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説教日:2002年2月3日 |
主はエジプトの地にあって奴隷の民となっていたイスラエルを、彼らの先祖たちである、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約のゆえに、奴隷の身分から贖い出してくださいました。その際に、エジプトの地では、ご自身の契約の民を奴隷としていたエジプトに対して十のさばきが執行されました。その時、イスラエルの民はエジプトの民と区別されて、そのさばきから守られていました。 そして、そのさばきの頂点である、過越の夜のさばきにおいては、エジプトの地にあるすべての「初子」が撃たれました。その時に、主は、「過越の小羊」の血による贖いを備えてくださって、イスラエルの民を守ってくださるとともに、主の備えてくださる贖いがどのようなものであるかをお示しくださいました。主のもっとも厳しいさばきの中で、恵みによる贖いが備えられていることが示されたのです。そして、イスラエルの民がこの贖いの恵みを覚え続けるために、過越の祭りの制度を制定してくださいました。 さらには、紅海において、エジプトの王であるパロの軍隊をおさばきになって、イスラエルの民を完全に解放してくださいました。このことには、イスラエルの民をエジプトの奴隷の身分から解放してくださったこと以上の意味があったと考えられます。 その時にモーセとイスラエルの民が歌った歌の一部を記す出エジプト記15章14節~16節には、 国々の民は聞いて震え、 もだえがペリシテの住民を捕えた。 そのとき、エドムの首長らは、おじ惑い、 モアブの有力者らは、震え上がり、 カナンの住民は、みな震えおののく。 恐れとおののきが彼らを襲い、 あなたの偉大な御腕により、 彼らが石のように黙りますように。 主よ。あなたの民が通り過ぎるまで。 あなたが買い取られたこの民が通り過ぎるまで。 と記されています。言うまでもなく、この歌はモーセが作ったものです。 長いこと奴隷の身分におとしめられていて、戦いの仕方も知らない民が、自分たちの財産と、出エジプト記12章35節、36節に、 イスラエル人はモーセのことばどおりに行ない、エジプトから銀の飾り、金の飾り、それに着物を求めた。主はエジプトがこの民に好意を持つようにされたので、エジプトは彼らの願いを聞き入れた。こうして、彼らはエジプトからはぎ取った。 と記されていますように、エジプト人から「はぎ取った」金や銀の飾りを携えて荒野を旅をしているということは、他の民族からすれば「鴨がネギを背負ってきた」ようなものです。それを襲って、財産を奪い、イスラエルの民を自分たちの奴隷にすることもできたはずです。 しかし、イスラエルの民が荒野を旅している間、そのようなことは、ほとんど起こりませんでした。荒野の旅の初めに、アマレク人が襲ってきたことがありましたが、モーセの祈りとともなる戦いによって撃退されてしまいました。それ以後は、他の民が襲ってくることはなかったようです。その次の戦いの記録は、民数記21章1節~3節に記されている「カナン人アラデの王」との戦いですが、それはアロンの死後、イスラエルの民が約束の地であるカナンに入るための旅を始めた時のことです。「アラデの王」はイスラエルの侵攻を読み取って危機感を覚えて戦いを挑んだのです。もちろん、エジプトも二度とイスラエルに手を出しませんでした。 その理由は、先ほどのモーセとイスラエルの民の歌に示されています。そこでは、 恐れとおののきが彼らを襲い、 あなたの偉大な御腕により、 彼らが石のように黙りますように。 主よ。あなたの民が通り過ぎるまで。 あなたが買い取られたこの民が通り過ぎるまで。 と言われていました。 大国エジプトの動向に注目して情報網を張っていたであろう諸国の民にとって、出エジプトの贖いの御業は、自分たちの存在を震撼させるような出来事でした。そのために、諸国の民は恐れて、イスラエルの民に手を出せなかったのだと考えるほかはありません。 事実、出エジプトの贖いの御業から40年後に、カナンの町であるエリコに住んでいた遊女ラハブは、出エジプトの出来事の記憶が、なおも、カナンの地の民の間に残っていると言っています。 