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説教日:2001年7月15日 |
これは、イスラエルの民にとっての荒野での最後の旅となる、「ツィンの荒野」の「カデシュ」からモアブの平原に向けての旅の途中の出来事です。 4節には、 彼らはホル山から、エドムの地を迂回して、葦の海の道に旅立った。 と記されています。 20章14節〜21節に記されていますように、イスラエルの民は、エドムを南北に走っている「王の道」を通ってモアブの平原に進もうとしましたが、エドムに拒絶されたため、「エドムの地を迂回して、葦の海の道に旅立った」のです。エドムはヤコブの兄弟であったエサウの子孫の国ですので、イスラエルにとっては「兄弟国」でした。申命記2章に記されていますように、主はイスラエルの民がエサウの子孫の土地を占領することを禁じておられます。それで、エドムと戦うことは避けたのです。 「ホル山から」と言われているのは、20章22節〜29節に記されていますように、この旅に先だって、アロンが「ホル山」で主の御許に召されたからです。 カデシュはカナンとエジプトの境界に近いところにありました。その東側にエドムがありましたので、エドムを迂回するために、カデシュからさらに南東に下って「葦の海の道」に出てから、さらに、エドムの東に進んでいって、荒野の道を北上したと考えられます。21章4節〜9節に記されている出来事は、「葦の海の道」に向けて南東に下っていく途中の出来事であったと考えられます。 4節後半と5節には、 しかし民は、途中でがまんができなくなり、民は神とモーセに逆らって言った。「なぜ、あなたがたは私たちをエジプトから連れ上って、この荒野で死なせようとするのか。パンもなく、水もない。私たちはこのみじめな食物に飽き飽きした。」 と記されています。 イスラエルの民のうちには、エドムを迂回するために、「遠回り」をすることに対する失望感があったことでしょう。そうでなくても、一つの民が荒野の道を進んでいくことは、かなりきついことでした。荒野以外の道であれば、その道筋において食べられそうなものを手に入れて、少しは、食べるものに変化を加えることもできたでしょう。しかし、この時は、マナだけを食べるほかなかったようです。また、水も不足しがちで、渇きを覚えながらの旅であったようです。そのようなことに耐えられなくなってしまったのです。 そのような事情があったことを念頭に置きましても、私たちは、5節で、 民は神とモーセに逆らって言った。「なぜ、あなたがたは私たちをエジプトから連れ上って、この荒野で死なせようとするのか。パンもなく、水もない。私たちはこのみじめな食物に飽き飽きした。」 と言われているのを読むと、「またか」というような思いがわいてきます。というのは、これは、先に取り上げました「ツィンの荒野」の「カデシュ」での出来事を記している20章2節〜5節に、 ところが会衆のためには水がなかったので、彼らは集まってモーセとアロンとに逆らった。民はモーセと争って言った。「ああ、私たちの兄弟たちが主の前で死んだとき、私たちも死んでいたのなら。なぜ、あなたがたは主の集会をこの荒野に引き入れて、私たちと、私たちの家畜をここで死なせようとするのか。なぜ、あなたがたは私たちをエジプトから上らせて、この悪い所に引き入れたのか。ここは穀物も、いちじくも、ぶどうも、ざくろも育つような所ではない。そのうえ、飲み水さえない。」 と記されていることの繰り返しだからです。 時間的に見ても、これは、「葦の海の道」に向けて下っていく途中のことであると考えられますから、「カデシュ」を出てから、そんなに経っていない時のことであると考えられます。それで、こんなにも早く、同じつぶやきを繰り返すことに驚きを感じます。 「カデシュ」においては、主が、モーセとアロンに命じて、岩から水を出させてくださり、民の渇きはいやされました。その記憶も新鮮な時ですから、この時も、主に信頼してもよさそうなものなのにという気がします。 さらに、よく見てみますと、このつぶやきは、「カデシュ」でのつぶやきよりも大胆で露骨なものになっています。 「カデシュ」では、イスラエルの民はモーセとアロンに向かって逆らったと言われています。