黙示録講解

(第162回)


説教日:2014年5月18日
聖書箇所:ヨハネの黙示録2章1節ー7節
説教題:エペソにある教会へのみことば(9)


 ヨハネの黙示録2章1節ー7節には、

エペソにある教会の御使いに書き送れ。「右手に七つの星を持つ方、七つの金の燭台の間を歩く方が言われる。『わたしは、あなたの行いとあなたの労苦と忍耐を知っている。また、あなたが、悪い者たちをがまんすることができず、使徒と自称しているが実はそうでない者たちをためして、その偽りを見抜いたことも知っている。あなたはよく忍耐して、わたしの名のために耐え忍び、疲れたことがなかった。しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行いをしなさい。もしそうでなく、悔い改めることをしないならば、わたしは、あなたのところに行って、あなたの燭台をその置かれた所から取りはずしてしまおう。しかし、あなたにはこのことがある。あなたはニコライ派の人々の行いを憎んでいる。わたしもそれを憎んでいる。耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。勝利を得る者に、わたしは神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べさせよう。』」

と記されています。
 これまで4節ー5節に記されています、

しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行いをしなさい。もしそうでなく、悔い改めることをしないならば、わたしは、あなたのところに行って、あなたの燭台をその置かれた所から取りはずしてしまおう。

というイエス・キリストのみことばについてお話ししてきました。
 ここでイエス・キリストは、エペソにある教会が「初めの愛から離れてしまった」ことを指摘してくださっています。これは、もしエペソにある教会が悔い改めることがなくこの状態を続けるなら、

わたしは、あなたのところに行って、あなたの燭台をその置かれた所から取りはずしてしまおう。

と言われているように、エペソにある教会がキリストのからだである教会としての本質を失い、教会の存在そのものが取り去られてしまうようになるという、深刻な問題でした。けれども、実際には、イグナティオス(イグナティウス)の手紙などから、エペソにある教会においては「初めの愛」が回復されて、エペソにある教会はキリストのからだである教会として存続していったようです。


 これに続いて、6節で、イエス・キリストは、

しかし、あなたにはこのことがある。あなたはニコライ派の人々の行いを憎んでいる。わたしもそれを憎んでいる。

と語っておられます。
 ここには「ニコライ派の人々」が出てきます。彼らのことは2章12節ー17節に記されているペルガモにある教会へのイエス・キリストのみことばの中にも出てきます。
 ことばの成り立ち上では「ニコライ派の人々」ということば(ニコライテース)は、「勝利する」を意味する「ニカオー」あるいは「勝利」を意味する「ニコス」、その初期形である「ニケー」と、「民」や「人々」を意味する「ラオス」の組み合せです。ここからいろいろな意味が考えられていますが、このことばの成り立ちを手がかりとして、この人々とその教えを考えることはできません。
 この人々についてはいろいろなことが論じられていますが、彼らについての情報は黙示録に記されていることからしか得られないために、確かなことは、ほとんど分かっていません。古代教会の教父たちで「ニコライ派の人々」に触れている人々がいますが、それは彼ら独自の情報によっているのではなく、黙示録に記されていることに基づいて述べていると考えられています。それらの教父の一人であるエイレナイオス(140年ー150年の間に誕生)は「ニコライ派の人々」を使徒の働き6章5節に出てくる、

 信仰と聖霊とに満ちた人ステパノ、およびピリポ、プロコロ、ニカノル、テモン、パルメナ、アンテオケの改宗者ニコラオ

の7人のうちの最後に出てくるニコラオ、さらにはグノーシス主義者であるケリントスと結びつけています。けれども、ほぼ同期のアレクサンドリアのクレメンス(140年ー150年の間に誕生、211年ー215の間に没)はニコラオが変節してしまったということに反対して、ニコラオの弟子たちがニコラオの教えを誤解してしまったのだとしています。けれども、これらのことは確証することができないことで、聖書の中に出てくる人物で「ニコライ派の人々」ということば(ニコライテース)と関連する名をもつ人がニコラオ(ニコラオス)しかいないためではないかと考えられています。
 ここ2章6節では、

