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説教日:2014年5月11日 |
イエス・キリストは、まず、2節ー3節で、エペソにある教会の信徒たちが「使徒と自称しているが実はそうでない者たちをためして、その偽りを見抜いたこと」を認めてくださり、賞賛してくださっています。そして、続く4節では、 しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。 というエペソにある教会の実情を指摘しておられます。「初めの愛」と言われていますように、エペソにある教会はもともと愛の共同体として形成されました。それが、この時までに、その愛が失われてしまっていました。 このようなことを読みますと、これはエペソにある教会にかかわることだから、エペソにある教会の信徒たちは当然この実情を知っていたはずだと思ってしまいがちです。けれども、自分自身のことを振り返ってみましても、自分が本来のあり方からどれほど離れてしまっているかについて、それほどよく分かっているわけではありません。特に、それが長い時間をかけて徐々に進行していった結果であれば、それに気づくことは難しいのです。 ただ、黙示録が記された時がいつであるかについては意見が分かれていて、それぞれに言い分がありますので、はっきりしたことは分かりません。それで、エペソにある教会のことも、その初めの時代からどれほどの時が経って、「初めの愛」が失われてしまったのかはっきりしません。この点に関してはすでに簡単にお話ししたことがありますが、もう少しお話ししたいと思います。 エペソで最初に伝道がなされたのはパウロの第2次伝道旅行の時のことで、紀元52年であると考えられています。そのときのパウロのエペソでの滞在は短く、そこまで同行してきたアクラとプリスキラを残して、そこを去りました。そのことは、使徒の働き18章18節ー21節と24節ー26節を併せて読むと分かります。そして、53年ー56年にわたってなされたと考えられている、パウロの第3次伝道旅行の最終目的地はエペソで、パウロはそこに2年ほど滞在してみことばを宣べ伝えました(使徒の働き19章10節)。このようなわけで、エペソにある教会は52年から56年にかけて、パウロとその同労者たちの働きによって形成されたと考えられます。 その一方で、黙示録はローマ帝国でクリスチャンに対する迫害が激しくなった時代を背景にして記されていると考えられます。これに当てはまる時代については二つの見方があります。そのうちの早い時代であるとする見方は、ネロの治世(54年ー68年)であるとしています。ローマにおいてネロによる迫害が激しくなったのは、64年に起こった大火災によってローマが大きな被害を受けた時のことです。それがネロによる放火であるという噂が広まったので、ネロはそれがクリスチャンの仕業であるとして、きわめて残虐な仕方でクリスチャンを迫害したと言われています。[『旧約・新約 聖書大事典』は、タキトゥスによるこの話、つまり、ローマの大火災とクリスチャンの迫害の関連性の信憑性に懐疑的です(876頁)。] この見方(早期説)が正しければ、イエス・キリストがその栄光の御姿をヨハネに現してくださって、ヨハネに黙示による啓示を与えてくださったのは、エペソにある教会が形成されてから約10年後のことであるということになります。10年の間にエペソにある教会から「初めの愛」が失われてしまったということであっても、それは徐々に起こったことであるとも言えます。 一般的には、黙示録が記された年代としては、黙示録に記されていることとその当時の歴史的な事情から、ドミティアヌス帝の時代の方がより可能性が高いとされています。その時代に「大迫害」と呼ばれる迫害が起こり、それは特にローマの属州であるアジアにおいて激しかったと言われています。エペソにある教会はそのアジア州の中心地であり、アルテミス神殿の門前町であり、皇帝礼拝の中心地でした。黙示録が記されたのがその時代のことであるとしますと、ドミティアヌス帝の在位が81年ー96年ですので、エペソにある教会が形成されてから、30年から40年ほど後のことになります。この場合には、エペソにある教会では世代交代が起こっていた可能性もあります。いろいろな事情が重なり長い期間にわたって徐々に「初めの愛」が失われていったと考えられます。 黙示録2章では、続いて、5節で、 それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行いをしなさい。 と戒められています。もし、このイエス・キリストのみことばが、ドミティアヌス帝の治世において迫害にさらされていたエペソにある教会に対して語られたとしますと、そして、その可能性は高いのですが、この、 あなたは、どこから落ちたかを思い出しなさい というイエス・キリストのみことばが求めていることは、個人が記憶をたどればすぐに思い出すことができるというようなものではないと考えられます。それは、契約共同体としての教会が、世代を越えて、心を合わせ、信仰の先達たちのあかしにも耳を傾け、自分たちの歩んできた道を振り返って初めて、気づくことができることですし、信仰の家族が心を一つにして悔い改め、「初めの行い」すなわち「初めの愛」を具体的な形で現すようにすべきことであったと考えられます。 