(第140回)


説教日:2003年9月7日
聖書箇所:ペテロの手紙第一・1章1節〜21節


 ペテロの手紙第一・1章3節、4節に記されていますように、父なる神さまは「ご自分の大きなあわれみのゆえに」私たちを御子イエス・キリストの死者の中からのよみがえりにあずからせてくださって、私たちを新しく生まれさせてくださいました。それによって、私たちは神の子どもとしての身分を与えられ、「生ける望み」と「朽ちることも汚れることも、消えて行くこともない資産」をもつようになりました。この「朽ちることも汚れることも、消えて行くこともない資産」は神の子どもたちが受け継いでいる相続財産のことで、その中心は神さまご自身です。神さまを相続財産としてもつということは、私たちが父なる神さまとの愛にあるいのちの交わりに生きるということを意味しています。
 古い契約のもとでは、神の子どもが受け継ぐ相続財産のことはアブラハムに与えられた契約に示されています。アブラハムに与えられた契約では、地上のカナンの地が神の子どもが受け継ぐ相続財産を表わす地上的なひな型でした。これに対して、ヘブル人への手紙11章8節〜10節には、

信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに相続するイサクやヤコブとともに天幕生活をしました。彼は、堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。その都を設計し建設されたのは神です。

と記されています。ここでは、カナンの地に関する約束を受けていたアブラハムは、地上のカナンの地を自分と自分の子孫が受け継ぐ相続財産であるとは考えていなかったと言われています。それで、これまでこのことをアブラハムの生涯の記録に沿ってお話ししてきました。きょうもそのお話を続けます。


 創世記15章7節には、カナンの地にいるアブラハムに対して語られた、

わたしは、この地をあなたの所有としてあなたに与えるために、カルデヤ人のウルからあなたを連れ出した主である。

という主のことばが記されています。主はアブラハムをカルデヤのウルから「連れ出し」てくださり、カナンの地に導き入れてくださいました。そして、12章7節に、

そのころ、主がアブラムに現われ、そして「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える。」と仰せられた。アブラムは自分に現われてくださった主のために、そこに祭壇を築いた。

と記されていますように、カナンの地に来たアブラハムに、そのカナンの地がアブラハムの子孫に与えられる約束の地であるということを示してくださいました。それで、アブラハムはその地に主のための祭壇を築きました。
 さらに、これに続く8節には、

彼はそこからベテルの東にある山のほうに移動して天幕を張った。西にはベテル、東にはアイがあった。彼は主のため、そこに祭壇を築き、主の御名によって祈った。

と記されています。ここでは、アブラハムが「主の御名によって祈った。」と言われています。しかし、原文のヘブル語では「祈った」という言葉はありません。この部分を直訳しますと、「主の御名で呼んだ」となります。これと同じ言い回しは、創世記の中では4章26節、13章4節、21章33節、26章25節などに出てきます。4章26節には、

セツにもまた男の子が生まれた。彼は、その子をエノシュと名づけた。そのとき、人々は主の御名によって祈ることを始めた。

と記されていていますが、これは主への礼拝の始まりを記すものと理解されています。それで、このアブラハムの場合も「主の御名によって祈った。」と訳されていることばは、「ベテルの東にある山のほうに移動し」たアブラハムが、そこで主を礼拝することを中心として生活をしたことを示していると考えられます。
 このように、主はアブラハムにカナンの地をアブラハムとアブラハムの子孫に与えてくださるというみこころを示してくださいました。するとアブラハムはそれに応えて、行く先々で主のための祭壇を築き、主を礼拝することを中心とした歩みを続けるようになりました。このことは、アブラハムにとって約束の地とは、主を礼拝することを中心とした、主との愛にあるいのちの交わりに生きるようになるために与えられた地であったということを示しています。
 これまでは、アブラハムの歩みがこのような理解のもとに進められてきたということに焦点を合わせて、お話を進めてきました。
 簡単にまとめておきますと、アブラハムはおいのロトと別れなければならない状況になったときに、どこに住むかの選択権をロトに譲りました。それで、ロトはヨルダン川によって常に潤っていて、繁栄している町のある「ヨルダンの低地全体」を選び取って、そこに住むようになりました。アブラハムはそれを受け入れて、山地が多く雨が降らなければ乾いてしまうカナンの地に住むようになりました。これによって、アブラハムがこの世の権力の序列の基礎にある年長者の権威の序列に縛られていない、自由な者であることが示されるようになりました。また、地上的な富への執着からも自由な者であることが示されるようになりました。
 そして、13章17節に記されている、