ヨシュア記2章9節~11節には、 主がこの地をあなたがたに与えておられること、私たちはあなたがたのことで恐怖に襲われており、この地の住民もみな、あなたがたのことで震えおののいていることを、私は知っています。あなたがたがエジプトから出て来られたとき、主があなたがたの前で、葦の海の水をからされたこと、また、あなたがたがヨルダン川の向こう側にいたエモリ人のふたりの王シホンとオグにされたこと、彼らを聖絶したことを、私たちは聞いているからです。私たちは、それを聞いたとき、あなたがたのために、心がしなえて、もうだれにも、勇気がなくなってしまいました。あなたがたの神、主は、上は天、下は地において神であられるからです。 というラハブの言葉が記されています。 40年後というのは、イスラエルの民の「荒野の40年」ということからも分かりますように、世代が交代していることを意味していますが、それでも、出エジプトの出来事の衝撃の記憶は鮮明に残されていたわけです。 いずれにしましても、主はイスラエルの民のために、このような備えもしてくださっていたのです。そして、イスラエルの民もそれを受け止めたようです。それが、先ほどの、モーセとイスラエルの民の歌の中に示されています。 けれども、そのモーセとイスラエルの民の歌の記事に続いて記されているのは何でしょうか。 出エジプト記15章22節~27節に記されているのは、マラの水が「苦くて飲むことができなかった」ので、イスラエルの民がモーセにつぶやいたということです。主は、その地の水を飲める水に変えてくださいました。 続く16章1節~36節には、シンの荒野で食べるものがなかったので、イスラエルの民がモーセとアロンにつぶやいたということです。この時も、主はイスラエルの民にマナとうずらを与えてくださいました。そして、マナはイスラエルの民がカナンの地に入るまで与え続けてくださいました。 さらに、続く17章1節~7節には、すでにお話ししました、シンの荒野のレフィディムでの出来事が記されています。そこに飲む水がなかったので、イスラエルの民はモーセを石で撃ち殺そうとしたのです。その時、主は、ご自身のさばきを執行されましたが、それはご自身が「ホレブの岩」の上にお立ちになって、モーセの手にある杖によるさばきの一撃をお受けになったということです。それによって、その岩から水がわき出て、イスラエルの民の渇きはいやされました。 これは、イザヤ書53章5節の、 しかし、彼は、 私たちのそむきの罪のために刺し通され、 私たちの咎のために砕かれた。 彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、 彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。 という、「苦難のしもべ」についての預言者イザヤの預言の言葉をとおって、イエス・キリストの十字架の死による罪の贖いにつながっていく恵みを示すものです。 それにしましても、出エジプト記の記事を読む者の耳には、あの紅海のほとりでのモーセとイスラエルの民の歌の余韻が消えないうちに、イスラエルの民の不信仰によるつぶやきの声ばかりが聞こえてきます。それにもかかわらず、主は、ご自身の恵みを示し続けてくださっています。それも、イスラエルの民の不信仰が積み上げられる一方で、主の恵みがより豊かに示されていくという形になっています。 そして、これもすでにお話ししたことですが、主が、いよいよイスラエルの民を約束の地であるカナンに導き入れてくださるに当たって、イスラエルのそれぞれの部族の族長にカナンの地を探らせました。民数記13章32節、33節には、 彼らは探って来た地について、イスラエル人に悪く言いふらして言った。「私たちが行き巡って探った地は、その住民を食い尽くす地だ。私たちがそこで見た民はみな、背の高い者たちだ。そこで、私たちはネフィリム人、ネフィリム人のアナク人を見た。私たちには自分がいなごのように見えたし、彼らにもそう見えたことだろう。」 と記されています。