黙示録講解

(第220回)


説教日:2015年9月27日
聖書箇所:ヨハネの黙示録2章12節ー17節
説教題:ペルガモにある教会へのみことば(1)


 イエス・キリストがスミルナにある教会に語りかけられたみことばについてのお話を始めたのは、昨年の8月17日の主日礼拝においてでした。スミルナにある教会へのみことばについてのお話は1年と1ヶ月かかってしまったことになります。
 きょうから、それに続く2章12節ー17節に記されています、ペルガモにある教会へのみことばについてのお話をいたします。
 改めて、そのみことばをお読みいたしますと、そこには、

また、ペルガモにある教会の御使いに書き送れ。「鋭い、両刃の剣を持つ方がこう言われる。『わたしは、あなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンの王座がある。しかしあなたは、わたしの名を堅く保って、わたしの忠実な証人アンテパスがサタンの住むあなたがたのところで殺されたときでも、わたしに対する信仰を捨てなかった。しかし、あなたには少しばかり非難すべきことがある。あなたのうちに、バラムの教えを奉じている人々がいる。バラムはバラクに教えて、イスラエルの人々の前に、つまずきの石を置き、偶像の神にささげた物を食べさせ、また不品行を行わせた。それと同じように、あなたのところにもニコライ派の教えを奉じている人々がいる。だから、悔い改めなさい。もしそうしないなら、わたしは、すぐにあなたのところに行き、わたしの口の剣をもって彼らと戦おう。耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。わたしは勝利を得る者に隠れたマナを与える。また、彼に白い石を与える。その石には、それを受ける者のほかはだれも知らない、新しい名が書かれている。』」