立って、その地を縦と横に歩き回りなさい。わたしがあなたに、その地を与えるのだから。

という主のことばに示されていますように、主はそのようなアブラハムに、カナンの地において主の契約のしもべとして生きるようになるために、王的な権威を委ねてくださいました。すでにお話ししましたように、

立って、その地を縦と横に歩き回りなさい。

という主のことばは、その当時、王が自分の権威を示すために領土を見回ったということを背景にしています。
 そして、続く18節に、

そこで、アブラムは天幕を移して、ヘブロンにあるマムレの樫の木のそばに来て住んだ。そして、そこに主のための祭壇を築いた。

と記されていますように、アブラハムは主から委ねられた王的な権威を行使して、カナンの地の中心であるヘブロンに住むようになりました。そして、そこに主のための祭壇を築いて、主を礼拝することを中心とする生活を始めるようになりました。
 また、14章に記されていることですが、ケドルラオメルを中心とする東の王の連合軍がカナンの王たちの連合軍を打ち破って、カナンの地を略奪し、おいのロトを虜にして連れていってしまった時には、アブラハムは東の王たちの連合軍を追撃して、すべてを取り返しました。その際に、アブラハムは主の御名によってこの戦いを展開したこと、そして、自分たちの作戦が成功して、ロトとその財産を含めて略奪されたものを取り返すことができたことは主の恵みによることであることを告白するために、「いと高き神の祭司」であるメルキゼデクに取り返したものの十分の一をささげました。
 その当時、戦いにおいて敵の手から奪ったものは、奪った者のものになるという理解がありました。それで、アブラハムが取り返したものは当然アブラハムのものになったはずでした。けれども、ソドムの王が「アブラハムを富ませたのは自分だ」と言う可能性がありましたので、アブラハムは自分が取り返したものをすべて放棄しました。それによって、アブラハムに示された主の恵みが傷つけられることがないようにしたのです。
 このようなアブラハムの姿を見ますと、アブラハムは権力や富への執着から自由な人で、親族の救出のためにいのちを懸ける勇気のある人物であったと言うほかはありません。ところが、これらのことは13章と14章に記されているのですが、これに先立つ12章10節〜20節には、これとはまったく違うアブラハムの姿が記されています。そこには、

さて、この地にはききんがあったので、アブラムはエジプトのほうにしばらく滞在するために、下って行った。この地のききんは激しかったからである。彼はエジプトに近づき、そこにはいろうとするとき、妻のサライに言った。「聞いておくれ。あなたが見目麗しい女だということを私は知っている。エジプト人は、あなたを見るようになると、この女は彼の妻だと言って、私を殺すが、あなたは生かしておくだろう。どうか、私の妹だと言ってくれ。そうすれば、あなたのおかげで私にも良くしてくれ、あなたのおかげで私は生きのびるだろう。」アブラムがエジプトにはいって行くと、エジプト人は、その女が非常に美しいのを見た。パロの高官たちが彼女を見て、パロに彼女を推賞したので、彼女はパロの宮廷に召し入れられた。パロは彼女のために、アブラムによくしてやり、それでアブラムは羊の群れ、牛の群れ、ろば、それに男女の奴隷、雌ろば、らくだを所有するようになった。しかし、主はアブラムの妻サライのことで、パロと、その家をひどい災害で痛めつけた。そこでパロはアブラムを呼び寄せて言った。「あなたは私にいったい何ということをしたのか。なぜ彼女があなたの妻であることを、告げなかったのか。なぜ彼女があなたの妹だと言ったのか。だから、私は彼女を私の妻として召し入れていた。しかし、さあ今、あなたの妻を連れて行きなさい。」パロはアブラムについて部下に命じた。彼らは彼を、彼の妻と、彼のすべての所有物とともに送り出した。