イエス・キリストがヨハネにご自身の栄光の御姿を現され、黙示による啓示を与えてくださったのは、ドミティアヌス帝の治世のことである可能性が高いことから、このようなお話をしていますが、世代を越えて過去を振り返って、今を生きなければならないことは、私たちにも当てはまります。 私たちのほとんどは敗戦後に福音のみことばに触れて、イエス・キリストを信じています。しかし、私たちは「この時代にある」キリストのからだである教会としての自覚とともに、「この国にある」キリストのからだである教会としての自覚をもっています。ちなみに、私たちは自分たちのことを「日本長老教会」と名乗っています。この日本名ですと分かりにくいのですが、英語名はPresbyterian Church in Japan で「日本にある長老教会」という意味です。これによって、この国にあるキリストのからだである教会としての自覚をもっていることを表明しています。その意味で、この国の戦前、戦中の教会のあり方をも自らのこととして、絶えず振り返って、悔い改めをもって、歩み続けなければならないものです。その時代に、この国の教会が神社参拝に加わり、隣国の教会にもそれを奨励したこと、さらに、国家が神のかたちに造られた人の尊厳性と良心の自由を踏みにじるような体制を形成しつつ、侵略戦争へと突き進んだときにそれを止められなかったばかりが、積極的にそれに加担してしまったことなどを、部外者の立場に立って、あれはひと昔前の人たちが犯した過ちであったとして、済ますことはできません。また、単なる悔いをもって終わるのではなく、今この時ここで、目を覚まして、国のためにとりなし祈る者としても召されています。テモテへの手紙第一・2章1節ー3節には、 そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。 と記されています。 もちろん、私たちは使徒信条で「私は聖なる公同の教会を信じています」と告白しています。私たちは、キリストのからだである教会が歴史を越えて存在する一つの教会であることを信じていますし、私たちがそれに属していることを告白しているのです。その意味で、私たちは公同教会の過去の歴史を振り返って、今自分たちがどこに立っているかを見据えている必要があります。実際に、教会の歴史の中でさまざまな誤りが繰り返されたことがあります。それに対して、それは昔の人々がしたことであるとか、違う立場の人々のしたことであるとか言って済ますことはできません。もし私たちが同じ立場にあったとしたら、どうだったでしょうか。主はご存知です。 話を元に戻しますが、仮に、このみことばがエペソにある教会に語られたのが、ネロの治世においてであっても、また別の意味で、同じように契約共同体としての教会が心を合わせて取り組まなければならない問題であると考えられます。わずか10年の間に「初めの愛」を捨ててしまい、それをイエス・キリストによって指摘されなければならなかったのです。このことは、イエス・キリストがこのことを指摘してくださって、さらに、 もしそうでなく、悔い改めることをしないならば、わたしは、あなたのところに行って、あなたの燭台をその置かれた所から取りはずしてしまおう。 という警告をしてくださるまで、その深刻さに気づくことができない状態になってしまっているという、まさに深刻な状態に陥っていることを意味しています。やはり、契約共同体としての教会が心を合わせ、自分たちの歩んできた道を振り返って初めて、気づくことができることですし、信仰の家族が心を一つにして悔い改め、「初めの行い」すなわち「初めの愛」を具体的な形で現すようにすべきことであったと考えられます。 イエス・キリストは、 もしそうでなく、悔い改めることをしないならば、わたしは、あなたのところに行って、あなたの燭台をその置かれた所から取りはずしてしまおう。 という警告を与えておられます。 先主日は、この、 わたしは、あなたのところに行って、 ということは、終わりの日にイエス・キリストが再び来られることではないということをお話ししました。これには、少なくとも二つの理由があります。一つは、「あなたのところに」という限定があることです。終わりの日におけるイエス・キリストの再臨はすべての人に対して起こることであって、このような限定がありません。また、この場合に、イエス・キリストがさばきのために来られることは、 悔い改めることをしないならば、 という前提条件があり、もし、エペソにある教会の信徒たちが真実に悔い改めて、「初めの行い」をするようになれば、イエス・キリストは来られないということを意味しています。これに対して、終わりの日にイエス・キリストが再臨されることには、そのような条件がついていません。 また、先主日は、イエス・キリストが、 あなたの燭台をその置かれた所から取りはずしてしまおう と言われたことは、教会の存在そのものが取り去られることを意味しているということをお話ししました。 余談のようになりますが、このことと関連して、エペソが地中海貿易の要所として繁栄していたことと、カイストロス川の河口付近に位置していたことに由来する、いくつかのことが言われているようです。 たとえば、エペソは、カイストロス川が運んでくる土砂が堆積して港が埋まってしまうという、その意味でエペソにとっては死活問題となることに直面していたように、エペソにある教会も死活問題に直面していたということです。 あるいは、その堆積のために町そのものが海側に広がっていき、相対的にエペソにある教会が海から離れていくようになっていったことが、エペソにある教会の存在が移されてしまうことを象徴的に表しているというようなことです。 