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説教日:2017年1月22日 |
今日は、このことと関連して、アブラハムは「主」から召命を受けた時に、このような「主」の贖いの御業の歴史における意味をどの程度、理解していたのだろうかということを考えてみたいと思います。そのようなことは、明確に記されているわけではありませんが、アブラハムがどのように「主」を信じて、何を求めていたのかを考えることによって、ある程度は分かるようになります。 最も基本的なことで、私たち主の民すべてに当てはまることですが、「主」が何の自覚もないアブラハムにご自身をお示しになり、このような約束をもって召しを与えてくださったと考えることはできません。なんの自覚ももたない人に「主」が語りかけてくださったとしても、その人は語られたことを理解することができません。それで「主」に応答することはできません。ですから「主」はアブラハムの心を照らしてくださって、アブラハムがご自身がどなたであるかを知るように導いてくださっていたと考えられます。それで、ここでは、それがどのようなことであったかを、みことばに基づいて、たどっていきたいと思います。 11章31節ー32節には、 テラは、その息子アブラムと、ハランの子で自分の孫のロトと、息子のアブラムの妻である嫁のサライとを伴い、彼らはカナンの地に行くために、カルデヤ人のウルからいっしょに出かけた。しかし、彼らはハランまで来て、そこに住みついた。テラの一生は二百五年であった。テラはハランで死んだ。 と記されています。アブラハムが「カルデヤ人のウル」を出てハランに住むようになったのは、父であるテラに従ってのことでした。テラは205歳の時に、ハランでその生涯を終えますが、アブラハムはテラの存命中に「主」からの召しを受けてハランを出て行きました。そのことは、11章26節に、 テラは七十年生きて、アブラムとナホルとハランを生んだ。 と記されていることから分かります。アブラハムはテラが70歳の時の子です。そして、12章4節に、 アブラムがハランを出たときは、七十五歳であった。 と記されていますから、アブラハムはテラが145歳の時にハランを出たことになります。テラは、アブラハムがハランを出てから、なお60年そこに住んでいたことになります。 アブラハムが父テラをハランに残してハランを後にしたのは、「主」が、 あなたは、 あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、 わたしが示す地へ行きなさい。 という召しを与えてくださったからです。では、「主」はどうしてアブラハムが145歳になっていた父を残して、約束の地に向けて旅立つように命じられたのでしょうか。それは高齢になっていた父を見捨てることだったのでしょうか。 これについては、二つのことをお話ししたいと思います。 第一に、先ほど引用しました11章26節に、 テラは七十年生きて、アブラムとナホルとハランを生んだ。 と記されているように、テラには、アブラハムの弟ナホルがいました。テラにはもう一人の息子である「ハラン」がいましたが、彼は、11章28節に、 ハランはその父テラの存命中、彼の生まれ故郷であるカルデヤ人のウルで死んだ。 と記されているように、「カルデヤ人のウル」で亡くなっています。この「ハラン」の息子がロトで、アブラハムの甥です。 そして、アブラハムがその子イサクを、身代わりの雄羊をとおして、「主」にささげたことを記している22章1節ー19節に続いて、20節ー23節には、 これらの出来事の後、アブラハムに次のことが伝えられた。「ミルカもまた、あなたの兄弟ナホルに子どもを産みました。すなわち長男がウツ、その弟がブズ、それにアラムの父であるケムエル、次にケセデ、ハゾ、ピルダシュ、イデラフ、それにベトエルです。」ベトエルはリベカを生んだ。ミルカはこれら八人をアブラハムの兄弟ナホルに産んだのである。 と記されています。また、24章には、アブラハムがイサクの妻を迎えるために年長のしもべを「アラム・ナハライムのナホルの町」に遣わしたことが記されています。その結果、イサクはナホルの子ベトエルの娘リベカを妻として迎えることになりました。この「アラム・ナハライム」は25章20節では「パダン・アラム」とも呼ばれていますが、テラが住んでいたハランがある地方です。それで、先ほど引用しました11章31節ー32節に、テラがアブラハムとロトを伴って「カルデヤ人のウル」からハランに移住した時に、ナホルも一緒にハランに行ったと考える学者たちがいます。 ナホルがいつハランに行ったかは定かではありませんが、アブラハムとナホルの間に交流があったことを考えますと、アブラハムはハランを出るに当たって、父テラをナホルに託した可能性が高いと考えられます。