と記されています。
 ここには、主が、カナンの地がアブラハムとアブラハムの子孫が受け継ぐべき地であることを示してくださった後に、アブラハムが最初に直面した試練が記されています。
 まず、約束の地であるカナンに飢饉が襲ってきたと言われています。飢饉の原因には日照りのために作物が枯れてしまうことや、イナゴなどの害虫の大量発生によって作物が全滅してしまうこと、さらには、戦争が長引いて作物を作ることができない状態が続くことなどが考えられます。ここには具体的な原因は記されていませんが、その飢饉は激しかったと言われています。
 約束の地であるカナンを襲った飢饉が激しかったので、アブラハムは難を逃れるためにエジプトに下っていきました。他の地方が飢饉に襲われたために人々がエジプトに避難してきたという記録は、古いエジプトの記録にも残っているようです。ほかの地方が日照りで飢饉になっても、ナイル川によって潤っているエジプトには食べ物があったのです。主がカナンの地に入ろうとしているイスラエルの民に語られたことばを記す申命記11章11節に、

しかし、あなたがたが、渡って行って、所有しようとしている地は、山と谷の地であり、天の雨で潤っている。

と記されているとおり、カナンの地が潤うかどうかは雨が降るかどうかによっていました。ただし、この時カナンの地を襲った飢饉の原因は分かりません。
 ここで問題となるのは、この時アブラハムがエジプトに下って行ったことは主のみこころに反することであったかどうかということです。この時アブラハムは主を信頼して、約束の地であるカナンの地に留まるべきであったという意見もあります。けれども、ここに記されていることから、アブラハムがエジプトに下って行ったこと自体に問題があったという結論を出すのは難しいと思います。
 後にエジプトは、主の契約の民を奴隷として搾取するようになります。そのために暗やみの力を表わす地上的なひな型として用いられるようになります。その意味では、主の民はエジプトに頼ってはならないわけです。しかし、それは出エジプトの時代のことです。それをアブラハムの時代の出来事に読み込むことには無理があります。もしアブラハムの時代においても飢饉を逃れるためにエジプトに下ることが主のみこころにかなわないというのであれば、アブラハムの孫であるヤコブの時代に、ヤコブとイスラエルの民の十二部族の父祖たちが飢饉のためにエジプトに下って行ったことも、主のみこころにかなわないことであったということになります。けれどもそれは、創世記45章7節、8節に記されている、エジプトの宰相となったヨセフが兄弟たちに語った、

それで神は私をあなたがたより先にお遣わしになりました。それは、あなたがたのために残りの者をこの地に残し、また、大いなる救いによってあなたがたを生きながらえさせるためだったのです。だから、今、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、実に、神なのです。神は私をパロには父とし、その全家の主とし、またエジプト全土の統治者とされたのです。

ということばと一致しません。ヨセフは、ヤコブとイスラエルの民の十二部族の父祖たちが飢饉の時にエジプトに下って行ったことは、神さまの導きによることであったとあかししています。
 また、出エジプト記1章8節に、

さて、ヨセフのことを知らない新しい王がエジプトに起こった。

と記されていますように、イスラエルの民を奴隷化した王は、それまでの王朝とは別の王朝を打ち立てた王です。暗やみの力を表わす地上的なひな型として用いられるようになるのは、これ以降のエジプトです。
 これらのことから、飢饉がカナンの地を襲った時に、アブラハムが飢饉を逃れるためにエジプトに行ったこと自体には問題がなかったと考えられます。
 問題は、アブラハムがエジプト人を恐れて、自分のいのちを守るために、サラが自分の妹であることにしたということです。創世記12章11節〜13節には、