あるいは、地中海貿易の要所として繁栄していた町ということで、町が海側に広がっていけば港もそれに応じて海側に移動していきます。特に、交易に従事している人々の居住区域も、今日のように交通機関が発達しているわけではありませんから、海側に移動していき、エペソにある教会も移動していったのではないか、これがエペソにある教会の存在が移されることを思い起こさせるというようなことです。 ただし、 あなたの燭台をその置かれた所から取りはずしてしまおう というイエス・キリストのみことばを聞いて、エペソにある教会の信徒たちが自然とこのようなことを思い出したかどうかは、かなり疑問のあるところです。 また、先主日は、このイエス・キリストの警告には「教育的な意味」があるということもお話ししました。イエス・キリストはこのように警告してくださることによって、エペソにある教会の信徒たちに、教会が愛を失ってしまうことは、教会がキリストのからだである教会としての本質的な特性を失ってしまうことであるということ教えてくださっているということです。しかも、これは普通の教えでことばを重ねて強調するよりもはるかに効果的に、この問題がどんなに深刻なことであるかを伝えています。 このことから、イエス・キリストが警告のみことばを与えてくださっていることが、どのようなことであるかを、さらに考えることができます。 エペソ人への手紙はその手紙の宛先の教会のある町の名前が空白になっている写本もあるということや、記されている内容も、特定の教会の問題ではなく、どの教会にも当てはまる原則的なことが取り上げられているということなどから、もともとはエペソにある教会に宛てられた手紙ではなく、アジアにある七つの教会も含めて、いくつかの教会で回覧された手紙であると考えられています。 そうであっても、エペソという名がついている写本もあるとおり、エペソにある教会でもしっかりと読まれた手紙です。なぜしっかりと読まれたと言えるかといいますと、エペソにある教会の信徒たちがにせ使徒たちを試してその偽りの見抜いたほどであると言われているからです。エペソにある教会の信徒たちはそれくらいみことばの教えに通じていたのです。 少し前にそのエペソ人への手紙から引用しましたが、その手紙の中で、パウロは結婚における夫と妻の関係をキリストと教会の関係にたとえて教えています。5章25節ー27節には、 夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。 と記されています。 ここで、イエス・キリストは「教会を愛し、教会のためにご自身をささげられた」方であると言われています。イエス・キリストが「教会を愛し、教会のためにご自身をささげられた」ということはそのままエペソにある教会に当てはまることです。もちろん、私たちの教会にも当てはまります。 何度も引用している個所ですが、ローマ人への手紙5章8節には、 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。 と記されています。ギリシャ語の時制に注目しますと、「キリストが私たちのために死んでくださった」の「死んでくださった」は不定過去時制で記されていて、過去のことを述べています。イエス・キリストは、今から2千年前に十字架にかかって死んでくださいました。このことによって、父なる神さまの私たちへの愛がこのうえなく深く豊かに表されました。それはそのとおりですが、ここでは、そのことが、新改訳の、 神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。 という訳のように現在時制で表されています。「キリストが私たちのために死んでくださった」ことに表されている、このうえなく深く豊かな父なる神さまの愛が、その時から変わることなく、今も示されているということです。 これと同じように、エペソ人への手紙5章25節で、 キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられた と言われていることは2千年前にイエス・キリストが十字架におかかりになったことを指していますが、その時、そのことによって表されたイエス・キリストの教会に対する愛は、今日に至るまで、変わることなく教会に注がれています。当然、エペソにある教会にも注がれていました。そのようにエペソにある教会を愛してくださっておられるイエス・キリストが、エペソにある教会の信徒たちに、 もしそうでなく、悔い改めることをしないならば、わたしは、あなたのところに行って、あなたの燭台をその置かれた所から取りはずしてしまおう。 と言われたのです。とても、平然とさばきの宣言をしておられるとは思われません。 エペソにある教会について言えば、イエス・キリストはエペソにある教会を愛して、そのために十字架におかかりになって、信徒たちひとりひとりの罪に対する神さまの聖なる御怒りによるさばきを、彼らに代わって受けてくださいました。そのイエス・キリストは、エペソにある教会がこのままではキリストのからだである教会としての本質的な特性を失ってしまい、教会としての存在意義をも失ってしまうということ、ご自身の民ではなくなってしまうということに心を痛めて、このような厳しい警告をしておられると言う他はありません。 ルカの福音書19章41節ー44節には、 エルサレムに近くなったころ、都を見られたイエスは、その都のために泣いて、言われた。