黙示録講解

(第223回)


説教日:2015年11月1日
聖書箇所:ヨハネの黙示録2章12節ー17節
説教題:ペルガモにある教会へのみことば(4)


 ヨハネの黙示録2章12節ー17節に記されています、イエス・キリストがペルガモにある教会に語りかけられたみことばについてのお話を続けます。
 13節には、

わたしは、あなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンの王座がある。しかしあなたは、わたしの名を堅く保って、わたしの忠実な証人アンテパスがサタンの住むあなたがたのところで殺されたときでも、わたしに対する信仰を捨てなかった。

というみことばが記されています。
 イエス・キリストは、

 わたしは、あなたの住んでいる所を知っている。

と語りかけておられます。前回お話ししましたように、イエス・キリストはアジアにある七つの教会のすべての教会に対して、まず、「わたしは知っている」(オイダ)と語りかけておられます。しかし、イエス・キリストが何を知っていてくださるかということにつきましては、ペルガモにある教会への語りかけと、そのほかの六つの教会への語りかけとの間に、少し、違いがあります。
 そのほかの教会への語りかけにおいては、イエス・キリストがその教会の信徒たちの行いや状態のことを知っておられると言われています。たとえば、エペソにある教会への語りかけでは、2章2節ー3節に、

わたしは、あなたの行いとあなたの労苦と忍耐を知っている。また、あなたが、悪い者たちをがまんすることができず、使徒と自称しているが実はそうでない者たちをためして、その偽りを見抜いたことも知っている。あなたはよく忍耐して、わたしの名のために耐え忍び、疲れたことがなかった。

と記されています。これと同じように、イエス・キリストがその教会の信徒たちの行いを知っておられると述べておられるのは、テアテラにある教会、サルデスにある教会、フィラデルフィヤにある教会、ラオデキヤにある教会に対してです。スミルナにある教会への語りかけでは、2章9節に、

わたしは、あなたの苦しみと貧しさとを知っている。――しかしあなたは実際は富んでいる――またユダヤ人だと自称しているが、実はそうでなく、かえってサタンの会衆である人たちから、ののしられていることも知っている。

と記されています。これは、イエス・キリストがスミルナにある教会の信徒たち自身がどのような状態にあるかを知っていてくださることを示しています。
 これに対して、ペルガモにある教会への語りかけにおいては、

 わたしは、あなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンの王座がある。

というように、ペルガモにある教会の信徒たちが住んでいる所、すなわち、ペルガモがどのような所であるかをイエス・キリストが知っていてくださるということが示されています。
 このことの意味につきましては、最後にお話ししますので、このことを念頭に置きながら、ペルガモに「サタンの王座がある」ということが何を意味しているかについ話しします。
 これについてはいくつかの見方がありますが、一般に可能性があると考えられているのは三つです。それらはすべて、イエス・キリストのスミルナにある教会への語りかけについての最初のお話でお話ししましたペルガモの歴史と宗教的、文化的、政治的な状況とかかわっています。
 そのときにお話ししましたが、ペルガモは前126年にローマの属州としてアジアが設けられてから、その首都となりました。前89年ー84年に共和制ローマと戦ったポント(ポントス)に味方したため、首都の座をエペソに譲り、衰退しましたが、帝政ローマになってから、カイザルによってかつての繁栄を取り戻し、紀元後第1世紀には、アジア州の首都として、政治的、学問的、宗教的な中心になっていました。
 その中でも、ペルガモに「サタンの王座がある」と言われていることとの背景となっているのは宗教的なことです。ペルガモではゼウス、ペルガモの守護神である女神アテナ、アッタロス王朝の守護神で雄牛によって象徴されるティオニュソス、医療の神で蛇によって象徴されるアスクレピオスのために神殿や祭壇が建設されました。
 この「サタンの王座」についての第一の見方は、それがゼウスのための巨大な祭壇であるというものです。
 このゼウスのための祭壇は高さが12メートルに及ぶ巨大なものでした。それはペルガモの丘陵の頂上に城壁を巡らして造られたアクロポリスにあって、突出した岩の上にあったために、山肌にある王座のように見えました。その祭壇には、ペルガモの歴史の中で最初に王であることを宣言したアッタロス1世が、侵略者であったゴール人に勝利したことが描かれていました。そこではゼウスは「救済者(ソーテール 「救済者」、「救い主」)なる神」とされていました。また、また、その祭壇の台座の回りには彫刻がほどこされていて、蛇のような尻尾をもった屈強な戦士のような巨人たちと戦っているオリンポスの神々が示されています。いまでこそそのアクロポリスは遺跡となってしまっていますが、黙示録が記された時代には、このゼウスのための祭壇においても、ゼウスに献げるいけにえの煙が立ちこめていました。このようなことから、このゼウスのための祭壇が「サタンの王座」であるという主張がなされています。
 けれども、ゼウスのための祭壇はペルガモだけではなく、アジアにある七つの教会のあったそのほかの都市にもありました。それで、ゼウスのための祭壇があったということでは、ペルガモだけが「サタンの王座」のある所とされていることの説明がつきません。
 「サタンの王座」についての第二の見方は、それが医療の神アスクレピオスの聖所であるアスクレピエイオンのことであるというものです。ペルガモはアスクレピオスの祭儀の中心地で、アスクレピオスは「ペルガモの神」と呼ばれるほどになっていました。このアスクレピオスの聖所であるアスクレピエイオンが「サタンの王座」であると主張されるのは二つのことによっています。一つは、アスクレピオスの信奉者たちがアスクレピオスのことを「救済者」(ソーテール)と呼んでいたことです。もう一つは、アスクレピオスが蛇によって象徴される神であったということです。これは医療を表す徽章である「アスクレピオスの杖」として今日までも残っています。黙示録の中では、悪魔が蛇と結びつけられています。12章9節には、