それは、実質的には主に逆らうことでしたが、形としては、モーセとアロンに逆らう形を取りました。しかし、ここでは、明確に「神とモーセに」逆らったと言われています。イスラエルの民が、 なぜ、あなたがたは私たちをエジプトから連れ上って、この荒野で死なせようとするのか。 というときの「あなたがた」は、モーセだけではなく、はっきりと、神である主を意識してのことです。アロンは、すでに、ホル山で主の御許に召されていました。 これまで繰り返しお話ししてきましたが、 なぜ、あなたがたは私たちをエジプトから連れ上って、この荒野で死なせようとするのか。 という言葉は、それだけ取ってみても、主のみこころの中に、自分たちに対する「悪意」が隠されているという、主に対する不信感を表わしたものです。しかし、この時は、そのようなことを言う時に、はっきりと神である主を意識していたのです。これは、主に対する不信感を表わすことを越えて、直接的に、主を糾弾しようとするものです。 また、「カデシュ」では、マナそのものに対する不満を表わさないで、 ここは穀物も、いちじくも、ぶどうも、ざくろも育つような所ではない。 と言っていました。荒野ではマナ以外の食べ物がなく、飽きてしまったので、変わった食べ物を食べたいという不満を述べています。 荒野のイスラエルの第一世代も、これと同じようなことを言ってつぶやきました。11章4節〜6節には、 また彼らのうちに混じってきていた者が、激しい欲望にかられ、そのうえ、イスラエル人もまた大声で泣いて、言った。「ああ、肉が食べたい。エジプトで、ただで魚を食べていたことを思い出す。きゅうりも、すいか、にら、たまねぎ、にんにくも。だが今や、私たちののどは干からびてしまった。何もなくて、このマナを見るだけだ。」 と記されています。 「彼らのうちに混じってきていた者」というのは、出エジプト記12章37節、38節に、 イスラエル人はラメセスから、スコテに向かって旅立った。幼子を除いて、徒歩の壮年の男子は約6十万人。さらに、多くの入り混じって来た外国人と、羊や牛などの非常に多くの家畜も、彼らとともに上った。 と記されている、イスラエルの民にとともにエジプトを出てきた外国人たちのことであると考えられます。このつぶやきは、彼らによってたきつけられた不満ですが、マナそのものに対する不満ではなく、食べ物に変化がないことに対する不満です。 しかし、この「葦の海の道」に向かう途中では、あからさまにマナを指して、 私たちはこのみじめな食物に飽き飽きした。 と言っています。 この「みじめな食物」の「みじめな」という言葉(ケローケール)は聖書の中でここだけに用いられている言葉です。そして、さげすむべきことか、軽くて取るに足らないことを表わしていると考えられます。いずれにしましても、イスラエルの民は、マナのことを、普通でない言葉でさげすんだのだと思われます。 マナは、主が、エジプトを出たイスラエルの民を、40年の間、1日も欠けることなく養い続けてくださるために、備えてくださったものです。それは、主の真実さをあかしするものとして、契約の箱の中にも納めれていました。ここで、イスラエルの民は、第一世代がかろうじて示していた、マナそのものをさげすむことはしないという「慎み」さえも投げ捨てて、あからさまに、マナのことをさげすみました。これは、主の恵みそのものをさげすむことです。 このように見ますと、この、 私たちはこのみじめな食物に飽き飽きした。 という言葉に先立つ、 なぜ、あなたがたは私たちをエジプトから連れ上って、この荒野で死なせようとするのか。 という言葉にも、主が成し遂げてくださった出エジプトの贖いの御業そのものに対する、あからさまな不満が表わされているのではないかというような気がします。 いったいどうして、このようなことになってしまったのでしょうか。先週までお話ししてきましたことに合わせて言いますと、イスラエルの民が、これまでに、自分たちのうちに主に対する不信が潜んでいることを自覚して、その罪を主の御前において、また、主に対して悔い改めてこなかったからであるということになります。 それは、イスラエルの民の根本問題です。