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説教日:2003年10月5日 |
創世記12章1節〜3節に記されていますように、アブラハムは、神である主から、 あなたは、 あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、 わたしが示す地へ行きなさい。 そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、 あなたを祝福し、 あなたの名を大いなるものとしよう。 あなたの名は祝福となる。 あなたを祝福する者をわたしは祝福し、 あなたをのろう者をわたしはのろう。 地上のすべての民族は、 あなたによって祝福される。 という祝福の約束と召命を受けました。そして、これに従ってカナンの地にやって来ました。そこで、主がアブラハムに現われてくださって、カナンの地をアブラハムの子孫に与えてくださると約束してくださいました。これを受けてアブラハムはカナンの地に住むようになりました。 これまで、アブラハムが、主がアブラハムとともにいてくださって約束してくださったことを実現してくださることを経験したこと、その主を信頼するようになったために、この世的な権力や富から自由な者になっていたこと、そして、そのようなアブラハムに、約束の地であるカナンにおける王的な権威を委ねてくださったことについてお話ししてきました。きょうは、これらのことを踏まえて、アブラハムに与えられた、 地上のすべての民族は、 あなたによって祝福される。 というアブラハムに与えられた祝福の約束を、創世記の記述の流れから見てみたいと思います。 前にも触れましたが、アブラハムの生涯は11章27節〜25章18節に記されている「テラの歴史」の中に記されています。この「テラの歴史」は、それに先立つ11章10節〜26節に記されている「セムの歴史」につながっています。「セムの歴史」の最後は、26節の、 テラは七十年生きて、アブラムとナホルとハランを生んだ。 ということばで終わっています。そして、これに続く27節から「テラの歴史」が始まっています。ですから、「テラの歴史」は、その前に記されている「セムの歴史」につながっているのです。 さらに、この「セムの歴史」は、9章20節〜27節に記されている出来事を受けて語られたノアの祝福とのろいのことばにおいて示された祝福を受けています。 9章20節〜27節には、 さて、ノアは、ぶどう畑を作り始めた農夫であった。ノアはぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。カナンの父ハムは、父の裸を見て、外にいるふたりの兄弟に告げた。それでセムとヤペテは着物を取って、自分たちふたりの肩に掛け、うしろ向きに歩いて行って、父の裸をおおった。彼らは顔をそむけて、父の裸を見なかった。ノアが酔いからさめ、末の息子が自分にしたことを知って、言った。 「のろわれよ。カナン。 兄弟たちのしもべらのしもべとなれ。」 また言った。 「ほめたたえよ。 セムの神、主を。 カナンは彼らのしもべとなれ。 神がヤペテを広げ、 セムの天幕に住まわせるように。 カナンは彼らのしもべとなれ。」 と記されています。 この記事にはいくつかの問題がありますが、それについてはすでに、この「聖なるものであること」のお話の第137回においてお話ししていますので、簡単にまとめておきます。 まず、ノアの末の息子であるハムの犯した罪は何であったかということです。 ノアはその時代において主の御前に恵みを受けて、信仰による義を受け継いだただ一人の人でした。人類のそれまでの歴史を清算する終末的なさばきを通って救われた、救いの継承者でした。しかし、ノアにも欠点はありました。ノアが救われたのは、ただ主の恵みによることでした。ノアは主の恵みによる救いを信じたのです。ハムは、そのような父であるノアの信仰によって受け止められた、主の恵みによる救いにあずかって洪水を通ってきました。 そのハムが、父であるノアの「裸の恥」を、兄弟たちの前で暴こうとしたのです。それは、また偉大な父の弱みを暴いて、おとしめることによって、あたかも自分がその上に立っているかのような錯覚をもつようになるということで、歪んだ自己主張の現われです。これは、黙示録12章10節で「私たちの兄弟たちの告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者」と呼ばれている暗やみの主権者の高ぶりに通じるものです。そして、これはペテロの手紙第一・4章8節に記されている、 何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。 