と記されています。
 このイエス・キリストのみことばから、ペルガモにある教会がどのような状態にあったかを汲み取ることができます。
 ペルガモにある教会の信徒たちは、スミルナにある教会の信徒たちと同じように迫害にさらされていましたが、イエス・キリストに対する信仰を捨てることはありませんでした。けれども、イエス・キリストはペルガモにある教会に「非難すべきこと」を指摘しておられます。ペルガモにある教会には異端的な教えを奉じている人々が入り込んできていて信徒たちを惑わしていました。そして、信徒たちの中にはそれに惑わされてしまっている人々がいました。このような状態にあったペルガモにある教会に対して、イエス・キリストはご自身を「鋭い、両刃の剣を持つ方」として示しておられます。ペルガモにある教会において霊的な戦いが激しかったことがうかがわれます。
 これがペルガモにある教会の状況のおおまかな描写です。このようなことを踏まえて、ここでイエス・キリストが述べておられることの背景となっているペルガモについてお話しします。
 ペルガモはスミルナから北へ約110キロメートル、エーゲ海から内陸に約24キロメートル入った所に位置していて、カイコス(カイクス)川流域の肥沃な平野を一望することができる丘陵に築かれた町です。「ペルガモ」(ペルガモス)という町の名は、現在、この丘陵の麓の町であるベルガマに受け継がれています。そして、ペルガモのあった所は、ベルガマの山の上にある「ベルガマ遺跡」として観光地となっています。インターネットで調べますと、ペルガモがあった丘陵の形や、遺跡として残っている建物の跡がわかります。
 アレクサンドロス大王の死後はアレクサンドロスに仕えたマケドニアの将軍で、トラキアの王であったリュシマコスの支配下にありました。しかし、前282年に、セレウコスが小アジアを侵略したときに、リュシマコスに仕えていたペルガモの総督フィレタイロス(前282ー263年)がリュシマコスに背いて、セレウコス側につき、281年のセレウコスの勝利とともに、ペルガモを治めました。
 このフィレタイロスの支配は20年ほどで終わってしまいますが、フィレタイロスが創立したアッタロス王朝は前133年まで続きます。
 フィレタイロスの後、その甥のエウメネス1世(前263ー241年)が王位を継承し、セレウコス王朝から独立しました。
 前241年にアッタロス1世(前241ー197年)がエウメネスの後を継ぎ、王であるという宣言をした最初の人物になりました。アッタロス1世は、侵略者であるゴール人と戦ってこれを打ち破りました。その後、このゴール人が住むようになった地が「ガラテヤ」(ゴール人の地)と呼ばれるようになりました。また、アッタロス1世は侵略者であるゴール人を追い払ったことで、「ソーテール」(救済者、救い主)と呼ばれました。前208年に起こった、共和制のローマとマケドニア(アンティゴノス朝)の戦いである第1次マケドニア戦争で共和制ローマと同盟関係に入りました。前200年に起こった、第2次マケドニア戦争においてアッタロス1世はローマ側について戦いました。アッタロス1世はこの戦いで戦死し、エウメネス2世(前197ー159年)がその後を継ぎます。
 ペルガモの領土は、シリアのセレウコス朝との戦いによって拡大したり、縮小したりしました。
 前192年に、ローマは東方から進攻してくるシリアのセレウコス朝のアンティオコス3世の侵入を防ぐために戦いをします。エウメネス2世もローマ側について戦い、前190年にマグネシアの戦いにおいて、決定的な勝利を収めます。この時から、ペルガモは最盛期を迎えます。
 前133年に、アッタロス3世(前138ー133年)の遺志により、王国はローマに移譲されました。そして、前126年にローマの属州としてアジアが設けられてから、ペルガモはその首都となりました。
 その後、ペルガモは、前89年ー84年に共和制ローマと戦ったポント(ポントス)の王ミトリダテス6世に味方してローマと戦いました。けれども、同盟軍の敗北により、ペルガモは衰退の一路をたどります。その間に、アジア州では、ペルガモに代わってエペソが首都となりました。その後、カイザルによって回復され、帝政時代にはかつての繁栄を取り戻しました。
 アッタロス1世とエウメネス2世が学問や芸術を奨励し保護しましたので、その時代に、ペルガモの文化は最も繁栄しました。特に、エウメネス2世は丘陵の頂上に城壁を巡らして、アクロポリスを建設しました。先ほどの「ベルガマ遺跡」に、遺跡として残っている建物の多くがこの時代に建設されました。その中には、宮殿、劇場、アレキサンドリアの図書館に次ぐもので、20万冊の蔵書を収めた図書館があります。また、女神アテナの神殿、ゼウスのための巨大な祭壇があります。伝説では、羊皮紙(ペルガメネー)もペルガモで発明されたとされていますが、これは、今では、エウメネス2世が羊皮紙に記すことを広めたことが真相であるとされているようです。
 このようにして、紀元後第1世紀までには、ペルガモはアジア州の政治的、学問的、宗教的な中心になっていました。
 イエス・キリストがペルガモにある教会に語っておられるみことばとの関連で特に注目したいのは、宗教的なことです。
 先ほども触れましたように、ペルガモではゼウス、ペルガモの守護神である女神アテナ、アッタロス王朝の守護神で雄牛によって象徴されるティオニュソス、医療の神で蛇によって象徴されるアスクレピオスのために神殿や祭壇が建設されました。
 巨大なゼウスのための祭壇は王座のような形をしていて、その高さが12メートルに及ぶと言われています。そこには、アッタロス1世がゴール族に勝利したことが描かれていました。そこではゼウスは「救済者なる神」とされていました。それは、先ほどお話ししましたように、侵略者であるゴール人に勝利したアッタロス1世が「救済者」と呼ばれたことを受けています。また、その台座の回りには彫刻がほどこされていて、蛇のような尻尾をもった屈強な戦士のような巨人たち戦っているオリンポスの神々が示されています。これは、ヘレニズム文化の野蛮な文化に対する勝利を意味していると考えられています。
 医療の神アスクレピオスの聖所(アスクレピエイオン)は、アクロポリスの外、アクロポリスから2キロメートルほど離れた所にあり、夢によるお告げなどによる治療が行われていたようです。
 これらの神殿や祭壇は古くからのものですが、前29年には、皇帝アウスグト(アウグストス)がペルガモに自分のための神殿を建設することを許可しました。これによって、ペルガモはアジア州において生きている支配者のために神殿を建てる最初の都市となりました。その後、黙示録が記された後のことですが、ペルガモのアクロポリスには、トラヤヌス帝やハドリアヌス帝のための神殿が建てられるようになります。 ペルガモは伝統的な神々の祭儀の中心地であっただけでなく、皇帝礼拝の中心地でもありました。


 12節に記されていますように、イエス・キリストはペルガモにある教会への語りかけにおいて、ご自身のことを、

 鋭い、両刃の剣を持つ方

として示しておられます。
 これは1章10節ー20節に記されています、イエス・キリストが、黙示録の著者であり、アジアにある七つの教会の指導的な牧会者であったヨハネにご自身の栄光の御姿をお示しになったことと関連しています。14節ー16節には、栄光のキリストの御姿について、