こうして、この巨大な竜、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれて、全世界を惑わす、あの古い蛇は投げ落とされた。

と記されていますし、同じ12章の13節ー16節には、

自分が地上に投げ落とされたのを知った竜は、男の子を産んだ女を追いかけた。しかし、女は大鷲の翼を二つ与えられた。自分の場所である荒野に飛んで行って、そこで一時と二時と半時の間、蛇の前をのがれて養われるためであった。ところが、蛇はその口から水を川のように女のうしろへ吐き出し、彼女を大水で押し流そうとした。しかし、地は女を助け、その口を開いて、竜が口から吐き出した川を飲み干した。

と記されていて、サタンを表象的に表している「」が「」とも言い換えられています。それも、「」、「」、「」、「」という交差対句法的に表現されています。さらに、20章1節ー3節には、

また私は、御使いが底知れぬ所のかぎと大きな鎖とを手に持って、天から下って来るのを見た。彼は、悪魔でありサタンである竜、あの古い蛇を捕らえ、これを千年の間縛って、底知れぬ所に投げ込んで、そこを閉じ、その上に封印して、千年の終わるまでは、それが諸国の民を惑わすことのないようにした。

と記されています。このようなことから、アスクレピオスの聖所であるアスクレピエイオンが「サタンの王座」であるという主張がなされています。
 けれども、アスクレピエイオンは病に苦しむ人々が癒しを求めてやって来た所です。そこではさまざまな病に苦しむ人々が、介護を受けていました。もちろん、そこでなされていたアスクレピオスの祭儀は偶像礼拝です。そうではあっても、それが、たとえば、ゼウスのための祭壇でなされていた偶像礼拝、あるいはそのほかの神々への祭儀より悪質なものであったと考えることはできません。それで、アスクレピエイオンがことさらに「サタンの王座」であると言われるべきものであったと考えることはできません。
 また、これら二つ(第一と第二)の見方からわかることは、「救済者」あるいは「救い主」と訳される「ソーテール」という称号は、いろいろな神々に与えられているということです。また、この称号は王たちにも与えられていました。たとえば、侵略者であるゴール人を追い払ったアッタロス1世は「ソーテール」と呼ばれました。ですから、ゼウスやアスクレピオスが「ソーテール」と呼ばれたとしても、それで彼らの祭壇や聖所が「サタンの王座」とされる理由にはならないと考えられます。
 もちろん、クリスチャンたちは十字架におかかりになってご自身の民の罪を贖ってくださり、栄光を受けて死者の中からよみがえってくださったイエス・キリストを「ソーテール」と呼んでいますし、イエス・キリスト以外に「ソーテール」はいないと考えています。使徒の働き4章12節には、ペテロが、

この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。

と言ってイエス・キリストのことをあかししたことが記されています。それで、クリスチャンたちはイエス・キリスト以外の存在を「ソーテール」と呼ぶことはしなかったと考えられます。
 「サタンの王座」が何であるかについての第三の見方は、それが皇帝礼拝にかかわる神殿のことであるというものです。
 この「サタンの王座」は皇帝礼拝にかかわる神殿のことであるという理解が最も可能性が高いと考えられます。というのは、2章13節では、

