黙示録講解

(第302回)


説教日:2017年8月13日
聖書箇所:ヨハネの黙示録2章18節ー29節
説教題:テアテラにある教会へのみことば(55)


 イエス・キリストがテアテラにある教会に語られたみことばについてのお話を続けます。
 これまで、イエス・キリストがこの語りかけの冒頭において、ご自身のことを「神の子」として示しておられることについてお話ししてきました。これについては、考えていたすべてのことをお話しできたわけではありませんが、ここで区切りをつけたいと思います。
 お話を進めるに当たって、テアテラにある教会が置かれていた状況とそこから生じてくる問題について、もう1年以上前にお話ししたことに多少の字句の修正と一つの補足を加えてまとめておきたいと思います 。これによって、イエス・キリストがテアテラにある教会に語られたみことばを全体として見たときに汲み取ることができる、このみことばの主旨に当たることをお話ししたいと思います。


 テアテラにある教会は、黙示録に出てくるアジアにある七つの教会の一つです。この場合のアジアはローマの属州であるアジア、すなわち、アジア州のことで、今日の小アジア(トルコ)の西部の地域です。テアテラは今日のトルコのアクヒサルです。
 テアテラはヘルムス川の支流であるリュコス川の流域の肥沃な平原にありました。
 テアテラについては考古学的な発掘があまりなされていないので、歴史的な資料が少なく、アジアにある七つの教会のそのほかの教会があった都市ほどには分かっていません。
 歴史的には、後のテアテラに当たる地域には、紀元前3千年にはすでに人が住んでいたようです。また、ヒッタイト帝国(前1680年頃ー1190年頃)では主要な町であり、リュディア王国(前7世紀ー547年)では首都でした。
 テアテラは、前3世紀初頭に、アレクサンドロスの将軍であり、アレクサンドロスの死後、最も広い領土を手に入れたセレウコス1世によって、首都であったペルガモに東側から侵入してくる敵に対する前哨基地としてとして設立されました。そして、マケドニアの植民政策によってマケドニア人が入植するようになってその重要性が増していきました。
 その後、セレウコス朝が前190年に、ローマとの戦いに破れて衰退したことによって、テアテラはベルガモ王国に帰属することとなりました。そして、前133年にペルガモの最後の王、アッタロス3世がテアテラをローマに移譲したことによって、テアテラはローマの領地となり、アジア州の町となりました。
 テアテラの宗教的な状況については、はっきりしたことが分かっていません。テアテラはその前に挙げられているエペソ、スミルナ、ペルガモとは違って、皇帝礼拝や、ギリシアの神々の礼拝の中心地ではありませんでした。
 ただ、テアテラの守護神はテリムノス(テリムヌス)という戦勝者の英雄であることが知られています。それは、テリムノスが武器である斧を肩に担いで馬に乗っている姿が、初期の硬貨に刻まれていたことに現れています。最初にテアテラに駐屯したマケドニア人の兵士たちはこのテリムノスを礼拝していたと言われていることから、テリムノスの起源はマケドニアにあるのではないかとも言われています。テリムノスは、また、プロポリスとして知られているテアテラの守護神と結びつけられて、テリムノスはプロポリスのことであるとされていたようです。
 テリムノスはまた、その町の先祖とされている神であるプロパテール(プロパトール「原父」)や太陽神ヘリオス(アポロ)などとも結びつけられていました。テリムノスはプロパテールのことであるとか、ヘリオス(アポロ)のことであるとされていたのです。このようなことから、テアテラの宗教が混交主義的なもの、すなわち、いろいろな神々が入り交じっているものであったことがうかがわれます。
 このこととの関連で注目したいのは、最後に触れた、テリムノスとヘリオス(アポロ)との結びつきです。というのは、この結びつきによるテアテラの守護神アポロ・テリムノスが、神格化された皇帝とともに、次に触れるテアテラの職業組合の守護神とされていたからです。ギリシア神話では、アポロは主神ゼウスの子とされています。また、アジア州では「救い主」とされて、神格化されていた皇帝もゼウスの子であるとされていました。また、テアテラから出土したコインには、その当時では一般的な皇帝の像が刻まれていただけでなく、アポロ・テリムノスの像も刻まれていました。
 このことを背景として、イエス・キリストはご自身のことを「神の子」として示しておられると考えられます。イエス・キリストこそがまことの「神の子」であり、父なる神さまのみこころにしたがって、その力あるみことばによって万物を支えておられる方であるとともに、ご自身が十字架の死と死者の中からのよみがえりによってなしとげられた贖いの御業に基づいて、救いとさばきの御業を遂行されるメシアであるのです。
 軍事的には、テアテラは、先ほど触れたように、首都であったペルガモに侵入してくる敵に対する前哨基地として守備隊が駐屯していました。けれども、テアテラは平原にあったために町は小さな丘に建てられていて、要塞を造るために適した所ではありませんでした。そのために、東側からペルガモに侵入してくる軍隊を一時的に引き止めて、その勢いをそぎ、その間にペルガモの防衛を固めるという役割を果たしていました。このように不利な自然の条件の中で、前哨基地としての役割を負っていたテアテラでは、迫ってくる危険と戦いに備えるためには、人としての強さに頼るほかなく、精神的な強さを養っていたと言われています。もちろん、兵士はどこの兵士であっても精神的な鍛練をするのですが、テアテラでは、特にそうであったということです。
 いわゆる「ローマの平和」(パークス・ロマーナ)と呼ばれる時代になると、軍事的に厳しかった状況も変化しました。それで、交通の要所にあったテアテラは、商業と製造業の中心都市として繁栄するようになり、特に、染色業と毛織物の取引の中心地となっていきました。
 ちなみに、使徒の働き16章13節ー15節には、パウロの一行がピリピに滞在していた時に出会ったルデヤが「テアテラ市の紫布の商人」であったと言われています。
 また、テアテラにはギルドと呼ばれる職人組合が多くありました。そこには、染色職人、毛織物職人、亜麻布職人、衣類製造職人、皮なめし職人、革細工職人、陶器師、パン職人、靴職人、さまざまな金属加工職人、奴隷売買人などの組合がありました。
 テアテラに限らず、これらの職人組合は、それぞれの職業に従事する人々がお互いの利益を計り、お互いに助け合うために組織したものです。このような組合に加入することは強制されてはいませんでしたが、ほとんどの人は組合に加入していました。というのは、職人組合は商業や工業にかかわっていただけでなく、その社会における生活の中心となっていたからです。職人組合に入らないでその仕事を続けていくことは、事実上、その職業を断念せざるをえない状況になることを意味していました。
 そうではあっても、テアテラにある教会の信徒たちに限らず、一般に、クリスチャンたちは職人組合に加入することを避けていました。それには二つの理由がありました。
 一つは、それぞれの職人組合は自分たちの守護神を礼拝していました。職人組合の会合では祝宴が設けられましたが、それは、しばしば異教の神の神殿で行われました。そこでは、偶像礼拝がなされ、偶像の神から恵まれたものとされた肉を食べることになりました。祝宴が神殿ではないところで行われたとしても、その祝宴において出される肉は偶像の神にささげられたもので、それゆえにその守護神から恵まれたものとして食べるのでした。
 もう一つのことは、そのような祝宴は、お酒が付き物で、しばしば酒宴がもたらす淫乱なものに変質していきました。そのようなことを避けるために、その場を抜け出す人は、あざけりと迫害を受けることにもなりました。
 テアテラにある教会の信徒たちは、このような問題に直面していたと考えられます。職人組合に加入しなければ、社会的に孤立し、職業の面でも不利な立場に立たされ、貧困と迫害に見舞われることになります。けれども、もし職人組合に加入すれば、偶像礼拝に参加し、淫行に至ってしまうであろう祝宴に参加し、偶像の神から恵まれたものとされた肉を食べることになります。それによって、イエス・キリストのみを主であるとする、自らの信仰を否定することになってしまいます。