という主の戒めに示されている愛の対極にあるものです。 もう一つの問題は、ハムの罪がどうして、ハムの末の息子であるカナンののろいとなったのかということです。本来は、そののろいはハムに下されて、ハムの子孫全体におよぶはずのものですが、それがあわれみによって、ハムの末の息子であるカナンに制限されているということです。それにしても、なぜカナンなのかという問題があります。これは、22節に、 カナンの父ハムは、父の裸を見て、外にいるふたりの兄弟に告げた。 と記されていますように、この出来事においてはハムとその子であるカナンとのつながりが強調されています。その意味では、ハムに現われた罪が、ハムの息子たちの中でも特にカナンに典型的に現われてきているということによっているのではないかと考えられます。 このようなノアの祝福とのろいの言葉を受ける形で、10章1節には、 これはノアの息子、セム、ハム、ヤペテの歴史である。大洪水の後に、彼らに子どもが生まれた。 と記されていて、ここから「ノアの息子、セム、ハム、ヤペテの歴史」が記されています。これは11章9節まで続いています。そして、11章10節からは先ほど触れました「セムの歴史」が記されています。先に、ノアの三人の子であるセム、ハム、ヤペテの子孫たちのことが述べられてから、改めて、ノアの信仰を受け継いでいるセムの子孫のことが取り上げられているわけです。 この「ノアの息子、セム、ハム、ヤペテの歴史」は二つの部分に分けられます。その最初の部分は、10章に記されている、一般に「民族表」として知られているものです。そして、もう一つの部分は、11章1節〜9節に記されている「バベルの塔の出来事」として知られているものです。 11章1節〜9節には、 さて、全地は一つのことば、一つの話しことばであった。そのころ、人々は東のほうから移動して来て、シヌアルの地に平地を見つけ、そこに定住した。彼らは互いに言った。「さあ、れんがを作ってよく焼こう。」彼らは石の代わりにれんがを用い、粘土の代わりに瀝青を用いた。そのうちに彼らは言うようになった。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」そのとき主は人間の建てた町と塔をご覧になるために降りて来られた。主は仰せになった。「彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはない。さあ、降りて行って、そこでの彼らのことばを混乱させ、彼らが互いにことばが通じないようにしよう。」こうして主は人々を、そこから地の全面に散らされたので、彼らはその町を建てるのをやめた。それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。主が全地のことばをそこで混乱させたから、すなわち、主が人々をそこから地の全面に散らしたからである。 と記されています。 この部分には文学的に巧みな技巧が加えられていますので、いろいろな分析がなされています。主題の上では、1節〜4節と5節〜9節の二つの部分に分けられます。前半の1節〜4節には人間のことが記されており、後半の5節〜9節には主のことが記されています。しかも、その二つの部分がお互いに対比されるような形で記されています。そのことはヘブル語の表記や音声にも表われていますが、人間がしていることと、神である主がなさることが対比され、人間の見方と、神である主の見方が対比されているということは、新改訳でも容易に見て取ることができます。 2節では、 そのころ、人々は東のほうから移動して来て、シヌアルの地に平地を見つけ、そこに定住した。 と言われています。この「シヌアルの地」は、メソポタミアのことです。新改訳では、人々は「東のほうから」移動してきたと訳されています。これが「東のほうから」と訳されていることば(ミケデム)の基本的な意味です。しかし、この場合には、13章11節に、 それで、ロトはそのヨルダンの低地全体を選び取り、その後、東のほうに移動した。こうして彼らは互いに別れた。 と言われているのと同じように「東のほうに」(ミケデム)という意味であると考えられています。そして、この「東のほうに」ということは、創世記の記事の中では、しばしば、このロトがアブラハムから別れていった場合と同じように、離れていくことを表わしています。この典型的な例は、4章16節に記されている、 それで、カインは、主の前から去って、エデンの東、ノデの地に住みついた。 ということです。これと同じように、人々が「東のほうに」移動して「シヌアルの地」へ行ったのは、その人々が神である主の御前から離れていったことを象徴的に表わしていると考えられます。このことについては、後ほどもう少しお話しします。 