黙示録講解

(第173回)


説教日:2014年8月31日
聖書箇所:ヨハネの黙示録2章8節ー11節
説教題:スミルナにある教会へのみことば(2)


 先主日は、私が夏季休暇を取りましたために、黙示録からのお話はありませんでした。今日は黙示録に戻りまして、前回に続いて、2章8節ー11節に記されています、イエス・キリストがスミルナにある教会に語りかけられたみことばについてお話しします。改めて、そのイエス・キリストのみことばをお読みいたします。

 また、スミルナにある教会の御使いに書き送れ。
「初めであり、終わりである方、死んで、また生きた方が言われる。『わたしは、あなたの苦しみと貧しさとを知っている。――しかしあなたは実際は富んでいる――またユダヤ人だと自称しているが、実はそうでなく、かえってサタンの会衆である人たちから、ののしられていることも知っている。あなたが受けようとしている苦しみを恐れてはいけない。見よ。悪魔はあなたがたをためすために、あなたがたのうちのある人たちを牢に投げ入れようとしている。あなたがたは十日の間苦しみを受ける。死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。勝利を得る者は、決して第二の死によってそこなわれることはない。』」

 前回は、ここに記されている、スミルナにある教会に語られたイエス・キリストのみことばの背景となっていることをお話ししました。簡単に振り返っておきますと、スミルナは「アジヤにある七つの教会」のある町の中で、ただ一つ現在も存在している町で、今はトルコにあるイズミルのことです。エペソの約60キロメートル北に位置していて、エペソとともに、エーゲ海東岸にある港湾都市でした。港湾都市としてのスミルナは、肥沃なヘルモ低地につながっていて、ヘルモ低地の産物の流通において重要な役割を果たしていたこともあって、繁栄している町でした。その当時のいくつかのコインには、スミルナのことが「美しさと大きさにおいてアジアでいちばん」と刻印されていました。
 スミルナにある教会はそのように繁栄している町にありながら、3章7節ー13節に記されていますフィラデルフィヤにある教会とともに、「アジヤにある七つの教会」の中で最も小さな教会でした。それとともに、「アジヤにある七つの教会」のそれぞれへのイエス・キリストのみことばにおいては、この二つの教会へのみことばだけには「非難すべきこと」が指摘されていません。
 この二つの教会、スミルナにある教会とフィラデルフィヤにある教会は、どちらも、迫害にさらされていました。ただし、イエス・キリストのフィラデルフィヤにある教会へのみことばは、そこに迫害が及んでいることを踏まえて記されているだけです。そのような迫害をもたらしていた状況の厳しさのために、この二つの教会が「アジヤにある七つの教会」の中で最も小さな教会であったと考えられます。
 とはいえ、「アジヤにある七つの教会」の中で、この二つの教会だけが迫害にさらされていたわけではありません。すでに取り上げましたエペソにある教会の信徒たちも、エペソがアルテミス神殿の門前町であり、皇帝礼拝の中心地であったために、厳しい状況に置かれていました。また、ペルガモにある教会についてのイエス・キリストのみことばを記している2章13節には、

わたしは、あなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンの王座がある。しかしあなたは、わたしの名を堅く保って、わたしの忠実な証人アンテパスがサタンの住むあなたがたのところで殺されたときでも、わたしに対する信仰を捨てなかった。

と記されています。これはペルガモにある教会の信徒たちが迫害にさらされていたことを示しています。さらに、これ以外の教会が迫害にさらされていたことを暗示しているみことばがあります。
 ですから、スミルナにある教会とフィラデルフィヤにある教会だけが「非難すべきこと」を指摘されていないのは、この二つの教会が迫害にさらされていたからではありません。迫害の中にあっても、主に対して真実であり、忠実であり続けたからです。

