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説教日:2001年4月22日 |
まず、注目しておきたいことは、5節で、 彼らは進み出て、モーセが言ったように、彼らの長服をつかんで彼らを宿営の外に運び出した。 と言われていることです。 「長服」は、8章13節で、 次に、モーセはアロンの子らを近づかせ、彼らに長服を着せ、飾り帯を締めさせ、彼らにターバンを巻きつけさせた。主がモーセに命じられたとおりである。 と言われていますように、ナダブとアビフが着ていた祭司の装束です。ですから、 すると、主の前から火が出て、彼らを焼き尽くし、彼らは主の前で死んだ と言われていますが、ナダブとアビフが着ていた「長服」は燃えなかったのです。 それで、主の御前から出た火は、超自然的な火であったことが分かります。これは、たとえば、ナダブとアビフが祭壇の火の世話をしていたときに、その火が二人のの服に着いてしまって、二人が焼け死んでしまったという事故ではありません。また、そのような事故が素になって、後になって、「あれは、主のさばきであった」という話に膨らんでいったということでもありません。 次に、ナダブとアビフがどのような立場にあったかということですが、ナダブとアビフは、「アロンの子」でした。「アロンの子」は、ナダブ、アビフ、エルアザル、イタマルの四人です。ナダブとアビフは、アロンの長男と次男です。アロンの子孫は、代々、祭司となりました。アロンは初代の大祭司であり、ナダブ、アビフ、エルアザル、イタマルは、初代の祭司でした。 出エジプト記24章には、主がイスラエルの民と結んでくださった契約の締結の儀式が行なわれたことが記されています。それは、1節、2節の、 主は、モーセに仰せられた。「あなたとアロン、ナダブとアビフ、それにイスラエルの長老七十人は、主のところに上り、遠く離れて伏し拝め。モーセひとり主のもとに近づけ。他の者は近づいてはならない。民もモーセといっしょに上ってはならない。」 という言葉で始まっています。 ナダブとアビフは、モーセとアロン、そして、七〇人の長老たちとともに、イスラエルの民の代表者また指導者に数えられています。この人々は、一般のイスラエルの民と区別されて、シナイの山に上って、主の御前に近づくことが許されています。ただし、この段階では、なおも「遠く離れて伏し拝め」と言われています。 そして、9節〜11節には、その契約が結ばれた後に、イスラエルの民の指導者たちが、主のご臨在の御許に近づくことを許されて、主の栄光の御姿の現われを仰ぎ見て、主との親しい交わりにあずかったことが記されています。それは主の契約の祝福を示しています。そこでは、 それからモーセとアロン、ナダブとアビフ、それにイスラエルの長老七十人は上って行った。そうして、彼らはイスラエルの神を仰ぎ見た。御足の下にはサファイヤを敷いたようなものがあり、透き通っていて青空のようであった。神はイスラエル人の指導者たちに手を下されなかったので、彼らは神を見、しかも飲み食いをした。 と言われています。彼らが「イスラエルの神を仰ぎ見た。」といっても、それは、 御足の下にはサファイヤを敷いたようなものがあり、透き通っていて青空のようであった。 と言われているように、その御足の方を仰ぎ見たというようなことに当たります。 これは、動物の血によって結ばれた古い契約の下での最大級の祝福ですが、御子イエス・キリストの血による新しい契約の祝福は、栄光の主と顔と顔とを合わせてまみえることにあり、しかも、限られた人々ではなく、私たちすべてに及んでいます。コリント人への手紙第二・、3章18節で、 私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。 と言われているとおりです。 後ほどこのこととの関連で、お話しすることがありますので、心に留めておいていただきたいと思います。 いずれにしましても、ナダブとアビフは、一般のイスラエルの民と区別されていただけでなく、同じアロンの子であるエルアザルとイタマルとも区別されて、主のご臨在の御前に近づいて、主の栄光の御姿の現われを仰ぎ見ることが許され、主との交わりの祝福にあずかりました。 レビ記10章1節〜7節に記されている、ナダブとアビフが、主の御前に「異なった火」をささげた出来事に先だって、8章では、アロンとその四人の子らが、注ぎの油といけにえの血によって聖別されて、大祭司また祭司として任職されたことが記されています。 その際に、ある特別なことがなされました。