しかし、あなたにはこのことがある。あなたはニコライ派の人々の行いを憎んでいる。わたしもそれを憎んでいる。

と言われているだけですので、ここからは「ニコライ派の人々」の教えについては分かりません。けれども、ペルガモにある教会へのみことばを記している2章14節ー15節には、

しかし、あなたには少しばかり非難すべきことがある。あなたのうちに、バラムの教えを奉じている人々がいる。バラムはバラクに教えて、イスラエルの人々の前に、つまずきの石を置き、偶像の神にささげた物を食べさせ、また不品行を行わせた。それと同じように、あなたのところにもニコライ派の教えを奉じている人々がいる。

と記されています。
 ここでも、「ニコライ派の教え」のことは、

それと同じように、あなたのところにもニコライ派の教えを奉じている人々がいる。

と言われているだけです。しかし、新改訳では分かりませんが、最初に「それと同じように」ということば(フートース)があるだけではなく、3番目のことばが「・・・もまた」あるいは「・・・さえも」を表すことば(カイ)です。そして、最後にも「同じように」ということば(ホモイオース)があります。このことは、14節に出てくる「バラムの教え」と15節に出てくる「ニコライ派の教え」がとてもよく似ていることを示しています。実際、これ以外のこともあって、多くの学者がこの二つの教えは同じ教えであると主張しています。このことについては、2章14節ー15節を取り上げるときにお話しすることにします。今は、「少なくとも、とてもよく似ている」ということで、お話を進めていきます。
 ちなみに、この「ニコライ派の教え」と訳されていることばは、直訳調に訳しますと、「ニコライ派の人々の教え」です。6節の「ニコライ派の人々の行い」とは「教え」と「行い」が違うだけです。
 このことから、2章14節に出てくる「バラムの教え」がどのようなものであるかが分かれば、「ニコライ派の教え」がどのようなものであるかも分かるということになります。それで、改めて14節を見てみましょう。そこには、

しかし、あなたには少しばかり非難すべきことがある。あなたのうちに、バラムの教えを奉じている人々がいる。バラムはバラクに教えて、イスラエルの人々の前に、つまずきの石を置き、偶像の神にささげた物を食べさせ、また不品行を行わせた。

と記されています。
 バラムとバラクのことは旧約聖書の民数記22章ー24章に記されています。また、文面からは分かりませんが、25章に記されていることにも関わっています。バラムは異邦のまじない師で(民数記24章1節)、バラクはモアブの王でした(民数記22章4節)。
 エジプトを出てきたイスラエルが「エモリ人の王シホン」(21章21節ー32節)と「バシャンの王オグ」(21章33節ー35節)を打ち破って、モアブの方に進んで来た時、バラクは非常に恐れて、ミデヤンの長老たちに相談しました(22章1節ー3節)。そして、モアブの長老たちとミデヤンの長老たちを遣わして「同族の国にあるユーフラテス河畔のペトルにいるベオルの子バラム」を招き寄せ、イスラエルをのろうように求めました(22章4節ー7節)。しかし、主、ヤハウェがバラムに現れて、イスラエルをのろうことを禁じたばかりか、祝福するように命じられました。主、ヤハウェが怖くて恐れていたバラムは、それに従う他はありませんでした。このことをめぐってはいろいろなことが起こっていますが、それは22章8節ー24章25節に記されています。
 しかし、それで終わることはありませんでした。黙示録2章14節で、

バラムはバラクに教えて、イスラエルの人々の前に、つまずきの石を置き、偶像の神にささげた物を食べさせ、また不品行を行わせた。

と言われていることは、民数記では、それに続く25章1節ー3節に、

イスラエルはシティムにとどまっていたが、民はモアブの娘たちと、みだらなことをし始めた。娘たちは、自分たちの神々にいけにえをささげるのに、民を招いたので、民は食し、娘たちの神々を拝んだ。こうしてイスラエルは、バアル・ペオルを慕うようになったので、の怒りはイスラエルに対して燃え上がった。