続く、14章1節~4節には、 全会衆は大声をあげて叫び、民はその夜、泣き明かした。イスラエル人はみな、モーセとアロンにつぶやき、全会衆は彼らに言った。「私たちはエジプトの地で死んでいたらよかったのに。できれば、この荒野で死んだほうがましだ。なぜ主は、私たちをこの地に導いて来て、剣で倒そうとされるのか。私たちの妻子は、さらわれてしまうのに。エジプトに帰ったほうが、私たちにとって良くはないか。」そして互いに言った。「さあ、私たちは、ひとりのかしらを立ててエジプトに帰ろう。」 と記されています。 なぜ主は、私たちをこの地に導いて来て、剣で倒そうとされるのか。 という言葉に示されていますように、イスラエルの民は、ここに至るまでのすべてが、主の「悪意」によるものであったと結論づけています。 主は、この不信仰がきわまった民を滅ぼしてしまうと言われましたが、モーセの執り成しを受け入れてくださって、そのようにはなさいませんでした。しかし、14章20節~23節には、 わたしはあなたのことばどおりに赦そう。しかしながら、わたしが生きており、主の栄光が全地に満ちている以上、エジプトとこの荒野で、わたしの栄光とわたしの行なったしるしを見ながら、このように十度もわたしを試みて、わたしの声に聞き従わなかった者たちは、みな、わたしが彼らの先祖たちに誓った地を見ることがない。わたしを侮った者も、みなそれを見ることがない。 というモーセに対する主の御言葉が記されています。 しかしながら、わたしが生きており、主の栄光が全地に満ちている以上 という主の御言葉は、この荒野のイスラエルの不信仰が、主が主であられることのあかしと、主の栄光にかかわっていることを示しています。そして、これに続く、 エジプトとこの荒野で、わたしの栄光とわたしの行なったしるしを見ながら、このように十度もわたしを試みて、わたしの声に聞き従わなかった者たち という主の言葉は、荒野のイスラエルの不信仰がその行き着くところにまで行ってしまったので、これをそのまま放置しておけば、主が主であられることのあかしが立たず、主の聖さと栄光が損なわれてしまうような事態になっていたことを示しています。 この、 エジプトとこの荒野で、わたしの栄光とわたしの行なったしるしを見ながら、このように十度もわたしを試みて、わたしの声に聞き従わなかった者たち という主の言葉が示している荒野のイスラエルの不信仰は、ヨハネの福音書12章37節で、 イエスが彼らの目の前でこのように多くのしるしを行なわれたのに、彼らはイエスを信じなかった。 と言われている、イエス・キリストの時代のユダヤ人の不信仰と、本質的に同じものです。 イエス・キリストの時代のユダヤ人は、自分たちの父祖である荒野のイスラエルから、本質的に同じ不信仰を受けついでいます。その間の時間的な隔たりは、千三百年ほどにもなります。しかし、これは、必ずしも、驚くべきことではありません。というのは、造り主である神さまに対して罪を犯し、御前に堕落してしまっている人間の罪の暗やみは、本質的には、いつの時代にあっても同じものであるからです。血肉のつながりにおいては、その罪の性質はそのまま受け継がれていきます。 そして、このことは、その罪の性質が、イスラエルの民に与えられていた、地上の聖所においてささげられていた動物のいけにえによっては、決して聖められることはなかったことを如実に物語っています。その千三百年ほどの間に、どれほどの動物の血が流されたことでしょうか。それでも、イスラエルの民の罪の性質が聖められることはありませんでした。まして、誕生による血肉のつながりが時間的にどれほど長く続いたとしても、その過程の中で罪の性質が聖められるようになるということはありません。 都合40年の放浪の末、荒野のイスラエルの第一世代は、荒野において滅びてしまいました。そして、第二世代が約束の地であるカナンに入ることになりました。それに先だって、ヨルダンの川向こうのモアブの草原において、モーセは第二世代に対する主の戒めを与えました。それが申命記に記されています。その中に、荒野のイスラエルの第一世代の不信仰が、荒野の第二世代にも、そのまま受け継がれていることが示されています。 