22節〜24節には、 次に、彼はもう一頭の雄羊、すなわち任職の雄羊を連れ出した。アロンとその子らはその雄羊の頭の上に手を置いた。こうしてそれはほふられた。モーセはその血を取り、それをアロンの右の耳たぶと、右手の親指と、右足の親指に塗った。さらに、モーセはアロンの子らを近づかせ、その血を彼らの右の耳たぶと、右手の親指と、右足の親指に塗り、モーセはその血の残りを祭壇の回りに注ぎかけた。 と記されています。 アロンとその子らの「右の耳たぶと、右手の親指と、右足の親指」に「任職の雄羊」の血が塗られました。右側のものが用いられているのは、右側のものの方が、より重要で大切なものと考えられているからです。また、手と足の親指は、手と足全体を代表していると考えられます。その血が耳と手と足に塗られたのは、耳と手と足を聖別するためです。 具体的には、その血が耳に塗られたのは、祭司が、常に契約の神である主の御声を聞くようになるためです。手に塗られたのは、祭司が常に聖い行ないをするようになるためです。そして、足に塗られたのは、祭司が常に主の御前に聖く歩むようになるためです。ここで大切なことは、その順序です。まず、祭司の耳が聖別されて、主の御声を聞き取ることからすべてが始まります。 主は主の御声に聞き従うことほどに、 全焼のいけにえや、その他のいけにえを 喜ばれるだろうか。 見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、 耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。 まことに、そむくことは占いの罪、 従わないことは偶像礼拝の罪だ。 サムエル記第一・15章22節、23節
このような任職に続いて、9章では、大祭司また祭司としての最初の働きがなされたことが記されています。アロンは、まず、自分の罪のためのいけにえと全焼のいけにえをささげ、ついで、イスラエルの民の罪のためのいけにえと全焼のいけにえ、さらに、和解のいけにえをささげました。そして、イスラエルの民を祝福しました。22節〜24節には、 それから、アロンは民に向かって両手を上げ、彼らを祝福し、罪のためのいけにえ、全焼のいけにえ、和解のいけにえをささげてから降りて来た。ついでモーセとアロンは会見の天幕にはいり、それから出て来ると、民を祝福した。すると主の栄光が民全体に現われ、主の前から火が出て来て、祭壇の上の全焼のいけにえと脂肪とを焼き尽くしたので、民はみな、これを見て、叫び、ひれ伏した。 と記されています。 このように、アロンとその四人の子らが大祭司また祭司として任職され、その最初の務めを執行したときに、主は、それをよしとしてくださって、ご自身の栄光を現わしてくださり、御前から出た火が、祭壇の上にあったいけにえを焼き尽くしてしまいました。もちろん、そのいけにえはすでにアロンの手によって焼かれていたのですが、主の御前から出た火はそれを焼き尽くしてしまったのです。 これによって、主は、アロンとその四人の子らを大祭司また祭司として受け入れてくださり、彼らの祭司としての務めをよしとしてくださったことを、示してくださいました。それはまた、主がご自身の契約に基づいて、確かに、イスラエルの民の間にご臨在してくださっていることを示してくださったことでもあります。これによって、イスラエルの民は、祭司の国としての実質を持つようになりました。 この時、 主の栄光が民全体に現われ、主の前から火が出て来て、祭壇の上の全焼のいけにえと脂肪とを焼き尽くした というのは、これが、初代の大祭司であるアロンと、初代の祭司であるナダブ、アビフ、エルアザル、イタマルの任職に続いて、最初の務めがなされたことによります。つまり、これが「最初」のものであるということが、ある意味をもっているのです。 この大祭司と祭司の最初の務めに対して、主は、御前からの火をもって、ささげられたいけにえを焼き尽くされました。それによって、この後、主は、ご自身の契約に基づいて、御前にささげられるいけにえは、これと同じような意味において、主が受け入れてくださるということが示されたのです。この後は、その一つ一つのささげものが、御前から出た火によって焼き尽くされるということはないけれども、それが主の契約に基づくものであれば、これと同じ確かさと、現実性をもって、主が受け入れてくださるということです。イスラエルの民は、そのことを、主の契約に基づいて、信仰をもって受け入れるべきでした。 これと同じように、「最初の事例」が特別な意味をもっていたことは、いくつかの事例に見られます。 