と記されています。

 民はモアブの娘たちと、みだらなことをし始めた。

と記されていますが、これにはミデヤンの娘たちも関わっていました。そのことはこのすぐ後の6節以下に記されていることから分かります。同じ民数記31章16節には、ミデヤンの女たちについて、モーセが、

ああ、この女たちはバラムの事件のおり、ペオルの事件に関連してイスラエル人をそそのかして、に対する不実を行わせた。それで神罰がの会衆の上に下ったのだ。

と言ったことが記されています。これも、25章1節ー3節に記されているイスラエルの民が「モアブの娘たちと、みだらなことをし」、彼女たちの誘いに従って「バアル・ペオル」を拝むようになった出来事にミデヤンの娘たちも関わっていたことを示しています。ここでは、さらに、その出来事が「バラムの事件」と言われていて、バラムがこの出来事に関わっていることを示しています。このことを踏まえて、黙示録2章14節では、

バラムはバラクに教えて、イスラエルの人々の前に、つまずきの石を置き、偶像の神にささげた物を食べさせ、また不品行を行わせた。

と言われているのです。

 バラムはどうしてこの出来事に関わったのでしょうか。
 この時の出来事、すなわち「バラムの事件」について、ペテロの手紙第二・2章15節には、

彼らは正しい道を捨ててさまよっています。不義の報酬を愛したベオルの子バラムの道に従ったのです。

と記されています。
 ここでは、バラムが「不義の報酬を愛した」と言われています。主、ヤハウェがバラムに警告したにも関わらず、バラムがモアブの王バラクの求めに応じて「バラムの事件」を引き起こしたのは「不義の報酬を愛した」ためであると言われています。同じことは、ユダ11節に、

ああ。彼らはカインの道を行き、利益のためにバラムの迷いに陥り、コラのようにそむいて滅びました。

と記されています。
 そのことを示唆することが民数記に見られます。22章16節後半ー17節には、モアブの王バラクの家臣たちがバラムに告げた、

どうか私のところに来るのを拒まないでください。私はあなたを手厚くもてなします。また、あなたが私に言いつけられることは何でもします。どうぞ来て、私のためにこの民をのろってください。

というバラクのことばが記されています。これは主、ヤハウェが怖くて、バラクの要請を断ったバラムの許に、バラクが再び使者を送ったときのことです。ここでは、今日のことばで言えば、「報酬はあなたのお望み次第です」という提示がされています。最初のバラクの要請は、

今ここに、一つの民がエジプトから出て来ている。今や、彼らは地の面をおおって、私のすぐそばにとどまっている。どうかいま来て、私のためにこの民をのろってもらいたい。この民は私より強い。そうしてくれれば、たぶん私は彼らを打って、この地から追い出すことができよう。私は、あなたが祝福する者は祝福され、あなたがのろう者はのろわれることを知っている。

というもので、報酬のことは示されてはいません。
 「手厚いもてなし」の提示を受けたバラムは、続く18節で、それでもバラクの要請を受け入れられないと言いました。しかし、続く19節で、もう一晩待って、

 が私に何かほかのことをお告げになるかどうか確かめましょう。

と言いました。このことは、バラムがバラクの「手厚いもてなし」という申し出に心を動かされたことを示している可能性があります。あるものをどうしても自分のものにしたいけれど、それは主のみこころではないという場合に、「何とかならないだろうか」と考えて道を探るということです。私たちにも身に覚えはないでしょうか。バラムとしては、もう一晩待ってみようということです。
 確かに、最初の要請を受けたときも、バラムは一晩待って主からのお告げを待ちました。けれども、その時に、主はバラムに対して、イスラエルの民をのろってはならないということを、明確に示されました。ですから、もう、さらなるお告げを待つべき理由はありませんでした。それなのに、バラムは、主のお告げが変わるかも知れないことを期待して、もう一晩待ってみようとしました。
 続く20節には、

その夜、神はバラムのところに来て、彼に言われた。「この者たちがあなたを招きに来たのなら、立って彼らとともに行け。だが、あなたはただ、わたしがあなたに告げることだけを行え。