29章2節~4節には、 モーセは、イスラエルのすべてを呼び寄せて言った。 あなたがたは、エジプトの地で、パロと、そのすべての家臣たちと、その全土とに対して、主があなたがたの目の前でなさった事を、ことごとく見た。あなたが、自分の目で見たあの大きな試み、それは大きなしるしと不思議であった。しかし、主は今日に至るまで、あなたがたに、悟る心と、見る目と、聞く耳を、下さらなかった。 と記されています。 この、 しかし、主は今日に至るまで、あなたがたに、悟る心と、見る目と、聞く耳を、下さらなかった。 というモーセの言葉をどのように考えたらいいでしょうか。この言葉は、荒野のイスラエルの第一世代と第二世代が不信仰に陥ったのは、主が彼らに「悟る心と、見る目と、聞く耳を、下さらなかった」からであるということを述べています。そうであれば、荒野のイスラエルの不信仰は主がお与えになったものなのでしょうか。 もちろん、そのように理解することはできません。造り主である神さまに対して罪を犯し、御前に堕落してしまっている人間は、もともと与えられていた「悟る心と、見る目と、聞く耳を」、自らの罪によって損なってしまっているのです。それは、私たち人間すべての中にある問題で、自由な意志を与えられている私たち自身の責任において生み出している現実です。 しかし、主は今日に至るまで、あなたがたに、悟る心と、見る目と、聞く耳を、下さらなかった。 というモーセの言葉は、荒野のイスラエルの第一世代も第二世代も、また、イエス・キリストの時代のユダヤ人も含めて、私たち人間は自分自身の力で、「悟る心と、見る目と、聞く耳を」持つことはできないということを背景としています。その上で、もし、私たちが「悟る心と、見る目と、聞く耳を」持つことがあるとしたら、それは、私たち自身の資質によることではなく、まったく、主の恵みによることであるということを示しています。そして、そのような恵みをお与えになることは、まったく主の主権的なみこころによることであって、人は誰もそれに対する権利を持っていません。 もうお分かりのことと思いますが、このモーセの、 しかし、主は今日に至るまで、あなたがたに、悟る心と、見る目と、聞く耳を、下さらなかった。 という言葉は、イザヤ書6章9節、10節に記されている、 行って、この民に言え。 「聞き続けよ。だが悟るな。 見続けよ。だが知るな。」 この民の心を肥え鈍らせ、 その耳を遠くし、 その目を堅く閉ざせ。 自分の目で見、自分の耳で聞き、自分の心で悟り、 立ち返って、いやされることのないために。 という、イザヤに託された宣教につながっています。 このことから、イザヤの時代のユダ王国の民の不信仰も、荒野のイスラエルの不信仰と、本質的に同じものであったということが分かります。 ここで、思い出したいことがあります。 荒野のイスラエルの第一世代について、主は、 エジプトとこの荒野で、わたしの栄光とわたしの行なったしるしを見ながら、このように十度もわたしを試みて、わたしの声に聞き従わなかった者たち と言われました。また、第二世代については、モーセが、 あなたがたは、エジプトの地で、パロと、そのすべての家臣たちと、その全土とに対して、主があなたがたの目の前でなさった事を、ことごとく見た。あなたが、自分の目で見たあの大きな試み、それは大きなしるしと不思議であった。しかし、主は今日に至るまで、あなたがたに、悟る心と、見る目と、聞く耳を、下さらなかった。 とあかししています。 これが血肉のつながりにおいては、アブラハムの子孫であるイスラエルの民の現実でした。これに対して、血肉においてはまったくアブラハムにつながっていないけれども、また「エジプトの地で、パロと、そのすべての家臣たちと、その全土とに対して主が ・・・・ なさった事」すなわち「大きなしるしと不思議」を見てはいなかったけれども、そのあかしを聞いただけで主、ヤハウェこそが、天と地をとおして唯一の神であると信じた人物がいました。それは、先ほど触れました、遊女ラハブです。彼女は、 あなたがたがエジプトから出て来られたとき、主があなたがたの前で、葦の海の水をからされたこと、また、あなたがたがヨルダン川の向こう側にいたエモリ人のふたりの王シホンとオグにされたこと、彼らを聖絶したことを、私たちは聞いているからです。