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説教日:2015年11月1日 |
皇帝礼拝がどのようなものであったかについて理解することは、黙示録の理解にとっても大切なことですので、これについて、いくつかの引用をしておきたいと思います。 ウイリアム・バークレー(『ヨハネの黙示録』上 ヨルダン社 117ー118頁)は、皇帝礼拝について、次のように記しています。 ローマは異質の要素を含むぼう大な帝国であったため、それをどのように統合するかは為政者にとって大きな問題であった。ローマの政府は多くの国々に繁栄と平和と正義をもたらしたため、地方の住民のほとんどは、すすんでローマの霊を神として、早くから――スミルナでは紀元[前]一九五年の頃から――神殿を建てて、ローマの女神、ローマの霊であるデア・ローマをまつった。このローマの霊は一人の人間、すなわちローマ皇帝に具現していた。そこで皇帝の神格化が起こり、皇帝をまつる神殿が建てられるようになった。ここで忘れてならないのは、皇帝礼拝は政府が国民に強制したものではなく、多くの場合、国民の間から起こったということである。多くの都市は競ってネオーコロスという名称を得ようとした。これは神殿の清掃者という意味で、都市はこの名前で呼ばれることを誇りに思っていた。こうしたなかで、ローマは皇帝礼拝を普及させることによって国家の統一を保つことができると考えた。やがて法律が制定され、年に一回、ローマ市民は必ず皇帝を祭る神殿に参拝して、カイザルの像に香をたき、「カイザルは主である」と告白することを要求され、この礼拝を行った者には証明書が与えられた。 ここで二つのことに注意したい。第一は、このことは宗教的な礼拝というよりも、ローマに忠誠を示す政治的な行為であったこと。第二に、ローマは皇帝礼拝を唯一の宗教とする意図をもたず、またそれを試みもしなかったことである。ローマ市民はカイザルが主であると告白しさえすれば、社会の安寧と秩序を乱さない限り、自由に他の神を礼拝することができたのである。 しかし、クリスチャンはカイザルが主であるとは絶対にいえなかった。クリスチャンにとってはただイエス・キリストのみが主であり、他のなにものも主と認めることはできなかった。ローマ政府はこの立場を理解することができず、クリスチャンを不忠の民、革命分子とみなして、民権を剥奪してしまったのである。 皇帝礼拝は次第に組織化され、各地方にそれを推進するための中心地が置かれるようになった。・・・ペルガモはアジア地方における皇帝礼拝の中心地となった。この町はアジアの諸都市、特にスミルナにもさきがけて紀元二九年にカイザルをまつる神殿を建てたほどなので、この地に住むクリスチャンは絶えず死の危険にさらされ、いつ剣が振りおろされるかわからない状態におかれていた。 以上が引用ですが、ここで、 多くの都市は競ってネオーコロスという名称を得ようとした。これは神殿の清掃者という意味で、都市はこの名前で呼ばれることを誇りに思っていた。 と言われています。このことは、すでに、スミルナにある教会へのみことばについてお話ししたときに触れましたが、(タキトゥスによりますと)前23年にスミルナが、皇帝ティベリウスのための神殿を建設する許可を得ようとして競っていたアジアのほかの10都市より先に、その許可を得たことに現れています。ただし、前29年には、皇帝アウスグト(アウグストス)がペルガモに自分のための神殿を建設することを許可しています。ティベリウスはアウグストスの次の皇帝です。 また、別の著作からも引用しておきます。H・R・ボーア(『初代教会史』 教文館 76ー77頁)は、ローマ帝国がクリスチャンを迫害した理由について、まず、 帝国が教会を迫害した理由はたくさんあった。しかしながら、その中で根本的理由となったものは一つだけだったといえる。それゆえ、迫害理由を論じる際、迫害の中心理由と付加的理由との区別ははっきりさせなければならない。 と述べた後、迫害の中心理由が教会が皇帝礼拝を拒否したことにあったと述べています。そして、その迫害について、 いつでも、どこでもキリスト教徒を襲ったわけではない。むしろ公然と行われた迫害はまれであって、それも局地的に起こったものである。とは言っても、キリスト教徒は常に危険にさらされていたといえる。 と述べています。 このことは黙示録が記された時代の状況として、広く認められていることです。