黙示録講解

(第354回)


説教日:2018年9月30日
聖書箇所:ヨハネの黙示録2章18節ー29節
説教題:テアテラにある教会へのみことば(107)


 黙示録2章27節前半に記されている、イエス・キリストがテアテラにある教会に語られた、

 彼は鉄の杖で彼らを牧する。土の器を砕くように。

という約束のみことばと関連で取り上げている、19章15節に記されている、

この方の口からは、諸国の民を打つために鋭い剣が出ていた。鉄の杖で彼らを牧するのは、この方である。また、全能者なる神の激しい憤りのぶどうの踏み場を踏まれるのは、この方である。

とみことばについてのお話を続けます。
 このみことばを理解するために、これに先立つ11節以下に記されていることをお話ししていますが、今は、14節に、

 天の軍勢は白くきよい亜麻布を着て、白い馬に乗って彼に従っていた。

と記されているときの「天の軍勢」についてお話ししています。
 これまで3回にわたって、「天の軍勢」は御使いたちであるという見方を支持するとされるヨシュア記5章13節ー15節に、

ヨシュアがエリコにいたとき、目を上げて見ると、一人の人が抜き身の剣を手に持って彼の前方に立っていた。ヨシュアは彼のところへ歩み寄って言った。「あなたは私たちの味方ですか、それとも敵ですか。」彼は言った。「いや、わたしはの軍の将として、今、来たのだ。」ヨシュアは顔を地に付けて伏し拝み、彼に言った。「わが主は、何をこのしもべに告げられるのですか。」の軍の将はヨシュアに言った。「あなたの足の履き物を脱げ。あなたの立っている所は聖なる場所である。」そこで、ヨシュアはそのようにした。

と記されているみことばについてお話ししました。
 すでにお話ししたように、ヨシュア記5章では、これに先立って、2節ー9節には、ヨシュアが「」の命令に従ってエジプトを出てきたイスラエルの民の第二世代の者たちに割礼を施したことが記されています。
 今日は、話を少し戻してしまいますが、エジプトを出てきたイスラエルの民の第一世代が自分たちの子どもたちに、「」がアブラハムに与えてくださった契約のしるしである割礼を施していなかったことと関連するお話をします。
 「」の力強い御手によってエジプトの奴隷の状態から贖い出されたイスラエルの民の第一世代は、繰り返し「」に対する不信を募らせて「」を試みました。その「」に対する不信は、「」がいよいよ彼らを約束の地であるカナンに導き入れてくださろうとされた時に頂点に達しました。
 そのことは民数記13章ー14章に記されています。13章1節ー2節には、イスラエルの民が「パランの荒野に宿営」していた時のことが、

はモーセに告げられた。「人々を遣わして、わたしがイスラエルの子らに与えようとしているカナンの地を偵察させよ。父祖の部族ごとに一人ずつ、族長を遣わさなければならない。」

と記されています。「」はカナンの地のことを「わたしがイスラエルの子らに与えようとしているカナンの地」と呼んでいます。「」がカナンの地をイスラエルの民に与えてくださることは、「」がアブラハムに与えてくださった契約に基づくことでした。創世記17章7節ー8節に、

わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に、またあなたの後の子孫との間に、代々にわたる永遠の契約として立てる。わたしは、あなたの神、あなたの後の子孫の神となる。わたしは、あなたの寄留の地、カナンの全土を、あなたとあなたの後の子孫に永遠の所有として与える。わたしは彼らの神となる。

と記されているとおりです。
 それで、モーセは「」の命令に従って「パランの荒野から」、より具体的には「パランの荒野」の北部にあるカデシュから、イスラエルの各部族の「かしら」を遣わしました。
 その時のことが、民数記13章16節に、