その頭と髪の毛は、白い羊毛のように、また雪のように白く、その目は、燃える炎のようであった。その足は、炉で精錬されて光り輝くしんちゅうのようであり、その声は大水の音のようであった。また、右手に七つの星を持ち、口からは鋭い両刃の剣が出ており、顔は強く照り輝く太陽のようであった。

と記されています。ここでは、イエス・キリストの口から「鋭い両刃の剣」が出ていると言われています。ここ1章16節に出てくる「鋭い両刃の剣」ということばは、2章12節に出てくる「鋭い、両刃の剣」ということばと同じことばで表されています。けれども、1章16節の「鋭い両刃の剣」には冠詞がついていませんが、2章12節の「鋭い、両刃の剣」にはそれぞれのことばに冠詞がついています。これによって、ペルガモにある教会へのみことばで、イエス・キリストがもっておられると言われている「鋭い、両刃の剣」が、1章16節で、イエス・キリストの御口から出ていると言われている「鋭い両刃の剣」を受けていることを示していると考えられます。それで、この1章16節に出てくる、イエス・キリストの御口から出ている「鋭い両刃の剣」についてお話しします。
 このイエス・キリストの御口から出ている「鋭い両刃の剣」は、イザヤ書11章3節ー5節に、

 この方はを恐れることを喜び、
 その目の見るところによってさばかず、
 その耳の聞くところによって判決を下さず、
 正義をもって寄るべのない者をさばき、
 公正をもって国の貧しい者のために判決を下し、
 口のむちで国を打ち、
 くちびるの息で悪者を殺す。
 正義はその腰の帯となり、
 真実はその胴の帯となる。

と記されていることを受けています。これはやがてダビデの子として来られるメシヤについての預言を記している11章1節ー10節の一部です。これに先立つ1節ー2節には、

 エッサイの根株から新芽が生え、
 その根から若枝が出て実を結ぶ。
 その上に、の霊がとどまる。
 それは知恵と悟りの霊、
 はかりごとと能力の霊、
 主を知る知識とを恐れる霊である。

と記されています。
 ここではダビデの子として来られるメシヤは主の御霊に満たされ、その導きに従ってお働きになることが示されています。それで、3節ー5節に記されている、この方が執行されるさばきが、神である主のみこころにしたがってなされるものであることが示されています。
 それで、これに続いて、

 この方はを恐れることを喜び、
 その目の見るところによってさばかず、
 その耳の聞くところによって判決を下さず、
 正義をもって寄るべのない者をさばき、
 公正をもって国の貧しい者のために判決を下し、

と記されています。このことばは、この方のさばきには、権力者、有力者たちの権益のために義が曲げられてしまうという、この世のさばきに見られがちな、不正がないことがことを示しています。この方は、人が見過ごしがちな、虐げられた人々のことを見落とすことなく、その人々のために正しいさばきをされます。

 この方はを恐れることを喜び、

と言われていますように、この方は契約の神である主、ヤハウェのみこころに添った義を立てられます。
 また、

 口のむちで国を打ち、
 くちびるの息で悪者を殺す。

ということばは、この方はこの世の裁判におけるような物理的な強制力、すなわち「剣」によってさばきを執行されるのではなく、ご自身の御口から出るみことばによってさばきを執行されます。そのみことばは単なる判決を言い渡すことばであるだけではありません。そのみことばには力があり、神である主のみこころにしたがって、義が行き渡る世界を実現されます。

 このことを踏まえて、黙示録2章12節に記されている、「鋭い両刃の剣」に戻りますと、「両刃の剣」はローマ帝国におけいて皇帝とその下にある総督たちがもっていた生殺与奪の権(イウス・グラディイ)を象徴するものであったこととかかわっています。それはローマ帝国に害をもたらす者たちをさばいて死刑に処する権威です。そのような、究極的な刑罰にかぎらず、あらゆる刑罰を執行することは、裁判をとおして決定されることです。いずれにしましても、裁判の根底に義があります。ただし、ローマ帝国においては、その裁判は今日私たちが考える裁判とは違っていて、皇帝や総督たちが自分たちの判断で告発された人を死に処することができました。ここに「鋭い両刃の剣」が出てくるのはペルガモに総督が住んでいて、属州を統治していたことと関わっていると考えられます。総督は、ローマに敵対する者たちを自らの判断と意志によって処刑する権限を与えられていました。
 しかし、イエス・キリストはすべてのことにおいて、ご自身をお遣わしになった父なる神さまのみこころを求め、父なる神さまのみこころにしたがってお働きになられます。それは、ご自身が「鋭い両刃の剣」を振るわれて、さばきを執行されるときにも変わりありません。イエス・キリストは、父なる神さまのみこころにしたがって、義が行き渡る世界を実現されます。
 それは、私たちが考えるような堅苦しい世界ではありません。私たちが、義が行き渡る世界を堅苦しい世界であると感じてしまうのは、私たちが考える義が本来の義ではないからです。
 どういうことかと言いますと、人が神である主に対して罪を犯して、御前に堕落してしまったことによって、人が考える義は神さまとの関係のあり方ではなくなってしまいました。それは堕落後の人のうちに、詩篇14篇1節に記されています、