          * * *
 これらの教会に限らず、ローマ帝国においてクリスチャンたちが迫害にさらされていたことが、具体的にどのような事情によっていたかにつきましては、前回、一般的な状況としてお話ししました。それはローマ帝国においてクリスチャンたちがどのように生きていたかということと、それがどのように誤解されていたかということにかかわっています。
 復習になりますが、ローマ帝国では、造り主である神さまお一人だけを神としていたクリスチャンたちは無神論者であるとして非難されました。そして、クリスチャンたちは、ローマのさまざまな風習が神である主の戒めに反する場合には、とりわけ偶像礼拝に関わることには、それに従いませんでしたので、頑迷で偏屈な者であるとされて非難されました。また、教会においては、奴隷も同じ権利を持つことを認めていましたので、社会秩序を乱す者たちとして危険視されていました。さらに、主の晩餐のことを誤解した人々によって、クリスチャンたちは人食い人種であると言われて非難されました。これらのことから、このような者たちは必ず神々のさばきを受けることになると信じられていました。そればかりではなく、このような者たちを野放しにしておけば、自分たちの上に神々のさばきが下され、大きな災厄がもたらされるとも考えられていました。そのようなわけで、大きな災害や疫病などが襲ってくると、それがクリスチャンたちのせいにされました。クリスチャンたちは頑迷で偏屈なだけでなく、危険で有害な者であるとされていたのです。
 これらのことが、ローマ帝国において、クリスチャンたちが迫害を受けるようになったことの、一般的な背景となっていました。
 皆さんもご存知のことかと思いますが、皇帝ネロの時代の紀元64年7月に、ローマに大火がありました。それがネロの放火によるものであるという噂が広まると、ネロはその噂をもみ消すために、クリスチャンたちが犯人であるとして、処刑したと言われています。以下は、タキトゥス『年代記』からの引用です。

・・・・・民衆は「ネロが大火を命じた」と信じて疑わなかった。そこでネロは、この風評をもみけそうとして、身代わりの被告をこしらえ、これに大変手のこんだ罰を加える。それは、日頃から忌まわしい行為で世人から恨み憎まれ、「クリストゥス[注・「キリスト」のラテン語読み]信奉者」と呼ばれていた者たちである。この一派の呼び名の起因となったクリストゥスなる者は、ティベリウスの治下に、元首属吏ポンティウス・ピラトゥス[注・ポンテオ・ピラトのこと]によって処刑されていた。その当座は、この有害きわまりない迷信も、一時鎮まっていたのだが、最近になってふたたび、この過悪の発生地ユダヤにおいてのみならず、世界中からおぞましい破廉恥なものがことごとく流れ込んでもてはやされるこの都においてすら、猖獗(しょうけつ)[注・悪いものがはびこること]をきわめていたのである。
 そこでまず、信仰を告白していた者が審問され、ついでその者らの情報に基づき、実におびただしい人が、放火の罪というよりむしろ人類敵視の罪と結びつけられたのである。彼らは殺されるとき、なぶりものにされた。すなわち、野獣の毛皮をかぶされ、犬に噛み裂かれて倒れる。[あるいは十字架に縛り付けられ、あるいは燃えやすく仕組まれ、]そして日が落ちてから夜の灯火代わりに燃やされたのである。ネロはこの見世物のため、カエサル家の庭園を提供し、そのうえ、戦車競技まで催して、その間中、戦車馭者のよそおいで民衆のあいだを歩きまわったり、自分でも戦車を走らせたりした。そこで人々は、不憫の念を抱きだした。なるほど彼らは罪人であり、どんなにむごたらしい懲罰にも値する。しかし彼らが犠牲になったのは、国家の福祉のためではなく、ネロ一個人の残忍性を満足させるためであったように思われたからである。

タキトゥス『年代記』(国原吉之助訳 岩波文庫)下 
269ー270頁

 これはネロ(在位54年ー68年)の晩年におけるクリスチャンに対する迫害のことです。ネロは68年に自死しますので、64年は彼の晩年のことになります。このタキトゥスの記録からも、ローマ帝国において、クリスチャンたちがどのように考えられていたかをうかがうことができます。
 このネロの時代に黙示録が記されたと主張する学者たちは多くいます。それには、それとしての説得力がありますので、その可能性は否定できません。しかし、このネロの時代にローマ帝国内でクリスチャンへの迫害がなされていたことは確かですが、属州においても、クリスチャンに対する迫害がなされていたということを示す資料が今のところ見つかっていないようです。もし、黙示録がネロの時代に記されたとするなら、その時代に、属州においてもクリスチャンへの迫害がなされていたことの唯一の見つかっている記録であるということになります。黙示録が記された年代については、どちらとも言い難い状態ながら、ドミティアヌス帝の時代の90年代の中ごろに記された可能性の方が高いのではないかと思われます。いずれにしましても、ローマ帝国内、また、属州におけるクリスチャンたちの置かれている状況の厳しさには変わりがなかったと考えられます。