そして、その際に、アブラハムは甥のロト(ハランで亡くなった末の弟ハランの子)を、テラやナホルに託さないで、自分が引き取って旅立ったのだと考えられます。テラの財産を相続したのは、ほぼ間違いなく、長子であるアブラハムではなく、弟ナホルであったと考えられます。 以前お話ししましたが、アブラハムの前の名である「アブラム」という名は、一般的には、「父」を意味する「アブ」と「高められている」、「高貴である」を意味する「ルーム」の組み合せで、「父は」高貴である」という意味であると考えられています。あるいは「父」が「神」を意味しているとすれば、「父(すなわち神)は非常に高い」を意味していると考えられます。いずれの場合も、アブラハムが高貴な階級の出であることを示していると考えられています。それで、テラはとても裕福であったと考えられます。 第二に、「主」がヨシュアを指導者としてイスラエルの民をカナンの地に導き入れてくださって、その地をイスラエルの民に与えてくださった後に、老年になったヨシュアがイスラエルの長老たちに語ったことばを記しているヨシュア記24章の2節には、 イスラエルの神、主はこう仰せられる。「あなたがたの先祖たち、アブラハムの父で、ナホルの父でもあるテラは、昔、ユーフラテス川の向こうに住んでおり、ほかの神々に仕えていた。・・・」 と記されています。古代オリエントの都市国家はそれぞれの町の神を祀っていて、それを中心とする文化が形成されていました。ハランと「カルデヤ人のウル」には月の神シンの神殿があり、それが祀られていました(NBD, p.444)。 先ほどお話ししましたように、テラは高貴な階級に属していて裕福であったと考えられます。そうしますと、テラは「カルデヤ人のウル」において、それなりの繁栄を享受していたと考えられますし、それが偶像の神々に仕えることと結びついてしまっていた可能性があります。 「主」がアブラハムに、アブラハムから生まれてくる子がアブラハムの世継ぎの子、相続人となることを約束してくださったことを記している、創世記15章7節には、 わたしは、この地をあなたの所有としてあなたに与えるために、カルデヤ人のウルからあなたを連れ出した主である。 という「主」のみことばが記されています。 先ほど引用しました11章31節には、 テラは、その息子アブラムと、ハランの子で自分の孫のロトと、息子のアブラムの妻である嫁のサライとを伴い、彼らはカナンの地に行くために、カルデヤ人のウルからいっしょに出かけた。しかし、彼らはハランまで来て、そこに住みついた。 と記されていました。アブラハムが「カルデヤ人のウル」を出たのは、父テラに従ってのことでした。けれども、15章7節に記されている「主」のみことば、それとともに、アブラハムはただテラに従ったのではなく、アブラハムにはアブラハムの考えがあったことを示しています。 もともと、テラとアブラハムは「カナンの地に行くために」「カルデヤ人のウル」を出たのですが、テラはハランに行ってそこに住み着いてしまいました。 ハランは「カルデヤ人のウル」からカナンの地に行くルートからそれた所にあります。それで、どうしてテラがハランに行ったのかということが問題になっています。私は、それはテラが偶像礼拝者であって、ハランには、テラが「カルデヤ人のウル」にいた時になじんでいた月の神シンの神殿があって、シンが祀られていたことによっているのではないかと考えています。 いずれにしましても、15章7節に記されている、 わたしは、この地をあなたの所有としてあなたに与えるために、カルデヤ人のウルからあなたを連れ出した主である。 という「主」のみことばは、アブラハムが「主」ヤハウェを礼拝する者であり、「カルデヤ人のウル」に住んでいた時から、月の神シンを祀ることを中心として文化が形成されていくことに参与することをよしとしていなかったことを暗示しています。それで、父テラが「カルデヤ人のウル」を出てカナンの地に行こうとした時に、そのことが「主」のみこころであると信じて、テラとともに「カルデヤ人のウル」を出たのであると考えられます。 ところが、テラはハランに行ってそこに住み着くようになってしまいました。それによって、テラは偶像の神々に仕える者であったことがあらわになりました。 そのような中で、「主」はアブラハムに祝福の約束を与えてくださって、アブラハムを召してくださいました。それで、アブラハムは「主」とその約束を信じて、「主」が示してくださる地に向かって旅立ちました。それは、当初テラとアブラハムが目指していたカナンの地に向けての旅でした。 このようなことを踏まえますと、12章1節ー3節に記されている「主」からの召しを受けたアブラハムには、「主」のみこころについて、歴史的、文化的にかなり深い理解と自覚があったことが感じ取れます。