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説教日:2017年6月25日 |
今日は、このこととの関連で、暗やみの主権者であるサタンの働きによって、神のかたちとして造られて、歴史と文化を造る使命を委ねられている人が神である「主」に対して罪を犯して、御前に堕落してしまったにもかかわらず、歴史と文化を造る使命は御子イエス・キリストによって、回復されており、実現していることを示している新約聖書のあかしをお話しします。このことについては、すでに何度かお話ししたことがありますが、今お話ししていることとの関係で改めてお話ししたいと思います。 このことを示している新約聖書の個所はいくつかありますが、明確に示しているのは、コリント人への手紙第一・15章24節ー28節、エペソ人への手紙1章20節ー23節、そして、ヘブル人への手紙2章5節ー10節の三つです。 今日は、コリント人への手紙第一・15章24節ー28節を取り上げたいと思います。そこには、 それから終わりが来ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、国を父なる神にお渡しになります。キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、と定められているからです。最後の敵である死も滅ぼされます。「彼は万物をその足の下に従わせた」からです。ところで、万物が従わせられた、と言うとき、万物を従わせたその方がそれに含められていないことは明らかです。しかし、万物が御子に従うとき、御子自身も、ご自分に万物を従わせた方に従われます。これは、神が、すべてにおいてすべてとなられるためです。 と記されています。 今お話ししていることに関連していることだけを取り上げますが、これに先立つ、20節ー23節に、 しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。というのは、死がひとりの人を通して来たように、死者の復活もひとりの人を通して来たからです。すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。しかし、おのおのにその順番があります。まず初穂であるキリスト、次にキリストの再臨のときキリストに属している者です。 と記されています。ここには、イエス・キリストにあって、私たち「主」の契約の民が栄光を受けて死者の中からよみがえることが記されています。私たちが自分たちのことを中心にイエス・キリストの救いを理解してしまうと、これで救いが完成することになります。 けれども、イエス・キリストの救いの御業、贖いの御業はこれで終わってはいません。これに続いて、24節ー25節に、 それから終わりが来ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、国を父なる神にお渡しになります。キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、と定められているからです。 と記されています。 ここで注目したいのは、 キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、と定められている ということばです。このことが「定められている」ということは、旧約聖書にそのことが示されているということを意味しています。そして、このことは、メシア詩篇として知られている詩篇110篇1節に記されている、 主は、私の主に仰せられる。 「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、 わたしの右の座に着いていよ。」 というみことばに記されています。 この詩篇110篇1節のみことばは、神である「主」がダビデに与えてくださったダビデ契約の約束のことを記しています。そして、「主」がダビデ契約において約束してくださっている永遠の王座は、「主」が「わたしの右の座」と言われる「神の右の座」のことであるということと、まことのダビデの子が、メシアとして、その神の右の座に着座して、霊的な戦いにおける「敵」をその「足台とする」ようになることを示しています。 コリント人への手紙第一・15章24節ー25節に記されているみことばは、この詩篇110篇1節に記されていることが、イエス・キリストにおいて成就していることを示しています。ただし、ここでは、詩篇110篇1節のみことばをそのまま引用しているわけではありません。このことについては、後ほどお話しします。 24節で、 そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、 と言われているときの「あらゆる支配と、あらゆる権威、権力」は、「主」と「主」がお立てになった贖い主(メシア)に敵対して働いているサタンとそれに従っている悪霊たちだけでなく、罪によってサタンと一つになってしまって、権力を濫用している、この世の権力者や、政治的な分野や軍事的な分野だけにかぎらない、さまざまな分野において権力機構を構成している者たちも含まれると考えられます。 そのことは、同じくメシア詩篇である詩篇2篇2節に、 地の王たちは立ち構え、 治める者たちは相ともに集まり、 主と、主に油をそそがれた者とに逆らう。 と記されており、その「主に油をそそがれた者」すなわちメシアのことが、7節ー9節に、 わたしは主の定めについて語ろう。 主はわたしに言われた。 「あなたは、わたしの子。 きょう、わたしがあなたを生んだ。 わたしに求めよ。 わたしは国々をあなたへのゆずりとして与え、 地をその果て果てまで、あなたの所有として与える。 あなたは鉄の杖で彼らを打ち砕き、 焼き物の器のように粉々にする。」 と記されていることから支持されます。 テアテラにある教会へのみことばにおいて、イエス・キリストがご自身のことを「神の子」として示しておられるのは、この詩篇2篇7節に記されている、 あなたは、わたしの子。 きょう、わたしがあなたを生んだ。 という「主」がメシアに語られたみことばを背景としています。先ほどお話ししましたように、イエス・キリストはご自身がダビデ契約に約束されているメシアとして、父なる神さまの右の座に着座している主であることを示しておられます。 神さまが創造の御業において神のかたちとして造られている人に委ねられた歴史と文化を造る使命は、 生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。 というもので、これには支配権がかかわっています。けれども、これまで繰り返しお話ししてきましたが、その支配権は、それを委ねてくださった神さまのみこころを実現するための支配権です。それは、神さまが委ねてくださった植物や生き物たちの特質をよく知って(それは、科学的な探求になります)、そのお世話をし、植物が豊かな実を結び、生き物たちのいのちが育まれるようになるために行使されるものです。