私たちは、それを聞いたとき、あなたがたのために、心がしなえて、もうだれにも、勇気がなくなってしまいました。あなたがたの神、主は、上は天、下は地において神であられるからです。 と告白しています。 この告白は、今日の言葉で言いますと、歴史的な事実を告白しただけのものではなく、ラハブ自身にかかわる実存的な告白でもあります。つまり、ラハブは、「エジプトの地で、パロと、そのすべての家臣たちと、その全土とに対して主が ・・・・ なさった事」を聞いて知っていると言っているだけではありません。そのことが自分たちに重くのし掛かってきて、 心がしなえて、もうだれにも、勇気がなくなってしまいました。 という、自分の現実を告白しています。そして、そこで終わらず、 あなたがたの神、主は、上は天、下は地において神であられるからです。 という、主への信仰の告白へと進んでいます。 出エジプトの贖いの御業から40年後のカナンの地の民の間にまで、 心がしなえて、もうだれにも、勇気がなくなってしまいました。 という現実を生み出したのは、すでにお話ししましたように、主が、イスラエルの民が荒野を旅をする間、他の民族が襲うことがないように守ってくださるための備えをしてくださっていたためのことでした。そのことを、モーセとイスラエルの民は、 恐れとおののきが彼らを襲い、 あなたの偉大な御腕により、 彼らが石のように黙りますように。 主よ。あなたの民が通り過ぎるまで。 あなたが買い取られたこの民が通り過ぎるまで。 と告白していました。 確かに、そのような主の「偉大な御腕」の働きがカナンの地の民の上に及んでいました。それで、カナンの地の民は、 心がしなえて、もうだれにも、勇気がなくなってしまいました。 という状態になりました。そのような中で、カナンの地の民の一人であったラハブは、そこに、確かな主の「御腕」の働きがあることを感じ取って、主、ヤハウェこそがまことの神であると信じたのです。 しかし、それだけでは、ラハブの信仰の告白は生まれてきません。主が、カナンの地を探った二人の「斥候」(今日の言葉で言いますと、スパイ)がラハブの所に行くように導いてくださいました。それによって、エリコの王が二人の「斥候」を捕えようとしていたにもかかわらず、ラハブは、彼らを守るとともに、 あなたがたの神、主は、上は天、下は地において神であられるからです。 と告白することができるようになりました。 言うまでもなく、エリコの王が二人の「斥候」を捕えようとしたのは、イスラエルの民を恐れていたからです。そして、その恐れは、主の「御腕」の働きによっています。しかし、それだからといって、エリコの王が、主、ヤハウェを天と地をとおして唯一のまことの神であると信じていたのではありません。もし、そう信じていたとしたら、エリコの王は、二人の「斥候」を捕えようとはしなかったでしょう。むしろ、イスラエルの民を迎え入れて、主こそがまことの神であると告白しようとしたはずです。 ヘブル人への手紙11章31節においては、 信仰によって、遊女ラハブは、偵察に来た人たちを穏やかに受け入れたので、不従順な人たちといっしょに滅びることを免れました。 とあかしされています。 この「遊女ラハブ」の信仰は、主が、カナンの地の民に向けて伸ばした「御腕」の働きをもって、彼女に「悟る心と、見る目と、聞く耳を」与えてくださった結果です。その「御腕」は、カナンの地においても、救いとさばきに関わるお働きをしていたのです。そして、この「御腕」は、「遊女ラハブ」にとっては、すでにお話ししました、イザヤが、 私たちの聞いたことを、だれが信じたか。 主の御腕は、だれに現われたのか。 と述べている「御腕」として働いています。 私たちも、血肉のつながりなどにおいて、なんら頼みとするところのないものですが、同じ主の「御腕」のお働きによって、「悟る心と、見る目と、聞く耳を」与えていただいたので、イエス・キリストを贖い主として信じることができたのです。 |
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