 愚か者は心の中で、「神はいない」と言っている。

という現実があるからです。
 ここで、

 愚か者は心の中で、「神はいない」と言っている。

と言われていることは、私たちがこのことばから抱くイメージとは少し違っています。その違いは「心の中で」ということばの意味合いの違いによっています。私たちは「」を心理的な意味合いをもっていて、どちらかというと、感情的な面を伝えるものと受け止めます。聖書の中では「」は、神のかたちとして造られている人の人格の中心にあるものです。ただ単に感情的なことにかかわるだけでなく、知・情・意のすべてにかかわっています。箴言4章23節には、

 力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。
 いのちの泉はこれからわく。

と記されています。これは、神のかたちとして造られている人のいのちの現れである、人の考え方、活動の仕方、生き方など、人の人格的な活動の方向性を決定しているのは、その人の「」であるということです。ですから、

 愚か者は心の中で、「神はいない」と言っている。

ということは、人が、自分の考えること、思うこと、なすことのすべてを、「神はいない」という根本原理に従ってなしているということを意味しています。
 このことは、人が考える義にも当てはまります。それで、堕落後の人が考える義は神さまとの関係のあり方ではなくなってしまっています。けれども、義は造り主である神さまとの関係が本来の状態にあることの中で現実になります。そこでは神さまの義が神さまの愛と恵みといつくしみとともに現されて、平和をもたらします。このことは ダビデの子として来られるメシヤによって実現する義に満ちた世界のことが、先ほど引用しましたイザヤ書11章3節ー5節に続く6節ー9節に、

 狼は子羊とともに宿り、
 ひょうは子やぎとともに伏し、
 子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、
 小さい子どもがこれを追っていく。
 雌牛と熊とは共に草をはみ、
 その子らは共に伏し、
 獅子も牛のようにわらを食う。
 乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、
 乳離れした子はまむしの子に手を伸べる。
 わたしの聖なる山のどこにおいても、
 これらは害を加えず、そこなわない。
 を知ることが、
 海をおおう水のように、地を満たすからである。

と記されています。ここでは、神さまがいつくしみをもってお造りになったすべてのものが調和していて、平和のうちにあり、すべてのものが、それぞれ、そのいのちの営みをしています。しかも、

 わたしの聖なる山のどこにおいても、
 これらは害を加えず、そこなわない。

と言われていますように、そこには互いに奪い合うような争いがもたらす不正はなく、理不尽さもありません。この義に満ちた世界の平和と豊かさの根底にあることが、

 を知ることが、
 海をおおう水のように、地を満たすからである。

と記されています。
 このように、神さまの義が愛といつくしみとともにあり、平和をもたらすことは、ダビデの子として来られたメシヤであられるイエス・キリストの十字架において、最も豊かに、また、鮮明に示されました。父なる神さまは御子イエス・キリストの十字架において、私たち主の民の罪をすべておさばきになり、ご自身の義をお立てになりました。それとともに、そのようにして私たちの罪を贖ってくださるためにご自身の御子をも惜しまずしてお与えになったご自身の愛がこの上なく豊かに示されました。これによって、神さまと私たちとの間の平和がもたらされ、人と人の間の平和がもたらされました。イエス・キリストの十字架において神さまの義がどのようなものであるかを最も豊かに、また鮮明に示していますので、私たちはイエス・キリストの十字架を離れて、義を考えてはならないのです。
 暗やみの主権者の「剣」はこのような、

