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説教日:2002年3月10日 |
これらのことを踏まえて、改めて、11章1節〜44節に記されている、イエス・キリストがラザロをよみがえらせてくださったことを見てみましょう。 ベタニヤ村のマルタとマリヤの兄弟ラザロが重い病気になった時、イエス・キリストは、イエス・キリストを殺そうとしたユダヤ人の手を逃れて、ヨルダン川の川向こうに行っておられました。マルタとマリヤはイエス・キリストのもとに使いを遣わして、ラザロの病気のことを知らせました。 しかし、イエス・キリストは、使いが来てラザロの死を知らせてからなお、2日の間そこに留まられてから、ベタニヤに向けて旅立たれました。それは、ラザロが死んでしまうのを待っておられたということではありません。ベタニヤからイエス・キリストがおられた所までは、徒歩で1日の道のりでした。使いは1日かけてイエス・キリストのところに来て、ラザロの病気を告げました。それを聞いたイエス・キリストは、2日の後にベタニヤに向かって出発しました。それから1日かかって、ベタニヤに着きました。使いがベタニヤを出てから、4日が過ぎています。ところが、17節では、 それで、イエスがおいでになってみると、ラザロは墓の中に入れられて四日もたっていた。 と言われています。ですから、その使いが出発して間もなく、ラザロは死んでしまったのです。イエス・キリストが知らせを聞いてすぐに出発しても、ベタニヤには、ラザロの死後2日後にしか着きませんでした。 イエス・キリストが、知らせを聞いてなおも2日間留まっておられたのは、その当時、死者の魂はその人が死んだ後も、3日間その人の回りをさまよっているというような考え方があったこととかかわっていると思われます。ラザロのよみがえりが、ラザロが死んでから3日以内のことであれば、それはただ単にさまよっていた魂が戻っただけのことだと説明されて終わった可能性があります。 このイエス・キリストがラザロをよみがえらせてくださったことで、注目したいことが二つあります。 一つは、7節、8節に、 その後、イエスは、「もう一度ユダヤに行こう。」と弟子たちに言われた。弟子たちはイエスに言った。「先生。たった今ユダヤ人たちが、あなたを石打ちにしようとしていたのに、またそこにおいでになるのですか。」 と記されていることです。また、16節には、 そこで、デドモと呼ばれるトマスが、弟子の仲間に言った。「私たちも行って、主といっしょに死のうではないか。」 とも記されています。 弟子たちは、この時、イエス・キリストがユダヤの地に足を踏み入れることは、この上なく危険なことであることを身にしみて感じていました。 そのことは、マルタとマリヤも感じていたようです。3節にありますように、マルタとマリヤは使いを遣わして、 主よ。ご覧ください。あなたが愛しておられる者が病気です。 とだけ言い送りました。実際に、マルタとマリヤが考えていたことは、21節と32節に記されていますように、原文では言葉の順序が多少違いますが、ふたりが同じ言葉で、 主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。 と言っていることから十分に察せられます。マルタとマリヤは、イエス・キリストがそこにいてくださりさえすれば、ということを、お互いに、何度も言ったのだと思われます。 そのような思いをもっていたマルタとマリヤも、イエス・キリストに、ベタニヤに来てくださるように求めることはできませんでした。それは、ラザロが病におかされていることを告げさえすれば、イエス・キリストがみこころにしたがって最善のことをしてくださると、イエス・キリストを信頼してのことであったとも言えますが、それ以上に、イエス・キリストが、この時、なぜヨルダンの川向こうに行っておられるかを知っていたからであると思われます。 イエス・キリストを取り巻く状況はまことに厳しいものでしたが、それでも、イエス・キリストはベタニヤのマルタとマリヤのもとに行かれました。それは、5節に、 イエスはマルタとその姉妹とラザロとを愛しておられた。 と記されているとおり、イエス・キリストがマルタとマリヤとラザロを愛しておられたからです。