それにしても、この人々はもともとどこにいたのかということが問題になります。これには、この人々がどのような人々であったかということがかかわっています。この人々はノアの三人の息子のうちのハムの子孫です。ハムの最初の子はクシュですが、このクシュの子であるニムロデがこの人々の王です。10章6節〜12節には、 ハムの子孫はクシュ、ミツライム、プテ、カナン。クシュの子孫はセバ、ハビラ、サブタ、ラマ、サブテカ。ラマの子孫はシェバ、デダン。クシュはニムロデを生んだ。ニムロデは地上で最初の権力者となった。彼は主のおかげで、力ある猟師になったので、「主のおかげで、力ある猟師ニムロデのようだ。」と言われるようになった。彼の王国の初めは、バベル、エレク、アカデであって、みな、シヌアルの地にあった。その地から彼は、アシュルに進出し、ニネベ、レホボテ・イル、ケラフ、およびニネベとケラフとの間のレセンを建てた。それは大きな町であった。 と記されています。 「ニムロデ」という名前は、「われわれは反逆しよう」という意味であると考えられています。これは、11章1節〜9節に記されているバベルでの出来事を思い起こさせます。 ニムロデは地上で最初の権力者となった。 と言われています。「最初の」と訳されていることば(ヘーヘール)は、革新的なことの始まりを表わすことばによって表わされていますので、「最初の権力者となった」と訳されています。同じことばは11章6節にも用いられています。そこには、 主は仰せになった。「彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはない。」 と記されていますが、その「し始めた」がこれと同じことばです。ですから、 ニムロデは地上で最初の権力者となった。 ということは、ノアの時代の洪水によるさばきの後の歴史に起こった大変革だったわけです。しかし、それは、主に反逆する体制を造り出し、組織的に主に反逆し始めたという、悲しむべきことであったのです。 ニムロデについては、さらに、 彼は主のおかげで、力ある猟師になったので、「主のおかげで、力ある猟師ニムロデのようだ。」と言われるようになった。 と言われています。この「主のおかげで、力ある猟師」といいますと、主ヤハウェが讚えられているような感じです。けれども、ここで「おかげで」と訳されたことば(リプネー)は意味の広いことばです。一般には、この場合は、「主がご覧になっても」とか「主の評価によっても」というような意味で、これがさらに、慣用表現として最上級を表わし、「この上なく力ある猟師」ということを表わしていると考えられています。またニムロデは「猟師」と言われていますが、古代オリエントの王たちが、狩りをする能力を誇ったことの始まりと考えられます。つまり、ここでは主が讚えられているのではなく、前例のないほど強力な猟師であるニムロデが出現したということが示されていると考えられます。そして、ことわざとしては、「この上なく力ある猟師、ニムロデのようだ」と言われるようになったということです。 ニムロデの紹介に続いて、10節には、 彼の王国の初めは、バベル、エレク、アカデであって、みな、シヌアルの地にあった。 と記されています。「彼の王国の初め」ということばは、ニムロデの帝国の「初め」とともに、「中心」をも表わすものです。「バベル」は(後の)バビロンのことです。「エレク」は現在のイラク南部の地方で、考古学的には、そこが文明の発祥の地とされています。「アカデ」は「アッカド」のことで、文献からサルゴン一世の出身地として知られていますが、どこにあったかは分かっていません。「みな」と訳されたことば(カルネー)は地名である可能性もありますが、文献からはまったく不明ですので、新改訳は本文で「みな」と訳し、欄外訳で「カルネ」としています。「シヌアル」は先ほど言いましたように、メソポタミアを指しています。このように、ニムロデの帝国はメソポタミアに建設されました。 これに続く11節、12節には、 その地から彼は、アシュルに進出し、ニネベ、レホボテ・イル、ケラフ、およびニネベとケラフとの間のレセンを建てた。それは大きな町であった。 と記されています。この「アシュル」はメソポタミアの北に位置するアッシリアのことです。そして、それに続いて記されている「ニネベ」、「レホボテ・イル」、「ケラフ」、「レセン」はその地方の町です。 この「アシュル」が人物の名前で、ここでは「アシュル」のことが記されているという見方もありますが、ミカ書5章6節では、 彼らはアッシリヤの地を剣で、 ニムロデの地を抜き身の剣で飼いならす。 と言われていて、「アッシリヤの地」が「ニムロデの地」と言い換えられています。それで、ここでは新改訳のように、ニムロデのさらなる業績が記されていると考えられます。 