彼はエジプトに近づき、そこにはいろうとするとき、妻のサライに言った。「聞いておくれ。あなたが見目麗しい女だということを私は知っている。エジプト人は、あなたを見るようになると、この女は彼の妻だと言って、私を殺すが、あなたは生かしておくだろう。どうか、私の妹だと言ってくれ。そうすれば、あなたのおかげで私にも良くしてくれ、あなたのおかげで私は生きのびるだろう。」

と記されています。
 ここに記されていることをめぐっては、一つの問題があります。12章4節には、

アブラムがカランを出たときは、七十五歳であった。

と記されています。アブラハムとサラの年齢は十歳ほど違いましたから、この時サラは六十五歳でした。私がウェストミンスター神学校で学んでいましたときに、あるクラスで学生の一人がこのことを問題にしまして、六十五歳にもなっている女性があまりにも美しいということで、エジプト人がその女性を自分のものにするために夫を殺すというようなことが、本当にあり得たのか、という質問をしました。クラスの一同が不意をつかれたような雰囲気とともに、思わず笑ってしまいましたが、確かに、そのような問題があります。
 これについては、いくつかのことが考えられています。一つは、23章1節に記されていますように、サラの生涯は百二十七歳でした。そうしますと、この時六十五歳であったサラはまだ人生の半分を過ぎたばかりという状態でした。おまけに、この時までまだ子どもを産んだことはありませんでしたから、年齢に比べてはるかに若く見えた可能性もあります。それとともに、その当時の文化の中で、女性が魅力的であることの基準が、今日の社会で考えられている基準と違っていたという可能性もあります。女性の美しさの基準は日本の文化の中でも、かなり変化してきました。そのようなわけで、これは今日の私たちの感覚からしますとおかしいのではないかと思われることでしょうが、まったくあり得ない話ではないと考えられます。
 さて、アブラハムの問題ですが、前にお話ししましたように、サラはアブラハムの父テラの娘でした。ただその母親が違っていたのです。その意味では、アブラハムがサラを自分の妹であると言ったことはまったくの偽りではありません。けれども、それによって、サラが自分の妻であることを隠しているという点には偽りがありました。しかも、それは単に人を欺くというだけのことではありません。それによって、サラが他の男性と結ばれてしまう可能性を生み出すような偽りであったのです。
 これに対しまして、アブラハムのことを弁護しようとする立場から、その当時の文化においては、自分の妻を他人に渡すということは決して道徳的に許されないことと考えられていたから、アブラハムの意図は別にあったのではないかという見方が示されています。たとえば、アブラハムは、他の男性がサラと結婚したいと言ってきても、兄としてあれこれと条件をつけて、時間稼ぎをして結果的にサラを誰とも結婚させないつもりであったのだというのです。けれども、実際には、アブラハムがそのようにしようとした形跡はありません。いくらそれがパロからの申し入れであったとしても、それをあっさりと受け入れてしまっているというのが、ここに記されているアブラハムの姿です。
 16節に、

パロは彼女のために、アブラムによくしてやり、それでアブラムは羊の群れ、牛の群れ、ろば、それに男女の奴隷、雌ろば、らくだを所有するようになった。

と記されているとおり、アブラハムはサラを渡したための贈り物を自分の所有としています。これは、アブラハムが、サラに、

どうか、私の妹だと言ってくれ。そうすれば、あなたのおかげで私にも良くしてくれ、あなたのおかげで私は生きのびるだろう。

と言ったことが実現したということを意味しています。
 ですから、この場合には、アブラハムが自分の妻を他の男性に渡してしまうような由々しきことをしようとしたはずがないと主張することには無理があります。むしろ、この時、アブラハムは、そのような由々しきことをしてでも自分を守ろうとしたと考えられます。
 アブラハムがそのようなことをしてしまったことの根底には、エジプト人に対する恐れがあったからです。さらにそのことの奥には、12章1節〜3節に記されている、

  あなたは、
  あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、
  わたしが示す地へ行きなさい。
  そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、
  あなたを祝福し、
  あなたの名を大いなるものとしよう。
  あなたの名は祝福となる。
  あなたを祝福する者をわたしは祝福し、
  あなたをのろう者をわたしはのろう。
  地上のすべての民族は、
  あなたによって祝福される。

