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説教日:2003年10月12日 |
11章1節〜9節には、 さて、全地は一つのことば、一つの話しことばであった。そのころ、人々は東のほうから移動して来て、シヌアルの地に平地を見つけ、そこに定住した。彼らは互いに言った。「さあ、れんがを作ってよく焼こう。」彼らは石の代わりにれんがを用い、粘土の代わりに瀝青を用いた。そのうちに彼らは言うようになった。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」そのとき主は人間の建てた町と塔をご覧になるために降りて来られた。主は仰せになった。「彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはない。さあ、降りて行って、そこでの彼らのことばを混乱させ、彼らが互いにことばが通じないようにしよう。」こうして主は人々を、そこから地の全面に散らされたので、彼らはその町を建てるのをやめた。それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。主が全地のことばをそこで混乱させたから、すなわち、主が人々をそこから地の全面に散らしたからである。 と記されています。 ここには、一般にバベルの塔の出来事として知られている主のさばきが記されています。これは、ノアの三人の息子、セム、ハム、ヤペテのうちの、末の息子であるハムの子孫であるニムロデの帝国の建設をめぐるものです。これがニムロデの帝国の建設をめぐるものであることは、ハムの子孫のことを記している10章6節〜12節に、 ハムの子孫はクシュ、ミツライム、プテ、カナン。クシュの子孫はセバ、ハビラ、サブタ、ラマ、サブテカ。ラマの子孫はシェバ、デダン。クシュはニムロデを生んだ。ニムロデは地上で最初の権力者となった。彼は主のおかげで、力ある猟師になったので、「主のおかげで、力ある猟師ニムロデのようだ。」と言われるようになった。彼の王国の初めは、バベル、エレク、アカデであって、みな、シヌアルの地にあった。その地から彼は、アシュルに進出し、ニネベ、レホボテ・イル、ケラフ、およびニネベとケラフとの間のレセンを建てた。それは大きな町であった。 と記されていることから分かります。 先週も触れましたが、このことにはさらに歴史的な背景があります。それは、洪水の後にノアが三人の息子について述べた祝福とのろいの宣言です。9章20節〜27節には、 さて、ノアは、ぶどう畑を作り始めた農夫であった。ノアはぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。カナンの父ハムは、父の裸を見て、外にいるふたりの兄弟に告げた。それでセムとヤペテは着物を取って、自分たちふたりの肩に掛け、うしろ向きに歩いて行って、父の裸をおおった。彼らは顔をそむけて、父の裸を見なかった。ノアが酔いからさめ、末の息子が自分にしたことを知って、言った。 「のろわれよ。カナン。 兄弟たちのしもべらのしもべとなれ。」 また言った。 「ほめたたえよ。 セムの神、主を。 カナンは彼らのしもべとなれ。 神がヤペテを広げ、 セムの天幕に住まわせるように。 カナンは彼らのしもべとなれ。」 と記されています。 ここでノアは、ハムが犯した罪に基づいて、ハムの末の子であるカナンに対するのろいを宣言しています。そのことは、ハムの罪に現われている問題が、カナンにおいて典型的に現われていることによっていると考えられます。 そのハムの長男はクシュですが、クシュの子孫の中から、洪水によるさばきの後の歴史において最初の帝国を築いた王であるニムロデが現われました。その帝国はメソポタミアからアッシリアにまたがる一大帝国でした。これをこの世の価値の尺度から見ますと、ハムはそのように最初に世界を征服して大帝国を築いた者の先祖として、祝福されているということになります。しかし、神さまの御前ではそうではありません。先週お話ししましたように、聖書の記録では、バベルを中心とするニムロデの帝国の建設は、11章4節に記されている、 さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。 ということばに示されていますように、自らを神の位置に据えようとする、暗やみの主権者をほうふつさせるものでしかありませんでした。これは、後にこのバベルの地に現われてくるバビロンの王においても見られたことです。イザヤ書14章12節〜15節には、バビロンの王について、 暁の子、明けの明星よ。 どうしてあなたは天から落ちたのか。 国々を打ち破った者よ。 どうしてあなたは地に切り倒されたのか。 あなたは心の中で言った。 「私は天に上ろう。 神の星々のはるか上に私の王座を上げ、 北の果てにある会合の山にすわろう。 密雲の頂に上り、 いと高き方のようになろう。」 しかし、あなたはよみに落とされ、 穴の底に落とされる。 と記されています。 バベルの建設はまた、創世記11章4節に記されている、 われわれが全地に散らされるといけないから。 