わたしは、あなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンの王座がある。

と言われた後で、

しかしあなたは、わたしの名を堅く保って、わたしの忠実な証人アンテパスがサタンの住むあなたがたのところで殺されたときでも、わたしに対する信仰を捨てなかった。

と言われているからです。このような迫害をもたらしたものは、黙示録に(全体的に)記されていることに照らしても、皇帝礼拝を拒否したことによる迫害であったと考えられます。
 それだけですと、皇帝礼拝にかかわる神殿はペルガモだけにあったわけではありませんので、特に、ペルガモにある神殿が「サタンの王座」と呼ばれることの理由とはなりません。けれども、ペルガモがその当時のアジア州の政治的、宗教的、学問的な中心地であったこと、特に、皇帝礼拝の中心地であったことから、特に、ペルガモにある神殿が「サタンの王座」と呼ばれたのだと考えられます。


 皇帝礼拝がどのようなものであったかについて理解することは、黙示録の理解にとっても大切なことですので、これについて、いくつかの引用をしておきたいと思います。
 ウイリアム・バークレー(『ヨハネの黙示録』上 ヨルダン社 117ー118頁)は、皇帝礼拝について、次のように記しています。

 ローマは異質の要素を含むぼう大な帝国であったため、それをどのように統合するかは為政者にとって大きな問題であった。ローマの政府は多くの国々に繁栄と平和と正義をもたらしたため、地方の住民のほとんどは、すすんでローマの霊を神として、早くから――スミルナでは紀元[前]一九五年の頃から――神殿を建てて、ローマの女神、ローマの霊であるデア・ローマをまつった。このローマの霊は一人の人間、すなわちローマ皇帝に具現していた。そこで皇帝の神格化が起こり、皇帝をまつる神殿が建てられるようになった。ここで忘れてならないのは、皇帝礼拝は政府が国民に強制したものではなく、多くの場合、国民の間から起こったということである。多くの都市は競ってネオーコロスという名称を得ようとした。これは神殿の清掃者という意味で、都市はこの名前で呼ばれることを誇りに思っていた。こうしたなかで、ローマは皇帝礼拝を普及させることによって国家の統一を保つことができると考えた。やがて法律が制定され、年に一回、ローマ市民は必ず皇帝を祭る神殿に参拝して、カイザルの像に香をたき、「カイザルは主である」と告白することを要求され、この礼拝を行った者には証明書が与えられた。
 ここで二つのことに注意したい。第一は、このことは宗教的な礼拝というよりも、ローマに忠誠を示す政治的な行為であったこと。第二に、ローマは皇帝礼拝を唯一の宗教とする意図をもたず、またそれを試みもしなかったことである。ローマ市民はカイザルが主であると告白しさえすれば、社会の安寧と秩序を乱さない限り、自由に他の神を礼拝することができたのである。
 しかし、クリスチャンはカイザルが主であるとは絶対にいえなかった。クリスチャンにとってはただイエス・キリストのみが主であり、他のなにものも主と認めることはできなかった。ローマ政府はこの立場を理解することができず、クリスチャンを不忠の民、革命分子とみなして、民権を剥奪してしまったのである。
 皇帝礼拝は次第に組織化され、各地方にそれを推進するための中心地が置かれるようになった。・・・ペルガモはアジア地方における皇帝礼拝の中心地となった。この町はアジアの諸都市、特にスミルナにもさきがけて紀元二九年にカイザルをまつる神殿を建てたほどなので、この地に住むクリスチャンは絶えず死の危険にさらされ、いつ剣が振りおろされるかわからない状態におかれていた。

 以上が引用ですが、ここで、

多くの都市は競ってネオーコロスという名称を得ようとした。これは神殿の清掃者という意味で、都市はこの名前で呼ばれることを誇りに思っていた。

と言われています。このことは、すでに、スミルナにある教会へのみことばについてお話ししたときに触れましたが、(タキトゥスによりますと)前23年にスミルナが、皇帝ティベリウスのための神殿を建設する許可を得ようとして競っていたアジアのほかの10都市より先に、その許可を得たことに現れています。ただし、前29年には、皇帝アウスグト(アウグストス)がペルガモに自分のための神殿を建設することを許可しています。ティベリウスはアウグストスの次の皇帝です。
 また、別の著作からも引用しておきます。H・R・ボーア(『初代教会史』 教文館 76ー77頁)は、ローマ帝国がクリスチャンを迫害した理由について、まず、