たとえば、イスラエルの民がカナンの地に侵入して最初にエリコの町を攻め取ったことを記している、ヨシュア記6章の2節〜5節には、 見よ。わたしはエリコとその王、および勇士たちを、あなたの手に渡した。あなたがた戦士はすべて、町のまわりを回れ。町の周囲を一度回り、六日、そのようにせよ。七人の祭司たちが、七つの雄羊の角笛を持って、箱の前を行き、七日目には、七度町を回り、祭司たちは角笛を吹き鳴らさなければならない。祭司たちが雄羊の角笛を長く吹き鳴らし、あなたがたがその角笛の音を聞いたなら、民はみな、大声でときの声をあげなければならない。町の城壁がくずれ落ちたなら、民はおのおのまっすぐ上って行かなければならない。 という主の戒めが記されています。そして、イスラエルの民は、実際に、この戒めにしたがって、エリコの町を攻め取って、これを聖絶しました。 その後、イスラエルの民は、これとは違う、いわば通常の方法でカナンの町々を攻め取りました。その後のことにおいても、主の御前においては、最初の事例であるエリコの場合と同じような意味があるわけです。 また、この事例と関連して、アカンが、エリコにおいて聖絶されたものに手を出して自分のものとしてしまったために、主の怒りがイスラエルの民に対して燃え上がったこと、そして、アカンに対してさばきが執行されたことも同じように、典例としての意味をもっています。 さらには、使徒の働き5章1節〜11節に記されている、アナニヤとサッピラが、ささげもののことで聖霊を欺いた事例も、新約の教会の初めの事例として、その場において主のさばきを招いて、二人は死にました。この場合も、その後には、形としては、同じようなさばきが執行されることはありませんが、主にささげられたものについては、アナニヤとサッピラの典例に示されているのと同じ意味があるのです。 イスラエルの初代の大祭司と祭司たちは、輝かしいスタートを切りました。しかし、それは、たちまちのうちに、自らのうちに罪を宿している人間の欠陥を露呈することになりました。それが、10章1節〜7節に記されているナダブとアビフが主の御前に「異なった火」をささげたという出来事です。 1節には、 さて、アロンの子ナダブとアビフは、おのおの自分の火皿を取り、その中に火を入れ、その上に香を盛り、主が彼らに命じなかった異なった火を主の前にささげた。 と記されています。 ここで、「異なった火」と言われているのは、一体どのようなものであったのでしょうか。ここには、それが具体的にどのようなものであったか、記されていません。それで、さまざまな見方があります。 まず、ここに記されていることから、ナダブとアビフが主の御前で香を焚いたのは確かなことだと思われます。 出エジプト記30章1節〜10節には、「香を焚く祭壇」に関する規定が記されています。9節には、 あなたがたは、その上で異なった香や全焼のいけにえや穀物のささげ物をささげてはならない。また、その上に、注ぎのぶどう酒を注いではならない。 と記されています、 ここには、香を焚く祭壇で焚くべきもののことが述べられています。そして、香を焚く祭壇で焚くべきものは、主が指定された香油だけであって、それ以外のものをささげてはならないということを戒めています。そして、その香油の調合方法は、同じ30章の34節〜38節に記されています。 このことから、ナダブとアビフは、主が指定しておられるのとは違う調合法によって作られた香油を焚いたのではないかという見方があります。 けれども、もしナダブとアビフがささげたものが「異なった香」であったと言われていたら、この見方でもよかったことでしょう。ところが、ナダブとアビフがささげたのは「異なった火」だと言われています。 それで、別の見方では、「異なった火」の「火」に注目します。レビ16章12節には、 主の前の祭壇から、火皿いっぱいの炭火と、両手いっぱいの粉にしたかおりの高い香とを取り、垂れ幕の内側に持ってはいる。 と言われています。ここでは、香を焚くために「火皿」に取る火は、「祭壇から」取るように規定されています。それで、ナダブとアビフがささげた「異なった火」は「祭壇から」取ったものではなかったのではないかというのです。 これは多くの注解者が取っている見方です。しかし、これにも、問題がないわけではありません。それは、香を焚くために「火皿」に取る火は、「祭壇から」取るようにという規定は、ここに記されているだけですが、この規定はナダブとアビフが「異なった火」をささげた後で与えられているということです。