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説教日:2012年6月3日 |
この挨拶でヨハネは、父なる神さまのことを、 今いまし、昔いまし、後に来られる方 と呼んでおり、御霊のことを、 御座の前におられる七つの御霊 と呼んでいます。そして、イエス・キリストのことを、 忠実な証人、死者の中から最初によみがえられた方、地上の王たちの支配者であるイエス・キリスト と呼んでいます。 まず、このこととのかかわりで、すでにお話ししたことですが、二つのことに触れておきます。 第一に、ヨハネが三位一体の御父、御子、御霊をこのような呼び方で呼んでいるのは、栄光のキリストがヨハネに示してくださった啓示に基づいています。そして、それぞれの呼び方が示していることが、ローマ帝国というその当時の最強の帝国からの迫害を受けている「アジヤにある七つの教会」にとって、ひいては、「アジヤにある七つの教会」が代表的に表している主の契約の民すべてにとって意味があると考えてのことです。具体的に、それぞれの呼び方がどのような意味があるかということは、これまで、その一つ一つの呼び方についてお話ししてきたことの中で取り上げてきました。きょうもその点について触れることになります。 第二に、これらの呼び方を比べてみますと、イエス・キリストについての呼び方がいちばん詳しくなっています。そればかりでなく、これに続いて5節後半ー6節には、 イエス・キリストは私たちを愛して、その血によって私たちを罪から解き放ち、また、私たちを王国とし、ご自分の父である神のために祭司としてくださった方である。キリストに栄光と力とが、とこしえにあるように。アーメン。 と記されています。これは、イエス・キリストが私たち主の契約の民のために成し遂げられた贖いの御業についての説明とイエス・キリストへの頌栄です。 このように、ここでヨハネは「アジヤにある七つの教会」に三位一体の御父、御子、御霊からの「恵みと平安」があることを祈り求めていますが、その「恵みと平安」の源として、栄光のキリストが中心となっています。 これまで2回にわたって、この挨拶の中で、イエス・キリストが「忠実な証人」と呼ばれていることについてお話ししました。きょうは、それに続いて、イエス・キリストが、 死者の中から最初によみがえられた方 と呼ばれていることについてお話しします。 まず、ことばの問題についてお話しします。この、 死者の中から最初によみがえられた方 と訳されたことば(ホ・プロートトコス・トー・ネクローン)は意訳、つまり、意味を明らかにするための訳です。これを直訳調に訳しますと、 死者たちの長子 となります。 新改訳が「最初によみがえられた方」と訳していることば(プロートトコス)は、「最初に生まれた者」、すなわち「長子」を意味しています。この意味を生かして訳せば、新改訳の、 死者の中から最初によみがえられた方 という訳は、 死者の中から最初に生まれた方 となります。けれども、これでは、意味が分かりにくいので、 死者の中から最初によみがえられた方 と訳しているわけです。 このことば(プロートトコス)には、「最初に生まれた者」という日本語のことばから私たちが普通に考える時間的に「最初に生まれた者」という意味だけではなく、それとは少し違った意味合いもあります。 このことばの背景となっているのは、その当時のユダヤの社会においては、その他の古代オリエントの社会と同じですが、「最初に生まれた者」、「長子」(ヘブル語・ベコール、ギリシャ語・プロートトコス)は特別な権利をもっていました。彼は食卓において上座に着き、父のより多くの財産を相続して、やがて、その家のかしらになります。申命記21章15節ー17節には、 ある人がふたりの妻を持ち、ひとりは愛され、ひとりはきらわれており、愛されている者も、きらわれている者も、その人に男の子を産み、長子はきらわれている妻の子である場合、その人が自分の息子たちに財産を譲る日に、長子である、そのきらわれている者の子をさしおいて、愛されている者の子を長子として扱うことはできない。きらわれている妻の子を長子として認め、自分の全財産の中から、二倍の分け前を彼に与えなければならない。彼は、その人の力の初めであるから、長子の権利は、彼のものである。 というような規定まで記されています。 この場合の「長子」は、先ほどの申命記の規定のように、必ずしもほかの兄弟たちと同じ母から生まれているとは限りませんが、少なくとも同じ父から生まれています。ただ、生まれてきた順序がいちばん先の男子であったということです。その意味では、「長子」はほかの兄弟たちと同じように、父の子どものひとりです。 このように、家族関係において、「長子」ということばは、時間的に先に生まれていることを表すとともに、立場において、優位であり、特権的な立場にあることを表します。 