らとともにいてくださり、彼らとともに戦われるということを信じることができませんでした。 これに続く14章1節ー4節には、 すると、全会衆は大声をあげて叫び、民はその夜、泣き明かした。イスラエルの子らはみな、モーセとアロンに不平を言った。全会衆は彼らに言った。「われわれはエジプトの地で死んでいたらよかった。あるいは、この荒野で死んでいたらよかったのだ。なぜ主は、われわれをこの地に導いて来て、剣に倒れるようにされるのか。妻や子どもは、かすめ奪われてしまう。エジプトに帰るほうが、われわれにとって良くはないか。」そして互いに言った。「さあ、われわれは、かしらを一人立ててエジプトに帰ろう。」 と記されています。 ここで注目すべきは、イスラエルの民が言った、 なぜ主は、われわれをこの地に導いて来て、剣に倒れるようにされるのか。 ということばです。「主」が父祖アブラハムに与えてくださった契約に基づいてアブラハムの子孫であるイスラエルの民を、力強い御手をもってエジプトの奴隷の状態から贖い出してくださったことも、約束の地であるカナンの地に導き入れてくださることも、自分たちを「剣に倒れるようにされる」ためであったというのです。「主」の一方的な愛と恵みによってなされたことはすべて、「主」の悪意から出たことであったというのです。 これに対して、6節ー10節には、ヨシュアとカレブがイスラエルの民を説得したことが記されています。9節には、彼らが最後に、 主に背いてはならない。その地の人々を恐れてはならない。彼らは私たちの餌食となる。彼らの守りは、すでに彼らから取り去られている。主が私たちとともにおられるのだ。彼らを恐れてはならない。 と言ったことが記されています。しかし10節には、 しかし全会衆は、二人を石で打ち殺そうと言い出した。すると、主の栄光が会見の天幕からすべてのイスラエルの子らに現れた。 と記されています。 「主」はモーセにイスラエルの民を「疫病で打ち」、モーセから新しい民を起こすと言われました。しかし、モーセは「主」の御名のために赦してくださるようにとりなしました。それに対して「主」がモーセに語られたみことばが、20節ー23節に、 あなたのことばどおりに、わたしは赦す。しかし、わたしが生きていて、主の栄光が全地に満ちている以上、わたしの栄光と、わたしがエジプトとこの荒野で行ったしるしとを見ながら、十度もこのようにわたしを試み、わたしの声に聞き従わなかった者たちは、だれ一人、わたしが彼らの父祖たちに誓った地を見ることはない。わたしを侮った者たちは、だれ一人、それを見ることはない。 と記されています。 ここで「主」はエジプトを出たイスラエルの民の第一世代の者たちのことを「わたしの栄光と、わたしがエジプトとこの荒野で行ったしるしとを見ながら、十度もこのようにわたしを試み、わたしの声に聞き従わなかった者たち」と言っておられます。 このことは、エジプトを出たイスラエルの民が、初めから、抱き続けた「主」に対する不信が極まったことを反映しています。 それで、この時に至るまでの、イスラエルの民の不信の事例をいくつか振り返っておきましょう。 先ほど取り上げた出エジプト記14章の11節には、ファラオの軍隊が追撃してくることを知ったイスラエルの民が、モーセに、 エジプトに墓がないからといって、荒野で死なせるために、あなたはわれわれを連れて来たのか。われわれをエジプトから連れ出したりして、いったい何ということをしてくれたのだ。エジプトであなたに「われわれのことにはかまわないで、エジプトに仕えさせてくれ」と言ったではないか。実際、この荒野で死ぬよりは、エジプトに仕えるほうがよかったのだ。 と言ったことが記されています。 「主」がエジプトに十のさばきを執行された時、イスラエルの民にはその災いが及びませんでした。特に、最後のさばきにおいては、イスラエルの民は、「主」が示してくださったように、過ぎ越の子羊の血を、それぞれの家の2本の門柱と鴨居に塗りました。「主」はエジプトの地にいるすべての初子を打った時、その過ぎ越の子羊の血が塗られている家ではすでにさばきが執行されていると見なされて、その家を過ぎ越されました。これらのことによって、イスラエルの民は、「主」が自分たちとともにいてくださることを悟るようにと導かれていたのです。 そのようにして、エジプトの地で「主」の御業を目の当たりにしていたイスラエルの民が、エジプトの地を出て、ほどなく、紅海の浜辺に宿営している自分たちをファラオの軍隊が追撃してくることを知って、「主」を信じることなく、モーセに、自分たちをエジプトから導き出したのは、自分たちを「荒野で死なせるため」だったのではないかと言って詰め寄りました。出エジプトの贖いの御業は、自分たちに対する悪意から出ているというのです。 それでも「主」は忍耐深くイスラエルの民に接してくださって、紅海の水を分けてイスラエルの民を渡らせてくださり、その水でファラオの軍隊を滅ぼされました。それで、イスラエルの民は「主とそのしもべモーセを信じた」(14章31節)と言われています。しかし、イスラエルの民はその後も、試練に会う度に、不信を募らせ、「主」のしもべモーセに、時には、モーセとアロンに不平を言い続けます。