その16章の規定は、1節の、 アロンのふたりの子の死後、すなわち、彼らが主の前に近づいてそのために死んで後、主はモーセに告げられた。 ということから始まっています。 もう一つの見方は、先ほど引用しました、出エジプト記30章1節〜10節に記されている「香を焚く祭壇」についての戒めの中で、アロンは、朝と夕暮れに香を焚かなければならないと戒められていました。7節、8節では、 アロンはその上でかおりの高い香をたく。朝ごとにともしびをととのえるときに、煙を立ち上らせなければならない。アロンは夕暮れにも、ともしびをともすときに、煙を立ち上らせなければならない。これは、あなたがたの代々にわたる、主の前の常供の香のささげ物である。 と言われています。ところが、ナダブとアビフが香を焚いたのは、朝でもなく、夕暮れでもなかったという見方です。この時間に関しては、レビ記9章から10章への描写の流れから推測したものです。 しかし、アロンが朝と夕暮れに香を焚くように戒められているのは、香を焚く祭壇の上でのことです。けれども、ナダブとアビフは「おのおの自分の火皿を取り、その中に火を入れ、その上に香を盛」ったと言われています。ナダブとアビフは、香を焚く祭壇のある所には行っていないのです。それで、ナダブとアビフには、朝と夕暮れに焚くように規定されていた香を焚くという意図はなかったと思われます。 さらに別の見方ですが、大贖罪の日に関する規定を記している、レビ記16章の1節、2節には、 アロンのふたりの子の死後、すなわち、彼らが主の前に近づいてそのために死んで後、主はモーセに告げられた。主はモーセに仰せられた。「あなたの兄アロンに告げよ。かってな時に垂れ幕の内側の聖所にはいって、箱の上の『贖いのふた』の前に行ってはならない。死ぬことのないためである。わたしが『贖いのふた』の上の雲の中に現われるからである。」 と記されています。 このことから、ナダブとアビフは、「かってな時に垂れ幕の内側の聖所にはいって、箱の上の『贖いのふた』の前に」行ったのではないかという見方があります。 しかし、10章4節には、 モーセはアロンのおじウジエルの子ミシャエルとエルツァファンを呼び寄せ、彼らに言った。「進み出て、あなたがたの身内の者たちを聖所の前から宿営の外に運び出しなさい。」 と記されています。 ここでは、ナダブとアビフの死体は「聖所の前から宿営の外に」運び出されたと言われています。それで、ナダブとアビフは至聖所にまで入ってはいなかったと考えられます。また、それで、大贖罪の日に関する戒めにナダブとアビフのことが触れられているのは、彼らのように軽率であってはならないということを示すためだと思われます。先ほどお話ししましたように、ナダブとアビフの事例は、その後の典例としての意味をもっています。それが、ここで取り上げられているのだと思われます。 これで、ナダブとアビフがささげた「異なった火」がどのようなものであったかについての見方が出揃ったのですが、どれも問題があって決定打がありません。 しかし、私は、最後にお話しした、ナダブとアビフの死体が「聖所の前から宿営の外に」運び出されということから、ナダブとアビフがささげた「異なった火」がどのようなものであったかが見えてくるのではないかと思います。 まず、注目すべきことは、10章1節で、 さて、アロンの子ナダブとアビフは、おのおの自分の火皿を取り、その中に火を入れ、その上に香を盛り、主が彼らに命じなかった異なった火を主の前にささげた。 と言われていることは、これに先立つ8章と9章に記されている、(大祭司と)祭司の任職と最初の務めを記しているときに用いられている、いくつかの言葉を用いて記されています。これによって、ナダブとアビフが「異なった火」をささげたことが、それに先立つ、祭司の任職と最初の務めと深く結びついていることが示されています。 実際に、祭司の任職の後の最初の務めが終わったときに、主の御前から出た「火」が祭壇の上のいけにえを焼き尽くしたのですが、その祭壇は、聖所の前にありました。そして、そのことを記している9章24節で、 主の前から火が出て来て、祭壇の上の全焼のいけにえと脂肪とを焼き尽くした と言われていることと、ナダブとアビフのことを記している10章2節で、 すると、主の前から火が出て、彼らを焼き尽くし と言われていることは、「 ・・・・ を」の部分(「祭壇の上の全焼のいけにえと脂肪とを」と「彼らを」)以外は、まったく同じ言葉で表わされています。つまり、「祭壇の上の全焼のいけにえと脂肪とを焼き尽くした」のと同じ「火」が、ナダブとアビフを焼き尽くしたのです。 