けれども、これが家族関係における「長子」のことではなく、いわば、比喩的な意味で用いられている場合には、時間的に先に生まれているという意味合いよりは、立場において優位であり、特権的、主権的な立場にあるという意味合いが強くなることがあります。 たとえば、このことば(プロートトコス)は、コロサイ人への手紙1章15節には、 御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。 と記されています。ここで、御子イエス・キリストのことが、 造られたすべてのものより先に生まれた方 と言われています。これ(プロートトコス・パセース・クティセオース)は直訳では、 造られたすべてのものの長子 となります。 この場合、御子イエス・キリストが、 造られたすべてのものより先に生まれた方 と呼ばれているからということで、御子イエス・キリストは最初に造られたものであるという主張がなされるかもしれません。これは古代教会のアレイオス派(アリウス派)や今日の、「エホバの証人」の主張です。 けれども、ギリシャ語には「最初に造られたもの」を表わすことば(プロートクティストス)、あるいは、「最初に形造られたもの」を表わすことば(プロートプラストス)があります。さらに、続く16節には、 なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。 と記されていて、御子イエス・キリストが、 造られたすべてのものより先に生まれた方 と呼ばれている理由が示されています。ここでは、御子イエス・キリストは「万物」(タ・パンタ)と区別されています。この「万物」は、ここでは、 天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も というように説明されていて、およそ造られたものすべてを意味しています。それで、この「万物」を「御子以外のすべてのもの」であると理解することはできません。つまり、「エホバの証人」の言うように、御子が最初に造られ、「御子以外のすべてのもの」は御子によって造られたというように理解することはできないということです。 もしパウロが「御子以外のすべてのもの」ということを表そうとしたのであれば、この「万物」ということば(タ・パンタ)ではなく、「それ以外のすべてのもの」を表わすことば(タ・アラ)や「残りのすべてのもの」を表わすことば(タ・ロイパ)があります。 ですから、コロサイ人への手紙1章15節で、御子イエス・キリストのことが、 造られたすべてのものより先に生まれた方 と言われていても、それは、御子イエス・キリストが「造られたすべてのもの」の一部であるということを意味してはいません。その点では、兄弟たちの中の「長子」とは違っています。 同時に、ここで、このような「最初に生まれた者」、「長子」を意味することばが用いられていることには意味があります。先ほど引用しました16節では、 なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。 と言われていて、御子イエス・キリストが 造られたすべてのものより先に生まれた方 と言われている理由が示されていました。このことから分かりますように、御子イエス・キリストは創造の御業を遂行された方として、「万物」と深くかかわってくださる方であることが示されています。つまり、御子イエス・キリストは「万物」からまったく隔絶された方ではなく、創造の御業と摂理の御業によって、ご自身がお造りになったこの世界の「すべてのもの」(タ・パンタ)と深くかかわってくださり、「すべてのもの」を支え、導いてくださっている主権者であるのです。コロサイ人への手紙1章16節では、御子イエス・キリストが創造の御業を遂行された方であることが示されています。御子イエス・キリストが摂理の御業を遂行しておられることは、ヘブル人への手紙1章3節に、 御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。 と記されています。 このように、「最初に生まれた者」、「長子」ということば(プロートトコス)が家族関係における「長子」のことではない場合には、時間的に先に生まれているという意味合いよりは、立場において優位であり、特権的、主権的な立場にあるという意味合いが前面に出てきます。 黙示録1章5節において、イエス・キリストのことが、 死者の中から最初によみがえられた方 と呼ばれています。直訳では、 死者たちの長子 です。この場合も、イエス・キリストと「死者たち」が兄弟であるということよりは、イエス・キリストの立場の優位性、主権性を示していると考えられます。そのことは、この、 死者たちの長子 という言葉の背景から考えられます。 5節では、これに続いて、イエス・キリストのことが、 地上の王たちの支配者 と呼ばれています。