このように、創世記10章10節〜12節では、ニムロデの帝国がメソポタミアからアッシリヤに広がる大帝国であったことが示されています。 そうしますと、先ほどの、11章1節、2節で、 さて、全地は一つのことば、一つの話しことばであった。そのころ、人々は東のほうから移動して来て、シヌアルの地に平地を見つけ、そこに定住した。 と言われている人々は、どこから来たのかというという問題ですが、これは、ハムの子であるクシュの子ニムロデを王とする人々のことです。この人々はもともとはノアとその家族たちが住んでいた所から増え広がっていったものです。8章4節では、ノアの箱船は「アララテの山の上にとどまった」と言われています。アララテ山は、現在のトルコとイラクとロシアの国境のあるアルメニア地方の山であると考えられます。それで、この人々はそちらの方から増え広がって、メソポタミアにまでやって来たと考えられます。そうしますと、その人々は多少東寄りに南下してきたことになります。それが、先ほどお話ししましたように「東のほうに」と言われているということは、創世記の記事の中の慣用的な表現で、この人々が主の御前から離れ去っていったことを象徴的に示すためであったと考えられます。 11章1節では、 さて、全地は一つのことば、一つの話しことばであった。 と言われています。すでにお話ししましたように、ノアの子孫たちは、すでに、地に増え広がっていました。そのように地に増え広がっていったノアの子孫たちが話したことばは一つのことばであったということです。 そして、このような文化的な状況の中で、ハムの子孫であるニムロデは、メソポタミアからアッシリアにまたがる地方を力によって征服して一大帝国を築いていきました。その帝国の中心はバベルを初めとするメソポタミアの町にありました。そうしますと、4節で、 そのうちに彼らは言うようになった。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」 と言われていることは、「天地創造」という映画などで描かれているのとはかなり違います。その映画では、「頂が天に届く塔を建て」て、人々がそこにまとまって住むようにしたというようになっています。 この「さあ、われわれは町を建て・・・よう」というときの「町」は単数で、9節では、 それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。 と言われています。そして、「頂が天に届く塔」は、メソポタミアに見られるジグラトの起源に当たる建造物ことで、宗教的な建物です。ジグラトの頂上には小さな神殿がありました。確かにそこにはらせん階段がついています。しかしそれは人の住むところではなく、天と地をつなぐ階段と考えられていました。 ニムロデの帝国の人々が建てた塔は後のジグラトと少し違った意味をもっていたと思われます。「頂が天に届く塔」を建てるに当たって、人々は、 さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。 と言ったと、言われています。新改訳では訳し出されていませんが、ここには「われわれのために」ということばが二回出てきます。それを生かして訳しますと、 さあ、われわれのために町を建て、頂が天に届く塔を建て、われわれのために名をあげよう。 となります。これは、この人々が「頂が天に届く塔」を建てたのは、自分たちを神格化して、神と対抗しようとする試みであったということを意味しています。 この人々は、さらに、 われわれが全地に散らされるといけないから。 と言っています、これは、1章28節に、 神はまた、彼らを祝福し、このように神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」 と記されており、9章7節に、 あなたがたは生めよ。ふえよ。 地に群がり、地にふえよ。 と記されている神である主の祝福を、意識的に踏みつけようとする姿勢を示しています。 このことから分かりますように、ニムロデの帝国の人々は、帝国の中心であるバベルに「頂が天に届く塔」を建てて、これを宗教的な中心としたのです。それは自分たちの獲得した権力の巨大さに自ら欺かれて、自分たちを神格化して神に並ぶものとすることでした。このようなイデオロギーの下に帝国を統一し、その結束を強めようとしました。もちろん、それはニムロデの軍事力を初めとする血肉の力に裏打ちされたことです。その結果、本来は、造り主である神さまの祝福の下に、全地に増え広がっていくことによって歴史と文化が造られていくということが神さまのみこころですが、この神さまのみこころに真っ向から反逆する歴史と文化を造り出すことになっていったのです。 