そうしますと、ナダブとアビフは、聖所の中にあって至聖所との仕切りの垂れ幕の前にあった「香を焚く祭壇」の前にも行っていないことが分かります。やはり、ナダブとアビフは、朝と夕暮れに焚くように戒められている香を焚くつもりではなかったのです。 これらのことから、ナダブとアビフは、聖所の前の祭壇の近くで香を焚いたのだと考えられます。そのために、彼らは「おのおの自分の火皿を取り、その中に火を入れ、その上に香を盛」ったのだと思われます。 このような形で、すなわち、「おのおの自分の火皿を取って」、聖所の外で香を焚くことは、主が規定されたことではありません。たとえば、主によって規定されている調合方法とは違った香油を調合して焚いたとか、祭壇からの火を取らなかったとか、主が規定されたことを、どこかで変えたというのではなく、まったく規定しておられないことをしてしまったのです。ナダブとアビフがささげた「異なった火」のことは、「主が彼らに命じなかった異なった火」と言われています。それが、主によって命じられたものではなかったということが、問題だったのです。 では、ナダブとアビフは、どうして、そのような「異なった火」をささげてしまったのでしょうか。それは、すでにお話ししましたように、これに先立って記されていることとのつながりで理解すべきです。そうしますと、ナダブとアビフは、9章23節、24節に、 ついでモーセとアロンは会見の天幕にはいり、それから出て来ると、民を祝福した。すると主の栄光が民全体に現われ、主の前から火が出て来て、祭壇の上の全焼のいけにえと脂肪とを焼き尽くしたので、民はみな、これを見て、叫び、ひれ伏した。 と記されていることのすばらしさに感動したから、「主が彼らに命じなかった異なった火」をささげてしまったのではないかと思われます。 主の栄光が民全体に現われ、主の前から火が出て来て、祭壇の上の全焼のいけにえと脂肪とを焼き尽くした ことに打たれて、イスラエルの民は、みな「叫び、ひれ伏し」ました。ナダブとアビフも、そのようなことに参与しているわけです。彼らのうちには、深い感動と興奮があったはずです。イスラエルの民の指導者に数えられ、祭司として任職されたばかりの、ナダブとアビフは、「自分たちとしては、ひとつ、それ以上のことをしよう」と思ったのではなかったでしょうか。思わず、「おのおの自分の火皿」と、すでに主の規定にしたがって調合されていた香油を取って来て、「おのおの自分の火皿」に祭壇から取った炭火を入れて、香を焚いたのだと思われます。 もしそうであれば、ナダブとアビフには、決して、悪意はなかったのです。むしろ「善意」と主に対する「熱心」から、このことをしたのです。彼らは、自分た見たことに感動し、イスラエルの民全体が興奮して叫び声をあげて、礼拝したことに動かされて、それをもっと盛り上げようとしたのか、さらに別の形で主に感謝しようとしたのでしょう、「主が彼らに命じなかった異なった火」をささげてしまったのでしょう。 祭司の任職式の時に、「任職の雄羊」の血が、ナダブとアビフの右の耳と右手の親指と右足の親指に塗られました。イスラエルの民を代表して主の御前に仕える祭司として、ナダブとアビフは、細心の注意を払って、主の御言葉に耳を傾けて、それに従わなければなりませんでした。しかし、ナダブとアビフは、善意から出たことであるとしても、「主が彼らに命じなかった異なった火」をささげて、御言葉を踏み越えてしまいました。それは、主の聖さを冒すことです。 今日の私たちの発想では、ナダブとアビフは、「善意」と、主に対する熱心から、このことをしたのだから、主もそれを認めて受け入れてくださるはずだ、と考えられるかもしれません。しかし、御言葉はそのようには教えていません。 レビ記10章3節には、 それで、モーセはアロンに言った。「主が仰せになったことは、こういうことだ。『わたしに近づく者によって、わたしは自分の聖を現わし、すべての民の前でわたしは自分の栄光を現わす。』」 と記されています。 これは、ナダブとアビフがイスラエルの民を代表する祭司として、主のご臨在の御前に近いものとされていることに触れるものです。主のご臨在の御前に近づく者は、より一層、主の聖さに対するわきまえをもつことが求められているということです。 これは、そのまま私たちにも当てはまる原則です。そして、私たちには、ナダブとアビフ以上に、主の聖さをわきまえて、これを守ることを求められています。なぜなら、最初にお話ししましたように、私たちは、御子イエス・キリストの贖いの血によって、栄光の主のご臨在の御前に近づいて、主と顔と顔を合わせてまみえる者とされているからです。 