これは、詩篇89篇27節に記されています、 わたしもまた、彼をわたしの長子とし、 地の王たちのうちの最も高い者としよう。 というみことばの後半の、 地の王たちのうちの最も高い者としよう。 というみことばを背景としています。これにつきましては日を改めてお話ししますが、このことから、その前の、 わたしもまた、彼をわたしの長子とし、 というみことばが、黙示録1章5節で、イエス・キリストのことが、 死者たちの長子 と呼ばれていることの背景になっていると考えられます。詩篇89篇27節で、 わたしもまた、彼をわたしの長子とし、 と言われているときの「彼」は、基本的に、ダビデを指しています。そのことは、これに続く28節、29節に、 わたしの恵みを彼のために永遠に保とう。 わたしの契約は彼に対して真実である。 わたしは彼の子孫をいつまでも、 彼の王座を天の日数のように、続かせよう。 と記されていることから分かります。ここに主の契約が出てきますが、これは主がダビデにお与えになった契約です。主が預言者ナタンをとおしてダビデに与えてくださった契約の約束を記している、サムエル記第二・7章12節ー14節前半には、 あなたの日数が満ち、あなたがあなたの先祖たちとともに眠るとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させる。彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしはその王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。わたしは彼にとって父となり、彼はわたしにとって子となる。 と記されています。この主の約束のみことばが、詩篇89篇28節、29節に記されている、 わたしの恵みを彼のために永遠に保とう。 わたしの契約は彼に対して真実である。 わたしは彼の子孫をいつまでも、 彼の王座を天の日数のように、続かせよう。 というみことばに反映しています。 今引用しました、サムエル記第二・7章14節前半には、 わたしは彼にとって父となり、彼はわたしにとって子となる。 と記されていました。これは詩篇89篇27節の前の26節に、 彼は、わたしを呼ぼう。 「あなたはわが父、わが神、わが救いの岩」と。 と記されていることに反映しています。 このように、詩篇89篇27節に記されている、 わたしもまた、彼をわたしの長子とし、 地の王たちのうちの最も高い者としよう。 というみことばに出てくる「彼」は、ダビデのことです。ここでは、主がダビデをご自身の「長子」としてくださると言われています。この場合の「長子」は、主との特別な関係にあることを意味しています。そして、そのことがどのようなことであるかが、 地の王たちのうちの最も高い者としよう。 と説明されています。この場合は「長子」であるダビデと「地の王たち」の関係は、兄弟の関係にはありません。ダビデは「地の王たち」の中で「最初に生まれた者」ではありませんし、最初に王になった者でもありません。ここでは「長子」であるダビデが主との特別な関係にあることが示されるとともに、「地の王たち」との関係における、ダビデの立場の優位性と主権性が示されています。 このように、この詩篇89篇27節に記されている、 わたしもまた、彼をわたしの長子とし、 地の王たちのうちの最も高い者としよう。 というみことばはダビデに与えられた契約とのかかわりで理解されるものです。このことから、この、 わたしもまた、彼をわたしの長子とし、 地の王たちのうちの最も高い者としよう。 という主のみことばは、ダビデだけではなく、ダビデに与えられた契約に約束されている永遠の王座に着座されるメシヤにも当てはまるものとして理解されるようになりました。そして、このことから、メシヤが契約の神である主の「長子」であるという理解が生まれてきました。そのことは、たとえば、ヘブル人への手紙1章5節、6節に、 神は、かつてどの御使いに向かって、こう言われたでしょう。 「あなたは、わたしの子。 きょう、わたしがあなたを生んだ。」 またさらに、 「わたしは彼の父となり、 彼はわたしの子となる。」 さらに、長子をこの世界にお送りになるとき、こう言われました。 「神の御使いはみな、彼を拝め。」 と記されていることに反映しています。これは約束のメシヤとして来られた御子イエス・キリストが、御使いたちより優位な立場にあり、 神の御使いはみな、彼を拝め。 というみことばから分かりますように、御使いたちの主であられることを示しています。そして、その御子イエス・キリストのことが「長子」と呼ばれています。この、 長子をこの世界にお送りになるとき、 というみことばの前に出てくる、 わたしは彼の父となり、 彼はわたしの子となる。 