 そのような状況にあったテアテラにある教会には、大きな問題がありました。
 それは、20節に記されている、

しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは、イゼベルという女をなすがままにさせている。この女は、預言者だと自称しているが、わたしのしもべたちを教えて誤りに導き、不品行を行わせ、偶像の神にささげた物を食べさせている。

というイエス・キリストのみことばに示されています。このイエス・キリストのみことばは、今お話ししました職人組合に加入することに伴う問題を背景として語られていると考えられます。
 ここでイエス・キリストが取り上げておられる、「預言者だと自称している」「イゼベルという女」は、「偶像の神にささげた物」を食べることも、「不品行」を行うことも、問題はないということを教えていました。職人組合の祝宴においては、「偶像の神にささげた物」を食べることが普通のことでした。また、その祝宴が「不品行」を行うことへと堕してしまう傾向がありました。しかし、それは、典型的なことで、「イゼベルという女」は、職人組合の祝宴のときに限らず、より一般的に、クリスチャンが「偶像の神にささげた物」を食べることや「不品行」を行うことは問題がないという一般原則に当たることを教えていたと考えられます。それには理由付けがあるわけですが、どのような理屈によってそのようなことを教えていたかについては、改めてお話しします。
 このような教えは、特に、職人組合に加入することをめぐって厳しい立場に立たされていたテアテラにある教会の信徒たちにとっては、自分たちを窮地から救い出してくれる教えと思われたことでしょう。