それで、ラザロが死んでしまったという悲しいことをとおして、なおも、 わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。 というご自身のあかしを立てようとされたわけです。そのことは、4節に、記されていますように、ラザロの病気の知らせをお聞きになったイエス・キリストが、 この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。神の子がそれによって栄光を受けるためです。 と言われたことからも分かります。 このように、イエス・キリストは、ラザロの死という悲しい出来事に際して、マルタとマリヤのもとに行って、ラザロを死者の中からよみがえらせてくださるという「しるし」とともに、 わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。 というご自身のあかしを立ててくださいました。 しかし、それによって、祭司長とパリサイ人たちによる、イエス・キリストを殺す計画は一気に加速していきました。11章53節、54節には、 そこで彼らは、その日から、イエスを殺すための計画を立てた。そのために、イエスはもはやユダヤ人たちの間を公然と歩くことをしないで、そこから荒野に近い地方に去り、エフライムという町にはいり、弟子たちとともにそこに滞在された。 と記されています。さらに、57節には、 さて、祭司長、パリサイ人たちはイエスを捕えるために、イエスがどこにいるかを知っている者は届け出なければならないという命令を出していた。 とも記されています。当然、マルタとマリヤも、そのことを知り、その意味を理解したはずです。 マルタとマリヤとしては、ラザロが死者の中からよみがえったことの喜びの一方で、イエス・キリストがさらに厳しい状況に追い込まれたことに、胸が潰れる思いがしたことでしょう。それとともに、ご自身の身に降りかかってくる危険を知っておられてなお、自分たちのところに来てくださったイエス・キリストの愛を深く感じとることができたはずです。 もう一つ、注目したいことは、昨年の復活節にお話ししたことです。32節〜35節には、 マリヤは、イエスのおられた所に来て、お目にかかると、その足もとにひれ伏して言った。「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。」そこでイエスは、彼女が泣き、彼女といっしょに来たユダヤ人たちも泣いているのをご覧になると、霊の憤りを覚え、心の動揺を感じて、言われた。「彼をどこに置きましたか。」彼らはイエスに言った。「主よ。来てご覧ください。」イエスは涙を流された。 と記されています。 ここに記されていることの理解については、すでに、昨年の復活節の時にお話ししましたので、今日は、結論的なことだけを申します。 ここでは、イエス・キリストが「霊の憤りを覚え、心の動揺を感じ」たと言われています。「霊の憤りを覚え」も「心の動揺を感じ」もそれ自体で激しい心の動きを示しています。そのような言葉を連ねていることは、非常に激しく深い思いがイエス・キリストのうちにあったことを示しています。そして、そのような深く激しい心の動揺の中で、イエス・キリストは涙を流されました。 それは、ご自身が愛しておられたラザロが死んでしまったことの悲しみと、兄弟であるラザロを失ってしまったマリヤの悲しみの深さをご自身のこととして重ね合わせてのことでした。イエス・キリストにとって、それは、はらわたをえぐられるような悲しみだったのです。 12章38節には、 主よ。だれが私たちの知らせを信じましたか。また主の御腕はだれに現わされましたか。 という、イザヤ書53章1節に記されているイザヤの言葉が引用されています。それは、イザヤが預言的にあかししている贖い主は、「主の御腕」として働かれる御霊が、その人の心を開いてくださらなければ、知ることができないということを述べるものです。イザヤ書では、それに続く3節で、約束の贖い主について、 彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、 悲しみの人で病を知っていた。 と預言的に描写されています。この、 悲しみの人で病を知っていた。 