          * * *
 黙示録2章8節には、

 また、スミルナにある教会の御使いに書き送れ。
「初めであり、終わりである方、死んで、また生きた方が言われる。

と記されています。
 ここでイエス・キリストは御自身のことを、

 初めであり、終わりである方、死んで、また生きた方

として示しておられます。これは、イエス・キリストが黙示録の著者であるヨハネにご自身の栄光の御姿を現してくださったことを記している1章10節ー18節の最後の部分である17節ー18節に、

それで私は、この方を見たとき、その足もとに倒れて死者のようになった。しかし彼は右手を私の上に置いてこう言われた。「恐れるな。わたしは、最初であり、最後であり、生きている者である。わたしは死んだが、見よ、いつまでも生きている。また、死とハデスとのかぎを持っている。

と記されている中で、イエス・キリストがヨハネに語りかけられた、

わたしは、最初であり、最後であり、生きている者である。わたしは死んだが、見よ、いつまでも生きている。

というみことばを受けています。
 2章8節に記されています、

 初めであり、終わりである方

というみことばは、1章17節後半に記されています、

 わたしは、最初であり、最後である

というイエス・キリストのみことばを受けています。それで、

 初めであり、終わりである方

というみことばを理解するためには、

 わたしは、最初であり、最後である

というイエス・キリストのみことばを理解する必要があります。
 この

 わたしは、最初であり、最後である

というイエス・キリストのみことばには、二つの背景があります。
 今日は、その二つの背景のうちの、より根本にあることを取り上げます。この、

 わたしは、最初であり、最後である

というイエス・キリストのみことばは、原文のギリシャ語では(「エゴー・エイミ・ホ・プロートス・カイ・ホ・エスカトス」で)強調形の、

 わたしは・・・である(エゴー・エイミ・・・)

で表されています。このことは、イエス・キリストが、契約の神である主、ヤハウェであられることを意味しています。
 出エジプト記3章に記されていますが、神さまはエジプトの奴隷となっていたイスラエルの民を、奴隷の状態から贖い出してくださるためにモーセをエジプトにお遣わしになりました。その際に、14節ー15節に記されていますが、神さまはご自身の御名が、

 わたしは、「わたしはある」という者である。

という御名であることをモーセに啓示してくださいました。ヘブル語聖書のギリシャ語訳である七十人訳では、この御名は、

 エゴー・エイミ・ホ・オーン「わたしは存在する者である」

と、やはり、強調形の、

 わたしは・・・である(エゴー・エイミ・・・)

で表されています。
 この、

 わたしは、「わたしはある」という者である。

という御名は「在る」ということにかかわっていて、「」、ヤハウェは何ものにも依存されないで、永遠にご自身で存在しておられる方であること、そして、この世界のあらゆるものを創造されて存在するものとされた方であること、また、天地創造の御業以来の歴史をとおして、お造りになったすべてのものを真実に支えておられる方であるということを意味していると考えられます。
 神さまが天地創造の御業以来の歴史をとおして、お造りになったすべてのものを真実に支えておられるのは、神である主の契約によっています。そのことは、引用はいたしませんが、エレミヤ書33章19節ー26節に記されています主のみことばから分かります。主はご自身がお造りになったすべてのものと契約を結んでくださり、すべてのものを真実に支えてくださっています。それで、

 わたしは、「わたしはある」という者である。

という御名は、神さまがご自身の契約に対して真実な方であるということをも意味することになります。
 神さまがこの御名をモーセに啓示してくださったことを記している出エジプト記3章14節ー15節では、この、