また、アブラハムの旅立ちは「主」を神として礼拝することを中心とした文化と、それに根ざした生き方を求めてのものであったことが分かります。 そのことは、さらに、12章1節ー3節に続く4節ー8節に記されていることからも分かります。そこには、 アブラムは主がお告げになったとおりに出かけた。ロトも彼といっしょに出かけた。アブラムがハランを出たときは、七十五歳であった。アブラムは妻のサライと、おいのロトと、彼らが得たすべての財産と、ハランで加えられた人々を伴い、カナンの地に行こうとして出発した。こうして彼らはカナンの地に入った。アブラムはその地を通って行き、シェケムの場、モレの樫の木のところまで来た。当時、その地にはカナン人がいた。そのころ、主がアブラムに現れ、そして「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える」と仰せられた。アブラムは自分に現れてくださった主のために、そこに祭壇を築いた。彼はそこからベテルの東にある山のほうに移動して天幕を張った。西にはベテル、東にはアイがあった。彼は主のため、そこに祭壇を築き、主の御名によって祈った。 と記されています。 先ほどお話ししましたように、アブラハムは「主」が示してくださる地に向かって旅立ちました。それは、当初テラとアブラハムが目指していたカナンの地に向けての旅でした。けれども、ヘブル人への手紙11章8節に、 信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。 と記されているように、最終的にどこが「主」が示してくださる地であるかは分かっていませんでした。それがカナンの地であったことが分かったのは、創世記12章5節後半ー7節に記されているように、アブラハムがカナンの地に入って「シェケムの場、モレの樫の木のところまで来た」時に、「主がアブラムに現れ」て、 あなたの子孫に、わたしはこの地を与える と約束してくださったことによっています。ちなみに、「シェケムの場、モレの樫の木のところ」とは、カナン人の聖所があったところです。 ここで、注目しておきたいのは、この時に「主」がアブラハムに与えられた約束においては、アブラハムの子孫のことが取り上げられていたということです。これは、「主」がアブラハムを召してくださった時に与えてくださった、 わたしはあなたを大いなる国民とし という約束と呼応しています。 7節後半ー8節には、 あなたの子孫に、わたしはこの地を与える という「主」の約束を受けたアブラハムのことが、 アブラムは自分に現れてくださった主のために、そこに祭壇を築いた。彼はそこからベテルの東にある山のほうに移動して天幕を張った。西にはベテル、東にはアイがあった。彼は主のため、そこに祭壇を築き、主の御名によって祈った。 と記されています。 また、13章3節ー4節にも、飢饉のために逃れていたエジプトから戻ったアブラハムのことが、 彼はネゲブから旅を続けて、ベテルまで、すなわち、ベテルとアイの間で、初めに天幕を張った所まで来た。そこは彼が以前に築いた祭壇の場所である。その所でアブラムは、主の御名によって祈った。 と記されています。 これらのことから、アブラハムは一定の所に留まらないで、カナンの地を行きめぐったことが分かります。そして、より大切なことですが、その行く先々で、「主のため」に「祭壇を築き、主の御名によって祈った」と言われています。 主の御名によって祈った ということは、直訳調に訳しますと、 主の御名によって呼んだ ということで、「主」ヤハウェを礼拝したことを表しています。 このように、ここでは、カナンの地に入ったアブラハムがその地を移動しながら、行く先々で「主のため」に祭壇を築いて、「主」を礼拝したことが3回繰り返し記されています。このことは、アブラハムが、「主がアブラムに現れ」て、 あなたの子孫に、わたしはこの地を与える と約束してくださったカナンの地を、「主」ヤハウェを礼拝するために与えられた地であると理解していたことを意味しています。 このことは、アブラハムが出てきた「カルデヤ人のウル」とハランが偶像を祀ることを中心とした文化が形成されていたことと対比されます。アブラハムにとって、約束の地とは、「主」ヤハウェを礼拝することを中心として生きるための地でした。 先ほどヘブル人への手紙11章8節に記されている、 信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。 というみことばを引用しました。それに続く9節ー10節には、 信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに相続するイサクやヤコブとともに天幕生活をしました。彼は、堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。