ということは、贖い主が病気になるということではなく、人々の病の痛みと苦しみ、それに関わるさまざまな悲しみを、ご自身のこととして負ってくださることを意味しています。私たちでも、ある程度、人の悲しみや苦しみに同感することができます。イエス・キリストは、ご自身の御許に来た一人一人の人の痛みと苦しみと悲しみを、永遠の神の御子としての御力を働かせて感じ取られて、それをご自身の痛みと苦しみと悲しみとされたということです。 また、「霊の憤りを覚え」られたというのは、非常に激しい憤りを覚えられたということですが、それは、そこにいた人々に対する憤りではありません。そうではなく、本来は、このような悲しいことが起こってはならないのに、それが起こるということ、そして、実際に、それが起こってしまっていることに対する憤りです。 このような悲しいことが起こるのは、人間が造り主である神さまに対して罪を犯して、自分たちの光といのちの源である主の御前に堕落してしまっているからです。ラザロの死と向き合い、それによってもたらされた悲しみを深く感じ、マリヤを初めとする人々の悲しみを目の当たりにして、「霊の憤りを覚え、心の動揺を感じ」て「涙を流された」イエス・キリストは、何としてでも、このような悲惨を取り除こうとされたのです。そうであるからこそ、人間の悲惨の根本的な原因である罪を贖うために、ご自身が罪ののろいをお引き受けになる道を進まれました。 そのようにして、イエス・キリストが十字架にかかって死んでくださって、私たちの罪の贖いを成し遂げてくださったのは、そして、 わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。 というあかしのとおり、私たちを復活のいのちに生かしてくださるために、死者の中からよみがえってくださったのは、私たちへの愛によることです。その愛の裏には1章14節で、 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。 と言われていますように、永遠の神の御子であられる方が、私たちと同じ人の性質を取ってきてくださったこと、そして、この世において私たちが味わっている苦しみと悲しみを、神の御子としての御力を働かせて極みまでご自身のものとして味わってくださったことからくる、ご自身の深い痛みと悲しみ、そして、そのような悲惨があるということに対する激しい、しかし聖い、憤りがあったのです。 すでにお話ししましたように、ヨハネの福音書においては、イエス・キリストがラザロをよみがえらせてくださったことが、イエス・キリストがなさった「多くのしるし」を代表するような意味をもっていました。この、ラザロをよみがえらせてくださった「しるし」は、ただ死んでしまったラザロが生き返ったという、目に見えることで終わるものではありません。そのことによって示されているのは、このようなイエス・キリストの愛であり、その愛を裏打ちする、イエス・キリストご自身の深い悲しみと痛みと、激しい憤りです。 それは、このラザロの場合だけではなく、さまざまな苦しみと悲しみの中で、イエス・キリストの御許に行ったすべての人々に対して、イエス・キリストが示してくださったものでした。このようなイエス・キリストの愛に触れなければ、「しるし」を見たとは言えません。 12章37節で、 イエスが彼らの目の前でこのように多くのしるしを行なわれたのに、彼らはイエスを信じなかった。 と言われているときの「彼ら」は、祭司長とパリサイ人だけではありません。むしろ、そこにいた人々を指しています。その人々は、9節に、 大ぜいのユダヤ人の群れが、イエスがそこにおられることを聞いて、やって来た。それはただイエスのためだけではなく、イエスによって死人の中からよみがえったラザロを見るためでもあった。 と記されていますように、死者の中からよみがえったラザロを見にやって来ました。彼らは、目に見えることを見にやって来ただけだったのです。 しかし、このような中で、イエス・キリストがなさった「しるし」を、確かに見た人がいます。それは、ほかならぬ、ラザロの姉妹であるマリヤです。12章1節〜8節には、 イエスは過越の祭りの六日前にベタニヤに来られた。そこには、イエスが死人の中からよみがえらせたラザロがいた。人々はイエスのために、そこに晩餐を用意した。そしてマルタは給仕していた。ラザロは、イエスとともに食卓に着いている人々の中に混じっていた。