私たちが、神さまの聖さをわきまえることの中心は、やはり、私たちが、常に、御子イエス・キリストが十字架の上で流してくださった血による罪の贖いに目を留めて、その血による贖いだけを頼みとして、主のご臨在の御前に近づいて、主を礼拝することです。この主の血による罪の贖いをないがしろにしたり、それ以外のものを頼みとすることは、ナダブとアビフが「主が彼らに命じなかった異なった火」をささげたこと以上に、神さまの聖さを冒すことになります。 御子イエス・キリストが十字架の上で流してくださった血による罪の贖いをないがしろにするとは、どのようなことでしょうか。それは、自分の「善意」や「熱心」がそのまま主によって認められるはずだというような思いをもつことや、そのような思いから、主に仕えようとすることです。 イザヤ書64章6節には、 私たちはみな、汚れた者のようになり、 私たちの義はみな、不潔な着物のようです。 私たちはみな、木の葉のように枯れ、 私たちの咎は風のように私たちを吹き上げます。 と記されています。 私たちの「善意」も「熱心」も、主の御前には、「不潔な着物のようです」。このことに目をつぶって、私たちの「善意」や「熱心」がそのまま聖なる主の御前に通用すると考えることは、罪人の高慢であり、主の聖さを冒すことです。私たちは、御子イエス・キリストが十字架の上で流してくださった血による罪の贖いに包まれていなくては、主にあって、飲むことも食べることもできません。 ハイネは、その死の床で、「神は私を赦してくださる。それが神の仕事だ。」と言ったそうです。それが「神の仕事」であれば、御子イエス・キリストの血による罪の贖いはいりません。あるいは、主の血による罪の贖いがいるとしても、神さまが、それを備えてくださることは、当たり前だということになります。そのようなところから、主の血による罪の贖いに対する真実な信頼は生まれようがありません。 私たちは、罪の自覚とともに、どのような場合にも主の贖いの恵みを必要としていることを感じているでしょうか。そのような自覚もなく、主の贖いの恵みに心から信頼していないのに、何となく、自分と自分のしていることはよいことだから、主に受け入れられている、と考えているのであれば、それは、先ほどのハイネの言葉と同じように、主の血による罪の贖いをないがしろにすることに他なりません。 特に、ナダブとアビフの場合のように、何か、人の目にすばらしいと見えることが、自分の身に起こったときに、また、自分のすることがうまくできていると思えるときに、そのような思いに走ってしまいやすいのです。そのようなときには、主の贖いの恵みに頼るということは建前のようになってしまっていて、自分の「熱心」や自分の「善意」が自分を動かしてしまうことになりますし、さらに、人をも巻き込んでしまうことになります。 私たちは、ナダブとアビフの「熱心」と「善意」を認めます。しかし、同時に、ナダブとアビフを含めて、私たちの「熱心」と「善意」が、私たちと私たちの奉仕を主に受け入れていただくための土台ではないことと、私たちが主のご臨在の御前に近づくための土台でもないことを認めます。 私たちはみな、汚れた者のようになり、 私たちの義はみな、不潔な着物のようです。 私たちはみな、木の葉のように枯れ、 私たちの咎は風のように私たちを吹き上げます。 という御言葉は、そのまま、主の御前における、ナダブとアビフの現実であり、私たちの現実を示しています。 その一方で、私たちは、そのような、主の御前における自分の現実を見て失望するのではなく、むしろ、御子イエス・キリストの血による贖いの恵みに、すべてをお委ねします。そして、主の御言葉が示している道を歩むのです。 自分の場合は、御子イエス・キリストの血による贖いをもってしても救いようがない、というような考え方は、一見すると謙遜な考え方ように見えますが、それは、御子イエス・キリストの血による贖いを、見くびることです。 私たちが、御子イエス・キリストの血による贖いの恵みにすべてをお委ねして、主の御言葉が示している道を歩む時に、主は、御言葉の約束のとおりに、私たちとともにいてくださって、私たちを御子イエス・キリストの血による贖いに包んでくださいます。それで、私たちは、主のご臨在の御前に近づいて、主を礼拝することができます。その時、私たちの間で、主の聖さがあかしされます。 |
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