というみことばは、先ほど引用しましたサムエル記第二・7章14節前半に記されている、ダビデに与えられた契約の中に出てくるみことばで、詩篇89篇26節に反映していました。ですから、この「長子」は詩篇89篇27節に記されていました、 わたしもまた、彼をわたしの長子・・・としよう。 というみことばを反映しています。 黙示録1章5節において、イエス・キリストのことが、 死者の中から最初によみがえられた方 直訳で、 死者たちの長子 と呼ばれているときの「長子」ということば(プロートトコス)には、このような背景があります。ですから、この、 死者たちの長子 ということばは、イエス・キリストが、 死者の中から最初によみがえられた方 であるということだけでなく、そのような方として、イエス・キリストの立場の優位性と主権性を意味しています。そのような方として、イエス・キリストは、死の力を打ち砕かれました。ローマ人への手紙6章9節には、 キリストは死者の中からよみがえって、もはや死ぬことはなく、死はもはやキリストを支配しないことを、私たちは知っています。 と記されています。 また、黙示録1章17節後半ー18節には、クリストファニーにおいてご自身を現された栄光のキリストがヨハネに語られた、 恐れるな。わたしは、最初であり、最後であり、生きている者である。わたしは死んだが、見よ、いつまでも生きている。また、死とハデスとのかぎを持っている。 というみことばが記されています。 ここで、イエス・キリストは、「死とハデスとのかぎを持っている」と言われました。これは、イエス・キリストが「死とハデス」の門を開けたり閉めたりする権威を持っておられる方であられることを意味しています。そこから、イエス・キリストが「死とハデス」という領域をも支配し、治めておられる主権者であられることを意味しています。それは、ただイエス・キリストご自身が死によって支配されないということだけでなく、ご自身が十字架の死と死者の中からのよみがえりによって成し遂げられた罪の贖いに基づいて、ご自身の民を死の力から解き放ってくださる主権者であること、さらには、「死とハデス」の力に閉じ込められてしまっている人々をおさばきになる主権者であることを意味しています。 イエス・キリストはこのような方として、 死者たちの長子 と呼ばれています。黙示録20章14節に、 それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。 と記されています。黙示文学的な表象によって記されていますが、主旨は分かります。イエス・キリストは、最終的には、「死とハデス」そのものを滅ぼしてしまわれます。また、新しい天と新しい地のことを記している21章4節には、 もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。 と記されています。 これらのことから、ヨハネが自分の牧会する「アジヤにある七つの教会」に記した挨拶の中で、イエス・キリストのことを、 死者たちの長子 と呼んでいることには意味があったことが分かります。 「アジヤにある七つの教会」はローマ帝国という、その当時、地上で最強の帝国からの迫害にさらされていました。先主日お話ししましたように、すでに、その中には、死に至るまでいのちを惜しまず、イエス・キリストをあかしし続けた兄弟たちがいました。そのような厳しい状況にある「アジヤにある七つの教会」の信徒の方々にとって、また、同じように、地上の歩みの中で、イエス・キリストとその御業をあかししている私たちにとって、栄光のキリストが、 死者たちの長子 として、「死者たち」を治めておられる主権者であることは、深い慰めです。 ローマ帝国を初めとして、地上のいかなる国も、人を肉体的に殺すことができても、その民を死と滅びの力から解き放って、永遠のいのちに生かすことはできません。しかし、栄光のキリストは、ご自身の十字架の死と死者の中からのよみがえりによって、私たちご自身の民のために、罪の贖いを成し遂げてくださいました。そして、今すでに、その贖いの御業に基づいて、私たちを死と滅びの中から贖い出してくださり、永遠のいのちに生かしてくださっています。そればかりでなく、、終わりの日には、再び来られて、その贖いの御業に基づいて、私たちご自身の民の救いを完全に実現してくださいます、 私たちは自分たちがあかししている、イエス・キリストとイエス・キリストがご自身の十字架の死と死者の中からのよみがえりによって成し遂げてくださった贖いの御業にあずかって、永遠のいのちのうちを歩んでいます。私たちは、自分たちがあかししている方によって生かされて、生きているのです。このあかしは、私たちが今すでにあずかっている祝福への感謝の表現であるだけでなく、私たちの希望の告白でもあります。 |
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