 あなたは、イゼベルという女をなすがままにさせている。

というイエス・キリストのみことばは、テアテラにある教会には彼女の教えを受け入れ、彼女に従う人々が相当数いたことを示しています。また、24節において、

しかし、テアテラにいる人たちの中で、この教えを受け入れておらず、彼らの言うサタンの深いところをまだ知っていないあなたがたに言う。

と言われていることも、このことを示唆しています。
 そして、21節ー23節に記されている、

わたしは悔い改める機会を与えたが、この女は不品行を悔い改めようとしない。見よ。わたしは、この女を病の床に投げ込もう。また、この女と姦淫を行う者たちも、この女の行いを離れて悔い改めなければ、大きな患難の中に投げ込もう。また、わたしは、この女の子どもたちをも死病によって殺す。こうして全教会は、わたしが人の思いと心を探る者であることを知るようになる。また、わたしは、あなたがたの行いに応じてひとりひとりに報いよう。

というイエス・キリストのみことばは、「イゼベルという女をなすがままにさせている」状態が続けば、テアテラにある教会が危機的な状況に陥ってしまうであろうことを示すとともに、イエス・キリストご自身がこれに対処されることを示しています。

 テアテラにある教会が直面していたこのような問題を、これに先立って記されている三つの教会、エペソにある教会、スミルナにある教会とペルガモにある教会へのみことばに示されている、それぞれの教会の信徒たちが直面していた問題と比較してみましょう。ここで取り上げたいのは、あくまでもイエス・キリストがその語りかけのみことばによって示しておられる、それぞれの教会が直面している問題のことです。
 2章1節ー7節にはイエス・キリストのエペソにある教会へのみことばが記されています。
 エペソは、ローマの属州であるアジアの中心地でした。エペソはカイストロス川の河口付近にある港湾都市で、カイストロス川の流域が肥沃な地であったことと、オリエントとヨーロッパを結ぶ、東地中海の交易の要所であったために、古くから、商業的に繁栄するとともに、文化の中心地として栄えました。また、エペソには、古代の7不思議の一つに数えられている女神アルテミスの壮大な神殿がありました。そればかりでなく、ローマ皇帝のために建てられた神殿がいくつもありました。エペソはアジア州における宗教的な中心地でもありました。
 このような町にあってクリスチャンになったエペソにある教会の信徒たちは、激しい迫害に会いました。それは、使徒の働き19章23節ー41節に記されているように、エペソにある教会の歩みの初めからあったことでした。また、イエス・キリストのエペソにある教会へのみことばにおいても、3節で、

 あなたはよく忍耐して、わたしの名のために耐え忍び、疲れたことがなかった。

と言われていることからもうかがい知ることができます。「わたしの名のために」については、2章13節と3章8節を見てください。そこでは「わたしの名」のことが、迫害の苦しみの中でイエス・キリストに対する信仰を保ち続けたこととのかかわりで出てきます。
 2章8節ー11節には、イエス・キリストのスミルナにある教会へのみことばが記されています。
 9節で、イエス・キリストは、

 わたしは、あなたの苦しみと貧しさとを知っている。――しかしあなたは実際は富んでいる――またユダヤ人だと自称しているが、実はそうでなく、かえってサタンの会衆である人たちから、ののしられていることも知っている。

と語りかけています。スミルナにある教会の信徒たちは「苦しみと貧しさ」の中にありました。それはスミルナが裏寂れた町であったからではありません。スミルナはエーゲ海に面する港湾都市であり、肥沃なヘルモ低地につながっていて、ヘルモ低地の産物の流通において重要な役割を果たしていたこともあって、エペソと並んで繁栄した町でした。けれども、スミルナは伝統的にローマに忠誠を尽くしてきた町であり、皇帝礼拝に熱心でもありました。そのような町にあって、スミルナのユダヤ人たちは、イエス・キリストが「ユダヤ人だと自称しているが、実はそうでなく、かえってサタンの会衆である人たち」と呼んでおられるように、スミルナにある教会の信徒たちに敵対して、ののしっていました。
 ローマ帝国において、ユダヤ人は皇帝を神として礼拝することは免除されていて、神としてではなく、支配者としての皇帝への崇敬の意を表すためのいけにえをささげることが認められていました。クリスチャンたちも最初のうちは、ユダヤ教の枠の中にあるものと見なされていましたが、だんだんとユダヤ教の一派とは見なされなくなっていきました。それには、ローマ人の手によって十字架につけられて処刑されたナザレのイエスを約束のメシアであるとしていることに対するユダヤ人の嫌悪感を初めとして、いろいろなことがかかわっていますが、一つには、クリスチャンたちが、皇帝を神として礼拝するのではなく、崇敬の意を表すためのいけにえをささげるというような曖昧な姿勢を退けて、皇帝礼拝には加わらない姿勢を貫いていたこともあったと考えられます。スミルナにある教会の信徒たちが、特に貧しかったのは、迫害を受けていたことによっていたと考えられます。
 そればかりではありません。すでにそのような状態にあったスミルナにある教会の信徒たちは、続く10節においてイエス・キリストが、