 帝国が教会を迫害した理由はたくさんあった。しかしながら、その中で根本的理由となったものは一つだけだったといえる。それゆえ、迫害理由を論じる際、迫害の中心理由と付加的理由との区別ははっきりさせなければならない。

と述べた後、迫害の中心理由が教会が皇帝礼拝を拒否したことにあったと述べています。そして、その迫害について、

いつでも、どこでもキリスト教徒を襲ったわけではない。むしろ公然と行われた迫害はまれであって、それも局地的に起こったものである。とは言っても、キリスト教徒は常に危険にさらされていたといえる。

と述べています。
 このことは黙示録が記された時代の状況として、広く認められていることです。N・ブロックス(『古代教会史』 教文館 62ー63頁)もそのことを認めた上で、

国家による組織的な迫害は(キリスト教徒を抹殺しようとして)三世紀になって始まった。しかも、それらの迫害は、前例を見ないほどに熾烈を極めた。

と述べています。このことを踏まえますと、黙示録に出てくるアジアにある七つの教会のいくつかの教会が迫害にさらされていたことは、「局地的に起こった」迫害であったことがわかります。それとともに、12章ー13章に記されています、悪魔を表象的に表す「」と「」が呼び出す「海からの獣」と「地からの獣」(「にせ預言者」)が一体となって、組織的に働くようになる国家の有り様(それは3世紀以後に現実になります)が見据えられていることもわかります。
 ボーアは、続いて、皇帝礼拝について次のように述べています。

 教会はこの重大な問題で政府側と妥協するわけにはいかなかった。皇帝を礼拝することは多神教と偶像礼拝に組する[ママ]ことを意味した。犠牲を捧げる場に置かれた皇帝の像は、キリスト教徒にとっては単なる像ではなく、まさしく偶像であった。それらは時には生存中の皇帝であったり、すでに死んだ皇帝であったりした。平和時には繁栄を、戦争があれば勝利を、さらに法の正義、芸術の進歩、畑の実りの多きこと、家畜の増産などをもたらすものとして、皇帝は祝福され、神と呼ばれたのである。つまり皇帝の善政と権能とは、帝国を維持していると考えられた。とは言っても皇帝を礼拝する際、ローマ人は決してオクタヴィアヌス、クラウディウス、ハドリアヌスといった名の人間を礼拝したわけではなかった。神とみなされた皇帝は、実際的にはローマ国家を具現化するものであった。帝国の権力、強大さ。歴史、栄光はみな皇帝に集約された。最も深い意味における皇帝礼拝とは、単なる皇帝礼拝ではなく、それは国家に対する礼拝であった。国家の尊厳、威厳、権威を具体化する皇帝は、国家それ自身となっていった。
 教会が皇帝礼拝を拒否したことは、国家を神として礼拝することを退けたという意味になる。人や人のつくった制度に栄光を帰することは、天地の創造者、主イエス・キリストの父なる神に従うことでなくなる。これはたとえ相手が強大なローマ帝国という国家であったとしても受け入れるわけにはいかなかった。
 また一方、ローマ政府側には、経済的繁栄、家族の平和、辺境地域での勝利といったあらゆる事柄は国家と神々からもたらされるとのゆるがざる信念があった。国家と神々を拒めば、それらから不満と復讐を招くことになる。こうした信念の当然の帰結として、ローマ人はキリスト教徒を「アセイオイ」すなわち無神論者と言って非難した。つまり、キリスト教徒は、ローマを偉大ならしめた神々を侮ったことになる。ローマ国家の人神表現を基礎づける皇帝礼拝を拒否したからである。こうして無神論者とみなされたことがキリスト教徒に対する非難点の第一であり、それゆえまたローマ政府による迫害の主要な理由となった。

 このような記述を読みますと、ローマ帝国における皇帝礼拝の根底にあった考え方が、どこか、先の大戦において、私たちの国が国のあり方として掲げていた考え方に類似した点があると感じさせられます。その当時、すなわち戦時下にあったこの国の教会は、その国家の論理に従って自分たちの信仰のあり方を変質させてしまいました。それは決して他人事ではありませんし、過去のこととして終わっているのではありません。むしろ、この国にあって主の民として歩んでいる私たちが今も直面させられ、問われ続けている問題です。