 モーセはヌンの子ホセアをヨシュアと名づけた。

と記されています。モーセは、「」がいよいよイスラエルの民を約束の地であるカナンに導き入れてくださるようになったことを記念して「ヌンの子ホセアをヨシュアと名づけ」ました。「ホセア」という名は「救い」「解放」を意味しています。そして、「ヨシュア」という名は「『』は救う」「「『』は解放する」を意味しています。モーセが「ヌンの子ホセアをヨシュアと名づけた」ことは、モーセとヨシュアの間の個人的なことではなく、イスラエルの民全体にかかわる意味をもったことです。これによって、この時に契約の神である「」ヤハウェが自分たちとともにいてくださって、「」がアブラハムに与えてくださった契約に基づいて、アブラハムの子孫である自分たちを約束の地であるカナンに導き入れてくださるということを告白しつつ、イスラエルの民が心に刻むようにしたのです。
 このことのために、ヨシュアが選ばれたことには意味があります。
 出エジプト記17章8節ー16節に記されているように、ヨシュアは、エジプトを出てきたイスラエルをアマレクが襲撃してきた時に、モーセから遣わされて、イスラエルの「男たちを選び」彼らを率いてアマレクと戦い、これを撃退した人物でした。
 しかし、その時の戦いは不思議な戦いでした。11節ー12節には、

モーセが手を高く上げているときは、イスラエルが優勢になり、手を下ろすとアマレクが優勢になった。モーセの手が重くなると、彼らは石を取り、それをモーセの足もとに置いた。モーセはその上に腰掛け、アロンとフルは、一人はこちらから、一人はあちらから、モーセの手を支えた。それで彼の両手は日が沈むまで、しっかり上げられていた。

と記されています。この時、「モーセが手を高く上げているとき」と言われているときの「」は単数形で、両手を挙げて祈っている姿勢とは少し違います。この「」は、9節に、

モーセはヨシュアに言った。「男たちを選び、出て行ってアマレクと戦いなさい。私は明日、神の杖を手に持って、丘の頂に立ちます。」

と記されているときの「神の杖」を持った「」です。
 この「」は、出エジプト記4章17節に記されていますが、「」がモーセをエジプトの王ファラオのもとに遣わされた時に、

 あなたはこの杖を手に取り、これでしるしを行わなければならない。

と命じられた「」であり、20節で、

 モーセは神の杖を手に取った。

と言われている「神の杖」です。そして、モーセは「」の命令に従って、この「」でさまざまなしるしを行いました。たとえば、モーセがこの「」で、エジプトの生命線であるナイル川の水を打つと、水は血に変わりました(7章20節)。また、モーセがこの「」を天に向けて伸ばすと「」はかつてなかったほど激しい「雷と雹」を送り、野にいるすべての人や家畜、野の草木を打ちました(9章23節ー25節)。さらに、モーセがエジプトの地の上にこの「」を伸ばすと、「」は東風によっていなごの大群を運んできて、雹の被害を免れたすべての草と木の実を食い尽くすようにされました。これらはモーセがエジプトの地で行ったさまざまなしるしです。
 また、エジプトを出たイスラエルの民が紅海の海辺で宿営しているのを知ったファラオが、戦車を率いてイスラエルの民を追撃してきた時、イスラエルの民を導いてきた雲の柱がイスラエルの民の後ろに移動して彼らの後ろに立ち、エジプトの陣営がイスラエルの陣営に近づけないようにされました。そして、モーセが「」の命令に従って、その「」をあげ、その手を紅海の上に伸ばす(14章16節、21節)と、「は一晩中、強い東風で海を押し戻し、海を乾いた地とされ」ました。それで、イスラエルの民は紅海を歩いて渡ることができました(21節ー22節)。しかし、「火と雲の柱の中」にご臨在された「」は、続いて紅海に入ったファラオの陣営を混乱させ、ファラオの戦車が紅海の中ではまって、動けなくなってしまいました、それで、ファラオの全軍は戻ってきた水に覆われてしまいました(23節ー28節)。
 ここで注目したいのは、ファラオの軍隊に恐れてモーセに不平を言ったイスラエルの民に、モーセが、

  があなたがたのために戦われるのだ。あなたがたは、ただ黙っていなさい。

と述べたことです。実際に、エジプトの全軍を打たれたのは「」ご自身です。それと同時に、「」はモーセをお用いになって御業を遂行されました。
 同じことは、アマレクとの戦いにも当てはまります。ですから、