あなたが受けようとしている苦しみを恐れてはいけない。見よ。悪魔はあなたがたをためすために、あなたがたのうちのある人たちを牢に投げ入れようとしている。あなたがたは十日の間苦しみを受ける。死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。

と語りかけておられるように、さらなる試練にさらされることになります。
 これらのことから、スミルナにある教会の信徒たちは、外側からやってくる迫害にさらされていたことが分かります。
 これに続く12節ー17節には、ペルガモにある教会に対して語られたイエス・キリストのみことばが記されています。
 ペルガモは、前133年にアッタロス3世の遺志によって、ローマに移譲されました。その前のことですが、アッタロス1世とエウメネス2世が学問や芸術を奨励し保護しましたので、その時代に、ペルガモの文化は最も繁栄しました。特に、エウメネス2世は丘陵の頂上に城壁を巡らして、アクロポリスを建設しました。現在も遺跡として残っている建物の多くがこの時代に建設されました。その中には、宮殿、劇場、アレキサンドリアの図書館に次ぐもので、20万冊の蔵書を収めた図書館があります。また、女神アテナの神殿、ゼウスのための巨大な祭壇があります。
 ローマに移譲されたペルガモはローマの属州アジアが設けられてからその首都でした。その後、共和制ローマと戦った勢力に加担して、敗北して衰退していき、アジア州の首都はエペソに移されました。その後、ペルガモは帝政ローマの時代に回復され、紀元後第1世紀までには、アジア州の政治的、学問的、宗教的な中心になっていました。
 13節に記されているように、イエス・キリストはペルガモにある教会に対して、

わたしは、あなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンの王座がある。しかしあなたは、わたしの名を堅く保って、わたしの忠実な証人アンテパスがサタンの住むあなたがたのところで殺されたときでも、わたしに対する信仰を捨てなかった。

と語っておられます。
 ペルガモにある教会の信徒たちは、エペソにある教会やスミルナにある教会の信徒たちと同じように、厳しい迫害にさらされていましたが、イエス・キリストに対する信仰を捨てることはありませんでした。
 けれども、14節ー15節には、

しかし、あなたには少しばかり非難すべきことがある。あなたのうちに、バラムの教えを奉じている人々がいる。バラムはバラクに教えて、イスラエルの人々の前に、つまずきの石を置き、偶像の神にささげた物を食べさせ、また不品行を行わせた。それと同じように、あなたのところにもニコライ派の教えを奉じている人々がいる。

と記されています。
 ここでイエス・キリストはペルガモにある教会に「非難すべきこと」を指摘しておられます。ただし、

 あなたには少しばかり非難すべきことがある。

と言われているように、まだ「少しばかり」と言われている状態でした。ペルガモにある教会には異端的な教えを奉じている人々が入り込んできていて信徒たちを惑わしていました。そして、信徒たちの中にはそれに惑わされてしまっている人々がいました。
 これらのことから分かりますが、エペソにある教会、スミルナにある教会とペルガモにある教会の信徒たちが共通して直面していたと記されているのは、外からやってくる激しい迫害のことでした。

 これに対して、テアテラにある教会についてのイエス・キリストのみことばでは、迫害のことは後退してしまっています。
 確かに、イエス・キリストは、19節において、

わたしは、あなたの行いとあなたの愛と信仰と奉仕と忍耐を知っており、また、あなたの近ごろの行いが初めの行いにまさっていることも知っている。

と語っておられます。ここに「忍耐」が出てきます。
 ここでは、「あなたの行い」という一般的なことを、具体的に「あなたの愛と信仰と奉仕と忍耐」として説明しています。
 エペソにある教会に対するみことばにも「忍耐」が出てきますが、2節では、

 わたしは、あなたの行いとあなたの労苦と忍耐を知っている。

と言われています。これも、「あなたの行い」という一般的なことを「あなたの労苦と忍耐」として説明しています。この点は、19節に記されている、テアテラにある教会へのみことばにおけるのと同じ構成の仕方になっています。
 けれども、エペソにある教会へのみことばにおいて、迫害を示しているのは、この2節に記されている「忍耐」というより、先ほど触れました3節で、