「おまえも、もし、この日のうちに、平和のことを知っていたのなら。しかし今は、そのことがおまえの目から隠されている。やがておまえの敵が、おまえに対して塁を築き、回りを取り巻き、四方から攻め寄せ、そしておまえとその中の子どもたちを地にたたきつけ、おまえの中で、一つの石もほかの石の上に積まれたままでは残されない日が、やって来る。それはおまえが、神の訪れの時を知らなかったからだ。」 と記されています。 ここでは、紀元70年に起こったローマ軍がエルサレムを包囲して、ついにはエルサレムの城壁が打ち破られ、エルサレム神殿が徹底的に破壊されてしまうようになることを、イエス・キリストが預言的に語っておられることが記されています。これはエルサレムに対するさばきの宣言であると言えますが、イエス・キリストは平然とこのような宣言をすることができませんでした。イエス・キリストはエルサレムのことを思って、そのために泣かれたと言われています。ここで「泣く」と訳されていることば(クライオー)は、単に涙を流すということでなく、文字通り泣くことを意味しています。マタイの福音書2章16節ー18節には、イエス・キリストがお生まれになった時に、ヘロデがベツレヘム近郊の2歳以下の子どもたちを虐殺したことが記されています。その中の18節には、 ラマで声がする。 泣き、そして嘆き叫ぶ声。 ラケルがその子らのために泣いている。 と記されています。この最後で、 ラケルがその子らのために泣いている。 と言われているときの「泣いている」がこのことばで表されています。これは自分の子どもたちを失った母親が泣くことですから、だれはばかることなく泣くことです。イエス・キリストもそのようにして、心底、エルサレムのために泣かれたのであると考えられます。間もなくご自分を見捨てて、異邦人であるローマの兵士たちの手によって十字架につけて殺すことになるエルサレムのためにです。 また、同じルカの福音書23章34節には、十字架につけられたイエス・キリストが、 父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。 と祈られたことが記されています。それも、イエス・キリストを十字架につけたローマの兵士たちのためである以上に、イエス・キリストを彼らに渡したエルサレムの住人たちのための祈りです。 このようなことを考え合わせますと、黙示録2章5節で、イエス・キリストが、 もしそうでなく、悔い改めることをしないならば、わたしは、あなたのところに行って、あなたの燭台をその置かれた所から取りはずしてしまおう。 という警告を与えておられることには、何とかして、エペソにある教会をご自身のからだである教会として、本来の姿に回復しようとしておられるイエス・キリストの深い御思いが込められていると言う他はありません。その御思いは、また、このように警告を与えておられることは、イエス・キリストのエペソにある教会に対する愛から出ています。 これに対して、イエス・キリストがエルサレムのために泣かれたのは、貧しくなって来られたときの地上の生涯のことであって、この時にエペソにある教会に語っておられるのは栄光のキリストであるから、イエス・キリストが涙を流すようなことはないと言う人がいるとしたら、いないと思いますが、仮にいるとしたら、その人はイエス・キリストがお受けになった栄光がどのような栄光であるかを誤解しています。あるいは、イエス・キリストをとおして表された神さまの栄光を人の思いでねじ曲げてしまっています。 天上のシーンを描いている黙示録5章6節には、 さらに私は、御座――そこには、四つの生き物がいる――と、長老たちとの間に、ほふられたと見える小羊が立っているのを見た。 と記されています。栄光を受けて天に上り、父なる神さまの右の座に着座された栄光のキリストの御姿は、明らかに「ほふられたと見える小羊」でした。イエス・キリストが「教会を愛し、教会のためにご自身をささげられた」ことにこそ、イエス・キリストの栄光が最も豊かに現されています。 エペソ人への手紙5章26節ー27節では、イエス・キリストが「教会を愛し、教会のためにご自身をささげられた」のは、 みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。 と言われています。黙示録2章5節で、イエス・キリストが、 もしそうでなく、悔い改めることをしないならば、わたしは、あなたのところに行って、あなたの燭台をその置かれた所から取りはずしてしまおう。 という警告を与えておられることは、まさに、 みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。 と言われていることをエペソにある教会に対して実現してくださっていることに他なりません。 先主日にお話ししましたように、使途たちから直接教えられた恐怖の一人であるイグナティオス(イグナティウス)は、そのエペソにある教会への手紙において、エペソにある教会が「賞賛に値する」教会であることを示しています。また、さらに後のことですが、教会の公会議が、431年に、エペソで開催されたことも知られています。エペソにある教会は、主の御前に悔い改めて、「初めの愛」を回復したようです。エペソにある教会に厳しい警告を与えてくださった主が、御霊によって、エペソにある教会を回復へと導いてくださったということでしょう。 |
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