という全世界を視野に入れた召命を与えてくださって、アブラハムを導いてくださった主への信頼を失っていたことがあると考えられます。
 そして、ことはアブラハムがエジプト人への恐れとともに想定していたように運んでいってしまいました。14節〜15節には、

アブラムがエジプトにはいって行くと、エジプト人は、その女が非常に美しいのを見た。パロの高官たちが彼女を見て、パロに彼女を推賞したので、彼女はパロの宮廷に召し入れられた。パロは彼女のために、アブラムによくしてやり、それでアブラムは羊の群れ、牛の群れ、ろば、それに男女の奴隷、雌ろば、らくだを所有するようになった。

と記されています。
 ここには、らくだが出てきますが、らくだはまだアブラハムの時代には家畜とされていなかったということから、この記事の歴史性が疑われたりしました。けれども、それはらくだが家畜として一般化していなかったということです。パロはまだ家畜としては一般化していなかった貴重ならくだをもアブラハムに与えたということで、パロのアブラハムに対する心遣いのほどがうかがわれます。
 ついでに申しますと、ここに記されている「羊の群れ、牛の群れ、ろば、それに男女の奴隷、雌ろば、らくだ」の順序は、これらのパロからの贈り物がアブラハムの元に届けられた時に、隊列を作ってやって来たと考えられますが、その時の順序を反映していると考えられています。それは、ろばと雌ろばの間に男女の奴隷が入って、ろばと雌ろばが分けられていること、しかもロバの方が先になっていることに現われているということです。もし雌ろばの方が先に行くと、ろばが興奮して大変なことになってしまうのだそうです。
 17節〜19節には、

しかし、主はアブラムの妻サライのことで、パロと、その家をひどい災害で痛めつけた。そこでパロはアブラムを呼び寄せて言った。「あなたは私にいったい何ということをしたのか。なぜ彼女があなたの妻であることを、告げなかったのか。なぜ彼女があなたの妹だと言ったのか。だから、私は彼女を私の妻として召し入れていた。しかし、さあ今、あなたの妻を連れて行きなさい。」

と記されています。
 ここには大きな問題があります。それは、どうして主は、サラのことで「パロと、その家をひどい災害で痛めつけた」のだろうかという問題です。
 まず、この「災害」のことですが、この「災害」がどのようなものであったかは、ここには記されていません。ここで「災害」と訳されていることば(ネガァ)が「皮膚病」を意味することがありますので、何らかの皮膚病であった可能性があります。いずれにしましても、それは厳しいものであったと言われていますし、パロの家を巻き込むものであったと言われていますから、パロにとっては「神罰」としか考えようのないものであったと考えられます。
 すでにお話ししましたように、アブラハムはサラが自分の妹であると言ってエジプトの人々を欺きました。パロはそれを信じてサラを自分の家に迎え入れたのです。そして、アブラハムには相当な礼を尽くしています。このことを考えますと、非はパロにではなく、アブラハムにあります。パロが、

あなたは私にいったい何ということをしたのか。なぜ彼女があなたの妻であることを、告げなかったのか。なぜ彼女があなたの妹だと言ったのか。だから、私は彼女を私の妻として召し入れていた。

と言ってアブラハムを責めたときに、アブラハムはパロに弁明することばをもちませんでした。実際には、アブラハムは弁解をしたかもしれませんが、それはここには記されていません。いずれにしましても、このことに関してはアブラハムの方に非があったのです。それなのに、どうして、主は「パロと、その家をひどい災害で痛めつけた」のでしょうか。
 この点については、一般には、パロの側に何らかの非があったので罰を受けたと考えられています。その中には、17節に記されている、