実際に、 地を従えよ というみことばとともに支配権を委ねられたアダムは、創世記2章15節に、 神である主は人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。 と記されているように、エデンの園を耕していたのです。 権力を濫用している、この世の権力者や権力機構を構成している者たちは、神さまが歴史と文化を造る使命とともに委ねてくださった支配権を、罪によって腐敗した支配権に変質させてしまっています。 詩篇110篇1節のみことばは、神のかたちとして造られて歴史と文化を造る使命を委ねられている人を誘惑して、神である「主」に対して罪を犯すように誘った暗闇の主権者とその霊的な子孫たちに対するさばきの執行を意味しています。ここでのキーワードは「『主』の右の座に着くこと」と、「敵を足台とすること」です。これはメシアの働きのことを述べています。 コリント人への手紙第一・15章24節ー25節では、 それから終わりが来ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、国を父なる神にお渡しになります。キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、と定められているからです。 と言われていていて、メシア(すなわち、キリスト)が神の右の座に着座されていることは踏まえられていて、わざわざ述べられてはいません。また、詩篇110篇1節で「あなたの敵をあなたの足台とする」と言われているときの「足台とする」」ということばは、「足の下に置く」と言い換えられていますが、実質的には同じことを述べています。 この暗闇の主権者であるサタンとその霊的な子孫たちに対するさばきは、神さまが人を神のかたちとしてお造りになって、歴史と文化を造る使命をお委ねになったこととかかわっています。すでにお話ししましたように、神さまはこの世界を歴史的な世界としてお造りになり、この歴史的な世界の歴史と文化を造る使命を、神のかたちとして造られている人にお委ねになりました。サタンとしては、そのような使命を委ねられた人を造り主である神さまに対して罪を犯させ、もはや、神さまのみこころにしたがって歴史と文化を造る使命を果たすことがないようにしてしまえば、神さまが創造の御業において示されたみこころは実現しないことになります。サタンはまさにそのような理由によって人を誘惑しました。 このことを理解しますと、終わりの日におけるサタンとその霊的な子孫たちへのさばきが、歴史と文化を造る使命と深くかかわっていることが分かります。そして、 そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし と言われている、サタンとその霊的な子孫たちに対するさばきの執行は、先主日まで繰り返しお話ししてきた、創世記3章15節に記されている「最初の福音」の最終的な成就です。 コリント人への手紙第一では、これに続く26節ー27節に、 最後の敵である死も滅ぼされます。「彼は万物をその足の下に従わせた」からです。ところで、万物が従わせられた、と言うとき、万物を従わせたその方がそれに含められていないことは明らかです。 と記されています。 ここでは、「死」が「最後の敵」であると言われています。「敵」の中には「死」が含まれています。このことから、先ほどお話ししましたメシアの「敵」がこの世の権力者や権力機構を構成する者たちに限られなく、そこに、サタンや悪霊たちが含まれていると考えられます。メシアの「敵」にサタンや悪霊たちが含まれていることは、また、霊的な戦いのことを述べているエペソ人への手紙6章12節に、 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。 と記されていることからも支持されます。 コリント人への手紙第一・15章27節では、 最後の敵である死も滅ぼされます。 と言われていることに続いて、 「彼は万物をその足の下に従わせた」からです。 と言われています。 ここで引用されている、 彼は万物をその足の下に従わせた というみことばは、先ほども引用しました詩篇8篇に出てきます。3節ー6節を引用しますと、そこには、 あなたの指のわざである天を見、 あなたが整えられた月や星を見ますのに、 人とは、何者なのでしょう。 あなたがこれを心に留められるとは。 人の子とは、何者なのでしょう。 あなたがこれを顧みられるとは。 あなたは、人を、神よりいくらか劣るものとし、 これに栄光と誉れの冠をかぶらせました。 あなたの御手の多くのわざを人に治めさせ、 万物を彼の足の下に置かれました。 と記されています。コリント人への手紙第一・15章27節で引用されているのは、このみことばの最後に出てくる、 万物を彼の足の下に置かれました。 というみことばです。 詩篇8篇3節ー6節では、神さまが創造された壮大な世界が神さまの栄光を現していることに比べて、まことに取るに足りない人を、神さまが御心に留め、顧みてくださっていることへの驚きが表されています。そして、その神さまの人に対する御思いの深さは、 あなたは、人を、神よりいくらか劣るものとし、 これに栄光と誉れの冠をかぶらせました。 あなたの御手の多くのわざを人に治めさせ、 万物を彼の足の下に置かれました。 ということ、つまり、神さまが創造の御業において人を神のかたちとしてお造りになって、歴史と文化を造る使命を委ねてくださったことに現されていると言われています。 コリント人への手紙第一・15章27節では、この、 万物を彼の足の下に置かれました。 というみことばを引用することによって[注]、創造の御業において、神さまが神のかたちとしてお造りになった人に委ねてくださった、歴史と文化を造る使命が、御子イエス・キリストによって実現しているということを示しています。 [注]27節で引用されている、 彼は万物をその足の下に従わせた は、その七十人訳です。ただ、「下に」が七十人訳とは別の同じ意味の前置詞で表されています。 コリント人への手紙第一・15章24節ー28節に記されていることの順序としては、まず、詩篇110篇1節の、 わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、 わたしの右の座に着いていよ。 という「主」のみことばの成就として、サタンとその霊的な子孫たちに対するさばきの執行があります。これは「最初の福音」を出発点として、罪の問題が解決されることを意味しています。そして、その後に、詩篇8篇6節の、 彼は万物をその足の下に従わせた というみことばの成就として、創造の御業において、神さまが神のかたちとしてお造りになった人に委ねてくださった、歴史と文化を造る使命が回復され実現しています。 大切なことは、最終的には、神さまが創造の御業において始められたこと、すなわち、神さまが創造の御業において人を神のかたちとしてお造りになって、この歴史的な世界の歴史と文化を造る使命を委ねてくださったことが、御子イエス・キリストの贖いの御業を通して回復され、さらに、完成するということです。 |
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