しかし、それは、荒野のイスラエルの第一世代と第二世代をとおして、常にあった問題でした。ここでは、イスラエルの民は、不信仰を積み重ねて、約束の地に入ることができなかった第一世代の人々がかろうじて示していた「最後の慎み」さえも投げ捨ててしまっています。そこには、これまでとは違った特別な事情があったと思われます。 マナしか食べるものがなく、水も不足しがちであったということは、これまで荒野を旅してきたイスラエルの民にとっては、特別な事情ではありません。そうしますと、それは、やはり、「カデシュ」で示した自分たちの不信仰にもかかわらず、主が示してくださった恵みにつけ込んで、主に対する恐れをを失い、つぶやくことにおいても大胆になってしまったからだと思われます。 「カデシュ」において、イスラエルの民は、水がないということで、モーセとアロンに逆らってつぶやきました。そのつぶやきは、ただ単に水がないということをつぶやいだだけではありませんでした。コラとその250人の仲間たちが、祭司の務めのことでモーセとアロンに逆らい、主の聖さを冒して滅びた時に、イスラエルの民も、彼らに同調してモーセとアロンに逆らって主のさばきを招き、多くの者が倒れました。その時に自分たちがモーセの執り成しとアロンの決死の贖いによって救われたことを取り上げて、あの時、主のさばきによって死んでいた方がよかったと言いだしました。 主の忍耐と恵みをあっさりと否定してしまう姿勢に対しては、モーセとアロンも、自分たちの立場を忘れてしまい、主の戒めを踏み越えて、イスラエルの民に自分たちの怒りをぶつけてしまいました。それによって、モーセとアロンは、イスラエルの民を約束の地に導き入れることができないというさばきの宣告を受けました。そして、アロンは、すでに、ホル山の上で主の御許に召されました。 「カデシュ」におけるイスラエルの民の不信仰は、それほどのものでした。それは、当然、主の聖なる御怒りを引き起こすものでした。しかし、主は、岩から水を出してくださって、彼らの渇きをいやしてくださいました。それは、モーセとアロンでさえも、その意味を汲み取ることができないことでした。それで、モーセとアロンは、イスラエルの民に自分たちの怒りをぶつけてしまったのです。 イスラエルの民の罪はそれほどのものでしたが、主は、イスラエルの民をおさばきになる代わりに、モーセとアロンに、岩に命じて水を出させるようにと言われました。それによって、イスラエルの民の渇きはいやされました。しかし、イスラエルの民は、そのことの意味を汲み取ることがありませんでした。かえって、主に向かってつぶやくことに対して大胆になり、主に対する恐れも失ってしまっていたのだと思われます。それが、「葦の海の道」に向けて下っていく途中のつぶやきの中で、あからさまにマナをさげすみ、主が成し遂げてくださった出エジプトの贖いの御業をさげすむようになったことに表われてきたのだと思われます。 もちろん、このことの奥に、イスラエルの民が自分たちのうちに潜んでいる主に対する不信を自覚して、その罪を主の御前で悔い改めることがなかったということがあります。 「カデシュ」におけるイスラエルの民の不信仰は、主の聖なる御怒りを引き起こしていました。その時、主は、そのイスラエルの民の罪をどうでもよいこととされたのではありません。むしろ、その機会を捉えて、主の恵みを示してくださいました。 それは、すでにお話ししましたように、出エジプト記17章1節〜7節に記されている、シンの荒野のレフィディムでの出来事をとおして示された恵みに通じるものです。エジプトを出て間もないイスラエルの民は、シンの荒野のレフィディムにおいて、やはり、水がないためにモーセと争って、モーセを殺そうとしました。その時、主は、モーセに、 民の前を通り、イスラエルの長老たちを幾人か連れ、あなたがナイルを打ったあの杖を手に取って出て行け。さあ、わたしはあそこのホレブの岩の上で、あなたの前に立とう。あなたがその岩を打つと、岩から水が出る。民はそれを飲もう。 と言われました。 簡単にまとめておきますと、 民の前を通り、イスラエルの長老たちを幾人か連れ というのは、正式なさばきが行なわれることを意味しています。「あなたがナイルを打ったあの杖」とは、モーセがエジプトに対する主のさばきを執行したときに用いた杖です。