その都を設計し建設されたのは神です。 と記されています。 アブラハムは、カナンの地に入った時に、「主」がご自身を現してくださって、 あなたの子孫に、わたしはこの地を与える と約束してくださった、その約束を信じました。さらに、先ほど引用しました15章7節には、「主」が、 わたしは、この地をあなたの所有としてあなたに与えるために、カルデヤ人のウルからあなたを連れ出した主である。 と言われたことが記されています。これは、その前の5節ー6節に、 そして、彼を外に連れ出して仰せられた。「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。」さらに仰せられた。「あなたの子孫はこのようになる。」彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。 と記されていることを受けています。 そして、「主」はアブラハムの求めに応じて、その当時の契約締結の儀式に従って、アブラハムに「三歳の雌牛と、三歳の雌やぎと、三歳の雄羊と、山鳩とそのひな」をもって来るよう命じられました。その意味を理解したアブラハムは、鳥以外の家畜を「真っ二つに切り裂き、その半分を互いに向かい合わせに」して置きました。17節には、 さて、日は沈み、暗やみになったとき、そのとき、煙の立つかまどと、燃えているたいまつが、あの切り裂かれたものの間を通り過ぎた。 と記されています。これはもしこの契約を破るようなことがあれば、これらの生き物に及んだ災いが自分に下されるようにということを意味する「のろい」を制裁として契約を結ぶことです。この場合は、「煙の立つかまどと、燃えているたいまつ」として示された「主」の栄光の顕現だけが切り裂かれたものの間を通りました。その上で、18節ー21節には、 その日、主はアブラムと契約を結んで仰せられた。 「わたしはあなたの子孫に、この地を与える。 エジプトの川から、 あの大川、ユーフラテス川まで。 ケニ人、ケナズ人、カデモニ人、ヘテ人、ペリジ人、レファイム人、エモリ人、カナン人、ギルガシ人、エブス人を。」 と記されています。 「主」は、ご自身がこのことを実現してくださることを示してくださいました。アブラハムには「主」と「主」の約束を信じることだけが残されていました。そして、アブラハムは「主」と「主」の約束を信じました。 けれども、アブラハムはカナンの地において寄留者のようにして過ごしました。普通ですと、この地は「主」から自分に与えられた地であると言って所有権を主張して、そこに自分の町を建てることでしょう。けれども、アブラハムはそのようなことをしませんでした。13章1節ー11節には、アブラハムとロトの財産と家畜が増えて、お互いの家畜の世話をするしもべたちの間に争いが起こるほどになったときのことが記されています。その時、アブラハムはお互いが別れて住むようにすることを提案しましたが、どの地を選び取るかの選択権を甥のロトに与えました。それで、ロトは「主の園のように・・・どこもよく潤っていた」と言われている低地を選びました。アブラハムは丘陵地であるカナンの地に、気流者として住むようになりました。アブラハムにとって、カナンの地は自分が物質的に豊かになるための地ではなかったのです。ヘブル人への手紙11章10節では、 彼は堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。その都を設計し建設されたのは神です。 と説明されています。 創世記12章6節には、アブラハムがカナンの地に入っていった時のことが、 当時、その地にはカナン人がいた。 と記されています。そして、カナンの地でも、偶像の神々を祀る聖所と祭壇があり、偶像を礼拝することを中心とした文化が形成されていました。 また、14章に記されていますが、メソポタミアの帝国の王たちが侵入して来てカナンの地にある町を征服し、略奪するという現実がありました。その征服者たちはバベルにおいて現れた、「主」の御前における人の罪と、罪がもたらす高ぶりを現す文化を形成していました。それだけではありません。その時に征服された王たちが治めていた町々も、小規模ながら、バベルにおいて現れた、「主」の御前における人の罪と、罪がもたらす高ぶりを現す文化を形成していて、その意味で、征服者たちも被征服者たちも、バベルにおいて主のさばきを受けて全地に散らされた人々の末裔であることを現していました。 アブラハムにとって「カナンの地」には、アブラハムが真に求めていた「主」ヤハウェを礼拝するための「堅い基礎の上に建てられた都」の陰はあっても、「本体」はなかったのです。 |
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