マリヤは、非常に高価な、純粋なナルドの香油三百グラムを取って、イエスの足に塗り、彼女の髪の毛でイエスの足をぬぐった。家は香油のかおりでいっぱいになった。ところが、弟子のひとりで、イエスを裏切ろうとしているイスカリオテ・ユダが言った。「なぜ、この香油を三百デナリに売って、貧しい人々に施さなかったのか。」しかしこう言ったのは、彼が貧しい人々のことを心にかけていたからではなく、彼は盗人であって、金入れを預かっていたが、その中に収められたものを、いつも盗んでいたからである。イエスは言われた。「そのままにしておきなさい。マリヤはわたしの葬りの日のために、それを取っておこうとしていたのです。あなたがたは、貧しい人々とはいつもいっしょにいるが、わたしとはいつもいっしょにいるわけではないからです。」 と記されています。 この時マリヤのしたことが、イエス・キリストがラザロをよみがえらせてくださったこととかかわっていることは、ラザロの病気のことを記す11章1節、2節に、 さて、ある人が病気にかかっていた。ラザロといって、マリヤとその姉妹マルタとの村の出で、ベタニヤの人であった。このマリヤは、主に香油を塗り、髪の毛でその足をぬぐったマリヤであって、彼女の兄弟ラザロが病んでいたのである。 と記されていることから分かります。 「ナルドの香油」はインドのヒマラヤ山脈地方で育つ植物の根と茎から抽出される香油だそうです。それを保存するためには、特別な石膏の壺に入れて厳重に封をしました。これは非常に高価な香油でしたので、裕福な家で、特別な客を迎えるときにだけ、その封を壊して使用したようです。勘定高いユダは、その「純粋なナルドの香油三百グラム」(327・45グラム)が「三百デナリ」で売れると計算しました。1デナリは、大人1日の給料に当りますから、3百デナリは相当な額です。今日の価値に換算しますと、数百万円はくだらないということになります。 マリヤは、その「非常に高価な、純粋なナルドの香油三百グラム」を、惜しむことなく、イエス・キリストの御足に注いでしまいました。その当時の食事は、今日のように座ってするのではなく、頭をテーブルに向ける形で、横になってしました。マリヤは、そのようにして、横になっておられるイエス・キリストの足もとに近づいて、香油を御足に注いだのです。そして、その香油を自分の髪でふき取りました。 その当時の文化の中では、客の足を洗うことは、しもべか、極めて従順な妻や子どもたちのすることでした。そのことを背景として、13章3節〜5節に、 イエスは、父が万物を自分の手に渡されたことと、ご自分が父から来て父に行くことを知られ、夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。それから、たらいに水を入れ、弟子たちの足を洗って、腰にまとっておられる手ぬぐいで、ふき始められた。 と記されていますように、イエス・キリストは弟子たちの足を洗われました。その意味で、マリヤがしたことは、マリヤがイエス・キリストに対して、この上なく身を低くしたことを示していると考えられています。 しかし、それだけでは、マリヤの思いを十分に表わすことにはなりません。というのは、言うまでもないことですが、マリヤは、自分が謙遜であることをイエス・キリストに示したかったわけではないからです。 ルカの福音書7章36節〜50節には、マリヤと同じようにイエス・キリストの御足に香油を注いで、自分の髪でそれを拭った女性のことが記されています。その女性は、「罪深い女」として知れ渡っていました。イエス・キリストは、その女性は自分の罪が赦されたことを信じて、自分を罪から解放してくださったイエス・キリストへの愛を何とか表わそうとして、イエス・キリストの御足に香油を注いで、それを自分の髪で拭ったということを明らかにされました。マリヤが、「非常に高価な、純粋なナルドの香油三百グラム」を、惜しむことなく、イエス・キリストの御足に注いで、自分の髪でそれを拭ったことは、これと同じように、マリヤのイエス・キリストへの愛を表わすものです。 ヨハネの福音書12章7節には、 そのままにしておきなさい。マリヤはわたしの葬りの日のために、それを取っておこうとしていたのです。 というイエス・キリストの言葉が記されています。