 を知ることが、
 海をおおう水のように、地を満たす

世界に実現している神さまとの関係における義と平和の状態を破壊するものです。それは、自らの罪のために霊的な暗やみに閉ざされている人の心の奥底に、

 神はいない

という偽りを植え付けることから始まっています。それによって、

 神はいない

ということを考え方と生き方の根本原理としている人々の間に、先ほどのイザヤ書11章3節のことばをもじって言いますと、

 その目の見るところによってさばき、
 その耳の聞くところによって判決を下す、

ような、罪の自己中心性が生み出す歪みをもたらすようになります。公的な裁判においてだけでなく、それぞれの人がなす日常的なことの判断が、神である主との関係をまったく考えないものとなってしまうことになります。そこに罪の自己中心性がもたらす争いが生み出されることになります。

 これらのことを背景として見ますと、イエス・キリストがご自身のことを、

 鋭い、両刃の剣を持つ方

として示しておられることの意味が見えてきます。イエス・キリストがもっておられる「鋭い、両刃の剣」は霊的な戦いにおける戦いにおいて用いられる「鋭い、両刃の剣」です。それは、イエス・キリストの御口から出る福音のみことばをとおして、より具体的には、福音のみことばにおいて示されているイエス・キリストの十字架の死によって成し遂げられた罪の贖いに基づいて、イエス・キリストがご自身の義を確立され、それに基づく平和ををこの世界に実現されるための「」です。
 このこととの関連で取り上げておきたいのは、創世記3章15節に、

 わたしは、おまえと女との間に、
 また、おまえの子孫と女の子孫との間に、
 敵意を置く。
 彼は、おまえの頭を踏み砕き、
 おまえは、彼のかかとにかみつく。

と記されている「最初の福音」です。
 これは最初の女性、エバを誘惑した「蛇」の背後にあって働いていたサタンに対するさばきの宣告です。しかも、これは「蛇」(の背後で働いていたサタン)に欺かれて罪を犯してしまったエバが罪によってサタンと結ばれてしまっていることを踏まえてのさばきの宣告です。ここで神である主はサタンとエバの間に「敵意」を置いてくださって、エバとサタンの絆を断ち切ってしまわれ、エバがサタンに敵対するようになると宣言しておられます。そして、この「敵意」は1代で消滅するのではなく、「女の子孫」とサタンの霊的な子孫との間にまで続いていくと言われています。これによって、エバとその霊的な子孫たちは、サタンとその霊的な子孫たちに敵対するようになります。もちろんこれは霊的な戦いにおける敵対ですので、血肉の戦いをするのではありません。これによって、エバとその霊的な子孫たちは霊的な戦いにおいて神である主の側に立つようになります。これが、エバとその霊的な子孫の救いを意味しています。そして、最終的には、「」と呼ばれている「女の子孫」のかしらであられる方が、「おまえ」と呼ばれているサタンへの最終的なさばきを執行されることが示されています。
 イエス・キリストは「女の子孫」のかしらであられる方として来てくださって、その十字架において、私たちご自身の民の罪に対する父なる神さまの聖なる御怒りによるさばきをすべてお受けになりました。このとき、神である主の「鋭い、両刃の剣」は十字架において私たちの罪を負ってくださったイエス・キリストに対して振るわれました。それによって、私たちご自身の民の罪は完全に贖われました。それで、私たちご自身の民に対しては、再び「鋭い、両刃の剣」が振るわれることはありません。そればかりではなく、私たちは神さまとの関係において義と認められています。
 ペルガモにある教会にご自身のことを、

 鋭い、両刃の剣を持つ方

としてお示しになった方は、「女の子孫」のかしらとして来られた方です。神である主が「最初の福音」で示されたように、「」と「女の子孫」をご自身の民として救い出されることによって、暗やみの主権者とその霊的な子孫たちの働きを空しくされるとともに、終わりの日には、暗やみの主権者とその霊的な子孫たちを最終的におさばきになります。
 イエス・キリストはペルガモにある教会に、

わたしは、あなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンの王座がある。しかしあなたは、わたしの名を堅く保って、わたしの忠実な証人アンテパスがサタンの住むあなたがたのところで殺されたときでも、わたしに対する信仰を捨てなかった。

と語っておられます。これはペルガモにある教会の信徒たちが、サタンの働きによってもたらされた迫害の中でイエス・キリストに対する信仰を捨てなかったことを示しています。これは、また、ペルガモにある教会の信徒たちが、霊的な戦いにおいて、「女の子孫」のかしらとして来られた方と結び合わされていることの現れです。


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