N・ブロックス(『古代教会史』 教文館 62ー63頁)もそのことを認めた上で、 国家による組織的な迫害は(キリスト教徒を抹殺しようとして)三世紀になって始まった。しかも、それらの迫害は、前例を見ないほどに熾烈を極めた。 と述べています。このことを踏まえますと、黙示録に出てくるアジアにある七つの教会のいくつかの教会が迫害にさらされていたことは、「局地的に起こった」迫害であったことがわかります。それとともに、12章ー13章に記されています、悪魔を表象的に表す「竜」と「竜」が呼び出す「海からの獣」と「地からの獣」(「にせ預言者」)が一体となって、組織的に働くようになる国家の有り様(それは3世紀以後に現実になります)が見据えられていることもわかります。 ボーアは、続いて、皇帝礼拝について次のように述べています。 教会はこの重大な問題で政府側と妥協するわけにはいかなかった。皇帝を礼拝することは多神教と偶像礼拝に組する[ママ]ことを意味した。犠牲を捧げる場に置かれた皇帝の像は、キリスト教徒にとっては単なる像ではなく、まさしく偶像であった。それらは時には生存中の皇帝であったり、すでに死んだ皇帝であったりした。平和時には繁栄を、戦争があれば勝利を、さらに法の正義、芸術の進歩、畑の実りの多きこと、家畜の増産などをもたらすものとして、皇帝は祝福され、神と呼ばれたのである。つまり皇帝の善政と権能とは、帝国を維持していると考えられた。とは言っても皇帝を礼拝する際、ローマ人は決してオクタヴィアヌス、クラウディウス、ハドリアヌスといった名の人間を礼拝したわけではなかった。神とみなされた皇帝は、実際的にはローマ国家を具現化するものであった。帝国の権力、強大さ。歴史、栄光はみな皇帝に集約された。最も深い意味における皇帝礼拝とは、単なる皇帝礼拝ではなく、それは国家に対する礼拝であった。国家の尊厳、威厳、権威を具体化する皇帝は、国家それ自身となっていった。 教会が皇帝礼拝を拒否したことは、国家を神として礼拝することを退けたという意味になる。人や人のつくった制度に栄光を帰することは、天地の創造者、主イエス・キリストの父なる神に従うことでなくなる。これはたとえ相手が強大なローマ帝国という国家であったとしても受け入れるわけにはいかなかった。 また一方、ローマ政府側には、経済的繁栄、家族の平和、辺境地域での勝利といったあらゆる事柄は国家と神々からもたらされるとのゆるがざる信念があった。国家と神々を拒めば、それらから不満と復讐を招くことになる。こうした信念の当然の帰結として、ローマ人はキリスト教徒を「アセイオイ」すなわち無神論者と言って非難した。つまり、キリスト教徒は、ローマを偉大ならしめた神々を侮ったことになる。ローマ国家の人神表現を基礎づける皇帝礼拝を拒否したからである。こうして無神論者とみなされたことがキリスト教徒に対する非難点の第一であり、それゆえまたローマ政府による迫害の主要な理由となった。 このような記述を読みますと、ローマ帝国における皇帝礼拝の根底にあった考え方が、どこか、先の大戦において、私たちの国が国のあり方として掲げていた考え方に類似した点があると感じさせられます。その当時、すなわち戦時下にあったこの国の教会は、その国家の論理に従って自分たちの信仰のあり方を変質させてしまいました。それは決して他人事ではありませんし、過去のこととして終わっているのではありません。むしろ、この国にあって主の民として歩んでいる私たちが今も直面させられ、問われ続けている問題です。 このように、 わたしは、あなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンの王座がある。 というイエス・キリストのみことばは、ペルガモにある教会の信徒たちが、皇帝礼拝にかかわる迫害にさらされていたことを示していると考えられます。ここで、 そこにはサタンの王座がある。 と言われているのは、「王座がある」けれども空席となっているということではありません。サタンがその「王座」に着座して暗やみの主権者としての権威を振るっているということです。 このこととのかかわりで思い出されるのは、2章10節に記されています、イエス・キリストがスミルナにある教会に語りかけられた、 あなたが受けようとしている苦しみを恐れてはいけない。見よ。悪魔はあなたがたをためすために、あなたがたのうちのある人たちを牢に投げ入れようとしている。あなたがたは十日の間苦しみを受ける。死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。 というみことばです。