つまり、そこで、主のさばきが執行されるということです。 そのさばきを受けるべき立場にあったのは、不信仰から主につぶやいたイスラエルの民でしたが、実際に、そのさばきの一撃を受けたのは、 さあ、わたしはあそこのホレブの岩の上で、あなたの前に立とう。 と言われて、その「岩の上」にお立ちになった主ご自身でした。そのようにして、主がご自身の民の罪を背負って、ご自身の民の代わりに打たれることによって、「岩」から水が出て、民の渇きはいやされました。 「ツィンの荒野」の「カデシュ」においては、この恵みが不信仰を繰り返すイスラエルの民の第二世代にも適用されることを示してくださいました。その際に、すでに、主がご自身の民の罪を背負って撃たれているので、それは繰り返される必要がなく、「カデシュ」においては、岩に命じて水を出させればよかったのです。 その意味で、「カデシュ」においても、主の聖なる御怒りはイスラエルの民の罪に対して表わされていました。ただ、それを、主がお引き受けになっておられました。イスラエルの民は、この主の恵みにつけ込んで、主に対する恐れを失い、つぶやくことにおいても大胆になり、「葦の海の道」に向けて下っていく途中では、あからさまに主の恵みをさげすむようになりました。 「葦の海の道」に向けて下っていく途中での出来事においては、主の対応も、これまでのものと違っています。これまでは、イスラエルの民がモーセとアロンにつぶやきますと、モーセとアロンがそれを主にお委ねしてきました。そして、それに対する主のみこころが示されました。しかし、この時には、モーセがかかわる余地もないままに、直ちに、主のさばきが執行されています。6節では、 そこで主は民の中に燃える蛇を送られたので、蛇は民にかみつき、イスラエルの多くの人々が死んだ。 と言われています。 これは、イスラエルの民の不信仰によるつぶやきが、今お話ししたような性質のものであったことを考えますと、うなずくことができることです。 「燃える蛇」については、二つの見方があります。一つは、その蛇に噛まれると焼けるような痛みがあることを表わしているというものです。もう一つは、燃えるような赤い斑点のある蛇であったことを表わしているというものです。どちらも、その当時、実際にいたと言われている蛇です。一般には、その蛇に噛まれたときに焼けるような痛みがあることを表わしていると考えられています。 7節には、 民はモーセのところに来て言った。「私たちは主とあなたを非難して罪を犯しました。どうか、蛇を私たちから取り去ってくださるよう、主に祈ってください。」 と記されています。 私たちは主とあなたを非難して罪を犯しました。 というのは、形としては罪の告白ですが、どれほど罪を罪として自覚しているかは、はっきりしません。 どうか、蛇を私たちから取り去ってくださるよう、主に祈ってください。 という言葉は、ただ、主のさばきを招いたことだけを問題にしているようにも思われます。 モーセの執り成しに対する主のお答えは、8節に記されていますように、 あなたは燃える蛇を作り、それを旗ざおの上につけよ。すべてかまれた者は、それを仰ぎ見れば、生きる。 というものでした。 そして、9節には、 モーセは一つの青銅の蛇を作り、それを旗ざおの上につけた。もし蛇が人をかんでも、その者が青銅の蛇を仰ぎ見ると、生きた。 と記されています。 「青銅の蛇」の「青銅」と訳されている言葉(ネホーシェス)は、青銅か銅を表わします。イスラエルの民が向かっていた「葦の海の道」の方にあるティムナには、銅の鉱山があったようで、実際に、紀元前1150年頃のものとされている銅の蛇も出土しているようです。それで、モーセが作ったのは「銅の蛇」であったと考えられます。これは、色の上から8節の「燃える蛇を作り」ということに合致します。 「旗ざお」と訳された言葉(ネース)は、軍旗のように、目立つもので、その周りに人々が招集されるようなものを表わす言葉ですが、ここでは、そのようなものを付けるポールを指しています。これによって、「銅の蛇」が誰からもよく見えるように掲げられたことが表わされています。 イスラエルの民は、 どうか、蛇を私たちから取り去ってくださるよう、主に祈ってください。 