と記されています。主はそのようなバラムの内に潜んでいる思いを捕らえて、その家臣たちとともに行けと言われたのではないでしょうか。そして、続く21節ー34節に記されている。有名な「ろばがバラムに語る」という出来事をとおして、バラムが、内に秘めている思いに基づいてしようとしていたことが、どんなに危険なことであったかを教えてくださったのではないでしょうか。
 その出来事は次のようなことです。
 神のお告げに従って、バラムは出かけましたが、バラムが乗ったろばが「の使いが抜き身の剣を手に持って道に立ちふさがっているのを見たので」それ以上先に進むことができなくなってしまいました。それで、バラムがロバを打ち叩くということが3度繰り返されました。その時に、主がろばの口を開かれたので、ろばが口を開いてバラムに抗議するようになったのです。その後、主がバラムの目を開いて「の使いが抜き身の剣を手に持って道に立ちふさがっているのを」見ることができるようにされました。「の使い」はバラムに、

なぜ、あなたは、あなたのろばを三度も打ったのか。敵対して出て来たのはわたしだったのだ。あなたの道がわたしとは反対に向いていたからだ。ろばはわたしを見て、三度もわたしから身を巡らしたのだ。もしかして、ろばがわたしから身を巡らしていなかったなら、わたしは今はもう、あなたを殺しており、ろばを生かしておいたことだろう。

と言いました。これに対して、バラムは、

 私は罪を犯しました。

と告白しています。このことを受けて、先ほど引用しました、ペテロの手紙第二・2章15節に続く16節には、

しかし、バラムは自分の罪をとがめられました。ものを言うことのないろばが、人間の声でものを言い、この預言者の狂った振舞いをはばんだのです。

と記されています。
 とはいえ、このことに関する民数記の記事を読みますと、バラムはただ主、ヤハウェの指示に従っているだけのように見えます。けれども、バラムのうちにバラクが提示している「手厚いもてなし」への執着心があって、それがバラクを動かしていたということを踏まえて読みますと納得できます。そのままでは、バラムはバラクの「手厚いもてなし」に目がくらんで、バラクの期待することに応えようとしていたかも知れません。
 このような主、ヤハウェの働きかけがあって、バラムはイスラエルをのろうことはしないばかりか、かえって、祝福しました。それも、3回繰り返されました。
 主のこのような警告にもかかわらず、バラムの欲望は変わらなかったようです。24章11節には、バラムがイスラエルをのろうことをしないで、かえって、祝福してしまったことに怒ったバラクが、

今、あなたは自分のところに下がれ。私はあなたを手厚くもてなすつもりでいたが、がもう、そのもてなしを拒まれたのだ。

と言ったことが記されています。バラクは最後まで「手厚いもてなし」を持ち出しています。そして、もう「手厚いもてなし」はあげないという、脅しをかけています。
 黙示録2章14節に、

バラムはバラクに教えて、イスラエルの人々の前に、つまずきの石を置き、偶像の神にささげた物を食べさせ、また不品行を行わせた。

と記されていることは、主、ヤハウェが恐ろしくて、バラクの求めに応じてイスラエルをのろうことをしなかったバラムが、バラクがちらつかせている「手厚いもてなし」のために、秘かに、作戦を授けたということを意味しています。それが、先ほどの民数記25章1節ー3節に記されています、モアブの娘たちとミデヤンの娘たちを使って、イスラエルの民を誘惑して、不品行と偶像礼拝へと引き入れたということです。
 民数記25章にはバラムが出てきませんので、25章ではそれがバラムの入れ知恵であることは分かりません。それは、ずっと後の、
先ほど引用しました31章16節で、この時の出来事が「バラムの事件」であったと言われていることで始めて分かるようになっています。この出来事自体を記している25章にバラムの名が出てこないことに、バラムが表舞台ではなく裏で働いていたことが象徴的に示されています。
 先ほど引用しましたペテロの手紙第二・2章15節とユダ11節で「彼らは」と言われているのは、同じ特質をもっている人々です。
 ペテロの手紙第二・2章15節で、