ということばに示されていますように、1章28節に、 神はまた、彼らを祝福し、このように神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」 と記されている創造の御業の中で与えられた神さまの祝福と、9章7節に、 あなたがたは生めよ。ふえよ。 地に群がり、地にふえよ。 と記されている、洪水によるさばきの後の時代の初めに与えられた神さまの祝福を、意識的に踏みつけようとする姿勢に貫かれていました。 このようなニムロデの帝国の建設は、再び人類全体を滅ぼす終末的なさばきを招くに至るであろう道に突き進ませることを意味していました。 そして、11章6節に、 主は仰せになった。「彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはない。」 と記されていますように、このことは、もはや自分たちの力ではこれを止めることができないところにまで来てしまっていました。それで、主が直接的に介入してくださって、「全地のことばをそこで混乱させ・・・人々をそこから地の全面に散らした」のです。これによって、人類全体が終末的なさばきによる滅びへの道を突き進むという、歴史の流れは回避されることになりました。 主が「全地のことばを・・・混乱させ・・・人々をそこから地の全面に散らした」ことは、セムの子孫たちにも影響を与えています。セムの子孫は、アルパクシャデ、シェラフ、エベルと続きますが、エベルとその子孫のことを記している10章25節〜30節には、 エベルにはふたりの男の子が生まれ、ひとりの名はペレグであった。彼の時代に地が分けられたからである。もうひとりの兄弟の名はヨクタンであった。ヨクタンは、アルモダデ、シェレフ、ハツァルマベテ、エラフ、ハドラム、ウザル、ディクラ、オバル、アビマエル、シェバ、オフィル、ハビラ、ヨバブを生んだ。これらはみな、ヨクタンの子孫であった。彼らの定住地は、メシャからセファルに及ぶ東の高原地帯であった。 と記されています。 25節に、 エベルにはふたりの男の子が生まれ、ひとりの名はペレグであった。彼の時代に地が分けられたからである。 と言われていることが、バベルでの出来事を指していると考えられます。「ペレグ」という名前の意味については、新改訳の欄外注に、 「分ける」意の語根「パラグ」の派生語 と記されています。アブラハムはペレグの子孫として生まれるようになります。そのことはこの10章に記されているセムの子孫の流れからではなく、11章10節以下に記されている「セムの歴史」から分かります。 10章26節〜30節では、エベルのもう一人の子であるヨクタンの子孫のことが記されています。このヨクタンの子孫たちは、それぞれが住んだ正確な地名までは分かりませんが、アラビア地方に住むようになりました。一般にセムの子孫たちはメソポタミアの北の地方に住んでいたようですから、ヨクタンとその子孫たちは、ヨクタンの兄弟であるペレグとその子孫たちから別れて住むようになったわけです。これは、主がバベルにおいて「全地のことばを・・・混乱させ・・・人々をそこから地の全面に散らした」ことの結果であると考えられます。 少し歴史をさかのぼりますが、バベルでの出来事とは違って、主の終末的なさばきを招くに至ったノアの時代の状況を見てみましょう。それを記している6章5節〜7節には、 主は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。それで主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。そして主は仰せられた。「わたしが創造した人を地の面から消し去ろう。人をはじめ、家畜やはうもの、空の鳥に至るまで。わたしは、これらを造ったことを残念に思うからだ。」 と記されています。 ここでは、 地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾く と言われています。「地上に人の悪が増大し」と言われているときの「悪」と「いつも悪いことだけに」と言われているときの「悪いこと」は同じことば(ラァ)です。ですから、ここでは「悪」ということばが二度繰り返されていて、人間の悪が強調されています。この場合は、神である主が「ご覧になった」ときの「悪」ですので、この「悪」は神である主とそのみこころに背くことを本質とするものです。 また、 地上に人の悪が増大し、 ということによって、いわば外から見たときの洪水前の世界の状態を示しています。そして、 その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾く ということによって、その当時の人の心の内側の状態を示しています。「みな」、「いつも」、「だけに」ということばによって、人が悪を追い求めることが徹底していたことが示されています。 さらに、この「傾く」と訳されたことば(名詞・イエーツェル)のことですが、新改訳は「傾向」を表わしていると理解しています。これはまた「追い求めること」をも表わすことばです。ここでは、ノアの時代において人類が造り主である神さまの御前に罪の升目を満たしてしまっているということを記しているのですから、このことばは「追い求めること」の意味で用いられていると考えられます。