このような歴史の流れが行き着く先は、大洪水によるさばきの前の状況を記している6章11節、12節に、 地は、神の前に堕落し、地は、暴虐で満ちていた。神が地をご覧になると、実に、それは、堕落していた。すべての肉なるものが、地上でその道を乱していたからである。 と記されている世界と同じ状態です。 このままの状態が進めば、人類は再び主の御前に罪の升目を満たしてしまい、終末的なさばきを招くに至ってしまいます。11章6節に、 主は仰せになった。「彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはない。」 と記されていますように、その流れはもう人間自身の分別や力では止めることができないまでになっていました。 このような、自らを神の位置に据えようとするニムロデの帝国の高ぶりに対して、11章5節には、 そのとき主は人間の建てた町と塔をご覧になるために降りて来られた。 と記されています。これは痛烈な皮肉です。人間は「頂が天に届く塔」を建てて、名を天にまで上げたつもりでいました。人間の目からは、その塔の頂が天に届いているように見えたのです。けれども、それは天にまで届いたどころか、主はそれを見るために、わざわざ降りてこなければならなかったというのです。もちろん、これは擬人化された言い方で人間の高ぶりの愚かさを示しているのです。人間の愚かさは、自分の目に「頂が天に届く」と見える塔を建てたことによって、自分が神に匹敵する者になったと錯覚することにありました。それは、今日においても同じです。これだけ文明が進んだのだから、もはや神はいらないというようなことを言います。そのように言っている自分たち自身が造り主である神さまの御手によって支えられていることを見失っています。そればかりではありません。人間の愚かさは、自分たちが神に匹敵する者となったと錯覚することによって、最も神さまから遠い存在である、暗やみの主権者に限りなく近づいていって、暗やみの主権者と同じさばきを刈り取っていくようになることにあります。 しかし、9章8節〜11節に、 神はノアと、彼といっしょにいる息子たちに告げて仰せられた。「さあ、わたしはわたしの契約を立てよう。あなたがたと、そしてあなたがたの後の子孫と。また、あなたがたといっしょにいるすべての生き物と。鳥、家畜、それにあなたがたといっしょにいるすべての野の獣、箱舟から出て来たすべてのもの、地のすべての生き物と。わたしはあなたがたと契約を立てる。すべて肉なるものは、もはや大洪水の水では断ち切られない。もはや大洪水が地を滅ぼすようなことはない。」 と記されていますように、神である主は、ご自身の契約によって、再び大洪水によるさばきを執行されないことを約束してくださいました。 もはや人間が自らの罪の升目を満たして、最終的なさばきを招くに至る道を突き進むことを、自らの分別と力によって止めることができなくなったとき、神である主ご自身が介入して、それを止めてくださいました。11章6節〜9節には、 主は仰せになった。「彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはない。さあ、降りて行って、そこでの彼らのことばを混乱させ、彼らが互いにことばが通じないようにしよう。」こうして主は人々を、そこから地の全面に散らされたので、彼らはその町を建てるのをやめた。それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。主が全地のことばをそこで混乱させたから、すなわち、主が人々をそこから地の全面に散らしたからである。 と記されています。 この「バベル」という町の名前には二通りの意味があります。メソポタミアのことばであるアッカド語ではバーブイルで「神の門」を表わします。これに対して、ヘブル語ではバーベルで「混乱」を表わします。ニムロデ帝国の人々は、帝国の統一の中心として、その頂が天にまで届く塔のある町を建てて、それを「神の門」と呼びました。しかし、それは歴史の中では、神である主のさばきを招いて、「混乱」もたらしただけの試みとして覚えられることになりました。 これが洪水後の人類の歩んだ道でした。確かに、人類は地の全面に散っていきました。けれどもそれは、神である主のさばきによって「混乱」のうちに散っていったもので、分裂に分裂を重ねて散っていったというべきものです。 そのような、歴史の流れの中に、もう一つの流れがありました。それが、これに続く11章10節〜26節に記されている「セムの歴史」です。見える形としては、ニムロデの帝国に組み入れられていたでしょうが、その歴史はノアの祝福を受け継いだセムからアブラハムの父であるテラに至ります。そして、さらにそれに続く11章27節〜25章18節に記されている「テラの歴史」には、テラの子であるアブラハムの生涯が記されています。 