モーセが手を高く上げているときは、イスラエルが優勢になり、手を下ろすとアマレクが優勢になった。

ということは、そのことをとおして、この戦いは「」が、ヨシュアが率いるイスラエルのために戦っておられることをイスラエルの民が知るようになるためのことです。ヨシュアが率いるイスラエルが奮闘して優勢になったとか、彼らが疲れたので劣勢になったというようなことではなかったのです。
 実際、エジプトの地で奴隷の状態にあって苦役に服していたイスラエルの民が自分たちの軍隊を持つことはできなかったはずです。彼らはまだ組織立った軍事訓練もできていなかったと考えられます。その意味では、アマレクに限らず、その地方の国々にとって、エジプトを出てきたばかりのイスラエルは格好の獲物と思えたことでしょう。ただ、その地方のすべての民は、大国エジプトの動向が自分たちの存亡にかかわることを知っていましたから、エジプトの動向を偵察していて、エジプトの地と紅海において何が起こったかを知っていたはずです。それで、うかつに手を出せないでいたところに、アマレクがイスラエルを攻撃したことを注視していたと考えられます。そして、まともな軍隊を持たないイスラエルが不思議な方法でアマレクを打ち破ったことを知ったと考えられます。これ以後、「」がカデシュからイスラエルの民を約束の地に導き入れようとされるまでの2年数ヶ月の間、荒野を旅するイスラエルに攻撃を仕掛けてくる民が現れなかったのは、このような理由によっていると考えられます。その間に、イスラエルにおいては軍団が整えられていきました(民数記1章1節ー46節)
 ヨシュアがアマレクを撃退した後のことが、17章14節ー16節に、

はモーセに言われた。「このことを記録として文書に書き記し、ヨシュアに読んで聞かせよ。わたしはアマレクの記憶を天の下から完全に消し去る。」モーセは祭壇を築き、それをアドナイ・ニシと呼び、そして言った。「の御座の上にある手。は代々にわたりアマレクと戦われる。」

と記されています。
 ここでモーセが祭壇を築いて、それを「アドナイ・ニシ」と呼んだと言われているときの「アドナイ・ニシ」は、新改訳欄外注にあるように、「『』はわが旗」という意味です。この「旗」と訳されていることば(ネース)は、何らかのことを共同で行うために、あるいは、大切なことを伝えるために人々を集めるための目印となる旗、その集まる場所、その場所立てられる目印となるポール(それに旗が付けられることもありました)などを指します。いずれにしても、その集まりは、この場合には、「」を中心として結集する軍隊ということになります。

 の御座の上にある手。は代々にわたりアマレクと戦われる。

と言われているときの「の御座の上にある手」は、いくつか問題があって理解するのが難しいのですが、アマレクが「」の主権に戦いを挑み続けることを表すか、モーセの手にある「杖」を表すか見方が別れています。いずれにしても、ここでは、

 は代々にわたりアマレクと戦われる。

ということが示されています。また、ここでは、「アマレク」はカナンの地のすべての民を代表的に表しています。
 そして、

 このことを記録として文書に書き記し、ヨシュアに読んで聞かせよ。

という「」がモーセに命じられたみことばの「文書に書き記し」ということは、この時のことを公式でいつまでも保存できる文書にするということで、いつまでも覚えていくべきことを示しています。また、それを「ヨシュアに読んで聞かせよ」ということは、「代々にわた」るカナンの地の民との戦いが、モーセの時代を越えて、ヨシュアに引き継がれていくことを示しています。そして、「」はヨシュアの時代になっても、アマレクによって代表的に表されているカナンの地にある民たちと戦われることが示されています。
 ヨシュアはこのような意味を持っている戦いのために用いられた人物でした。それで、いよいよ「」がイスラエルの民を約束の地であるカナンに導き入れてくださる時が来た時に、モーセは「ヌンの子ホセアをヨシュアと名づけた」と考えられます。


 先ほどお話ししたように、モーセが「ヌンの子ホセアをヨシュアと名づけた」ことは、モーセとヨシュアの間の個人的なことではなく、イスラエルの民全体にとって意味をもっていることでした。この時、イスラエルの民は「代々にわたりアマレクと戦われる」「」がともにおられることを信じて、「」を中心として結集して、「」がアブラハム契約において約束してくださっているカナンの地に入るべきでした。
 しかし、そのような肝心な時に、イスラエルの民は「」に対する不信を募らせてしまいました。
 民数記13章27節ー33節には、イスラエルの族長たちがカナンの地の偵察から帰って来た時のことが、