単に心にそのような傾向があったということではなく、はっきりとした意図や目的意識をもって悪いことを追い求めていたことを表わしているということです。そうしますと、 その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾く と訳されている部分は、 その心に思い計って追い求めることはみな、いつも悪いことだけである となります。このように、ノアの時代の人々は、悪を目的として悪だけを追い求め、それが一時的なことではなく、「いつも」と言われていますように、習慣化していたということが示されています。これが、5章1節〜6章8節に記されている「アダムの歴史の記録」に記されている人類の歴史の至ったところです。 このように、神である主とそのみこころに背くという意味での悪そのものを目的として悪を追い求めるということは、絶対的に堕落し腐敗しているサタンの特性です。サタンは、神である主のみこころに背くことを目的として活動しています。サタンは、何をするにしても、最後にはそれが神さまのみこころに背くことになるはずだという計算をしているのです。創世記にはサタンのことが直接的に取り上げられていません。けれども、3章に記されているアダムにあって人類が堕落したことの記事においても、誘惑者である「蛇」の背後に暗やみの主権者であるサタンがいることを見て取ることができます。それと同じように、 地上に人の悪が増大し、その心に思い計って追い求めることはみな、いつも悪いことだけである と言われていることは、サタン的なものが人間の社会において極限に達した形で表わされているということを示しています。このようなことがあって、6節、7節に、 それで主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。そして主は仰せられた。「わたしが創造した人を地の面から消し去ろう。人をはじめ、家畜やはうもの、空の鳥に至るまで。わたしは、これらを造ったことを残念に思うからだ。」 と記されているわけです。 この「アダムの歴史の記録」においては、アダムから始まって、アダムの子であるセツを経てノアに至る歴史が記されています。いわばこれは「最初の福音」と呼ばれる神である主のみことばを記している3章15節に、 わたしは、おまえと女との間に、 また、おまえの子孫と女の子孫との間に、 敵意を置く。 彼は、おまえの頭を踏み砕き、 おまえは、彼のかかとにかみつく。 と約束されている「女の子孫」として来られる贖い主に対する信仰を継承してきた者たちの歴史です。その意味では、これは信仰の継承の歴史です。「アダムの歴史の記録」を導入する意味をもっている4章25節、26節には、 アダムは、さらに、その妻を知った。彼女は男の子を産み、その子をセツと名づけて言った。「カインがアベルを殺したので、彼の代わりに、神は私にもうひとりの子を授けられたから。」セツにもまた男の子が生まれた。彼は、その子をエノシュと名づけた。そのとき、人々は主の御名によって祈ることを始めた。 と記されています。ここには、アダムとエバから受け継がれた約束の贖い主に対する信仰が、セツの子孫たちにも受け継がれて広まっていった様子が記されています。 そのセツの子孫たちは、それぞれ息子や娘たちを生んでいます。それで、約束の贖い主に対する信仰が継承されていたなら、その信仰によって主の御前に歩む人々が地に増え広がっていったはずです。けれども、ノアの時代の人々は、 その心に思い計って追い求めることはみな、いつも悪いことだけである という状態になってしまっていました。その意味では、この「アダムの歴史の記録」に記されていることには、 そのとき、人々は主の御名によって祈ることを始めた。 と言われている状態からの背教の歴史が隠れています。 しかし、「アダムの歴史の記録」は絶望で終わるのではなく、希望の光をもって終わります。その最後である6章8節には、 しかし、ノアは、主の心にかなっていた。 と記されています。 この しかし、ノアは、主の心にかなっていた。 という言い方ですと、ノアが人として優れていたことを示しているように見えます。けれども、この部分を直訳しますと、 しかし、ノアは、主の御目の中に恵みを見出した。 となります。ここで「恵み」と訳されていることば(ヘーン)は、この「恵み」を受け取る側に力点を置くことばです。つまり、ノアが確かな自覚をもって主の「恵み」を信じて、それを受け取っていたということを表わしています。ここに、主の一方的な恵みによって与えられた「女の子孫」として来られる贖い主についての約束に対する信仰が継承されてきていることが見て取れます。 そして、これに続いて9節からは、「ノアの歴史」が記されています。 9節後半には、 ノアは、正しい人であって、その時代にあっても、全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。 と記されています。 この「正しい」ということば(ツァディーク)も「全き」ということば(ターミーム)もノアの人となりを表わしていますが、どちらもノア自身の生来のよさではなく、神さまの契約のうちに示された恵みによって生み出されたものです。