 あなたはよく忍耐して、わたしの名のために耐え忍び、疲れたことがなかった。

と言われているときの「忍耐」(「忍耐して」は直訳「忍耐をもっている」)の方です。
 テアテラにある教会へのみことばにおいては、これとは少し違って、「愛と信仰と奉仕と忍耐」と言われていて、「忍耐」は「愛と信仰と奉仕」と並べられていますが、これ以上のことは言われていません。黙示録の中では「忍耐」は迫害などの試練の中での「忍耐」であるから、これも試練の中での「忍耐」であるという可能性もあります。けれども、ここでは、これはこの「忍耐」が「愛と信仰と奉仕」と同じように、何か特定のことではなく、一般的なクリスチャンとしての資質である「忍耐」である可能性もあります。
 ですから、ここでは、ほかの三つの教会におけるほど明確に迫害のことには触れられていません。ある学者は19節に記されている賞賛のみことばのことを「単に儀礼上のものに過ぎない、という印象を免れない」とまで言っています。
 とはいえ、このことから、テアテラにある教会に迫害がなかったと結論することはできません。むしろ、最初にお話ししましたように、テアテラにある教会には試練と迫害があったのです。それなのに、その試練と迫害のことには明確に触れられていないのには、理由があります。それは、19節に続く20節ー25節において、先ほどお話ししました「預言者だと自称している」「イゼベルという女」が生み出している問題についての警告のみことばが圧倒的に多くなっていることにあります。それほど、この「イゼベルという女」が生み出している問題は深刻なものであったのです。
 また、その教えに欺かれて、従う人々が多かったことは、「イゼベルという女」の教えが、「サタンの深いところ」と関連づけられていることからも感じ取れますが、巧妙なものであったことを意味しています。ただし、サタンの深いところ」は、その教えがサタンから出ているということを意味しているわけではありません。これが何を意味しているかは、日を改めてお話しします。)
 このような状況にあるテアテラにある教会へのみことばにおいて、イエス・キリストはご自身のことを「神の子」として示しておられますが、さらに、

 燃える炎のような目を持ち、その足は光り輝くしんちゅうのような

として示しておられます。これはイエス・キリストがその栄光の御姿をヨハネに現してくださったこと、クリストファニーのことを記している1章13節ー16節の中の、14節ー15節において、

その頭と髪の毛は、白い羊毛のように、また雪のように白く、その目は、燃える炎のようであった。その足は、炉で精錬されて光り輝くしんちゅうのようであり、その声は大水の音のようであった。

と記されていることを受けています。
 今お話ししていることとのかかわりで特に注目したいのは、

 その目は、燃える炎のようであった

と言われていることです。この表象の背景にあるのは、ダニエル書10章4節以下に記されている、ダニエルに啓示をもたらした天的な存在のことが、6節に

 その目は燃えるたいまつのようであった。

と言われていることにあります。
 イエス・キリストの「」が「燃える炎のような目」であるということは、その「」がすべての隠れたこと、どのような巧妙なことをも見通す「」であるということを示しています。「イゼベルという女」が悪魔的な巧妙さをもって人を欺き惑わしたとしても、イエス・キリストはそれをすべて見通しておられます。そして、その教えに欺かれた人たちが秘かに考えていること、秘かに行っていることのすべてがイエス・キリストの目にはあらわになっています。
 イエス・キリストの「」が「燃える炎のような目」であるということは、また、イエス・キリストが、そのすべてのことを見通す目をもって、厳正にさばきを執行される方であることをも示しています。イエス・キリストご自身が、黙示録2章22節ー23節で、

 見よ。わたしは、この女を病の床に投げ込もう。また、この女と姦淫を行う者たちも、この女の行いを離れて悔い改めなければ、大きな患難の中に投げ込もう。また、わたしは、この女の子どもたちをも死病によって殺す。こうして全教会は、わたしが人の思いと心を探る者であることを知るようになる。

と述べておられるとおりです。
 テアテラにある教会の信徒たちは主の厳正なるさばきを受けなければならないという、深刻な事態に直面していました。これはマタイの福音書10章28節に記されている、

からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。

というイエス・キリストの教えに照らしてみますと、外から来る迫害以上に深刻なことです。
 イエス・キリストはそのことについて、ことばを尽くして警告してくださっているのです。このことから、イエス・キリストが何としてでもテアテラにある教会とその信徒たちを守り、欺かれてしまっている人々を回復しようとしておられることを感じ取ることができます。


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