 このように、

 わたしは、あなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンの王座がある。

というイエス・キリストのみことばは、ペルガモにある教会の信徒たちが、皇帝礼拝にかかわる迫害にさらされていたことを示していると考えられます。ここで、

 そこにはサタンの王座がある。

と言われているのは、「王座がある」けれども空席となっているということではありません。サタンがその「王座」に着座して暗やみの主権者としての権威を振るっているということです。
 このこととのかかわりで思い出されるのは、2章10節に記されています、イエス・キリストがスミルナにある教会に語りかけられた、

あなたが受けようとしている苦しみを恐れてはいけない。見よ。悪魔はあなたがたをためすために、あなたがたのうちのある人たちを牢に投げ入れようとしている。あなたがたは十日の間苦しみを受ける。死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。

というみことばです。このみことばは、イエス・キリストがスミルナにある教会においてこれから起ころうとしていること示してくださっているものです。
 これに対して、イエス・キリストのペルガモにある教会へのみことばでは、

しかしあなたは、わたしの名を堅く保って、わたしの忠実な証人アンテパスがサタンの住むあなたがたのところで殺されたときでも、わたしに対する信仰を捨てなかった。

と言われています。すでにイエス・キリストが「わたしの忠実な証人」と呼んでおられる「アンテパス」がイエス・キリストをあかしして歩んだために殉教していました。
 スミルナにある教会においてこれから起ころうとしていることが、ペルガモにある教会においてはすでに現実となっていたのです。
 イエス・キリストのスミルナにある教会へのみことばにおいて、スミルナにある教会の信徒たちのうちの「ある人たちを」投獄しようとしているのは「悪魔」であるということが示されています。そのように予告されていることがすでに現実となっているペルガモにある教会へのみことばでは、その「悪魔」がその王座について働いているというのです。
 このようにして、私たちはペルガモにある教会が置かれている状況の厳しさを汲み取ることができます。そうしますと、イエス・キリストがアジアにある七つの教会の他の六つの教会へのみことばにおける語りかけとは少し違って、

 わたしは、あなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンの王座がある。

というみことばをもって語りかけ始められたことの意味が見えてきます。イエス・キリストご自身が、ペルガモにある教会が置かれている状況の厳しさを、誰よりもよくわかっていてくださるということです。
 すでにスミルナにある教会へのみことばについてお話ししたときに取り上げたことですが、「悪魔」がスミルナにある教会の信徒たちのうちの「ある人たちを」投獄しようとしているのは、スミルナにある教会の信徒たちの間に恐怖心を引き起こし、投獄される人たちと距離を置くようになる人が出てくることを狙ってのことであり、そのようにして、スミルナにある教会がキリストのからだである教会としての本質を失ってしまうようになることを狙ってのことであると考えられます。
 このこととのかかわりで見ますと、イエス・キリストがペルガモにある教会に、

しかしあなたは、わたしの名を堅く保って、わたしの忠実な証人アンテパスがサタンの住むあなたがたのところで殺されたときでも、わたしに対する信仰を捨てなかった。

と語りかけてくださっていることから、私たちは、そのようなサタンの企てが実現していないことを汲み取ることができます。
 ここでは、

 わたしの忠実な証人アンテパスがサタンの住むあなたがたのところで殺された

と言われています。このイエス・キリストのみことばは、先ほど引用しました12章9節で、

こうして、この巨大な竜、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれて、全世界を惑わす、あの古い蛇は投げ落とされた。彼は地上に投げ落とされ、彼の使いどもも彼とともに投げ落とされた。

と言われています、霊的な戦いにおけるサタンの敗北を受けて、天において語られていることばを思い起こさせます。10節ー11節には、

今や、私たちの神の救いと力と国と、また、神のキリストの権威が現れた。私たちの兄弟たちの告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者が投げ落とされたからである。兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。

と記されています。イエス・キリストの「忠実な証人アンテパス」は「死に至るまでもいのちを惜し」みませんでした。そして、「小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに」サタンに打ち勝ったのです。そして、ペルガモにある教会の信徒たちも「アンテパス」と同じく、イエス・キリストの御名を堅く保って、イエス・キリストへの信仰を捨てませんでした。確かに、サタンの企ては実現していません。そればかりか、その試練の中でペルガモにある教会の信徒たちの信仰が明らかにされました。
 もちろん、それは彼らが堅く信じたイエス・キリストの恵みによることです。


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