そして、それは、具体的には、 ノアは神とともに歩んだ。 と言われているノアの生き方に現われてきています。このようにノアの人となりが正しく、まったきものであったことも、ノアが神さまとともに歩んだことも、8節で、 しかし、ノアは、主の御目の中に恵みを見出した。 と言われていますように、主の恵みによることでした。 ここでは、「その時代にあっても」と言われています。この場合の「その時代」は複数形です。7章11節に記されていますように、洪水によるさばきが執行されたのがノアの生涯の六百年目のことです。「アダムの歴史の記録」によりますと、かなりの差がありますが、だいたい百歳前後で子どもを生んでいます。もちろん、それは長男を生んだという意味ではなく、ノアに至る子を生んだということですから、最初の子はもっと早くに生まれていた可能性があります。いずれにしましても、ノアの生涯の六百年目までの間に、社会では何世代かの子どもたちが生まれて育っていったわけです。その間に、人類の歴史は堕落の道を転がり落ちるように進んで、腐敗の極みに達して、サタン的なものをむき出しにして現わすようになっていきました。そのような背教の歴史の抗しがたい流れが生み出されていって、すべての者がそれに押し流されていく中にあって、ノアは、神である主の御前に正しく、まったき者であったというのです。もちろん、これも、 しかし、ノアは、主の御目の中に恵みを見出した。 と言われていることによっています。 これに続いて、10節には、 ノアは三人の息子、セム、ハム、ヤペテを生んだ。 と記されています。これは、 ノアは神とともに歩んだ。 と言われているノアの歩みの中でのことでした。当然、ノアは主の恵みに頼りつつ、与えられた三人の息子たちを育てたと考えられます。 けれども、先ほど触れました9章20節〜23節には、 さて、ノアは、ぶどう畑を作り始めた農夫であった。ノアはぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。カナンの父ハムは、父の裸を見て、外にいるふたりの兄弟に告げた。それでセムとヤペテは着物を取って、自分たちふたりの肩に掛け、うしろ向きに歩いて行って、父の裸をおおった。彼らは顔をそむけて、父の裸を見なかった。 と記されています。 ノアは主の恵みに頼りつつ、主とともに歩みました。そして、その歩みの中でセム、ハム、ヤペテの三人の子どもたちを育てました。そして、主の計り知れない恵みの中で、大洪水によるさばきから救われました。セム、ハム、ヤペテは父ノアとともに主の恵みによる救いを経験しました。そうではあっても、ノアにも罪の性質が宿っており、そのための弱さと欠けがありました。それが現われてしまったとき、末の息子であるハムは父の裸の恥を明るみに出して、父を辱めるようなことをしました。 いわゆる族長たちの時代においては一般的なことであったのですが、ノアは一家の長として、いわば祭司的な立場に立っていました。それで、ノアの信仰のゆえにノアの家族は主の恵みによって備えられた救いにあずかっています。ハムはそのような立場にある父ノアの裸の恥を明るみに出して、ノアを辱めるようなことをしたのです。 しかし、振り返って、アダムからノアに至るまでの歴史の流れを見てみますと、アダムが「女の子孫」として来られる贖い主についての約束を信じたのも、その信仰がアダムの子孫に継承されていったのも、主の恵みによることでした。そして、人類全体が背教の歴史の抗しがたい流れを生み出して、罪の升目を満たしてしまって終末的なさばきを招くに至る状況の中で、ノアが神さまの御前に正しく、まったき者として、神さまとともに歩むことができたのも、主の恵みによることでした。これらのことは、造り主である神さまに対して罪を犯して御前に堕落してしまっている人間にとっては、本来ありえないことが起こったということを意味しています。ですから、見方によっては、ノアの息子であるハムが、祭司的な立場にある父の裸の恥を明るみに出して、父を辱めるようなことをしたということの方が、自らのうちに罪の性質を宿している人間にとっては自然なことだったわけです。 9章24節〜27節には、 ノアが酔いからさめ、末の息子が自分にしたことを知って、言った。 「のろわれよ。カナン。 兄弟たちのしもべらのしもべとなれ。」 また言った。 「ほめたたえよ。 セムの神、主を。 カナンは彼らのしもべとなれ。 神がヤペテを広げ、 セムの天幕に住まわせるように。 カナンは彼らのしもべとなれ。」 と記されています。 いまお話ししたことを忘れてこの記事を読みますと、ノアがハムの子であり、自分の孫であるカナンをのろうというようなことは、いったい人間として許されることなのかというような思いになります。しかし、これはノアの個人的な怒りに突き動かされた判断や感情によることではありません。この祝福とのろいは、主の契約に伴う祝福とのろいです。ノアは一家の長として祭司的な立場に立って、そして、この場合は主の霊感によって、主の契約に基づく祝福とのろいの宣言をしたのです。 