このみことばは、イエス・キリストがスミルナにある教会においてこれから起ころうとしていること示してくださっているものです。 これに対して、イエス・キリストのペルガモにある教会へのみことばでは、 しかしあなたは、わたしの名を堅く保って、わたしの忠実な証人アンテパスがサタンの住むあなたがたのところで殺されたときでも、わたしに対する信仰を捨てなかった。 と言われています。すでにイエス・キリストが「わたしの忠実な証人」と呼んでおられる「アンテパス」がイエス・キリストをあかしして歩んだために殉教していました。 スミルナにある教会においてこれから起ころうとしていることが、ペルガモにある教会においてはすでに現実となっていたのです。 イエス・キリストのスミルナにある教会へのみことばにおいて、スミルナにある教会の信徒たちのうちの「ある人たちを」投獄しようとしているのは「悪魔」であるということが示されています。そのように予告されていることがすでに現実となっているペルガモにある教会へのみことばでは、その「悪魔」がその王座について働いているというのです。 このようにして、私たちはペルガモにある教会が置かれている状況の厳しさを汲み取ることができます。そうしますと、イエス・キリストがアジアにある七つの教会の他の六つの教会へのみことばにおける語りかけとは少し違って、 わたしは、あなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンの王座がある。 というみことばをもって語りかけ始められたことの意味が見えてきます。イエス・キリストご自身が、ペルガモにある教会が置かれている状況の厳しさを、誰よりもよくわかっていてくださるということです。 すでにスミルナにある教会へのみことばについてお話ししたときに取り上げたことですが、「悪魔」がスミルナにある教会の信徒たちのうちの「ある人たちを」投獄しようとしているのは、スミルナにある教会の信徒たちの間に恐怖心を引き起こし、投獄される人たちと距離を置くようになる人が出てくることを狙ってのことであり、そのようにして、スミルナにある教会がキリストのからだである教会としての本質を失ってしまうようになることを狙ってのことであると考えられます。 このこととのかかわりで見ますと、イエス・キリストがペルガモにある教会に、 しかしあなたは、わたしの名を堅く保って、わたしの忠実な証人アンテパスがサタンの住むあなたがたのところで殺されたときでも、わたしに対する信仰を捨てなかった。 と語りかけてくださっていることから、私たちは、そのようなサタンの企てが実現していないことを汲み取ることができます。 ここでは、 わたしの忠実な証人アンテパスがサタンの住むあなたがたのところで殺された と言われています。このイエス・キリストのみことばは、先ほど引用しました12章9節で、 こうして、この巨大な竜、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれて、全世界を惑わす、あの古い蛇は投げ落とされた。彼は地上に投げ落とされ、彼の使いどもも彼とともに投げ落とされた。 と言われています、霊的な戦いにおけるサタンの敗北を受けて、天において語られていることばを思い起こさせます。10節ー11節には、 今や、私たちの神の救いと力と国と、また、神のキリストの権威が現れた。私たちの兄弟たちの告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者が投げ落とされたからである。兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。 と記されています。イエス・キリストの「忠実な証人アンテパス」は「死に至るまでもいのちを惜し」みませんでした。そして、「小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに」サタンに打ち勝ったのです。そして、ペルガモにある教会の信徒たちも「アンテパス」と同じく、イエス・キリストの御名を堅く保って、イエス・キリストへの信仰を捨てませんでした。確かに、サタンの企ては実現していません。そればかりか、その試練の中でペルガモにある教会の信徒たちの信仰が明らかにされました。 もちろん、それは彼らが堅く信じたイエス・キリストの恵みによることです。 |
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