というように願いました。しかし、主は「燃える蛇」を取り除かれるのではなく、その蛇に噛まれた者たちが救われる道を備えてくださいました。それは、さばきを受けて死ぬべき人が、主が備えてくださった「銅の蛇」を仰ぎ見ることによって、誰でも救われるというものです。 また、それは、蛇に噛まれてしまった人に何か特別なことをするように要求するものではありません。誰もが見ることができるところに掲げられた「銅の蛇」を、ただ仰ぎ見ることによって、その人は救われるのです。そこに必要なのは、そのように主が約束してくださったことを信じて、その「銅の蛇」を仰ぎ見ることだけです。 これがもし、イスラエルの民の願いどおりに、蛇を取り去るだけのことであるとしますと、すでに蛇に噛まれてしまっている多くの人々は、そのまま滅びてしまうことになります。主が備えてくださった「銅の蛇」は、すでに蛇に噛まれてしまって、そのままでは死ぬほかないイスラエルの民を救うためのものです。 すでにお話ししましたように、この時イスラエルの民は、主の示してくださった恵みにつけ込んで、主に対する恐れを失い、出エジプトの贖いの御業と、40年の間、変わることなく備えてくださったマナそのものをさげすむような、不信仰の極みに達していました。そのイスラエルの民に対するさばきは避けられないものとなってしまいました。 しかし、なんと、そのようなイスラエルの民に対して、たださばきがそこで止むのではなく、すでにさばきを受けて死と滅びへの道を歩んでいる者たちを、救い出してくださるための備えを示してくださったのです。 ヨハネの福音書3章14節、15節には、 モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。 というイエス・キリストの言葉が記されています。 これは、イエス・キリストがユダヤ人の指導者であるニコデモにお語りになった言葉です。 これは、イエス・キリストが私たちの罪を背負って、十字架におつきになることが、モーセが荒野のイスラエルのために「銅の蛇」を高く掲げたことの成就であることをお示しになったものです。 人はすべて、造り主である神さまに対して罪を犯して、御前に堕落してしまっています。そのために、神さまの聖なる御怒りによるさばきのもとにあって、死と滅びへの道を歩んでいます。そのさばきは、すでに始まっていますので、人は地上の歩みを死をもって閉じます。 それとともに、主のさばきは、世の終わりに、神さまが御子イエス・キリストをとおして、すべての者をおさばきになるときに、最終的な形で(総決算として)執行されます。 御子イエス・キリストは、私たちが受けなければならないすべてのさばきをその身に負うために、十字架にかかって死んでくださいました。それによって、私たちを、今ここにおいても、世の終わりのさばきの日においても、死と滅びの道から救い出してくださったのです。 イエス・キリストは、主が岩の上にお立ちになって、ご自身の民のさばきをその身に負って撃たれてくださったことによって示されている贖いの恵みと、「銅の蛇」が掲げられた時に、それを仰ぎ見たイスラエルの民が救われたことによって示されている救いを成就してくださいました。 ガラテヤ人への手紙3章13節には、 キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである。」と書いてあるからです。 と記されています。 そのようにして、木にかけられて「のろわれたもの」となってくださったイエス・キリストを、信仰をもって仰ぎ見る者は、誰でも救われます。 ヨハネの福音書3章14節、15節に記されている、 モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。 というイエス・キリストの教えに続いて、16節には、神さまの救いを伝える福音の神髄を示すと言われる、 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。 という言葉が記されています。 |
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