 わたしは、「わたしはある」という者である。

という御名が、

 わたしはある

に短縮され、さらに3人称化されて「ヤハウェ」として示されています。この「ヤハウェ」は固有名詞としての神さまの御名です。新改訳では、この「ヤハウェ」という御名が太文字の「」と訳されています
 出エジプト記3章15節には、

神はさらにモーセに仰せられた。「イスラエル人に言え。
あなたがたの父祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、が、私をあなたがたのところに遣わされた、と言え。
これが永遠にわたしの名、これが代々にわたってわたしの呼び名である。

と記されています。ここで神さまはご自身のことを、

 あなたがたの父祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、

として示しておられます。原文のヘブル語では「」(ヤハウェ)という御名が先にあって、これに、

 あなたがたの父祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、

という説明に当たることばが続いています。それで、日本語に訳しますと、日本語では説明のことばが先に来ますので、

 あなたがたの父祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、

となります。
 この、

 あなたがたの父祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、

というみことばは、契約の神である主、ヤハウェはアブラハムに与えられた契約を、その子イサクに受け継がせてくださり、さらに、その子ヤコブに受け継がせてくださったということを示しています。それは、アブラハムに与えられた契約が、アブラハムとアブラハムの子孫への祝福を約束するものであるからです。
 創世記17章7節ー8節には、

わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に、そしてあなたの後のあなたの子孫との間に、代々にわたる永遠の契約として立てる。わたしがあなたの神、あなたの後の子孫の神となるためである。わたしは、あなたが滞在している地、すなわちカナンの全土を、あなたとあなたの後のあなたの子孫に永遠の所有として与える。わたしは、彼らの神となる。

という主、ヤハウェがアブラハムに与えられた契約のみことばが記されています。ここには、主、ヤハウェがアブラハムとアブラハムの子孫の神となってくださるという祝福が約束されています。
 そして、その約束のとおり、主、ヤハウェはアブラハムに与えられた契約を、その子イサクに受け継がせてくださって、イサクの神となられ、さらに、その子ヤコブに受け継がせてくださって、ヤコブの神となってくださいました。
 このようにして、

 あなたがたの父祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、

という御名は、主、ヤハウェがご自身の契約に対して真実な方であられることを意味しています。そして、まさにその御名が示しているとおり、主は出エジプトの時代に、ご自身がアブラハムに与えられた契約に基づいて、アブラハムの子孫であるイスラエルの民をエジプトの奴隷の状態から贖い出してくださって、ご自身の民としてくださいました。主がアブラハムを召してくださったのは、アブラハムが75歳(創世記12章4節)の時です。(NBDが示している可能性として)アブラハムが2千年ごろに生まれたとしますと、出エジプトの年代には早期説と後期説がありますが、少なくとも約5百年ほど後のことです。その間、主は真実にアブラハムの子孫を覚えてくださり、祝福を受け継がせてくださってきましたし、この後も受け継がせてくださっていきます。

          * * *
 このアブラハムへの契約は、創世記12章1節ー3節に、

 はアブラムに仰せられた。
 「あなたは、
 あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、
 わたしが示す地へ行きなさい。
 そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、
 あなたを祝福し、
 あなたの名を大いなるものとしよう。
 あなたの名は祝福となる。
 あなたを祝福する者をわたしは祝福し、
 あなたをのろう者をわたしはのろう。
 地上のすべての民族は、
 あなたによって祝福される。」

と記されていますように、主、ヤハウェが「地上のすべての民族」を祝福してくださるためにアブラハムを召してくださったことを受けています。主、ヤハウェはアブラハムによって「地上のすべての民族」を祝福してくださるために、アブラハムと契約を結んでくださったのです。
 改めて、アブラハムに与えられた主の契約のみことばを見てみますと、それは、

わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に、そしてあなたの後のあなたの子孫との間に、代々にわたる永遠の契約として立てる。わたしがあなたの神、あなたの後の子孫の神となるためである。わたしは、あなたが滞在している地、すなわちカナンの全土を、あなたとあなたの後のあなたの子孫に永遠の所有として与える。わたしは、彼らの神となる。