私たちの主イエス・キリストを除けば、ノアほど人間の罪がもたらす暗やみの深さを痛感した人はなかったでしょう。ノアがそれを通って救われたことによって経験した終末的なさばきの恐ろしさは、人間の罪の暗やみの深さに比例しています。ノアはそれを身をもって経験していました。ノア自身も含めた人間の罪の暗やみの深さの自覚は、また、主の恵みの深さの自覚につながっています。ノアはひたすら主の恵みに信頼し続けました。ノアは、主の恵みがなければ自分も自分の家族も主のさばきによって取り去られるべき者であることをわきまえていました。ノアにとっては、主の恵みは、そのように罪に満ちている自分たちの罪を覆ってくださっているものでした。 繰り返しになりますが、ハムがしたことは、自分にとって祭司的な立場にある父ノアの裸の恥を、兄弟たちの前であらわにしようとしたことです。それは、罪深い自分たちの罪を覆い続けてくださっている主の恵みと正反対のものです。自らの罪を自覚して、自分はただ主の恵みによって罪を覆っていただいている者でしかないということをわきまえている人は、主の御前に身を低くして、主の恵みに信頼し続けます。それがノアの姿でした。もしハムが自分らの罪を自覚して、主の御前に身を低くして、ひたすら主の恵みに信頼していたとしたら、そして、自分たちが救われたのはただ主の恵みによることであったと心から思っていたとしたら、父の裸の恥を兄弟たちに暴くようなことはしなかったはずです。 ハムのしたことは、ソドミーと呼ばれる罪であるとか、同性愛に通じる罪であるとか、いろいろに論じられています。しかし、ハムのうちにあった問題の核心は、そのような何らかの道徳的な罪を犯したということ自体にあったのではありません。もしハムが自分たちの罪を覆ってくださる主の恵みを心から信じていたとしたら、どのような罪を犯したとしても、それを認めて主の恵みに頼ることができたのです。ですから、ハムの問題は何らかの道徳的な罪を犯したということ自体にあったのではありません。そうではなく、そのことをとおして、ハムが自分が罪ある者であることを自覚していなかったし、主の恵みを信じてもいなかったということが明らかになったのです。しかも、ハムはひたすら主の恵みに依り頼むノアの姿に接していましたし、その主の恵みによって備えられた救いにあずかりました。それでもハムの霊的な眼は閉じたままであったのです。 そのような人間のうちにあるのは、罪が生み出す自己中心性をともなう高ぶりです。ハムもそれに動かされて、自分にとって祭司的な立場にある父の裸の恥を知ったときに、それを覆うどころか、父の罪と弱さをあざけるかのように、兄弟たちに告げたのです。先週もお話ししましたように、これは、黙示録12章10節で「私たちの兄弟たちの告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者」と呼ばれている暗やみの主権者の高ぶりに通じるものです。 そして、ハムのうちにあった神である主の御前における高ぶりは、ハムの子孫に受け継がれて実を結んでいきます。それが、軍事力を中心とする血肉の力によって世界を統一して、ニムロデの帝国を生み出すに至りました。そして、意識的にまた組織的に、造り主である神さまのみこころを踏みつけるようになりました。 いずれにしましても、ノアが宣言した祝福とのろいは主の契約に基づくものです。それは、ノアが自分の罪の深さを自覚していることと、そのような罪を限りなく覆ってくださる主の恵みを感謝とともに受け止めていることに裏打ちされています。主の契約はご自身の民の罪を覆ってくださるための備えを示してくださるものです。その祝福は、最終的には「女の子孫」として来てくださる贖い主によって完全な形で実現するものでした。そうであれば、その祝福は主が契約のうちに約束してくださっている恵みを信じて、それに頼り続ける者に与えられます。しかし、主が契約のうちに約束してくださった恵みをも信じないのであれば、その人自身の罪がもたらすのろいがその人に返ってくることになります。 ノアがハムの子であるカナンに対するのろいを宣言したのは、主の恵みに対して心を閉ざしてしまっているハムの姿勢が、カナンにより明確に現われていたからであると考えられます。また、セムとヤペテに祝福を宣言したのは、セムとヤペテのしたことのうちに、主の恵みによって罪を覆っていただいているという信仰のわきまえが現われていることを見て取ってのことでしょう。 ガラテヤ人への手紙3章13節には、 キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである。」と書いてあるからです。 と記されています。「女の子孫」として来てくださった贖い主であるイエス・キリストが私たちの罪ののろいをご自身の身に負ってくださったので、私たちは私たちの罪ののろいから贖い出されたのです。私たちは、このことを感謝とともに受け止めたいと思います。そして、自分はただ主の恵みによって罪をおおっていただいている者でしかないということを心にしっかりと刻んで、主の御前に身を低くし、ますます主の恵みに信頼し続けたいと思います。 |
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