彼らはモーセに語った。「私たちは、あなたがお遣わしになった地に行きました。そこには確かに乳と蜜が流れています。そして、これがそこの果物です。ただ、その地に住む民は力が強く、その町々は城壁があって非常に大きく、そのうえ、そこでアナクの子孫を見ました。アマレク人がネゲブの地方に住んでいて、ヒッタイト人、エブス人、アモリ人が山地に、カナン人が海岸とヨルダンの川岸に住んでいます。」そのとき、カレブがモーセの前で、民を静めて言った。「私たちはぜひとも上って行って、そこを占領しましょう。必ず打ち勝つことができます。」しかし、彼と一緒に上って行った者たちは言った。「あの民のところには攻め上れない。あの民は私たちより強い。」彼らは偵察して来た地について、イスラエルの子らに悪く言いふらして言った。「私たちが行き巡って偵察した地は、そこに住む者を食い尽くす地で、そこで見た民はみな、背の高い者たちだ。私たちは、そこでネフィリムを、ネフィリムの末裔アナク人を見た。私たちの目には自分たちがバッタのように見えたし、彼らの目にもそう見えただろう。」

と記されています。
 注目されるのは、彼らが最初に挙げている民が「アマレク人」であったことです(「アナクの子孫」は民族名ではありません)。彼ら族長たちは、この「アマレク人」という名とともに、

 は代々にわたりアマレクと戦われる。

ということを思い起こすことができたはずです。そのアマレクが、エジプトの奴隷であって戦うことさえおぼつかなかった状態にあった自分たちを襲ってきた時、「」がそのように未熟な自分たちを用いてアマレクを撃退してくださったことを思い起こすことができたはずです。しかし、このことは、ヨシュアとカレブ以外の族長たちの心に思い浮かぶこともなかったようです。
 さらに、出エジプト際に、「」がエジプトの地と、紅海においてイスラエルの民のためになしてくださった大いなる御業のことも、この時には単なる記憶となってしまっていて、「」がともにいてくださることの現実性(リアリティー)は見失われてしまっていたようです。
 しかも、過去に「」がなしてくださった御業だけではありません。出エジプト記40章38節には、

 旅路にある間、イスラエルの全家の前には、昼はの雲が幕屋の上に、夜は雲の中に火があった。

と記されています。イスラエルの民は自分たちの前には「」の栄光の御臨在を表す「の雲」があるのを見ていましたし、夜には、それは火の柱となってイスラエルの民に示されていました。それは、紅海においてファラオの軍隊を滅ぼされた「」の御臨在の現れでしたし、アマレクを撃退された「」の御臨在現れでした。
 また、このときまで、毎日、「」が天から降らせてくださるマナを食べていました。それは、「」が彼らとともにいてくださり、彼らを心に留めていてくださることの現れでした。
 これらのことがあっても、ヨシュアとカレブ以外の族長たちは、「」が彼らとともにいてくださり、彼らとともに戦われるということを信じることができませんでした。
 これに続く14章1節ー4節には、

すると、全会衆は大声をあげて叫び、民はその夜、泣き明かした。イスラエルの子らはみな、モーセとアロンに不平を言った。全会衆は彼らに言った。「われわれはエジプトの地で死んでいたらよかった。あるいは、この荒野で死んでいたらよかったのだ。なぜは、われわれをこの地に導いて来て、剣に倒れるようにされるのか。妻や子どもは、かすめ奪われてしまう。エジプトに帰るほうが、われわれにとって良くはないか。」そして互いに言った。「さあ、われわれは、かしらを一人立ててエジプトに帰ろう。」

と記されています。
 ここで注目すべきは、イスラエルの民が言った、

 なぜは、われわれをこの地に導いて来て、剣に倒れるようにされるのか。

ということばです。「」が父祖アブラハムに与えてくださった契約に基づいてアブラハムの子孫であるイスラエルの民を、力強い御手をもってエジプトの奴隷の状態から贖い出してくださったことも、約束の地であるカナンの地に導き入れてくださることも、自分たちを「剣に倒れるようにされる」ためであったというのです。「」の一方的な愛と恵みによってなされたことはすべて、「」の悪意から出たことであったというのです。
 これに対して、6節ー10節には、ヨシュアとカレブがイスラエルの民を説得したことが記されています。9節には、彼らが最後に、