彼らは正しい道を捨ててさまよっています。不義の報酬を愛したベオルの子バラムの道に従ったのです。

と言われているときの「彼ら」は、同じ2章の1節ー2節に、

しかし、イスラエルの中には、にせ預言者も出ました。同じように、あなたがたの中にも、にせ教師が現れるようになります。彼らは、滅びをもたらす異端をひそかに持ち込み、自分たちを買い取ってくださった主を否定するようなことさえして、自分たちの身にすみやかな滅びを招いています。そして、多くの者が彼らの好色にならい、そのために真理の道がそしりを受けるのです。

と記されている中に出てきます「にせ教師」たちです。また、ユダ11節で、

 彼らは・・・利益のためにバラムの迷いに陥り

と言われているときの「彼ら」は、3節ー4節に、

愛する人々。私はあなたがたに、私たちがともに受けている救いについて手紙を書こうとして、あらゆる努力をしていましたが、聖徒にひとたび伝えられた信仰のために戦うよう、あなたがたに勧める手紙を書く必要が生じました。というのは、ある人々が、ひそかに忍び込んで来たからです。彼らは、このようなさばきに会うと昔から前もってしるされている人々で、不敬虔な者であり、私たちの神の恵みを放縦に変えて、私たちの唯一の支配者であり主であるイエス・キリストを否定する人たちです。

と記されている中に出てくる「ひそかに忍び込んで来た」「ある人々」です。どちらも、利得のために道を曲げてしまったバラムの道に陥っているにせ教師、にせ預言者、にせ使徒たちです。
 彼らは、主を愛して主のみこころに従うのではなく、自分の利得のために、福音のみことばを曲げてしまい、自らの滅びを招くだけでなく、人々を福音のみことばから引き離して、滅びへと至らせてしまうようなことをしています。その利得とは、必ずしも金銭的な利得とは限りません。自らの名誉や名声、人々からの賞賛など、いろいろなことが考えられます。
 黙示録2章14節に記されています「バラムの教え」も、このようなにせ教師、にせ預言者、にせ使徒たちの教えの一つです。

 これらのことを踏まえて、改めて、黙示録2章14節に記されているバラムの働きを見てみますと、そこには、

バラムはバラクに教えて、イスラエルの人々の前に、つまずきの石を置き、偶像の神にささげた物を食べさせ、また不品行を行わせた。

と記されています。
 ここで言われている「偶像の神にささげた物を食べさせ」ることは、偶像を礼拝することに関わる食事に参加することです。これは、パウロがコリント人への手紙第一・8章で取り扱っている、市場で売られている肉の中に偶像に供えられたものも混じっているということに関連するものではありません。
 また「不品行を行わせた」と言われているときの「不品行」については、意見が分かれています。
 このことばは、ここでは動詞(ポルネウオー)ですが、これに相当する名詞(ポルネイア)も含めて見てみますと、黙示録の中では、文字通りの「不品行」を表す場合(9章21節、21章8節、22章15節)と、比喩的に「偶像礼拝」を表す場合(14章8節、17章2節、4節、18章3節、9節)があります。言うまでもなく、この「偶像礼拝」には皇帝礼拝も含まれます。その他、この2章14節のように、どちらか判断が難しい場合(2章21節)もあります。それで、ここ2章14節で「不品行を行わせた」と言われているときの「不品行」も、この二つの可能性に従って、見方が別れているのです。
 おそらく、「偶像の神にささげた物を食べさせ」ることは、偶像を礼拝することに関わる食事に参加することですので、それは偶像礼拝を代表的に表していると考えられます。そうであるとしますと、「不品行」は文字通りの「不品行」で、これが代表的に不道徳的な生活のことを表していると考えられます。
 また、ここ2章14節ー15節では「バラムの教え」と「ニコライ派の教え」が、少なくとも、非常によく似ているということと、「ニコライ派の教え」が初期のグノーシス主義の傾向をもっていると考えられていることからしますと、「バラムの教え」も「ニコライ派の教え」も、無律法主義的なものであったと考えられます。つまり、自分たちはきよめられてしまったので、何をしても汚れることはない、だから、何をしてもいいというような教え、あるいは、自分たちは律法の下から解放されて、自由になったのだから、何をしても自由であるというような教え、あるいはまた、自分たちは完全に贖われているのだから、何をしても神の御前に有罪とはされない、だから何をしてもよいというような教えであったと考えられます。
 そうであるとしますと、「バラムの教え」も「ニコライ派の教え」も、偶像礼拝を許容し、不道徳的な生き方も許容する、無律法主義的なものであったと考えられます。
 2章14節ー15節では、ペルガモにある教会には、このような教えを「奉じている人々がいる」と言われています。
 これに対して、2章6節では、