これらのことを踏まえて見ますと、主がアブラハムに与えてくださった、 あなたは、 あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、 わたしが示す地へ行きなさい。 そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、 あなたを祝福し、 あなたの名を大いなるものとしよう。 あなたの名は祝福となる。 あなたを祝福する者をわたしは祝福し、 あなたをのろう者をわたしはのろう。 地上のすべての民族は、 あなたによって祝福される。 という祝福の約束と召命が、「地上のすべての民族」の祝福のためであったことの意味が見えてきます。 ニムロデは、血肉の力の結集によって一大帝国を造り出しました。しかし、それは自らを神の位置に据えることによって、かえって暗やみの主権者と一つであることを露呈していくことになりました。その結果は「混乱」であり、分裂であり、神である主のさばきによる滅びでしかありませんでした。 その後も、バビロンやアッシリアやエジプト、さらにはローマなどの帝国が興っては、ニムロデの帝国と同じ精神をもって、世界の統一を図ってきました。しかし、それは新たな「混乱」による分裂を生み出して終わりました。 すでに何度かお話ししました、アブラハムの時代にカナンの地に侵攻してきて、カナンの地を略奪したケドルラオメルを中心とした東の王たちの連合軍も、まさに、ニムロデの帝国に当たる地方の王たちの連合軍でした。この東の王たちも、血肉の力の結集によって世界の統一を図ろうとして連合していました。アブラハムは形としては彼らと戦ったのですが、そのよりどころとなったのは、アブラハムとともにいてくださって御業をなさる神である主の恵みであって、血肉の力を結集したものではありませんでした。 そのような歴史の流れの中で、神である主は、アブラハムに与えてくださった祝福の約束を実現してくださいました。神である主の救いの御業の歴史の中では、バベルにおいて主のさばきによってことばが乱されたこと、それによって、人々が分裂を重ねて散っていったことへの解決は、使徒の働き2章に記されているペンテコステの日に実現しています。 使徒の働き2章1節〜12節には、 五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。すると突然、天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった。すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。さて、エルサレムには、敬虔なユダヤ人たちが、天下のあらゆる国から来て住んでいたが、この物音が起こると、大ぜいの人々が集まって来た。彼らは、それぞれ自分の国のことばで弟子たちが話すのを聞いて、驚きあきれてしまった。彼らは驚き怪しんで言った。「どうでしょう。いま話しているこの人たちは、みなガリラヤの人ではありませんか。それなのに、私たちめいめいの国の国語で話すのを聞くとは、いったいどうしたことでしょう。私たちは、パルテヤ人、メジヤ人、エラム人、またメソポタミヤ、ユダヤ、カパドキヤ、ポントとアジヤ、フルギヤとパンフリヤ、エジプトとクレネに近いリビヤ地方などに住む者たち、また滞在中のローマ人たちで、ユダヤ人もいれば改宗者もいる。またクレテ人とアラビヤ人なのに、あの人たちが、私たちのいろいろな国ことばで神の大きなみわざを語るのを聞こうとは。」人々はみな、驚き惑って、互いに「いったいこれはどうしたことか。」と言った。 と記されています。 これは、贖い主であるイエス・キリストが十字架の死と死者の中からのよみがえりをとおして成し遂げてくださった贖いの御業によって、あのバベルの出来事以来全世界に散らされている、あらゆる民族、あらゆる国語の人々が福音のみことばを聞いて、造り主である神さまのご臨在の御許に集められ、神さまとの愛にあるいのちの交わりにあずかるようになることの第一歩でした。そして、これは、 地上のすべての民族は、 あなたによって祝福される。 というアブラハムに与えられた約束の成就の第一歩でもありました。 このようにして始まった新しい契約の下での歴史は絶えることなく続いてきて、地の果てに位置するというべき私たちも福音のみことばを聞いて、そこにあかしされている御子イエス・キリストの贖いの御業を信じるようになりました。そして、神さまのご臨在の御許に集められて、神さまを中心とするいのちの交わりの祝福にあずかっています。 |
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