しかし、主はアブラムの妻サライのことで、パロと、その家をひどい災害で痛めつけた。

ということばで、わざわざ「アブラムの妻サライのことで」と言われていることから、パロが姦淫の罪を犯したので災いが下されたのではないかという考えもあります。
 けれどもこの場合には、必ずしもパロが罰を受けたと考える必要はありません。むしろ、主は、パロがこのことで罪を犯さないように警告をお与えになるために、災いを用いられたと考えることができます。この場合、エジプトという大きな国の王の目を開かせ、従わせるためには、このような災いを用いることが最も効果的だったのだと考えられます。
 主はこのことをとおしてエジプトの王パロに警告をお与えになっただけではありません。主のみこころの中心は、アブラハムにご自身を示してくださることにありました。主はこのことをとおしてアブラハムに、ご自身がエジプトの王であるパロをも御手のうちに治めておられることを示してくださいました。そして、アブラハムに与えてくださった約束を果たしてくださるためには、パロをも動かされるということを示してくださいました。それで、アブラハムはどのような時にも、またどこにあっても、このような方であられる主を信じ、主に信頼するように招かれていたのです。
 このことを踏まえたうえで、改めて、アブラハムがロトと別れて住まなければならなくなったときに、おいであるロトに住むべきところの選択権を譲ったということを考えてみましょう。ロトはヨルダン川によって潤っている「ヨルダンの低地全体」を選び取りました。そのためにアブラハムは雨によって潤されることを待たなければならない山地であるカナンに住むようになりました。それは、いつまた飢饉が襲ってきてもおかしくない地方でした。そして、アブラハムはカナンの地を襲ったひどい飢饉を経験しています。それでもアブラハムは、豊かに潤っている「ヨルダンの低地全体」を選び取ったロトの選択を受け入れています。その根底には、エジプトでの経験をとおして学んだ主の御手の確かさに対する信頼があると考えられます。
 さらには、ケドルラオメルを中心とする東の王たちの連合軍がカナンの地を侵略してきて、カナンの王たちの連合軍を打ち破り、ロトとその家族を含めてすべてを略奪していった時のことを考えてみましょう。この時、アブラハムは強力な東の王たちの連合軍を恐れることなく、手勢わずか三百十八人と、三人の盟約者の軍隊をもって追撃して、これを打ち破り、ロトを初めとしてすべてのものを取り返しました。そして、東の王たちの連合軍をカナンの外に追い出しました。そのアブラハムは、もはや、エジプト人を恐れたアブラハムではありませんでした。ここにも、エジプトでの経験をとおして学んだ主の御手の確かさに対する信頼があると考えられます。
 アブラハムは、約束の地であるカナンを襲った飢饉のためにエジプトに下って行きました。その際に、エジプト人を恐れて自分の画策によって自分を守ろうとしました。けれどもそれは妻であるサラの尊厳を傷つけることでもありました。それはアブラハムの罪であり、失敗でありました。
 けれども、主はこのことを用いてくださって、主の御手の確かさをアブラハムに示してくださいました。その経験をとおして主の御手の確かさを学んだアブラハムは、この世の権力の序列や富への執着から自由なものとなっていました。
 権力の序列や富への執着の奥には、それは本人の意識からは隠れているでしょうが恐れがあります。罪のもとにある人間には、権力や富をもつことによってその恐れを克服しようとする一面があります。けれども、その恐れの本質は自らの罪に対する造り主である神さまの御怒りに対する恐れですので、権力や富を得ることよっては、根本から恐れを取り除くことはできません。それで、権力や富への執着から自由になることもできません。これに対して、アブラハムは主の御手の確かさに信頼することによって、恐れから解放されるようになりました。それによって、権力や富への執着から自由な者とされていました。そして、そのように権力や富への執着から自由にしていただいたものとして、主から王的な権威を委ねられたのです。
 この世では権力や富を追及する者が、血肉の争いを経て王となります。けれども、神の御国においてはそのような権力や富への執着から自由にされた者に、王的な権威が委ねられています。この点に、この世の国と神の御国の違いが現われています。
 いずれにしましても、アブラハムは初めから勇猛果敢で、権力と富みに対する執着のない、自由な人物だったのではありません。試練の中で主の確かな御手に対する信頼を学び、主への信頼に基づく自由をもつ者となっていったのです。そのすべてにおいて、主の恵みの御手が働いていました。

 


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