しかし、あなたにはこのことがある。あなたはニコライ派の人々の行いを憎んでいる。わたしもそれを憎んでいる。

と言われています。エペソにある教会の信徒たちは、偶像礼拝を許容し、不道徳的な生き方も許容する、無律法主義的な教えに従って生きている人々の行いを憎んでいました。
 ここで「憎んでいる」ということばが用いられいていることから、いろいろなことが論じられています。中には、マタイの福音書5章44節に記されています、

 自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。

というイエス・キリストの教えの基準に照らして見ると、まだ、そこまで到達していないという見方もあります。その人々は、イエス・キリストが、

 わたしもそれを憎んでいる。

と言われることも、実際に、イエス・キリストが言っておられることだとは考えていません。
 けれども、ここで「憎んでいる」と言われていることは、「愛している」ということの反対です。そして、この二つのことの間には、愛していないけれども憎んでもいないというような中間状態がないのです。イエス・キリストにとっても、イエス・キリストに従っている者たちにとっても、ニコライ派の人々の教えとそれに基づく行いは、どうでもよいものではなく、断固拒絶しなくてはならないものです。ここでは、その意味で「憎んでいる」と言われています。
 もう一つ注意しなければならないことは、イエス・キリストが、

 あなたはニコライ派の人々の行いを憎んでいる。わたしもそれを憎んでいる。

と言われるとき、エペソにある教会の信徒たちも、イエス・キリストも、「ニコライ派の人々」を憎んでいるとは言われていません。その教えと、それに基づく行いを、きっぱりと退けているということです。「ニコライ派の人々の教え」を奉じている人々のためにとりなし祈ることや、本来の福音のみことばをあかしするための具体的な働きかけまで否定したということではありません。
 いずれにしましても、このことは、すでにお話ししましたように、エペソが今日、世界の7不思議の一つに数えられているアルテミス神殿の門前町であり、アジア州における皇帝礼拝の中心地でもあったことを考えますと、特筆すべきことでした。エペソはアジア州の中心として繁栄していましたが、その繁栄を支えていたのは地中海交易の要所としての港をもっていたことと、アルテミス神殿があったことでした。エペソで経済活動を続けている人々にとっては、なんらかの形で、アルテミス神殿に関わり、皇帝礼拝に参加することが有利に働きました。それ以上に、黙示録13章17節に、

また、その刻印、すなわち、あの獣の名、またはその名の数字を持っている者以外は、だれも、買うことも、売ることもできないようにした。

と記されていること、すなわち、皇帝礼拝をしない人々は自由に経済活動をすることができないということは、この時のアジア州での現実でした。そのような現実の中では、ニコライ派の人々の教えは都合のよいものと思われたことでしょう。しかし、エペソにある教会の信徒たちは、自分たちが不利な立場に立つことをもいとわず、「ニコライ派の人々の教え」を退け、その教えに従って有利に立ち回ろうとする誘惑を、犠牲を覚悟で退けていたのです。
 このことを考えますと、イエス・キリストが、

 しかし、あなたにはこのことがある。

という言い方で、特筆すべきこととして、

 あなたはニコライ派の人々の行いを憎んでいる。わたしもそれを憎んでいる。

と言われたことも了解できます。
 このイエス・キリストのみことばは、今日の私たちの心のうちを探るようなみことばです。


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