この言葉は訳すのが難しいので、訳し方については、さまざまな意見があります。しかし、はっきりしているのは、イエス・キリストが、マリヤがイエス・キリストの御足に香油を注いだことは、ご自身の「葬りの日」のためであると言っておられるということです。 これについては、マリヤはイエス・キリストの死について理解していなかったけれども、イエス・キリストがマリヤのしたことに象徴的な意味を加えてくださったという意見もあります。しかし、これまでお話ししてきたことから察することができますように、マリヤは、イエス・キリストの死を感じ取っていたと思われます。 マリヤは、イエス・キリストがヨルダン川の川向こうにおられた時、すでに、イエス・キリストを取り巻く状況が厳しいことを知っていたと考えられます。そのために、兄弟ラザロが病気で死にそうであっても、イエス・キリストにベタニヤに来ていただきたいとは言えませんでした。それで、そのような厳しい状況にあったにもかかわらず、イエス・キリストが自分たちの所に来てくださったことを、深く心に留めていたと思われます。 そして、ラザロの死を前にして、イエス・キリストが、自分の悲しみをご自身の悲しみとして、人々の前で涙を流されたことを見ていました。11章35節、36節に、 イエスは涙を流された。そこで、ユダヤ人たちは言った。「ご覧なさい。主はどんなに彼を愛しておられたことか。」 と記されているとおり、イエス・キリストはこっそり涙を流されたのではなく、人目をはばかることなく涙を流されました。そして、マリヤは、普段と違うイエス・キリストのお姿の中に、イエス・キリストの深い苦悩を感じ取っていたと思われます。 イエス・キリストは、そのような深い悲しみと苦しみの中で、兄弟ラザロを死者の中からよみがえらせて、自分たちに返してくださいました。けれども、そのことが大評判になって、人々がイエス・キリストのもとに群がったために、イエス・キリストは、より厳しく危険な状態に追い込まれていきました。すでにお話ししましたように、そのことも、マリヤに分かったはずです。 これらのことの中で、マリヤは、預言者イザヤが、 彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、 悲しみの人で病を知っていた。 と預言していたその方を知ったと考えられます。必ずしも、マリヤがその言葉を思い出したという意味ではありませんが、そのような方としてのイエス・キリストの現実に触れたということです。マリヤは、イエス・キリストが約束の贖い主であるということを信じていました。そして、その贖い主は、自分たちの悲しみをみなご自身の悲しみとして、「霊の憤りを覚え、心の動揺を感じ」て「涙を」流してくださる「悲しみの人」であることを知ったということです。 ルカの福音書10章38節〜42節に記されていますように、マリヤは、心からイエス・キリストの御教えに耳を傾けた女性です。そして、イエス・キリストも、それはマリヤから取り上げてはならないものであると言われました。「わたしの葬りの日のために」というイエス・キリストの言葉とのかかわりで、そのマリヤが、イエス・キリストから、ご自身の苦難について教えられていたということ、そして、このような時に、イエス・キリストが教えておられた死のことを思い起こしたと考えるのは、私の想像し過ぎでしょうか。 いずれにしましても、マリヤは、自分たちのために「悲しみの人」となってくださっただけでなく、それによって、さらに厳しい状況に追い込まれてしまうこともご存知であられてなお兄弟ラザロをよみがえらせてくださったイエス・キリストに対する愛を表わしたかったのです。そのために、マリヤにできたことは、「非常に高価な、純粋なナルドの香油三百グラム」を、惜しむことなく、イエス・キリストの御足に注いで、自分の髪でそれを拭うことでした。 マリヤは、イエス・キリストがラザロを死者の中からよみがえらせてくださったことの目に見える部分だけでなく、そのこと中に示されているイエス・キリストの悲しみと苦悩の深さと、それに裏打ちされている自分たちへの愛を見て取っていたと考えられます。それこそが、イエス・キリストがなさった「しるし」を見ることの本質です。 |
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