15章24節には、マラの水が苦くてのめなかった時のことが記されています。16章2節ー3節には、シンの荒野で、飢えた時のことが記されています。この時から、「主」が天からマナを降らせてくださるようになりました。そして、17章1節ー4節には、レフィディムで飲み水がなかった時のことが記されています。この時、彼らは、モーセを石で打ち殺そうとしましたが、「主」は岩から水を出してくださいました。このように、「主」はイスラエルの民に対して忍耐深く接してくださり、その都度、彼らの必要を満たしてくださいました。それで、荒野を旅するイスラエルの民は飢えることも、渇くこともなく旅をしてきました。 そして、これらのことの後に、アマレクとの戦いによって、さらに、荒野においても「主」がイスラエルの民とともにいてくださり、イスラエルの民のために戦われるということを示してくださいました。 これらすべてのことを経て、「主」はイスラエルの民をシナイ山の麓に導いてくださり(19章)、そこで、「主」ご自身が御声を発して十戒の戒めを語ってくださいました(20章1節ー20節)。その後、「主」の御声を聞くことを恐れたイスラエルの民の求めを受けて、「主」はモーセをとおしてより詳細な律法を与えてくださいました(20章21節ー23章)。これらのことを受けて、「主」はイスラエルの民と契約を結んでくださいました(24章1節ー11節)。そして、「主」はご自身の契約の核心にある祝福である、「主」がイスラエルの神となってくださり、イスラエルをご自身の民としてくださることと、「主」がイスラエルの民の間にご臨在してくださり、彼らとともに歩んでくださることを実現してくださるために、モーセをご自身がご臨在されるシナイ山に登るよう命じられました(24章12節ー18節)。そして、「主」がイスラエルの民の間に住んでくださるための聖所を、ご自身が示されるように造るように命じられ(25章8節ー9節)、幕屋とその用具の具体的な造り方を示してくださいました(25章ー27章)。また、そこで仕える大祭司と祭司としてアロンとその子らを立ててくださいました(28章ー30章)。そして、「主」ご自身が二つの石の板を切り出し、そこに十戒の戒めを記して、モーセに与えてくださり(31章18節)、記されている順序は異なりますが、それを聖所の奥の至聖所に置く契約の箱に入れるように指示してくださいました(25章15節)。 このように、「主」が力強い御手によってイスラエルの民をエジプトの奴隷の状態から贖い出してくださったことから始まって、シナイ山においてイスラエルの民と契約を結んでくださったことに至るまでのすべてを貫いているのは、「主」が、その一方的な愛と恵みによって、イスラエルの神となってくださり、イスラエルをご自身の民としてくださるということ、そして、「主」がイスラエルの民の間にご臨在してくださり、彼らとともに歩んでくださるということに集約される「主」の契約の祝福を実現してくださるということです。このことから、イスラエルの民はどのような時にも「主」が自分たちとともにいてくださり、自分たちとともに歩んでくださり、自分たちとともに戦ってくださることを信じるように導かれていたことが分かります。 しかし、イスラエルの民は、このような「主」の愛と恵みを心に刻み、試練の時に、それを思い起こして「主」に信頼することをがありませんでした。帰って、ことあるごとに「主」に対する不信を募らせていき、それを極まらせてしまいました。そのために、自分たちの子どもたちがアブラハム契約の祝福にあずかっていることに何の意味も認めないようになってしまい、割礼を施すこともなかったのです。 これらのことから、私たちは、「主」の忍耐とあわれみの深さと、私たちにとって他人事ではない、罪がもたらす闇の深さを痛感させられます。人としては、私たちもイスラエルの民も同じく罪の力に縛られていたものですし、今なお自らのうちに罪の性質をもっているものです。私たちとイスラエルの民の違いは、彼らは古い契約の「地上的なひな型」としての限界の中にあったことにあります。これに対して、私たちは、「主」の一方的な愛と恵みによって、そのような罪をも完全に贖ってくださる御子イエス・キリストの血による罪の贖いにあずかって、「主」の民としていただいていますし、イエス・キリストの復活にあずかって新しく生まれて、私たちを神の子どもとして導いてくださる御霊によって導いていただいて歩んでいます。その私たちも、「主」の愛と恵みの数々を常に心に刻んで、「主」に信頼するように導かれています。103篇2節ー5節には、 わがたましいよ主をほめたたえよ。 主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。 主はあなたのすべての咎を赦し あなたのすべての病を癒やし あなたのいのちを穴から贖われる。 主はあなたに恵みとあわれみの冠をかぶらせ あなたの一生を良いもので満ち足らせる。 あなたの若さは鷲のように新しくなる。 と記されています。 |
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