に背いてはならない。その地の人々を恐れてはならない。彼らは私たちの餌食となる。彼らの守りは、すでに彼らから取り去られている。が私たちとともにおられるのだ。彼らを恐れてはならない。

と言ったことが記されています。しかし10節には、

 しかし全会衆は、二人を石で打ち殺そうと言い出した。すると、の栄光が会見の天幕からすべてのイスラエルの子らに現れた。

と記されています。
 「」はモーセにイスラエルの民を「疫病で打ち」、モーセから新しい民を起こすと言われました。しかし、モーセは「」の御名のために赦してくださるようにとりなしました。それに対して「」がモーセに語られたみことばが、20節ー23節に、

あなたのことばどおりに、わたしは赦す。しかし、わたしが生きていて、の栄光が全地に満ちている以上、わたしの栄光と、わたしがエジプトとこの荒野で行ったしるしとを見ながら、十度もこのようにわたしを試み、わたしの声に聞き従わなかった者たちは、だれ一人、わたしが彼らの父祖たちに誓った地を見ることはない。わたしを侮った者たちは、だれ一人、それを見ることはない。

と記されています。
 ここで「」はエジプトを出たイスラエルの民の第一世代の者たちのことを「わたしの栄光と、わたしがエジプトとこの荒野で行ったしるしとを見ながら、十度もこのようにわたしを試み、わたしの声に聞き従わなかった者たち」と言っておられます。
 このことは、エジプトを出たイスラエルの民が、初めから、抱き続けた「」に対する不信が極まったことを反映しています。
 それで、この時に至るまでの、イスラエルの民の不信の事例をいくつか振り返っておきましょう。
 先ほど取り上げた出エジプト記14章の11節には、ファラオの軍隊が追撃してくることを知ったイスラエルの民が、モーセに、

エジプトに墓がないからといって、荒野で死なせるために、あなたはわれわれを連れて来たのか。われわれをエジプトから連れ出したりして、いったい何ということをしてくれたのだ。エジプトであなたに「われわれのことにはかまわないで、エジプトに仕えさせてくれ」と言ったではないか。実際、この荒野で死ぬよりは、エジプトに仕えるほうがよかったのだ。