というものでした。
 主のみことばである聖書全体の光の下で見ますと、主がアブラハムによって「地上のすべての民族」を祝福してくださるということは、「地上のすべての民族」の中から、主が契約のみことばの中で「あなたの後のあなたの子孫」と呼んでおられるアブラハムの子孫が出てきて、

 わたしがあなたの神、あなたの後の子孫の神となるためである。

と言われているとおり、主がそのアブラハムの子孫の神となってくださることを意味しています。
 そして、このことの成就が、ガラテヤ人への手紙3章6節ー9節に、

アブラハムは神を信じ、それが彼の義とみなされました。それと同じことです。ですから、信仰による人々こそアブラハムの子孫だと知りなさい。聖書は、神が異邦人をその信仰によって義と認めてくださることを、前から知っていたので、アブラハムに対し、「あなたによってすべての国民が祝福される」と前もって福音を告げたのです。そういうわけで、信仰による人々が、信仰の人アブラハムとともに、祝福を受けるのです。

と記されています。
 ここでは、血肉のアブラハムの子孫であるユダヤ人と、異邦人の区別を越えて、「信仰による人々こそアブラハムの子孫」であることが明らかにされています。その上で、

聖書は、神が異邦人をその信仰によって義と認めてくださることを、前から知っていたので、アブラハムに対し、「あなたによってすべての国民が祝福される」と前もって福音を告げたのです。

と言われています。そして、このことがアブラハムの子(マタイの福音書1章1節)として来られた贖い主イエス・キリストによって実現していることが、13節ー14節に、

キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである」と書いてあるからです。このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。

と記されています。さらに、16節には、

ところで、約束は、アブラハムとそのひとりの子孫に告げられました。神は「子孫たちに」と言って、多数をさすことはせず、ひとりをさして、「あなたの子孫に」と言っておられます。その方はキリストです。

と記されていて、イエス・キリストこそがアブラハムの子孫であられることが示されています。そして、27節ー29節には、

バプテスマを受けてキリストにつく者とされたあなたがたはみな、キリストをその身に着たのです。ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男子も女子もありません。なぜなら、あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって、一つだからです。もしあなたがたがキリストのものであれば、それによってアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのです。

と記されています。
 このようにして、アブラハムに与えられた契約の祝福はアブラハムのまことの子であるイエス・キリストによって成就しています。先ほどの年代計算からしますと、アブラハムが召しを受けてから、およそ1960年ほど後に、十字架におかかりになってご自身の民の罪を贖ってくださった、イエス・キリストによって成就したことになります。それは、まさに、

 あなたがたの父祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、

という御名の主、ヤハウェがご自身の契約に真実であられることのあかしです。
 黙示録1章17節後半に記されています、

 わたしは、最初であり、最後である

というイエス・キリストのみことば、イエス・キリストが契約の神である主、ヤハウェであられることを示しています。これを受けて、2章8節では、イエス・キリストのことが、

 初めであり、終わりである方

と言われています。新改訳では、「最初であり、最後である」と「初めであり、終わりである」というように、訳語が違っていますが、原文のギリシャ語では同じことば(ホ・プロートス・カイ・ホ・エスカトス)です。
 スミルナにある教会の信徒たちは迫害にさらされて苦しんでいましたし、そのために貧困にあえいでいました。けれども、そのような厳しい状況の中にあって、なおも主に対して真実であり、忠実でした。それはスミルナにある教会の信徒たちの力によることではなく、ご自身の契約に対して真実な主、ヤハウェであられるイエス・キリストが、真実に彼らを支え続けてくださっているからに他なりません。スミルナにある教会の信徒たちの真実さは、イエス・キリストが彼らに対して真実を尽くしてくださっていたことの現れです。イエス・キリストは今日の私たちに対しても、変わることなく、真実を尽くしてくださっていないでしょうか。私たちがこの世にあるがために経さまざまな試練を通しての苦しみや悲しみを味わわなければなりませんが、そのような中にあっても、また、そのような中にあってこそ、イエス・キリストは真実に私たちをご自身の民として支えてくださり、神の子どもとして御前を歩ませてくださっていないでしょうか。


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