と言ったことが記されています。
 「」がエジプトに十のさばきを執行された時、イスラエルの民にはその災いが及びませんでした。特に、最後のさばきにおいては、イスラエルの民は、「」が示してくださったように、過ぎ越の子羊の血を、それぞれの家の2本の門柱と鴨居に塗りました。「」はエジプトの地にいるすべての初子を打った時、その過ぎ越の子羊の血が塗られている家ではすでにさばきが執行されていると見なされて、その家を過ぎ越されました。これらのことによって、イスラエルの民は、「」が自分たちとともにいてくださることを悟るようにと導かれていたのです。
 そのようにして、エジプトの地で「」の御業を目の当たりにしていたイスラエルの民が、エジプトの地を出て、ほどなく、紅海の浜辺に宿営している自分たちをファラオの軍隊が追撃してくることを知って、「」を信じることなく、モーセに、自分たちをエジプトから導き出したのは、自分たちを「荒野で死なせるため」だったのではないかと言って詰め寄りました。出エジプトの贖いの御業は、自分たちに対する悪意から出ているというのです。
 それでも「」は忍耐深くイスラエルの民に接してくださって、紅海の水を分けてイスラエルの民を渡らせてくださり、その水でファラオの軍隊を滅ぼされました。それで、イスラエルの民は「とそのしもべモーセを信じた」(14章31節)と言われています。しかし、イスラエルの民はその後も、試練に会う度に、不信を募らせ、「」のしもべモーセに、時には、モーセとアロンに不平を言い続けます。15章24節には、マラの水が苦くてのめなかった時のことが記されています。16章2節ー3節には、シンの荒野で、飢えた時のことが記されています。この時から、「」が天からマナを降らせてくださるようになりました。そして、17章1節ー4節には、レフィディムで飲み水がなかった時のことが記されています。この時、彼らは、モーセを石で打ち殺そうとしましたが、「」は岩から水を出してくださいました。このように、「」はイスラエルの民に対して忍耐深く接してくださり、その都度、彼らの必要を満たしてくださいました。それで、荒野を旅するイスラエルの民は飢えることも、渇くこともなく旅をしてきました。
 そして、これらのことの後に、アマレクとの戦いによって、さらに、荒野においても「」がイスラエルの民とともにいてくださり、イスラエルの民のために戦われるということを示してくださいました。
 これらすべてのことを経て、「」はイスラエルの民をシナイ山の麓に導いてくださり(19章)、そこで、「」ご自身が御声を発して十戒の戒めを語ってくださいました(20章1節ー20節)。その後、「」の御声を聞くことを恐れたイスラエルの民の求めを受けて、「」はモーセをとおしてより詳細な律法を与えてくださいました(20章21節ー23章)。これらのことを受けて、「」はイスラエルの民と契約を結んでくださいました(24章1節ー11節)。そして、「」はご自身の契約の核心にある祝福である、「」がイスラエルの神となってくださり、イスラエルをご自身の民としてくださることと、「」がイスラエルの民の間にご臨在してくださり、彼らとともに歩んでくださることを実現してくださるために、モーセをご自身がご臨在されるシナイ山に登るよう命じられました(24章12節ー18節)。そして、「」がイスラエルの民の間に住んでくださるための聖所を、ご自身が示されるように造るように命じられ(25章8節ー9節)、幕屋とその用具の具体的な造り方を示してくださいました(25章ー27章)。また、そこで仕える大祭司と祭司としてアロンとその子らを立ててくださいました(28章ー30章)。そして、「」ご自身が二つの石の板を切り出し、そこに十戒の戒めを記して、モーセに与えてくださり(31章18節)、記されている順序は異なりますが、それを聖所の奥の至聖所に置く契約の箱に入れるように指示してくださいました(25章15節)。
 このように、「」が力強い御手によってイスラエルの民をエジプトの奴隷の状態から贖い出してくださったことから始まって、シナイ山においてイスラエルの民と契約を結んでくださったことに至るまでのすべてを貫いているのは、「」が、その一方的な愛と恵みによって、イスラエルの神となってくださり、イスラエルをご自身の民としてくださるということ、そして、「」がイスラエルの民の間にご臨在してくださり、彼らとともに歩んでくださるということに集約される「」の契約の祝福を実現してくださるということです。このことから、イスラエルの民はどのような時にも「」が自分たちとともにいてくださり、自分たちとともに歩んでくださり、自分たちとともに戦ってくださることを信じるように導かれていたことが分かります。
 しかし、イスラエルの民は、このような「」の愛と恵みを心に刻み、試練の時に、それを思い起こして「」に信頼することをがありませんでした。帰って、ことあるごとに「」に対する不信を募らせていき、それを極まらせてしまいました。そのために、自分たちの子どもたちがアブラハム契約の祝福にあずかっていることに何の意味も認めないようになってしまい、割礼を施すこともなかったのです。
 これらのことから、私たちは、「」の忍耐とあわれみの深さと、私たちにとって他人事ではない、罪がもたらす闇の深さを痛感させられます。人としては、私たちもイスラエルの民も同じく罪の力に縛られていたものですし、今なお自らのうちに罪の性質をもっているものです。私たちとイスラエルの民の違いは、彼らは古い契約の「地上的なひな型」としての限界の中にあったことにあります。これに対して、私たちは、「」の一方的な愛と恵みによって、そのような罪をも完全に贖ってくださる御子イエス・キリストの血による罪の贖いにあずかって、「」の民としていただいていますし、イエス・キリストの復活にあずかって新しく生まれて、私たちを神の子どもとして導いてくださる御霊によって導いていただいて歩んでいます。その私たちも、「」の愛と恵みの数々を常に心に刻んで、「」に信頼するように導かれています。103篇2節ー5節には、

 わがたましいよをほめたたえよ。
 主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
 主はあなたのすべての咎を赦し
 あなたのすべての病を癒やし
 あなたのいのちを穴から贖われる。
 主はあなたに恵みとあわれみの冠をかぶらせ
 あなたの一生を良いもので満ち足らせる。
 あなたの若さは鷲のように新しくなる。

と記されています。


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